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2008年11月11日

 やりがいのない仕事が自衛隊組織を異常にさせる


  田母神前幕僚長の参考人招致を報ずるニュースを見て、たとえようもない異常さを感じた。

  これは倒錯した世界だ。開き直った田母神前幕僚長の勝利である。無理が通って道理が引っ込んでしまった。

 質問する側の稚拙さとあいまって田母神前幕僚長が英雄のようになってしまった。

 なぜ自衛隊幹部はここまで倒錯してしまったのか。

 11月11日の毎日新聞「記者の目」に注目すべき記事があった。

 東京社会部の滝野隆浩という記者が、海上自衛隊の特殊部隊の訓練死事件はなぜ起きたのかについて、その背景を考察している。

 一言で言えば、仕事に対する「達成感」がない為の、「行き場のない不満」のなせる結果ではないか、ということだ。

 特殊部隊は、99年3月の能登半島沖で起きた不審船事件を契機に創設された。

 当時、不審船を追跡し「立ち入り検査」の準備をしていた護衛艦「みょうこう」の艦内は極度の緊張感につつまれていたという。

 射撃訓練も殆どしない海上自衛隊の隊員は、防弾チョッキもなしに、北朝鮮の特殊工作員が銃を構えている可能性が極めて高い不審船に乗り移って検査しなければならない状況だったという。

 震えながら遺書を書いた隊員もいたというし、分厚い漫画週刊誌「少年ジャンプ」を戦闘服の腹に押し込んだ隊員もいたという。

 結局、立ち入り検査の出動命令は出されなかったが、これを機に海自は特殊部隊の必要性を痛感し、2年がかりで特殊部隊ができあがった。

 しかし創設から7年、立ち入り検査を唯一の任務とする特殊部隊に一度も出動命令は出されなかった。死に物狂いで訓練して、緊張しながら待機し、酒を飲んで発散し、また訓練・・・

 次第に、その達成感のなさに、皆行き場のない不満を感じるようになったという。

 「集団リンチ」や「いじめ」としか思えない訓練が行なわれて25歳の隊員が死ぬに至った背景には、そのような重苦しい雰囲気はなかったのか、

 滝野記者はそう書いているのだ。

 この指摘は、実は自衛隊という組織全体に共通して言える事ができるのではないか。

 平和国家日本において、なぜ自衛隊組織に不祥事が起きるのか。

 それは組織自体の達成感のなさにあると思う。

 その達成感のなさとは何か。

 それは、一つには、戦争に縁のない平和な日本における自衛隊の役割が災害救助ぐらいしかない、という現実にある。

 かつてイラクのサマワに始めて重装備をした出動命令が下された時、若い隊員は高揚して酒場で気勢をあげたという。

 それを傍で聞いていた定年間際の自衛官の一人が、自分はついに在任中に一度も武器を手にして出動命令を受けたことがなく自衛隊の任務を終える事になるが、その事を誇りに思う、とつぶやいた、という記事を読んだ事がある。

 この退官間際の自衛官は、憲法9条の下における自衛官の鏡である。

 しかし、現実の自衛隊員には、やはり出番がない自衛隊勤務は、達成感がなく欲求不満となるに違いない。

 よほどの憲法遵守意識と教育が徹底していない限り、平和時の軍隊に意義を見つける事は難しいのかもしれない。

 そして、その自制心と自己鍛錬の欠如する自衛官の中から、田母神前幕僚長のような倒錯した自衛官が生まれるのだ。みずから達成感を捏造するのである。

 しかし、私は自衛隊の達成感のなさの、本当の理由は他にあると思っている。

 それは何か。

 日本の国防とは何の関係もない米国の戦争に協力させられてしまったという事だ。

 米国の指揮命令に服し、米軍の下働きをさせられている自衛隊の現状こそ自衛隊員の意識を崩壊させているに違いない。

 そのうち米国の「テロとの戦い」のため、「テロ」を殺し、「テロ」に殺される事になる。

 日本国を愛し、日本国民を守る為に自衛隊に入った者であれば、そんな任務には堪えきれるはずはない。

 自分のやっている事が、日本人のためではなく米国のために命を賭けさせられている。

 これこそが究極の不毛な任務である。

 達成感のない仕事である。

 今の自衛隊組織が深刻な問題を抱えているとすれば、まさしくこの達成感のなさに違いない。

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2008年11月11日

 権力の前に沈黙する風景


 11月11日の朝日新聞に次のようなエピソードが書かれていた。

 麻生首相が国会答弁で戦争責任に関する過去の政府答弁を「ふしゅう」する、という答弁を重ねているという。

 たとえば11月7日の参院本会議で、田母神論文問題を問われて、村山談話を「ふしゅう」するといい、その前の10月15日の参院予算委員会でも、慰安婦問題で旧日本軍の関与を認めた93年の河野官房長官談話を、やはり「ふしゅう」すると答えたという。

 「踏襲(とうしゅう)」という言葉のあきらかな誤読である。

 ところが、秘書官をはじめ周りの誰も、麻生首相に間違いを指摘しないらしい。

 参院事務局は自主判断して議事録に踏襲と記録したというのだ。

 驚くべきは、麻生首相が外相だった昨年も、河野談話を「ふしゅう」と答弁していた事だ。

 その時は参院事務局が外務省に問い合わせて「踏襲」と確認して議事録に載せた。

 誰も麻生首相、麻生外相に、間違いを指摘することなく、今日に至っていたとは驚きだ。

 そういえば11月9日の毎日新聞にも、権力の前にたじろぐ政治家、官僚の姿が浮き彫りにされていた。

 田母神事件の内情をスクープして一面に報じた毎日新聞の記事の中に、辞職を迫る浜田防衛相や増田次官に対し、田母神前空幕長が、「私の考えは理解されている」と言って唐突に元首相2人の名前を挙げた事が乗っていた。

 この裏話は興味深いが、問題はこの発言に、浜田防衛相、増田次官が「身構えた」、というくだりである。

 それを解説していたテレビコメンテーターの一人は、これで追及が腰砕けになったとしたら、それが一番深刻な問題だ、と言っていた。その通りだ。

 このふたつつの新聞記事に見られるエピソードは、この国の政府関係者が、国家権力の前に沈黙する、という風景を見事に示している。

 この風景は日本人社会全体に認められる現象なのかもしれない。

 しかし、少なくとも政府関係者においては、権力者の誤りを訂正する勇気を持って欲しい。

 権力者の誤りが放置される事による国益の損失は、計り知れないからである。

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