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2008年08月20日

年金記録改ざんを告発した元社保庁職員と民主党の責任


 年金記録の改ざんを告発した元社保庁職員と民主党の責任


 滋賀県の元社会保険事務所課長、尾崎孝雄さん(55)が19日、民主党の会合で、保険収納率を上げるため、月給額を低く改ざんするよう組織ぐるみで指導していたと告発した。

 このニュースが20日の各紙で報道された。

 今日のブログは、何を差し置いてもこの事を取り上げざるを得ない。

 社会保険庁のこうした不正処理は、これまでにも断片的に指摘されていたが、社保庁や厚労省は「職員の関与は不明」としてごまかしてきた。

 ところが元徴収課長が顔をさらして、ここまで克明に社会保険庁、厚生労働省の意図的不正を告発したのである。

  自公政権が国民の信頼を失い、国民の怒りを買ったきっかけは、年金記録紛失問題の露見であった。それに端を発する数々の年金制度の矛盾であった。

 ところがあれから2年近くたつというのに自公政権と官僚組織は、何一つ解決できなかった。国民は泣き寝入りのままだ。

 その裏で政府の意図的な不正行為が行われていたのだ。

 社会保険料の支払いを減らして資金繰りを楽にしたい事業主と滞納額を圧縮して保険料徴収の成績をよく見せたい社会保険事務所。その思惑が一致して行われたこの改ざんは、国民の間に年金の納付、受け取りにおいて多大な不公平をもたらすことになる。

 要するに年金制度はもはやぐちゃぐちゃなのである。

 この問題をメディアが大きく取り上げなければ嘘である。

 野党が国会で政府を追い込まなければ八百長である。

 ところがこの問題は警察の裏金問題とまったく同じ構図になるだろう。

 警察の裏金問題も、現職、OBの警察官の告発が相次いだ。

 その事を通じて、裏金作りが、単なる地方警察の不祥事ではなく、警察庁の中枢が関与した国家犯罪である事も明らかになった。

 それにももかかわらず、その犯罪があまりにも広く、深く浸透している事により、責任が曖昧にされたまま今日に至っている。

 告発した者は、正義の人どころか、政府・官僚組織から目の敵にされて終わるのがオチだ。

 年金問題について、私は野党第一党の民主党にその責任を問う。

 長妻昭や山井和則が年金問題を追及してきた事は評価する。

 しかし、もはや追及を繰り返す段階はとうに過ぎた。

 ここまで不祥事が明らかになっているにもかかわらず、福田首相や舛添大臣を追い詰めることができなければ、政治家の器量が問われても仕方がないだろう。本気で追及しているのかと疑われても仕方がない。

 告発者の捨て身の行動を無駄にしてはいけない。

 自分の売名行為に利用しているに過ぎないと思われるようではだめだ。

 今こそ年金問題の決着をつけてもらいたい。

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2008年08月19日

 竹島を日本固有の領土と書き続ける外務省とこれを見過ごす韓国政府


 竹島を日本固有の領土と書き続ける外務省とこれを見過ごす韓国政府


  国際政治が大きく動きつつある。

  ついにムシャラフ大統領が辞任した。つぎはアフガンのカルザイ大統領の番だ。

  ブッシュ大統領が始めた「テロとの戦い」は、これから混迷に季節に入っていく。

  その一方でグルジア戦争に象徴される米ロの新たな冷戦は、国際政治を大きく逆戻りさせつつある。

  米ロの対立は当然ながら中東情勢にも影響を与えずにはおかない。

  グルジアに軍事協力していたイスラエルが、ロシアの怒りをかって、グルジアから手を引くという。

  米ロの緊張関係はまた、米国の対イラン政策にも影響を与えざるを得ないだろう。

  そのような大きな国際政治の流れのなかで、日本外交だけが羅針盤を失ったかのように漂流し続けている。

  なにしろギョーザ問題、テロ給油問題、拉致問題などが福田政権の命運がかかった問題だと言う国なのである。

  その事については機会をあらためて書きたい。

  今日のブログは、瑣末な問題を取り上げる。

  しかし、この瑣末な問題の背景にあるものこそ、日本のアジア外交の矛盾を象徴している。

  そう思ってこのブログを書く事にした。

  19日の読売新聞政治コラム「永田町フィールドノート」にこんな記事があった。

  外務省ホームページの竹島問題に関するコーナーが、突然の人気を集めているというのだ。

  その理由を知って笑ってしまった。

  「竹島は歴史的・法的にも日本固有の領土」と主張しているところが受けているという。

  因みに私は外務省のホームページなどおよそ見る事はない。

  外務省在職中からそれがいかにつまらないかを知っているからだ。

  外務省幹部はホームページなんかに関心はない。当然のことながらHPを書く連中は外交戦略のない末端の職員だ。

  だからそこに書かれている内容は、更新が遅れたり、平凡な内容のものばかりだ。

  そんな中で、竹島問題をめぐる外務省のホームページにアクセスが急増しているという。

  竹島問題とは、中学校社会科の学習指導要領解説書をめぐって大問題となった日韓間の一大外交問題である。

  外務省は、韓国との関係悪化を懸念して明記に反対したと報じられていた。

  削除がかなわないと知った後も、韓国側を刺激しないように文部科学省に表現を変えさせた。

  それでも韓国政府はこれを政治問題化させ、韓国大使を本国に召還させて強く抗議した。

  それだけの問題であるにもかかわらず、そしてこの問題に関する日韓両国の政府の間では何の進展もないのに、外務省はその公式ホームページで、「竹島問題は歴史的・法的にも日本固有の領土」であると書き続けていたのである。

