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2008年12月28日

新しい日米関係の構築に向かって

 このブログをもって本年の最終回としたい。

 最後のブログのテーマを何にするか、私は実は少しばかり頭を痛めていた。書きたい事がいくつかあったからだ。

 そこにイスラエルのガザ攻撃のニュースが飛び込んできた。すかさずライス国務長官がイスラエルの攻撃を支持する声明を発した。悪いのは「テロを止めないハマスだ」と。

 このニュースを聞いた瞬間ブログのテーマが決まった。「日本は大変革の中で米国との関係をどう再構築していくべきか」。これである。

 思えば私の人生を変えたのは03年3月に始まった米国のイラク攻撃であった。私があの攻撃に反対した最大の理由はパレスチナ問題であった。イスラエルのパレスチナ弾圧を放置しながら更なるアラブ人の犠牲を招くイラク攻撃を私は許す事はできなかった。

 それはもちろん人道的、感情的な思いからである。しかしそれだけではない。パレスチナ問題が公正かつ根本的に解決されない限り、世界の平和と安定は望めないと確信していたからだ。

 米国の中東政策が公平、公正なものにならない限り、米国は衰退し、そして世界もまた混乱する。その思いは、あれから6年近くたった今も、私の中で、強まりこそすれ決して弱くなる事はない。

 そして、米国という国が正しい方向に向かわなければ、その米国との同盟関係をすべてに優先してきた日本の将来も危うい。

 私にとっては、日本の経済危機も、貧困問題も、政権交代も、日本が直面するあらゆる問題は、つまるところは米国がパレスチナ和平問題を正しく解決できるかにかかっていると思える。

 おりしも米国ではブッシュ政権8年のアンチテーゼとしてオバマ次期大統領が選ばれた。米国民も、世界や日本の国民も、それを熱烈に歓迎し、オバマ政権に期待を託している。

 そのオバマ新政権の最大の問題は、金融危機を克服することもさることながら、ブッシュ政権が始めた「テロとの戦い」にどう向かい合うかである。

 オバマ新政権はアフガンにおける「テロとの戦い」を強化する方針を打ち出している。アフガンを軍事力で安定化、民主化することを最優先にしているかのようだ。

 その一方で、パレスチナ和平については何も語るところはない。本年のノーベル平和賞受賞者であるフィンランドの前大統領アハティサーリ氏が受賞演説で述べた「パレスチナ和平実現を最優先に取り組んでもらいたい」という呼びかけに対しても、黙して語らない。

 そのようなオバマの米国との関係を、日本は、歴史的大変革の中でどう再構築していけばいいのか。この事に触れずして今年のブログを終える事はできない。なぜならばそのテーマこそ私が新年から腰を据えて発信していくメッセージのすべてに通底するテーマであるからだ。

 「百年に一度の世界経済危機」の引き金を引いたサブプライム問題は、米国の金融資本主義のモラルハザードを白日の下にさらした。それは、米株式市場ナスダック元会長バーナード・マドフ氏の文字通りの詐欺行為により日本の大手証券会社、金融機関を含む世界の金融資本が食い物にされていたという、前代未聞の巨額詐欺事件の発覚というおまけまでついた。

 もはや米国金融資本主義の時代は終わった。米国一極支配の時代は終わった。そういう声が右からも左からも嵐のように聞こえる。

 本当にそうだろうか。

 自由資本主義か社会、共産主義かというイデオロギー対立に今なお身を置いている者たちが、のた打ち回っている米国金融資本主義の現状をみて溜飲を下げたい気持ちはわかる。

 米国との戦争に敗れ、無条件降伏を強いられ、東京裁判という勝者の裁きを受け入れざるを得なかった日本、そしていまなお米国に軍事占領されている日本、そういう日本に我慢できない保守、愛国主義者たちが、ここに来て米国からの自主、自立を言い出すこともわかる。

 しかし、そのいずれも正しくはない。フランシス・フクヤマが12月28日の日経新聞「次の世界―危機の後に」で書いているように、「米国の力を見くびってはいけない」、「米国はなお強大」であり続ける、という認識を持たなくてはならない。圧倒的軍事力を誇る米国の優位は変わらない。

 金融資本主義の行き過ぎに歯止めをかける事はもはや世界の急務である。しかしその事が直ちにパラダイムシフトに結びつく動きにならないのはなぜか。
 自由資本主義体制を維持したい気持ちは世界の国民の大勢である。求められるのは金融資本主義や新自由主義の不正や行き過ぎの是正であり、人間に目を向けた自由資本主義であって、決して共産主義や社会主義への移行ではない。

 そういう情勢認識の中で、日本は米国との関係をどうとらえていけばいいのか。

 私は突き詰めると次の三つの考え方に集約されると思っている。

 その一つはいままでの大勢であった日米同盟至上主義の継続である。この考え方は残念ながら今後も当分続いていくだろう。

 この考えを取る人々は、出来れば米国がより適正で協調的な方向へ進んでいく事を期待はするが、たとえ米国が無理・非道な政策を重ねて行っても、それを黙認して従って行く。

 その根底には、世界が多極化、無極化に進むとしても、米国は常にその中の主要プレーヤーにとどまるという認識があり、いかなる国が国際政治の中で相対的に力をつけてこようとも、それが覇権国家であるかぎり米国より好ましい国にはなりえないという考えがある。そしてそれは正しい。

 しかし、この考えに従う限り日本は米国に犠牲を強いられ続ける事になる。そしてその犠牲のしわ寄せはつねに弱者に向く。つまり日本国民は分断され、米国に追従する強者がその他の弱者である大多数の国民を犠牲にしていく、その事実を国民に隠し続けていく、そういう状況が続いていくのだ。

 政治家であり官僚であり、あるいは財界人、メディア、有識者といい、いわゆる体制側に立つ強者は、口当たりのいい事を話してはみても、米国の無法に正面から異を唱えることはしない。押し付けられる犠牲を自らはたくみにかわし、そのツケを弱者にまわすことになる。その良心の痛みに目を閉ざし、耳をふさぐのだ。

 今日までの現状がまさにこれであった。そしてそれがこれからも続く可能性が高い。

 これを仮に親米保守と称するならば反米保守という第二の考え方が、これからは少しばかり大きくなってくるだろう。

 つまり、中国に物を言えず、米国に見放され、世界の国々から重要視されなくなる、この「自虐的」、「悲観的」な未来図に立って、なぜもっと祖国を愛さないか、なぜもっと、誠実に現実を見つめようとしないのか、という考えである。

 あの田母神論文事件はそのあまりにもお粗末な例であったが、彼のいわんとしている事をもう少しまともな形で保守論客が繰り返すであろう。諸君09年2月号で中西輝政京大教授が述べている「日本自立元年」などはその典型である。

 「振り返るなかれ、従属と安逸の歳月を。アメリカなき世界はもう幕を開けている」と主張するその論文は、憲法違反までしてイラクに自衛隊を派遣し、「決死の決断」をして忠誠を誓ったのに、その見返りが北朝鮮のテロ支援国指定解除だった。米国がおしつけた憲法9条にしがみつき、米国の核で守られている限り、日米同盟は我慢しなければならなかった「腐れ縁」である。
 しかし、米国の一極支配が終わり、多極化、無極化に進もうとしている今こそ、日米同盟はもはや日本にとって絶対ではない。いまこそ日本は自立しなければならない。中西氏はそう言うのだ。

 そこには傾聴する考えもあり、閉塞した国民感情にも訴えるものがある。だからこそ田母神論文を支持する者も多いといわれるのだ。

 この考えを取る者たちは、ある意味で純粋、正直な人たちである。親米保守がずる賢い現実主義者であるとすれば、反米保守は裏表のないお人良しだ。

 しかし、この考えには決定的な限界がある。外交的自立のためには自主防衛の強化しかないと決め付けるところである。その考えは核武装も辞さないというところまで行き着かざるをえない。

 このような考えを米国は決して容認しない。このような考えは中国やアジアと無用な摩擦を起す。何よりも国際社会で日本は孤立する事になる。決して日本のためにはならない。

 このいずれでもない第三の考え方、つまり憲法9条を盾にして米国からの自立を図る、この考え方こそ、日本が目指すべき方向であり、正しい日米関係である。

 前掲の諸君2月号にスティーヴン・ヴォーゲルカリフォルニア大学教授のインタビュー記事がある。そこで彼はこう言っている。

 ワシントンのエリートたちの考えは、日本がアメリカと同じ方向に進んでいる限り日本を認めるというものである。米国の本音がそうである以上対等な日米関係を築く事は困難である。
 しかしそれを許してきたのは日米同盟以外の確固たる外交思想を持とうとしなかった日本である。日本は米国の要求に屈して本来憲法9条では認められなかった事でもどんどんと応じてきた。そのため、いくら日本がこれはできない、と言っても、もはや米国は納得できなくなってしまった。
 日本が本来の憲法9条を守り、(米国の無理な要求は)認められないと主張すれば、米国も日本の主張を受け入れざるを得ないと思う、と。

 情けないと思わないか。米国の知日学者にここまで指摘されているのである。

 第一の考えに立つ人たちが日本を動かしている限り日本は米国からの自立は望めない。第二の立場に立つ人たちでは日本の国益は守れない。平和外交を日本の譲れないプリンシプルとして確立し、米国に正しい外交を求めていく、それこそがこれからのあるべき日米関係である。

 その事を、我々国民の一人一人が気づかなければならない。その為に私は書き続けていく。

 日本共産党や社民党よ。憲法9条擁護を叫ぶ自分たちが偉いのではない。憲法9条が偉大なのだ。その憲法9条がここまで踏みにじられている時にどうして力をあわせて行動できないのか。力をあわせ国民を動かす事ができないのか。

 日米同盟廃棄を訴える左翼イデオロギーの人々よ。私はその考えに同意する。しかし反米を叫ぶだけでは国民の心を動かす事はできない。正しい日米関係はいつまでたっても構築できない。

 正しい日米関係は国民の手で作り上げなければならない。国民にこれ以上犠牲を強いる事のない日米関係、それは憲法9条を掲げて日本国民が戦争国家米国の非を世界の目の前でたしなめることのできる、そういう対等な日米関係である。

 いまこそひとりでも多くの国民がこの事に気づいて欲しい。そういう思いで今年のブログを終える事にする。

 読者の皆さん、ご愛読ありがとうございました。よいお年を。

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2008年12月27日

やがて火を吹くアスベスト問題

  元国鉄職員二人の遺族と旧国鉄らが争っていた損害賠償訴訟が、25日和解した。この事がメディアによって26日に一斉に報じられていた。

  しかし、そのニュースを見たり読んだりしている一般国民のはたしてどれだけの者が、アスベスト問題の深刻性に気づいているのかと思う。

  二人の元国鉄職員は、石綿の粉塵が飛散していた作業現場で、マスクの着用も指示されることなく長年労働に従事させられていた。

  アスベストの吸引が原因でその二人は悪性中皮腫となり、04年と08年に死亡した。その補償をめぐっての訴訟である。

  しかしアスベスト被害訴訟はこれだけではない。最近の新聞記事を注意して見ると、例えば12月18日の毎日新聞には車両メーカー「近畿車輛」がアスベストによる労災で死亡した社員の遺族に上積み補償をする方針を決めたと報じていたし、12月11日の朝日新聞は韓国のアスベスト被害者が韓国のアスベスト工場に出資した日本の建材メーカー「ニチアス」らに対し集団損害賠償訴訟を起したと報じていた。12月18日の産経新聞は、阪神大震災直後に営業で走りまわった建設会社員がアスベストによる中皮種におかされて余命2年を宣告されたという記事を掲載し「忍び寄る震災アスベスト禍」を警鐘していた。

  アスベスト禍は潜伏期間が20年―50年とされていることや、発病との因果関係が明瞭でない事などにより、問題が隠されている面がある。しかし医学や科学の進歩により因果関係がより明確に突き止められるようになると、アスベスト禍の問題は大きな社会問題となることは間違いない。

  重要な事は、アスベスト問題は、単に過去の被害の救済問題にとどまらない事である。より深刻な問題は、全国のいたるところに何百万単位で存在するアスベスト使用の建造物の修理、改築を行う時、アスベストの存在を確認し、その塵埃を未然に防ぎ、いかに安全にそれらを廃棄するか、である。そのための適切な法整備がなされているかということである。

 いうまでもなく、日本でアスベスト問題が起きた最大の原因は、欧米やWHOではつとにその危険性が指摘され、使用禁止になっていたアスベストを、何故日本だけが使用し続けていたかである。被害者が判明して大騒ぎになってやっと禁止されたのはわずか2,3年前の事である。それまでの間、アスベストは使用され続けてきた。その結果が大量のアスベスト使用建造物の存在だ。

 私がこの問題になぜ注目するかと言えば、このまま誰も問題提起をせず、いたずらに月日が経っていけば、公害、薬害、耐震構造問題などの例に見られたように、行政の不作為による国民の犠牲がまたもや起きるからである。これ以上誤りを繰り返してはならない。

 アスベスト問題はその所管が複数の省庁にまたがる。総務省(旧建設省)、厚生労働省、環境省、経済産業省などがそれだ。

 前向きな仕事には競ってその業務の奪い合いにしのぎを削る省庁も、やっかいな仕事となるとその業務を押しつけあう。責任を押し付けあう。これを官僚用語で「消極的権限争い」という。そこに、「適切で迅速な立法措置、行政措置」の遅れや空白が生じる危険が潜む。

 実際のところ、このアスベスト問題は、建造物が老朽するまで手をつけずに封じ込めて置けばよいうというような考えや、法整備が整う前に耐震強化工事や修理工事の名にかこつけて気づかれないうちに除去してしまおうという考えが、ひそかにひろがりつつあるとも聞く。

 もし問題意識を持ったメディアがこの事に警鐘を鳴らし、良心ある内部告発者が現状を世に知らしめるようになれば、このアスベスト含有建築物の解体、修理問題の疑惑は表面化し、アスベスト問題は一気に火を吹く事になるだろう。政治と行政の不作為の責任が糾弾される事になる。

 問題はいつアスベスト問題に火がつくかである。

 
 
 

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2008年12月26日

「もみじマーク」表示の義務付け廃止と裁判員制度導入問題

  警察庁は12月25日、「もみじマーク」表示を罰則つきで義務づけている現行の道路交通法を改正する試案をまとめ、年明けの通常国会に提案することを決めたという。

 このニュースを報じる26日の産経新聞はその背景を要旨次のように書いている。

 ・・・本年6月から施行されてきた改正道路交通法は、それまで努力義務にとどまっていた「もみじマーク」表示を、75歳以上は義務制とした。それがわずか半年あまりで異例の再改正になった背景には「高齢者いじめ」として世論に激しく批判された後期高齢者医療制度の影響がある・・・

 一度つくった法律や政策を、あっさりと修正、撤回することは確かに極めて異例だ。政権政党の威信と官僚の責任問題がかかっているからである。

  それを行なわなければならないというのは、よほど世論の力が政治に影響力を与えるようになったということだ。

  しかし政府や官僚が世論の圧力に常に屈するわけではない。それどころかこの「もみじマーク」のケースは例外的である。それは事柄がたいした話ではないからだ。

  その証拠に後期高齢者医療制度については、これほど世論の反対が強いのにいまだに撤回する気配はない。説明不足だった、国民の更なる理解を促す、などと繰り返すばかりだ。

  この後期高齢者医療制度の二の舞となるのが裁判員制度である。

  私はかつてこのブログで、見ているがいい、裁判員制度導入の問題は、第二の後期高齢者医療制度問題になる、と書いた。

  その意味は、官僚の勝手な論理でつくられた法案が、官僚に丸投げの国会議員の賛成であっさり成立する。そこまではよかったが、いざ実施の段階でその欠陥に国民が気づき、猛反対の嵐が吹きすさぶ、という事である。

  案の定この裁判員制度は、それから徐々にその中味が国民にわかるようになって、今では至るところで反対の声が聞かれるようになった。

  それはそうである。そもそも裁判員制度を急いで導入しなければならない積極的な理由はどこにもない。その一方で問題点は山ほどある。

  なにしろ司法の専門家の間で続々と異論が提起されているのだ。

  象徴的なのはサンデー毎日新年号(1月4-11日号)に書かれている竹崎最高裁長官と司法修習の同期生である高山俊吉弁護士の口論である。一体何なんだ、このお粗末は。
  
  裁判員制度導入にこだわる者たちの最大の問題は、選ばれた国民の4割もが辞退したいと言い出してきたことだ。おまけに反対者の中から訴訟まで提起されている。

  そんなことならはじめから希望者だけの任意制にしておけばよかったと思うのだが、そうすれば希望者がなくなって制度自体が成り立たない、という背景があったという。笑い話のような裁判員制度導入である。

  その一方でこんな投書があった。12月3日の朝日新聞投稿欄にあった81歳の匿名の投書である。その投書は裁判員に選ばれた通知を受け取った喜びを次のように書いている。

  ・・・裁判官を目指して日夜励んだがついに司法試験に合格できず法曹への夢はあきらめた。そこへ50年後にまたとない機会に恵まれた。悪い事をすれば罰を受けるのは当たり前だ。私なりの正義感で善悪を判断したい。私はいまとても胸躍る思いがしている・・・

  こういう者もいるのである。こんな裁判員に裁かれてはたまったものではない。

  裁判員制度の導入は見合わせたほうがいいと思う。

  ところがこの裁判員制度を導入した張本人が11月25日に最高裁長官となった竹崎博允氏であるという。当時の新聞が報道していたところによれば、当時東京高裁長官であった竹崎氏が、最高裁判事を経る事なく64歳の若さで一気に最高裁長官に抜擢された理由が、この裁判員制度を定着させる事にあるという。70歳の定年まで6年間もあるから十分な年月はある、というのだ。

  これでは面子にかけても裁判員制度を撤回するわけにはいかない。

  しかし、世の名は面白くできている。金融危機が及ぼす超ど級の国民経済の困窮は、間違いなくこの裁判員制度の実施にも影響を与える。国民はそれどころではないのだ。これはさすがに想定外であったに違いない。

  果たして政府は来年5月に予定通り裁判員制度の実施を強行できるのか。けだし見ものである。

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2008年12月26日

 内部留保論争ふたたび

 12月26日の産経新聞に来年の春闘は労使の厳しい対立が予想されるという記事があった。 私もまったくそう思う。

 正規、非正規を問わず雇用問題は待ったなしだ。それに加えて賃上げ要求も先鋭化する。雇用か賃金かという状態を通り越して雇用も賃金も同時に満たされないと生活は出来ない、そこまで労働者の生活は追い込まれているのだ。

 しかし企業も生き残らなければならない。

 必然的にこの労使対立の核心は、昨日のブログで指摘した大企業の内部留保の分配問題になる。

 年明け早々にもこの問題が連日のようにメディアで取り上げられる事になるだろう。それを予兆させるような記事が12月26日の毎日新聞「論点」に掲載されていた。

 政府への正しい政策を提案する大竹文雄阪大教授は次のように述べている。

 「・・・02年以降の景気回復期に企業収益が増加し続け株価が高騰したにもかかわらず、労働者の賃金は上昇しなかった事を忘れてはならない。好況期に積み上げた内部留保を使って企業が雇用を維持するのが筋であろう・・・(企業側が)内部留保では、雇用や賃金を維持できないというのであれば政府の出番である。好況期の過大な内部留保から便益を受けた資本家や高所得層への課税を強化し低所得層へ所得を再分配するか、公的支出を増やして、職を失った人たちを雇用すべきである・・・」

  労働者、とくに非正規労働者側を代表して関根秀一郎派遣ユニオン書記長は次のように労働者派遣法の抜本改正を主張する。

  「・・・不況はたんなるきっかけに過ぎない。いつでも雇用調整可能な労働力として派遣労働を拡大したのだから、ひとたび解雇の弁を開けばいつでも大量の失業者が生み出される労働市場が形成されていたのだ・・・(それはあたかも)部品の在庫を置かずに必要な時に必要なだけ部品を取り寄せる「ジャスト・イン・タイム」と同様の事態を招いた・・・しかし労働者は部品ではない。余剰だからといって切り捨てられたら生きていくことができない・・・(急がれるのは)労働者派遣法の抜本的な改革である・・・」

 これらに対し川本裕康日本経団連常務理事は次のように語る。

  「・・・(各企業には、労働者の諸権利確保を定めた法令上のルールを遵守し、雇用確保に向けて可能な限りの努力をお願いしたいが、)経営環境が危機的状況に陥っている企業では、その努力にも限界がある。そこで官民が協力して雇用のセーフティネットの充実を急がなければならない・・・一刻も早い景気回復こそが最大の雇用対策である・・・」

  この議論はそのまま春闘交渉に直結する議論である。

  重要な事は湯浅誠がその著書「反貧困」で言っているごとく、相手を引きずり下ろす競争ではないということだ。
  そして、これが最も重要な点であるが、これから本格的に襲ってくる金融危機の影響は、従来の考え方を革命的に変えていかなければ対応できないほど深刻であるという事だ。
もはや皆が助け合って行かなければ共倒れになる、そういう共生の認識こそ必要ではないのか。

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2008年12月25日

読者の皆様へ


  読者の皆様には2年の間おつき合いいただきありがとうございました。12月28日のブログをもってとりあえず今年のブログを終了します。
 
  その後は、すでにお知らせの通り2009年1月1日よりまぐまぐ有料配信である「天木直人のメールマガジンー反骨の元外交官が世界と日本の真実をリアルタイムで解説」に移行します。

  すでに以下のURLが立ち上がっていますので参照ください。

 http://premium.mag2.com/lineup/P0007564/index.html
 http://premium.mag2.com/lineup/

  私がこのブログを有料配信に切り替えることにした最大の理由は、一言で言えば新年を境に心機一転するということです。

  メディアの裏にある真実を少しでも伝えることによって一人一人の覚醒と自立が促進されるのであれば私のブログも無駄ではない、そういう思いで二年間書き続けてきました。

  今それらの一つ一つを読み返してみて、多くの読者の参考になったに違いないという自負がある反面、悪化する一方の日本の政情を目の当たりにして、このまま書き続けても限界があるという無力感が交錯します。

