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2008年10月07日

 民主党の山口壮議員は平和外交を託す事のできるこの国のリーダーになれるか

まず、次の文章を読んでもらいたい。

 「・・・(給油活動の対象である)アフガン情勢が悪化する中、戦略を誤っている米国の言うままに『テロとの戦い』を大義名分に掲げる麻生首相は完全に間違っています・・・
  アフガン問題の根本には、米国の中東政策の失敗があるのに、麻生首相や自民党にはその認識が著しく欠けています。アフガン攻撃の理由とされた2001年9月の米同時多発テロは、米国がパレスチナ問題などへの対応をめぐり、世界中のイスラム教徒を敵にしたため起きてしまった。正しい世界観の持ち主なら、米国自身にも原因がある側面に気付くはずです・・・
 小泉純一郎元首相は『対米関係さえ良ければ日本の安全保障は大丈夫』とうそぶいたが、そんな考えはあまりに幼稚です・・・
 米経済に変調をもたらした根本原因は、アフガニスタンとイラクで垂れ流す巨額の戦費です。毎日6000億円から1兆円と報道されていますが、75兆円の金融安定化法案に比べ、いかに途方もない金額であることか・・・
 麻生首相が志向する”御用聞き”外交では日米双方の国益は損なわれる一方です・・・
 米国は中東情勢だけで手いっぱいで、北朝鮮との二正面作戦など無理。明らかに北への譲歩に動いています。米国に頼っていれば大丈夫という”刷り込み”はとっくに破綻している。『給油は安上がりな国際貢献』という人もいるが、そんな志の低い理屈は捨て、アフガン問題の根本解決に英知を傾けるべきです・・・
 悪化するアフガンやイラクの実情を直視すれば、力によるテロ解決の限界が浮き彫りになります・・・誤爆、誤射等が外国軍隊への敵視を招く中で、給油の選択では軍事優先のやり方を追認してしまう・・・”戦争をつくる”のではなく”平和をつくる”ことでしかテロはなくならない。自民党は”戦争の党”であり、民主党こそ”平和の党”なのです・・・」

  これは民主党の山口壮(つよし)(兵庫12区)衆院議員が、いま発売中のサンデー毎日(10・19号)誌上で述べている言葉である。

  彼がどこまで本気でこの立場を民主党内部で訴えているか私は知らない。

  彼が、今頃になってこんな事を言い出したのか、米国のイラク攻撃の時から一貫してそれに反対し、このような言動を行なってきたのか、私は知らない。

  しかし、少なくともこの発言は私が繰返して発言してきた事と同じである。

  この考えを突き詰めれば、私がたどり着いた結論、すなわち日本の将来は日米軍事同盟から決別し、憲法9条を世界に掲げて自主、自立した平和外交を行う事ができるかにかかっている、という考えに行く着くはずだ。

