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2008年09月30日

 なぜ公明党は早期解散・総選挙にここまでこだわるのか


  私が麻生太郎の右腕であれば、ためらいなく彼に助言するだろう。

  あなたが生き残れる唯一の方策は小泉純一郎と公明党の悪を切り捨てる事だ、と。

  それができてはじめて麻生の評価は高まるに違いない。国民的支持も高まるに違いない。

  小泉純一郎の悪についてはいまさらここで私が繰返すまでもない。

  日本を米国に売りわたし、国民生活をここまで困窮させたのは小泉対米従属政策である。

  おまけにあの引退劇が、次男に政治家業を引き継がせるための最善のタイミングを狙った私欲から来たものであったこともいまやばれてしまった。

  麻生政権にとって歓迎すべきものは何一つない。

  それにもかかわらず、メディアは小泉元首相の国民的人気をおそれて正面から批判できないでいる。

 「功罪なかば」、「光と影」などという曖昧な言葉で誤魔化している。何一つ日本の為によい事をしなかったにもかかわらず。

  そんな小泉元首相を全否定してこそ、自主、自立した麻生太郎である。


  麻生首相が解散・総選挙を急ぐ理由はどこにもない。

  たしかに、解散・総選挙を引き伸ばしたからといって有利になるとは限らない。

  11月4日の大統領選挙の後に総選挙を行なった場合、オバマ民主党が勝てばムード的に波及効果はあるであろう。

  しかし、いずれもそのことが解散・総選挙を急ぐ決定的理由にはならない。

  ましてや麻生首相は自分の力でもぎ取った首相の座である。それを活かしたい。民主党と国会の場で政策論争をしてみたい、小沢民主党代表と党首討論をして国民の前で雌雄を決したい、そう思っているに違いない。そしてそれは正しい態度である。

  それにもかかわらず11月2日の総選挙が既定路線のごとくメディアで流されている。

  なぜか。それは公明党が急いでいるからだ。これもメディアが報じているとおりだ。

  それでは、なぜ公明党は早期解散・総選挙にそれほどまでにこだわるのか。

  私が住んでいる栃木県の地方紙下野新聞の9月30日付にこういう見出しが躍っていた。

  解散へひた走る公明党。11・2へエンジン全開。矢野問題隠しに躍起。

   更に詳しく読んでみるとこうだ。

  ・・・公明党幹部の表情がいまひとつさえないのは、「矢野問題」が気がかりでならないためだ。
    「予算委入りすると統制が利かなくなる。その辺を配慮して欲しい」。29日午後の自民、公明両党の国対幹部会談で、公明党の風間参院国対委員長は重ねて自民党側に理解を求めた・・・野党側はかねて、矢野絢也元公明党委員長が創価学会を相手に損害賠償訴訟を起した一件を参院で取り上げると予告・・・これを回避するには予算委員会の前に解散するのが一番、というのが公明党執行部の判断だ・・・
    矢野氏が10月1日発売の月刊誌「諸君」の平沼赳夫元経済産業相との対談で「公明党と創価学会が政教一致なのか、など民主主義の根幹にかかわる問題は国会という公の場で、知りうる限りのことを証言しなければならない」、と参考人招致に前向きな考えを重ねて示していることも29日明らかになり、公明党幹部の懸念は一段と深まっている・・・
   太田昭宏代表は「予算委を開かせるな。矢野問題がクローズアップされる恐れがある」と北側一雄幹事長に指示。学会幹部の一人も「予算委は野党から攻撃されるだけ。開催しても得はない」と一歩も引かぬ構えを見せていた・・・

   この矢野問題については様々なメディアが書いてきた。それを私もこのブログで折に触れ述べてきた。

  しかしこの下野新聞の記事ほど明確に問題点を明らかにした記事ははじめてである。

  一体どういうことなのだろう。国会審議を避けてまで追及を逃れようとしている公明党・創価学会の抱える問題とは何か。

   公明党・創価学会に何のかかわりもない私と同様、多くの一般国民に対し、それを明らかにすることこそ国会の責任に違いない。


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2008年09月30日

麻生首相の所信表明演説は飛んで火に入る夏の虫だ


  29日に行なわれた麻生太郎首相の所信表明演説について、野党が一斉に批判している。

  確かにあの演説は異例だ。

  所信表明の場を借りて野党民主党を質問攻めにするなどということは、やはりおかしい。

  しかし民主党は、批判するばかりではいけない。

  あの麻生演説を逆手にとって、政権交代を国民に訴える絶好のチャンスであると心得るべきだ。

  あの演説に正面から答え、国民の支持を一気にもぎ取るべきである。

  これからの国会審議ではその事に全力を集中すべきである。

  麻生首相の所信表明演説もそうであるが、これまでの自民党による民主党攻撃の中心は、財源を示せ、といういうものであった。

 そしてメディアもその片棒を担ぐかのように、財源を示さずにいいことばかり言うのは無責任だと繰返していた。

 ふざけた話だ。

 財務官僚主導で作られてきたこの国の予算編成の実態を自民党は一度でも国民に説明したことがあったか。

 官僚と結託して税金をほしいままにしてきた自民党がよくもそのような事が言えたものだ。

 そんな事も気づかずに自民党の片棒を担ぐメディアは、よほどの不勉強か、自民党に加担した反国民的情報操作機関に成り下がっているか、どちらかである。

 30日の朝日新聞は一面トップで民主党のマニフェストを乗せていた。

 これは極めてタイムリーなスクープだ。

 そこにはっきり財源が明記されている。

 麻生首相はそれをよく読んでこれからの質問を行なうべきだ。

 麻生自民党はそれに対応する予算編成案を国民に示さなければならない。

 民主党のマニフェストにははっきりと書かれている。文字が読める国民であれば誰でもわかる。

 特別会計の積立金を6.5兆円活用すると。

 これはいわゆる埋蔵金のことだが、埋蔵金などという無責任な言葉遣いはやめるべきだ。

 その財源はれっきとした血税である。その血税を特別会計として一般会計から切り離し、国会審議を避けていた予算に過ぎない。官僚たちが食い物にしていた血税である。

 マニフェストは他にも財源を明記している。

 政府資産を売却して0.7兆円の財源をつくる。

 予算を厳格に査定し、税制を見直して4.8兆円の財源をつくりだす。

 独立行政法人、公益法人を抜本的に見直し、補助金を削減して4.3兆円を節約する。

 その他
  天下り全面禁止、談合廃止で1.8兆円
  国の直轄事業予算半減で1.3兆円
  国家公務員人件費総額の2割カットで1.1兆円
 
 財源を捻出する。

  どうだ。これ以上の明確な答えがあるというのか。

 増税をするしか能のない自公政権のマニフェストと民主党のマニフェストとどちらを選択するか。

 それを今度の選挙で国民に問いたい、と民主党は国民に訴えればいいだけの話だ。

 メディアは、その主張を、単純かつ中立的に、国民に報道すればいい。一切の解説は不要だ。

  繰返して書く。

 民主党は堂々と受けて立てばいい。

 麻生総理の所信表明演説批判を繰返す愚は避けよ。

 そのかわり政権をとれば、このマニフェストを実現する、増税で財源を作ろうとしている自公政権とどちらがいいか、その事を繰り返し、繰り返し、愚直なまでに国民に問いかければいい。

 民主党が政権をとれば約束は必ず実行すると公約すればいいのだ。

 やっと日本もここまできた。

 財務官僚に握られてきた国民の血税の使い道を、初めて国民が決めることになることだ。

 それが今度の選挙なのである。

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2008年09月29日

麻生批判をしたニューヨーク・タイムズ社説に噛みつく産経新聞の無理解

 
  9月29日の産経新聞コラム「産経抄」が米紙ニューヨーク・タイムズ紙に凄い剣幕で噛みついている。

  ニューヨーク・タイムズ紙が、国連総会で外交デビューを果たした麻生首相を「好戦的なナショナリスト」と決めつけて酷評したからである。

  しかもその怒りの理由がふるっている。

  国連演説の中で麻生首相は、「テロとの戦い」に参加すると宣言したではないか、「対米追従」と野党から批判されながらも、インド洋での補給活動を継続する決意を示したではないか、そんな同盟国の首相に向かって、「外交政策を近代化して隣国を対等に扱え」などと、ご高説をするとは何事か、というのだ。

 この考えほど、米国という国を理解していない考えはない。

 日米安保条約の成立過程を知らない考えはない。

 こんなことでは米国と対等に渡り合うことは出来ない。自主、自立外交はのぞめない。

 米国は、敗戦以降63年間、一貫して周到かつ現実主義的な考えに立って対日占領政策を続けてきた。それはあらゆる史実が証明している。

 外交辞令としての日本重視の言葉は、米国はいくらでも繰り返す。

 しかし本音のところでは日本を利用、搾取し、警戒し、そして人種差別的嫌悪感さえ抱いている。

 日本人のいないところでそれを公言したりする。

 こんな事は、すこしでも米国社会で生活したことのある者であれば知っている。

 ましてや米国人と利害対立の絡んだ交渉をした経験のある者であれば尚更だ。

 しかし、それをもって米国を批判するのはお門違いだ。

 どの国も自国の国益を優先する。そのための策をたくみに講じる。

 米国の対日外交は、利益にかなえば友好的となり、敵対したとたん攻撃的になるのが常だ。

 それを知った上で、米国との対等な友好関係を維持する努力をする。

 それ外交である。

 ましてや米国のメディアは日本のメディアとは異なる。

 政治的立場を鮮明にし、自らの大統領をも平気で批判し、政治生命を奪ったりする。

 歴代の米国大統領も、それを知った上でメディアとの間合いをとっていく。

 要するに真剣勝負をやっているのだ。

 翻って産経新聞の論調はどうか。

 この件に限らない。

 あの慰安婦非難決議の時もそうだった。

 核問題に関する北朝鮮との宥和政策への転換の時もそうだった。

 あたかも恋人に裏切られたかのような感覚で、「ここまで愛しているのに、ここまで貢いできたのに、どうして袖にするの。どうして他の人のところに行ってしまうの」と嘆き、悲しみ、そして怒って見たりする。気色悪いほど情緒的だ。

 こんな日本の恨み節など米国はまるで相手にしていない。

 産経新聞は、豊下楢彦著の「昭和天皇・マッカーサー会見」(岩波ゲンダイ文庫)を読んで、日米安保条約交渉史を学んだほうがいい。

 あの時吉田茂と外務官僚は、日米安保条約を従属的なものにしてはならないと、必死の外交努力を重ねた。

 さすがの米国側も、こんな従属的な関係は長くは続けられないだろう、反米感情が起きるだろうと、自覚していた。

 ところが、昭和天皇の一声で、沖縄が切り離され、米国の欲するまま、やりたい放題に、日本全土を米軍基地化する日米安保体制が出来上がってしまった。

 吉田の信頼を得て自主、自立外交を貫こうとした白州次郎は、昭和天皇から、「白州がすべてわるい」と一喝された。

 以来今日まで、吉田茂の期待に反して誰一人対米自立の外交を進める者は出現しなかった。

 それどころか、当時の外務官僚の息子たちは、「日米関係ほど重要なものはない」という根拠なき思い込みに自らを縛って、対米追従にのめりこんでいった。

 日本外交は、他のどの国の外交と同様、自国の国益、国民の安全と繁栄を目指す自主、自立外交に立ち戻らなくてはいけない。対米従属でいいはずはない。

  不平等、従属関係からは真の友好関係はうまれない。

  不平等、従属関係は人間の心を蝕んでいく。

 この事に異を唱える者はいないだろう。

 ましてや愛国、保守を標榜する産経新聞にとっては、むしろそれを率先して主張しなければならない。

  私もそれに異存はない。

  私と産経新聞の唯一の違いは、米国から自立した後に、自らの手でどうやって日本の安全保障を守るかということである。

 米国から押し付けられた憲法9条をかなぐり捨て、軍事力を強化して自主防衛に走る。

 米国から押し付けられた憲法9条を逆手にとって、それを世界に掲げて平和外交で世界の先頭に立つ。

 そのいずれが現実的な政策か。

 世界から好意を持って受け入れられる政策か。

 この議論こそ、私は産経新聞といくらでも戦わしたい。

 

 

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2008年09月28日

麻生総理大臣の集団的自衛権解釈改憲こそ大問題発言である

  解散・総選挙とそれに続く政権交代の有無に国民とメディアの関心が釘付けになっている時に、なぜ安全保障問題か、憲法9条の問題か、と、思われるかもしれない。

  しかし私の関心は、ここにきて急速に、選挙の帰趨よりも、その後の政局の争点が何処に向かうか、そのことに集中しつつある。

  あれほど民主党による政権交代を望んでいた私であったが、政権交代が視野に入ってきたとたん、そして小沢民主党の刺客劇を見て今度は小沢チルドレンが粗製乱造されるだけではないか、と思い始めたとたん、熱が冷めつつある自分に気づく。

  28日の日経新聞「風見鶏」に、編集委員 伊奈久喜の手による、政権交代か政策交代か、と題する評論があった。

  その中に次のようなくだりがある。

 ・・・政権交代のたびに全面的な政策交代ができるとは限らない・・・外交政策(は)安定と一貫性が重要とされる。だから1993年に誕生した非自民の細川連立政権も、外交政策は自民党政権のそれを基本的に継承した。
   日本にとって国際情勢の多くは、残念ながら所与の条件である。政権交代があっても日本政府が変えられる部分は限られていると(細川政権は)判断したのだろう。
   民主党政権が誕生した場合、小沢一郎(は)インド洋での給油を本当にやめるのか。やめられるのか・・・

 小沢民主党に対する真っ向からの挑戦である。

 政権についたとたん、無責任なことはできん、と言って、それまでの安保政策をかなぐり棄て日米安保条約を認めた村山社会党と、それを総括できないまま民主党と連立を組もうとしている現社民党への痛烈な皮肉でもある。

 麻生首相がニューヨークで集団的自衛権の容認発言を行った。

 歴代の内閣法制局が憲法解釈では無理だとしてきた事を、そして憲法遵守義務をもっとも尊重しなければならない総理にある者が、ここまで明確に違憲発言を行った例を不明にして私は知らない。

 これほどの問題発言はないと思うのだが、メディアも野党も取り上げない。

 日本の政治で最後に残る大きな政治テーマは日本の安全保障政策に違いない。

 ここまで国民の暮らしが苦しくなっている時だ。暮らしや格差問題を軽視する政党はもはやなくなる。

 経済政策、社会政策、地方対策、消費者政策など、どの政党のマニフェストも限りなく似たものになっていく。

 もし安全保障政策までもが同様に大差ないものになれば、それは日米軍事同盟の固定化、憲法9条の改憲ということだ。

 果たしてそうなっていくのだろうか。

 外交政策・安保政策は安定と一貫性が重要だから、あるいは国際情勢は与件だから、と言って、ふたたび安保政策を曖昧にされたままで、政界再編・政権交代が果てしなく繰り返されていくのか。

 私の関心はいまやそこにある。

 日本の将来はそこにかかっている。

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2008年09月27日

なぜ政府・外務省は伊藤和也さんを殺害した真犯人を突き止めようとしないのか


 イラクで二人の外交官が殺害された時もそうであったが、なぜ政府・外務省は犯人を突き止めようとしないのか。

 わからないとしても、少なくとも調べる努力をし、政府・外務省としての公式見解を発表するのが当然の責務である。犠牲者への最善の弔いである。

 とくに今度のNGO職員の殺害は、明確な殺意をもって殺害されたという多くの情報がすでに飛び交っていた。

 アフガン人民の為に無私の貢献をしてきた日本のボランテアを、明確な目的を持って殺害する、その犯人と殺害の意図を明らかにすることは、今後の日本外交の方針をも左右する重要な作業である。

 それを敢て行なわないのはなぜか。

 政府・外務省はこのままうやむやに終わらせるつもりなのか。

 それは単なる怠慢・無能のなせるわざか、それとも真実を知りたくない理由があるのか。

  27日の産経新聞に重大な記事が載っていた。

 26日に都内で開かれた笹川平和財団主催の講演会で、アフガニスタンのアミン駐日大使が、逮捕された容疑者と逃亡中の3人はいずれもパキスタンのイスラム教学校(マサドラ)の卒業生で、パキスタンの3軍統合情報部から日本人を殺害するよう命令を受けて犯行に及んだ、と述べたという。

