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2008年09月11日

はじまったとたんに終わった自民党総裁選挙


 自民党総裁選をめぐる10日一日のテレビや新聞の報道振りを眺めて、つくづく思った。

 自民党総裁選挙ははじまったとたんに終わってしまった、と。

 これから22日の総裁選まで、候補者もメディアも、一体どのようにして10日あまりを過ごすのだろうかと思う。

 この事はおそらく候補者自身も、メディアも気がついているに違いない。

 気がつかなければあまりにも鈍感だ。

 いや、気づいている。11日早朝のみのもんたの「朝ズバッ」で、彼が怒鳴っていた。

 なぜ有毒米の責任について触れないのか、なぜ拉致問題について触れないのか、国民の暮らしと安全を守れないで、何が総裁選か、と気色ばみ、それを聞いていた解説者が大きく頷いていた。

 なぜ自民党総裁選は盛り上がらないのか。

 それは、もそも政策論議などしている時ではないからだ。

 そんなものを聞いている余裕は国民にはないからだ。それは政治家たちの自己満足なのだ。

 壮大な錯覚なのだ。

 候補者が何を言おうが、国民には伝わらない。

 そもそも政策論議はすべて相対的だ。一長一短がある。誰もどれが正解かわからない。

 喋っているものさえわからないのだ。

 その上に、候補者の言葉が本当の事を何も語っていない。選挙目当ての演説だからだ。

 次々と表面化する日本の難問にどう答えるか、その政策を語っていないからだ。

 いや、政策を語ろうとしているのかもしれない。

 しかしどの候補者も、本当の政策論争から逃げているから、国民に響かないのだ。

 なぜ本当の政策が訴えられないのか。

  わかっているけれど、それを言えば自公政権のこれまでの政策の誤りをいう事になるから言えないのかもしれない。

 本音を言ってしまえば国民からそっぽを向かれるから、本音を隠して耳障りのいい事しか言わないのかもしれない。

 そんな中で、「景気対策を優先しなければどうにもならないだろう、この馬鹿!」と一人開き直っているのが麻生太郎だ。

 その物言いは乱暴だ。しかしまさしく国民が望んでいるのはその明快さである。

 だから支持が集まる。

 そして、その明快さは、あの小泉偽改革の時の明快さとは違う。

 実体がある。小泉偽改革の明確な否定という実体がある。

 麻生だけが小泉改革を否定しているからわかりやすいのだ。

 麻生で解決が出来ないとわかっていても、麻生だけは総裁にさせないなど傲慢な口を聞く者がいても、もはやそれ以外の候補者のどの顔を見ても、国民は、そしてメディアも、解説者も、まともに支持する気にはなれないのだ。

 はじまったとたんに一日で終わってしまった自民党総裁選挙。

 繰返して言う。

 これから10日あまり、候補者は、メディアはどう時間を潰すつもりか。

 訴えるべき事は一日で終わってしまった。報道すべき事は一日で終わってしまった。

 これから同じような事を繰返していては、国民の心はどんどんと離れていく。しらけていく。

 自民党は敗北必至だ。

 自民党もメディアも何かを考えなければならない。

 それは何か。

  小沢民主党叩きか。

  新党結成の動きか。

  究極のドラマは小泉を引っ張り出してきて、文字通り麻生、小池(小泉)の代理戦争を行う事だ。

  しかし、小池陣営は、「小泉さんは負けるけんかはしない人だ」と様子をみるしかないという(9月10日読売)。

  沈黙する小泉元首相に小泉チルドレンはばらばらであるという(9月11日)。

  どうやら、今後の唯一の見せ場は小泉元首相が出てくるかどうかになりそうだ。

  出てきても、国民の反応は完全に二分するだろう。

  世論調査でも明らかだ。期待の声もあるがブーイングも強い。

  負け戦を嫌って出てこなければ、文字通り小泉再登場は完全になくなることになる。

  面白いことになってきた。

  

