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2008年08月29日

 概算要求再びー国民の暮らしなど関係ねえ


  昨日(28日)のブログで、予算編成というものが、如何に国民の生活から遊離し、官僚と政治家の税金私物化のプロセスでしかない事、それを誤魔化す壮大なセレモニーである事を書いた。

  書いていて馬鹿馬鹿しくなったので途中でやめた。

  しかし今日(29日)の新聞で、嫌でもその愚が目についたので、もう一回だけ書く。

  我々は、この現実を直視しなければならない。

  直視して、記憶に刻んでおかねばならない。

  一人一人の国民は何も出来ないかもしれない。

  しかし、思い出し、怒りを蓄え、世の中が動き出した時にそのエネルギーを爆発させなければならない。

  厚生労働省は、年金記録の全件照合を着実に進めるため、厚生労働省から83名の担当職員を社会保険庁(その後継組織として09年度に設立される日本年金機構)に配置する方針を固めたという。

  とんでもない事だ。

  記録の一部は紛失、消失している。どんなに時間をかけ、人員を増やしても記録の正確、公正な照合は不可能である。

  だからこそ2年近くたっても作業がまったく進まなかったのではなかったか。

  不可能な事が確認済みであるからこそ、年金問題検討委員会とやらで、年金支給は申請者の顔つきを見て信用できるかどうか判断する、などという馬鹿げた提言がなされていたのではなかったか。

  急がれるのは一刻も尾早いあらたな年金制度の確立である。

  それを目指すことなく、不毛な作業に人員を貼り付け、関連予算の要求を行なう。

  法務省は来年度から始まる裁判員制度のため国選弁護報酬予算を倍増要求するという。

  国民の関心が低い事をいい事に、勝手に裁判員制度なるものを導入しておいて、その為の必要予算を要求する。

  一旦賛成した社民党や共産党が裁判員制度の導入を見直すと言い始めているにもかかわらず、当然のごとく裁判員制度を強行し、予算要求をする。

  総務省は地上デジタル移行対策費のため約600億円の概算要求を発表した。

  ただでさえ利権狙い、天下り確保の地上デジタル移行であると言われている。

  国民にとって不必要な経費負担をともなう地上デジタル化を強引に進め、おまけにそのための関連経費を600億円も使おうとする。

  なんのための財政再建か。

  嘘ばかりである。

  無駄ばかりである。

  政治は政争に明け暮れる。笑っているのは官僚ばかりだ。

 

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2008年08月29日

こんな日本になるなんて

  29日の毎日新聞の投書欄に、「ああ、こんな日本になるなんて」という投書が掲載されていた。

  埼玉県狭山市在住の66歳の女性からの投書である。

  その女性は、まずその投書の冒頭で、最近スーパーで経験した次のようなエピソードを紹介している。

  ・・・スーパーの刺身コーナーの前で、ご婦人が深いため息をつき、パックを取ったり置いたりしていました。
 「どうしたんですか」と尋ねると「好きな刺身を、もう2ヶ月ぐらい食べていないの。年金生活なので、食費を節約しないと」と悲しそうな顔で答えてくれました。
 そのご婦人は、貯金があったものの、ご主人が4年前に亡くなり、子供もいないことから、少しずつ蓄えを崩して生活しているという。
 仏様に供える花を買うのにも悩むそうです・・・

 そして、その投書女性は、次のようになげく。

 これが今日のブログのハイライトである。

 この言葉を紹介したくて、このブログを書いた。

 ・・・ああ、こんな日本になるなんて、誰が予想したでしょう。高級な生活をしている人には理解できないでしょうが、105円のサケの切り身を、財布と相談しなければ買えない年金生活者もいるのです。
   そんな中、福祉のために消費税の税率を引き上げるべきだとの意見もあるようですが、本当に誰を信じていいのでしょうか。
   普通の明るい老後を、どこへ探しに行けばいいのでしょうか・・・

  64年の東京オリンピック、70年の大阪万博を経て、80年代初めまでの日本を経験してきた私たち団塊の世代や、それよりも年配の日本国民は、戦後復興を成し遂げて世界第二の経済大国と意気軒昂だった日本が、それから20年たってもっと発展しているはずのなのに、逆行、退化し、ここまで生活苦の日本になろうとは、夢にも思わなかったはずだ。

