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2009年05月17日

鳩山由紀夫首相の誕生と自公政権の終焉

 


 民主党の代表選挙で鳩山由紀夫氏が勝利して以来、私はメディアの反応と
鳩山新代表の言動を目を凝らしてみてきた。

 そして一つの確信に近いものを感じた。それは何か。ずばり鳩山首相の誕生と
自公政権の終焉である。

 メディアの報道振りは相変わらず偏向に満ちたものである。悔しくて仕方が
ないといわんばかりだ。そして何かと言えば、「鳩山民主党は小沢院政では
ないか」、という批判を繰り返す。

 これに対して鳩山由紀夫新代表は実に見事に対応している。

 それは小沢問題に対する受け答えの的確さだけではない。何かと言えば民主党
の政策を問うメディアの質問に対して、鳩山氏は明確に自民党の政策との対比を
浮き彫りにしている。

 消費税は上げない、国民の所得増を優先する、官僚支配を打破する、地方分権
を進める、特別会計を廃止して天下り財源を国民のために使う、などなど。
それでいいのだ。わかりやすいほどいい。自民党との違いが明確なほどいい。

 メディアも、もはや小沢批判だけ追及していてはもたない、むしろそのような
ことばかり言っていると、国民の批判はメディアに向けられてくる、そう感じ
始めたかのようだ。

 そして17日午前10時から放映されたテレビ朝日の田原総一朗サンデー
プロジェクトである。

 読者の皆さんの中にはこの番組をご覧になった方もおられるであろう。

 この番組は、まさしく鳩山首相の誕生と自公政権の終焉を象徴するような
番組になってしまった。前代未聞の椿事が国民の前に繰り広げられた。

 小沢批判を続けようと思っていた田原総一朗の思惑を裏切り、小沢批判に
偏向するメディアの異常さを追及する声が出演者から殺到した。

 出演していた朝日新聞の星浩の顔がゆがみ、「なんだか民主党の応援番組の
ようになってしまった」、と田原が苦笑していた。

 苦し紛れに、田原は、小沢一郎の政治資金疑惑問題を追求すべく、小池
日本共産党政策委員に助けを求めたほどだ。

 その期待に見事にこたえるかのように、小池議員は小沢一郎の金権腐敗
を厳しく追及した。

 自民党補助政党と揶揄される日本共産党の「正体見たり」が全国の国民の
前に示された瞬間である。日本共産党はもはや完全に田原総一朗のテレビ番組の
お友達になってしまった。

 このような流れをつくったのは、選挙からわずか一日ほども経たない間に、
立て続けにメディアに露出して、的確な受け答えを続けた鳩山由紀夫
新代表である。

 私は鳩山由紀夫を見直した。というより鳩山由紀夫は今度の騒動を通じて
大きく生まれ変わったのだ。小沢事件という試練が鳩山を鍛えたのだ。その試練を
見事に乗り切った鳩山由紀夫が、もはや追随を許さない日本を代表する政治家に
なったのだ。

 岡田代表はもとより小沢代表を凌いだのだ。

 願わくば、このまま鳩山代表には、慎重かつ大胆な対応を続けてもらいたい。
確実に政権を奪取してもらいたい。

 左翼は鳩山代表の憲法9条改憲姿勢を危ぶむ声がある。しかし心配には
及ばない。鳩山由紀夫は改憲を言い出すことはない。

 憲法9条問題は、それを守るか変えるかという踏み絵を突きつけることでは
ない。理念論争をする問題ではない。いま現実に改憲をするかしないかという
問題である。改憲の動きをしなければいいのだ。そして鳩山代表は改憲をする
ことはない。

 田原総一朗のサンデープロジェクトに出演していた亀井静香がいみじくも
指摘していたように、政権交代は血みどろの戦いである。いよいよ下野が
本物になってきたこれからは、自公政権とメディア、検察、官僚は、あらゆる
手を使って死に物狂いで攻撃してくるだろう。