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2008年09月10日

私の目には決して順調ではない可能性が見える


  自民党総裁選が本格化し、福田首相の突然の辞任会見がずいぶん昔のことのようだ。

  しかし私は今でも辞任記者会見の福田首相の発言の中で、ある言葉が忘れられない。

  辞任会見の福田首相の言葉のなかで私が一番驚いた言葉である。

 それは、「福田首相が辞任したからといって自公政権は良くなるのか」といったような質問をした時だ。

 正確にはどのような言葉だったかは忘れたが、たしかそういう趣旨の質問であった。

 その時福田首相は、少しためらった後で、うまく行かないと私は思う、というような発言をした。

 私はそれを聞いた時、「福田さん、凄い事を口走ったなあ」と思った。

  これは自公政権に将来はない、と認めた事だ、誰が自分の後を引き継いでも、今の自公政権の行き詰まりは克服できない、と認めた事だ、と私は内心とても驚いた。

 だからこの発言はこれからの政治報道の中で大きく取り上げられていくだろう、と思った。

 ところがどの報道もこの発言を取り上げなかった。

 「私はあなたと違って自分を客観的に見る事ができる」という例の捨てゼリフばかりが面白しろおかしく何度も取り上げられるばかりで、自分の見通しでは自公政権はもはや誰が総裁になっても駄目だ、と言うに等しい、この言葉は一切触れられる事はなかった。

 そう思っていたら、やっと9月6日の毎日新聞「近聞遠見」で岩見隆夫氏が、

 ・・・福田も熟慮の末の辞任だろうが、熟慮の中身が問題で、「私の先を見通す目の中には、決して順調ではない可能性がある」(辞任会見)という発言には驚かされた・・・

 と書いていたのを見つけた。

 しかし、なぜ驚いたのかという理由は一切言及なく、その発言の無責任ぶりにあきれるという程度の軽いものだった。私には不十分な言及であった。

 そしてとうとう私は、福田発言の本当の意味を解説してくれる文章に出会った。

 今日(9月10日)発売の週刊新潮は「公明党よ、驕るなかれ」、という元公明党矢野絢也氏の手記を載せていた。

 その中で矢野氏は次のように福田発言を解説しているのだ。

  ・・・なにしろ福田さんも辞任の会見で言ったではありませんか。自公政権の先行きについて見解を問われ、「私の目には、決して順調ではない可能性が見える」と。
    あれこそは身をもって公明党のごり押しを実感した首相の、万こくの思いを込めた発言です・・・

  なるほど、これで合点が言った。

  福田首相は、単に自民党が政権を失う事を憂えているのではなかったのだ。公明党と連立を組んだ自民党に将来はない、と言いたかったのだ。

  私は9月2日のブログで福田首相を倒したのは創価学会と米国である、と書いた。

  少なくとも前者については図星であったということだ。

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2008年09月10日

メディア批判を批判する


  9月10日の読売新聞に学習院女子大学教授の石澤靖治氏(メディア関係論)が

  「遅かった『ひとごと』批判」という見出しで、メディア批判を書いている。

  その要旨はこうだ。

  ・・・9月1日の福田首相辞任会見の最後に、ある記者が総理の会見は人事にように聞こえるという質問をし、これに怒った福田首相が、あなたと違って私は自分を客観的に見る事ができる、と捨てゼリフを吐いた。
  毎日記者会見をしておきながら、なぜいままでこのような鋭い質問が記者の間から出てこなかったのか。
  それは暗黙の了解が記者と総理の間にあるからだ。この実態を、フリージャーナリストの上杉隆氏が「ジャーナリズム崩壊」(幻冬舎)で明らかにしている。つまりなれあいの会見をわれわれは毎日見せられてきたのだ。
  総理会見の場は、首相の一方的なメッセージ発信の機会にはなっていても、ジャーナリズムが首相をチェックし、批判する場にはなっていない。
  「ひとごと」批判は、福田首相が退陣するときになされるべきではなく、それより前に行なわれているべきであった・・・