 大金持ちも少ないかわりに、大多数の国民が平凡な中流生活を楽しんでいた、あのつつましくも平凡な日本が、ここまで余裕を失った競争社会になるとは思わなかったはずだ。

 こんな日本になるなんて。

 おかしいと思わなくてはいけない。怒りを感じなくてはいけない。

 その責任はもちろんこの国を動かしてきた政治家と官僚にある。

 そしてその政治家たちが今国民生活をほったらかして生き残りの痴態を演じている。

 官僚たちが、組織防衛のために開き直っている。

  そろそろ心ある国民は発言しなくてはならない。
  
  立ち上がらなくてはならない。

  それはもちろん自分たちの為である。

  しかし、同時にそれは、後に続く世代の為、この日本の将来の為に、我々に課せられた責務でもあるのだ。

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2008年08月29日

グルジア戦争で表面化した米・ロの対立と日本外交の苦悩


  グルジア戦争が勃発した直後の10日のブログで、私は本物の戦争が始まったと、その深刻さを指摘した。

  12日のブログで、米国にすりよれば安泰だといわんばかりに、プーチンのロシアという強権国家の恐ろしさを甘く見たグルジアのサーカスベリ大統領の軽率さを指摘した。

  そして15日のブログでは、退任を目の前にして、ロシアとの協力関係さえも失ったブッシュ大統領の8年間は、そのすべてを失って米政権から退場する事になる、と書いた。

  それから2週間が経ち、どうやらその見通しは皆が共有するようになった。

  思えばブッシュ政権は、2001年の発足当時、「もうロシアは『敵』ではない」という認識を外交・安保政策の基盤にしてスタートした。

  そして「テロとの戦い」こそ米国の唯一、最大の脅威であると繰返した。

  しかし、今や、敵でなくなったはずのもう一つの敵と対峙していかなくてはならなくなった。

  しかもその敵は、「テロ」よりもはるかに手ごわい軍事覇権国家だ。

   米国とロシアの対立は、もはや単に二国間の対立にとどまらず、世界を巻き込んだ国際政治上の大きな対立に発展しそうだ。

  そしてその対立は、かつての冷戦時のイデオロギー対立と違って、利害に基づいた対立である。

  軍事力や経済力(金融・資源エネルギー)をめぐる世界支配の主導権争い、覇権争いである。

  国際政治の最も根源的な争いである。

  だからこの対立は根深く、長期にわたるものになる。

  グルジア戦争のようなホットな対立関係はやがて収まるかもしれないが、米・ロの覇権争いは国際政治の底を流れる息の長い対立になり続けるに違いない。

  戦後63年間、共産主義の脅威から守ってくれるのは米国しかいない、といい続けて対米従属政策を続けてきた日本外交は、大きな試練を迎える事になるに違いない。

  29日の朝日新聞は米・ロ新対立の深刻さに言及した丹波実元駐ロ大使の言葉を掲載していた。

  ロシアが、かつてのソ連邦構成員が次々とNATOに取り込まれ包囲されつつあることに強烈な不満を持っていた事、

  機会あれば状況を変えたいと狙っていた事、

  そのロシアを甘く見て、オセチア侵攻を仕掛けたサーカスベリ大統領は軽率だった事、

  グルジア全土の制圧とサーカスベリ政権の転覆という事態までありえたが国際世論を考えて南オセチア独立承認で止めた事、そこまでロシアの強硬姿勢は固い事、

 米欧とロシアの対立は相当長期的なものになる事、

 ロシアをG8から外そうとする米国内の意見は、ますます事態を深刻化させ賢明ではない事、

 日本がとるべき道は、グルジア情勢の安定化に向けて対話と交渉で解決されるべきだと国際社会に広く訴えるほか、取るべき方策はない事、

 などを語っていた。

 その通りだと私も思う。

 これと好対照なのが23日の日経新聞に掲載されていた岡本行夫元北米第一課長の言葉である。

 米ロの新たな対立が深刻で、日本外交が試練に立たされる事になる、という見方までは同じだ。

 ところが、その後に続く言葉が、外務省を辞めても尚、日米関係の重要性を繰返すほかに能のない岡本の真骨頂を示している。

  「・・・米国は同盟国として自分たちを支持するよう日本に求めるに違いない。だが、アフガニスタンの対テロ活動からも脱落しようとする日本が、もっと難易度が高い国際変化に対応できるはずがない・・・米国との関係がうまくいっていないとき、日本が動ける余地は少ない。ドイツはロシア政策では米国と意見対立があるが、アフガンには派兵している。日本の場合、アフガン本土で貢献せず、インド洋での給油活動もやめるとなれば、ドイツのようなフリーハンドは得られないだろう」

  このような対米従属政策が、イラクで外交官を犠牲にし、アフガンでNGO職員を犠牲にしたのである。
  

 

