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2009年05月11日

小沢代表辞任表明のインパクトー政界大混乱と真の政界再編の予感

 
 小沢代表辞任表明のインパクト
         ―政界大混乱と真の政界再編の予感

 小沢民主党にエールを送ったとたん、小沢代表が辞任表明をした。さすがの
私もこのタイミングでの辞任表明を予期してはいなかった。だから驚いた。

 しかし、私が小沢一郎に送ったエールは、いささかの揺るぎもない。あの
エールはこれからの小沢一郎に対してもそっくりそのまま向けられている。

 いや、あの私のエールは、まさしくこれからの小沢一郎にこそ向けられるべき
ものである。そして私が小沢に期待するのも、まさしくこれからの小沢の対応で
ある。

 これは言い訳でも、負け惜しみでもない。私の思いであり、私の政情分析で
ある。その事について書く。

 小沢事件が始まってからの私の発言を正確にフォローしてきた読者なら
お分かりであろうが、私は、事件が起きた時、小沢一郎は早い時期に代表を
辞任し、反転攻勢に出るべきだ、と訴えた。

 残念だが第一幕は小沢の敗北だ。小沢は権力に潰されたのだ。どんなに
悔しくても、歯を食いしばって耐え、目的を達成するためのベストの選択を
すべきだと考えた。

 これに対し、「腰砕けだ」と激しく批判する小沢信奉者がいた。小沢一郎も
すぐに辞任をしなかった。

 それを見て、私の考えは少し変わった。確かに小沢なき民主党で闘えるのか、
という声は頷けるものがあったし、なによりも、小沢一郎自身が辞任せずに
頑張ろうと覚悟を決めたのなら、それを尊重したい、と思ったのだ。それで
闘えるのなら、もちろんそれがいい。

 しかし、国家権力を甘く見てはいけない、権力に群がる者たちの卑劣さを
軽視してはいけない、果たしてそれで闘いきれるのか、という疑念は私の中に
常に底流としてあった。それが、官僚として国家権力を内側から見てきた私の
考えであった。

 果たせるかな、権力側の必死の小沢つぶしと、その使い走りである官僚と
メディアの小沢攻撃は執拗かつ強固なものだった。それが奏功して小沢辞任の
世論は強まりこそすれ、おさまることはなかった。

 しかし、それを見ているうちに、私の小沢支持はますます強まって行った。
小沢問題は私の中で、より大きな政治問題に発展して行ったのである。

 小沢事件はもはや政治家小沢一郎だけの問題ではない。民主党による政権交代
の話でもない。この国の将来を左右する一大権力闘争であり、国民を分断し、
国民の支持を手中にしようとする権力者の卑劣さと、それに抗う闘いとなった。

 この国に生きる以上、誰もが小沢問題から逃げるわけにはいかなくなった。
それはもはや自分自身の問題でもある。すべての国民の問題である。

 小沢民主党が敗れても、もちろん日本と言う国は存続し続ける。それどころか
権力の近くにいる者たちは、ますます結束を固め、そうでない国民を踏み台に
してうまみのある生活を送るようになる。彼らにとって、日本はますます
いい国になる。

 しかし、その一方で、おびただしい数の国民が踏みつけられて生きる国になる。
格差社会がさらに進み、弱者が決して浮かばれない国になる。

 そんな日本にしていいのか。いいはずはない。ならば誰かがそれを国民に
気づかせなければならない。そんな日本になることを阻止しなければならない。

 小沢にその資格があるのか。小沢はそんな政治家か。

 過去の小沢は知らない。しかしいまの小沢は過去の小沢ではない。その役割を
託す事ができる政治家は、いまや小沢一郎しかいない、だから私は小沢一郎に
エールを送るのだ。

 小沢一郎は民主党代表を辞任した。そしてその事によって舞台は一変した。
しかもその舞台はまさにこれからめまぐるしく回る。回り続ける。

 その認識に立って、小沢一郎には最後に桧舞台に立ち、喝采の中で舞を
踊ってもらいたい。

 これから起こりうる政治ドラマを想定しながら、あらためて私は小沢一郎に
エールを送りたい。

 最初に指摘したい事は、小沢の辞任は早晩不可避であったということだ。それは
小沢自身が一番知っていたに違いない。そうである以上、ベストのタイミングを
選ぶ事こそ小沢一郎の唯一、最大の仕事だったという事だ。

 そして結果的に小沢一郎はベストのタイミングを選んだ。その事は与党や
メディアの狼狽ぶりが如実に示している。

 辞めろ、辞めろ、の大合唱の中で、突然辞めらたわけだから、批判の
しようがない。しゃらくさい。そして、今度は世論の矛先は彼らに牙を向ける
ことになる。

 それをおそれているからこそ、与党もメディアも、小沢攻撃を続けようと
している。小沢辞任は遅すぎたとか、辞めてもまだ説明責任を果たしていない
とか、離党や議員辞職をしなければ不十分だ、などというのがそれである。

 辞任記者会見における記者の質問や、NHKの7時のニュースで流された
小沢批判一辺倒の市民の声などを見ていると、このまま小沢に生き残られ、
反撃されてはたまらない、息の根を止めなければ不安だ、という彼らの危機感が
ありありと感じられる。