  その事に異論はない。

  しかしこの八百長質問会見を考え出し、もっとも利用したのは小泉・飯島コンビであった。

  いまごろになってジャーナリズムの権力迎合を糾弾する上杉は、小泉・飯島に迎合することで生き残ってきた。

  いまでも小泉・飯島批判は行なわない。

  あのとき小泉会見のいかさまを糾弾していたら、あれほど小泉政権は長続きしなかった。

  日本はここまで壊れる事はなかった。

  小泉偽改革が自民党総裁選の政策論争で否定されるようになった。

  しかし、今でもメディアは小泉改革の嘘を正面から指摘できないでいる。

  その一方で、本気で権力批判をしてきた気骨あるフリージャーナリストは多く存在する事を私は知っている。

  問題は彼らを、既成メディアが排除してきた事だ。

  世に重宝されているジャーナリストはすべて権力と馴れ合っている。

  そのようなジャーナリズムの自己批判は、所詮はおためごかしだ。

  既成ジャーナリストが退場し、これまで注目されていなかったジャーナリストが世にでてくる事が必要だ。

  ジャーナリズムの世界もまた政権交代が必要な時である。

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2008年09月09日

 不必要に騒ぎ立てては問題の本質を見失う


  相撲界の麻薬騒動がスポーツ紙の一面を独占している。

  スポーツ紙どころかメディアの中心となっている。

  しかしここまでこの問題を長引かせたのは誰か。

  麻薬という最も深刻な反社会的犯罪は、警察が直ちに介入し、少しでも疑いを持たれた者は直ちに逮捕され、その決着は司直の手に委ねられるのがこれまでの常だ。

  芸能人でもスポーツマンでも、ましてや一般人は、弁解の余地なくつかまっておしまいだ。

  それなのになぜ相撲界に限ってはここまでもたもたしていたのか。

  毎日のメディアのネタになっていたのか。

  メディア大騒ぎの不思議は他にもある。

  たとえば選挙なき小沢民主党再選に対する執拗な批判である。

  それは今でも続いている。

  私が見るところでは、小沢再選を弁護した論調は皆無だ。すべてのメディアが批判している。

  しかし、公明党や共産党の党首選出の無投票ぶりには、一言も批判はない。

  それどころか言及さえしない。

  翻って、自民党の総裁選がここまで茶番劇に堕している事を、もはやすべてのメディアが笑いものにしている。

  選挙をしてもしなくても大騒ぎをするのだ。

  にわかに大騒ぎになった有害米事件もそうだ。

  確かに、あのメタミドホス農薬や、発癌物質で名の通ったアフラトキシンなどに汚染されている有害米が食用に使われていたとなれば大問題だ。

  それを知りながら長年繰返していた社長がいたとは驚きだ。許せない。

  しかしそれを食した消費者の被害状況に一言も触れることなく、毒性の重大さばかりを騒ぎ立てると国民はパニックになる。

  あの耐震偽装事件の時に、買ったばかりのマンションから立ち退きさせられた国民が出た時と同じだ。

  一部のマンションが見せしめのように壊され、その他多くのマンションが修繕で誤魔化されて終わってしまった。

  そして、あの時も今度も、監督官庁の見過ごしが指摘されたけれど、その追及は行なわれなかった。

  内部告発でとっくの昔に官僚たちは知っていたにもかかわらず、官僚たちは、隠蔽、もしくは怠慢で被害を拡大した。

  その責任を問われることなく、あの時も、今度も、泣き寝入りさせられるのは消費者であり、直接に責任のない業者である。

  今度の有害米事件も、何も知らずに有害米を使っていた酒業者などにとっては、「降って沸いた災難だ」、「血圧が上昇して倒れそうだ」、「倒産を覚悟している」、などと悲痛な声をあげている。

 それは正直な今の心境に違いない。

  9月9日の朝日新聞はその社説で「農林水産省は昨年はじめに転用の情報を得ていたのに、事実を突き止められなかった事がわかった」と書いている。「今回浮き彫りになったのは、農水省の対応のお粗末さだ。食の安全を揺るがす事件が相次ぎ、食品業界への監視を強めていたはずなのに、不正を長く見過ごしていた」と書いている。

