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2008年11月30日

パレスチナ問題 ー 絶望の中に希望を求めて

 しばらくの間忘れかけていた私の頭に再びあの「パレスチナ問題」が入り込んできた。

 何気なくチャネルをまわしていたら、NHK教育テレビがイスラエル占領下のパレスチナの映像を流している事を見つけた。

 イスラエル軍の戦車に少年たちが石を投げつけている。その少年たちを追い回して戦車が発砲する。

 究極のイジメである。

 しばらく見た後、チャネルを切り替えた。

 後で新聞の番組欄で調べたら、第35回日本賞受賞作品「ヨルダン川 二つの学校」というドキュメンタリー作品であることがわかった。

 どのような内容の映画であるか、数分見ただけでは勿論わからない。

 しかしこの映画の一コマは、しばらく忘れかけていたパレスチナ問題について、私の心に二つの思いを蘇らせてくれた。

 パレスチナ問題、その途方もない絶望と、かすかに見える希望、である。

 最近の日本の報道ではほとんど報じられる事はなくなったが、パレスチナでは連日絶望的な日々が続いている。昨日も今日も、そして果てしない明日も。

 ブッシュもライスも、何一つ問題を解決することなく、たち去ろうとしている。

 まるで世界が見捨ててしまったかのようなガザのパレスチナ人は、その間も日々巨大な監獄のような状況に置かれたままだ。

 行動の自由はおろか、食糧も医薬品も、何もかも欠乏した、想像を絶する非人間的な生活を強いられている。

 それにもかかわらず、国際社会は動かない。

 米国、イスラエルのパレスチナ政策を誰も糾弾できないでいる。

 この絶対的な不条理、これこそがオサマ・ビン・ラデンを反米テロに駆り立てたものだ。

 インドの武装テロ事件が与えた衝撃は、多くの犠牲者を出した組織的テロだったからだけではない。

 新興経済大国として日本や世界が経済関係を強化させようとしてきたインドでさえもテロ事件が起きたからだけではない。

 「私は(アフガン、イラクの)5000万人を自由にし、平和達成を手伝った大統領として名を残したい」(全米公共ラジオのインタビューで。11月30日毎日)というブッシュ大統領の願いをあざ笑うかのように、もはや反米テロが世界中に広がりつつあるのではないか、その思いが皆を戦慄に突き落としたからだ。

 オバマ大統領の最大の難問はここにある。

 世界金融危機はいずれ解決する。オバマ大統領でなくても、みながよってたかって解決策を講じる。

 しかしパレスチナ問題を解決しようとする指導者は間違いなく命を落とす。

 ましてや、金融危機の回避と違って、自分にとって一銭の得にもならないパレスチナ問題の解決に奔走する者はいない。

 ここに私は目がくらむような絶望感を感じるのだ。

 その一方で、パレスチナ問題に心血を注ぐ若者がこの日本にもいる。一銭の得にならないどころか、多大の負担と犠牲を払いながらパレスチナ人の怒りと苦しみを共有しようとする若者たちがいる。

 ここに私はかすかな希望を託するのだ。

 「パレスチナの平和を考える会」の若者たちもその一人だ。

 私の手元に、「パレスチナの平和を考える会」の定期会報である「ミフターフ(家を追われたパレスチナ難民たちは故郷の家の鍵を今も大切に持っている、その鍵を意味するアラビア語)」の11月号がある。

 そこに、鳴り物入りで日本が援助した「ヨルダン渓谷開発援助(俗称「平和と繁栄の回廊」構想)」の現地レポートが詳細に書かれていた。

 果たしてどれだけの読者の目にとまるのだろうと思うほどの小さな会報であるが、その報告はどこの新聞や雑誌にも書かれることのない上質の報告である。

 どこのメディアも書けないほど正確に、日本の中東外交、援助外交の欺瞞を見抜いたものである。

 小泉元首相の末期に提唱され、麻生外交が引き継いだ、「平和と繁栄の回廊」構想。

 それは、イスラエルの占領下にあるヨルダン川渓谷の農業開発に援助する事によって、日本がイスラエルとパレスチナの協力促進に一役を買う、そういう謳い文句の援助であった。

 それがまったく進んでいない現状を、現地を訪問し、関係者に直接会って確かめた、そのレポートである。

 外務省の中東政策にも、援助政策にも携わってきた経験がある私には、この援助が、かつての同僚や後輩たちが頭でつくりあげた、首相、外相の宣伝のための「援助」である事を知っている。

 うまく行くはずがない。

 占領者と被占領者という絶対的不平等下にあって、どうして真の協力関係を築けるというのか。

 作ったものが占領政策によってたちまち破壊されるような戦争状態の中で、どうして開発が進むというのか。

 それどころか、日本の援助はイスラエルのパレスチナ占領にお墨付きを与え、占領を固定化するものですらある。

 このレポートは、しかし、私のそのような批判めいた事に焦点を当ててはいない。

 占領政策でもがきながら生活を続けているパレスチナ人たちにとっては、それが占領の固定化であろうが、日本の宣伝であろうが、少しでも生活の糧になるのであればありがたい、と考える。

 しかし、この日本の援助は、イスラエルの対パレスチナ政策の硬化によって、プロジェクトそのものが満足に進められない状況になっている、というのだ。

 それにもかかわらず日本政府はイスラエル政府に文句一つ言わないというのだ。

 その結果、占領の固定化であっても援助が暮らしの助けになればありがたい、というパレスチナ人の最低限の願いさえ裏切っているという。

 これ以上ないほどの失策である。

 そのレポートはこうしめくくっている。

 ・・・当面、この構想(平和と繁栄の回廊構想)は、大々的に進める事もできず、かといって止めることもできず、規模を縮小したかたちで延命されていく可能性が大きいように思われる。その間にも、ヨルダン渓谷におけるイスラエル人の入植の拡大、パレスチナ人の家屋破壊、イスラエルによる水の一方的な収奪がますます強化されていく事は確実である。
   私たちは日本政府およびJICAや援助関係者、日本社会全体に、(パレスチナ問題に向き合うこと無しに援助を続ける事は)納税者に対する欺瞞であり税の無駄遣いでしかないことを訴えていく必要がある・・・

    外務省の官僚たちが権力と援助予算に胡坐をかいて進める血の通わない援助政策を、たった一人の若者が徒手空拳で調査して暴いて見せた。

    パレスチナ人の苦しみを共有しようとする若者がこの日本にもいる。

    ここに私は希望を見出す。

 

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2008年11月30日

正しい日中関係はどうしたら築けるかを考えてみる

 
 11月30日の産経新聞に、中国についての対照的な見方が掲載されていた。

 一つは一面に連載で掲載されている「人界観望楼」である。外交評論家・岡本行夫が「中国は穏やかになってきた」という論評を書いている。

 もう一つは論説欄における産経新聞中国総局・野口東秀氏の「最近の中国と、おごる平家は・・・」という論評である。

 「先週、外務省の依頼で中国に講演にいった・・・」という言葉で始まる岡本氏の論評は、中国での講演などを通じて聴衆たちと言葉を交わし、そこから得られた彼の印象論を、要旨次のように書いている。

 ・・・米国は日本にとっても中国にとっても重要な国と話せば聴衆は頷いた。それでは二番目に大事な国は?皆が答えないので私が、日本にとっては中国、中国によっては日本と思う、と言ったら笑いが起きた。その笑いは好意的なものだった。靖国参拝を繰返した小泉元首相の心情を説明して、どうぞ小泉さんを嫌いにならないでください、と結んだら聴衆から拍手が起きて驚いた。米中戦争になって中国が在日米軍基地を攻撃すれば日本は安保条約の下で中国と戦争することになるから、台湾海峡での中国の武力行使には反対です、と言っても、中国側の反応は、賛成はしないけど日本の立場は理解する、という理性的で穏やかなものだった。田母神論文は誤りだ。それを切っ掛けに歴史認識をめぐって対中強硬論が強まる動きがでているが、日本はそろそろ中国の悪口を言うのは止めて、中国と余裕をもって向き合う時だと思う・・・

 これに対して中国総局野口東秀氏の論評は、その殆どを中国の傲慢振りを示す次のような数々の引用で埋め尽くしている。

 ・・・「私は反日ではない」と自認する中国高官がこう言っている。日本の政治は内向き傾向が強い。内政の不安定は経済にも反映されており、日本は国際政治の舞台で影響力など発揮できない。日本人は中国人にとり信頼できる国ではまだない。ドイツは歴史を反省し、公の場でナチスを賛美する言論や出版を法律で禁止しているが日本で歴史認識をめぐって政府の見解と異なる見解がつねに出てくる。周囲で不信感を持たれ、信頼されない国が、どうして常任理事国になれるというのか。これを私だけの個人的意見と思わないほうが正確だ。米国は黒人大統領になることでソフトパワーを世界に示した。確かに米国と中国は政治体制は違う。しかし米中とも国家の行方と団結を指導者が論じる点では同じ。そうした演説は日本にはない。中国には問題があり、批判もあろうが、大国として邁進できる材料がある。米中2大国の時代へと中国は進む。資源獲得の為の中国の対アフリカ外交のどこが悪いのか。中国の国益を追求してどこが悪いのか。日本は資金もあるのに、なぜ中国と同じようにアフリカに多角的外交ができないのか。技術はあるのに戦闘機は自主開発できず原子力潜水艦も建造できず、米国の顔色ばかりうかがうのか・・・

 そして結論として次のように締めくくっている。

 ・・・「日本は軍事国家になる。強大な軍事力を持つようになる」。ひところの中国のそんな決まり文句など嘘のように、中国高官は日本の軍事力には一言も触れず、「中国にとり脅威なのは米露だけだ」とまで断言した。
   どこの国からであれ、脅威と見なされていない事は結構な話だ。ただ、単になめられているだけなのであれば、喜んでばかりもいられない。日本に対して中国にこうした対日認識があることへの覚醒を促したい。中国には、おごる平家は久しからず、とだけ言っておこう。

 皆さんはこの二つの論評をどのように読んだか。

 ここからが、今日のブログである。二つの論評に対する私の所感である。

 岡本氏の論評は、対中外交論ではなく、中国との良好関係を願う外務省の広報記事でしかない。そこから学ぶ事は何もない。講義の反応だけで中国は穏やかになって来た、などと判断するのは、あまりにも安易であり、誤りですらある。
 それよりも私が残念に思うのは、みずからの意思で外務省を離れた岡本氏が、外務省の政策と異なった事を言ってみたり、外務省の代弁者のような事を言ってみたり、と、ぬえのような評論を繰返し、恥じるところがない事である。そんな岡本氏に頼り続ける外務省の人材払底と閉鎖的な仲間意識である。これではコレクトな外交はできない。

 それに比較して、野口氏の評論は、中国高官の数々の言葉を通じて今の中国政府の考えをうかがい知らせてくれている。その言葉は興味深い。
 問題はそれに対する野口氏の反応である。
 それは一口で言えば、日本はこのままでは中国に負けてしまう。何とかしなければならない、という危機意識である。そしてここが重要なところであるが、それでは日本はどうすべきかという名案が提示できないまま、中国よ驕るな、と捨てゼリフを吐くしかなく論評を終えている事である。

 実はこの対応はまさしく田母神論文と通底している「考え」、というよりも、「感情」なのである。

 どうすればいいのか。

 私の確信は以下の通りである。もちろんこれは私の意見でしかない。大きな論争となるテーマである。しかし、私の外交官としての結論である。国際政治の観点からも、大きな歴史の流れを見据えた観点からも、正解はこれしかないと思っている。

 米国か中国かという選択は誤りだ。米国も中国も軍事力を国力の基本に据えた覇権国家である。そのいずれもが、過去と将来の歴史を直視すれば、誤った国である。
 日本は中国に対し、軍事的に競い合うのではなく、軍事大国を目指す中国の誤りをさとす事だ。
 そのためには、まず日本が日米軍事同盟から自立し、日本の過去の軍国主義の反省を国是として確立することだ。中国に対して経済・技術的な協力を通じて、中国国民の安全と繁栄を目指す事を唱えるべきだ。それはまた日本のためでもある。
 中国の将来を考えた時、そして世界人類の将来を考えた時、平和の為の日中協力しかないという事を中国に、中国国民に堂々と主張していく、日本が中国に勝てる事があるとすれば、まさに憲法9条を堅持して経済発展を成し遂げた「奇跡」であり、この事のほかはない。
 そのためには日本がその基本姿勢をもう一度取り戻すことだ。
 憲法9条を掲げて日中協力を迫る時、中国が日本を批判する余地は雲散霧消する。中国は日本に勝つ事はできない。憲法9条を掲げて日本政府と国民が一体となって日中友好関係の確立を呼びかける。その事に正面から反対できる国は、中国はもとより、米国を含め世界中どこにも存在しない。出来ない。なぜ日本人はその事がわからないのだろうか。

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2008年11月29日

心が震えるほどの感動的な記事に遭遇した


 このところブログで政局がらみの事を書いていない。

 というよりも、あまりの馬鹿馬鹿しさに、書く気がしなくなった。

 解散・総選挙とか政権交代などという事は、もはやどうでもいいことのように思えてきた。

 所詮は、政治屋や、政治屋になりたいと思う、権力や利権に物ほしげな連中の間で繰り広げられている茶番ではないのか。

 そういう連中が、官僚と、つかず、はなれず結託し、国民の税金と司法、検察、行政という国家権力をほしいままにしている。

 そう考えると、腹立たしく、だからこそ政治から目が離せないのであるが、最近はそれさえも克服しつつある。

 人は正しく、強く、生きていかなければならない。

 自分自身が、そう生き生きていくことを目指す、それでいいのではないのか。

 この世の中には、およそ政治とは無縁の世界で、そのように正しく生きている人が無数にいる事を私は知っている。

 そこに希望を見る。

 11月29日の読売新聞に、久しぶりに心が震えるほどの感動的な記事に遭遇した。

 「時の余白に」というコラムだ。

 編集委員の芥川喜好という人が、アスベスト問題について書いていた。

 その要旨はこういう事だ。


  ・・・新聞社の図書室で調べ物をしていた芥川氏は一冊の本を見つけ懐かしく手に取る。それは彼が文化担当の若かりし頃に新刊紹介で著者に取材した事のある「労働基準監督官日記」(日本評論社)という本である。

  その本は、戦後誕生した労働基準監督官の一期生だった井上浩という人の、労働現場の報告である。

  それは芥川氏に言わせれば、成長を謳うこの国の経済政策の裏で、戦前と変わらぬ過酷な労働と低賃金にあえぐ『民』の現実をつぶさに綴った、静かな憤りの書である。

  官の立場と民の現実とのはざまで苦悩する井上浩という一役人の情熱に引かれて若かりし芥川は取材をした。そんな昔の事を芥川氏すっかり忘れていた。

  偶然に見つけたこの本のページをめくるうちに、芥川はあのアスベスト問題の箇所を見つけて「脳天を打たれたような衝撃」に襲われる。

  その箇所の日記の日付は昭和51年12月。

  32年も前に、行政の現場でアスベストの危険性を訴え、みずから患者を探し出し、救済に奔走した役人がいた、その役人こそ井上浩さんであった。

  アスベストについては、36年前に世界保健機構が発がん性を指摘し、欧米を中心に早々と厳しい規制が敷かれたのに、「民」への真の愛情と想像力を欠いているこの国の行政は手を打たなかった。

  そんな行政の最前線で、心を砕いてすばやく動いていた「官」がいた事は、いまさらながら感銘的であると芥川氏は書く。

  そして芥川氏は取材から29年経った今、井上さんを埼玉県に再訪する。

  アスベスト問題は、行田労働基準署長を最後に退官する間際の井上さんの最後の仕事だったという。

  下請け工場に肺がん死が出ていた事を突き止め、半年かけて調査報告書をまとめ、それを埼玉労働基準局に提出して対策を求め、後任の署長と会社の労組幹部に引き継いだ上で、井上さんは退職した。

  しかし、後事を託した人たちは動かず、井上さんの仕事が内部で生かせられる事はなかった。

 予測できたこの危険を、なぜ避けられなかったのか。それは人の命が経済活動よりも絶対に優先だという考え方が日本にはなかったからだ。そして、隠蔽という病がこの国を蝕んでいたからだ。

 芥川氏はその記事をこう締めくくる。

 アスベストの製造、輸入、使用等は、曲折の末、2年前に全面禁止になりました。しかし潜伏期間30年ー40年の病気の方はこれからが本番です。「だからこそすべての情報を開示し、一人一人を救わなければならないのです」と、退官後も労働問題に携わる井上さんは言います。

 アスベスト問題は、現代日本に生きている以上、ひとごとではない。その事を戦慄とともに語られている書に、「アスベスト禍」(粟野仁雄著・集英社新書)という書があります。アスベスト被害の現実、国家的不作為の実態など、アスベスト問題を徹底的に検証したこの書は自分の身の安全を守るためにも必読の書です・・・


 労働基準監督官であった井上浩さんの正しい生き方に感服する。

 その井上さんを取材し、それを記事にして称える芥川編集委員のジャーナリスト魂に感服する。

 それにしても、行政は、その後アスベスト対策に万全を期しているのだろうか。

 アスベストの製造、輸入、使用は確かに禁止されたが、今度急増してくるであろう被害者の救済は万全か。

 アスベストを使用して作られた建造物の解体対策は万全か。

 これは官僚としての私の勘であるが、あの耐震偽装問題の時と同じように、問題が表面化しない限り

 官は適切な対策を講じていないのではないか。

 被害者が次々に出てきて大騒ぎするのではないか。

 ドサクサにまぎれてアスベスト建築物を解体している事が発覚して大きな社会問題になるのではないか。

 これ以上官の不作為、隠蔽を見たくは無い。

 官もまた、正しく、強くあらねばならない。

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2008年11月29日

やしきたかじんの「そこまで言って委員会」に出演して田母神前航空幕僚長らと闘論してきました


 毎週日曜日の午後、関西の読売テレビでやしきたかじんの「そこまで言って委員会」という番組がある。

 以前二度ほど出演したことがあったが、テレビ映りが悪いのか、しゃべりがへたくそなのか、まもなく出演の声がかからなくなった。

 それが突然の出演依頼だ。

 どういう風の吹き回しかと思ったら、収録日が11月28日(金)であったため、小沢、麻生党首討論とぶつかり護憲議員が軒並み出演を断ってきた、そのピッチヒッターだと聞かされた。

 ばからしくなって断ろうと思ったが、あの田母神前航空幕僚長が出てくると言う。本邦初のテレビ出演をするという。それを聞かされ、興味をそそられて、出演に応じた。

 結論から言えば出演して正解だった。じつに面白い闘論になった。

 田母神氏は不快な人ではなかった。いい人であった。正直で、単純で、そして、失礼な言い方をさせてもらえば、やはり軽率な人である。

 しかし、これはテレビでも発言した事だけれど、逆説的に言えば、我々は田母神氏に感謝しなければならない。

 なぜならば、この際、あの戦争はなんであったのかという事を、国民一人一人がよく考えなければならない、その切っ掛けを作ってくれたからだ。

 闘論の模様は11月30日(日)午後の関西読売テレビで見ていただきたい(東京、北関東を除いては全国ネットワークらしい。東京は検閲が厳しいからということらしい)。

 このブログでは二点に絞ってこの問題に関する私の意見を書いてみたい。

 ちなみに、新幹線を乗り繋いで栃木ー大阪を日帰り往復した私は深夜に帰宅したのであったが、テレビのスイッチをひねったら偶然にもテレビ朝日の田原総一郎「朝から生テレビ」で、やはり田母神論文の
闘論をやっているところであった。

 その模様を聞いて、次に書く私の思いは、更に固まった。

 まず第一点は歴史認識とは個人の意見ではないという事だ。

 私は今後どんどんこの問題が国民の前で論議されるほうがいいと思っている。衆院でも田母神氏を参考人として招致する動きがあるらしいが、どんどんやればいい。そして田母神氏に自由に喋らせ、それをテレビですべて放映したほうがいい。彼も喋りたくて仕方がないのだ。それで皆がハピーになるのだ。

 喋れば喋るほど、皆がだんだん辟易してくる。弁護できなくなるのだ。

 それは「朝生」でもそうだった。田母神論文を弁護する側にいた皇国史観の立場に立つ論者たちの立場がどんどんと不利になっていくことが誰も目にもわかった。

 それは当然である。歴史認識とは都合のいい記録や所見を伝聞的に繋ぎあわせてできるものではない。

 誰も知らないような瑣末な発言や記録を殊更強調してみたところで、皆を説得できる史実にはならない。歴史認識をめぐる論争は、特殊な知識の競い合いではないのだ。

 個人が知りうる知識は所詮限られている。おまけにすべての情報が公表されているわけではない。情報隠蔽や操作もある。だから歴史認識というものは、古今東西の多くの学者や専門家が膨大な時間とエネルギーをかけて検証した業績を総合的に吟味し、大勢とされる意見に従う、それが歴史認識なのだ。

 田母神氏の意見は意見として、そしてその田母神氏の意見を擁護する人たちの意見もまた、彼らの意見として主張するのは勝手であるが、今の時点における歴史認識として皆が共有するものにはなり得ない。それは彼らが決める事ではない。いくら議論しても勝ち目はない。

 それよりも重要な事は、歴史は国際政治の所産であるという事実である。

 日本はポツダム宣言を受け入れて敗戦を認めたのだ。

 勝者が敗者を裁いた東京裁判の判決を受け入れて、A級戦犯を認めたのだ。

 その事によって日本は国体を護持し、戦後の国際社会に復帰し、今日の日本があるのだ。

 日本だけが悪くはなかった、米国にだまされた、などという事は部分的にはその通りであろう。

 しかし、それが如何に悔しくても、国際公約で受け入れた日本の責任を否定しようとすればどういう事になるか。

 それは国際孤立である。日本の国益を決定的に損なう事になる。

 酒場などで憂さ晴らしをするのは勝手だが、国際社会に向かってそれを日本政府が言えると思うのか。

 もう一度米国と戦争するつもりなのか。

 そういう事なのである。

 二つ目に言いたい事は、なぜ田母神論文事件が起きた遠因としての政治の怠慢である。

 政治が歴史認識問題を曖昧にしてきたからこそ田母神論文に象徴される歴史発言問題がいつまでたっても後を絶たないのだ。

 実はたかじんのそこまで言って委員会でパネリストたちが最も激しく攻撃したのが、あの村山談話であった。

 つまり田母神論文を擁護できない代りに、そのはけ口として社会党党首の名前を冠した村山談話を諸悪の根源であると攻撃することになる。

 これまで、日中共同宣言をはじめいくつかの外交文書において歴史認識を示した事はあったが、閣議決定を経て発表されたあの村山談話こそ、政府の歴史認識を示す公式見解であった。