  果たして山口壮はそのような政治家なのだろうか。

  それは前原や長島といった民主党の国防、安保政策議員の親米路線と完全に矛盾する。

  民主党の中でどのような議論が行なわれているのだろうか。

  私はまったく知らなかったのであるが山口壮はキャリア外交官出身であるという。

  入省年次は私より10年後の外交官だという。

  2000年に国会議員になったという。

  このような考え方を持った外交官出身の人間が民主党にいて、小沢一郎の外交参謀をつとめていたとは知らなかった。

  「次の影の内閣」の外務大臣候補であるという。

  俄然興味が沸いてきた。

  このサンデー毎日の記事をきっかけに、私は政治家山口壮の今後の言動に注目しようと思う。

  彼が民主党の中にあって、この言葉どおり民主党を平和外交の政党にしていくことができるのか。

  米軍再編協力に完全に舵を切った日本政府の誤りをただし、憲法9条を守る外交の先頭にたって米国と正しく外交していけるのか。

  そこを見届けたい。

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2008年10月06日

岩国から目を離してはいけない


 毎日の報道を根気よく見続けていると、おのずと気づく事がある。

 どの新聞もテレビも、報道する事柄は同じだ。

 それは、限られたスペース、時間帯の中で、最大公約数的に世間が関心を持つニュースは、おのずと決まってくるからだ。

 その同じテーマについて、報道各社が、より早く、より詳しく、そしてより正確に報道しようと競い合う。

 各局お抱えのコメンテーターが、その同じニュースを無責任に評論して終わってしまう。

 しかし、我々受け手にとっては、そのようなニュースや解説は、どれか一つで十分だ。

 それよりも、報道されていない物の中にこそ、我々の生活にかかわる重要な出来事がある。

 とくに権力者の悪については、権力者はそれを国民から隠そうとするする。

 だからこそジャーナリズムは、それを国民に代って発掘し、報道しなくてはならない。

 同じような報道をなぞるばかりでなく、国民の「知る権利」に一つでも多く応えて見せる事こそ、ジャーナリズムの使命なのだ。

 その観点からいえば、今日(10月6日)の報道でなんといっても群を抜いていたのが、東京新聞「こちら特報部」の岩国市米軍住宅建設をめぐる記事である。

 私が岩国市の米軍住宅建設問題を知ったのは、今年2月に行なわれた岩国市長選挙で井原市長を応援する集会にゲストスピーカーの一人として招かれ、岩国市を訪れた時の事だ。

 岩国市財政逼迫の原因の一つに愛宕山開発事業があると、タクシーの運転手に聞かされた。

 1998年にはじまったというその事業は、激しい騒音を伴う米空母艦載機の滑走路を沖合いに移設する工事と関連がある。

 その工事に必要な埋め立て用の土砂を、岩国市の背後にある愛宕山を削って供給し、その跡地を整備して県民数千人が暮らす新しい街を作るという青写真で始められた事業だった。

 ところが経済情勢の変化で需要が見込められなくなったとして、事業主体である県、県住宅公社、岩国市は昨年6月にそのプロジェクトを中止せざるを得なくなったという。

 莫大な借金(244億円)が残り、その返済が市の財政を圧迫した。

 そのタクシーの運転手が言うには、愛宕山跡地は国が買い取って米軍住宅が建てられる、最初からそう決まっていたらしい、国に騙されたのではないか、と。

 私はそれを聞いた時、いかにも政府がやりそうな事だと思った。

 しかしその卑劣な政府のだまし討ちは、岩国市民や、まして岩国市議会の力では糾弾できない。そのやるせなさがこのタクシー運転手の言葉なのだ。

 飴と鞭で地方に米軍再編の負担を押し付けてきた政府の卑劣なやり方に対しては、この国の国会でさえ追及できていない。米軍再編問題についての野党政治家の追及はあまりにも弱い。

 ましてや地方議員や地方住民の力では政府のごり押しを防ぐ事はできない。

 暗澹たる思いを持ってそのタクシー運転手の話を聞いた私は、それ以来すっかりこの話を忘れかけていた。

 10月6日の東京新聞「こちら特報部」の記事は、忘れかけていたその時の話を鮮やかに蘇らせてくれたのだ。

 その記事は、この愛宕山開発問題について、岩国市が国と県から米軍住宅建設の打診を受けていた事実を示す文書の存在が明らかになった、とするスクープ記事であった。

 すなわち今年4月付で作成された「愛宕山地域開発室作成」の議事録によれば、岩国基地に民間空港を再開させる事と引き換えに米軍住宅建設を了承することについての関係者のやり取りが詳細に記されているという。

 6月の県議会では岩国市側は、そのような打診は国や県からは一切ないと言い張っていたという。市民や市議会に大嘘をついていたのだ。

 その岩国市の市長は今年2月の選挙で、空母艦載機のこれ以上の受け入れは住民にとって負担が多すぎると慎重だった井原勝介市長から、受け入れ賛成の自民党福田良彦市長に代った。

 市長が交代した途端に、国はそれまで凍結していた補助金を与え、米軍住宅建設を進めようとしたわけだ。

 東京新聞かスクープした議事録文書が本物であれば、国の背徳の行為はあまりにも露骨だ。

 政府が米軍住宅を建設したいのなら、なぜそれを堂々と岩国住民に説明して了承を取りつけようとしないのか。

 それが出来ないのは、政府の行なおうとしている事があまりにも不当であるからだ。それがわかっているから隠そうとするのだ。

 米軍基地を日本に抱え続ける限り、この矛盾は続く。

 米国の安全保障政策に従うばかりの日本の防衛政策は、いまや日本の国防とは大きく乖離した米国の戦争と、そのための行なわれる米軍再編に、完全に協力させられものとなった。

 その結果、日本を守る為の防衛政策は、もはや完全に国民の利益と反するものになってしまった。

 その矛盾が国会の場で論争されることなく、しわ寄せだけが地方住民に押し付けられていく。

 交付金ばら撒きの飴をなめさせられる住民とこれ以上の米軍基地負担には耐えられないと反対する住民が分断され、基地を抱える地方住民と基地の被害を感じない一般国民が分断されていく。

