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2009年03月19日

「小沢一郎の真価が問われている」他


 放置されている不正診療請求 3月15日メルマガ第0104号要旨


  私のところへ最近寄せられたメールのなかで、「医師による診療報酬の不正請求が行なわれているのでそれを取り上げて欲しい」というものがあった。そのメールが具体的に指摘していたのは、架空の患者名を使って医療費を不正要求している医師がいるというものであった。
  そんな不正が行なわれているのだろうか。そう思っていたら、3月14日の朝日新聞の特集記事を読んで驚いた。そこには、診療報酬の不正請求を監査するはずの医療Gメン制度が十分機能していないという事が書かれていた。
  その記事によればこうだ。病院や診療所による不正請求の疑いについて情報が寄せられると、医療Gメンと呼ばれる指導医療官が調査に動き出す。これは1981年に設けられた制度で、政府によって各都道府県にある厚生局の事務所に指導医療官が配置される事になっている。しかし現実は十分に機能していない。
  その理由の一つは、医療Gメンになるには医師か歯科医の資格が必要であるが、医療Gメンの収入は通常の医師の収入より低くなるので、なり手がいないという。いまだに17の都道府県で医療Gメンが不在であるという。
  もう一つの理由は、医療仲間がGメンになるわけだから、追及が徹底しない、どうしても手心を加えてしまうという事だ。医療のボスが悪事をしていても、下っ端医師にそれが追及できないのは世の常だ。
  これでは不正請求が放置される事になるのは当たり前だ。おそらく、様々な形の不正請求が行なわれているに違いない。不正請求の横行を厚生労働省が知らないはずはない。本気で取り締まろうという気がない違いない。
  そう思っていたら3月15日の読売新聞が一面トップで農水省が組織的に「ヤミ専従」を隠していたとスクープしていた。ヤミ専従とは公務員が給与をもらいながら勤務時間中に組合活動をすることである。農水省は組合側に調査をする日付を教えて、無許可で組合活動をする職員がゼロになるまで調査を繰り返していた、という。政府と組合が結託した「ヤミ専従隠し」である。この世は犯罪隠しで溢れている。しかもそれが官僚と関係者の間の組織的共犯となっている場合が多い。それが世の常だ、と高をくくって放置していいのか。割りを食うのは、何の組織も、つながりもない、孤立無援の多くの国民だ。この世の中の無数の弱者たちだ。彼らこそ最大の犠牲者だ。彼らの立場に立って彼らを救う事こそ正義であり、政治の究極の目標であるべきだ。

 
 沖縄密約を公表すると発言した岡田民主党副代表の衝撃度 3月16日メルマガ第0106号要旨

 3月15日の各紙はいずれも一段の小さな記事でしか報道しなかったが、沖縄密約を公表すると言った岡田民主党副代表の発言は、今後の政局を左右する極めて衝撃的な発言である。
 戦後の日米関係は密約だらけで築かれてきた。その一つである沖縄密約の正体が明らかにされるという事は、そこを突破口として日米関係のウソがすべて明らかにされる可能性が出てくるという事である。それを自覚した上での岡田発言であればこれは小沢民主党を岡田が引き継ぐという宣言である。これまでの日本の権力構造を変える、と宣言したのだ。
究極の政権交代宣言である。果たして小沢と岡田は話し合いが成立しているのだろうか。岡田は小沢民主党を引き継いでいくのだろうか。民主党はそれで一致団結できるのだろうか。もしそうであれば不利と見えた小沢秘書逮捕事件の逆風を、民主党は一気に覆す事ができる。これが小沢・岡田の「密約」であれば、究極の「密約」となる。 