 しかし、自公政権は、ふたたび同じ手は使えない。それをやると今度こそ
国民の反発を食らう。皮肉にも、小沢問題が今度は防波堤になるのだ。

 今度は小沢一郎が身をもって鳩山を守るのだ。小沢にはその認識を持って
もらいたい。それこそが身を犠牲にして政権交代を実現するということだ。

 一致結束して政権交代に当たると言う事だ。

 誰も入り込めない小沢と鳩山の結束だ。そこにこれから三ヶ月の民主党の
すべてがかかっている。

 自公政権は政策論争で勝負しなければならない。そして官僚に依存した
政策論争では、自公政権は民主党には勝てない。

 鳩山首相の誕生、自公政権の終焉、と私が断じる理由がそこにある。

 もはや私が政権交代を叫ぶ必要はなくなった。

 鳩山民主党政権ができた暁には、今度は、私は鳩山民主党政権の政策を
厳しく監視していくことになる。
   
     

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2009年05月16日

 私のメールマガジンに寄せられる読者の声

 
  
 小沢問題について書く私のメールマガジンに読者から次のような声が寄せられた。

 政治の場における民主革命の試みは、国家権力の激しい抵抗にあい、その力が不十分な場合は、かえって国家権力の強化をもたらしてしまう、というものである。

 政治の現実を見抜いた鋭いしてきであると思って、本人の承諾なしに、私の独断でここにブログの読者にも全文を引用して紹介する。

 やはり革命というものは一気呵成に成功させなければならないのかも 知れない。今度の民主党の動きが腰砕けになれば、おそらく日本の政治状況は、なすすべのない国民にとって、今よりもっと悪い政治が末永く続くことになるに違いない。

 この読者が、国家権力者たちは、権力を手放さない、保身の「自己免疫力」が備わっている、と表現
 しているところは、言い得て妙である。


 ・・・天木さん、本当にそのとおりと思いました。大手企業、メディア
(巨大資本)と政府(国家)の結託、非常に強固なものを感じます。

 資本と国家がそれぞれ、自己に対して共に自覚的な強固な「枠作り」、
「結束」を行う(資本と国家の不正義と結託)その一方で、それぞれに対峙
する大多数の国民、人々はばらばらに分断され(したまま)、消費という
優位な立場での抵抗すらも、資本と国家の結託(エコポイント)でそこから
巧妙に引きずり下ろされようとしていると思いました。

「国家」に「国民」の視点を導入しようとする(小沢氏から田中康夫氏まで)
政治の一方で、しかし国民が「国民」という立場を有効に活かし、「国民」
としての抵抗を捨てることなく(政治=国家の内側から変えようとするのでも
なく)、「国民」の内側でより強固な横のつながりをつくりだし、「国家」
と「資本」により強力に間接的に変更を迫ることができないでしょうか。

 そう考えたとき、湯浅誠さんは既存の政治、「国家」の内側に介入するよりも、
「国民」の側にむしろ立ちつづけることで(例えば現在の天木さんのように)、
今までとは違う、現在の政治や経済、「国家と資本」に抵抗し変更を迫る
新しい「国民」の枠作りを打ち出すことが可能なのではないかとも思います。

 その一方で、国民=消費者を重視しようとする小沢氏や田中氏のように、
「国家」の枠内に国民の視点を導入しようとすることは、「国家」を「国民」
の側に取り戻そうとする正義である一方で、「国家」の自己免疫作用や抵抗、
権力を強力に作動させてしまう(小沢問題における官僚組織の抵抗のように)、
それは結果的によりいっそう強力な「国民」に対峙する「国家」に変化させて
しまう負の側面をもってしまうとも思いました。

 仮に、政権交代が起きなければ、そのようなより強力な自己免疫作用を
もった「国家」を生んでしまい、より強く「国民」に対峙する「国家」を
作らせてしまうのではないか、そういう気もしなくもありません。

「国家」を内側から改善しようとすることはアクロバットな正義である一方で、
「国民」という存在、枠を弱めてしまい、場合によってはより強固な「国家」を
生んでしまう、そんな望まない負の側面もあわせもってしまう気がいたします。

(例えば、かつての国家による社会主義や共産主義は、「国民」という枠を
既存の「国家」に取り込むことで「国家」を内側から改善しようとした半面、
「国家」に抵抗する「国民」という枠組みを解消してしまったことが、むしろ
「国家」をより強固なものにし、「国民」の抵抗を根本から弱体化させた側面
も大きかった気がします。過去のロシアと中国の時代を、まさにシーラカンス
のように現在も生き反復する北朝鮮がその典型だと思えます。)