  もし私があきらめて、世の中の動きから身を離して余生を送る事を決めていたら、書く事を完全に止める選択をしたでしょう。勿論その選択はありました。

  しかし世の中は歴史的な激動期に突入しようとしています。日本の政治も来年は戦後初めてと言っていいほどの大きな変化が起きそうな予感がします。

  世界や日本はどうなるのか。それを見届けるためにもやはり書き続けたい、そのためには、もっと真剣に、もっと覚悟を決めて書いてみたい、そう思ったのです。

  同時に読者にも覚悟を求めよう、そういう取引を読者に提示しようと思ったのです。

  読者に求める覚悟とは、単に月額500円を負担してもらうという事だけではありません。覚悟を決めて今まで以上に必死の思いで毎日書き続ける私の文章を、単に読み流して批判をするといった傍観者から一歩抜け出し、ともによりよい世の中を実現するための一大挑戦に取り組んでみないか、そういう覚悟をしてくれないか、という私からのお願いです。

  一人の市民に何ができるというのか。その思いは私についてもまったく同じです。

  しかし無力な一市民でもその気になれば権力者に影響力を及ぼす事が出来る。その声が一つになって大きくなっていけば、そう信じて書いて行きます。

  私のこの思いについての詳細は2009年元旦の第一回の配信で述べさせていただきます。

  同時に、新年に入っても私のこれまでのブログ「日本の動きを伝えたい」も継続する事にしました。

  購読できない若い読者から、いままで勉強させてもらった、読めなくなるのは残念だという声がありました。これにはズシリとこたえました。

  私のエネルギーは有料配信に振り向けますから、書き込む頻度は少なくなると思いますが、有料配信とは重複しない独自の書き下ろしで、今しばらく発信し続けることにしました。負担は今までに倍加することになりますが、これも一つの私の覚悟です。
 
 最後に有料メルマガを考えておられる読者に以下の通りお知らせします。

 現在クレディットカードだけの支払方法ですが、準備が整えばいずれ銀行振り込みも可能になるということですので今しばらくお待ちください。

 活字を大きくしてもらいたいという要望については、購読者が利用中のメーラーやウェブブラウザによって対応ができるという事です。つまり読者がメーラーやブラウザのオプション内から「表示」または「フォント」などの項目を選択して変更していただく事になる由です。

 新しいメールマガジンに関する詳しい問い合わせは読者から直接に管理者publisher@magpre.com
へ照会していただいて結構だという事ですので、よろしくお願いします。

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2008年12月25日

リストラの嵐と大企業の内部留保

 分不相応に難しい事を書いてみる。

 12月24日の東京新聞は、トヨタ自動車やキャノンなどの日本を代表する大手製造業16社が、リストラ加速の一方で巨額の内部留保を積み上げている事を、一面トップで大きく取り上げていた。

 この内部留保の問題にここまで大きく焦点を当てたのは大手新聞では東京新聞が始めてではないかと思う。おそらく今後はこの問題が折に触れメディアで報じられていく事になるだろう。

 なぜこの問題が重要なのか。

 それはもちろん東京新聞が書いているように、「過去の好景気による利益が人件費にまわらず企業内部に溜め込まれている」ことが経営者の正しい対応なのか、という事にある。

 しかし、その事をさらに一歩踏み込んで考えると、資本主義と社会・共産主義の立場の違いという根本問題に行き当たることにきづく。

 内部留保問題を厳しく追及するのは左翼イデオロギーである。

 今では日本共産党さえもアメリカ資本主義の手先だ、などと批判する左翼政党に労働党というのがある。その労働党の機関紙である「労働新聞」12月15日号は、大企業の巨額な内部留保をこう激しく糾弾している。

 「・・・大企業はこの数年空前の利益を上げ続け、それを溜め込んできた。このわずかな分でもはき出せば、非正規労働者の雇用を維持してもおつりがくるぐらいである。企業の不況宣伝にだまされてはならない・・・」

 労働新聞のこの記事は、単に感情論でそういっているのではない。公表されている統計を使って独自の計算を重ね、解雇される労働者の給与総額が、配当金額や利益余剰金の巨額と比べていかに少ないかを検証してそういっているのだ。大企業が配当金や内部留保のわずかな部分をまわしさえすれば労働者の雇用や賃金を守る事はまったく可能なのだ、という主張は説得的だ。

 しかし企業サイドが配当金や内部留保を重視せざるを得なくなった理由が存在する事もまた事実である。そしてそれは、近年急速に進んだ政府による米国型新自由主義政策の導入によるところが大きいのである。

 12月25日の読売新聞「論点」で藤村博之法政大学教授(労使関係論)は、次のように指摘している。

 わが国の株式市場を急速にアメリカ型に変えて行ったため、短期の業績向上が企業の意思決定の基準になった。つまり毎年の利益最大化を怠れば経営者には株主代表訴訟が待っている。「コスト削減で利益がだせたはずなのに、そうしなかったのはけしからん」。「会社に与えた損害を補償せよ」と株主から訴えられる結果を招きかねない現実もまたある、と。

 最近の経済記事を見てみると、このほかにもいくつかの要素があることがわかる。

 景気循環が見通せるこれまでの経済では、不況の次に来る好況と重要拡大に供え、一定の余剰人員を抱えていたほうが得であり、それゆえに余剰人員を抱えて我慢する事もできた。しかし、バブル後の長期不況と不透明化は、その余裕をなくした。

 またバブル崩壊で体力の落ちた銀行は、自己資本比率の引き上げというルール変更とあいまって一気に融資条件を厳しくしていった。いきおい各企業とも財務基盤を強化する必要に迫られ、それが内部留保を高めさせた。

 色々と考えてみると、「リストラと内部留保」という問題は、政府の政策の結果によるところが大きく、それは自由、資本主義経済か社会主義政策かのどちらかに軸足を置くか、という根本問題に行き当たる問題である事がわかる。

 前掲の藤村教授は現在の矛盾を次の言葉で表している。

 「・・・企業は売り上げが減ると、それにあわせて費用を削ろうとする。人員も費用の一部だから削減の対象となる。しかし失業者の増加と賃金の停滞が個人消費をますます冷え込ませる・・・」

 この悪循環を断ち切ろうと皆が頭を痛めている。

 問題はアメリカ発の金融危機によってもたらされた金融資産の消滅額があまりにも大きく、それが実体経済に与える悪影響が未経験なほど大きい事である。それにともなって個人生活への打撃は深刻なものに違いない。

 我々はどこまでその深刻さに気づいているのか。

 ひょっとして我々の想像をはるかに超えるチェンジを起さないと世の中は大変な事になるのかもしれない。

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2008年12月24日

拉致問題の真実を求めて

 
私は、12月14日の産経新聞紙上で、元脱北工作員の幹部である張哲賢という人物が都内で開かれた集会において、「02年9月17日の小泉電撃訪朝の裏には、拉致被害者の救出ではなく、拉致を認めさせる事だけで手を打ち、その見返りに100億ドルの援助を約束した」という趣旨の発言をしていた事を知った。

 そしてその事を14日のブログで書いた。

 この発言を知った時、過去数年日本外交が奔走してきた拉致問題の真の解決にとって、この発言は決定的に重要な意味を持つと思った。

 それにもかかわらず、そしてこの張哲賢氏の発言は公開の場で行なわれたにもかかわらず、なぜメディアは産経新聞しかこれを書かないのか。

 その素朴な疑問を、やはり私は14日のブログで呈した。

 それから10日あまり、やっと週刊新潮(1月1・8日新年特大号)がこの事を報じた。

 しかも張哲賢氏との詳しいインタビューに基づいた記事として。

 小泉元首相は「拉致問題」で1兆円支払いを「密約」していた!という見出しで4ページにわたって検証しているその記事は、国民にとって必読の記事である。

 なぜならば、その証言が事実であれば、国民はこの数年間日本政府にだまされ続けていたことになるからだ。

 週刊新潮の記事を詳しく引用する余裕はないが、私がここで指摘したいのは、次の三点である。

 まず張哲賢という人物の証言の重みである。
 元駐日韓国公使(現早稲田大学客員研究員)の洪榮氏は、これまでに1万6千人以上にのぼる脱北者の中で北朝鮮労働党中央本部の事がわかるのは、あの黄長華元労働党書記とこの張哲賢だけであり、北朝鮮の先軍政治の秘密を熟知している点では張氏のほうがはるかに上回っている、と言う。
 文字通り張氏は、金正日体制下の北朝鮮を語りうる第一人者である。
 
 二つ目には、その張氏が、日朝交渉の誤りのすべてが、「拉致を解決したら100億ドル」というべきところを、「拉致を認定すれば100億ドル」と譲歩した、この最初の密約にあった、と指摘する点である。

 三つ目は、金正日は父親である金日成の死(1994年)のはるか前から権力を移譲されており、それを金正日は更に権力を集中させて一人独裁制に高めたという点である。
 つまり指示をだせるのは金正日ただ一人であったという事である。
 このことは、「拉致は一部の妄動者の行動であり処罰した」という金正日の発言を繰り返し強調し、これを「拉致を認めて謝罪を行なった」と説明していた日本政府の発表は、国民をだましていたという事である。
 それを流し続けたメディアは国民を誤誘導する片棒を担いだという事である。

 これ以上書く必要はもはや不要であろう。

 その後に続く日本の北朝鮮外交は見事に行き詰まった。

 小泉北朝鮮外交は、「テロとの戦い」にこの国をのめりこませた対米従属外交とならんで、あるいは、拉致被害者家族の心をもてあそんだという意味でそれよりもはるかに罪深く、その最初から大きな間違いをおかした外交であった。

 ここまで重要な証言が公表されたのだ。

 国会はこの証言の真偽を国民の前に明らかにする義務がある。

 それにしても、張哲賢氏の証言を聞きだして週刊新潮の記事にしているのがあの桜井よし子氏である。

 産経新聞の記事といい、週刊新潮の記事といい、なぜ右翼的な立場のメディアや言論人しか、拉致問題を追及しないのであろうか。

 なぜリベラル、人権派の立場に立つメディアや指導者の拉致問題に対する取り組みが見えてこないのか。

 小泉元首相が逃げおおせられる理由はここにあると思う。

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2008年12月23日

 晩年の母への深いまなざし

 本当は、私は政治の事など、我々の人生のなかでは瑣末なことであると思っている。どうでもいい事であるとすら思う。

 我々ひとりひとりの人生において最も重要なことは、その人生を毎日どう生き続けるかと言う事だ。個人的な日常生活の繰り返しのなかで、我々は喜び、苦しみ、悲しみ、笑いながら生き続けている。

 嫌でも生きていかなくてはならない長く退屈な人生を、あるいは、つらく厳しい人生を、さらにまた、あっという間に過ぎ去ってしまういとおしい人生を、生き続ける。

 その過程で生まれては消えていく様々なドラマこそ、重要であり、感動的ではないのか。

 一週間ほど前の新聞で読んだ書評を今思い出している。

 萩原朔太郎の娘である作家の萩原葉子の死後、その波乱の人生を息子の萩原朔美が書いた「死んだら何を書いてもいいわ」(新潮社)という本が最近出版された。ノンフィクション作家である久田恵がその書評を書いていた。

 もはやその詳細は思いだせないのであるが、今でもはっきりよみがえる文章がある。

 それは、冷淡で親不孝な息子という位置に立った著者の朔美が、あれほど気丈で奔放だった母葉子が老いていく、その「弱い母」を見るのが嫌で、同居後は怒ってばかりいた、と悔やむ箇所である。

 自由かつ強く生きた母がついに動けなくなって、息子に同居を頼む。その時、小さな声で、「死んだら(私のことを)何を書いてもいいわ」と小声で繰り返したという。その最後の願いを叶えて書いた「冷たい」息子の文章に、久田は深くて優しいまなざしを感じ取るのだ。

 三年前に88歳で亡くなった私の母もそうだった。早くして夫と死別した母は、私と姉が独立した後は、夫にせがんで造らせた京都の家で長い間一人で暮らしていた。

 外務省に働きだして家を離れてからというもの、ほとんど母と顔を合わすことのなかった私は、5年前、外務省を突然解雇された後は母と同居して最後の日々を過ごそうと考えた。私は母の自慢の一人息子だった。

 その私もまた、朔美のように、気丈だった母がすっかり衰えているのを見るのがつらかった。苛立った。やがて、政治活動に忙しくなり面倒を見切れなくなったというのを自分自身への言い訳として、母を養護施設に入れてしまった。

 息子から離れた母は目に見えて弱くなり、楽しみにしていた桜の季節を目前にして肺炎で急逝した。 私は母親の死に目に会うことは出来なかった。

 主のいなくなって空き家のままとなった京都の家を、墓参りと清掃をかねて私は時々一人訪れる。今もそうだ。

 庭木を手入れし、積もった落ち葉を除き、新年を向かえる形だけの清掃をして再びその家を後にする。

 もしあの時、私が政治活動などのかかわらず、母と一緒に暮らしていたらどうだったのかと自問する。

 萩原朔美の著書は、親不孝だった冷たい自分を、思い出させてくれた。

 

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2008年12月22日

読者からの反応を読者に伝え、あわせて私のブログの趣旨を明らかにしたい

 書くべきテーマは他にもあるのだが、今日のブログはまずこのテーマについて書きたい。

 政局がらみの記事は気が滅入るのでなるべく書きたくなかったのだが、今の政党、政治家ではどうにもならないので、最近のブログで立て続けて新党構想について書いてみた。

 それに対する反応が気になったので、参考までにそれを読者の皆さんに紹介し、あわせて私のブログの趣旨を明らかにしておきたい。

 私のブログは、様々な理由で、不特定多数の読者相互間の議論の場にはしないという大方針で書き始めた。それはこのブログの読者であればご承知であると思う。

 最初は一切の意見を受け付けないブログ、つまり私の一方的な発信のブログにするつもりであったが、それではフェアではないと思って、私と読者の一対一のやり取りはできるようにしている。

 読者は意外に思われるかもしれないが、このブログに寄せられる声は少ない。毎日数えるほどである。

 大多数の読者は、思うところがあっても意見を述べない。それでいいのだ。黙っているけれど、色々な思いを抱いてこっそり読む。そうすることによって自分の知識や考えを確認する。それでいいのだ。そういう読者のために私は書いてきたのである。

 ブログへの反応にはパターンがある。まず、同意します、応援します、というものや、関連情報を提供してくれたり事実誤認を指摘してくれるものである。ほとんどがこれだ。これには感謝している。

 もうひとつは、ブログの内容に異論を唱えるものだ。その中には論理もへったくれもなく、ただ罵声を浴びせるだけのものから、内容をともなった反論があり、更にその反論の中でも、私と基本的立場の違う人からの常態的、全面的反論と、大方の意見には賛成してきたがこのブログの意見だけはいただけない、という部分的反論である。

 私は、たとえそれが応援の声であっても、読者からの声にいちいち返信はしないことに決めている。それを行うときりがないし、そのエネルギーはむしろ新たなブログ書きに振り向けたいからだ。この点は読者にはあらためてご了解をお願いする。

 その代わり、と言ってはなんであるが、時々まとめて、と言っても極めてまれにではあるが、読者の反応とそれに対する私の考えを、お伝えすることにしたい。

 今回のブログもそれである。

 さていつものように前置きが長くなったが本題に入りたい。

 新党構想について書いた最近のブログに読者から強い反応が寄せられた。特に橋下、東国原知事、ビートたけしらによる地方主権新党結成を薦めたブログについては、激しい批判が寄せられた。

 まず、橋下、東国原、ビートたけしに対する強い拒否感である。そんな連中を担ぎ出すような構想はたとえ冗談でも書かないでくれ、ブログに名前を出さないでくれ、見損なった、さらば天木!、という声である。

 これについて私の反応はこうだ。

 私は彼らに新党作りを呼びかけているのではない。それに私が参加するということではもちろんない。あくまでもそういう動きが出てくるようにでもならないと、政治状況の閉塞感は打ち破れない、そう思って書いたのだ。

 それは、まずそのような新党はできないだろうという意味で半分は冗談である。

 しかし、そういう状況にでもならない限り、今の顔ぶれで政権交代や政界再編が繰り返されても、国民のための政治はできない、どのような政権が出来ても、官僚支配と、中央の地方支配という構図は変わらない、これを変えるには一般大衆に人気のある彼らが一般大衆の目線で官僚支配打破を叫び、新党を作って国政に乗り込み地方主権を訴えないと、その目的は達成されない、この事を訴えるために、半分は本気で書いたのだ。

 私の、今の政治、政党に対する全否定と、彼らに官僚支配打倒を期待することは無理であるという絶望感は、そこまで強いということである。

 それにしても橋下、東国原、ビートたけしらに対する反発の強さを改めて知った。私も彼らの言動に対してはこのブログでも繰り返し批判してきた。

 しかし私は彼らを全否定するものではない。彼らは小泉元首相のように国政を牛耳って国民生活を破壊するような悪をなしているわけではないし、将来そのような悪を行う政治家になる事はないだろう。なれないであろう。

 彼らはあくまでもタレント、タレント知事であるからこそあのような言動が許されるのだ。もしあれ以上、国民、府民、県民の生活に直接影響を及ぼすような政治活動をするなら、その活動如何によってたちどころに厳しい批判にさらされる事になるだろう。

 つまり私が言いたい事は、彼らが本気になって政治家になろうとするのであれば、既成政党に担ぎ出されたり、その一方に加担したりするのではなく、彼ら自身が結束して新たな政党をつくり、しかも大衆政党になって、真に国民のためになる政治を実現するほかはないということなのだ。

 橋下、東国原、ビートたけしの事についてはこれで十分であろう。結束と言っても誰が親分になるかという点でまとまらないであろうから、いずれにしてもこの新党構想は、ほとんど冗談の例示的新党構想と受け止めていただきたい。

 しかし、次に述べる事は、もっとまじめなテーマである。

 地方分権に正面から反対する意見と、悪いのは官僚ではなく政治家だという意見が寄せられた。これにはいささか驚かされた。

 この問題を正面から議論するにはいくらスペースがあっても足りないので一言ずつ私の意見を書いておく。

 地方分権に反対する声は、今の地方行政システムと地方分権論を前提とした反対の声である。つまり道州制や市町村合併は地方分権どころか政府の地方合理化策に過ぎないし、今の首長、地方議会の体たらくを見るにつけ、地方分権などとんでもない、彼らがダメだから地方がここまでダメになったのだ、そんな連中に任せられるか、というものである。

 それはそのとおりだ。私は今の地方分権を支持しているのではない。国家が独占している権力の正真正銘の地方移譲を言っているのだ。だから地方主権という言葉を使っている。

 そうすることによって、正しい首長、地方議員が生まれる。住民の声が直接に地方行政に反映されることになる。なによりも国と地方の行政の無駄な重複をなくすことができる。真の地方分権つまり地方主権こそ日本蘇生の鍵であるというのが私の立場だ。

 政治家が悪い、だらしがないというのは私も同感だ。しかし政治家が悪いから官僚も正しい仕事ができないというのは違う。

 今の官僚制が悪く、官僚そのものが悪いのである。

 それは、政治家のよしあしとは無関係である。今の官僚は例外なく、劣化、無能になってしまっている。それなのに権限だけが彼らにゆだねられている。ここが大問題なのだ。

 立派な政治家が一人や二人出てきても官僚はびくともしない。国民が官僚を監視し、官僚を使うようにしなければいけない。だからこそ権力を国民(住民)に移し、国民(住民)の声を政治、行政によりよく反映させられるシステムを作らなければならない。それが私の言う地方主権である。

 最後に一言だけオバマ次期大統領についての反応を書いていきたい。

 オバマの改革に期待し、その改革努力に私たちの改革意欲を重ねあわそうと書いた。

 これについて、オバマの正体は邪悪だ、そんな人物を買いかぶってオバマと一緒に行動するなんて真っ平だ、という意見が寄せられた。

 このような意見を述べるものは、オバマの出自やオバマの背後にある闇の勢力の存在などに通じた自称情報筋である。

 私にはもちろんオバマに対する十分な知識はない。

 しかし少なくとも言える事は、彼の評価は大統領になった後の具体的な政策を見て下しても遅くはないということだ。

 それは裏切られるという事でも、だまされると言う事でもない。

 考えても見るがいい。今の米国が抱えている問題を、大統領が変わったからといってすべて氷解するなどと、誰が本気で考えているというのかのか。彼一人にその仕事を任せるだけでいいのか。正しい態度なのか。

 希望を彼に託す事は悪いことでも、間違っていることでもない。物事の判断に誤りはつき物だ。重要な事は、誤りであることがわかればそれを素直に認め、直ちに訂正し、そして常により正しい言動を求めていく努力をするということだ。

 それはそのままこのブログの基本姿勢でもある。
 
 

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2008年12月21日

 もう一つの新党構想ー橋下、東国原知事らによる「地方主権」政党の結党宣言 その③最終回


 このブログを読んだ読者から、橋下や東国原やビートたけしなど政治娯楽番組のタレント司会者はすべて権力の手先である、国民洗脳情報操作の片棒を担がされている、そんな事もわからずに馬鹿なブログを書くな、という声がよせられた。

 そうかも知れない。しかしはじめに前置きしたとおり、これからの政治は、既存の枠を打ち破って変化させなければ未来はないという前提で書いている。

 自民党がなくなることを前提として書いている。そして自民党的なものがなくなっても、新たな自民党的なものが政権をとることとなり、国民のための政治は決して行われないという前提で書いている。

 そうだとすれば国民が目覚めなければならない。国民が目覚めれば、タレントも芸能プロダクションも、国家権力よりも国民を恐れる時代が来るという前提で書いている。我々が橋本や東国原やビートたけしを動かすのだ。そういう気構えを我々は持たなければならない。その前提で書いている。

 ここからが、三回にわたって書いたこのブログの言いたい部分である。

 今回の金融危機は、これからもっと、もっと深刻なものになっていくと皆が言っている。そしてその危機からの脱出には、いままでの米国主導による金融資本主義から、あらたな世界経済の枠組みを作らなければならないと皆が言い始めている。

 それは本当だろうか。危機であるといっても株価は下がらない。隙があれば儲けたいと考えている者がいるということだ。人も企業も、金融資本のうまみをを忘れることはできない。金融資本主義からの脱却よりも、むしろその建て直しに熱心に見える。

