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2009年05月15日

 いまこそ消費者は決起すべきだ

 
 いまこそ消費者は決起すべきだ

  
 今日からエコポイント制度なるものが始まると言う。官僚が考えついたあさはかな制度だ。官僚に政策を丸投げする政治家の無能、無責任の証明だ。

 まだ使える自動車や家電を捨て去る事がなぜエコなのか。なぜ一部の大企業の製品の販売促進に加担する事がエコなのか。

 ついこの間まで、大手企業は大きな顔をしていた。売上高を誇り、自社製品が売れるのは当たり前だ、というような顔をして消費者を睥睨していた。

 この国の政治、政策にも口を出すおごりの絶頂にいた。

 ところが今はどうだ。軒並み営業不振に陥って慌てふためいている。

 その原因は何か。物が売れなくなったからだ。国民が買わなくなったからだ。

 国民は買う物がないから買わないのではない。買いたくても買えないのだ。

 国民は好きで困窮しているのではない。政府の間違った外交、内政のために、所得が減り、将来の不安が急拡大したのだ。

 買うものも買わずに必死になって生活防衛に走っているのだ。

 それなのに、政府と大手企業は結託して国民の消費を増やそうとしている。 内需拡大をしないと経済は良くならないと脅かし、見せかけの優遇措置を講じて消費者心理を煽っている。

 雇用確保や所得増の政策を打つことなく、年金や医療の不安をどんどんと高める無策を重ねながら、国民になけなしの金を使わせようとしている。

 15兆円もの予算をばらまいて官僚の天下りを優遇し、財政赤字を増やして消費税増税を不可避にさせている。

 この野郎!ふざけるな!かくなる上は、意地でも買うもんか。欲しくても買わない。これは消費者の意地だ。

 皆がこう思うだけで、政府も大企業も震え上がるに違いない。弱者の反乱だ。いや、お客様は神様なのだ。消費者は王様なのだ。

 小泉元首相が自民党学生部のイベントで大学生の前で、「漢字が読めなくても、変人でも首相になれる」、とほざいたという。

 国民をなめきった発言だ。変人や漢字を読めない者でも確かに首相になれた。しかし、だからこそ、こんな日本になったのだ。変人や馬鹿が日本を壊した。

 メディアは鳩山だ、岡田だ、などと騒いでいる場合ではない。小沢院政などあってもなくても、もはやどうでもいいことだ。

 メディアが書くべき事は、小泉、安倍、福田、麻生の自公政権でここまで日本が崩壊してしまったことを書くべきだ。

 鴻池のような女狂いの不道徳な人間を官房副長官に居座らせたのは麻生首相だ。その責任を問われて、「健康まで任命責任なのか」と開き直るような麻生首相でいいのか。

 そうではないだろう。一日もはやく麻生政権を終わらせる事こそメディアは報じるべきだろう。

 自公政権では、もはや日本に未来はない事を書くべきだろう。

 見え透いた権力擁護や情報操作をしていると、今にテレビも新聞も消費者に見放されるぞ。

 視聴者、読者に見放されると、テレビも新聞も本当につぶれてしまうぞ。

 消費者と言う名の国民は、そろそろ決起すべだ。ボイコットするだけでこの国の政治は変わるところまで来ている。
   
      

 

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2009年05月11日

小沢代表辞任表明のインパクトー政界大混乱と真の政界再編の予感

 
 小沢代表辞任表明のインパクト
         ―政界大混乱と真の政界再編の予感

 小沢民主党にエールを送ったとたん、小沢代表が辞任表明をした。さすがの
私もこのタイミングでの辞任表明を予期してはいなかった。だから驚いた。

 しかし、私が小沢一郎に送ったエールは、いささかの揺るぎもない。あの
エールはこれからの小沢一郎に対してもそっくりそのまま向けられている。

 いや、あの私のエールは、まさしくこれからの小沢一郎にこそ向けられるべき
ものである。そして私が小沢に期待するのも、まさしくこれからの小沢の対応で
ある。

 これは言い訳でも、負け惜しみでもない。私の思いであり、私の政情分析で
ある。その事について書く。

 小沢事件が始まってからの私の発言を正確にフォローしてきた読者なら
お分かりであろうが、私は、事件が起きた時、小沢一郎は早い時期に代表を
辞任し、反転攻勢に出るべきだ、と訴えた。