  その農水省は8日、「監視体制が不十分だった」と認めている(8日各紙)。

  メディアはいたずらに大騒ぎをするべきではない。

  国民に本当に知らせなければならない事を大騒ぎをして報道しろ。

  さもなけばメディアも権力犯罪に加担した事になる。

  国民を裏切る事になる。

  かならずしっぺ返しを食らう。

 

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2008年09月08日

 長銀無罪判決の教訓


  これも9月8日の東京新聞の記事に基づいて書いている。

  今度は社会部の瀬口春義という記者の記事である。「長銀無罪判決の教訓」と題して、自らの反省の弁を書いている。

  すなわち、瀬口記者は、7月18日に最高裁が長期信用銀行の元頭取大野木克信被告ら旧経営陣に対し、逆転無罪の判決を下した事について次のように書いているのだ。

  まず、瀬口記者は、被告らの弁護人が、記者会見で述べた、次の言葉を引用して書き始める。

  「多くの報道機関が今か今かと(長銀幹部らの逮捕を)待ち受けていた。その状況下、検察官は肩を押され(長銀幹部らを)起訴した。法に照らすのではなく、ムードによって起訴した」

  そして、瀬口記者は、「この弁護人の言葉は、厳しい検察批判であると同時に、検察に追従し世論をあおったメディアへの痛烈な批判でもある。当時、取材班にいた私の胸にぐさりと刺さった」、と正直に告白する。

  その後に続く溝口記者の記事は、東京地検特捜部の、「最後に三振した打者だけが罪を問われる」というを見せしめ起訴に対する批判と、その筋書きを疑わずに報道するメディアのジャーナリズム精神の喪失への反省の言葉で溢れている。

  そして一年前にあれだけ熱狂して被告人質問を取材していたメディアが、一年後の最高裁の逆転無罪判決の時には、取材席にいた記者は彼一人であったという、冷めやすさにあきれ返る。

  私は7月19日のブログで「長銀無罪判決で問われる本当の意味」と題して、国民の怒りが政府・大蔵省に向かう事をさけるための、見せしめ長銀有罪判決が、それから10年たって、国民が忘れた頃を見計らって、被告の名誉回復を図ったのだ、逆転無罪判決は出ても、真の責任者を問わないで済ませるのは、政府・大蔵省と検察・裁判所の談合による責任回避だ、という事を書いた。

