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2008年10月31日

根拠なき株価上昇と11月15日世界金融サミットの行方


 ここ二、三日、株価が上昇した。

 あがる理由など何も無い。あれほど実体経済が悪いと騒がれた。

 そしてその事実は何も変わっていない。

 変わったのは急落が下げ止まった株価だけである。それによる安心感だけである。

 悲観色一色だったのが、にわかにバスに乗り遅れるな、という論調まで出てくる始末だ。
 
 10月31日の日経新聞「大機小機」という経済コラムなどは、トンネルの先は明るいなどと根拠なき楽観論を煽っている。

 そうなれば、「儲け損なっては大変だ」、という欲が出る。

 その証拠に、個人が現金取引で株式を買う動きが活発になったという(10月31日)。

 これが株式相場の現実だ。

 株で儲けた人はもっと儲けたい、もっと儲けられると考え、株で損をした人は、今度こそ負けを取り返したいと考える。

 およそ経済的解説など後でつけた解説なのである。

 誰も本当の事は分からない。株価の見通しなどできはしない。

 あるのは儲けるか儲けないか、だけである。

 皆、それで株式投資をしているのだ。

 そんな株取引を、私は否定するつもりは毛頭ない。

 しかし、私はこのまま株価が順調に上がっていって欲しくない。

 それは、今の私には株価上昇で儲けるだけの余裕資金がないから、そう言っているのではない。

 株で儲けた連中が損をするのを眺めて喜ぶような意地悪な根性で言っているのではない。

 むしろ株価が上がっていくほうが皆が幸せになるのだから、それを願うべきであると思う。

 それにもかかわらず、なぜ私が金融危機の更なる深刻化を期待するのか。

 それは今回の金融危機をきっかけに世界経済が新しい体制に脱皮していく事を願うからだ。

 世界金融危機が騒がれていた最中に、ブッシュとサルコジが、緊急金融首脳会議を11月15日にワシントンで開催すると発表した。

 しかし、その後この金融サミットについて報じられることが無くなった。

 この金融サミットで何が打ち出されるのかについての報道がまったく見られない。

 もしこの会議が世界経済の崩壊を食い止めるかどうかの分かれ道となるほどの重要なものであれば、各国はそこで何を打ち出すかについて必死で考え、そして利害調整におおわらわのはずだ。

 いくら極秘裏に準備が進められているといっても、必ずその一端は漏れてくる。

 報道がないという事は、米国金融資本主義を根底から変えるような画期的な政策は打ち出されないということだ。

 これから11月15日までの二週間あまりの間に世界の株式相場がこれ以上下落しなければ、株式取引の規制強化だとか、公的資金投入に関する国際協調とか、IMF財源の強化であるとか、金利引下げとか、今の米国主導の金融資本主義体制を生き延びさせるための方策について語られ、合意される事になるに違いない。

 そうであれば、米国金融支配の終焉などは絵に画いた餅となる。

 100年に一度という今回の金融危機は、今までの金融資本主義の生き残り策で乗り切れるものでははない、新たな世界金融の枠組みが必要になってくる、そう皆が言っていた。書いていた。

 それは嘘だったのか。

 いままでの延長で果たして世界経済は復活が遂げられるのか。これ以上の金融危機はもはや訪れないのか。

 私はそうは思わない。必ず株価のさらなる暴落の時がくると思う。

 これまでの米国金融資本主義が支配する経済体制から、あらたな世界経済の仕組みづくりを模索しないと、安定した世界経済の発展は望めないのではないかと思う。

 世界の首脳にそう思わさせるためにも、さらなる株価大暴落を期待する。
 

 

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2008年10月31日

上田耕一郎氏の死を悼む


  このところ日本共産党がらみのブログが続いているが他意はない。

  今日のブログは、なんと言っても上田耕一郎元日本共産党衆議院議員の訃報について書かねばならない。

  懐かしさと共に悲しい気持ちでこのニュースを私は受け止めた。
 
  私は官僚として多くの国会議員と接してきた。

  本省にあっては国会答弁との関係で、そして在外公館にあっては外遊する国会議員のお世話で、私は主要な国会議員の殆ど接してきた。

  そんな中で、私が好感を抱く政治家は日本共産党の政治家が多かった。

  その中でも上田耕一郎氏は私がもっとも尊敬する政治家であった。

  何よりも国会質問が鋭かった。

  上田耕一郎が質問する時は必死になって質問を聞きに言ったものだ。

  彼が質問する時は、大きな風呂敷に資料をいっぱい詰め込んで、どんな質問が来ても局長を補佐できるように緊張して国会に通った事を思い出す。

  その上田耕一郎はしかし人間的にも立派な人だった。

  国会議員の外遊で上田耕一郎を世話した事がある。

  与野党議員が一緒になって外遊して来る、いわゆる超党派の外遊では、威張るだけが取り得の自民党代議士にくらべ、野党の代議士は一般的に丁重である。

  そのなかでも上田耕一郎は一番謙虚であった。

  それに人間味があった。

  青二才の官僚であった私に、何度も何度も「お世話になります」と言って頭を下げた。

  権力者の悪にはめっぽう強く、下っ端にはこの上なく温かみのある、そんな国会議員が上田耕一郎氏だった。

  混迷する今の政治状況をみるにつけても、なぜか上田耕一郎が懐かしく思えてくる。

  心から冥福を祈りたい。
                                         合掌

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2008年10月30日

護憲派からの正しい自衛隊育成論が必要な時である


 金融危機に関心が集中しているうちに、自衛隊の権限拡充が着実に進んでいる。

 いまの自衛隊は間違いなく劣化している。

 それは守屋次官というトップの、あまりにもひどい実態が明るみになっただけではない。

 その原因究明と改革がうやむやのままに終わった一方で、情報漏洩やテロまがいの爆破未遂事件、最近では相撲部屋も驚くほどの壮絶ないじめまで起きた。

 「組織が壊れていないか」などと社説に書かれるほどだ(10月15日朝日)。

 問題は、そのような壊れた組織が、その組織改革が一向に進まないままに、どんどんと権限を強化し暴走しつつあるということだ。

 最近やたらに産経新聞が防衛省改革の記事を流している。

 たとえば10月23日の産経新聞は、防衛力を整備するあらたな局を新設しそこに自衛官を多数配置するという改革案をスクープしていた。

 また10月30日の産経新聞は、作戦については内局から完全に独立した自衛官中心の統合幕僚監部が全責任を負う体制を整える、そんな案が防衛省改革案に盛り込まれることになった、と報じている。

 これは防衛省のおける制服組の権限拡大だ。

 シビリアンコントロールへの大胆な挑戦である。

 こんな事を許してはならない。

 自衛隊を応援する立場の産経新聞は、このような記事を書いてせっせと自衛隊を応援している。

 自衛隊の復権を意図している。

 このような由々しい事態が進行しているにもかかわらず、護憲派からの声がまったく聞こえない。

 それは護憲派たちが自衛隊に対する関心と認識が不足しているからだ。

 いまでも自衛隊は違憲であるとか、非武装中立などといって、自衛隊から目をそらしている。

 それは大きな間違いだ。

 自衛隊は、たしかに憲法9条が成立した時は存在しなかったし、その立憲趣旨から見れば明らかに違憲だ。

 しかし米国のなし崩し的要求に従って出来た自衛隊は、その後の政治状況の変化と、自衛隊の災害救助活動などを評価する国民がその存在を評価し、受け入れるようになって、事実上自衛隊は今の憲法の下で容認されることとなった。

 そのような現実の中で護憲派が行なう事は、いたずらに自衛隊を敬遠するのではなく、自衛隊の現状をよく学び、自衛隊の動向を注視、監視して、憲法9条の枠の中に自衛隊を取り入れる、つまり憲法9条に忠実な専守防衛の自衛隊に徹するよう、自衛隊と自衛官に求めていく事である。

  いまのような米国の傭兵である自衛隊でいいのか。

  日本を守る事と何の関係も無い米国の「テロとの戦い」のために命を落としてもいいのか。

  日本に敵対しない人々を殺すような事をしていいのか。

  憲法9条に立ち返って、日本の国と国民を守るための誇りある自衛隊に戻らなくていいのか。

  そのための防衛省改革であるはずではないのか。

  そう防衛省、自衛隊に求めていく、それこそが護憲派が今行なわなければならない事である。

  自衛隊を産経新聞が応援するような自衛隊にさせてはいけない。

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2008年10月30日

 「ルールある資本主義」の必要性を強調し始めた日本共産党


 今日10月30日の新聞記事で注目したのは、「共産、経営者に接近」という朝日新聞の記事である。

 知らなかったが、なんでも9月末に、経済情報誌「BOSS」主催の会合に招かれた志位日本共産党委員長は、100人近い企業経営者を前に、

 「新しい民主的な経済体制の下で大企業と共存共栄を図るというのが共産党の立場です」
 
 と述べ、

 「ルールある資本主義の必要性を強調」

 したという。

 驚いた。

 口を開けば大企業の営利主義を批判し、大企業優先の経済政策、課税政策をとってきた自民党を批判してきた日本共産党である。

 その日本共産党の委員長が、「過度な利潤追求を抑えるルールをつくってこそ資本主義は発展する」と経営者に説教したというのだ。

 それを経営者が、「ずっとうなずきながら話を聞いていた」というのだ。

 新左翼の連中が聞いたら目を剥いて日本共産党の堕落振りを罵倒するようなニュースだ。

 しかし私は新左翼ではない。

 私は日本共産党を批判するためにこのブログを書いているのではない。

 それどころか志位委員長の言動を評価したいのである。

 願わくば、派遣労働者の窮状を救うことを党勢の拡大より優先させてほしい。

 党勢の拡大のために蟹工船ブームや派遣労働者問題を利用しないでほしい。

 日本共産党の議席のひとつやふたつを増やすことを優先するのでなく、国民が期待する新しい政党に生まれ変わって欲しい。

 日本共産党の名前をいっそ「人間を使い捨てにしない資本主義を実現する党」などと改称し、「心ある企業家」を含めた幅広い国民から支持されるような新たな政党に脱皮してもらいたい。

 「企業の変革を促していく」だけではなく、「変革した企業の支持が得られる」ような政党を目指して欲しい。

 その歴史的チャンスは今をおいてない。

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2008年10月29日

 老後資金を株に投資する是非についてインタビューを受ける


 私は10月23日のブログで自らの株式投資との係わりあいを書いた。

 もっとはっきり言えば、欲に目がくらんでなけなしの退職金を株ですってしまった恥を告白した。

 別に私が自虐的だからではない。

 株の事について論評をする以上は自分と株のかかわりあいを明らかにして論評しなければ卑怯だと思ったまでだ。

 そのブログに対して思わぬ反応が読者から寄せられた。

 そのうち特に二つの反応について、このブログで読者にお知らせしたい。

 そのひとつは権力の中枢にいた官僚が株で損をするなどということは考えられない。嘘を言っているか、よほどのまぬけか、どちらかに違いない、というものである。

 これには笑ってしまった。

 するどい指摘である。そして私は嘘をついていない。つまり彼に言わせれば私は間抜けだという事だ。

 株で確実に儲ける唯一の方法は、違法でないギリギリのところでインサイダー取引ができる場合である。

 そしてそんな恵まれた事のできる連中が株取引の世界には間違いなく存在する。

 その連中の一部が、国家権力を利用できる政治家や官僚たちである。

 私が株で儲けられなかった理由は、中枢官僚ではなかったからだ。はぐれ官僚であったからだ。

 そして官僚を辞めてからは、およそ国家権力から無縁の生活をしているからである。

 貴重な情報はまったく入って来ないという事である。

 そんな事は、まあ笑い話のような事であるから、ここで止めておくが、もうひとつの反応についてこのブログで紹介したい。

 私は今日(29日)、東京新聞からインタビューの要請を受けた。

 株で損をしたという話をブログで知った東京新聞「こちら特報部」のデスクから、「老後の為に退職金を株に投資することの是非について特集記事を組みたい、その記事の参考に自らの体験を述べてくれないか」、という依頼を受けた。

 肩書きのない私が肩書きを問われた時、私は無理をして自らを外交評論家などと呼称したりする。

 その外交評論家が、まさか株についてインタビューを受けるとは夢にも思わなかった。

 それに、さすがの私も、自らの株の体験、それも失敗の体験を、メディアに話す気にはなれない。

 本来であれば丁重に断る話である。

 ところが、私が愛読している東京新聞の「こちら特報部」のデスクからの依頼である。

 断りきれずに、条件付で応じる羽目になった。

 その条件とは、株は壮大な権力者のインサイダーゲームの世界である。証券会社が儲け、それを指導、監督する国家権力がその上前の一部をピンはねし、そして日本の国家権力の上に米国の金融資本が君臨し、そのまた上前をはねる、この不正義について、この権力犯罪まがいの構造について、何らかの形で言及して欲しい、という注文である。

 その注文が守られるかどうかはわからない。

 それに、私が述べた事がそのまま正確に新聞記事になるかどうかの保証はもちろんない。

 私が評価し、信頼する東京新聞の「こちら特報部」であっても、私が話した内容の一部を、編集方針の都合で利用する事があっても私は驚かない。腹も立てない。

 これまでに応じてきた数多くのメディアへのインタビューを通じて、私はその事を嫌というほど知った。

 メディアへのインタビューに応じるということは、そのようなリスクを知った上で覚悟して応じるということである。

 リスクを承知の上で、こちらもメディアを利用して自分の主張を世に広める、という、ギブアンドテイクの取引なのである。

 果たして「こちら特報部」の記事はどこまで納得行くものとなって一般読者の目に触れるものとなるのであろうか。

 うかつにも私は何日付けの東京新聞の「こちら特報部」に、その記事が掲載されるか聞き漏らした。

 ひょっとしたら明日30日の記事になるかもしれない。

 興味ある読者は注目していただきたい。

 私が強調した事は次の事だ。

 果たしてそれらのいくつかが記事になることであろう。

 「金利ゼロという犯罪まがいの政府の暴政の下で、せめて退職金を堅実な株式投資で運用しようと考える事は、決して責められる事ではない。

  しかし、株式投資にはくれぐれも慎重でなければならない。

  なぜならば、株式投資の現実の世界においては、一般投資家と株式取引の関係者との間で、絶対的な不平等があるからだ。

 ありていに言えば、賭博の世界では胴元が必ず儲ける仕組みになっている、ということである。

 そのハンディと馬鹿らしさを覚悟の上で、株式投資をしなければならない。

 それに今回の金融バブルの崩壊は、株式投資の危険性をまざまざと教えてくれた。

 株式投資はやはりリスクの伴うギャンブルと割り切らなければならない。

 しかし現下の金融危機は、そのような賭博相場の成れの果てでは決してない。

 現下の金融危機の原因は、権力者が詐欺をしていた結果もたらされた異常なものである。

 健全な株式取引を実現するために不正を監視する立場にある国家権力が、不正を黙認していたのだ。

 その結果通常の株式取引のリスク以上の巨額な金融危機が招来される事になったのだ。

 責められるべきは金融資本主義ではない。

 金融資本主義を歪めてしまった権力者の犯罪にある。

 やがて健全な株取引が復活するであろう・・・」

 
  今発売中の週刊朝日は「株暴落をチャンスにかえる!」という特集記事を組んで株購入を勧めている。

  そのせいでもあるまいが、今日29日の株価は大幅に値上がりしている。

  さしたる理由も無いのにである。

  株取引は根拠のないマネーゲームである。

  その原動力は金銭欲だけである。

  株乱高下の理由は、後からトラック一杯分もついて来る。

  そのようなマネーゲームを不道徳といって排斥するのも、自己責任で参加したいと考えるのも、個人の自由であるに違いない。

 そのようなマネーゲームで最低限守られなければならないことは、ルールを逸脱して一部の者が利益を手にするという不公平さを排除するという事である。

 それが守られないところに今日の最大の問題がある。

 欲と道連れの株取引はなくなる事はない。

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2008年10月29日

 これが国会質問の現実である


 28日の参院外交防衛委員会で行なわれた二つの質問に焦点をあわせ、国会質問のあり方、国会議員の役割について考えて見たい。

 ひとつはカップめんの値段を聞かれて麻生大臣が400円ぐらいではないか、と応えた質疑応答である。

 私はこの質疑を実際に聞いていたわけではないが、今日29日の新聞で一斉に報じられて知った。

 メディアの論調は一様に麻生首相批判のそれであった。

 すなわちホテルの高級バーに連日通うような大金持ち麻生首相が、秋葉原で街頭演説したり、スーパーを訪れタクシー運転手に景気はどうかとたずねてみても、カップヌードルの値段ひとつ知らないではないか、何が国民目線だ、という論調である。

 しかし、私はこのようなメディアの論調よりも、29日のテレビ朝日「やじうまプラス」でコメンテーターのやくみつるや大谷昭宏が言っていたほうに、より共鳴を覚える。

 それは、いやしくもテロ給油法の是非を審議する外交防衛委員会である。カップヌードルの値段を総理に聞くような質問を国会議員がしている場合か、という意見である。

 テロ給油法延長の適否については、アフガン情勢の現実を質すことからはじまって、給油の流用疑惑(この問題はいつまでたっても解明されないままである。28日の朝日新聞では、ソマリア近海で海賊対策をしている米海軍に給油していることまで明らかになっている)、米国のテロとの戦いに協力することの憲法違反性など、聞くべき事はやまほどあるはずだ。

 質問者である民主党の牧山弘恵という一年生議員の事を私は知らない。あるいは彼女は他にもっと重要な質問をしていたのかもしらない。しかしカップヌードル質問で麻生首相の庶民性の嘘をあばいてみせたといって点数を上げたと評価されてはたまったものではない。