 分断されてはならない。国家権力の悪に抗していく国民の利害は常に一つのはずだ。

 我々は岩国市の愛宕山米軍住宅建設問題から目を離してはいけない。

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2008年10月05日

 偉大な指導者は現場主義だというポール・ケネディの言葉


  ポール・ケネディという英国の歴史学者がいる。かつてベストセラーとなった「大国の興亡」の著者である。

  そのポール・ケネディが10月5日の読売新聞「地球を読む」でフランクリン・ルーズベルト、ウィンストン・チャーチルと比べてブッシュ大統領を酷評している。

  その趣旨はこうだ。

  小児麻痺で窮屈な車椅子に乗るルーズベルトは第二次大戦の末期に信じられないほどの重要な国外旅行を行なった。英国ならびにソ連と交渉し、アイゼンハワーら司令官たちと協議するためだ。カサブランカ、カイロ、テヘラン、ヤルタ・・・その時の写真には、疲れきった彼の様子が如実に現れている。これらの会議に出席するため、ルーズベルトは死の直前、合計3ヶ月近い時間を費やした・・・

  チャーチルもまた戦時中に行なった旅行の数という点では際立っている。主要な連合国との会議ばかりでなく、戦闘の現場に繰り返し行きたいと言い張り、英軍と英国の大衆を大喜びさせた・・・ノルマンディーでの戦闘の真っ最中に、葉巻をくわえたチャーチルが、英軍の監視台に立ち、眼下のドイツ軍拠点で砲弾が炸裂するのを眺めている写真が残っている・・・

  この偉大な二人の戦時指導者の姿をなぜ思い浮かべたかと言うと、8年間の任期が終わろうとしているもう一人の戦時最高司令官(ブッシュ大統領)の事を考えたからだ。

  イラク侵攻に先立つアフガニスタン侵攻が始まったのは2001年、ほぼ7年前である。この間にブッシュ大統領がイラクを訪れた回数と時間を書き出してみる。2003年11月27日に「2時間半」。米兵との謝肉祭夕食会に出席。バクダッド国際空港内の米軍基地からまったく出なかった。2006年6月3日に「5-6時間」。厳重に要塞化されたバクダッドのグリーンゾーンを訪れた。2007年9月3日に「6-7時間」。西部アンバル州の米軍要塞アルアサド空軍基地を訪問した。

 つまり、戦闘が行なわれた5年あまりの中で、イラクにいた時間は丸1日も満たない。アフガニスタンを訪問に至っては一回限りである。情勢がかなり安定していた2006年3月1日に、カブールで「5時間」を過ごしただけだ。何の意味があったのか。

 これを、一体どう説明すればいいのか。長く混乱した戦争をあおり、何千億ドルもの戦費を要求し、米国民に支持を訴える指導者が、現場でしばし時間を過ごし、現状を見る、それをしない。こんなことがありうるのだろうか・・・
  
 
 読売新聞の記事でポール・ケネディが言いたい事は、偉大な政治家は現場主義であるという事だ。

 そしてハリケーン・カトリーナの直後にせよ、イラクの都市の荒廃した街路にせよ、あるいは9・11同時テロ直後の世界貿易センターの瓦礫にせよ、ブッシュ大統領は災害や挫折の後の現場に近づくのが苦手であり、暗殺をおそれるあまりすべての危険から完全に守られようとした、それをポール・ケネディは、過去の偉大な指導者と比較して疑義を呈しているのだ。

 このポール・ケネディの記事を読んだ私の頭によぎったのは小泉元首相の行動である。

 5年半もの長きにわたって対米追従と郵政改革を叫んだ。テロとの戦いに協力するといって憲法違反を犯して自衛隊をイラクに派遣した。

 しかし、ついにイラクには足を踏み入れなかった。退任した後ただの一度もブッシュ大統領に会おうとしなかった。命を賭けたはずの郵政民営化に至っては、民営化後の郵政会社に足を運んで民営化がうまく行っているのかを見届けようとはしなかった。民営化後の職員を励ます事は一度もなかった。