 政治における小沢氏や田中氏らの活動のあり方の一方で、あくまでも、
「国民=消費者」側に立ち、「国民=消費者」という枠を大切に守り、その
内側から間接的に「国家」に変更を迫ろうとするベーシックな正義、その
ような内側での横のつながり、ネットワークをより強固につくれないだろうか、
そう考えたとき、天木さんや湯浅さんらのご活動は大変おおきな意味をもって
いるとあらためて思いました。

 「国民」が自らの枠を失ってしまうことなく、いかに国民が国民の側から
「国家」への監視と抵抗、かつ消費者としてもう一方の巨大な「資本」への
監視と抵抗を自らが保ち、そして間接的に「国家」と「資本」に大きな変更
を迫る。「国民」という枠を守り、それをより強くすることは、そのような
大変ベーシックで重要なことなのではないかという気がいたしました。湯浅さん
や、そして天木さんのようなかつて「国家」の中枢におられた方々が大きく横に
つながり、あくまでも「国民」の内側から、根本的な正義をつくる、リーダー
シップ的存在になってほしいとあらためて思いました。

 長々と門外漢の私見を失礼いたしました。本日からはじまる天木さんの
メルマガ懇親会がそのような大きなネットワーク、あたらしい
アソシエーションのかたちに発展することを期待したいと思います。

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2009年05月15日

 いまこそ消費者は決起すべきだ

 
 いまこそ消費者は決起すべきだ

  
 今日からエコポイント制度なるものが始まると言う。官僚が考えついたあさはかな制度だ。官僚に政策を丸投げする政治家の無能、無責任の証明だ。

 まだ使える自動車や家電を捨て去る事がなぜエコなのか。なぜ一部の大企業の製品の販売促進に加担する事がエコなのか。

 ついこの間まで、大手企業は大きな顔をしていた。売上高を誇り、自社製品が売れるのは当たり前だ、というような顔をして消費者を睥睨していた。

 この国の政治、政策にも口を出すおごりの絶頂にいた。

 ところが今はどうだ。軒並み営業不振に陥って慌てふためいている。

 その原因は何か。物が売れなくなったからだ。国民が買わなくなったからだ。

 国民は買う物がないから買わないのではない。買いたくても買えないのだ。

 国民は好きで困窮しているのではない。政府の間違った外交、内政のために、所得が減り、将来の不安が急拡大したのだ。

 買うものも買わずに必死になって生活防衛に走っているのだ。

 それなのに、政府と大手企業は結託して国民の消費を増やそうとしている。 内需拡大をしないと経済は良くならないと脅かし、見せかけの優遇措置を講じて消費者心理を煽っている。

 雇用確保や所得増の政策を打つことなく、年金や医療の不安をどんどんと高める無策を重ねながら、国民になけなしの金を使わせようとしている。

 15兆円もの予算をばらまいて官僚の天下りを優遇し、財政赤字を増やして消費税増税を不可避にさせている。

 この野郎!ふざけるな!かくなる上は、意地でも買うもんか。欲しくても買わない。これは消費者の意地だ。

 皆がこう思うだけで、政府も大企業も震え上がるに違いない。弱者の反乱だ。いや、お客様は神様なのだ。消費者は王様なのだ。

 小泉元首相が自民党学生部のイベントで大学生の前で、「漢字が読めなくても、変人でも首相になれる」、とほざいたという。

 国民をなめきった発言だ。変人や漢字を読めない者でも確かに首相になれた。しかし、だからこそ、こんな日本になったのだ。変人や馬鹿が日本を壊した。

 メディアは鳩山だ、岡田だ、などと騒いでいる場合ではない。小沢院政などあってもなくても、もはやどうでもいいことだ。

 メディアが書くべき事は、小泉、安倍、福田、麻生の自公政権でここまで日本が崩壊してしまったことを書くべきだ。

 鴻池のような女狂いの不道徳な人間を官房副長官に居座らせたのは麻生首相だ。その責任を問われて、「健康まで任命責任なのか」と開き直るような麻生首相でいいのか。

 そうではないだろう。一日もはやく麻生政権を終わらせる事こそメディアは報じるべきだろう。

 自公政権では、もはや日本に未来はない事を書くべきだろう。

 見え透いた権力擁護や情報操作をしていると、今にテレビも新聞も消費者に見放されるぞ。

 視聴者、読者に見放されると、テレビも新聞も本当につぶれてしまうぞ。

 消費者と言う名の国民は、そろそろ決起すべだ。ボイコットするだけでこの国の政治は変わるところまで来ている。
   
      

