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2008年08月09日

小泉新党が動き出すという、冗談のようで、冗談ではないかも知れない話


 小泉新党が動き出すという、冗談のようで、冗談ではないかもしれない話

  どうせたいした話を書いているわけではないのだから格好をつけるわけではないが、政局を書くのは気が進まない。

  なぜか政局の事を書くと文章が卑しくなっていく気がする。書いている自分が嫌になる。

  そう言いながら書きたくなる。所詮は根性が卑しいのだ。

  わが愛読紙の8月9日の日刊ゲンダイに小泉新党が動き出すという記事があった。

  福田自民党に切り捨てられ、出番のなくなった小池百合子や中川秀直などが、このままでは腹の虫がおさまらない、というのだ。その気持ちはわかる。

  自民党総裁選に小池百合子を押し立てて頑張る。それでだめなら自民党を離れて新党で次回選挙を戦う、という。

  私は福田首相が内閣改造を行なった8月1日のブログで、小泉政治が終焉した、だからこのブログも役割も終わった、と書いた。

  それの思いは今でも変わらない。今更小泉改革でもないだろう。

  これからの政局は、不況と生活苦を前にして怒る国民をどうなだめるか、という事を中心に回っていく。

 自民党と民主党のどちの政策が国民にアピールするか、それを競い合う選挙になる。

  小泉元首相は政策を語る能力はない。彼が無責任な事を好き放題語れたのも、首相と言う権力を握っていたからだ。その権力をためらいなく振りかざしたからだ。

  権力を手放した無能な政局の政治家と、やはり政局をあやつって生き延びてきた小池百合子や中川秀直などが、そしてそれに武部や竹中が集まってきても、もはやまともな国民は相手にしないと思う。

  しかし、それは常識的な考えだ。

  政治には常識は通用しない。今の国民は常識では考えられない反応を示す。

  私は小泉新党は次の理由で、ひょっとしたら動き出すのではないか、と実は思っている。

  一つにはこのままでは自民党は終わりになる可能性が高いという事である。

  仮に自民党が残ったとしても、もはや自民党の中で小泉一派は中心的勢力にはなりえない。

  そうだとしたら、このまま自民党に残る意味はないのだ。

  ついこの間までマスコミに追われて有頂天になっていた誇りもある。

  二つには、前の選挙で生まれた大量の小泉チルドレンが黙って落選するより動き出したいと思うだろうからだ。
  彼らの大多数は間違って当選した連中だ。しかし彼らは政治家になった。政治家の甘みを味わった連中はつまらない奴ほど執着心が強い。現職の政治家の強みを活かしてなりふりかまわない行動に出てもおかしくない。失うものは何もない。

  三つ目に、そしてこれが重要なところであるが、小泉元首相がその気になって小池百合子や武部や中川や竹中平蔵と組めば、そして杉村大蔵や佐藤ゆかりやなんかを寄せ集めれば、メディアはさわぐ。政策なんか関係ないのだ。面白ければいいのだ。

  ここまで日本がめちゃくちゃになっているというのに、しかもそれがことごとく小泉偽改革によってもたらされたものであるというのに、そんな動きについていく国民がいるのか、と思うかもしれない。

 しかしそれがありうるのだ。

 国民はバカばかりだ、と言ってしまってはおしまいだが、言ってしまう。

 日本国民はそこまでダメになってしまったと私は思っている。

 さすがにかつてのような数の当選者は望めないかもしれない。

 しかし、社民党や国民新党などをはるかに上回る当選者をだすに違いない。

 あるいは自民、民主についで第三の勢力になるかもしれない。

 問題は、小泉元首相がそのような新党の先頭に立って次回選挙を戦うか、である。

 私はそれはないと思う。

 しかし私の政局判断はよく外れる。

 よく考えてみたら、小泉元首相には恥ずかしいなどという言葉は存在しないのかもしれない。

 再び権力に囲まれて有頂天になりたいのかもしれない。
   
 小泉新党こそ小泉氏の真骨頂かもしれない。

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2008年08月09日

乗り越えられない戦後

 乗り越えられない戦後

 8月9日の東京新聞に次のような言葉を見つけた

 ・・・毎年八月になると実感する。日本の戦後は終わることなく、歳月だけが過ぎていく。広島、長崎の原爆はもちろん、憲法9条、日米安保、そして靖国問題などなど、私たちは、戦後を乗り越えていないのだ・・・昭和の戦争が歴史的に決着をつけられないまま、延々と戦後が続く現状がある・・・

 これは政治学者や歴史家の言葉ではない。「アートで表現するYASUKUNI展」を評する美術評論家の藤田一人という人の言葉だ。

 その展覧会のどこを見てそのような感想を藤田氏が感じたかは私にはわからない。

 しかし、私はまったく別の出来事から、藤田氏と同じ感慨を抱かざるを得なかった。

 それは民主党「核軍縮促進議員連盟」会長の岡田克也副代表が、8日長崎市で記者会見し、日本の非核三原則を韓国、北朝鮮に広め、北東アジアに非核地帯を設ける事を目指す「非核兵器地帯条約案」を発表したという記事を見つけたからだ。

 これは、米国による核の傘に依存した日本の戦後の安全保障体制を「やむをえない」とする自民党との違いを際立たせる狙いであるという。

 しかし、それは大きな勘違いだ。そうでなければ日米安保体制を否定できない民主党の、意図的な平和外交ジェスチャーでしかない。

 そもそも韓国、日本、北朝鮮の三者だけの非核など北朝鮮はおろか韓国さえも賛同するはずはない。
 
 核兵器廃絶は米国抜きでは無意味なのだ。

 米国との関係がよければ他のどの国との関係がよくても意味がない。米国との関係が悪ければ他のどの国との関係がよくてもダメだ、という歴史的な迷い言を国会で堂々と語ったのは、あの小泉元首相であった。