 もうひとつの質問はひげの隊長こと元陸上自衛隊一佐の佐藤正久議員の質問である。

 彼の質問は、外交官の殉職と自衛隊の殉職の場合に補償額に差があるのはおかしいではないかというものであった。

 自衛隊とその家族百万人の代表として自民党全国比例区から立候補した時点で彼の当選は約束されていた。

 そして当選した暁には、およそ国民の利益などには目もくれず、もっぱら自衛隊の利害を一手に引き受けて国会質問を繰返す。これでも国会質問であり、彼もまたれっきとした国会議員なのだ。

 国会質問を聞いていてつくづく思うことがある。

 何のための質問か。誰のための質問かと。

 ごく一握りの政治家を除いて、ほとんどの政治家はその役割が限定されているのだ。

 選挙で当選した時点でその役割のほとんどを終えている数合わせの政治家、

 特定の利益集団の支持を得て国会議員になり、その利益集団のことばかりに奔走する政治家、

 そんな政治家がなんと多い事か。

 そんな政治家でも国会質問が許される。

 そんな議員の質問に国会審議が消費される。

 ただでさえ質問時間が限られている共産党、社民党の議員に少しぐらい時間を分けてやってはどうか。

 そうすれば国会審議は少しは活発化する。少しは意味のあるものになる。
 

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2008年10月28日

日本の対アジア外交の限界


 米国発の行過ぎた金融資本主義が破綻しつつある現在において、メディアにあらわれる論調には、米国一辺倒の日本のありかたに疑義を呈するものが目につくようになった。

 しかし、私はそのような論調が日本において主流になっていくとは思わない。

 まして日本の指導者たちが、そのような政策に舵を切るとはとても思えない。

 それほどまでに日本の外交姿勢は対米一辺倒に終始してきたのだ。

 そしてそれを日本国民も、積極的にせよ、消極的にせよ、支持してきたのだ。

 しかし、もしも、という過程の話をすれば、の話である。

 もしも日本が、世界最大の援助国を誇っていた80年代のはじめ頃に、本気になってアジア諸国の経済、技術の発展に貢献していたのならば、そして、アジア諸国の経済、技術力の発展は日本の利益にもなるという認識の下に、本気になってアジア諸国民の生活の向上に貢献し、アジア諸国の国民から尊敬と感謝をもって受け入れられるような国となっていたならば、どうだったか。

  アジア経済圏の経済力を背景にして、危機の痛みを最小限におさえる事ができたかもしれない。

  アジア円経済圏や世銀・IMF体制に代るあらたな経済体制の構築に、踏み出す可能性を考えること ができたかもしれない。

  しかし現実の日本のアジア外交ははそうではなかった。

  アジア重視という言葉とは裏腹に、日本のアジア外交もまた対米従属外交の前に、アジア諸国を裏 切ってきた外交でもあったのだ。

  この事を小倉和夫国際交流基金理事長が10月20日の朝日新聞で次のように述べていた。

 「 ・・・明治時代から1930年代までの日本外交では富国強兵のために帝国主義諸国との協調が重んじられ、アジアの中での強国の地位を追いかけ過ぎた結果、アジアの民衆運動に背を向けたのみならず、英米の主導する国際秩序の変更を軍事力で追求した結果、アジアの民衆に被害と屈辱を与え、国際社会から糾弾された・・・
  第二次大戦後、日本は、アメリカの世界戦略に協力する形で、アジアと向かい合った。日本外交はアジアの民衆よりも、相手国政府の戦略とアメリカのアジア政策と連携した。
 アジアのいくつかの主要国が、非同盟主義や第三世界の経済論理を主張するとき・・・日本はいつも「西側」の陣営からものを見ていた。
 アジアの国の発展が軌道にのり、何人かの東南アジアの政治指導者がアジア的価値に基づく経済発展と政治的成熟への論理を持ち出したとき、日本の政策当局は白い目を向けた。国民の大多数も、アジアよりは、アメリカを向いていた。
 近代において、日本の国民とアジアの民衆との間に、真の連帯意識が生まれたことは、一部の人々を除いて存在しなかったといっても過言ではない・・・」

 小倉和夫氏は外務省の幹部職を歴任し、国際交流基金理事長に天下った外務官僚である。

 その小倉氏は、現職の時にこのような意見を公言し、対米一辺倒の外交を変えようとした事はなかった。

 その小倉氏が外務省OBとなった今、このような事を言ってみても、外務省の対米従属外交は微動だにしないであろう。そこに矛盾と限界を見る思いだ。

 
 

  

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2008年10月27日

「海賊退治に自衛隊派遣」を提案した民主党


 私にも遠慮はある。

 民主党批判をしていいのか、という遠慮である。

 それは私が政権交代をすべてに優先するからだ。

 それに、民主党批判をすれば直ちに批判のメールが届く。

 批判など気にしないと強がりを言っている私であるが、やはり批判されると考えてしまう。

 それでも私には譲れないものがある。

 それは憲法9条を守る事こそ最強の安全保障政策であるという、私がたどり着いた確信に反する事である。

 憲法9条否定につながるいかなる政策にも、私は異を唱える。

 10月17日の衆院テロ特別委員会で民主党の長島昭久や浅尾慶一郎が海賊対策に自衛隊を派遣しろと提案したらしい。

 私はその答弁を聞いていなかったので、後日新聞報道などで知った。

 これはとんでもない提案である。

 そもそも海賊対策に自衛隊を派遣するなどということは自衛隊法の想定するところではない。

 もちろん憲法9条の恣意的な拡大解釈という危険性がある。

 ご丁寧に鳩山由紀夫民主党幹事長は18日の広島呉市で講演し、海賊対策での海上自衛隊派遣に向けた新法に理解を示した発言をしている。民主党政権が発足した暁には、本格的に法律の制定を検討すると言ったらしい(10月19日産経)。

 そういえば鳩山幹事長は、かつて、平沼赳夫のグループと連携したいという発言までしていたことがあった。それを知ったときわが耳を疑ったものだ。

 私が情けなく思うのは、この「海賊退治に自衛隊派遣を」という考えが、憲法で期待されている専守防衛の自衛隊の責務に基づいて周到に考え抜いた末の提案ではなく、インド洋での給油活動に反対するだけでいいのか、国際貢献から背を向けて政権担当の資格があるのか、と自民党から責められて、海賊対策で批判をかわそうとする、底の浅いその場しのぎの思いつき提案であるということだ。

 更に言えば、その根本には、国連決議があれば自衛隊をアフガンに派遣できると言った憲法違反の小沢党首発言を撤回できない、民主党の矛盾がある。そこを衝かれればたちどころに窮してしまう民主党のトラウマがある。

 ましてやソマリア沖の海賊退治に自衛隊を派遣するなどという事はとんでもない危険を孕むのだ。

 それを軍事ジャーナリストの田岡俊次氏が今日発売の週刊アエラ(11月3日号)で見事に言い当てている。

 ソマリア沖で最近跋扈する海賊問題の責任の一端は米国にある。

 親米のエチオピア軍がソマリアに侵攻し、首都モガディシオを制圧したイスラム原理主義勢力を制圧したため、イスラム原理主義勢力がゲリラ戦で抵抗し、巻き返しをはかりつつある。

 海賊が激化したのは、ゲリラ側が軍資金を調達しているという側面もある。

 つまりアフガニスタンで麻薬を厳禁したタリバン政権を倒して、アフガンをアヘンの増産に走らせ構図と同じだと田岡氏は解説してみせる。

 そうだとすれば、それはイスラム原理主義政権を倒した米国の「後始末」をさせられることでもある。

 反米テロとの泥沼の戦いにのめり込む事になる。

 一度護衛艦や哨戒機を出せば、海賊を撲滅するまで続けざるを得ない。

 そんな覚悟が民主党にあるのか。

 民主党は、政局におぼれた自らの提案の軽率さを、真摯に反省すべきである。

 

 

 

 

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2008年10月27日

政界大連立の前に大手新聞の大連立が進む

 
 昨日(26日)のブログで、リベラル紙の雄であるはずの朝日新聞が、ついに消費税増税を社説で訴えるようになった、と書いた。

 それに驚いたと書いた。

 しかしもっと驚くことがある。

 大手新聞が消費税増税で大連立を組んだ事を改めて知った。

 27日の読売新聞が、その社説で、朝日新聞とまったく同じ消費税増税論を掲げている。

 すなわち、

 少子高齢化で膨らむ一方の社会保障費を賄うには消費税しかないことははっきりしている、

 与野党とも衆院選に向けて財源論を避けてきた中で、(麻生首相が)消費税に正面から取り組む姿勢を示したことは大決断だ、

 政府・与党は消費税引き上げまでの明確な行程表を作り上げ、国民に示すべきだ、
 
 民主党も明確な財源を示し、与党と政策論争すべきである・・・と。
 

 朝日新聞の社説と見事に一致している。

 こんな馬鹿な事はない。財源不足をいたずらにあおり、その対策には増税しかないという。

 これは政治ではない。政策ではない。単なる官僚の無策の追認である。鸚鵡返しである。

 要するに、今の朝日も読売も、強者の論理、官僚の論理と、その上に乗って日本を動かしてきた政府・与党の論理を主張しているに過ぎない。

 読売新聞が政府擁護の記事を掲げる事には驚かない。

 しかしそのライバル紙としてリベラル派の雄を誇ってきた朝日新聞の、この保守化、官僚化はどうだ。

 もはや日本にはジャーナリズムというものが失せ、メディアが政府の御用新聞と化しつつあるかのようだ。

 これは危険だ。

 見ているがいい。

 次は安全保障政策である。

 そのうち朝日も読売と同様に、今のままの憲法で果たして国が守れるのか、と言い出すに違いない。

 だめになったからといって、それでも米国に代って信頼できる国が世界広しといえども他にあるというのか、と言い出すに違いない。

 政治の世界では保守二大政党による大連立がすすむと危惧されている。

 しかし、それに先駆けて、すでに大新聞の大連立が進みつつある事に気づかなければならない。

 

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2008年10月26日

消費税増税をけしかける朝日新聞


 10月25日の朝日新聞の社説「消費税アップ、麻生首相は本気を示せ」には驚かされた。

 ここまで国民生活が苦しめられているのに、消費税増税を麻生首相に要求している。

 きっかけは、麻生首相が新総合経済対策に消費税率の引き上げを含む税制の抜本改革を指示した事にある。

 少子高齢化で膨らむ社会保障の財源については、具体的なスケジュールを描き、負担増について国民に訴える、もし麻生首相の指示が言わんとしているところがそうであるなら、その言やよし、である、と書いている。

 その上で、小泉、安倍、福田政権は、いずれも、税制の抜本改革を言いながら結局は先送りしてきたから、またみせかけの公約で終わるのではないか、と心配しながら、

 「(麻生)首相は本気かもしれない。増税論を語らない民主党とここで差をつけ、責任政党として存在感を示すというのなら、それは王道だろう」

 とまで言う。「王道である」とまで言うのだ。

 そして、

 「この際、首相に提案したい。増税の時期と引き上げ率などを具体的な行程表にして総選挙に臨み、勝てばただちにそれを法律で定めると約束することだ」

 とけしかける。

 ひょっとしたらそうけしかけて、総選挙で自民党を大敗させ、民主党への政権交代の援護射撃をしているのではないのか、と思いたくもなるほどである。

 しかし、どうやらそうではなさそうだ。

 朝日新聞は財政再建のためには増税やむなしと本気で考えているらしい。

 「社会保障の負担をどのように分かち合っていくか。当面の経済失速を防ぎつつ、財政も再建していく」、そのために増税は必要であると言い、「消費増税を否定する民主党にも、説得力ある税制論、財源論を求めたい」、と締めくくっている。

 さすがは官僚と仲良しの朝日新聞である。財務官僚が泣いて喜びそうな社説だ。

 しかし、今必要な事は、官僚と仲良くすることではない。

 官僚的発想から脱却しなければ日本の未来はないという認識である。

 国民から吸い上げた富をすべて米国金融資本に貢いできた官僚の政策が、米国金融資本主義に崩壊とともに破綻した。

 これ以上対米従属を続けていれば国民生活は本当に殺されてしまう。

 これは嘘でも誇張でもない。本当の事なのだ。

 「今は未曾有の緊急事態だ。米国からの防衛装備購入を凍結して社会保障にまわす、あるいは、政治家を半減し、公務員の新規採用を当分見送って、浮いた人件費を減税の財源にまわす、そういった、およそ財務官僚の発想から決別した予算編成を、今こそ行なう時である」、

 朝日新聞にはそれぐらいの社説を書いてもらいたかった。

 
 


 

 

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2008年10月25日

ポール・サミュエルソン教授の言葉


 10月25日の朝日新聞に経済学者ポール・サミュエルソンのインタビュー記事が載っていた。

 なつかしい名前だ。

 もう40年以上も昔の話になるが、その著書「経済学」を、大学生になったばかりの私は教科書の一つとして読んだ。

 その内容はすっかり忘れたが、その後まもなくノーベル経済学賞を受賞したサミュエルソンの名前は、ケインズの名前とともに、いまでも鮮やかに蘇る。

 今はマサチューセッツ工科大学名誉教授である今年93歳となるポール・サミュエルソン教授は、朝日新聞編集委員の小此木潔氏インタビューに、現下の金融危機について述べている。

 かつての教科書の先生の言葉として、私はこれを学生時代にもどってなるほどと思って読んだ。

 そのさわりの部分を以下に紹介してみる。

 ・・・今回の危機は大恐慌以来、最悪の危機であることは間違いないが、これは避けられた危機だ。ブッシュ大統領がクリントン大統領から政権を引き継いだとき、経済は健全であり、財政は黒字ですらあった。
    ブッシュ大統領が掲げた「思いやり保守主義」は、億万長者を作り出すには役立ったが、中流以下の人々には優しくなかった。その結果、米国の人々の生活は厳しさを増した。
    イラク戦争と並んで、これがブッシュ大統領の不人気の理由であり、米国の歴史において最悪の大統領として名をとどめることになるだろう・・・
    「億万長者への思いやり」とは、たとえば証券取引委員会(SEC)の委員長に、能力が低く利益相反の危険がある人物をわざと採用して、市場への監督と規制を緩くしたということだ・・・
    「悪魔的でフランケンシュタイン的怪物のような金融工学」が危機を深刻化させた。そのもとで、信じられないほど激しいレバレッジが横行した。人々は自分が何をしているのかがわからなくなってしまっていたのだ。
    グリーンスパン議長が95年ごろからはじまった株式市場のバブルに対策を講じなかったことも、惨状を招いたひとつだ。
    これらの背景には、81年に就任したレーガン大統領が力を注いだ「右傾化」がある。
    我々が「極右サプライサイド(供給重視)経済学」と呼ぶ路線をとった。それが、「悪い規制緩和」や「無能な人物の登用」といったブッシュ路線に引き継がれた・・・
    この危機を終わらせるためには何が有効なのか。それは「赤字をいとわない財政出動」だ。極端に言えば、紙幣を増刷してばらまくような大胆さで財政支出することだ。
    大恐慌を克服したのは戦争のおかげだという人がいるが、そうではない。当時私はシカゴ大学の学生だったが・・・周囲では3人に1人以上が失業していた。それほど高かった失業率を一桁まで減らしたのは33年に就任したルーズベルト大統領の政策だ。それは戦争前のことだ。
    ルーズベルトがとった政策は、赤字財政であっても、公共事業や農業支援計画を通じた巨額の支出だった。それが資本主義を救った・・・
    戦前のフーバー大統領は、ケインズをマルクス主義者呼ばわりするような人物で、恐慌克服になんら有効な手を打っていなかったことが響いた・・・
    現在の危機は米国民の生活を脅かしており、来月の米大統領選挙に影響を与えるのは確実だ・・・米国政治における民主党の歴史的復権が実現する。これはレーガン時代以降続いた共和党主導の政治を大きく変えることになる。ブッシュ政権の大きな失政を機に民主党優位の時代がはじまる・・・
    しかし、現在の危機が解決したとしても米国の将来はなお厳しい。レーガン政権が誕生した81年ごろから続いてきた経常収支の巨額の赤字が、10年後には一段と深刻な問題になってくるのではないか。
    懸念されるのは、ドルからの逃避、それも無秩序なかたちの逃避がおこるのではないか。それが起こったときには、外国人が米国市場から資金を引き揚げるだけでなく、米国のヘッジファンドが先頭に立ってドルを売り、外国通貨を買う事態になってしまうだろう。
    もっとも、今は家が火事になっているような時だから、そんな先の心配をすべき場合ではないのだが・・・

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2008年10月25日

誤りを認めたグリーンスパンとグリーンスパンを謝らせた米下院公聴会

 
 このところ経済関係の報道は世界金融危機一色だ。

 それほど深刻な事態ということだ。

 しかし、その危機は突然起きたものではない。

 もとをたどればレーガン時代の新自由主義、いわゆるサプライサイドの経済政策から端を発していた。

 そして、ブッシュ大統領の8年間の富裕層に優しい保守主義こそ、今日の金融危機への行き着く先であった。

 皆が漠然とした不安を感じならが、儲けに乗り遅れまいと走ったのだ。

 そんな中で、その流れに逆らう言説を言う事は勇気のいる事だ。

 たとえ警告を発しても異端視されるのがオチだっただろう。

 そうだ。今の金融危機は皆がもたらしたものなのだ。

 それに、危機が現実となった今となっては、その対策を考える事が最優先さるべきだろう。

 責任者は誰だ、そいつを罰しろ、と叫んでみたところでむなしい。

 それはその通りである。

 しかし、同時に、真の再生の為には、何が誤りだったのか、その責任の所在を明らかにすることはやはり重要であろう。

 23日の米下院公聴会で、もの凄いやり取りがあった。24日の産経と朝日が詳しく報じている。

 ワックスマン委員長(民主党)が、18年半という史上最長の任期をつとめたグリーンスパン前FRB議長に対し、「金融市場の規制緩和の支持でもっとも影響力があったあなたは、間違っていたのか」と容赦ない質問を浴びせた。確答をさけるグリーンスパンに、最後は「イエスかノーか」と詰め寄った。