 小泉の言動は、すべていかさまだったということである。

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2008年10月05日

イランと国連非常任理事国を争う日本


 小さな記事であったが私の興味をひいた記事があった。

 10月5日の毎日新聞は、「現在の安保理にはイランよりもはるかに悪行をしている国がある」と述べて、イランにも立候補の資格があると言ってのけた国連総会デコスト議長(ニカラグア)の事を紹介していた。

 その記事で知ったのであるが、来年1月から任期2年で安保理非常任理事国の交代があるという。その選挙戦の真っ最中であるという。そしてアジア枠一カ国を絞る競争に日本とイランが立候補しているというのだ。

 思い出すのだが、この国連安保理非常任理事国の選挙には日本はいつも立候補して他のどの国よりも頻繁に非常任理事国のポストを独占してきた。

 選挙のたびに、これは負けられない選挙だと勝手に決めつけて、外務省をあげ、援助をばらまいたり、招待外交、訪問外交を繰返して奔走してきた。

 そのおかげもあって、殆どの選挙で勝ってきた。日本はこの非常任理事国のポストを、他の国に均等に与えるという配慮をすることなく、当然のごとく独占してきたのである。

 かつて日本が安保理改革によって常任理事国の座を射止めようとしていた時、「すでに他のどの国よりも頻繁に非常任理事国のポストを経験してきたではないか。それにもかかわらずろくな貢献をしてこなかったではないか。常任理事国ポストを欲しがるよりも、理事国になって何がしたいのか、できるのか、それを明らかにすべきだ」という陰口を叩かれたほどである。

 それに懲りることなく、今度もまた外務省はイランに勝とうと必死で外交工作に励んでいるに違いない。

 しかし、今度の選挙はいつもの選挙よりももっと負けられないに違いない。

 なにしろ、イランは米国、イスラエルと敵対している「テロ支援国家」である。「世界にはもっと悪行をしている国がある」からイランにも立候補の資格がある、と弁護されるくらい、評判の悪いイランである。

 そのイランと戦って負けるのなら、日本は「もっと悪行をしている」国と変わらなくなる。

 いくらなんでもイランよりも世界の支持を得られるに違いない、だから選挙で負ける事はない、そう一般的には思うだろう。

 しかし楽観は許されない。国際政治の現実はそう簡単ではない。

 同じく10月5日の朝日新聞は、中国の国連大使が3日に記者会見を開いて、「アジアグループが統一候補で合意できればその国を支持する」と発言をしたという。

 これは日本支持を明言する事を避けたという事だ。日本が必ずしもアジアグループで推されないかもしれない、という事を言っているのだ。

 私は注目している。果たして日本はイランを差し置いてアジアグループでの統一候補になれるのだろうか。

 その結果は、すなわち日本外交がアジア諸国からどう評価されてきたかを物語るものである。

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2008年10月05日

 私の判断は正しかった

 ・・・(小泉政権の)最大の功績は、9・11に傷ついたブッシュ大統領のアメリカを訪ね、テロとの戦いにおいて「共にある」と語り、それを実行して日米同盟をアップグレードしたことである・・・

 これは毎日新聞連載「時代の風」の10月5日付に掲載された五百旗頭真防衛大学校長の言葉である。

 イラク、アフガンでのテロとの戦いが完全に行き詰まり、戦争を支えるための経済政策が破綻しようとしている。それを世界が目撃し、大騒ぎをしている。

 そんな時に臆面もなく、ブッシュ大統領をいち早く支えた小泉首相の外交を「最大の功績」と讃えるのである。

 小泉、安倍、福田と続く自民党政権に寄り添って防衛大学校校長の職を手にし、防衛相改革や安全保障政策にかかわる数々の審議会、諮問会議の常連となって、いまや御用学者の中でも最も重用されている五百旗頭氏の面目躍如である。

 今から5年ほど前、私が二年後輩の北島官房長(当時)から「外務省を辞めてもらう」と電話一本で突然告げられた時、そのあとに続く言葉が次のようなものであった。

  ・・・2年間だけ生活の面倒を見てやる。神戸大学の政治学部教授のポストを考えている。お前にその資格があるかどうかは最終的には教授会が判断するので保証の限りではないが、竹内次官(当時)と五百旗頭教授(当時神戸大学政治学部長)とは懇意の間柄なので、なんとかなるだろう・・・

  お情けで与えられたその「ありがたい」オファーを、私は丁重にお断りをした。

  第二の人生は、二度と外務省という組織と交わることのない人生を歩んでみせる、そう私はその時決意した。

  それから5年あまりが経った。

  この五百旗頭防衛大学校長の言葉を目にした時、私の判断は正しかったと確信した。

 