 ユダヤ系人権団体に噛みつかれた田原総一朗 3月17日メルマガ第0107号要旨

 一般のメディアには一切報じられていないが、田原総一朗がユダヤ系人権団体である「サイモン・ウィーゼンタール・センター」から噛みつかれていたことを知った。この事を3月12日の日刊ゲンダイが報じていた。3月8日放送のテレビ朝日「サンデー
プロジェクト」で、田原総一朗はゲストの田中真紀子相手に次のように語った。
 「田中(角栄)さんも結局ユダヤにやられた。お父さんもやられたように、小沢さんもやられた」
 この発言に対して、間髪を入れずユダヤ系人権団体サイモン・ウイーゼンタール・センターが噛みついたのだ。「ユダヤとアメリカの共謀など実在しない。報道番組を通じて、日本人に誤った認識を持たせる田原総一朗の発言は、断固として容認できない」、「テレビ朝日はこのバカげた発言を直ちに取り消し、田原総一朗とともに公式に謝罪する義務がある」などと、翌日9日付のホームページで糾弾の声明文を掲げている。それどころか、その間違った説明に反論しなかった田中真紀子まで批判している。徹底した批判、追及ぶりだ。
 我々は真実を知らなければならない。どちらが正しいのか。田原総一朗氏とテレビ朝日には、この機会に日本人にイスラエルという国について真剣に考えるきっかけを提供してもらいたい。正面から抗議を受けとめ正しく対応してもらいたい。イスラエル批判をこれ以上タブーにさせてはいけない。
 シオニストを自称する友人の佐藤優に頼み込んで、この問題にフタをしようとすることだけは、田原総一朗はしてはいけない。

  
 日本テレビ誤報事件が提示したもう一つの問題 3月18日メルマガ第0108号要旨

 日本テレビの報道番組「真相報道バンキシャ!」の誤報問題は、ついに日テレ社長の引責辞任にまで発展した。
 メディアの流す情報に頼らざるを得ない一般国民にとっては、誤報や、ましてや捏造、やらせ、情報操作などは、あってはならないことだ。だからこの誤報も、いくら厳しく批判されても仕方がない。
 しかし、3月18日の東京新聞のコラム「大波小波」に述べられていた「テレビと格差」という、次のコメントについては考えさせられた。
 「テレビ局はテレビ番組を作る会社だと多くの人は思っているかもしれないが、実際のところほとんどのテレビ番組は、下請けの番組制作会社が作っている。テレビ局が自ら作る数少ない番組も、(それをつくるスタッフは)半分以上は年収が圧倒的に低い制作会社からの派遣社員などで占められている。つまり日本のテレビ番組の制作現場は、格差構造を前提に維持されてきた・・・さらにここ数年、広告収入の低下を理由にテレビ番組制作費は大幅に削減されている・・・そんな(低い)予算ではできないと断ればいいと思われるかもしれない。ところが発注元であるテレビ局の権限があまりにも強いこの業界では、制作会社が制作を断るなどまずありえない・・・」
 ここで指摘されている事はテレビ業界に限らないに違いない。弱者と強者、経営者と雇用人、組織と個人、悪と善、この普遍的な葛藤が、経済不況と格差社会の進展によって、否応無しに加速されているのが今の日本ではないのか。
 湯浅誠が、その著書「反貧困」の中で指摘している、いわゆる「タメ」のない社会に日本は突入しようとしているのだ。人々が弱くなると、正義心も弱くなる、権力への抵抗心がなくなる、周囲の者への配慮を忘れていってしまう。そんな日本を皆の力で食い止めなければならない。いがみ合っている場合ではない。