 

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2009年05月11日

小沢代表辞任表明のインパクトー政界大混乱と真の政界再編の予感

 
 小沢代表辞任表明のインパクト
         ―政界大混乱と真の政界再編の予感

 小沢民主党にエールを送ったとたん、小沢代表が辞任表明をした。さすがの
私もこのタイミングでの辞任表明を予期してはいなかった。だから驚いた。

 しかし、私が小沢一郎に送ったエールは、いささかの揺るぎもない。あの
エールはこれからの小沢一郎に対してもそっくりそのまま向けられている。

 いや、あの私のエールは、まさしくこれからの小沢一郎にこそ向けられるべき
ものである。そして私が小沢に期待するのも、まさしくこれからの小沢の対応で
ある。

 これは言い訳でも、負け惜しみでもない。私の思いであり、私の政情分析で
ある。その事について書く。

 小沢事件が始まってからの私の発言を正確にフォローしてきた読者なら
お分かりであろうが、私は、事件が起きた時、小沢一郎は早い時期に代表を
辞任し、反転攻勢に出るべきだ、と訴えた。

 残念だが第一幕は小沢の敗北だ。小沢は権力に潰されたのだ。どんなに
悔しくても、歯を食いしばって耐え、目的を達成するためのベストの選択を
すべきだと考えた。

 これに対し、「腰砕けだ」と激しく批判する小沢信奉者がいた。小沢一郎も
すぐに辞任をしなかった。

 それを見て、私の考えは少し変わった。確かに小沢なき民主党で闘えるのか、
という声は頷けるものがあったし、なによりも、小沢一郎自身が辞任せずに
頑張ろうと覚悟を決めたのなら、それを尊重したい、と思ったのだ。それで
闘えるのなら、もちろんそれがいい。

 しかし、国家権力を甘く見てはいけない、権力に群がる者たちの卑劣さを
軽視してはいけない、果たしてそれで闘いきれるのか、という疑念は私の中に
常に底流としてあった。それが、官僚として国家権力を内側から見てきた私の
考えであった。

 果たせるかな、権力側の必死の小沢つぶしと、その使い走りである官僚と
メディアの小沢攻撃は執拗かつ強固なものだった。それが奏功して小沢辞任の
世論は強まりこそすれ、おさまることはなかった。

 しかし、それを見ているうちに、私の小沢支持はますます強まって行った。
小沢問題は私の中で、より大きな政治問題に発展して行ったのである。

 小沢事件はもはや政治家小沢一郎だけの問題ではない。民主党による政権交代
の話でもない。この国の将来を左右する一大権力闘争であり、国民を分断し、
国民の支持を手中にしようとする権力者の卑劣さと、それに抗う闘いとなった。

 この国に生きる以上、誰もが小沢問題から逃げるわけにはいかなくなった。
それはもはや自分自身の問題でもある。すべての国民の問題である。

 小沢民主党が敗れても、もちろん日本と言う国は存続し続ける。それどころか
権力の近くにいる者たちは、ますます結束を固め、そうでない国民を踏み台に
してうまみのある生活を送るようになる。彼らにとって、日本はますます
いい国になる。

 しかし、その一方で、おびただしい数の国民が踏みつけられて生きる国になる。
格差社会がさらに進み、弱者が決して浮かばれない国になる。

 そんな日本にしていいのか。いいはずはない。ならば誰かがそれを国民に
気づかせなければならない。そんな日本になることを阻止しなければならない。

 小沢にその資格があるのか。小沢はそんな政治家か。

 過去の小沢は知らない。しかしいまの小沢は過去の小沢ではない。その役割を
託す事ができる政治家は、いまや小沢一郎しかいない、だから私は小沢一郎に
エールを送るのだ。

 小沢一郎は民主党代表を辞任した。そしてその事によって舞台は一変した。
しかもその舞台はまさにこれからめまぐるしく回る。回り続ける。

 その認識に立って、小沢一郎には最後に桧舞台に立ち、喝采の中で舞を
踊ってもらいたい。

 これから起こりうる政治ドラマを想定しながら、あらためて私は小沢一郎に
エールを送りたい。

 最初に指摘したい事は、小沢の辞任は早晩不可避であったということだ。それは
小沢自身が一番知っていたに違いない。そうである以上、ベストのタイミングを
選ぶ事こそ小沢一郎の唯一、最大の仕事だったという事だ。

