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2008年10月31日

根拠なき株価上昇と11月15日世界金融サミットの行方


 ここ二、三日、株価が上昇した。

 あがる理由など何も無い。あれほど実体経済が悪いと騒がれた。

 そしてその事実は何も変わっていない。

 変わったのは急落が下げ止まった株価だけである。それによる安心感だけである。

 悲観色一色だったのが、にわかにバスに乗り遅れるな、という論調まで出てくる始末だ。
 
 10月31日の日経新聞「大機小機」という経済コラムなどは、トンネルの先は明るいなどと根拠なき楽観論を煽っている。

 そうなれば、「儲け損なっては大変だ」、という欲が出る。

 その証拠に、個人が現金取引で株式を買う動きが活発になったという(10月31日)。

 これが株式相場の現実だ。

 株で儲けた人はもっと儲けたい、もっと儲けられると考え、株で損をした人は、今度こそ負けを取り返したいと考える。

 およそ経済的解説など後でつけた解説なのである。

 誰も本当の事は分からない。株価の見通しなどできはしない。

 あるのは儲けるか儲けないか、だけである。

 皆、それで株式投資をしているのだ。

 そんな株取引を、私は否定するつもりは毛頭ない。

 しかし、私はこのまま株価が順調に上がっていって欲しくない。

 それは、今の私には株価上昇で儲けるだけの余裕資金がないから、そう言っているのではない。

 株で儲けた連中が損をするのを眺めて喜ぶような意地悪な根性で言っているのではない。

 むしろ株価が上がっていくほうが皆が幸せになるのだから、それを願うべきであると思う。

 それにもかかわらず、なぜ私が金融危機の更なる深刻化を期待するのか。

 それは今回の金融危機をきっかけに世界経済が新しい体制に脱皮していく事を願うからだ。

 世界金融危機が騒がれていた最中に、ブッシュとサルコジが、緊急金融首脳会議を11月15日にワシントンで開催すると発表した。

 しかし、その後この金融サミットについて報じられることが無くなった。

 この金融サミットで何が打ち出されるのかについての報道がまったく見られない。

 もしこの会議が世界経済の崩壊を食い止めるかどうかの分かれ道となるほどの重要なものであれば、各国はそこで何を打ち出すかについて必死で考え、そして利害調整におおわらわのはずだ。

 いくら極秘裏に準備が進められているといっても、必ずその一端は漏れてくる。

 報道がないという事は、米国金融資本主義を根底から変えるような画期的な政策は打ち出されないということだ。

 これから11月15日までの二週間あまりの間に世界の株式相場がこれ以上下落しなければ、株式取引の規制強化だとか、公的資金投入に関する国際協調とか、IMF財源の強化であるとか、金利引下げとか、今の米国主導の金融資本主義体制を生き延びさせるための方策について語られ、合意される事になるに違いない。

 そうであれば、米国金融支配の終焉などは絵に画いた餅となる。

 100年に一度という今回の金融危機は、今までの金融資本主義の生き残り策で乗り切れるものでははない、新たな世界金融の枠組みが必要になってくる、そう皆が言っていた。書いていた。

 それは嘘だったのか。

 いままでの延長で果たして世界経済は復活が遂げられるのか。これ以上の金融危機はもはや訪れないのか。

 私はそうは思わない。必ず株価のさらなる暴落の時がくると思う。

 これまでの米国金融資本主義が支配する経済体制から、あらたな世界経済の仕組みづくりを模索しないと、安定した世界経済の発展は望めないのではないかと思う。

 世界の首脳にそう思わさせるためにも、さらなる株価大暴落を期待する。
 

 

