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2008年09月06日

面従腹背の政治、面従腹背の日本からの解放


 読売新聞が毎週土曜日に連載している辻井喬(堤清二)の回顧録「叙情と闘争」の中には、時として興味深い記述がある。

 今日9月6日のなかにも次のようなエピソードが書かれていた。

 1978年、ソ連がまだゴチゴチの共産主義国家であった時、堤はエルミタージュ美術館を訪れてそこの女性キュレーターの次のような言動を見た。

  地下の倉庫に眠っている数々の名画(ボッシュ、ブリューゲルからはじまって黄金時代のスペインの名画、ラ・トゥール 、プッサン、ファン・ダイクなど、そしてロココ美術の次に印象派、後期印象派など)を案内された堤は、
  
  「これらの絵は地方の美術館に貸し出すことはないんですか」

 とそのキュレーターに尋ねる。すると彼女は、

  「ありません。なぜならこれらは社会主義リアリズムの作品ではなく、くだらないもので国民教育上もよくないのですから」

  と答える。

  しかし、そういう言葉とは裏腹に彼女が名画に触る手つきは、さもいとおしい物を扱う際の柔らかさだった、と書いている。

  そして、その後に、堤は続けて次のように書いているのだ。

 ・・・僕は中年の女性キュレーターが、本当はこれらの絵が好きだし、その価値をよく知っているのだと覚り、すると面従腹背という言葉が浮かんできた。
    僕はその直感を口にはださず、夜行列車のなかで、この国で役人として無事に勤めあげるためには自分の思想を持たない事だ、と言ったP・イリイチの言葉を反芻していた・・・
    人間だから思想を持たないということは不可能に近い。とすれば彼が主張したことの実質は面従腹背ということではないか。表向きは従っているように見せて、本音は隠しておくこと・・・

   そういった後で、堤は自分自身の生き方がそうではなかったのか。父親に対する少年時代の自分、ビジネスマンとしてゆく先々で違和感を覚える自分を、押し隠してきたのではないか、と自問するのである。

   思うに面従腹背の経験は、古今東西を問わずあらゆる人間が経験する事に違いない。

   そしてその矛盾にもはや耐え切れなくなった時、人も、国家も、自壊し、大きな転換を余儀なくされる。

   日本の政治も、日本国民の意識も、今まさにその時期にさしかかっているのではないか。

   面従腹背の欺瞞をかなぐり捨てて一度ぐらいは本音で生きてみろ、崩壊の後に待っているのは絶望ではなく、希望だ。それが人間解放なのだ。

   そういう時代の声が聞こえるような気がする。
    

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