 その公式見解である村山談話が、そしてその後の歴代の首相が踏襲し続けてきた村山談話が、なぜ今でもここまで貶められるのか。

 それは保守政治家たちが、社会党の党首が首相であった時に作った談話であるから仕方がない、とあの談話を内心で認めていないからだ。

 一方の村山元総理は、「自分だからできたのじゃ」と、自民党に担ぎ出された負い目と引き換えに、無理をして評価しているからだ。

 あの談話は外務官僚の作文でできた。それを政治の駆け引きでなんとか村山談話に纏め上げたに過ぎないものだった。

 敢えて政府統一見解という事なく社会党党首の名前をつけて、それ以降の自民党首相が踏襲していることこそ、自民党の責任転嫁だ。自民党もまた村山談話を貶めているのだ。

 そしてそこまで貶められても、村山元首相本人も、護憲政党も、怒る事はない。

 つまり自民党も、民主党も、護憲政党も、要するにこの国の政治そのものが、歴史認識から逃げているのだ。

 だから田母神論文事件が起きるのだ。

 田母神論文事件が起きても、迅速かつ適切な対応が出来ないのだ。

 たかじんのそこまで言って委員会においては政治の怠慢が繰り返し攻撃されていた。

 そしてその事については私も他の右翼パネリストと同感だ。

 歴史認識とは何の関係もないことであるが、テレビ収録とちょうどおなじ頃に行なわれていた麻生・小沢党首討論を後で知って、つくづくと思った。

 政権をあらそう二大政党の党首討論がこの体たらくである。

 堂々とした政策論争がまるでできていない。

 こんな政治で田母神論文問題を追及できるはずはない。

 解散・総選挙とか政権交代などという事以前の大問題がそこにある。

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2008年11月28日

どこの職場も人間関係は大変だ


 少し前の記事になる。

 たいした記事ではないのだが、妙に印象に残ったので切り抜いていた記事がある。

 11月14日の毎日新聞「ダブルクリック」というコラムで池内恵という東大准教授(イスラム研究)がこんな事を書いていた。

 ・・・企業なら、困った上司もやり過ごしていればいつかは替わる。しかし、大学の世界では最初についた先生がずっとそのままだ。学部あるいは大学院に入った時の人間関係が一生続く。こんな風通しの悪い社会はない。
 大学では世の中一般以上に、理不尽な力関係が成立しやすく、是正されにくい・・・まともな会社なら
「35歳で部長に就任すると65歳まで留任し、部員の人事権を握り続ける」
などということはないだろう。しかし有力な研究系大学の教授などは、一度就任するとほとんど動かない・・・

 大学という世界もそういう事なのかと唸ってしまった。
 
 どこの職場も人間関係は苦労の種が尽きないものだなあとしみじみ思う。

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2008年11月27日

人を見下す事はいけない事だ


 官僚なったぐらいだから、そして官僚を35年もつとめてきたぐらいだから、私も官僚の悪しき本性を見につけている。

 官僚の悪しき本性の中でも一番鼻持ちならないところは人を見下すところである。

 それは良くない事だと遅ればせながら気づいて改めようとしても、そう簡単には改まらない。

 もはや人の批判など気にしない私だが、「あいつはいつまでたっても官僚臭が抜け切らない奴だ」、と批判される事が一番こたえる。

 そんな私だが、次のような記事に出くわすと、やはり驚く。心が寒くなる。

  近ごろ水村美苗(みずむらみなえ)という女性作家の書いた「日本語が滅びる時ー英語の世紀の中で」(筑摩書房)という本が、評判されていると見えて、書評欄でよく取り上げられている。

  この本は、世界で流通する英語が唯一の「普遍語」として君臨する一方、他の言語は亡びる、という事を言っているらしい。それはまた、「愛する日本語」を滅ぼしてはいけないという逆説でもあるらしい(11月25日朝日新聞書評)。

 11月23日の毎日新聞「千波万波」においても、潮田道夫論説委員が、いまや国際語となった英語が学問や文芸の世界で他の言語を圧倒しほろぼしていくだろう、とする水村美苗氏の主張を、「文明論的見通しを雄弁に語っている」と褒めている。

 確かに英語はもはや英米人の言葉にとどまらず国際語となっている。

 だから日本という国が、そして日本人が世界に正しく理解され、評価されるには、日本人がもっと英語で自由に発信できるようにならなければいけない、と私も世界を渡り歩いて来て感じてきた。

 しかし、私が水村美苗氏の事について俄然興味を持ったのは、この本のそういう主張ではない。

 前掲の毎日新聞「千波万波」のコラムで潮田論説委員が書いていた次の文章を見つけたからである。


 ・・・(この本に書かれている)数々の挿話も面白く読んだ。水村氏の女友達の大学教授の感懐。小さいころ小説家を世の中で一番尊敬していたが「それが、今、日本じゃあ、あたしなんかより頭の悪い人たちが書いているんだから、あんなもん読む気がしない」。水村氏も同感だそうだ。そうだろうなあ・・・


 この見下し観はどうだ。

 こういう連中が官僚の世界に如何に多かった事か。

 そして官僚の周りに集まる経済人や有識者などの自称エリートたちもそうだった。

 この大学教授も水村氏もそしてコラムを書いている毎日新聞の潮田論説委員もその仲間たちに違いない。

 しかし、それは間違いである。

 人を見下す事も間違いだけれど、事実認識としても誤りだ。

 その大学教授がどの作家をさして自分より頭が悪いと言っているのか知らないが、人々に読まれるものを書いていること自体が評価に値する事なのだ。価値がある事なのだ。頭が悪くてはできない。

 そもそも頭がいい、悪いとは、どういう事なのか。

 自分こそ頭がいいと思いこんでいる頭の悪い連中が、つるんでこの国を動かしている、その現実こそ、国民を不幸にしていると思う。
 
 そこを変えなければこの国は変わらない。

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2008年11月27日

国籍法改正を急いではいけない

 
 11月27日の各紙は月内成立の見通しだった国籍法改正案の参院可決、成立が自民、民主の話し合いでひとまず先送りされる事になった事を小さく報じている。

 これはもっと大きく報道されるべき問題である。今日のブログはその事について書く。

 実はこの国籍法改正問題については、このブログで取り上げてくれという書き込みが最近多く寄せられていた。

 それをあえて取り上げてこなかったのには勿論理由がある。

 その理由の一つは、このブログで取り上げるテーマは私の独断と偏見で、私が書きたいと思うテーマだけを取り上げるという原則を崩したくないからである。このブログは読者の期待に応えて書くものではない。

 しかし、もう一つの理由は、自分が自信の持てないテーマについて書く事は控えるという方針があるからだ。何を書いても必ず批判するものがでてくる。その批判に堪えられるのは、自分が書くことに対する絶対的確信である。たとえそれが妄信であるとしてもだ。

 しかし今日の新聞報道を見て、国籍法改正についてどうしても書きたくなった。

 11月27日の朝日新聞によれば国籍法改正は、ひとまず月内成立は見送られたけれど、自民、民主両党の間では今国会で成立させる合意が出来ているという。

 これはおかしい。

 国籍法改正についてはもっと慎重な審議が重ねられるべきだ。

 メディアがもっと大きく取り上げ、国民の間に問題点が周知される必要がある。

 それほど重要な国籍法改正である。

 いうまでもなく今度の国籍法改正のポイントは、単純化していえば、日本人の父親が認知すれば未婚の子供にも日本国籍を認めるというものだ。

 この国籍法改正反対に熱心なのは保守、右翼的な立場の人が多い。

 その例には枚挙にいとまがないが例えば11月27日の産経新聞で、あの稲田明美衆院議員が反対をし、今日発売の週刊新潮では桜井よしこ氏が平沼赳夫衆院議員と対談して「日本の危機」とまで酷評している。

 その背景にあるのは、国籍は国家の主権にかかわる需要な要素であり、正体不明の者に安易に国籍を付与しては日本が崩壊する、という国粋主義、愛国主義、排他主義の考えがある。

 その一方で、一体誰がこの法改正を推進しているか、それは公明党だとして、公明党の日本乗っ取りを警戒する意見などもある。

 しかし、国籍法改正に反対しているのは、なにも保守、右翼的な議員ばかりではない。

 11月27日の日刊ゲンダイで田中康夫参院議員が連載コラム「奇っ怪ニッポン」の中で次のように反対意見を述べている。

 つまり偽装認知を行なって国籍取得する事に道を開く事によって、子供たちを悪の犠牲者(闇の子供たち)に貶める憂慮すべき事態を助長しかねないというのだ。

 共産党や社民党の議員から声が聞こえない事もおかしなことだ。「人権といえば進歩的だとする浅薄な風潮」(平沼赳夫)とまでは言わないが、護憲政治家からももっと意見が出なくてはおかしい。

 結論からいうと、国籍法改正を急いではいけないということだ。

 今年の6月に最高裁が現行法は憲法14条「法の下の平等」に反するという違憲判決を下した。

 それをきっかけに法務省が改正を急いだとされている。

 しかし、最高裁の違憲判決はきわめて政治的だ。憲法9条がらみの違憲判断は決して行わないが、摩擦がないと判断すればあっさり違憲判決をする。

 人権重視の護憲政党が、日本国籍を取れない子供の人権を慮って改正案を賛成したとすれば、田中康夫氏のいうように悪の手にかかる子供たちの人権はどうなのか。

 それよりも何よりも、国会議員が何もわからずに改正案を通そうとしているあきれた現実がある。

 20日の自民党津島派の総会で「この中で、国籍法改正案を全部解している人は手を挙げてください」と某議員が呼びかけたら手を挙げた議員が一人もいなかったという(11月21日産経新聞)。

 実のところ殆どの法案が官僚の作ったものをそのまま通過させているのが日本の国会の現状だ。

   たしかに、国籍法改正に反対している議員の中にはとんでもない議員もいる。その反対の理由もまちまちだ。

 しかし、そのことと、国籍法改正の是非について冷静に判断する事は別だ。

  国会審議は尽くされていない。

  なによりも一般国民がその問題点を十分認識していない。

  国籍法改正を急ぐ理由はどこにもない。

 

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2008年11月26日

 米国金融資本主義の終焉は本当か?

 100年に一度の世界金融危機の割には、世界の指導者が本気になって危機打開の新たな枠組みづくりに邁進しているように感じられないのは私だけだろうか。

 書店に足を運ぶと金融危機がらみの本が溢れかえっている。

 やれドル崩壊とか、米国一極支配の時代は終わったとか、そんなタイトルの本ばかりだ。

 その中で、「強欲資本主義 ウォール街の自爆」(神谷秀樹著 文春新書)という新書を購入して読みおえたばかりだ。

  住友銀行からゴールドマンサックスに転職し、今は独立してみずから投資銀行を経営しているという金融マンが書いたこの書は、米国金融資本主義の只中に在職しただけあって、「ウォール街」という言葉に象徴される米国金融資本主義の担い手たちのモラル喪失を、見事に教えてくれている。

  たとえば、ウォール街の強欲金融マンが米国政府の高官に抜擢された人事について、こんな会話を紹介している。

  ・・・「あんな欲深いヤツが政府の高官なんて、まったく政府の人事はどうなっているんだ」、
  「いい人事じゃないか。ウォール街にいる欲深い連中を監視するには、その中でも一番欲深い男を政府高官にするのがもっとも有効だろう。ジミー・カーター(信心深い良心的な元大統領)じゃ務まらないよ」
  「そりゃそうだ」・・・

  こんなエピソードから始まって、興味深い話が山ほど書かれている。それはもの凄い腐敗ぶりだ。

  金融界に生きる者にとっては目新しいことではない話でも、ウォール街の実態を知らない一般の我々にとっては、「ウォール街」がここまで犯罪的だったのか、これでは金融危機が起きるのも時間の問題だった、などと、あらためて思い知らされる。

  この書はまた、米国の行き過ぎた金融資本主義は、モノがつくれなくなった米国の行き着く先であり、それは実体のない詐欺的錬金術でしかなかった、それを「グローバル・スタンダード」という美名のもとにはやしたて日本に導入した小泉・竹中政権の対米追従政策こそ、日本国民を塗炭の苦しみに追いやったとして、つぎのように糾弾している。

 ・・・(世界金融危機を招いた)真犯人はいったい誰だったのだろうか。私は、まず真っ先に世界に過剰流動性をばら撒いた二つの国の政府を挙げる。一つはレーガノミックス以降、「財政赤字」、「貿易赤字」の「双子の赤字」を垂れ流したアメリカ政府であり、もう一つは(ゼロ金利を放置し)海外の高金利資産に投資する「円キャリー取引」を促進させた日本政府である・・・

 これも同感だ。

 今ではメディアも、小泉・竹中政権が唱えた「構造改革」が実は米国新自由主義時の手先でしかなかったという批評を遠慮がちに載せるようになった。

 せめてサブプライムローン問題が小泉・竹中政権の絶頂期に炸裂し、小泉・竹中政権を直撃していれば、日本国民ももっと早く目を醒ましたことだろう、と残念に思う。

 ここまではいい。

 ところが、読み終わってこの書を閉じたとたんに、いいようのない虚しさに襲われた。

 なぜかを考えてみた。

 著者は、経済学者下村治博士の警告を引用しながら、次のように結論づける。

 ・・・アメリカが、世界一の生産力を背景として、世界一の健全な経済を堅持してきたからこそ、アメリカのドルが世界の基軸通貨として成立しえたのであるが、もはや米国経済が世界経済の一つとして相対化され、米国経済に節度がなくなった現在においては、IMF,世銀を中心としたブレトンウッズ体制は新しい世界経済の枠組みに変わらなければならない・・・

 その通りである。

 そして、今度の金融危機を乗り切るには、これまでの世界金融システム、国際通貨システムを変える程の抜本的改革が必要である、という意見は、今ではあらゆる経済解説で見ることができる。

 ところが現実は決してそのようには動いていない。

 100年に一度の危機を乗り切ろうとする緊張感は感じられない。

 それは、単に国際政治の場において米国の覇権がいまなお衰えていない、という事だけではない。

 米国という国が決して覇権を手放さないだろうと思うからだけではない。

 IMF,世銀体制は終焉した、ドルの一極支配は終焉した、と唱えている人たちもまた、心の底では、米国の覇権主義は終わらないと思っているに違いないと思うからだ。

 そして、世界がここまで米国金融資本主義のうまみを味わった以上、各国もまたもとには戻れないと思うからだ。
 
 物欲主義、拝金主義に染め上げられた人々にとって、いまさらものづくりにはげめ、実物経済に戻れと言っても、それを素直に受け入れようとする者が多数を占めることになるだろうか。

 テレビで世界経済状況をまことしやかに語っている人々は、いずれも米国金融資本主義のおかげで高給を手にしてきた連中ではないのか。

 石川遼という少年ゴルファーの一億円プレーをメディアが騒いでいる。

 それでいいのか。

 彼には何の責任もないし、彼のプレーの素晴らしさは称賛ものである。

 しかし、未成年の少年が何億もの収入を手にする事をここまで喧伝する事自体が、拝金主義、勝ち組至上主義を煽ることではないのか。

 それが、金融危機の反省に立とうとしている時になすべきメディアの健全な姿なのか。

 派遣労働で酷使されている何百万人の若者の痛み少しでも思いを馳せる必要はないのか。

 経済番組で真っ先に報道されるのはニューヨークと東京の株式相場である。

 見ているがいい。

 もし株価がさらなる下落なしに上昇に転じていくのなら、もはや誰も金融危機の事は言わなくなるであろう。

 制度改革は遠のき、あらたなビジネスチャンスのテーマが模索されるに違いない。

 あれだけ金融危機が叫ばれても、株高が上昇し、資産価値が高まれば、それですべてが解決してしまうのだ。

 読後感に覚えた虚しさは、みなの心に潜む建前と本音の乖離を感じるからである。

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2008年11月25日

なぜ日本はここまで対米従属なのか


  私はよく質問される事がある。なぜ日本外交はここまで対米従属なのかと。

  はっきりと「こうだ」と断言できる答えを、もとより私は持ち合わせていない。

  外務官僚の出世頭はすべて対米従属者であり、日米同盟至上主義者である。逆に、外務省では米国を批判する者は中枢を歩めない。それは事実だ。

  しかし、それはあくまでも偉くなりたいための保身のなせる業であり、対米従属の理由に対する答えにはならない。

 米国に逆らうと失脚させられる、脅かされる、あるいは命まで狙われる、という話が陰謀論のごとくささやかれるが、それを確認出来ない以上、これまた「答え」として公言する事は出来ない。

  昭和天皇とマッカーサーの歴史的会談の中で、国体護持と日米安保体制(日米同盟)が、昭和天皇の強い意向により表裏一体の形で作られた、という史実を知れば、なるほど対米従属はそこから始まったのか、と思ったりするが、戦後世代にまでそれが影響を与えているとは思えない。もはや過去の歴史の一こまだ。

  日本人は米国が好きなのだ、という理由は頷けるが、しかし米国への憧憬を抱く国民はなにも日本人だけではない。そのような国民は世界中に広く存在する。

  しかし、同時にまた、それらの国民は、米国の不当な政策に対しては激しくデモや抗議をする。米国が何をやっても「仕方がない」とあきらめる従順な国民は、世界ひろしといえど日本人くらいだ。

  結局は米国の占領政策が日本で大成功したという事ではないのか。

  この事についてはCIAの対日工作がつとに有名だ。自民党に政治資金を渡したり、読売テレビを動かしたり、A級戦犯を無罪釈放して総理に就けたりした、周知の工作である。

  しかし、また一つ米国の対日工作の史実が明らかにされた。

  11月17日の朝日新聞がその書評欄で「戦後日本におけるアメリカのソフトパワー」(岩波書店)という本を取り上げていた。

  松田武大阪大学教授の手によるその本は、1951年に「講和使節団」の一員として来日したロックフェラー3世が、東大を頂点とする日本の高等教育機関の序列化を図り、研究助成金をばら撒くことによって日本の指導的知識人たちが日米摩擦について口を閉ざすように仕向けて行った事を、明らかにしている、という。

  その本は定価6,000円もする本なので購読をためらっていたら、奇しくも発売中のサンデー毎日12月7日号で、フリージャーナリストの斉藤貴男が次のように書評していた。

 ・・・戦後60年以上を経てなお重要度を増す(米国の対日占領の)深層を、第一線の研究者が米国側の膨大な一次資料を駆使して描出した、刺激的な論考だ。
   米国の対日占領政策は、日本および日本人に関する仔細な研究に基づいていた。暴力的な押し付けではなく、ロックフェラー3世の掲げた文化交流が、露骨な人種差別意識にも彩られつつ進められた・・・圧巻は東京大学と京都大学とで繰り広げられたアメリカ研究セミナーの争奪戦だ・・・エリートとしての生き残りを賭けて米国に認められようとする大学人たちの生態は、そのまま現代日本の指導者の生き方に通じてしまっている・・・研究者らしく淡々としていた記述が、終盤に近づくにつれて強い苛立ちを帯びていく・・・


  なるほど、興味をひかれる。何としてでも読んでみたい本である。

 
 

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2008年11月24日

曖昧政治のなせるわざ


 11月20日のブログで書いた通りになった。

 真っ先に報道されるのが厚生次官OBの殺傷事件である日が続いている。

 ニュース解説もそのことばかりだ。

 犯人が捕まる前もはもとより、捕まった後も、そのことばかりが報じられている。

 確かに異常な事件だ。犯人が自首した後も不自然さが残る。

 真相解明までニュースが続く事はやむを得ないだろう。

 真相は国民が是非とも知りたいところだ。

 それにしても、その他のニュースがすべて吹っ飛んでしまった感がするのは、やはり危険である。

 あの田母神論文事件も、かき消されてしまったニュースのひとつだ。

 11月24日の毎日新聞の文化欄で、川副令(かわぞえれい)という若い学者が、田母神論文事件を招いた原因は、日本の政治がつねに曖昧なかたちで物事を終わらせている事にあるからだ、と、要旨次のように書いていた。

 ・・・田母神氏に対する大方の批判のよりどころになっているのは、同氏の歴史認識が政府の公式見解と大きく食い違っている事実である。ところが、この政府見解の基礎となっている1995年8月15日の村山談話は、歴史認識を殆ど語っていない。つまり村山談話の歴史認識としてもっとも頻繁に引用されるのは、日本が、「国策を誤って、戦争の道を歩んだ」とし、「植民地支配と侵略によってアジア諸国の人々に対して多大の苦痛と損害を与えた」とする箇所である。
   しかし、具体的に何政権のどういった政策が誤りだったか特定されていない。
   極めて抽象的な「談話」のほんの一部を「政府見解」に祭り上げて、以後の首相はただそれを「踏襲(天木註:ふしゅうではない、とうしゅうと読む)する」と言って済ませるだけで、本当にいいのだろうか。
  そうした曖昧な状態を放置しているがゆえに、今の日本には、歴史認識を公に語る場合の最低限の議論の水準すら確立されていないのではないか。
  だから田母神論文にその隙をつかれたのだ。
  「ネット右翼」と呼ばれる人々の極めて乱暴で、過激な発言も、突き詰めれば、そうした曖昧政治の副産物である。
  曖昧政治とは無責任政治でもある。
  そして、その弊害は、過去の歴史についてだけではなく、目の前の出来事についてもそのまま当てはまる。
  英国はフォーククランド戦争の時も、今回のイラク攻撃参加の場合も、調査委員会をつくって膨大な報告書を作成し、公表した。(米国も同様に検証している)
  翻って日本の場合、小泉政権のイラク攻撃支持表明について、英(米)のように調査・検証を期待できるだろうか。
  日本の政治が、ひいては我々国民が、曖昧なままに放置しているのは、遠い過去の問題だけではない・・・

  鋭い指摘である。

  このまま行けば、イラク攻撃を支持した日本政府の評価について、後世の国民はまったく判断できないまま放置される事になる。

  国民の目を誤魔化す為に社会党の党首を首相に担ぎ出だした自民党は、その社会党の党首が行なった「談話」を、魂を入れずに政治的利用として踏襲してきた。だから田母神論文事件が起きるのだ。そして田母神論文問題への対応も曖昧なのだ。

  自民党も、そして政権交代を果たした後の民主党も、曖昧な政治は禍根を残す事を肝に銘じなければならない。
  日本の将来のためにも、あらためて政府としての歴史認識を確立することだ。