  私はこれは書き換えを忘れた単なるミスであると考えている。外務省のHPによく見られる不注意である。幹部と末端職員の連絡のなさである。

  しかし、ひょっとしてこれは、外務省幹部が高村外相、福田首相と周到に図った一大戦略かもしれない、とも思ったりする。

  そうであれば立派だ。

  そして今度は韓国側が責められるべきだ。

  あれほど激しい日本批判は一体何だったのか、と。

  外務省は日本の外交の最高責任者だ。その外務省の公式HPで竹島は日本の固有の領土であると主張し続けているのである。

  教科書の指導要領解説書で、しかも曖昧な表現で領土の主張をしたことにあれほど騒ぎながら、外務省のHPで堂々と日本領土を主張している事に対し、反応を示さないならば、所詮は韓国の竹島領有の主張も、政治的ジェスチャーでしかなかった事になる。韓国の反日批判はその程度のものである事が証明される。

  瑣末な問題が大きな外交問題に広がっていく事もある。

  メディアは韓国政府に、外務省のHPをどう思っているのか聞くがいい。

  メディアは福田首相にこの外務省のHPの事をしっているか、知っていながらHPの掲載を続けるのか、と聞くがいい。

  その反応次第で、竹島問題が本当の領土争いなのか、単なる政治的駆け引きの道具であったのかがわかる。

  是非ともメディアには読売新聞のこの記事を追及してもらいたい。

  

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2008年08月18日

松尾邦弘という元検事総長の何気ない言葉にその正体を見る


 松尾邦弘という元検事総長の何気ない言葉にその正体を見る

  はじめに断っておくが、私は松尾邦弘という元検事総長には何の面識もない。

  ましてや個人的な恨みやこだわりはない。

  法務官僚のトップに上りつめたエリート官僚に対し、外務省を追われた失格官僚が何を言っても笑われるのがオチだろう。

  しかし、私も松尾氏も、この国の官僚という一点で共通するものを持っていた。

  保身と出世のために、最後は国民よりも権力者に従うという現実主義、打算的処世術である。

  ついでに言えば、私と松尾氏が官僚人生を始めたのもほぼ同時期だ。

  官僚人生の終わりは天と地の開きはあるが、私にとっては元検事総長もただの官僚である。

  その松尾氏の正体を見せる不用意な発言を私は見つけた。

  読売新聞の連載に「時代の証言者」というのがある。

  その18日の記事から、松尾元検事総長の証言がはじまった。

  その一回目の記事に次のような松尾氏の証言があった。

  ・・・私はこの時期、法務事務次官や最高検次長検事などを務め、組織の中枢にいました。最大の課題として常に眼前にあったのが司法制度改革でした・・・

 と述べた後で、松尾氏はこう証言している。

 「・・・債権回収に奔走していた友人の銀行幹部から痛烈な批判を浴びました。『担保不動産を処分したいが、そのための裁判は何年もかかる。司法はいざ必要な時に役に立たない』と。
  こうした不満が経済界を中心に沸き起こり、司法制度改革の論議につながっていきました・・・」

 正体見たり。

 国民からのニーズで裁判員制度が出来たのでは決してない。この国のエリート同士の都合で出来たのだ。

 経済界の仲間の不満を受けて、司法改革を行なったと認めているのである。

 さらに彼の証言は続く。

 99年7月小渕内閣の時にできた司法制度改革審議会は、2001年6月、小泉首相に最終意見書を提出した。

 その意見書の中に盛り込まれていた裁判員制度について、松尾元検事総長はこう証言している。

 「・・・はじめはよくわかりませんでしたが、審議会の議事録を必死で読み、夜遅くまで他の幹部と議論を重ねるうちに、次第に司法の位置づけが見えてきました・・・」

 驚くべき証言である。検察のトップでさえもわからない裁判員制度なのである。

 検察のトップが必死で勉強してできた制度が、何もわからない国民に押しつけられる。

 それが来年5月から始まるのである。

 裁判員制度は、他の多くの制度と同じように、国家権力の弛緩と横暴から生まれたものでしかないのだ。

 それを国民は黙って受け入れさせられるのである。

 

 

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2008年08月18日

外交官人事に見る日本と中国の真剣度の違い


 外交官人事に見る日本と中国の真剣度の違い

 18日の各紙は高村外相の訪日を報じていた。

 どの報道も、楊外相との間で「ギョーザ問題の早期解明で一致した」、「捜査協力の強化で一致した」、などと報じていた。

 そんな中で東京新聞だけが、高村外相の訪中は「五輪観戦」が目的だった?」と書いていた。私はこの記事に注目した。

 私がここで言いたい事は、高村外相がギョーザ問題を話し合うために北京へ行ったのか、五輪観戦のために北京へ行ったのか、どちらが正しいか、を詮索する事ではない。

 この東京新聞の記事を通じて、日本と中国の外交に対する真剣度の違いを見るのだ。

 新華社は「高村外相は五輪観戦のために北京へ来た」と報じたという。戴国務委員は「五輪の試合観戦にわざわざおいでいただいたことを心から歓迎する」と述べたという。

 これら中国側の対応が、ギョーザ問題から世論の目をそらす周到な戦略から来ている事は明らかだ。

 これに対し外務省や高村外相はどう反応したのだろう。

 18日の各紙が報じるところによれば、高村外相は、外相会談の一方で、女子マラソンや女子レスリングを観戦し、日本オリンピック委員会主催のレセプションに出席し日本選手と歓談したりしている。

 ここに私は日本外交の甘さを見る。五輪観戦に来た、と宣伝される隙を与えている。

 私は今度の高村外相の訪中は、五輪観戦が目的の訪中では、もちろんなかったと思う。

 しかし同時にまた、高村外相はギョーザ問題の解決のために訪中したのではなかった。

 五輪期間中の高村外相訪中は以前から検討されていたに違いない。

 そんな中で、読売新聞のスクープによってギョーザ事件隠蔽問題が発覚した。

 あわてた外務省は、国内世論対策のためにギョーザ問題で訪中するかのごとく発表したのだ。

 いつものようなアリバイづくり、情報操作である。

 考えてみるがいい。

 少なくとも今まで報道されていた事が事実であるならば、五輪期間中にはギョーザ問題は凍結したいとする中国側の要請を受けて、これに理解を示し、事実を隠蔽しようとしたのが外務省だった。

