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2009年03月14日

天木直人のメールマガジン 要旨 3月11日ー14日分


 天木直人のメールマガジン 要旨 3月11日―14日分

 2009年3月11日発行 第0098号

 なぜ新聞は権力に弱くなったのか

 メディアが権力に追従するようになって久しい。なぜか。その理由はいくつあるだろう。しかし間違いなくその一つに新聞が権力側に弱みを握られている事がある。

 2月末の新聞に朝日新聞4億円脱税というニュースが流されていた。脱税といい申告漏れといい、「社会の木鐸」であるはずのジャーナリズムが不正をやっているようでは正義を本気で追及できるはずはない。権力側はメディアの不正を握っているのだ。国税庁は情報を掌握しているのだ。いつでもメディアを脅かすことができる。

 そのような新聞社の弱みの中でも、おそらく最も深刻な弱みは、「押し紙」という名の購読者数水増し偽装であろう。 これは業界のタブー中のタブーと言われてきたという。そのタブーについて経済月刊誌ZAITEN4月号がついに書いた。産経新聞がついに業界タブーである「押し紙」の廃止に踏み切ったと書いていた。しかし「押し紙」は何も産経に限ったことではない。大手新聞は皆行なっているということだ。

 押し紙のどこが深刻な問題か。それはZAITENの記事が教えているように、公称販売部数によって広告料などが決められることである。数字を誤魔化して収入を余分に取ることはれっきとした犯罪ではないのか。広告主の会社がそれを知らずに支払っていれば騙された事になる。もし知っていながら黙認していたのなら背任行為だ。そして仲介役の広告会社はどう認識しているのか。

 権力側がこの存在を知らないはずはない。権力側がメディアを黙らせるのは簡単だ。メディアは権力におびえて膝を屈するよりも、国民とともに権力の横暴を監視する本来のメディア魂を取り戻さなければならない。

 2009年3月11日発行 第0099号

 いまこそミサイル戦争の愚かさを国民は知るべきだ

 私は3月1日のメルマガ第0080号で、北朝鮮とのミサイル戦争の危険性について書いた。日本国民の安全の最大の危機である。それにもかかわらず、いくら政局が混迷しているからといって、この奇妙な無関心さは一体どうしたことだろうか。

 これは米朝間の駆け引きであって、そんなことは起こらない、とでも言うのだろうか。 それとも、まさかそういう事は起こらないだろう、という根拠なき希望的観測で事の推移を見守っているのか。あるいは単純に、米国に追従してきた日本としてどう対応していいか分からない、対応のしようがない、という事なのだろうか。おそらくそのすべてが混じりあっているのだろう。

 そのような思考停止の状況の中で、政府もメディアも、そして右翼世論も、やれ安保理決議違反を許すな、人工衛星でもミサイルでも同じだ、日本に飛来したらアメリカから導入したばかりのミサイル迎撃システムで撃ち落すのは当然だ、などと勇ましい発言を繰り返す。これは笑止千万だ。

 この問題で難しい議論を繰り返す以前に、米国から大金を払って買わされた日本のミサイル迎撃システムそのものに重大な矛盾がある事を国民は知るべきだ。

 これを見事に白状したのが3月11日の読売新聞の「解説スペシャル」である。防衛問題専門の勝股秀通解説委員と政治部記者遠藤剛記者の記名入りのその記事は、迎撃システムそのものが、今度の北朝鮮のミサイル発射から日本を守る事について、まるで役に立たない事を白状している。日本はミサイル戦争を戦うことなどできない事を教えている。政府、防衛省は日本国民を守る事をまじめに行なってこなかったのだ。国民はそれを知って怒らなければならない。

 2009年3月12日発行 第100号

 小沢秘書逮捕事件の裏にあるもうひとつの真実

  今度の事件の裏にある真実は、もちろん政権交代を巡る自民党と民主党の最終戦争である。しかし私は、もう一つの真実を感じ取った。それは官僚支配と政治支配(国民支配)を巡る最終戦争であるという事だ。