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2008年11月23日

「私は貝になりたい」のヒットを願う

 「私は貝になりたい」が映画化され上映の運びになったという。

 この映画がヒットし、戦争を知らない一人でも多くの若者に戦争の不条理さを知らしめる切っ掛けになることを期待する。

 フランキー堺が主演した50年前のこのテレビドラマを、私は11歳の時に観た事がある。

 その時、子供心に感じた戦争と言うものへの不条理と漠然とした反発を、今でもよく覚えている。

 それから50年、今となっては、私は明確な問題意識を持って、このドラマを評価する事ができる。

 このドラマは復員兵の手記に基づいて創作されたドラマである。

 理髪店を営む平凡な男が、ある日一枚の召集令状受け取って戦争にかりだされる。戦地にあって上官の命令でアメリカ捕虜兵を銃剣で刺殺しようとし、負傷を負わせる。その男は、やがて戦争が終わり、もとの生活に戻って平凡だが幸せな暮らしを始める。その矢先に、ある日突然、戦犯容疑で逮捕され、B級戦犯の判決を受けて処刑される。
 上官の命令に逆らう事はできなかった、といくら叫んでも通じない。負傷させただけだと言っても通用しない。
 愛する家族と別れて死地に赴くその男が最後に語る言葉が、もう人間はいやだ、牛や馬もいじめられる、今度生まれ変わるのなら、海の深底で静かに暮らせる貝になりたい、というものである。

  自分が彼の立場に置かれたらどうするかを考えてみたらいい。

  そういう時代を知らない戦後に生きる幸せを考えてみたらいい。

  日本をそういう時代に二度と戻してはならないと考えてみたらいい。

  何も知らされない国民が、徴兵制の下で有無を言わされずに戦地に借り出され、その結果戦争犯罪者として処刑される。

  そんな不条理の一方で、A級戦犯容疑で処刑される立場にあったこの国の指導者たちは、占領国米国の手で無罪放免され、その後首相などになって日本を米国に従属させる手先となる、そういう不条理もあったのだ。

  ニューヨークタイムズ記者のティム・ワアイナーが書いたLegacy of Ashes がやっと邦訳されて「CIA秘録」という本になって発売中である。

  その中に、「CIAが主要国の指導者を選んだ最初の国が日本であった」という記述がある。我々は膨大な極秘資料に基づいて書かれたこの書の記述を、逃げることなく直視すべきだ。

  史実の一部を都合よくつまみ食いして日本の戦争を正当化した田母神前自衛隊航空幕僚長の言動に対し、元軍人たちが怒りの抗議の声を上げたというニュースを目にした。

  当然だろう。

  死地に赴き、実際の戦争の悲惨さを命を懸けを経験した軍人たちに、戦争というものを体験した事がない者が軍人気取りで何を言っても、かなうものではない。

  戦争は不条理で人を異常の中に放り込む。それは世界中のすべての戦争経験者が証言している事だ。

  そんな戦争を、これを観れば軽々に口にする事が出来なくなる、そんな映画が「私は貝になりたい」だ。

  この映画のヒットを通じて、平和憲法をいただく日本がいかに素晴らしい国であるかを、一人でも多く

の若者が、人に言われるのではなく、自分の考えで気づくようになる、それを私は期待する。
  

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2008年11月22日

あっさりと馬脚をあらわした政治屋そのまんま東


 11月22日の毎日新聞を読んで、思わず笑ってしまった。

 20日の夜宮崎県延岡市の講演で口走った東国原英夫宮崎県知事の次の言葉を知ったからである。

 国政への転身を聞かれた時の返答であるという。

 「なるからには閣僚かトップ(首相)です。初当選、初入閣。そうでない限り行きません」

 これでわかった。自民党から衆院選へのラブコールが送られた時、東国原は、県民の反対を知ってあきらめたと伝えられた。

 しかし、それが真の理由ではなかったということだ。

 転身の条件として「大臣の椅子」を求めたがそれが受け入れられなかったから止めたのだ。

 自民党が負けて野党になれば国会議員になっても意味はない、と計算して止めたのだ。

 毎日新聞のその記事はさらに続ける。

 「県民から『頑張ってください』と宮崎の活性化を期待する声や心の叫びが日々伝わってくる」と、県政を担う意欲を述べた・・・

 そうだ。県政に全身全霊を打ち込んで県民のために人生をまっとうすればいいのだ。

 間違っても国会議員になりたいと考えるな。これ以上政治屋が増えたら政治は本当に崩壊する。

 

 

 

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2008年11月22日

私はこういう人を褒め称える

 
 政事評論家の岩見隆夫氏は出身元の毎日新聞で毎週「近聞遠見」というコラムを書いている。

 11月22日のそのコラムは面白かった。勉強になった。

 「特別会計の病理に迫った男」と題するそのコラムは、10月末に出版されたばかりの「特別会計への道案内」(創芸出版)の著者である松浦武志という政治家秘書について書いていた。

 松浦武志は京大法学部に在学中から司法試験に挑戦し、14回落ちる。大学には10年在籍した。その後大学同期の前原誠司民主党議員の秘書を皮切りに6議員の秘書を務めるうちに、特別会計の病理に気づき、03年にいったん秘書を辞めて、その解明を決意した。膨大な資料と格闘しながら約1年かけて書いたのがこの本であるという。

 松浦武志という人物は偉いと思う。批判こそすれめったに人を褒めない私でも、褒めるべき人は褒めるのである。

 岩見はこう書いている。「特別会計の暗部に最初に着目したのは、6年前に刺殺された民主党の石井紘基衆院議員だった。『だれも知らない日本国の裏帳簿』(道出版)の著書が残っている。だが、石井は問題提起だけで各論がない。松浦がそれを埋める形になった」

 その松浦から岩見が聞いたという次の言葉は、この国の特別会計の病理現象を見事に言い当てている。

 「一に無駄遣い、二に無駄なためこみ、三にそれらが見えにくい事、ためこみはいっぱいあって、カラクリも複雑で計算が簡単でない。とにかく積立金自体が(それを所管している)役所の力なんです。(官僚たちは)全身全霊でフトコロを増やしてきた・・・」

 いまでは特会で通用するようになった約370兆円(08年度)の巨大な塊は、一般会計約83兆円の約4.4倍。

 その特別会計がらみの話は、昨年来の埋蔵金論争から、ガソリン暫定税率問題、最近の定額給付金騒動まで、次々と政治問題化してきた。

 しかし、国民はまだ特別会計に隠された、官僚たちの税金私物化の実態を、ほとんど知らされていないままだ。

 この最大の病理を一人で究明し、国民に知らせてくれた松浦は、どんな政治家よりもはるかに立派な仕事をして見せてくれた。

 非業の死を遂げた元厚生次官についてメディアではその功績を称える報道で埋め尽くされている。

 しかし彼もまた、特別会計という税金の恩恵を誰よりも享受した張本人であったのだ。

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2008年11月22日

心優しき反逆者たち

 朝日新聞土曜版に「うたの旅人」という連載がある。

 これは私の愛読欄であるが、11月22日のそれは70年代の初めに大ヒットした神田川の作成の裏話が書かれていた。

 「神田川」は私の愛好曲の一つでもあったので読んでみた。

 その概略はこうだ。

 ・・・デビューしたての南こうせつ(59)が、ラジオ局で台本書きのアルバイトをしていた当時23歳の喜多條摩忠(まこと)(61)に頼んで出来た曲である。

 締め切りは今日中だと頼まれて、いくらなんでも無理といってタクシーに乗った喜多條は、神田川のほとりでタクシーを降りた時、「この川の下流で一緒に暮らした人がいたと思い出した」。その瞬間歌のタイトルを「神田川」と決めた。

 思い浮かんだ風景は5年前の東京・高田の馬場。帰宅し、猛然と歌詞を書き付けた。「手元にあったスーパーの折込広告の裏に歌詞を書きとめたんです」

 喜多條からの知らせを受けた南はギターを引きながら歌う。作詞を始めて曲が完成するまで、1時間もかかっていない。南は次に「歌にあわせて自由に演奏してほしい」とバイオリン奏者の武川雅寛(57)の前で歌う。「やります」と立ち上がった武川は即興で、夢のようなイントロを奏でた。

 東京で4畳半の下宿に住み銭湯に通ったのは喜多条や南だけではない。バンドの誰もが歌詞に共感した。「みんながあの詞に感動して、自分の思いを注ぎ込んだ」と南は語る。

 とはいえ、メロデーは単調で、プロデューサーは「変な歌だね」と酷評した。ラジオで紹介するとリクエストが殺到したが、世論は南さんに「軟弱な4畳半フォーク」と冷水を浴びせた。

 軟弱どころか「神田川」が実は闘う男の歌だった事を南さんが知るのは、それから約20年後のことである。

 「神田川」が若者の心をつかんだ70年代は学生運動の時代だった。「心優しき反逆者たち」で作家の井上光晴氏は、「心の冷たい反逆者は本来ありえない」と書いた。やさしさの底にあったのは他人への愛とともに、自分流の人生を貫くという自己への愛ではなかったか。

 神田川の詞は当初、「何も怖くなかった」で終わっていた。本当にそうか。怖いものは何もないのか。そう思ったとき、デモから帰った下宿でカレーライスをつくる彼女の後ろ姿を、喜多條は思い出した。

 一市民として安穏と生きる人生。それは拒まなければならないと思っていた喜多條の頭には、いつも彼女の後姿がある。彼女の優しさを思うとき、その彼女を哀しませる反逆人生を貫いていいのか、と怖くなる。

 その唯一の怖さを抱きながら、「優しさに安住しない人生を生きるぞ」という男の闘争宣言がこの歌だったのだ・・・

  ご多分にもれず、私が神田川を好む理由は、「何も怖くなかった。ただ貴方の優しさだけが怖かった」、というあのせりふだ。

  貧しくとも愛する男と一緒に銭湯通いができるささやかな幸せに満足し、彼があまりにも優しすぎる、それが唯一怖かった、というこのせりふは、およそ欧米文化では理解しがたいだろう。

  しかし、「幸せも中ぐらいなりおらが春」、という日本に住む私には、その心情が良くわかる。

 朝日新聞のこの記事を読んで、実は「貴方」が男性ではなく、「女性」であったこと、つまり闘争人生に悔いはないが、黙ってついてきてくれる彼女の優しさに申し訳なく思った、その優しさが怖かった、という本当の意味を知ったのは意外だった。

 しかし、私の、この詞に対する思いはかわらない。

 さて、いつものように前置きが長くなったがここからがブログで私が書きたいことである。

 「神田川」を好む者と、それを好まない者は、この日本にも間違いなく存在する。

 70年代の日本を知らない今の若者がこの詞の世界にぴんと来ない事は十分理解できる。

 しかし私が言いたいのは、70年代に青春を送った団塊の世代の中でさえ、この詞を好む者と、「変な歌だ」、「軟弱だ」、と一蹴する者に分かれるのである。

 その違いは何か。

 それは、成功を願い、その生き方に疑問を持たずに成功を目指してまっしぐらに走って人生を終わるものと、世の中の矛盾と偽善に反逆して反逆する者との、永遠の乖離である。

 この文学的記事を書いていたのが、「反米大陸」(集英社新書)を書いて戦争国家「米国」を糾弾している朝日新聞記者の伊藤千尋であるところがいい。

 彼もまた「心優しき反逆者」の仲間に違いない。「神田川」のフアンに違いない。

 国家権力の上にあぐらをかき、現役を退いた後も天下りを重ねて一生を終わる官僚たちは、自らの人生に疑問を持つ事はないのだろうか。

 「神田川」の世界は自分とは無縁のつまらない世界だと一蹴するのだろうか。
 

 

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2008年11月21日

どうしても裁判員制度導入を強行しようとする司法官僚のプライド


 何度でも書くが、私は裁判員制度の導入は、それが来年の5月に導入される前後において、大きな社会問題になるだろうと思っている。

 そうならないように、ついに最高裁は税金を使ってテレビ・コマーシャルまで流し始めた。

 このくそ忙しい時に、解決すべき経済、社会問題が山積している時に、なぜそこまで必死なのか。

 それは司法官僚のプライドのなせるわざだ。

 いまさら引き下がれないのだ。

 自分たちが正しいと思って決めた事が、後になって問題があることがわかっても、撤回出来ない。

 そのような官僚たちの勝手な論理で、これまでどれだけの欠陥政策が重ねられてきたか。

 その結果国民が戸惑い、苦しめられ、そして犠牲になってきたか。

 官僚たちを批判する時に、官僚の無謬神話という事がよく指摘される。

 つまり、官僚たちは、自分たちは間違いを犯さないんだ、という絶対的自信があって、だから自分たちの導入する政策に間違いはない、問題は国民がそれを正しく理解していないからだ、理解する能力がないからだ、だから正しい政策を国民にわからせればいい、国民を啓蒙すればいいだけの話だ、と。

 これは違う。

 官僚の実態を知っている者として断言するが、そんな立派な話ではない。

 官僚にそこまでの自信はない。

 それどころか、確信が持てないままに、あるいは思いつきで、あるいは時間に追われて、政策がつくられていく場合のほうが多いのだ。

 そして、その法律が出来た後で不備に気づいても、保身やプライドのために、その非を直ちに認めるわけには行かない。ただちに改める事はできない。

 何年か経って、法改正や制度改革をする時には改めるが、しばらくは当初の政策にこだわり、宣伝、広報で誤魔化す、そのような事が続けられてきた。

 来年5月から導入される裁判員制度が、そのようないい加減な制度であるかどうか、私は知らない。

 この制度が、十分に検討を尽くした上で、国民にとって最善なものとして導入されるものかどうか、私は知らない。

 しかし、たとえそうであっても、この制度が、数々の問題を内包している不完全、不備のある制度である事は、もはや多くの識者の指摘するところである。

 それどころか素人目にもおかしいと映っているのだ。

  11月19日の朝日新聞「この人に聞きたい」という記事で、裁判傍聴「霞っ子クラブ」代表の高橋ユキさん(34)の次のような言葉が載っていた。

  この「霞っ子クラブ」という組織は、裁判傍聴を通じて裁判所でのやり取りを観察し、その情報を公開して、裁判の実態を国民に知らせようとする勝っ手連的なボランテアー団体である。

  ・・・人を裁くのは、本当に重いこと。昨年7月、模擬裁判で裁判員役をする機会がありましたが、1日が終わるころには、ヘトヘトでした。「自分にはどうしても無理」と思う人は、辞退できるように(制度を手直し)したほうがいいかも。
     殺人などの重い犯罪ばかりが対象になっているのも、どうなんでしょう。「市民の常識を生かす」というのなら、もっと身近にある犯罪も入れたほうがいいと思います・・・

  この高橋ユキさんは、おそらく司法官僚を批判する私と違って最高裁判所に協力的な人なのだろう。

  その協力的な人でさえ、改善の余地があるといっているのだ。

  そんな協力的な人の、しかも私でも賛成せざるをえないようなまともな改善案を取り入れないようでは、はやり今度の裁判員制度は司法官僚の意地をかけた欠陥制度に違いない。

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2008年11月20日

ここにもあらわれてきた米国の日本軽視ー日本の伝統文化に興味を示さなくなった米国


 11月20日の読売新聞「論点」に米国の学者が興味深い事を書いていた。

 その筆者はマイケル・オースリン(41歳)という元エール大学准教授で、現在はアメリカン・エンタープライズ公共政策研究所というシンクタンクの研究員である。

 彼は言う。

 過去200年にわたり米国人は、版画や生け花に魅了され、仏教や儒教の教えに関心を深めた。黒沢明の映画はジョージ・ルーカスに影響を与え、日本庭園の美は全米に広がった。日本文化への関心は、日米関係において重要な役割を演じてきた。つまり、米国は日本を重大な国と受け止めてきた。
 (ところが)今日の日米関係は、劇的に変わった。米国人は日本文化を真剣に見つめるのをやめてしまった。米国の若者は黒沢映画のかわりにアニメを見るようになり、大学のなかには源氏物語や安倍公のかわりに漫画を読ませるところもでてきた・・・
  米国での日本に関する焦点がポップカルチャーになったという事は、米国人が日本の社会、経済、政治といったまじめな事項について話さなくなった事を意味する。
 更に憂慮すべきは、米国で日本の言語、歴史、社会を理解する専門家の数がどんどん減っている事だ。大学でアニメの講座をとった学生たちが、日本を真剣な研究対象とみなす可能性は低い。(そのような米国人が)日本が日米同盟において偉大な役割を果たしている世界的大国と考える事はあるまい。
 米国の政策や米世論に影響を及ぼすことのできる日本専門家が米国にいなくなれば、将来、重大な問題が起きた時、米国が日本を緊密なパートナーとして頼りにする可能性は少なくなるだろう。
 これは日米関係にとって悲劇だ・・・

 これは重大な警告だ。指摘されてはじめてなるほどと思った。

 外務省はこの警告を真剣に受け止めるべきだろう。

 漫画しか読まない人をかつて外相としていただいた外務省は、ソフトパワーと称して日本アニメの海外紹介を盛んにはじめた。

 その外相がいまや首相となって、外務官僚はますますマンガ外交に熱を入れる事だろう。

 それは伝統文化や文学、芸術などの海外広報よりもはるかに簡単だ。

 それをいい事にポップカルチャー偏重の日本紹介を続けていいのか。

  いみじくもオースリン氏が喝破した現実、つまり日米関係の現実を見ず、日米関係の強化強化に向けた真の相互理解の努力を怠り、それでいて日米同盟はゆるぎないと連呼しているようでは、それこそマンガであると馬鹿にされかねない。

 

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2008年11月20日

世界金融サミットに関する二つの論評

 
 もともと気が短い上に、最近はますます短くなったようだ。

 文章を読むにも、何が言いたいのか、何が結論か、それを真っ先に探して、すべてを読んだことにする。

 だから読む論評も、短いほうがいい。

 その点で言えば先般の金融サミットに関する次の二つの論評はよかった。

 11月19日の毎日の「経済観測」という経済コラムの論評はこうだ。

 ・・・これからの5年は米国発の不況と混迷の5年になる。その大きな責任は米国にあるが日本もほう助責任はある。バブル崩壊に際してゼロ金利という禁じ手を長期間乱用したことである。金利ゼロという魔法のつぼから吐き出されたマネーは国内で費消されず、米住宅ローンバブルの資金源になった・・・先日の金融サミットはフランス好みの大芝居かかったショーであった・・・どだい20人の首脳がわずか3時間でどういう議論ができるのかを考えると、このサミットが儀式でしかない事は明らかだ・・・被告が議長をつとめその議長があと2ヶ月で辞めるのだから何も決められるはずもない。それでも出席者が「歴史的会合」というのなら、何が歴史的なのかが明らかでなければならない。20人の首脳が集合したことか、ドルが基軸通貨の座をどこかに譲ったのか、第二ブレトンウッズ体制をめぐる議論が誰かから提起されたのか・・・

   この論評は、その最後のところで、わずかな救いはカジノ化する金融機関に対する監督・規制が首脳宣言で「宿題」として書かれていることだ、と言っているが、要するに金融サミットはまったく無意味だった、といっているのだ。同感である。

 もう一つの論評は11月20日の産経新聞「塩爺のよく聞いてください」というコラムだ。そこで元財務大臣の塩川正十郎氏がこう書いていた。

  ・・・国際社会が金融危機対処に向けた協調の第一歩を踏み出した。世界経済が一体となって取り組むグローバル化の時代に入った事も証明された。その政治的、経済的な意義は大きい。
    しかし、結果にはいささか疑問が残る・・・
    あえて言う。日本にはやるべきことがある。国際協調体制の構築に先行し、米国の経済再建に力を尽くすことだ。麻生太郎首相が一日もはやくオバマ次期大統領に会い、「日本が同盟国のためにやったる」と言って、具体的かつドラマチックな支援策を約束すれば、どれでけ米国に励みになるか。オバマ時代の日米関係に大きくプラスに作用するに違いない・・・

  驚くべき粗雑な提案だ。粗雑であるだけでなく完全な的外れだ。ビッグ3の倒産さえ防げないような今の米国を、どうして日本が救えるというのか。その前に日本がつぶれてしまう。日本がつぶれても米国が助かればいいと言わんばかりの対米従属、日米同盟万歳の考えだ。

  そして、これが元財務大臣の論評なのである。それを産経新聞は一面にまじめな論評として堂々と掲載しているのだ。

  もっとも簡潔だから私は評価する。

 

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2008年11月20日

日本の金融機関は大丈夫だという言説は嘘だったのか


 ついこの間のことだから思い出してほしい。

 金融サミットの前にメディアがこぞって書いていたのが、「巨額の赤字決算が続出した米、欧金融機関にくらべ、日本の金融機関は、今度の金融危機から受けた傷は浅い」というものだった。

 だから、米欧の銀行に出資できるのだ、金融危機の解決に日本こそリーダーシップを取るべきだ、などという意見まで口にする者もいた。

 ところがどうだ。

 金融サミットが終わってわずか3日ほどたったばかりの19日の新聞は、大手銀行グループの08年9月中間決算大幅減益を一斉に報じた。

 それについで20日には、損保大手の大幅減益のニュースだ。

 しかも半端な減益ではない。

 邦銀も損保も前年同月比5割から7割の減益だ。

 それを報じる11月19日の毎日新聞「エコナビ2008」では、次のように書かれていた。

 ・・・18日出そろった大手銀行6グループの08年9月中間連結決算は、金融危機による不良債権増と株安のダブルパンチで利益が・・・6割減に落ち込んだ。米欧金融機関に相次いで出資し、「救済役」となってきた邦銀だが・・・一転して「冬の時代」に突入しつつある。銀行の体力低下は融資の絞込みにつながり、後退色を強める景気を一段と悪化させかねない・・・

 今までの強がりは何であったのか。

 経済記事までもメディアは嘘を流すのか。

 世論を誘導させようとするのか。

 嘘は必ずばれる。

 ましてや経済は政治と違って数字で明らかになる。

 減益、倒産という形で容赦がない。

 世界経済は本当に大丈夫か。

 日本経済は本当に大丈夫か。

 何よりも米国経済が大丈夫なのか。

 政治家も官僚も経済評論家も、そしてメディアまでも、本当の事を言ったら国民が動揺する、そうなれば政権が倒れ、世の中が暴発する、そう思って、一時凌ぎや気休めの嘘を言っているのではないだろうな。

