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2009年05月03日

 漢検協会の醜聞事件と文科省の責任 ほか


 漢検協会の醜聞事件と文科省の責任

 
 財団法人日本漢字能力検定協会の金銭スキャンダル事件は一体何が問題だったのか。その本質は語られないままだ。

 報じられるところでは、公益法人に反して大儲けをしたこと、それを大久保理事長親子が私物化していたことだ。

 しかし、なぜそんなぼろ儲けが簡単に出来たのか。そもそも財団法人「日本漢字能力検定協会」とは何なのだ。そんな財団法人が必要だったのか。

 財団法人の認可を受けただけでぼろ儲けができる、そんな漢字検定制度を作った文部科学省に責任はないのか。そういう私の疑問に4月24日の日刊ゲンダイが見事に答えてくれていた。

 ・・・こんな検定に群がった受験者も浅はかだった・・・が、漢字検定協会の暴走を許した文部科学省の責任も重大だ。法大教授の尾木直樹氏(教育学)はこう言う。
 「漢検バブルは文部科学省のゆとり教育が招いたのです・・・学歴低下批判に泡を食った遠山文部科学相は、『まなびのすすめ』のお達しを出し、漢検を推奨した。文部科学省の言いなりの現場は、漢検に飛びついた。高校や大学の単位認定や受験で漢検資格が評価されるようになったのです。年間280万人の受験生の8割が、学校や予備校などによる団体受験(というかたち)で漢検の根幹を支えている。行政の後押しがなければ、こうまで漢検が幅を利かせることはありませんでした。漢字の学習は学校教育の一環で身につけ
ればいい類のものです」・・・

 その通りだ。そして日刊ゲンダイはさらにこう続けている。・・・漢検が履歴書に堂々と記入されるようになり、テレビで漢字クイズがもてはやされるようになったのも、文部科学省が太鼓判を押したからだ・・・

 三流官庁と揶揄される省庁ほどつまらない仕事を増やす。せめてもの救いは天下りがなかったことだ。しかし油断はできない。「文部科学省の官僚を天下りさせて監視しなければいけない」、そういう動きが出てこないように監視しなければならない。
                                     完

 
 「地域包括支援センター」というごまかし

 4月26日の東京新聞に、「地域包括センター 低い知名度」という見出しの記事があった。ついこの前までの私であれば、この記事を見過ごしていたに違いない。記事の存在さえも気づかなかったことだろう。

 ところが、この記事が出るわずか二日ほど前、私は知人を通してある介護保険のボランテアの方と話す機会があった。そして、その時はじめて、私はこの「地域包括センター」という言葉を耳にしていた。だからこの記事が目に付いた。

  「地域包括支援センター」などという抽象的な言葉のどこにも、介護や医療をあらわす響きはない。しかし、これこそが、小泉・竹中改革による弱者切捨て医療改革の落し子なのである。

  そのボランテアの方の悲憤慷慨は、およそ次のようなものだった。

 ・・・後期高齢者医療制度ばかりが問題にされているが、同時に行なわれた改正介護法もひどい。要介護者の負担を増やす一方で、国側の責任の所在が不明になってしまった。相談窓口として「地域包括支援センター」という組織ができたが、これがまったく知られていない。何を聞いても埒が明かない。いままでは市町村の担当部局に行って直接に文句が言うことができたが、これからはすべて「地域包括支援センター」に相談してくれ、となった。ところがそのセンターの所在がよくわからない。要介護者はどんどん切り捨てられている・・・

  この言葉どおり4月26日の東京新聞の記事はこう書いている。

 ・・・お年寄りの医療や介護の総合的な窓口となる「地域包括支援センター」が、認知症の疑いがある高齢者の6割とその家族4割にまったく知られていない実態が、東京都の調査でわかった。センターは認知症の予防と早期発見の役割が期待されているが、十分に活用されていない現状が浮かぶ・・・

  この国ではとんでもない事が行なわれつつあるような気がする。われわれ国民の気づかないところでどんどんと行政が悪くなっていく。
                              完

 今の外務官僚では正しい外交はできない

  4月28日の新聞各紙はいっせいに中曽根外務大臣の核軍縮演説を掲載している。都内で開かれた日本軍縮学界(会長・黒沢満大阪女学院大教授)の設立総会記念講演であるという。