 おそらく3月24日に大久保秘書が起訴され、それをきっかけに大きな変化が起きる。小沢一郎がそれでも頑張って民主党に大混乱が起きるか(この大混乱は、たとえば鳩山や菅といった現執行部の幹部が小沢に代わろうとした時に起きる大混乱も含む)、それとも民主党のためを思って小沢が代表を辞し、岡田代表で結束して選挙に挑む事になるか、どちらかだ。

 前者の場合は民主党による政権交代はなくなる。後者であれば民主党による政権交代が今より確実になる。大きな違いのように見えるが、小沢民主党政権の実現がなくなるという点では見事に一致する。

 小沢なきあとの民主党であれば、必ず自民党的政治は復活できる。小沢一郎がいなくなると、来年の衆参同時選挙までに起こりうる政界再編によって、どのような政党の組み合わせであろうとも自民党的なものは生き残る。

 そして、ここが重要なことなのであるが、そのような保守連立政権が続くという事は、対米従属と官僚支配の政治が続くということなのである。それをメディアも歓迎して応援しているという事なのである。

 これこそが、毎日繰り返される小沢批判の報道の理由である。自民党批判も行なってバランスを取っているが、小沢民主党代表を追放すればいいのである。目的を達成した事になる。

 そして、今度の事件をきっかけに小沢が民主党代表辞任に追い込まれるような事になれば、最大の勝利者は官僚であるということだ。政権交代はなされても官僚支配はかわらない。日本の政治は今までと何も変わらない。

 2009年3月13日発行 第0101号

 政治とカネの話よりも重要な事

 相も変わらず小沢一郎秘書逮捕のニュースが続いている。政治家と建設会社をめぐるカネのやり取りについて、次から次へと新たな情報を流し、政治家とカネの話が事こまかく報じられている。

 そんな中で私が気になるのは日本共産党と社民党が政治家とカネの問題についてやたらに正義感を振りかざしていることだ。「自民も民主も同根だ。政治に対する国民の信頼を回復しなければならない、などと声高に叫んでいることだ。

 これについては先日の某TV番組で、沖縄選出の下地幹郎(国民新党)が言っていた言葉を思い出す。正確な言葉遣いは忘れたが、下地議員が言っていた事は要するにこういうことだ。政治家はそれぞれの政党で政治資金の集め方が違う。資本主義にもとづく政党は企業からの政治資金に頼り、そうでない政党は労働組合とかそれぞれの資金集めの方法がある。要するに適切、合法に、政治資金が集められているかどうかだ、と。この下地議員の言葉の持つ意味は重要である。

 先日、森喜朗元首相が輿石東参院議員会長(民主党)の事を、「違法なカネを集めて当選してきた」と批判した。これを聞いた時に、ここまで暴言を吐いた森元総理に噛み付かなかった輿石議員は、なんと情けない弱腰議員か、と思ったが、12日の日刊ゲンダイに、森元首相がこれほど強気に出られた理由を書いていたのを読んで納得した。「輿石の出身母体である山梨県教育組合などで構成する政治団体が、かつて政治資金絡みの事件を起こし、会長ら2人が政治資金規正法違反で罰金命令を受けている」背景があるというのだ。

 企業献金もなく、政党助成金を唯一受け取っていない事が売り物の日本共産党は確かに政治資金に関しては正義を振りかざせるかもしれない。しかし日本共産党は選挙資金をどう工面しているのか。元日本共産党政策委員長の筆坂氏によれば、議員歳費などの議員報酬の一部が党の予算となっているという。かつて辻元清美議員の秘書給与プールが違法だと大騒ぎになり議員辞職に追い込まれた事があったが、議員歳費の一部を制度的に上納させて党予算の原資にすることが公然と行なわれていることに違法性はないのか。

 公明党については、政経分離の問題もさることながら、宗教法人は等しく無税であるという税優遇が選挙資金への厚遇にならないのか。公職選挙法上の問題はないのか。

 今度の小沢事件に背景にある最大の問題は政治とカネの問題ではない。捜査の公正性である。権力の恣意的行使である。小沢一郎が正しいと言っているのではない。政権政党と司法、警察、検察が結託したら、次期総裁候補の政治生命までも奪う事ができるという恐ろしさである。この事はいくら強調してもしすぎる事はない。

