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2008年09月10日

私の目には決して順調ではない可能性が見える


  自民党総裁選が本格化し、福田首相の突然の辞任会見がずいぶん昔のことのようだ。

  しかし私は今でも辞任記者会見の福田首相の発言の中で、ある言葉が忘れられない。

  辞任会見の福田首相の言葉のなかで私が一番驚いた言葉である。

 それは、「福田首相が辞任したからといって自公政権は良くなるのか」といったような質問をした時だ。

 正確にはどのような言葉だったかは忘れたが、たしかそういう趣旨の質問であった。

 その時福田首相は、少しためらった後で、うまく行かないと私は思う、というような発言をした。

 私はそれを聞いた時、「福田さん、凄い事を口走ったなあ」と思った。

  これは自公政権に将来はない、と認めた事だ、誰が自分の後を引き継いでも、今の自公政権の行き詰まりは克服できない、と認めた事だ、と私は内心とても驚いた。

 だからこの発言はこれからの政治報道の中で大きく取り上げられていくだろう、と思った。

 ところがどの報道もこの発言を取り上げなかった。

 「私はあなたと違って自分を客観的に見る事ができる」という例の捨てゼリフばかりが面白しろおかしく何度も取り上げられるばかりで、自分の見通しでは自公政権はもはや誰が総裁になっても駄目だ、と言うに等しい、この言葉は一切触れられる事はなかった。

 そう思っていたら、やっと9月6日の毎日新聞「近聞遠見」で岩見隆夫氏が、

 ・・・福田も熟慮の末の辞任だろうが、熟慮の中身が問題で、「私の先を見通す目の中には、決して順調ではない可能性がある」(辞任会見)という発言には驚かされた・・・

 と書いていたのを見つけた。

 しかし、なぜ驚いたのかという理由は一切言及なく、その発言の無責任ぶりにあきれるという程度の軽いものだった。私には不十分な言及であった。

 そしてとうとう私は、福田発言の本当の意味を解説してくれる文章に出会った。

 今日(9月10日)発売の週刊新潮は「公明党よ、驕るなかれ」、という元公明党矢野絢也氏の手記を載せていた。

 その中で矢野氏は次のように福田発言を解説しているのだ。

  ・・・なにしろ福田さんも辞任の会見で言ったではありませんか。自公政権の先行きについて見解を問われ、「私の目には、決して順調ではない可能性が見える」と。
    あれこそは身をもって公明党のごり押しを実感した首相の、万こくの思いを込めた発言です・・・

  なるほど、これで合点が言った。

  福田首相は、単に自民党が政権を失う事を憂えているのではなかったのだ。公明党と連立を組んだ自民党に将来はない、と言いたかったのだ。

  私は9月2日のブログで福田首相を倒したのは創価学会と米国である、と書いた。

  少なくとも前者については図星であったということだ。

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2008年09月10日

メディア批判を批判する


  9月10日の読売新聞に学習院女子大学教授の石澤靖治氏(メディア関係論)が

  「遅かった『ひとごと』批判」という見出しで、メディア批判を書いている。

  その要旨はこうだ。

  ・・・9月1日の福田首相辞任会見の最後に、ある記者が総理の会見は人事にように聞こえるという質問をし、これに怒った福田首相が、あなたと違って私は自分を客観的に見る事ができる、と捨てゼリフを吐いた。
  毎日記者会見をしておきながら、なぜいままでこのような鋭い質問が記者の間から出てこなかったのか。
  それは暗黙の了解が記者と総理の間にあるからだ。この実態を、フリージャーナリストの上杉隆氏が「ジャーナリズム崩壊」(幻冬舎)で明らかにしている。つまりなれあいの会見をわれわれは毎日見せられてきたのだ。
  総理会見の場は、首相の一方的なメッセージ発信の機会にはなっていても、ジャーナリズムが首相をチェックし、批判する場にはなっていない。
  「ひとごと」批判は、福田首相が退陣するときになされるべきではなく、それより前に行なわれているべきであった・・・

  その事に異論はない。

  しかしこの八百長質問会見を考え出し、もっとも利用したのは小泉・飯島コンビであった。

  いまごろになってジャーナリズムの権力迎合を糾弾する上杉は、小泉・飯島に迎合することで生き残ってきた。

  いまでも小泉・飯島批判は行なわない。

  あのとき小泉会見のいかさまを糾弾していたら、あれほど小泉政権は長続きしなかった。

  日本はここまで壊れる事はなかった。

  小泉偽改革が自民党総裁選の政策論争で否定されるようになった。

  しかし、今でもメディアは小泉改革の嘘を正面から指摘できないでいる。

  その一方で、本気で権力批判をしてきた気骨あるフリージャーナリストは多く存在する事を私は知っている。

  問題は彼らを、既成メディアが排除してきた事だ。

  世に重宝されているジャーナリストはすべて権力と馴れ合っている。

  そのようなジャーナリズムの自己批判は、所詮はおためごかしだ。

  既成ジャーナリストが退場し、これまで注目されていなかったジャーナリストが世にでてくる事が必要だ。

  ジャーナリズムの世界もまた政権交代が必要な時である。

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