 それはそれでいい。しかしそういう価値観や生き方ではない新しい生き方を真剣に望む人たちが現れ、それを支持する企業が現れる動きが出てくるとしたらどうか。
 
 そしてそういう動きが確実に広がっていけば、しかも未来を背負う若者の間でそう信じる者が増えていくとしたら、どうか。間違いなくもう一つの生き方が広がる。新しいパラダイムシフトが起きる。

 12月20日の朝日新聞にフリージャーナリストの速水健朗(はやみずけんろう)という若者が書いていた。いつの時代も若者は東京にあこがれるといった常識はもはや過去のものになるかもしれない、と。

 なぜ若者の間に地元志向が強まっているのか。かつて魅力的な消費者生活の場としての「東京」像を植えつけてきた雑誌やメディアは、ネットの登場などにより影響力を低下させた。さらに地方経済の悪化が経済力を奪い若者に地元での生活を余儀なくさせた。そんな中で地方活性化に熱意を示す若者が広がっていってもおかしくはない。より自然に近い生活、より人間らしい生き方である。

 そのためには、思い切って地方に権限を移譲しなければならない。霞ヶ関から地方住民に権限を移行させなければならない。地方を住みやすく、働き場所のある場所にしなくてはならない。金融資本主義とは無縁の実体経済の場所にしなければならない。

 国家の権限が地方に移るということは、とりもなおさず住民の意向が行政によく反映されることだ。
それは国民の暮らしと平和を最優先する行政に近づくということだ。地方は憲法9条と25条の一体化をもっともよく実践できる場所なのだ。

 湯浅誠が「反貧困」で書いているように、誰かを引きずりおろすことではなく、みなが幸せになることを求めていく場所なのだ。

 今度の解雇問題で真っ先に手を打ったのは国家でも大企業でもなかった。地方政府であり中小企業だった。

 私はそこに日本の未来に希望を見出す。

 地方主権は日本復活の最優先の政治課題である。

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2008年12月20日

もう一つの新党構想ー 橋下、東国原知事による「地方主権政党」の結党宣言 その②

  今朝(12月20日)の読売テレビ「ウェーク」はいつもと少し違っていた。ゲスト出演者は橋下、東国原の両タレント知事のほかに、片山虎之助元総務(自治)大臣、片山善博前鳥取県知事、中田宏横浜市長を加え、更に議員報酬を日当制にした福島県矢祭町の根本前町長など首長、首長経験者がずらり並んで、地方分権の必要性を徹底して訴える番組であった。

  その訴えは要するにこうだ。もはや地方の財政赤字を解決するには権限を国から地方に移すしかない、国から地方に交付される資金は地方がその責任と権限で自由に使えるようにしなくては有効策は打てない、それにもかかわらず、今のシステムは、すべてが国の命令で縛られている。これを変えなければならない、という事である。

  折から、派遣職員の解雇、失業問題が大きな社会問題となっている。一方においてまじめに働いている若者が理不尽に解雇され困窮している現実があり、他方において国から地方にばら撒かれる12兆円もの税金が霞ヶ関の官僚や族議員の利権と天下りに使われる。仕事もないのに官用車と大きな部屋があてがわれ、天下りポストを渡り歩いて億単位の給与を手にする連中がいる。こんなことが許されるはずはない、というものであった。

  さすがの片山虎之助自民党元総務大臣もこれを認めざるを得なかった。御用メディア読売テレビの敏腕キャスターである辛抱氏も官僚批判をせざるをえなかった。

  この番組を通じ見えてくるものは何か。

  それは、もしこの国に真の政治革命が起きるとすればこれしかない、と思わせる三つのキーワードである。

  すなわち一つは脱官僚(国家権力を官僚の手から国民の手に取り戻すこと)であり、二つは地方主権(地方分権というよりも地方主権こそより正確である)であり、そして三つ目は脱政治(橋下、東国原的なるもの)である。

  その一つ一つについて若干の説明を加えたい。

  まず脱官僚については今更多くを語る必要はないだろう。これについて異論を唱えるものがいるとすればそれはもはや官僚とその家族ぐらいだ。

  なぜ地方主権が最大のテーマであるのか。それは脱官僚のすべてがそこに集約されているからだ。言い換えれば、中央と地方の絶対的主従関係こそ明治以来今日まで続いたこの国の官僚支配の核心であるからだ。

  だからこそ官僚がもっとも強く抵抗する分野である。あの小泉改革も手をつけられなかった。というよりも官僚の抵抗を知っているからこそはじめから手をつけようとしなかったのだ。

  この事は、三つ目のキーワードにそのままつながる。すなわち地方主権の実現は、決して政治家や官僚OBでは達成することはできないということだ。ましてや政治家、官僚に頭のあがらない財界人や評論家ではとても手に負えない。

  真の地方分権を達成できるのは、国民、しかも権力とは程遠い一般大衆の怒りがあって初めて可能なのである。

  その一般庶民の声にもっとも近いところにいる政治家は、橋下であり東国原であり、もっといえばビートたけしなのである。

  こういうと読者の中には違和感を抱く人が出てくるに違いない。反発する人が出てくるに違いない。
彼らは所詮お笑いタレントだ、彼らの言動は乱暴だ、その考えは保守・反動だ、などなど。

  私はそれを否定しない。彼らの言動には賛成できないところも多い。しかし、彼らには既存の政治家には決してないものがある。それは脱イデオロギーであり、脱エリート主義であり、そして何よりも一般大衆に親近感を抱かせる大衆性だ。

  いまの日本で大きな政治のうねりを作るにはこの大衆性が不可欠である。彼らが本気になって地方主権を実現しようと立ち上がったならば、どの既存の政治家、政党よりも、はるかに大きな力でそれが可能なのである。なぜならば一般大衆が後に続くからである。

  橋下知事はテレビ番組の最後のところで繰り返し言っていた。地方分権は選挙でしか実現できない、皆さんは地方分権を唱える政治家を選ぶしかない、と。

  そうではない。そのような政治家がいくら増えても、彼らが地方主権を最大の政治目標と掲げて団結して行動をとるようにならなければ目的は達成されない。

  もし橋下知事が本当に地方主権を実現したいのであれば、自ら新党を立ち上げて新しい政治の動きを造らなければならない。

  これは最近マスコミでよく流されている橋下、東国原知事を顔にした自民党の生き残り策や、保守議員たちの新党づくりの顔としての橋下、東国原の動きなどとはまったく違う。

  世界金融危機から見えてきたパラダイムシフトにつながる構想だ。日本の蘇生策としての地方主権の実現である。

  この続きをその③最終回で書いてみたい。

  

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2008年12月20日

 もう一つの新党構想 橋下、東国原知事らによる「地方主権新党」の結成宣言 その①

 霞ヶ関主導の日本の政治は、単に無能であるばかりでなく、国民の求めている事に迅速に対応できない仕組みになっている。その事に国民はやっと気づき始めた。

 そんな政治を変えるにはどうすればいいか。

 何はともあれ政権交代だ。私もそう思って来たし、今でもそう思っている。最近の世論調査でも、日を追って一度は民主党のやらせてみたらよいという声が強まりつつある。

 メディアの麻生叩きが異常なほど激しいのは、今度の総選挙の結果自公政権がなくなる事を、メディアもまた見越したからだ。というよりも、メディアにはむしろ自公政権をなくそうという意思すら感じられる。

 その一方で、それにかわる新しい政治の姿が一向に見えてこない。

 唯一はっきりしている事は、総選挙の前にせよ後にせよ、政界再編とか大連立といった政治混乱が生まれることである。言い換えれば、単純な自民党から民主党への政権移行は行われないということだ。これはほぼ間違いない。

 しかし、それでは今までの政治の繰り返しである。見せ掛けの政治変化は起きるだろうが、この国の支配構造は変わらない。国民の声は政治に届かない。政治家と官僚がこの国を動かし、メディアがその側に立ち、そして企業がその政治に面従腹背しながら相互依存する、そういう構図はかわらない。国民は救われないのだ。

 私が、しがらみのない政治家である田中康夫と、今の政治の外にあって貧困問題解決の為に行動する湯浅誠のコラボに期待するのは、そんな既成政党間の閉塞した政治ゲームに楔を打ち込み、国民の為に、国民とともに行動する政治の実現を期待するからである。ひょっとして日本に新しい変化が起きるのではないか、そう期待したいのである。

 これが現実的な考えかどうかはわからない。それはもちろん田中康夫と湯浅誠の本人同士の意見が一致するかどうかによる。更に言えば、本人同士の意見の一致だけでなく、それぞれの背後にある支援者の考えもまた一致しなければならないのだろう。

 しかしこの構想が成功する最大の決め手は、仮に両者の考えが一致するとして、それが一般大衆を動かすうねりになるかということである。

 私には官僚の経験に基づく一つの確信がある。いまの日本で政治革命を起こそうとすれば、それは強者が一般大衆を動かして起こす革命しかない。弱者が一般大衆を動かす事はできないのだ。

 そう考えた時、私の頭の中にもう一つの構想が思い浮かんだ。ひょっとしたら日本の政治革命は、橋下と東国原が「地方主権新党」宣言をした時点で革命的な動きが起きるのではないか。大衆の圧倒的な支持を受けて霞ヶ関主導の政治を打ち破るきっかけを作ることになるのではないか。これこそが日本の政治革命の最短距離ではないか。

 私がそう感じたのは今朝(12月20日)の読売テレビ「ウェーク」を観た時である。その理由を次のブログで書いてみたい。

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2008年12月19日

 タスキージーの梅毒研究ーオバマが背負う人種差別国米国の原罪

  私のブログの目的は、つまらない私の意見の開陳や押し付けではない。ましてやそれをめぐって論議を戦わせることではない。

  真実に迫ることだ。そして、そこにたどり着く一里塚として、一つでも多くの事実を知ることだ。

  今日のブログもそれである。私が知らなかった事を読者と共有し、読者がそれについて考え、自分の意見を確立すればいい。そう思って書いている。

  12月18日の朝日新聞に竹沢泰子(京大人文科学研究所教授 文化人類学)という学者が、オバマ次期米国大統領について書いていた。

  その趣旨は、無名のオバマ氏を全米が一躍注目する候補に引き上げたスピーチ、つまり2年前に民主党大会で述べた「一つのアメリカ」のスピーチが、なぜ米国人の心を深くとらえたか、という問いに対する、一つの答えである。

 まず、ここでその言葉を思い起こしてみる。

  「・・・リベラルのアメリカも、保守のアメリカもない。黒人のアメリカも、白人のアメリカも、ラティーノ(中南米出身者)のアメリカも、アジア系のアメリカもない。あるのは一つのアメリカだけだ・・・」

  選挙中、オバマ氏が師と仰ぐJ・ライト牧師が、エイズウイルス(HIV)は米政府が企てた黒人浄化計画である、などと発言し、オバマ氏は「人種対立をあおる」として批判した事件があった。

  この風説は、黒人社会内部なら誰もが耳にする風説であるが、あくまでも風説にとどまっており、その一方では、何も知らない多くの白人には「ざれごと」と映る発言である。

  しかし、竹沢教授は、これは歴史的な事実であり、それを知っている者の間に極めて深刻なトラウマとして残っている問題、つまり人種差別国アメリカが今日でも抱く原罪であるという。

  竹沢教授は次のように教えてくれている。

  「・・・1972年に新聞報道されるまで、米政府は40年間も『梅毒の治療』と偽って、399人の貧困層黒人に人体実験を行っていた。これは『タスキージーの梅毒研究』と呼ばれ、有効な治療法が存在していたにもかかわらず、梅毒を患う彼らに説明も治療も施さず、ただ経過を観察したのだ・・・」と。

  そして竹沢教授は次のようにオバマ氏にエールを送る。

  「・・・米国は経済危機やイラク戦争など山積する喫緊の課題を抱えている。そうした中、人種の超克を訴えるオバマ氏は、分断を紡ぎあわせ、(米国を)『一つのアメリカ』に導けるか。黒人社会にも白人社会にも、父のケニアにも自らの居場所を見出せず、ひとりアイデンティティーの葛藤と闘ってきた末に、たぐいまれな融和の術を見につけた人物は、それを『不可能な夢』に終わらせない、オバマ氏は、そう人々に思わせるのである・・・」

  この一文を読んだとき、私はオバマで米国は立ち直れるのか、世界を平和にできるのか、と人事のように批評する事が、いかに間違っているかという思いに気づかされる。

  この途方もない困難な責務を、米国人も世界の人々も、オバマ氏ひとりに押し付けて傍観することは許されない。

  オバマは私であり、あなただ。あなたや私はオバマなのである。

  そう思ってオバマ氏を応援していくしかない。

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2008年12月19日

 ついに小泉構造改革の誤りを認める者が政府側から出るようになった


 米国発の金融危機が世界同時不況をもたらし、その影響で日本の経済、雇用状況の悪化が急速に表面化した今、巷には新自由主義攻撃の声があふれかえっている。

 それにともなって、小泉・竹中構造改革の誤りを指摘する発言や記事が目立つようになった。

 たしかに、そのような批判は従来からもあった。

 しかし、その批判はすべて政府を批判をする立場の人たちから発せられていたもので、決して政府側に立つ者から出される事はなかった。

 それどころか、ここまで格差社会が進み、国民生活が苦境に立たされているというのに、いまだに構造改革を誉めそやす者が存在し、それを進めた張本人の小泉、竹中氏も、なんら悪びれることなくメディアに露出している。それをまた国民が許している。

 そんな中で、いま発売中の週刊現代12月27日号に掲載された中谷巌元経済戦略会議議長代理の「小泉改革の大罪と日本の不幸」という手記は、おそらく政府側に立つ経済学者の中で初めての、ざんげ発言に違いない。

 中谷巌という人物の評価を私は知らない。しかし少なくとも歴代の政権の下で各種の政府諮問機関のメンバーをつとめ、小渕内閣の「経済戦略会議」の議長代理として規制緩和や市場開放の旗を振り続けたというのだから、紛れもなく政府側に立つ人物であろう。

 そして、中谷氏みずからが認めているように、彼の提言は竹中平蔵氏に受け継がれ、小泉構造改革の一環として実現していったのである。

 その中谷氏が、何十万部の売り上げを誇る大衆週刊誌上で、すべての元凶は「市場主義」であると断じ、小泉構造改革は大罪であった、その旗を振り続けた自分は間違っていた、と認めたのである。

 「私はいま、これまでの自分の主張が誤りだったと率直に反省しています・・・」という言葉で始まるこの手記は、驚きである。

 中谷氏は、小泉流の「自己責任論」は、道ばたで食べるものに困っている人に対して、「そうなったのはあなたの責任だ。頑張って働けば食べ物も買えるようになるんだから、自分の力でなんとかしなさい」と言う考えを、「多くの人々を不幸に陥れてしまう改革は、改革とは呼べない」と批判する。

 そして、「これからは稼げる力のある人はどんどんと稼いでもらい、日本全体の成長率を上げてもらうのだ」と言う竹中氏の言葉を、「安定した生活があってこそ、人々は生産的な活動に打ち込めるのです」、と切り捨てる。

 中谷氏の発言をきっかけに、この自己批判が政府側の人たちからもっと出てこなくてはならない。

 そして今度こそ、小泉政治のもう一つの大罪に対するざんげ、すなわち「ブッシュのイラク戦争を支持した小泉対米従属外交は誤りだった」、が、政府内部の要人から出てこなくてはならない。

 その時初めて、日本はチェンジ出来るかもしれないという希望が見えてくる。

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2008年12月18日

  日本は官製不幸の国だ その③

  たとえば米国産牛肉の安全の問題がある。これに関しては、米国の政治圧力に屈して危険な米国産牛肉を輸入していいのかという点が大きな政治問題となった。私なども、もっぱらその観点からこの問題を見てきた。

  確かに米国の政治圧力に配慮して米国を特別扱いすることはいつもの通りだ。それに、自らの検査体制のいい加減さを棚に上げて日本に再開を強く求める米国に対する反発は理解できる。
 
  しかし、そもそも日本が検査方法として取り入れた全頭検査なるものが、果たして国際的にみて厳し過ぎることはなかったか、危険特定部位の除去を徹底する方向で安全性を高めるほうが効率的ではないのか、という意見もまた、専門家の間で存在していたのも事実である。

  そして、政府のこの方針が、日本人のゼロリスク探求症候群(絶対的な安全感を求める気質)を刺激した以上、いまさら検査基準を切り替えられないという事情があるのではないかと思う。

  その結果、おいしい米国産牛肉を安く食べられる、という国民の利便を損なったとしたら、やはりそれも官製不幸だ。ましてやこの問題で日米間に不必要な敵対感情が生じたとすればそれも不幸だ。


  月刊文芸春秋新年号に、「農水省 食料自給率のインチキ」という記事が掲載されている。

  この記事は、食料自給率40%という日本の現状に関する農水省発表の統計は、j実は農水省の予算獲得、省益追求のための統計操作である、と糾弾している記事である。

  食料自給率にはカロリーベースと金額ベースの計算方法があり、一般的にカロリーベースのほうが自給率が低く出る傾向にあるというが、そのカロリーベースの計算方式においてさえも、自給率が更に低くなるような計算方法を農水省は使っているという。

 すなわち農水省が発表しているそのカロリーベースの積算方式は、一人当たりの国産供給カロリーを一人当たりの総供給カロリー(国内+輸入)で割ったものだが、その総供給カロリーには、食べ残しや売れ残りの廃棄物のカロリーも含まれているという。しかし自給率をより正確に測るには、真に必要な総供給カロリー、すなわち食べ残しや売れ残り、廃棄食料の部分、を除いた数字を分母に持っていかないと正確なものにはなりえないだろう。

 つまり農水省は意図的に食料自給率が低くなるような計算方式を使っている。その数字を使って「食料自給率を上げなければならない」という国民意識を煽り、自給率向上のための政策予算を増やそうとしているというのだ。

 食品偽装が後を絶たない。しかし偽装が合法的に許されているケースもあることを私は最近知った。

 11月23日の読売新聞に北海道ワインという会社の社長である嶌村さんという人が紹介されていた。

 蔦村さんは、最近「完全『国産』主義」(東洋経済新報社)という本を出版して、国産ワインとして日本で売られているワインの原料の多くは外国から輸入されたワインであること、中には濃縮果汁を輸入してそれを国内で発酵させてワインをつくっている、それが国産ワインとして合法的に堂々と売られていることを告発した人である。

 そのいかさま加減に反発して、価格競争力を度外視してでも、あくまでも国産ぶどうを使った国産ワインにこだわっているという人である。

 官僚がつくり、実施、運用しているこの国のあらゆる政策の実態を一つ一つ検証すると、不当、ずさん、不条理なことが、無数に存在することがわかるに違いない。

 サラ金規制にしても、公害、薬害、アスベスト問題にしても、冤罪、年金問題、裁判員制度にしても、非正規雇用問題にしても、およそあらゆる分野で、官僚がつくる政策で国民が不幸、不便な生活を強いられている。

 まさにこの国は官製不幸の国ではないか。この構造を変えない限り国民は幸福になれない。

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2008年12月18日

 日本は官製不幸の国だ その②

  この国では、官僚が法律をつくり、政治家が十分な理解もなくそれを成立させることによって、国民生活を左右する政策がつくられる。

  一つの法律ができれば、それに倍加する膨大な政令、省令、規則、ガイドラインが、官僚の手で独占的に作られ、法律以上に強力で具体的な政策となる。

 おまけに「運用」と言う名の裁量権で官僚はその権限をほしいままにする。

 問題は官僚たちが、本当に国民のためにこれらの政策をつくり、運用、実施しているかということである。

 多くの場合はそうだと考えるべきだ。

 公僕である官僚が、はじめから悪事をするために官僚になっていると考えるのは極端だ。

 彼らがつくる政策のすべてが反国民的であるというのは悪い冗談だ。

 しかし、その一方で官僚のつくる政策が国民を苦しめているケースが後を絶たないことも事実だ。

 なぜそうなるのか。

 何が国民にとって正しい政策かを見極める能力がなかったり、もっと極端に言えば単なる怠慢のために反国民的政策がうまれることがある。いわゆる不作為の罪というやつだ。

 もちろん悪質な場合もある。業界の利権のために、あるいは政治家の要求を満たして出世を狙うと言った保身のために、反国民的政策を悪意で(知っていながら)行うことがある。


 外務省の場合はこれに対米従属という配慮が付け加わる。最近の外務省はほとんどこれだけでその政策が決まっているかのごとくだ。

 省益や組織防衛を国民の利益より優先させるという場合もある。裏金や天下りなどはその典型だ。

 そして、官僚の政策が国民の利益に反することになる最大の要素は、なんといってもこれだろう。

 つまり、政策の誤りが明らかになっても、様々な理由でそれを隠し、あるいは誤りを潔く認めず、結果的に対策を講じない、あるいは大幅に遅れてしまうということだ。

 その陰でどれほどの国民がつらく、くやしい思いをしていることか

 こう考えると引用した養毛剤のケースも、次のように解釈することができる。

 なぜ米国で使われている薬がそのまま日本で認められないのか。

 体格や体力の異なる米国人に通用する薬を、そのまま日本に導入するのは危険だという理由は確かに成り立つ。

 しかしそれを科学的、専門的に十分検証した上で結論が出されているのか。

 責任回避のために安易に禁止することによって国民の利便を切り捨てていないか。

 思うに、官僚の仕事に求められるのは、国民の安全と国民の利便がぶつかり合うときに、ぎりぎりの判断を行って、その結果責任を取るという真剣な仕事ではないのか。

 その認識が、官僚主義の積み重ねにより、あるいは権力にあぐらを欠いて、大きく緩んでいるのが現状なのではないか。

 そしてこの養毛剤の場合は大正製薬との関係がでてくる。来年春から、米国産の養毛剤ではなく大正製薬の養毛剤の市販が許可される背景には、業者との利権関係はないのかという疑念が浮かぶ。

 実はこの養毛剤のようなケースは、我々の生活のほとんどの分野で起きているのだ。

 2回で終わるつもりであったが、長くなってしまったので、この続きを3回目の最終回で書くことにする。

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2008年12月18日

日本は官製不幸の国だ その①


  耐震構造偽装事件というのがあった。

  経費節約の為に建築設計士が偽の構造計算書を作成し、それを政府指定の検査機関が見抜けなかったために、地震に弱い建物が次々と造られていた、それが内部告発によって発覚した事件である。