 これが、滑稽なまでに間違いである事は言うに及ばないが、こと核兵器に関してはそれは正しい。

 米国が参加しない核兵器廃絶は意味がなく、米国が率先して提唱する核兵器廃絶は、それを拒絶する国はない、のである。

 東アジアの非核は中国の非核なしには意味がなく、中国の非核は米国が率先してこれを提唱して初めて現実的なものとなるのだ。

 目指すべきは米国の核兵器廃絶なのだ。それなくして戦後を乗り切ることはできない。

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2008年08月09日

ワーキングプアの悲惨さと小泉偽改革の罪


 ワーキングプアの悲惨さと小泉偽改革の罪

  小泉偽改革によって格差社会が加速し、ワーキングプアが急速に増えた。

  もはやその事を正面から否定できるものはいない。

  しかし、ワーキングプアの悲惨さの本質と、それをもたらした小泉新自由主義の真の罪について、ここまで単純、明確に指摘した文章はない。

 8月9日の日経新聞経済コラム「大機小機」は言う。

  ・・・経済的な「欲」ばかりに焦点を当てた政策は、人間の生きがいだけではなく、社会の活力や安全まで奪うおそれがある・・・ワーキング・プアの悲惨さには、低賃金(だけにあるのではない。それ)に加え、強いられる仕事のひどさも影響している。生きがいか、収入か、の選択ではなく、楽しみも誇りも感じられない労働と、その代償として支給される(ものが)最低限の賃金しかないでしかない(という二重の意味の絶望である)ということだ・・・

 その通りであると私も思う。

 そのコラムは更に次のように続ける

  ・・・聖域なき改革を大義にした社会保障の削減によって、保護の網の目からこぼれ落ちた母(父)子世帯や高齢単身者にも言える。経済的な貧しさに加え、人間的きずなの維持も困難になり、社会的な関係の中で何とか生きてきた人間が、(今)激しい孤立感に苦しんでいるのだ・・・

 そして小泉偽改革の罪を次のように喝破してみせる、

 ・・・もし、痛みを伴った小泉純一郎元首相の改革の効果が、(その改革の成果ではなく)、景気の循環的回復の結果に過ぎず、国民生活の改善よりも犠牲の方が大きかったとするなら、改革は国民に対する裏切りだったと言える・・・人間ではなく経済合理人を前提にした小泉改革には、社会が求める安心と安定への配慮が欠けていた・・・


 この的確な記事を、匿名でしかかけないところに、大手新聞の限界を見る。

 

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2008年08月09日

中国ギョーザ問題で福田政権の責任を問うのは五輪後の中国の対応を見てからだ

中国ギョーザ問題で福田政権の責任を問うのは五輪後の中国の対応を見てからだ

  今から思えば、6日の読売新聞の中国ギョーザ問題に関するスクープは近年まれに見る大ヒットであったことになる。

  中国ギョーザ問題は、正しい日中関係を構築できるかどうかの試金石になりつつある。

  民主党が、中国政府からの通報を遅らせた事を批判する談話を発表したという。

  それより少し前には、不公表にした経緯を国民の前に明らかにすべきと、国会での追及姿勢を明らかにした。

  国会での真相追及は徹底して行なってもらいたい。そうすべきである。

  しかし、不公表とした事を、今の時点で直ちに「情報隠蔽である」と声高に糾弾する事は、政局に絡めた性急かつ軽率な対応である。

  その事を今日のブログで書く。

  8日福田首相は北京での胡錦涛主席との首脳会談で、ギョーザ事件の徹底究明と情報公開を求めたという。

  これに対して胡錦涛主席は、できるだけ早く解決する、全力をあげる、と約束したと言う。

  この約束の実行こそ五輪後の日中関係の最大の課題である。

  その成り行きを最後まで徹底して監視し、その結果を俟って日中双方の政府の責任に迫る、これこそが正しい対応なのである。

  情報公開でもっとも注目されるべきは、サミット前の中国側の通報が、どのタイミングでどのように通告されたのか、それに対し日本政府は、どのレベルの判断で、どのように応答したのか、それが正確に公表される事である。

  もし中国側が単に公表を差し控えて欲しいと言って来ただけであったなら、そして、それに対し日本政府が何も注文をつけずに、中国側が嫌がる事をする必要はないと考えて不公表にしていたとすれば、外務省と福田首相はいくら批判されても批判され過ぎる事はない。

  もし中国側が、約束した五輪後の公表において、それでも中国側の非を認めないようであれば、胡錦涛主席の中国は厳しく非難されるべきである。

 そして、真相がどちらにあるかは五輪後の日中双方の対応を見れば直ぐわかる。

 8月9日の日経新聞は日本政府高官が「五輪が終われば、中国側は捜査結果を公表するかも知れない」などと他人事のように言っている。

 同じく8月9日の産経新聞では、ギョーザ事件は北京五輪での首脳会談では「取り上げられない」(外務省関係者)方針だったが、日中両国の「隠蔽」が発覚したので、急遽主要テーマに浮上した、と報じている。

 このような報道を見る限り、五輪後の中国の対応は期待はずれに終わる事になると思う。

 その時福田首相はどう対応するかだ。

 それでも胡錦涛に厳しく迫ることが出来ないのなら、その時こそ福田首相を厳しく追及しなければならない。

 胡錦涛主席の中国を厳しく批判しなければならない。

 その時に向けて国民の関心を集中するためにも、今は隠蔽、隠蔽と騒がない方がよい。

 五輪後の日中双方の対応を注視していきたい、と冷静さを装った方が迫力がある。

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