  溝口記者の今日の記事は、その時の私も考えが間違っていなかった事を確認させてくれた。

  この国は、政治、検察、司法、メディアが、馴れ合いながら身内の罪をかばい合っている。

  少なくともその一角を占めるメディアの人間が、新聞でここまで反省するとは好感が持てる。

  若い記者だからこそ反省できる勇気があるのだ。

  メディアの劣化を嘆くよりも、このような記者がいる事を知って、この国のメディアへの期待を繋ぎ止めたい。

  それが変わらない限り、国民は救われない。

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2008年09月08日

政治が混迷している隙に官僚が跋扈する


  政局は話はおもしろくて、つい書きたくなる。書くネタはいくらでも出てくる。

  しかし政局の話はくだらない。書いていて心が寒くなる。学ぶ事はなにもない。

  だからつとめて政局以外のことを書くようにしている。

  政局のドサクサにまぎれて見落としてはならない事がいくつもあるからだ。

  9月8日の東京新聞に載っていた、「不可解だった日本の抵抗」は極めて秀逸な記事である。

 政治部の清水孝幸という記者が次のように書いている。

  ・・・防衛省は来年度予算の概算要求で、クラスター爆弾を廃棄する方法の調査費として約2億円、クラスター爆弾の代替兵器として誘導能力の高いミサイル調達に約73億円、を盛り込んだ。
  これは不可解だ。
  防衛省は「海岸線の長い日本の防衛にとって、クラスター爆弾の面的制圧能力は大きい。現段階で代替できる能力はない」と最後までクラスター爆弾の禁止に反対した。外務省はその防衛省の言いなりであった。
  そのために日本は平和国家のイメージを失い国際的に評判を落とした。
  クラスター爆弾にこだわるならば、(日本などが要求し、その結果)クラスター爆弾禁止条約で例外的に認められた最新型クラスター爆弾を、どうして代替兵器に選ばなかったのか。
  子爆弾が10個未満と少なく、攻撃対象を識別する機能を持ち、不発の場合には自己破壊できる装置のある高性能型で、フランスやドイツが保有しているものだ。
   ところが防衛省はこうしたクラスター爆弾の導入には目もくれず、精度の高い単弾頭の爆弾を採用して予算要求を行なった。
   その理由がふるっている。上陸してきた敵を「面」で一気に叩く戦術から、「ピンポイント」で正確に敵を攻撃する戦術に切り替えたというのだ。
   戦術を変えても対応できるなら、どうしてあれほどクラスター爆弾禁止に反対したのか。はやく同意していたら、交渉で日本がもっと指導力を発揮できたのに。
   反対は一体何のためだったのか。クラスター爆弾禁止条約に不参加の米国への配慮だったのか。それとも外から強いられる変化を嫌う組織のエゴだったのか。
   それにしても、そもそも廃棄方法の調査に、なぜ2億円もかかるのか。
   焼け太りにならないよう監視しなければならない・・・

  この清水記者の指摘は鋭い。

  ことほど左様に官僚たちの仕事振りはいい加減なのだ。

  国民の血税にもかかわらず、自分たちの懐が痛まないので、無駄な要求を腹いっぱいするのだ。

  政治が貧困である事をいい事に、官僚たちは好き放題に予算要求をする。

  総裁選や政権交代で政治が空白であることを、さぞかし官僚たちは喜んでいるに違いない。

  情けない政治家たちだ。政治不在のなかで、亡国官僚の群が跋扈している。

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2008年09月08日

政局の小泉、その出方ですべては変わる

  
  自民党総裁戦で政治ニュースは持ちきりだ。

  下馬評では、麻生本命、対抗馬与謝野だという。

  しかし、私は麻生と小池百合子の一騎打ちに収斂してこそ、今度の自民党総裁選の最大の見せ場が訪れると考えている。

  そして小池自民党総裁と小沢民主党総裁が政権をかけて対決する総選挙こそ、天下分け目の決戦になると思っている。

  小泉元首相が小池百合子を応援し、事実上の小泉、小沢の代理戦争になってこそ、面白い。

  自民党が生き残りを賭けるためにはそれがベストだ。

  私が自民党の責任者ならそうする。

  必ずそうなるだろうと思っていた。

  ところが今のところ意外な展開になっている。

  小池百合子が苦戦し、小泉チルドレンが分裂している。

  小泉改革路線を継承する者たちが入り乱れている。

  自民党の結束が失われてしまったのだ。

  小泉人気に頭を下げるぐらいなら下野してもいいと考える自民党議員が増えているということだ。

  そんな中で、「政局男」を自認する小泉元首相の姿がまったく見えてこない。

  メディアもそれを取り上げない。

  そう思っていたら、やっと日経新聞が9月8日の紙面で小さく次のように書いていた。

  ・・・「中川秀直元幹事長の狙いは、小池百合子元防衛相を立てて政界再編の布石を打ちたいということなのでは」(町村派幹部)・・・(しかし小池百合子は)「切り崩しにあっている」(小池氏)状況で苦戦気味。頼みの綱は「小泉チルドレン」ら若手議員で、束ね役の武部勤元幹事長が協力を要請している。
   ただ、小泉純一郎元首相自身は今回の総裁選で沈黙を続けている・・・