 残念だが第一幕は小沢の敗北だ。小沢は権力に潰されたのだ。どんなに
悔しくても、歯を食いしばって耐え、目的を達成するためのベストの選択を
すべきだと考えた。

 これに対し、「腰砕けだ」と激しく批判する小沢信奉者がいた。小沢一郎も
すぐに辞任をしなかった。

 それを見て、私の考えは少し変わった。確かに小沢なき民主党で闘えるのか、
という声は頷けるものがあったし、なによりも、小沢一郎自身が辞任せずに
頑張ろうと覚悟を決めたのなら、それを尊重したい、と思ったのだ。それで
闘えるのなら、もちろんそれがいい。

 しかし、国家権力を甘く見てはいけない、権力に群がる者たちの卑劣さを
軽視してはいけない、果たしてそれで闘いきれるのか、という疑念は私の中に
常に底流としてあった。それが、官僚として国家権力を内側から見てきた私の
考えであった。

 果たせるかな、権力側の必死の小沢つぶしと、その使い走りである官僚と
メディアの小沢攻撃は執拗かつ強固なものだった。それが奏功して小沢辞任の
世論は強まりこそすれ、おさまることはなかった。

 しかし、それを見ているうちに、私の小沢支持はますます強まって行った。
小沢問題は私の中で、より大きな政治問題に発展して行ったのである。

 小沢事件はもはや政治家小沢一郎だけの問題ではない。民主党による政権交代
の話でもない。この国の将来を左右する一大権力闘争であり、国民を分断し、
国民の支持を手中にしようとする権力者の卑劣さと、それに抗う闘いとなった。

 この国に生きる以上、誰もが小沢問題から逃げるわけにはいかなくなった。
それはもはや自分自身の問題でもある。すべての国民の問題である。

 小沢民主党が敗れても、もちろん日本と言う国は存続し続ける。それどころか
権力の近くにいる者たちは、ますます結束を固め、そうでない国民を踏み台に
してうまみのある生活を送るようになる。彼らにとって、日本はますます
いい国になる。

 しかし、その一方で、おびただしい数の国民が踏みつけられて生きる国になる。
格差社会がさらに進み、弱者が決して浮かばれない国になる。

 そんな日本にしていいのか。いいはずはない。ならば誰かがそれを国民に
気づかせなければならない。そんな日本になることを阻止しなければならない。

 小沢にその資格があるのか。小沢はそんな政治家か。

 過去の小沢は知らない。しかしいまの小沢は過去の小沢ではない。その役割を
託す事ができる政治家は、いまや小沢一郎しかいない、だから私は小沢一郎に
エールを送るのだ。

 小沢一郎は民主党代表を辞任した。そしてその事によって舞台は一変した。
しかもその舞台はまさにこれからめまぐるしく回る。回り続ける。

 その認識に立って、小沢一郎には最後に桧舞台に立ち、喝采の中で舞を
踊ってもらいたい。

 これから起こりうる政治ドラマを想定しながら、あらためて私は小沢一郎に
エールを送りたい。

 最初に指摘したい事は、小沢の辞任は早晩不可避であったということだ。それは
小沢自身が一番知っていたに違いない。そうである以上、ベストのタイミングを
選ぶ事こそ小沢一郎の唯一、最大の仕事だったという事だ。

 そして結果的に小沢一郎はベストのタイミングを選んだ。その事は与党や
メディアの狼狽ぶりが如実に示している。

 辞めろ、辞めろ、の大合唱の中で、突然辞めらたわけだから、批判の
しようがない。しゃらくさい。そして、今度は世論の矛先は彼らに牙を向ける
ことになる。

 それをおそれているからこそ、与党もメディアも、小沢攻撃を続けようと
している。小沢辞任は遅すぎたとか、辞めてもまだ説明責任を果たしていない
とか、離党や議員辞職をしなければ不十分だ、などというのがそれである。

 辞任記者会見における記者の質問や、NHKの7時のニュースで流された
小沢批判一辺倒の市民の声などを見ていると、このまま小沢に生き残られ、
反撃されてはたまらない、息の根を止めなければ不安だ、という彼らの危機感が
ありありと感じられる。

