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2008年12月18日

  日本は官製不幸の国だ その③

  たとえば米国産牛肉の安全の問題がある。これに関しては、米国の政治圧力に屈して危険な米国産牛肉を輸入していいのかという点が大きな政治問題となった。私なども、もっぱらその観点からこの問題を見てきた。

  確かに米国の政治圧力に配慮して米国を特別扱いすることはいつもの通りだ。それに、自らの検査体制のいい加減さを棚に上げて日本に再開を強く求める米国に対する反発は理解できる。
 
  しかし、そもそも日本が検査方法として取り入れた全頭検査なるものが、果たして国際的にみて厳し過ぎることはなかったか、危険特定部位の除去を徹底する方向で安全性を高めるほうが効率的ではないのか、という意見もまた、専門家の間で存在していたのも事実である。

  そして、政府のこの方針が、日本人のゼロリスク探求症候群(絶対的な安全感を求める気質)を刺激した以上、いまさら検査基準を切り替えられないという事情があるのではないかと思う。

  その結果、おいしい米国産牛肉を安く食べられる、という国民の利便を損なったとしたら、やはりそれも官製不幸だ。ましてやこの問題で日米間に不必要な敵対感情が生じたとすればそれも不幸だ。


  月刊文芸春秋新年号に、「農水省 食料自給率のインチキ」という記事が掲載されている。

  この記事は、食料自給率40%という日本の現状に関する農水省発表の統計は、j実は農水省の予算獲得、省益追求のための統計操作である、と糾弾している記事である。

  食料自給率にはカロリーベースと金額ベースの計算方法があり、一般的にカロリーベースのほうが自給率が低く出る傾向にあるというが、そのカロリーベースの計算方式においてさえも、自給率が更に低くなるような計算方法を農水省は使っているという。

 すなわち農水省が発表しているそのカロリーベースの積算方式は、一人当たりの国産供給カロリーを一人当たりの総供給カロリー(国内+輸入)で割ったものだが、その総供給カロリーには、食べ残しや売れ残りの廃棄物のカロリーも含まれているという。しかし自給率をより正確に測るには、真に必要な総供給カロリー、すなわち食べ残しや売れ残り、廃棄食料の部分、を除いた数字を分母に持っていかないと正確なものにはなりえないだろう。

 つまり農水省は意図的に食料自給率が低くなるような計算方式を使っている。その数字を使って「食料自給率を上げなければならない」という国民意識を煽り、自給率向上のための政策予算を増やそうとしているというのだ。

 食品偽装が後を絶たない。しかし偽装が合法的に許されているケースもあることを私は最近知った。

 11月23日の読売新聞に北海道ワインという会社の社長である嶌村さんという人が紹介されていた。

 蔦村さんは、最近「完全『国産』主義」(東洋経済新報社)という本を出版して、国産ワインとして日本で売られているワインの原料の多くは外国から輸入されたワインであること、中には濃縮果汁を輸入してそれを国内で発酵させてワインをつくっている、それが国産ワインとして合法的に堂々と売られていることを告発した人である。

 そのいかさま加減に反発して、価格競争力を度外視してでも、あくまでも国産ぶどうを使った国産ワインにこだわっているという人である。

 官僚がつくり、実施、運用しているこの国のあらゆる政策の実態を一つ一つ検証すると、不当、ずさん、不条理なことが、無数に存在することがわかるに違いない。

 サラ金規制にしても、公害、薬害、アスベスト問題にしても、冤罪、年金問題、裁判員制度にしても、非正規雇用問題にしても、およそあらゆる分野で、官僚がつくる政策で国民が不幸、不便な生活を強いられている。

 まさにこの国は官製不幸の国ではないか。この構造を変えない限り国民は幸福になれない。

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2008年12月18日

 日本は官製不幸の国だ その②

  この国では、官僚が法律をつくり、政治家が十分な理解もなくそれを成立させることによって、国民生活を左右する政策がつくられる。

  一つの法律ができれば、それに倍加する膨大な政令、省令、規則、ガイドラインが、官僚の手で独占的に作られ、法律以上に強力で具体的な政策となる。

 おまけに「運用」と言う名の裁量権で官僚はその権限をほしいままにする。

 問題は官僚たちが、本当に国民のためにこれらの政策をつくり、運用、実施しているかということである。

 多くの場合はそうだと考えるべきだ。

 公僕である官僚が、はじめから悪事をするために官僚になっていると考えるのは極端だ。

 彼らがつくる政策のすべてが反国民的であるというのは悪い冗談だ。

 しかし、その一方で官僚のつくる政策が国民を苦しめているケースが後を絶たないことも事実だ。

 なぜそうなるのか。

 何が国民にとって正しい政策かを見極める能力がなかったり、もっと極端に言えば単なる怠慢のために反国民的政策がうまれることがある。いわゆる不作為の罪というやつだ。

 もちろん悪質な場合もある。業界の利権のために、あるいは政治家の要求を満たして出世を狙うと言った保身のために、反国民的政策を悪意で(知っていながら)行うことがある。