 そしてグリーンスパンはついに次のように自らの誤りを認めたのだ。

 「金融機関が自己利益を追求すれば、株主を最大限に守ることになると考えていた。私は過ちを犯した」

 グリーンスパン一人の責任にするのは酷だろう。

 大統領選挙を控え、彼がスケープゴートにされたという側面もあるかもしれない。

 しかし、やはり彼は最大の責任者の一人であることは間違いない。

 それにしても、と思う。

 金融政策のマエストロ(巨匠)と異名をとった米経済界の重鎮が、その老体を前にして、それまでの名誉をかなぐりすて、ここまで潔く自らの誤りを認めるとは。

 その一方で、その重鎮をここまで追い詰めることのできる米国議会の公聴会と、つねに追及不足、消化不足のわが国の国会質疑の、彼我の違いの大きさはどうか。

 今からでも遅くない。国会は小泉5年半の経済政策の責任を国民の前で徹底的に検証すべきではないのか。

 野党が政権交代を本気で求めるのなら、この金融危機を前にして、今日の日本の経済困窮をもたらした小泉改革の徹底検証こそ、最強かつ最善の選挙対策に違いない。

 

 

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2008年10月24日

米軍駐留に対する日本とイラクの違い

 
  国会論戦ではほとんど取り上げられる事はないが、米軍のイラク駐留の法的根拠をめぐって米国は今窮地に立たされている。

  現在の米軍のイラク駐留の根拠になっているのは今年末までとしている国連安保理決議である。

  そして米国は来年(2009年)以降の根拠を、国連安保理決議の再議決や延長ではなく、イラクとの米軍駐留地位協定へ切り替えようと、はやくからイラクと交渉を重ねてきた。

  なぜか。それは米軍を、一時的な戦時占領軍から常註のイラク駐留米軍に切り替えたい為だ。

  それはあたかも日本における米軍が、連合国占領軍から米国駐留軍へ、なし崩し的に切り替えていった事と同じである。

  その地位協定交渉で米国がイラクの反対にあって難渋している。

  その理由は、一つには治安権をイラクに渡した後もイラク政府との話し合い次第で米国軍が長期にわたってイラクに駐留できるよう米国が求めていることにあり、もう一つは傭兵を含めた米国駐留軍に治外法権を与えるよう、イラクに求めているからである。

  イラク国民はこれを認めようとはしない。

  バクダッドでは連日大掛かりな反米デモが起きるほどに至っている。

  マリキ傀儡政権もさすがに米国に譲歩できないでいる。

  米国も手を焼いている。

  イラクで繰り広げられるこの光景を見ながら、私は米軍駐留に対する日本とイラクの彼我の違いを感じざるを得ない。

  おりしも10月24日の各紙は、日本に駐留する米兵の犯罪について、日米間の地位協定では裁判権を日本に認めたにもかかわらず、裁判権を放棄していた密約あった事実が、米国立公文書館で公開された文書で明らかにされた。

  それにもかかわらず日本政府はいつもの如く密約の存在を否定し続ける。

  国民はそのような日本政府の欺瞞にも憤るところはない。

  結局このような矛盾を許しているのはメディアである。

  真実を国民の前に提供する事がその使命であるはずの新聞が、読売、産経、日経に至っては、この密約発見の記事を見事に黙殺している。

  米国にとって日本は世界でも稀有なほど従順な国であるに違いない。

  失敗ばかりしてきた米国の外国占領政策の中で、成功した例として米国が日本占領を事あるごとに引用する理由がそこにある。
 

 

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2008年10月24日

 きんもくせいの香りと一抹の哀しさ


 いい文章に出会った。

 このブログで時々とりあげている、野坂昭如の毎日新聞連載「七転び八起き」の10月24日の書き始めの文章だ。

 「玄関先に金木犀が散り敷いている。
  昔飼っていた犬ジジがこの花が好きだった。
  彼女はハスキー犬。
  庭をかけめぐり、この季節になると柿を眺め、色づいたそれを好んで食べていた。
  金木犀の木のそばで番をしているように動かない。
  いつしか小さな花が頭に積もり、まるで花かんむりだった。
  ジジはある日、ふらりと家を出たまま帰らなかった。
  金木犀を見ると彼女を思い出す」

 何度もこの文章を読みながらその光景を頭に描いてみた。

 夜遅く一本の電話を受け取った。

 警察の裏金告発をして世の中を騒がせた愛媛県警の仙波敏郎巡査部長からの電話であった。

 彼の名誉挽回のため仙波さんを支え続けた元産経新聞記者の東玲治さんが急死したという。

 「来年の三月に仙波さんが無事定年退職できればお祝い会を盛大にやるから愛媛まで来てほしい」、「喜んでかけつけたい」、そう電話で話し合ったばかりであった。

 仙波さんの名誉が回復された事を見届けるかのように逝ってしまった。

 電話の向こうで、号泣した後に冷静を装って電話をかけてきたに違いない仙波さんの姿が浮かぶ。

 世の中はままならない。

 しかし、それでも我々は生ある限り生き続けていかなければならない。

 そんな時、いい文章に出会うと心がなごむ。

 金木犀の花かんむりをいただいたジジの姿を空想してひとり微笑んでみる。

 喜びも哀しみも生きているあかしだ。

 生きている限りそれを乗越えて行かなければならない。

 
 

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2008年10月23日

まちがいなく総選挙どころではなくなった

 株価暴落がいよいよ深刻になってきた。もはや総選挙どころではなくなりつつある。

 株の問題を語るには、自らの株とのかかわりを述べなければフェアではないので、恥を忍んではじめに告白しておく。

 私は退職金の殆どをここ数年の株価下落で失った。

 金利ゼロの下で、定職のない自分が資産を増やす手っ取り早い方法は株ぐらいしかない、そう安易に考え、資金をつぎ込み、損を重ねた。

 だから今回の株暴落に際してはもはや失うものはほとんどない。おかげで心配することもない。

 そういう自らの事情を白状した上で、株暴落と日本のこれからについて一言書いてみる。

 先日講演で地方に出かけた時、乗り合わせたタクシーの運転手が向こうから語りかけてきた。

 「お客さん、お仕事ですか」

 「まあ、そんなところです」

 「商売がうまく行くといいですね」

 そういう会話ではじまったやり取りの中で、そのタクシー運転手は話してくれた。

 なんでも彼は山一證券の社員であったが、倒産してふるさとへもどりタクシーの運転手をはじめたという。

 その元証券マンが、こちらが聞きもしないのに、「もう時効だからいいでしょう」と前置きをして次のように語った。

 「証券マンの頃にはインサイダーで随分儲けさせてもらいましたので、失職しても文句は言えませんわ・・・」

 これが現実なのだ。

 また、別の元証券マンはかつて私にこう語ったことがある。

 なけなしの老後資金を騙し取るような仕事をさせられ、入社した時はこれでいいのかと良心の痛みを感じたけれど、すぐに麻痺するようになった、と。その一方で、大口投資家には一般投資家から巻き上げたカネで損失補てんをしてきた、と。

 このようないかさまの本尊が米国証券業界であり、そのアダ花がサブプライムローンだったのだ。

 10月30日の週刊文春の立花隆「私の読書日記」の中で、「サブプライムを売った男の告白」(ダイヤモンド社)について彼が次のように書評している。

 ・・・「こんなローンを扱うのは道徳感の低い人間か、頭がどうかしている人間だろうと」思ったというくらいそれはひどい金融商品だった。そこには業界全体が詐欺師集団のような騙し合いの世界だった・・・

 その詐欺師集団に世界中の金融機関が集った。その金融機関に世界中の一般投資家が騙された。

 そして今詐欺師たちが自らのゲームに敗れて慌てふためいている。

 彼らはこれからあらゆる方便を弄してこれ株価の下落を防ごうとする。

 それを期待する証券会社が、株価は異常な安値だといい、今が底値だといい、不安に駆られた一般投資家が、心配を払拭したい一念でそう期待する。

 しかし株価暴落にともなう企業収益の悪化が発表されるのはこれからだ。

 それにともなって実体経済が打撃を受けるのはこれからだ。

 その事は隠しようがない。

 それでも株価が下がらなければ、その株価はいかさまで支えられた株価だということだ。

 そのうち必ず下がる。

 10月22日の毎日新聞で鹿島茂という仏文学者が、1929年にはじまった大恐慌を振り返るガルブレイスの次の言葉を引用して、「私は間違いなく今回の金融危機は大恐慌の再来だと答える」と書いている。

 ・・・1929年の大暴落の際立った特徴は、最悪の事態がじつは最悪ではなく、さらに悪化し続けたことである。今日こそこれで終わりだと思われたことが、次の日には、あれは始まりに過ぎなかったとわかるのだった・・・」

  10月23日の東京新聞「社会時評」で作家高村薫も書いている。株価も景気もいつかは回復するはずだという薄い期待をもちつつ息をひそめてみても、そもそもマネー経済というアメリカの基軸が消失した世界では、これまでのような株価の回復はあるはずはない、と。

  今日23日の日本の株式市況は近年の最低株価をさらに下回った。

  株を抱えた一般国民にとってはもはや総選挙どころの話ではない。

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2008年10月22日

 ブログへの批判に応えて


 このブログに寄せられる声はほとんどが好意的なものであるが、勿論批判的なものもある。

 ただし、その数は極めて少ない。

 しかし、最近は、少ないながらも、批判的な声が増えてきた。

 これも、政局が流動的で、選挙が近づきつつあるからかもしれない。

 その事について少しだけ私の思いを述べてみたい。

 私は投稿にはいちいち個別的に返答をしない事にしている。

 だからこの際、一般論の形で私の思いを書くことでいささかなりともその返答に代えたい。

 その返答は、そのまま私のブログの基本的姿勢でもある。

 まずネット右翼というカテゴリーからと思われる批判がある。

 これは、死ねとか、馬鹿とか、お前は何者だとか、といった単純な罵声であり、不思議なことに自公政権や外務省批判を行なうと、寄せられる。

 しかしこれは単純な罵声だけであるから意に介さない。

 むしろ私には右翼と心情的に近いところもあり、中には共鳴できる意見もあるので、ありがたく批判を傾聴させてもらっている。

 その他の批判的な声は、特定政党のシンパと思われるものからだ。

 日本共産党の批判をすると、てきめんに反発の声が寄せられる。

 これについては残念に思う。

 政策的には私は日本共産党のそれともっとも近いと思っている。

 唯一私が相容れないのは、共産主義体制を目指すところと、自由な意見を封ずる「民主集中制」である。

 これは私の信念に反するものであるので、仕方がない。

 日本共産党がこの二つを捨てて、国民のための政党となるのなら、まさしく私のめざす政党である。

 日米軍事同盟がますます強化され、憲法9条が踏みにじられようとしている日本を目の前にして、日本共産党が、ひろく一般国民から支持される政党になることを期待するのみである。

 批判の中で一番多いのは、明らかに民主党支持者からと思われる批判である。

 それは一口で言えば、ここまで来ているのであるからまず政権交代をすべてに優先すべきだ。それなのに水をさすような民主党批判はやめろ、というものである。

 私は、このブログで繰り返し書いているように、政権交代を最優先しているし、だからこそ民主党を応援してきた。

 しかし、私は政治家でもなければ特定の政党に属している政治活動家でもない。ましてや民主党に迎合して安易に政治家になろうとしているわけではない。

 私は、このブログで繰り返し書いているように、今のままの既存の政党、政治家では、日本を根本的に正しい方向に変える事はできないと思っている。

 その意味ですべての政党、政治家から自立し、一切の貸し借り、しがらみは無い。

 だからこそ自分の思いをそのまま書けるし、書いている。

  それでも私は既存の政党の中では民主党に頑張ってもらって政権交代を実現してもらいたい。

 そして、それでも私の気持ちは揺れ動くのだ。

 たとえば次のような事実を知ると、それでいいのか、と思ってしまうのだ。

 10月21日の毎日新聞の記事からの引用である。

 ・・・自衛隊の海外派遣に絡み、民主党の小沢一郎代表が「国連決議があれば海外での武力行使は可能だ」と主張している事に関し、民主党の直嶋正行政調会長は20日の衆院テロ・イラク支援特別委員会で「民主党が政権を取ればそういう方針で作業に着手する」と述べ、政権交代後に必要な法整備をすることにより、政府の現在の憲法解釈を実質的に変更する考えを示した・・・

 もしこの記事が正しければ、私は民主党を支持する事はできない。これでは自民党との大連立だ。

 いくら政権交代をすべてに優先するといっても譲れない一線は、私にもある。

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2008年10月22日

八百長相撲と裏金づくりに共通するもの

 10月22日の産経新聞「断」というコラムでスポーツジャーナリストの二宮清純氏が八百長相撲の問題について次のように書いていた。

 ・・・どこが「無気力相撲」であるか否かを判断するのか。現役の親方衆の集まりである「相撲協議監視委員会」がこの任務を負う。要はこの委員会がしっかりしていれば、毎度毎度の八百長騒ぎにファンまでもが付き合わされる事はないだろう・・・委員が身内の親方衆で占められているようでは世間からの疑惑の視線を払拭することはできまい。(監視委員を外部から登用するぐらいの)思い切った事をやらなければ土俵にかかった霧は永遠に晴れない。たとえ講談社との裁判に勝ったとしても・・・

 この記事を読んだ時、私は今世の中を騒がせている公金裏金問題の事が頭に浮かんだ。

 今回の地方自治体の裏金は、会計検査院の指摘によりもはや地方自治体自身も認めざるを得なかった。しかし裏金問題疑惑は警察や検察にまで蔓延している事が報じられて久しい。

 それだけではない。社会保険庁の記録改ざんをはじめ今日次々と明らかにされる公官庁の不祥事は、つまるところは組織的犯罪疑惑である。

 相撲界の八百長疑惑と裏金不正使用など公官庁の犯罪疑惑の共通点はどこにあるか。

 それは、もしそれが事実であれば、いままでの通念が根底からひっくり返る事になるという問題の大きさ、深刻さにある。

 我々はいいように騙されていたという問題の衝撃度にある。

 実際のところこの問題に白黒をつけるには容易ではない。

 長年にわたり、あまりにも多くの責任者が関与してきた事により、組織全体、国家体制全体を、罰しなければならないからだ。

 もしそれを本気で行なおうとすれば、たとえば米国の司法取引のように、罪を免除するかわりにあらゆる権力を放棄させる、つまり権力構造を総入れ替えする、という平和的革命しかない。

 しかし、権力者は死んでも権力を手放そうとしないだろう。

 権力内部関係者の間による裁定で、物事を曖昧にしたまま、一部の者の処罰で幕引きしようとするであろう。

 革命は尋常のことでは起こらないのだ。

 この深刻な問題について、白黒つけろと私は今ここで叫ぶ気にはなれない。

 何かにつけて権力の悪をあしざまに批判する私にしては、豹変したかのような歯切れの悪さである。

 それを承知でそう言っている。

 出来るものならすべての責任者を処罰、追放したい気持ちだ。

 しかし、一人の人間がそう主張する事は、あまりに大きな問題である。

 権力者の自発的反省と彼らの良心に訴える事しかないのだろうか。

 ただここでひとつだけ書いておきたい事がある。

  それは、本気で最後まで巨悪を追及する意思も覚悟もない野党やメディアが、内部告発者をやたらにメディアに登場させ、追及ごっこを繰り返す事だけは辞めるべきだ、ということである。

 ただでさえ自分を厳しい状況に追い込んだ内部告発者である。

 彼らの名誉回復とその後の人生に何もしてやれることもないのに、利用するだけではあまりにも残酷である。

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2008年10月21日

ここまで劣化していた北朝鮮外交

  米国が北朝鮮をテロ指定国家から解除した事について、私はその後の報道のすべてに目を通したつもりである。

  そしてそれらの報道は一様に日本外交の敗北を書き立てている。

  いわく日本は最後まで解除しないよう米国に懇願していた、いわく日本は最後まで日米同盟の信頼関係を信じていた、いわく「指定解除」という米メディアの記事を誤報だと決め付けていた、などなど。
  それにもかかわらず米国は指定解除した。しかもその一報を指定解除のわずか30分前に電話通報しただけである、と。

  これが事実であれば確かに日本外交は敗れたことになる。

  5年前まで外務省につとめていた私にしてみれば忍びがたい事である。

  それに、少なくとも自分が勤務していた頃の外務省は、多くの問題を抱えていたとしても、ここまで情けない外務省ではなかった。ここ数年で外務省に何が起きたのか。

  この外務省の劣化振りについて報道する驚くべき記事を見つけた。

  発売中の週刊朝日10月31日号でフリージャーナリストの上杉隆氏が書いている、麻生「外交」敗れたり、という記事がそれである。

  その中で私が注目したのはブッシュ大統領との緊急電話会談に外務省の秘書官が同行していなかったという記述である。

  普通の首脳電話会談であればこんな事は考えられない事だ。

  首脳電話会談は周到に日時が設定され、通訳はもとより秘書官、担当幹部が待機して行なわれる。
  もし上杉氏の指摘が事実であれば、まぎれもなく米国からの通報は寝耳に水であったことになる。