 事態が深刻ならば、政府、メディアは早くそれを国民に知らせ、対応策を講じなければならない。

 その事によって政権が倒れようとも、国民が倒れるよりはるかにましだ。

 支配者たちが、権力を手放したくないために嘘を言い続け、その先に国民生活の混乱と破綻が待っているとしたら、その責任は万死に値する。

 その行く末は、早晩明らかになるに違いない。

 

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2008年11月20日

厚生次官OB殺傷事件を悪用させてはならない


 今度の事件の卑劣さを、私がここで繰返す必要はない。

 それは皆が口をそろえて話している。

 私がここで言いたい事は、事件の卑劣さ、衝撃さの報道の裏に隠れて、年金問題がかき消されてはならないとうことだ。

 厚生労働省への批判が封じられてしまってはならないとうことだ。

 今回の事件の報道は、犯人が捕まらない間は勿論のと、捕まった後も、報道され続ける事だろう。

 すなわち、当分この問題をめぐる報道騒ぎは続くという事である。

 その結果何が起きるか。

 一つは政府(厚生労働省)批判が抑制されることであり、

 二つは年金改革や医療改革の批判が抑制されることである。

 そして、その傾向は既にあらわれ始めている。

 11月20日東京新聞は、津島雄二元厚生相が、今度の連続殺傷事件の原因の一端が、厚生労働行政を批判してきた野党やマスコミの論調にあると発言したと報じた。

 某企業の相談役が「マスコミに報復してやる」と脅かした発言とまったく同じ、批判封じである。

 今度の事件はまた、政府に対する抗議行動の規制強化の形で、てきめんにあらわれた。

 おなじく11月20日の朝日新聞「政策ウオッチ」で次のような記事があった。

 ・・・厚生労働省が入る東京・霞ヶ関の中央合同庁舎5号館の前では、毎日のように、全国からやってきた市民団体や労働組合などが抱えている問題の解決を求め、街頭演説や座り込みなどをしている・・・介護報酬の引き上げや原爆症の認定基準の見直し、偽装請負の解決など内容は様々だ(が・・・)人々の暮らしに直結した政策を扱う役所への訴えだけに、どれも切実で立ち止まって聴き入る事も多い。
  ところが19日朝は(警備強化のために)様子が一変した・・・事件が早期に解決し、役所の前が、多くの人が安心して声を上げられる場へと戻る事を願う・・・

 このような政府批判に対する言動規制もさることながら、年金問題や社会保険庁の不正問題そのものがもみ消されるようでは、事はもっと深刻だ。

 すでにTVでは年金行政に果たした被害者の業績が称えられ始めている。

 浅野前知事はTVの前で元上司である被害者をこれ以上ない言葉で誉めそやしていた。

 浅野前知事自らが年金改革の当事者であった事を認めた瞬間である。

 しかし、今回の事件の卑劣さと、年金制度の行き詰まり問題とは、完全に切り離して論じられなければならない。

 11月20日の毎日新聞「年金不正」(消された記録 下)の中の以下の記事を読めば、年金問題の根の深さにあらためて慄然とする。

 ・・・社会保険事務局幹部は社会保険庁からの出向者が多い。「在任中の徴収成績が上がれば本庁に好ポストで戻れる」。尾崎さん(内部告発した元大津社会保険事務所徴収課長)は出向者がそう言っていたのを覚えている・・・数年前まで毎年2回、社保庁から徴収成績に応じて(各地方事務所へ)数百万円の旅費が配られたと言う・・・事実上の報奨金だったと見られ、視察名目の職員旅行に使われたり・・・(旅費を偽装して)手渡されるケースもあったという・・・
   尾崎さんは言う。「見せかけの徴収率維持に血眼になったのは大蔵・財務省折衝のため。天下り団体を多く抱え、仕事を引き受けさせてきた本庁が予算を獲得する説得材料だった。だから本庁が不正処理を知らないわけはない」
   記録改ざんによって「消された年金記録」のしわ寄せは、国民が将来受給する年金に直結する・・・年金不信を払拭するには、全容を国民に明らかにすることからしか始まらない。

 

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2008年11月19日

いやな世の中になってしまった


 言いようのない不吉な時代の到来だ、あえて口には出さない人たちも、内心では皆そう思っているに違いない。

 突如として起きた厚生次官連続殺傷事件のことだけを言っているのではない。

 ひき逃げ殺人事件が相次いで起きるようになったことだけを言っているのではない。

 親が幼児を殺し、子供が親を殺す、そういう事件が後を絶たないことだけで、そう言っているのではない。

 11月19日の毎日新聞の書評欄で見つけた次の言葉を読んで、あらためていまの世の中に思いを巡らせてみた。その後に心に浮かんだ思いについて言っているのである。

  ・・・首都圏では連日のようにJRか私鉄のどこかで電車が事故でストップする。すべてではないが、人身事故が多い。原因のほとんどが自殺を図った結果である。
    年間3万人を超える自殺者がここ10年続いている。07年は3万3093人が亡くなった。98年以降いやな記録は続いている・・・

 健康問題とならんで経済・生活問題が自殺の主たる原因・動機でと指摘されて久しい。

 それが問題とわかっていながら、この国の政策は、その自殺者の数を減らす事が出来ないでいる。

 それどころか日増しに国民生活は困窮に追い込まれつつある。

 60歳以上の高齢者や働き盛りの30代の自殺が増加の一方だという。

 突如として起きたと思われる事件も、それよりもずっと前から、警告が発せられていたのではないか。

 何とかしなければ取り返しのつかない日本になってしまうぞ、という警告がなり続けていたのではないか。

 いまからでも遅くはない。

 政治家も官僚もこの国の指導者たちも、本気になって国民生活の蘇生に取り組まないと、日本という国は本物の不吉な国となるのではないか。

 今度の事件はそんな警鐘を乱打しているのではないか。

 皆で真剣に考えなければならないと思う。

 

 

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2008年11月18日

究極の政界再編は社・共再編である


 政局に関するブログをここしばらく書かなかった。

 それはいまの日本の政治がどうなっているかわからなくなってきたからだ。

 というよりも、麻生自民党も小沢民主党も、まったく興味が持てなくなったからだ。

 繰り返し書いてきたが、自公政権が今度の選挙で負けるであろうことは、あらゆるニュースが報じている。

 そうであれば、民主党は解散・総選挙をあせるよりも、自公政権が崩壊するのを大きく構えて待っていればいいのだ。

 自公の誤った政策を批判し続け、国民が何を欲しているかを正確につかむ努力を重ね、選挙対策を確実に進め、そして来るべき政権交代の時に、国民の喝采を得られるような政策を、今から練り上げることに専念していればいいだけの話だ。

 これだけでも、来年9月の任期切れまでに間に合わないほどの大仕事だ。

 それなのに、民主党のやってきたことは解散・総選挙を急ぐことばかりだ。

 そのために国会戦略を二転、三転させ、支持者を混乱させてきた。

 そして昨日の突然の党首会談だ。

 しかも小沢民主党からそれを申し込んでいる。

 党首討論を逃げ続ける小沢民主党代表が、いきなり党首会談だ。

 これは紛れもない話し合い解散の動きであり、大連立か中連立か知らないが、自民、民主の談合政治の動きである。

 国民不在の密室政治に反発することは、あの福田前首相との連立騒動から学んだはずなのに、である。

 最近の政治記事を見ていると、もはや政権交代よりも、自民、民主が相手の懐に手を突っ込んだ政治家の引き抜き合戦が始まるという話がもっぱらになってきた。

 政権交代よりも政界再編による政権交換のごとくだ。

 それはそのまま、名前を変えた自民党政権の生き残りである。

 18日の新聞を見ていると、麻生、小沢党首会談を見て、共産、社会両党党首が、補正予算を提出しないと審議拒否をするという民主党の対応を批判していた。

 正しい批判である。

 しかし、彼らが批判すべきは本当は自民、民主の談合政治である。

 二大政党の名の下に、ここまで日本の政治が停滞している今こそ、革新勢力の再編を断行し、政治に緊張感をもたらすことが今必要なのではないか。

 内政・外交の双方で、自公政権や自・民連立と明確に対立する政策を打ち出し、国民に「チェンジ」を求める時ではないのか。

 それで政権が取れなくても、確固とした第三勢力を打ち出すことができれば、日本の政治に大きな影響力を持つことになるのではないか。

 消えかかる党の生き残りのために心の動かない民主党に寄り添うごとき社民党や、自分だけが確かな野党だとして一切の妥協を排する共産党が、今のままバラバラになって自民、民主党を批判していても、国民の政治離れはさらに進む。

 究極の政界再編は社会党・共産党の再編である。

 しかし、その再編が、保守再編よりもはるかに難しく、その兆しさえまったく見られないところに、この国の政治の真の貧困さがある。希望なき未来がある。

 

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2008年11月17日

沖縄密約をあっさり認めた前外務事務次官


 発売中の月刊文芸春秋12月号に、「死ぬまでに絶対読みたい本」という特集記事があって、「読書家」52人が推奨する本がリストアップされている。

 この種のアンケートを見ていつも思うのだが、読書家ではない私は、それら著名人、有識者らが勧めるそのほとんどを読んだ事がない。

 そして、根っから天邪鬼な私は、読んだことがない本であっても、人が絶対に読みたいなどと言うと、とたんに読む気にならないのだ。

 そんなムダ話をするために、このブログを書いているのではもちろんない。

 52人の読書家の中に谷内正太郎前外務事務次官の名前があった。

 その谷内前外務事務次官が、「死ぬまでに絶対読んでおけ」と勧めている本が、若泉敬氏(元京都産業大学教授)の「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」(文芸春秋社)という本である。

 この事は極めて重大な意味を持つ。

 明治の外務大臣陸奥宗光の著書の中の言葉を題名に使ったという若泉氏のこの著書は、いうまでもなく、佐藤首相の密使として沖縄密約にかかわった自らの行動を告白した衝撃の書である。

 しかも、その著書が刊行された後に沖縄県民に与えた衝撃を悔いて、「責任の重さを痛感して自決する」という遺書を書き残していた事まで、のちに明らかになっている。

 その若泉敬氏の著書を、谷内前外務事務次官は次のように絶賛しているのだ。

 ・・・「永い遅疑逡巡の末」書かれた本書は、もちろん単なる回顧録ではない。有事の核持込を示唆する秘密合意議事録について、最後まで「守秘義務」を守るか、真実を明らかにして「天下の法廷の証人台」に立つか。「二つの良心」の間で揺れた結果がこの本なのである。氏は、後者の道を選択した。重大な関心を払うであろう国会が著者を証人喚問した際は、包み隠さず真情を吐露するつもりであった。
   しかし、「愚者の楽園」と化した戦後日本は、本書に対し当惑ともつかぬ奇妙な沈黙をもって答え、国会からも沙汰はなかった・・・

  そう書いた後、谷内氏は外務省に入ったばかりの若かりし頃若泉宅に居候し、驥尾に付していた事を明らかにした上で、「若泉敬、死シテ朽チズ」と氏の言動を称えているのである。

 これは凄い告白だ。

 外務官僚のトップにあった者が、沖縄密約の存在を認めたのみならず、それしか策がなかったと、若泉氏の言動を称えているのだ。

 それを国会で証言する覚悟をした若泉氏の勇気ある決断を活かさなかった国民や国会を愚者と言っているのだ。

 そうであるならば、なぜ外務事務次官の時に、沖縄密約の存在を認め、国会で堂々とその政策の正しさを主張しなかったのか。

 沖縄密約など一切なかったとして、西山太吉氏の訴えは、今もなお政府、外務省、裁判所に一蹴されたままだ。

 沖縄密約漏洩事件でその半生を失った西山さんをここまで苦しめる理由は、もはやどこにもない。

 その事を前外務事務次官は文芸春秋12月号で認めたと言う事である。 

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2008年11月17日

金融サミットをどう評価すればいいのか


  経済の専門家でもない私が、金融サミットの評価についてこのブログで書く。

  しかも極めて限られた字数で書いてみる。

  なぜか。

  それは私自身が、世界がこの未曾有の金融危機をどう乗り越えていこうとしているのか、まったくわからないからだ。

  わからないから率直な思いを書く。

  そうすることによって、実は誰もわかっていないのではないか、という問題提起を敢えてしてみる。

  それが目的である。

  世界の指導者も、経済専門家も、メディアも、皆わからないくせに、わかったような振りをしているのではないか。

  いや、そうではないかもしれない。

  問題の深刻さがわかっているからこそ、どうしていいかわからないのかもしれない。

  あるいは、問題の解決策に気づいていても、覇権争いの為に、あるいは保身のために、本当の解決に手をつけようとしていないのではないか。

  そうだとすれば問題は深刻である。

  さらなる危機が待っていることになる。

  そしてその場合、一番苦しめられるのは弱者である。

  私はそれを憂う。

  私は今日の各紙の報道振りにすべて目を通してみた。

  しかし、そこには今度の金融サミットは大失敗だったと一刀両断したものはどこにもない。

  たしかに、「具体策なき処方箋」(毎日)、とか、「危機克服 具体策先送り」(日経)とか、「機軸通貨の議論なし」(読売)とか、の否定的な指摘はある。

  しかし、決して失敗だったと断定していない。

  首脳宣言がまとまった事を評価し、G-20という拡大サミットに未来の方向が出てきたといい、金融危機の回避のためにさらなる協調行動に期待する、といった、一見もっともらしい、その実何も中身がない言葉を並べている。

  そんな評価でいいのか。そんな悠長な事を言っていられる場合なのか。

  ここで冷静に考えて見よう。

  株価暴落で世界中がうろたえていたわずか一月ほど前、語られていたことは、米国金融資本主義が破綻した、あらたな枠組みを作らない限り100年に一度の危機を乗り切ることはできない、というものばかりであった。

  それが本当なら、今度の金融サミットは大失敗だったことになる。

  それどころか、今度の首脳宣言で合意され中の一つに、IMF,「世界銀行の役割を認め、それらへの資金基盤を強化する」という項目がある。

  今回の世界的金融危機が米国の行き過ぎた新自由主義、金融資本至上主義の結果もたらされたものであることは、もはや否定しようがない。

  その米国のワシントン・コンセンサス、すなわち「新自由主義」、「規制緩和」、「市場原理」、「民営化」、「自由貿易」、のイデオロギーを世界中に広める戦略の担い手であったのがIMF・世界銀行だった(11月15日東京新聞こちら特報部)のではなかったか。

  そこのところの議論が一切されず、改革の議論の端緒さえも見られなかった今回のサミットは大失敗ではなかったのか。

  これで金融危機が乗り切れるとすれば一ヶ月前のあの騒動は嘘であったということだ。

  果たして、世界金融体制はどう動いていくのだろう。

  オバマ新政権の後に開かれる次の金融サミットから、新しい世界経済体制構築の本格的な交渉が始まるのだろうか。

  

 

 

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2008年11月16日

トヨタを批判したら恐喝メールが届いた

 私は11月3日と7日のブログでトヨタ批判を書いた。

 すなわち3日のブログでは、小泉政権の最大の支持者として小泉改革を後押しし日本をここまで格差社会にしてしまったトヨタの相談役が最高位の叙勲を受ける事に疑問を投げかけ、7日のブログでは、派遣社員を容赦なく切り捨てる企業の社会的責任を問うた。

 そうしたら、すかさず私のブログに次のような匿名のメールが届いた。全文をそのまま公表する

   トヨタ叩きをすることの意味はわかっているだろう。
  レバノン大使時代、館用車に次々とトヨタ車を使う見返りに
  法外な値段で私用車までもを引き取らせていたことを忘れ
  たのか。来週の週刊誌を楽しみにするがいい。

  これ以上卑劣な脅迫はない。

  私が脅しに屈すると思われたとしたら私もみくびられたものだ。

  この告発者が言及している事について私に後ろめたい事は何もない。

  明らかに内部関係者と思われるこの告発者の正体を、なんとしてでもつきとめて、公開の場で決着をつけようと思っている。

  批判を恫喝で封じようとする、この卑劣な行為だけは私は許さない。

  トヨタの名誉のために言っておくと、私はこのメールの差出人はトヨタ関係者ではないと思っている。

  私の言動を快く思わない外務省のかつての同僚であると思っている。心当たりもある。

  もしこのメールがトヨタ関係者からの脅迫メールであれば、トヨタが失うものはあまりにも大き過ぎる。  そんなおろかな事をトヨタがするとは思えない。

 そう思っていたら、12日の「厚生労働行政の在り方に関する懇談会」において、座長の奥田トヨタ相談役が、政府批判するマスコミに対し、「スポンサーを降りるとかして報復してやろうかと思う」、と発言した事を13日の報道で知った。

 この発言については、13日の東京新聞だけが、服部孝章・立命館大学教授(メディア法)の次のコメントを掲載していた。

 ・・・「報復する」というのは言論に対する挑戦だ。脅しだ。批判する事によって社会を良くすることに水を差し、ジャーナリズムの存在意義をまったく認めようとしない姿勢の表れだ。経営のあり方などを批判した場合にCMを出さないという宣戦布告だ・・・

 しかしそのほかのメディアは、まるで腫れ物に触るかのように、この暴言を黙殺したままだ。

 ここまでメディアは弱くなったのか。

 ここまで日本社会は強いものに好き放題を言わせる社会になったのか。

 恐喝メールはトヨタから来たのかもしれないと思ったりもする。

 

 

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2008年11月15日

非難しながらも対米従属を続ける日本外交の限界


 北朝鮮の核開発計画検証の合意が、まったくいいかげんなものであった事は、もはや誰の目にも明らかになった。

 11月15日の毎日新聞もその社説で、今からでも遅くないから検証方法を厳格に詰めるべきだと主張している。

 外務省の幹部までもが、12日夜、「(米国は)北朝鮮にだまされた」と不快感、不信感をあらわにしたという(11月14日毎日新聞)。

 その米国を信じ、追従し、そして裏切り続けられてきた外務官僚が、決して口にすべき言葉ではないだろう。

 逆に言えばそれほど外務官僚は米国からないがしろにされてきたという事だ、その欲求不満が外務官僚を蝕んでいるということだ。

 発売中の月刊文芸春秋12月号「霞ヶ関コンフィデンシャル」の中で、谷内正太郎前外務次官が、10月23日にワシントンで開かれたシンポジウムで、日米関係者を前にして次のような不満をぶちまけたと、書いていた。

 すなわち、安倍政権下で事務次官をつとめた自分が推進した日米豪印の4民主主義国家間の戦略対話構想に米国が反対し、東アジアサミット構想(アセアンプラス日中韓に豪、NZを加えたもの)へ米国の参加を要請したが、これも断られた、という事実を暴露した上で、

 「日本がイニシアティブをとってそれをしようとしたとき、米国がサポートしてくれるかと言えば、そうでもない。私にはその理由がわかりません。新政権のもとではこうしたことが繰返されない事を願っています・・・」

 と遠慮ながら文句を言ったというのだ。

 ついこの前まで外務次官をしていた者が、このような発言をすることは、自らの外交手腕の不甲斐なさを認める事に等しい。

 それほど情けない発言であるが、もっと情けない事は、このような泣き言を米国に言ったところで米国は、不快感を持ちこそすれ、決して態度を改める事はないということだ。

 米国の利益を最優先し、その利益を日本に押しつけてくる米国の基本姿勢は、オバマ政権になっても変わりはしない。

 重要な事は、あくまでも日本の国益を守るという外交を追及しながら、米国との対立を避ける、そういう自主、自立した気迫ある外交の実現である。

 ところが現実はそれと逆の事を日本外交は続けてきた。

 不満、不信、時として憤りを覚えながらも、最後は国民の利益を犠牲にしてまでも米国に追従する、これが日本外交であった。

 そして、その対米追従外交は近年ますます強まりつつある。

 これでは健全な外交などできるはずはない。

 金融危機が世界を震撼させた直後、世界の論調は、米国金融資本主義の破綻であり、ドル一極支配の終焉である、と指摘した。日本の論調もそうだった。そしてその考えは今も続いている。

 世界経済の苦境を抜本的に解決するには、長期的には、世界金融システム、ドル基軸通貨システムの変更なくしては困難だという認識は世界中に広まっている。

 その切っ掛けを話し合うのが今度の金融サミットのはずだ。

 仏のサルコジ大統領は、13日、「米ドルは第二次世界大戦終結直後には世界で唯一の基軸通貨であったが、もはや基軸通貨だと言い張ることはできない。20世紀の仕組みは21世紀には通じないというのがフランスの立場だ」とエリーゼ宮殿で演説して、ワシントンでの金融サミットに乗り込んで行った(11月15日毎日、読売)。

 中国もロシアも新興国も同様に、米ドル一極支配から新しい金融システムへ移行すべき時だとして、その新金融システムにおける影響力の確保を目指している。

 かつてアジア円通貨圏を構想したほどの日本だ。日本も本心では当然そう考えているはずだ。

 ところが、現実には、米国金融支配の権化であるIMFの強化を、今でもただ一人擁護する国となって金融サミットに参加している。

 不満を抱きながらも最後はすべてを米国擁護、米国追従、米国の代弁者に終わってしまう。

 ここに日本外交の深刻な限界がある。

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2008年11月14日

新聞のコラムで終わりにしてしまうのはもったいない


 日本の政治がおどろくほど弛緩している。

 政治がしまらないのは、政治家が政局に明け暮れて、政府の政策の誤りを、国会の場で、本気になって追及できないからだ。政治指導者と官僚たちに、その責任を具体的な形で取らせないからだ。

 政権交代で終わらせてはならない。

 すべての政策においてそれがいえる。

 誤った政策をしておいて、そしてその結果国民に多大の犠牲を強いておきながら、政権交代ごときで逃げられてはたまったものではない、そういう気迫を野党は持たなければならない。

 11月14日の東京新聞「本音のコラム」でノンフィクション作家の吉田司氏が、「失政」と題して次のようなコラムを書いていた。

 米国初の黒人大統領オバマ氏の誕生!というより・・・ブッシュ政権の政策は失敗したと宣言する「グッドバイブッシュ政権」の誕生だ!!って気がするね。
 すでに連邦準備制度理事会の前議長グリーンスパン氏は今回の金融危機について、「規制緩和や自由競争を推し進めた事に一部誤りがあった」と認めた。コロンビア大教授のジョセフ・スティグリッツ氏(2001年ノーベル経済学賞受賞者)も「新自由主義は終わりを迎えなければならない。規制緩和と自由化が経済効率をもたらすという見解は行き詰まった」(と断じている)。
 すると、どういうことになるのか・・・(そうだ)小泉構造改革もまた「誤り」だったことになる。
 私たちは「小泉元首相、出て来い!」の声をあげねばならない。
 さらに小泉政権で首相補佐官を務めていた岡本行夫氏が、ブッシュ政権は「やらなくていい戦争で約4千人の米兵を死なせた」(朝日新聞11月7日)と発言。
  おいおい、今ごろ何を言う。すると日本の自衛隊はやらなくていいイラク戦争に派遣・協力させられたのか?・・・