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2008年10月31日

上田耕一郎氏の死を悼む


  このところ日本共産党がらみのブログが続いているが他意はない。

  今日のブログは、なんと言っても上田耕一郎元日本共産党衆議院議員の訃報について書かねばならない。

  懐かしさと共に悲しい気持ちでこのニュースを私は受け止めた。
 
  私は官僚として多くの国会議員と接してきた。

  本省にあっては国会答弁との関係で、そして在外公館にあっては外遊する国会議員のお世話で、私は主要な国会議員の殆ど接してきた。

  そんな中で、私が好感を抱く政治家は日本共産党の政治家が多かった。

  その中でも上田耕一郎氏は私がもっとも尊敬する政治家であった。

  何よりも国会質問が鋭かった。

  上田耕一郎が質問する時は必死になって質問を聞きに言ったものだ。

  彼が質問する時は、大きな風呂敷に資料をいっぱい詰め込んで、どんな質問が来ても局長を補佐できるように緊張して国会に通った事を思い出す。

  その上田耕一郎はしかし人間的にも立派な人だった。

  国会議員の外遊で上田耕一郎を世話した事がある。

  与野党議員が一緒になって外遊して来る、いわゆる超党派の外遊では、威張るだけが取り得の自民党代議士にくらべ、野党の代議士は一般的に丁重である。

  そのなかでも上田耕一郎は一番謙虚であった。

  それに人間味があった。

  青二才の官僚であった私に、何度も何度も「お世話になります」と言って頭を下げた。

  権力者の悪にはめっぽう強く、下っ端にはこの上なく温かみのある、そんな国会議員が上田耕一郎氏だった。

  混迷する今の政治状況をみるにつけても、なぜか上田耕一郎が懐かしく思えてくる。

  心から冥福を祈りたい。
                                         合掌

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2008年10月30日

護憲派からの正しい自衛隊育成論が必要な時である


 金融危機に関心が集中しているうちに、自衛隊の権限拡充が着実に進んでいる。

 いまの自衛隊は間違いなく劣化している。

 それは守屋次官というトップの、あまりにもひどい実態が明るみになっただけではない。

 その原因究明と改革がうやむやのままに終わった一方で、情報漏洩やテロまがいの爆破未遂事件、最近では相撲部屋も驚くほどの壮絶ないじめまで起きた。

 「組織が壊れていないか」などと社説に書かれるほどだ(10月15日朝日)。

 問題は、そのような壊れた組織が、その組織改革が一向に進まないままに、どんどんと権限を強化し暴走しつつあるということだ。

 最近やたらに産経新聞が防衛省改革の記事を流している。

 たとえば10月23日の産経新聞は、防衛力を整備するあらたな局を新設しそこに自衛官を多数配置するという改革案をスクープしていた。

 また10月30日の産経新聞は、作戦については内局から完全に独立した自衛官中心の統合幕僚監部が全責任を負う体制を整える、そんな案が防衛省改革案に盛り込まれることになった、と報じている。

 これは防衛省のおける制服組の権限拡大だ。

 シビリアンコントロールへの大胆な挑戦である。

 こんな事を許してはならない。

 自衛隊を応援する立場の産経新聞は、このような記事を書いてせっせと自衛隊を応援している。

 自衛隊の復権を意図している。

 このような由々しい事態が進行しているにもかかわらず、護憲派からの声がまったく聞こえない。

 それは護憲派たちが自衛隊に対する関心と認識が不足しているからだ。

 いまでも自衛隊は違憲であるとか、非武装中立などといって、自衛隊から目をそらしている。

 それは大きな間違いだ。

 自衛隊は、たしかに憲法9条が成立した時は存在しなかったし、その立憲趣旨から見れば明らかに違憲だ。

 しかし米国のなし崩し的要求に従って出来た自衛隊は、その後の政治状況の変化と、自衛隊の災害救助活動などを評価する国民がその存在を評価し、受け入れるようになって、事実上自衛隊は今の憲法の下で容認されることとなった。

 そのような現実の中で護憲派が行なう事は、いたずらに自衛隊を敬遠するのではなく、自衛隊の現状をよく学び、自衛隊の動向を注視、監視して、憲法9条の枠の中に自衛隊を取り入れる、つまり憲法9条に忠実な専守防衛の自衛隊に徹するよう、自衛隊と自衛官に求めていく事である。