  それを裏付けるように電話通報のあった前日の10月10日には河村建夫官房長官が、

  「10月中に(米国が)北朝鮮のテロ支援国家指定を解除するという公式な連絡というのは一切、そういう事実はございません」

  と断言し、

  同じく10日にライス国務長官との電話協議を終えた中曽根弘文外務大臣も

  「週末の指定解除はない」と言い切っていたという。

  上杉氏の記事は、更にまた、「日本への連絡は30分前であったが、韓国への連絡は1日前でした」という政府関係者の言葉を明かしている。

  そして上杉氏は、米国も、世界の主要国も、もはや日本には何も期待していないし、それどころか余計な事はしてくれるな、というのが本音であるにもかかわらず、そのような動きを察知しようともせず、米国への一報的な片思いと、根拠の無い日本外交への過信が、日本外交をさらに誤らせていると、喝破しているのである。

  上杉氏は週刊朝日の記事を次の言葉で締めくくっている。

  ・・・給油法を通し、米国債を買い支え、日米同盟の重要性をいくら国会で叫んでも、肝心の米国からはその存在を忘れ去られていたのである。
    日本外交は敗北したのではない。もはや存在しないのである・・・

  外務省OBとして聞くに忍びない言葉だ。しかし真実を物語る言葉である。
 

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2008年10月21日

健在なり、木枯らし紋次郎

  10月21日の毎日新聞「新聞時評」欄で、中村敦夫氏が「事故米事件」に関する農水省の責任を鋭く追及していた。

  自らが参院議員の時に、農水委員としてBSE(牛海綿状脳症)事件にかかわった経験から、「これは闇が深い!」と直感したという。

  案の定、その後の新聞報道は、この問題の真の責任は農水省と犯罪業者のもたれあいの構図にあること、農水行政の腐敗にあることを白日の下にさらした。

  工業用「のり」の原料として輸入したという農水省の説明にもかかわらず、米を使った事はないという「のり」業界の証言まで明らかにされている。

  それにもかかわらず、農水省の責任が問われないままにうやむやに終わらせては国民は納得できないではないか、そう中村敦夫氏はメディアの責任を問うている。

  おりから10月21日の東京新聞は、「こちら特報部」の特集記事において、再発防止策の方向に国民の注意をそらそうとする農水省は、業者への規制強化や報告の義務化など、自らの非を不問にしたまま農水権限の焼け太りと天下り拡大にすりかえつつある、と指摘している。

  中村敦夫氏は、私がまともだと思った唯一の政治家であった。

  その中村敦夫氏は2004年の参院選で落選し、混迷する政界に見切りをつけて引退する事になる。

  それから4年、政界は混迷の極みである。

  その結果日本という国は、4年前に比較しても桁違いに壊れてしまった。

  「あっしにはかかわりのないことでござんす」

  それは中村敦夫氏扮する木枯らし紋次郎の決め台詞だ。

  それは知っている。

  しかし、ここは俳優中村敦夫をすてて、政治家中村敦夫としてもう一度再登場してみないか。

  その時は、一の子分として馳せ参じたい。

  この世の悪をたたっ斬る、世論を声援を受けて悪徳政治家、官僚を相手に暴れまわる。

  二人だけでも十分にそれはできる。

  いまの政治の体たらくを見るにつけ、政治家中村敦夫の復活を期待する。

  

  

 

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2008年10月20日

議論も抑止もなく壮大な戦争協力が進められて行くこの国の現実


 小泉改革の名で進められた弱者切捨ての経済政策は、格差社会の顕在化や医療、年金、保険負担の問題となって国民の目に明らかにされつつある。

 しかし小泉元首相のもう一つの大きな罪は、米軍再編に協力する事を、国民に説明することなく、ましてや国民の了解などないままに、ブッシュ政権に約束したことだ。

 そしてそれは、金融危機となって国民生活を襲う事も無く、国民の知らないところで国民生活を圧迫することになる。

 その圧迫は、単に在日米軍基地の住民の生活を脅かすという圧迫だけではない。

 財政赤字に苦しみ、それゆえにあらゆる福祉予算の削減や増税が迫られる中で、米国への巨額な軍事協力予算だけは当然のように増え続ける形で、すべての日本国民の生活を圧迫していくのだ。

 10月19日の東京新聞は、「防衛省が来年度からグアムやハワイに職員を常駐させる事を決めた。更に防衛省内にはグアム移転事業室を新設することにした。」というスクープを一面トップで掲載した。

 そのスクープ記事によって、あらためて我々の知らないところで米軍再編への協力が本格化しつつある事を警告しているのだ。

 在日米軍問題を追い続ける半田滋編集委員の渾身のレポートである。

  おそらくこの記者の存在なくしては、もはや誰も本気で対米軍事協力の不正を追及する者はいないに違いない。

 政治家もジャーナリストも、有識者も、護憲論者さえも、誰も米軍再編に対するわが国の協力の誤りを危機感を持って本気で訴える者はいない。

 おそらく半田委員もそれを糾弾しているのではないか。

 グアム移転の何が問題か。

 それは、「在沖縄海兵隊が削減される」という目くらましの影で、その実は日本の防衛には無関係な米国再編に協力させられることにある。その一環としての在沖縄海兵隊のグアム移転に協力させられる事にある。

 それは、この協力が、沖縄普天間基地の移転という日本の当然の要求を逆手にとられ、米軍再編への協力とパッケージで飲まされた不合理な協力であるところにある。グアム移転に協力しなければ、普天間基地の移転を白紙にもどすと恫喝され続け、それを受け入れさせられたのだ。

 しかも普天間基地の移転の要求に米国は応じていない。代替飛行場を名護市に作らされるという日本側の譲歩に終わり、その建設さえも住民の反対を押し切って米国の都合のいい形でより強力な飛行場が建設されようとしている。

 極めつけはその膨大な経済負担とその根拠の不透明さである。

 米国の要求額は曖昧である。どんどんと膨れ上がっていく。一兆円が三兆円となり、日本側の負担も、積算根拠が曖昧なままに一兆円近くに跳ね上がる見通しである。

  そして、ここが最も深刻なところであるが、このような重大な約束が、条約や協定という形で国会審議される事なく、米軍再編最終報告という文書で負担させられているという、政府・官僚の違憲行為であるという事である。

  米軍再編への協力問題については、これまでも、これからも、自公政権が続こうが政権交代が起きようが、すべて既定路線として進められていくに違いない。

  そこにこの問題の深刻性がある。

  それを半田記者はこのスクープで訴えているのだ。

  半田記者に続く者が出てこなくてはいけない。

  このまま米軍再編への協力が進んでいく事に、私は堪えきれない思いを抱くのである。

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2008年10月20日

気の小さい善良な市民

   ブログの読者から、最近のブログには元気が見られないがどうかしたのか、という声が寄せられた。

   鋭い観察力だ。

   ここにきて急速に自らの限界を感じつつある。
  

   権力の不正を監視するためには皆がそれぞれの立場から権力に立ち向かう気持ちを持たなければ駄目だ。

  そのためには何が起きているか、権力者の手によって何が行なわれようとしているか、それを正しく知らなければならない。

  毎日の情報の中から、問題意識を持ち、自分でそれを見つけなければならない。

  頑張れ、頑張れ、と読者に語りかけながら、その言葉を自分にも言い聞かせながら毎日書いてきた。

  もういいだろう。それも今度の選挙までだ。

  政権交代が起きれば権力構造が変わる。

  そうなればこれまでの権力の不正は、少しはただされることになるだろう。

  自公政権がどんなに悪あがきをしても、もはや世論調査は世間が政権交代を望んでいる事を教えるようになった。

  本来ならば嬉しいはずなのに、なぜかそういう気になれない。

  この心境を、10月20日の朝日新聞「ポリティカにっぽん」で、コラムニスト早野透が次のように見事にいいあらわしていた。

 ・・・二大政党だ、政権交代だとあれほど対決していたのに、「補正予算」は民主党も賛成、16日の参院本会議では討論もなくわずか18分で成立した。去年は、憲法違反とか言って参院で2ヶ月も粘った補給支援特措法もさっさと採決に応じようというのだ・・・政権攻防のまにまに政策論議をないがしろにしたら元も子もない。そもそも本気の政策だったのか。「二大政党の政権交代」でほんとに何かかわるのか・・・

  たとえ政権交代が起きても権力の不正を正す事はできないのではないか。

  もし私のブログに元気がないとすれば、この悲観的思いが私のブログに反映されているに違いない。

  そしてこの悲観的思いは、同じ日(10月20日)の毎日新聞「清張とその時代」を読んで、一段と強くなった。

 資本主義の社会悪を糾弾した松本清張の一連の作品がなぜあそこまで多くの読者を獲得したのか。

  それはもちろん社会悪を糾弾したからだ。

  しかし、それだけではない、と筆者の鈴木英生氏は、次のように書いている。

  ・・・(松本清張の代表作「点と線」は社会悪を弾劾した作品であるが)その特徴は社会悪の完全な排除は無理だという、ある種のあきらめをも描いたような面がある。そしてこのあきらめが、ポイントではないだろうか。

  たとえば、殺された(運輸省課長補佐)佐山憲一の上司や殺人の片棒を担いだはずの事務官は出世していく。それを見ても、(刑事の)三原は、「役所というものはふしぎなところですね」と記すことしかできない。この後味の悪さこそが、作品に現実味を与え、読者の心をとらえたのではないか。

 「かわいそうなのは、その下で忠勤を励んで踏み台にされた下僚どもです・・・」

 この三原刑事の言葉こそ、「いくら憤ってもその先に踏みだせない状況」を象徴している。

 「点と線」を解説する際引用されるのが54年の造船疑獄である。この事件では、石川島重工社長の土光敏夫ら政官財の計約70人が逮捕された。しかし、焦点だった佐藤栄作・自由党幹事長の逮捕は、犬養健法相の「指揮権発動」によって回避され、池田勇人自由党政調会長も無傷だった。

 彼らはその後日本の首相となり高度成長経済を推進していく。

 そして同じ疑獄で逮捕された土光敏夫は、80年代、行革推進審議会会長として三公社民営化を担っていく。

 高度成長と土光臨調の間に、松本清張の描く幾多の佐山憲一、すなわち、「気の小さい善良な人間」がいたのだ・・・

 松本清張が描いた50年代の日本から半世紀たった。

 毎日の報道を見ていると社会悪と権力悪は一層深く、悪質になっているように思える。

 政権交代が起きても、「幾多の気の小さい、善良な人間」に目を向ける政治が行われない限り、私は

 とても喜ぶ気にはなれない。

 

 

 

 

 

  

  

 

 

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2008年10月19日

株式市場の乱高下と解散・総選挙の時期


 私は10月12日のブログで、どうやら今度こそ解散・総選挙は11月30日で決まりではないかと書いた。

 その後の動きを見れば、もはや誰もが11月30日の解散・総選挙を言い出すようになった。

 本当にそうなるのか。

 同時に私はそのブログの中で、解散・総選挙ができる大前提は世界金融危機が落ち着く事が大前提であるとも書いた。

 より正確に言えば株価の下げ止まりである。

 そもそも「金融危機」だとか「実体経済の悪化」などという事は、一年前のサブプライムローン問題の表面化の時から皆が言っていた事だ。

 しかしこの一年間、日本も世界も何も手を打ってこなかった。

 ところが株が急落してはじめて大騒ぎとなったのだ。

 すべては株価の急落からはじまった大騒ぎである。

 株価の下落基調が続くならば国民は選挙どころではない。解散どころではないのである。

 そう思っていたら、10月19日の日経新聞がそのとおりの記事を大きく掲載していた。

 「首相の解散戦略、株価が波乱要因」という記事がそれだ。

 ボーダーラインは日経平均株価が8000円だ(内閣府幹部)といい、「いや、8000円台でも解散は厳しいだろう」(自民党幹部)という。

 その一方で

 「大幅な株安ならかえって野党には任せられないという人が増える」(与党若手議員)と分析する早期解散論者もいるという。

 報道によれば、10月末までに麻生首相は決断するという。

 そうであれば、株価の更なる下落懸念はそれまでになくならないから、いくら公明党や民主党が早期解散・総選挙を迫っても踏み切れないのではないか。

 そう思っていたらここに来てブッシュ大統領が、米国大統領選挙が終わった後に、遅くとも11月末までに金融危機対策のG7サミットを開くと言い出した。

 そうであれば「政局よりも景気対策」といい続けている麻生首相にとっては解散・総選挙をしている暇はない。

 皆が11月30日の解散・総選挙を言い出している中で、それでも解散・総選挙はもっと先になるのではないか、と思ったりする。

 それにしても10月19日の産経新聞は一面トップで「急落した株価は今が買い時だ」という記事を大きく掲げた。 

 投資新聞ではない。産経新聞はいやしくも全国紙である。

 その新聞が一面トップで株式を勧める記事を掲載したのである。

 現在の株式市況は賭博的要素が多分にあるのに、株を勧めているのである。

 その政治的背景はあるのかないのか。

 いずれにしても株価と解散・総選挙の時期は大きく関連してくる。

 

 
 

 

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2008年10月18日

目を見開いて凝視せよ。これが「テロとの戦い」の現実だ!


 新テロ法案の審議をテレビで聞いていて、あまりの緊張感の無さに怒りすら覚えた。

 18日の各紙は、そんな国会審議を、解散をひかえた消化試合だ(毎日)、攻める民主党の対案が自民党から逆に追及される批判合戦だ(読売)、などと書いていた。

 その通りである。

 しかし、審議が白熱しない真の理由は、野党第一党である民主党が、その根本において「テロとの戦い」に賛成しているからである。米国との軍事同盟に賛成しているからである。

 何にもまして、政治家が、戦争というものの非人道性から目をそらしているからだ。

 18日の毎日新聞一面に衝撃的な報道写真が掲載されていた。

 栗田慎一という報道カメラマンの撮ったその写真は、およそアフガンの戦場から遠く離れた日本の国会にあって、政治屋が駆け引きで繰返す無気力な国会審議を吹っ飛ばす、そんな迫力ある写真であった。

 さる8月22日、アフガンで米軍の誤爆により住民90人が死亡したと報じられた事件があった。

 その空爆で家族14人が殺され、倒れた壁の隙間にはさまれて助かった12歳の少年が、拾い集めた家族の肉片を両手に抱えながら厳しいまなざしをカメラに向けている、そういう写真である。

 日本の政治家たちよ。

 両目をかっと見開いてこの写真を凝視せよ。

 これが米国の言う「テロとの戦い」の現実だ。

 一瞬のうちに孤児となった少年の視線に宿る憎しみこそ、米国が「テロとの戦い」に勝てない理由を物語っている。

 その悲劇は、米国が「テロとの戦い」の誤りに気づかない限り毎日のように繰返される。

 これまでがそうであったように、これからも。

 日本はそんな米国のテロとの戦いから一刻も早く決別しなければならない。

 なぜそれがわからないのか。政治家も官僚もそして彼らを支持する日本国民も。

 

 

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2008年10月17日

村田良平元外務次官の回顧録


 10月12日の日経新聞書評欄に、村田良平回顧録(ミネルヴァ書房)についての書評があった。

 その中で次のようなくだりがあった。

 ・・・ドイツ語研修だった著者は米国になじめぬものを感じていた。日米同盟は「やむを得ないもの」ではあるが、「本来望ましくないもの」と指摘する。非核三原則と事前協議をめぐる政府の国会答弁を「国民を欺き続けて今日に至っている」と書く。著者が外務次官だった事を考えると、びっくりする・・・

 村田良平回顧録を私は読んだ訳ではない。

 しかしこの書評が正しく著書を引用しているのであれば、やはり驚かされる。

 私はもちろん村田元外務事務次官を知っている。その人物評価をここで書くつもりはない。

 しかし彼は外務官僚のトップである事務次官をつとめ、その後に駐米大使まで歴任した日本外交の責任者であった。

 その人物が、いくら「組織を離れて言論の自由を得た」とはいえ、公開の著書でここまで書いたとすれば、やはり問題ではないのか。

 日本政府と外務省は、「日米同盟は日本外交にとって最も重要な基軸である」と言い続けてきた。

 だからこそ米国のイラク攻撃を支持し、米国の「テロとの戦い」に協力するため今日の国会でも「テロ給油法」を成立させようとしているのだ。

 その日米同盟が、「本来望ましくないもの」とはどういうことか。

 日米安保条約の根幹をなす非核三原則と事前協議に関する外務大臣の国会答弁が、嘘を言い続けてきたというのであれば、大問題ではないのか。

 この著書を国会で問題にしなくてもいいのか。

 村田良平元外務次官を国会に招致して、対米追従外交の実態を元外務省責任者から問いただし、いまこそ対米自立外交を取り戻すべき時ではないのか。

 すべての新聞が、米国の北朝鮮テロ指定解除を見て、米国に裏切られたと書いている。対米外交は敗北したと書いている。

 すべての新聞が、米国発の金融危機を目撃して米国の一極支配体制の終焉であると書いている。

 日米関係を見直すべき歴史的瞬間が訪れているのではないか。

 そのタイミングで発刊された村田良平回顧録ととらえるべきではないのか。

 

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2008年10月16日

果たしてオバマ民主党大統領候補は米国大統領になれるのか?


 あと三週間たらずで米国の次期大統領が決まる。

 三度にわたるテレビ討論も終わり、現時点でオバマ民主党大統領候補が10ポイントを上回るリードを保っているという。

 マケイン共和党候補の巻き返しは難しいという見方が広がっている。

 果たしてオバマ民主党候補は米国大統領になれるのか?