 そして結果的に小沢一郎はベストのタイミングを選んだ。その事は与党や
メディアの狼狽ぶりが如実に示している。

 辞めろ、辞めろ、の大合唱の中で、突然辞めらたわけだから、批判の
しようがない。しゃらくさい。そして、今度は世論の矛先は彼らに牙を向ける
ことになる。

 それをおそれているからこそ、与党もメディアも、小沢攻撃を続けようと
している。小沢辞任は遅すぎたとか、辞めてもまだ説明責任を果たしていない
とか、離党や議員辞職をしなければ不十分だ、などというのがそれである。

 辞任記者会見における記者の質問や、NHKの7時のニュースで流された
小沢批判一辺倒の市民の声などを見ていると、このまま小沢に生き残られ、
反撃されてはたまらない、息の根を止めなければ不安だ、という彼らの危機感が
ありありと感じられる。

 小沢辞任で追い込まれたのは、間違いなく自公政権であり、それを支持して
きたメディアなのだ。

 しかし、民主党もまた追い込まれることになる。民主党の対応如何では、
民主党は壊滅的に追い詰められる。

 なぜならば、小沢一郎の後を継ぐ党首が誰になるか、またその党首の下で
結束を図れるか、という大問題が間違いなく表面化するからである。

 そしてまさしく自公政権とメディアはそこをついてくるに違いない。次なる
自公政権の標的はそれしかない。そこを攻めない限り、自公政権は窮地に
立たされるからだ。

 私が残念に思ったのは、小沢一郎がこの大問題を放置したまま代表を辞任
したと思われる事だ。辞任の記者会見であれほど政権交代を訴え、そのため
の党内結束を訴えたにもかかわらず、その事を担保しないで代表を辞めた
とすれば、大きな誤りだ。

 もしそうであればこれが小沢一郎の限界なのかもしれない。民主党にとって
致命的になるおそれがある。そしてその懸念は十分すぎるぐらいある。

 しかし、繰り返して言う。もはや小沢一郎だけの問題ではない。小沢一郎
信奉者だけの話ではない。日本の将来がかかっている問題である。民主革命を
願う国民すべてにとっての、生き残りをかけた問題である。

 その思いを同じくする読者に向けて私は以下の事を書く。ピンチはチャンス
でもある。小沢辞任をチャンスにする大胆な発想がいまこそ求められる。

 重要な事は政権交代を実現することだ。そしてその政権交代は、民主革命的
なものでなくてはならない。この二つの課題を達成するためにはどうすれば
いいか。どう情勢が展開していけばいいか。

 政権交替は早いほどいい。しかし急ぐあまり不完全なものであっては
むしろ禍根を残す。小沢民主党による政権交代はもちろん望ましい。しかし、
民主革命はなにも民主党でなければ出来ない訳ではない。今度の選挙で
すぐに実現しなければならないものでもない。

 結論から言おう。小沢一郎は、状況如何では民主党を離党し、民主革命新党
を立ち上げて、政権とりをめざすべきだ。

 私がそう提案する根拠はもちろんある。

 ひとつには今の自公政権ではもはやどうあがいてもこの国を救う事は出来ない
ということだ。たとえ今度の選挙で自公政権が勝ったとしても、政権を担い
続ける事はできない。国民はかならず自公政権を見放す時がくる。

 だからこそ、小沢民主党の動向とは関係なく、自民党内部で麻生おろし、
政界再編の動きが出てくる可能性がある。

 ふたつには、小沢なき民主党は、もはや政権政党になれない、たとえなった
としても長続きしない、という現実がある。小沢辞任会見の言葉とは裏腹に、
民主党は解体される運命にあるかもしれない。

 今度の小沢辞任は、実は麻生自公政権に向かって放たれた矢であると同時に、
前原、仙石などの内なる敵に放たれた矢でもある。もはや民主党は一体に
なれないのだ。仙石、前原一派は、小沢辞任によってますます民主党に
居場所がなくなるのだ。

 小沢一郎の後任者をめぐって大混乱が生じるだろう。それを見て国民は
民主党支持をさらに低めるであろう。いまのままでの民主党による政権交代は
ない。あっても長続きしない。長続きしても本当の政権交代にはなりえない。

