読者の皆様へ 私に寄せられた読者からのメールを共有したい
以下の文章は私に寄せられた読者からのメールの引用である。皆さんと共有
したいと思って本人の了解を得て紹介させていただく。ご意見をお聞かせ
願いたい。
私はいま限りなくこの投稿者の言わんとしている事に共鳴できる状況になり
つつある。
私はもともとはエネルギーのある人間だった。戦いをいとわず競争心旺盛な
人間であった。
常に強者の側に立とうとした人間だった。それにもかかわらずもう一人の
自分がいて、その葛藤に悪戦苦闘してきた。
外務省を解雇された時の怒りと屈辱と失望感から逃れられない6年間であった。
しかし、負け惜しみではなく、その6年間は私という人間を変えた。鍛えて
くれた。
今私はこの投稿者の心境に近づきつつある。まだそこには到達していないが、
残りの人生はそこに向かって歩み始めることになる。
つきつめれば人間は皆神に向かって歩んでいくという事だ。もちろんそれに気づく時は
人生の最後でいいと思う。無限の未来が広がっている若者たちは、そんな事に
気づかなくてもいいと思う。
以下引用文
・・・私は、一般的なサラリーマンとはかなり違った変わり種でございます。
5年前に大きな手術をいたしまして、その折にいわゆる臨死体験を致しました。
それ以来、ビジネスそのものにはまるで興味を失い、自分が死んだ後のことも
あまり心配しなくなりました。しかし、自分の死に様は安らかでありたいと願う
ものでございます。死そのものはそんなに怖いものではありませんが、テロや
戦争に巻き込まれ殺戮の恐怖と激痛の中で孤独に死んでいくのは、いかにも
悲惨で避けたいと願っております。自分の家族や仕事の仲間たちや、今まで
知りあった優しい人達が、幸せな一生を笑顔で送ることができることを、心から
願っております。
天木様の貴重な人生の経験と冷静な分析力を尊敬申し上げております。いろいろ
と命知らずな過激な発言をされる方が多い中で、バランスのとれた言動や行動は、
日本で陰謀めいた話を公言する人たちの中にあって、宝石のような光を感じます。
真実を知るということは、とても怖いことでございます。真実は、必ずしも
他人から聞いたり文字で得た情報とは違うものだと思っています。歴史は、
その時々に暮らしている人たちにとっての事実であって、ありのままの事実とは
まるで関係ない単なるイメージですから、その過去の一時点に留まるような
生活には、人間としての大いなる進化は訪れることはありません。人類は今、
そのほとんどが単なるイメージの中で怖がったり保身に走ったり、憎んだり、
そして殺しあったりしております。それも、結局はイメージの中に出来上がった
過去の伝統へ呼応する実態の無い必要のない行為だと思っています。
私たちは、そもそも喧嘩なんかしたいと思ってはいないはずです。毎日毎日、
人を憎んで、殺し殺される不安の中で誰かを犠牲にしていくことほど馬鹿げた
ことはありません。
資本は、いつも我儘にその特性としての膨張の欲求を満たそうとします。大きな
集団同士が対立することによって、生存への不安から莫大な備蓄の欲求が創出
されます。その莫大な需要は、実は我々の不安のイメージが現出しているだけで、
本当に必要な需要ではないと思っています。世界中が平和で仲良く暮らしていれば、
資源の配分は効率的に行われ、余分な備蓄の欲求は発生しえないのですが、莫大な
需要も発生しないので、資本はその膨張の欲求を満たすことができません。
資本は、あるようで実は実体としては存在せず、「あると思っている」私たちが
いるだけです。その実体の無いものに自分達自身がいろいろな悲惨を創造して
しまっていることに気がつくべきだと思うのです。
資本を管理運営する者達は、それを熟知しています。そして、莫大な需要を創出
し膨張の継続性を確保するために、対立を創出しているのだと思うのです。対立
の創出こそ、一番簡単で、効果的で、自分達自身が苦労することなく目的を達成
する為の技術だと思うのです。それは、ずっと昔から行われてきました。
すべての不安のイメージを取り払い、恐怖なしに生きることが出来るようになった
ときに人間の次の進化が始ります。恐怖は、実体の無い私たちの心の中だけに
あるものだという気づきが重要です。
ありのままを無垢で純粋で天真爛漫に語る時に、愛と思いやりが発生します。それ
こそがすべてのイメージを破壊するエネルギーになると思います。
死を恐れながらの発言は、対立を発生させます。どんなに素晴らしい言葉・行為
であったとしても、死への恐怖感は保身を産み育て、対立する人たちに対しての
攻撃という形でしか人々の意識に入って行きません。それは、結局、今までと
なんら変わり映えのしない、対立の創出につながり、私たちの中に葛藤と紛争を
発生させてしまうのではないでしょうか?
私たちは何か勘違いしていないでしょうか?私たちが敵だと思っている人たちは、
実は人類全体の一部分で、私たちの仲間なのではないだろうか?人間の心の中
には、人類すべてが持っている喜怒哀楽といった感情が備わっていて、その感情
のうちのどういう感情を選んでいるか・・だけの違いではないだろうか?と思う
のです。私たちが敵だと思っている人達は、実は、自分達の中にもある残虐な
感情を選んで表現しているだけかもしれないな・・と思うのです。
世界大戦の時、日本の一般市民や兵隊さんや血まみれになって死んでいったのは
紛れもない事実だと思います。私たち日本人は、その復讐をしないと誓った国民
です。そして、戦争をしないと誓った国民です。そんなことを誓った国民は、
世界中どこにもありません。だからこそ、私たちはそれを大事にして、紛争の
解決を武力を行使しないで、そして大国からの様々な攻撃への不安を持たないで、
天真爛漫に、「平和が一番楽しい!」と笑顔で語らなければならないと思うの
です。
どんなに対立創出の工作があったとしても、私たち自身の心の中にさえ恐怖を
抱くことがなければ、殺戮の片棒を担ぐことはありません。
原因は私たち以外のどこか他所からくるのではないのです。原因はすべて、
私たちの中にあって、それこそが全ての源だと思っています。
私たちが何をするかではなく、私たちがどういう事実を知るかではなく、私たち
が本当に平和を望んでいるかどうか、そして同時に本当に他の国々の人達の
安全も尊重しているかどうか、、そういうことが問われているのだと思います。
本当は、私たちはどう思っているか?それが、すべての源になると思います。
ながながと生意気なことを書いてしまいました。
天木様のご活躍を心からお祈りしております。
お体、ご自愛くださいませ。