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2008年08月28日

予算要求を見ればこの国の政治家・官僚の正体がわかる。


 今年もまた予算要求の季節がやってきた。

 各省庁から提出される概算要求を査定するのはもっぱら財務官僚だ。

 今でもこの季節になると思い出す。

 同じ官僚でありながら、各省庁の幹部が、たかが財務省の課長にも満たない主査に、頭を下げて日参する。

 それほど財務官僚の予算編成権は強い。

 ここまで財務官僚に権限を与えてしまったところに、まず大きな問題がある。

 しかし、各省庁もいい加減なものだ。

 国民の為になる必要な予算要求をするのではなく、自分たちの権限拡大の為に政策をつくる。

 その政策を実施する為に増額要求を繰返す。

 族議員を使って、財務官僚に圧力をかける。

 官僚たちの間の、狐と狸のばかしあいである。

 その過程で官官接待などという税金の無駄遣いもある。

 最後は、政府と各省庁大臣間の政治折衝で予算が固まる。年末のセレモニーだ。

 しかし、これは与党政治家たちの取引に過ぎない。

 そこには国民の声が反映される余地は全くない。

 野党政治家が出る幕はない。

 政府・与党と官僚が独占的に決める予算原案は、事後的に通常国会で審議され成立する。

 そこで野党が国民の声を代弁して予算案の不備を追及するというのが建前である。

 ところが実際はこの予算審議がまったく無意味、形式的である事を我々は知っている。

 国会審議の論争の果てに、与党・官僚が予算を組み替えるなどという事はまずありえない。

 官僚の沽券にかかわるからだ。政府・自民党の数の横暴で最後は押し通せるからだ。

  28日の各紙は各省庁の概算要求を断片的に報じている。

  防衛庁は、原油高の影響だといって航空機や艦艇などの燃料費の54.8%の増額要求をしている。国民や民間業者は黙って原油高を受け入れざるを得ないのにである。

  農水省は自給率向上や水田再生の為の支援と称して13.4%の増額要求をしている。自らの農業政策の失敗を棚に上げて、予算はいつも増額要求である。

  内閣府は消費者庁の発足の為に182億円要求している。208人の定員人件費などだ。また一つ無駄な官僚組織が出来上がる。

  国交省は19%の公共事業費増を要求しているらしい。あれほど無駄な公共事業が叫ばれているというのにである。

  馬鹿らしくてこれ以上書く気も起こらない。

  財政再建の掛け声は一体何なのだ。

  国民に痛みを我慢しろと言った小泉改革は何だったのか。

  自分たちが自ら率先してどれほどリストラをしたというのか。

  あるのは増額要求だけである。国民のお金だからいくら要求してもいいということだ。

  これは泥棒国家だ。

 予算要求の中にこそ、この国の政治家、官僚の正体が表れる。

 このままでは国民は浮かばれない。

  

 

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2008年08月28日

 厚生労働省、社会保険庁の犯罪をいつまで許し続けるのか


  私は20日のブログで、年金記録改ざんを告発した元社会保険事務所課長の勇気ある行為と、その課長を見殺しにしてはならないと、課長を招致して話を聞いた民主党の責任について書いた。

  それから一週間。28日朝のテレビ、みのもんたの「朝、ズバッ!」で、その課長がゲスト出演していた。

  その告白は衝撃的だ。警察の裏金作りと同じ構図である。

  全国に広がっている犯罪だ。意図的にせよ、黙認にせよ、中央官庁幹部までかかわっている組織的犯罪だ。

  その組織犯罪の深刻性も、組織犯罪を告発した元職員の勇気ある行動も、そっくり同じだ。

  警察の裏金づくりはもちろん許せない。

  しかし、年金記録の改ざんは、国民が収めた年金負担や国民が受け取る年金額に直接に関係する不正であるから、なおさら許せない。

  年金徴収率をすこしでも向上させようとする社会保険事務所側と、年金負担額をすこしでも減らそうとする企業側の利害が一致して、月額報酬を過小申告する。

  その結果、職員の年金受取額は不当に少なくなる。

  こんな事が全国的に行なわれていたのである。

  みのもんたは怒っていきまいていた。

  解説者も、そしてその日のゲストコメンテーターである社民党党首の福島瑞穂もあきれていた。

  いいだろう。

  ならばこの問題をテレビ番組の道具に使って終わりにするのでなく、現実に福田政権に責任を取らせてみよ。

 みのもんたは今度の選挙で政権交替をさせるよう訴えられるか。

 福島瑞穂は、この勇気ある告発を使って、次の国会で福田政権を追い詰める覚悟はあるか。

 告発した尾崎孝雄(55)元社会保険事務所課長の覚悟は、残りの人生を賭けた決死の覚悟である。

 その覚悟ある告発を、再びテレビの前で再現した。

 組織の不正と対峙し戦っている一人の人間の人生をテレビの前に晒し、質問攻めをしたのである。

  その後は、メディアや評論家や政治家の番だ。

  決死の告発を受けついで、政府や厚生労働省を追い詰めるのは、彼らの責任である。

  はたしてそれが出来るのか。その覚悟があるのか。

  我々は厳しくそれを見届けなければならない。

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2008年08月28日

 アフガンにおけるNGO邦人射殺事件の衝撃


 アフガンで起きたNGO邦人射殺事件についてコメントを求められる。

 しかし私は多くを語らない。

 私が語る事はただ一つ。

 小泉元首相が世界に胸を張って公言した「米国のテロとの戦いへの協力」の重いツケが、はじめて国民に突きつけられたということだ。

 そして、そのツケはこれから雪崩を打つように日本全体に押し寄せてくることになる。

 そういうコメントすれば歓迎されない。メディアは腰を引く。そんなコメントは取り上げない。

 メディアに流されるコメントは、命をかけたNGO職員の崇高さをたたえ、その命を奪ったテロを許さないとするものだ。それでも日本はテロとの戦いにひるんではいけない、とするものだ。

 中東専門家と称する人々が、この種の事件が起きるたびにメディアに担ぎ出され、アフガンの治安状況や犯人の意図などをしたり顔して語る。

 メディアはその解説を流して問題の複雑さを強調し、視聴者はそんなものか、大変だ、と分かったような、分からないような気になって、やがて忘れていく。

 政治記者はこれを政局と結びつけて、新テロ給油法に与える影響やアフガン復興支援継続についての自公政権の対応について書き、対米協力が語られる時には決まって噴出する民主党の内部対立を騒ぎ立てる。