  いまのような米国の傭兵である自衛隊でいいのか。

  日本を守る事と何の関係も無い米国の「テロとの戦い」のために命を落としてもいいのか。

  日本に敵対しない人々を殺すような事をしていいのか。

  憲法9条に立ち返って、日本の国と国民を守るための誇りある自衛隊に戻らなくていいのか。

  そのための防衛省改革であるはずではないのか。

  そう防衛省、自衛隊に求めていく、それこそが護憲派が今行なわなければならない事である。

  自衛隊を産経新聞が応援するような自衛隊にさせてはいけない。

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2008年10月30日

 「ルールある資本主義」の必要性を強調し始めた日本共産党


 今日10月30日の新聞記事で注目したのは、「共産、経営者に接近」という朝日新聞の記事である。

 知らなかったが、なんでも9月末に、経済情報誌「BOSS」主催の会合に招かれた志位日本共産党委員長は、100人近い企業経営者を前に、

 「新しい民主的な経済体制の下で大企業と共存共栄を図るというのが共産党の立場です」
 
 と述べ、

 「ルールある資本主義の必要性を強調」

 したという。

 驚いた。

 口を開けば大企業の営利主義を批判し、大企業優先の経済政策、課税政策をとってきた自民党を批判してきた日本共産党である。

 その日本共産党の委員長が、「過度な利潤追求を抑えるルールをつくってこそ資本主義は発展する」と経営者に説教したというのだ。

 それを経営者が、「ずっとうなずきながら話を聞いていた」というのだ。

 新左翼の連中が聞いたら目を剥いて日本共産党の堕落振りを罵倒するようなニュースだ。

 しかし私は新左翼ではない。

 私は日本共産党を批判するためにこのブログを書いているのではない。

 それどころか志位委員長の言動を評価したいのである。

 願わくば、派遣労働者の窮状を救うことを党勢の拡大より優先させてほしい。

 党勢の拡大のために蟹工船ブームや派遣労働者問題を利用しないでほしい。

 日本共産党の議席のひとつやふたつを増やすことを優先するのでなく、国民が期待する新しい政党に生まれ変わって欲しい。

 日本共産党の名前をいっそ「人間を使い捨てにしない資本主義を実現する党」などと改称し、「心ある企業家」を含めた幅広い国民から支持されるような新たな政党に脱皮してもらいたい。

 「企業の変革を促していく」だけではなく、「変革した企業の支持が得られる」ような政党を目指して欲しい。

 その歴史的チャンスは今をおいてない。

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2008年10月29日

 老後資金を株に投資する是非についてインタビューを受ける


 私は10月23日のブログで自らの株式投資との係わりあいを書いた。

 もっとはっきり言えば、欲に目がくらんでなけなしの退職金を株ですってしまった恥を告白した。

 別に私が自虐的だからではない。

 株の事について論評をする以上は自分と株のかかわりあいを明らかにして論評しなければ卑怯だと思ったまでだ。

 そのブログに対して思わぬ反応が読者から寄せられた。

 そのうち特に二つの反応について、このブログで読者にお知らせしたい。

 そのひとつは権力の中枢にいた官僚が株で損をするなどということは考えられない。嘘を言っているか、よほどのまぬけか、どちらかに違いない、というものである。

 これには笑ってしまった。

 するどい指摘である。そして私は嘘をついていない。つまり彼に言わせれば私は間抜けだという事だ。

 株で確実に儲ける唯一の方法は、違法でないギリギリのところでインサイダー取引ができる場合である。

 そしてそんな恵まれた事のできる連中が株取引の世界には間違いなく存在する。

 その連中の一部が、国家権力を利用できる政治家や官僚たちである。

 私が株で儲けられなかった理由は、中枢官僚ではなかったからだ。はぐれ官僚であったからだ。

 そして官僚を辞めてからは、およそ国家権力から無縁の生活をしているからである。

 貴重な情報はまったく入って来ないという事である。

 そんな事は、まあ笑い話のような事であるから、ここで止めておくが、もうひとつの反応についてこのブログで紹介したい。

 私は今日(29日)、東京新聞からインタビューの要請を受けた。

 株で損をしたという話をブログで知った東京新聞「こちら特報部」のデスクから、「老後の為に退職金を株に投資することの是非について特集記事を組みたい、その記事の参考に自らの体験を述べてくれないか」、という依頼を受けた。

 肩書きのない私が肩書きを問われた時、私は無理をして自らを外交評論家などと呼称したりする。

 その外交評論家が、まさか株についてインタビューを受けるとは夢にも思わなかった。

 それに、さすがの私も、自らの株の体験、それも失敗の体験を、メディアに話す気にはなれない。

 本来であれば丁重に断る話である。

 ところが、私が愛読している東京新聞の「こちら特報部」のデスクからの依頼である。

 断りきれずに、条件付で応じる羽目になった。

 その条件とは、株は壮大な権力者のインサイダーゲームの世界である。証券会社が儲け、それを指導、監督する国家権力がその上前の一部をピンはねし、そして日本の国家権力の上に米国の金融資本が君臨し、そのまた上前をはねる、この不正義について、この権力犯罪まがいの構造について、何らかの形で言及して欲しい、という注文である。