 小沢辞任で追い込まれたのは、間違いなく自公政権であり、それを支持して
きたメディアなのだ。

 しかし、民主党もまた追い込まれることになる。民主党の対応如何では、
民主党は壊滅的に追い詰められる。

 なぜならば、小沢一郎の後を継ぐ党首が誰になるか、またその党首の下で
結束を図れるか、という大問題が間違いなく表面化するからである。

 そしてまさしく自公政権とメディアはそこをついてくるに違いない。次なる
自公政権の標的はそれしかない。そこを攻めない限り、自公政権は窮地に
立たされるからだ。

 私が残念に思ったのは、小沢一郎がこの大問題を放置したまま代表を辞任
したと思われる事だ。辞任の記者会見であれほど政権交代を訴え、そのため
の党内結束を訴えたにもかかわらず、その事を担保しないで代表を辞めた
とすれば、大きな誤りだ。

 もしそうであればこれが小沢一郎の限界なのかもしれない。民主党にとって
致命的になるおそれがある。そしてその懸念は十分すぎるぐらいある。

 しかし、繰り返して言う。もはや小沢一郎だけの問題ではない。小沢一郎
信奉者だけの話ではない。日本の将来がかかっている問題である。民主革命を
願う国民すべてにとっての、生き残りをかけた問題である。

 その思いを同じくする読者に向けて私は以下の事を書く。ピンチはチャンス
でもある。小沢辞任をチャンスにする大胆な発想がいまこそ求められる。

 重要な事は政権交代を実現することだ。そしてその政権交代は、民主革命的
なものでなくてはならない。この二つの課題を達成するためにはどうすれば
いいか。どう情勢が展開していけばいいか。

 政権交替は早いほどいい。しかし急ぐあまり不完全なものであっては
むしろ禍根を残す。小沢民主党による政権交代はもちろん望ましい。しかし、
民主革命はなにも民主党でなければ出来ない訳ではない。今度の選挙で
すぐに実現しなければならないものでもない。

 結論から言おう。小沢一郎は、状況如何では民主党を離党し、民主革命新党
を立ち上げて、政権とりをめざすべきだ。

 私がそう提案する根拠はもちろんある。

 ひとつには今の自公政権ではもはやどうあがいてもこの国を救う事は出来ない
ということだ。たとえ今度の選挙で自公政権が勝ったとしても、政権を担い
続ける事はできない。国民はかならず自公政権を見放す時がくる。

 だからこそ、小沢民主党の動向とは関係なく、自民党内部で麻生おろし、
政界再編の動きが出てくる可能性がある。

 ふたつには、小沢なき民主党は、もはや政権政党になれない、たとえなった
としても長続きしない、という現実がある。小沢辞任会見の言葉とは裏腹に、
民主党は解体される運命にあるかもしれない。

 今度の小沢辞任は、実は麻生自公政権に向かって放たれた矢であると同時に、
前原、仙石などの内なる敵に放たれた矢でもある。もはや民主党は一体に
なれないのだ。仙石、前原一派は、小沢辞任によってますます民主党に
居場所がなくなるのだ。

 小沢一郎の後任者をめぐって大混乱が生じるだろう。それを見て国民は
民主党支持をさらに低めるであろう。いまのままでの民主党による政権交代は
ない。あっても長続きしない。長続きしても本当の政権交代にはなりえない。

 三つ目には、今度の小沢事件であぶりだされた左翼、護憲政党の限界である。
小沢辞任発表直後の各党代表のインタビューでわかった事は、日本共産党も
社民党も国民の期待に沿えない政党であるという事だ。

 日本共産党が自公政権の補完政党であるという事は今度の小沢事件で
浮き彫りになった。そして社民党もまた、今度の小沢代表辞任後の福島党首
の発言によってその限界を露呈した。

 この期に及んで政治資金疑惑を追及し、小沢一郎に説明責任を求める
福島社民党にはつくづく失望させられた。日本共産党以下である。社民党に
未来はない。

 そう考えた時、小沢一郎は機を見て民主革命新党を立ち上げるべきだ、
という私の提案が現実的である事がわかるだろう。

 小沢一郎は、亀井静香の国民新党、田中康夫の新党日本、鈴木宗男の
新党大地などを糾合し、官僚支配の打破、天下り廃止、地方分権、情報公開
などを掲げた国民の為の民主革命政党を宣言すべきである。

 その公約に、対米自立と平和外交を加える事ができればなお好ましい。
対米自立とは、必ずしもただちに日米同盟を破棄すると言うことではない。
平和外交と言っても、未来永劫憲法9条を変えるべきではないという必要はない。

 戦争国家米国の言いなりになる必要はない、いまは憲法9条を変える時ではない、
そういうだけで十分だ。そしてそれは大多数の国民がまさしく思っている事である。

 民主革命新党は大きな数の政党でなくてもいい。民主革命を強烈に願う結束
ある集団であればいい。必ず一定数の熱狂な国民の支持が得られるであろう。
そして新しい政界再編の中で、大きな影響力を持つ政党になるであろう。

 結果として政権を左右する政党になれるに違いない。

 小沢一郎よ。本当の闘いはこれからである。すべての国民の共感を得ようと
する必要はない。民主革命を望む国民とともに歩め。その国民の期待を
裏切らずに歩め。必ず道は開ける。