 有力政治家でさえそうであるから、権力が一般国民を弾圧することなど朝飯前なのだ。その犠牲になっても一般国民には救済の道はない。だれも権力に歯向かえなくなる。その恐ろしさこそ日本共産党や社民党は国民に訴えるべきである。選挙目当ての組織のエゴをむき出しにしている時ではない。

 2009年3月14日発行 第0102号

 北朝鮮が暴いてくれた日本の安全保障政策の欺瞞

 北朝鮮が4月4日から8日までの間に人工衛星を運ぶロケットを打ち上げる計画を国際海事機関(IMO)に通報した事が明らかになって、にわかにミサイル問題が騒がしくなった。メディアで取り上げるようになった。

  しかし、この北朝鮮ミサイル発射問題の危機に関し、政治家、安全保障政策の専門家、メディアの論調など、どれ一つとして答えられないでいる。皆が、困惑し、狼狽し、なす術がない。話せば話すほど矛盾を感じて顔を下に向けざるを得ない、視線を落さざるを得ないのだ。

  これは何を意味するのか。ズバリ、戦後63年間当然のように維持されてきたこの国の安全保障政策が、その実まったく機能していなかったという事である。わが国の安全保障政策がいかに欺瞞であったか、という事である。
  まず何よりも日米安保体制が日本の危機を救ってくれない事が白日の下にさらされた。
  次に、あれほど日本が重視してきた6カ国協議が、まったく無意味なものであった事が白日の下にさらされた。
  三番目に、ミサイル戦争に対して日本がまったく対応できないことが白日の下にさらされた。

  こう書いていくと、あたかも護憲、平和政党の言い分が正しかったとように聞こえるかもしれない。しかしそうではない。いわゆる左翼イデオロイーの反米、護憲一辺倒もまた、ならずもの国家北朝鮮のミサイル恫喝に対応できないのだ。彼らの対北朝鮮政策もまた間違いであったのだ。だからこそ護憲政党、政治家も沈黙を守らざるを得ないのである。

  どうすればいいか。絶対に北朝鮮にミサイルを発射させないことだ。そしてそれには米国が北朝鮮と話し合い、ミサイル発射をやめさせることしかない。それは米朝二カ国が、自らの利益の為に取引することではない。世界最大の軍事大国である米国が、日本の為に、世界の為に、そして何よりも米国の為に、北朝鮮に対する軍事的脅威をなくすことを伝え、北朝鮮のミサイル政策を思いとどまらせることだ。最終的には核兵器の脅威をなくす事を米国自ら率先して提唱することである。そのために米国が外交的指導力を発揮する事である。
  それをオバマ大統領にわからせるのは日本をおいて他にない。二度と核兵器を人類に使ってはならない、それを率先して世界に示す、その事を、憲法9条を掲げて米国に迫る事である。憲法9条こそ最強の安全保障政策である事を米国に気づかせることである。まさしく日本の外交力が問われている。


