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2008年08月22日

 国会図書館に閲覧禁止を命じた国家権力の卑しさ

  私は5月19日のブログで、東京新聞のスクープによって明らかにされたこの国の隠蔽体質を批判した。

  すなわち5月18日の東京新聞は、秘密解除された米国公文書によって、米兵の犯罪について裁判権を放棄するという密約を日米両国が交わしていた史実を明らかにしたのだ。

  この驚くべき密約の存在については、その後政府に対するなんらの追及もなされないまま忘れ去られていった。

  ところがそれから三ヶ月ほどたった8月20日の読売新聞や朝日新聞などが、あらたに二つの事実を報道してくれた。

  一つはこの裁判権放棄に関する事実が、米国側の公文書公開だけでなく、法務省の内部資料でも確認されたという事である。

  つまり法務省刑事局は1953年に全国の地検に通達を出し、米兵の日本国内の刑事事件については慎重に裁判権を行使するよう命じていたのだ。

  笑ってしまうのは、その通達は秘密資料であったにもかかわらず、なんらかの理由で外部に流出し、それを古本屋から入手した国会図書館が、1991年から一般閲覧者に公開していたという事実である。

 もう一つは、裁判権放棄の密約が5月に東京新聞でスクープされたことにあわてた法務省は、遅ればせながら国会図書館によってその通達が公開されている事に気づき、あわてて国会図書館に非公開とするよう求め、国会図書館はそれに従って6月23日からそれを非公開にしていた、という事実である。

  このニュースは極めて重大な意味を持つ。権力による情報隠しであり、憲法で保障されている「国民の知る権利」への重大な侵害であるからだ。

  ところが本来はもっと危機意識をもって政府を糾弾すべきメディアが、まったく動かない。

  そう思っていたら、22日の東京新聞がこれを大きく取り上げた。

  すなわち、閲覧を拒まれたフリージャーナリストの斉藤貴男氏が、閲覧差止めを求める訴訟を起こそうとしているという記事である。

  斉藤氏と東京新聞は、次のように法務省の差止め命令を糾弾する。それに唯々諾々と従った国会図書館の自立性のなさを憂える。

  ・・・そもそも、米兵の犯罪の裁判権を放棄すること自体、国家として許されない事であるが、米国の公文書公開ですでに明らかにされ、また日本の国会図書館でも91年から今日まで公開されてきた法務省の資料を、いまさら隠さなければならない合理的な理由はどこにあるというのか。

  翻って国会図書館の対応も批判さるべきである。国会図書館はその名の通り立法府(国会)の一機関であり、国会議員の資料収集や調査に寄与してきたのみならず、国民の知る権利に答える事を誇りにしてきた。

  それなのに行政府(法務省)からの不当な要求に、唯々諾々と応じ、今頃になって非公開にしてしまった。もう十分に知れわたっており、いまもどこかに出回っている可能性は強いというのに。

 国会図書館は、政府・法務省に顔を向けるのではなく、「国民の知る権利」を尊重すべきだ・・・

  斉藤貴男や東京新聞を孤立させてはいけない。

  あらゆるメディアはこの動きを支持し、斉藤貴男や東京新聞と一体となって、政府、法務省の違憲的隠蔽体質と戦っていかなくてはならない。

  国民は、政府・法務省の卑小さを糾弾し、野党政治家を叱咤激励し、政治の場で政府、法務省が追及されるよう求めていかなくてはいけない。
  

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2008年08月22日

「命を懸けてもいい」という言葉の重み

 「命を懸けてもいい」という言葉の重み

   言うまでもなく私は臆病な人間だ。打算的、現実的な人間だ。

   「命を懸けて」何かをなす、という事は、私には考えられない。

   だから「死んでも本望だ」と言い切って何かをなすことのできる人は立派だと思う。

   ただしそれが本物であればの話である。

   北京五輪で女子ソフトボールチームが金メダルをとった。

   その中に心臓病を抱え、臓器移植をしてまでもソフトボールを続けた選手がいた。「死ぬかもしれない」と心配する両親に、「グラウンドで死ぬのは怖くないからやらせて欲しい」とソフトボールを続けた。