 なぜならば、それこそが正しい政治の方向であるからだ。日本の歴史の
大きな流れであるからだ。人知を超えたものがそこにはある。
    
      


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2009年05月11日

小沢一郎よ、桧舞台で舞を踊れ

 
  
 5月11日の朝日新聞の投書欄に、東京在住70歳の無職の男性からの、次のような投書が掲載されていた。

 「政権交代で官僚支配終焉を」と題するその投書の趣旨は次のようなものだ。

 「 ・・・官僚支配を終わらせることができない政権交代なら、私は民主党を中心とした野党の総選挙の勝利は望まない。

 小沢代表のような剛腕でないと政権与党や官僚の手練手管に対抗できない。

 民主党員は、小沢氏が代表を辞めれば選挙に勝てると思っているようだが、(たとえ)総選挙になんとか勝てても、(小沢なき民主党では)官僚支配を終わらせることまでは永遠にできなくなるだろう。

 小沢民主党は、談合・天下りの根絶、特殊法人や独立行政法人の原則廃止、特別会計の原則廃止、地方分権の推進など、「官」の改革をうたっている。

 政官癒着を打破し、官僚支配を終焉させられないような民主党なら、政権交代の意味がない・・・」

 どうだ、小沢一郎。ここまで応援してくれる国民がいるのだ。小沢一郎はこの70歳の一市民に拝跪して感謝し、みずから語ったとおり今こそ「身の朽ちるまでその使命を達成する」覚悟を新たにすべきだ。

 小沢一郎を支援する人々も、その支援理由も、様々だろう。小沢一郎の政治的庇護を得ようとする打算からの支持もあれば、反麻生、反自民の立場から小沢民主党を支持する者もいるに違いない。とにかくまず政権交代だ、と考える者も多い。

 そしてこの投書の主のように、既存の支配体制を根底から変革するような政権交代でなければ、政権交代の意味はない、だから小沢一郎に任せるしかない、と考える者がいる。まさしく私もその一人だ。

 この投書の主の期待に応えることは容易な事ではない。二つの大きなハードルを超えなければならないからだ。

 一つはもちろん総選挙に勝つ事だ。しかし、その後にさらなる高いハードルが待っている。63年間続いた日本の権力構造を変えることだ。少なくともその口火を切ることだ。

 これは実は大変な政治的挑戦なのである。今までのどの政治家もなしえなかった困難な挑戦である。

 日増しに追い込まれつつあるように見える小沢一郎に果たしてそれができるのか。普通なら誰しもが困難であると考えるだろう。

 しかし、ここからが私の言いたいところであるのだが、実は小沢一郎の苦境はまた小沢一郎の好機でもあるのだ。しかも千載一遇の・・・。

 なぜか。もはや事態がここまでくれば、この二つの挑戦を切り離す事はできない。小沢一郎は、政権交代をした暁には日本の権力構造を変えて見せる、民主革命を起して見せる、その思いを持つものは私と一緒に闘ってくれ、と明確に宣言するほかにないのである。

 小沢一郎はそれを民主党員の前に示し、同時にまたそれを国民の前で語るのだ。これこそが究極の劇場型政治である。

 このような事は、さすがの小沢一郎も、普通の状況ではできないだろう。ましてやシャイで口下手の小沢である。

 しかし、いまは違う。この投書の主がいみじくも書いているように、いま小沢一郎に求められている事は、その事以外にもはやないのだ。

 歴史の流れは、そして閉塞した国民の心の底に閉じ込められたままのエネルギーは、それを小沢に渇望しているのだ。

 小沢一郎という政治家の真価を私は知らない。天命というものがあるのかどうか私は知らない。しかし、小沢一郎にとってその真価を国民の前に示す事のできる、最大で、最後の天命が到来しているとすれば、まさに今がその時ではないのか。

 政治家小沢一郎にとって男冥利につきるではないか。みずからが置かれている今の苦しい状況を、天が与えてくれた桧舞台と心得て、小沢一郎よ、舞を踊れ。国民の拍手喝さいををその耳で聞け。

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2009年05月10日

 政権交代を否定する朝日新聞


 私がメルマガで朝日新聞の変調を書いた時、すかさず多くの共感のメールが寄せられた。

 しかもその共感のメールは、いずれも長年朝日を愛読してきたという朝日ファンからのものだった。

 いかに朝日が読者を裏切りつつあるかということだ。

 そして、5月8日の朝日新聞は、ついにここまできたか、と言うものであった。

 「あえて問う 政権交代は善なのか」という見出しの「オピニオン 政治衆論」という特集記事が、一頁全面を使って組まれていた。

 この特集記事は、今井貴子(成蹊大法学部助教授)、御厨貴(東大先端科学技術研究センター教授)、牧原出(東北大大学院法学研究科教授)、そして司会役の薬師寺克行(朝日新聞論説委員)の4氏による対談形式をとった論評だ。

 その論調は、一見まともな体裁を取っている。すなわち、政権交代の長所は政権の刷新性であり、日本政治に競争原理が導入される点であると言い、短所は政策の継続性が失われる事にともなう混乱だ、競争原理が行き過ぎると政局中心主義に陥る(薬師寺)、などとバランスをとった言い方をする。