 そしてその事がばれた後は、福田首相も高村外相も、外交的には当然の対応だ、五輪後に捜査を加速させる、と開き直ったかのような強弁をしている。

 そうだとすれば五輪期間中にギョーザ問題の解決のために訪中するなどは、自己矛盾なのである。

 今度の外相会談で意味があるとすれば、せいぜい、

 「日本国内の世論がうるさいので、五輪が終わったらひとつよろしくおねがいします。事実関係をなんらかの形で公表できなければ、世論や野党が納得しませんから」

  と陳情するくらいなのである。

  その程度の外相会談が、「ギョーザ早期解明で一致」、「捜査協力強化で一致」という見出しに見事に化けたのである。

  今度の外相会談の成果の有無も含め、すべては五輪が終わった後の中国側の出方で明らかにされる。私がギョーザ問題の進展は五輪後に注目すべきだと繰り返している理由がそこにある。

 このような彼我の外交力の違いを示す見事な記事を18日の毎日新聞「発信箱」に見つけたので、是非ともここで紹介しておきたい。

 「ブッシュ家と中国」と題して、北米総局の坂東賢治氏が次のように書いている。

  「・・・米中が対戦した10日の北京五輪バスケット会場。
   ブッシュ大統領と父親のブッシュ元大統領にはさまれて中国の楊外相が座り、観戦していた。
   ・・・74年ー75年に北京で国交正常化前の連絡事務所長をつとめた父ブッシュ氏は鄧小平氏らと
   親交を持った。
     中国は77年に公職を離れた父ブッシュ氏を招待し、異例のチベット入りを認めた。
   その時の通訳が、(当時)まだ20歳の楊氏だった。
     寅年生まれの楊氏は「タイガー・ヤン」と呼ばれ、ブッシュ一行から可愛がられた。
   その後、鄧氏の通訳や米国大使館勤務を重ねながら、ブッシュ家との関係を深める。
     先代ブッシュ政権下には中国政府の密使役となり、ホワイトハウスの住居部分に潜入した事もあったという。
    01年に現ブッシュ政権が誕生すると駐米大使に就任し、ブッシュ大統領とも密接な関係を築い
   た・・・」

    ここまで述べてきた後で、坂東記者は次のような強烈な言葉でその記事をしめくくるのである。

   「・・・ブッシュ大統領は小泉純一郎元首相を『最も親しい友人の一人』と強調していたが、楊氏の
    場合、こうした外交辞令とは別の次元の関係だ・・・(日本は米国の最大の同盟国と自分で宣伝    しているが、その)同盟国すら構築が難しい「特別な関係」が(米国と中国の間に)存在すること
    は隣国としても抑えておくべきだ・・・」

   米国要人との個人的な関係をここまで築ける日本の外交官はただの一人もいない。
   外務省の「戦略なきトコロテン人事」では、決してこのような外交官を育成する事は出来ない。

    ましてや外交とはおよそ無縁な日本の政治家が、いきなり首相になってエルビスプレスリーの
   まねをしたからといって、ブッシュ大統領と個人的な朋友関係を結んだなどと喧伝するのは、あまり   にも悲しいジョークである。
    総理の座を離れたとたん、それが見事に剥がれ落ちている。小泉元首相と米国、ブッシュ大統    領の関係は、ものの見事に雲散霧消してしまっている。

    もったいない話だ。情けない話だ。

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2008年08月17日

許せばいい、と簡単に言ってしまってよいのか


 許せばいい、と簡単に言ってしまってよいのか

 人の過ちを許す事は、人間としての重要な美徳であるといわれている。

 人の批判ばかりする人間は心の貧しい者だとされる。

 人間は誰しも欠陥を持つ不完全な存在だ。批判するよりもその過ちを許してこそ人間だ。

 なによりも、その生き方こそ前向きな生き方だ、争いのない平和な生き方だ。

 世間の一般はそう言う。私も一般論としてはそれに異存はない。

 しかし、世の中には決して許してはならない事もある。

 その一つは権力者の弱者抑圧である。

 これだけは許してはならない。ブッシュの米国はそれを繰り返した。

  8月17日の産経新聞に見逃せない記事があった。

  ロサンゼルス支局長の松尾理也(みちや)という人が書いている「今も(ブッシュ)大統領を支持する人々」という評論である。

 彼はブッシュ大統領が「わが家」と呼ぶテキサス州中部の田舎町クロフォードを取材で訪れる。

 そしてそこで、今も変わらず「わが町の大統領」を支持し続ける「無知」で「善良」な人々がいることを知る。

 その一人であるマーフィー牧師の次の言葉を引用する。

 「8年の間にもちろん、ブッシュ氏は間違いを犯した。ほかのすべての人間と同じく。今になって批判する人もいるが、(しかし)私は非難するつもりはない」

 そして松尾氏は、その後に次のような批評家小林秀雄の言葉を紹介する。

 「・・・第二次世界大戦が終わり、戦争責任をめぐって世の中が右往左往していた時、批評家の小林秀雄は、『僕は無智だから反省なぞしない。利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか』と言い放った・・・」