 小沢一郎の真価が問われている 3月19日メルマガ第0109号 全文

 3月24日に大久保秘書の拘留期限が終わり起訴される。それにともなって小沢一郎は民主党代表を辞任する。これはもはや与野党関係者やメディアの暗黙の了解である。私もそう思う。
 問題はその後の政局の帰趨である。これについては誰も分からない。だから3月24日を境に小沢報道は再び大きく動き出す。マンネリになった小沢報道が、あらたな展開を見せ始める。そうなる前に、小沢事件の本質について、私の考えをあらためてここで強調しておきたい。
 小沢事件については、この事件が起きた3月3日のメルマガ「緊急メッセージ、小沢民党代表に告ぐ」以来、私は何度も書いてきた。警告を発信してきた。その小沢代表に対する私のメッセージも今回のメルマガでとりあえず終わりにしようと思う。だから少し長くなるが、読者には我慢をお願いしたい。
 なぜ私が今度の小沢事件にこれほどまでに強い関心と危惧の念を持つのか。それは一言で言えば今度の事件の結末いかんによっては、「この国の権力構造が変わるかも知れない」という期待が打ち砕かれてしまうと思うからだ。このまま「小沢民主党」が敗北することは、長く暗い日本が続く事になる。決してそうさせてはならない、と強く思うからだ。
 戦後一貫して続いてきたこの国の権力構造を変えることは容易ではない。それは大袈裟に言えば日本国民がはじめて経験する民主革命とも呼べる一大事件である。だから、小沢一郎でもそれを行なう事は容易ではない。それよりもなによりも、そもそも小沢一郎なる政治家がそれを意図しているか、それに値する政治家であるか、という疑念がある。
 しかし、私を含め、この国の権力構造を一度根本的に変えてみたい、そうすることしか日本の将来はない、と考えている国民側からみれば、今の政治家でそれができるのは小沢一郎しかいないのだ。
 自民党旧田中派の中枢にいた小沢一郎がカネに綺麗な政治家であるなどと思う国民はいない。権力志向の小沢一郎が本気になって弱者のための政治を行なおうとしているのかは不明だ。対米従属を批判する一方で日米同盟重視を繰り返す小沢一郎の安保・外交政策はあまりにも矛盾に満ちている。ついこの間まで大連立を画策しようとしていた小沢一郎が、この国の権力構造を変えようとしているかどうかは疑わしい。
 このようなあらゆる疑問や、不透明さを承知した上で、それでもこの国の権力構造を変える事のできる政治家は小沢一郎しかいない、そして小沢一郎は今となっては自らを変えたのではないか、変えざるをえないのではないか、国民のためにこの国の権力構造を主客逆転させようとする覚悟を決めたのではないか。そういう前提で私は議論を進めている。
 私がかぎかっこ付きで「小沢民主党」と呼び続けるのは、そのような小沢の衣鉢を継ぐ民主党であると意味である。すなわち「この国の権力構造を本気で変える覚悟を持った政治家の集まりである民主党」という意味である。
 繰り返して言う。小沢一郎でもこの国の権力構造を変えられる保証はない。しかし小沢なき民主党では、たとえ政権交代が実現しても、この国の権力構造を変える事は100%無理なのだ。勿論日本共産党や社民党ではこの国の権力構造を変える事などはじめから出来はしない。
 だからこそ、今度の事件を起した者たちの最大の目的は、小沢排除であったのだ。小沢一郎の政治生命を奪ってしまえば、後は政権交代が起きようが、政界再編が行なわれようが、誰がこの国の指導者になろうが、そんな事はどうでもいいことなのだ。この国の権力構造は微動だにしないのである。
「小沢民主党」が変えようとする権力構造とは何か。それは自公政権とそれを支える官僚組織、警察、検察、マスコミ、財界、そしてその権力構造に満足している国民である。その背後には日本を自らの国益の為に使えるだけ使おうとする米国がある。
 今度の事件の背景に米国の影響があったかどうかは私にはわからない。たとえあったとしても証拠をつかまれるようなドジな真似をもはや今の日米関係者が犯すはずはない。米国にとって重要な事は日本国民にそのような疑いを抱かせる存在であり続ければいいだけなのだ。
 3月24日に代表辞任に追い込まれる事が必至の小沢一郎は、これからの一週間をどう行動すればいいのか。これがこのメルマガの核心部分である。願わくばこれが小沢一郎の耳に入る事を願う。そして小沢一郎がその考えに賛同する事を期待する。
 「小沢民主党」が反転攻勢できる唯一の道は、相手が想像できないほどの大胆な行動を見せるということだ。
 それはまず、小沢自身が、自らを捨てても国民を守るという覚悟を固めることである。それは民主党代表を潔く捨てるという事だけにとどまらない。これをきっかけに政治家を辞めるということだ。若い世代に日本を託すと宣言することだ。こうする事によって小泉とか麻生とか森とか青木とかといった政治家はもとより、安倍晋三や中川昭一なども道ずれにできる。
 その覚悟を持って民主党を「小沢民主党」で固めることだ。菅、鳩山、輿石はもとより岡田、野田、前原、仙石などを集めて、自らの覚悟を披露し、岡田党首の下で「小沢民主党」による政権交代を目指すという事を取りつけておくことだ。それを3月24日までに済ませておく事だ。これは小沢院政を敷く事ではない。政治を引退する小沢の置き土産である。小沢の遺志なのだ。
 できれば主要マニフェストについて纏め上げ、3月24日にそれを公表することだ。それに欠かせないのが官僚支配の打破である。徹底した公務員改革である。今日の報道でも見られるように自公政権では公務員改革はできない。小泉改革の信奉者である渡辺喜美では公務員改革はできない。「小沢民主党」のみが真の公務員制度改革ができるのだ。そして公務員制度改革は待ったなしだ。これが出来なければ日本の将来はない。国民もそう思っている。
 あらゆる企業、組織からの政治献金禁止もこの際断固としてマニフェストに掲げるのだ。「企業献金まみれの小沢がいまさら何を」という批判がある。その批判を正面から受けて立つのだ。一番多く献金を受けていた自分だからそうするのだ。その弊害を一番強く反省するからこそそれを誰よりも強く打ち出すのだ。180度考えを改めたのだ、自分は変わったのだ、文句があるか。反論できるか、と堂々と言えばいいのだ。
 小沢一郎の命運は一人小沢一郎の命運だけではない。政権政党の議員になりたいと願う民主党議員の命運がかかっているだけでもない。その命運は、これまでの日本の権力構造の属さない、それゆえにそれら権力構造の埒外に置かれて来た、善良で、弱い、多くの日本国民の命運でもあるのだ。
 小沢事件の見所は、その自覚を小沢一郎が24日までに持てるかどうかにかかっている。