 その注文が守られるかどうかはわからない。

 それに、私が述べた事がそのまま正確に新聞記事になるかどうかの保証はもちろんない。

 私が評価し、信頼する東京新聞の「こちら特報部」であっても、私が話した内容の一部を、編集方針の都合で利用する事があっても私は驚かない。腹も立てない。

 これまでに応じてきた数多くのメディアへのインタビューを通じて、私はその事を嫌というほど知った。

 メディアへのインタビューに応じるということは、そのようなリスクを知った上で覚悟して応じるということである。

 リスクを承知の上で、こちらもメディアを利用して自分の主張を世に広める、という、ギブアンドテイクの取引なのである。

 果たして「こちら特報部」の記事はどこまで納得行くものとなって一般読者の目に触れるものとなるのであろうか。

 うかつにも私は何日付けの東京新聞の「こちら特報部」に、その記事が掲載されるか聞き漏らした。

 ひょっとしたら明日30日の記事になるかもしれない。

 興味ある読者は注目していただきたい。

 私が強調した事は次の事だ。

 果たしてそれらのいくつかが記事になることであろう。

 「金利ゼロという犯罪まがいの政府の暴政の下で、せめて退職金を堅実な株式投資で運用しようと考える事は、決して責められる事ではない。

  しかし、株式投資にはくれぐれも慎重でなければならない。

  なぜならば、株式投資の現実の世界においては、一般投資家と株式取引の関係者との間で、絶対的な不平等があるからだ。

 ありていに言えば、賭博の世界では胴元が必ず儲ける仕組みになっている、ということである。

 そのハンディと馬鹿らしさを覚悟の上で、株式投資をしなければならない。

 それに今回の金融バブルの崩壊は、株式投資の危険性をまざまざと教えてくれた。

 株式投資はやはりリスクの伴うギャンブルと割り切らなければならない。

 しかし現下の金融危機は、そのような賭博相場の成れの果てでは決してない。

 現下の金融危機の原因は、権力者が詐欺をしていた結果もたらされた異常なものである。

 健全な株式取引を実現するために不正を監視する立場にある国家権力が、不正を黙認していたのだ。

 その結果通常の株式取引のリスク以上の巨額な金融危機が招来される事になったのだ。

 責められるべきは金融資本主義ではない。

 金融資本主義を歪めてしまった権力者の犯罪にある。

 やがて健全な株取引が復活するであろう・・・」

 
  今発売中の週刊朝日は「株暴落をチャンスにかえる!」という特集記事を組んで株購入を勧めている。

  そのせいでもあるまいが、今日29日の株価は大幅に値上がりしている。

  さしたる理由も無いのにである。

  株取引は根拠のないマネーゲームである。

  その原動力は金銭欲だけである。

  株乱高下の理由は、後からトラック一杯分もついて来る。

  そのようなマネーゲームを不道徳といって排斥するのも、自己責任で参加したいと考えるのも、個人の自由であるに違いない。

 そのようなマネーゲームで最低限守られなければならないことは、ルールを逸脱して一部の者が利益を手にするという不公平さを排除するという事である。

 それが守られないところに今日の最大の問題がある。

 欲と道連れの株取引はなくなる事はない。

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2008年10月29日

 これが国会質問の現実である


 28日の参院外交防衛委員会で行なわれた二つの質問に焦点をあわせ、国会質問のあり方、国会議員の役割について考えて見たい。

 ひとつはカップめんの値段を聞かれて麻生大臣が400円ぐらいではないか、と応えた質疑応答である。

 私はこの質疑を実際に聞いていたわけではないが、今日29日の新聞で一斉に報じられて知った。

 メディアの論調は一様に麻生首相批判のそれであった。

 すなわちホテルの高級バーに連日通うような大金持ち麻生首相が、秋葉原で街頭演説したり、スーパーを訪れタクシー運転手に景気はどうかとたずねてみても、カップヌードルの値段ひとつ知らないではないか、何が国民目線だ、という論調である。

 しかし、私はこのようなメディアの論調よりも、29日のテレビ朝日「やじうまプラス」でコメンテーターのやくみつるや大谷昭宏が言っていたほうに、より共鳴を覚える。

 それは、いやしくもテロ給油法の是非を審議する外交防衛委員会である。カップヌードルの値段を総理に聞くような質問を国会議員がしている場合か、という意見である。

 テロ給油法延長の適否については、アフガン情勢の現実を質すことからはじまって、給油の流用疑惑(この問題はいつまでたっても解明されないままである。28日の朝日新聞では、ソマリア近海で海賊対策をしている米海軍に給油していることまで明らかになっている)、米国のテロとの戦いに協力することの憲法違反性など、聞くべき事はやまほどあるはずだ。

 質問者である民主党の牧山弘恵という一年生議員の事を私は知らない。あるいは彼女は他にもっと重要な質問をしていたのかもしらない。しかしカップヌードル質問で麻生首相の庶民性の嘘をあばいてみせたといって点数を上げたと評価されてはたまったものではない。

 もうひとつの質問はひげの隊長こと元陸上自衛隊一佐の佐藤正久議員の質問である。

 彼の質問は、外交官の殉職と自衛隊の殉職の場合に補償額に差があるのはおかしいではないかというものであった。

 自衛隊とその家族百万人の代表として自民党全国比例区から立候補した時点で彼の当選は約束されていた。

 そして当選した暁には、およそ国民の利益などには目もくれず、もっぱら自衛隊の利害を一手に引き受けて国会質問を繰返す。これでも国会質問であり、彼もまたれっきとした国会議員なのだ。