 小沢辞任で追い込まれたのは、間違いなく自公政権であり、それを支持して
きたメディアなのだ。

 しかし、民主党もまた追い込まれることになる。民主党の対応如何では、
民主党は壊滅的に追い詰められる。

 なぜならば、小沢一郎の後を継ぐ党首が誰になるか、またその党首の下で
結束を図れるか、という大問題が間違いなく表面化するからである。

 そしてまさしく自公政権とメディアはそこをついてくるに違いない。次なる
自公政権の標的はそれしかない。そこを攻めない限り、自公政権は窮地に
立たされるからだ。

 私が残念に思ったのは、小沢一郎がこの大問題を放置したまま代表を辞任
したと思われる事だ。辞任の記者会見であれほど政権交代を訴え、そのため
の党内結束を訴えたにもかかわらず、その事を担保しないで代表を辞めた
とすれば、大きな誤りだ。

 もしそうであればこれが小沢一郎の限界なのかもしれない。民主党にとって
致命的になるおそれがある。そしてその懸念は十分すぎるぐらいある。

 しかし、繰り返して言う。もはや小沢一郎だけの問題ではない。小沢一郎
信奉者だけの話ではない。日本の将来がかかっている問題である。民主革命を
願う国民すべてにとっての、生き残りをかけた問題である。

 その思いを同じくする読者に向けて私は以下の事を書く。ピンチはチャンス
でもある。小沢辞任をチャンスにする大胆な発想がいまこそ求められる。

 重要な事は政権交代を実現することだ。そしてその政権交代は、民主革命的
なものでなくてはならない。この二つの課題を達成するためにはどうすれば
いいか。どう情勢が展開していけばいいか。

 政権交替は早いほどいい。しかし急ぐあまり不完全なものであっては
むしろ禍根を残す。小沢民主党による政権交代はもちろん望ましい。しかし、
民主革命はなにも民主党でなければ出来ない訳ではない。今度の選挙で
すぐに実現しなければならないものでもない。

 結論から言おう。小沢一郎は、状況如何では民主党を離党し、民主革命新党
を立ち上げて、政権とりをめざすべきだ。

 私がそう提案する根拠はもちろんある。

 ひとつには今の自公政権ではもはやどうあがいてもこの国を救う事は出来ない
ということだ。たとえ今度の選挙で自公政権が勝ったとしても、政権を担い
続ける事はできない。国民はかならず自公政権を見放す時がくる。

 だからこそ、小沢民主党の動向とは関係なく、自民党内部で麻生おろし、
政界再編の動きが出てくる可能性がある。

 ふたつには、小沢なき民主党は、もはや政権政党になれない、たとえなった
としても長続きしない、という現実がある。小沢辞任会見の言葉とは裏腹に、
民主党は解体される運命にあるかもしれない。

 今度の小沢辞任は、実は麻生自公政権に向かって放たれた矢であると同時に、
前原、仙石などの内なる敵に放たれた矢でもある。もはや民主党は一体に
なれないのだ。仙石、前原一派は、小沢辞任によってますます民主党に
居場所がなくなるのだ。

 小沢一郎の後任者をめぐって大混乱が生じるだろう。それを見て国民は
民主党支持をさらに低めるであろう。いまのままでの民主党による政権交代は
ない。あっても長続きしない。長続きしても本当の政権交代にはなりえない。

 三つ目には、今度の小沢事件であぶりだされた左翼、護憲政党の限界である。
小沢辞任発表直後の各党代表のインタビューでわかった事は、日本共産党も
社民党も国民の期待に沿えない政党であるという事だ。

 日本共産党が自公政権の補完政党であるという事は今度の小沢事件で
浮き彫りになった。そして社民党もまた、今度の小沢代表辞任後の福島党首
の発言によってその限界を露呈した。

 この期に及んで政治資金疑惑を追及し、小沢一郎に説明責任を求める
福島社民党にはつくづく失望させられた。日本共産党以下である。社民党に
未来はない。

 そう考えた時、小沢一郎は機を見て民主革命新党を立ち上げるべきだ、
という私の提案が現実的である事がわかるだろう。

 小沢一郎は、亀井静香の国民新党、田中康夫の新党日本、鈴木宗男の
新党大地などを糾合し、官僚支配の打破、天下り廃止、地方分権、情報公開
などを掲げた国民の為の民主革命政党を宣言すべきである。

 その公約に、対米自立と平和外交を加える事ができればなお好ましい。
対米自立とは、必ずしもただちに日米同盟を破棄すると言うことではない。
平和外交と言っても、未来永劫憲法9条を変えるべきではないという必要はない。