 この吉田司氏の思いは、少しは政治を考えている者であれば誰もが考えていることだ。

 なぜ国会でこの事を野党政治家は政府に厳しく詰め寄らないのか。

 いや、詰め寄っているかもしれない。

 政府の片棒を担いできたメディアの幹部らが、自らの不明を隠そうとして、あえて報じようとしていないのかもしれない。

 いまからでも遅くない。

 オバマ新大統領誕生にあやかろうとする暇があれば、野党は政府にその非を認めさせるべきだ。

 それでもなお政府が、対米追従政策は正しかったと言い張るなら、それを世界中に報じてやればいい。世界の国民から笑いものになるだろう。

 国民の思いを見事に代弁している吉田司氏のこの指摘は、コラムで終わりにしてしまうのでは、あまりにももったいない。

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2008年11月14日

金融サミットの日本の報道に注視せよ


 昨日のブログで私はレバノンの英字紙デイリースターの論評を引用して、今度の金融サミットで新機軸が打ち出されることはないだろう、それどころか各国の利害のぶつかり合いに終わるだろう、という見方を紹介した。

 サミットを前日に控えて、さすがに14日の日本各紙も金融サミットの記事を発信している。

 その中で私が注目したのは14日の毎日新聞の二つの記事だ。

 その一つは金融サミットの見通しについて概略こう書いている。

 すなわち、今度のサミットは、金融機関に対する監督体制や規制の見直しが焦点になる。しかし、欧米間で国際金融の主導権争いがくすぶり、新興国は先進国主導の規制・ルールづくり自体を改めるように要求する。日本は「欧米間や先進国と新興国間の橋渡しを目指したい」としているが、先進国だけでもまとまらない論議を、新興国も交える金融サミットで、すんなり麻生提案でまとめられるか疑問だ、と。

 レバノン紙がいち早く指摘している事と同じ見方である。死に体ブッシュに影響力はなく、すべてはオバマ新政権の発足後になる、という点を除いては。

 もう一つは新しい基軸通貨を模索する中での円の地位の低下についてである。毎日新聞の「金融崩壊」という連載記事の第四回目に「揺らぐ基軸通貨」として、次のような記事があった。

 「長期的視点に立てば、世界がより多くの基軸通貨の選択肢を持つべきだ」。これは中国人民銀行の元副総裁が11月2日、上海で開かれたシンポジウムで話した言葉だという。金融危機による米国の地位低下を見越し、中国が重要な役割を握る、と宣言したものと受け取られている。
 アジア共通通貨の構想が浮上したのは97年のアジア通貨危機の時だった。この時、サマーズ米財務副長官(当時)は、国際通貨基金(IMF)のアジア版(AMF)をつくってアジアを円の共通通貨圏にしようと動いた榊原英資財務官(当時)に、「本当の友達だと思っていたが見損なった」と抗議された上に、アジア各国に書簡を送って反対するよう圧力をかけられた。榊原構想はあっけなく幻に終わった。
 それから10年余り、世界が未曾有の金融危機に襲われている中で、円を軸に据えたアジア共通通貨を模索する動きはない。それどころか日本の政府関係者が口にするのはIMF強化論ばかりだ・・・それは米国発金融危機のさなかにアジア共通通貨を打ち出せば、ドル暴落を誘うという配慮が働いているだけではない。日本が基軸通貨を裏打ちする圧倒的な軍事力を持たない事に加え、戦後処理が完全に終わらず、アジア諸国の尊敬を得る地位を確立していない事が背景にある・・・
 財務省幹部は「中国と東南アジアの経済的つながりは今後ますます深くなる。将来誕生するアジア共通通貨は中国人民元が中心になるのは避けられない」と見る・・・

 軍事力を持たないから米国に追従するほかはない、という考えは誤りだ。日本に戦略がない、ただそれだけである。

 安全保障政策も、国際金融政策も、政治家、官僚の無策の積み重ねの結果、今日の日本の地位低下を招いた、そこに尽きるのである。

 さて金融サミットはどのような結果に終わるのであろうか。

 我われが注目しなければならないのは日本の報道振りである。

 あらたな金融秩序づくりの前哨戦となる各国の壮絶な戦いの結果を日本の報道は正確に伝える事ができるのか。

 日本代表団のブリーフをに頼って日本の活躍ぶりだけを国民に知らせる大本営発表記事に終わりはしないか。

 そこのところを我々は注視しなければならない。

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2008年11月13日

金融サミットは失敗する


 日経平均がバブル崩壊後の最安値をあっさり突破し7500円を割り込んだのは10月27日だった。

 それと前後してブッシュ大統領が金融サミットを11月15日にワシントンで開催すると宣言した。

 そのサミット出席のために麻生首相は、交付金給与の混乱を尻目にワシントンに飛び立った。

 ところで金融サミットで何が決定されるのか?

 日本の報道振りを見る限りでは何もわからない。

 報道される事はといえば、米国金融支配が崩壊した後の新しい通貨システムを作らなければならない、とか、金融資本主義がこれ以上暴走、逸脱しないように、国際的合意の下に監視システムを強化しなければならなし、と言った有識者の意見である。

 11月13日の日経新聞でも慶応義塾大学前塾長の鳥居泰彦氏が、「経済教室」
の中で、「今回の金融・経済危機は、市場の暴走を許してしまった末に起きた。これまでの世界経済のインフラとなってきた制度や仕組みの再検討・修正は不可避である」と唱えている。

 そのような会議になるのだろうか。

 レバノンの英字紙デイリースター紙11月13日付に、「制度改革を急ぐと金融サミットは失敗に終わる」、という次のような論説が掲載されていた。

 因みにレバノンは世界中の情報が集まる情報のクロスロードだ。公開情報も質が高い。

 デイリースター紙は、その有力な一つであった。

 ・・・今度のサミットは嫌がるブッシュの尻をたたいてEU議長のフランス大統領サルコジがその任期が終わる前に、強引に開かせた会議だ。
   しかし、様々な思惑がぶつかり合う会議になる。いまや世界経済の共同管理者となりつつある中国、新しい国際金融制度の創設に影響力を発揮したいEU、そして、自分たちに何の責任もないのに、いきなり世界経済の混乱に巻き込まれた新興国の怒り。実際のところ新興国の怒りはすさまじい。ブラジルのパトリオタ駐米大使などは、「今度のサミットはG8が決めてきた世界経済システムについて、すべての参加国が平等に発言する会議になる」などと挑発的な発言をしている。
   フランスは早々と金融サミットで採択される決議案のとりまとめを急いでいる。それは格付け会社の監視強化、会計基準の統一、そしてIMFの役割の強化である。
   サルコジは、100日後に、オバマ新大統領の出席を得て、その決議案の採択を目指した金融サミットを開こうとしている。
   しかし新しい金融システム作りを急ぐと失敗する。ブレトンウッズ体制を合意するには3ヶ月の準備期間を要した。それを3週間で行なおうとするのは無理というものだ・・・

   なるほど。今度の金融サミットは、新しい金融システムの主導権をめぐって、各国の思惑のぶつかり合う会議なのだ。レイムダックのブッシュ大統領と、情報から疎外されている日本は、外されるのか。

   そんな事を知ってか知らずか、麻生首相はIMF強化のために外貨準備から10兆円を増資するという大判振る舞いの手土産を持って飛び立った。二回目のサミットを、日本がサミット議長である今年いっぱいまでに、二回目の金融サミットを日本で開きたいと提案するために。

   サルコジから一蹴されることだろう。

 

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2008年11月13日

それでも私はオバマに期待する

  米大統領選挙でのオバマ勝利から一週間がたち、さすがに熱狂報道は一段落した。

  それと同時に、オバマへの圧倒的な期待の一方で、オバマで米国は変わるのか、世界は変わるのか、という疑問を呈する声もメディアで流される。

  たしかに、オバマ一人の力で米国や世界が直面する問題が解決するとは思。オバマ氏が戦争国家米国をただちに平和国家に向かわせようとすることは、命を失うほど危険ですらある。

  オバマ氏が最初に手をつけた人事がユダヤ系米人強硬派のエマニュエル氏を首席補佐官につけた事にも失望させられた。その事を11月8日のブログで書いた。(その後の情報では彼の父親はシオニスト武装グループだった事も指摘されている)

  それでも、である。

  それでも私はオバマに期待する。

  その期待を強めさせたのが、11月13日の朝日新聞の次のような記事であった。

 「2008年米大統領選挙 ひと物語」というその記事の概要は次のような感動的なものであった。


  ・・・すべての始まりは5ドルの募金。それも、パソコンのキーボードをたたいただけであった。
    07年8月、ウイルソンさんは、パソコンでオバマ陣営のサイトを眺めていて「募金した人の中から、4人をディナーへご招待」というキャンペーンを見つけた。
    空軍の救護兵として03年の夏からイラクに駐留したウイルソンさんは、次々と運ばれてくる負傷兵が目の前で息を引き取るのを見るうちにイラク戦への疑問がふくらみ、それまで8年間つとめた軍務を04年に除隊することになる。
    それゆえにイラク戦争に反対するオバマ氏には好感情を抱いていた。
   「私はイラク帰還兵の退役軍人で、共和党員です」。募金の最低額である「5ドル」とともに、そのメッセージを書き添えて参加申し入れのメールを送った。
   数週間後の07年8月。ウイルソンさんは、全米募金者の代表として、オバマ氏と夕食を語り合う4人の中に選ばれた。
   政治家に会うのは初めてだったウイルソンさんであったが、オバマ氏には「うそ臭いところがどこにもなかった」と好印象を抱く。
   そのウイルソンさんの姿は、一年後の08年8月27日、コロラド州デンバーで開かれた民主党全国大会の壇上にあった。そこで彼はこう訴えた。
    「私は戦争を、スローガンや理屈としてではなく目の当たりで体験した。米国に必要なのは、まず戦争ありきでなく、最終手段としてだけ戦争に臨む大統領だ・・・イラク帰還兵として、共和党員として、偉大な民主主義国家の市民として、私は栄誉をもって、バラク・オバマを次期大統領に支持します」。
   ウイルソンさんはオバマ陣営のボランティアとして草の根で選挙運動に携わった。週末の時間を割いて戸別訪問し、電話をかけた。オバマ氏を支持する元将軍らと軍関係票の掘り起こしに力を注いだ。
   その努力が11月4日夜、実を結んだ。長年共和党の地盤とされてきたフロリダ州でも勝った。
   歴史的な大統領誕生の瞬間に立ち会った彼はこう語ったという。
   「こんな献身的な人々の運動にかかわれたのは光栄だった・・・自分だけでなく、多くの人が初めて政治に積極的に参加した。オバマ、マケインの差よりも、そのことの方が大切だ」・・・

  およそ政治に無関係な一人のイラク帰還兵をここまでひきつける事のできたオバマ氏。

  そこに私は期待する。

  それにひきかえ日本の政治は・・・

  などという愚痴は言うまい。

  このような若者が次々と現れて、オバマ誕生を実現させた米国の民主政治の大きさに、かすかな希望を見つけたい。

 

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2008年11月12日

本当の悪は誰か


 日刊ゲンダイで隔週に連載している原田武夫の「国際政治ナナメ読み」というコラムがある。

 その11月11日号に、英紙サンデータイムズがその11月2日付の記事で、「今回の米特殊部隊による攻撃は、実のところ、シリア当局が完全に米国に協力して行なわれたものだった」こと、それどころか「シリアは9・11事件以降、米情報機関と密接に協力してきた」ことを、報じている事を紹介している。

 そして原田氏は、これが「事実」なら大スキャンダルだ、何故なら、イランの核開発に協力しているという理由で米国はこれまでシリアを徹底的に批判してきた、しかもシリアは北朝鮮と緊密な関係を保持している、そのシリアが裏では米国とつるんでいたとなると、いままでのすべてが茶番だった事になる、と書いている。

 「今回の米特殊部隊の攻撃」というのは、さる10月26日、米軍ヘリコプターが、テロリスト掃討のため、イラク国境に近いシリア東部のアブカマル近郊で建設中の民間ビルを越境攻撃し、ビルにいた子供ら8人の民間人を殺した攻撃のことである。

 10月28日の読売新聞は、シリア国営通信がこの攻撃を第一報し、AP通信が米軍当局者の話としてこれが米国特殊部隊によるものだと伝え、そして、その攻撃がイラク駐留米軍からの攻撃であればイラク政権が反発し、交渉中の米国とイラクの駐留米軍地位協定の合意に悪影響が及ぶおそれがある、などと報じていた(10月28日読売)。

 また朝日新聞は10月30日の報道で、シリアのアサド政権は対米批判を最小限に抑える異例の柔軟姿勢をとっているが、これは「被害者役」を演じて国際社会を味方につける狙いがあると書き、11月4日の毎日新聞は、この時期に米国が越境攻撃を実施した背景には、米国が対シリア強硬姿勢をあらためて示す狙いがあったとも見られているが、シリアが強い反発を示さなかったのは、シリアの関心はもはやオバマ次期政権にあり、あらためて政権末期のブッシュ大統領の威信の衰退を示している、などと、もっともらしく書いていた。

 このように、誰もが米国とシリアは敵対関係にあると思っている時に、その実は米国とシリアが裏で手を結んでいると暴露されれば、原田氏ならずとも驚く。

 しかし、実は私がレバノンにいた時に耳にしたレバノン人の認識では、米国とシリアが長年裏で手を結んで来た事は周知の事実であった。それどころかその先にイスラエルの情報機関モサドの存在が常にある、というのだ。

 つまり中東情勢のすべては、イスラエルの情報機関モサドの手のひらの上で踊らされているという。

 レバノン在任中に、私はついにその真偽についての確証をつかむ事はできなかった。

 しかし、私がレバノン在任中にもっとも激しく批判していたのは、米国の中東政策でも、イスラエルのパレスチナ政策でもなく、シリアのアサド政権が米国の了承を得てレバノンを公然と軍事支配し続けていた事であった。

 ところがある日突然に外務省から、これ以上シリア批判を続けると命に危険が及ぶから控えるように、という警告が私に届けられた。

 この情報源はモサドを通じてしか考えられない。

 外務省の中東情勢の情報源は、いまでは中東に駐在する日本大使からの情報よりも、モサドを通じた情報の方が有力なのである。

 そういえば05年3月に起きたハリーリ・前レバノン首相の暗殺事件については国連の調査が3年越しで続いているのに未だに真相が明らかにされていない。

 少なくとも国連は真相を知っているに違いないが、それを公表できない理由があるのだ。

 米国・イスラエル・シリアの密通説の真偽については、もちろん今でも私は確証を持たないままである。

 しかし、11月2日付の英紙サンデータイムズ紙の報道を知ったとしても、少なくとも私は原田氏ほど驚きはしない。

 「中東情勢のすべてがモサドの手のひらの上で踊らされている」と断言するレバノン人までは信じないけれど。

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2008年11月12日

指導者の使命はあまねく国民を幸せにさせることである。少なくとも苦しめてはいけない。


 11月12日の毎日新聞文化面で作家の古井由吉(ふるいよしきち)氏が「楽天の日々」というコラムで次のような事を書いていた。老年の読書について述べた一節である。

 ・・・老年の読書こそ、あの世まで(もって死んでいけない)どころか、本を閉じてしばらくすると、読んでいたその内容を忘れてしまう・・・いまさっきまで読みながら感心していたのに・・・その箇所をもう一度確かめたくなり・・・あちこち繰ってみるが、その場所に限って、どうしても見当たらない・・・どうせいい加減に読んでいたせいだ、と自分で思いなして止むことになるが、はたしてそうか。
   書は読むが、しかし深くは解そうとはしない、という言葉が、たしか陶淵明の詩の中に見える。これを私は高年に入って座右の銘としている・・・

   浜田和幸という国際情勢分析家がいる。私は彼の著書を読んで勉強させてもらっているのだが、その彼の最近著に「石油の支配者」(文春新書)がある。

   それを読んで、忘れてしまう前にこのブログで読者に紹介しようと思って書いている。

   この本は、最近の原油急騰の背景にある原因を、石油ピークオイル説をめぐる論争や、投機マネーの国家的操作、さらには誰も本当の統計数字が(原油の埋蔵、生産量のや世界を駆け巡る投機マネーの総量など)がわからないところからくる不透明さなどに求め、それを独占的に利用してきた米国と、米国に挑戦するロシアや中国の壮絶な資源争奪戦のなせる結果である、と書いている本である。

   そして、そのような争奪戦に参加できる戦略を持たない日本政府が、米国が牛耳る割高な中東石油に頼り、結果として日本国民に高い原油のつけをまわしている事実を、無念の思いで指摘し、今からでも遅くないから日本は戦略を打ち立てなくてはならない、と警告している書である。

   さて、私のこのような要約が、古井由吉氏の言う如く、「書は読んだが理解していない」結果でない事を願う。

   自信がないから、興味ある読者は直接この書を読むことをお勧めするが、私がここで特に引用したい箇所は次の二点である。

   一つは、われわれが当然のように口にする原油価格、すなわち1バーレル147ドルの最高値に跳ね上がったとか、それが現在は60-70ドルまで下がった、という数字は、あくまでもWTI(ウエスト・テキサス・インターミーディエイト)というニューヨーク先物取引価格を中心にした「親米価格」であって、たとえばベネズエラのチャベス大統領などは反米周辺国にバレル9ドルという安値で原油を売っている事、これは極端であるとしても、バレル20ドルほどで原油取引をしている反米諸国は多数ある事、その理由として、原油採掘原価はおおむねバレル10ドル以下で、20ドルで売っても利益は十分確保できる事、つまりこれを要するに、原油価格はきわめて政治的に決められる、という指摘である。
    そうであれば、日本の指導者は、国民経済のために、外交力を駆使してよりやすい原油を世界の各地から安定確保するよう努めるべきではないか、対米、対中東」一辺倒ではなく、外交的な戦略を持つべきではないのか。
    それを行なってアメリカの虎の尾を踏む事をおそれるのは、外交放棄ではないか、
   という指摘である。

   もう一つは、いま環境問題で当然視されている二酸化炭素排出権取引制度は、環境保護運動を利用した米国投機企業エンロン(天然ガスパイプラインの敷設・運営会社として発足したベンチャー会社がその後エネルギーの先物取引を通じ一大投機会社となり粉飾決算が明るみになって破綻した)が、ゴールドマンサックスと結託して米国ロビーを動かして作った制度であったという背景である。
   それで一番カネをむしられるのが日本企業であるとすれば、これまた日本外交は国民経済を犠牲にして米国金融資本の餌食になっているということだ。

   中国やロシアはいち早く米国との資源争奪戦にしのぎを削っている。
   
   一頃の暫定税率廃止で一リットル何円高くなった、安くなったと大騒ぎし、今一人1万2千円の給付の名称や支払い方法で大騒ぎをしている日本の政治家は、目を醒ましたほうがいい。

    そう浜田和幸氏はこの本で訴えているのだ、と私は思う。

    間違っていたら、ごめんなさい。

    古井由吉氏のいうように、本を読むが、正しく理解していないということだ。

    それはまさしく田母神前幕僚長と同じだ。

   

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2008年11月11日

 やりがいのない仕事が自衛隊組織を異常にさせる


  田母神前幕僚長の参考人招致を報ずるニュースを見て、たとえようもない異常さを感じた。

  これは倒錯した世界だ。開き直った田母神前幕僚長の勝利である。無理が通って道理が引っ込んでしまった。

 質問する側の稚拙さとあいまって田母神前幕僚長が英雄のようになってしまった。

 なぜ自衛隊幹部はここまで倒錯してしまったのか。

 11月11日の毎日新聞「記者の目」に注目すべき記事があった。

 東京社会部の滝野隆浩という記者が、海上自衛隊の特殊部隊の訓練死事件はなぜ起きたのかについて、その背景を考察している。

 一言で言えば、仕事に対する「達成感」がない為の、「行き場のない不満」のなせる結果ではないか、ということだ。

 特殊部隊は、99年3月の能登半島沖で起きた不審船事件を契機に創設された。

 当時、不審船を追跡し「立ち入り検査」の準備をしていた護衛艦「みょうこう」の艦内は極度の緊張感につつまれていたという。

 射撃訓練も殆どしない海上自衛隊の隊員は、防弾チョッキもなしに、北朝鮮の特殊工作員が銃を構えている可能性が極めて高い不審船に乗り移って検査しなければならない状況だったという。

 震えながら遺書を書いた隊員もいたというし、分厚い漫画週刊誌「少年ジャンプ」を戦闘服の腹に押し込んだ隊員もいたという。

 結局、立ち入り検査の出動命令は出されなかったが、これを機に海自は特殊部隊の必要性を痛感し、2年がかりで特殊部隊ができあがった。

 しかし創設から7年、立ち入り検査を唯一の任務とする特殊部隊に一度も出動命令は出されなかった。死に物狂いで訓練して、緊張しながら待機し、酒を飲んで発散し、また訓練・・・

 次第に、その達成感のなさに、皆行き場のない不満を感じるようになったという。

 「集団リンチ」や「いじめ」としか思えない訓練が行なわれて25歳の隊員が死ぬに至った背景には、そのような重苦しい雰囲気はなかったのか、

 滝野記者はそう書いているのだ。

 この指摘は、実は自衛隊という組織全体に共通して言える事ができるのではないか。

 平和国家日本において、なぜ自衛隊組織に不祥事が起きるのか。

 それは組織自体の達成感のなさにあると思う。

 その達成感のなさとは何か。

 それは、一つには、戦争に縁のない平和な日本における自衛隊の役割が災害救助ぐらいしかない、という現実にある。

 かつてイラクのサマワに始めて重装備をした出動命令が下された時、若い隊員は高揚して酒場で気勢をあげたという。

 それを傍で聞いていた定年間際の自衛官の一人が、自分はついに在任中に一度も武器を手にして出動命令を受けたことがなく自衛隊の任務を終える事になるが、その事を誇りに思う、とつぶやいた、という記事を読んだ事がある。