 2009年3月14日発行 第0103号

 江田憲司が語る安全保障政策に注目したい

  季刊雑誌にSIGHTというのがある。音楽評論家で雑誌編集者でもある渋谷陽一という人物が、自らの会社ロッキング・オンから発行している政治雑誌である。今発売中の春季号に江田憲司のインタビュー記事が載っていた。 彼は言う、
「・・・結局、内政問題というのは五十歩百歩なんですね。大きな政府だ、小さな政府だ、自由主義だとか、ナントカ言ったって、真実は真ん中にあるので、現実はそんな白黒はっきり分けられないんですよ。多少の違いは出るにしても、そんな大きな違いじゃない。大きな違いはやっぱり外交安全保障だと私は思うんですね。これについては自民も民主もぐちゃぐちゃだから・・・」
 よくぞ言ってくれたと思う。この点こそ私が言いたかった事であった。国内問題は結局のところどの政党も国民の生活を重視しなければならなくなってきている。最後は同じところに落ち着かざるをえないのだ。
 しかし外交安全保障政策はそうではない。意見の違いは大きい。そして自民も民主も、まともに安全保障政策を考え、論じる者が、あまりにも少ない。もちろん護憲政党の安全保障政策などは無きに等しい。要するに、この国にはまともな安全保障政策に関する論議が欠落してきたのである。それを真剣に議論する時が来ているのである。
 それでは江田憲司はこの最重要問題である外交・安全保障についてどう考えているのか。それを示すのが次の興味深い言葉である。
 「・・・やっぱり集団的自衛権を認めるかどうか、そこなんでしょう。日本の国民や国土を守るという点についてはコンセンサスができている・・・しかし、イラク戦争を支持して自衛隊を派遣したような、集団的自衛権の行使は反対だ、というのが私の立場です。  私は若手官僚の頃、集団的自衛権を行使して普通の国になれと思っていました。だけど橋本政権で官邸の中枢に入り・・・日米間の新しい安全保障宣言、それに続くガイドライン法(周辺事態法)の策定などに参画する過程で、今の政治家のガヴァナビリティのなさ、自衛隊のオペレーション能力のなさなどを体験的に知ってしまったんです。
 仮に、百歩譲って集団的自衛権の行使を認めるとしても、今の段階で集団的自衛権を行使して、米軍とともに戦うなんてことはとても出来ない。憲法理論とか理屈以前の問題で、そんな事を議論してもしょうがない。インターオペラビリティ(相互運用性)などありませんよ、今の自衛隊に。一緒に戦うと言ったって米軍に忌避されるだけです。しかも何も今更日本が軍事的に貢献して、他の200カ国近い国連加盟国と同じことやったって限界効用もない・・・ どんな小国でも持っているような集団的自衛権を行使して今さら軍事的に貢献しても、「ああ、そっか」っていうぐらいの話ですよ・・・そうじゃなくて日本に求められているのは、日本の得手の分野でしっかりと世界に貢献することでしょう・・・
 日本ではまったく責任も問われず、イラク戦争の総括もされないから政治家はいい加減になるんです。私は集団的自衛権の観点から、アフガン戦争にもイラク戦争にも一貫して反対しました・・・後方支援だって集団的自衛権の行使ですよ。日本にとって戦後はじめての事だったのに、小泉流の詭弁で簡単に通してしまった。イラク戦争なんて国際的な大犯罪だと思いますよ・・・そんなものに賛成した政治家は、懺悔して辞めるべきだと思いますよ・・・」

 元官僚出身で、元自民党の政治家で、ここまで自分の外交・安全保障政策を語った政治家を私は知らない。江田憲司とは是非一度外交・安全政策について話し合ってみたいものだ。彼の平和外交の考えが本物ならば、官僚支配打破と平和外交を二本の旗印に、思いを同じ政治家を集めて新党を結成してもらいたい。私はその新党を支持する。その必要性が今まさに求められていると思う。

 

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2009年03月10日

天木直人のメールマガジン 要旨 3月8日ー10日分


 天木直人のメールマガジン 要旨 3月8日―10日分

  2009年3月8日発行 第0090号

  対極にある生き様

 発売中の週刊新潮3月12日号の冒頭に、「こちら、撃ち逃げ」というタイトルの一枚の見開きの写真を見つけた。 それは小泉元首相、作家林真理子、奥谷禮子人材会社ザ・アール社長が、TSUTAYA創業者の増田宗昭なる人物に見送られるような形で、京都のお茶屋から出てくる写真である。
 つたや創業者の事については知らないが、後の三人は私がもっとも嫌う人物だ。小泉元首相の事は書くまでもない。林真理子は、うまいものとか、人間の美醜とか、金銭的な話とか、男女間の駆け引きとか、ブランド絶賛とか、まともな人間ならはばかるような人間の欲望を臆面もなく書き続ける事によって世に出た女性作家だ。奥谷禮子は、自己責任論を繰り返し、大手企業の弁護役を担っているいま活躍中の「財界人」だ。人材派遣業を生業としている。三人とも私がもっとも嫌う生き様を送る人物である。