 もはやそのような繰り返しは許されない。

 日本はどうすればいいのか真剣に議論しその態度を決める事だ。

 政府・与党が自らの間違いを認めるわけがない。メディアもそれを認めないし、野党も追及不足で終わる。

 結局は今までどおりになる。

 しかし、それは根拠なき選択だ。現状認識が欠如している選択だ。みんな認識不足なのである。

 もっと正確に言えば、なるようにしかならない、という無責任さであり、いまさらどうにもならないという無力感である。

 日本の正しい選択は一つしかない。

 米国のテロとの戦いに無条件で追従してきた誤りを潔く認め、これを好機に、米国とのテロとの戦いからきっぱりと決別宣言を行なう事だ。

 平和憲法9条の原点に戻り、紛争を軍事力で解決する事の限界を指摘し、米・ロをはじめとして世界の軍事大国にそれを訴える事だ。

 そういう日本の自主、平和外交を、これをきっかけに世界に宣言をすることである。

 殺されたNGO職員には多数の射撃傷があったという。

 タリバンは犯行声明を出して、外国人が一人残らず撤退するまで殺し続けると言ったという。

 それは狂気だ。

 しかし、その狂気をもたらしたものこそ戦争である。

 米国はテロを一人残らず根絶すると公言して大量殺戮を繰返してきた。世界はそれを放置してきた。

 殺されるものが抵抗するのは当たり前だ。殺されるぐらいなら一人でも多くの敵を殺して死ぬ、そう考えるものを我々は非難できるのか。

 非難さるべきは戦争である。それを誰よりも繰返してきた米国である。

 その米国から決別し、自主、自立した平和外交を取り戻す。

 この当たり前の事を本気で言うものが出てこない日本の現状を憂える。

 NGO職員が殺された責任は、もとより米国の戦争に加担した自公政権にある。

 それを追認したメディアにある。

 自公政権の戦争加担を止められなかった野党にある。

 それら政治家やメディアを許してきた国民にある。

 そして、それはまた、「私を含め、情勢に対する認識が甘かった」と悔やむペシャワール会の中村医師らNGO幹部にもある。

 NGO職員の死は日本国民の責任だ。

 今からでも遅くない。これをきっかけに、米国のテロとの戦いの誤りを騒ぎ立てるべきだ。

 米国の中東政策の誤りを騒ぎ立てるべきだ。

 そしてこれ以上米国の戦争に協力していくことの愚かさを、われわれは素直に認めるべきである。

 それこそが、それだけが、NGO職員伊藤和也の死に報いる事である。

 

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2008年08月27日

消費者よ、権利を行使せよ


 今こそ消費者は目覚めなければならない。お客様こそ神様なのだ。消費者こそ神様なのだ。

 考えてみるがよい。汗水たらして手にしたお金は、天下り役人が手にする金とか、脱税で誤魔化したカネではない。

 お天道様に恥じる事のない自分の金だ。たとえそれが小額であっても、それを使う時は大きな顔をして使うべきだ。それを使う時は一円たりとも納得した使い方をしなければならない。

 あらゆる商品の価格設定に誤魔化しはないのか。その情報公開を堂々と要求すべきだ。

 27日の読売新聞に、「政府が輸入小麦の値上げ幅圧縮へ」という記事があった。そこにこのような言葉が並べられていた。

 ・・・政府・与党は26日、輸入小麦の10月に予定している政府売り渡し価格の値上げ幅を・・・本来ならば現在よりも約23%値上げする必要があるが、(消費者への影響を和らげるため値上げ幅を)10%台に抑える方向だ・・・

 ふざけた話だ。何が本来ならば約23%値上げしなければならない、かだ。

 そもそもなぜ政府・農水省が小麦の輸入を、民間が自由に輸出国から輸入する事を許さず、政府が独占輸入して、それをわざわざ民間業者のマージンを上乗せして売り渡さなければならないのか。

 食料の安定供給とか、農家の保護・育成の補助金の財源だというのは口実だ。

 天下り機関の経費、人件費にその多くがまわされている事はすでにばれている。

  8月15日の読売新聞に小売スーパーのイオンが漁業協同組合から直接、鮮魚を買い付ける「直接取引」をはじめると発表したという記事があった。

 中間流通を通さない事で、漁業者も、小売業者も、そして消費者も、皆がトクをするのだ。

 なぜ小麦は政府・農水省という中間流通を政府の力で作り上げ、関係業者すべてを不幸にするのか。

 すべては政府・農水省の利権確保の為である。

 福田首相は消費者庁を作って消費者保護をするという。消費者庁の設立が今度の臨時国会の目玉の一つだという。消費者を馬鹿にした話だ。

 そんな事をするよりも、政府の搾取を直ちに廃止せよ。それだけで十分だ。

 消費者庁などをつくってまたもや税金の無駄遣いをする事は許されない。

 

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2008年08月26日

 もはや国家権力は国民の敵ではないか


 世界の様々な国に勤務してその国の政治を見てくると、残念ながら国家権力は国民の敵であるような国が実に多く存在する事を知る。

 まさか日本はそんな国ではないだろう、と思っているとしたら間違いである。

 そう思わせる事件が私の周りに最近立て続けに起きた。

 私が今住んでいる栃木県の鹿沼市で、豪雨で水没した軽乗用車が県警と消防本部の危機管理体制の不備によって放置され、運転していた女性が水死するという考えられない事件が16日起きた。

 「助けて、水が、水が」という電話が母親の携帯電話に鳴ったのは夜中ではない。皆が活動している夕方6時過ぎである。
 「どこにいるの?」とお母さんが尋ねてもかえってくるのは悲鳴ばかり。そしてその電話は最後にこう言い残して切れたと言う。「お母さん、さようなら・・・」