 国会質問を聞いていてつくづく思うことがある。

 何のための質問か。誰のための質問かと。

 ごく一握りの政治家を除いて、ほとんどの政治家はその役割が限定されているのだ。

 選挙で当選した時点でその役割のほとんどを終えている数合わせの政治家、

 特定の利益集団の支持を得て国会議員になり、その利益集団のことばかりに奔走する政治家、

 そんな政治家がなんと多い事か。

 そんな政治家でも国会質問が許される。

 そんな議員の質問に国会審議が消費される。

 ただでさえ質問時間が限られている共産党、社民党の議員に少しぐらい時間を分けてやってはどうか。

 そうすれば国会審議は少しは活発化する。少しは意味のあるものになる。
 

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2008年10月28日

日本の対アジア外交の限界


 米国発の行過ぎた金融資本主義が破綻しつつある現在において、メディアにあらわれる論調には、米国一辺倒の日本のありかたに疑義を呈するものが目につくようになった。

 しかし、私はそのような論調が日本において主流になっていくとは思わない。

 まして日本の指導者たちが、そのような政策に舵を切るとはとても思えない。

 それほどまでに日本の外交姿勢は対米一辺倒に終始してきたのだ。

 そしてそれを日本国民も、積極的にせよ、消極的にせよ、支持してきたのだ。

 しかし、もしも、という過程の話をすれば、の話である。

 もしも日本が、世界最大の援助国を誇っていた80年代のはじめ頃に、本気になってアジア諸国の経済、技術の発展に貢献していたのならば、そして、アジア諸国の経済、技術力の発展は日本の利益にもなるという認識の下に、本気になってアジア諸国民の生活の向上に貢献し、アジア諸国の国民から尊敬と感謝をもって受け入れられるような国となっていたならば、どうだったか。

  アジア経済圏の経済力を背景にして、危機の痛みを最小限におさえる事ができたかもしれない。

  アジア円経済圏や世銀・IMF体制に代るあらたな経済体制の構築に、踏み出す可能性を考えること ができたかもしれない。

  しかし現実の日本のアジア外交ははそうではなかった。

  アジア重視という言葉とは裏腹に、日本のアジア外交もまた対米従属外交の前に、アジア諸国を裏 切ってきた外交でもあったのだ。

  この事を小倉和夫国際交流基金理事長が10月20日の朝日新聞で次のように述べていた。

 「 ・・・明治時代から1930年代までの日本外交では富国強兵のために帝国主義諸国との協調が重んじられ、アジアの中での強国の地位を追いかけ過ぎた結果、アジアの民衆運動に背を向けたのみならず、英米の主導する国際秩序の変更を軍事力で追求した結果、アジアの民衆に被害と屈辱を与え、国際社会から糾弾された・・・
  第二次大戦後、日本は、アメリカの世界戦略に協力する形で、アジアと向かい合った。日本外交はアジアの民衆よりも、相手国政府の戦略とアメリカのアジア政策と連携した。
 アジアのいくつかの主要国が、非同盟主義や第三世界の経済論理を主張するとき・・・日本はいつも「西側」の陣営からものを見ていた。
 アジアの国の発展が軌道にのり、何人かの東南アジアの政治指導者がアジア的価値に基づく経済発展と政治的成熟への論理を持ち出したとき、日本の政策当局は白い目を向けた。国民の大多数も、アジアよりは、アメリカを向いていた。
 近代において、日本の国民とアジアの民衆との間に、真の連帯意識が生まれたことは、一部の人々を除いて存在しなかったといっても過言ではない・・・」

 小倉和夫氏は外務省の幹部職を歴任し、国際交流基金理事長に天下った外務官僚である。

 その小倉氏は、現職の時にこのような意見を公言し、対米一辺倒の外交を変えようとした事はなかった。

 その小倉氏が外務省OBとなった今、このような事を言ってみても、外務省の対米従属外交は微動だにしないであろう。そこに矛盾と限界を見る思いだ。

 
 

  

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2008年10月27日

「海賊退治に自衛隊派遣」を提案した民主党


 私にも遠慮はある。

 民主党批判をしていいのか、という遠慮である。

 それは私が政権交代をすべてに優先するからだ。

 それに、民主党批判をすれば直ちに批判のメールが届く。

 批判など気にしないと強がりを言っている私であるが、やはり批判されると考えてしまう。

 それでも私には譲れないものがある。

 それは憲法9条を守る事こそ最強の安全保障政策であるという、私がたどり着いた確信に反する事である。

 憲法9条否定につながるいかなる政策にも、私は異を唱える。

 10月17日の衆院テロ特別委員会で民主党の長島昭久や浅尾慶一郎が海賊対策に自衛隊を派遣しろと提案したらしい。

 私はその答弁を聞いていなかったので、後日新聞報道などで知った。

 これはとんでもない提案である。

 そもそも海賊対策に自衛隊を派遣するなどということは自衛隊法の想定するところではない。

 もちろん憲法9条の恣意的な拡大解釈という危険性がある。

 ご丁寧に鳩山由紀夫民主党幹事長は18日の広島呉市で講演し、海賊対策での海上自衛隊派遣に向けた新法に理解を示した発言をしている。民主党政権が発足した暁には、本格的に法律の制定を検討すると言ったらしい(10月19日産経)。