 三つ目には、今度の小沢事件であぶりだされた左翼、護憲政党の限界である。
小沢辞任発表直後の各党代表のインタビューでわかった事は、日本共産党も
社民党も国民の期待に沿えない政党であるという事だ。

 日本共産党が自公政権の補完政党であるという事は今度の小沢事件で
浮き彫りになった。そして社民党もまた、今度の小沢代表辞任後の福島党首
の発言によってその限界を露呈した。

 この期に及んで政治資金疑惑を追及し、小沢一郎に説明責任を求める
福島社民党にはつくづく失望させられた。日本共産党以下である。社民党に
未来はない。

 そう考えた時、小沢一郎は機を見て民主革命新党を立ち上げるべきだ、
という私の提案が現実的である事がわかるだろう。

 小沢一郎は、亀井静香の国民新党、田中康夫の新党日本、鈴木宗男の
新党大地などを糾合し、官僚支配の打破、天下り廃止、地方分権、情報公開
などを掲げた国民の為の民主革命政党を宣言すべきである。

 その公約に、対米自立と平和外交を加える事ができればなお好ましい。
対米自立とは、必ずしもただちに日米同盟を破棄すると言うことではない。
平和外交と言っても、未来永劫憲法9条を変えるべきではないという必要はない。

 戦争国家米国の言いなりになる必要はない、いまは憲法9条を変える時ではない、
そういうだけで十分だ。そしてそれは大多数の国民がまさしく思っている事である。

 民主革命新党は大きな数の政党でなくてもいい。民主革命を強烈に願う結束
ある集団であればいい。必ず一定数の熱狂な国民の支持が得られるであろう。
そして新しい政界再編の中で、大きな影響力を持つ政党になるであろう。

 結果として政権を左右する政党になれるに違いない。

 小沢一郎よ。本当の闘いはこれからである。すべての国民の共感を得ようと
する必要はない。民主革命を望む国民とともに歩め。その国民の期待を
裏切らずに歩め。必ず道は開ける。

 なぜならば、それこそが正しい政治の方向であるからだ。日本の歴史の
大きな流れであるからだ。人知を超えたものがそこにはある。
    
      


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2009年05月11日

小沢一郎よ、桧舞台で舞を踊れ

 
  
 5月11日の朝日新聞の投書欄に、東京在住70歳の無職の男性からの、次のような投書が掲載されていた。

 「政権交代で官僚支配終焉を」と題するその投書の趣旨は次のようなものだ。

 「 ・・・官僚支配を終わらせることができない政権交代なら、私は民主党を中心とした野党の総選挙の勝利は望まない。

 小沢代表のような剛腕でないと政権与党や官僚の手練手管に対抗できない。

 民主党員は、小沢氏が代表を辞めれば選挙に勝てると思っているようだが、(たとえ)総選挙になんとか勝てても、(小沢なき民主党では)官僚支配を終わらせることまでは永遠にできなくなるだろう。

 小沢民主党は、談合・天下りの根絶、特殊法人や独立行政法人の原則廃止、特別会計の原則廃止、地方分権の推進など、「官」の改革をうたっている。

 政官癒着を打破し、官僚支配を終焉させられないような民主党なら、政権交代の意味がない・・・」

 どうだ、小沢一郎。ここまで応援してくれる国民がいるのだ。小沢一郎はこの70歳の一市民に拝跪して感謝し、みずから語ったとおり今こそ「身の朽ちるまでその使命を達成する」覚悟を新たにすべきだ。

 小沢一郎を支援する人々も、その支援理由も、様々だろう。小沢一郎の政治的庇護を得ようとする打算からの支持もあれば、反麻生、反自民の立場から小沢民主党を支持する者もいるに違いない。とにかくまず政権交代だ、と考える者も多い。

 そしてこの投書の主のように、既存の支配体制を根底から変革するような政権交代でなければ、政権交代の意味はない、だから小沢一郎に任せるしかない、と考える者がいる。まさしく私もその一人だ。