 この事故で県警と市消防は通報をたびたび受けながら現場に出動しなかったという。他の水没事故と混同して的確な判断が出来なかったという。

 信じられない事件であるが、悪意がないだけまだましかもしれない。

 国家権力は、自己保身のために、時として悪意を持って国民を犠牲にする。

 そんな事件が公然と高知県で起きていた。

 先日講演で徳島を訪れたとき、隣の高知県でバスの運転手の冤罪事件を知った。

 停止していたスクールバスに白バイがぶつかって、それを運転していた警官が死ぬという事件が起きたのは06年い3月の事だった。

 警察と国は、組織防衛の為にその事故はバスの運転手を過失致死罪と言い張り、その運転手は有罪となる。

 これはとんでもない冤罪だと訴えを起した運転手。その訴訟が最後は最高裁まで上がって争われていた。そして最高裁が上告を退けて冤罪が確定した、という事件である。

 高知から来た人が言う。誰もが警察のでっち上げと思っているのに、皆口をつぐんだままだ。運転手は気の毒だ、と。

 こんな不条理な事が実際にありうるのだろうか。

 そう思っていたら、この警察、司法の国民無視のやり方を一貫して糾弾しているブログを見つけた。「きっこのブログ」である。

 その22日のブログには冤罪にされた運転手の悲痛な叫びが掲載されている。警察、司法の国民弾圧の非道が告発されている。

 これほどまでに重大な冤罪であるのに、大手新聞がまともにこれを報道する事はない。テレビが伝える事はない。だから国民は知らないままだ。

 気の滅入るような出来事の中で、救われる思いの出来事が起きた。

 26日の各紙は、海上自衛隊員の自殺事件をめぐって被害者の両親が国を相手取って起していた訴訟において、福岡高裁は国の賠償責任を求めた、というニュースを報じていた。

 自衛隊内部でのいじめで自殺に追い込まれたり犠牲になっている隊員は少なからずいる。

 その家族の一人がかつて講演中の私を訪ねてきたことがあった。その際私は、決してなき寝入りしてはいけない、正義は必ず勝つ、と励ました事があった。

 その家族が、粘り強く訴訟を続けた結果、ついに福岡高裁は、「上司の言動は指導の域を超え違法」と断じたのだ。素晴らしい判決である。

 国家権力の中にいても正しい判決を下す裁判官もいる。

 そこに私はこの国の将来に関する一条の光を見る思いがした。

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2008年08月26日

再び問う。戦争責任者たちが公正、公平に追及されたのかと。


 昨日のブログで私は広田弘毅の東京裁判における死刑判決について書いた。

 その時私は、どのような戦争であれ、その戦争を防ぎきれなかった指導者はすべて等しく重い責任がある。戦争とはそれほど極悪な人間の仕業である、と書いた。

 偶然にも26日の毎日新聞「発信箱」に、同じような意見を述べた記事を見つけた。

 玉木研二論説委員は、最近公表された東条英機の手記に言及して次のように書いている。

 ・・・(敗戦間際でもなお継戦を唱え、降伏を主張する指導者や国民を腰抜け呼ばわりしてなじる東条の姿を浮き彫りにした手記について)

   東条の狭量を裏付ける資料というのが大方の見方のようだ。
   では、どうしてこの程度の人物が開戦直前から2年9ヶ月も首相を務め得たか。その硬直した無責任政治システムの狭量も当然批判・解明されなければならない。だが、それはなおざりにされてきた・・・
   敗戦前後には、後難を恐れ人が(東条に)近寄らなくなった。そして政府・軍部が懸念したのは東条の自決である。裁判で責任を負ってもらわねば累が他におよぶ・・・占領軍上陸直前の45年8月27日、陸軍省高級副官が(東条を)訪ね、様子を探った・・・自決の意思は固いとみた副官からの報告で、大臣が説得に乗り出したという・・・

   歴史に「もし」は禁句だ。しかし、東条の姿が東京裁判の被告席になかったら、責任追及はどのような展開になっていたか。
   東条の自決が未遂に終わり、裁判になったことに副官は「日本のためであった」と記している・・・

  この玉木研二氏の指摘こそ今日の日本の指導者に引き継がれてきた無責任体制の象徴ではないか。

  戦争責任で罰せられる者があまりにも少なかったのではないか。責任を取るべき人物たちが戦後手のひらを返したようにその責任を封印して特権人生を送って来たのではなかったか。

  その体質は今日に見事に生き続けている。

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2008年08月25日

広田弘毅とその戦争責任


  高速バスを乗り継いで徳島に久しぶりの講演に出かけた。

  いまさら講演でもないが、平和について語れと請われれば、断りはしない。

  残された人生で、私に出来る事があるとすれば、元外交官の経験から最後にたどり着いた結論を語る事だと私は覚悟をした。

  日本は何があっても戦争をしてはいけない、戦争に加担してはいけない、日本が世界に誇る事ができるのは平和憲法である、それこそが最強の安全保障政策だ、と、一人でも多くの人たちに訴えていく事を心に決めた。