 その写真には次のような解説がつけられていた。

 「“不機嫌の会”に参加していたんです・・・小泉さんは京都好きで、東京からわざわざ足を伸ばすこともあります」(事情通)・・・元首相が宴に興じていた日は、彼に続く造反議員を出すまいと与野党幹部が躍起になっていた。まさにそのとき、どこ吹く風と、一人5万円は下らない祇園有数のお茶屋で約5時間、彼は“不機嫌”どころか、ゴキゲンだった。政界引退目前で、後は野となれ山となれ、ということか。

 これら三人は、今の日本の苦しみなど、およそ自分たちとは無関係と思って生きているに違いない。この世の中には彼らと同じ考えに立ち、彼らの仲間であったり、彼らの話をありがたく聞くような人たちが多数いるに違いない。 そのよしあしを言っているのではない。人の考え、価値観、生き様は、様々だ。私は、この三人の生き様の対極にある生き方を選ぶ。対極にある人たちの側に立つ。良くも悪くも、好きも嫌いも、それが私という人間だ。私の言動の源だ。

 2009年3月8日発行 第0091号

 覇権大国が手を結ぶ事の恐ろしさ

 核軍縮について米国とロシアが合意したという国際報道が、あたかも喜ばしいニュースのごとく3月8日の新聞紙上をにぎわしていた。しかし、米ロの関係が良好になれば世界は平和になるのか。世界の人々が幸せになれるのか。
  二大覇権大国である米ロが、覇権国家としての自国の国益を二の次にして、世界の国々や人類の平和と繁栄の為に譲歩し合うという事はありえない。たとえ核軍縮に関する合意が米ロの間で結ばれたとしても、それはお互いにとって国益を損なうものでは決してない。それどころかそれぞれの思惑による取引に過ぎない。
 3月8日の読売新聞はいみじくもヒラリー・クリントン米国務長官の共同声明発表記者会見での次の言葉を報じていた。
「米ロは大量破壊兵器の拡散を深く憂慮する。我々は、この大切な分野で世界をリードする責任がある」、
「(米ロ)両国はアフガニスタン、中東、イランについて協力を深めていく」

 これを要するに、米国は「テロとの戦い」という名のパレスチナ弾圧政策を最優先事項であると宣言し、「テロ」が核兵器を持つ事は絶対に許さない、そう米国は世界に宣言しているのだ。

 もしロシアが、パレスチナ問題を自国の国益にとって二の次と考え、米国の「テロとの戦い」に協力するかわりに、自国にとってより重要な見返りを米国から取り付けよう、その見返りが得られるなら米国に協力してもよい、と考えるようになったらどうか。 パレスチナのハマス弾圧やアフガンにおける反米武装組織の掃討作戦が、米ロの了解のもとに一気に進む事になる。非人道的な弾圧と殺戮が放置されることになる。それを誰も止められなくなる。要するに覇権国家が手を結べば、何でもできる事になる。これほど危険な事はない。

 覇権勢力が手を結ぶ事の恐さを我々は知らねばならない。そしてそれは国際政治においてだけの話ではない。国内政治もしかりだ。政官財支配、いやそれに加えてメディア、警察、検察、司法、が手を結んだ勢力に、小沢なき民主党が加わったらどうか。政界再編後の保守大連立政権を想像してみたらいい。 そこでは体制に反対する声は見事に弾圧、抹殺され、人権までもが拘束されるようになる。対米従属が固定され、憲法9条がかなぐり捨てられる。