 この投書の主の期待に応えることは容易な事ではない。二つの大きなハードルを超えなければならないからだ。

 一つはもちろん総選挙に勝つ事だ。しかし、その後にさらなる高いハードルが待っている。63年間続いた日本の権力構造を変えることだ。少なくともその口火を切ることだ。

 これは実は大変な政治的挑戦なのである。今までのどの政治家もなしえなかった困難な挑戦である。

 日増しに追い込まれつつあるように見える小沢一郎に果たしてそれができるのか。普通なら誰しもが困難であると考えるだろう。

 しかし、ここからが私の言いたいところであるのだが、実は小沢一郎の苦境はまた小沢一郎の好機でもあるのだ。しかも千載一遇の・・・。

 なぜか。もはや事態がここまでくれば、この二つの挑戦を切り離す事はできない。小沢一郎は、政権交代をした暁には日本の権力構造を変えて見せる、民主革命を起して見せる、その思いを持つものは私と一緒に闘ってくれ、と明確に宣言するほかにないのである。

 小沢一郎はそれを民主党員の前に示し、同時にまたそれを国民の前で語るのだ。これこそが究極の劇場型政治である。

 このような事は、さすがの小沢一郎も、普通の状況ではできないだろう。ましてやシャイで口下手の小沢である。

 しかし、いまは違う。この投書の主がいみじくも書いているように、いま小沢一郎に求められている事は、その事以外にもはやないのだ。

 歴史の流れは、そして閉塞した国民の心の底に閉じ込められたままのエネルギーは、それを小沢に渇望しているのだ。

 小沢一郎という政治家の真価を私は知らない。天命というものがあるのかどうか私は知らない。しかし、小沢一郎にとってその真価を国民の前に示す事のできる、最大で、最後の天命が到来しているとすれば、まさに今がその時ではないのか。

 政治家小沢一郎にとって男冥利につきるではないか。みずからが置かれている今の苦しい状況を、天が与えてくれた桧舞台と心得て、小沢一郎よ、舞を踊れ。国民の拍手喝さいををその耳で聞け。

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2009年05月10日

 政権交代を否定する朝日新聞


 私がメルマガで朝日新聞の変調を書いた時、すかさず多くの共感のメールが寄せられた。

 しかもその共感のメールは、いずれも長年朝日を愛読してきたという朝日ファンからのものだった。

 いかに朝日が読者を裏切りつつあるかということだ。

 そして、5月8日の朝日新聞は、ついにここまできたか、と言うものであった。

 「あえて問う 政権交代は善なのか」という見出しの「オピニオン 政治衆論」という特集記事が、一頁全面を使って組まれていた。

 この特集記事は、今井貴子(成蹊大法学部助教授)、御厨貴(東大先端科学技術研究センター教授)、牧原出(東北大大学院法学研究科教授)、そして司会役の薬師寺克行(朝日新聞論説委員)の4氏による対談形式をとった論評だ。

 その論調は、一見まともな体裁を取っている。すなわち、政権交代の長所は政権の刷新性であり、日本政治に競争原理が導入される点であると言い、短所は政策の継続性が失われる事にともなう混乱だ、競争原理が行き過ぎると政局中心主義に陥る(薬師寺)、などとバランスをとった言い方をする。

  しかし紙面を注意して読むと随所に民主党批判や政権交代への否定的物言いが表出している。まるで読者に対するサブリミナル効果を狙っているかのようだ。

 「民主党には政権を取るための準備が足りない。とすれば、現在の日本は政権交代をしなければいけないほどの危機にあるのか、いま一度考える必要がでてくる」(牧原出)。

 「日本のメディアはともすれば、政権交代がア・プリオリに『善』であるとしてきたが、なぜ善なのか」(薬師寺克行)。

 「小沢氏の発想は『まずは政権を取れればいい。自分のその後の行動を縛る公約などいらない』というものだ。彼の限界は自民党の旧来の擬似政権交代システムを外部化し、自民党と民主党との間で権力闘争を展開すれば事足れり、としている所にある」(御厨貴)、

 などなど。

 極めつけは牧原出の次の言葉だ。

 「自民党が自己改革するなら、政権交代は必要ないという議論が強まりかねない」

  この企画をつくった薬師寺は、同時にまた対談のプレーヤーの一人であり、かつ編集者だ。いわばこの記事のプレーイングマネージャーである。

 彼がつけたに違いない見出しの「あえて問う 政権交代は善なのか」というタイトルこそ、小沢民主党による政権交代に朝日は断固反対する、という意思表明である。

 ついに朝日新聞はここまで来てしまった、という事である。

朝日の読者離れは加速していくだろう。いや、ひょっとしたら朝日新聞はメディアから消えていくかもしれない。
    
      

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