 この情報はすでに報道されていたものだが、駐日大使の口から述べられたことは重大な意味がある。

 その産経新聞の記事では、このアミン大使の発言に対し、在日パキスタン大使館のワヒド報道官が、事実無根だ、と、すかざず否定している。

 もはや外交問題にまで発展している。

 いまパキスタンとアフガンの国境では、「テロ」を掃討するため米軍が越境してパキスタンまで侵入し武力行使をしている。

 これに対しパキスタン軍が米軍に発砲する事態にまで及んでいる。パキスタンにおける反米感情が高まっている。

 「テロ」との戦いで米軍と協力してきた親米国家パキスタンが、さすがに主権を侵害してまで行なう一方的名軍事行動に反発するようになったのだ。

 アフガンとパキスタンの反米勢力が結束しつつ。

 米国の「テロとの戦い」が、ブッシュ政権の末期に、最悪の局面を迎えつつあるのだ。

 今度の伊藤和也氏の犠牲が、そのような米国の「テロとの戦い」の破綻の過程で起きたとすれば、反米武装抵抗勢力の明確な意思表示、つまり米国に協力する外国人はすべて敵とみなす、という意思表示として行なわれたのであれば、伊藤氏は日本の対米従属政策の犠牲者であった、ということになる。

  米国の「テロとの戦い」に協力してきた日本の政策の負の側面が浮き彫りにされたことになる。

  マイナス面(日本の犠牲者)があってもプラス面(対米従属)の方が大きいと判断して、これからも米国に協力し続ける、と政府・外務省が判断するのなら、それも一つの考えだ。

  しかし、そのためには国民にそれをはっきり提示して理解を求めなくてはならない。

  「テロとの戦い」に協力するのは国際貢献である、という嘘を言って誤魔化すことは卑怯だ。

  政府・外務省にこれ以上嘘を繰返させないためにも、伊藤和也氏殺害の真犯人とその意図については明らかにされねばならない。

  パキスタン、アフガンの両政府がここまで公表しているのだ。ここまで意見が食い違っているのだ。

  少なくとも政府・外務省はパキスタン、アフガン両政府と外交協議を行い、公式見解を発表する努力をするべきだ。

  野党、メディアは追及しなければ、再び犠牲者がでる。

  
 

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2008年09月26日

 これからの日本政治の本当の課題ー政治における平和勢力の衰退


  どうやら、総選挙がいつ行なわれようとも、麻生自民党は負けるようだ。

  私がそう思ったのは、昨日近所の集まりで皆が口々に話していたのを聞いたからだ。

  自民党に投票して来た人たちが、今度は自民党に入れない、自民党ではもうだめだ、と口々に言っていた。

  おそらく全国的に自民党から民主党へのシフトが起きているのだろう。

  そうだとすれば自民党は負ける。民主党への政権交代は起こる。

  民主党単独政権であっても、野党連合政権であっても、あるいは政界再編によるあらたな組みあわせが起きても、少なくとも今よりは少しは国民に目が向けられた政治がはじまるだろう。

  それが、選挙による政権交代がもたらすメリットである。

  しかし、そのような政治状況になっても変わりそうもない事がある。

  それは日米軍事同盟に縛られたままの不自由な日本の現状である。

  小泉元首相の引退のニュースが駆け巡った25日、米原子力空母ジョージ・ワシントンが横須賀の米海軍基地に入港した。

  原子力事故や汚染だけが問題ではない。世界を攻撃する血塗られた米国の巨大な戦力の日本常駐が平然と始まったということである。

  明らかな憲法9条違反であるにもかかわらず、そしてそれに反対する市民の声があがっているのに、その先頭に立つ政治勢力がなくなってしまった。

  9月25日の東京新聞は、日米両政府が2006年に合意した在沖縄米海兵隊のグアム移転経費が、米政府監査院(GAO)の試算によれば、われわれが聞かされてきた当初見積もり約103億ドルを大幅に上回る150億ドル以上となっている、とスクープしていた。

  大スクープであるにもかかわらず、メディアはまったく取り上げない。それを追及すべき護憲勢力は選挙に忙殺されている。

  この150億ドルの経費のうち、日本政府がいくら負担するか、我々は一切政府から説明を受けていない。

  これだけ財政赤字が膨らみ、その解消の為に国民に生活苦を強いてきた日本政府は、米国への軍事負担についてはあたかも貢ぎ予算のごとく言いなりである。

  政権交代ばかりが喧伝され、この国の政治が限りなく二大政党になりつつある。

  その後にくるものは、日米軍事同盟に反対しない大連立政権となるに違いない。

  政治における平和勢力の衰退、これこそが政権交代後の日本の政治の大きな問題である。

  

  

  

  

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2008年09月25日

 小泉元首相の引退声明とともに私のブログも役割を終える

  小泉元首相が今度の選挙に出馬せず引退する声明を出した。そうニュースが報じた。たった今(9月25日夕刻7時前)そのニュースをTBSで知った。

  驚くと同時に当然であると思った。誰よりもはやくこの事について書く。

  私はこのブログでいずれ書こうと思っていた。

  小泉も福田も安倍も今度の選挙の出るべきでない、と。いまさら選挙に出て政治家を続けてもどういう意味があるのか、と。

  それを書く前に小泉元首相が引退発表をしたという訳である。

  福田首相も出馬しないのではないか。

  安倍はまだ若くて愚かだ。だからもう一度返り咲けると思っているのだろうが虚しい。

  あの辞任の失敗はとうの昔に彼の政治生命を奪い去った。しかも彼は決して若くはない。

  それがわからないところが彼のおめでたいところだ。

  それにしても小泉元首相らしい。私が小泉元首相をほめるとしたら、これが最初で最後だ。

  私がもはや小泉元首相のことについて語る事はないだろう。

  彼の誤りは日本に禍根を残した。

  これから日本はその誤りの呪縛に縛られて苦しむことだろう。

  責任を取ってもらいたい。このまま知らないでは済まされない。

   しかし、繰返して言う。それを追及するのはもはや私の仕事ではない。

   日本の政治はこれからまさしく流動的になるだろう。

  今の政治家の誰一人として正しく日本を導いていける人物はいない。

  しかし、もはや私の政治の対する興味と熱意は、小泉引退のニュースを聞いて急速に失いつつある。

  考えてみれば私は小泉元首相のあわせ鏡であったのかもしれない。

  対極の存在であったのかもしれない。

  小泉元首相が、ブッシュともにかくもあっけなく、虚しく消えていく事を目の前にして、つくづく思う。

  それは、中身のない人間が権力を握った大罪の重さである。

  どれだけの人間が不幸になったことか。その罪は万死に値する。

  しかし、それ以上に思うのは、権力を間違って使った者の虚しさである。

  願わくば小泉元首相がタレントまがいの形でメディアに登場しないことを祈る。

  まさか彼がそこまで愚かであるとは思いたくはない。

  このまま静かに、残された短い老後を過ごして死に向かうべきだ。

  わずか3年前の栄華も、「夢のまた夢」なのである。

  それでも日本は動き続ける。

  政治の醜態は、政治家になりたいと願う浅ましい人たちによって続けられていく。

  もはやそのような政治に急速に関心を失いつつある自分を感じている。

   

   

  

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2008年09月25日

小沢民主党がとるべき戦略 その②  強い味方を見つけよ

  いくら小沢一郎といっても自公政権と一人では闘えない。強い味方を見つけることだ。

  自ら選んだ執行部、すなわち鳩山、菅、輿水らとの結束はもちろん重要である。

  しかし民主党の中にあって最善のご意見番は、なんといっても藤井久裕である。

  与野党を問わずメディアに出てくる今の政治家の中で、私は藤井久裕ほど正しい政治家はいないと思っている。彼の助言だけはよく聞くことだ。彼を尊重することだ。

  しかし、より重要な事は、強い味方を今の民主党の外に見つけることだ。民主党だけでは自公政権には勝てない。

  それはもちろん野党共闘を大切にすることだ。

  しかし私が言うのはそれだけではない。強い味方になりうる人物を見つけることだ。

  その中でもかつての自民党、公明党で活躍していた人物で、今は生まれ変わった人物を味方にすることだ。

 具体的には矢野絢也、亀井静香、鈴木宗男である。

 亀井と鈴木はともに自民党の悪い面を具現した政治家であった。

 しかし今は違う。

 警察官僚出身の亀井は、政治のダークサイドに染まった政治家だ。しかし小泉郵政選挙の洗礼を経て生まれ変わった。雨の中で土下座して選挙を戦い抜いた体験を通じ、小泉政治の欺瞞を誰よりも見抜いた。

 小泉政治を否定できずに壊されてしまった自民党と決別し、あらたな政治を求めるようになった。

 そこが野中広務と決定的に違ところだ。

 野中は小泉に切られた。それゆえに反小泉の政治家だ。しかしただそれだけだ。自民党政治家として生き残り、引退した後も、今でも自民党政権を守ろうとする。民主党を敵視し、小沢一郎を敵視する。

 鈴木もまた生まれ変わった。外交族として権勢を誇っていた時の鈴木は、威張り散らしたミニ橋本龍太郎だった。その彼は外務官僚に裏切られ、国策捜査の犠牲になって服役した。

 その試練を経て生まれ変わった。外務官僚の卑劣さ、国家権力の怖さを知り、今では弱者の気持ちがわかる政治家に生まれ変わった。

 その中でも小沢一郎が味方にすべきはなんといっても矢野絢也である。

 いままで創価学会と闘ってきた政治家は何人もいる。しかし元公明党委員長の重責にあった人間がここまで覚悟を決めて創価学会、公明党と闘うようになった事は過去に例がない。それだけにその衝撃は大きい。

 その矢野が今日(25日)発売の週刊新潮10月2日号において「永田町を斬る!」という連載を始めた。

 これは政界の人間すべてが注目する連載となるに違いない。

 その中で彼は公明党の政教一致の危険性、カルト体質を改めて糾弾している。

 しかし注目すべきは政治評論家としての矢野の的確性だ。

 その初回の連載記事は次のような言葉で締めくくられている。

 「・・・国民はもう、目くらましや擬似餌では騙されない。今は与野党とも真剣にぶつかりあって議論する時だ。政府・与党はいったい何が怖くて国会審議を逃げようとするのか。解散を慌てると自公連立の自滅につながる可能性がある。衷心から忠告したい・・・」

  私がその①で書いた通りの助言である。

  小沢民主党は矢野を大切にすることだ。

 

  

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2008年09月25日

小沢民主党のとるべき戦略 その①  民主党は解散・総選挙の時期について主導権をとれ


  麻生新政権後の政局の最大問題は、いまや解散・総選挙の時期となった。

  すなわち、解散・総選挙が、はたして巷間言われているように10月26日、あるいは少し遅れても11月2日に行なわれるかどうか、ということである。

  これについては、麻生政権成立の後ろ盾であり、いまや政局の黒幕気取りである森元首相が、「解散・総選挙は先延ばしだ、冷蔵庫にしまっておけばいい」という発言をしてから、急速にそれが現実味を帯びてきた。

  もしろん一旦吹きだした解散風はおさまらないのが永田町の常らしいから、解散・総選挙がそう簡単に延期されるとも思えない。

  しかし一寸先はヤミであるのもまた政治の世界の常だ。

  この解散・総選挙の時期をめぐる攻防は、麻生自公政権と小沢民主・野党連合の勝敗を左右する大問題となってこれからの政局を動かしていくに違いない。

  そこで小沢民主党に助言をしてみたい。

  それは一言で言えば、解散・総選挙の時期について自公政権のペースに乗せられるな。堂々と受けて立て。彼らの出方に応じて弾力的に対応せよ。要するに解散・総選挙の主導権を握れ。ということにつきる。

  その理由はこうだ。

  
  そもそも早期解散の流れが決まったのは、決して野党が自公政権を追い込んだからではない。

  自公政権は解散・総選挙をできるだけ遅らせたかった。

  それがそうならなかったのは、福田政権のあまりの不人気と、矢野問題が急浮上して公明党が危機意識をもったからだった。

  このまま福田政権が続くとどう考えても自公政権は選挙で負ける。福田首相を挿げ替えて麻生で選挙をする事は不可欠であった。

  そしてもし福田政権が解散・総選挙をためらって臨時国会になだれ込み、矢野問題が臨時国会で追及されるような事になると、公明党は困ることになる。

  この創価学会・公明党の思惑と、政権を手放したくない自民党の思惑が一致し、麻生内閣を誕生させ、その手で早期総選挙を行なうというシナリオが作られたのだ。

  そのシナリオどおり動いてきた。すくなくとも今日までは。

  ところがここに来て解散・総選挙の時期が急速に流動的になってきた。

  なぜか。

  それは困窮する経済と暮らしを前にして、補正予算を成立させずに選挙すれば国民の反発を招いて選挙に逆効果だと、自公政権が思いはじめたからだ。

  公明党は、矢野問題を国会で取り上げない事について麻生と合意さえとりつけておけば、解散・総選挙をいくら引きのばしてもかまわないのだ。

  来年4月の都議会選挙に影響を及ぼさない時期であれば、来年早々でも、来年9月の任期一杯でも、どうでもいいのだ。

  これに麻生新内閣の支持率が絡んでくる。

  やがて各紙が一斉に取り上げる世論調査が、以外に不人気なら、解散・総選挙を急ぐメリットはない。

  少しでも長く総理をつとめ、総理の権限を楽しんで、その間に徹底したばら撒き、景気刺激策を行い、後期高齢者医療保険制度の見直しをはじめとして、国民本位の政策を次々と打ち出し、世論支持の回復を狙えばよいのだ。

  だからこそ、補正予算の審議に野党が反対すれば解散・総選挙やむなしと、野党を恫喝し、野党に早期解散・総選挙の責任を押しつけるような発言をしているのだ。

  小沢民主党は麻生戦略に乗ってはいけない。堂々と受けて立つべきだ。

  すなわち補正予算の審議を正面から受けて立ち、後期高齢者医療制度の変更を急に言い出した舛添厚相の無責任さや、年金記録改ざんの組織犯罪、汚染米問題をめぐる農水省の責任問題など、国民が怒っている問題を、国民にかわって追及し、麻生政権を追い込むのだ。

  繰り返し言っているように最強の小沢内閣を立て、彼らを国会に登場させて麻生政権の閣僚を追及させるのだ。

  それで麻生政権がまともに対応できなければ補正予算に反対をして解散・総選挙に追い込めばいいだけの話だ。

  問題は他にも山ほどある。麻生内閣の顔ぶれを見ているととても国民を納得させられる解決を提示できそうもない。

  「何でもかんでも審議に応じない反対政党」などという言われもない麻生総理の民主党批判は、もはや通用しない。

  答えられない自公政権が悪い、という事を国民の前で明らかにさせるのだ。これではいくらなんでも補正予算に賛成できないだろう、と国民に思わせるのだ。

  小沢民主党はいたずらに早期解散・総選挙を求める必要はない。

  自公政権はいくら引き伸ばそうとしても引き伸ばす事はできない。解散・総選挙をせざるをえなくなる。追い込まれ解散・総選挙にしていけば、ますます自公政権は選挙に勝てなくなる。

  繰返して言う。民主党は解散・総選挙の時期について主導権を握るべきである。

  

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2008年09月24日

もう一度言う。小沢民主党代表は自らの閣僚名簿を公表して麻生新内閣と総選挙で決着をつけるべきだ


 24日の毎日新聞「つむじ風」に麻生太郎のつぎのような言葉が載っていた。

 「とてつもない金持ちに生まれた人間の苦しみなんて普通の人には分からんだろうな」

 このような考えを平気で口にする人間が首相になって、考え抜いた末の閣僚名簿が、24日の新聞にはやばやと載っていた。

 日経新聞がスクープした閣僚名簿には、外務大臣中曽根弘文、防衛大臣浜田靖一という名前があった。親父の名前以外に何物も持ち得ない二代目政治家だ。これで日本の為になる外交・安保政策ができると思っているのだろうか。官僚の操り人形だ。親父の操り人形だ。

 朝日新聞では「幻の幹事長就任」と題して、麻生新総裁が森喜朗元首相に幹事長就任を頼み、それを安倍晋三が名案だと喜び、しかしさすがの森は「そんなことでは出来レースだと思われる」と断ったというエピソードが紹介されていた。

 正式に閣僚名簿が発表された時、どのような評価がメディアで流されるかわからない。しかし自民党の体質を象徴した内閣である。

 小沢民主党代表は、「自分が政権をとったら自らの手でこのような内閣をつくって日本の難局を乗越えてみせる」と国民に問うべきだ。

 「人相が悪く、性格も悪いかもしれないが」(亀井静香の言)、この顔ぶれの閣僚に助けられて、みなの力を借りて日本を蘇生させて見せる、と見得を切るがいい。

 麻生新政権を甘く見てはいけない。

 苦境に追い込まれた公明党を甘く見てはいけない。

 民主党の総力をかけて、野党の総力をかけて戦わなければ負ける。

 麻生新内閣の顔ぶれを凌駕するの閣僚名簿を発表できなければ戦いは苦しいと思ったほうがいい。

 閉塞感に満ちた国民の心を動かす策を、全力をあげて考え出すことだ。

 