 その講演が外務官僚の手になる下手な原稿の棒読みであることを丹羽敦子記者の手になる4月28日の朝日新聞の記事が見事に証明している。それは何か。一言でいえば、「国益達成の為の本気の外交ではなく、外交努力に励んでいます、という姿勢を世論に示す内政、つまりアリバイづくりの外交」、という事である。

 核軍縮を訴えるのはいい。そしてそれを実現する事が困難なことも理解できる。しかし、日本外交が本当に核廃絶を実現しようとするのなら、中曽根演説よりも先にすることがある。それは核廃絶に向けての対米外交だ。

 オバマ大統領の包括核軍縮提案の本音を聞きだすことだ。もしオバマ大統領が本気で核軍縮を進める気があるのなら、日本として全面的にそれを支援する意思を伝え、日本のできる事は何でもする、と伝えることだ。

 オバマ大統領でも核廃絶は困難だ。しかしオバマ大統領の米国がその気にならなければ核廃絶はできるわけがない。

 日本が本当に核廃絶を望んでいるのなら、オバマ大統領をその気にさせるしかない。インド、パキスタン、イスラエル、イラン、北朝鮮などに核を放棄しろ、と言ったところで何の意味もない。外務官僚のあさはかなスピーチ原稿とそれを棒読みする中曽根外相のなさけなさだけが目に付く。

 イラク駐留米軍の犯罪に抗議したマリキ首相

 小さな一段の記事であったが、極めて重要な記事である。4月28日の朝日新聞と読売新聞が、それぞれカイロ特派員発の記事として報じていた。イラクのマリキ首相が米国に対し、今年1月に結ばれたイラク駐留米軍に関する地位協定違反であると米国に抗議する声明を出したという。

 さる4月26日、イラク中部クートで駐留米軍のテロ掃討作戦が行なわれた。その巻き添えでイラク人女性ら二人が犠牲になった。数百人の抗議デモが起きた。地位協定は、米軍の掃討作戦にはイラク政府に対する事前説明と承認を受ける必要があると定めている。その約束を破ったとマリキ首相は声明を出した。これは米軍の「犯罪」だと非難し、米軍に責任者の引渡しを要求したという。

 マリキ首相といえば米国の傀儡と見なされてきた人物である。そのマリキ首相が、駐留米軍地位協定を盾にとって米軍責任者の引渡しを求めたのである。

 翻ってわが日本はどうか。国民が犠牲になっても米側に抗議はしない。出来ない。治外法権を定めた日米地位協定の改正については、地域住民の強い要望にもかかわらず、頑として応じようとしない。

 米国の傀儡首相であるマリキ首相でさえもイラク国民の怒り背に米国と交渉し、米軍の犯罪を非難、追及しているのだ。それができるのだ。

 日本の首相はそれ以下だということだ。
                                      完

 
 北方領土問題(米国にとっての利用価値)

 谷内政府代表の北方領土3・5島返還論の失言が大きな問題となっている。

 しかし、北方領土問題の解決を妨げたのは米国だったという歴史的事実を知っている国民がどれほどいるのか。

 「日米安保条約は実質的に終わっている」という書き出しではじまる 元外務省幹部孫崎享氏の著書「日米同盟の正体」(講談社現代新書)が、その著書のなかで、「北方領土は米国にとり、二度、三度と味 わったおいしいアーモンドグリコである」と次のように書いている。

 一度目はヤルタ秘密協定(1945年2月のルーズベルト、チャーチル、スターリン三首脳会談)である。ソ連の対日参戦を望んだルーズベルトは、千島列島についてのソ連の 領有権を承認し、この約束はトルーマンにも引き継がれた。

 二度目は1951年9月に署名された対日講和条約(サンフランシスコ条約)における千島列島の範囲に関する米側の曖昧な態度である。サンフランシスコ条約は、「日本国は、千島列島ならびに・・・樺太の一部 およびこれに近接する諸島に対するすべての権利、権原および請求権を放棄する」と規定している。

 しかし、孫崎氏は、丹波實元駐ロ大使がその著書「日露外交秘話」(中央公論社)の中で、「日本に千島列島を放棄させるが、その範囲を曖昧にしておけば、この範囲を巡って日本とソ連は永遠に争う事になる・・・」と いう在京英国大使館発本国宛極秘電報を引用していることを紹介している。

 その上で、実はこれと同じ事を米国政府関係者が言っていたのだ、と、マイケル・シャラー、アリゾナ大学教授の著書「『日米同盟』とは何だったのか」(草思社)の次の言葉を引用して我々に教えてくれる。