 2009年3月9日発行 第0092号

 日米合作の例がまた一つ見つかった

 私は3月6日のメルマガ第0087号で、日米関係はことごとく日米合作でつくられてきたと書いた。その例がまた一つ明らかになった。
 3月8日の東京新聞にこのような記事があった。私は知らなかったのだが、1945年の東京大空襲による犠牲者の遺骨約10万5千柱は、戦後、関東大震災(1923年)の犠牲者が納骨されている震災記念堂に合葬される事になった。空襲犠牲者の遺族から「間借りだ」と批判されている、いわゆる「震災・戦災合葬」である。
 この合葬案は、これまでGHQが考えた案とされていた。ところが長志珠絵(おさ しずえ)・神戸市外国語大准教授(歴史学)がGHQの文書を研究した結果、それは日米合作の案であったというのだ。重要な事は、長准教授が語っている次の言葉だ。
 「GHQの文書から分かるのは、日米とも元兵士にくらべ、空襲被害者に対する関心がほとんどないことです・・・(合葬をめぐるGHQとの交渉の一方で)空襲犠牲者の遺骨の身元調査すらしなかったため、戦後補償や追悼問題などを解決する可能性が閉ざされた。占領軍とともに、日本政府も問題を隠蔽してきた・・・」。
 日米合作で生み出された追悼政策は、そのほかの政策と同様に、常に「日本国民のため」という視点が欠落している。それが問題なのである。

 2009年3月9日発行 第0093号

 かき消されようとしている小泉発言

 「郵政民営化には反対だった」。この麻生発言にぶち切れた小泉元首相は、「呆れて笑っちゃう」と踊り出た。3分の2の議席を獲得したのは俺が仕掛けた郵政改革選挙だ。それを定額給付金成立に使うことは許さない、といわんばかりの傲慢発言をした。
 しかし、その目論見は外れた。世論がそれに動かず、自民党内部に同調者が現れなかった。それを見て取った小泉元首相は、「私は辞めていく人間だから、政局の話はしないし、かかわらない」と言って退散した。
 良くぞ言ったものだ。みずから政局を仕掛けておいて、それが奏功しないと見るや脱兎の如く撤退する。 笑っちゃう発言が出たのが2月12日、政局の話はもうしない発言が出たのが3月2日。わずか20日足らずの茶番劇であった。小泉元首相の政治的影響力は、これで完全に終わった。

 ところがこの重大な政治ドラマをメディアはまともに取り上げない。小泉批判をまったく行なわない。小泉改革の誤りを追及しようとしない。小沢秘書逮捕劇などが飛び出してこの問題が今やまったく忘れさられようとしている。 そんな中で、そうは許さないとばかり強烈な小泉批判をしている記事を見つけた。リベラルタイム4月号で堤堯(つつみ・ぎょう)という元文芸春秋編集長なるジャーナリストが、「小泉に麻生を『笑っちゃう』資格があるのか」という記事を書いていた。

 リベラルタイムがどのような雑誌なのか、堤堯氏がどのような考えのジャーナリストか、私は知らない。しかしこの記事ほど強烈に小泉郵政改革の欺瞞を批判した記事を私は知らない。小沢民主党政権がめでたく、無事できたら、小沢民主党政権は、「国策操作」と「郵政改革」の真相を、なんとしてでも国民の前に明らかにしてもらいたい。そうならないように自民党と官僚、メディアなどは必至になって小沢民主党を攻めいる。いや、攻められているのは小沢民主党だけではない。真相を突き止めたいと考えている我々国民でもあるのだ。

 2009年3月10日発行 第0094号

 村上春樹「エルサレム賞」受賞に思うー後日談

 私は2月25日のメルマガ第0073号で、村上春樹が「エルサレム賞」を受賞した事について、残念に思うという趣旨の私見を述べた。 その後私は注意深く新聞や雑誌の評論を見てきたのであるが、そのすべてが村上氏の受賞を素直に喜んだり、壁と卵のスピーチを、文学的表現でイスラエル批判をしたと称えたりするものばかりであった。

 そんな中で、3月9日の朝日新聞「風」でカイロ発平田篤央の記事が目にとまった。彼は書いていた。
 ・・・講演後、会場では大きな拍手がわき起こった。歓声も上がった。その場にいた私も感銘を受けた。しかし、何か、もやもやが残った。あえてイスラエルに来て、文学的表現で批判する日本の作家。それを受け止めるイスラエル人。知的な緊張と交歓。 そこに紛争の一方の当事者であるパレスチナ人、アラブ人は不在である。あまりに大勢が殺されて、一人一人の人格が消えて「1300人」という数字に置き
換えられてしまうのと同じように・・・