  しかし紙面を注意して読むと随所に民主党批判や政権交代への否定的物言いが表出している。まるで読者に対するサブリミナル効果を狙っているかのようだ。

 「民主党には政権を取るための準備が足りない。とすれば、現在の日本は政権交代をしなければいけないほどの危機にあるのか、いま一度考える必要がでてくる」(牧原出)。

 「日本のメディアはともすれば、政権交代がア・プリオリに『善』であるとしてきたが、なぜ善なのか」(薬師寺克行)。

 「小沢氏の発想は『まずは政権を取れればいい。自分のその後の行動を縛る公約などいらない』というものだ。彼の限界は自民党の旧来の擬似政権交代システムを外部化し、自民党と民主党との間で権力闘争を展開すれば事足れり、としている所にある」(御厨貴)、

 などなど。

 極めつけは牧原出の次の言葉だ。

 「自民党が自己改革するなら、政権交代は必要ないという議論が強まりかねない」

  この企画をつくった薬師寺は、同時にまた対談のプレーヤーの一人であり、かつ編集者だ。いわばこの記事のプレーイングマネージャーである。

 彼がつけたに違いない見出しの「あえて問う 政権交代は善なのか」というタイトルこそ、小沢民主党による政権交代に朝日は断固反対する、という意思表明である。

 ついに朝日新聞はここまで来てしまった、という事である。

朝日の読者離れは加速していくだろう。いや、ひょっとしたら朝日新聞はメディアから消えていくかもしれない。
    
      

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2009年05月08日

 小沢事件と二人の検察OB


 小沢事件と二人の検察OB


 連休明けから再び小沢問題がメディアの焦点となる。その前にどうしても
書いておきたい事がある。

 小沢一郎が政治生命をかけて国民に知らせてくれた事は、この国の検察官僚
の思いあがりと危険性であった。

 3月3日の突然の小沢秘書逮捕に、はたして国民を納得させられる合理的な
理由があったのか。

 この疑問は、小沢一郎を支持する者だけでなく、小沢一郎を批判する者たちに
とっても、抱かざるをえない素朴な疑問であるに違いない。

 小沢一郎の政治資金問題を批判する国民も、この点については、検察官僚の
越権に疑念と脅威を感じているに違いない。

 だからこそ、あれほどのメディアの小沢批判の中で、いまでも「小沢ガンバレ」
の熱い声がなくならないのだ。小沢一郎が代表にとどまっていられるのだ。

 つまり、検察の説明責任は、小沢事件の鍵である。そして、それほど重要な
「検察の説明責任」について、いま二人の検察OBがガチンコ対決している。

 おおげさに言えば、これこそが、「麻生、小沢の戦い」、「自民党と民主党の
政権交代をかけた戦い」、の代理戦争であると言えるのだ。

 事の発端は堀田力の朝日新聞「私の視点」(3月19日)に、堀田力が
「違法献金事件 検察に説明責任はない」という意見を寄稿した事に始まる。

 堀田力とは、いわずと知れたロッキード事件の元東京地検特捜部検事である。

 堀田の寄稿は、同じ「私の視点」(3月12日)欄でジェラルド・カーティス
米コロンビア大学教授が、「検察には説明責任がある」と書いていた事に対する
反論である。

 しかし、この堀田力の反論は、「真実解明のために逮捕が必要とあれば
ためらうことなく万全の捜査を遂げるべし」、それが説明責任だ、といわん
ばかりの驚くべき検察官僚の驕りの表明であった。

 さすがの私もあきれ果てて読んだが、すかさず翌週の田原総一朗のサンデー
プロジェクトで郷原信郎が、「堀田さんは私の尊敬する先輩検事だが、この
説明だけは同意できない」と批判した。

 たまたまその番組を見ていた私は、それ以来郷原信郎という検察OBの発言を
漏らすことなく聞き、読んできた。

 彼は実にいい。もし小沢一郎が今回の事件を乗り切り、無事にこの国の首相に
なったなら、他の誰をおいても郷原信郎に感謝しなければならないと思う。

 そしてその明晰で、公正な検察手腕を買って法務大臣に抜擢し、この国の
検察・司法改革を委ねるべきだ。

 前置きがながくなったが本題に入る。

 4月23日の日刊ゲンダイに、「特捜検事OB直接バトル 堀田力が郷原信郎に
放った一言」という記事があった。

 新聞、テレビなどではほとんど報じられることはないが、「政治資金問題
第三者委員会」(4月11日設立、座長飯尾潤政策研究大学院大学教授)と
いうものが出来て、様々な分野の関係者との意見交換を通じて、今回の事件を
検証している。

 その4月21日の有識者懇談会(堀田力氏との意見交換)の模様について
ゲンダイの記事は次のように書いていた。

 「・・・驚いたのが、検察リークに関するやりとりだ。『マスコミに対する
検察リークの有無や是非』を問われた堀田氏は、質問に対して直接答えず、
突然、『・・・郷原さんの捜査手法はすばらしいが、リークが過ぎる、
との話があったがどうか』と逆質問したのだ・・・」