  本当に小泉元首相は最後まで動かないのか。

  動かないかもしれない。

  福田首相じゃないけれど、「自分の事を冷静に見つめられる」男であれば、自分の神通力が権力を手放したとたん急速に薄れつつある事を自覚しているはずだからだ。

  しかし、私は動くほうに賭ける。自民党のためにではなく、自分のために。

  もしこのまま彼が小泉チルドレンを見殺しにして沈黙を守り続けるならば、それは小泉チルドレンの終焉と同時に、文字通り自分自身の政治的出番の終わりを意味する。

  小泉元首相はこのままでは終わらない。終わるには生臭すぎる。

  小泉元首相はこのままでは終われない。息子に地盤を譲るまで小泉人気を保たなくてはならない。

  はたして小池自民党総裁の誕生はありうるのか。

  もし小池百合子議員が20人の推薦人を集められなかったなら、それは小泉元首相が動かなかったということだ。そして小池百合子の政治的影響力は終わりとなっただろう。

  どうやら20人の推薦人を集めて総裁選に出る事になったようだ。

  しかし、それは小池百合子の総裁選勝利を意味するものではない。

  おそらく小池百合子は総裁選に勝てないだろう。

  問題はその時だ。その時こそ小泉新党が旗揚げする時である。

  それが総選挙の後か前かはわからない。しかし小池百合子を応援して、それでも小池百合子が自民党総裁になれなければ、間違いなく小泉新党は誕生する。

  そして、さすがに一頃の人気はなくなったとはいえ、小泉元首相は30人ぐらいの候補者を当選させられる。私には信じられない事であるが、いまでも純ちゃんと騒ぐ国民が少なからずいるのだから。