 私が驚いたのはその後に続く平田氏の記事である。彼はアラブの文学者はいったいどんな気持ちでこの受賞を受けとめているのだろう、とした上で、2月23日付のアラブ圏紙アルハヤトに載っていたレバノンの作家・詩人であるアブド・ワジンの論評を紹介しているのだ。それはまさしく私が2月25日のブログで紹介したものだ。 天下の朝日新聞のカイロ特派員のよりも2週間早く、私はアラブ人の気持ちを読者に伝える事ができた。それを自慢したくてこのメルマガを書いた事を白状する。

 2009年3月10日発行 第0095号

 イスラエルを左右する極右政党党首リーバーマン

 2月10日にイスラエルで総選挙が行なわれた。日本の報道は、「和平派が後退し、強硬派が議席をのばした。その結果強硬派中心の連立政権が避けられない見通しとなった。パレスチナ和平交渉は後退せざるをえない」、というものばかりだ。
 しかし、現実はもっと酷い事が行なわれている。それを教えてくれたのがニューズウィーク(日本語版)2月25日号であった。
 今度の選挙の最大の勝者は極右政党「わが家イスラエル」のアビグドル・リーベルマン党首だ。120議席中15議席を獲得し(それまでは11議席)連立政権のキャスティングボートを握る存在になった。イスラエル政治の中心に浮上したのだ。
 ところがこのリーベルマンはとんでもない強硬派で、イスラエル国内にいるアラブ系国民を認めない男だという。因みにイスラエル国内には現在130万人のアラブ系国民がいる。これはイスラエル人口の20%にもあたる。彼らは1948年にイスラエルが建国された時に新国家イスラエルにとどまった約16万人の住民の子孫であり、れっきとしたイスラエル国民である。それにもかかわらず今日まであらゆる差別を受けてきた。
 リーベルマンはこの差別をさらに進め、パレスチナ自治区のヨルダン西岸に追放し、さもなければ市民権を剥奪するという事を主張しているという。しかもその考えを多くのイスラエル人が支持しているという。とんでもないアパルトヘイト(人種隔離)政策だ。
 当然アラブ系国民の反発は高まる。イスラエルにとっての最大の戦いは、パレスチナ強硬派ハマスでも、それを支援するレバノンのヒズボラやイランとの戦いもない。これからは自国内のアラブ系国民との戦いが始まることになる。

 2009年3月10日発行 第0096号

 イスラエル建国時の秘話

 これから書く情報が、反ユダヤ主義者の根拠のない扇動なのか、それとも歴史学者の間で共通に認識されている史実なのか、私は知らない。しかし私には驚きの記事であった。
 「タブーなきラジカル・スキャンダルマガジン」と銘打った月刊誌「紙の爆弾」という雑誌がある。「噂の真相」が休刊になった後に、それを受けつぐ形で国家権力の弾圧に抗して世の中の不正を暴き続けている雑誌である。
 その3月号に佐藤雅彦と名乗るジャーナリスト、翻訳家が、イスラエルがなぜパレスチナで「ホロコースト」を続けているのか、について書いていた。その中で佐藤氏はイスラエル建国時の秘話を次のように書いている。そこにユダヤ人のパレスチナ人虐殺の一つのヒントがある。