 これだけでは何のことか正確にはわからない。そこで第三者委員会のHPで
調べてみたところ実際のやりとりはこうなっていた。

 堀田力 (委員の一人から検察からメディアへのリークはなかったのかと
聞かれ)リークの方は、郷原委員に聞いてもらう方が適切かなと思う。
郷原委員は、非常に優秀な検事であったが、検察の中でいわれていたのが、
捜査指揮はすばらしいけれども幹部にはリークがあるのが問題だということ
であった・・・

 法務省の人事課長や官房長を歴任した堀田ならではの内情暴露だ。

 出世がすべての官僚の世界で、お前は問題を抱えていたから幹部になれ
なかった、とバラしたのだ。これは暴言だ。最大の侮辱だ。信義違反である。

 これに対して郷原はもちろん次のように否定している。それどころか
その答えは検察庁幹部に対する強烈なリーク批判である。

 郷原  自分がリークしたという噂ははじめて聞いた。上級庁に報告して
いない、長崎地検しか知りえない事が報道されれば、長崎地検から情報が出た
とすぐにわかるので絶対にできない。(むしろ)最高検や法務省に報告して
捜査を進めるようになってから、どんどんと情報が外にでるようになった・・・

 私は、かねてから、一見温厚で善良に見えるこの堀田力という検察官僚OB
の言動を、不信感を持って見て来た一人であるが、後輩検事である郷原信郎に
放ったこの一言で、その正体を見た思いである。私の堀田に対する評価は
これで完全に定まった。

 堀田はよほど郷原に腹を立てていたに違いない。しかしこの事は、裏を
返せば、「検察は説明責任を果たしていない」と一貫して検察批判を続ける
郷原に対して、説得力のある答えがまったくできない堀田の苛立ちでもあるのだ。

 そしてそれはまた堀田が弁護する検察そのものの苛立ちでもある。いや、検察
はいま追い込まれている、苦境に立たされている、と言ったほうが正しい。

 くりかえして言う。小沢一郎の政治資金規正法違反問題と、検察の説明責任は
表裏一体である。

 小沢の代表辞任を求める前に民主党にはやることがある。

 それは検察を国会に証人喚問し、説明責任を求めることだ。

 小沢と検察のどちらの言い分に説得力があるか、それを国民の判断に委ねる
べきである。

 それこそが小沢事件の最善の解決方法である。
    
                                     完
 
 


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2009年05月06日

「地域包括支援センター」という言葉をしっていますか? ほか


 「地域包括支援センター」という言葉を知っていますか?


 4月26日の東京新聞に、「地域包括センター 低い知名度」という見出しの記事があった。ついこの前までの私であれば、この記事を見過ごしていたに違いない。記事の存在さえも気づかなかったことだろう。

 ところが、この記事が出るわずか二日ほど前、私は知人を通してある介護保険のボランテアの方と話す機会があった。そしてその時はじめて、私はこの「地域包括センター」という言葉を耳にしていたのだ。

 「地域包括支援センター」などという抽象的な言葉のどこにも、介護や医療をあらわす響きはない。しかし、これこそが、小泉・竹中改革による弱者切捨て医療改革の落し子なのである。

 私の記憶に残るボランテアの方の悲憤慷慨は、およそ次のようなものだった。

 ・・・後期高齢者医療制度ばかりが問題にされているが、同時に行なわれた改正介護法もひどい。要介護者の負担を増やす一方で、国側の責任の所在が不明になってしまった。相談窓口として「地域包括支援センター」という組織ができたが、これがまったく知られていない。何を聞いても埒が明かない。いままでは市町村の担当部局に行って直接に文句が言うことができたが、これからはすべて「地域包括支援センター」に相談してくれ、となった。ところがそのセンターの所在がよくわからない。要介護者はどんどん切り捨てられている・・・

 このボランテアの方の言葉の記憶があったので、4月26日の東京新聞の記事が私の目にとまったのだ。その記事はこう書いている。

 ・・・お年寄りの医療や介護の総合的な窓口となる「地域包括支援センター」が、認知症の疑いがある高齢者の6割とその家族4割にまったく知られていない実態が、東京都の調査でわかった。センターは認知症の予防と早期発見の役割が期待されているが、十分に活用されていない現状が浮かぶ・・・

 この国ではとんでもない事が行なわれつつあるような気がする。要介護や認知症の老人は国が手厚く面倒を見るのが当たり前ではないのか。ところが、正常に頭や体が動かなくなった老人たちが、自分で地域包括支援センターに働きかけて、国の助けを求めなければ面倒を見てもらえないのだ。しかも助けを求めても十分な支援が得られないのだ。国民の知らないところでどんどんと行政が悪くなっていく。
                                              
                                                    完

  国際政治の中の中国、台湾、日本の関係を考える


 4月30日の産経新聞は、湯浅博氏のコラム「くにのあとさき」で、NHKが最近放映した「シリーズ・JAPANデビュー」の第一回、「アジアの一等国」という番組を批判している。インタビューに応じた知日派台湾人が日本の台湾統治を批判した、それが中国共産党の圧力に屈したNHKの偏向番組である、というのだ。

