日本は官製不幸の国だ その③
たとえば米国産牛肉の安全の問題がある。これに関しては、米国の政治圧力に屈して危険な米国産牛肉を輸入していいのかという点が大きな政治問題となった。私なども、もっぱらその観点からこの問題を見てきた。
確かに米国の政治圧力に配慮して米国を特別扱いすることはいつもの通りだ。それに、自らの検査体制のいい加減さを棚に上げて日本に再開を強く求める米国に対する反発は理解できる。
しかし、そもそも日本が検査方法として取り入れた全頭検査なるものが、果たして国際的にみて厳し過ぎることはなかったか、危険特定部位の除去を徹底する方向で安全性を高めるほうが効率的ではないのか、という意見もまた、専門家の間で存在していたのも事実である。
そして、政府のこの方針が、日本人のゼロリスク探求症候群(絶対的な安全感を求める気質)を刺激した以上、いまさら検査基準を切り替えられないという事情があるのではないかと思う。
その結果、おいしい米国産牛肉を安く食べられる、という国民の利便を損なったとしたら、やはりそれも官製不幸だ。ましてやこの問題で日米間に不必要な敵対感情が生じたとすればそれも不幸だ。
月刊文芸春秋新年号に、「農水省 食料自給率のインチキ」という記事が掲載されている。
この記事は、食料自給率40%という日本の現状に関する農水省発表の統計は、j実は農水省の予算獲得、省益追求のための統計操作である、と糾弾している記事である。
食料自給率にはカロリーベースと金額ベースの計算方法があり、一般的にカロリーベースのほうが自給率が低く出る傾向にあるというが、そのカロリーベースの計算方式においてさえも、自給率が更に低くなるような計算方法を農水省は使っているという。
すなわち農水省が発表しているそのカロリーベースの積算方式は、一人当たりの国産供給カロリーを一人当たりの総供給カロリー(国内+輸入)で割ったものだが、その総供給カロリーには、食べ残しや売れ残りの廃棄物のカロリーも含まれているという。しかし自給率をより正確に測るには、真に必要な総供給カロリー、すなわち食べ残しや売れ残り、廃棄食料の部分、を除いた数字を分母に持っていかないと正確なものにはなりえないだろう。
つまり農水省は意図的に食料自給率が低くなるような計算方式を使っている。その数字を使って「食料自給率を上げなければならない」という国民意識を煽り、自給率向上のための政策予算を増やそうとしているというのだ。
食品偽装が後を絶たない。しかし偽装が合法的に許されているケースもあることを私は最近知った。
11月23日の読売新聞に北海道ワインという会社の社長である嶌村さんという人が紹介されていた。
蔦村さんは、最近「完全『国産』主義」(東洋経済新報社)という本を出版して、国産ワインとして日本で売られているワインの原料の多くは外国から輸入されたワインであること、中には濃縮果汁を輸入してそれを国内で発酵させてワインをつくっている、それが国産ワインとして合法的に堂々と売られていることを告発した人である。
そのいかさま加減に反発して、価格競争力を度外視してでも、あくまでも国産ぶどうを使った国産ワインにこだわっているという人である。
官僚がつくり、実施、運用しているこの国のあらゆる政策の実態を一つ一つ検証すると、不当、ずさん、不条理なことが、無数に存在することがわかるに違いない。
サラ金規制にしても、公害、薬害、アスベスト問題にしても、冤罪、年金問題、裁判員制度にしても、非正規雇用問題にしても、およそあらゆる分野で、官僚がつくる政策で国民が不幸、不便な生活を強いられている。
まさにこの国は官製不幸の国ではないか。この構造を変えない限り国民は幸福になれない。