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2008年09月23日

人を傷つけない強さ

  麻生新総裁のことばかり報じられる中で、まったく関係ない記事に目が留まった。

  23日の東京新聞、「暮らし」のページで見つけた言葉である。


  ・・・自分のコンプレックスを補うために、「強さ」に憧れる時期がある。男子の場合、その一つの典型は、腕力への憧憬だろう。とりわけ、学校教育から脱落した少年たちの間で、その志向性は強い。勉強ができなくても、喧嘩が強ければ、インフォーマルな集団の中でそれなりの位置をキープできる。
  しかし、弱さを隠すための虚勢としての強さでは、人と豊かな関係を築く事はできない・・・
  自分に自信がないから、相手を必要以上におとしめることで、失われた自信を回復しようとする。集団の中で「NO!]と言う勇気がないから、安易に同調して攻撃行動に加わってしまう・・・
  このことは、集団的暴力事件にのみ言えることではない。学校や職場で日常的に見られるいじめ問題にも通底する。
  安易に人を傷つける同調行動に加担しないためには、一人一人が自分の内面に隠し持っている弱さを克服することが不可欠なのだと思う。人が人に優しくあるためには、ある種の強さが必要なのだと思う。
  そうした強さを持つためには、人は一人の個人として、集団の中で自立しなければならない。自立した上で、他者と共存する道を模索しなければならない。そうした一人一人の試みが、ひいては集団の質を変えていく契機にもなるだろう・・・


  これは法務省保護局精神保健観察企画官の青木信人という人が、少年問題について書いている文章である。
  成長の過程にある少年に諭すこの言葉は、そっくり今の日本の社会を形造っている我々大人たちにもあてはまるのではないか。
  今の日本は、いい歳をした大人たちが、しかも社会的地位のある大人たちが、虚勢を張りすぎているから、おかしくなっているのではないか。
  日本の蘇生は、一人一人が、内面に隠し持っている弱さを克服し、勇気を持って他者と共存する道を模索することからはじまる。
  そう思わせてくれた記事である。
  

  

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2008年09月22日

自衛隊幕僚長の暴言を放置する政治とメディアのゆるみ

  発売中の週刊朝日10月3日で自衛隊の現役幕僚長が暴言を繰り返していた事を知った。

  今年4月、名古屋高裁が「イラクでの航空自衛隊活動は違憲であるという」という判決を下した時、「そんなの関係ねえ」という浅薄な暴言を吐いたのは田母神俊雄航空幕僚長(60)だった。

  その発言をなんら咎められることなく、その人間は航空自衛隊のトップに居座っている。

  ところがその田母神幕僚長が、なんとその3ヶ月ほど前の今年の1月30日に、埼玉県熊谷市の航空自衛隊基地で行なった講話の中で、次のような暴言を連発していたというのだ。

 日本は悪くなかった。正しい国だった、と対等にアメリカと議論するような人たちは皆(米国占領軍の手で)公職から追放された・・・軍人だったり、国の役人、政治家、大学の先生とかが、20万人以上も追放された・・・その穴埋めのために戻ってきたのは、戦前追放されている人たちが多かったわけです。いわゆる左翼と呼ばれる人たちです。脳みそが頭の左半分にしかないような人たちが皆それぞれ公職に戻ったわけです・・・(矢内原忠雄元東大総長をやり玉にあげ)この人は戦前、天皇家を潰すべきだと言って追放されていたいわゆる左翼です。これが東大総長に戻りました・・・(滝川幸辰京大元総長について)この人も天皇制廃止論者で戦前追放されていた人です。それでやはり左翼の弟子をいっぱい連れて京都大学に戻った・・・(都留重人一橋大元総長ついて)ハーバート・ノーマンというアメリカの外交官がいた。これは実はコミンテルンのスパイだった事がわかって自殺した人ですが、これと(都留は)ぐるだった人です・・・(昨今の大学構内の立て看板に神経をとがらせて)毎朝東大教養学部の中を駆け足するのです・・・そうするとどこの国の看板か、頭が狂っているんじゃないかというような看板がいっぱい立っている・・・

  日本の制服組のトップである幕僚長が、歴史の断片をつまみ食いしてこのような偏向した考えを若い自衛隊員に教え込む。

  このような考えの人間であるから、名古屋高裁判決についても、「そんなの関係ねえ」と言い放つ事ができたのだ。法の支配の否定を平気で行なうのだ。

  問題はそのような人間を自衛隊の幹部に据え置きつづけるこの国の人事政策のゆるみである。緊張感のなさである。

  これは暴言では済まされない大問題である。

  この事実はこれまでまったく報道されていなかった。

  しかしこの週刊誌の記事で皆が知るところとなった。

  いままで数々の政治家や官僚の暴言・放言がメディアで取りあげられ、政治問題化してきた。

  しかしこの制服組のトップの暴言は、暴言ではすまない。

  この国のシビリアンコントロールの形骸化という大問題である。

  護憲政治家よ、メディアよ。政局にばかり気を取られていてはいけない。

  政治的リーダーシップ不在の時に、この国はどんどんと無政府状態になりつつある。

  シビリアンコントロールの重要性を唱えるのなら、この幕僚長を国会に招致し、発言の真意を国民の前でただすべきだ。

  彼が自分の発言が正しいと言うのであれば直ちに更迭すべきだ。

  かつてのこの国の政治はそれだけの緊張感があった。

  いまや防衛省の制服組までが政治をなめきっている時代となってしまった。

  
  

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2008年09月21日

 小沢民主党代表に伝えたいー小沢新内閣を提示して総選挙を戦え

このブログが小沢民主党代表に届く事を願う。

   今日(21日)民主党臨時党大会で小沢代表の3選が決まる。

   報道によれば、総選挙に備えて党の主要幹部は続投させるけれど、「次の内閣」については、自民党総裁選後の「麻生内閣」発足に対抗するため大幅な「改造」を検討している、という。

  私はそれを歓迎する。

  主要幹部の続投はたいした話ではない。今のままで選挙の臨むのは当然だ。

  私がここで強調したいのは「次の内閣」の重要性である。

  「次の内閣」を今までのシャドーキャビネットの延長と捉えてはいけない。

  それは、そのまま、日本の将来を託する本物の内閣になる。いやしてみせる。

  その心意気を公言し、麻生新内閣と比較して、どちらが国民のために正しい政策が出来る内閣か、それを総選挙の一大争点に掲げ、国民の選択を求めるべきなのだ。

  小沢代表はその組閣に自分の政治生命のすべてを賭けるべきだ。

  総選挙まで、まだ時間はある。じっくり時間をかけて考えるがいい。

  官僚と正面から政策論争のできる最適人物を、民主党議員の総力をあげて選ぶのだ。

  そして選挙協力をした野党党首と十分話し合い、党首もしくはその指名する各党代表も入閣させるのだ。

  たとえば榊原だとか片山だとか、民間からの有為な人材も入閣させるのだ。竹中や増田などとは中身が違う人材を見せつけるのだ。

  そして、ここが重要なところだが、最後は小沢民主党代表が、すべての要素を考えた上で、独断で決めるのだ。まさしく小沢内閣である。3選された小沢代表にはその権限はある。

  政権交代は容易ではない。国家権力を握り、財界の後ろ盾を得てきた政権政党を、選挙一つで倒す事はいかに困難であるか。

   それを一番知っているのが小沢代表だ。

   だからこそあらゆる策を講じるのだ。

  国替えも、世論受けをする候補者の擁立も、国民の為のマニフェスト作りも、すべては総選挙に勝つためだ。それでいい。あらゆる策を講じるべきである。

   その中で、究極の策は、麻生内閣の新閣僚の顔ぶれを見据えた上で、総選挙の直前に小沢新内閣を発表して、国民にどちらの内閣がいいか、迫るのだ。これこそが政権選択の総選挙なのだ。

   国民の目には一番わかりやすい選挙となる。

   民主党のベストの人選をならべ、それに亀井静香や福島瑞穂や田中康夫を加えた反自公内閣をつくるのだ。

   その内閣と、小池や石原や町村や石破や太田などの古い顔ぶれを寄せ集めた内閣のどちらが日本の将来を託せるか、それを国民に問うのだ。

   それで勝てなければどうするって?

   潔く政界を引退すればいいだけの話だ。

   男は最後に一度だけ勝負すればいい。

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2008年09月20日

ヒル米国国務次官補にここまでなめられていた外務官僚


  私は外務官僚であったから、やはり外交問題に関する記事に目が行く。

  しかし今発売中の週刊文春9月25日号の記事は、私ならずとも、日本国民が重大な関心を持って読まなければならない記事だ。

  米国国務次官補のクリストファー・ヒル氏といえば北朝鮮問題に関する六カ国協議の首席代表として我々にはおなじみの人物である。

  そのヒル次官補が7月下旬に開かれた米上院秘密公聴会で由々しい発言をしていたというのだ。

  すなわち、その公聴会において、ある米議員がヒル氏に対し、

  「北朝鮮に対し、日本の拉致問題の再調査にもっと協力するよう、要請したのか」と質問したという。

  それに対してヒル次官補は「ノー」と答えたという。

  公聴会のメンバーはみんなショックを受け、「どうして要請しないのか」と問いただした。

  その質問に対する次のごときヒル氏の回答は、日本人にとって衝撃的である。

  ・・・日本のほうこそ、北朝鮮の感受性、文化、慰安婦問題、それに独島(竹島)問題などに配慮していないのに、どうして北朝鮮にだけ、そのような要請ができるのか・・・

   この発言は、「拉致問題ばかり騒ぎ立て、戦前の日本が行なった北朝鮮人に対する強制連行などの贖罪を忘れた日本の政策は一方的だ」、と主張する日本の左翼イデオロギストの考えと同じ考えに基づく発言ではないか。

  私は、ここでその考えの正否を問うているのではない。日本政府としてこの考えをどう思っているのか。もし考えが異なっていたとしたら、今までのヒル氏との話し合いはかみ合っていたのか、それを知りたいのである。

  日本政府は直ちに米上院公聴会の議事録を調べ、このヒル氏の発言の真偽を確かめなければならない。

  もし外務省がヒル氏のこの考えを知っていながら六カ国協議に臨んでいたのなら、日米協力がうまく行くはずがない。

  もし外務省がヒル氏がこのような考え方の持ち主である事を知らなかったなら、愚鈍もいいところだ。

  拉致問題に熱心な国会議員は、ぜひともこの週刊文春の記事を国会でとりあげ、ヒル国務次官補の発言の信憑性を確かめてもらいたい。

  過去数年間、外務省は拉致問題で米国とどのような話をしてきたのか。

  これからの日米協力はうまく行くのか。

  日米関係の緊密性を強調してきた外務省に国民はすっかりだまされていたのかも知れない。

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2008年09月20日

後期高齢者医療制度見直しを突然言い出した舛添大臣の波紋


 
  昨日(19日)のブログで舛添大臣の、厚労省の「年金改ざん組織犯罪発言」をとりあげ、その発言の重大性を指摘した。

  しかし、この問題は発展しないだろう。あまりにも大きな問題であるからだ。

  今の権力構造を考えると、革命でも起こらない限り、権力者が自分たちを罰することはない。

  ところが今度の発言は違う。

  私の予感では、総裁選や政局に結びつく展開になる。

  もし民主党・野党が本気で追及すればの話であるが。

  その発言とは、「後期高齢者医療制度を見直す」という舛添大臣発言のことである。

  朝刊の締め切りに間に合わなかったと見えて、今朝(20日)の各紙にはこの発言に関する記事はみあたらない。

  しかし、今朝の「みのもんたのサタデー朝ズバッ」をご覧になった方はお分かりであろう。

  この舛添発言をめぐって大議論が展開された。

  事の重大さを感じた舛添大臣の顔が真っ青になっていた。

  私がこのニュースを最初に聞いたのは自動車を運転中の昨晩遅くであった。

  その時の印象は、「山が動いた」であった。

  ついに世論が官僚の政策を動かした。これからは官僚がつくる政策も、それが間違っていたら世論の力でどんどんと修正されていく事になるのかもしれない。舛添の英断を評価しなければならない・・・

  というものであった。

  ところが今朝の朝ズバッを聞いて、とんでもない発言であった事を知った。

  ゲスト出演していた舛添大臣に対し、自民古川、公明山口、民主長妻、社民福島と政事評論家岩見が、みのもんたと一緒になって舛添大臣の発言の真意についてたたみかけた。

  そこではっきりした事は、この発言は政府の方針でも舛添厚労相としての発言でもなく、一議員の意見の表明でしかなかったという事だ。

  しかし、報道ではあたかも制度見直しが決まったかのように流れた。

  これを聞いた高齢者は喜んだはずだ。やはり間違った制度であった、と思ったはずだ。

  ところが発言の趣旨は、これから皆で見直しについて議論をしていこう、と言っただけだという。

  私が驚いたのは次の点だ

  この舛添大臣の発言を自民古川、公明山口はまったく知らされていなかった。いままで後期高齢者医療制度は正しい、国民への説明不足だから一生懸命説明しなくてはならない、と必死に弁護させられてきた彼らは、はしごをはずされて、カンカンに怒っていた。

  後期高齢者医療保険制度に一貫して反対してきた政事評論家岩見は、その判断を歓迎するが、解散秒読みの今、大臣を辞める直前にこんな発言をするのは無責任だ、しかも一議員の発言であることがわかった。これは世論を惑わすものだ、と怒っていた。

  長妻、福島は、解散、総選挙の前に国会で審議をし、この問題についての新政権の考えをたださなければならない、衆院選の大きな争点にしなければならない、と詰め寄っていた。

  いずれも、その通りである。

  後期高齢者医療保険制度は高齢者の日々の生活に直結している問題だ。年金を受け取るようになった私は実感としてわかるのだが、二ヶ月に一度、心待ちにしている年金振込みのたびに保険料を天引きされるのであるから、この問題は、国民は決して忘れる事はない。

  舛添大臣に伝えたい。ここは覚悟を決めて、やっぱりあれは間違っていた、と正直に見直しを宣言し、厚生労働省や自民党に反旗を翻したほうがいいのではないか。

  もはや官僚や自公政権におもねる必要はなくなりつつある。

  国民の支持を失うほうがはるかに代償が大きい事を知るべきだ。

   最後に舛添らしさを出して大臣を辞めたほうが、自分のためにはいいのではないか。

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2008年09月19日

国民に背を向ける日本経団連


  日本の大企業経営者たちは、労働者に背を向けた連中の集まりである。

  こう書けば日本共産党の主張のように聞こえる。

  しかし、共産主義の信奉者でなくとも、そう思わざるをえない。

  9月17日に公表された日本経団連の政策評価を見ての感想である。

  18日の各紙は、日本経団連が公表した「平成20年度政策評価」なるものを一斉に掲載した。

  会員企業、団体が、自民、民主両党に政治献金する際の判断材料であるという。

  おかしな話だ。会員企業・団体がどの政党を支持しようが自由であるはずだ。

  ところが日本経団連という組織は、どの政党に政治献金すべきか、その指針をつくって会員企業、

  団体に押しつけるのだ。

  会員企業、団体も従順なものだ。

  政治という最も自己主張すべき場において、自らの意見を述べずに組織の決定に従う。

  極めて日本的だ。

   07年度の経団連の会員企業・団体による政治献金額は、自民党29億1000万円に対し、民主

  党へはたった8000万円だったという。

    日本の企業のこの政治的偏向性をどう解釈すればいいのか。

   ここまで自民党の政治が行き詰まっているというのに、そして政権交代を望む一般国民の意識が

   かつてないほど高まっているというのに、日本経団連は、政策の殆どすべてにおいて自民党の政

   策を評価している。民主党のそれに落第点をつけている。


   驚くべきはその評価の理屈づけである。

   政局に走るあまり、政策実現に主体的に関与していない、として落第点

   ガソリン税の暫定税率を一時失効させ、国・地方の予算執行に支障を生じさせたとして落第点

  社会保障制度改革は財源が不明確であるとして落第点

  残業代不払いのホワイトカラーエグゼンプション導入に反対したから落第点・・・

    要するに民主党はすべてだめ、徹底した自民党応援団なのだ。

  このような日本経団連という企業の集合体組織とは、一体何なんだ。

   そういえば御手洗日本経団連会長の会社キャノンは、偽装請負疑惑で追及されている会社だ。

   御手洗会長自身も、大分キャノン工場建設契約で裏金疑惑を指摘されていたりする。

    権力に寄り添わなくてはならない事情があるのかもしれない。

   
  

  
  