  


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2009年03月14日

天木直人のメールマガジン 要旨 3月11日ー14日分


 天木直人のメールマガジン 要旨 3月11日―14日分

 2009年3月11日発行 第0098号

 なぜ新聞は権力に弱くなったのか

 メディアが権力に追従するようになって久しい。なぜか。その理由はいくつあるだろう。しかし間違いなくその一つに新聞が権力側に弱みを握られている事がある。

 2月末の新聞に朝日新聞4億円脱税というニュースが流されていた。脱税といい申告漏れといい、「社会の木鐸」であるはずのジャーナリズムが不正をやっているようでは正義を本気で追及できるはずはない。権力側はメディアの不正を握っているのだ。国税庁は情報を掌握しているのだ。いつでもメディアを脅かすことができる。

 そのような新聞社の弱みの中でも、おそらく最も深刻な弱みは、「押し紙」という名の購読者数水増し偽装であろう。 これは業界のタブー中のタブーと言われてきたという。そのタブーについて経済月刊誌ZAITEN4月号がついに書いた。産経新聞がついに業界タブーである「押し紙」の廃止に踏み切ったと書いていた。しかし「押し紙」は何も産経に限ったことではない。大手新聞は皆行なっているということだ。

 押し紙のどこが深刻な問題か。それはZAITENの記事が教えているように、公称販売部数によって広告料などが決められることである。数字を誤魔化して収入を余分に取ることはれっきとした犯罪ではないのか。広告主の会社がそれを知らずに支払っていれば騙された事になる。もし知っていながら黙認していたのなら背任行為だ。そして仲介役の広告会社はどう認識しているのか。

 権力側がこの存在を知らないはずはない。権力側がメディアを黙らせるのは簡単だ。メディアは権力におびえて膝を屈するよりも、国民とともに権力の横暴を監視する本来のメディア魂を取り戻さなければならない。

 2009年3月11日発行 第0099号

 いまこそミサイル戦争の愚かさを国民は知るべきだ

 私は3月1日のメルマガ第0080号で、北朝鮮とのミサイル戦争の危険性について書いた。日本国民の安全の最大の危機である。それにもかかわらず、いくら政局が混迷しているからといって、この奇妙な無関心さは一体どうしたことだろうか。

 これは米朝間の駆け引きであって、そんなことは起こらない、とでも言うのだろうか。 それとも、まさかそういう事は起こらないだろう、という根拠なき希望的観測で事の推移を見守っているのか。あるいは単純に、米国に追従してきた日本としてどう対応していいか分からない、対応のしようがない、という事なのだろうか。おそらくそのすべてが混じりあっているのだろう。