 実はこのNHK番組は、同様の理由でタカ派保守の間ではいたるところで激しく批判されている。なぜ彼らはこのNHK番組をそれほど強く批判するのか。

 その背景には、「反共の台湾、親日の台湾までもが日本の植民地政策を批判するのか」、という危機感があるからだ。

 さらにいえば、中国と台湾の関係改善が進めば、台湾有事が遠のき、日米同盟の意味がますます希薄化していくという深刻な問題がある。

 この考えを象徴する考えが、月刊「宝島」6月号に見られる。「桜井よしこが語る台湾と日本の危機」がそれである。そこで桜井よしこ氏は要旨次のように語っている。

 「 北朝鮮ミサイル問題に目が奪われている日本だが、日本にとって本当の危機は中台関係の急激な変化(融和)にこそある。
 世界中見渡しても、台湾ほど親日国家は他に類を見ない。その台湾と日本との良好な関係が損なわれるようなことがあってはならない。中国を喜ばせるだけだ。
 台湾と中国が統合されれば、日本の船舶の多くが通過する台湾海峡が中国の内海となり中国は大きな外交カードを持つ事になる。
 台湾は日本と同様の価値観を持つ自由と民主主義の国であり、その台湾が、そのような価値観をまったく認めない共産主義の中国に席巻されることは看過できない。
 なによりも、中台が一体となれば東南アジアの多くが中国の影響下に入り、その結果日本は孤立する。日本に残される選択肢は、中国の言いなりになるか、対峙するしかなくなる・・・」

 なるほど。このような考えに立つ限りは、台湾の国民が日本の植民地政策を批判しはじめる事は悪夢に違いない。

 しかし、残念ながらこの桜井よしこ氏の考えに象徴される日本のタカ派保守の考え方は、中国や台湾、そして米国や国際社会の考えを捨象した一方的な考えだ。国際政治の流れに逆行する考えだ。

 馬英九台湾政権の中国接近とこれを歓迎する中国、米国の中国重視政策など、大きな歴史的流れは、もはや誰の目にも明らかである。

 おりしも4月30日の各紙は、WHO総会に台湾が参加することを中国が認めたと報じている。台湾の国連機関への参加は71年の台湾の国連脱退以来初めてであるという。

 産経新聞の論説を書いた湯浅博氏はこう書いている。

「(NHK)制作者がシロをクロと言いくるめる番組をつくろうと思えば、取材対象の見解からクロばかりを抽出すれば事足りる。そこには、善意ある台湾人の複雑微妙な心理は配慮されない・・・」

 この言葉は、そっくりそのままNHK番組を批判する湯浅博氏の論説にも当てはまる。NHKの番組でインタビューに応じた親日台湾人は「日本統治の善しあしは半分半分なんです。NHKには両方言った」と述べているのだ。

 タカ派右翼の外交論に望みたい。国際政治の大きな流れを直視すべきだ。みずからに都合のいいところだけを抽出したり、国際政治を無理に捻じ曲げたりしてはいけない。国際政治の流れを見極めた上で日本外交をどう効果的に展開していくか、それが国益にかなう外交である。

                                             完

   議員世襲制のウラに隠された犯罪


 国会議員の世襲問題が急に政治のテーマの一つに浮上してきた。これを法律で禁止するなどという事は困難だ。世襲議員とはどこまでを指すのかとか、これを禁止するのは憲法で保障されている「職業選択の自由」に反するのではないか、とか、いろいろと口実が出てきて意見はまとまらない。

 しかし、もし、国民の大半がこれに反対しているのであれば、民主党は自らのマニフェストに世襲議員を公認しないと発表して、自民党との対比を国民の前に断固示すべきだ。 世襲議員は圧倒的に自民党議員に多い。だから自民党は不利だ。民主党はこの問題を政権交代の争点の一つに大きく取り上げるべきだ。

 なぜ世襲議員は問題なのか。それは親の地盤を引き継いだ世襲議員が、能力もないのに地盤、看板、カバンの力で当選できる。それは不公平だけでなく、政治家の質を落すという事である。政権を途中で放り投げた首相や漢字も読めない首相、それにヘロヘロ記者会見で世界に醜態をさらした財務大臣などはいずれも見事に世襲議員であった。

 しかし、議員世襲制の弊害はそれだけではない。政治家は稼業だ、と言われるほど、政治家を利用した親子代々のうまみがあるのだ。そこを暴露して、一般国民の怒りに火をつけるのだ。 その一例として、「政治資金管理団体による相続税支払い逃れ」という問題がある。この事を、ジャーナリストの上杉隆が、週刊SPA! 5・5-12号で見事についている。堀江貴文の連載インタビュー「今さら言うのはなんですが」の中で、次のようなやり取りを見つけた。

 鳩山邦夫の秘書を経験している上杉は、鳩山邦夫の孫が一郎という名前で自分のおじいさんの鳩山一郎と同じ名前にしている事を明かした上で、「・・・選挙用に分かりやすい名前です。河野一郎も麻生太郎も似たようなもの・・・山村新治郎なんて、名前を世襲しまくって、山村さんで11代目でしたから・・・」などと、世襲政治家が名前まで選挙に利用する有利さ指摘している。

 注目すべきはその後につづく次の発言だ。

 上杉 「・・・でも、世襲政治家の一番の問題は、政治資金管理団体の継承です。団体にお金を入れて、寄付というかたちで子供に引き継がせて、相続税がかからないようにしている。それに僕は怒っているの。世襲政治家の多くは、相続税を逃れるために、政治資金管理団体をつくっているとしか思えない者ばかりなんです・・・」