 この退官間際の自衛官は、憲法9条の下における自衛官の鏡である。

 しかし、現実の自衛隊員には、やはり出番がない自衛隊勤務は、達成感がなく欲求不満となるに違いない。

 よほどの憲法遵守意識と教育が徹底していない限り、平和時の軍隊に意義を見つける事は難しいのかもしれない。

 そして、その自制心と自己鍛錬の欠如する自衛官の中から、田母神前幕僚長のような倒錯した自衛官が生まれるのだ。みずから達成感を捏造するのである。

 しかし、私は自衛隊の達成感のなさの、本当の理由は他にあると思っている。

 それは何か。

 日本の国防とは何の関係もない米国の戦争に協力させられてしまったという事だ。

 米国の指揮命令に服し、米軍の下働きをさせられている自衛隊の現状こそ自衛隊員の意識を崩壊させているに違いない。

 そのうち米国の「テロとの戦い」のため、「テロ」を殺し、「テロ」に殺される事になる。

 日本国を愛し、日本国民を守る為に自衛隊に入った者であれば、そんな任務には堪えきれるはずはない。

 自分のやっている事が、日本人のためではなく米国のために命を賭けさせられている。

 これこそが究極の不毛な任務である。

 達成感のない仕事である。

 今の自衛隊組織が深刻な問題を抱えているとすれば、まさしくこの達成感のなさに違いない。

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2008年11月11日

 権力の前に沈黙する風景


 11月11日の朝日新聞に次のようなエピソードが書かれていた。

 麻生首相が国会答弁で戦争責任に関する過去の政府答弁を「ふしゅう」する、という答弁を重ねているという。

 たとえば11月7日の参院本会議で、田母神論文問題を問われて、村山談話を「ふしゅう」するといい、その前の10月15日の参院予算委員会でも、慰安婦問題で旧日本軍の関与を認めた93年の河野官房長官談話を、やはり「ふしゅう」すると答えたという。

 「踏襲(とうしゅう)」という言葉のあきらかな誤読である。

 ところが、秘書官をはじめ周りの誰も、麻生首相に間違いを指摘しないらしい。

 参院事務局は自主判断して議事録に踏襲と記録したというのだ。

 驚くべきは、麻生首相が外相だった昨年も、河野談話を「ふしゅう」と答弁していた事だ。

 その時は参院事務局が外務省に問い合わせて「踏襲」と確認して議事録に載せた。

 誰も麻生首相、麻生外相に、間違いを指摘することなく、今日に至っていたとは驚きだ。

 そういえば11月9日の毎日新聞にも、権力の前にたじろぐ政治家、官僚の姿が浮き彫りにされていた。

 田母神事件の内情をスクープして一面に報じた毎日新聞の記事の中に、辞職を迫る浜田防衛相や増田次官に対し、田母神前空幕長が、「私の考えは理解されている」と言って唐突に元首相2人の名前を挙げた事が乗っていた。

 この裏話は興味深いが、問題はこの発言に、浜田防衛相、増田次官が「身構えた」、というくだりである。

 それを解説していたテレビコメンテーターの一人は、これで追及が腰砕けになったとしたら、それが一番深刻な問題だ、と言っていた。その通りだ。

 このふたつつの新聞記事に見られるエピソードは、この国の政府関係者が、国家権力の前に沈黙する、という風景を見事に示している。

 この風景は日本人社会全体に認められる現象なのかもしれない。

 しかし、少なくとも政府関係者においては、権力者の誤りを訂正する勇気を持って欲しい。

 権力者の誤りが放置される事による国益の損失は、計り知れないからである。

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2008年11月10日

拉致問題はどうなってしまったのか


  拉致問題といえば、最近はニュースになるのは、もっぱら横田早紀江さんによる国民への必死の訴えか、拉致被害者を救う会の調べによる拉致被害者のあらたな情報である。

  横田早紀江さんの苦しみを思うにつけ胸が痛む。

  拉致被害者の消息に関するあらたな情報が、日本政府の調査ではなく、民間NGOによって発表される事に、矛盾と苛立ちを覚える。なぜ日本政府が国民救出の先頭に立てないのか。

  そう思っていたら、11月7日の東京新聞のコラム「大波小波」の中で、拉致被害者家族連絡会の元副代表であった蓮池透さんが独占インタビューに答えた、という記事を見つけた。

  蓮池透さんの名前とは懐かしい。一時は毎日のようにメディアに出て政府に物申していた蓮池透さんであったが、弟の蓮池薫さんが救出された後はぱったりとメディアに出る事はなくなった。

  その蓮池透さんが、コンビニなどに置かれている「実話ナックル」という雑誌の11月号のインタビューで率直に話した、というのだ。

  「実話ナックル」という、一般国民にはなじみの薄い雑誌の記事を、全国紙である東京新聞が引用するのは異例だが、その事は、とりもなおさずこのインタビュー記事が注目すべき内容を含んでいるという事だ。

 私はいまだ「実話ナックル」のインタビュー記事を読んでいないが、東京新聞の次の書き方を見るだけでも、かなり衝撃的な事を蓮池透さんが述べている事は想像できる。

 ・・・このインタビューを読めば、(蓮池透さんが急にメディアの最前線から姿を消した)その理由が何となくわかる。
   家族を取り戻したいとの素朴な思いが、結局は金正日体制崩壊を目標とする政治的イデオロギーに回収されてしまったこと・・・
   政治決着の局面を常に(裏切る形で)反故にしてきたのは、実は北朝鮮ではなく日本の側だった、

 などを、蓮池さんはとても真摯な口調で語っている・・・

  しかし、蓮池透さんの、この真っ当な主張は、なぜか大手新聞や週刊誌、テレビの報道番組などからは、ほとんど黙殺されているようだ・・・彼(蓮池透)が明かす水面下の事実や主張が広まったら困る人がいるのだろうかと勘ぐりたくなる・・・

  この東京新聞の記事は、蓮池透さんの意見を真っ当な主張であると言い、そのような主張を述べるのは岩波の「世界」と「週刊金曜日」くらいだ、と書いているから、強硬な経済制裁に固執する日本政府の立場を批判し、北朝鮮との国交正常化を急ぐべきだ、と主張する立場に立っている事はあきらかだ。

  「経済制裁強化ばかりを叫んでみても実効力はない。むしろ逆効果だ」、という意見には私も同感する。

  しかし、拉致被害者救出より日朝国交正常化を急げ、とする「世界」や「週刊金曜日」や、そしておそらくこの東京新聞の筆者の意見には、私は賛同できない。

  だから私はこのコラムの主張自体に特段の共感を抱いたわけではない。

  私がこのコラムで注目したのはただ一点、すなわち「政治決着」を反故にしてきたのは実は日本側だった、という蓮池透さんの告白である。

  これはどういう意味であろうか。

  私はこう解釈している。

  すなわち突然の小泉訪朝で発せられた日朝共同宣言の裏では、北朝鮮側が一方的に通告した拉致被害者の救出と、北朝鮮側のなんらかの形の謝罪と引き換えに、国交正常化を実現し巨額の経済援助を供与する、という了解が日朝間にあったのだ。

  日本側としては、本来は、その時点でノーベル平和賞に値する歴史的和解となるはずであった。

  しかし、救出されなかった多くの拉致被害者家族の慟哭と、それに共鳴する世論の声に圧倒され、さすがの小泉元首相もその密約を反故にせざるを得なかったのだ。

  更に言えば、蓮池、地村、曽我の家族の釈放に際しては、日本に一時帰国させた後は再び北朝鮮に送り返すという約束があったにもかかわらず、これまた世論の声に押されて、日本政府、外務省はその約束を裏切ったのだ。

  私は思う。もはや日本政府、外務省は、小泉訪朝時のすべてを国民の前で明らかにし、これからの対北朝鮮外交は、国交正常化、援助供与と引き換えに、拉致の全貌を明らかにし生存者すべての釈放を求める同時決着しかない。

 そのような対北朝鮮外交を、国民の目の前で、国民の支持を受けて行う事しかない、と。

  いつまでたっても米国の方針に期待するだけでは、拉致問題の解決はおぼつかない。

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2008年11月10日

「好戦の共和国アメリカ」を読んで日米同盟の将来を考える


 田母神問題が起きて以来、歴史のことばかり書いて恐縮だが、やはり史実を知る事は今を語るときに重要だと思う。

 週末をかけて「好戦の共和国アメリカ」(油井大三郎著 岩波新書)を通読した。

 その感想の一端を紹介したい。

 この新書は、著者自身がそのあとがきで書いているように、オバマ新大統領が誕生したら米国の好戦性は果たして変わるのか、という問題意識をもって、アメリカの戦争史を振り返ったものだ。

 その意味で極めてタイムリーな本である。

 日米同盟を考える上で必読の書である。

 この書を企画してから出版にこぎつけるまでに、著者は6年もの歳月をかけている。

 現代史を専門とする著者は、植民地時代や19世紀のアメリカ史については知識不足であったが、「建国期をきちんと勉強しないとアメリカはわからない」と教える恩師の言葉に従って、植民地時代や独立革命期をあらためて研究した上で書いたという。

 その学者の労作を、わずか780円の新書で通読できるのだ。

 十分理解したのか、学んだ事をどれだけ覚えていられるか、そこが問題である。

 しかし、繰り返し述べているように、我々は学者や専門家の労作を通じて、歴史の一部を知りうる。

 著者に感謝しつつ、同時に米国の歴史に関するおびただしい研究のほんの一部を知りえたに過ぎない、という謙虚な気持ちで、われわれは歴史認識に向かわなくてはならない。

 そう言いながら、いつものように独断的な私のまとめを以下に羅列してみる。

 1.建国以来の230年余りの米国の歴史は、まさに戦争の歴史であった。

 2.「テロとの戦い」に見られる市民、女性、子供への無差別攻撃の原型は、先住民(アメリカインディアン)との戦いに見つける事ができる。

  その背景にある考えは、彼らを「野蛮、悪魔」視、差別視することであり、それによって虐殺を正当化する事である。これこそが米国の戦争に通底するものである。

 3.米国の指導者の中には、好戦的な指導者だけでなく、反戦思想を持っていたと思わせる指導者も勿論いた。
   しかし、リンカーン大統領からケネディに至るまで、好戦的でないとされる指導者も、最後は好戦的な米国の指導者に終わってしまう。そうでなければ政治的にもたない。

 4.米国の戦争を国民の大勢は認めてきた。反戦思想家や運動家は存在し、反戦、厭戦機運が高まる事はあっても、彼らが国民の大勢になることはなかった。

 5.国民を好戦的に纏め上げるため、情報操作(米西戦争のきっかけとなったメイン号事件、ベトナム北爆のきっかけとなったトンキン湾事件、など)とスローガン(「アラモ砦を忘れるな」からはじまって、「パールハーバーを忘れるな」を経て今は「9・11を忘れる」)が使われる。

 6.これを要するに米国の戦争は、①軍事力による領土や市場の拡大を当然視する、②軍事的な「勢力均衡」が崩れた場合はただちに軍事力に訴える、③国土や国民の防衛のために戦争を正当化する④「民主市議のために世界を安全にする」という理想主義で戦争を肯定する

 という傾向が米国の戦争に読み取れるという。

 そして油井氏は、イラク戦争を批判する一方でアフガン戦争の完遂を主張するオバマ次期大統領に、このアメリカにおける「好戦性」の根深さを感じざるを得ない、と言う。

 このような歴史的考察もさることながら、私はこの著書で見つけた次のようなエピソードに新たな発見の喜びを感じるのである。

 つまり東京大空襲を主導したカーチス・ルメイは、ベトナム戦争では空軍参謀長になっており、北爆の指揮をとっていた。

 そのルメイが北爆によって「ベトナムを石器時代に引き戻す」と豪語したというのだ(「好戦の共和国アメリカ」191ページ)。

 どこかで聞いた事のあるせりふだと思ったら、アーミテージ元国防、国務副長官のせりふだった。

 パキスタンのムシャラフ大統領が「米国の言う事を聞かなければパキスタンを石器時代のようにするぞ」、と脅かされたとメディアに語ったあのせりふだ。

 そういえばアーミテージもまたベトナム戦争で獰猛に戦った一人であった。

 そのような米国と日本が真の軍事同盟関係を維持することが日本にとって最善なのか。

 そもそも米国は日本を真の同盟国と思っているのか。

 日本政府関係者は、米国が日米同盟関係を米英同盟関係のようにしたいと言う言葉を真に受けて歓喜している。そうありたいと願っている。

 しかし、米国が本心からそう言っているのか。

 1902年以来維持してきた日英同盟を英国に破棄させたのは米国であった(同、137ページ)。

 日本は米国という国をを正しく理解し、国民にとって最善の日米関係を構築していかなければならない。

 オバマ大統領の誕生をその契機にしなければならない。

 誰が米国の大統領であって同じだという主体性のなさが、正しい筈はない。

 

 

 

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2008年11月09日

「誰が米国の大統領となろうとも日米同盟関係は不変」と言い続ける日本政府と外務官僚

 シーファー駐日米国大使は6日、オバマ大統領の当選を見届けた上で、誰が米国の大統領になっても日米同盟の重要性は変わらない、と日本に向かってメッセージを発した。

 おかしな話だ。ブッシュ大統領の退任とともに駐日大使を去るシーファー氏が、どういう権限を持って、そのような発言が出来るというのか。

 しかし、その発言をよく聞くと、日本はもっと米国の「テロとの戦い」に協力しろ、と言っているのだ。

 歴代の駐日米国大使のなかで、このシーファー大使ほど日本を軽視した大使はいなかった。

 彼はブッシュ大統領の代理人として日本に戦争協力を求めるためだけに4年近くもの間滞在した。それだけの大使だった。

 さすがの日本政府指導者も外務官僚も、さらには日本の各界の指導者たちも、シーファー大使に辟易したと見えて、その接触は極めて限定的だった。

 シーファー大使が、次期政権でも日米関係の重要性は変わらないと、話す言葉には、しかし、少なくとも明確な意味がある。どのような政権になっても日本から搾り取れるうちは搾り取るからいいな、よく覚えておけ、というメッセージを日本に伝えているのだ。

 これに対してどう考えてもおかしいのが、日本の政府指導者たちがその米国との関係を不変であるといい続けることである。

 オバマ次期大統領が決まった事の感想を求められて、麻生首相は、「どなたが大統領になられようとも日米関係は50年以上培ってきた。(この関係を)新大統領とも維持していく」とコメントした。

 この白々しさを、11月9日の毎日新聞「発信箱」で、伊藤智永記者が次のように痛烈に批判していた。

 ・・・米国民の多くは、いまやブッシュ時代を「間違っていた」と考え、オバマ氏を選んだ。日本以外の同盟国も、それぞれブッシュ路線と確執を抱え、オバマ氏の「変革」に期待を寄せる。同じ時期の日米関係を、外務省は「戦後最良」と自賛してきた(が)、その基になったのは、小泉純一郎元首相とブッシュ大統領の人間関係。なのに今、日本だけ反省もなく「誰が大統領でも同盟は不変」なわけはなかろう・・・

 その通りである。

 その伊藤氏は、同時にまた、米国の日米同盟観のしたたかさについて次のように書いている。

 すなわち、米国は、1955年、鳩山内閣の重光葵外相が日米安保条約改定を提起した時、これを一蹴しておきながら、岸政権になると一転して交渉に応じた。
 米国は日本の指導者を冷徹に採点し、米国にとって好ましい指導者と話を進める国であると。

 そして「米国の大統領が誰であろうと米国との関係は不変だ」などという麻生首相の言葉は外務官僚の振り付けどおりであり、躍動感も同盟観もない。そんな麻生首相が米国の新しい指導者に果たして尊敬されるか、と。

 11月9日の日経新聞「オバマ米国と世界」の中で、次のようなくだりがある。

 ・・・日本政府は大統領選の前から在米大使館、外務省を総動員して「オバマ政権」にそなえ、陣営幹部と接触を図ってきた。大統領選から二日後の電話協議でオバマ氏から、「同盟を強化していきたい」との言葉を引き出し、関係者は胸をなでおろした・・・

 おめでとう。

 しかしなんという情けない外交をやっているのかと思う。

 そこには、オバマ新政権との日米関係をどう構築していくかという日米同盟観はなく、あるのはただ米国が日本をどう見てくれるか、という事だけである。
 
 

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2008年11月09日

 知り尽くす事のできない史実の一つ一つ


 田母神事件について私が繰り返しこのブログで書いている事は、今の世の中を生きているわれわれは、過去の歴史のすべてを知り尽くす事はできない、ということだ。

 ましてや、一人の人間が、自分の歴史認識が正しいなどと言い張る事はあまりにも傲慢である。

 我々は、どのような小さな歴史の一コマでも、一つでも多くそれを知るようにつとめ、そして新しい史実を見つけた時は、それを自らの歴史認識に積み重ねていく必要がある。

 11月9日の東京新聞「こちら特報部」でまたひとつ私は歴史の一コマを垣間見た。

 1945年8月15日に全国に流された昭和天皇の玉音放送(終戦の詔書)。

 それを放送前日の深夜に宮内省に向かって録音した日本放送協会(現NHK)の元技術職員の一人、玉虫一雄さん(86)のインタビュー記事があった。

 宮内省に向かった録音班は玉虫さんのほか5人。当時23歳の玉虫さんは最年少だったという。

 玉虫さんを除く全員はいまやすべて鬼籍に入り、文字通り玉虫さんは唯一の生き証人である。

 その玉虫さんの言葉を交えて、東京新聞の記事は当時の状況を次のように書いていた。

 ・・・当初の開始予定の午後6時を過ぎても一向に録音が始まる気配はない。時間ばかりがじりじりと過ぎていく。そのころ、詔書の内容をめぐって閣議で激しい議論が続いていたが、玉虫さんらは知るよしもない。
   詔勅の内容が決まり録音が始まったのは、間もなく日付も変わろうという午後11時30分近かった。軍服姿の天皇が部屋に入り、マイクの方へ歩いていく。
   「当時、天皇と言えば神様ですよ。まともに姿を見るなんてできない・・・失敗なく録音できるか、そっちの方が心配だった」・・・
   録音は二度にわたって行なわれた。一度目を終え、天皇が宮内省職員を通じて「どうだったか」と問い掛けた。協会職員が「数ヶ所不明な点がある」と答えて再度の録音が始まる。ラジオで流されたのは二度目の方だ・・・
   (玉虫さんは語る)「ふだんわれわれが接している言葉ではないし、抑揚も違う。はっきり覚えているのは『忍ヒ難キヲ忍ヒ・・・』のところだけ」。
   陸軍に不穏な動きがあったため録音盤は宮内省で保管することとなり、玉虫さんらは(日本放送協会のある)放送会館にもどろうとする。
   15日未明に坂下門に差しかかろうとした時、思わぬ事態が待ち受けていた。玉音放送を阻止するため録音盤を奪おうとして企てた反乱軍に銃をつきつけられ、兵士の詰め所に軟禁されたのだ。
   「殺されるんじゃないか」と思ったという玉虫さん。「蚊がいるし、暑いし、狭いし。木の長いすに座らされて、私語は禁止でトイレに行くにも兵隊がついてくる。いつ解放してくれるのかってそればかり考えていた」
  (結局)録音盤を見つけることが出来なかった反乱軍は、午前7時に玉虫さんらを解放。
  「(反乱軍に録音盤を奪われず)玉音放送のおかげで死者1千万人ともいわれた本土決戦を避ける事ができたと思う」と語る玉虫さん。

  田母神前幕僚長は、このような歴史の一コマを知っているのだろうか。

 

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2008年11月08日

オバマ外交の試金石はただ一つ、「テロとの戦い」をどう進めるかである


 誰もが指摘していることではあるが、オバマ次期大統領が直面する課題は、ブッシュ政権の膨大な負の遺産をどう処理するかである。

 そのうち、経済崩壊を食い止める事は、多くの人々の当面の関心であろう。

 しかし、私はやはりオバマ外交に注目する。

 そのなかでも、中東政策、すなわち対パレスチナ政策がどうなるのか、そのコインの裏側である「テロとの戦い」をどう進めるか、この事に的を絞って、私はオバマ次期大統領の出方を注視していきたい。
 
 なぜならば、これこそが世界を分断したブッシュドクトリンからチェンジできるかどうかの試金石であり、対米従属外交の呪縛から逃れられない日本が、最も影響を受ける問題であるからだ。

 次期政権の主要人事で、オバマ氏が最初に決定したのが、首席補佐官ラーム・エマニュエル氏(48歳)の指名であった。

 その打診の段階で、イスラエルのメディアはいち早く「我々の仲間がホワイトハウスに」と期待を込めて一斉に報じたという(11月7日読売)。

 そのエマニュエル氏の経歴を11月8日の各紙から読み取ると、父がイスラエルからの移民であるいわゆるユダヤ系米国人である。

 若くして、議会を動かす司令塔のひとりにまで上り詰め、当選を重ねれば下院議長の座も確実だという実力者だ(朝日)。

 その一方で、「仲たがいした知人に死んだ魚を送りつけた」、「食事中、政敵をのろいながらナイフをテーブルに突き刺した」、という攻撃的な性格を物語る逸話に事欠かない(読売)。

 ベトナム帰還兵を描いたハリウッド映画「ランボー」の異名をとり、91年の湾岸戦争では、ボランテアーとしてイスラエルの基地で働いたという(毎日)。

 そのようなエマニュエル氏は、同じシカゴを地盤とするオバマ氏と個人的に極めて親しいという。

 このような人物を首席補佐官に指名したオバマ次期大統領の中東外交は、はたしてブッシュ外交からのチェンジを行う事ができるのか。

 おりから中東を歴訪中のライス米国務長官は、「中東和平の年内の合意は不可能」と述べ、その難題をオバマ政権に引き継ぐ事を明らかにした。

 オバマ氏はイラクからの撤退を繰返す一方で、「テロとの戦い」の継続を強調しその主戦場はアフガンだと公言している。

 そのアフガンはどうなっているのか。

 11月8日の産経新聞に、英国のクーパーコールズ駐アフガン大使の極秘電報をフランスの新聞がすっぱ抜いた記事を見つけた。

 英国大使が仏大使にこう話したという。

 「治安は悪化し、アフガン政府はあらゆる信頼を失った。米欧軍の存在は解決に役立つどころか、むしろ問題をこじらせている」。

 この内話を報告した外交電報を、フランスの新聞が暴露し物議を醸したというのだ。

 オバマ氏はアフガン介入を「勝たなければならない戦争」と呼び、増派を明言している(8日産経)。

 オバマ陣営のある幹部は「安全保障での最優先はテロ組織アルカイダの掃討だ」と言い、オバマ氏も「どんな場所でも彼らに先制攻撃できる」とのべ、パキスタンへの越境攻撃も辞さない姿勢を示唆しているという(11月8日毎日)。

