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2008年11月22日

あっさりと馬脚をあらわした政治屋そのまんま東


 11月22日の毎日新聞を読んで、思わず笑ってしまった。

 20日の夜宮崎県延岡市の講演で口走った東国原英夫宮崎県知事の次の言葉を知ったからである。

 国政への転身を聞かれた時の返答であるという。

 「なるからには閣僚かトップ(首相)です。初当選、初入閣。そうでない限り行きません」

 これでわかった。自民党から衆院選へのラブコールが送られた時、東国原は、県民の反対を知ってあきらめたと伝えられた。

 しかし、それが真の理由ではなかったということだ。

 転身の条件として「大臣の椅子」を求めたがそれが受け入れられなかったから止めたのだ。

 自民党が負けて野党になれば国会議員になっても意味はない、と計算して止めたのだ。

 毎日新聞のその記事はさらに続ける。

 「県民から『頑張ってください』と宮崎の活性化を期待する声や心の叫びが日々伝わってくる」と、県政を担う意欲を述べた・・・

 そうだ。県政に全身全霊を打ち込んで県民のために人生をまっとうすればいいのだ。

 間違っても国会議員になりたいと考えるな。これ以上政治屋が増えたら政治は本当に崩壊する。

 

 

 

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2008年11月22日

私はこういう人を褒め称える

 
 政事評論家の岩見隆夫氏は出身元の毎日新聞で毎週「近聞遠見」というコラムを書いている。

 11月22日のそのコラムは面白かった。勉強になった。

 「特別会計の病理に迫った男」と題するそのコラムは、10月末に出版されたばかりの「特別会計への道案内」(創芸出版)の著者である松浦武志という政治家秘書について書いていた。

 松浦武志は京大法学部に在学中から司法試験に挑戦し、14回落ちる。大学には10年在籍した。その後大学同期の前原誠司民主党議員の秘書を皮切りに6議員の秘書を務めるうちに、特別会計の病理に気づき、03年にいったん秘書を辞めて、その解明を決意した。膨大な資料と格闘しながら約1年かけて書いたのがこの本であるという。

 松浦武志という人物は偉いと思う。批判こそすれめったに人を褒めない私でも、褒めるべき人は褒めるのである。

 岩見はこう書いている。「特別会計の暗部に最初に着目したのは、6年前に刺殺された民主党の石井紘基衆院議員だった。『だれも知らない日本国の裏帳簿』(道出版)の著書が残っている。だが、石井は問題提起だけで各論がない。松浦がそれを埋める形になった」

 その松浦から岩見が聞いたという次の言葉は、この国の特別会計の病理現象を見事に言い当てている。

 「一に無駄遣い、二に無駄なためこみ、三にそれらが見えにくい事、ためこみはいっぱいあって、カラクリも複雑で計算が簡単でない。とにかく積立金自体が(それを所管している)役所の力なんです。(官僚たちは)全身全霊でフトコロを増やしてきた・・・」

 いまでは特会で通用するようになった約370兆円(08年度)の巨大な塊は、一般会計約83兆円の約4.4倍。

 その特別会計がらみの話は、昨年来の埋蔵金論争から、ガソリン暫定税率問題、最近の定額給付金騒動まで、次々と政治問題化してきた。

 しかし、国民はまだ特別会計に隠された、官僚たちの税金私物化の実態を、ほとんど知らされていないままだ。

 この最大の病理を一人で究明し、国民に知らせてくれた松浦は、どんな政治家よりもはるかに立派な仕事をして見せてくれた。

 非業の死を遂げた元厚生次官についてメディアではその功績を称える報道で埋め尽くされている。

 しかし彼もまた、特別会計という税金の恩恵を誰よりも享受した張本人であったのだ。

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2008年11月22日

心優しき反逆者たち

 朝日新聞土曜版に「うたの旅人」という連載がある。

 これは私の愛読欄であるが、11月22日のそれは70年代の初めに大ヒットした神田川の作成の裏話が書かれていた。

 「神田川」は私の愛好曲の一つでもあったので読んでみた。

 その概略はこうだ。

 ・・・デビューしたての南こうせつ(59)が、ラジオ局で台本書きのアルバイトをしていた当時23歳の喜多條摩忠(まこと)(61)に頼んで出来た曲である。

 締め切りは今日中だと頼まれて、いくらなんでも無理といってタクシーに乗った喜多條は、神田川のほとりでタクシーを降りた時、「この川の下流で一緒に暮らした人がいたと思い出した」。その瞬間歌のタイトルを「神田川」と決めた。