 そういえば鳩山幹事長は、かつて、平沼赳夫のグループと連携したいという発言までしていたことがあった。それを知ったときわが耳を疑ったものだ。

 私が情けなく思うのは、この「海賊退治に自衛隊派遣を」という考えが、憲法で期待されている専守防衛の自衛隊の責務に基づいて周到に考え抜いた末の提案ではなく、インド洋での給油活動に反対するだけでいいのか、国際貢献から背を向けて政権担当の資格があるのか、と自民党から責められて、海賊対策で批判をかわそうとする、底の浅いその場しのぎの思いつき提案であるということだ。

 更に言えば、その根本には、国連決議があれば自衛隊をアフガンに派遣できると言った憲法違反の小沢党首発言を撤回できない、民主党の矛盾がある。そこを衝かれればたちどころに窮してしまう民主党のトラウマがある。

 ましてやソマリア沖の海賊退治に自衛隊を派遣するなどという事はとんでもない危険を孕むのだ。

 それを軍事ジャーナリストの田岡俊次氏が今日発売の週刊アエラ(11月3日号)で見事に言い当てている。

 ソマリア沖で最近跋扈する海賊問題の責任の一端は米国にある。

 親米のエチオピア軍がソマリアに侵攻し、首都モガディシオを制圧したイスラム原理主義勢力を制圧したため、イスラム原理主義勢力がゲリラ戦で抵抗し、巻き返しをはかりつつある。

 海賊が激化したのは、ゲリラ側が軍資金を調達しているという側面もある。

 つまりアフガニスタンで麻薬を厳禁したタリバン政権を倒して、アフガンをアヘンの増産に走らせ構図と同じだと田岡氏は解説してみせる。

 そうだとすれば、それはイスラム原理主義政権を倒した米国の「後始末」をさせられることでもある。

 反米テロとの泥沼の戦いにのめり込む事になる。

 一度護衛艦や哨戒機を出せば、海賊を撲滅するまで続けざるを得ない。

 そんな覚悟が民主党にあるのか。

 民主党は、政局におぼれた自らの提案の軽率さを、真摯に反省すべきである。

 

 

 

 

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2008年10月27日

政界大連立の前に大手新聞の大連立が進む

 
 昨日(26日)のブログで、リベラル紙の雄であるはずの朝日新聞が、ついに消費税増税を社説で訴えるようになった、と書いた。

 それに驚いたと書いた。

 しかしもっと驚くことがある。

 大手新聞が消費税増税で大連立を組んだ事を改めて知った。

 27日の読売新聞が、その社説で、朝日新聞とまったく同じ消費税増税論を掲げている。

 すなわち、

 少子高齢化で膨らむ一方の社会保障費を賄うには消費税しかないことははっきりしている、

 与野党とも衆院選に向けて財源論を避けてきた中で、(麻生首相が)消費税に正面から取り組む姿勢を示したことは大決断だ、

 政府・与党は消費税引き上げまでの明確な行程表を作り上げ、国民に示すべきだ、
 
 民主党も明確な財源を示し、与党と政策論争すべきである・・・と。
 

 朝日新聞の社説と見事に一致している。

 こんな馬鹿な事はない。財源不足をいたずらにあおり、その対策には増税しかないという。

 これは政治ではない。政策ではない。単なる官僚の無策の追認である。鸚鵡返しである。

 要するに、今の朝日も読売も、強者の論理、官僚の論理と、その上に乗って日本を動かしてきた政府・与党の論理を主張しているに過ぎない。

 読売新聞が政府擁護の記事を掲げる事には驚かない。

 しかしそのライバル紙としてリベラル派の雄を誇ってきた朝日新聞の、この保守化、官僚化はどうだ。

 もはや日本にはジャーナリズムというものが失せ、メディアが政府の御用新聞と化しつつあるかのようだ。

 これは危険だ。

 見ているがいい。

 次は安全保障政策である。

 そのうち朝日も読売と同様に、今のままの憲法で果たして国が守れるのか、と言い出すに違いない。

 だめになったからといって、それでも米国に代って信頼できる国が世界広しといえども他にあるというのか、と言い出すに違いない。

 政治の世界では保守二大政党による大連立がすすむと危惧されている。

 しかし、それに先駆けて、すでに大新聞の大連立が進みつつある事に気づかなければならない。

 