   その選手が活躍をして金メダルにつながった。彼女の人生で最高の瞬間だろう。

   感動的だ。彼女の「死ぬのは怖くない」という言葉は本物である。

  22日の産経新聞に民主党の松本謙公という議員が小沢民主党代表に期待してこう述べていた。

   (その体調で小沢代表は首相がつとまるかという問いに答え)
   死ぬまで首相をやればいいんだ。予算委員会で「それはなあ!」って答弁して、前のめりにバタッと倒れて。大変申し訳ないけど「老後なんてあるかい。死ぬ一秒前まで政治をやれ」って言いたいよ。
   そのぐらいの意気込みで俺たちは支えている。
   小沢一郎本人がね、命をかけて先頭に立って戦うっていう姿勢がなければ、民主党は勝てない・・・

   小沢一郎は自らが最後の戦いと繰り返している今度の総選挙で、この言葉を国民の前で言うべきだ。国民がそれを信じかどうかは問わずに。

   そしてもう一人「死んでもいい」と公言した男がいた。

   郵政改革に命をかけると言った小泉元首相だ。
  
   そしてそれに感動した愚かな国民がいた。

   あの男が、自ら命をかけた日本郵便会社の将来についてその後何かしゃべった事があったか。どうなろうともはや何の関心もない。

   それどころか首相5年半の政策の結果について一切語ることはない。

   語るのは音楽と食事とボーリングだ。

   「命をかける」という言葉の耐えられない軽さである。

 

 

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2008年08月22日

 インドが6番目の公認された核保有国になる日


 インドが6番目の公認された核保有国になる日

  核廃絶を呼びかける事は誰でもできる。

  しかし現実の国際政治は、どの国も、どの政治家も、核廃絶はおろか、核不拡散さえ防ぐことができない。

  21日からウイーンで始まった原子力供給国総会でインドの核保有が認められそうだ。

  インドとの原子力協力に踏み切った米国が、ルールを変えてインドへの原子力技術、核燃料の輸出解禁を行おうとしている。

  これは核不拡散条約に加盟していない核保有国を、事実上認める事である。

  核不拡散体制の否定である。

  そんな事が認められてよいものか。果たして今度の総会でそれが本当に認められるのか。

  報道によれば、インドへの無条件の輸出解禁には根強い慎重論がある一方で、米国を相手に最後まで反対を貫く国はない、という見方もあるという(22日日経)。

  唯一の被爆国日本の態度は重い。だから日本が総会でどのような態度をとるのか注視しよう。

  私は昨日のブログでそう書いた。

  その私の問いかけに、22日の朝刊各紙のなかで、ただひとつ日経新聞だけが答えてくれた。

  事実上の核拡散につながる米印原子力協力の是非を慎重に検討してきた日本政府であるが、最終的にこれを容認する方針を固めた、というのだ。

  残念だ。

  しかし、外務省の方針ははじめから決まっていたに違いない。

  なにしろ米国のイラク攻撃を「仕方がない」といって賛成した日本だ。

  米国の方針に逆らうことはありえない。すべては「仕方がない」のだ。

  外務省の姑息なところは、それを堂々と認めないところだ。

  日経新聞によれば、日本政府が最終的に容認した理由として、

 ①IAEA(国際原子力機関)とインドとの査察協定がすでに承認されているので、インドへの査察が可能となる

 ②インドによる原発導入が進めば、温暖化ガスの排出抑制に役立つ

  の2点が挙げられている。

  いずれも、とってつけたような理由である。

  そんな詭弁を弄するよりも、唯一の被爆国であろうが、憲法9条の国であろうが、日本は米国の方針に逆らうことができないから、仕方がなく認めざるを得ないのだ、と正直に白状したほうがまだましだ。

  その一方で22日の読売新聞は、9月初めに広島で主要8カ国の下院議長会議が開かれ、被爆国として平和を目指す姿勢を国際社会にアピールできるなどと報じている。

  8月16日の毎日新聞「近聞遠見」で岩見隆夫氏は、その会議を主催する河野衆院議長の平和に対する執念を褒めている。

  繰り返して言う。

  核兵器廃絶や平和の大切さを訴える事は誰でもできる。

  問題は、現実の国際政治の中で核保有国の政策を変えられるか、変えるように本気で詰め寄ろうとしているのか、それである。
 

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