  小林秀雄が自らを「無智」と言うところにおごりと卑劣さを感じる。

 もうおわかりであろう。

 松尾氏は、彼の評論の次の結論を導き出すために、マーフィー牧師や小林秀雄の言葉を巧みに利用したのだ。

 「・・・『利巧』な人々の間では、もはやブッシュ批判はあたりまえのような政治的意匠の一つでしかない。
    『無智』と見られたくないがゆえに、こぞってブッシュ批判の大合唱を繰り広げている感さえある。
 9・11直後のブッシュ大統領の支持率は90%を超えていたのだし、イラク戦争開戦直後も70%を超えていた。にもかかわらず、今、米メディアからはほとんど、ブッシュたたきの論調以外は聞こえてこない。
   そんな中で、もはや声高ではないにせよ、きっぱりとブッシュ大統領は『よくやった』という人間が存在するという事実。
   それは『無智』などではなく、米国社会の懐の深さを示すものだとはいえないだろうか・・・」

  このような情緒的な評論を平気でメディアという公器を通じて流す産経新聞は悪質である。

  久しぶりに強い怒りと不快感を覚えた。

  ブッシュの犯した人道にもとる罪は決して許されてはならない。どれだけの数の無辜の命がその権力犯罪の犠牲になったことか。末永く歴史に刻み込まなければならない権力者の犯罪である。

  そのブッシュ大統領を「正しい人だ」と根拠なく公言して追従した小泉元首相の罪は、さらに思い。

  日本の戦後史に残る汚点である。

  産経新聞の、この愚にもつかない評論は、ブッシュの戦争やそれに追随した小泉元首相を支持したメディアの、巧みな自己弁護に違いない。

  自らの責任追及を避けるための世論誘導である。

  「無智」な私を騙す事はできない。

  

 

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2008年08月17日

米大統領選挙の民主党政策綱領の中で、ついに核廃絶が公約される時代が来た


 米大統領選挙の民主党政策綱領の中で、ついに核廃絶が公約される時代が来た

 17日の各紙は、25日から開幕する米大統領選挙の民主党全国大会で採択される政策綱領の中に、「核兵器のない世界をめざす」と明記された事を報じている。

 この記事の重要性はいくら強調してもし過ぎる事はない。ついにこういう時代がやってきたのだ。

 この政策綱領を一番詳しく報じたのは毎日新聞であった。その原案(51ページ)を入手して次のように書いている。

 ・・・「米国は核兵器が存在する限り、強力で信頼性のある抑止力を維持する」とする一方、「核兵器への依存を減らし、究極的にすべての核兵器を廃絶する事で米国は安全になる」と指摘。米政府としてこの方針を各政策の中心課題に置き、「米国は具体的な行動を取る」と強調した・・・

 これは大統領選挙に向けた公約である。民主党が政権をとれば米国の政策になるべきものなのだ。

 いくら選挙のための政策綱領であっても、一国の総理が、「公約などたいしたものではない」などと言い放っても許される日本と米国は違う。

 政権をとった後でそれに反する事を公然と行なうようであれば、米国のメディアや国民は許さないであろう。

 私が政治家であれば、今すぐ米国へ飛んでいって、民主党の政策綱領起草者たちと話し合いを進めるだろう。

 民主党が政権を取った暁には、核廃絶に向けて、ともに世界に向けて行動を起こそうではないか、唯一の被爆国と唯一の核使用国が協力して、世界に核廃絶を訴えた時、誰もそれに反対できるはずはない、と。

 核廃絶が実現されても戦争はなくならない。

 核兵器が廃棄されても大量殺戮兵器は存在し続ける。

 そういう声が聞こえて来そうだ。

 しかしそれはためにする議論である。

 核廃絶が実現すれば世界の安全保障体制は一変する。

 軍縮に対する考え方が根本的に変わる。

 米国の核の傘に頼らざるを得ない、だから対米追従は仕方がない、などという発想が意味を成さなくなる。

 もし本当に核廃絶が出来たなら、間違いなく世界は変わる。

  日本も核武装すべきだなどと公言する政治家や、日米同盟は何にもまして日本外交の基軸である、などと、根拠なく言い続ける政治家には、私ははじめから期待はしていない。

 しかし、核兵器廃絶を唱え、護憲を叫んできた政治家たちに、私は問いたい。

 お題目を繰り返して事足れりとするのではなく、地球上から核を廃絶する事を本当に望んでいるのなら、今をおいて行動に出る時は他にはない。なぜ行動しないのか、と。

 いまこそ米国を動かして、核のない世界をつくる千載一遇のチャンスだ。

 日本の国内世論を動かし、アメリカや世界の核廃絶を願う市民に働きかける。

 その行動に政治家としての使命を果たす政治家が果たして一人でもこの国に出てくるか。

 私はそこに注目していきたい。

 それを行なおうとしない護憲政治家を私は一切信用しない。

 

 