  バスにゆられながら私は一冊の新書を読んだ。読みながら先輩外交官たちの苦悩と限界に深いため息をつかざるをえなかった。

 最近発刊された中公新書の「広田弘毅 悲劇の宰相の実像」である。

 服部龍二という若い学者の手になるこの新書は、国民必読の書である。

 満州事変から太平洋戦争につらなる日本のあまりにも愚かな戦争がなぜ避ける事が出来なかったのか、その責任は誰にあるのか、責任者は等しく公正に処罰されたのか、そしてその事は戦争という過去の誤りを超えて、今日の日本の様々な権力の誤りにそのままつながっているのではないか。罰せられるべきものが正しく罰せられることなく生き延びている事までも、そっくりそのままではないのか。

 その事を教えてくれる書である。書を閉じて深いため息をついた。

 著者の服部氏と同様に、そして多くの日本人と同様に、私の広田弘毅に対するイメージは城山三郎の「落日燃ゆ」の中で描かれた感動的な広田である。

 すなわち、A級戦犯としてただ一人文官で絞首刑となった悲劇の宰相であり、軍部に抵抗したにもかかわらず極刑の戦争責任を問われ、それでも超然と、黙してそれを受け入れて死んで言った高潔の人というイメージである。

 しかし服部は、広田の人間的な魅力や、無類の家族思いであった広田に惹かれつつも、そして絞首台に踏み出す広田の姿を想定して心が沈む自分を認めながらも、膨大な史実を検証して心を鬼にしてこう断じる。

 軍部に抵抗する姿勢が弱く、破局へと向かう時代に決然とした態度を示さなかった広田の責任は免れない、と。

 たしかに広田は満州事変から2・26事件を経て日中戦争に突入し、そして太平洋戦争に至る決定的な時期に外相、首相をつとめた日本の指導者であった。その事の持つ意味は思い。

 外交官としてのこの大先輩の置かれた困難な状況と、その中で尽くした努力に思いを馳せながらも、私もまた服部と同様に、広田の戦争責任を問わないわけにはいかない。戦争とはそれほど重いものなのだ。深刻なものなのだ。

 問題は、その戦争の責任を等しく共有した指導者たちの多くが責任を免れたという事だ。

 責任者が公平、正当に処罰されなかったということだ。

 そして責任を免れた者たちが、戦後も何食わぬ顔をして日本を動かしてきたという無責任さである。

 その事こそ問われなくてはならない。

 そしてその事は今日の権力者の不正にそっくり当てはまる。

 日本が正しい道を歩む事のできない最大の理由がそこにある。

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2008年08月25日

メディアの将来を考える


 
 情報源の手段としての新聞の地位が、インターネットの普及で脅かされつつあることが指摘されて久しい。

 それを決定づける出来事を米国に見た。

 オバマ米大統領候補が副大統領候補バイデン氏をメールを使って公表した事を知った。

 24日の朝日新聞が次のように報じていた。

 「既成メディアを通じず、携帯やメールを使って有権者を直接巻き込むという前例のない発表方法に『変革』を掲げるオバマ陣営らしさがにじんだ・・・」

 これは新しいメディアの時代を予感させる。

 これまでにも個人が自らのブログなどで情報をいち早く発表することがある。

 また匿名のブログが未確認の情報を流すことが氾濫している。

 しかし大統領選挙の最新情報といった、皆が最も注目している公的な情報を、既存のメディアでなく、インターネットで最初に流す事は初めてではないか。

 日本でこのようなことが起きれば、真っ先に既成メディアが抗議するに違いない。

 しかしよく考えてみればそれら既存のメディアが文句を言う筋合いではない。

 最新の公的情報を流すことは、何も既存メディアの特権ではないのだ。

 ただでさえその将来が危ぶまれている新聞業界などはこのニュースを震撼の思いで受け止めたことであろう。

 だからこそ、朝日は書いたが、ほとんどのメディアはこの出来事を押さえ込もうとしているかのようだ。

 しかし私はこの動きが日本でも広がることを期待する。

 既成メディアが独自の調査報道をすることなく、政府の御用メディアになったと言われている。

 しかしそれを嘆く必要はない。

 あらたなメディアを作っていけばいいのだ。

 メディアを選択するのは我々読者だ。

 インターネットのニュースでスクープがどんどんと手に入るようになれば、新聞やテレビの役割はますます失われていく。

 膨大なスタッフを高給で抱え込んでいる既存メディアは、たちどころに立ちいかなくなるだろう。

 その危機意識が既存メディアにカツを入れることになる。

 メディア業界もまた、すさまじい生き残りの世界に放り込まれているのだ。

 それは、より良質な情報を手に入れたいと願う読者にとって喜ばしいことである。

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2008年08月24日

  朝日新聞は滅びていく


  24日の朝日新聞が、その社説で米国とインドの原子力協力について書いていた。

  私が執拗に書いてきた核不拡散に対する米国のダブルスタンダード批判である。

  「日本はノーと言うべきだ」という見出しをつけて、このまま米国とインドに気兼ねをしてインドの核兵器を容認してしまえば、パキスタンや北朝鮮の核保有に反対できなくなる、それはアジアの安定にも、日本の国益にもそぐわない、日本はいまこそ米印協定に明確にノーと言わねばならない、と、その社説で声をあげていた。

