「事業仕分け」に国民が喝采する本当の理由
「事業仕分け」に関する報道がとまらない。なぜか。それは国民がそれを喜ぶからだ。
視聴率がとれるからだ。
その一方で、「事業仕分け」の進め方についての批判も日増しに大きくなりつつある。
パフォーマンスだ。短時間で査定できるか。財務省主導だ。仕切り人の人選に不適当な者がいる、
もっと大きな政策予算に切り込まないとだめだ、などなど。
それらの批判はそれなりにもっともだ。
その中でも最も重要な批判は、小さな無駄の削減ばかりをやるのではなく、政策的な予算の査定をしなければ腰砕けになる、というものだ。
しかし、「仕切り人」が無駄の査定に専念しているのは当たり前なのだ。
そもそも「事業仕切り」の元締めである行政刷新会議の目的は、官僚の天下りに典型に見られる血税の横領、無駄に切り込む事にある。
巨額の政策予算の査定は、鳩山内閣全体の政治決定事項であり、その一義的判断を任されている
国家戦略局の仕事なのである。
まったく出番のない菅直人担当大臣こそ、政策予算の査定の手腕が問われるのだ。
前置きが長くなったが、これからがこのブログで言いたい事である。
「事業仕分け」がここまで国民に支持される本当の理由は何か。
それは「事業仕分け人が、官僚の仕事のいい加減さ、無能さを、国民の見ている前で白日の下に
さらした事である。
どのように予算説明をしても、仕切り人に論破され、ぐうの音も出ない。
そしていくら予算をつけてくれと懇願しても一刀両断に切り捨てられる。
高級官僚のプライドも、そしてその存在意義までも、ものの見事に粉砕される。
国民はそれを見て拍手喝さいを送るのだ。
実は、喝采を送るのは国民だけではない。官僚組織の中でこき使われている多くの職員もまた溜飲を下げているのだ。
裸の王様は、なにも高級官僚だけではない。批判さるべきは官僚組織だけではない。
大企業であれ、有名大学であれ、労働組合であれ、メディアであれ、およそあらゆる組織の中で、
幹部たちはろくな仕事もせずにその権威に胡坐をかいている。
本当の仕事は末端の者が死に物狂いでさせられている。その一方で、幹部は、その権力に胡坐をかき、ろくな仕事もしない、できないのに、偉そうなことばかり命令する。
そのいかさまぶりに、多くの国民は辟易しているのだ。
官僚の権威と自尊心がここまで木っ端みじんに打ち砕かれてしまう。
それを見ながら、国民はそれぞれの所属している組織の幹部の「官僚」ぶりに、思いを重ねて
いるのである。
「事業仕切り」作業がここまで国民に支持される本当に理由はここにあるのではないか。
もう止まらない。日本は大衆蜂起の方向に走り出しているのかもしれない。