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2008年08月17日

歴史的人物の正しい評価を求めて


 歴史的人物の正しい評価を求めて

 読者の皆さんはこういう経験をしたことがあるだろう。

 身近な人でも、歴史的な人でもいいのだが、自分が知っている、あるいは思い込んでいるその人の評価が、何かのきっかけで否定され、裏切られた思いにさせられた事を。

 日経新聞書評欄にある「彼らの第4コーナー」という連載の8月17日に、山本五十六のエピソードを見つけた。あの真珠湾攻撃の指揮をとった連合艦隊司令官の山本である。

 山本五十六に対する世間一般の評価は、当時の帝国軍人の中では傑出したものとされている。

 日独伊三国同盟に反対し、日米開戦に反対した、米国の事情に詳しく、米国からも評価されていた、などなど。

 もっとも、それを否定する様々な言説も専門家の間では語られているのであるが、史実に詳しくない一般の日本人の間では山本五十六は名将ということになっている。

 そう思って山本五十六を見てきた人にとっては、編集委員 井上亮氏の書いたこの記事は驚きであろう。私にとっても初めて知った興味あるエピソードであった。

 真珠湾の奇襲攻撃に成功を収めた山本五十六は、しかしその後の米軍との会戦でことごとく負けていく。そのきっかけとなったのがミッドウェー海戦の敗北だった。

 井上氏のその記事によれば、日米開戦の翌年の4月18日、日本近海に接近した米空母から発進した爆撃機から日本本土へのはじめての空襲が行なわれた。

 被害は軽微だったが、襲撃を受けた山本は米艦隊空母撃滅を期して、かねて構想していたミッドウェー作戦を軍令部の反対を押し切って実施する。

 私が驚いたエピソードはその時の山本五十六の次のような言動である。

 ・・・真珠湾攻撃で受けた傷がまだ深い米太平洋艦隊に対し、連合艦隊は戦力で圧倒していた。司令部は楽観的だった。しかし、(戦艦)大和艦上で参謀と将棋を指していた山本五十六に悲報が舞い込む。
  「敵艦上機の攻撃を受け、(戦艦)赤城被爆大にして総員退去」、
  「(戦艦)加賀、大火災」。
 暗号長が悲痛な声で次々と読み上げる空母の被害報告に、山本は「ほう、またやられたか」とつぶやき、将棋を指す手を止めなかった」
  この会戦で日本側は空母4隻と三千人の乗員を失った・・・

 井上氏の書くこのようなエピソードが史実であるかどうかは私は知らない。

 しかしもしこれが史実であるならば、やはりあの戦争は愚将たちによる間違った戦争であった事になる。

 自らを高みにおいて国民や兵士に不必要な苦痛を強いた裏切りの戦争であったということだ。

 毎年迎える終戦記念日(敗戦記念日)において、平和の決意を新たにするのは重要な事だ。

 しかし、より重要な事は、多大な犠牲を双方の国民に強いる戦争が、指導者のどのような覚悟で行なわれたものであったか、その真実を知ることだ。

 それは今日の国民いじめの政治にも通じるものがある。

 我々の知らない事、知らされていない事は、まだまだ山ほどある。

 

 

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2008年08月16日

 米国の情報公開の凄さ


 米国の情報公開の凄さ

 16日の読売新聞に、14日米中央情報局が、その前身である米戦略情報局(第二次大戦中に設立)のスパイリストを公開した、という記事を見つけた。

 米国立公文書館で公開されたそのリストの中には、約2万4000人の名前が列挙されており、アカデミー賞を受賞したジョン・フォード監督をはじめ、野球選手、俳優、最高裁判事、歴史学者、元大統領の子息など、有名人の名前が多数含まれているという。

 さすがに、CIAが名前の公開を容認したことに不満の声が上がっているらしい。

 また、ブッシュ大統領はイラク攻撃をめぐる不都合な情報を隠すために、情報公開を一部制限するという動きを見せ始めた。

 しかし、少なくとも今日までの米国の情報公開に対する姿勢は見事である。

 問題はそのような公開された情報の中から、日本にとって重要なものを見つけ出し、それを我々日本国民に伝える役割を、誰が果たしてくれるかである。

 これまでにも、学者やジャーナリストの手により、我々がそう思い込まされていた歴史的「事実」の嘘が、断片的に明らかにされてきた。

 たとえば沖縄密約がそれである。日本政府は今でもその存在を否定し続けるが、米国立公文書館による極秘資料の公開で、密約の存在は確認された。

 誰かが、米国の公開情報を体系的、組織的に読み解いていかねばならない。

 そう思っていたら、そのような人を見つけた。

 8月12日の朝日新聞「ひと」欄で、米外交文書発掘の実践マニュアル本ーアメリカ国立公文書館徹底ガイド(凱風社)-を出版した仲本和彦さん(43)という人が紹介されていた。

 沖縄の英語教師であった仲本さんは、留学先の米国の大学院で公文書の管理を学び、人生が一転する。

 米国に残り、沖縄県の公文書専門員として9年間、米軍の沖縄統治の資料を収集してきたという。

 彼が集めた沖縄関係文書の資料目録だけでも2000ページになったという。

 彼は言う。

 「・・・米国立公文書館は現代史の宝の山である・・・(しかし)書架の長さにして210キロという文書の量に圧倒されて、たいていの人は途方にくれてしまう・・・鉱脈を探し当てて、その地図を描き、あとから来る人に知らせるのが役目なのです・・・」

 彼の残した業績が、後につづく人たちに受け継がれなければあんらない。

 彼の作ったマニュアル本を活用して、これからの学者やジャーナリストが、どんどんと新しい史実を発見し、我々の前に公開してくれる事を、期待したい。

 

 

 

 

 

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2008年08月15日

なぜ日本人の国連職員は増えないのか


 なぜ日本人の国連職員は増えないのか

 15日の毎日新聞に、「国連職員増員作戦」と言う見出しの記事があった。

 国連への拠出金や人口規模から見て、日本人の国連職員数は少なく、外務省が人材確保に躍起になっている、という記事である。

 昔から言われてきた事である。そしていつまでたっても変わらない現状である。

 なぜ国連職員は日本人に人気がないのか。

 それは国連職員になるためには高学歴と語学力が求められるからだ。

 国連職員になるには単なる学卒ではまず受け入れられない。修士はおろか博士の学歴を持った職員ばかりである。

 その上に語学力が求められる。多くの国連職員は複数の語学力を有する。

 しかもその語学力を活かして口八丁、手八丁の活躍をしなければならない。日本人がもっとも不得手な事だ。

 そのような能力を持った日本人は決して多くはない。

 たとえいたとしても、そういう日本人は、国内で引き手あまただ。

 国連職員よりも魅力的なポストがいくらでもある。

 日本人の国連職員を増やし、国連に日本の存在感を高め、国連に影響力を持とうとするなら、本来ならば外務省職員をどんどん送り込めばいいのだ。それが外務省の仕事である。

 ところが外務省の職員からリクルートすることは、一般民間人からリクルートするよりももっと難しい。

 公務員試験を受かっただけで、国家権力に胡坐をかく外務省職員には、国連職員として使い物になる人物はまずいない。

 国連職員になって苦労するより外務省の中にいて、休まず、遅れず、働かず、といった生活をしていたほうがはるかに楽なのだ。

 しかも幹部国連職員のポストについては、キャリア官僚が、その能力とは関係なく、政治枠として送り込まれる。

 そのような外務官僚たちが、一般国民に対し国連職員になれと勧誘しているのだ。

 まるで説得力はない。

 要するに外務省は昔も今も、本気になって日本人の国連職員増員に取り組んでいないのだ。

 日本人の国連職員がいつまでたっても増えない理由がそこにある。

 