 思い浮かんだ風景は5年前の東京・高田の馬場。帰宅し、猛然と歌詞を書き付けた。「手元にあったスーパーの折込広告の裏に歌詞を書きとめたんです」

 喜多條からの知らせを受けた南はギターを引きながら歌う。作詞を始めて曲が完成するまで、1時間もかかっていない。南は次に「歌にあわせて自由に演奏してほしい」とバイオリン奏者の武川雅寛(57)の前で歌う。「やります」と立ち上がった武川は即興で、夢のようなイントロを奏でた。

 東京で4畳半の下宿に住み銭湯に通ったのは喜多条や南だけではない。バンドの誰もが歌詞に共感した。「みんながあの詞に感動して、自分の思いを注ぎ込んだ」と南は語る。

 とはいえ、メロデーは単調で、プロデューサーは「変な歌だね」と酷評した。ラジオで紹介するとリクエストが殺到したが、世論は南さんに「軟弱な4畳半フォーク」と冷水を浴びせた。

 軟弱どころか「神田川」が実は闘う男の歌だった事を南さんが知るのは、それから約20年後のことである。

 「神田川」が若者の心をつかんだ70年代は学生運動の時代だった。「心優しき反逆者たち」で作家の井上光晴氏は、「心の冷たい反逆者は本来ありえない」と書いた。やさしさの底にあったのは他人への愛とともに、自分流の人生を貫くという自己への愛ではなかったか。

 神田川の詞は当初、「何も怖くなかった」で終わっていた。本当にそうか。怖いものは何もないのか。そう思ったとき、デモから帰った下宿でカレーライスをつくる彼女の後ろ姿を、喜多條は思い出した。

 一市民として安穏と生きる人生。それは拒まなければならないと思っていた喜多條の頭には、いつも彼女の後姿がある。彼女の優しさを思うとき、その彼女を哀しませる反逆人生を貫いていいのか、と怖くなる。

 その唯一の怖さを抱きながら、「優しさに安住しない人生を生きるぞ」という男の闘争宣言がこの歌だったのだ・・・

  ご多分にもれず、私が神田川を好む理由は、「何も怖くなかった。ただ貴方の優しさだけが怖かった」、というあのせりふだ。

  貧しくとも愛する男と一緒に銭湯通いができるささやかな幸せに満足し、彼があまりにも優しすぎる、それが唯一怖かった、というこのせりふは、およそ欧米文化では理解しがたいだろう。

  しかし、「幸せも中ぐらいなりおらが春」、という日本に住む私には、その心情が良くわかる。

 朝日新聞のこの記事を読んで、実は「貴方」が男性ではなく、「女性」であったこと、つまり闘争人生に悔いはないが、黙ってついてきてくれる彼女の優しさに申し訳なく思った、その優しさが怖かった、という本当の意味を知ったのは意外だった。

 しかし、私の、この詞に対する思いはかわらない。

 さて、いつものように前置きが長くなったがここからがブログで私が書きたいことである。

 「神田川」を好む者と、それを好まない者は、この日本にも間違いなく存在する。

 70年代の日本を知らない今の若者がこの詞の世界にぴんと来ない事は十分理解できる。

 しかし私が言いたいのは、70年代に青春を送った団塊の世代の中でさえ、この詞を好む者と、「変な歌だ」、「軟弱だ」、と一蹴する者に分かれるのである。

 その違いは何か。

 それは、成功を願い、その生き方に疑問を持たずに成功を目指してまっしぐらに走って人生を終わるものと、世の中の矛盾と偽善に反逆して反逆する者との、永遠の乖離である。

 この文学的記事を書いていたのが、「反米大陸」(集英社新書)を書いて戦争国家「米国」を糾弾している朝日新聞記者の伊藤千尋であるところがいい。

 彼もまた「心優しき反逆者」の仲間に違いない。「神田川」のフアンに違いない。

 国家権力の上にあぐらをかき、現役を退いた後も天下りを重ねて一生を終わる官僚たちは、自らの人生に疑問を持つ事はないのだろうか。

 「神田川」の世界は自分とは無縁のつまらない世界だと一蹴するのだろうか。
 

 

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