  その時こそ小泉新党がキャスティングボートを握る時だ。小泉元首相が政界で存在を示す時だ。

  果たしてそうなるだろうか。勿論私にはわからない。

  私を面罵する投書は少ないけれど、中には「小泉を批判して飯を食っているのだから小泉がいなくなって一番困るのはお前だろう」というのがあった。

  これには苦笑してしまった。

  その通りである。だから私はこれから起きる日本政治の混迷を、小泉新党結成の方に賭けるのである。

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2008年09月07日

 不誠実なありかたは、人も、国家も滅ぼす事になる


 イラク攻撃以降の米国も、日本も、ものの見事に崩壊しつつある。

 それはあたかもあの戦争で無念の死をとげた人たちの怨念がそうさせているかのようだ。

 私はイラク戦争を支持した小泉元首相の誤りを正面から批判し続けてそれまでの人生を失った。

 それは想像以上の大きな犠牲と無念であった。その間の5年間は自問自答の毎日であった。

  しかし、もし私がこの試練に耐え抜く事ができるとしたら、自分を偽らなかったという自負に支えられたからだ。

  間違った事を知って、「それは正しい」と嘘をつかなかったすがすがしさを唯一の後ろ盾として生きていけるからだ。

  不誠実は、人も、国家も、内部崩壊させることになる。

  9月6日、原子力供給国グループがインドへの核燃料や原子力技術の輸出を認める「例外扱い」を全会一致で承認した。

  それが正しいと思って加盟国は全会一致したわけではない。

  この会議は全会一致でないと物事は決まらないことになっている。合意か決裂かしかないのだ。

  ニュージーランドをはじめオーストリア、アイルランド、スイス、北欧諸国、デンマークなど反対派の小国の慎重派を米国がおしつぶしたのだ。

  ある国には核開発を認め、ある国にはそれを厳禁する。この米国のダブルスタンダード。これほどの偽善、不誠実はない。

  さすがに、これでは核不拡散を防げないと6日の大手各紙は一斉に批判している。

  産経新聞でさえも、沈黙を守り、米国が正しかったとは言えない始末だ。

  それにもかかわらず、米国はインドが「核実験の凍結を継続する」と口約束をした事をことさら強調して、画期的な前進だと自画自賛する。

  唯一の被爆国として、誰よりも核不拡散、核廃絶を世界に訴えなければならない日本は、自らを偽って米国に追従し続ける。

  これは偽善だ。あまりにも不誠実だ。

  ロシアの南オセチア承認を批判した欧米は、ロシアから、お前たちがコソボ独立を承認した時とどこが違う、と言い返されて、ぐうの音もでなかった。

  インドと同じように核不拡散条約加盟を拒否し続ける北朝鮮は、核無力化の6カ国協議の合意を破って核施設の再稼動に手をつけた。

  米国や日本はこれを批判できない。

  外交がここまで無力になってしまったのは、外務官僚が自らの不誠実さゆえに内部崩壊しているからだ。同僚たちの暗い顔を今でも思い出す。

  自公政権がここまで行き詰ってしまったのは、彼らが国民を裏切ってきたからだ。その報いが政治的混乱として今彼らを襲っている。

  人も国家も、おのれの不誠実に、最後は自壊する。

  
  

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2008年09月06日

面従腹背の政治、面従腹背の日本からの解放


 読売新聞が毎週土曜日に連載している辻井喬(堤清二)の回顧録「叙情と闘争」の中には、時として興味深い記述がある。

 今日9月6日のなかにも次のようなエピソードが書かれていた。

 1978年、ソ連がまだゴチゴチの共産主義国家であった時、堤はエルミタージュ美術館を訪れてそこの女性キュレーターの次のような言動を見た。

  地下の倉庫に眠っている数々の名画(ボッシュ、ブリューゲルからはじまって黄金時代のスペインの名画、ラ・トゥール 、プッサン、ファン・ダイクなど、そしてロココ美術の次に印象派、後期印象派など)を案内された堤は、
  
  「これらの絵は地方の美術館に貸し出すことはないんですか」

 とそのキュレーターに尋ねる。すると彼女は、

  「ありません。なぜならこれらは社会主義リアリズムの作品ではなく、くだらないもので国民教育上もよくないのですから」

  と答える。

  しかし、そういう言葉とは裏腹に彼女が名画に触る手つきは、さもいとおしい物を扱う際の柔らかさだった、と書いている。

  そして、その後に、堤は続けて次のように書いているのだ。

 ・・・僕は中年の女性キュレーターが、本当はこれらの絵が好きだし、その価値をよく知っているのだと覚り、すると面従腹背という言葉が浮かんできた。
    僕はその直感を口にはださず、夜行列車のなかで、この国で役人として無事に勤めあげるためには自分の思想を持たない事だ、と言ったP・イリイチの言葉を反芻していた・・・
    人間だから思想を持たないということは不可能に近い。とすれば彼が主張したことの実質は面従腹背ということではないか。表向きは従っているように見せて、本音は隠しておくこと・・・

   そういった後で、堤は自分自身の生き方がそうではなかったのか。父親に対する少年時代の自分、ビジネスマンとしてゆく先々で違和感を覚える自分を、押し隠してきたのではないか、と自問するのである。