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2008年09月19日

今度こそ舛添厚生労働大臣にはその発言の責任をとってもらう

 どれ一つとっても内閣総辞職ものの大問題が、日替わりメニューのごとく連日起きている。

 もはやメディアも国民も麻痺しているかのごとくである。

 そんな中で、どの問題を論ずるかは困難な選択である。

 しかし、今日のブログで私が取り上げたいのは、なんといっても、社会保険庁の年金記録の組織的改ざんを認めた舛添大臣の発言である。

 現職の大臣が自ら率いる官庁の組織的犯罪を認めたのだ。

 しかも国会における発言においてである。国会議事録に残る公的発言である。

 だからこそ町村官房長官は気色ばんでこれを否定したのだ。

 今度こそ舛添大臣の発言を、いつもの食言、腰砕け発言で終わらせてはならない。

 舛添大臣はわかりやすい人間だ。

 学者として成功するにはあまりにも学究的ではない。

 御用学者として重用されるには、あまりにも本音を語りすぎる。

 しかし、その性格が幸いし、国民的人気を得て、選挙に勝ち、政治家になった。

 折からの政治不信で、その言動がさらに国民的人気をひきつけ、その人気を自民党は利用しようとして厚生大臣に抜擢した。

 政治家舛添はその余勢をかって、厚生労働大臣に就任直後は、威勢のいい発言を繰返した。

 失われた年金記録の照合は不可能である、とか、犯罪的行為を行なった職員は牢屋にぶち込む、などという自民党政治家らしからぬ発言を繰り返し、それがまた国民の期待を高めた。

 メディアも彼を重宝して頻繁に露出させた。

 ところが、ここがまた舛添の舛添らしいところなのであるが、厚生大臣となって居心地がよくなったとみえて、そして自民党の政治家として更なる上が見えてきたと錯覚して、舛添えは、ある時点から突如変節してしまった。

 厚生労働官僚の代弁者になりさがり、自民党政権延命の助けをするような発言をするようになった。

 ところがやはり舛添は舛添だ。正直なのである。嘘を言えない人なのである。

 いや、厚生労働省を守ろうとしても、そのあまりのひどさに、かばいきれない、というのが本当かもしれない。

 その結果が、「組織的関与はあったと推量する」、「限りなく黒に近い」という発言である。

 この発言は実に深刻で重大な発言である。

 願わくばこの発言が、伝染病のごとく、すべての大臣の発言に発展することを。

 そのためには、国民が気づき、怒り、メディアが報道せざるを得なくなるような状況に発展することだ。

 国家の組織犯罪は年金記録の改ざんに限らない。

 汚染米問題によってあぶりだされた農水省の犯罪。

 膨大な防衛装備予算の闇。

 検察・警察の裏金問題。

 密約で染められた日本外交。

 薬害問題のウラに潜む厚生行政と医療、薬品業界の癒着。

 冤罪という名の検察・司法行政の不正義、など、など。

  考えてみれば、今までの政権が行なってきた政治の結果が今日の姿だ。

  これらの権力犯罪は、騒ぐだけで終わらせてはいけない。

 報道されるだけで終わらせてはいけない。

 犯罪である以上罰せられなければならない。

  それは、政権交代が起きる、という事である。

 

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2008年09月18日

谷内さん、それはないよ


 彼と最後に言葉をかわしたのはいつだったろうかと思う。

 前外務省事務次官の谷内正太郎氏のことである。

 私と彼は昭和44年(1969年)に外務省の門をくぐった同期生である。

 当時彼は東大修士課程をへて入省した最年長の24歳、私は京都大学を三年で中退した最年少の21歳だった。

 私は彼をずっとさんづけで呼び、彼はいつも天木君だった。

 ともに米国研修を命ぜられ、彼はマサチューセッツ州のフレッチャースクールで外交を学び、私はオハイオ州のオバリンカレッジで若い学生たちから米国生活を学んだ。

 それから三十数年、イラク戦争をきっかけに私は外務省を去り、彼は事務次官に上り詰めて米国のイラク攻撃を支えた。

 谷内さんが、沖縄返還交渉の密使として佐藤総理から派遣された若泉教授に私淑し、外務省に入省したばかりの頃、下宿先の若泉教授の家から通っていた事を知ったのは最近であった。

 その谷内さんが、9月18日の産経新聞に載っていた。

 なんでも21世紀を担う若者の人間力育成を目指す「産経私塾」の講師として話したという。

 質疑応答で若者の一人がこう質問したという。

  「国民の生命を守る観点から自衛隊の引き揚げに意味はあるのでは」

 それに対する谷内さんの答えはこうだ。

  「仮に危険だからと全部引き揚げると、タリバンが確実に復活し、イラクで追い詰められたテロリストの一大基地がアフガンにできる。日本国内でも共鳴勢力によるテロが起きる可能性がある。むしろ政府レベルでも危険を押して行くべきで、それが巡り巡って日本国民全体の生命、財産を守ることになる」

  谷内さん、それはないよ。純粋な若者に嘘を教えてはいけない。

  もし本気でそう思って外務次官を務めていたとしたら、大問題だ。

  もし、いつの日か私が政治家になったなら、国会に来てもらって国民の前で、あのイラク戦争に加担した日本外交の是非について、議論しようじゃないか。

  まだ勝負はついていない。
 

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2008年09月17日

リーマン・ブラザーズの破綻が宣告したブッシュ・小泉同盟の敗北

世の中そう捨てたものではない。

 悪事が必ず罰せられるとは限らないのが世の常であるが、それでも時として、お天道様は見逃さなかった、と思うときはある。 

 まさかの、リーマン・ブラザーズの破綻を見てそう思う。

 軍事力にまかせた「テロとの戦い」が一方の車輪であるとすれば、サブプライムローンに象徴される詐欺まがいの金融資本がもう一つの車輪であった。

 その上に乗ってブッシュの米国が急速に進めてきたのが新自由主義、グローバリズムという名の、強者による弱者支配であった。

 イラク、アフガンで行き詰ったブッシュは、ついに米国経済の破綻を現実のものとして8年間の任期を終えようとしている。

 慌てるな、危機を波及させない、と呼びかけるしかなすすべもない哀れなブッシュ大統領を見ても、怒りを覚えこそすれ、同情する者は誰もいないであろう。

 そのブッシュ大統領に、日本の富と安全を売り渡したのが小泉元首相であった。小泉構造化改革という名の詐術であった。

 その結果、日本に何が起こったか。

 国民経済の疲弊と格差社会は、人々の心から余裕と優しさを奪いさり、勝ち抜くため、生き残るために、指導者から一般国民まで、偽装だらけ、詐欺だらけの社会をつくってしまった。

 リーマン・ブラザーズの破綻は、天がわれわれに与えた最後の警告に違いない。

 国が滅ぶ最後のところで目を醒ませと。今ならまだ間に合う、力をあわせて正しい日本をとりもどせ、と。ただし、これが最後のチャンスだ、と。

 リーマン・ブラザーズの破綻によって、自公政権は終わった。

 総裁選が吹っ飛び、その後の総選挙も結論は出た。

 政権交代が宣告された。

 そして、なによりも、小泉元首相と「小泉改革の継承」を唱え続ける小泉チルドレンの命運は、リーマン・ブラザーズの破綻というダモクレスの剣によってとどめを刺されたのだ。

 無駄な時間とエネルギーを費やしている時ではない。誰が政権をとっても、問題の解決は容易ではない。

 新しい政権は国民の総力を結集させてこの難局を乗り切る事を今から考えなくてはならない。

 キーワードは平和と人権である。

 

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2008年09月16日

新銀行東京を許すわけにはいかない


 こういう記事を読むと怒りを通り越して悲しくなる。

 今発売中の週刊現代9月27日号に、内部告発者をいじめた上、守秘義務違反で訴えたという新銀行東京の卑劣さを書いた記事を見つけた。

 週刊現代の阿部崇記者の手になる憤怒の記事である。

 東京都が1000億円の資本金を投じて作られた新銀行東京が、その資金の大半をわずか3年で食いつぶした上、400億円の追加出資を石原慎太郎都知事が求めたのはついこの間だった。

 その新銀行東京が、都議や知事側近による口利き融資を頻繁に行なっていた実態を実名で告発した元新銀行東京の行員がいた事を、私はうかつにも知らなかった。

 横山剛元行員(39歳)であるという。

 週刊現代の記事は、その告発した元銀行員を、新銀行の幹部・同僚がよってたかっていじめ、退職に追い込んだ上、追い討ちをかけるように守秘義務違反で訴えた事を教えてくれた。

 阿部記者は次のように訴える

 ・・・訴訟の狙いは、ずばり、横山氏の口封じだろう。自殺に追い込まないまでも、氏を萎縮させ、メディアへの露出を控えさせようとする卑劣な策略が透けて見える・・・巨額の税金からなる資本金をあっという間に食い潰した経営責任をとった人間は一人もいない。また、石原都知事が「経営悪化は旧経営陣の責任」として、「法的措置も検討する」と繰返しているものの、都や新銀行に具体的な動きはいまだない。
   彼らがしたのは、公益のために真実を明かした元行員を訴え、情報漏えいの禁止と(1320万円という法外な)損害賠償を求めることだけだ・・・まかり間違えば(横山氏の自殺という)最悪の事態を引き起こしかねない行為といえる・・・

 なんという卑劣な事が、石原東京都知事の下で行なわれていることだろう。

 許せない。

 心あるジャーナリストは、この問題を世間に知らしめなければならない。

 大手新聞はこの問題を一大社会問題として報じるべきだ。

 週刊誌記者だけにまかせて口をぬぐっているようではジャーナリズム魂が泣く。

 

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2008年09月16日

自民党総裁選から見えてきた自公政権の断末魔 その③


 平和に背いた創価学会・公明党の罪と罰

  自民党総裁選は、今や完全に、来るべき天下分け目の総選挙の前哨戦となった。

  小沢民主党代表が東京12区から出馬し、公明党の太田代表と闘うという話が突如浮上した。

  これからも、日替わりメニューのように毎日サプライズが続出するであろう。

  総選挙に走り出した流れはもうとまらない。自民党総裁候補の演説など誰も聞きはしない。

  私は9月2日のブログで、福田首相を追い詰めたのは米国と創価学会・公明党だと書いた。

  米国はともかくとして、創価学会・公明党が福田首相を切り捨てた事は、もはやあらゆるメディアが報ずるところとなった。

   なぜ創価学会・公明党は福田を切り捨てたか。

   勿論それは、このままでは総選挙で自公は勝てない、という危機意識である。

   麻生でも勝てる保証はない。しかし福田では100%勝てないのだ。

   その事を示すデータが、今日(9月16日)発売の写真週刊誌フラッシュ(光文社)でスクープされていた。
  「公明・学会票が弾き出した300選挙区当落予測」と題するその記事によれば、自公あわせて195議席(自民164公明31)に対して野党(含無所属)285(うち民主255)という数字となっている。

  自公連立を組んだこの10年ほどの間に、創価学会・公明党は権力のうまみを存分に味わった。

  しかしそのことは、同時にまた、権力を手放す事の怖さを知った、ということでもある。

  なぜ創価学会・公明党はそれほど権力を手放す事を恐れるのか。

  それは国会という場で創価学会・公明党の虚実を暴かれることへの恐れである。

  言論弾圧、人権侵害を理由に矢野元公明党委員長が創価学会を訴えた。

  その矢野元委員長を国会に招致するかどうかが政局の一つの目玉となっている。

  しかし問題はそれにとどまらない。

  憲法違反の疑いがある政教一致の問題、

  宗教法人が無税である事をいいことに蓄積した膨大な資産問題、

  さらには朝木明代東村山市議自殺疑惑などに見られる、創価学会・公明党の検察・司法介入問題など、

  創価学会・公明党に絡んで指摘されてきた問題は多い。

  それらが、これまで国会で取り上げられなかったのは、政権を握っていたからである。

  私はそのようないわゆる公明党問題について、このブログで書くつもりはない。

  すでに多くの人たちが書きつくし、論じつくしているからだ。

  しかし私がどうしてもここで書かなければならないのは、平和に背いた創価学会・公明党の罪と罰についてである。

  9月14日の読売新聞「混迷政局インタビュー」で浜四津敏子公明党代表代行が答えていた。

  その中にこういうくだりがあることを私は見落とさなかった。

  新テロ対策特別措置法改正案の衆院での再可決をどう考えるか、と問われた時の答えである。

 ・・・給油活動の必要性は認めているし、期限を延長する事は必要だ。ただ、今の政治情勢を考えると、あまり無理をしないほうがいい・・・

  正体見たりである。国会会期を短縮する事を主張したのは新テロ特措法延長に反対だからではなかった。国会の実質審議をなくし、矢野喚問をさせないということだったのだ。

  創価学会・公明党は小泉政権のブッシュ追従政策を容認してテロとの戦いに賛成した。あきらかな対米戦争協力である給油活動についても容認している。

  再可決の強硬は国民の反発を買うから止めろと、あくまでも選挙対策として反対しているに過ぎないのだ。

  日米軍事同盟は国益だ、と公言している自民党が米国に従属し、米国の戦争に協力させられるのは仕方がない。

  しかし平和を唱え、平和政党を掲げる創価学会・公明党がブッシュの戦争に加担する偽善を、私は許すわけにはいかない。

  平和はすべてに優先される人類共通の普遍的、絶対的価値だ。

  その平和に背き、平和をもてあそぶ罪は限りなく深い。

  創価学会・公明党は今まさにその自らの誤りに、罰せられようとしていると私は思っている。 

  

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2008年09月15日

自民党総裁選から見えてきた自公政権の断末魔 その②


小泉元首相の危険な賭け

  政治家に近いある人から、まったく偶然に、最近私はこういう話を直接に聞いた。

  「小泉元首相にあなたの事を言ってみたら、『俺の前でそいつの名前を口にするな』と怒られたよ」と。

  一人のおちこぼれ官僚を、そこまで意識する小泉元首相のことである。このブログで繰返す小泉批判も、間違いなくその耳に届いてるに違いない。

  もちろん私はそれを承知で書いている。

  私は9月8日のブログで、小泉新党はあるか、と自問自答した。

  また9月10日のブログでは、自民党総裁選の唯一の見せ場は、小泉元首相が小池百合子候補を応援して麻生候補との代理戦争をする事だとけしかけた。

  案の定小泉元首相は動き出した。

  しかし私の思い描いていた方向とは異なる展開になりそうだ。

  一言で言えば、小泉元首相の目論みは外れたということだ。

  「5人はいずれも小泉内閣の閣僚だった。だから誰を支持するかは今は言えねえ」などと受けを狙って登場した小泉元首相であったが、総裁選への影響は殆どないと受け止められている。

  総裁選は自民党議員と自民党員の間だけの選挙である。小池百合子は自民党の中では人望はない。小泉チルドレンの多くは生き残りのために様々な派閥に属してしまって、小泉元首相について動く議員はおちこぼれの30名程度だといわれている。

  これでは、いくら小泉元首相が「俺は小池百合子に一票を入れる」と言ったところで勝ち目はない。

  それに最近の小泉元首相を見ていると老醜を感じさせる。

  いつも酒を飲んだ後のような腫れた顔してでてくる。一段と長くなったライオンヘヤーさえも不潔に映る。

  所詮は権力を握っていての小泉だったのだ。

  権力を手放したとたん、ただの無教養な老政治家に成り下がってしまったのだ。

  小泉ブームは起こりえない。

  小泉元首相は、どこまで自分を客観的に見つめているのだろうか。

  もし彼が冷静であれば、もはや小池百合子を総裁候補におして麻生候補との代理戦争を行なう愚を犯さないだろう。

  はやばやと戦略を変えて、小池百合子に、麻生選挙管理総裁の応援団に徹しろ、と命じているのかもしれない。

 なぜなら、総裁選に勝利することが確実な麻生と、それでも戦うという事は、それは自民党を割る事であるからだ。そして総選挙前にそれを行なうという事は自殺行為に等しい。

 もし彼が冷静なら自重する。彼の本当の敵である小沢民主党との、政権を賭けた総選挙に専念したほうが賢明だと判断するに違いない。

 問題は総選挙後である。

 自民党が負ければ勿論のこと、自民党が勝っても、総選挙後は中川秀直、小池百合子、武部勤らを率いて新党を作る可能性がある。その新党がキャスティングボートを握る数を持てば十分存在感を保てる。それぐらいの数の議員を引き連れる事はできる。

 小泉元首相がそう考えても不思議ではない。

 小泉元首相は、すでに自民党を見限っている。自民党に自分の居場所がないことを知っている。

 総選挙に勝っても負けても、自民党を離れるつもりなのだ。

 しかし、それは危険な賭けでもある。

 絶頂を極めた政治家人生の晩節を汚す事になるおそれがある。

 本来ならば、福田を引き連れて政界を引退すべきなのである。

 それが出来ないところが小泉元首相の限界である。

 小泉さん、やめとけよ。時代は確実にあなたを飛び超えて動き出している。

 良くも悪くも小泉の時代は終わったのだ。私にとってはさびしい限りではあるのだが・・・

 