 「・・・千島列島に対するソ連の主張に異議を唱えることで、米国政府は 日本とソ連の対立をかき立てようとした・・・うまくいけば、北方領土についての争いが何年間も日ソ関係を険悪なものにするかもしれないと彼らは考えた」

 三度目は極めつけの歴史的事実だ。鳩山一郎の二島返還合意の実現に対し、米国はこれに正面から待ったをかけた。その史実を孫崎氏は次のように書く。

 「1956年の鳩山一郎政権時代、歯舞、色丹を手に入れることで領土問題 の解決を図ろうとしたことがある。これに対し、同年9月7日、米国国務省は 日本に『日ソ交渉に対する米国覚書』を出している。それによると、日本はサンフランシスコ条約で放棄した領土に対する主権を他に引き渡す権利を 持っておらず・・・仮に(ソ連と)合意すれば、米国はサンフランシスコ 平和条約による一切の権利を留保する。平和条約はチャラになる、と言っている。凄い警告である・・・」

 賢明な読者はもうおわかりだろう。北方領土問題は、対ソ外交の問題であると同時に、実はこよなく対米外交なのである。

 いみじくも、鈴木宗男は平成18年10月23日提出の質問主意書で、「ロシアとの北方4島帰属問題を解決するにあたって米国の仲介が必要では ないか」と質している。

 これに対する10月31日付の政府答弁書がふるっている。
「政府としては・・・ロシア連邦政府と引き続き粘り強く交渉していく 考えである」。

 鈴木宗男の質問をかわした見事な官僚答弁だ。外務官僚では北方領土は返って来ない。

                                                  完

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2009年04月29日

 護憲派は安保論議から逃げてはいけない

 
 護憲派は安保議論から逃げてはいけない
 

 4月24日に、安全保障問題に関する二つのテレビ番組に呼ばれて参加してきた。一つは関西読売テレビの「やしきたかじんのそこまで言って委員会」の収録(放映は5月3日)、もう一つは「田原総一郎の朝まで生テレビ」の実況である。

 いずれの番組も、少数の護憲派ゲストが、多勢のタカ派の論客によって罵声を浴びせかけられる、そういう番組である。タカ派の視聴者は溜飲を下げ、護憲派の視聴者は歯軋りさせられる、そんな番組である。

 このような番組は、安全保障問題を深く考えない一般国民を改憲派に導くおそれがある。番組の意図もそこにあるに違いない。

 しかし、番組を出演した護憲派の一人としてつくづく感じたのは、攻撃されているのは決して平和主義者のほうではないということである。実は追い込まれているのはタカ派なのだ。そのことをつくづく感じた。

 たとえば、国を守るのに、「強い軍隊を持つべき」か、「憲法9条を堅持する」か、という単純な二者択一の議論になると、たちまちタカ派が勢いづく。「平和憲法で日本が守れるか、馬鹿なことを言うな」と罵声を浴びせる。スタジオに集まっているサクラのような観客の多くが、そういう時に限って拍手をする。

 軍事力か平和憲法か。そのような対立軸で議論を始めればたちまち対立する。平行線を辿る。声の大きいものが勝つ。議論は成り立たず感情論で物事が決まる。だから私はそんな議論にまともに参加する気はない。

 そのかわり、各論でタカ派の主張の矛盾を一つ一つ突いていけばいい。そうすればたちどころに彼らは行きづまる。そしてタカ派の間の喧嘩がはじまる。

 なぜか。それは国際政治の現実がタカ派を追い込んでいるからである。タカ派の強硬な発言は、無知な世論を誤魔化すことが出来ても、国際政治の現実を誤魔化す事はできないのだ。

 たとえば、「自主防衛力を高める事で日本の安全を守る」ことは当たり前だとタカ派は主張する。しかしこの考えはたちどころに国際政治の壁につきあたる。軍事力で国を守ろうとすれば行き着く先は核武装しかない。核武装まで行かなければ、彼らの当面の敵である「核を持った北朝鮮」に勝てないからだ。北朝鮮から脅され続ける事になるからだ。