 そのような思考停止の状況の中で、政府もメディアも、そして右翼世論も、やれ安保理決議違反を許すな、人工衛星でもミサイルでも同じだ、日本に飛来したらアメリカから導入したばかりのミサイル迎撃システムで撃ち落すのは当然だ、などと勇ましい発言を繰り返す。これは笑止千万だ。

 この問題で難しい議論を繰り返す以前に、米国から大金を払って買わされた日本のミサイル迎撃システムそのものに重大な矛盾がある事を国民は知るべきだ。

 これを見事に白状したのが3月11日の読売新聞の「解説スペシャル」である。防衛問題専門の勝股秀通解説委員と政治部記者遠藤剛記者の記名入りのその記事は、迎撃システムそのものが、今度の北朝鮮のミサイル発射から日本を守る事について、まるで役に立たない事を白状している。日本はミサイル戦争を戦うことなどできない事を教えている。政府、防衛省は日本国民を守る事をまじめに行なってこなかったのだ。国民はそれを知って怒らなければならない。

 2009年3月12日発行 第100号

 小沢秘書逮捕事件の裏にあるもうひとつの真実

  今度の事件の裏にある真実は、もちろん政権交代を巡る自民党と民主党の最終戦争である。しかし私は、もう一つの真実を感じ取った。それは官僚支配と政治支配(国民支配)を巡る最終戦争であるという事だ。

 おそらく3月24日に大久保秘書が起訴され、それをきっかけに大きな変化が起きる。小沢一郎がそれでも頑張って民主党に大混乱が起きるか(この大混乱は、たとえば鳩山や菅といった現執行部の幹部が小沢に代わろうとした時に起きる大混乱も含む)、それとも民主党のためを思って小沢が代表を辞し、岡田代表で結束して選挙に挑む事になるか、どちらかだ。

 前者の場合は民主党による政権交代はなくなる。後者であれば民主党による政権交代が今より確実になる。大きな違いのように見えるが、小沢民主党政権の実現がなくなるという点では見事に一致する。

 小沢なきあとの民主党であれば、必ず自民党的政治は復活できる。小沢一郎がいなくなると、来年の衆参同時選挙までに起こりうる政界再編によって、どのような政党の組み合わせであろうとも自民党的なものは生き残る。

 そして、ここが重要なことなのであるが、そのような保守連立政権が続くという事は、対米従属と官僚支配の政治が続くということなのである。それをメディアも歓迎して応援しているという事なのである。

 これこそが、毎日繰り返される小沢批判の報道の理由である。自民党批判も行なってバランスを取っているが、小沢民主党代表を追放すればいいのである。目的を達成した事になる。

 そして、今度の事件をきっかけに小沢が民主党代表辞任に追い込まれるような事になれば、最大の勝利者は官僚であるということだ。政権交代はなされても官僚支配はかわらない。日本の政治は今までと何も変わらない。

 2009年3月13日発行 第0101号

 政治とカネの話よりも重要な事

 相も変わらず小沢一郎秘書逮捕のニュースが続いている。政治家と建設会社をめぐるカネのやり取りについて、次から次へと新たな情報を流し、政治家とカネの話が事こまかく報じられている。

 そんな中で私が気になるのは日本共産党と社民党が政治家とカネの問題についてやたらに正義感を振りかざしていることだ。「自民も民主も同根だ。政治に対する国民の信頼を回復しなければならない、などと声高に叫んでいることだ。

 これについては先日の某TV番組で、沖縄選出の下地幹郎(国民新党)が言っていた言葉を思い出す。正確な言葉遣いは忘れたが、下地議員が言っていた事は要するにこういうことだ。政治家はそれぞれの政党で政治資金の集め方が違う。資本主義にもとづく政党は企業からの政治資金に頼り、そうでない政党は労働組合とかそれぞれの資金集めの方法がある。要するに適切、合法に、政治資金が集められているかどうかだ、と。この下地議員の言葉の持つ意味は重要である。