 

  

  

  

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2008年09月15日

自民党総裁選から見えてきた自公政権の断末魔 その①


  今度の自民党総裁選挙は、公職選挙法違反ではないか

   私は9月11日のブログで書いた。

   自民党の総裁を選ぶという自民党内部の政治行事は、始まったとたんに終わってしまったと。

   一日で終わった自民党総裁選挙であるなら、残された10日あまりの日程を自民党はどう過ごすつもりだろうか、と。

   それから4日たって、その答えがハッキリしてきた。

   これは自民党総裁選運動ではない。来るべき総選挙に向けて、総裁候補5人を打ち立てた事前選挙運動なのだ。

   それが当初から戦略であったのか、想定外の麻生優勢がもたらした戦略変更だったのか、それはわからない。

   しかし、今となっては自民党は明らかに総裁選を選挙運動に切り替えた。

   このなりふりかまわないルール違反に対し、野党はどう対応したらいいのか。

   それを書くのがこのブログの目的である。

   一つには、目くじらをたてて自民党批判をしないことだ。ただ一言、これは公職選挙法違反ではないか、と真顔で繰返すだけでいい。

   自民党議員や一部の党員しか投票のできない自民党総裁選挙について、過去に例のない規模で全国遊説を繰返す自民党の異常さに、国民は気づき始めた。その経費はもとをただせば国民の税金だ。おかしいじゃないか、と。

   さすがのメディアも、その片棒を担ぎ続けることにジャーナリズム魂の呵責を感じつつある。

   御用キャスターや政治解説者の当惑ぶりも日増しに強まっている。

   ほうっておけば自民党総裁選は自滅、自壊してくであろう。

   二つには 総裁選をあえて無視し、自公政権の無責任さを追及すべきである。

   考えてみるがいい。9月1日の福田首相の辞任後に、どれだけの内外の大問題が起きたか。

   そのいちいちをここで紹介するまでもない。有毒米問題一つとっても深刻な権力犯罪である。北朝鮮外交についても、不明潜水艦の領海侵犯についても、さらには年金問題、後期高齢者問題についても、その深刻さは尋常ではない。

   それにもかかわらず福田首相は何をしているのか。

   辞任をしたからといって総理を辞めたわけではない。

   総理大臣の臨時代理が置かれているわけではない。

   福田首相は今でもこの国の運命を左右する最高責任者である。

   それなのに記者会見もろくに行なわないほど職場放棄をしているのだ。

   それを許しているのが自民党なのだ。

   野党はこの一点を声だかに叫べばいい。

  総裁戦と称して全国で民主党批判を繰返す総裁候補は、顔色をなくすであろう。

  国民の怨嗟の声が投げつけられるであろう。途中で遊説を切り上げざるを得なくなるかもしれない。

   三つ目には、野党は結束して全国をまわり、次回総選挙で国民が望む事をに耳をかたむけ、それをいち早くマニフェストとして宣言し、自公政権との政権選択を示す事だ。

  その全国集会は、民主党の批判をするしかない5人の自民党候補者の選挙活動より、はるかに有意義だ。はるかに効果的だ。

  繰返す。自民党の総裁選を敢て無視するがいい。

  自民党総裁選を無理して盛り立てようとするメディアを無視するがいい。

  そのかわりに、前述の三つを愚直に実行すればいい。

  要するに当たり前の事をやればいいのだ。一般国民を信じればいいだけの事だ。

  

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2008年09月14日

 この国の若者は「天皇の玉音放送」(朝日文庫)という本を読むべきである


  小森陽一の「天皇の玉音放送」(朝日文庫)という本を読んだ。

  そこに書かれている事は、昭和天皇の戦争責任が、ついに今日まで明確にされずに終わってしまった事への、全身からほとばしる小森氏の義憤である。

  その思いを私は共有する。

  昭和天皇の戦争責任論はこの国を二分する一大問題だ。

  そして、この国は、天皇の戦争責任を公言すれば、今日でも右翼から命を狙われる国である。

  そんな中で、昭和天皇の戦争責任を正面から唱えた小森氏の勇気に敬意を表する。

  そのあまりにの激しさに、考えを共有する私でさえも、たじろぐ。読むのがつらくなるほどだ。

  しかし史実から逃げてはならない。

  その史実を、一人でも多くのこの国の若者に知ってもらいたい。

  この本は、イラク戦争が始まった半年ほど後の2003年8月に五月書房から刊行された。

  当時は米国のイラク戦争に追従した日本政府に異を唱える目的で出版されたに違いない。

  日本が対米従属であり続ける最大の理由が、昭和天皇の戦争責任を不問にした米国と天皇制を守ろうとするこの国の支配者の取引であった事を、小森氏は訴えたかったに違いない。

  その著書が、なぜ今、文庫本となって再刊されたのか。

  私は思う。

  今この国は、戦後始めて、本当の意味での政権交代を目撃しようとしている。

  その政権交代がもたらすものは、単に国民経済の困窮を、自民党と民主党のどちらかが、よく救ってくれるか、という経済問題にとどまるものではない。

  国民よりも米国の利益を優先してきたこの国の歴代の政権から、米国の利益より、国民の利益を優先する政権に交代するかどうか、それが問われているのである。

  「天皇の玉音放送」という書は、政権交代を迫っている本なのである。だからこのタイミングで再刊されのだ。私はそう思っている。

  今の日本を生き、これから長くこの国で生きていかなければならない若者は、戦後の日本がどのように出来たのか。なぜこの国の政治が、いつまでたっても国民の為の政治にならないのか。なぜこの国の指導者は、国民より米国に従ってきたのか。その事について、「天皇の玉音放送」を読んで知らなければならない。

   この本のハイライト部分を小森陽一氏の言葉を引用してここに紹介してみたい。

   ・・・ポツダム宣言が発せられる前日の(1945年)7月25日、(昭和天皇)ヒロヒトが(内大臣)木戸幸一に問いかけたのは「三種の神器」(伊勢神宮にまつってある鏡、熱田神宮にまつってある剣、現在は行方のわからない勾玉)が守れるのかということだけだった・・・たとえどのようにもっともらしい考古学的考証があったとしても、それらは神話的器物でしかない。鏡と刀と勾玉といった器物を守る為に、多くの国民の命が犠牲になっていい、ということは絶対にありえない・・・

   かつて森元首相は「この国は神の国」だといって非難され、失脚した。

   しかしこの国は確かに神の国であったのだ。

   そして神である天皇と天皇制を守る(国体護持)ために、降伏をためらい、東京大空襲や広島、長崎への原爆投下で多大な国民の命が犠牲になった。

   その時の指導者たちが戦後もこの国の指導者となり、一変して米国と手を握って天皇制を維持してきたのだ。

   「天皇の玉音放送」で国民を欺いた米国とこの国の指導者は、63年経った今また、国民を再び欺こうとしている。

   そのような支配構造を、国民の手で改める、それが政権交代である。

   小森陽一氏はその思いで「天皇の玉音放送」を再刊したに違いない。

   

  

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2008年09月13日

 講和条約締結を前にしてなぜ吉田茂は不機嫌だったのか

 読売新聞が毎週土曜日に連載している堤清二(辻井喬)の回顧録には、時として興味深い歴史の断片が語られることがある。

 そのことを私はこのブログたびたび紹介してきた。

 9月13日のそれにも、つぎのような興味あるくだりがあった。

 ・・・吉田茂は講和条約締結の一週間ほど前からひどく不機嫌になったということなど、いつも興味のつきない話が、主に吉田健一(吉田茂の長男、英文学者)から出されるのであった・・・

 これを読んだ時、私はすぐに、豊下楢彦著「安保条約の成立ー吉田外交と天皇外交」(岩波新書)を思い出した。

 いわゆるサンフランシスコ講和条約は日本にとって極めて寛大な条約だった。

 その条約を吉田茂は高く評価していたはずだ。それなのになぜ吉田茂は首席全権代表を強く拒んだのか。

 この疑問に豊下教授はその著書で見事な推論をしてみせる。それは一学者の推論であるが、膨大な資料に基づいた限りなく真実に近い推論である。

 講和条約に署名したくなかったのではない。その直後に控えていた日米安保条約に署名する事が嫌だったのだ、と。

 そして、豊下教授は、少しでも対等な条約をと、粘り強い交渉を重ねた吉田茂に対し、天皇の戦争責任をせまるロシアの影響を恐れた昭和天皇が、日米安保条約の早期締結を命じ、出席を渋る吉田茂に、はやく出席し、署名するように、と迫ったからだ、と推論する。

  だからこそ吉田茂は、日本国民や国会はもとより、全権代表団にさえ安保条約の実態を知らせることなく、責任をみずから一人に負わせる形で、サンフランシスコ郊外の米軍兵舎に一人赴いて署名したのである。

 今日に至る戦後63年の日本を規定してきた日米安全保障体制は、昭和天皇と米国の利害が見事に一致して作られたのだ。

  安保条約締結から57年がたった今、吉田茂の孫、麻生太郎が、この史実を知ってか知らずか、日本の総理を目指している。

  

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2008年09月13日

政権交代の本当の意味


 少し古い新聞記事の引用になるが、8月31日の日経新聞の書評欄で、つぎのような文章があった。
 小林多喜二の「蟹工船」がブームになっている事についての書評の一部である。

  ・・・蟹工船を(ロシアの攻撃から)護衛していた駆逐艦の将兵は、待遇改善を求めた労働者に銃口を向け、首謀者を連行してしまう。国家が一部の既得権者の手先となっているのではないかという不信感が「蟹工船」のブームの根底にあるとしたら、私たちにとって必要なことは、流れに取り残された人々の声を汲み上げる努力を続けていくことではないか・・・

  政権交代を叫ぶ小沢民主党は、この言葉を、自公政権との天下分け目の決戦を前にして、よくかみしめるべきだ。

  そして、政権交代で小沢民主党が目指すところは、この書評の言葉どおり、「国家を、一部の既得権者から、これまで取り残されてきた国民の手に、取り戻す事である」、と高らかに謳いあげるべきだ。

  「国家が一部の既得権益者の手先となっている」

  この言葉こそ、今日の日本の閉塞感を打ち破るキー・ワードに違いない。

  9月13日の朝日新聞「政策ウオッチ」で、小沢民主党に政権が移ることを「霞ヶ関」は警戒感を強めて見守っている、という記事があった。

  その記事で例示されていたのは、民主党政権になれば「取調べの全面可視化」が実現するかもしれないと心配する警察庁であった。

  しかし危機意識を持つのは、警察庁だけではない。

  国家権力を一部の既得権者のために使ってきた、その手先である官僚組織すべてが今おののいている。

  「事故米」という名の有毒米問題が大問題になっている。

  この問題の本質は、農水省の故意、または不作為による国家犯罪にある。

  国民の命と安全をここまでないがしろにする官僚支配と、その上に乗ってこの国を動かしてきた政権政党の責任は重大である。有害米問題だけでも内閣総辞職、解散・総選挙ものである。

  有害米問題は、権力犯罪の一例に過ぎない。

  厚生年金改ざん問題、薬害問題、耐震偽装問題、官製談合、警察・検察の裏金問題、教員不正採用問題など、すべては国家権力による故意、または不作為の罪によって惹き起こされた問題だ。

  外務省の密約、隠蔽もまた深刻な権力犯罪だ。9月13日の毎日新聞は、米原子力艦船の放射能漏れについて、すでに1963年の時点でその事実が外務省に米国側から日本へ通報されていた事が米国立公文書館の公開文書で明らかになった、とスクープしている。

  それを隠してきた外務省は、それがばれても、「人体や環境に影響を与えるレベルではない」、「実害を起しているわけではない」、と言い張っている。

  有害米問題についての農水省の弁明と見事に一致する。

  このような国家犯罪をまともに裁く事の出来ない検察、司法もまた、権力犯罪の共犯者である。

  ここまで読み進んだ読者は、私が何を言いたいか、もうおわかりであろう。

  なぜ政権交代が必要なのか。

  なぜ自公政権がこれほどまでに政権を手放す事を恐れるのか。

  それは政権交代によって、これまでの権力犯罪が国民の前に明らかにされることを恐れるからだ。

  権力犯罪が国民の世論の力で糾弾される事になるからだ。

  政権交代の本当の意味は、まさしくここにある。

  政権交代とは、国家権力を、一部の既得権者から一般国民の手に取り戻す事なのである。

  
  

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2008年09月12日

 突然の空自イラク撤退発表を読み解く


  9月11日、政府は航空自衛隊のイラク撤退を唐突に発表した。

  それを12日の各紙が一斉に報道し、社説にとりあげ、歓迎した。

  当然だろう。憲法違反の行為を止めるのは当然だ。

  米国の戦争犯罪に加担すべきではない。

  過ちを改めるのは、遅きに失しても(鳩山由紀夫)、しないよりはいい。

  ひとり産経新聞だけが、イラク特措法にもとづく空自の活動期間は来年7月まであるのに、米中枢同時多発テロの7周年記念日にあわせての撤収発表には首をかしげる、などと馬鹿な論評をかかげていた。

  日米同盟関係を損ねる、国際社会の信頼を失い、などという嘘を並べていた。

  いいか、よく聞いておくことだ。

  「テロとの戦い」とは、米、イスラエルとアラブ抵抗者の間の、不条理かつ非対称な、血みどろの戦いなのだ。

  アラブ人の国家との共存を絶対に認めないと公言してパレスチナ人を抹殺するイスラエルとそれを支援する米国と、その国家テロに自爆攻撃で抵抗する追い詰められたアラブ狂信者のテロとの、絶望的な戦いなのだ。

  この三者以外に、「テロとの戦い」に入り込める者はいない。ましてや日本は「テロとの戦い」とはもっとも遠い国であった。

  「テロとの戦い」は勝たなければならない戦いではない。「テロとの戦い」そのもが即時停止されなければならないものなのだ。

  そんな日本が、専守防衛の自衛隊をイラクに派遣した理由はただ一つ、小泉元首相と外務省の対米追従政策の結果である。それがすべてなのだ。

  国際貢献といってみたり、テロとの戦いから逃げるのは無責任だといってみたりするのは、すべて、国民を騙す、露骨な嘘である。

  そして、今度の政府の突然の発表もまた、いくつかの重大な嘘が隠されている。

  一つは今度の突然の発表は、あくまでも方針であり、政府決定ではない、ということだ。これほどの重要な発表を、閣議決定一つなく行なわれている。

  しかも、首相の職を放り投げ、公務を放棄した福田首相が、「イラクでの自衛隊活動を自分の手で終わらせたい」だけなのだ(9月12日朝日)。それを町村官房長官や、高村外務大臣、林防衛大臣、などが、バラバラになって喋るという異常さだ。

  今回の発表は総裁選のドサクサに紛れ、国会が開かれないことをいいことに、なし崩し的にイラク派遣を終わらせてしまおうというごまかしなのである。

  二つ目は、日本政府は決して間違いを認めて撤退を言い出したということではない、ということだ。イラク派遣の根拠となってきた国連安保理決議が本年末に終わり、あらたな国連決議が望めない、そしてそれに代る法的根拠(イラク駐留に関するイラク政府との協定など)の目処が立たないから、仕方なく撤退するのだ。

  三つ目に米国もイラク撤退の方針を言い出したので、日本も撤退しても米国から怒られないだろうということだ。
   もし米国が反対するなら、国連決議があろうがなかろうが、イラクとの駐留協定ができてもできなくても、政府・外務省は自衛隊派遣を続けるに違いない。どこまでも対米従属なのである。

  このように今度の空自撤退は、自主的な決断ではない。イラク情勢を自らが判断し、イラクへの自衛隊派遣がわが国にとって有益なのかどうか、という政策判断は一切ない。あるのは米国がどう見るか、だけである。

 だから今回の発表も、国民の前で胸を張って大声でいう事が出来ないのだ。発表する連中もおもしろい顔をしていないのだ。

 それよりも、政府・外務省には、さらなる難題が待ち構えている。

 それは米国が「テロとの戦」の主戦場をイラクからアフガニスタンに移そうとしている中にあって、これからの日本の「国際貢献」が、アフガニスタンにおいて求められる事になるからだ。