   思うに面従腹背の経験は、古今東西を問わずあらゆる人間が経験する事に違いない。

   そしてその矛盾にもはや耐え切れなくなった時、人も、国家も、自壊し、大きな転換を余儀なくされる。

   日本の政治も、日本国民の意識も、今まさにその時期にさしかかっているのではないか。

   面従腹背の欺瞞をかなぐり捨てて一度ぐらいは本音で生きてみろ、崩壊の後に待っているのは絶望ではなく、希望だ。それが人間解放なのだ。

   そういう時代の声が聞こえるような気がする。
    

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2008年09月05日

  民主党に喝をいれる

  自民党の総裁選の事ばかりが報じられて、福田自民党の責任問題も、民主党の党首選挙も忘れさられてしまう。これは自民党の策略だ。小泉郵政選挙の二の舞だ。

 そういう声が政権交替を望む人たちから聞こえる。

 肝心の民主党関係者たちも、「埋没」を懸念し対応策に追われているが名案がないという(9月5日日経)。

 それは認識不足もはなはだしい。追い込まれているのは自民党だ。

 民主党にとって天が与えてくれた千載一遇の好機なのだ。

 突然の福田自民で後継総裁争いがニュースのなるのは当たり前だ。国民は関心がある。

 それをメディアが追うのは当然だ。格好の政治ニュースだ。

 しかし、見ているがいい。目の前に繰り広げられている候補者の顔ぶれを。いずれも名誉欲に目がくらんだ者たちの醜態な生き残り争いだ。国民にアピールするはずがない。

 いいかげんにしろ、とますます人心は自民党から離れていくに違いない。

 自民党総裁選のメディアジャックを恐れる暇があれば、今こそ民主党はその存在価値をアピールすることだ。

 ところが、民主党で報じられる事と言えば、無投票での小沢党首再選とか、造反した女性議員を「姫、もう一人にさせないよ」などと慰留する、幹部の痴態ばかりである。

 そんな事だから埋没するのだ。

 口を開けば、いわずもがなの福田自民党批判を繰返すしか能のない民主党だから、国民の心をひきつけられないのだ。

 政権をとれば、自公政権が決してできなかった事をやるんだ、という明確な公約を、民主党は今こそ国民の前に訴えて、閉塞感に打ちひしがれている国民の心を揺さぶるのだ。

 9月5日の朝日新聞の社説は、久しぶりに朝日新聞らしい社説だった。

 沖縄密約に触れ、米外交文書で動かぬ証拠を突きつけられているのに、なぜ日本政府は密約の存在を否定し続けるのか。
 それは密約が、沖縄返還土地原状回復経費400万ドルというちっぽけなものの肩代わりにとどまらず、将来にわたって総額何兆円にも及ぶ多額の財政負担を、米国から約束させられていたのではないか、その重大な密約までも認めざるを得なくなるから隠し続けるのではないか、と指摘している。

  この疑惑は、西山太吉氏の「沖縄密約」(岩波新書)によって見事に追及されている。
  つまり当時の福田赳夫大蔵大臣の命を受けた柏木財務官が、外務省さえも欺いて、米側の財政負担を肩代わりすると約束していたのだ。
  思いやり予算などという違法な事をしてまで長年にわたって莫大な財政負担を続けなくてはならなかった、その原点が、この密約にあるというのだ。

  そしてその密約は、このあいだローレス元国防次官補が口を滑らせたごとく、沖縄海兵隊のグアム移転経費3兆円を日本が肩代わりするとして、いま再び新たな密約が繰返されようとしているのではないか、という疑惑につながる。

  朝日新聞の社説は次のような言葉で締めくくられている。

 ・・・この国の主人公は国民であり、公文書は国民のものである・・・自民党政府が密約を認めないなら、民主党は、政権交代を通じて歴代政権の嘘を暴くと国民に公約してはどうか。日本の民主主義の成熟度を問う、それほど重い問題なのだ・・・

  民主党はこの朝日新聞の社説を目を開いて読む事だ。

  民主党は、自民党が総裁争いにうつつを抜かしているこの時にこそ、自分たちが政権をとった時は、歴代の自民党政権が隠してきた悪事を全部情報公開してみせる、という公約をぶち上げるのだ。

  マニフェストとは、官僚と張り合って、こむつかしい政策目標を羅列することではない。

  この国の腐りきった権力構造を叩き潰して一から出発するという、再生宣言である。

  一部の指導者たちだけの間で権力を独占し、たらいまわしし、私物化してきた、そしてその事実を隠蔽してきた、そういうこの国の今までのあり方を変え、それを国民の手に取り戻す、という、民主革命宣言なのである。

  それを成し遂げる閣僚名簿を、今の時点で発表して覚悟を示すのだ。

  それは影の内閣といった遊びではない。

  政権を取った後は小沢内閣はこの顔ぶれになる、という事を示し、小沢派も反小沢派もふくめた民主党のオールスターの顔ぶれで、日本の建て直しを図る決意と覚悟を、国民の前で公約するのだ。

  これが出来なければ日本の将来はない。自分たちの政治生命もない。そういって覚悟の程を見せつけるのだ。

  それができるチャンスを天が与えてくれているのだ。

  これを逃がす手はない。

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