 この事について、奇しくも同じような記事が10月15日の毎日新聞「記者の目」と、10月16日の産経新聞「2008年米大統領選、激動の終盤」、に載っていた。

 それは、一口で言えば、ブラッドリー効果が起こらないか、という記事である。

 1973年から5期20年ロサンジェルス市長をつとめた黒人政治家トム・ブラッドレー氏は、1982年に満を持してカリフォルニア州知事選に立候補した。

 投票前の世論調査でも、また投票後の出口調査でも、ブラッドリー氏の勝利が確実視されていた。

 だが、結果は敗北であった。

 米国白人投票者は、建前ではブラッドリー氏に投票する(した)と調査に答えていた。しかし実際は白人候補に投票したのだ。

 そこまで黒人差別意識は米国人の心に深く潜んでいる。

 この選挙結果をブラッドリー効果と言う。

 毎日新聞「記者の目」を書いた中井良則論説委員は、米国で6年間暮らした経験から、白人の住宅地で黒人はまず見かけなかった。職場で一緒でも、住むのは別々だ。白人と黒人の夫婦(41万組)は全体の0.7%に過ぎない、という事実を示しつつ、経済政策でもイラク戦争でもない。「激戦州に住むミドルクラスの白人の黒人観が今年の大統領を左右する」と書いている。

 産経新聞の記事を書いた松尾理也ロサンゼルス特派員は、ロサンゼルスに住むリベラルな政治姿勢で知られる芥川賞作家米谷ふみ子さんの言葉を引用し、民主党のなかでも最もリベラルなデニス・クシニッチ下院議員(オハイオ州選出)が主導するブッシュ大統領弾劾運動に参加していた知人の白人女性が、「黒人になんて、投票できないわよ」と漏らしたことに、耳を疑った、というエピソードを紹介しつつ、あらゆる差別のなかでも人種差別こそ、今日でも米国社会の潜む最大の差別であり、果たして今回も「ブラッドリー効果」は起きないか、と問題提起している。

 私の米国滞在経験からもこの二つの記事の指摘は、よく理解できる。

 果たして、その結果は三週間後に明らかになる。

 一つだけ言える事は、もしオバマ候補が無事大統領に選ばれる事になれば、米国が大きく変わるという事である。

 その選挙結果を受け入れて、なお米国が存在し続けるならば、米国人は偉大な国民であるということである。

 オバマ大統領の誕生をこの目で見届けたいものである。

 

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2008年10月16日

財務省が問題提起した自衛隊病院


 私は10月12日のブログで、自衛隊が職員のために託児所をつくっている事を報じる週刊ウィークリーの記事に言及し、もしそれが税金を使って運用され、その受益がもっぱら自衛隊職員だけに独占されてるとしたら、あまりにも不公平ではないかと問題提起した。

 今度は自衛隊病院である。

 奇しくも10月16日の毎日新聞が、大幅な赤字経営に陥っている自衛隊病院(全国に16箇所も存在する)について、ついに財務省が統廃合や地域住民への解放などの抜本的な見直しを防衛省に求める方針に踏み切ったという記事を流した。

 殆どが基地や駐屯地の隣接地に設置されている自衛隊病院は、訓練や有事での自衛隊員の傷病の早期治療を目的に陸、海、空の各自衛隊が個別に運営しているという。

 戦前の軍部よろしく、見事なまでの縦割りの弊害であるが、より深刻な問題はその利用度である。

 殆どの自衛隊病院が、その利用を防衛省職員と家族に限っているので病床利用率は28%と、一般病院平均の76%を大幅に下回っているという。

 その結果07年度を例にとれば106億円という大幅な赤字であるという。

 その予算は税金でまかなわれているに違いない。

 官僚内部のもたれあいの中にあって、さすがの財務省も改善を求めざるを得なかったらしい。

 それにしても一般国民が医療不足や医療費負担に苦しんでいる時に、防衛省職員とその家族が専用の病院を全国に有しているとは。

 親方日の丸という言葉で笑って済ませるにしては、あまりにも深刻な不平等、不公正である。

 我々の目の届かないところで、おびただしい数の官僚とその家族の税金を使った優遇措置が存在しているに違いない。

 この際その全貌を誰かが明らかにしなければならない。

 政権交代が起きればそれが明るみになることを期待する。

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2008年10月16日

竹内行夫元外務次官の最高裁判事就任に異を唱える


 政府は15日、近く定年退官する津野修最高裁判事の後任として、竹内行夫元外務次官を起用するという。

 16日の読売新聞がスクープ報道していた。

 近く閣議で決定するというからまだ決定人事ではない。

 読売新聞の先走り記事かもしれない。誤報記事に終わるかもしれない。

 もしこのスクープ通り竹内行夫氏の最高裁判事が決まるならば、私は大きな声でこの人事に異を唱えたい。

 その事を日本国民に訴える為にこのブログを書いている。

 私は5年あまり前、竹内次官(当時)によって、イラク攻撃を支持した政府の方針に反したとして解雇を迫られた。

 その事についての憤りは、今も忘れない。

 しかし、断っておくが、このブログはその事と何の関係もない。

 私怨からこの記事を書いているのではない。

 この人事が何の議論もなく閣議決定されるなら、法治国家としてのこの国の根幹は揺らぐ。

 「法の番人」であるべき最高裁の権威は木っ端微塵に失墜する。

 最高裁に対する国民の不信は決定的になる。

 それを憂えるのである。

 私はかつて9月3日のブログで、社会保険庁長官を歴任し、今日の年金問題の責任者であった厚生官僚の横尾和子氏が最高裁判事に「天上がって」居座っていることについて、「これでは年金問題の不正などただせるはずはない、即刻辞任すべきだ!」と産経新聞で「正論」を吐いた、政事評論家屋山太郎を評価した。

 その屋山太郎氏の声が届いたのか、世論の圧力を恐れたのか、それからまもなくして横尾判事は任期を残して自ら退官した。

 当然であろう。良心というものがあれば、「それでも最高裁判事を続ける」、という事はありえない。

 翻って竹内元外務次官である。

 彼は、国際法違反、人道法違反を犯して始めたブッシュ政権のイラク攻撃を支持した日本外交の先頭に立って指揮をとった責任者である。

 よもやこの事を忘れてしまった国民はいないだろう。今ではそのイラク攻撃の不当、違法性を世界中が知るところとなった。そしてイラク情勢は今も混迷のまま世界中を苦しめている。

 また竹内外務次官は、米国の「テロとの戦い」に加担するために日本の安保政策を根本的に変えてしまった張本人でもある。違憲であることを自ら認識しておきながら、米軍再編への協力を受け入れた責任者である。

 そしてその政策は、普天間基地代替施設建設問題や岩国基地問題となって日本国民を苦しめ、血税を米国につぎ込み続けている。

 平和憲法9条をここまで踏みにじり、国民を分断し、国民生活を苦しめる政策を進めた責任者が、当然のように最高裁判事に「天上がる」。

 果たして麻生政権はそんな閣議決定をすることができるのか。

 果たしてメディアはそんな人事に疑問を投げかけないのだろうか。

 幸いにも、近いうちに解散・総選挙があるらしい。

 その時には国民による最高裁判事の信認投票も同時に行なわれる。

 憲法9条を守りたいと思う人たちよ。

 日本は平和国家であるべきだと願う人たちよ。

 いまこそこの人事に異を唱えよう。

 そのような人事を認めた日本政府と、そんな人事が何のチェックもなく安易に行なわれてしまうこの国の官僚天国に、今こそ国民は不信任の声をあげようではないか。
 

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2008年10月15日

バイデン副大統領候補の言葉


  どうでもいいことなのだけれど、私はこういう文章に出くわすと嬉しくなる。

  ニューズウィーク日本語版の10月15日号によれば、バイデン民主党副大統領候補は、ペイリン民主党副大統領候補とのTV討論の翌日に、ニューズウィーク誌のインタビューに応じて、TVで話さなかった本音を述べたという。

 それをニューズウィーク誌のコラムニストであるジョナサン・オールター氏が書いていた。

 バイデンは、ペイリンとの討論会の結果には満足しているといい、ペイリン副大統領候補にも、「よい印象をもった。家族同士が対面した時も和やかなムードだった」と、相手に敬意を持っている事を印象づけようとしたという。

 もっとも、副大統領候補のテレビ討論は大統領選の行方に決定的な影響を及ぼすものではなく、「本当に重要なのは、ジョンとバラク」だ。副大統領候補は、「セミ」のようなもの。地上に姿を現すのは、ごく短期間。指名されたときと、テレビ討論のとき、そして選挙に勝てば当選したとき、それだけだ、バイデンは語った。

 民主党政権の歴史を振り返るとケネディとジョンソン、クリントンとゴアのように関係が微妙だが、果たしてオバマとうまくやれるか、との質問に対しても、「まったく不安はない」と言い切ったという。

 しかし、私が「嬉しくなった」、と言ったのは、このようなバイデンの言葉ではない。

 バイデンは頭に血が上って困った立場に追い込まれたことがよくあったらしい。それがネガティブキャンペーンの標的にされたりする。

 その事についてジョナサン・オールター氏は次のように書いている。

 ・・・(そのことは)本人も認めている。少年時代に姉妹を突き飛ばした近所の子供を殴ったときも、議会公聴会の最中に爆発したときも、自分が腹を立てる原因は、公民権運動や女性の人権保護、ボスニアの「民族浄化」への反対などの問題で、政治家としての情熱を駆り立ててきた要因と同じだという。
  バイデン自身によれば、この点こそ、ジョー・バイデンという政治家の言動を理解する為の基本原理ということらしい。
   「私が一線を越えてしまうのは、弱い者いじめを目の当たりにしたときだ」

  バイデンはそう言って悪びれるところがない。

   弱い者いじめだけは見過ごす事が出来ない。

  この言葉だけで私はバイデンを信用する。

  

  

  
 

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2008年10月14日

良心が駆逐されていく「霞ヶ関」に、どんな国がつくれるというのか


 今日は新聞休刊日であるので、かねてからあたためていたある週刊誌の記事について書きたいと思う。

 大和都市管財事件という巨額詐欺事件があった。

 この事件は、大和都市管財株式会社という抵当証券会社が高利回りをうたって詐欺まがいの金融商品を売りつけ、それが明るみになって破綻し、約1万7千にのぼる消費者が総額1100億円もの被害を受けたという一大消費者被害事件である。

 その被害者たちが2003年6月、国側(近畿財務局)に監督責任があるとして損害賠償訴訟を起したのが大和都市管財訴訟である。

 昨年6月の一審に続いて今年9月26日、大阪高裁の二審判決でも原告が勝訴し、金融行政の監督責任が厳しく問われる事となった。

 そして10月はじめ、国側は上告を断念し、その判決を受け入れることとした。

 私は10月1日のブログで、最近の裁判所の判決では国側の責任を認める判決が目につくようになった、これは好ましい動きである、と書いた。

 同時にまた、決して楽観は出来ない、この国の官僚や、最高裁を頂点とするこの国の司法官僚については引き続き監視していかなければならない、と書いた。

 そしてその事を裏付ける現実をこの週刊誌の記事で見せつけられた。

 その記事とは週刊朝日10月17日号に掲載されていたフリー・ジャーナリスト今西憲之氏の手による「キャリア公務員の『良心』と霞ヶ関の『卑劣人事』」と題する渾身の告発記事である。

 被害者弁護団代表が語るところによれば、判決の最大のポイントは「近畿財務局や大蔵省が、どんな調査をし、報告をしていたか」であったという。

 そして裁判が始まると国側は「財務諸表などで(大和都市管財会社の)経営内容が健全だと確認できれば、登録を更新するしかなかった、(それ以上の)詳細を調べる義務はない」という主張を展開したという。

 国側は自らの「失策」を認めまいと必死だったのだ。

 これを覆したのが自治省(現総務省)から大蔵省銀行局中小金融課に出向していた東大法学部出身のキャリア官僚Aさんであった。

 彼は自らの良心に忠実な官僚であった。

 法廷で、「(大和都市管財会社は)非常に問題ある会社で、犯罪者まがいみたいなところにかかわって君は気の毒だ」と前任者から言われた、全部で5冊くらいのファイルを引き継いだ、と真実を証言したのである。

 国側は、非を認めて上告を断念したのではない。もはや動かしがたい証拠を突きつけられ、これ以上争えなかっただけなのだ。

 この証言があったからこそ大阪高裁も原告勝訴の判決を出さざるを得なかったのだ。

 実際、この証言は驚くべき事実を浮き彫りにした。

 国はすでに94年ごろ、詐欺的商法や経営実態の粉飾を把握していており、95年には業務改善命令を出していた。ところが大和都市管財会社側の恫喝に屈し、近畿財務局長(当時)が事実上それを撤回してしまった。

 それにもかかわらず、後の国会では、五味廣文元金融庁監督局長や竹中平蔵元金融担当相は、「(業務改善命令について)準備すらしていない」と嘘の答弁をしていたのだ。

 彼らは厚顔にもテレビに顔をさらして、今の金融危機について高説を垂れ流している。

 因みに当時の近畿財務局長とは、98年に問題化した大蔵省の接待スキャンダルで懲戒処分を受けた、「接待王」との異名をとった墳崎(つかざき)敏之氏のことだという。

 組織腐敗を示す、絵に描いたような実態である。

 ジャーナリスト今西氏が渾身の力を込めて糾弾しているのは、このような醜い権力者たちの対応だけではない。

 「良心の証言」をしたキャリア官僚が、降格、左遷され、体調を崩して葬りさられようとしている現実こそ、世の中に訴えなければならないと今西氏は考えたに違いない。

 私がこのブログで書きたい事も、その一点につきる。

 今西氏は週刊朝日の記事を見事な次の言葉で締めくくっている。

 「・・・Aさんの周りの官僚にはやはり『良心』はなかったようだ。良心が駆逐されていく『霞ヶ関』に、どんな国がつくれるというのだろうか。」

  考えてみれば、厚労省の年金改ざん問題も、農水省の汚染米事件も、防衛省自衛隊のいじめ、暴行事件も、警察の捜査不作為による被害者のなき寝入りも、外務省の密約や拉致問題置き去りも、何もかも、つまるところはこの国の為政者の良心の問題に帰着する。

 見てみぬ振りをし、バレルまで隠蔽し続けるモラル・ハザードにある。

 なによりも良心的なものが排除、駆逐されていくこの国の構造にある。

 主客逆転しないと日本は危ういのだ。

 

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2008年10月13日

日本の北朝鮮外交は終わった。日本外交の不要さが証明された


 ブッシュ大統領の北朝鮮テロ指定解除発表とともに、わが国が数年間奔走してきた対北朝鮮外交が終わった。

 それとともに日本外交がここまで役立たずであった事が証明された。

 報道されている事に目を通すと次の事が明らかになる。

 少なくとも報道されている事が間違いでなければ。

 今回の指定解除はとっくの昔にブッシュ大統領の決定事項であった。政権が終わる前に急いで発表したに過ぎない。

 日本は最後まで米朝の交渉過程の詳細を知らされていなかった。

 米国の本心を見抜けなかった。

 あるいは見抜けていてもどうしようもなかった。

 最後まで指定解除に慎重であるべきだと、一応米国に頼み込んできた。

 それを一蹴して米国は譲歩した。

 日本政府・外務省は間違いなく不満である。立場を失った。

 それにもかかわらずそれを認めようとはしない。

 今後日本に求められるのは核凍結への見返りとしての北朝鮮に対する援助だ。

 日本の国内世論の手前、拉致問題の解決なくしては援助しない、と言わざるを得ない日本は孤立していく。

 悪者になっていく。そして最後は援助をしなければならなくなる。

 核と拉致問題で最も強い立場にある日本が、最も弱い立場に追い込まれていく。

 この数年間、日本外交はイラク支援とならんで拉致問題に殆どすべてのエネルギーを費やしてきた。

 その結果がこの結末である。

 その間の外交交渉について、情報がこれほど国民の目から遠ざけられてきた外交はなかった。

 北朝鮮との話し合いも、米国との話し合いも、国民には何も知らされてこなかった。

 今こそ国民はその情報公開を求めるべきではないか。

 メディアは全力をあげて検証すべきではないか。

 以上書いてきた事は、拉致問題よりも日朝国交正常化のほうが重要だと主張する立場の人たちからも賛同を得られるに違いない。

 

 

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2008年10月12日

 自衛隊専用の託児所に問題はないか 


  読売ウィークリーの10月26日号に、24時間対応の自衛隊専用「託児所」の記事を見つけた。

  「キッズガーデン三宿」という名の託児所が、モデル施設として昨年自衛隊によって作られたという。

  その記事だけでは必ずしも実態は不明であるが、私は直感的に「問題はないか」と思った。

  東京都目黒区の三宿駐屯地に隣接するこの「託児所」は、自衛隊専用だという。

  自衛隊も女性比率が年々高まっており、頭が痛いのが仕事と家庭の両立ができず、多くの女性自衛官が辞めてしまうことであるという。

  そういう事態を防ぎ、少子化対策にもつながるという事でモデルケースとして設けられたという。

  ママさん自衛官にはすこぶる好評だという。

  当然であろう。働くママさん女性の共通の悩みが託児に違いない。

  自衛隊では、海上自衛隊が2010年に横須賀地区に託児所をオープンするという。また陸上自衛隊も来年、熊本地区に託児所を開く予定だという。

  この読売ウイークリーの記事は、次の言葉で締めくくられている。

 「・・・女性の社会進出が進んでいるのは自衛隊も同じ。能力の高い女性自衛官も多く育っている。その能力を最大限に活かすためにも、こうした自衛隊直結の託児所は不可欠。それが成功すれば、民間企業の良い手本になるはずだ・・・」