 戦争国家米国の言いなりになる必要はない、いまは憲法9条を変える時ではない、
そういうだけで十分だ。そしてそれは大多数の国民がまさしく思っている事である。

 民主革命新党は大きな数の政党でなくてもいい。民主革命を強烈に願う結束
ある集団であればいい。必ず一定数の熱狂な国民の支持が得られるであろう。
そして新しい政界再編の中で、大きな影響力を持つ政党になるであろう。

 結果として政権を左右する政党になれるに違いない。

 小沢一郎よ。本当の闘いはこれからである。すべての国民の共感を得ようと
する必要はない。民主革命を望む国民とともに歩め。その国民の期待を
裏切らずに歩め。必ず道は開ける。

 なぜならば、それこそが正しい政治の方向であるからだ。日本の歴史の
大きな流れであるからだ。人知を超えたものがそこにはある。
    
      


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2009年05月11日

小沢一郎よ、桧舞台で舞を踊れ

 
  
 5月11日の朝日新聞の投書欄に、東京在住70歳の無職の男性からの、次のような投書が掲載されていた。

 「政権交代で官僚支配終焉を」と題するその投書の趣旨は次のようなものだ。

 「 ・・・官僚支配を終わらせることができない政権交代なら、私は民主党を中心とした野党の総選挙の勝利は望まない。

 小沢代表のような剛腕でないと政権与党や官僚の手練手管に対抗できない。

 民主党員は、小沢氏が代表を辞めれば選挙に勝てると思っているようだが、(たとえ)総選挙になんとか勝てても、(小沢なき民主党では)官僚支配を終わらせることまでは永遠にできなくなるだろう。

 小沢民主党は、談合・天下りの根絶、特殊法人や独立行政法人の原則廃止、特別会計の原則廃止、地方分権の推進など、「官」の改革をうたっている。

 政官癒着を打破し、官僚支配を終焉させられないような民主党なら、政権交代の意味がない・・・」

 どうだ、小沢一郎。ここまで応援してくれる国民がいるのだ。小沢一郎はこの70歳の一市民に拝跪して感謝し、みずから語ったとおり今こそ「身の朽ちるまでその使命を達成する」覚悟を新たにすべきだ。

 小沢一郎を支援する人々も、その支援理由も、様々だろう。小沢一郎の政治的庇護を得ようとする打算からの支持もあれば、反麻生、反自民の立場から小沢民主党を支持する者もいるに違いない。とにかくまず政権交代だ、と考える者も多い。

 そしてこの投書の主のように、既存の支配体制を根底から変革するような政権交代でなければ、政権交代の意味はない、だから小沢一郎に任せるしかない、と考える者がいる。まさしく私もその一人だ。

 この投書の主の期待に応えることは容易な事ではない。二つの大きなハードルを超えなければならないからだ。

 一つはもちろん総選挙に勝つ事だ。しかし、その後にさらなる高いハードルが待っている。63年間続いた日本の権力構造を変えることだ。少なくともその口火を切ることだ。

 これは実は大変な政治的挑戦なのである。今までのどの政治家もなしえなかった困難な挑戦である。

 日増しに追い込まれつつあるように見える小沢一郎に果たしてそれができるのか。普通なら誰しもが困難であると考えるだろう。

 しかし、ここからが私の言いたいところであるのだが、実は小沢一郎の苦境はまた小沢一郎の好機でもあるのだ。しかも千載一遇の・・・。

 なぜか。もはや事態がここまでくれば、この二つの挑戦を切り離す事はできない。小沢一郎は、政権交代をした暁には日本の権力構造を変えて見せる、民主革命を起して見せる、その思いを持つものは私と一緒に闘ってくれ、と明確に宣言するほかにないのである。

 小沢一郎はそれを民主党員の前に示し、同時にまたそれを国民の前で語るのだ。これこそが究極の劇場型政治である。

 このような事は、さすがの小沢一郎も、普通の状況ではできないだろう。ましてやシャイで口下手の小沢である。

 しかし、いまは違う。この投書の主がいみじくも書いているように、いま小沢一郎に求められている事は、その事以外にもはやないのだ。

 歴史の流れは、そして閉塞した国民の心の底に閉じ込められたままのエネルギーは、それを小沢に渇望しているのだ。

 小沢一郎という政治家の真価を私は知らない。天命というものがあるのかどうか私は知らない。しかし、小沢一郎にとってその真価を国民の前に示す事のできる、最大で、最後の天命が到来しているとすれば、まさに今がその時ではないのか。