 米ダートマス大のマスタンドゥーノ教授は「米外交政策の新しい夜明けが来ると信じている人々は、落胆することがあるかもしれない」と言う(11月8日毎日)。

 国際情勢を正しく理解する事無く、オバマブームにあやかろうとするわが国の二大政党が、「アフガン戦争への協力を行なわないと日米関係が損なわれる」と勝手に決め込んで、アフガン戦争への協力を競い合う、そんな姿だけは見たくない。

  エジプト・アハラム政治戦略研究所の二人の代表者がいみじくも指摘していた。

 「オバマ氏はイラクからアフガニスタンへのシフトを優先外交課題に掲げている。しかしパレスチナ問題で重要な役割を果たさない限りこの地域ではいかなる政策も効果的ではない」(11月8日毎日、ハッサン・タリブ副所長)。

 「中東での米国の信用を取り戻すために・・・イスラエルにユダヤ人入植地の拡大停止を要求すべきだ・・・米国がパレスチナ問題で『公正な和平調停者』だというメッセージをアラブ諸国に送る(必要がある)・・・」(11月3日読売、アブドルモネム・サイド所長)。

 その通りなのだ。

 あまりにも一方的で非人道的なイスラエルの政策を、米国がほんの少しだけたしなめるだけで、「テロとの戦い」は終わる。

 この事を、オバマ次期大統領に助言する事のできる国は、中東の流血に関与してこなかったわが国、憲法9条を掲げる平和外交を誇れる戦後の日本をおいてない。

 そしてそれはオバマ米国の為でもあるのだ。

 オバマは耳を傾けるかもしれない。米国の言いなりになるばかりの日本が、その米国を変える事が出来るかも知れないのだ。

 それこそが YES  WE CAN なのだ。

 この事に気づき、それを実行できる国際政治感覚のある政治家が出てこない日本を、つくづく残念に思う。

  
 

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2008年11月07日

何一つ解決していない年金問題


 11月7日の東京新聞に年金問題に関する記事が二つ並んでいた。

 ひとつは、年金改ざんが全国的に行なわれていた可能性がでてきた、という記事だ。

 もうひとつは、年金記録確認のために発送されるはずの「ねんきん特別便」が、事務作業のミスで50万便も届かなかった、という記事だ。

 そういえば年金問題があった事を思い出した。

 あれほど大騒ぎをした年金問題の、何か一つでも解決したか。改善されたというのか。

 11月3日の朝日新聞に、尾崎孝雄元社会保険事務所職員の「年金偽装 私が告発した理由」という投稿があった。

 それを読んで、私は暗澹たる気持ちになった。

 その投稿が訴えていた事は、厚生労働省の官僚から地方の社会保険事務所職員、更には労働組合員までが、保身、昇格、天下りのために不正に目を瞑って来たという現実だ。

 その感覚の麻痺、異常さが覆う職場の空気が、結局は5千万件の消えた年金記録問題につながって言ったのではないか、という指摘だ。

 組織的な不正につながる制度、慣行を根本的に変えないといけない、その思いで告発に踏み切った、という訴えだ。

 私が暗澹たる気持ちになったのは、その構造的不正の実態ではない。

 尾崎元社会保険事務所職員の告発で問題の本質がここまで明らかになっているというのに、

 そしてメディアも野党政治家も、その尾崎氏の告発をさんざん利用しておきながら、

 本気になって責任者の追及を最後まで追い詰めない、という卑怯さについてである。

 事は年金問題だけではない。

 われわれが毎日見聞きしているこの国の諸問題のすべては、真の責任者の追及がなされないまま曖昧な形で幕引きされて終わってしまう。

 弱者が必死で訴え、救いを求めても、届かない、かなわない。

 その現実に、暗澹たる思いを抱かざるを得ないのである。

 強い憤りを覚えるのである。

 舛添!、何やってるんだ。

 

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2008年11月07日

11日の参考人招致で行なう事は田母神の歴史認識の誤りを国民の前で正面から糾すことである。


 繰り返し書いている事であるが、今回の田母神問題は極めて深刻な問題である。

 この認識が、今の与野党の政治家にはわからないらしい。

 この問題を退職金返納などという瑣末な問題に矮小化してはならない。

 麻生政権の任命責任を問うのはいいが、決して政局だけに終始してはいけない。

 麻生首相に、田母神氏の歴史認識をどう思うかと聞かなければならない。

 そうする事によって田母神氏の歴史認識の誤りを首相みずから糾弾させなければならないのだ。

 11日の参考人招致で何よりも行なわれなければならない事は二つある。

 ひとつは文民統制の重要性を国民に知らせる事である。

 もうひとつは、そしてこちらがより重要な事であるのだが、田母神氏の歴史認識の誤りを国民の前で糾す事である。

 文民統制の重要性とは何か。

 それは、かつての軍国主義の誤りを繰り返さない為に自衛隊を政治の統制下に置くことである。

 しかし、もっと重要な事は、文民統制とは軍事クーデターを起させないための制度的保障であるということだ。

 最近出版された岩波新書に、油井大三郎氏の「好戦の共和国アメリカ」という本がある。

 そのなかで、戦争大国アメリカでは文民統制が徹底しており軍部がクーデターを起せないようになっているというくだりがある。

 また、英国からの独立戦争を経験した米国には、常備軍は「君主」の「手兵」とみなし、民主制には危険な存在と受け止める歴史があったと書かれている。

 今では圧倒的な軍事力を誇る戦争大国米国さえ、常備軍の反国民性を認識していたのだ。

 田母神問題で明らかになった事のひとつは、わが国ではその文民統制という制度的保障が、いつの間にか完全に有名無実化しているという恐るべき実態であった。

 田母神論文の不適切さを認めたからこそ、防衛大臣や防衛次官ら防衛省幹部が、責任をとって給与の一部返納などの処罰を受け入れたのではなかったか。

 ところが、田母神前航空幕僚長は、その政府の命令に服する事なく、事情聴取に応じなかった。

 更迭後の言動も、政府の方針に反して何が悪いと悪びれるところがない。

 しかも、78名もの空自幹部が田母神前幕僚長に従って同様の歴史認識を競い合っていた。

 更に、海自幕僚監部の精神教育資料にも、「敗戦を契機に日本国民は愛国心を口にすることのできない賤民意識のとりこになった」、などと書かれている事実が6日の参院外交・防衛委員会で明らかになった(7日朝日)。

 政府、防衛省は、これら制服組の言動を知ってなお、それを制止できなかったのだ。

 今を生きる戦後世代の日本国民は、軍事クーデターなどあり得ないと思っているかもしれない。

 しかし、この国には、かつてまぎれもなく軍事クーデター未遂が行なわれた。

 その結果首相以下要人が軍人に暗殺されている。

 与野党の政治家は、まず、この文民統制の重要性と、その文民統制が危機に晒されている現実を、国民に知らせなければならない。

 しかし、より重要なもうひとつの使命は、田母神氏の歴史認識の誤りを、国民の前で証明することだ。

 正しい歴史認識とは何か。

 それは全体としての史実の客観性を認める事である。

 今を生きる我々が過去の史実を100%正しくとらえる事は不可能である。

 それは、歴史の全貌は、ひとりの人間がとらえるには不可能なほど膨大かつ多面的なものであるからだ。

 しかも、残される史実は権力者に都合のいいように歪曲されて後世に残る事が多いし、史実のすべてが公表されるとは限らない。隠蔽され、封印された史実にこそ真実がある事が多い。

 だからこそ、時代とともに、次々と新たな事実が発見され、それとともに歴史もまた改められていくのだ。

 今日を生きる我々は、そのような先人専門家、研究者の調査、検証、発見などの積み重ねで形作られた史実の一部を学んで、歴史を知っていると思い込んでいるに過ぎない

 膨大な史実の一部を、自分に都合よくつまみ食いして、歴史を知っていると思い込んでいる者があまりにも多い。

 しかし、自分が知りえた史実だけをすべてと思い込んで、自分は歴史を正しく認識していると考えるのは、誤りであるばかりか、思い上がりだ。

 田母神氏は私と同様戦後世代である。しかも私より若い。

 その彼が、自分の考えに都合にいい史実の一部を受け売りし、あたかも自分の歴史認識が正しいと言い張るのは、傲慢だ。

 私は彼の論文なるものの詳細を読んだ上でこのブログを書いている。

 彼の言っている事の一つ一つには、史実の一部としての正しさはある。

 同意できる部分は勿論ある。

 しかし、彼と私の最大の違いは、私には、自分が正しいと思っている歴史認識であっても、それが今日の大方の歴史家、専門家の歴史認識と異なるのであれば、自らの考えは考えとして、その大勢の歴史認識に従う、少なくとも従わなければならない、という認識があるという事だ。

 我々の知る歴史とは、先人たちが調べ、研究した努力の積み重ねの上で作り上げられた史実のほんの一部でしかない。

 そうであるならば、歴史認識とは多数の意見によって形作られた歴史認識に従わなければならないという事なのだ。

 慰安婦問題といい、沖縄自決に軍の強制があったかどうかの問題といい、さらには太平洋戦争は避けられなかった戦争であったなどという考えといい、史実の一部を強調し、歴史認識を我田引水する事は、やはり許されないと思う。

 もうひとつは、歴史認識とは歴史を形作った政治、とりわけ国際政治と不可分であるという事である。

 植民地主義が世界を支配していた帝国主義の時代にあって、日本の植民地政策のみが責められるのはおかしいと考えるのは自然である。

 東京裁判が勝者の裁判であったという主張も頷ける。

 しかし、今の国際政治は、かつての植民地政策を否定した上で成り立っている。

 日本は、東京裁判の判決を受け入れる事によって戦後の国際社会に復帰したのだ。

 負けた事が無念であるからといって、あるいは日本だけが悪いのではないからといって、国際政治に受け入れられた歴史認識に公然と異を唱えるという事は、誤りであるばかりか、国益に反する事である。

 政府の方針に絶対服従すべき立場の、制服着用を認められている自衛官が、国益に反する行為を公然と行い、悪びれる事がない、それで自衛隊はいいのか。

 11日の国会審議で与野党の政治家が成すべき事は、その事を国民の前で田母神氏に正面からただすことである。

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2008年11月07日

企業の社会的責任


 私は会社経営者の立場に立った事がないのでえらそうな事をいうつもりはない。

 しかし、ひとりの常識人として、企業には企業の存続に不可欠な利潤追求のほかに、「それを失えばいくら収益の高い企業であっても存続する価値はない」、という社会的責任があると思う。

 11月7日のトヨタに関する新聞記事を読んでこの思いをあらたにした。

 各紙が一斉に報じていたのは自動車業界の収益悪化である。

 自動車業界といえばトヨタの存在が圧倒的だ。

 なにしろ、財政赤字の国はあてに出来ないので、JR東海と組んで自己資金で東京から本社のある名古屋までリニア新幹線を走らせようとするほどの企業である。

 だから各紙もトヨタの木下光男副社長の大幅減益発表のニュースを大きく報じていた。

 読売新聞はその社説で、「あのトヨタすら大幅減益に」という見出しで世界経済状況の深刻さを強調し、その対応策にとしてコスト削減、新技術の導入、企業合併・買収などで生き残りを期待したい、などと書いていた。

 しかし、報じられるトヨタの副社長の言葉にも、読売の社説にも、そこで生活している従業員の苦境や地域経済への影響に関する言及はない。

 その一方で、11月7日の東京新聞は、派遣社員の大量解雇により街がガラ空きとなりつつあること、毎日新聞は、トヨタがくしゃみすれば下請けはかぜをひき、まご請は重態になる、という69歳の組み立て会社社長の言葉を引用し、国民生活に及ぼす影響の深刻さについて書いていた。

 企業の社会的責任とはなにか。

 それは公害、薬害、食品偽装など、明らかに反社会的行為を行なわないという事だけではない。

 その関心を、企業の拡大や生き残り競争にだけに目を向けるのではなく、業績がいい時はその利益の一部を社会に還元し、業績の悪い時はその痛みを社会とともに分かち合って乗り切っていくという覚悟を持つという事ではないのか。

 アシストというコンピューター会社の社長であるビル・トッテン氏の言葉を思い出す。

 日本に帰化した米国人のビジネスマンである。

 その彼がかつてその著書でこう言っていた。

 今はまだアシストの業績は大丈夫だ。しかしいずれ厳しい時代が来るかもしれない。その時私は、社員に理解を求めるつもりだ。雇用カットをして乗り切るより、給与カットという痛みを皆で共有し、力をあわせて厳しい状況を乗り切る道を選びたい、と。

 社会的貢献とはこういう事ではないのか。

 人間が人間を疎外してはいけない。

 みなで力をあわせて生きることこそ人間のみに与えられた知恵ではないのか。

 弱肉強食の世界は動物の世界だけでよい。

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2008年11月06日

オバマ大統領誕生に思う その② 対米従属が更に進む事を憂う

 これから書く事はオバマ次期大統領の責任ではない。もっぱら日本側の問題である。

 私は日本の対米従属政策は、これからもっと進んでいくと思う。

 なぜか。

 ひとつは、日本の指導者たちが米国という国をまったく理解していないからである。米国有力者との真のパイプを有している者が誰ひとりとしていないからである。
 
 日米外交の担い手は外務官僚である。ところがその外務官僚がまるで米国との間に関係を築けていないのだ。

 麻生首相のブレーンの1人が前外務次官の谷内正太郎であるらしい。しかしその谷内前外務次官がおよそ米国との関係に弱い外交官なのである。

 ともに米国研修を過ごした私は知っている。彼の対米国、対米語コンプレックスは相当なものであった。

 その後彼はワシントン勤務、ロサンジェルス総領事などを歴任しているが、米国政府や米国要人との間に太いパイプを築いたという話は聞かない。

 あわてて民主党関係者との構築を急いでいるという情けない状況がそれを物語っている。

 11月6日の日経新聞に米大統領選挙の結果についての有識者の座談会があった。

 座談会の出席者のひとりであった谷内前次官は、オバマ誕生の背景には四つのWがあると得意げに語っていた。WAR,WALL STREET,W・ブッシュ、WASHINGTON、であるという。

 米国人が語っていることを聞きかじった受け売りだ。英語(米語)コンプレックスからくる英語(米語)の多用である。
 
 そういえば谷内前外務次官といえば、かつて内閣官房副長官補の時、アーミテージ国防、国務副長官がSHOW THE FLAG という言葉を使って日本に迫ったという話を捏造して、イラク戦争に協力しなければ米国が怒りだすと日本の対米従属政策を導き出した張本人だ、と伝えられた事があった。

 私は、いかにも谷内氏がやりそうな事だと思った。

 しかし、米国との関係の希薄さは、外務官僚だけではない。

 政治家も財界も学者も有識者も、いわゆる日本の指導者の中で米国との強い人的パイプを有している者はいない。

 野党政治家や左翼主義者に至ってはなおさらそうだ。

 このことから何が導きだされるか。

 それは、米国に対して対等な立場にたって正論を語ることができない、という事である。

 この事は、オバマ次期大統領が熱狂的な支持を受けて成立したこととあいまって、オバマ米国にますます異を唱える事ができないということを意味する。

 更に言えば、日本には、ブッシュ政権の誤ったイラク攻撃に追従してしまったという負い目がある。

 オバマ次期大統領の成立は、彼の資質もさることながら、ブッシュ政権8年間のアンチテーゼであった。そうであれば日本はオバマ政権に楯突く事ができないのだ。

 さて、そろそろこのブログの結論を述べることとする。

 オバマ次期大統領は、イラクからの撤退を開始する一方でアフガンでの「テロとの戦い」を強化すると伝えられている。

 果たしてそうなるかどうかは今後のオバマ次期大統領の安保・外交姿勢を見てみないとわからない。

 しかし、日本の政府・外務省は、その事を先取りして、アフガンへの協力を進めなければ日米関係がもたない、などと言い出すに違いない。

 少なくともテロ給油を続けなければ米国からの圧力がかわせない、と言い出すに違いない。

 そして、これに対する野党の反論が封じられてしまう。

 オバマの米国に反対するのか、という言葉に、野党は、「いくらオバマでも、戦争に協力する事はできない」、と自信を持って言い返そうとしないのではないか。

 私が対米従属が更に進むと憂う理由がそこにある。

 いまこそ日本は憲法9条を掲げ、オバマ次期大統領に「テロとの戦い」の名の下に行なわれる戦争を止めるように求める必要がある。

 オバマの人気を上回ってあまりあるものは「平和」である。

 平和をすべての価値に最優先する憲法9条は、戦争に取り付かれた世界の指導者たちにとっては邪魔なものかもしれないけれど、戦争に苦しめられてきた世界の人々に対しては絶対的な価値を持っている。

 それを正面に掲げて、日本とともに平和外交の先頭に立とうではないか、と言えば、オバマといえども、いや、オバマだからこそ、反論は出来ないのだ。

 問題は、オバマがいかに平和を追求する政治家であっても、米国大統領として、そこまでの方向転換を直ちに行う事は無理があるという事である。

 それを本気で行なえばたちどころに命を失うことになる。

 せめて日本は、オバマ次期大統領が戦争協力を要請してきた時に、日本は平和外交を優先したいと言えるような国になってもらいたい、と願う。

 本気でオバマ大統領にそう言える有力な政治家が現れることを私は切に願う。

 

 

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2008年11月05日

 オバマ大統領誕生に思うーその① 日本の政治の主役は世論調査でいい。


  オバマが大勝した。感動的だ。

  私は今から8年前の2000年の大統領選挙を思い出す。

  その時私はデトロイトの総領事であった。

  最後の仕事がゴアとブッシュの大統領選挙の報告であった。

  所管していたミシガン州とオハイオ州は、ミシガンがゴア、オハイオがブッシュだった。

  あの時も今回も、オハイオ州は大統領選挙を左右する重要なスイングステートであった。

  あの時は共和党が終始優勢であった。

  今度の選挙でオバマがオハイオ州を制した時、私はオバマの勝利宣言を頭の中で聞いていた。

  それにしても、米国の大統領選挙にかける国民的熱狂はどうか。

  大衆をここまで熱狂させるオバマという政治家の生まれる米国がうらやましい。

  ひるがえって日本の政治である。

  政権交代という緊張感ある総選挙が、ここまでまのびし、心をゆさぶる感動はない。

  麻生、小沢両党首の戦いは、どちらが勝っても国民の心に響かない。

  しかし、それでいいのだ。

  日本に大統領的な人物はいらない。

  国民的人気を博した稀有な指導者と喧伝された政治家が小泉だった。

  その結果が今日の日本である。

  国民的人気の政治家の成れの果てが、あの体たらくだ。

  日本には日本の政治土壌がある。

  国民的人気のある指導者を求めようとすれば、次は東国原になり橋下になる。

  しかし彼らに日本の政治の主役ははれない。

  これからの日本の政治の主役を誰に求めるべきか。

  私はそれを、特定の傑出した指導者の出現を期待するのではなく、世論の声に求める。

  オバマ大統領の誕生を目の当たりにして、米国の政治土壌をうらやましく思うと同時に、日本の政治は、その対極にあってよい、という思いを私は固めた。

  先週の日曜日の夜、フジテレビの「サキヨミ」という番組で消費税値上げの是非について論じていた。

  殆どのゲスト出演者が賛成の意見を述べていた。

  高齢化とともに社会保障費負担増が避けられない以上、消費税増税もやむを得ない、というわけだ。

  あたかもテレビを利用した政府の世論誘導のような番組であった。

  ところが、その時テレビが受けつけた視聴者からの意見は、大多数が消費税増税反対であった。

  それを見たゲストたちは一様に不満げな、バツの悪そうな顔をしていた事を、私は見逃さなかった。

  世論調査が正しいのだ。

  この苦しい時に、消費税増税もやむを得ないなどと言うような連中は、生活苦とは縁遠い、恵まれた者たちなのである。

  消費税はやめてくれ、というのが当たり前の感覚である。

  政治とは、その当たり前の国民の感覚を実現しなければならないのだ。

  こう言うと、決まって出る反論は、世論のいう事ばかりを聞いていれば道を誤るとか、世論は常に正しいとは限らない、という意見である。

  そして世論の愚かさを示す引用として、日露戦争に勝ったのに譲歩した小村寿太郎に怒った国民(日比谷焼き討ち事件)の例があげられる。

  しかしこれは間違いである。

  国民が正しい判断が出来ないとすればその理由はただひとつ、十分な情報が与えられないからだ。

  為政者が国民を愚民化し、情報操作するからだ。

  もし国民が十分で正確な情報を与えられるならば、多数の意見は必ず正しい方向に収斂していくと私は確信している。

  私は不特定多数の名もない国民、姿の見えない国民を信じている。

  世論調査の技術が発達し、世論調査がより正確に国民の意向を反映するようになれば、世論調査の結果は、より政治を動かすことになる。

 その証拠に最近の政治を見ているとやたらに世論調査を重視するようになった。

 その最たるものに、いったん決めた解散・総選挙の日取りを、支持率が低下し、おまけに内部調査の結果選挙に勝てそうもない事が明らかになった時点で引っ込めてしまった麻生首相の例がある。

 世論を気にするのはなにも麻生首相だけではない。

 野党もまた何かといえば「国民目線」などと言い、「生活第一」と言う。

 これを要するに、世論が政治の主役になりつつあるということだ。

 いつの日か、どの調査よりも大規模で正確な世論調査を行なうNGO,NPOが現れてこないかと思う。

 もしそのような組織が出現したら、その組織は、あらゆる政治的決定について、どしどし世論調査を行えばいい。

 その結果を政府や政治家につきつければいいのだ。

 その世論調査の結果に逆らうような政党、政治家は、選挙で必ず国民の反発をかう、という状況を作り上げればいいのだ。

 下手な政権交代が起きても民意は反映されないかもしれない。

 そうであれば、世論調査を定着させ、それを政治の主役にすればいいのだ。

 それは、日本の政治文化にもっとも適した、最善の民主主義政治ではないか私は思い始めた。

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2008年11月04日

 いまだに小泉構造改革を褒め称える者たち


 11月4日の産経新聞「今日の突破口」でジャーナリスト東谷暁(ひがしたにさとし)が、次のような書き出しで、日本経済の立て直しを現実的に実行すべきだと主張していた。

 「いまだに構造改革のイデオロギーを振り回し、構造改革の遅れが日本経済の景気を後退させていると論じる政治家や評論家がいるのにはあきれざるをえない。そうではない。構造改革のイデオロギーが、政府の迅速な不況対策を阻害しているのだ・・・」