 そしてアフガニスタンへ自衛隊を派遣することは、自衛隊の命を今度こそ本当に危険に晒すことになるからだ。

  われわれが注目すべき事は、もはや給油法の延長問題だけではない。アフガン支援がどのような形で行なわれるだ。

  それが国会の最大の争点になる。

  それは自公政権を追い詰めるだけでなく、小沢民主党をも追い詰める事になるに違いない。

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2008年09月11日

はじまったとたんに終わった自民党総裁選挙


 自民党総裁選をめぐる10日一日のテレビや新聞の報道振りを眺めて、つくづく思った。

 自民党総裁選挙ははじまったとたんに終わってしまった、と。

 これから22日の総裁選まで、候補者もメディアも、一体どのようにして10日あまりを過ごすのだろうかと思う。

 この事はおそらく候補者自身も、メディアも気がついているに違いない。

 気がつかなければあまりにも鈍感だ。

 いや、気づいている。11日早朝のみのもんたの「朝ズバッ」で、彼が怒鳴っていた。

 なぜ有毒米の責任について触れないのか、なぜ拉致問題について触れないのか、国民の暮らしと安全を守れないで、何が総裁選か、と気色ばみ、それを聞いていた解説者が大きく頷いていた。

 なぜ自民党総裁選は盛り上がらないのか。

 それは、もそも政策論議などしている時ではないからだ。

 そんなものを聞いている余裕は国民にはないからだ。それは政治家たちの自己満足なのだ。

 壮大な錯覚なのだ。

 候補者が何を言おうが、国民には伝わらない。

 そもそも政策論議はすべて相対的だ。一長一短がある。誰もどれが正解かわからない。

 喋っているものさえわからないのだ。

 その上に、候補者の言葉が本当の事を何も語っていない。選挙目当ての演説だからだ。

 次々と表面化する日本の難問にどう答えるか、その政策を語っていないからだ。

 いや、政策を語ろうとしているのかもしれない。

 しかしどの候補者も、本当の政策論争から逃げているから、国民に響かないのだ。

 なぜ本当の政策が訴えられないのか。

  わかっているけれど、それを言えば自公政権のこれまでの政策の誤りをいう事になるから言えないのかもしれない。

 本音を言ってしまえば国民からそっぽを向かれるから、本音を隠して耳障りのいい事しか言わないのかもしれない。

 そんな中で、「景気対策を優先しなければどうにもならないだろう、この馬鹿!」と一人開き直っているのが麻生太郎だ。

 その物言いは乱暴だ。しかしまさしく国民が望んでいるのはその明快さである。

 だから支持が集まる。

 そして、その明快さは、あの小泉偽改革の時の明快さとは違う。

 実体がある。小泉偽改革の明確な否定という実体がある。

 麻生だけが小泉改革を否定しているからわかりやすいのだ。

 麻生で解決が出来ないとわかっていても、麻生だけは総裁にさせないなど傲慢な口を聞く者がいても、もはやそれ以外の候補者のどの顔を見ても、国民は、そしてメディアも、解説者も、まともに支持する気にはなれないのだ。

 はじまったとたんに一日で終わってしまった自民党総裁選挙。

 繰返して言う。

 これから10日あまり、候補者は、メディアはどう時間を潰すつもりか。

 訴えるべき事は一日で終わってしまった。報道すべき事は一日で終わってしまった。

 これから同じような事を繰返していては、国民の心はどんどんと離れていく。しらけていく。

 自民党は敗北必至だ。

 自民党もメディアも何かを考えなければならない。

 それは何か。

  小沢民主党叩きか。

  新党結成の動きか。

  究極のドラマは小泉を引っ張り出してきて、文字通り麻生、小池(小泉)の代理戦争を行う事だ。

  しかし、小池陣営は、「小泉さんは負けるけんかはしない人だ」と様子をみるしかないという(9月10日読売)。

  沈黙する小泉元首相に小泉チルドレンはばらばらであるという(9月11日)。

  どうやら、今後の唯一の見せ場は小泉元首相が出てくるかどうかになりそうだ。

  出てきても、国民の反応は完全に二分するだろう。

  世論調査でも明らかだ。期待の声もあるがブーイングも強い。

  負け戦を嫌って出てこなければ、文字通り小泉再登場は完全になくなることになる。

  面白いことになってきた。

  

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2008年09月10日

私の目には決して順調ではない可能性が見える


  自民党総裁選が本格化し、福田首相の突然の辞任会見がずいぶん昔のことのようだ。

  しかし私は今でも辞任記者会見の福田首相の発言の中で、ある言葉が忘れられない。

  辞任会見の福田首相の言葉のなかで私が一番驚いた言葉である。

 それは、「福田首相が辞任したからといって自公政権は良くなるのか」といったような質問をした時だ。

 正確にはどのような言葉だったかは忘れたが、たしかそういう趣旨の質問であった。

 その時福田首相は、少しためらった後で、うまく行かないと私は思う、というような発言をした。

 私はそれを聞いた時、「福田さん、凄い事を口走ったなあ」と思った。

  これは自公政権に将来はない、と認めた事だ、誰が自分の後を引き継いでも、今の自公政権の行き詰まりは克服できない、と認めた事だ、と私は内心とても驚いた。

 だからこの発言はこれからの政治報道の中で大きく取り上げられていくだろう、と思った。

 ところがどの報道もこの発言を取り上げなかった。

 「私はあなたと違って自分を客観的に見る事ができる」という例の捨てゼリフばかりが面白しろおかしく何度も取り上げられるばかりで、自分の見通しでは自公政権はもはや誰が総裁になっても駄目だ、と言うに等しい、この言葉は一切触れられる事はなかった。

 そう思っていたら、やっと9月6日の毎日新聞「近聞遠見」で岩見隆夫氏が、

 ・・・福田も熟慮の末の辞任だろうが、熟慮の中身が問題で、「私の先を見通す目の中には、決して順調ではない可能性がある」(辞任会見)という発言には驚かされた・・・

 と書いていたのを見つけた。

 しかし、なぜ驚いたのかという理由は一切言及なく、その発言の無責任ぶりにあきれるという程度の軽いものだった。私には不十分な言及であった。

 そしてとうとう私は、福田発言の本当の意味を解説してくれる文章に出会った。

 今日(9月10日)発売の週刊新潮は「公明党よ、驕るなかれ」、という元公明党矢野絢也氏の手記を載せていた。

 その中で矢野氏は次のように福田発言を解説しているのだ。

  ・・・なにしろ福田さんも辞任の会見で言ったではありませんか。自公政権の先行きについて見解を問われ、「私の目には、決して順調ではない可能性が見える」と。
    あれこそは身をもって公明党のごり押しを実感した首相の、万こくの思いを込めた発言です・・・

  なるほど、これで合点が言った。

  福田首相は、単に自民党が政権を失う事を憂えているのではなかったのだ。公明党と連立を組んだ自民党に将来はない、と言いたかったのだ。

  私は9月2日のブログで福田首相を倒したのは創価学会と米国である、と書いた。

  少なくとも前者については図星であったということだ。

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2008年09月10日

メディア批判を批判する


  9月10日の読売新聞に学習院女子大学教授の石澤靖治氏(メディア関係論)が

  「遅かった『ひとごと』批判」という見出しで、メディア批判を書いている。

  その要旨はこうだ。

  ・・・9月1日の福田首相辞任会見の最後に、ある記者が総理の会見は人事にように聞こえるという質問をし、これに怒った福田首相が、あなたと違って私は自分を客観的に見る事ができる、と捨てゼリフを吐いた。
  毎日記者会見をしておきながら、なぜいままでこのような鋭い質問が記者の間から出てこなかったのか。
  それは暗黙の了解が記者と総理の間にあるからだ。この実態を、フリージャーナリストの上杉隆氏が「ジャーナリズム崩壊」(幻冬舎)で明らかにしている。つまりなれあいの会見をわれわれは毎日見せられてきたのだ。
  総理会見の場は、首相の一方的なメッセージ発信の機会にはなっていても、ジャーナリズムが首相をチェックし、批判する場にはなっていない。
  「ひとごと」批判は、福田首相が退陣するときになされるべきではなく、それより前に行なわれているべきであった・・・

  その事に異論はない。

  しかしこの八百長質問会見を考え出し、もっとも利用したのは小泉・飯島コンビであった。

  いまごろになってジャーナリズムの権力迎合を糾弾する上杉は、小泉・飯島に迎合することで生き残ってきた。

  いまでも小泉・飯島批判は行なわない。

  あのとき小泉会見のいかさまを糾弾していたら、あれほど小泉政権は長続きしなかった。

  日本はここまで壊れる事はなかった。

  小泉偽改革が自民党総裁選の政策論争で否定されるようになった。

  しかし、今でもメディアは小泉改革の嘘を正面から指摘できないでいる。

  その一方で、本気で権力批判をしてきた気骨あるフリージャーナリストは多く存在する事を私は知っている。

  問題は彼らを、既成メディアが排除してきた事だ。

  世に重宝されているジャーナリストはすべて権力と馴れ合っている。

  そのようなジャーナリズムの自己批判は、所詮はおためごかしだ。

  既成ジャーナリストが退場し、これまで注目されていなかったジャーナリストが世にでてくる事が必要だ。

  ジャーナリズムの世界もまた政権交代が必要な時である。

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2008年09月09日

 不必要に騒ぎ立てては問題の本質を見失う


  相撲界の麻薬騒動がスポーツ紙の一面を独占している。

  スポーツ紙どころかメディアの中心となっている。

  しかしここまでこの問題を長引かせたのは誰か。

  麻薬という最も深刻な反社会的犯罪は、警察が直ちに介入し、少しでも疑いを持たれた者は直ちに逮捕され、その決着は司直の手に委ねられるのがこれまでの常だ。

  芸能人でもスポーツマンでも、ましてや一般人は、弁解の余地なくつかまっておしまいだ。

  それなのになぜ相撲界に限ってはここまでもたもたしていたのか。

  毎日のメディアのネタになっていたのか。

  メディア大騒ぎの不思議は他にもある。

  たとえば選挙なき小沢民主党再選に対する執拗な批判である。

  それは今でも続いている。

  私が見るところでは、小沢再選を弁護した論調は皆無だ。すべてのメディアが批判している。

  しかし、公明党や共産党の党首選出の無投票ぶりには、一言も批判はない。

  それどころか言及さえしない。

  翻って、自民党の総裁選がここまで茶番劇に堕している事を、もはやすべてのメディアが笑いものにしている。

  選挙をしてもしなくても大騒ぎをするのだ。

  にわかに大騒ぎになった有害米事件もそうだ。

  確かに、あのメタミドホス農薬や、発癌物質で名の通ったアフラトキシンなどに汚染されている有害米が食用に使われていたとなれば大問題だ。

  それを知りながら長年繰返していた社長がいたとは驚きだ。許せない。

  しかしそれを食した消費者の被害状況に一言も触れることなく、毒性の重大さばかりを騒ぎ立てると国民はパニックになる。

  あの耐震偽装事件の時に、買ったばかりのマンションから立ち退きさせられた国民が出た時と同じだ。

  一部のマンションが見せしめのように壊され、その他多くのマンションが修繕で誤魔化されて終わってしまった。

  そして、あの時も今度も、監督官庁の見過ごしが指摘されたけれど、その追及は行なわれなかった。

  内部告発でとっくの昔に官僚たちは知っていたにもかかわらず、官僚たちは、隠蔽、もしくは怠慢で被害を拡大した。

  その責任を問われることなく、あの時も、今度も、泣き寝入りさせられるのは消費者であり、直接に責任のない業者である。

  今度の有害米事件も、何も知らずに有害米を使っていた酒業者などにとっては、「降って沸いた災難だ」、「血圧が上昇して倒れそうだ」、「倒産を覚悟している」、などと悲痛な声をあげている。

 それは正直な今の心境に違いない。

  9月9日の朝日新聞はその社説で「農林水産省は昨年はじめに転用の情報を得ていたのに、事実を突き止められなかった事がわかった」と書いている。「今回浮き彫りになったのは、農水省の対応のお粗末さだ。食の安全を揺るがす事件が相次ぎ、食品業界への監視を強めていたはずなのに、不正を長く見過ごしていた」と書いている。

  その農水省は8日、「監視体制が不十分だった」と認めている(8日各紙)。

  メディアはいたずらに大騒ぎをするべきではない。

  国民に本当に知らせなければならない事を大騒ぎをして報道しろ。

  さもなけばメディアも権力犯罪に加担した事になる。

  国民を裏切る事になる。

  かならずしっぺ返しを食らう。

 

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2008年09月08日

 長銀無罪判決の教訓


  これも9月8日の東京新聞の記事に基づいて書いている。

  今度は社会部の瀬口春義という記者の記事である。「長銀無罪判決の教訓」と題して、自らの反省の弁を書いている。

  すなわち、瀬口記者は、7月18日に最高裁が長期信用銀行の元頭取大野木克信被告ら旧経営陣に対し、逆転無罪の判決を下した事について次のように書いているのだ。

  まず、瀬口記者は、被告らの弁護人が、記者会見で述べた、次の言葉を引用して書き始める。

  「多くの報道機関が今か今かと(長銀幹部らの逮捕を)待ち受けていた。その状況下、検察官は肩を押され(長銀幹部らを)起訴した。法に照らすのではなく、ムードによって起訴した」

  そして、瀬口記者は、「この弁護人の言葉は、厳しい検察批判であると同時に、検察に追従し世論をあおったメディアへの痛烈な批判でもある。当時、取材班にいた私の胸にぐさりと刺さった」、と正直に告白する。

  その後に続く溝口記者の記事は、東京地検特捜部の、「最後に三振した打者だけが罪を問われる」というを見せしめ起訴に対する批判と、その筋書きを疑わずに報道するメディアのジャーナリズム精神の喪失への反省の言葉で溢れている。

  そして一年前にあれだけ熱狂して被告人質問を取材していたメディアが、一年後の最高裁の逆転無罪判決の時には、取材席にいた記者は彼一人であったという、冷めやすさにあきれ返る。

  私は7月19日のブログで「長銀無罪判決で問われる本当の意味」と題して、国民の怒りが政府・大蔵省に向かう事をさけるための、見せしめ長銀有罪判決が、それから10年たって、国民が忘れた頃を見計らって、被告の名誉回復を図ったのだ、逆転無罪判決は出ても、真の責任者を問わないで済ませるのは、政府・大蔵省と検察・裁判所の談合による責任回避だ、という事を書いた。

  溝口記者の今日の記事は、その時の私も考えが間違っていなかった事を確認させてくれた。

  この国は、政治、検察、司法、メディアが、馴れ合いながら身内の罪をかばい合っている。

  少なくともその一角を占めるメディアの人間が、新聞でここまで反省するとは好感が持てる。

  若い記者だからこそ反省できる勇気があるのだ。

  メディアの劣化を嘆くよりも、このような記者がいる事を知って、この国のメディアへの期待を繋ぎ止めたい。

  それが変わらない限り、国民は救われない。

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2008年09月08日

政治が混迷している隙に官僚が跋扈する


  政局は話はおもしろくて、つい書きたくなる。書くネタはいくらでも出てくる。

  しかし政局の話はくだらない。書いていて心が寒くなる。学ぶ事はなにもない。

  だからつとめて政局以外のことを書くようにしている。

  政局のドサクサにまぎれて見落としてはならない事がいくつもあるからだ。

  9月8日の東京新聞に載っていた、「不可解だった日本の抵抗」は極めて秀逸な記事である。

 政治部の清水孝幸という記者が次のように書いている。

  ・・・防衛省は来年度予算の概算要求で、クラスター爆弾を廃棄する方法の調査費として約2億円、クラスター爆弾の代替兵器として誘導能力の高いミサイル調達に約73億円、を盛り込んだ。
  これは不可解だ。
  防衛省は「海岸線の長い日本の防衛にとって、クラスター爆弾の面的制圧能力は大きい。現段階で代替できる能力はない」と最後までクラスター爆弾の禁止に反対した。外務省はその防衛省の言いなりであった。
  そのために日本は平和国家のイメージを失い国際的に評判を落とした。
  クラスター爆弾にこだわるならば、(日本などが要求し、その結果)クラスター爆弾禁止条約で例外的に認められた最新型クラスター爆弾を、どうして代替兵器に選ばなかったのか。
  子爆弾が10個未満と少なく、攻撃対象を識別する機能を持ち、不発の場合には自己破壊できる装置のある高性能型で、フランスやドイツが保有しているものだ。
   ところが防衛省はこうしたクラスター爆弾の導入には目もくれず、精度の高い単弾頭の爆弾を採用して予算要求を行なった。
   その理由がふるっている。上陸してきた敵を「面」で一気に叩く戦術から、「ピンポイント」で正確に敵を攻撃する戦術に切り替えたというのだ。
   戦術を変えても対応できるなら、どうしてあれほどクラスター爆弾禁止に反対したのか。はやく同意していたら、交渉で日本がもっと指導力を発揮できたのに。
   反対は一体何のためだったのか。クラスター爆弾禁止条約に不参加の米国への配慮だったのか。それとも外から強いられる変化を嫌う組織のエゴだったのか。
   それにしても、そもそも廃棄方法の調査に、なぜ2億円もかかるのか。
   焼け太りにならないよう監視しなければならない・・・