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2008年08月15日

 敗戦記念日における野坂昭如の言葉


 敗戦記念日における野坂昭如の言葉

  毎日新聞に隔週で連載されている野坂昭如の「七転び八起き」という随想がある。

  脳梗塞からのリハビリと戦いながら執筆活動を続けている、もうすぐ78歳になる野坂のその随筆は、淡々とした中にも、もはや人生において一切の虚飾を必要としない今の彼の覚悟が感じられて、読ませる随筆である。

  この事は以前このブログでも書いた。

  私が彼の随筆で一番強く感じるのは、野坂の反戦、平和への思いである。

  それは、平和主義者と称せられている現役の識者の誰の言葉よりも、私には強烈に感じられる。

  8月15日の「七転び八起き」もまた、それが感じられた。

  終戦記念日をあえて敗戦記念日と書く事にこだわるところも彼らしい。以下一部引用してここに紹介したい。

  因みに15日の各紙の社説はいずれも終戦記念日という言葉を使っていた。

 「・・・今日は8月15日。敗戦記念日である。8月に入ると突然、戦争反対の機運が高まる。この意味もよく判らないまま反戦を唱え、殊勝な面持ちの世間。それでもいい。意味は判らなくてもいい。殺し合いに反対するのに意味は要らない。
 8月15日よりも思い起こすべきは12月8日ではないか・・・いわゆる真珠湾攻撃。つまり12月8日は戦争が始まった日。
 日本は中国を侵略、かの地に日本の勢力を定着せしめようとしていた。だがその思惑は行き詰まっていた。その行き詰まりを打破したのが12月8日である。
 ハワイを攻撃することで天窓が開いた思いだった。当時の指導者たちは、軍の上層部、その他文化人、知識人も一緒になり好戦性をむき出しにした。
 これこそ、忘れてはいけない人間の本性である・・・
  反省すべき、または振り返るべきは、12月8日であろう。
  今日、敗戦の日に開戦の朝を思う。」

 

 

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2008年08月15日

グルジア戦争ですべてを失ったブッシュ大統領


 グルジア戦争ですべてを失ったブッシュ大統領

 15日の日経新聞は、13日ホワイトハウスでグルジア戦争に関する声明を発表するブッシュ大統領とライス国務長官の写真を掲載している。

 ブッシュ政権の末路を象徴するこれほど皮肉な写真はない。

 繰り返して私はこのブログで書くが、グルジア戦争は、最大の軍事覇権国家米国と、その米国に軍事的に対峙する軍事覇権国家ロシアの代理戦争である。

 どちらが正しい、どちらが悪い、などという議論はまったく無意味だ。

 悪しき指導者たちによって引き起こされた、およそ無益な絶対悪の戦争である。

 それにしてもブッシュ大統領は愚かだ。

  ブッシュ大統領の8年間は、イスラエル、ネオコンに引っ張られた誤った中東政策のため、イラク攻撃を始め、テロとの戦いを引き起こし、そして国際社会を分断させた。

 ブッシュ大統領の8年間はまた、グローバリズムと言う名の新自由主義によって内外に格差社会をつくり、行き過ぎた金融資本主義によって世界経済を不安定化させた。その末路がサブプライムローン問題の炸裂である。

 そして今度のグルジア戦争である。

 もしブッシュ大統領が冷戦後の安定した米ロ協力関係を構築できていたのなら、そこに一つの評価を認められたはずである。

 しかし、ブッシュ大統領は自らの手で、その可能性を閉ざした。それどころか「新たな冷戦」関係をつくってしまったのだ。

 これでブッシュ大統領の8年間は、文字通り評価すべき何物もない歴史的な不毛の8年間となった。

 それにしてもライス国務長官は無能だ。

 彼女はロシアの専門家ではなかったのか。ブッシュ大統領の教師ではなかったのか。

 ライス国務長官の虚像がついに白日の下に晒された。

 もはやすべての側近が去っていった裸の王様ブッシュ大統領に、最後まで忠誠を尽くした、ただの無能な追従者でしかなかったということだ。

  そんなブッシュ大統領を正しいと叫び、日本をブッシュ大統領の米国に売りわたして国民を塗炭の苦しみに突き落とした小泉元首相の責任を、今こそ我々は追及しなければならないのだ。