 未だに構造改革の必要性を繰返している評論家でまっさきに思いつくのは竹中平蔵であるが、構造改革を唱えている政治家で私がまっさきに思い浮かぶのは、中川秀直でも小池百合子でもなく、塩川正十郎である。

 もっとも、塩川が唱えるのは、経済政策としての構造改革ではなく、小泉偽構造改革を支持するだけの単なる小泉擁護でしかない。

 読売新聞「時代の証言」の連載記事の中で、11月3日から塩川正十郎の回顧録がはじまった。

 その第一回において塩川は、小泉改革「まだ中途」、という見出しで、次のように小泉にエールを送っている。

 「・・・できれば小泉には首相をもう少しやらせたかった。小泉改革が中途半端になってしまったからですわ・・・(小泉改革の)罪とされる格差拡大や地方の疲弊は、構造改革がなお途中であるためです・・・(小泉は)閉塞感に覆われていた日本に明るさをもたらした。将来へ向けて世の中を変えるんだという意識改革ですな。政治的には政官業の既得権益構造と官主導の政治を変えるということ。それが『自民党をぶっ壊す』ということですわ・・・」

 驚くほどの厚顔ぶりだ。

 5年半も首相の座に居座りながら、政官業の既得権益構造に何も手をつけなかったからこそ、官僚支配による日本の崩壊がここまでひどくなったのではないか。

 真の改革に手をつけず、米国金融資本主義の手先となって日本を新自由主義の餌食にしたのが小泉改革であった事は、誰もが知るようになった。もはや後世に語り継がれる歴史的事実である。

 その塩川が次のように締めくくっている。

 「佐藤政権末期から田中角栄が力を持ったですな。政官業の癒着構造は田中政治によって形作られたものです。
 『田中支配』、その流れをくむ『竹下派支配』の自民党にあって、私ら福田系は長いこと踏みつけにされてきました。私も小泉も、政官業の癒着構造と一体の『田中的自民党』を変えたいと思ってきたんですよ。小泉内閣で、ようやっと仕掛けることができました・・・」

 語るに落ちるとはこの事だ。

 小泉改革とは角福戦争に敗れた怨念晴らしでしかなかった事はこれまでにも散々言われてきた。書かれてきた。それを公然と白状したのだ。

 小泉も塩川も、つまらない自民党政治家のひとりでしかない。福田派の派閥政治家でしかない。

 改革という言葉をもてあそぶにはおこがましい政治家だったということだ。

 

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2008年11月04日

見ているがいい。裁判員制度は来年5月の導入とともに大問題となる。

 私は7月15日のブログで、来年5月からはじまる裁判員制度は第二の後期高齢者医療制度になると書いた。

 つまり、現実に導入されるまでは国民は関心を払わないが、導入して自分がかかわってみて初めて、その制度がいかに実害を与えるものであるかに気づいて猛反対する、という意味である。

 私に関して言えば、裁判員制度導入の必要性をまったく認めない。

 司法官僚の思いつきに付き合わされてはたまらないから対応策も考えている。

 誰かが書いていた事であるが、くじで当たった者であっても、極端な思想の持ち主や、権力に楯突く者は、裁判所は決して裁判員に選ばない。

 「私のような知識の無いものが人を裁いてもいいのでしょうか」、などという、よく言えば謙虚、悪く言えば権力に従順な者ほど、司法官僚は裁判員にさせるというのだ。いわゆるカモである。

 裁判員制度ができたところで、最後は裁判官がすべてを決める。

 素人の国民は、裁判に参加した(させた)というアリバイ作りでしかない。

 だから従順な国民の方が都合がいいのだ。まじめに裁判に取り組む良心的な国民こそ好ましい。

 これほど国民を馬鹿にした制度があろうか。

 裁判員になりたくなければ裁判所を困らせるような態度をとればいい。俺は死刑論者だから、誰彼かまわずに悪い奴を死刑にする、などといった極端な意見を口走っていれば、絶対に裁判員に選ばれる事はない。

 さて前置きが長くなった。

 なぜ私が裁判員制度について再び書く気になったかといえば、11月3日の産経新聞に曽野綾子の裁判員制度反対の次のような意見を見つけたからだ。

 曽野綾子といえば私の考えの対極にある人物だ。

 ことごとく私の考えとは異なる考えを語る人物である。

 だから私もこのブログで、たびたび曽野綾子の言論批判を行なってきた。

 そんな曽野綾子であるが、裁判員制度に反対する意見については見事に一致した。

 彼女は言う。

 「・・・裁判員制度が発足するというが、まだこんなことが出来ると考えている人がいる。
    素人もいっしょに判決を出せるなら、なぜ大学の法科に受かるのも、司法試験に通るのも、あんなにむずかしくしなければならないのか。その難関を通った玄人とずぶの素人が、どうして一緒に仕事ができると思うのか・・・
   PR用と称して『サイバンインコ』なるキャラクターを作るセンスも、幼児化の典型である。子供に裁判員になってもらうなら、なだめるためにおもちゃも必要だろうが、大人がなんでディズニーを真似る必要があるのだろう。」

 同感だ。

 11月4日の毎日新聞の「質問なるほドリ、最高裁長官はどう決まるの?」の中で、先日最高裁長官に決まった竹崎博允(ひろのぶ)氏が、48年ぶりに最高裁判事を飛び越えて東京高裁の裁判長から異例の抜擢で最高裁長官になった理由が次のように述べられていた。

 「・・・竹崎氏は最高裁事務総長など司法行政の中枢ポストを務めた際裁判員制度の設計で中心的な役割を果たしました。現在64歳で、定年まで5年8ヶ月という長い任期を確保することで、制度の円滑なスタートと定着に向けて尽力するよう期待されたのでしょう・・・」

 総選挙の際に行なわれる最高裁判事の国民審査では、私は竹崎氏に不信任のバツを記入する事を決めている。

 

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2008年11月04日

もう一度だけ書く。田母神暴言は更迭だけではすまない深刻な問題である


 その後次々と明らかにされる田母神前航空幕僚長の論文事件を見るにつけ、この問題の深刻さを思わずにはいられない。

 そのいちいちを書き連ねていく事はばからしく、腹立たしいのでやめておくが、私がもっとも驚き、深刻であると考えるのは、田母神前航空幕僚長の暴走をいさめる事ができず、今回の事件が大騒ぎになってさえもなお彼を厳しく懲罰できない防衛省や、この国の政治力の弱さについてである。

 田母神前航空幕僚長は同様の考え方を空自幹部らが購読する雑誌「鵬友」に数年前から寄稿し、隊員にも政府見解と異なる歴史観を投稿するよう進めていたという(11月3日朝日)。

 今度の懸賞論文事件にしても、多数の自衛官が応募している事が明らかになった(11月2日毎日)。

 おまけに11月4日の産経新聞「政論探求」で花岡信昭客員編集委員が認めているように、今回の懸賞論文は、彼自身が渡部昇一氏らと並んで審査委員を務めていたという「真の近現代史観」懸賞論文である。

 つまり政府の歴史観を最初から否定する事が決まっている論文の競い合いであったのだ。

 だからこそ、花岡委員が11月4日の産経紙上で認めているように、審査をしながら、政治記者時代の直感で、「ただではすまない」と今日の事態を予感した、というのである。

 このような制服組の暴走を防衛省が知らなかったはずはない。

 そしてそれに当惑していなかったはずはない。

 それにもかかわらず、止めさせる事ができなかったところにこの問題の深刻さがある。

 政治の弱さがある。

 浜田防衛相は報道陣に、「かなり思い切った事を言う方だな、というのは聞いていた」と述べたらしい(11月3日朝日)が、この事がそれを物語っている。

 知っていながら適切な対応をしなかった、できなかったのだ。

 なぜ今回の事件が起きるまで黙認され続けたのか。

 それは、今度の事件が発覚してもなお田母神元幕僚長を懲罰できず、腫れ物に触るように定年退職の形を整えてお引取り願っている、政府、防衛省の対応をみても明らかだ。

 制服組みに遠慮しているのである。近年の政治の緩みが制服組を次第に増長させていたのである。

 シビリアンコントロールが、もはや機能していないという事である。

 その行き着く先が、11月3日の田母神前航空幕僚長の退任記者会見である。

 自分は正しいと開き直り、政府の方針と異なる事をいう事を許されない日本は北朝鮮と同じであるなどと繰返す。

 しかし田母神元幕僚長の言動には最大の矛盾と限界がある。

 侵略戦争を否定することは占領国米国が裁いた東京裁判を否定することだ。

  「テロとの戦い」に協力し、米軍と一体化しつつある自衛隊の幹部が、もっと言えば米軍の指揮・命令のもとに米国の傭兵と化しつつある自衛隊の幹部が、その親分の米国に向かって「日本は侵略国家ではなかった」と言えるのか。

  信念であるというのならもう一度米国に向かって言ってみればいい。

  それが出来ないようでは、しょせんアジア蔑視の空威張りでしかない。

  田母神論文の本当の問題はそこにあるのに違いない。

 

 

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2008年11月04日

 お詫びと訂正


 11月2日のブログで沢田研二の事を、「現役を引退した」と書いたたら、多くのファンの方がたから、それは間違いで今でも歌手活動を精力的に続けているという指摘が数多くなされた。

 歌手の活動を詳しく承知しているわけではない私にとっては、メディアで見かけることが無くなれば第一線を退いたのだろうという程度の認識でそう書いた。

 もとより私のブログでは、間違いや誤認は多々あり、その都度注意や助言をいただく。

 その一つ一つに答えすべて訂正することはしてこなかったが、訂正しなければならない誤りは直ちに謝罪と訂正を行なうつもりだ。

 今回の現役引退についての記述は、まさにそれであり、ここにお詫びとともに訂正させていただきたい。

                                                    天木

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2008年11月03日

また叙勲の日がやってきた


 秋と春の叙勲に日になるといつも思う事がある。それは叙勲制度の功罪についてである。

 といっても、功については取り立てて思う事はない。叙勲を受けられた方々はさぞかし嬉しい事だろう。おめでとう、と思う事ぐらいだ。

 私が強く思うのは叙勲制度の罪の方である。

 人の評価を、国が、もっと正確に言えば官僚と政治家が、ここまで細かく等級をつけて決めつけることが許されていいのか、という事である。

 私も叙勲者の選定に関わった事がある。

 その時気づいた事は、叙勲は、必要条件(たとえば年齢とか経歴とか)は仔細に決められているが、十分条件は極めて不透明、恣意的であるという事だ。

 つまり必要条件を満たしていても、必ずしも一律に叙勲されない。

 この事により、なぜあいつがもらえて俺がもらえないのか、なぜあいつの叙勲が俺のそれより上位の物なのか、という、当事者にとってのすさまじい争いが引き起こされる。

 そのような一般論はまあどうでもいい。

 今年秋の叙勲にトヨタ相談役の奥田碩氏が、旭日大綬章という、民間人が生前に受ける事実上最高位の叙勲を受けた。

 それを報じる同じ日の11月3日の新聞で、通知書一枚で解雇される派遣社員の悲哀の特集記事が、それも複数あった。

 「勤務2年、『成人式の娘に晴れ着』夢かなわず」(読売新聞)

 「34歳、財布に500円 今日泊まるところがない」(毎日新聞)
 
 などがそれである。

 いずれも自動車企業の派遣職員について書かれていた。

 そして自動車企業といえば、ダントツでトヨタである。

 さらに言えば、奥田碩氏といえば、小泉政権をの最大の庇護者であり、日本経団連の会長として、公然と小泉改革を支持し、小泉対米従属外交を擁護した。そして選挙のたびに自民党勝利をあからさまに公言してきた人物である。

 その結果、日本経済は脆くなり、社会は格差が進み、国民生活は疲弊してしまった。

 受賞理由は産業経済の発展に貢献し、経済財政諮問会議議員として行政運営の円滑化に寄与した、事だという。

 悪いジョークではないかと思う。

 

 

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2008年11月03日

オバマ大統領の誕生と民主党政権の誕生


 あとわずかで米国大統領が決まる。

 報道されている事が正しければどうやらオバマ大統領の誕生となるようだ。

 私はそれを期待する。少なくともマケイン候補よりはブッシュ政権からの決別は明瞭だ。

 ブッシュの米国が世界に及ぼした害毒は端的に言えば二つだ。

 ひとつは新自由主義経済政策であり、そのあだ花である金融資本主義の行き過ぎである。

 もうひとつは「テロとの戦い」に象徴される一方的な武力行使である。

 この誤った政策が世界に及ぼした影響はあまりにも大きい。

 大統領が変わったからといって、すべてが一変して解決するということなどありえない。

 世界経済危機がオバマ大統領の誕生でどうなるか、それを予想する見識は私にはない。

 しかし戦争国家米国を変えることはオバマ大統領といえども容易ではないことはわかる。

 その事を繰り返し強調しているひとりに堤未果という女性ジャーナリストがいる。

 ベストセラーとなった「ルポ貧困大国アメリカ」(岩波新書)の著者であり、最近では参院議員川田龍平氏と結婚して話題となった。

 その堤未果さんが、11月3日の東京新聞「本音のコラム」で次のように書いている。

 「・・・この8年の異常な軍事費拡大とその分の社会保障費削減が産み出した問題を解決するのは、肌の色ではなく戦争経済政策の方向転換だ。
    だが、オバマの安全保障政策顧問は、オバマの政権で軍事予算は更に拡大されると公表している・・・戦争経済にメスを入れない限り貧困大国アメリカにチェンジは訪れない。オバマの政策ブレーンには日米防衛協力指針の作成者でもあるジョセフ・ナイも入っている。国会ではカップめんの値段より、米国次政権から間違いなく強まるだろう日本への軍事協力についての審議を期待する・・・」

 同感だ。

 しかし日本も米国と同じように、次の総選挙で民主党政権が実現したからといって、変わりそうもないものがある。

 それが日米同盟最優先という名の対米従属政策である。

 堤未果さんの期待に反して、日米軍事協力の審議は深まることはないだろう。

 強まる米国からの軍事協力要請に対し、民主党もまた協力し続ける事になる。

 それでも私はオバマ大統領の誕生を期待する。

 ひょっとして米国は大きく変わるかもしれない。その可能性がゼロでない以上、期待する価値はある。

 そして、それでも私は、自公政権から民主党政権への政権交代を願う。

 民主党が護憲政党に変わらないと決めつけるのは早計だ。

 民主党を平和外交の政党に変える事はできる。すべては国民次第である。

 

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2008年11月02日

護憲派は強力な味方を見つけた。沢田研二をひっぱりだしたらどうか。


 東京新聞の「こちら特報部」は私の愛読コラムのひとつだ。

 その11月2日付に沢田研二のインタビューが乗っていた。

 今の若い世代にはピンと来ないかもしれないが、彼は70年代の歌の世界ではスーパースターだった。

 その彼が、いくら現役を引退したからといって、ここまで政治的な発言をする事は驚きだ。

 しかも憲法9条を守りきりたい、と正面から護憲を主張している。

 「今の憲法があるから、日本は平和でやってこられた。それを米国を支援するために変えるのはおかしい」、

 「(憲法9条を)変えたい人は『国際貢献をしないといけない』と言うが、日本は政府開発援助(ODA)や個人レベルでも、たくさんしていますよ」、

 「GHQが作った憲法だから今の日本に合うように変えようと言われるが、そんな必要はない」、

 「9条を守ることで、日本は米国から独立しないと」

 私は知らなかったのだが、彼の平和への思いは昔からだという。9条擁護を訴える文化人らの意見広告などには賛同者として加わってきたという。

 いくら現役を引退したからといって、沢田研二はかつてのスターでありメディアの寵児だった。

 芸能人が護憲を明言する事はめずらしい。それがたたって番組やコマーシャルから外されたという話も聞く。

 現役の芸能人の中には護憲的と観られている人が何人かいるけれど、彼らはここまで踏み込んだ言動をしない。政治的活動からたくみに身を引いている。

 そういう事を考えると、「我が窮状(9条)」という歌をつくって全国ツアーを始めた沢田研二には、覚悟のようなものを感じる。

 東京新聞は、その沢田研二について、「現実派には甘く、ガチガチの護憲派には異論もあるだろう」、と控えめに評しているが、とんでもない。

 彼ほど強力な護憲論者はいないと思う。

 この歌は「九条への(自分の)ラブソングでもあるんです」とインタビューで答える沢田研二を、平和を愛する国民は三顧の礼をもって担ぎだすべきだ。

 彼なら協力してくれるに違いない。

 護憲政党が党利党略で進める護憲運動を敬遠する一般国民は多い。私もそのひとりだ。

 彼こそ素朴に平和を願う一般国民の平和運動の先頭に立てる人物ではないか。

 

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2008年11月01日

今度の総選挙の歴史的意義 - 国民の手で最高裁判事の適否を決めるチャンスが来た


  民主党は解散・総選挙を急ぐ必要はない。

  いくら麻生首相が解散・総選挙を遅らせてみても、もはや勝機はない。

  民主党は、解散・総選挙を迫るひまとエネルギーがあれば、それを政権奪取後の正しい政治、正しい政策づくりに傾けるべきだ、

  私はそう繰り返しこのブログで書いてきた。

  そしてその考えは解散・総選挙の時期が引き延ばされた今、ますます強まっている。

  民主党はどっしり構えていればいいのだ。

  自公政権の間違った政策を正面から糾弾していけばいいのだ。

  今度の総選挙の歴史的意義は何か。

  それは勿論政権交代を実現するということである。

  自民党の分裂ではなく、選挙によって、つまり国民の手によって、はじめて自民党が野党になる、そういう歴史的選挙にしなければならない。

  しかし私は、政権交代よりももっと革命的なことを今度の総選挙で期待している。

  それは何か。二人の最高裁判事の任命が国民の手で否決される、という事である。

  憲法79条では、最高裁判事は任命後行なわれる最初の総選挙で国民審査を受けなければならないと定めている。

  一旦任命された最高裁判事を罷免できるという強力な権限を与えられているというのに、国民はほとんどこの権限を無駄にしてきた。

  それは無理も無い。最高裁判事の適否などは、よほどの情報通でない限り、一般の国民のあずかり知るところではないからだ。

  ところが今度の最高裁判事に関しては、少なくとも二人の判事について、その適否が誰にでも判断できる人物がいる。

  ひとりは米国のイラク攻撃を支持し、日本をテロとの戦いに参戦させた責任者である竹内行夫元外務省事務次官であり、もうひとりは来年5月から実施される裁判員制度導入の張本人である竹崎博允前東京高裁長官である。

  憲法9条違反の対米追従外交を率先した竹内元外務事務次官に最高裁判事の資格がない事は、すでに10月16日のブログで指摘した。

  私の指摘をまつまでもなく、竹内判事の罷免運動についてはすでに全国の護憲派の人々の間で急速に広がりつつある。

  もうひとりの竹崎判事については、裁判員制度を成功させるため、いきなり東京高裁長官から最高裁長官に抜擢された国策人事であると各紙が報道している。

  そうであるならば、私のように、裁判官制度は手のいい強制労働だ、平和時の徴兵制度だと考えて反対している者にとっては、絶対に容認できない人事である。

  憲法9条を守りたいと考える平和主義の国民も、裁判員制度は必要ないと考える国民も、最近の世論調査ではゆうに過半数を超えている。

  そのような国民が、イラク戦争に反対だ、裁判員制度に反対だ、と考えて竹内、竹崎両判事にバツ印をつければいいのだ。

  過半数の国民が二人の判事の任命にノーと言えば、彼らは罷免される。

  誰もが介入できない彼らの任命を、国民の一票で否定し、罷免する、これは政権交代以上に革命的な事である。

  平和を願う国民よ、裁判員制度に反対する国民よ。

  総選挙で自らの意思を素直にあらわそうではないか。

  その一票で、この国に歴史的な変化をもたらす事ができるのである。

  

  

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2008年11月01日

更迭だけではすまない航空幕僚長の暴言


 田母神俊男・航空幕僚長が、「わが国が侵略国家だったなどとは正に濡れ衣だ」などという歴史観を懸賞論文に寄稿していたことがわかって更迭された。

 耐震偽装問題で疑惑が追及されたあの総合都市開発「アパグループ」の懸賞論文に応募し、最優秀賞を受賞した論文だった、というおまけつきである。

 その選考審査委員長が渡部昇一・上智大学名誉教授という名うての皇国史観論者であることも出来すぎだ。

 今回の論文事件は、そのあまりのタイミングの悪さと論文の極論さで、さすがの政府、防衛省、良識的保守層からも批判の声が発せられている。

 野党は格好の与党・政府攻撃の標的を得たとばかりに、田母神氏の国会招致も視野に入れて追及するという(11月1日朝日)。

 もはや私がこれ以上とやかく語る必要はない。今後様々な人が様々な論評を繰返すに違いない。

 私はここで一つだけ強調しておきたいことがある。

 それは今回の田母神発言問題は、田母神氏の更迭で終わらせてはならないという事だ。

 田母神俊男という航空幕僚長の暴言は今回始まったものではない。

 4月17日に名古屋高裁が自衛隊イラク派兵違憲判決を下した時、「そんなの関係ねえ」と言い放った男だ。

 今回の論文以前にも、彼の間違った歴史認識はいたるところで表明されていたし、それが問題視もされていた。

 それを私はこのブログでも一再ならず取り上げ、糾弾してきた。

 その時点でとっくに更迭されていなければならなかったにもかかわらず、放置されてきたのだ。

 その結果が今回の更迭事件なのである。

 それはあたかも米国金融資本主義の行き過ぎを誰もが指摘し、懸念していたにもかかわらず、株価の大暴落まで、皆がそれを黙認してきたのと、同じだ。

 問題が表面化してはじめて、みなが手のひらを返したように騒ぎ出すのと同じだ。

 私は10月30日のブログで、最近の一連の防衛省の不祥事を見るにつけ、自衛隊(制服組)の暴走と組織破綻が深く進行している、と書いた。

 その経歴からみて制服組のトップの1人である航空幕僚長が、ここまで激しく暴言を繰返してきた、そしてそれを防衛省、自衛隊が放置してきた。

 しかも田母神氏は更迭された後も、「自分の考えを述べたまでだ」と悪びれる様子は無い。

 これは恐ろしい事だ。

 更迭だけですませられる問題ではない。

 この国の安全保障体制の根幹にかかわる問題である。

 この問題は民主党にとって天が与えた千載一遇のチャンスではないのか。

 民主党はこの問題を契機に、防衛大臣の更迭、さらには解散・総選挙を求めて麻生政権を追い込んでいかなければ嘘だ。

 その事はまた、民主党が真の護憲政党であるかどうかの試金石でもある。

 

 

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