 あの時、そもそも政府のつくった構造計算書作成のソフトに欠陥があった、つまり簡単に偽装しやすいソフトであったため、偽装が続出したのだ、という指摘が一部で囁かれた。

 追及をおそれた政府は、あわてて検査基準を厳しくしたため、建築会社による建築許可の取得が困難になり、建築件数が急激に少なくなった。

 その結果、建築業界が不況になり、これを称して「これは官製不況だ」という言葉が世の中に広まった。

 しかし、官製不況はこれだけではない。

 思うに今の日本は我々の生活のあらゆる分野において生活不況に陥っているのではないか。これを要するに日本は官製不幸の国ではないか。

 この事を2回にわけて書いてみる。

 世界の中にはひどい政治体制の国が多い。それに比べれば日本に生まれてよかった。そう考える国民は多いに違いない。私もその一人だ。

 しかし、そこから一歩進んで考えると、日本ほど官製不幸の国は世界でも少ないのではないか、という思いに行きつく。

 その理由はこうだ。

 世界で政治のひどい国は、誰の目にもそれがわかる非民主的国家、独裁体制国家、軍事政権国家だ。

 そのような国は世界から批判を浴びる。国民の反乱で指導者が引きずりおろされることもある。場合によっては殺される。

 要するに、指導者の極悪非道ぶりとその末路がわかりやすいのだ。

 ところが日本の場合は違う。

 国家権力の悪は決して極悪非道ではない。むしろ建前は民主的だ。

 だからその悪は目に見えない。それだけに、被害を受ける国民の救済も難しい。

 結果として国民は多大な不幸を蒙っても、泣き寝入りさせられることになる。

 その一方で権力者はその責任を問われることなく逃げおおせる。

 この国が世界に例のない官製不幸の国なのかもしれないと私が思うゆえんである。

 具体的な例に入ろう。

 すこし前の記事であるが、12月8日の日刊ゲンダイに、「育毛剤が突如として規制されるようになり薄毛に悩むオトーサンたちが怒っている」、という記事があった。

 毛が生えると評判のミノキシジルという成分が5%入った育毛剤が、厚労省の方針変更で、ある日突然一人一本しか購入できなくなったという。

 今まで5本、10本とまとめ買いをしていた人は、「これでは足りない、せっかく髪が太くなりつつあったのにどうしてくれるんだ」、と悲鳴を上げているという。

 その記事によれば、米国製のこの育毛剤は国内では市販を許されず、厚労省の認可を得た医療機関の処方がないと手に入らない。そこでこの薬を安く、大量に必要とする者たちは、違法と知りつつ米国から個人輸入で直接入手することになる。

 見かねた当局が、これをいつまでも野放しにできないと一人一本の規制強化に乗りだしたというわけだ。

 もっとも来年の春からは、ミノキシジルが1%入った養毛剤が大正製薬から市販されるようになるという。だからそれまで待てばいいということになる。

 ところがこの大正製薬の製品は一本5000円。しかも成分は1%というものだ。いままで5%の米製養毛剤を3000円で購入していた者にとっては、3000円の効果を得るのに2万5千円もかかる計算になる。

 怒りと経済的負担による悩みで(つまり買いたいけれど金が足らない)、さらにハゲそうだ、というオチでその記事は締めくくられていた。

 いかにも日刊ゲンダイらしい笑い話のような記事であるが、実はこの例の中に官製不幸のすべての要素が集約されているのである。

 次回はこの事について更に詳しく書くことにする。

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2008年12月17日

 今こそ湯浅誠を掲げて新しい政治をつくる時だ

 湯浅誠の「反貧困」を読んでどうしても書いておきたいことがある。それは私がかねてから主張してきたもう一つの政治をつくる試みについてである。

 その事について書きたいという思いは、今日12月17日の朝日新聞に掲載された、彼の「政治の監視、主権は民に」という投稿を読んで、一層強いものになった。

 「反貧困」の著書の中に、次のような言葉がある。

  ・・・本書で言及した、また言及できなかったすべての活動に携わる方たちに深甚な敬意を表したい・・・(彼らは一銭の儲けも手にすることなく、政治が切り捨てた貧困問題のために活動を続けている)・・・彼・彼女たちの活動が、この日本の生きづらさを、それでもこの程度に押しとどめている。本当に必要なことをしているのは、(決して)政治家や官僚たちではない・・・

 そして、その言葉は12月17日の朝日新聞の投稿の中の次のような言葉に連なる。

 ・・・私たちの毎日は、「この人、あの人」と名指せるような家族・友人・同僚らとの身近な関係の中にあり、その一人が苦しんでいれば心ざわつき、死ねば悲しい。それが私たち市民の日常であり、その平凡な生活を守るのが政治の役割に他ならない。難しそうな顔をして財政の危機を語る政治家に、私たちは一瞬もひるむことなく、「この命、この生活を守れないならば、あんたは政治家失格だから退場しなさい」と言っていい・・・

 この二つの言葉が伝えるメッセージこそ、私がブログで書き続けてきたもの、つまり今の政党・政治家を全否定し、日常生活に埋没して声をあげる術のない人たちの声を政治の場に伝えるもう一つの政治づくり、いままでにはなかった本当の意味での主権在民の政治づくり、ということである。

 おりしも自民党と民主党が、ついに雇用問題までも政権争奪の具にして騒ぎ始めた。

 日本共産党や社民党は雇用問題を党勢拡大の宣伝に使い争っている始末だ。

 そんな政治にあきれ果てている国民の心に訴える新しい政治が今こそ必要なのだ。

 テーマは貧困問題に限らない。あらゆる問題の解決に向かって、利権やしがらみや保身などから脱却した、嘘のない、正義の実現の政治を国民は願っている。

 そのような政治づくりはまず不可能だと誰もが思う。

 しかし我々は今その可能性を見つけたのだ。湯浅誠という人物を得た。湯浅を政治の場に送り込むことによって新しい政治をつくることができる。

 いままでにも、そのような人物が、あるいは無所属で、あるいは市民代表として、政治家になった事はあった。

 しかしいずれも政治家になったとたん、何もしなくなった。できなくなった。

 それは彼らにこころざしがなかったからだ。あったとしてもそれを実現する能力がなかったからだ。あるいは、権力にうまみにおぼれ、たちまち、ただの政治家になり下がったからだ。

 湯浅は違う。能力も、こころざしも、指導者としての力量もある。何よりも支援者が彼の下に集まる。

 問題は、今の選挙制度の下でどうしたら彼を当選させることができるかだ。

 今の選挙制度は既存政党が政治を独占する政治である。

 既存政党から立候補しなければまず当選できない。

 だとすればどの政党から出ればよいのか。

 自民党にはもちろんなじまない。しかし政権交替を目指す民主党でもない。

 反貧困といえば日本共産党や社民党がまず浮かぶ。

 しかしこれらの政党は、自らの党勢を拡大するために湯浅を利用することはあっても、決して湯浅の唱える政治を実現できる政党ではない。

 そう考えた時、唯一の可能性として田中康夫の新党日本が思い浮かぶ。

 政治家田中康夫が今の日本をどうしようとしたいのか、もちろん私にはわからない。もっとも無手勝流の「なっちゃって政治」を唱える田中の考えをわかるものは誰もいないであろう。

 しかし、少なくとも田中は脱しがらみだ。反骨精神はある。かつてほどではないにしても集票能力はある。なんといっても新党日本には自由さがある。

 湯浅は新党日本を反貧困の戦いの政治拠点とすればいい。田中はそれを許した上で、新党日本を国民が求める今までにない政党として湯浅を利用すればいい。

 日本の政治はついに混迷の極みに突入しようとしている。

 もはや単純な二大政党の政権争奪戦ではなく、政界再編、大連立、新党乱立による合従連衡が当然視されるようになった。

 しかし、どのような組み合わせになろうとも、今の政治家の顔ぶれを見る限り新しい政治は生まれない。その事を国民も知っている。今までの政治家ではない新しい人物の登場と、いままでにはない新しい政党を求めるめているのだ。

 田中康夫が湯浅誠を三顧の礼をもって迎い入れることを願う。

 湯浅が田中康夫の誘いに応じることを願う。

 そこからまったく新しい政治がうまれる事を期待する。

 


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2008年12月16日

 湯浅誠氏の言葉に感動する

  最近の私にしてはめずらしいことだが、かつて講演に呼ばれた人たちの忘年会に出席するために飛騨に出かけた。

  東京駅での乗り継ぎのつかのまに、書店に走って湯浅誠著「反貧困」(岩波新書)を買い求めた。

  12月14日の朝日新聞に湯浅誠氏が第八回大佛次郎賞を受賞したという記事が、本人のインタビュー記事とともに載っていた。選考委員のすべてがこの書を絶賛していた。それを思い出したのだ。

  私は湯浅氏が貧困者支援の活動家であることも、その活動の証として上梓されたこの「反貧困」という本の事も、もちろん知っていた。

  しかし、貧困問題はいまや多くの人が取り上げているこの国の一大経済、社会問題である。

  その問題こまで自分が関与するまでもないだろうと傍観者を決め込んで、あえてこの本を今日まで読まずにきた。

  しかし、この朝日の記事を見て、この機会に読んでみようと思ったのだ。

  移動中の列車の中で読み、忘年会の酔いがまだ冷めない頭で就寝前に読み、そして残りのページをチェックアウト前の時間を使って読み終えた。

  その時の感動を振り返りながらこのブログを書いている。

  この本の何が私をとらえたか。

  それは、東大政治学博士の湯浅氏が、みずから日雇い労働者の体験をしてまでもこの国の貧困問題に取り組み、あくまでも貧困者の側に立ち、そして貧困問題の解決策を提起をしている、この言動一致の見事さである。

  今日の日本の貧困問題は、決して人材派遣会社ザ・アールの奥谷禮子社長のいうような「・・・過労死をするまで働けなんて経営者は誰もいいませんからね・・・(自己主張もできないような)弱い人間が増えてきている・・・」と言う言葉に象徴される「自己責任の問題」ではなく、貧困と向き合おうとしない政治家・官僚・財界の政策が作り出したものであると断じる明快さである。

  それは、小泉・竹中が進めた「構造改革」という名の新自由主義の否定であり、いまでもメディアに顔を出す小泉・竹中の厚顔さと、それを許す政治家、メディア、国民に対する痛烈な弾劾である。

  しかし、私が湯浅誠の書の中でもっとも強烈な印象を受けたのは、「強い社会をめざして」という章の中に述べられている次の彼の言葉である。

・・・貧困が大量に生み出される社会は弱い。どれだけ大規模な軍事力をもっていようとも、どれだけ高いGDPを誇っていようとも、決定的に弱い。そのような社会では、人間が人間らしく再生産されていかないからである・・・人間を再生産できない社会に「持続可能性」はない。私たちは誰に対しても人間らしい労働と生活を保障できる、「強い社会」を目指すべきである・・・」

  見事な外交論であり、安全保障論である。

  平和憲法9条と憲法25条(生存権の保障)の一体論である。

  「貧困と戦争に強い社会を作ろう。今、私たちはその瀬戸際にいる」

という言葉で締めくくられている「反貧困」を読み終えて顔を上げた私の目前には、ガラス窓の向こうに、朝日に照らされ、白く冠雪した飛騨r連峰が威風堂々と広がっていた。

  


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2008年12月15日

 薬害肝炎訴訟代表の山口美智子さんに敬服する

 薬害肝炎訴訟の「最後の和解」が成立したというニュースが連休明けのメディアで一斉に流されていた。
 薬害肝炎訴訟の被害者と国や製薬会社の和解は、これまでの話し合いで殆どが成立していたのだが、最後に一社だけ残っていたという。

 その一社である日本製薬と和解の基本合意書が14日に結ばれ、それによって平成14年から各地で提訴されてきた集団訴訟が全面的に解決に向かうというのだ。

 このニュースに関して、私は12月14日の産経新聞に掲載されていた本件訴訟の全国原告団代表である山口美智子さんという方の言葉に深い感銘を受けた。

 薬害肝炎問題は、関係者の和解によってすべて終わるわけではない。患者の掘り起こしや薬害被害者救済法をつくってすべての被害者の真の救済を目指すことなど、残された課題はまだ山ほどある。

 だからこそ、山口さんは、「節目であることは間違いないが、あくまでも通過点」であると言うのだ。

 山口さんは、10月に田辺三菱製薬に対する賠償請求を放棄し、自分自身の訴訟が終了した際も法廷には姿を見せなかったという。

 「これで終わりとメディアに報じられたくなかったから」だという。
 「厚生労働省や企業は、いまだに事実をうやむやにしている」からだという。
 「肝炎患者350万人全員救済と、二度と薬害を起させない事を目指してきた」山口さんにとって、これから待ち受けている問題のほうが、はるかに険しく困難である事を自覚しているからだという。

 こういう事を言える人、そしてそれを行動に移せる人こそ私は立派な人だと思う。

 同じく薬害訴訟で活躍してきた被害者の中に福田衣里子さんという若い女性がいた。
 民主党の小沢代表に請われて今度の衆院選挙に立候補した人だ。

 若くて可愛いところに目をつけて担ぎだした小沢一郎はあざとい。

 まだイラク戦争が激しかった頃、ジェシカ・リンチ救出作戦というのがあった。イラク人の捕虜になった米女性軍人のジェシカ・リンチという若い白人女性が負傷しながら勇敢に戦って救出された、とはやされた。
 その嘘に堪えられなくなって、私は英雄なんかじゃない、米軍の情報操作に使われたのだ、と告白した女性の話だ。

 その情報操作もさることながら、あの時イラク人に捕まって負傷した女性米軍人は他にもいたけれど、黒人の中年女性など絵にならないとばかりに、若くて可愛い白人女性のジェシカ・リンチを宣伝に使った、米軍の情報操作はあざとい。

 選挙の誘いに応じた福田さんに非はない。被害者としての経験を政治に活かしたいという言葉には嘘はないだろう。

 しかし福田さんは山口さんの事を忘れないで欲しい。この上は、何としてでも選挙に当選し、政治家となって、山口さんの応援に全力を注いでもらいたい。私が福田さんに期待する事はそれだけである。
 

 

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2008年12月14日

 イラク空自派遣の真実を白日の下にさらした東京(中日)新聞の大スクープ


 12月14日の東京(中日)新聞の大スクープを、果たしてどれだけの国民が問題意識をもって読んだことだろう。

 その大スクープは、航空自衛隊隊員の証言として、「多くの武装米兵を運んだ」、「空自機は米軍のいいように使われ、コマに過ぎなかった」、と指摘している事を、はっきりと書いている。

 この大ニュースは他のメディアにはまったく報道されていない。

 という事は、殆どの国民は知らないままだということだ。

 折から、イラクからの空自輸送隊の帰国により、わが国のイラク戦争協力のための自衛隊派遣が、すべて終了する。

 イラク情勢がまったく不透明にもかかわらず、ブッシュ政権の終わりとともに、終わる。

 そしてオバマ新政権のアフガンにおける「テロとの戦い」への協力要請に対し、麻生自民党も小沢民主党も、その協力について競い合う事になるのだ。

 愚かなことだ。情けない事だ。何よりも、間違いである。

 サマワでの水供給というパフォーマンスの正体がばれ、おまけにサマワの治安が悪くなりつつあった時、待ってましたとばかり、代って始められたのが空自の後方支援であった。

 日本の国を守るはずの自衛隊は、一体何を後方支援して来たのか。

 度重なる国会質問にも、安全保障上の理由を盾に、政府、防衛省、外務省は、一切を隠してきた。

 輸送実績に関する資料要求に対しては、見事に黒塗りで埋め尽くされた資料で答えた。

 その嘘が、東京新聞のスクープで、一瞬にして暴かれる事になったのだ。

 4月17日に名古屋高裁が下した、「空自のバクダッド空輸支援はどこから見ても違憲である」、という判決の正しさが証明されたのだ。

 もうそろそろいいだろう。

 政府、防衛省、外務省は、国民の前に頭を下げて、対米従属の前に憲法違反を繰り返しました、と詫びるべきだ。

 嘘を隠して仕事を続けても、まともな仕事ができるはずはない。

 自らを滅ぼす事になる。

 

 

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2008年12月14日

誰も語らなくなった拉致問題の解決、それでも私は解決を求める。


 雇用問題の深刻さがあまりにも大きいので、ついこの間まで大騒ぎをしていた問題がどんどんと忘れ去られていく。

 失われた年金記録の問題も、ギョーザ問題の真相解明も、後期高齢者医療制度の問題も、何一つ解決されないまま忘れ去られていく。

 その一つに拉致問題がある。

 13日に東京都内で「拉致問題を考えるみんなの集い」が開かれ、拉致被害者の家族らが、こんなに長い時間、救出活動をしてきて、多くの被害者の生死さえわからない、と絶望的な訴えをしたという。

 この事をまともに取り上げたのは産経新聞だけだ。

 その14日の産経新聞は、この集会に参加した元北朝鮮工作員の張哲賢氏が次のように発言した事を報じている。

 すなわち、2002年の日朝首脳会談直後に北朝鮮工作機関の幹部に配布された資料には、「拉致問題を認定すれば日本政権は北朝鮮に100億ドルを支払う」と書かれていたという。「拉致(被害)者の引渡しではなく、拉致認定だけで、日本統治などの補償金として100億ドルが支払われるとも聞いた」、というのだ。

 国交正常化の見返りに一兆円の経済協力を約束していたという事は、これまでも報道される事はあったし、日本のゼネコン、商社が大挙して訪朝する計画が事前に明らかになって中止された、という事件もあった。

 しかし、「拉致問題の解決ではなく」、「拉致問題を認める」だけで、国交正常化の見返りとしての1兆円の賠償金を約束していたという証言はこれが始めてだ。

 このような重大な証言が公開の場で行なわれていたのに産経新聞しかこれを報道しないのは一体どういう事なのだろうか。

 外務省を離れた後、私がもっとも厳しく小泉外交を批判してきたのは、対米従属のあまり米国のイラク攻撃を支持したこととならんで、実は小泉訪朝の裏に隠された拉致被害者切捨て外交であった。

 ところがこの問題に言及する度に、私に対する批判がきまって寄せられる。

 イラク戦争に反対して外務省を追われた私を支持する人たちは、いわゆるリベラル派、左翼と言われる人である。

 ところがそのリベラル派、左翼から、拉致問題については激しく批判されるのだ。

 その理由はわからないでもない。

 彼らのなかには北朝鮮は拉致などしていないと北朝鮮を擁護していた人たちがいる。

 日本の北朝鮮に対する過去の誤りを指摘し、日本は拉致以上にひどい事をしてきたではないか、国交正常化を急ぎ、賠償を行なうのは当然だ、と主張する人たちがいる。

 拉致はなかったという発言は論外としても、過去を清算し、国交正常化を実現する事の重要性については、私も異論はない。

 そしていたずらに制裁を叫ぶだけが拉致問題解決の最善策とは、私も思わない。

 しかし、「一握りの拉致被害者たちのために、国交正常化が遅れていいのか」という意見には、私は決して同調できない。することはない。

 大韓航空機爆破事件の犯人である金賢姫元死刑囚が知人宛の手紙のなかで拉致被害者の一人である田口八重子さんについて、「招待所で窓の外を眺め、子どもに会いたいと泣いていた」と回想しているという記事が11月末の新聞に載っていた。きっと横田めぐみさんたちもそうだっただろう。

 これを目にした時、私はそれを聞いた拉致被害者家族の気持ちはいかばかりだろうか、と思わざるを得なかった。

 私は拉致問題を追及し続ける産経新聞を評価する。

 ところが14日の産経新聞の拉致集会を報じる記事の隣に、航空自衛隊宣伝映画「空へー救いの翼」が13日全国で封切られたという記事が大きく出ていた。

 自衛隊の宣伝ばかりを新聞紙上で繰返す産経新聞にメディとしての資質を疑う。

 世の中ままならないものだ。
 

 

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2008年12月13日

 ひとことコメントするとこうなる


 産経新聞(12月13日)「花田紀凱(かずよし)の週刊誌ウオッチング」で知った。

 今週号の週刊現代は、田母神氏のインタビューのおかげで完売したという。

 私の期待通りだ。願わくば読者が12月8日のブログで指摘した諸点に気づいて欲しいものだ。

 12月13日の産経新聞で編集委員の高畑昭男という記者が書いている。

 オバマ氏を歓迎・支援してきたリベラル派や反戦勢力にとっては、なんとも皮肉でいまいましい展開となりそうだが、オバマ次期大統領は、ブッシュ・ドクトリンの継承者となりそうだ、と。

 アフガンにおけるテロとの戦い強化を宣言したオバマ発言や、固まりつつあるオバマ陣営の顔ぶれを見るとそう結論せざるを得ないと。

 ご丁寧に、あのネオコンの理論家ロバート・ケーガン(「ネオコンの論理」光文社の著者)もオバマ氏を評価している、と書いている。

 私もそう思う。私がそう思う理由は、オバマ氏もまたイスラエルの影響から逃れられないと思うからだ。

 それにしてもである。

 ざまあみろ、といわんばかりにブッシュドクトリンをオバマ氏も踏襲すると嬉々として書いている高畑昭男という記者は何者か。

 「強いアメリカの再生」以外の選択肢はないと書く高畑昭男という記者を編集委員にする産経新聞は米国の御用新聞か。

 12月10日の各紙は一斉に「郵政民営化を堅持し推進する集い」の議員連盟発足について報じていた。

 そこに小泉元首相が顔を見せた事をとりあげ、倒閣の動き、新党の動きと関連づける記事もある。

 メディアの中には、小泉再登場などと書いているものもある。

 しかし、それは間違いだ。

 この未曾有の困難な時に、政策について一切語る事無く、「郵政改革に逆行する不可解な行動をしている人がいる」、などという事しか語れない小泉元首相に、もはや出る幕はない。