 政治家小沢一郎にとって男冥利につきるではないか。みずからが置かれている今の苦しい状況を、天が与えてくれた桧舞台と心得て、小沢一郎よ、舞を踊れ。国民の拍手喝さいををその耳で聞け。

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2009年05月10日

 政権交代を否定する朝日新聞


 私がメルマガで朝日新聞の変調を書いた時、すかさず多くの共感のメールが寄せられた。

 しかもその共感のメールは、いずれも長年朝日を愛読してきたという朝日ファンからのものだった。

 いかに朝日が読者を裏切りつつあるかということだ。

 そして、5月8日の朝日新聞は、ついにここまできたか、と言うものであった。

 「あえて問う 政権交代は善なのか」という見出しの「オピニオン 政治衆論」という特集記事が、一頁全面を使って組まれていた。

 この特集記事は、今井貴子(成蹊大法学部助教授)、御厨貴(東大先端科学技術研究センター教授)、牧原出(東北大大学院法学研究科教授)、そして司会役の薬師寺克行(朝日新聞論説委員)の4氏による対談形式をとった論評だ。

 その論調は、一見まともな体裁を取っている。すなわち、政権交代の長所は政権の刷新性であり、日本政治に競争原理が導入される点であると言い、短所は政策の継続性が失われる事にともなう混乱だ、競争原理が行き過ぎると政局中心主義に陥る(薬師寺)、などとバランスをとった言い方をする。

  しかし紙面を注意して読むと随所に民主党批判や政権交代への否定的物言いが表出している。まるで読者に対するサブリミナル効果を狙っているかのようだ。

 「民主党には政権を取るための準備が足りない。とすれば、現在の日本は政権交代をしなければいけないほどの危機にあるのか、いま一度考える必要がでてくる」(牧原出)。

 「日本のメディアはともすれば、政権交代がア・プリオリに『善』であるとしてきたが、なぜ善なのか」(薬師寺克行)。

 「小沢氏の発想は『まずは政権を取れればいい。自分のその後の行動を縛る公約などいらない』というものだ。彼の限界は自民党の旧来の擬似政権交代システムを外部化し、自民党と民主党との間で権力闘争を展開すれば事足れり、としている所にある」(御厨貴)、

 などなど。

 極めつけは牧原出の次の言葉だ。

 「自民党が自己改革するなら、政権交代は必要ないという議論が強まりかねない」

  この企画をつくった薬師寺は、同時にまた対談のプレーヤーの一人であり、かつ編集者だ。いわばこの記事のプレーイングマネージャーである。

 彼がつけたに違いない見出しの「あえて問う 政権交代は善なのか」というタイトルこそ、小沢民主党による政権交代に朝日は断固反対する、という意思表明である。

 ついに朝日新聞はここまで来てしまった、という事である。

朝日の読者離れは加速していくだろう。いや、ひょっとしたら朝日新聞はメディアから消えていくかもしれない。
    
      

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2009年05月08日

 小沢事件と二人の検察OB


 小沢事件と二人の検察OB


 連休明けから再び小沢問題がメディアの焦点となる。その前にどうしても
書いておきたい事がある。

 小沢一郎が政治生命をかけて国民に知らせてくれた事は、この国の検察官僚
の思いあがりと危険性であった。

 3月3日の突然の小沢秘書逮捕に、はたして国民を納得させられる合理的な
理由があったのか。

 この疑問は、小沢一郎を支持する者だけでなく、小沢一郎を批判する者たちに
とっても、抱かざるをえない素朴な疑問であるに違いない。

 小沢一郎の政治資金問題を批判する国民も、この点については、検察官僚の
越権に疑念と脅威を感じているに違いない。

 だからこそ、あれほどのメディアの小沢批判の中で、いまでも「小沢ガンバレ」
の熱い声がなくならないのだ。小沢一郎が代表にとどまっていられるのだ。

 つまり、検察の説明責任は、小沢事件の鍵である。そして、それほど重要な
「検察の説明責任」について、いま二人の検察OBがガチンコ対決している。

 おおげさに言えば、これこそが、「麻生、小沢の戦い」、「自民党と民主党の
政権交代をかけた戦い」、の代理戦争であると言えるのだ。

 事の発端は堀田力の朝日新聞「私の視点」(3月19日)に、堀田力が
「違法献金事件 検察に説明責任はない」という意見を寄稿した事に始まる。

 堀田力とは、いわずと知れたロッキード事件の元東京地検特捜部検事である。

 堀田の寄稿は、同じ「私の視点」(3月12日)欄でジェラルド・カーティス
米コロンビア大学教授が、「検察には説明責任がある」と書いていた事に対する
反論である。

 しかし、この堀田力の反論は、「真実解明のために逮捕が必要とあれば
ためらうことなく万全の捜査を遂げるべし」、それが説明責任だ、といわん
ばかりの驚くべき検察官僚の驕りの表明であった。