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2008年10月26日

消費税増税をけしかける朝日新聞


 10月25日の朝日新聞の社説「消費税アップ、麻生首相は本気を示せ」には驚かされた。

 ここまで国民生活が苦しめられているのに、消費税増税を麻生首相に要求している。

 きっかけは、麻生首相が新総合経済対策に消費税率の引き上げを含む税制の抜本改革を指示した事にある。

 少子高齢化で膨らむ社会保障の財源については、具体的なスケジュールを描き、負担増について国民に訴える、もし麻生首相の指示が言わんとしているところがそうであるなら、その言やよし、である、と書いている。

 その上で、小泉、安倍、福田政権は、いずれも、税制の抜本改革を言いながら結局は先送りしてきたから、またみせかけの公約で終わるのではないか、と心配しながら、

 「(麻生)首相は本気かもしれない。増税論を語らない民主党とここで差をつけ、責任政党として存在感を示すというのなら、それは王道だろう」

 とまで言う。「王道である」とまで言うのだ。

 そして、

 「この際、首相に提案したい。増税の時期と引き上げ率などを具体的な行程表にして総選挙に臨み、勝てばただちにそれを法律で定めると約束することだ」

 とけしかける。

 ひょっとしたらそうけしかけて、総選挙で自民党を大敗させ、民主党への政権交代の援護射撃をしているのではないのか、と思いたくもなるほどである。

 しかし、どうやらそうではなさそうだ。

 朝日新聞は財政再建のためには増税やむなしと本気で考えているらしい。

 「社会保障の負担をどのように分かち合っていくか。当面の経済失速を防ぎつつ、財政も再建していく」、そのために増税は必要であると言い、「消費増税を否定する民主党にも、説得力ある税制論、財源論を求めたい」、と締めくくっている。

 さすがは官僚と仲良しの朝日新聞である。財務官僚が泣いて喜びそうな社説だ。

 しかし、今必要な事は、官僚と仲良くすることではない。

 官僚的発想から脱却しなければ日本の未来はないという認識である。

 国民から吸い上げた富をすべて米国金融資本に貢いできた官僚の政策が、米国金融資本主義に崩壊とともに破綻した。

 これ以上対米従属を続けていれば国民生活は本当に殺されてしまう。

 これは嘘でも誇張でもない。本当の事なのだ。

 「今は未曾有の緊急事態だ。米国からの防衛装備購入を凍結して社会保障にまわす、あるいは、政治家を半減し、公務員の新規採用を当分見送って、浮いた人件費を減税の財源にまわす、そういった、およそ財務官僚の発想から決別した予算編成を、今こそ行なう時である」、

 朝日新聞にはそれぐらいの社説を書いてもらいたかった。

 
 


 

 

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2008年10月25日

ポール・サミュエルソン教授の言葉


 10月25日の朝日新聞に経済学者ポール・サミュエルソンのインタビュー記事が載っていた。

 なつかしい名前だ。

 もう40年以上も昔の話になるが、その著書「経済学」を、大学生になったばかりの私は教科書の一つとして読んだ。

 その内容はすっかり忘れたが、その後まもなくノーベル経済学賞を受賞したサミュエルソンの名前は、ケインズの名前とともに、いまでも鮮やかに蘇る。

 今はマサチューセッツ工科大学名誉教授である今年93歳となるポール・サミュエルソン教授は、朝日新聞編集委員の小此木潔氏インタビューに、現下の金融危機について述べている。