 外務省の場合はこれに対米従属という配慮が付け加わる。最近の外務省はほとんどこれだけでその政策が決まっているかのごとくだ。

 省益や組織防衛を国民の利益より優先させるという場合もある。裏金や天下りなどはその典型だ。

 そして、官僚の政策が国民の利益に反することになる最大の要素は、なんといってもこれだろう。

 つまり、政策の誤りが明らかになっても、様々な理由でそれを隠し、あるいは誤りを潔く認めず、結果的に対策を講じない、あるいは大幅に遅れてしまうということだ。

 その陰でどれほどの国民がつらく、くやしい思いをしていることか

 こう考えると引用した養毛剤のケースも、次のように解釈することができる。

 なぜ米国で使われている薬がそのまま日本で認められないのか。

 体格や体力の異なる米国人に通用する薬を、そのまま日本に導入するのは危険だという理由は確かに成り立つ。

 しかしそれを科学的、専門的に十分検証した上で結論が出されているのか。

 責任回避のために安易に禁止することによって国民の利便を切り捨てていないか。

 思うに、官僚の仕事に求められるのは、国民の安全と国民の利便がぶつかり合うときに、ぎりぎりの判断を行って、その結果責任を取るという真剣な仕事ではないのか。

 その認識が、官僚主義の積み重ねにより、あるいは権力にあぐらを欠いて、大きく緩んでいるのが現状なのではないか。

 そしてこの養毛剤の場合は大正製薬との関係がでてくる。来年春から、米国産の養毛剤ではなく大正製薬の養毛剤の市販が許可される背景には、業者との利権関係はないのかという疑念が浮かぶ。

 実はこの養毛剤のようなケースは、我々の生活のほとんどの分野で起きているのだ。

 2回で終わるつもりであったが、長くなってしまったので、この続きを3回目の最終回で書くことにする。

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2008年12月18日

日本は官製不幸の国だ その①


  耐震構造偽装事件というのがあった。

  経費節約の為に建築設計士が偽の構造計算書を作成し、それを政府指定の検査機関が見抜けなかったために、地震に弱い建物が次々と造られていた、それが内部告発によって発覚した事件である。

 あの時、そもそも政府のつくった構造計算書作成のソフトに欠陥があった、つまり簡単に偽装しやすいソフトであったため、偽装が続出したのだ、という指摘が一部で囁かれた。

 追及をおそれた政府は、あわてて検査基準を厳しくしたため、建築会社による建築許可の取得が困難になり、建築件数が急激に少なくなった。

 その結果、建築業界が不況になり、これを称して「これは官製不況だ」という言葉が世の中に広まった。

 しかし、官製不況はこれだけではない。

 思うに今の日本は我々の生活のあらゆる分野において生活不況に陥っているのではないか。これを要するに日本は官製不幸の国ではないか。

 この事を2回にわけて書いてみる。

 世界の中にはひどい政治体制の国が多い。それに比べれば日本に生まれてよかった。そう考える国民は多いに違いない。私もその一人だ。

 しかし、そこから一歩進んで考えると、日本ほど官製不幸の国は世界でも少ないのではないか、という思いに行きつく。

 その理由はこうだ。

 世界で政治のひどい国は、誰の目にもそれがわかる非民主的国家、独裁体制国家、軍事政権国家だ。

 そのような国は世界から批判を浴びる。国民の反乱で指導者が引きずりおろされることもある。場合によっては殺される。

 要するに、指導者の極悪非道ぶりとその末路がわかりやすいのだ。

 ところが日本の場合は違う。

 国家権力の悪は決して極悪非道ではない。むしろ建前は民主的だ。

 だからその悪は目に見えない。それだけに、被害を受ける国民の救済も難しい。

 結果として国民は多大な不幸を蒙っても、泣き寝入りさせられることになる。

 その一方で権力者はその責任を問われることなく逃げおおせる。

 この国が世界に例のない官製不幸の国なのかもしれないと私が思うゆえんである。

 具体的な例に入ろう。

 すこし前の記事であるが、12月8日の日刊ゲンダイに、「育毛剤が突如として規制されるようになり薄毛に悩むオトーサンたちが怒っている」、という記事があった。

 毛が生えると評判のミノキシジルという成分が5%入った育毛剤が、厚労省の方針変更で、ある日突然一人一本しか購入できなくなったという。

 今まで5本、10本とまとめ買いをしていた人は、「これでは足りない、せっかく髪が太くなりつつあったのにどうしてくれるんだ」、と悲鳴を上げているという。

 その記事によれば、米国製のこの育毛剤は国内では市販を許されず、厚労省の認可を得た医療機関の処方がないと手に入らない。そこでこの薬を安く、大量に必要とする者たちは、違法と知りつつ米国から個人輸入で直接入手することになる。

 見かねた当局が、これをいつまでも野放しにできないと一人一本の規制強化に乗りだしたというわけだ。

 もっとも来年の春からは、ミノキシジルが1%入った養毛剤が大正製薬から市販されるようになるという。だからそれまで待てばいいということになる。

 ところがこの大正製薬の製品は一本5000円。しかも成分は1%というものだ。いままで5%の米製養毛剤を3000円で購入していた者にとっては、3000円の効果を得るのに2万5千円もかかる計算になる。

 怒りと経済的負担による悩みで(つまり買いたいけれど金が足らない)、さらにハゲそうだ、というオチでその記事は締めくくられていた。

 いかにも日刊ゲンダイらしい笑い話のような記事であるが、実はこの例の中に官製不幸のすべての要素が集約されているのである。

 次回はこの事について更に詳しく書くことにする。

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