 先日、森喜朗元首相が輿石東参院議員会長(民主党)の事を、「違法なカネを集めて当選してきた」と批判した。これを聞いた時に、ここまで暴言を吐いた森元総理に噛み付かなかった輿石議員は、なんと情けない弱腰議員か、と思ったが、12日の日刊ゲンダイに、森元首相がこれほど強気に出られた理由を書いていたのを読んで納得した。「輿石の出身母体である山梨県教育組合などで構成する政治団体が、かつて政治資金絡みの事件を起こし、会長ら2人が政治資金規正法違反で罰金命令を受けている」背景があるというのだ。

 企業献金もなく、政党助成金を唯一受け取っていない事が売り物の日本共産党は確かに政治資金に関しては正義を振りかざせるかもしれない。しかし日本共産党は選挙資金をどう工面しているのか。元日本共産党政策委員長の筆坂氏によれば、議員歳費などの議員報酬の一部が党の予算となっているという。かつて辻元清美議員の秘書給与プールが違法だと大騒ぎになり議員辞職に追い込まれた事があったが、議員歳費の一部を制度的に上納させて党予算の原資にすることが公然と行なわれていることに違法性はないのか。

 公明党については、政経分離の問題もさることながら、宗教法人は等しく無税であるという税優遇が選挙資金への厚遇にならないのか。公職選挙法上の問題はないのか。

 今度の小沢事件に背景にある最大の問題は政治とカネの問題ではない。捜査の公正性である。権力の恣意的行使である。小沢一郎が正しいと言っているのではない。政権政党と司法、警察、検察が結託したら、次期総裁候補の政治生命までも奪う事ができるという恐ろしさである。この事はいくら強調してもしすぎる事はない。

 有力政治家でさえそうであるから、権力が一般国民を弾圧することなど朝飯前なのだ。その犠牲になっても一般国民には救済の道はない。だれも権力に歯向かえなくなる。その恐ろしさこそ日本共産党や社民党は国民に訴えるべきである。選挙目当ての組織のエゴをむき出しにしている時ではない。

 2009年3月14日発行 第0102号

 北朝鮮が暴いてくれた日本の安全保障政策の欺瞞

 北朝鮮が4月4日から8日までの間に人工衛星を運ぶロケットを打ち上げる計画を国際海事機関(IMO)に通報した事が明らかになって、にわかにミサイル問題が騒がしくなった。メディアで取り上げるようになった。

  しかし、この北朝鮮ミサイル発射問題の危機に関し、政治家、安全保障政策の専門家、メディアの論調など、どれ一つとして答えられないでいる。皆が、困惑し、狼狽し、なす術がない。話せば話すほど矛盾を感じて顔を下に向けざるを得ない、視線を落さざるを得ないのだ。

  これは何を意味するのか。ズバリ、戦後63年間当然のように維持されてきたこの国の安全保障政策が、その実まったく機能していなかったという事である。わが国の安全保障政策がいかに欺瞞であったか、という事である。
  まず何よりも日米安保体制が日本の危機を救ってくれない事が白日の下にさらされた。
  次に、あれほど日本が重視してきた6カ国協議が、まったく無意味なものであった事が白日の下にさらされた。
  三番目に、ミサイル戦争に対して日本がまったく対応できないことが白日の下にさらされた。

  こう書いていくと、あたかも護憲、平和政党の言い分が正しかったとように聞こえるかもしれない。しかしそうではない。いわゆる左翼イデオロイーの反米、護憲一辺倒もまた、ならずもの国家北朝鮮のミサイル恫喝に対応できないのだ。彼らの対北朝鮮政策もまた間違いであったのだ。だからこそ護憲政党、政治家も沈黙を守らざるを得ないのである。

  どうすればいいか。絶対に北朝鮮にミサイルを発射させないことだ。そしてそれには米国が北朝鮮と話し合い、ミサイル発射をやめさせることしかない。それは米朝二カ国が、自らの利益の為に取引することではない。世界最大の軍事大国である米国が、日本の為に、世界の為に、そして何よりも米国の為に、北朝鮮に対する軍事的脅威をなくすことを伝え、北朝鮮のミサイル政策を思いとどまらせることだ。最終的には核兵器の脅威をなくす事を米国自ら率先して提唱することである。そのために米国が外交的指導力を発揮する事である。
  それをオバマ大統領にわからせるのは日本をおいて他にない。二度と核兵器を人類に使ってはならない、それを率先して世界に示す、その事を、憲法9条を掲げて米国に迫る事である。憲法9条こそ最強の安全保障政策である事を米国に気づかせることである。まさしく日本の外交力が問われている。