 今だに小泉人気に頼ろうとしている議員たちは、自らの無能さをさらしているようなものだ。

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2008年12月13日

 日本は米国の「テロ戦争」の泥沼にこれ以上はまり込んではいけない


 まともな議論のないままに、インド洋補給支援法が12日可決された。

 それを受けて13日の朝日新聞は、外務官僚OB岡本行夫氏のコメントを大きく掲載していた。

 その要旨はこうだ。

 「・・・インド洋での給油活動は大変重要だ。テロリストの通航を遮断し、同時に海賊の襲撃をかなり抑止している・・・国際貢献での日本の消極姿勢が変わらなければ、01年の湾岸戦争時、国際社会から受けた以上の非難、屈辱にあう可能性がある・・・オバマ氏が就任し、米国の日本への圧力は強さを増すだろう・・・今度回ってくるツケは(湾岸戦争時の)130億ドルより大きいだろう・・・アフガン支援では、軍民一体型の地域復興チームへの参加を検討してもいいのではないか。ソマリア沖の海賊対策も、テロ対策の一環として考えるべきだろう・・・
  安全保障が国会運営の駆け引きの道具としか考えられていないのは残念だ・・・湾岸戦争の時、日本は米国を怒らせた。日本の輸出貿易管理令、武器輸出三原則が国際常識とことごとくあわなかった。サダム・フセイン討伐をやめて日本に軍勢を向けるんじゃないかというぐらい米国の制服組(軍人)が激怒したエピソードが2,3回ある。それが90年代の底冷えする日米関係を作った一因だ・・・
 日本が国際協力に受身の対応をするなら、湾岸戦争と同じように、米国に「日本はこりごりだ」と受け止めかねられない。これからの日米関係を心配している・・・」

 岡本はいつから米国の手先になってしまったのか。

 おそるべき世論誘導だ。すべてが嘘だ。嘘でないなら事実を一方的に誇張した情報操作だ。

 補給支援特措法は海賊対策など想定していない。そのための協力を行なう規定などどこにもない。法律の拡大解釈だ(12日朝日新聞)。

 湾岸戦争の時日本が協力した130億ドルは世界で例のない莫大な金額だった。あの財政支援がなければ米英軍の活動はあそこまで出来なかった。それは米軍関係者が議会証言しているほどだ。それなのに、カネを出すだけでは評価されないなどと言いふらして自衛隊の海外派遣に道を開こうとした。

 米軍が非協力的な日本に怒って、サダムフセインに向けた軍隊を日本に向けそうになった、などという話が本当なら、それこそ国会で問題にしなければならない深刻な事件だ。

 国民の生活を犠牲にしてまで対米追従を繰返しておきながら、もっと協力しなければ米国が日本を見捨てる、などというなら、見捨てさせればいい。

 そんな事は米国にできるはずはない。日本は打出の小槌であり、金の卵を生む鶏なのだから。

 外交評論家岡本行夫に、このような発言を許す国民もなめられたものだ。

 このような政治的意図を含んだ発言をありがたく掲載する朝日新聞は、もはやジャーナリズムではない。政府広報紙だ。朝日の読者もなめられたものだ。

 12月9日の日刊ゲンダイにフリージャーナリストの斉藤貴男氏が、朝日新聞秋山社長の次の言葉を引用して、もはや新聞だけでは商売にならないと公言するようでは、朝日新聞の存在価値はない、と次のように書いていた。

 「(もはや新聞事業はそれ自体で収益をあげることはむつかしい)そこで、デジタル事業、あるいは不動産事業を含めなんとかしなければならないと思っている・・・」(新聞研究12月号)。

 なめられついでに12月11日の日経新聞「経済教室」掲載されていたシーラ・スミス米外交問題評議会上級研究員の次の言葉を紹介しておこう。

 「・・・(日米)同盟関係が動き出すのは、日本の総選挙が終わってからになろう。衆議院選挙が終わらないと、米政府が日本の政策課題の優先順位や方向性を理解するのはむずかしい・・・米国は未曾有の危機に直面しており、友好国からのあらゆる支援が必要だ。友人の日本は何ができるのか、具体的提案と行動を示す事を米国は求めている・・・」

 これはもの凄い発言だ。

 もはや麻生政権は不能だ。相手にできない。小沢政権になっても米国のいう事を聞かなければ相手にしない。米国に相手にして欲しければどんな政権になってもまず米国支援を行なえ、そう言っているのだ。

 そこでアフガン支援である。

 13日の各紙は、オバマ政権になればアフガン支援の要求圧力が高まってくるという事をあたかも当然視して、どのような支援ができるか対応に迫られる、とばかりを書いている。

 しかし、アフガン支援を前提に物を考えるのは自滅行為である事を知らなければならない。

 アフガン地上軍への自衛隊派遣は命がいくつあっても足りない。

 代わりに他の協力をしようと思えばカネがかさむ。

 米国のテロ戦争に協力すれば自衛隊の命を失い、財政破綻の時にテロ戦争への資金協力を増やせば、生活できない国民が出てくる。

 いずれにしても国民の命は脅かされることになる。

 いい加減に目をさましたほうがいい。

 この国の為政者が今なすべきことは唯一つ、雇用対策に全力をあげて国民生活を安心させることである。

 

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2008年12月13日

 読者のみなさんへ


 

  2007年1月から、毎日全力を振り絞って書き続けてきた「天木直人公式ブログー世界の動きを伝えたい」は、2009年1月1日から、有料メルマガ「天木直人のメールマガジン ― 反骨の元外交官が世界と日本の真実をリアルタイムで解説」(http://rd2.mag2.com/r?aid=22330&rid=1)(月額500円)にリニューアルし、あらたに再出発することにしました。

  理由は、インターネットでのメルマガ配信を専門事業者にまかせ、私は書く事
に専念するためです。あわせて、有料とすることにより、より力強いメッセー
ジを書き続ける覚悟を自らに課す事にしました。そのための調査・執筆における費用を読者
の皆様の購読料より賄わせていただくことにしました。

  私のブログは来年に入ってもしばらくは継続しますが、有料ブログが軌道に乗り次第、一本化し、その時点でブログは閉鎖するつもりです。

  2007年1月から書き始めたブログでしたが、もうそろそろやめよう、と考えていたことは読者の皆様にはお知らせした通りです。

  その私が、いましばらく発信を続けたいという気持ちになった最大の理由は、日本は戦後かつてない歴史的転換期にさしかかっているのではないかと思い始めたからです。

  そのような状況の中で、私たちは日本の将来を今の政治家や官僚たちに任せきりにするのではなく、政治家や官僚の言動を監視し、その誤りに異を唱え、我々の手で日本の将来をつくりだしていかなければなりません。

  そのためには我々自身が真実を知らなければならない。真実を知って正しく生きなくてはならない。なによりも自分を信じ、自分を頼みとして、力強く生きていかなければなりません。

  その意識を読者と共有するために、私は今までに増して真剣に真実を書き続けていきます。

  我々は政治家でも官僚でもない。徒手空拳の一国民である。

  しかし、その一国民が、政治家や官僚よりも、知識や判断力や行動力において勝っているとすればどうか。

  何よりも、日本を愛し、日本国民の融和と協調を尊び、日本の為に正しい方向を求めていく情熱を、今の政治家や官僚よりも強く持っているとすればどうか。

  私はそのような国民が、この日本にはたくさん存在する事を知っています。

  私が書き続ける事が一人でも多くのそのような人たちに刺激を与え、真実を知る重要性に目覚め、その結果、政治や行政に正しい影響力を与える事ができるようになれば、私の有料メルマガも意味があることになります。

  私と一緒に、権力者の嘘を見抜き、真実の情報を追求する試みに挑戦しようではありませんか。それはもう一つの政治をつくる挑戦であるのかもしれません。


  読者登録の申し込みは http://rd2.mag2.com/r?aid=22330&rid=1 を通じて出来ます。

  有料メルマガの配信は2009年1月1日からですが、2009年1月31日までに申し込まれた方は、1月分のメルマガが無料で配信されることになっているということです。

  来年こそ希望の年である事を願っています。

 

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2008年12月12日

これからの対米外交は国民の声を背負って行なう総力外交に切り替えるべきだ


 
 月刊文芸春秋は「霞ヶ関コンフィデンシャル」という官界ゴシップ記事を連載している。

 外務省に関する限りは、あたっている場合とそうでない場合がある。

 鋭い記事の場合と平凡な記事の場合がある。

 今発売中の新年特別号のそれは、あたっているが平凡な記事である。

 新年特別号の「霞ヶ関コンフィデンシャル」の要旨次のとおりだ。

 「・・・元シカゴ総領事であった藪中三十二外務事務次官は、(所轄州であるイリノイ州の議会上院議員になりたてのオバマ氏と頻繁に接触していたと麻生首相に説明し、ペルーで行なわれたアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議の帰途、シカゴに立ち寄ってオバマ氏と会談するよう進言した。その話に乗った麻生首相だったが、オバマ側から相手にされず空振りに終わった。
 クリントン政権時代に駐米公使をつとめた藤崎一郎駐米大使も、着任して半年と日が浅いためか民主党主流派に人脈を構築できていない。
 人脈のなさを埋めるべく、谷内正太郎前事務次官の特命を受けた杉山晋輔審議官が昨年6月武田修三郎元東海大学教授を帯同してワシントンとニューヨークを訪れた。ジョージワシントン大学教授を歴任し、幅広い民主党人脈を持っている武田氏に、民主党要人を紹介してもらう為だ。
 外務省はいま、民間人に頼らざるをえんばいのである・・・」

 谷内も、藤崎も同期だ。米国研修をともに過ごした中だ。藪中は一年後輩である。彼がシカゴ総領事の時、私はその隣のデトロイト総領事だった。

 彼らに米国要人の人脈を期待しても無理だ。谷内氏だってロサンゼルス総領事時代に人脈を築けたはずだけれど叶わなかった。

 藤崎大使は着任して半年も立っている。それで人脈が築けないようでは一年たっても無理だろう。

 それならなぜ前任者の加藤良三前駐日大使の人脈を使わないのか。駐米大使を6年もやっていながら今外務省の為に人脈を活用できなければおかしい。

 外交と無関係なプロ野球のコミッショナーなどに天下っている場合ではないのだ。

 しかし、私は彼らを一方的に責めるつもりはない。人脈を築けないのは彼らが無能だからではない。

 考えてみるがいい。一介の官僚が、二年や三年米国に勤務したからといって、米国要人との緊密な人脈を築くことなどどだい無理な話である。

 私もつとめて米国要人と付き合うことにつとめた。しかしいくら一生懸命付き合ってみたところで、知り合いになるのが精一杯だ。

 国益がからむような話に人肌脱いでくれるような人間関係を築く事は容易ではない。

 武田教授がどのような人物かは知らないが、そんな古い人物しか思いつかない谷内前次官の国内人脈の貧困こそ問題である。

 自他共に知米派といわれる学者、財界人は他にもたくさんいるはずだ。

 そして、それら知米派でさえも、強固な人脈を米国に築いている者は少ないに違いない。

 人脈を築くということはたやすいことではない。

 ましてや米国人と真の友人関係を築く事は日本人にとっては至難の技だなのだ。

 そもそも外交を人脈に頼る事自体が時代遅れで、間違いなのだ。

 国益と国益のぶつかり合いの外交を、一握りの政治家や外務官僚が独占しようとするから間違うのだ。

 ましてや世界最大の覇権国家米国との外交は、国民の声を背にして国民外交で行なうべきである。

 この事は、あの田母神前航空幕僚長も言っているではないか。

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2008年12月12日

 日本の再生は地方重視の革命的政策実現である。


 12月11日の産経新聞「正論」に、「地方活性化が進まない真の理由」という和田秀樹国際福祉大学教授(精神科医)の意見が掲載されていた。

 その趣旨は一言で言えば東京にマスメディアが集中し、東京の論理で政治が進められるため、地方と大都市(特に東京)の格差がどんどんと助長されてしまった、という事である。

 具体的にいえば、東京のメディアに受けのいい人間しか政治家になれなくなったため、小泉政権以降すべての首相が子供のころから首都圏で生活し、教育を受けた人間になったということである。

 地方から東大をはじめ東京の名門校に入学し、地方に帰ってこない事、その傾向が加速したということである。

 そのような人たちがつくる政策は必然的に大都市中心の政策になってしまう。

 この指摘は鋭い。

 そして和田氏は米国大リーグの完全ウェーバー制(前年の下位チームにドラフトの優先権を与える制度)と日本のカネに任せたドラフト制度の比較を引用し、大リーグでは連続最下位のチームがワールドシリーズに出場して話題になるのに、金満球団がカネにまかせて選手を集めるような日本ではドラマはうまれない、という。

 野球の世界なら笑って済ませられるが地方と大都市の格差は深刻な問題だ、本当のニューディール政策こそ、いまの日本に求められると、主張する。

 和田氏は言う。

 「・・・ニューディール政策とは公共工事を政府が大規模に行なう政治と思われがちだが、もともとの意味は機会均等のためにカードを配りなおすということ。本当のニューディール政策は日本の地方と格差を埋めるためにこそ必要なものだ。残念なのは道路や新幹線を要求する地方の首長はいても(これはストロー現象ー註:交通網の発達はかえって大都市に経済活動を集中させる効果をもたらす事ーをおこしてむしろ地方を衰退させる)、(本物も地方活性策を)要求する人がいないことだ・・・」

 和田氏があげる一例は、東京に集まる税金の一部は地方のものにする、東大、国立がんセンター、理化学研究所などの主要施設の分散化(米国の例を見るまでもなく分散している。東京に集中させる必要はない。)による優秀な人材の分散、などである。

 これを要するに、利権争いで頓挫したかつての首都圏機能移転事業を、日本復活のための本物のニューディール政策として、国民的合意にもとづいてまとめあげ、実行するという事ではないのか。

 私は地方に住んでつくづく思う。日本の各地を訪れてつくづく思う。

 東京は仕事をするところではあってももはや住むところではない。

 その一方で地方は、人間らしい生活ができる一方で仕事がないのでどんどんと人口流出が進む。

 この矛盾をどこかで断ち切る必要がある。大きな政治力で国土改造計画を断行する必要がある。

 雇用問題が未曾有の深刻さをましている今がそのチャンスではないのか。

 和田氏の意見を読んでそう考えた。

 
 

 

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2008年12月11日

ノーベル平和賞を受賞したアハティサーリ氏の言葉

 アルフレッド・ノーベルの命日にちなんで毎年12月10日にノーベル賞の受賞式がスウェーデンのストックホルムで行なわれる。

 今年は日本人が多数受賞した事もあってそのニュースで持ちきりだ。

 しかし私は今年のノーベル平和賞の受賞者であるアハティサーリ元フィンランド大統領に注目してきた。

 なぜかノーベル平和賞だけはノルウェーの首都オスロの市庁舎で行なわれるという。そこでフィンランドの元大統領が受賞した。スウェーデン人の科学者ノーベルの遺産で作られたノーベル賞を。

 北欧三国は国際政治のなかでも常に人権や平和に熱心な国だ。

 1901年から始まったノーベル賞の平和賞受賞者を見ると、その平和度の貢献については大きな差がある。なかには与えた事が間違いだったというような人もいる。

 因みに日本人のノーベル受賞者は1949年の湯川秀樹から始まってその殆どが物理・科学・生理学の分野であり、ノーベル文学賞が1968年の川端康成と1994年の大江健三郎の二人、そしてノーベル平和賞が1974年の佐藤栄作元首相だけだ。

 しかし非核三原則を唱えたという理由でノーベル平和賞を受賞した佐藤栄作と、アハティサーリ元フィンランド大統領の平和に対する貢献度は天と地の開きがある。

 前年にノーベル平和賞を受賞したキッシンジャー米国務長官の勧めで受賞できたと言われる佐藤栄作元首相の受賞理由は日本の非核三原則の提唱であった。

 しかしは、その非核三原則は、佐藤・キッシンジャー密約によって実際は破られていたのだ。

 最近では小泉元首相がノーベル賞欲しさに拉致被害者を切り捨てて日朝国交正常化を急いだなどとささやかれている。

 そんな物欲しげな日本の政治家と違って、アハティサーリ元フィンランド大統領の平和に対する貢献度は本物だ。

 30年余りにわたって国際紛争の解決に向けて世界的調停に当たってきた。

 個人的に印象深いのは私がアフリカ担当の課長であった1980年代半ばに、国連ナミビア事務総長特別代表としてナミビア紛争の和平調停に取り組んでいた姿である。

 そのナミビアは1990年に南アフリカ共和国の植民地支配から独立を果たした。

 そのアハティサーリ氏のノーベル平和賞受賞演説が12月11日の各紙に報じられていた。

 アハティサーリ氏は次のように述べたという。

 「あらゆる紛争は解決できる。紛争が永久に続く事を認める弁明はない・・・オバマ次期米大統領が中東和平を就任一年目の優先課題にする事を期待する。中東和平の解決のために何かやっている振りを何年も続ける事はできない。結果を出さなければならない・・・」

 この言葉にすべてが言い尽くされている。

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2008年12月11日

 シンポジウムという名の世論誘導ー 今度は朝日新聞について書く


 昨日(12月10日)のブログで、私は読売新聞のシンポジウム記事について、それが日本の安全保障政策に関する世論誘導の役割を果たしている、と書いた。

 読売新聞だけについて書くのは片手落ちで、フェアではないだろう。

 今度は朝日新聞の番だ。

 12月11日の朝日新聞は、12月1日にニューヨークで開かれたシンポジウム「オバマ政権と日米関係」(米外交問題評議会、朝日新聞社共催)の要旨を掲載していた。

 例によってそのパネリストは偏っている。

 朝日新聞社主筆の舟橋洋一を司会の一人に据え、田中明彦(東大教授)、竹中平蔵(元総務大臣)、田中均(元外務官僚)、リチャード・ハース(米外交問題評議会会長)などだ。

 この顔ぶれから何が話されるか。それはシンポジウムを聞くまでもない。

 困難な時代であるからこそ日米両国は一層の協力関係を進めていかなければならない、という呪文の繰り返しだ。

 しかし、その呪文の裏には日本側と米国側の立場にまったく別の思いがある。

 すなわち日本側は、日米関係の重要性をひたすら強調し、米国は日本を見捨てるなと哀願する。

 米国側は日米関係の重要性を強調して日本を安心させながら、その実は日本にもっと対米協力をせよ、と迫る。

 まったく別方向を向いているのだ。そんな日米関係は偽物である。それを見事にあらわしたシンポジウムだ。

 そう思って以下の発言を聞くと面白い。

 リチャード・ハース:オバマ次期政権にとって、イラクやアフガンだけでなく、アジアの安全保障が極めて重要だ。その際に基盤となるのが日米同盟だ。日米が取り組み課題はいま山積している。
 田中明彦:中国が責任ある行動をとるよう、日米が協力して働きかける事が不可欠だ。
 マイケル・レビ:日米が協調すべき分野は対中国だけではない。北朝鮮やイランの核問題(もある)。オバマ政権がイランに圧力をかけるために日本に協力を求めることもありうる。
 シーラ・スミス:9・11同時多発テロ直後の小泉政権時代に(日本の対テロ戦争協力で)日米関係は非常に緊密になった。今後も危機対応が関係の軸になるだろう。米国が当たり前と受け止めてきた駐留米軍の経費負担などが、日本の国会で議論にのぼる可能性もある。多くの米国人が日本の政治指導力の欠如を懸念している。
 ポール・シェアード(バークレイズ・キャピタル):マネーが米国債以外に向かう事になればドルは暴落の危機にさらされる。
 竹中平蔵:今後の国際金融システムを考える上で、IMFの機能強化や二国間合意が(重要だが)、それに加えアジア通貨基金の必要性を真剣に議論すべき時。
 田中均:東アジアの安全保障体制は、日米の強い同盟関係の上に多層的かつ機能的に築かれなければならない。新しい米政権が「核を持つ北朝鮮とは国交を正常化しない」との目標を再確認することは極めて重要だ。
 スミス:次の米政権はまずは中東を優先するだろう。
 ゲリー・セイモア:北朝鮮の政権が代っても核開発が国家の生存と安全保障に不可欠だするこれまでの態度を維持すると予想される。利益と引き換えに一定の制限は受け入れても、すべてを放棄する事は考えにくい。

 朝日新聞ニューヨーク支局長の立野純二は「今回のシンポジウムで確認された最大のポイントは、日米関係は今ほど世界の中で多機能な役割を求められている時はない」とこのシンポジウムの意義を持ち上げている。

 しかしその中味は日米間の思惑がまったく離れていることだ。

 世論誘導しようにも、これでは世論誘導にならない。

 12月11日の読売新聞はノーベル物理学賞受賞者の一人、益川氏の次の言葉を紹介していた。

 それまで見つかっていた素粒子クォークは3種類。理論的に予想できるのも4種類という時代に、考えに考えた益川氏は風呂につかりながら、『どうしてもダメ。明日ダメという論文を書こう』と決心し、立ち上がった瞬間、クォークを6種類にすればいいと気づいた。その時の事を振り返って語った言葉である

 自縛が消えたら、そこから先は手で数えるように簡単だった・・・

 我々は日米同盟という呪縛からそろそろ解き放たれる時だ。
 
 

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2008年12月10日

シンポジウムという名の世論誘導


 すべてのシンポジウムがそうだという気はない。

 役に立つシンポジウムも中にはあるだろう。

 そのよしあしは参加者の顔ぶれを見ればわかる。

 真実を探求するものか、作為的な世論誘導なのかは、すぐわかる。

 12月10日の読売新聞は、9日に東京・大手町の経団連会館で開かれた「日本の国際安全保障活動」(ネットジャーナリスト協会主催、読売新聞社後援)の模様を大きく掲載していた。

 そこに紹介されていた主な出席者は田中明彦(東大教授)、岡本行夫(外交評論家)、塩川正十郎(元財務省)と、シーファー駐日大使ほか米国有志連合に参加した国の外交官とアフガン、パキスタン大使だ。つけたしで財界人が入っている。

 主催者であるネットジャーナリスト協会なるものの正体を私は知らない。しかしこのメンバーを見ただけでシンポジウムの中味は聞かなくても明らかだ。

 アフガン復興支援に日本の協力が期待される(シーファー米大使)。関係国はみな感謝している(パキスタン臨時代理大使)。ソマリア海賊被害は深刻だ(草刈日本郵船会長)。議論の遅れは政治的な問題(塩川元財務大臣)などなどの発言で埋め尽くされている。