  この清水記者の指摘は鋭い。

  ことほど左様に官僚たちの仕事振りはいい加減なのだ。

  国民の血税にもかかわらず、自分たちの懐が痛まないので、無駄な要求を腹いっぱいするのだ。

  政治が貧困である事をいい事に、官僚たちは好き放題に予算要求をする。

  総裁選や政権交代で政治が空白であることを、さぞかし官僚たちは喜んでいるに違いない。

  情けない政治家たちだ。政治不在のなかで、亡国官僚の群が跋扈している。

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2008年09月08日

政局の小泉、その出方ですべては変わる

  
  自民党総裁戦で政治ニュースは持ちきりだ。

  下馬評では、麻生本命、対抗馬与謝野だという。

  しかし、私は麻生と小池百合子の一騎打ちに収斂してこそ、今度の自民党総裁選の最大の見せ場が訪れると考えている。

  そして小池自民党総裁と小沢民主党総裁が政権をかけて対決する総選挙こそ、天下分け目の決戦になると思っている。

  小泉元首相が小池百合子を応援し、事実上の小泉、小沢の代理戦争になってこそ、面白い。

  自民党が生き残りを賭けるためにはそれがベストだ。

  私が自民党の責任者ならそうする。

  必ずそうなるだろうと思っていた。

  ところが今のところ意外な展開になっている。

  小池百合子が苦戦し、小泉チルドレンが分裂している。

  小泉改革路線を継承する者たちが入り乱れている。

  自民党の結束が失われてしまったのだ。

  小泉人気に頭を下げるぐらいなら下野してもいいと考える自民党議員が増えているということだ。

  そんな中で、「政局男」を自認する小泉元首相の姿がまったく見えてこない。

  メディアもそれを取り上げない。

  そう思っていたら、やっと日経新聞が9月8日の紙面で小さく次のように書いていた。

  ・・・「中川秀直元幹事長の狙いは、小池百合子元防衛相を立てて政界再編の布石を打ちたいということなのでは」(町村派幹部)・・・(しかし小池百合子は)「切り崩しにあっている」(小池氏)状況で苦戦気味。頼みの綱は「小泉チルドレン」ら若手議員で、束ね役の武部勤元幹事長が協力を要請している。
   ただ、小泉純一郎元首相自身は今回の総裁選で沈黙を続けている・・・

  本当に小泉元首相は最後まで動かないのか。

  動かないかもしれない。

  福田首相じゃないけれど、「自分の事を冷静に見つめられる」男であれば、自分の神通力が権力を手放したとたん急速に薄れつつある事を自覚しているはずだからだ。

  しかし、私は動くほうに賭ける。自民党のためにではなく、自分のために。

  もしこのまま彼が小泉チルドレンを見殺しにして沈黙を守り続けるならば、それは小泉チルドレンの終焉と同時に、文字通り自分自身の政治的出番の終わりを意味する。

  小泉元首相はこのままでは終わらない。終わるには生臭すぎる。

  小泉元首相はこのままでは終われない。息子に地盤を譲るまで小泉人気を保たなくてはならない。

  はたして小池自民党総裁の誕生はありうるのか。

  もし小池百合子議員が20人の推薦人を集められなかったなら、それは小泉元首相が動かなかったということだ。そして小池百合子の政治的影響力は終わりとなっただろう。

  どうやら20人の推薦人を集めて総裁選に出る事になったようだ。

  しかし、それは小池百合子の総裁選勝利を意味するものではない。

  おそらく小池百合子は総裁選に勝てないだろう。

  問題はその時だ。その時こそ小泉新党が旗揚げする時である。

  それが総選挙の後か前かはわからない。しかし小池百合子を応援して、それでも小池百合子が自民党総裁になれなければ、間違いなく小泉新党は誕生する。

  そして、さすがに一頃の人気はなくなったとはいえ、小泉元首相は30人ぐらいの候補者を当選させられる。私には信じられない事であるが、いまでも純ちゃんと騒ぐ国民が少なからずいるのだから。

  その時こそ小泉新党がキャスティングボートを握る時だ。小泉元首相が政界で存在を示す時だ。

  果たしてそうなるだろうか。勿論私にはわからない。

  私を面罵する投書は少ないけれど、中には「小泉を批判して飯を食っているのだから小泉がいなくなって一番困るのはお前だろう」というのがあった。

  これには苦笑してしまった。

  その通りである。だから私はこれから起きる日本政治の混迷を、小泉新党結成の方に賭けるのである。

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2008年09月07日

 不誠実なありかたは、人も、国家も滅ぼす事になる


 イラク攻撃以降の米国も、日本も、ものの見事に崩壊しつつある。

 それはあたかもあの戦争で無念の死をとげた人たちの怨念がそうさせているかのようだ。

 私はイラク戦争を支持した小泉元首相の誤りを正面から批判し続けてそれまでの人生を失った。

 それは想像以上の大きな犠牲と無念であった。その間の5年間は自問自答の毎日であった。

  しかし、もし私がこの試練に耐え抜く事ができるとしたら、自分を偽らなかったという自負に支えられたからだ。

  間違った事を知って、「それは正しい」と嘘をつかなかったすがすがしさを唯一の後ろ盾として生きていけるからだ。

  不誠実は、人も、国家も、内部崩壊させることになる。

  9月6日、原子力供給国グループがインドへの核燃料や原子力技術の輸出を認める「例外扱い」を全会一致で承認した。

  それが正しいと思って加盟国は全会一致したわけではない。

  この会議は全会一致でないと物事は決まらないことになっている。合意か決裂かしかないのだ。

  ニュージーランドをはじめオーストリア、アイルランド、スイス、北欧諸国、デンマークなど反対派の小国の慎重派を米国がおしつぶしたのだ。

  ある国には核開発を認め、ある国にはそれを厳禁する。この米国のダブルスタンダード。これほどの偽善、不誠実はない。

  さすがに、これでは核不拡散を防げないと6日の大手各紙は一斉に批判している。

  産経新聞でさえも、沈黙を守り、米国が正しかったとは言えない始末だ。

  それにもかかわらず、米国はインドが「核実験の凍結を継続する」と口約束をした事をことさら強調して、画期的な前進だと自画自賛する。

  唯一の被爆国として、誰よりも核不拡散、核廃絶を世界に訴えなければならない日本は、自らを偽って米国に追従し続ける。

  これは偽善だ。あまりにも不誠実だ。

  ロシアの南オセチア承認を批判した欧米は、ロシアから、お前たちがコソボ独立を承認した時とどこが違う、と言い返されて、ぐうの音もでなかった。

  インドと同じように核不拡散条約加盟を拒否し続ける北朝鮮は、核無力化の6カ国協議の合意を破って核施設の再稼動に手をつけた。

  米国や日本はこれを批判できない。

  外交がここまで無力になってしまったのは、外務官僚が自らの不誠実さゆえに内部崩壊しているからだ。同僚たちの暗い顔を今でも思い出す。

  自公政権がここまで行き詰ってしまったのは、彼らが国民を裏切ってきたからだ。その報いが政治的混乱として今彼らを襲っている。

  人も国家も、おのれの不誠実に、最後は自壊する。

  
  

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2008年09月06日

面従腹背の政治、面従腹背の日本からの解放


 読売新聞が毎週土曜日に連載している辻井喬(堤清二)の回顧録「叙情と闘争」の中には、時として興味深い記述がある。

 今日9月6日のなかにも次のようなエピソードが書かれていた。

 1978年、ソ連がまだゴチゴチの共産主義国家であった時、堤はエルミタージュ美術館を訪れてそこの女性キュレーターの次のような言動を見た。

  地下の倉庫に眠っている数々の名画(ボッシュ、ブリューゲルからはじまって黄金時代のスペインの名画、ラ・トゥール 、プッサン、ファン・ダイクなど、そしてロココ美術の次に印象派、後期印象派など)を案内された堤は、
  
  「これらの絵は地方の美術館に貸し出すことはないんですか」

 とそのキュレーターに尋ねる。すると彼女は、

  「ありません。なぜならこれらは社会主義リアリズムの作品ではなく、くだらないもので国民教育上もよくないのですから」

  と答える。

  しかし、そういう言葉とは裏腹に彼女が名画に触る手つきは、さもいとおしい物を扱う際の柔らかさだった、と書いている。

  そして、その後に、堤は続けて次のように書いているのだ。

 ・・・僕は中年の女性キュレーターが、本当はこれらの絵が好きだし、その価値をよく知っているのだと覚り、すると面従腹背という言葉が浮かんできた。
    僕はその直感を口にはださず、夜行列車のなかで、この国で役人として無事に勤めあげるためには自分の思想を持たない事だ、と言ったP・イリイチの言葉を反芻していた・・・
    人間だから思想を持たないということは不可能に近い。とすれば彼が主張したことの実質は面従腹背ということではないか。表向きは従っているように見せて、本音は隠しておくこと・・・

   そういった後で、堤は自分自身の生き方がそうではなかったのか。父親に対する少年時代の自分、ビジネスマンとしてゆく先々で違和感を覚える自分を、押し隠してきたのではないか、と自問するのである。

   思うに面従腹背の経験は、古今東西を問わずあらゆる人間が経験する事に違いない。

   そしてその矛盾にもはや耐え切れなくなった時、人も、国家も、自壊し、大きな転換を余儀なくされる。

   日本の政治も、日本国民の意識も、今まさにその時期にさしかかっているのではないか。

   面従腹背の欺瞞をかなぐり捨てて一度ぐらいは本音で生きてみろ、崩壊の後に待っているのは絶望ではなく、希望だ。それが人間解放なのだ。

   そういう時代の声が聞こえるような気がする。
    

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2008年09月05日

  民主党に喝をいれる

  自民党の総裁選の事ばかりが報じられて、福田自民党の責任問題も、民主党の党首選挙も忘れさられてしまう。これは自民党の策略だ。小泉郵政選挙の二の舞だ。

 そういう声が政権交替を望む人たちから聞こえる。

 肝心の民主党関係者たちも、「埋没」を懸念し対応策に追われているが名案がないという(9月5日日経)。

 それは認識不足もはなはだしい。追い込まれているのは自民党だ。

 民主党にとって天が与えてくれた千載一遇の好機なのだ。

 突然の福田自民で後継総裁争いがニュースのなるのは当たり前だ。国民は関心がある。

 それをメディアが追うのは当然だ。格好の政治ニュースだ。

 しかし、見ているがいい。目の前に繰り広げられている候補者の顔ぶれを。いずれも名誉欲に目がくらんだ者たちの醜態な生き残り争いだ。国民にアピールするはずがない。

 いいかげんにしろ、とますます人心は自民党から離れていくに違いない。

 自民党総裁選のメディアジャックを恐れる暇があれば、今こそ民主党はその存在価値をアピールすることだ。

 ところが、民主党で報じられる事と言えば、無投票での小沢党首再選とか、造反した女性議員を「姫、もう一人にさせないよ」などと慰留する、幹部の痴態ばかりである。

 そんな事だから埋没するのだ。

 口を開けば、いわずもがなの福田自民党批判を繰返すしか能のない民主党だから、国民の心をひきつけられないのだ。

 政権をとれば、自公政権が決してできなかった事をやるんだ、という明確な公約を、民主党は今こそ国民の前に訴えて、閉塞感に打ちひしがれている国民の心を揺さぶるのだ。

 9月5日の朝日新聞の社説は、久しぶりに朝日新聞らしい社説だった。

 沖縄密約に触れ、米外交文書で動かぬ証拠を突きつけられているのに、なぜ日本政府は密約の存在を否定し続けるのか。
 それは密約が、沖縄返還土地原状回復経費400万ドルというちっぽけなものの肩代わりにとどまらず、将来にわたって総額何兆円にも及ぶ多額の財政負担を、米国から約束させられていたのではないか、その重大な密約までも認めざるを得なくなるから隠し続けるのではないか、と指摘している。

  この疑惑は、西山太吉氏の「沖縄密約」(岩波新書)によって見事に追及されている。
  つまり当時の福田赳夫大蔵大臣の命を受けた柏木財務官が、外務省さえも欺いて、米側の財政負担を肩代わりすると約束していたのだ。
  思いやり予算などという違法な事をしてまで長年にわたって莫大な財政負担を続けなくてはならなかった、その原点が、この密約にあるというのだ。

  そしてその密約は、このあいだローレス元国防次官補が口を滑らせたごとく、沖縄海兵隊のグアム移転経費3兆円を日本が肩代わりするとして、いま再び新たな密約が繰返されようとしているのではないか、という疑惑につながる。

  朝日新聞の社説は次のような言葉で締めくくられている。

 ・・・この国の主人公は国民であり、公文書は国民のものである・・・自民党政府が密約を認めないなら、民主党は、政権交代を通じて歴代政権の嘘を暴くと国民に公約してはどうか。日本の民主主義の成熟度を問う、それほど重い問題なのだ・・・

  民主党はこの朝日新聞の社説を目を開いて読む事だ。

  民主党は、自民党が総裁争いにうつつを抜かしているこの時にこそ、自分たちが政権をとった時は、歴代の自民党政権が隠してきた悪事を全部情報公開してみせる、という公約をぶち上げるのだ。

  マニフェストとは、官僚と張り合って、こむつかしい政策目標を羅列することではない。

  この国の腐りきった権力構造を叩き潰して一から出発するという、再生宣言である。

  一部の指導者たちだけの間で権力を独占し、たらいまわしし、私物化してきた、そしてその事実を隠蔽してきた、そういうこの国の今までのあり方を変え、それを国民の手に取り戻す、という、民主革命宣言なのである。

  それを成し遂げる閣僚名簿を、今の時点で発表して覚悟を示すのだ。

  それは影の内閣といった遊びではない。

  政権を取った後は小沢内閣はこの顔ぶれになる、という事を示し、小沢派も反小沢派もふくめた民主党のオールスターの顔ぶれで、日本の建て直しを図る決意と覚悟を、国民の前で公約するのだ。

  これが出来なければ日本の将来はない。自分たちの政治生命もない。そういって覚悟の程を見せつけるのだ。

  それができるチャンスを天が与えてくれているのだ。

  これを逃がす手はない。

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2008年09月04日

 公明党東京都議会議員の口利き疑惑


  今日の新聞で私が注目したのは、何といっても読売新聞のスクープである。

  公明党の東京都議会議員が、新東京銀行からの融資を巡って、献金と引き換えに口利きをしていた事実を、独自の調査に基づいてすっぱ抜いた。

  新東京銀行とは、ずさんな融資で焦げ付き、潰すか、都民の税金をぶち込んで救済するのかで、石原都知事の責任が一時大きく騒がれた、あの銀行である。

  その時にも、ずさんな運用が財政危機を招いたと言われ、関係者への口利き融資で銀行が食い物にされていたと囁かれた。

  今日の読売新聞のスクープによれば、公明党の現職都議と元都議が2005年ー06年に、都内の中小企業から献金を受けた後に融資の口利きをしたり、口利きした中小企業から相談役として報酬を受け取ったりしていたと報じている。

  また。読売新聞が今年3月に行なった都議アンケート調査では、自民党都議6人、民主党都議2人が新東京銀行融資の口利きを認めたが、公明党都議はその時全員が回答しなかった事も、あわせ報じている。

  この報道が事実なら、公明党にとってはあらたな難題が出てきた事になる。

  それにして総選挙が近づいてきたというこの時期に、公明党に打撃を与えるようなスクープを読売新聞はよく掲載したものだ。

  私も経験があるが、公明党に批判的な言辞を少しでも行なうと、すかさず名誉毀損で訴えられる。

  それにひるむことなく、ここまでの記事をスクープした読売新聞のジャーナリズム精神に敬意を表したい。

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2008年09月04日

福田が消えて、ブッシュが隠れた


  日本では自民党総裁選挙のことばかりが報道されているが、その日本の親分国である米国の大統領選挙の混迷振りも相当なものだ。

  民主党大会でヒラリー支持派の中から、オバマよりマケインだと反旗を翻した者が出てきた事も異例であるが、共和党大会で共和党の現職大統領であるブッシュが欠席したのには、もっと驚いた。

  なんでも、ハリケーン・カトリーナの対応のまずさに懲りて、ハリケーン・グスタフに専念するためだという。

  こんな言い訳を誰が信じるだろうか。

 ミネソタ州までは米国のどこからでも一っ飛びで駆けつける事が出来る。演説をすませたらすぐに戻れる。

  ブッシュが共和党大会に出席できない本当の理由は他にあるのだ。

  党大会に出席したくても出来ないのだ。歓迎されていないのだ。

  もはやブッシュ8年間の失政は明らかである。

  テロとの戦いの行き詰まりはどうか。北朝鮮政策の失敗はどうか。サブプライム問題に象徴される金融資本主義の破綻はどうだ。世界的に広がる反米感情はどうか。一番新しいところでは、ロシアとの関係悪化はどうか。

  ブッシュは米国を壊した。世界の信用を失墜させた。国内の貧困問題をかつてないほど深刻化させた。

  マケインにとってブッシュと距離を置くことが、選挙対策の最優先策なのである。

  こんな当たり前のことを、なぜメディアは書かないのかと思っていたら、9月4日の毎日新聞がそれを書いた。

 題して「ブッシュ隠し?」がそれである。

 その記事は、

  ・・・衛星放送で応援演説をしたブッシュ大統領は、まずグスタフの被災状況に触れて、「被害が恐れていたほどひどくなかったことに安堵している」と、その積極的な対応振りをアピールしたが、みずからの存在感の薄さを印象づけた・・・

    と書く。そして、

  ・・・表向きの事情とは裏腹に、マケイン陣営はブッシュ大統領と距離を置くよう腐心してきた・・・と続ける。最後に

  ・・・グスタフの影響で9月1日の共和党大会でのブッシュ演説は見送られたが、グスタフ危機が去っても)マケイン陣営は大統領を再招請しなかったという・・・

  と締めくくっている。

   福田は消え、ブッシュが隠れたのだ。

   そのブッシュの朋友だった小泉はどうかだって?