 この記事を書いた記者は微塵も疑問を感じなかったようだ。

 しかし私は公平性の問題が生じると思う。

 この託児所が自衛官の100%自己負担で運営されているのであれば問題はない。

 そこのところはこの記事には何も書いていないが、おそらく実態は何らかの形で防衛省予算から補助されているに違いない。

  もしそうであれば、という前提で問題提起をするのであるが、公務員の中で自衛官だけが優遇されているという事はないのか。

それよりももっと大きな問題は女性自衛官と一般の女性勤労者との間に不公平は生じないか。

  自衛官の仕事の特殊性を考えればそれぐらいの優遇は許されるという事か。

  なり手のない自衛官のリクルートのためには、それくらいの優遇措置を認める必要があるという事か。

 いずれも通用しない論理である。

 ただでさえ公務員優遇が問題となっている厳しい世の中である。

 一般国民の目から見て納得いくものかどうか、防衛庁は自らを厳しく律するべきである。

 あるいはこれは内局も関与できない自衛隊組織の専権事項なのか。

 そうであればもっと問題がある。

 自衛隊はその家族も入れると100万人を超える一大ファミリーである。

 政治家を二、三人国会に送り込める一大圧力団体である。

 独自に旅行会社も保険会社も作ることができる組織である。

  かつて自衛隊基地内にゴルフ場があって格安で自衛隊員がプレーしているという事がスクープされ問題となったことがあった。

 厳しい自己規制の意識がないと、一般国民の目の届かないところで不公平がまかり通る、という事になる。

  

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2008年10月12日

 民主党は総選挙前に日本発の金融危機救済策を提示すべきだ


 
  11月30日の総選挙が取りざたされるようになった。

  こんどこそそのタイミングで選挙が行なわれることになるかもしれない。

  しかし、それには大きな前提がある。金融世界危機が一段落することである。

  ところが連休明けの相場は下げ続けるだろう。

  G-7の口先対策だけではとても市場を落ち着かせる事はできないとすべての報道が教えている。

  12日の日経新聞株式欄でも株価のさらなる低下を予想している。

  2003年4月につけた7607円が視野に入る可能性もある、と書いている。

  そうなったらパニックだ。選挙どころではない。

  与党も野党も今度の金融危機を甘く見てはいけない。

  仮に、それでも選挙となれば、民主党は不利だ。

  危機が本物の時に、民主・社民・国民新党の連立政権ができた場合、不安はさらに加速する。

  どんなに自公政権が駄目であっても、国民心理は民主・社民・国民新党の連立政権ではもっと心配

  だと感じる。

  残念ながらこれが現実だ。

  金融危機の中での選挙を民主党はどう戦えばいいのか。

  それはあらゆる英知を結集して本物も危機対策をつくり、総選挙の直前に最大の選挙公約として提示することだ。

  年金問題や後期高齢者医療問題などはたしかに重要だ。

  しかし金融危機の前にはすべてがかすむ。

  金融危機に対応する最善の具体策をはやく発表したほうが勝ちだ。

  民主党は、自公政権と官僚の発想では決して生まれてこない対応策を考え、政治決断する意思を示す事だ。

  それにはどんな提案にも耳を傾けてみる事だ。世の中には官僚や下手な経済専門家よりはるかに優れた考えを持っている者がいるのだ。

  読者の中から私のところへ寄せられているいくつかの提案の中にそのヒントがある。

  たとえば100兆円といわれる外為特別会計の資金を欧米の金融機関救済に使うという考えだ。

  それによって欧米から感謝される上にその利益を国家財政にまわせるという。

  私ならもっと考えを飛躍、発展させ、すべての特別会計の余剰資金や1500兆円とも言われている

 国民資産の数字を明らかにし、それを日本の金融機関の強化に使う事を宣言し、日本の市場に世界

 の信頼を集め、日本発の株価上昇連鎖をスタートさせる事を考えてみる。

  私は10月8日のブログで、今回の金融危機は日本にとって千載一遇のチャンスではないかと書いた。

  米国の詐欺的金融資本主義経済の破綻が明らかになった今こそ、日本は実物経済に回帰すべきである、そしてその事は、長い目でみれば日本が米国から自立し、日本の本来の強さを発揮できる最善の途ではないか、と書いた。

  今朝(12日)のサンデー・モーニングで、いみじくも金子勝もそう言っていた。

  しかし、それはあくまでも長期的な方向である。

  現下の金融危機を前にして、そんな事を言ってもはじまらない。

  金融資本主義のもとで起きた危機は、とりあえず金融資本主義の中で危機回避するしかない。

  そしてそれができる唯一のG-7の国が日本なのである。

  これだけの世界的なパニックのなかで、世界同時に危機を回避する策などありはしない。

  日本が、国民の納めた税金や国民の持っている資金力を使って危機を乗り切るのだ。

  それを世界に証明するのだ。

  民主党はその方策を、いまから必死で考えて、総選挙の直前に世界に発表するのである。

  どんな形でもいいから、世界の株価暴落を日本からストップさせる。

  それを日本の株式市場からはじめる。

  世界の資金を日本市場に集める方策をぶち上げる。

  民主党にそれが出来た時、総選挙の圧勝は保証される。 

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2008年10月11日

 行きつ戻りつ、迷い続けながら、自分の考えを確かめ続ける毎日


  毎日この国の政治を外から眺めていると、つくづく嫌になってくる時がある。

  一つとしてまともな政党がない気がする。本物の政治家を見つける事がどんどんと難しくなって来ているような気がする。

  それでも政治から目が話せないのは、こんな政治家に好き勝手をさせておいていいのか、という思いがあるからだ。

  政治から目を離すという事は、同時にまた、政治家を手玉にとって生き残る官僚支配のやりたい放題を見過ごすということでもある。

  圧倒的な権力を握るこの国の政治家と官僚のもたれ合いで動かされてきたこの国の政治から逃げることは、彼らに権力を握り続けさせるという事である。

  それによってもたらされる国民生活の犠牲から目をつむることである。

  だから、やはり政治から目が離せない。

  行きつ戻りつ、迷い続けながら、そんな自分の考えが正しいのかと自問する毎日である。

  政治を良くするためには、やはり一度は本当の政権交代を実現しなくてはならない。そのためには民主党を応援するほかはない。

  民主党がいかに矛盾に満ちた政党であっても、政権交代実現のためには仕方がないではないか、そう何度自分を言い聞かせてきた。

  しかし本当に民主党は政権交代に値する政党なのか。

  行きつ戻りつ、迷い続けながら、自問自答する毎日である。

  そしてこんな記事を目にするにつけて、今日の私は、政治に不信を抱かざるを得ない自分を見つけるのである。

  10月11日の読売新聞に6日パレスホテルで開かれたという読売国際会議2008年秋季フォーラム「あらたな秩序を求めてー政権選択への視点」の要旨が掲載されていた。

  出席者の一人である野田佳彦議員(民主党広報委員)の次の言葉は、民主党を支持していいのか、と改めて思わせてくれた。

 ・・・外交・安保の基本的な柱は自民党と同じだ。日米同盟が基軸で・・・現実的に対応する・・・自衛隊海外派遣のルールを定めた恒久法の議論を、本格政権をつくった上で進めたい。民主党にはそう考えている人が結構多い・・・

   いくら政権交代を優先させるからといって、自分の考えの基本的なところでまったく異なる方針を抱く政党を支持できるのか。

  その民主党と選挙協力をして今度の総選挙で当選を確実にした社民党の辻元清美議員について、今日発売の週刊プレーボーイ(10月27日号)は、はやくも浮かれてしまった辻元議員は、政権をとったら防衛大臣にでもなってみたいなどと軽口を叩いていると書いていた。自民党と民主党はカレーライスかライスカレーかの違いでしかない。どちらも同じだと民主党を批判していたのにである。

  いくら護憲で考えが一致するからといって、自分と生き方の根本において異なる人間を支持できるのか。

 行きつ、戻りつ、私の迷いは続く。

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2008年10月10日

金融危機の原因の一端は日本政府、官僚の対米従属政策姿勢にあったという説


 これは私が言っているのではない。

 朝日新聞経済面に「経済気象台」という匿名のコラムがある。

 そこで書かれている事である。

 日付を書き込むのを忘れたが10月はじめの頃の記事であった。

 その記事は次のような書き出しではじまっている。

 「米国側の認識として伝えられている説がある。『日本国内で使い切れないほどあまっているカネは、世界経済の繁栄のために、返済を求めないカネとして米国に託している。この事は日米政府が合意している』、というものだ。
  この説に従えば、現在の世界的な金融危機の原因の一端は日本にある・・・」

 主要国の中でも唯一金利ゼロという異常な政策を長年とり続け、国民の利息収入を奪い続けた日本政府。

 日本の銀行に預金された金利ゼロの資金はまわりまわってハゲタカ金融資本に差し出され、彼らの巨額な投機益でありつづけた。

 そのバブルがはじけた今、公的資金の投入によって金融機関が救済されようとしている。

 それにしても「返済を求めないカネとして米国に託している」というのは何か。

 それは米国債や預託金となって米連銀の金庫に眠っている日本の外貨準備に違いない。

 そのカネを日本の意思で動かす事ができないとはどういう事か。

 日本の意思で動かせないことについて日米政府が合意しているというのは本当なのか。

 米国関係者の間で共通認識があり、日本の金融関係者、経済専門家の間でそれがまことしやかに語られている、とはどういう事なのか。

 かつて橋本龍太郎元首相が米国での講演で、「国債を売り飛ばしたい誘惑にかられる」と口走って米国政府筋からにらまれた事があった。

  外貨準備はもとをただせば日本国民が働いて手にした資金である。

  いまこそその資金は国民の生活や日本企業を救う資金として使うべきではないのか。

  国民の税金や更なる赤字国債の発行によって、米国発の金融危機の救済に日本が協力させられようとしている。

 どこまで行っても、割を食わされるのは日本である。

 それに従うしか能のないのが日本政府と官僚である。

 

 

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2008年10月09日

何をそんなに焦るのか、民主党。

  
 ・・・民主党が「早く結論を」といい、与党が「じっくり議論を」という。普段とは逆になっている・・・

 これは10月9日の読売新聞の政治記事が、解散圧力をかけている民主党を冷やかしているくだりである。

 たしかに民主党は麻生政権に解散を迫っている。

 補正予算もテロ特措法も早く片付け、麻生首相に解散先送りの口実を与えないという戦略らしい。

 なぜそんなに民主党は解散・総選挙を急いでいるのか。

 なぜ堂々と受けて立てないのか。

 解散が遠のけば選挙に不利になるというのか。そんなに自信がないのか。

 今選挙すれば勝てるからだというのか。それは本当か。

 いいだろう。今度の選挙は負けたほうが壊滅する。生き残りをかけた天下分け目の戦いだ。

 あらゆる戦略を弄するがいい。

 しかし、10月9日の読売新聞の次のくだりを読んで、私は心底失望した。

 ・・・輿石参院議員会長は8日夜、甲府市での会合で、(新テロ対策特措法改正案の)参院審議について、「一日でも一時間でも結論を出せる」と述べ、早期解散に応じる考えを強調した。「衆院選は11月中にあるだろう。補正とテロを片付け、解散させるように追い込む」とも語った・・・

 補正予算の早期成立に反対しないのは理解できる。

 経済危機に迅速に対応しなければならない。補正予算の成立を遅らせて国民の批判を買う愚をおかすべきではない。

 しかし新テロ特措法の審議はまったく別だ。急ぐ事は何もない。真剣に議論をつくし、国民の前で新テロ特措法成立を急ぐ麻生首相、公明党の誤りを追及しなければならない。

 今アフガンで何が起きているか。

 ハリリ・アフガン副大統領は、「(米国は)戦え、戦え、というが、受け入れられない。戦闘だけでは永遠に勝てない」と述べ、タリバンとの和解交渉を行なっている事を明らかにしたという(10月8日毎日)。

 米国、NATOに何が起きているか。

 マレン米統合参謀本部議長が「(アフガンとの戦いで)勝っているとの確信が持てない」と9月10日の下院公聴会ではじめて証言し(10月5日読売、「政なび」もうひとつの悪夢、飯塚恵子政治部次長)、これに呼応するかのように駐アフガン英軍司令官も、「この戦いには勝てない」と発言した。国連のアフガン支援ミッション代表が6日、「結果を出すには対話以外にない」と語り(8日毎日)、ゲーツ米国防長官も同じ日の6日に、「問題解決のカギはアフガンの人々の和解にある」と述べ始めた(同毎日)。

 アフガンのテロを追ってパキスタン領内に侵入して攻撃した米軍とパキスタン軍との間で戦闘が行なわれるまでに至っているのだ。

 そんな中でテロ給油は国際貢献だと叫び続ける麻生政権の愚を国会で徹底的に追及すべきではないのか。

 一時間で結論が出せる、と言い放った輿石民主党代表代行は何を考えているのか。

 民主党よ、何をそんなに焦っているのか。

 堂々と構えよ。堂々と構えて麻生政権を迎え撃てばいいのだ。

 そんな事で、政権を取った後、どうして日本を正しく導いていけるというのか。

 

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2008年10月08日

民主党は麻生首相に解散を迫るな。堂々と受けて立てばいいだけの話だ


  あいもかわらず政治記事は解散・総選挙のことばかり書いている。

  しかしもはや解散・総選挙どころの話ではない。

  経済破綻が現実のものとなって日本経済を、そして日本国民の生活を脅かすことになった。

  異常事態なのである。

  麻生太郎はつきのない男だ。最悪の時にこの国の最高責任者になってしまった。

  民主党はもはや麻生政権を倒す事を考えなくてもいい。

  政権取りを急ぐ必要はない。

  今政権を取ったところで、日本が直面する諸問題を解決できるか。

  解散を急いでいるのは、池田喚問を恐れる公明党だけだ。

  その公明党も、さすがにここまで経済問題が深刻になっている時に、自分の事だけで解散をごり押しすることは出来ない。

  繰返して言う。

  民主党は解散を迫ってはいけない。

  民主党は自公政権に今の日本の困難を解決する政策を急げと迫るだけでよい。

  その間に、政権を取った時にどうすれば少しでも日本国民の生活を守る事ができるか、

  その政策を真剣に考えておくことだ。

  自公政権では、もはや逆立ちしてもこの国を救う事は出来ない。

  その事を黙って見届け、解散を迫るエネルギーを、政権を取った時に何を真っ先にしなければならないか、それを見つける事に集中すべきだ。

  国民は株価暴落について怒りを募らせ、その矛先を、なす術もなく立ち往生する麻生政権とそれを利用して自らの生き残りだけを考える身勝手な公明党に向けるに違いない。

  くどいようだけどもう一度繰返す。

  民主党は対米追従の小泉・竹中偽改革に国民の怒りが向かうことを見届けていればいい。

  そしていつ行なわれても勝てる次回の総選挙をいたずらに急ぐことなく、政権交代後の最初の施策について、何が国民にとって最善であるか、それを党をあげて考えるだけでいい。

  その答えを出すことは、政権交代を実現することよりもはるかに難しい。

  それを自覚して、政権を取った後の責任の重さを今からかみしめておくがいい。

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2008年10月08日

米国金融資本主義の破綻は日本にとって米国から自立する千載一遇のチャンスだ


 世界金融恐慌の流れが止まらない。

 世界経済は、そして日本経済は一体どうなるのだろう。

 メディアは当分この事を報じ続けるだろう。

 他のニュースがかき消されていく。

 私は、かき消されていく重要なテーマを追い続けたい。

 だから金融危機については、最初で最後のつもりで、このブログで一言書くことにする。

 経済の専門家でない私が何を言っても誰も相手にしないだろう。

 それは当然だ。それでいい。

 しかし、よく考えて見るがいい。

 今度の金融危機について自信をもって正しいことを言える者がいるというのか。

  どんな経済学者、専門家でさえも本当の事はわからないのではないか。

  政策決定権を持ついかなる政治家、官僚も、無策ではないか。

  しかし、今度の金融危機がどんなに解決困難であっても、我々は、一切の見栄や、てらいや、立場の違いを乗越えて、この問題を考え、解決策を見つけなければならない。

  なぜならば、経済が崩壊すると、最も打撃を受けるのは経済的弱者であるからだ。

  私の考えはこうだ。

  この問題には短期的対応と長期的考察を峻別しなくてはいけない。

  短期的対応とは、すなわち世界的株価暴落の連鎖を止めることである。

  この点については、これからも連日のように意見が述べられ、対策が講じられるだろう。

  どんな乱暴な政策でもいい。詐欺的な手を使ってでも株価底打ち感を人々の心に

  芽生えさせる対策が講じられなければならない。すべてはそこから始まる。

  それは投機や投資を行なっている金持ちの為ではない。

  毎日を懸命に生きている経済的弱者を守るためにである。

  私がここで書こうとするのは長期的考察についてである。

  米国発の今回の金融危機は、神が人類に与えた啓示ではないか。

   ブッシュ政権で行き着くところまで行った米国の軍事的暴力と詐欺的金融資本の暴力は、人間性を冒涜したものではなかったか。

   その事に対し、世界は、そして日本は、あまりにも追従的ではなかったか。見て見ぬ振りをしてこなかったか。

   世の中に正義というものがあるのなら、そして人間を慈しむ神の存在があるのなら、

   今回の危機はそれらが米国に与えた鉄槌に違いない。

   その米国に、意見の一つも言えずに追従した日本に対する警鐘だと思うべきだ。

   日本はこれを千載一遇の歴史的チャンスととらえ、時間をかけてでもいいから、日本の将来のあり方を変える努力を始めなければならない。

   米国の誤りが、軍事的過信と濡れ手で粟をつかむ行き過ぎた金融資本主義によってもたらされたものである以上、それから自立することこそ日本のとるべき道である。

   それは憲法9条を掲げて平和外交を推し進めることであり、実物経済に立ち返って、かつての日本の経済の強さを取り戻すべきなのだ。

   この日本経済の強さへの自覚と回帰こそ、我々がこれから目指すところでなくてはならない。

   すなわち、日本の経済、社会政策が長期的に目指すものは、金融機関のてこ入れや株式市場の再活性化などではなく、人間性を取り戻す実物経済重視の政策であり、実物経済の堅実な運営で満足な生活ができる、そのような社会政策を整備していくことである。