 極めつけは外交評論家岡本行夫の、要旨次のごとき基調講演なるものだ。

 「・・・日本外交は対米協調が基軸だが、自ら座標軸を打ちたててこなかった・・・面倒な事から逃げるだけの姿勢ではどこからも信頼されない。特に安全保障では、戦争を総括してこなかったために、日本人は戦争や武器から遠ざかっていれば平和貢献だという意識を持ってしまった。武力行使はすべからく悪だとなってしまった。人命尊重主義とは聞こえがいいが、命は地球より重いという設定をして失敗したのが湾岸戦争であったはずだ・・・日本はインド洋から撤退すべきだという主張がある。それが日本にふさわしい振る舞いなのか。いい、悪いの判断ができなければ、日本は国際社会の根無し草になってしまう・・・」

 こんなのが基調講演なのか。カネを払って聞くべき講演か。

 武力行使はすべからく悪なのだ。ましてや米国の侵略戦争の後始末の為に武力行使をするなどは、子供でも悪い事だとわかる。

 財界人はこんなシンポジウムに付き合っている暇があるのなら、目の前で悲鳴をあげている日本の若者の雇用問題の解決に専念すべきだ。

 読売新聞社主の正力松太郎氏はかつて米国CIAと通じてメディアを世論誘導の具に使った事が米国機密文書の公開で国民の目の前で明らかにされた。

 今の読売人たちは、せめてその汚名を晴らすべく、対米従属の片棒を担ぐ事を止めたらどうか。

 いつまでたっても世論誘導に奔走していると、愚かな国民はだませても、そのうち良識ある国民から見捨てられることになる。

 左翼からではない。ふつうの国民だ。日本の将来をまじめに考える普通の国民から愛想をつかされる。

 

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2008年12月09日

クラスター爆弾禁止条約成立に関する二つの記事


 去る12月3日、ノルウェーの首都オスロでクラスター爆弾禁止条約の署名式が行なわれ、日本も90ヶ国を超える国に混じって署名した。

 この事に関し、目に留まった二つの新聞記事を紹介したい。

 その一つは12月8日の毎日新聞の記事である。

 毎日新聞は他紙を圧倒する形で、このクラスター爆弾禁止条約の成立を支持し、その動きの初期の段階から熱心な記事を配信し続けてきた。

 消極的だった日本政府の尻を叩いて、ついに日本政府をして署名に転じさせた。

 だからクラスター爆弾禁止条約の記事についても毎日新聞の記事は内部情報にたけた読み応えのあるものだ。この記事もその一つである。

 「日本も(署名式に)行っておいて良かったというのが偽らざる気持ちだ」。外務省幹部は4日、国際的潮流に乗り遅れずに済んだ安堵感をそう表明したという。

 しかし、より正確に言えば、外務省幹部は、署名式への参加ではなく、この条約に賛成し署名することに方針を変えておいて良かった、と言い換えるべきではなかったか。

 外務省はこの条約づくりにずっと反対してきた。クラスター爆弾を購入し続ける防衛省の反対に押され、そしてなによりも米国が反対していたから、賛成できなかったのだ。

 ところが、国際的流れを容認する福田首相の「思いを踏まえ」(外務省幹部)条約賛成へ舵を切った。
 
 1997年に署名された対人地雷全面禁止条約(オタワ条約)交渉において、小渕外相(当時)の一声で反対から賛成に転じたケースとまったく同じパターンだ。

 しかし、クラスター爆弾禁止条約の場合、反対から賛成に転じ、さらに米、中、露に対し積極的に参加を呼びかけるまでに積極的になった理由はもう一つある。

 それは日本が米国の為に主張した妥協案、つまり、米国のクラスター爆弾使用は妨げない事、米国などの非加盟国との共同軍事作戦は容認される事、という修正案が最終的に認められたからであった。

 毎日新聞の記事は、この事について、「日本は米国の規制逃れを手助けする一方で、米国に署名を働きかけている」と書いている。どこまでも情けない日本外交だ。

 クラスター爆弾禁止条約の署名に関して書かれたもう一つの注目すべき記事は12月5日の産経新聞コラム「産経抄」である。

 「それほど『めでたい』ことなのか」という書き出しで始まるこの産経抄は、毎日新聞などが大きく取り上げている事を皮肉って、次のように書いていた。

 「・・・そもそも大量に製造している米、露、中がそっぽを向いている条約にどれほどの意味があるのだろう。加えて、北朝鮮、韓国、台湾も、禁止の動きに同調しなかった。欧州とは比べようがないほど、緊張が高まっている東アジアで、また日本だけが軍事的なハンディを負うことになる・・・森本敏拓殖大学教授によれば、自衛隊が保有しているクラスター爆弾は、何より相手が海岸に着上陸したときに、効力を発揮する。つまり日本にはなくてはならない兵器だった・・・」

 産経新聞は何を言っているのか。

 クラスター爆弾の禁止を世界の多くの国が求めてきたのは、その兵器が不必要に人を傷つける非人道的な兵器であるからだ。多くの不発弾が残り、子供や市民を犠牲に巻き込む残虐な武器であるからだ。

 それは国際法違反の武器だ。その武器を使用しなければならない必然性はどこにもない。

 あるとすればどこまでも敵を痛めつけるという加虐性だけである。

 この条約に反対する米、露、中国や北朝鮮などが間違っているのだ。

 産経新聞は論点をずらしてはいけない。読者を誤誘導してはいけない。

 

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2008年12月09日

政治家を動かすのは政策でも政局でもない。ズバリ選挙だ。


 渡辺喜美がやたらに勇ましい。解散・総選挙をさけび、倒閣を叫んでいる。

 なぜか。彼には選挙の心配がまったくないからだ。

 私は彼の地元である栃木3区の住民である。有権者の強みに免じて勝手な事を言わせてもらう。

 地元での彼の評判はすこぶる悪い。それも自民党支持者の間でだ。

 その最大の理由は、父親の渡辺美智雄と違って、地元を無視して自分の事ばかり考えているからだ。

 まともな政策そっちのけでタレント気取りではしゃいでいるからだ。

 それでも親父の地盤を引き継いで選挙に落ちる心配はない。

 今度の選挙でも栃木3区だけは対抗馬がいない。無投票で勝てる勢いである。

 なぜ小沢民主党は対抗馬を出さないのか。

 12月9日の日刊ゲンダイに小沢民主党が仕掛ける1月解散、2月選挙という記事がある。その中で次のようなくだりがある。

 「・・・(自民党大物議員の切り崩しについても着々と手を打ち始めている。ターゲットは加藤紘一と山崎拓だが)麻生離れを鮮明にしている渡辺喜美らが続く可能性が出てくるというのだ。「民主党首脳部は、いざとなったら自民党離党組のために選挙区を渡してもいい、との考えも持っている。発表済みの候補は比例区に回すのです・・・」(政界事情通)。

 選挙優先の記事は12月9日の朝日新聞、「政態拝見」というコラムにも見られる。

 星浩編集委員の書いている「解散か総辞職 迫られる決断」という記事の中に次のようなくだりがある。

 「・・・公明党の中堅議員が『仮定の話だが・・・』と言って教えてくれた。総選挙で公明党は現職8人を選挙区で擁立、自民党が応援することになっている。仮にその8ヶ所で民主党が一斉に候補者を見送り、候補予定者を比例区に回したらどうなるか。公明党候補は当選有力になり、公明党と民主党との対決機運は薄れる。公明党が自民党候補を推す選挙区では公明党の動きは鈍る。自民党にとっては大打撃で、野党転落が現実味を帯びる・・・民主・公明両党が手を結べば自民党政権の崩壊に直結する・・・」

  なんだかんだといっても政治家は選挙に勝つことがすべてだ。

  そのためには選挙協力の駆け引きがすべてに優先する。

  政局も、ましてや政策も、選挙を中心に動いていく。。

  まじめに政治を考えていると馬鹿らしくなる。
 

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2008年12月09日

史実の探求に終わりはない

 鳥居 民(とりい たみ)という評論家がいる。

 産経新聞の歴史評論ぐらいしかメディアに登場しない人物である。

 しかし私は彼の書いたものをいつも興味深く読んでいる。

 思想、信条は異なるかも知れないが、彼の史実を追求する基本姿勢に私はいつも敬服している。

 12月9日の産経新聞「正論」に書かれていた事もその一つだ。

 また一つ私は勉強させてもらった。

 その記事の本質は、ずばり、あの愚かな開戦に踏み切った最大の戦犯は、昭和天皇の戦争回避の決断を妨げた木戸幸一内大臣であった、というものだ。

 その要旨はこうである。

 「・・・アメリカとの開戦を決める昭和16年12月1日の御前会議の前日に、高松宮は昭和天皇に向かってアメリカとの戦争を回避したいのが海軍の本心である、と説いた。
 このことは関係者の日記や記録でもはや明らかになっていることだ。しかしいずれもその背景にある真実を正しく伝えていない・・・
 なぜ高松宮は天皇にアメリカとの戦いを回避したいと言上したのか。
 戦後、高松宮は海軍省兵備局長の保科善四郎から戦えば難渋すると聞いて、お上にそれを申しあげたのだと語り、保科もまた、それを認めた。
 しかし、すべての戦争準備がうなりを上げて展開し、連合艦隊が北太平洋をハワイへ向かって直進しているまさにそのとき、一人の局長の話を聞いただけで、高松宮はこの戦争をしてはなりませんと天皇に言上するだろうか。また開戦を決める御前会議の数日前に、一介の局長が天皇の弟君に向かってそんな悲観論を語るであろうか。
 実は高松宮と保科が隠していた事実があったのだ。
 高松宮から信頼されていた外交官加瀬俊一(初代国連大使)は、口外しないとの約束で病床の高松宮から本当の事を聞いていた。加瀬は高松宮没後、「高松宮の昭和史」を発表し、その中で連合艦隊司令長官山本五十六がアメリカとの戦争回避を天皇に申し上げて欲しいと高松宮に依頼した事実を示唆している。
 一方の保科も、その回想録で自分が山本五十六長官に信用されていたと記し、なぜかアメリカとの戦争が始まる直前、戦艦長門に座乗する山本長官に呼ばれた事実を書いている・・・
 実は山本五十六は昭和天皇による戦争回避の「聖断」を願っていたのだ。その願いは、山本の旧友堀悌吉(註:山本と海軍兵学校同期の海軍将官。穏健派であった事が災いし、その時はすでに現役を追われていた)に宛てた昭和16年10月11日付の書簡の中で明らかにされている。アメリカとの戦争回避のためには『最後の聖断のみが残されておる』と山本は書き綴っていたのだ。
 この山本の願いは、堀から内大臣秘書官長の松平康昌、宮内大臣の松平恒雄に伝えられ、彼らはそれを内大臣に告げたはずだ。間違いなく木戸は連合指令艦隊司令長官山本五十六が「聖断」を望んでいる事を知っていた・・・
 「アメリカとの戦争を回避したいのが海軍の本心である」との高松宮の訴えを聞いた天皇は木戸内大臣を呼んだ。木戸は海軍の真の腹を確かめられたらいかがかと天皇に言上した。しかし、そのあと木戸が呼んだのは山本ではない。軍令部総長の永野修身と海軍大臣嶋田繁太郎を呼んだのだ。戦いを回避したいと今更、口に出せるはずのない永野と嶋田をわざと呼んだのだ。    
 木戸はアメリカと戦争するしかないと決意していた。だからこそ、木戸は山本の願いをおしつぶしたのだ・・・」

 「正論」に書かれているこの鳥居の解説が正しく史実を語っているか、それは私にはわからない。

 日米開戦を回避するために最後まで努力を続けた近衛文麿を鳥居はかねてから評価している。

 その近衛にライバル心を燃やしていた木戸幸一に対し鳥居氏は厳しい評価を下している。この記事もその一つであるに違いない。

 また、当時の情勢の中では、たとえ戦争回避を願うものがいたとしても、果たして誰がそれを天皇に強く直言できたかは大いに疑問である。

 そしてやはり最後に開戦を決断したのは昭和天皇である。
  
 そうであったとしても、私たちは少しでも歴史の真実に肉薄しなければならない。真実を知る努力をしなければならない。そして再び同様の過ちを繰返すことのないよう、進歩していかなければならない。

 史実の探求には終わりがないということだ。

 その謙虚さと絶えまぬ努力があれば田母神騒動など起きる事はない。
    

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2008年12月08日

今日発売された週刊現代に掲載された田母神発言は国民必読の発言だ!-その④(完結)


  田母神氏もまた米国の手のひらの上で踊らされる一人でしかない

 田母神氏は核武装論者である。彼は言う。

 「・・・日本が自立した国になるのにもっとも有効な手段は、日本が核武装することです。現実の国際政治では、核兵器の非保有国は、保有国の意思に対して、最終的には従属せざるを得ません。このため、日本が従属させられる立場から脱却するには、自ら核武装する道を選ぶのが一番早道なわけです・・・」

 私は対米自立論者ではあるが、軍事力を強化して自主防衛を図るという田母神氏らの考えをとらない。

 憲法9条こそ日本がとりうる最強の自立した安全保障政策であると考える。

 しかし、私がもし武力による自主防衛論者であれば、核武装まで行かなければ自主防衛はおぼつかない、とする田母神氏の考えに賛同する。

 軍事力で自国を守ろうとするのなら、誰にも負けない軍事力を持たなければ国を守れないからだ。

 そして今の軍事技術においては核兵器が最強の軍事力である。

 軍事力強化の行きつく先は核武装である。

 ところが日本が核武装することを米国は決して認めない。

 米国は、その言葉とは裏腹に、今でも日本を信用していない。

 その日本が核兵器を持つ事を米国は決して容認しない。

 その事を知っている田母神氏は、だから米国と対立してまで日本が独自の核兵器を持つべきだ、とは決して言わない。

 そのかわり、アメリカの核兵器をいざという時に使わせてもらう形で核武装すればいいと、次のように語っている。

 「・・・現実問題として日本はNPT(核不拡散条約)に加盟しているので、すぐに核武装というのは難しい。となれば同盟国であるアメリカの核兵器を有事に確実に使えるものにしておくことが、次善の策になります・・・つまりNATOの一角であるドイツ、イタリア、ベルギー、オランダ、トルコの5カ国が行なっている核分担システムの導入です・・・これにより日本が直接核武装しなくても、核兵器を保有したのと同等の効果が生まれるのです・・・」

 何の事はない。これでは米国従属から脱却する事などできない。米国がその核を日本の自由に使わせてくれるはずはない。

 結局のところ田母神氏も米国には逆らえないのだ。米国の手のひらの上で踊らされているのだ。威勢のいい事を言ってみても田母神氏の限界はまさしくここにある。

 米国から軍事的に自立できる唯一の方策は、憲法9条を日本の安全保障政策とすることだ。

 米国が日本に押し付けた憲法9条を逆手にとって、日本は憲法9条で自らを守る、だから米軍基地も要らない。米国の高額な武器なども要らない。日米安保条約ももはや不要である。そう、世界が見ている前で、宣言することである。

 日本が核武装することには米国は反対する。

 しかし、米国は、日本国民の前で、世界の前で、憲法9条に反対する事は決してできない。

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2008年12月08日

今日発売の週刊現代に掲載されている田母神発言は国民必読の発言だ!-その③

対米交渉をアメリカの好き勝手にさせない方法

 私が週刊現代に掲載されている田母神発言の中でもっとも注目したのは次の言葉である。

 これは私がいつも声高に主張してきた事と完全に一致している。

 「・・・米軍基地の縮小の問題に関しても、既得権益を持つアメリカに対して、日本は何も言えないでいます。日本政府が毎年、米軍に出している2000億円以上の、いわゆる『思いやり予算』も、自衛隊に回せたらどれだけいいかと思いますが、それも言い出せない。沖縄の米海兵隊がグアムに移転すると決まれば、その移転に日本は多額のカネを払う・・・オバマ政権はアフガニスタン問題に熱心なので、今度は自衛隊がイラクより格段に危険なアフガニスタンに派遣させられる可能性もあります・・・
 対米交渉を、アメリカの好き勝手にさせない方法が、一つだけあります。それは、交渉の中身を日本側がどんどんオープンにすることです。そうすれば日本の世論は『おかしいではないか』と反発する。国民が反発すれば、日本政府も一から十までアメリカの言いなりにはできません・・・」

 ここまで核心をついた言葉が政府関係者から出た事ははじめてではないか。

 国民が声をあげれば日本政府はそれを無視できない。

 そして、実を言うと、国民の声を無視できないのは日本政府だけではない。

 米国が一番気にするのは、その国の国民の世論なのだ。

 世論が反米になった時、米国はそれに勝つ事はできない。

 それは歴史が証明している。

 今日でもその実例を我々は世界中で見てきている。

 米国の言いなりになって国民を裏切ってきた政権や指導者は、一時的にその権力を振りかざす事は出来ても、最後は必ず悲劇的な末路に終わってしまうのだ。

 国民の声を背景に外交交渉をしてはじめて、政府はいかなる国に対しても力強い外交を展開できる。

 それは当たり前の事だ。

 その当たり前の事に背を向けて、国民に隠れて、国民に嘘をついてまで、対米追従外交を行なってきたからこそ、日本外交がここまで行き詰まってしまったのだ。

 対米交渉をアメリカの好き勝手にさせない唯一の方法、それは交渉の中身をどんどんと国民にオープンにして交渉することだ、とする田母神氏の主張に、私は全面的に賛同するのである。

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2008年12月08日

今日発売の週刊現代に掲載された田母神発言は国民必読の発言だ!-その②


 2回目は田母神発言が日米同盟に及ぼす影響について書く。

 日本政府、外務省にとって、田母神発言の一番都合が悪い点は、決して対中関係を悪化させることではない。

 田母神発言を放置すれば、最後は必ず日米同盟関係にその影響が及ぶという危険性である。

 そして日米同盟関係は、政府、官僚はもとより、体制側につく有識者、日米経済関係を重視する財界、さらには愛国主義者、右翼さえも、決して反対できない絶対価値である。

 私が、田母神発言がこれ以上広がらないと思う理由がここにある。最後は政府サイドから押し込まれてしまうのだ。

 なぜ都合が悪いのか。それはもちろん、田母神発言が東京裁判を否定するものであるからだ。米国の日本占領政策を批判するものであるからだ。

 より深刻な事は、田母神氏が日米軍事同盟の欺瞞性を喝破しているからだ。

 私は「日米軍事同盟は、平和国家日本の将来にとって発展的に解消されなくてはならない」と誰よりも強く主張してきた。

 だから、私にとっては、田母神発言の騒動が大きくなることを実は歓迎している。

 「何を言っても、何をしても、日本政府は我々のいう事を聞く」と高をくくっている米国政府に、「ついに日本人もこんな事を言い出すようになったか。気づいてきたか」と緊張感を与えるだけでも意味があると思っている。

 とりわけ、週刊現代の述べられた田母神氏の次の言葉は、注目すべきである。私が常日頃強調してきた言葉だ。それを元制服のトップが語る事の衝撃は大きい。

 「・・・敗戦国の日本は、戦後63年を経た今でも、戦勝国のアメリカの意向に添って動かされています。その典型例が国防です。日本の防衛は、冷戦終結から十数年を経ても、アメリカが担っています。日本各地に米軍基地が点在し、在日米軍が駐留している・・・(しかし)アメリカはあくまでも自国の国益に基づいて行動する事を忘れてはなりません。たとえば日本を守るよりも中国と組むことのほうが国益になると判断すれば、日本は一夜にして見捨てられるでしょう。
    実際、私はこの夏に訪米した際、米軍の高官に『尖閣諸島問題で日中が激突したらアメリカは同盟国として中国を攻撃してくれるのか』と質しました。すると案の定、曖昧にごまかされました・・・」

 この発言こそ米国がもっとも嫌がる発言である。政府も、外務省も、有識者も、みなわかっていながらこの言葉を決して口に出す事はない。

 おまけに田母神氏は、自衛隊の装備が米国から法外な値段で買わされていると次のような暴露発言までしている。元制服の幹部の言葉である。国会で追及ものである。

 「・・・私は身をもって体験しましたが、正直言ってかなり大掛かりにボラれています。同機種でも他国より高く買わされている可能性もあります。換言すれば、日本国民の血税が不当にアメリカに吸い上げられているのです・・・」

 田母神氏はさらに続ける。「米軍の撤退がなければ日本は真の独立国ではない」と。

 これも私とまったく同じ考えだ。

 しかし、米国後の安全保障策について私と田母神氏との考えは正反対となる。

 すなわち田母神氏は自衛隊を強化し、核兵器保有も辞さないという考えだ。

 私は、いかなる国に対しても脅威にならない、いかなる国からも日本を攻撃させない、と公言し、憲法9条を世界に掲げる事こそ最強の安全保障政策であるという立場である。

 このいずれでもないのが政府の立場だ。

 つまり日米軍事同盟を堅持することこそ最善の安保政策だ。なんだかんだ言っても米国が最強の国だ。日本にとって一番信頼できる国だ。自由と民主主義の価値を最も共有できる国だ。その国と同盟関係を維持できるのから、ありがたく思わなければならない。あらゆる犠牲を払っても、国民に犠牲を強いても、これだけは守らなければいけない、これである。

 米国追従が国益だと考えるか、対米自立が国益と考えるか、そして対米自立後の安全保障政策を、改憲して自主防衛力を強化する方向か、憲法9条を堅持して平和国家を宣言するか、結局はこの三つの選択に帰着する。

 田母神発言に歓迎するところがあるとすれば、国民の前でこの三つの選択について考えさせるきっかけを作ってくれたという事であろう。

 この三つの選択論については、日本の安全保障政策の根幹に触れるところであるので機会をあらためて書いていきたい。

 

 

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2008年12月08日

今日発売の週刊現代に掲載された田母神発言は国民必読の発言だ!ーその①


 今日発売の週刊現代12月20日号に「田母神激白核武装宣言」という衝撃的なタイトルで、あのお騒がせ元自衛隊航空幕僚長の言いたい放題が掲載されている。

 日本は侵略国家ではなかった、とか、自衛隊を強化しなければならないとか、世の護憲論者、平和論者が聞いたら腰を抜かすような発言のオンパレードである。

 しかし、はからずも週刊現代に語った田母神氏の発言は、アパグループ論文における発言とはまったく異なった意味合いを持っている。

 そこにはこの国の欺瞞が見事に喝破されている。

 田母神氏の言動は、本人が気づいているかどうかわからないが、明らかに新しい段階に入りつつある。田母神氏のこのような発言が今後もエスカレートしていけば、日本政府・外務省を苦境に追い立てる事になるに違いない。