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2008年10月04日

民主党はビートたけしを担ぎだしたらどうか


  このブログは半分冗談で書いている。しかし半分はまじめに書いている。

  中山前国交相が突然次の総選挙に出ないと言い出した。

  それを報じる新聞記事は、自民党がすかざず東国原宮崎県知事を担ぎ出すのではないか、と書いている。

  これはあくまでも私の直感であり何の根拠もないのであるが、私はそのまんま東は自民党に請われて出馬するのではないかと思っている。

  彼がどういう志を抱いて宮崎県知事に立候補したかは知らない。

  しかし、知事になってからのそのまんま東は、間違いなく中央政界に色気を出しはじめたと思う。マンゴーや地鶏のセールスに終始するためだけで宮崎県知事になったわけではなかろう。

  よしんばそうであったとしても、そのまんま東は知事職を通じてこの国の権力構造を知ったに違いない。

  中央集権国家のこの国では、所詮知事といえども中央政界のまえにいやというほど知事職の限界を思い知らされたに違いない。

  政治をやるにはやはり国会議員にならないとだめだ、と。

  そこで私の頭をよぎるのはビートたけしのことである。

  これも私の直感で、なんの根拠もないのであるが、私はビートたけしの心中が読める気がしている。

  彼は満たされないものを抱きながら生きている人間であるに違いない。

  満たされないがゆえに彼の生き様にはつねに虚無感が漂う。破滅的な暴力性を感じ取る。

  そんな彼を私はまったく評価しないのだが、少なくとも政権交代前夜の異常な政治状況にあって、ビートたけしの国民的人気は絶大な影響力を持っている。

  しかもビートたけしの一連の言動を見るにつけて、彼が最後に関心を持つのは政治に違いないと思うのである。

  ところがその政治の参加においてそのまんま東に先を越された。

  そしてそのまんま東が国民的支持を受けて脚光を浴びている。

  かつて面倒を見た子分の一人でしかなかったそのまんま東が政治の世界に飛び込んでここまで大成功をおさめた。

 そのことだけでも心中穏やかでないのに、今度は国政に打って出て成功し、中央政界で主要な人物となろうとしている。

 こんな事が許されるか、という気持ちに違いない。

 小沢一郎はビートたけしを訪問し、三顧の礼をもって民主党からの出馬を要請すべきだ。

  それに成功すれば今度の総選挙の勝利もほぼ間違いない。

  自民党のそのまんま東と民主党のビートたけしが、それぞれの政党の政権奪取を賭けた戦いに参戦し師弟対決を繰りひろげる。こんな面白い戦いはない。

  そのまんま東が自民党公認で出馬するかどうかはもちろんわからない。一般的には、様々な理由でそうならないであろうと思われている。

  しかしもしそのまんま東が自民党から出馬する事になれば、その時そこ小沢民主党はビートたけしを選挙に誘い込むべきである。

  そのまんま東に国政参加のインパクトがかすんで見えることになるかもしれない。

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2008年10月03日

格差が問題ではない。分断されつつあることこそこの国の深刻な問題である。


  小泉元首相の引退に関するここ一週間の報道を眺めてみて、一つだけ共通したものがある。

  それは、次男を後継に指名したことに対してだけは、共通に批判、失望の声があがっているという事である。

  小泉偽改革を誉めそやす者であっても、さすがに今日の世襲制政治の支配を認める者はいない。

  それにもかかわらず、次男の当選は確実であるという。

  民主党がどのような候補者をたてようとも勝ち目はないという。

  ここに、この国の絶望を見る。

  日本国民の政治の低さを見る。

  10月3日の東京新聞はその一面で、製造工場で働く派遣労働者の7割以上は、「年齢面で職がなかった」、「派遣しか職がなかった」など、正社員になりたくてもなれない、などの理由でやむなく派遣労働を選択した、というアンケート調査を載せていた。ガテン系連帯(ガテンとはリクルート出版の就職情報誌の名前)の調査結果だという。