   うまく逃げ延びた小泉は、小池や中川や武部や小泉チルドレンが戻ってきてくれと叫んでも、出てこない。出てきたらブーイングを浴びる事を知っているからだ。

   ブッシュの子分だけの事はある。隠れるのもうまい。

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2008年09月03日

なぜだ!橋下大阪府知事の政務調査費返還要求に応じない大阪府議会議員に共産党が一番多いとは

   私は無知である。だからどうしても解せない。

   共産党大阪府議会議員が、政務調査費の目的外使用分の返還要求を拒んでいる事に、私は驚いている。

   大阪府議会議員の政務調査費の目的外支出が問題とされて久しい。

   そしてついに橋下徹大阪府知事が、返還要求をしても応じない、OBを含む府議会議員14人を相手取って、大阪地裁に提訴することに踏み切った、というニュースが流れた。

   9月3日の新聞もそれを報じている。

   使ってしまったカネを返せと言われても、確かにそれは苦しい。

   しかし、それが本当に目的外使用であれば、やはり返還しないといけないだろう。もとはと言えば納税者の金だ。

   本当に目的外の使用だったのか。大阪府議会議員の場合を私は知らない。

   しかも、何が違法な目的外使用であるかは、政務調査費の解釈によって異なるという屁理屈も通る場合もあるかも知れない。

   しかし、官僚の経験から言えば、そして国会議員の経費の使い方を見るだけでも、常識的な解釈では明らかな目的外使用が横行している事を私は知っている。

   返還要求に応じていない14人の府議会議員の内訳は、自民4人、共産9人、社民1人であるという。

   大阪府議会議員の定員が何名かは知らないが、14人以外の議員は目的外使用をしていなかったということなのか。それとも14人以外は返還要求に応じたという事か。

   14人は、いずれも目的外使用を否定しているという。政務を行なう際の調査費や人件費などに使用したと言っているという。

   少なくとも、清廉潔白を売りにしている共産党議員の場合は、文字通り正しく、政策に関する調査・活動費に使っているのかも知れない。

   それでも私はなぜかと思う。

   橋下大阪府知事に返還請求をを求められたにもかかわらず、それに応じない府議会議員の中で群を抜いて多いのが共産党府議であるという事を。

   共産党敵視の橋下知事に濡れ衣を着せられて、大阪府の共産党府議は正当防衛で拒否しているのか。

   なぜだ!物知りの人がいたら真実を教えてもらいたい。

 

  

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2008年09月03日

屋山太郎の正論に喝采を送る


 屋山太郎という政治評論家がいる。

 時事通信記者から解説委員を経て政事評論家になった人物だ。

 いまでは専ら新米保守の言論を繰り返し、産経「正論」を代弁している。

 その立場は私のそれと基本的に異なる。

 辛口批判を繰返す割りには、ちゃっかりと政府委員に名をつらね、メディアにも重用されるところに、彼の限界がある。

 しかし、彼の官僚批判は誰よりも鋭く、誰よりも本質をついている。私はそれを評価する。

 9月3日の産経「正論」における「最高裁の判事たる資格を問う」という評論は彼の真骨頂である。

 その評論は、年金記録漏れに象徴される社会保険庁の重大犯罪を取り上げ、昨年6月、年金記録問題検証委員会(座長・松尾邦弘元検事総長)の委員となった自らの経験に基づいて次のように書いている。

    ・・・(ヤミ専従によって国から総額7億5000万円にのぼる不正給与を受け取っていた事実が発覚した事に触れた後で)
    許せないのは社会保険庁の幹部がこれを知りつつ長年黙認し、検証委員会の聴取の際も労使がぐるになって隠し通したことだ。
    さらに最近、明らかになったことは、厚生年金の算定基準となる月給の改ざんが社会保険庁ぐるみで行われていたことだ・・・責任者に”恥を知れ”と言いたい。彼らは少なくとも公職から去るべきだ・・・

    そう書いた後で、彼は次のように続ける。ここがこの論説の白眉の部分である。

    私がこのブログで紹介したい部分である。

   ・・・通常社会保険庁長官は次官レースからはずれた人のポストで、ここで箔をつけて華麗で重厚な天下り人生が始まる。
      この中で平成13年に最高裁判事に”天上り”を遂げたのが横尾和子氏である。
      横尾氏は昭和61年に厚生省年金局企画課長に就任し、基礎年金制度改革を担当した。
引き続いて大臣官房政策課長を経て、平成6年から約2年間社会保険庁長官をつとめた・・・(その時彼女の行なった基礎年金番号導入の作業が)国民に未曾有の不安を与える”大犯罪”となったのだ。
   その人物が最高裁判事を務めているから、他の社会保険庁長官経験者が公益法人に天下っていることを咎められない。
   横尾氏は最高裁判事を務める資格はまったくないと知るべきだ。即刻、辞任を求める。

    これ以上の正論はない。

    これがこの国の支配者層の結託の構造である。天下りがなくならない本当の理由である。

    このような正論を新聞の一面トップに掲げる事のできる新聞は産経新聞ぐらいだ。

    正論に喝采を送りたい。

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2008年09月02日

  福田首相を追い詰めたのは創価学会と米国である


 私のような政治の素人でも新聞を毎日丹念に読んでいると、物事が見えてくる。

 今度の福田首相の辞任は創価学会・公明党と米国がもたらしたものである。

 もちろん、大連立から対決姿勢に舵を切った小沢民主党が福田首相を追い詰めた。

 福田首相の支持率の低さが、これ以上総理を続けられないと福田首相を決断させた。

 その事は、辞任の記者会見で、福田首相自身が認めている。

 しかし、福田首相の口からは決して発せられる事はないが、福田首相を追い込んだのは創価学会と米国なのである。

 言論弾圧、人権蹂躙を理由に矢野元公明党委員長が創価学会を訴えた時、池田大作創価学会名誉会長は、「矢野をたたき過ぎた」とうそぶいたと、メディアで報じられた。

 もし、それが事実であるとしたら、今頃池田会長はさぞかしこう言っているに違いない。

 「福田をいじめすぎた」と。

  実際のところ創価学会、公明党の福田いじめは目にあまるものがあった。

  解散・総選挙の時期からはじまって、国会会期幅の問題、新テロ特措法延長問題、暫定税率問題など、福田首相のやろうとすることをことごとく公明党は否定した。

  福田では戦えないとまで言って福田首相の名誉を毀損した。

  福田首相でなくてもこれでは怒る。

  しかもその理由が自らの保身である。矢野元公明党委員長の国会喚問は何としてでも阻止しなければならない。米国のイラク戦争に加担して偽装「平和政党」であると身内から批判されては創価学会の存亡にかかわる。

 だから何があっても国会を短縮し、かつて賛成したテロ特措法も、今では反対せざるを得ないのだ。

 福田首相の突然の辞任は公明党に対する強烈な意趣返しである。

 福田首相の辞任に最も衝撃を受けているのは創価学会・公明党に違いない。

   それでは、なぜ米国が福田首相を追い込んだ事になるのか。

   これは、もちろん、ブッシュ大統領に約束した新テロ特措法を通せないからである。

   米国に嫌われては政権維持はできない、という思い込みである。

   それはそっくり、安倍首相が辞任した時の理由と酷似する。

   そしてこちらの方は安倍、福田首相サイドのまったくの一人相撲である。

   確かにシーファー駐日大使などが盛んに日本の協力を求めて圧力をかけている。

   しかしこれは米国の常套手段だ。

   米国にとって新テロ特措法が通らなかったからといって大した話ではない。

   日本の政府・外務省側が勝手に大騒ぎをしているのだ。

   すなわち日米同盟がすべてであると思い込んでいる日本の指導者や官僚が、米国の無理筋の要求までも、それに応じなければ日米関係にひびが入ると勝手に思い込み、自らを追い込んでいるのである。

  それを知っている米国は、内心ほくそえみながら、駄目でもいいからどんどんと要求エスカレートさせる。

  つまり日本の政府・官僚が日米同盟の重要性を強調すればするほど、米国の理不尽な要求を呑まざるをえなくなり、無理な要求を飲み続けるうちに、政権が行き詰まるのである。

  よく観察すればわかる。米国という国は、無意識のうちに親米政権を結果的にすべて潰してきた国なのである。

  さて今後の政局である。これはもう滅茶苦茶だ。国民にとってはこれほど面白い事はない。

  株価が少しぐらい下がっても、景気が悪くなっても、外交が停滞しても、大した問題ではない。そんな事は政治が機能しても何もよくならなかった。

  我々は政治に一切期待することなく自分の力で生きていかなくてはならない。

  そう覚悟すれば今の政治の混迷を嘲笑して楽しむほかはない。

  小泉元首相の声がまったく聞こえてこないところがおもしろい。出て来れないのだろう。

  

 

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2008年09月01日

沖縄密約の情報公開を求める動きに注目したい


 今日の新聞の中で私がもっとも注目したのは、朝日新聞がスクープした「沖縄密約」に関する情報公開を求める動きの記事である。

 その記事によれば、明日9月2日にも、ジャーナリストや作家、学者らが、沖縄返還の秘密合意を記した三つの書簡の情報公開を外務省と財務省に求めるという。

 請求するのは、ジャーナリストの原寿雄さん、筑紫哲也さん、奥平康弘東大名誉教授、作家の佐野真一さん、澤地久枝さんらであるという。

 もっと多くの有識者が参加すべきである。政治史を専門とする御用学者であっても史実を知る為には参加しなければ嘘だ。

 なぜこの動きに注目するのか。それは数ある政府の密約のなかでもこの「沖縄密約」が群を抜いて深刻であるからである。

 後年にわたり国民の税金をひそかに米国に貢いでしまったからである。

 しかもその密約は、佐藤栄作総理大臣の名誉欲のために、その意を受けた当時の福田赳夫大蔵大臣と大蔵官僚が、外務省の知らないところで米側と密約していたという背信ぶりがあった。

 毎日新聞の政治記者であった西山太吉氏が外務省の女性職員と「情を通じて」入手した沖縄密約は、本来米国政府が負担すべき返還土地の原状回復費400万ドルを、ひそかに日本政府が肩代わりしていた事を示すものであった。

 そんなちっぽけな密約を、女性スキャンダルを持ち出して握りつぶしたのは、その背後に存在する、この重大な密約がまれる事をおそれたからに違いない。

 汚名を晴らす執念で研究を重ね、この重大な密約にたどりついたのが西山太吉記者であった。

 私はそれを彼の著書である「沖縄密約(岩波新書)」を読んで知った。

 すなわち、ベトナム戦争継続で赤字に苦しんだ米国は、沖縄返還の見返りに、在日米軍の必要経費を日本側に負担させようとした。

 それは沖縄返還時だけの一時的な負担でなく、後年度にわたって受けつがれて負担しなければならない巨額の予算であり、のちに「思いやり予算」の原型となって日本国民を苦しめることになる。

  今回の情報公開請求には、この西山記者の主張が正しいかどうかの決め手となる柏木(当時の大蔵財務官)・ジューリック(財務長官特別補佐官)書簡が含まれている。

  それはすでに米国立公文書館が公開しているものだ。日本側交渉責任者だった吉野文六元外務省アメリカ局長も密約の事実を認めている。

  それでも政府・外務省はその存在を否定し続けている。

  今回も政府・外務省は秘密書簡の開示には応じないだろう。

  その場合は、ジャーナリストたちは開示を求める訴訟を起こすという。

  政府・外務省が繰返す「安全保障上の機密要請」と、「国民の知る権利」のぶつかり合いである。

  国民はこの動きを注視する必要がある。何が国益、何が国民の利益であるかを考える必要がある。

   法的根拠のない「思いやり予算」のこれまでの合計は2兆7000億円を超えている。

   おりしもテロとの戦いで日本は再び3兆円を超える後年度負担を米国から求められている。

   政府・外務省は再び密約を交わそうとしている。

   これ以上米国から搾り取られたら、国民生活は破壊される。

   沖縄密約の真実は、国民にとってこそ明らかにされなければならない。

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2008年09月01日

NGO職員の死に報いる唯一の方法は米国のアフガン攻撃から手を引く事だ。

  
   8月28日のブログで、アフガンにおけるNGO職員射殺の衝撃について書いた。

  その時私は、彼の死に報いる唯一の方法は米国のアフガン攻撃から日本は今こそ手を引く事だ、と書いた。

  その事を私はここで再度繰返して強調する。

  あの事件が起きてから、私は政府・外務省やメディアの対応を注視してきた。

  そしてその対応が、NGO職員の死を悼む事だけに終始している奇妙さを見逃さなかった。

  なぜ鎮魂一辺倒なのか。

  それは勿論NGO職員のアフガンにおける行動が、あまりにも痛ましく、非難の余地がないほど崇高ななものだったからである。自己責任論を持ち出す余地はない。

  しかし、その一方で、この種の事件が起きるたびに唱えられる、「だからテロに屈してはいけない」という言葉もまた、まったく聞かれない。

  彼のような人物を殺害したタリバンは、いくら批判してもし過ぎる事はないのに、である。

  この奇妙な現象は、今回のNGO職員の射殺事件が政府・外務省にとってそれほど深刻であったということを意味している。

  アフガンの治安状況がここまで危険になっている事が白日の下にさらされたのだ。

  日本がタリバンにとって敵視されていることが彼らの口から明確に発せられたのだ。

  官、民、ボランテアを問わず、アフガンに人を派遣する事は命がけである事が明らかになったのである。

  政府・外務省やそれに加担してきた公明党は、もはやそう簡単にアフガン支援を口に出来なくなった。たとえそれが人道支援という名目であってもだ。

  その一方で、対米配慮から、何もしないわけにはいかない。政府、外務省は追い込まれた。

  結局は安全第一でカネをばら撒くことになる。

  この苦渋の選択を前にして、結論が出せないまま、とりあえずNGO職員の鎮魂を繰返すしかないのである。

  それにしても残念だ。

  ここまで明確に政府・外務省の対米従属政策の矛盾が露呈したというのに、野党政治家、護憲政治家からは、誰一人本気で政府・外務省の政策を批判する者が出てこない。

  日ごろ平和を唱える有識者や評論家の中から、誰一人本気でアフガン撤退を訴えるものが出てこない。

  アフガンの治安悪化を誰よりも良く知っているはずのペシャワール関係者さえも、日本政府の誤りを指摘する声が出てこない。

  これだけは言っておきたい。

  崇高なボランテア活動が最も効果を発揮するのは、皆が平和に暮らしている時である。

  いくら崇高な活動を行なってみても、戦争はたちどころにすべてを破壊する。

  それを一番よく知っているのは、NGOに携わっている人たちではないのか。

  なぜ今それを声高に叫ばないのか。

    いらだたしい思いをしていたところ、国民の中にも、私と同じ思いを持っている人たちが存在する事を知って勇気づけられた。

   9月1日の東京新聞「応答室だより」で次のような声が紹介されていた。

   「中村哲医師が、現地の対日感情の悪化とアフガンへの自衛隊派遣の動きとの関連性を指摘しているのだから、もっと政府や自民党批判などをしてもよかったのでは」、

   「政府は、これ以上の米国支援をやめてほしい」、

   「国には国それぞれの立場があるのだから、NGOなどが無遠慮に他国にかかわらない方がいい」

   声なき声の中にこそ真実がある。

  

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