 かつての朝日新聞であればうなずける。

 しかし今の朝日新聞が、今頃になってこんな事を言ってみても、とってつけたような違和感を感じる。

 朝日は確かに変わった。

 というよりも朝日の内部で大きな路線の対立があって、その対立は、もはや保守、親米派の勝利によって朝日が解体させられつつあるかのようだ。

 朝日の論壇月刊誌の「論座」が9月号で閉刊するという。読者の活字離れで購読数が伸び悩んだ事が理由だという。

 そうではない。朝日らしさが失われてしまったからだ。

 朝日らしさの失われた論壇誌など読むものはいない。

 正論や諸君やオピニオンなどを読んでいればいいのだ。

 本体の朝日新聞も同様にかつての朝日を失いつつある。朝日新聞の購読数は今後も減り続けていくに違いない。

 23日の朝日新聞に、朝日新聞主筆の舟橋洋一氏が、米政権に望む、と題して、自己宣伝の記事を一面に掲げていた。

 米外交評論誌フォーリン・アフェアーズの求めに応じて寄稿した、米国新政権の対アジア政策に対する提言であるという。

 ながながと自慢げに引用しているその内容は、およそ読むに値しないものだ。

 ブッシュ政権は、日本と中国の二国間関係を同時に改善するという立派な業績を残した。それがアジアの安定につながった、米次期政権はこの資産を大切にするべきである、という言葉から始まって、米国がアジアにとっても盟主になるように勧めている。

 日米同盟にもとづいた国際貢献は、治安は米国、復興・再建は日本と言った補完性の原則にのっとって行ったらどうかだとか、米国はグローバリゼーションの負の側面の克服に真剣に取り組むべきだとか米国の為にもっともらしい助言をしている。

 為にする議論だ。

 米国が日本の言う事を聞くとでも思っているのだろうか。

 次期米国政権に言う事はただ一つ。軍事力に頼んだ傲慢な政策は止めろ、その一言で足りる。

 舟橋洋一という時代遅れの記者を主筆として抱え込んでいる限り朝日に未来はない。

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2008年08月24日

野中広務という政治家


 
  毎日系テレビの朝の番組に時事放談と言う番組がある。

  いつも同じような政治家や評論家を交代で招いて文字通り時事放談を繰り返す番組である。

  八百長番組であるが、時として本音の発言を見つける事がある。

  24日の番組のゲストは亀井静香氏と野中広務氏であった。

  公明党矢野元委員長の国会招致問題に話が及んだ時である。

  亀井氏と野中氏の好対照の反応が注目された。

  亀井氏は、もし矢野元公明党委員長が言っているとおり、公党の委員長までやった人に、創価学会があそこまで言論封殺、人権抑圧をしていた事が事実であれば、やはりこれは大問題だから、そこのところを国会ではっきりさせる必要がある、と答えていた。

  これに対し野中氏は、公明党は矢野元委員長の国会招致を恐れてはいけない。堂々と受けてたてばいい。その時私もあわせて招致すればいい。私は矢野元委員長がそんなに立派な事を言えた人ではない事を知っているから、と言うような趣旨のことを言って、カメラに向かってニヤリと笑った。

  野中氏の真骨頂だ。

  国家公安委員長などを歴任した野中氏が、その情報力をちらつかせて、敵対する者を恫喝する。

  そういえば彼は日歯連の政治献金事件で一人村岡元官房長官をスケープゴートにして逃げ切った。

  世間の評価は知らないが、私は野中広務という政治家は稀代のワルだと思っている。

  その最大の理由は、彼が一貫して自民党を支えてきた政治家であるからだ。

  自民党を揺るがす言動を行う政治家を、ことごとくつぶしてきた。加藤紘一しかり。小沢一郎しかり。

  今度の件も自公政権を作ったのは自分だと言って、ここまで国民に背を向けてきた自公政権を徹底的に擁護している。

  しかし私が野中氏を信用しない最大の理由は彼の平和に対する偽善である。

  彼は政界を引退した後、「平和の語り部」と称して反戦政治家のごとく講演に奔走しているらしい。

  本当にそうだろうか。

  かつて私は土井たか子氏、野中広務氏らと一緒にイラク戦争反対のシンポジウムに出たことがある。

  それがきっかけで野中氏と私を引き合わせようとした人物がいた。

  私はこちらから面会を嫌うことはしない。

  たとえ立場が違っても、気に食わない人物であっても、こちらから面談を断ることはない。

  だからその人に答えた。やってみてください。しかし野中さんは断るでしょう。

  案の定返答は「NO」であった。

  その人を通じて届けられた私へのメッセージは、メディアには気をつけろ、という言葉であった。

  イラク反戦でメディアに一時的に取り上げられたからといって調子に乗っていると、そのうちはしごをはずされるぞ、という伝言である。

  しかし彼が私を避ける真の理由は反戦・平和について語るうちに正体がばれる事をおそれるからに違いない。

  いいみじくも24日の時事放談で、インド洋給油の継続を問われたとき、野中氏は、「今更やめるわけにはいかないでしょう」、と答えていた。

  日米軍事同盟に反対できない者に憲法9条や世界平和を語る資格はない。

  私の目をごまかすことはできない。

  
  