 2009年3月14日発行 第0103号

 江田憲司が語る安全保障政策に注目したい

  季刊雑誌にSIGHTというのがある。音楽評論家で雑誌編集者でもある渋谷陽一という人物が、自らの会社ロッキング・オンから発行している政治雑誌である。今発売中の春季号に江田憲司のインタビュー記事が載っていた。 彼は言う、
「・・・結局、内政問題というのは五十歩百歩なんですね。大きな政府だ、小さな政府だ、自由主義だとか、ナントカ言ったって、真実は真ん中にあるので、現実はそんな白黒はっきり分けられないんですよ。多少の違いは出るにしても、そんな大きな違いじゃない。大きな違いはやっぱり外交安全保障だと私は思うんですね。これについては自民も民主もぐちゃぐちゃだから・・・」
 よくぞ言ってくれたと思う。この点こそ私が言いたかった事であった。国内問題は結局のところどの政党も国民の生活を重視しなければならなくなってきている。最後は同じところに落ち着かざるをえないのだ。
 しかし外交安全保障政策はそうではない。意見の違いは大きい。そして自民も民主も、まともに安全保障政策を考え、論じる者が、あまりにも少ない。もちろん護憲政党の安全保障政策などは無きに等しい。要するに、この国にはまともな安全保障政策に関する論議が欠落してきたのである。それを真剣に議論する時が来ているのである。
 それでは江田憲司はこの最重要問題である外交・安全保障についてどう考えているのか。それを示すのが次の興味深い言葉である。
 「・・・やっぱり集団的自衛権を認めるかどうか、そこなんでしょう。日本の国民や国土を守るという点についてはコンセンサスができている・・・しかし、イラク戦争を支持して自衛隊を派遣したような、集団的自衛権の行使は反対だ、というのが私の立場です。  私は若手官僚の頃、集団的自衛権を行使して普通の国になれと思っていました。だけど橋本政権で官邸の中枢に入り・・・日米間の新しい安全保障宣言、それに続くガイドライン法(周辺事態法)の策定などに参画する過程で、今の政治家のガヴァナビリティのなさ、自衛隊のオペレーション能力のなさなどを体験的に知ってしまったんです。
 仮に、百歩譲って集団的自衛権の行使を認めるとしても、今の段階で集団的自衛権を行使して、米軍とともに戦うなんてことはとても出来ない。憲法理論とか理屈以前の問題で、そんな事を議論してもしょうがない。インターオペラビリティ(相互運用性)などありませんよ、今の自衛隊に。一緒に戦うと言ったって米軍に忌避されるだけです。しかも何も今更日本が軍事的に貢献して、他の200カ国近い国連加盟国と同じことやったって限界効用もない・・・ どんな小国でも持っているような集団的自衛権を行使して今さら軍事的に貢献しても、「ああ、そっか」っていうぐらいの話ですよ・・・そうじゃなくて日本に求められているのは、日本の得手の分野でしっかりと世界に貢献することでしょう・・・
 日本ではまったく責任も問われず、イラク戦争の総括もされないから政治家はいい加減になるんです。私は集団的自衛権の観点から、アフガン戦争にもイラク戦争にも一貫して反対しました・・・後方支援だって集団的自衛権の行使ですよ。日本にとって戦後はじめての事だったのに、小泉流の詭弁で簡単に通してしまった。イラク戦争なんて国際的な大犯罪だと思いますよ・・・そんなものに賛成した政治家は、懺悔して辞めるべきだと思いますよ・・・」

 元官僚出身で、元自民党の政治家で、ここまで自分の外交・安全保障政策を語った政治家を私は知らない。江田憲司とは是非一度外交・安全政策について話し合ってみたいものだ。彼の平和外交の考えが本物ならば、官僚支配打破と平和外交を二本の旗印に、思いを同じ政治家を集めて新党を結成してもらいたい。私はその新党を支持する。その必要性が今まさに求められていると思う。

 

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