 ・・・シオニズム運動がすべてのユダヤ人から歓迎を受けたわけではない。欧州先進国に定住したユダヤ人の中には(現地に受け入れられ)社会的に成功した者も多かった。こうした同化ユダヤ人は、文明果てる世界の果てにざわざわ移住して開拓生活で人生をやり直そうとは思わなかった。(しかし)シオニストは、移住ユダヤ人と旧住民との摩擦が起きはじめると、これを解決するために、さらなる移住者増加でパレスチナ旧住民を圧倒する道を選んだ。ユダヤ人の中にはこの選択を批判する者も当然いた・・・そこで、(これはほとんど語られない事実だが)、パレスチナのユダヤ機関はナチス政府と秘密移送協定を結んで、ナチスがユダヤ人の「パレスチナ移住」を推し進める見返りとして、パレスチナのユダヤ入植者がドイツ製品を積極的に輸入する約束をした。この協定でドイツ在住ユダヤ人の2割にあたる5万人以上が、パレスチナに逃げ込まざるを得ない状況に追い込まれた・・・シオニズム運動の開祖ヘルツルがイスラエル建国の「父」、最大の金づるロスチャイルドが「母」だとすれば、少なくとも欧州ユダヤ人をパレスチナに追い払う最大の推進力となったヒトラーはイスラエル建国の「産婆」役を担ったことになる・・・筆者はナチスの人種差別政策を心から憎む。それゆえにナチスを利用した勢力の悪辣さを許すわけにはいかない・・・

 この佐藤氏の記事を読んだ時、私は米国にいたときのユダヤ系アメリカ人が私に言った言葉を思い出した。彼は私にこう言った。われわれは米国で快適な生活を送っている。米国こそが自分たちがもっとも安心して快適に暮らせる国である。いまさらイスラエルに行く必要はない。しかしイスラエルはユダヤ人の存在を世界に示す政治的意味を持つ国家だ。イスラエルに移住して危険な中でイスラエル国家を守っているユダヤ人には申し訳ない罪の意識がある。だからわれわれは彼らがどんな無茶な事を言っても全面的に支援する

 2009年3月10日発行 第0097号

 漆間官房副長官を更迭に追い込めないメディアの不甲斐なさ

 北朝鮮とのミサイル戦争が起こりかねない緊急事態にもかかわらず、この国の政治は尋常ならざる権力闘争ですっかり麻痺している。メディアもまたその渦中に巻き込まれて右往左往だ。おどろくべき機能喪失状況が日本を覆っている。

 国策捜査があったかなかったか、などという馬鹿げた問題が議論されているが、次期首相が確実視されている政治家の政治生命を一瞬にして奪うような捜査そのものが国策捜査なのだ。

 考えてみるがいい。もし検察官僚が官邸に何の連絡もせずに小沢の秘書を逮捕したとしよう。それこそ大問題だ。官僚の分限を超える越権行為である。そんなことはあり得ない。

 だから今回の小沢秘書逮捕は、当然のことながら東京地検幹部から事前に官邸になんらかの形で伝わっている。そして官邸側がそれに対しどのような指示をしようが、しまいが、官邸が知った時点でもはや国策捜査なのである。

 ところが更に驚くべき事は、漆間官房副長官やそれをかばう麻生首相が、そんな発言はしていない、記者の聞き間違いだ、などと責任逃れをしたことだ。さすがに嘘をついては責任問題になるとばかり、記憶にないとか、認識の違いだなどと、直ちに言い直しているが、言っている事は同じだ。記者の受け止め方と自分が言ったこととは違う、記者が不正確に報道したのだ、と言い張っているのである。記憶にないといいながら、言っていないと言い張っているのだ。

 情けないのは記者たちである。20人ほどの記者は雁首揃えて皆聞いていたはずだ。だからこそ同じような記事を一斉に流したのではないのか。それが首相、官房副長官の保身の言い逃れで否定されたのだ。お前らの聞き間違いだ、不正確なことを記事にしたからこんな騒ぎになったのだと居直られているのだ。

 それに激怒しないような記者は筆を折った方がほうがいい。国民に真実を知らせるという記者魂を捨て去った骨抜き記者たちということだ。権力に従順な御用記者たちということだ。 一昔前ならメディアは官房副長官の首を即座にとったものだ。首相の責任までも追及したに違いない。

 もしこのまま漆間発言がうやむやのうちに不問に付され、漆間巌が大きな顔をしてそのまま官房副長官に居座るような事になれば、もはや国民はメディアには何も期待できないという事だ。メディアは名誉にかけて漆間官房副長官の首をとらなければならない。

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