 堀江 「それ、赤の他人へも寄付ができるんですか?」

 上杉 「はい。世襲政治家の中には、政治資金管理団体を金庫として使って、死んだら子供に寄付する。寄付行為は相続税ゼロです。立候補するなら誰でも団体をつくれますし、最初ならいくらでも入れることもできる。そのお金は運用もできてしまう・・・安倍、福田、小渕家などは実際にやっていますから」

 堀江 「・・・政治資金管理団体をつくれば相続税や贈与税がかからない。それって、メチャクチャおかしくないですか!」

 ホリエモンまでもがおかしいと驚いているのだ。

 いやおかしいでは済まされない。これは巧妙な脱税だろう。脱税は犯罪だろう。歴代の自民党首相が脱税をしていたという事だ。それを国税庁も検察庁も見過ごしてきたということだ。

 小沢事件だけをことさらに騒ぎ立てる事の滑稽さと作為性がわかるというものだ。

 民主党は世襲議員廃止を迫るべきだ。その際には、この問題を持ち出して追及すべきだ。税務署から厳しく取り立てられている国民の怒りに火をつけるべきだ。増税を迫られる国民の怒りを、自民党世襲政治家、首相に向かわせるべきだ。
                                              完

  密約でつくられた戦後の日米外交

 きょう5月5日の各紙を読んでみて、私が圧倒されたのは毎日新聞の日米密約史に関する特集記事であった。「日本が望んだ『密約』」、「対米依存外交の原点」、という見出しの見開き三ページにわたるその記事は、沖縄密約をすっぱ抜いた西山太吉記者を輩出した毎日新聞ならではの渾身の記事である。

 戦後の日米外交史に少しでも関心のある者にとっては永久保存版の価値がある。

 私が特に注目したのは、その特集記事が伝える外務省先輩幹部たちの証言である。いずれも私が駆け出しの外務官僚の頃に接した、「仰ぎ見る」先輩幹部たちである。その幹部たちが、ここまで国民をあざむく外交をしていたのである。

 牛場信彦外務次官 「・・・米国の核の傘にいる国々は、中国の脅威を日増しに感じており・・・なんらかの対応を米国がとることを期待している」
 ジョンソン駐日大使「日本にとって・・・米国が抑止力を維持するためにどんな行動が必要か」
 牛場       「繰り返し、適当な時期に確約することだ」
 ジョンソン    「言葉でか」
 牛場       「こちらは、あなた方の言葉を信じる」

 これは1967年8月22、23日に行なわれた安全保障協議委員会でのやりとりであるという。西南女学院大学の菅英輝教授が米国立公文書館から議事録を発見したという。

 毎日新聞はこう解説している。

 「・・・米側はいかなる議題であれ議論に応じる態度だった・・・日本に覚悟があれば核戦略を論じるつもりだった。(だが)日本側は・・・米国を信じることによる安心だけを求めた。核の傘とは具体的に何を意味するのか詰めるより、内容はすべて米国にまかせきりにして、言葉による保証だけを重視する日本の姿は、この後も日米安保関係の基本形となった。そのいびつな関係が、日米関係を『密約』だらけにする構造的温床となった・・・」

 大河原良雄外務省アメリカ局長 「米空母ミッドウェーについて核兵器の問題 はどうなのか」
 シュースミス駐日米公使   「母港化をお願いしている。(事前協議に関 する日本の了解を十分承知しているから)従来の了解になんら反することはしない」

 これは1972年10月に東京・外務省で始まったミッドウェーの横須賀母港化(73年10月合意)に関する日米事務レベル協議の一コマである。

 毎日新聞の解説はこうだ。

 ・・・核持込の密約の対象はあくまでも「寄港」であり、「配備」まで認めていない。「母港化」は単なる「寄港」とは言えず、密約でさえも認められない灰色部分だった。それをシュースミス公使は母港化も「寄港密約」の従来の了解で扱うと言った。大河原大使はこれに反論しなかった。その瞬間母港化という日本への核兵器「配備」が事実上決まった・・・(筆者註:米国海軍に母港を提供しているのは世界で日本だけである。)

 極めつけは沖縄返還(1972年)の際の次のやりとりである。毎日新聞の記事はこう書いている。後に明らかになる若泉敬京都産業大学教授の密使外交を裏付けるエピソードである。

 ・・・沖縄返還が正式に合意された1969年11月の日米首脳会談の初日。冒頭ニクソン大統領と二人だけの会談を終え、愛知揆一外相らの待機する控え室に戻ってきた佐藤栄作首相は喜色満面で「B案で話がついた」と言った。
 外相も外務省の随員も首相が何を言っているのか理解できなかった。佐藤首相がポケットから紙を取り出した。「核抜き返還」に関する日米首脳の共同声明案文だった。外務省条約課長としてその場にいた中島敏次郎氏は「愛知外相は『これはなんだ』となった。自分だけが知らなかったと思ったようだが、外務省も知らなかった・・・」と証言する・・・
 外務省は米国が核抜きでは返還に応じないとの見通しを持っていた・・・愛知外相は「米国はベトナム戦争をやっているので『核抜き』での返還には展望が開けない」と指摘。「核付き」返還協定の試案作成を指示したという・・・。