  その追求を恐れて小泉元首相は政策を語らないのだと思う。

  にわかボーリング愛好家になってごまかそうとしているに違いない。

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2008年08月14日

無駄を無くすということの本当の意味


 無駄を無くすということの本当の意味

  増税をする前にまず無駄を無くせと言う声が最近やたらにメディアに流れる。

  最近はその事が野党からだけではなく政府からも聞こえてくる。

  もちろん政府は増税を行なうために、無駄を無くしたというアリバイづくりをしようとしているのだ。

  しかし、野党民主党でさえも、無駄を無くしても増税は避けられないと言う。

  天下の朝日新聞までも増税論を展開するようになった。

  そのために政府と同じようにその社説でまず無駄を無くせと主張してみたりする。

  いいだろう。無駄を無くすという事に異存はない。

  しかし問題は無駄を無くす事の本当の意味である。

  居酒屋タクシーや談合や多くの天下り組織などは、明らかな無駄である。

  しかし、そのような誰の目にも明らかな無駄を少しばかり無くしてみたところで、膨大な財政赤字を減らす事はおぼつかない。

  あれだけ改革を叫んだ小泉政権の5年半でさえ、赤字を減らす事ができなかったばかりか、増え続けたのだ。

  その一方で国民の負担だけが一気に加重されていった。

  要するに無駄な政府だったのだ。役に立たない事をやっていながら国民の税金を使い続けたのだ。

  もはや本気で財政赤字を減らすつもりなら、普通のことをやっていてはおぼつかない。

  真っ先に切り捨てるべきは政府と官僚の仕事である。

  その好例を示す記事を8月11日の日経新聞に見つけた。

  まったく用済みの法律が、国民の知らないところでごろごろと存在している。予算を無駄遣いし続けている。

 たとえば1992年に施行された国会等移転法である。90年代に盛り上がった首都機能移転と、それにともなって作られたこの法律は、移転騒ぎの最中にも官邸や省庁の庁舎が東京のど真ん中にどんどんと建て替えられるほどの、いかさまな法律であったが、首都移転などとっくに忘れ去られた今でも存続し、国土交通省は2億円の予算を担当部局の維持やニュースレター発行などに毎年空費しているという。

 1946年に施行された物価統制令が今でも残っているという。しかしこの法律にもとづいて政府が価格統制しているのは公衆浴場(銭湯)の入浴料だけであるという。銭湯は現在全国に約6300あるらしいが、都道府県は毎年、様々な調査を実施し、学識経験者などの意見を聞いて料金の上限を決めているという。
 生活必需品の値上げが広がる中で、なぜ銭湯だけが保護されているのか。国民の殆どが風呂やシャワーあり住宅に住んでいるというのにである。

 官民一体で滞在型観光地を整備しようと作られた総合保養地域整備法(リゾート法)も即刻廃止さるべき法律だ。現在同法を所轄する国交省の仕事は、事業を廃止する自治体の申請内容を審査すという後始末だけである。そんな無駄な仕事ははやく終わらせtれリゾート法を一日もはやく廃止すべきだ。

 このような不合理は探せば山ほど出てくるに違いない。

 知れば知るほど最大の無駄は政府と官僚の仕事ぶりであることがわかる。

  無駄を無くすということの本当の意味は政府や国会議員、官僚を革命的に減らす事である。

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2008年08月13日

勢古浩璽と渡辺清をつなぐもの

 勢古浩璽と渡辺清をつなぐもの

 人間が短い一生のうちでめぐり合う人は実に限られたものであるに違いない。

 しかし書物などを通じ、一生顔をあわせることがない人たちと時空を超えて接する事を含めれば少しはその交友範囲を広げられることはできる。

 それを楽しむのは人間だけがもつ特権であるに違いない。

 私が勢古浩璽という人物を知ったのはたまたま本屋で見つけて購入した「結論で人生論を読む」(草思社)という本がきっかけであった。

 そのあとがきに「順風満帆な人生には人生論なんかまったく必要ない。『人生とはなにか?』、『生きるとはなにか?』などという問いかけが浮かぶはずもないからである。え?君たちは楽しくないの?とかいわれて終わりである。耐える人、報われない人、失意の人、に人生論がやってくる・・・」という言葉を見つけた。おもわず苦笑して、それにつられて本を買ってしまった。

 勢古が私と同じ1947年生まれであることにも関心を持つ。しかし私がもっとも興味を持つのは、ただのサラリーマンであった彼が、「私の人生論」などという本を書いて評論家、作家としてよく生計を立てられるなあという事だ。彼は実に多くの著作を世に出している。

 その勢古浩璽が11日の産経新聞に書評を書いているのを偶然見つけた。それは渡辺清著の「砕かれた神」(岩波現代新書)という本の書評である。

 「本書を知ったのはほんの数ヶ月前である。ある必要から読んだのだが、読後、しばし呆然としてしまった。こんな人がいたのか・・・」という書き出しから始まるその書評は、私の興味を惹きつけた。

 天皇に対する純粋無垢の信奉から16歳で海軍に志願し、戦艦武蔵に乗り込みマリアナ、レイテ沖開戦を経て武蔵沈没に際しても奇跡的に生還した渡辺清という帝国軍人渡辺清。

 「砕かれた神」という書は、その渡辺が、戦争責任を一切語らず、一夜にして人間に豹変した「神」に裏切られた思いをつづった書であるという。

 勢古はその書評の中でこう書いている。

 ・・・圧巻は、天皇から貸与・支給されたすべての品物と俸給を返上するくだりである。その辺納品リストが7ページにわたって列挙されている。4等水兵ー6円20銭(月額俸給)からはじまって、軍衣、軍袴、靴下一枚に至るまで延々と書き連ね、最後にこう記している。

 「以上が、私がアナタの海軍服役中、アナタから受けた金品のすべてです。総額4,281円、05銭になりますので、端数を切り上げて4,282円をここにお返しします。お受け取り下さい。私は、これでアナタにもうなんお借りもありません」

 このような「砕かれた神」を書いた渡辺清(1925-81)。

 その渡辺の書を読んで、「私が震撼したのは著者の天皇に対する純粋無垢の信奉と、戦後、その「神」から裏切られた事への憤怒である・・・渡辺清が稀有なのは天皇崇拝に洗脳された自分自身の責任をもまた問い返した事である・・・これほど誠実で率直な内省の記録はめったにあるものではない・・・」と絶賛する勢古浩璽(1947-)。

 その勢古浩璽の評論に興味を持つ私。

 しばし猛暑を忘れて時空を超えた交流を楽しむ。

 