  繰返して強調する。

 週刊現代12月20日号に書かれた田母神発言は国民必読の発言だ。

 そのあまりの衝撃性のゆえに、私は今日から連載でその一つ一つの問題点をこのブログえぐりだしていく事にした。

 第一回目のこのブログでは、

 「田母神論文騒動を招いた責任は誰にあるのか」 について書く。

  田母神氏によれば、氏は04年6月に、統幕学校研修団長として北京を訪問し、その時に、中国人民解放軍総参謀長のナンバー2、範長龍中将と30分会談をしたという。

  そしてその会談で範中将は冒頭から10分間も、とうとうと日本軍の残虐行為への批判を続けたという。

  我慢ならなくなった田母神氏はその発言をさえぎって、「日本軍が中国に対して悪い事をしたとは、私は思わない。平和な時代にも暴行や殺人はあるではないか」と反論したという。

  そればかりか、壁にかかっていた江沢民主席の写真を示して、「98年の来日時に日本の歴史責任を触れ回って、日本では大変嫌われている」と伝えたという。

  当然のことながら中国側は反発した。帰国前に研修団が主催した北京飯店での答礼夕食会では「欠席ラッシュ」であったという。そして翌年からは訪問自体が中止になったという。

  こんな事件があったのだ。情報隠しが徹底されていたと見え、一切報道されなかったようだ。私も知らなかった。

  問題は、その後に続く田母神氏の次の発言である。

 「・・・ところでこのときの私と範中将との論争は、北京の日本大使館から公電を通じて、東京に詳細な報告がなされています。外務省も防衛庁も首相官邸も、誰もが知っていたのに、どこからもお咎めがなかった。それどころか防衛省内ではむしろ『よくぞ言った』と私を評価する声が多かったのです・・・私は一貫して同じ発言をしているのに、今回に限ってなぜ袋叩きに遭わねばならないのでしょう?・・・」

 この田母神氏の発言は正しい。

 政府はその時点で田母神氏を更迭していなければならなかったのだ。

 その時外務省が官邸に田母神氏の更迭を強く迫っていれば、少なくとも今回の騒動は起こらなかった。

 おりしも当時は小泉元首相の靖国参拝拘泥で日中関係が急激に悪化していた時だ。

 あの時外務省は小泉元首相の靖国参拝にこぞって反対していたはずだ。

 ところが保身の為に誰もそれを直言しなかった。

 かわりにOBを使って反対の意向を遠まわしに伝えようとした。

 駐中国大使などは現職を退いた後で反対の声をあげる始末だ。

 04年の田母神、範会談とそれに対する中国の反発を知った外務省が、防衛庁と同じく、「よくぞ言ってくれた」と考えていたのなら何をかいわんやである。

 しかし、もし外務省が田母神氏の言動は外交的に大きな問題を引き起こす危険性があると考えていたとすれば、そしてそれはその通りになったのであるが、それにもかかわらず、なぜ策を講じなかったのか。

 面倒なことにはひたすら目をつむり、それを隠し、田母神更迭に動かなかったとしたら、官邸や外務省に田母神氏を批判する資格はない。

 田母神論文騒動を招いた責任は政府の不作為にある。

 そしてその最大の責任は外務省の事なかれ主義であるのだ。

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2008年12月07日

ネルソン・マンデラを思い出させてくれたオバマ次期米大統領


 12月7日の朝日新聞にオバマ次期米国大統領についてのコラムがあった。

 ニューヨーク発 真鍋弘樹という記者の書いた「風」というコラムだ。

 それはいまはやりの、オバマ次期大統領に対するオマージュである。

 しかし、その中の次の言葉が私の目を釘付けにした。

 「・・・オバマ氏は、過去の(米国の)黒人政治家と明らかに異なる。それは決して怒りを表に出さないということだ。
 80年代に大統領選に挑戦したジェシー・ジャクソン師のように、公民権運動に連なる黒人政治家は激しい怒りを持ち、表明してきた。
 一方、オバマ氏はどんな場面でも決して声を荒げることはない。討論会でも、興奮して声がうわずるのは決まって、ライバルの白人政治家の方だった・・・
 「一つの米国」という理想を語り続ける「怒らない黒人」。そんなオバマ氏の姿勢は、(「奴隷の子孫」ではないことへの違和感を持ち、あるいは黒人大統領が実現するはずはないとあきらめ、当初オバマ氏から距離を置いていた)黒人有権者の共感を、最後は広く集めることになった。白人有権者の警戒心も解いていった・・・
 オバマ氏の勝利は、黒人を「怒り続ける宿命」から解放するきっかけとなるかもしれない。それは同時に白人を「人種差別の原罪」から解放することも意味する・・・」

 なんとも感動的な文章だ。

 この文章を見つけたとき、私は即座に民主南アフリカを誕生させたネルソン・マンデラの事を思い出した。

 彼は決して怒らない人であった。黒人政権を実現したあと、彼が最初にとった政策は、白人への懲罰ではなく、和解であった。

 白人政権に家族、親族を殺されていった黒人大衆は、当初そのマンデラを批判したが、最後は皆が彼の後について行った。

 何かと言えば人を批判し、声を荒げる欠陥人間の私にとっては、とても真似のできない事だ。

 おまけに私は、「弱者に許される唯一の抵抗は怒ることである」と勝手に思ってすぐ怒る。

 そんな私でも、やはりこの文章には感動する。納得する。

 オバマ氏にはマンデラの後を歩んでもらいたいと願う。

 

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2008年12月07日

 国会討論を正しく伝えるメディアが必要だと思う


 国民の中で果たしてどれほどの人が12月5日の衆院集中審議における民主党山井和則議員の質問を聞いていただろうか。

 その質問の趣旨はこうだ。

 信じられない話であるが、年金受給の資格がありながら、社会保険庁のミスで記載漏れになり無年金者とされている国民がいる、どんなに文句を言っても、まともに対応されずに年金をもらえない者がこの国には少なからずいる、それを山井議員は質問した。

 そして、その一人である93歳の女性が約1200万円の年金を受け取れないまま亡くなった事を取り上げ、政府の対応と責任を質したのだ。

 その老女は何度も何度も社会保険事務所に通ったけれど、忙しいのであと三ヶ月待ってくれと言われ、三ヶ月後に訪れても、また忙しいから三ヶ月待ってくれと言われた、そして、そのうち老女は入院し、亡くなってしまったというのだ。

 年金というのは、老後の生活を安心して送れるように、生きているうちに支給されなければ意味のないものだ。舛添大臣、麻生総理はこの話をなんと聞くのか、政府の責任をどう考えるのか、というものだ。

 文字にして書いてしまえばこれだけの話である。

 しかしテレビで聞いた山井議員の質問は迫力があった。胸に迫るものがあった。
 
 そしてテレビに映しだされる舛添大臣の表情は明らかに動揺していた。

 さすがの麻生総理もこれはひどい話だと、さすがに弁解の余地はなかった。

 もっとも、舛添えにしても麻生にしても、年金未払い者に直ちに支払うとは言わなかった。不備のある年金制度を改善する、とは一言も約束しなかった。

 私がこのブログで言いたい事は、このような国会審議を広く国民に伝えるメディアが必要である、という事である。

 それは決して難しい事ではない。

 国会審議の中で、このように国民に聞いてもらいたい質疑は極めて少ない。

 与党の質問は八百長質問だから聞くに値しない。すべて省略すればいい。

 野党の質問でも、不勉強な議員の質問は国民に知らせる必要はない。聞く価値はない。

 この山井議員の質問のように、政府の責任を厳しく追及するもの、政府の対応が厳しく問われるものに限って国民に知らせればいいのだ。

 国民はそれだけを聞けばいいのだ。それは決して多くない。

 ところが、日中まともに働いている国民は、当然のことながら国会中継を見ている暇などない。

 あとでニュースで流される国会審議を見ればいいといってもそうは行かない。

 ニュースは瞬間的だ。しかも、国民にとって知らせなければならない国会質疑を正しく選択する判断能力をメディア関係者は十分に持っていない。政府の圧力による自主規制も働く。

 実際のところ、翌日の各紙は、この山井議員の国会質問をまったく報じていなかった。

 報じられないということは国民が気づかないという事だ。

 この山井議員の質問の模様を国民が広くテレビで見ていたら、国民はあらためて年金問題の深刻さを知り、この2年間政府が何もしてこなかった事を知って怒るだろう。

 政府に対する圧力を強めるだろう。

 国会討論を正しく国民に伝えるメディアが必要だと思う。

 この山井議員の質問と舛添大臣、麻生総理の応答ぶりを、24時間繰り返し放映するようなメディアが出てこないものか。

 米国では国会中継専用のチャネルがある。

 そこまではしなくてもいいけれど、野党が政府を追い詰める質疑を、たとえばコマーシャルの間に断続的に24時間繰り返す、そういうテレビ局が出てこないものか。

 それが無理ならせめてネット上で、野党が政府を追い詰める国会審議のダイジェストを常時見られるようにならないか。

 国民の政治意識は間違いなく高まる。

 政府、官僚は間違いなく追い込まれる。

 それは新しい政治につながるかもしれない。

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2008年12月07日

 自衛隊のイラク派遣をこんな形で終わらせてはいけない

  12月6日の東京新聞に、一段の小さな記事で、航空自衛隊のイラク空輸部隊の活動状況に関する報道がなされていた。

  12月5日に、あの田母神前幕僚長の後任者である外薗健一朗航空幕僚長が記者会見で明らかにしたという。

  この記者会見の模様は他の新聞には報じられなかった。

  東京新聞の記事も虫眼鏡で見なければ見落とすような小さな記事だった。

  そしてその内容は次のような乏しいものだ。

 「・・・2004年3月から始まったクウェートとイラク間の空輸は815回行なわれ、人員4万6千人、物資671トンを運んだ。人員の内訳は(幕僚長は)明らかにしなかったが、06年に撤収した陸上自衛隊5千5百人往復利用したと仮定すると、残りは3万5千人。安倍晋三元首相の昨年の国会答弁をもとに国連職員の割合を差し引くと、残り約3万人は米軍中心の多国籍軍だったことになる・・・」

  なぜ幕僚長は空輸した内容のすべてを明らかにしないのか。

  なぜ東京新聞が仮定の計算をして記事にしなければならないのか。

  こんないい加減な形の記者会見ひとつで、自衛隊のイラク派遣を終わらせてはいけない。

  胸に手を当ててよく考えてみるがいい。

 自衛隊のイラク派遣は、戦後初めて自衛隊が重武装して戦地に赴いた一大政治問題であった。

 イラク戦争が始まり、小泉元首相のブッシュ追従による陸自のサマワ派遣が強行されたとき、一大論争となって日本中を揺るがした。

 給水活動が終わり、やる事がなくなったうえに危険になったので、陸自のサマワは撤退した。

 それと交替する形で始まったのが自衛隊の空輸活動であった。

 対米協力の証を示すために。

  その空輸活動は、今年4月の名古屋高裁判決で違憲と断じられた。

 日本政府の憲法解釈に立ったとしても、そしてイラク派遣法が合憲であるという日本政府の立場をとったとしても、どう考えても「戦闘地域」における「戦闘行為」への加担である、違憲、違法である、と断じられた。

  在日米軍基地の違憲性や自衛隊の違憲性についての地裁判決は過去にもあった。

  しかし自衛隊の海外派遣という政府の政策が違憲であると断じられた事は初めてだ。しかも高裁という上級裁判所による判決で。これは極めて重大な判決だ。

  その空輸活動が11月28日の政府の航空自衛隊撤収命令によってすべて終わる事になる。

  空輸部隊の撤収により、5年越しの歴史的な自衛隊イラク派遣はすべて終わる。

  次はアフガンとかソマリア沖などと言われているが、そうなるかはわからない。なるとしても先の話だ。

  とにかく、イラク派遣はこれで完全に終わるのだ。

  イラクが安定したから終わるのではない。

  米兵撤退の決断はオバマにも引き継がれる。オバマさへも撤収の決断は容易にはできない。

  イラク情勢は不透明であるからだ。中東情勢は不透明であるからだ。

  なによりも「テロとの戦い」が終わりそうもないからだ。

  それにもかかわらず自衛隊のイラク派遣が終わる。

  それはイラクが安定したからではない。

  顔をたてた米国のブッシュ大統領がまもなく退陣するからだ。

  ブッシュ大統領には十分尽くした。そしてオバマ政権からのイラク派遣圧力はない。

  結局日本政府の自衛隊イラク派遣は、イラク情勢とは関係なく始まり、イラク情勢とは関係なく終わるのだ。

  このような自衛隊のイラク派遣を、自衛隊幕僚長の記者会見一つで、しかも内容を隠すような記者会見で終わらせていいはずはない。

  日本政府は政府としての評価・報告を国民の前に提示すべきだ。

  財政危機の中で国民生活に必要な予算が軒並みに削られる中で、野党は、イラク派遣に使われた血税の総額と、その使途の適切さにつき、詳細な説明を政府に求めるべきだ。

  国民はそれを政治に求めるべきだ。

  メディアは、国民に代わってイラク自衛隊の評価の報道を行なうべきだ。

  12月23日に、自衛隊イラク派兵訴訟を行なった関係者たちが名古屋に結集して、航空自衛隊の帰国にあわせてその評価を行なう。

  めったに行動をしないものぐさで身勝手な私でも、この集会だけは参加しようと思っている。

  帰国する航空自衛隊部隊に伝えたいからだ。

  任務を終えて無事に帰ることが出来てお目でとう。ご苦労様。

  しかし、本当に充実した仕事をしてきたのか。

  日本の為だったのか。イラク治安に役立ったのか。血税を使うに値する仕事だったのか。

  それを一人一人に聞いてみたいと思っている。

  

 

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2008年12月06日

麻生首相に残された唯一の起死回生策は小泉を明確に否定することだ


  いわゆる先進主要国のなかで税金の使い方が日本ほど与党政治家、官僚の手に委ねられている国はない。

  血税が与党政治家、官僚にここまで食い物にされているのに、反乱や暴動が起こらずに我慢し、それを許している国民は日本人くらいだ。

  族議員は票欲しさに予算をばらまき、官僚たちはやたらに特別会計を乱造してその積立金を財布代わりに使ってきた。

  残ったのは膨大な財政赤字だ。

  それがあまりにも膨れ上がったので、今度はマッチポンプよろしく、財政再建が最優先だと騒ぎ立てる。

  そして「聖域なき改革」を唱えて登場したのが小泉偽改革であった。

  改革すべき官僚の利権、無駄には巧みに手をつけず、その一方で民営化の掛け声の下に福祉、医療保険の予算を削って国民生活に塗炭の苦しみを強いた。

  今の日本の混迷は、もちろん米国発のサブプライム問題から端を発した世界金融危機にから来ている。

  しかし、その危機の被害をここまで大きくしたのは小泉偽改革による国民イジメだった。

  経済崩壊を食い止めるにはもはや日本版ニューディール政策しかない。

  それは誰もが認めているところだ。

  それにもかかわらず、いまでも小泉偽改革から後戻りするな、という意見がある。

  その議論をめぐって自民党は分裂状態だ。

  しかし、民主党の中にも改革推進派は多数いる。

  朝日や日経のように今でもそれを唱えるメディアがある。

  他方において、国民の大勢は雇用拡大、年金、保険制度の充実を求めている。

  護憲野党の大勢も、国民生活重視である。

  それよりもなによりも、今こそ小泉元首相の対米従属、売国政策の責任を追及すべきではないか。

  そう考える国民は、間違いなく増えつつある。

  たとえば12月6日の朝日新聞の投書欄に次のような声が掲載されていた。

  「ブッシュ大統領が在任期間を振り返り『最大の痛恨事はイラクの情報の誤りだった』と述べた。あのブッシュ氏にして、遂にと思う。翻って小泉首相の国会における強弁。『大量破壊兵器が見つからないからといって、なかったとはいえない』。数のおごりにのぼせ上がった詭弁。追従した公明党の存在も忘れるわけにはいかない。イラク戦争への膨大な出費が世界同時不況の要因の一つにも挙げられている。自公政権はブッシュ氏のこの反省の弁をどう受け止めているのか・・・」

  問われるのは自公政権だけではない。

  小泉元首相こそ今その反省を国民の前で明らかにすべきだ。

  米国では、ブッシュもグリーンスパンもGMのワゴナーも、皆、国民や議会の前で恥を忍んで誤りを認めている。

  なぜ日本だけが、小泉元首相だけが、一切の責任を問われずに、息子に世襲して逃げおおせるのか。

  今こそ麻生首相は小泉改革は大きな誤りだったと国民の前で明言し、「骨太方針」をかなぐり捨てるべきだ。

  小沢民主党や野党からここまで悪し様に言われている。

  自民党内部からも批判の大合唱だ。

  メディアも一斉に麻生叩きだ。

  もはや失うものは何もない。

  ここは勝負に出る時だ。

  自民党を壊し、みずからの手で政界再編の流れをつくのだ。

  どうせ政治大混乱が起こる。ならばその口火をみずから切ってみたらどうか。

  自民党だけではなく日本の政治そのものを一旦ぶっ壊さなければならない。

  そこから新しい政治が生まれてくるかもしれない。

  政界大混乱を経て新しい政治が生まれてくるとすれば、その切っ掛けを作った麻生首相という事になるかもしれない。

  後世の人たちに語り継がれる首相になれるかもしれないのだ。

  半分冗談で書いているが、後の半分は本気で書いている。
  

  

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2008年12月06日

護憲政党が団結できない理由


 こういう事を書くから私は護憲政党から嫌われるのだが、私は今の日本の政治を全否定するものであるから、なんのためらいもなく書く。

 今のままでは日本の護憲政党に将来はない。

 それを気づかせるために敢えて書く。

 これほど平和憲法が危機にさらされているというのに、なぜ護憲政党が一致団結できないのか。

 対米従属政策から脱却できない自民、民主という二大保守政党が、擬似政権交代ごっこにうつつを抜かしてこの国を滅ぼそうとしている。

 そんな時に、なぜ弱者の味方であるはずの護憲政党が、戦争国家米国から自立した平和国家日本を目指す、力強い第三勢力を作ろうとしないのか。

 目の前の繰り広げられている日本政治の混迷を前にして、もしそのような第三勢力が日本の政治の中に出現するのなら、ためらいなくそれを支持する、そういう国民は、私を含めて多いはずだ。

 たとえそれが自民、民主に及ばない第三勢力であっても、少なくとも、消え行く社民党や、これ以上発展性のない日本共産党の議員を足した数よりも、はるかに大きい政治勢力になるに違いない。

 いわゆるアウフヘーベンというヤツだ。単なる足し算ではなく、質的転換を引き起こすのである。

 なぜ、護憲政党にそれがわからないのか。

 その答えを12月6日の産経新聞が見事に教えてくれていた。

 日本共産党の志位和夫委員長が5日国会内で麻生首相と異例の個別会談をおこなったというニュースをメディアが流している。

 派遣切りをやめさせるよう大企業と経済団体に対して政府の強力な監督、指導力を発揮してもらいたい、と申し入れたという。

 最近の共産党は、テレビを党本部に入れて放映させたり、政治娯楽番組に議員を積極的に参加させたり、蟹工船ブームに乗っかったり、財界と接触して正しい資本主義なら共存できると言ってみたり、鼻につくほどの宣伝ぶりだ。

 そしてとうとう自民党党首に直談判までして、弱者の味方を演じるに至った。

 私は、そのような共産党であっても、その言動が、単に日本共産党の党勢拡大という事にとどまらず、弱者のために少しでも役立つ政策を本気で実現しようとしているのであれば、評価する。

 その試金石として共産党に問いたい。なぜ同じような言動をしている社民党と協力して行なわないのか、行なえないのか、と。

 同じ事は社民党に対してもそっくり当てはまる。なぜ共産党と大同団結しようとしないのか。

 もし社民党が団結しようと呼びかけているにもかかわらず共産党がそれを拒否してきたのであれば、それを国民の前に明らかにすればいい。

 国民の目からみれば共産党に非がある事になる。

 ところが現実はそうではないのではないか。社民党もまた共産党との協力を拒んでいるのではないか。

 この私の素朴な問いに対し、12月6日の産経新聞が見事に答えてくれている。

 産経新聞はこう書いている。

 ・・・会談を持ちかけた共産党の思惑について(共産党)関係者は『雇用問題をテーマにすれば首相も断りきれないという読みがあった。わが党としても労働者の味方をアピールできた』と語る。
   共産党に出し抜かれた社民党の福島瑞穂党首は『やられた』などと周囲にぼやいているという・・・」

 護憲政党を悪し様に言う産経新聞が書いている記事である。

 この記事を額面どおりに読んでいいかはわからない。

 護憲勢力を分断する意図が隠された意図的な記事かもしれない。

 しかし、もしこの記事が事実に即した正確なものであるとしたら、やっぱりそうかと思ってしまう。

 もはや護憲政党は党利、党略にこだわっている時ではない。

 それぞれが一人や二人の議員を増やしてみたところで、弱者を助ける事はできない。

 政治にインパクトを与えるためには団結して保守勢力と対峙するのだ。

 なぜそれが出来ないのか。

 その答えを国民の前で語ることなく、命を守るのはわが党だ、憲法9条を守るのはわが党だ、と言ってみたところで、一般国民の心には響かない。

 

 