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2008年08月23日

  財政再建の掛け声の中の予算増額要求


  財政再建が叫ばれて久しい。

  痛みを我慢せよと国民に訴えた小泉改革も、その目的は財政再建であった。

  しかし赤字は増え続けている。

  23日の新聞各紙は財務省が発表した06年度の国家資産と負債の対照表なるものを報じていた。

  それによると、05年度に比べさらに3兆円悪化したという。

  財政再建など不可能だ。

  それを駄目押しする記事があった。

  外務省はODA13%増の概算要求を行っている(22日各紙)。

  国交省は道路予算15%増を要求しているという(23日各紙)。

  その事を問われた自民党の代議士は、これはあくまでも要求ですから腹いっぱい要求しているのです。査定では減額されますから、などと答えていた。

  どうだ、この弛緩ぶりは。

  ここまで国民生活が困窮し、深刻な予算使用が求められている時に、予算編成にたずさわる官僚たちが、自らの省庁の権限確保のために、駄目もとで腹いっぱいの要求をしているという。

 そんな馬鹿げた予算要求のために膨大な人員と時間が費やされるのだ。

 予算編成を官僚に独占させるからこうなるのだ。

 官僚ともたれあった族議員を跋扈させるからこうなるのだ。

 予算編成を国民の手に取り戻さなくてはならない。

  

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2008年08月23日

北京五輪の結果とこの国の今の姿


 こう見えても私は心やさしい人間だと自分で勝手にそう思っている。

 だから北京五輪で結果を示すことができなかった選手たちを批判する気にはなれない。

 結果がすべての勝負の世界であるが、それにはもともとの実力の差というものもあるし、運・不運もある。

 そのすべてが人間ドラマだ。

 だからこそ、つらい練習とも、想像を絶する心理的圧力とも無縁な一般観衆が、勝手な評論をして楽しむ事ができるのだ。

 その感動と興奮を与えてくれた選手たちに心から感謝しなくてはならない。

 そう、当たり障りのないことを言っておいて、ここから私のこじつけ論を展開させてもらう。

 私は今度の日本選手たちの成績は立派であったと思う。

 しかし、それでも、中国の躍進に比べて、日本はもっと頑張れたはずだ、と考える人がいるなら(私もそう思ったりするのだが)、その理由は今の日本の現状に求められるに違いない。

 23日の報道で、知的障害者に暴行を繰り返した少年たちの事を知った。

 知的障害者という絶対的な弱者に暴力を加えるという行為そのものが許しがたい事であるが、「自分より弱そうな人を狙った「、「身体障害者をいじめて何が悪い」と少年たちがうそぶいている事を知って、心底驚いた。

 本当に驚いた。日本という国が悲しくなった。

 私も色々な国に勤務してきたが、これほど人間の心がすさんでいる国は見たことがない。

 これほど人間性にもとる若者がいる国は見たことがない。

 どんなに貧しい国でも、どんなに政治体制が非民主的な国でも、子供がここまで卑劣な国はなかった。

 これを要するに日本という国がここまで無節操になっているということではないのか。

 国力とは畢竟その国の国民の心の持ち方である。

 国民をここまで無節操にしたものは何か。理由はいくつもあるだろう。

 しかし間違いなく政治、政治家の退廃だ。

 今の政治状況を見るがいい。あまりにも無能、無責任ではないか。

 国民のための政治から離れ、自己保身、生き残りに汲々としていると思わないか。

 そして、そのような政治、政治家を放置し、政治をおもしろおかしく取り扱ってきたのがメディアであり、それを許してきたのが我々国民なのである。

 日本選手のふがいなさを嘆く者がいるとしたら、まず自らを反省すべきなのかもしれない。

 

 

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2008年08月23日

核の拡散という大問題に沈黙を守り続ける日本政府と外務官僚


  ウイーンで開かれた原子力供給国グループ会合について、私はこのブログで執拗に問題提起をしてきた。

 それはこの会議の帰趨が核拡散を決定づけると思われるからだ。

 日本が訴え続けてきた核廃絶の悲願が文字通り吹き飛ぶことになるからだ。

 そして、ここが最も私が強調したいことであるのだが、日本政府、外務省の正体が、核廃絶ではなく対米追従であることを白日の下にさらされるからだ。

 原子力供給国グループの重要性を正しく認識し、一貫してその記事を配信してきたのは毎日新聞だけであった。

 その毎日新聞は23日の朝刊で、インドを例外扱いしたいとする米国の要求に対して慎重論が相次ぎ、結論は9月以降の次回総会へ持ち込まれる見通しである事を報じていた。

 同時にまた毎日新聞の記事は、アイルランドやニュージーランドなどが米国のインド例外扱いを核不拡散体制(NPT)の「形骸化につながるとして強く反発したのに対し、日本政府が態度を示さず、福田首相のリーダーシップもまったく見えない、と書いている。

 私は繰り返し強調したい。

 核不拡散を望むまともな国はない。世界中の人々は核兵器に反対している。

 唯一の被爆国日本こそ、誰よりも核不拡散を訴える立場にある。

 日本が本気になって核廃絶を訴えた時、その事に正面から反対できる国は世界には存在しない。

 もっとも強力な外交カードを対米追従の一点で放棄する日本政府と外務官僚は、それを正当化できる一言の抗弁もできない。

 だからいつまでたっても態度表明ができないのだ。

 戦後63年。日本の国力がここまで衰退してしまったのは、正しいことを胸を張って正しいと言えない、この卑屈な生き様にある。

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