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2008年08月13日

外務省を悩ます拉致問題と中国ギョーザ問題

 外務省を悩ます拉致問題と中国ギョーザ問題

  いまや拉致問題と中国ギョーザ問題は外務省を悩ませている最も厄介な二大懸案となった。

  本来ならば、なすべきもっと重要な外交は山ほどある。

  しかし、国内政治の大きな懸案になってしまったこれら二つの懸案について、それを如何に軟着陸させて、時の政権を守るか、が、他のどの問題よりも重要になった。

  それは決して拉致被害者家族や消費者のためではない。外務官僚の保身のために、である。

  しかもそのような窮地に自らを追い込んだのは、他でもない。外務官僚自身の稚拙な外交による自業自得なのだ。

  斎木昭隆アジア大洋州局長が特別に悪いわけではない。それは田中均から始まって藪中、佐々江と続く歴代の外務官僚の責任を受け継いでいるに過ぎない。

  斎木アジア太平洋局長が特段優れているわけではない。彼もまた保身に凝り固まった一人の凡庸な外務官僚に過ぎなかったというだけの事だ。

  そしてそのような、名前や顔は変わっても、その内容は金太郎飴のように同質な外務官僚が、外務省のトップを占め、外務省を動かし続けてきたという現実こそ、外務省の閉塞さがある。甘さがある。

 拉致問題については、もはや多くを語るつもりはない。

 本来ならば、「拉致被害者を帰せ」と要求すればいいだけの、圧倒的に強い立場にある日本が、誰が見ても不誠実な北朝鮮の対応に譲歩を重ね、意味のない交渉を数年間も続けてきた。この倒錯した現実を指摘するだけでいい。

 いま目の前で繰り返されている「交渉」は外交交渉ではない。国民に対し「やるだけやったがどうにもならなかった」という最終幕に向かっての壮大なアリバイ作りでしかない。

  拉致問題交渉は、小泉元首相の二回目の訪朝の際、これ以上北朝鮮を追及するのなら首脳会談を中止すると言って席を立とうとした金正日総書記に対し、小泉首相がすがって引き止めた、その時点で勝負がついていた。

 独裁者金正日にとって交渉決裂は痛くも痒くもない。しかし日本の指導者にとっては政治的死を意味する。国民の手前何があっても決裂させる事は出来ないのだ。

 その後につづく交渉は、壮大な芝居である。

 それが言いすぎなら、北朝鮮と一緒になって日本国民を騙そうとする共同作業だ。

 拉致問題についてはこれ以上書かなくてもいいだろう。

 今日のブログの目的は、中国ギョーザ問題についての今後の見所についてである。

  13日の各紙が一斉にギョーザ事件の外務省説明を載せていた。

 民主党のギョーザ問題対策本部が外務省に経緯説明を求めた事に対する外務官僚のはじめての公式返答である。

 その意味で民主党は野党としての仕事を果たしている。政治が動かなければ、官僚は決して動かない。官僚を動かす事ができるのは政治家しかいない。

  しかし民主党に注文がある。隠蔽、隠蔽と声高に批判してはいけない。

 もっと静かに、しかしもっと本質をついて外務省を追い詰めることである。福田首相に迫るべきである。

 12日になされた外務省と福田首相の発言で注目すべきは次の一点である。

 すなわち外務省も福田首相も、公表しないと判断した責任は誰にあるのか、そして公表しなかった本当の理由、という最も重要な質問をたくみにごまかしている。

 この事をもっとも正確に伝えているのは読売新聞であった。

 すなわち質問に答えた小原参事官は高村外相や福田首相には秘書官を通じ間接的に伝えただけであった事を明らかにした。そしてそれで「公表しない方針は了承されたと認識した」と答えている。

 実はこれこそが外務官僚の仕事のやり方の無責任さである。

 私が外務省にいた時に頻繁に見られた仕事のずさんさである。

 つまり外務省幹部は直接に外相や総理のところへ飛んでいって、あるいは急遽首脳会談を行なって方針を決める事をしないのである。

 総理や外相は確かに忙しい。しかしそれを口実に、紙切れ一枚を秘書官に送りつけ、後は秘書官に任せたといって済ませるのである。

 実際は肝心の話が総理や外相に伝わらないことが多い。

 その事で後で大きな問題になることが頻繁に繰り返されていた。

 総理や外相が怒り狂う事があった。

 しかしそれは内部の醜態だ。だから決して外には明かされることはない。

 今度の情報については、それが秘書官を通じ福田首相や高村外相の耳に入っていたのかもしれない。

 しかしもし入っていて、それで特段の反応を見せずに終わっていたとすれば、それはそれで大きな問題なのである。

 これほどの重要な問題についてまともな議論をすることなく、斎木局長の判断ですべてが動いたことになる。

 当然のことながら中国政府とのやり取りはなかったという事だ。中国の通報を受け取っただけで終わったと言うことである。

 もし福田首相や高村外相が何の指示も出さなかったとしたら、中国側に早く調査を進めて解明を求めた、という事は嘘だったということになる。

 我々が今後徹底して追及しなければならないのは、過去のことではない。隠蔽の有無ではない。

 将来の早い段階で調査結果が公表されるかどうかである。

 福田首相は公表しなかった理由として、「公表して捜査に支障があった場合は、真相が解明されないということだから、日本国民に対して申し訳ないことだ」と開き直った発言をした。

 その言をメディアはよく覚えておくが言い。

 北京五輪が終わったら福田首相は中国に調査結果を急ぐ事を求め、その結果を公表するよう求めなければならない。

 ここまで明らかになったのだからもはや隠す事は許されない。

 原因を突き止め、事故か犯罪かを明らかにし、その責任者を処罰し、そして再発防止の為の策を講じる、そして被害者に対し謝罪と正統な賠償を行なう、

 ここに至ってはじめて中国ギョーザ事件が終わったという事になる。

 メディアはそこまで見届けなければならない。そしてそれを国民に伝えなければならない。

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