  これに対し、つい先日の厚生労働省の審議会調査では、派遣を積極的に選んだ人が多いという正反対の数字をだしていたという。

  10月2日の東京新聞で漫画家の倉田真由美が「本音のコラム」で書いていた。

  ・・・社長令嬢で法曹資格を持つ(私の)知人がこんなことを言っていた。「悪条件で働くくらいなら、資格をとって転職すればいいのよ」

  今の日本では、一方において低所得者層の急増を憂える人がおり、他方においてこういう発言を平然とできる人間が多いことも事実なのだ。

  私がもっとも嫌いな女性作家林真理子もそういう人間の一人に違いない。

  小泉ファンを自称し、公言してきた彼女は、金銭欲、名誉欲、有名欲という人間の本性の負の部分をむき出しにした言動を売りにして成功した一人である。

  それを好む国民がいるからこそ、雑誌の対談や連載で今でも彼女は引っ張りだこだ。

  繰返していう。

  今の日本の問題は格差問題ではない。

  国民が分断されつつある事こそ問題なのだ。

  格差問題が見えない国民が厳然と存在する。

  格差問題解決に人肌脱いでなんとかしようと行動する強者が現れてこない。

  痛めつけられている派遣労働者たちが、小泉二世を当選させる風潮に怒りをぶつけることなく、その矛先を、自分や、より弱い者に向けて自滅していく。

 その社会風潮こそ、この国の深刻な問題に違いない。

  そして、権力は、自らの権力を保持し続けるために、常に国民を分断させようとたくみに策を弄する。

  この事も、我々は知っておいたほうがいい。

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2008年10月02日

 民主党が政権を取った時、真の国民的争点は何になるのか


  国会で代表質問が始まった。

  それをメディアはワンパターンの表現で報じている。

  麻生総理の所信表明演説はまるで野党に対する質問だ。

  小沢民主党代表の答弁は麻生総理の質問に答えていない。あたかも所信表明演説のようだ。

  議論は深まっていない。

  すれ違いの不毛な議論だ、などなど。

  よくもこんな見当違いの報道ができたものだ。

  ならば聞く。

  報道関係者は、官僚が書いた文章を読み上げるだけのこれまでの答弁をどう評価していたのか。

  菅直人の追加質問に答えられなかった小泉元首相の「答弁拒否」事件をどう受け止めていたのか。  
  政権交代前夜を思わせる今度の国会答弁のほうがはるかに面白い。

  それに、彼我の答弁を少しでもまじめに聞いている者であれば、はっきりと違いがわかる。

  官僚と一緒になって予算を私物化してきた従来の政策から脱却できずに、この期に及んでも小手先の変革でこの危機を乗り切ろうとする自民党と、出来るか出来ないかはわからないが、少なくとも予算編成や経済、社会政策において、格差を是正し、弱者に目を向けようとする民主党。

  その違いは明らである。

  あとはどちらの政権を選ぶか、だけの話だ。

  もはや今の時点でこれ以上の政策論争は不要である。

  これ以上の精緻な議論をすることは目くらましだ。

  国民はそれ以上の議論はわからない。関心はない。

  それは政治家や官僚の仕事だ。

  しかし、今度の国会審議でも議論が深まらない問題が一つある。

  小沢民主党が曖昧なままにしている大きな問題が一つだけ残っている。

  それは日米同盟関係をどうするか、という事である。

  麻生総理が、「日米同盟か国連か」とせまったあの問題である。

  小沢代表ははっきり答えるべきであった。

  日米同盟か国連か、という二者択一の問題ではない。

  そういう質問をする事自体が間違っている。

  日米同盟も国連も重要だ。

   しかしより重要な事は、日本の目指す方向を明確に定め、それに向かって自主、自立した外交を取り戻す事である、と。

  そして小沢民主党の大きな問題は、世界に向かって日本がどのような役割を果たすべきかについて、自民党のとの違いが打ち出せない事にあるのだ。

  麻生太郎ははっきりと述べている。日米軍事同盟を最優先する。米国と一緒になって「テロとの戦い」に参戦する。そのためには憲法解釈をあらためて集団的自衛権を行使する。給油活動の継続はあたりまえだ、と。

  それに賛成する国民は麻生自民党に投票すれば言いだけの話だ。その数が多ければ日本はこれからも米国に従属して矛盾を抱えたまま国力を衰退させ、国民生活を疲弊させていくだけだ。