 どうだ。密約どころか外交そのものが秘密外交であったのだ。

 しかもこの沖縄密約外交のウラには、あまり知られていないもう一つの事実があることを毎日新聞の記事は教えてくれている。

 米国で公開された公文書によると、米国の国家安全保障会議は1969年5月の時点で、すでに沖縄の核兵器について、「緊急時の貯蔵と通過の権利を条件に核兵器の撤去を考慮する」という政策文書を決定していたという。しかも沖縄からの核撤去は中国との関係改善を視野に入れた米国の中国に対するメッセージだったという。

 被爆国の反核感情と沖縄に対する贖罪意識によって密約にこだわった日本。その一方で、核の貯蔵と通過の権利さえ密約で確保されれば、核撤去を対中外交カードに使おうと考えた米国。それにまったく気づかなかった日本。

 これを示す毎日新聞の次のエピソードは驚がく的である。

 ・・・条約課長だった栗山尚一氏(のち外務次官、駐米大使)は、在米大使館に勤務していた返還実現後の74年、米国防総省の担当者から、「米国が沖縄からの核撤去をいつごろ判断したと思うか」と聞かれ、「最後までわからず心配だった」と正直に答えた。するとその担当官は、「実はだいぶ前から決めていた」と笑って言ったという。「核抜き」は米側の譲歩ではなく、事前方針どおりの妥結ラインを確保しただけだった・・・

 返還交渉に外務省アメリカ局長としてかかわった吉野文六氏は、「沖縄の核抜き返還は、キッシンジャー米国務長官が中国に対して色をつけた意味がある。頭がいいやり方だったが、当時、我々はまったくそうとは意識していなかった」と振り返る・・・まもなく日本は、ニクソン米大統領の電撃訪中宣言(71年7月)に「外務省最大の悪夢」と驚く事になる・・・

 これが日本の対米外交の実態なのだ。その後の日米外交が「悪夢の連続」である事はわれわれが日常茶飯事のごとく目撃しているとおりである。
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  麻生首相はオバマ大統領あて親書を国民に公開すべきだ

 オバマ大統領が4月5日にチェコで行なった核廃絶の演説は、核廃絶を願う人たちに期待を持たせた。なにしろ、「米国は、核兵器を使った世界で唯一の核大国として行動する道義的な責任がある」とまで述べたのだ。

 もちろん、地球上から核を取り除く事はオバマ大統領でも容易ではない。ゲーツ米国防長官も5月3日に放映された米CNNテレビのインタビューで、究極的核廃絶は、「たどりつくには長い道のりだ」と強調したという(5月5日毎日新聞及川正也ワシントン特派員)。

 それでも、唯一の被爆国である日本国民にとって、オバマ大統領の発言に期待するのは当然だ。だからこそ、日本国民の願いを伝えるために、麻生首相はその発言を歓迎する親書をオバマ大統領に送ったのだ。

 親書を出すのが遅すぎるとか、なぜ核武装論者の安倍元首相に親書を託したのか、といった批判をする私でさえも、日本国民の声をオバマ大統領に伝えてくれた事はよかったと、ナイーブに考えていた。

 そんな思いを5月4日の毎日新聞が見事に打ち砕いてくれた。その毎日新聞は、「アメリカよ 新ニッポン論」の第一回目の記事の中で次のように書いていたのだ。

 ・・・オバマ米大統領の4月5日の核廃絶宣言の10日後、麻生太郎首相はオバマ大統領に親書を出した。 内容は非公開だが、(核廃絶)演説のさわりを引いて強い支持を伝える一方、「日本にとって日米安全保障体制下での核抑止力は重要」と米国側にクギを刺していた・・・

 これには驚いた。日本国民は見事に裏切られたということだ。

 麻生首相の親書の主眼は、オバマ大統領の核廃絶を歓迎することよりも、米国の核抑止力(核の傘)を減らさないでくれ、と頼み込むほうにあったということだ。

 この事を証明するかのように、同じく5月4日の毎日新聞「クローズアップ2009年」は、4月6日からワシントンで開かれていたカーネギー国際平和財団主催の国際会議で、孤立した日本の姿を報じていた。
 すなわち、46カ国の800人を超える政治家や核専門家が、会場で再現されたオバマ演説に盛大な拍手をし、会議は核軍縮歓迎ムードに包まれたというのに、日本だけが対米同盟を絶対視して冷戦時代の核抑止論を繰り返したという。その姿は場違いな孤立感を与えていたという。

 もはや政府・外務省の独占する日本外交は恥さらしだ。日本国民を貶めるものだ。

 麻生首相はオバマ親書を国民の前に公開し、オバマ大統領に何を伝えたのか説明すべきである。
 日本の国会議員は、連休明けの国会質疑で、あるいは質問主意書で、オバマあて麻生親書の情報公開を、国民に代わって求めるべきだ。

 もし麻生首相が、安全保障上の理由であるとか、相手国との関係もある、などという理由で公開を拒むような事があれば、間違いなく米国に核抑止を頼んでいたということだ。

 核廃絶と米国の核の傘に頼る事とは、完全に矛盾する。 米国の核抑止を米国に求めるということは、核廃絶など口先だけということだ。

 「麻生首相はくわせものだ」、そう言われないためにも、麻生首相はオバマあて親書を公開すべきだ。                        
                                                  完


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