   高額な収入がなくても豊かな生活ができる社会資本の充実、福祉・保障政策の充実、廉価な住宅、公共サービスの提供こそ政府の目指す政策である。

   国民が安心して生活、労働できる環境をつくり、世界に歓迎される商品、サービスを提供する日本の産業の蘇生。

   その事によって、バブル経済の不安定性から脱却する強い経済力を持つ国を目指すべきだ。

   そのような国が世界に存在することを証明すれば、その日本から世界経済は蘇生していくに違いない。

   時間がかかるかもしれない。

   時間がかかってもいい。

   日本は、今こそ米国の呪縛から自立し、世界の平和と真の豊かさの発信源たる国を目指すべきである。
  

  

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2008年10月08日

国会審議を正しく報道、解説しない政治メディアの業悪

 まともに国会審議を聞いている一般国民は少ないに違いない。

 汗水たらして働いている国民にはそんな暇はないからだ。

 だからどうしても国民が国会審議を知るのは政治報道に頼ることになる。

 しかし、その政治報道が、国会審議を正しく報道、解説していないとすればどうなるか。

 たしかに、メディアといえども、時間的、スペース的制約によって、国会審議のすべてを報道する余裕はない。

 さわりの部分だけを報道するしかない。

 しかし、その報道されるさわりの部分が、故意にせよ、報道関係者の眼力のなさにせよ、国民に正しく報道されなければ、国民はいつまでたっても国会審議を正しく評価できないままで終わってしまう。

 このような報道が繰返されてきたからこそ、この国の政治意識が低いままに放置されてきたのだ。

 国会審議をメディアが報ずる時の決まり文句は、すれ違い、不毛、平行線などと、決まっている。

 そしてそれは、所信表明演説や、代表質問についてはその通りである。

 あれはあらかじめ官僚が書いた演説の読み上げである。

 野党の質問に答える必要のない一方通行の発言である。まったく無意味だ。

 本格的な審議の始まるのは委員会質疑だ。

 その中でもすべての分野に渡って質問が許され、総理以下全閣僚の出席を求めることのできる予算委員会は国会審議の中心である。テレビ中継もされる。

 ところが、その予算委員会でも、与党議員の質問は八百長質問であるからまったく意味はない。

 あれは与党議員が選挙運動のために自己宣伝をする目的で行なわれるやらせのようなものだ。

 与党議員の質問時間は、大臣を補佐する官僚にとって安心して一息つける休息時間であった。

  このような国会審議は、間違いなく、すれ違い、不毛、平行線である。

   しかし野党議員による委員会質問が始まると国会は俄然熱を帯びる。官僚たちは緊張する。

  いっそ国会質問は野党に限って行なえば多少なりとも国会が政治家のまともな仕事場になる。

  問題は、そのような野党議員による国会審議の場であっても、質問者の不勉強振りと質問の稚拙さによって、審議が深まらない事が多いということだ。これでは政府を追い詰められない。

  たとえば、7日の国会審議を報じる各紙によれば、共産党の志位和夫委員長が、「日本を代表する企業が正社員を非正規雇用に置き換えて大儲けしている」とか、「労働者派遣法を1999年の原則自由化に戻すべきだ」と言ってみたり、社民党の阿部知子政審会長が、「後期高齢者医療制度は75歳以上の高齢者を差別するものだ」と政府を攻撃している。

  実際の質問を聞いていないから無責任な事は言えないが、このような一般的な質問、自分の意見表明のような質問を続ける限り議論は深まらない。政府を追い詰めることはできない。

  かつて小泉元首相は、共産党議員の追及を、「それは共産党の意見だろう。見解の相違だ」という一言で一蹴した事があった。議論が深まらないまま権力を盾に審議拒否で終わってしまうのだ。

  そんな不毛な国会審議の中でも、正しく、鋭く質問すれば政府を追い詰めることができる。

  たとえば同じく7日の菅直人民主党代表代行の質問である。

  自民党と公明党で立場が対立している定率減税の規模と財源問題を巧みについて、「民主党は財源を提示したのに、政府はなぜ未だに明示できないのか」、「今度の選挙のマニフェストになぜ盛り込めないのか」、と質した。麻生首相も斉藤環境相(公明党)もこれに応えられなかった。

  創価学会の政経分離問題に関して法制局の見解を質し、法制局長から「政経分離は憲法で定められた原則だ」という言質をとった。それを麻生首相に確認させた。この事により、この問題をさらに追及する時の足がかりを確保した。

  野党への提出資料の事前検閲問題については、石破農水相の謝罪発言を引き出し、官房長官の省庁横断的な改善策を約束させ、それを麻生総理の責任で行なう約束まで取り付けた。

  これらの発言は議事録に残る。それを根拠に更なる追及ができる事になった。

 さて、前置きがながくなったが、今日のブログの目的は次の一言である。

  7日の予算委員会を政治報道や政治解説者が正しく報道し、解説していれば、政治的に中立的な一般国民は、誰が見ても自民・公明党の対応はいかさまだと思うに違いない。もはやこれ以上自公政権が続いてもだめだと思うに違いない。民主党に政権担当能力があろうがなかろうが、一度は任せてみようと思うに違いない。

  問題は政治報道がそのような報道をしないところにある。

  どちらもどっちだ、議論が深まらない、という書き方でお茶を濁して終わってしまう。

  これはフェアではない。

  この国の政治を国民から遠ざけてきたのは、この国の政治報道と政治評論家の責任である。

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2008年10月07日

 民主党の山口壮議員は平和外交を託す事のできるこの国のリーダーになれるか

まず、次の文章を読んでもらいたい。

 「・・・(給油活動の対象である)アフガン情勢が悪化する中、戦略を誤っている米国の言うままに『テロとの戦い』を大義名分に掲げる麻生首相は完全に間違っています・・・
  アフガン問題の根本には、米国の中東政策の失敗があるのに、麻生首相や自民党にはその認識が著しく欠けています。アフガン攻撃の理由とされた2001年9月の米同時多発テロは、米国がパレスチナ問題などへの対応をめぐり、世界中のイスラム教徒を敵にしたため起きてしまった。正しい世界観の持ち主なら、米国自身にも原因がある側面に気付くはずです・・・
 小泉純一郎元首相は『対米関係さえ良ければ日本の安全保障は大丈夫』とうそぶいたが、そんな考えはあまりに幼稚です・・・
 米経済に変調をもたらした根本原因は、アフガニスタンとイラクで垂れ流す巨額の戦費です。毎日6000億円から1兆円と報道されていますが、75兆円の金融安定化法案に比べ、いかに途方もない金額であることか・・・
 麻生首相が志向する”御用聞き”外交では日米双方の国益は損なわれる一方です・・・
 米国は中東情勢だけで手いっぱいで、北朝鮮との二正面作戦など無理。明らかに北への譲歩に動いています。米国に頼っていれば大丈夫という”刷り込み”はとっくに破綻している。『給油は安上がりな国際貢献』という人もいるが、そんな志の低い理屈は捨て、アフガン問題の根本解決に英知を傾けるべきです・・・
 悪化するアフガンやイラクの実情を直視すれば、力によるテロ解決の限界が浮き彫りになります・・・誤爆、誤射等が外国軍隊への敵視を招く中で、給油の選択では軍事優先のやり方を追認してしまう・・・”戦争をつくる”のではなく”平和をつくる”ことでしかテロはなくならない。自民党は”戦争の党”であり、民主党こそ”平和の党”なのです・・・」

  これは民主党の山口壮(つよし)(兵庫12区)衆院議員が、いま発売中のサンデー毎日(10・19号)誌上で述べている言葉である。

  彼がどこまで本気でこの立場を民主党内部で訴えているか私は知らない。

  彼が、今頃になってこんな事を言い出したのか、米国のイラク攻撃の時から一貫してそれに反対し、このような言動を行なってきたのか、私は知らない。

  しかし、少なくともこの発言は私が繰返して発言してきた事と同じである。

  この考えを突き詰めれば、私がたどり着いた結論、すなわち日本の将来は日米軍事同盟から決別し、憲法9条を世界に掲げて自主、自立した平和外交を行う事ができるかにかかっている、という考えに行く着くはずだ。

  果たして山口壮はそのような政治家なのだろうか。

  それは前原や長島といった民主党の国防、安保政策議員の親米路線と完全に矛盾する。

  民主党の中でどのような議論が行なわれているのだろうか。

  私はまったく知らなかったのであるが山口壮はキャリア外交官出身であるという。

  入省年次は私より10年後の外交官だという。

  2000年に国会議員になったという。

  このような考え方を持った外交官出身の人間が民主党にいて、小沢一郎の外交参謀をつとめていたとは知らなかった。

  「次の影の内閣」の外務大臣候補であるという。

  俄然興味が沸いてきた。

  このサンデー毎日の記事をきっかけに、私は政治家山口壮の今後の言動に注目しようと思う。

  彼が民主党の中にあって、この言葉どおり民主党を平和外交の政党にしていくことができるのか。

  米軍再編協力に完全に舵を切った日本政府の誤りをただし、憲法9条を守る外交の先頭にたって米国と正しく外交していけるのか。

  そこを見届けたい。

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2008年10月06日

岩国から目を離してはいけない


 毎日の報道を根気よく見続けていると、おのずと気づく事がある。

 どの新聞もテレビも、報道する事柄は同じだ。

 それは、限られたスペース、時間帯の中で、最大公約数的に世間が関心を持つニュースは、おのずと決まってくるからだ。

 その同じテーマについて、報道各社が、より早く、より詳しく、そしてより正確に報道しようと競い合う。

 各局お抱えのコメンテーターが、その同じニュースを無責任に評論して終わってしまう。

 しかし、我々受け手にとっては、そのようなニュースや解説は、どれか一つで十分だ。

 それよりも、報道されていない物の中にこそ、我々の生活にかかわる重要な出来事がある。

 とくに権力者の悪については、権力者はそれを国民から隠そうとするする。

 だからこそジャーナリズムは、それを国民に代って発掘し、報道しなくてはならない。

 同じような報道をなぞるばかりでなく、国民の「知る権利」に一つでも多く応えて見せる事こそ、ジャーナリズムの使命なのだ。

 その観点からいえば、今日(10月6日)の報道でなんといっても群を抜いていたのが、東京新聞「こちら特報部」の岩国市米軍住宅建設をめぐる記事である。

 私が岩国市の米軍住宅建設問題を知ったのは、今年2月に行なわれた岩国市長選挙で井原市長を応援する集会にゲストスピーカーの一人として招かれ、岩国市を訪れた時の事だ。

 岩国市財政逼迫の原因の一つに愛宕山開発事業があると、タクシーの運転手に聞かされた。

 1998年にはじまったというその事業は、激しい騒音を伴う米空母艦載機の滑走路を沖合いに移設する工事と関連がある。

 その工事に必要な埋め立て用の土砂を、岩国市の背後にある愛宕山を削って供給し、その跡地を整備して県民数千人が暮らす新しい街を作るという青写真で始められた事業だった。

 ところが経済情勢の変化で需要が見込められなくなったとして、事業主体である県、県住宅公社、岩国市は昨年6月にそのプロジェクトを中止せざるを得なくなったという。

 莫大な借金(244億円)が残り、その返済が市の財政を圧迫した。

 そのタクシーの運転手が言うには、愛宕山跡地は国が買い取って米軍住宅が建てられる、最初からそう決まっていたらしい、国に騙されたのではないか、と。

 私はそれを聞いた時、いかにも政府がやりそうな事だと思った。

 しかしその卑劣な政府のだまし討ちは、岩国市民や、まして岩国市議会の力では糾弾できない。そのやるせなさがこのタクシー運転手の言葉なのだ。

 飴と鞭で地方に米軍再編の負担を押し付けてきた政府の卑劣なやり方に対しては、この国の国会でさえ追及できていない。米軍再編問題についての野党政治家の追及はあまりにも弱い。

 ましてや地方議員や地方住民の力では政府のごり押しを防ぐ事はできない。

 暗澹たる思いを持ってそのタクシー運転手の話を聞いた私は、それ以来すっかりこの話を忘れかけていた。

 10月6日の東京新聞「こちら特報部」の記事は、忘れかけていたその時の話を鮮やかに蘇らせてくれたのだ。

 その記事は、この愛宕山開発問題について、岩国市が国と県から米軍住宅建設の打診を受けていた事実を示す文書の存在が明らかになった、とするスクープ記事であった。

 すなわち今年4月付で作成された「愛宕山地域開発室作成」の議事録によれば、岩国基地に民間空港を再開させる事と引き換えに米軍住宅建設を了承することについての関係者のやり取りが詳細に記されているという。

 6月の県議会では岩国市側は、そのような打診は国や県からは一切ないと言い張っていたという。市民や市議会に大嘘をついていたのだ。

 その岩国市の市長は今年2月の選挙で、空母艦載機のこれ以上の受け入れは住民にとって負担が多すぎると慎重だった井原勝介市長から、受け入れ賛成の自民党福田良彦市長に代った。

 市長が交代した途端に、国はそれまで凍結していた補助金を与え、米軍住宅建設を進めようとしたわけだ。

 東京新聞かスクープした議事録文書が本物であれば、国の背徳の行為はあまりにも露骨だ。

 政府が米軍住宅を建設したいのなら、なぜそれを堂々と岩国住民に説明して了承を取りつけようとしないのか。

 それが出来ないのは、政府の行なおうとしている事があまりにも不当であるからだ。それがわかっているから隠そうとするのだ。

 米軍基地を日本に抱え続ける限り、この矛盾は続く。

 米国の安全保障政策に従うばかりの日本の防衛政策は、いまや日本の国防とは大きく乖離した米国の戦争と、そのための行なわれる米軍再編に、完全に協力させられものとなった。

 その結果、日本を守る為の防衛政策は、もはや完全に国民の利益と反するものになってしまった。

 その矛盾が国会の場で論争されることなく、しわ寄せだけが地方住民に押し付けられていく。

 交付金ばら撒きの飴をなめさせられる住民とこれ以上の米軍基地負担には耐えられないと反対する住民が分断され、基地を抱える地方住民と基地の被害を感じない一般国民が分断されていく。

 分断されてはならない。国家権力の悪に抗していく国民の利害は常に一つのはずだ。

 我々は岩国市の愛宕山米軍住宅建設問題から目を離してはいけない。

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2008年10月05日

 偉大な指導者は現場主義だというポール・ケネディの言葉


  ポール・ケネディという英国の歴史学者がいる。かつてベストセラーとなった「大国の興亡」の著者である。

  そのポール・ケネディが10月5日の読売新聞「地球を読む」でフランクリン・ルーズベルト、ウィンストン・チャーチルと比べてブッシュ大統領を酷評している。

  その趣旨はこうだ。

  小児麻痺で窮屈な車椅子に乗るルーズベルトは第二次大戦の末期に信じられないほどの重要な国外旅行を行なった。英国ならびにソ連と交渉し、アイゼンハワーら司令官たちと協議するためだ。カサブランカ、カイロ、テヘラン、ヤルタ・・・その時の写真には、疲れきった彼の様子が如実に現れている。これらの会議に出席するため、ルーズベルトは死の直前、合計3ヶ月近い時間を費やした・・・

  チャーチルもまた戦時中に行なった旅行の数という点では際立っている。主要な連合国との会議ばかりでなく、戦闘の現場に繰り返し行きたいと言い張り、英軍と英国の大衆を大喜びさせた・・・ノルマンディーでの戦闘の真っ最中に、葉巻をくわえたチャーチルが、英軍の監視台に立ち、眼下のドイツ軍拠点で砲弾が炸裂するのを眺めている写真が残っている・・・

  この偉大な二人の戦時指導者の姿をなぜ思い浮かべたかと言うと、8年間の任期が終わろうとしているもう一人の戦時最高司令官(ブッシュ大統領)の事を考えたからだ。

  イラク侵攻に先立つアフガニスタン侵攻が始まったのは2001年、ほぼ7年前である。この間にブッシュ大統領がイラクを訪れた回数と時間を書き出してみる。2003年11月27日に「2時間半」。米兵との謝肉祭夕食会に出席。バクダッド国際空港内の米軍基地からまったく出なかった。2006年6月3日に「5-6時間」。厳重に要塞化されたバクダッドのグリーンゾーンを訪れた。2007年9月3日に「6-7時間」。西部アンバル州の米軍要塞アルアサド空軍基地を訪問した。

 つまり、戦闘が行なわれた5年あまりの中で、イラクにいた時間は丸1日も満たない。アフガニスタンを訪問に至っては一回限りである。情勢がかなり安定していた2006年3月1日に、カブールで「5時間」を過ごしただけだ。何の意味があったのか。

 これを、一体どう説明すればいいのか。長く混乱した戦争をあおり、何千億ドルもの戦費を要求し、米国民に支持を訴える指導者が、現場でしばし時間を過ごし、現状を見る、それをしない。こんなことがありうるのだろうか・・・
  
 
 読売新聞の記事でポール・ケネディが言いたい事は、偉大な政治家は現場主義であるという事だ。

 そしてハリケーン・カトリーナの直後にせよ、イラクの都市の荒廃した街路にせよ、あるいは9・11同時テロ直後の世界貿易センターの瓦礫にせよ、ブッシュ大統領は災害や挫折の後の現場に近づくのが苦手であり、暗殺をおそれるあまりすべての危険から完全に守られようとした、それをポール・ケネディは、過去の偉大な指導者と比較して疑義を呈しているのだ。