  小沢民主党は、それに対して明確な選択枝を示すべきなのだ。しかしそれが出来ていない。

  それどころか、10月2日の朝日新聞は、小沢代表の10月1日の代表質問を聞いて、米国を別格に位置づける自民党の日米同盟最優先政策と同じだと評価を下した。

  タイミングがいいのか悪いのかわからないが、同じく10月2日の読売新聞は前原民主党副代表のインタビュー記事を載せている。

  この前原という政治家は口を開けば安全保障政策のことしか話さない政治家だ。

  彼が暮らしや経済問題や官僚批判の事をいくら話しても心に響かない。場違いになる。

  その民主党前原が、「国連にすべてを委ねる安全保障は理想論で、現実に即した対応を考える必要がある」と、読売新聞を通じて国民に公言しているだ。

  小沢一郎の曖昧さに対する挑戦だ。日米軍事同盟最優先を明言せよと迫っているのだ。

  壮大な矛盾を抱えたまま小沢民主党は政権交代を狙う。

  それでも政権交代は必要だ。政権交代は不可避だ。

  少なくとも自公政権の継続では日本は救われない。

  政権交代で何かが変わる、その期待を抱かせる。

  小沢民主党に委ねてみよう。

  そして、格差問題の解決や官僚支配の打破や国民優先の政治を実現してもらおう。

  その後で何が残るか。

  国民を二分する大きな政治問題は何か。

  それが、日米軍事同盟問題だ。

  このまま米国の言いなりに日米安保体制を変化させ、強化していっていいのか、という大問題である。

  これこそが吉田茂、白州次郎が取り組み、敗れた問題である。

  63年たった今の日本の政治家、官僚、国民は、自主、自立、日本を思う心において、彼らの足元に及ばないほど後退している。

  

  

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2008年10月01日

真に必要な改革ー最高裁を頂点としたこの国の司法体制を国民の手に


  自衛隊のイラク派遣が違憲であると断じた4月17日の名古屋高裁判決は歴史的意味を持つ。

  それは、単なる違憲判決にとどまらない。

  時の政権が最重要視してきた対米追従政策を、正面から違憲であると断じたのである。

  この判決にとどまらず、最近の司法判断を眺めてみると政府、国家権力に不利になる判決が増えつつあるような気がする。

  今日の各紙は、高松高裁の判決を一斉に報じている。

  すなわち高松高裁は9月30日、愛媛県警の不正経理を内部告発した仙波敏郎巡査部長に対する報復人事を、松山地裁判決同様、「嫌がらせ、見せしめ」と認定して賠償支払いを命じた。

  その少し前の8月25日には、護衛艦「さわぎり」内で自殺した自衛官はいじめが原因であったとする訴訟に関し、福岡高裁は長崎地裁の一審判決を覆し、「上官の言動は違法であり、自殺と因果関係がある」と国の責任を認定した。

  他にも、国を相手取った訴訟について、棄却でなくて原告勝訴とする司法の判決が目につく。

  しかし、これによって世の中が変わりつつあると喜ぶのはまだ早い。

  まだまだまだ不十分だ。

  楽観はできない。

  いつ何時もとにもどって、国民に冷たい判決が再び常態となるかもしれない。

  なぜ司法はここまで国家権力に従順なのか。国民の基本的人権に背を向けるのか。

  その元凶が最高裁判所にあることを私は関係者の言葉から知った。

  すなわち下級裁判所はすべて最高裁の命令で動いている。

  裁判官の人事はすべて最高裁に掌握されている。

  裁判方針が命ぜられ、それに従わない裁判官の人事は、昇給から席次の順位まで最高裁判所に委ねられているという。

  最高裁の方針に逆らう裁判官は給与が増えず、席次まで降格させらfれるという。

  これでは、下級裁判官が正しい判断をしようとも、組織にとどまる限り国にさからう裁判などできるはずはない。

  その最高裁判所は司法官僚で動かされている。

  最高裁判事は国が任免する天下り判事がほとんどだ。

  天下り裁判官によって法廷が構成され、司法方針が決められ、裁判官の言動を縛る。

  かつて私はこのブログで、評論家の屋山太郎の産経新聞「正論」を引用し、社会保険庁長官として年金問題に責任のある厚生労働省OBの横尾和子氏が最高裁の裁判官にとどまっているのはおかしい。そんな最高裁が公正な「法の番人」になれるはずはない、と指摘した。

  この屋山氏の批判のためかどうか知らないが、それからまもなく横尾裁判官は任期を残して急に退任した。

  しかしその後任者として任命されたものもまた官僚OBであった。

  この国に必要な真の改革。その一つが、最高裁を頂点としたこの国の司法体制を国民の手に取り戻すことであることは間違いない。

  

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