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2008年12月05日

 現場の職員に責任をかぶせて逃げる巨悪

  いつの時代も、どこの世界も、巨悪が罰せられる事はまれだ。

  いつもトカゲの尻尾きりで終わってしまう。

  それでもあきらめてはいけない。

  どうすればいいのか。

  間違った事がおこなわれていれば、「それはおかしい」といい続けることだ。

  12月5日の朝日新聞「私の視点」で社会保険労務士の中村彰雄という人が投稿していた。

  現場の職員だけを悪者にして年金改ざん問題を逃げ切ろうとするこの国の指導者たちこそ、真の責任者ではないか、国民はそれを追及していかなければならない、と。

  中村氏は、まず、次のような今の労働社会保険制度の問題点を指摘する。

  すなわち、今の制度の下では、50人規模の社員がいて、その社員の平均標準報酬30万円なら、従業員と事業主の保険負担料は年約4200万円となる。

  これを少しでも滞納すると、今の低金利時代には考えられない年率14.6%の高い滞納金を課される、という。

  そして、もし保険料滞納で差し押さえ処分にすると、中小零細企業は即座に銀行取引を停止され、その企業は倒産の憂き目にあうことになる。

  それを熟知している現場職員は、徴収率向上圧力とのはざまで苦悩している、というのだ。

  この現実の苦悩を知りながら現場任せにしてきた社会保険庁や、その親元官庁である労働厚生省の監督責任が問われなければならない。

  そしてその行政責任を官僚に丸投げしていた政治の責任は更に重大だと中村氏は指摘する。

  この投稿の極めつけは次のくだりだ。

 「・・・看過し得ないのは、小泉元首相が、出勤もしていないのに厚生年金の被保険者として会社から恩恵を受けていたことである。厚生年金の被保険者は健康保険の被保険者でもある。厚生年金および健康保険の被保険者の資格要件は1ヶ月の平均出勤日数が20日以上とされるなど厳しい。健康保険の被保険者と成りえないのに保険で治療を受けていた場合、詐欺罪の要件を満たす可能性すらある。
 『人生色々、会社も色々』などとのんきに言ってはおられないのに、追及しない与野党やメディアの態度は理解に苦しむ・・・情報公開を大胆に進め、本来のオンブズマン制度が有する強大な権限を持った独立行政委員会を設けて不正を監視、追及する必要がある・・・」

 そのとおりだと思う。

5日の新聞報道では、年金改ざんが行なわれていた実態を調べるための戸別訪問調査をやっているという。舛添大臣が、「調査組織を週内にも立ち上げてフォローアップをする」と述べたという。

 何をいまさらこんな無駄な事をやっているのか。

 現場の下級官僚に責任転嫁するのではなく、日本社会のシステム上の欠陥を是正し、巨悪の悪を監視、追及する、それを国民の手でおこなうこと、必要な事はこれしかない。

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2008年12月05日

政治家の数が多すぎるのではないか

 自民党の杉村太蔵衆議院議員が4日夜札幌市内で記者会見し、次期衆議院選に北海道1区から出馬する考えを表明したという。

 こんなことがニュースになるのだからやはり現職の政治家はたいしたものだ。普通の人間とは違った特別の人間だということだ。

 断っておくが私は杉村議員を個人的に批判するのではない。

 まだこんな国会議員がいたのか、過去3年余り政治家としての活動実績がゼロの議員が、なぜ再び立候補しようとするのか。果たして彼に誰が何票の票を与えるのか。

 そういう事を考えてみて、この国の選挙の限界、政治家の限界、そして有権者の限界について、考えざるを得ないのである。

 テレビを前にして彼は言っていた。二世、三世の議員が当たり前のように公認されるのに、どうして自分の公認が得られないのか、と。

 前半の部分は頷ける。しかし後半の部分は冗談だ。

 しかし、この杉村議員を笑ってはいられない。

 今度の総選挙は民主党が勝つと誰もが思い始めた。だから民主党公認で立候補すれば勝てる、と。

 ちょうど三年前の小泉刺客選挙の逆バージョンだ。玉石混合の多くの議員が乱造されるに違いない。

 なぜこんな事が起きるのか。

 それは政権を取るために数がいるからだ。単純計算すれば衆議院の過半数は240だ。

 それをめぐっての数の争いだ。

 果たして国会議員はそんなに必要なのか。

 いまの国会議員で法案作成や政策論議にかかわっている議員はほんの一握りである。

 大多数の国会議員は、選挙に勝つためだけの議員である。法案採決の数あわせの議員である。

 法案の中身もろくに知らずに採決に参加する。

 今度の国籍法改正案採決でも、その寒々しい現実が明らかになっている。

 裁判員制度の法案にしても後期高齢者医療制度の法案にしてもそうだった。

 大多数の国会議員はそれでも国会議員で務まっているのだ。

 国会議員というだけで億単位の歳費や活動費が血税から支払われる。

 だから杉村議員は公認されて立候補したいのだ。

 有象無象の連中が、今度の選挙で民主党公認で出馬したいと躍起になっているのだ。

 その一方で、非正規職員として首を切られ、路頭に迷う国民が悲鳴をあげている。

 それに対して政治家はなんら手を打てないでいる。

 どう考えてもおかしくはないか。

 国民は目を開いていまの政治を直視すべきだ。

 リストラの必要性は民間企業だけの話ではない。

 国民のための政治や行政ができない政治家を、このまま養っていく余裕は国民にはない。

 

 

 

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2008年12月04日

 麻生も小沢も駄目だ、という民意は正しい


 少し前の世論調査で、「誰が首相にふさわしいか」という問いに対して、麻生17%、小沢17%、に対しどちらでもないが60%という数字があった。

 これを見た自民党関係者や自民党支持者は今度こそ麻生自民党は駄目だと嘆き、解散・総選挙前の新党結成の動きに慌てふためきだした。

 その一方で、小沢一郎支持者や「何はともあれまず政権交代だ」と考える民主党支持者は、国民人気で麻生太郎にダブルスコアで負けていた小沢一郎がやっと麻生太郎と並んだ、これで確実に選挙に勝てる、と喜んで、口を開けば解散・総選挙を迫る。

 いずれも誤りだ。

 この世論が端的に示しているのは、麻生も小沢も駄目だという事なのである。

 それはそうである。

 今の国民は、余裕のある連中は政治なんかどうでもいいと思っている。「自分の生活は自分で守る」と考えて手を打っている。その一方で、明日の生活もままならない国民は、政治を考える余裕はない。それどころか何の助けにもならない政治など腹立たしい限りなのだ。

 この日本の分裂、崩壊を一刻も早く立て直すこと、そのこと以外に、いま与野党の政治家が成すべき事は何もない。

 新党の動きや大連立の動きがなぜ盛り上がらないか。

 それは、それらの動きが民意とあまりにもかけ離れているからだ。

 国民の心を揺さぶる動きではないからだ。

 それらの動きが、既存の政党や政治家の、政権欲しさや生き残りのための動きでしかなく、それについて報じる政治報道が、そんな政治家たちともたれあっている業界報道になっているからだ。

 今日(12月4日)発売の週刊文春12月11日号に「永田町の『裏切り』と『暗闘』」という特集記事がある。

 その記事は、麻生首相が世論からも自民党からも見捨てられ、永田町は「麻生後」に向けて走り出した、という今はやりの記事であるが、その中に次のような注目すべきくだりがあった。

 ・・・麻生氏が空気を読めずにいる間に、民主党の小沢氏は「麻生後」を見据えた動きを見せている。選挙後の協力を考えてか、あえて本気で候補者を立てない選挙区があるというのだ。
   「その選挙区は五つある。田中真紀子、亀井静香、江田憲司、平沼赳夫、渡辺喜美の地元です」(民主党担当記者)・・・

  この記事が本当かどうかはもちろんわからない。しかし妙にうなづける。

  そして、もしそれが本当であれば、今度こそ私は小沢一郎の民主党を見限る事になる。

  考えても見るがいい。

  ただでさえ旧社会党議員と松下政経塾出身議員を抱え込んだ哲学なき政党である。

  これら5人がそれに加わるとすれば、分裂しないほうがおかしい。

  小沢一郎はやはり保守大連立論者であり政界再編論者だ。

  国民を裏切り続けた自公政権から、とにかく少しでも国民の為になる政権に交代して欲しい、そのためには何が何でも民主党に勝たせたい、そう純情に考えて小沢民主党に期待している善良な国民は裏切られる事になる。

  私もその一人だ。しかしどれほど政権交代が必要であろうとも、譲れない最後の一線はある。

  民意の60%はそれを教えてくれているのだ。

  与野党を問わず、いまの政治家の中で、あらゆる政界再編、大連立を否定する、民意60%にストレートに訴える政治家が出てこないものか。

  それが当選の最短距離であることにどうして気づかないのか。

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2008年12月03日

インド同時テロは日本への警告でもある。それに気づくかどうかだ。


 インド同時テロは、邦人の犠牲者を出したという意味で日本とっては9・11につぐ衝撃的な事件であった。

 メディアもその観点からの報道ばかりだ。

 しかし、この事件の本当の深刻さは別のところにある。

 最初に核戦争が起きるとすれば、それは米ソ間ではなくインドとパキスタンだと言われるくらい、インドとパキスタンの関係は、常に融和と敵対関係の微妙な綱渡り関係にある。

 こんどの事件で再び両国の緊張関係が懸念されるという指摘はすでに多くのメディアでなされてきた。

 そしてまた、今度の事件はインドとの経済関係強化を進めようとしている日本企業に水を差した事も事実だ。

 しかし、本当の深刻さは別のところにある。

 反米、反イスラエルのイスラム過激派によるテロが、ついにインドにまで及んだという事である。

 その事を日本のメディアで初めてはっきりと書いたのが12月3日の東京新聞、ムンバイ発内田康という記者の記事であった。

 インドにおける今回のテロの理由の一つは、イスラエルのインドに対する軍事協力であるという。

 すなわち、あのグルジア戦争の時も指摘されたのであるが、イスラエルは徹底した軍事輸出国家である。

 自国の安全保障の役に立つ国に対しては、兵器輸出はおろかテロとの戦いへの情報、技術協力を惜しまない。

 周囲をアラブの敵国に包囲されたイスラエルにとって、東にある大国インドとの協力関係構築は決定的に重要であるが、それに加えて、いまやイスラム過激派の巣窟ともいうべきパキスタンと対峙するインドはイスラエルにとっても軍事協力しなくてはならない国であった。

 今回のテロ犯の狙いの一つは、そのようなイスラエルに対する警告であり、インドとパキスタンの関係を緊張化させて米国、イスラエルを苦境に陥れる事にあるといわれる。

 しかし私がもっとも衝撃を受けたのは、内田記者の記事の中の次の箇所である。

 「・・・テロ事件で逮捕された容疑者(21)は、捜査当局に『パレスチナ難民のかたきを取るために狙った』と供述した・・・」

  パレスチナ人に対するイスラエルのあくなき弾圧は、イスラム同胞の反発を高める一方である。

  その反感と憎悪は、我々には想像できないほど強く、激しい。

  その憎悪が、オサマ・ビン・ラディンを産んだ。

  そしてその憎悪の高まりは、もはやオサマ・ビン・ラディンの手を離れ、オサマ・ビン・ラディンの生存の有無とは関係無しに、パレスチナ状況の悪化とともに確実に世界に広がりつつある。

 「テロは許せない」とか、「テロとの戦いは世界の安全のためだ」などと、パレスチナ問題を理解する事無く対米従属に突き進んでいる日本は、今こそ考え直す時だ。

 反イスラエルのアラブ過激派との戦いをハルマゲドン(最終戦争)と考えるイスラエルと、そのイスラエルを無条件に支持する米国の「テロとの戦い」を、日本は止める事が出来ない。

 しかし、少なくとも彼らの狂気じみた殺戮から、日本は一刻も早く手を引くべきだ。

 9・11の後に起きた様々な事件は、この事を繰り返し日本に警告してきた。

 今度のインド同時テロもまたその警告なのだ。

 いつまでも警告を無視していると、日本はその将来を見誤る事になる。

 
 

 

 

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2008年12月03日

「高知白バイ冤罪事件」を知っていますか?


 果たしてどれだけの国民が「高知白バイ冤罪事件」を知っているだろうか。

 少なくとも私は知らなかった。講演で高知を訪れたときに耳にするまでは。

 そして、その事件を知って、検察、司法の対応に疑義を抱いた私は、かつてこの問題をブログで取り上げたことがある。

 12月1日の朝日テレビが収監される片岡さんとそれを見守る家族の無念を取り上げていた。

 それを知って、あらためてこのブログで書きたくなった。

 国家権力の卑劣さと不正義を監視し、それを糾す事は本来は政治の仕事であり、政治家の責務である。

 しかしながら、政治は政局に忙しく、政治家は選挙で当選する事を最優先して、自分と利害関係のない一国民の救済に、親身になって動く者はまずいない。

 最後に頼るところは国民の良心と正義感しかない。

 それに訴えて、世論の力で国家権力の誤りを糾弾し、是正していくしかないのだ。

  そこで高知の白バイ冤罪事件である。

  この事件の概要は一口で言えば以下の通りである。

 いまから二年ほど前の06年6月に、高知県春野町の国道でスクールバスに高知県警の白バイが衝突し白バイの警官(25)が死亡するという事故が起きた。
 警察の調べで、スクールバスの運転手である片岡晴彦さん(54)の業務上過失致死とされ、検察の起訴、高知地裁、高裁での有罪判決を経て、08年8月に最高裁が片岡さんの上告を却下した事により片岡さんの有罪が確定した。そして片岡さんは10月に収監された。
 しかし、この事件は地元では当初より検察側の起訴や高知地裁、高裁の判決には疑義がが呈せられていた。今では冤罪であるという声が地元関係者やメディアから上がっている。
 そして、12月1日のテレビ朝日は、この問題を特集して取り上げ、あらためて片岡有罪に疑義を呈して。

 もとより冤罪とは、無罪が確定したときに言えることだ。

 いまはやりの言葉で言えば「濡れ衣を着せられた」という事である。

 検察、司法があくまでも有罪と主張している現在、冤罪であると断定はできない。

 また、過去の多くの冤罪疑惑がすべて冤罪となっている訳でもない。

 だからこの白バイ事故も冤罪だと100%断言する自信は私にはない。

 しかし、関係者や目撃者の話を聞くにつけても、そして検察や司法の起訴理由、判決理由があまりにも弱い事を考えると、冤罪の疑念は募る。

  過去に冤罪が間違いなく存在した。

  今もなお、国家権力に人権が蹂躙されたまま多くの人が冤罪を訴えて苦しんでいる。

  長い闘いの後に晴れて冤罪が確定した人は幸いである。その一方で冤罪と闘いながら一生を棒に振った人もいる。

  もしあなたが片岡さんのように、冤罪の疑いで収監されたとしたらどうだろう。

  いくら助けを求めてもかなわない。これほの不条理があるだろうか。

  これほどつらく、悔しく、腹立たしい事があるだろうか。

  高知白バイ冤罪事件が全国紙で取り上げられた事がかつてあっただろうか。少なくとも私の記憶にはない。

 この問題はもっとメディアが取り上げるべきだと思う。

 冤罪というものの残酷さに我々はもっと敏感にならなければいけない。

 冤罪を犯す危険性のある国家権力の怖さについて、我々はもっと警戒し、監視しなければならない。

 そして国家権力が個人の人権を蹂躙するような事があれば、我々は厳しい処罰を国家権力にもっと強く、激しく、迫っていかなければならないと思う。

  

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2008年12月02日

政界大混乱が起きる(その②)

  もう一つの可能性は小沢民主党が、総選挙前に大連立内閣を発表して、挙国一致政権をつくる事になるというシナリオである。

  月刊「選択」という雑誌の12月号に「予想される民主党内閣の顔ぶれ」が出ていた。

  それによると民主党の主要議員のほかに、民主党以外の閣僚として次のような名前が挙がっていた。首班はもちろん小沢一郎である。

  外務大臣        加藤紘一(無所属? 前自民党))
  財務大臣        榊原英資(民間)
  文部科学大臣     平沼赳夫(無所属)
  経済産業大臣     亀井静香(国民新党)
  国土交通大臣     笹森清  (民間 前連合会長)
  環境少子化大臣    福島瑞穂(社民党)
  財政金融担当大臣   寺島実郎(民間)
  地方分権担当大臣   田中康夫(新党日本)

  

 私はかつてこのブログで、もし民主党が今度の総選挙での勝利を確実にしたければ、閣僚名簿を選挙のマニフェストにして闘うべきだ、と書いた事がある。

 その時は半分無責任で書いたのだが、この「選択」の予想顔ぶれを見ると、小沢一郎ならやりかねないと思うようになってきた。

 奇しくも12月1日の報道では、麻生、小沢の党首討論が終わった夜、小沢一郎は鳩山由紀夫、田中康夫と都内のすし屋で会食した席で、「(次の政権は自民、公明両党との連立も視野にいれた)超大連立だ」と語っていたという。

 「選択」の予想閣僚名簿に太田あたりを入れればその通りになる。

 そしてこの場合も、本質的には保守大連立である。

 共産党は最初から外され、福島社民党は、かつての村山社会党のように、この大連立政権にとどまる限り、名前だけ利用されてその政策を実現する余地はない。


 自民党分裂といい、超大連立といい、外されるのは護憲政党だ。

 それがわかっていながら、護憲政党が大同団結できないところに、この国の政治の不毛さがある。

 保守政権と対峙する国民的護憲政党が出来ないものか。それを率いる魅力ある政治家が出てこないのか。

  

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2008年12月02日

政界大混乱が起きる(その①)


 政局について書くのは私の専門ではない。

 しかしここに来て俄かに政局が大混乱の兆しを見せ始めた。

 日本の政治はどうなるのか。

 私の予測を二回に分けて述べてみる。

 どうやら日本の政治は100年に一度の混迷政局に突入しつつあるようだ。

 キーワードは政界再編と大連立である。決して政権交代ではない。

 政界再編といえば総選挙後に起きると相場は決まっていた。

 つまり今度の総選挙は、麻生自民党と小沢民主党の政権交代をかけた選挙であると皆が思ってきた。

 そして私を含め多くの者が、何はともあれ一度は政権交代を実現しなければ日本政治は変わらない、という思いで、小沢民主党を応援してきた。

 今の民主党が自民党と本質的に変わらない政党であっても、そして小沢一郎という政治家が嫌いでも、それらに目を瞑って政権交代を望んできた。

  しかし、残念ながらそうはならない。

  総選挙前の政界再編が起きるのである。

  その仕掛け人はもはやこのままでは選挙に勝てないと悟った自民党であり、いまでも自民党の一部との大連立を願っている小沢一郎である。

  自民党では勝てない。しかし自民党議員として権力のうまみを知ってしまった以上、総選挙に負けて野党になるのは堪えられない。

 この二つの要請で生まれるのが、自民党をいったん分裂させ、分裂した後の新政党による政権維持である。

 しかし、 その主導権を握るのは、例えば塩崎泰久や渡辺善美や後藤田正純などの二世議員の若造が作ろうとしている新党の動きではない。森善朗がいみじくも言った通り彼らは目立ちたいならお笑いタレントになればいい、その程度の連中だ。顔ぶれがお粗末過ぎる。政界再編の軸にはなりえない。

 良くも悪くも、政局は、55年以来一貫して政権を担ってきた自民党の古老の政治家の、生き残りをかけた執念によって動く。そしてその中には、自民党の要職を歴任してきた自民党体質の小沢一郎も含まれる。

 自民党が解体すれば、同時に民主党も解体される。

 政権交代が現実のものになりつつある時に解体する馬鹿はいない、だから民主党はどんなにバラバラでも解体しない、そう思うのは常識だ。

 しかし小沢民主党はそうではない。

 小沢民主党に政権を取らせるぐらいなら、解体・分裂した後の自民党議員と組んで新たな政党を作ったほうがましだ、と考える小沢アレルギーの民主党議員が少なからずいる。

 小沢一郎もまた、そんな連中と組んで政権を取るよりも、かつての自民党議員の一部と組んで政権を掌握する方がいい、と考える政治家である。

 かくして、保守新党の乱立による選挙が行なわれ、その後の保守連立政権、すなわち旧自民党体質を引き継いだあたらな自民党的政権が出来るのである。

 
  

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2008年12月01日

  政治報道の正体


 いま発売中の新潮45という月刊誌の12月号に、フリージャーナリスト上杉隆氏の手による興味深い記事を見つけた。

 さきの月刊文芸春秋11月号に掲載された麻生手記によって、麻生首相は冒頭解散を決めていたのではないか、という事が明るみになった。その事が国会質問で取り上げられたほどだ。

 その麻生論文が、実は麻生首相が書いたものではなく、朝日新聞の現職政治記者である曽我豪という編集委員の手になるものだ、と上杉氏は書いているのだ。

 ついでに言えば、上杉隆氏はまた、月刊文芸春秋の連載政局インサイダー記事である「赤坂太郎」の書き手もまた曽我豪氏に違いないと書いている。

 因みに、この曽我豪という朝日新聞の政治記者は、2005年の新党(国民新党)づくりの際の亀井静香、田中康夫長野県知事(当時)会談の報道を、あたかも田中康夫知事から直接したかのように虚偽報道した事件で、関与者の一人として戒告処分を受けている政治記者である。

 政治家と政治記者の癒着関係や、もたれあい関係は、何も珍しくはない。

 ましてや政治家のスピーチや著作を代理人が書くという事は当たり前の事である。

 何事も日本が真似をしたがる米国では、ジャーナリストが政治任用されて、公然と大統領のブレーンやスピーチライターになっている。

 だから上杉氏もその事自体を問題にしているのではない。

 問題は政治家と政治記者の協力関係が日本では隠されているという事である。

 米国では現役のジャーナリストが同時に大統領の協力者となることはない。

 すなわち、大統領の協力者になる時はジャーナリストの仕事をいったん辞めてからこれを行なう。

 ジャーナリストとして政治記事を書く間は、決して同時に特定の政治家の協力者にはならない。

 この原則が守られるからこそ、メディアと権力の腐敗がギリギリのところで守られるというのだ。

 これは正しい指摘だと思う。

 日本の政治報道が米国のそれに比べ上質な報道が少ないのは、このけじめのなさに違いない。

 匿名性の影に隠れてしか本音を書くことのできない保身性に違いない。

 特に、大手メディアの政治記者は、権力者に逆らって情報源を失う事を恐れ、地位をなげうって国民に真実を知らせる覚悟を持つことなく、今の恵まれた境遇に安住しすぎているのではないか。

 私は、フリージャーナリスト上杉隆がどれほどのジャーナリズム魂を持った政治記者だかは知らない。

 しかし、少なくともこの新潮45の記事は興味深く読ませてもらった。

 ちなみに、新潮45の12月号には、もっと興味深い記事があった。

 あの田母神前航空幕僚長が、M資金の詐欺話に危うく引っかかりそうだったという記事だ。

 そのような脇の甘い人物が国防のトップだった事に慄然とし、やめてもらう切っ掛けとなった論文事件は国益にかなった論文であった、という記事に、妙に感心させられた。

 ついでながら、この詐欺未遂事件がまったく新聞には報じられないのはどうしたことだろうと思ってしまう。

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