 このポール・ケネディの記事を読んだ私の頭によぎったのは小泉元首相の行動である。

 5年半もの長きにわたって対米追従と郵政改革を叫んだ。テロとの戦いに協力するといって憲法違反を犯して自衛隊をイラクに派遣した。

 しかし、ついにイラクには足を踏み入れなかった。退任した後ただの一度もブッシュ大統領に会おうとしなかった。命を賭けたはずの郵政民営化に至っては、民営化後の郵政会社に足を運んで民営化がうまく行っているのかを見届けようとはしなかった。民営化後の職員を励ます事は一度もなかった。

 小泉の言動は、すべていかさまだったということである。

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2008年10月05日

イランと国連非常任理事国を争う日本


 小さな記事であったが私の興味をひいた記事があった。

 10月5日の毎日新聞は、「現在の安保理にはイランよりもはるかに悪行をしている国がある」と述べて、イランにも立候補の資格があると言ってのけた国連総会デコスト議長(ニカラグア)の事を紹介していた。

 その記事で知ったのであるが、来年1月から任期2年で安保理非常任理事国の交代があるという。その選挙戦の真っ最中であるという。そしてアジア枠一カ国を絞る競争に日本とイランが立候補しているというのだ。

 思い出すのだが、この国連安保理非常任理事国の選挙には日本はいつも立候補して他のどの国よりも頻繁に非常任理事国のポストを独占してきた。

 選挙のたびに、これは負けられない選挙だと勝手に決めつけて、外務省をあげ、援助をばらまいたり、招待外交、訪問外交を繰返して奔走してきた。

 そのおかげもあって、殆どの選挙で勝ってきた。日本はこの非常任理事国のポストを、他の国に均等に与えるという配慮をすることなく、当然のごとく独占してきたのである。

 かつて日本が安保理改革によって常任理事国の座を射止めようとしていた時、「すでに他のどの国よりも頻繁に非常任理事国のポストを経験してきたではないか。それにもかかわらずろくな貢献をしてこなかったではないか。常任理事国ポストを欲しがるよりも、理事国になって何がしたいのか、できるのか、それを明らかにすべきだ」という陰口を叩かれたほどである。

 それに懲りることなく、今度もまた外務省はイランに勝とうと必死で外交工作に励んでいるに違いない。

 しかし、今度の選挙はいつもの選挙よりももっと負けられないに違いない。

 なにしろ、イランは米国、イスラエルと敵対している「テロ支援国家」である。「世界にはもっと悪行をしている国がある」からイランにも立候補の資格がある、と弁護されるくらい、評判の悪いイランである。

 そのイランと戦って負けるのなら、日本は「もっと悪行をしている」国と変わらなくなる。

 いくらなんでもイランよりも世界の支持を得られるに違いない、だから選挙で負ける事はない、そう一般的には思うだろう。

 しかし楽観は許されない。国際政治の現実はそう簡単ではない。

 同じく10月5日の朝日新聞は、中国の国連大使が3日に記者会見を開いて、「アジアグループが統一候補で合意できればその国を支持する」と発言をしたという。

 これは日本支持を明言する事を避けたという事だ。日本が必ずしもアジアグループで推されないかもしれない、という事を言っているのだ。

 私は注目している。果たして日本はイランを差し置いてアジアグループでの統一候補になれるのだろうか。

 その結果は、すなわち日本外交がアジア諸国からどう評価されてきたかを物語るものである。

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2008年10月05日

 私の判断は正しかった

 ・・・(小泉政権の)最大の功績は、9・11に傷ついたブッシュ大統領のアメリカを訪ね、テロとの戦いにおいて「共にある」と語り、それを実行して日米同盟をアップグレードしたことである・・・

 これは毎日新聞連載「時代の風」の10月5日付に掲載された五百旗頭真防衛大学校長の言葉である。

 イラク、アフガンでのテロとの戦いが完全に行き詰まり、戦争を支えるための経済政策が破綻しようとしている。それを世界が目撃し、大騒ぎをしている。

 そんな時に臆面もなく、ブッシュ大統領をいち早く支えた小泉首相の外交を「最大の功績」と讃えるのである。

 小泉、安倍、福田と続く自民党政権に寄り添って防衛大学校校長の職を手にし、防衛相改革や安全保障政策にかかわる数々の審議会、諮問会議の常連となって、いまや御用学者の中でも最も重用されている五百旗頭氏の面目躍如である。

 今から5年ほど前、私が二年後輩の北島官房長(当時)から「外務省を辞めてもらう」と電話一本で突然告げられた時、そのあとに続く言葉が次のようなものであった。

  ・・・2年間だけ生活の面倒を見てやる。神戸大学の政治学部教授のポストを考えている。お前にその資格があるかどうかは最終的には教授会が判断するので保証の限りではないが、竹内次官(当時)と五百旗頭教授(当時神戸大学政治学部長)とは懇意の間柄なので、なんとかなるだろう・・・

  お情けで与えられたその「ありがたい」オファーを、私は丁重にお断りをした。

  第二の人生は、二度と外務省という組織と交わることのない人生を歩んでみせる、そう私はその時決意した。

  それから5年あまりが経った。

  この五百旗頭防衛大学校長の言葉を目にした時、私の判断は正しかったと確信した。

 

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2008年10月04日

民主党はビートたけしを担ぎだしたらどうか


  このブログは半分冗談で書いている。しかし半分はまじめに書いている。

  中山前国交相が突然次の総選挙に出ないと言い出した。

  それを報じる新聞記事は、自民党がすかざず東国原宮崎県知事を担ぎ出すのではないか、と書いている。

  これはあくまでも私の直感であり何の根拠もないのであるが、私はそのまんま東は自民党に請われて出馬するのではないかと思っている。

  彼がどういう志を抱いて宮崎県知事に立候補したかは知らない。

  しかし、知事になってからのそのまんま東は、間違いなく中央政界に色気を出しはじめたと思う。マンゴーや地鶏のセールスに終始するためだけで宮崎県知事になったわけではなかろう。

  よしんばそうであったとしても、そのまんま東は知事職を通じてこの国の権力構造を知ったに違いない。

  中央集権国家のこの国では、所詮知事といえども中央政界のまえにいやというほど知事職の限界を思い知らされたに違いない。

  政治をやるにはやはり国会議員にならないとだめだ、と。

  そこで私の頭をよぎるのはビートたけしのことである。

  これも私の直感で、なんの根拠もないのであるが、私はビートたけしの心中が読める気がしている。

  彼は満たされないものを抱きながら生きている人間であるに違いない。

  満たされないがゆえに彼の生き様にはつねに虚無感が漂う。破滅的な暴力性を感じ取る。

  そんな彼を私はまったく評価しないのだが、少なくとも政権交代前夜の異常な政治状況にあって、ビートたけしの国民的人気は絶大な影響力を持っている。

  しかもビートたけしの一連の言動を見るにつけて、彼が最後に関心を持つのは政治に違いないと思うのである。

  ところがその政治の参加においてそのまんま東に先を越された。

  そしてそのまんま東が国民的支持を受けて脚光を浴びている。

  かつて面倒を見た子分の一人でしかなかったそのまんま東が政治の世界に飛び込んでここまで大成功をおさめた。

 そのことだけでも心中穏やかでないのに、今度は国政に打って出て成功し、中央政界で主要な人物となろうとしている。

 こんな事が許されるか、という気持ちに違いない。

 小沢一郎はビートたけしを訪問し、三顧の礼をもって民主党からの出馬を要請すべきだ。

  それに成功すれば今度の総選挙の勝利もほぼ間違いない。

  自民党のそのまんま東と民主党のビートたけしが、それぞれの政党の政権奪取を賭けた戦いに参戦し師弟対決を繰りひろげる。こんな面白い戦いはない。

  そのまんま東が自民党公認で出馬するかどうかはもちろんわからない。一般的には、様々な理由でそうならないであろうと思われている。

  しかしもしそのまんま東が自民党から出馬する事になれば、その時そこ小沢民主党はビートたけしを選挙に誘い込むべきである。

  そのまんま東に国政参加のインパクトがかすんで見えることになるかもしれない。

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2008年10月03日

格差が問題ではない。分断されつつあることこそこの国の深刻な問題である。


  小泉元首相の引退に関するここ一週間の報道を眺めてみて、一つだけ共通したものがある。

  それは、次男を後継に指名したことに対してだけは、共通に批判、失望の声があがっているという事である。

  小泉偽改革を誉めそやす者であっても、さすがに今日の世襲制政治の支配を認める者はいない。

  それにもかかわらず、次男の当選は確実であるという。

  民主党がどのような候補者をたてようとも勝ち目はないという。

  ここに、この国の絶望を見る。

  日本国民の政治の低さを見る。

  10月3日の東京新聞はその一面で、製造工場で働く派遣労働者の7割以上は、「年齢面で職がなかった」、「派遣しか職がなかった」など、正社員になりたくてもなれない、などの理由でやむなく派遣労働を選択した、というアンケート調査を載せていた。ガテン系連帯(ガテンとはリクルート出版の就職情報誌の名前)の調査結果だという。

  これに対し、つい先日の厚生労働省の審議会調査では、派遣を積極的に選んだ人が多いという正反対の数字をだしていたという。

  10月2日の東京新聞で漫画家の倉田真由美が「本音のコラム」で書いていた。

  ・・・社長令嬢で法曹資格を持つ(私の)知人がこんなことを言っていた。「悪条件で働くくらいなら、資格をとって転職すればいいのよ」

  今の日本では、一方において低所得者層の急増を憂える人がおり、他方においてこういう発言を平然とできる人間が多いことも事実なのだ。

  私がもっとも嫌いな女性作家林真理子もそういう人間の一人に違いない。

  小泉ファンを自称し、公言してきた彼女は、金銭欲、名誉欲、有名欲という人間の本性の負の部分をむき出しにした言動を売りにして成功した一人である。

  それを好む国民がいるからこそ、雑誌の対談や連載で今でも彼女は引っ張りだこだ。

  繰返していう。

  今の日本の問題は格差問題ではない。

  国民が分断されつつある事こそ問題なのだ。

  格差問題が見えない国民が厳然と存在する。

  格差問題解決に人肌脱いでなんとかしようと行動する強者が現れてこない。

  痛めつけられている派遣労働者たちが、小泉二世を当選させる風潮に怒りをぶつけることなく、その矛先を、自分や、より弱い者に向けて自滅していく。

 その社会風潮こそ、この国の深刻な問題に違いない。

  そして、権力は、自らの権力を保持し続けるために、常に国民を分断させようとたくみに策を弄する。

  この事も、我々は知っておいたほうがいい。

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2008年10月02日

 民主党が政権を取った時、真の国民的争点は何になるのか


  国会で代表質問が始まった。

  それをメディアはワンパターンの表現で報じている。

  麻生総理の所信表明演説はまるで野党に対する質問だ。

  小沢民主党代表の答弁は麻生総理の質問に答えていない。あたかも所信表明演説のようだ。

  議論は深まっていない。

  すれ違いの不毛な議論だ、などなど。

  よくもこんな見当違いの報道ができたものだ。

  ならば聞く。

  報道関係者は、官僚が書いた文章を読み上げるだけのこれまでの答弁をどう評価していたのか。

  菅直人の追加質問に答えられなかった小泉元首相の「答弁拒否」事件をどう受け止めていたのか。  
  政権交代前夜を思わせる今度の国会答弁のほうがはるかに面白い。

  それに、彼我の答弁を少しでもまじめに聞いている者であれば、はっきりと違いがわかる。

  官僚と一緒になって予算を私物化してきた従来の政策から脱却できずに、この期に及んでも小手先の変革でこの危機を乗り切ろうとする自民党と、出来るか出来ないかはわからないが、少なくとも予算編成や経済、社会政策において、格差を是正し、弱者に目を向けようとする民主党。

  その違いは明らである。

  あとはどちらの政権を選ぶか、だけの話だ。

  もはや今の時点でこれ以上の政策論争は不要である。

  これ以上の精緻な議論をすることは目くらましだ。

  国民はそれ以上の議論はわからない。関心はない。

  それは政治家や官僚の仕事だ。

  しかし、今度の国会審議でも議論が深まらない問題が一つある。

  小沢民主党が曖昧なままにしている大きな問題が一つだけ残っている。

  それは日米同盟関係をどうするか、という事である。

  麻生総理が、「日米同盟か国連か」とせまったあの問題である。

  小沢代表ははっきり答えるべきであった。

  日米同盟か国連か、という二者択一の問題ではない。

  そういう質問をする事自体が間違っている。

  日米同盟も国連も重要だ。

   しかしより重要な事は、日本の目指す方向を明確に定め、それに向かって自主、自立した外交を取り戻す事である、と。

  そして小沢民主党の大きな問題は、世界に向かって日本がどのような役割を果たすべきかについて、自民党のとの違いが打ち出せない事にあるのだ。

  麻生太郎ははっきりと述べている。日米軍事同盟を最優先する。米国と一緒になって「テロとの戦い」に参戦する。そのためには憲法解釈をあらためて集団的自衛権を行使する。給油活動の継続はあたりまえだ、と。

  それに賛成する国民は麻生自民党に投票すれば言いだけの話だ。その数が多ければ日本はこれからも米国に従属して矛盾を抱えたまま国力を衰退させ、国民生活を疲弊させていくだけだ。

  小沢民主党は、それに対して明確な選択枝を示すべきなのだ。しかしそれが出来ていない。

  それどころか、10月2日の朝日新聞は、小沢代表の10月1日の代表質問を聞いて、米国を別格に位置づける自民党の日米同盟最優先政策と同じだと評価を下した。

  タイミングがいいのか悪いのかわからないが、同じく10月2日の読売新聞は前原民主党副代表のインタビュー記事を載せている。

  この前原という政治家は口を開けば安全保障政策のことしか話さない政治家だ。

  彼が暮らしや経済問題や官僚批判の事をいくら話しても心に響かない。場違いになる。

  その民主党前原が、「国連にすべてを委ねる安全保障は理想論で、現実に即した対応を考える必要がある」と、読売新聞を通じて国民に公言しているだ。

  小沢一郎の曖昧さに対する挑戦だ。日米軍事同盟最優先を明言せよと迫っているのだ。

  壮大な矛盾を抱えたまま小沢民主党は政権交代を狙う。

  それでも政権交代は必要だ。政権交代は不可避だ。

  少なくとも自公政権の継続では日本は救われない。

  政権交代で何かが変わる、その期待を抱かせる。

  小沢民主党に委ねてみよう。

  そして、格差問題の解決や官僚支配の打破や国民優先の政治を実現してもらおう。

  その後で何が残るか。

  国民を二分する大きな政治問題は何か。

  それが、日米軍事同盟問題だ。

  このまま米国の言いなりに日米安保体制を変化させ、強化していっていいのか、という大問題である。

  これこそが吉田茂、白州次郎が取り組み、敗れた問題である。

  63年たった今の日本の政治家、官僚、国民は、自主、自立、日本を思う心において、彼らの足元に及ばないほど後退している。

  

  

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2008年10月01日

真に必要な改革ー最高裁を頂点としたこの国の司法体制を国民の手に


  自衛隊のイラク派遣が違憲であると断じた4月17日の名古屋高裁判決は歴史的意味を持つ。

  それは、単なる違憲判決にとどまらない。

  時の政権が最重要視してきた対米追従政策を、正面から違憲であると断じたのである。

  この判決にとどまらず、最近の司法判断を眺めてみると政府、国家権力に不利になる判決が増えつつあるような気がする。

  今日の各紙は、高松高裁の判決を一斉に報じている。

  すなわち高松高裁は9月30日、愛媛県警の不正経理を内部告発した仙波敏郎巡査部長に対する報復人事を、松山地裁判決同様、「嫌がらせ、見せしめ」と認定して賠償支払いを命じた。

  その少し前の8月25日には、護衛艦「さわぎり」内で自殺した自衛官はいじめが原因であったとする訴訟に関し、福岡高裁は長崎地裁の一審判決を覆し、「上官の言動は違法であり、自殺と因果関係がある」と国の責任を認定した。

  他にも、国を相手取った訴訟について、棄却でなくて原告勝訴とする司法の判決が目につく。

  しかし、これによって世の中が変わりつつあると喜ぶのはまだ早い。

  まだまだまだ不十分だ。

  楽観はできない。

  いつ何時もとにもどって、国民に冷たい判決が再び常態となるかもしれない。

  なぜ司法はここまで国家権力に従順なのか。国民の基本的人権に背を向けるのか。

  その元凶が最高裁判所にあることを私は関係者の言葉から知った。

  すなわち下級裁判所はすべて最高裁の命令で動いている。

  裁判官の人事はすべて最高裁に掌握されている。

  裁判方針が命ぜられ、それに従わない裁判官の人事は、昇給から席次の順位まで最高裁判所に委ねられているという。

  最高裁の方針に逆らう裁判官は給与が増えず、席次まで降格させらfれるという。

  これでは、下級裁判官が正しい判断をしようとも、組織にとどまる限り国にさからう裁判などできるはずはない。

  その最高裁判所は司法官僚で動かされている。

  最高裁判事は国が任免する天下り判事がほとんどだ。

  天下り裁判官によって法廷が構成され、司法方針が決められ、裁判官の言動を縛る。

  かつて私はこのブログで、評論家の屋山太郎の産経新聞「正論」を引用し、社会保険庁長官として年金問題に責任のある厚生労働省OBの横尾和子氏が最高裁の裁判官にとどまっているのはおかしい。そんな最高裁が公正な「法の番人」になれるはずはない、と指摘した。

  この屋山氏の批判のためかどうか知らないが、それからまもなく横尾裁判官は任期を残して急に退任した。

  しかしその後任者として任命されたものもまた官僚OBであった。

  この国に必要な真の改革。その一つが、最高裁を頂点としたこの国の司法体制を国民の手に取り戻すことであることは間違いない。

  

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