 そして日本の核武装については、田母神氏のような単純強硬派は、わが意を得たりとばかり「その通りだ」と言う。

 しかし、多少なりとも国際政治の現実を知っている自称インテリ親米保守派は、「米国はそれを認めない。日本は世界の孤児になる」、と核武装を否定する。

 こうして保守・タカ派の間で罵り合いが始まる。

 もう一つの大きなテーマである「日米同盟の是非」については、保守・タカ派はもっと追い込まれている。

 「米国が日本を守ってくれると本当に信じているのか」と聞けば、彼らは答えに窮する。誰も、内心は、米国が日本を守るなどとは思っていない。特に最近の米国の日本軽視を見れば、誰でもそう思う。

 しかし、彼らは決して「米国は日本を守らない」とは言えない。それは彼らの最後の砦である「日米同盟こそ日本外交のすべてである」という考えに、ほころびが入るからだ。いったん日米同盟に疑念を持ち始めると、たちどころに日米同盟神話の崩壊につながる危険がある。それを彼らは知っている。

 私はその質問を安倍元首相にぶつけてみた。「おじいさんがつくった安保条約はもはや米国によって否定されているのではないか。ソ連共産主義の脅威を前提にした日米同盟はもはや不要ではないのか」、と。

 それに対する安倍元首相の答えが、今の政府・自民党の矛盾のすべてを物語っていた。

 「日米同盟は日本の安全の為だけにあるのではない。世界の平和と安全についての共同責任もある。それに、集団的自衛権を行使できない日本にも責任がある。米国が戦っている時に、それに協力しない日本を米国が本気で守る気になるだろうか。守ってもらえるためにも、まず日本は集団的自衛権を使えるような国にならなくてはいけない」という。

 これは嘘である。苦しい言い訳である。日本が集団的自衛権を行使しようがしまいが、米国は国益に合致しなければ、日本の為に米軍を動かす事はない。

 岸元首相が結んだ安保条約は、世界の平和の実現に向けた日米共同責任などといはどこにも謳っていない。あくまでも日本の防衛のための軍事同盟である。

 要するにこのような言い訳をしない限り、もはや日米安保条約を擁護できないのだ。

 日米安保条約はもはやその根拠を完全に失っている。だからこそ政府・自民党は「米軍再編への協力」とか、50周年を迎える来年に想定されていると報じられている「新しい日米安保宣言」などという政府決定によって安保条約に代わる新しい政策をつくろうとしているのだ。

 しかも、国会条約を結んで堂々と国民の前で審議することはしない。政府決定でこれを行なう。つまり国民の知らない間に日米安保条約を書き換えようとしているのである。

 ほかにも争点はいくつかあるが、最後に北朝鮮のミサイル脅威に関する論点を一つだけ述べておく。

 今度の北朝鮮のミサイル実験により、北朝鮮のミサイル脅威がことさら強調されるようになった。日本のミサイル迎撃能力を強化しなければならない、という声が政治家の中にも、メディアの中にもあがっている。

 いいだろう。確かに北朝鮮のミサイル脅威は深刻だ。それでは、どこまでミサイル迎撃システムを強化すれば日本国民の生命を守れるのか。憎き北朝鮮とのミサイル戦争に勝てるのか。

 中途半端な迎撃システムの強化は無意味だ。危険ですらある。北朝鮮のミサイル攻撃を打ち砕くためには膨大な予算が必要だ。

 しかし、ただでさえ深刻な国民経済の中で、ミサイル防衛強化に予算を振り向けられるのか。それを国民が許すのか。

 それよりもなによりも、すでに何百発もあると言われる北朝鮮のミサイルをすべて撃ち落せるのか。核弾頭を積んだミサイルが一発でも東京に落ちた時、その犠牲ははかり知れないことを本気で考えたことがあるのか。その犠牲を誰が甘んじて受けるのか。その犠牲を覚悟しろと誰が言えるのか。

 保守・強硬派の議論は各論に入るとたちまち行き詰まる。だから司会者は決して各論に入ろうとしない。都合の悪い質問になると、たちどころにさえぎり、無視し、矛先をそらして終わりにする。そして最後は必ず憲法9条を唱えるだけでは無責任だ、という事にしてしまう。

 これは茶番だ。勝手にそう言っていればいい。そのうちに日本は米国にとって利用価値がなくなる。見捨てられる。そんな馬鹿な事を許してはならない。

 護憲派は安保論議から逃げてはならない。安保議論に強くなって、各論で保守・タカ派の矛盾を打ち負かさなければならない。

 時代はそこまで進んでいる。そして国際政治の現実は、ますますタカ派に不利に動いていく。馬鹿でない限り、最後は憲法9条のありがたさに気づく事になる。

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