 かつての教科書の先生の言葉として、私はこれを学生時代にもどってなるほどと思って読んだ。

 そのさわりの部分を以下に紹介してみる。

 ・・・今回の危機は大恐慌以来、最悪の危機であることは間違いないが、これは避けられた危機だ。ブッシュ大統領がクリントン大統領から政権を引き継いだとき、経済は健全であり、財政は黒字ですらあった。
    ブッシュ大統領が掲げた「思いやり保守主義」は、億万長者を作り出すには役立ったが、中流以下の人々には優しくなかった。その結果、米国の人々の生活は厳しさを増した。
    イラク戦争と並んで、これがブッシュ大統領の不人気の理由であり、米国の歴史において最悪の大統領として名をとどめることになるだろう・・・
    「億万長者への思いやり」とは、たとえば証券取引委員会(SEC)の委員長に、能力が低く利益相反の危険がある人物をわざと採用して、市場への監督と規制を緩くしたということだ・・・
    「悪魔的でフランケンシュタイン的怪物のような金融工学」が危機を深刻化させた。そのもとで、信じられないほど激しいレバレッジが横行した。人々は自分が何をしているのかがわからなくなってしまっていたのだ。
    グリーンスパン議長が95年ごろからはじまった株式市場のバブルに対策を講じなかったことも、惨状を招いたひとつだ。
    これらの背景には、81年に就任したレーガン大統領が力を注いだ「右傾化」がある。
    我々が「極右サプライサイド(供給重視)経済学」と呼ぶ路線をとった。それが、「悪い規制緩和」や「無能な人物の登用」といったブッシュ路線に引き継がれた・・・
    この危機を終わらせるためには何が有効なのか。それは「赤字をいとわない財政出動」だ。極端に言えば、紙幣を増刷してばらまくような大胆さで財政支出することだ。
    大恐慌を克服したのは戦争のおかげだという人がいるが、そうではない。当時私はシカゴ大学の学生だったが・・・周囲では3人に1人以上が失業していた。それほど高かった失業率を一桁まで減らしたのは33年に就任したルーズベルト大統領の政策だ。それは戦争前のことだ。
    ルーズベルトがとった政策は、赤字財政であっても、公共事業や農業支援計画を通じた巨額の支出だった。それが資本主義を救った・・・
    戦前のフーバー大統領は、ケインズをマルクス主義者呼ばわりするような人物で、恐慌克服になんら有効な手を打っていなかったことが響いた・・・
    現在の危機は米国民の生活を脅かしており、来月の米大統領選挙に影響を与えるのは確実だ・・・米国政治における民主党の歴史的復権が実現する。これはレーガン時代以降続いた共和党主導の政治を大きく変えることになる。ブッシュ政権の大きな失政を機に民主党優位の時代がはじまる・・・
    しかし、現在の危機が解決したとしても米国の将来はなお厳しい。レーガン政権が誕生した81年ごろから続いてきた経常収支の巨額の赤字が、10年後には一段と深刻な問題になってくるのではないか。
    懸念されるのは、ドルからの逃避、それも無秩序なかたちの逃避がおこるのではないか。それが起こったときには、外国人が米国市場から資金を引き揚げるだけでなく、米国のヘッジファンドが先頭に立ってドルを売り、外国通貨を買う事態になってしまうだろう。
    もっとも、今は家が火事になっているような時だから、そんな先の心配をすべき場合ではないのだが・・・

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2008年10月25日

誤りを認めたグリーンスパンとグリーンスパンを謝らせた米下院公聴会

 
 このところ経済関係の報道は世界金融危機一色だ。

 それほど深刻な事態ということだ。

 しかし、その危機は突然起きたものではない。

 もとをたどればレーガン時代の新自由主義、いわゆるサプライサイドの経済政策から端を発していた。

 そして、ブッシュ大統領の8年間の富裕層に優しい保守主義こそ、今日の金融危機への行き着く先であった。

 皆が漠然とした不安を感じならが、儲けに乗り遅れまいと走ったのだ。

 そんな中で、その流れに逆らう言説を言う事は勇気のいる事だ。

 たとえ警告を発しても異端視されるのがオチだっただろう。

 そうだ。今の金融危機は皆がもたらしたものなのだ。

 それに、危機が現実となった今となっては、その対策を考える事が最優先さるべきだろう。

 責任者は誰だ、そいつを罰しろ、と叫んでみたところでむなしい。

 それはその通りである。

 しかし、同時に、真の再生の為には、何が誤りだったのか、その責任の所在を明らかにすることはやはり重要であろう。

 23日の米下院公聴会で、もの凄いやり取りがあった。24日の産経と朝日が詳しく報じている。

 ワックスマン委員長(民主党)が、18年半という史上最長の任期をつとめたグリーンスパン前FRB議長に対し、「金融市場の規制緩和の支持でもっとも影響力があったあなたは、間違っていたのか」と容赦ない質問を浴びせた。確答をさけるグリーンスパンに、最後は「イエスかノーか」と詰め寄った。

 そしてグリーンスパンはついに次のように自らの誤りを認めたのだ。

 「金融機関が自己利益を追求すれば、株主を最大限に守ることになると考えていた。私は過ちを犯した」

 グリーンスパン一人の責任にするのは酷だろう。

 大統領選挙を控え、彼がスケープゴートにされたという側面もあるかもしれない。

 しかし、やはり彼は最大の責任者の一人であることは間違いない。

 それにしても、と思う。

 金融政策のマエストロ(巨匠)と異名をとった米経済界の重鎮が、その老体を前にして、それまでの名誉をかなぐりすて、ここまで潔く自らの誤りを認めるとは。

 その一方で、その重鎮をここまで追い詰めることのできる米国議会の公聴会と、つねに追及不足、消化不足のわが国の国会質疑の、彼我の違いの大きさはどうか。

 今からでも遅くない。国会は小泉5年半の経済政策の責任を国民の前で徹底的に検証すべきではないのか。

 野党が政権交代を本気で求めるのなら、この金融危機を前にして、今日の日本の経済困窮をもたらした小泉改革の徹底検証こそ、最強かつ最善の選挙対策に違いない。

 

 

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