 さすがの私もあきれ果てて読んだが、すかさず翌週の田原総一朗のサンデー
プロジェクトで郷原信郎が、「堀田さんは私の尊敬する先輩検事だが、この
説明だけは同意できない」と批判した。

 たまたまその番組を見ていた私は、それ以来郷原信郎という検察OBの発言を
漏らすことなく聞き、読んできた。

 彼は実にいい。もし小沢一郎が今回の事件を乗り切り、無事にこの国の首相に
なったなら、他の誰をおいても郷原信郎に感謝しなければならないと思う。

 そしてその明晰で、公正な検察手腕を買って法務大臣に抜擢し、この国の
検察・司法改革を委ねるべきだ。

 前置きがながくなったが本題に入る。

 4月23日の日刊ゲンダイに、「特捜検事OB直接バトル 堀田力が郷原信郎に
放った一言」という記事があった。

 新聞、テレビなどではほとんど報じられることはないが、「政治資金問題
第三者委員会」(4月11日設立、座長飯尾潤政策研究大学院大学教授)と
いうものが出来て、様々な分野の関係者との意見交換を通じて、今回の事件を
検証している。

 その4月21日の有識者懇談会(堀田力氏との意見交換)の模様について
ゲンダイの記事は次のように書いていた。

 「・・・驚いたのが、検察リークに関するやりとりだ。『マスコミに対する
検察リークの有無や是非』を問われた堀田氏は、質問に対して直接答えず、
突然、『・・・郷原さんの捜査手法はすばらしいが、リークが過ぎる、
との話があったがどうか』と逆質問したのだ・・・」

 これだけでは何のことか正確にはわからない。そこで第三者委員会のHPで
調べてみたところ実際のやりとりはこうなっていた。

 堀田力 (委員の一人から検察からメディアへのリークはなかったのかと
聞かれ)リークの方は、郷原委員に聞いてもらう方が適切かなと思う。
郷原委員は、非常に優秀な検事であったが、検察の中でいわれていたのが、
捜査指揮はすばらしいけれども幹部にはリークがあるのが問題だということ
であった・・・

 法務省の人事課長や官房長を歴任した堀田ならではの内情暴露だ。

 出世がすべての官僚の世界で、お前は問題を抱えていたから幹部になれ
なかった、とバラしたのだ。これは暴言だ。最大の侮辱だ。信義違反である。

 これに対して郷原はもちろん次のように否定している。それどころか
その答えは検察庁幹部に対する強烈なリーク批判である。

 郷原  自分がリークしたという噂ははじめて聞いた。上級庁に報告して
いない、長崎地検しか知りえない事が報道されれば、長崎地検から情報が出た
とすぐにわかるので絶対にできない。(むしろ)最高検や法務省に報告して
捜査を進めるようになってから、どんどんと情報が外にでるようになった・・・

 私は、かねてから、一見温厚で善良に見えるこの堀田力という検察官僚OB
の言動を、不信感を持って見て来た一人であるが、後輩検事である郷原信郎に
放ったこの一言で、その正体を見た思いである。私の堀田に対する評価は
これで完全に定まった。

 堀田はよほど郷原に腹を立てていたに違いない。しかしこの事は、裏を
返せば、「検察は説明責任を果たしていない」と一貫して検察批判を続ける
郷原に対して、説得力のある答えがまったくできない堀田の苛立ちでもあるのだ。

 そしてそれはまた堀田が弁護する検察そのものの苛立ちでもある。いや、検察
はいま追い込まれている、苦境に立たされている、と言ったほうが正しい。

 くりかえして言う。小沢一郎の政治資金規正法違反問題と、検察の説明責任は
表裏一体である。

 小沢の代表辞任を求める前に民主党にはやることがある。

 それは検察を国会に証人喚問し、説明責任を求めることだ。

 小沢と検察のどちらの言い分に説得力があるか、それを国民の判断に委ねる
べきである。

 それこそが小沢事件の最善の解決方法である。
    
                                     完
 
 


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