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2008年08月05日

混迷する政局を楽しむ方法


 混迷する政局を楽しむ方法

  昨日のブログで政治家は政局に明け暮れている時ではないと書いた。

  しかし政治家は政局に明け暮れる。

  その理由は、政策どころの話ではないからだ。

  ただでさえ、政策を本気で実現する能力と志をもった政治家はいないのに、今は、たとえいたとしても、それどころではないのだ。

  選挙に勝ち残らなければならない。

  政権を死守しなければ終わってしまう自民党。

  政権が取れなければ分解してしまう民主党。

  その他の政党は少しでも政権に近いところに場所を見つけようと必死だ。

  メディアもまた政策より政争に飛びつく。

  難しい政策論よりわかりやすいからだ。

  皆が政局に走る。

  そうだとすれば、我々も政局を楽しむに限る。

  ましてや政治に影響力のない一般国民の我々だ。

  せめて政治家のなりふりかまわない権力争いと駆け引きを、嘲笑しながら眺めようではないか。

  それが政治に関係のない一般国民の特権だ。贅沢だ。

  さてその政局である。

  注目点はいろいろあるだろう。

  しかし、私が最も注目するのは、創価学会名誉会長の国会喚問問題と小泉改革一派の福田おろしの動きの二点である。

  いずれも政局と直に結びつく問題だ。

    5日の読売新聞が、国民新党の亀井静香代表代行が、「(矢野元公明党委員長問題を)臨時国会で取り上げざるを得ない。言論封殺の指摘があった以上、民主主義の観点から事情を聞く必要がある」と述べたと報じている。

  もし矢野元委員長の国会招致が実現すれば、公明党にとっては大きな痛手となる。

  覚悟を決めている矢野元委員長の国会発言は見ものだ。内容如何ではさらなる事態に発展するかもしれない。

  創価学会と何の利害関係もない一般国民の立場からすればぜひとも実現してもらいたい。

  確かに「言論の自由」は民主主義の根幹だ。

  政権政党の一翼をになってこの国を動かしてきた公明党、創価学会が、「言論の自由」を犯すような事をしていたのなら看過できない。

  昔から取りざたされては消えていく政教一致という違憲疑義の問題についても、この際はっきりと白黒つけてもらいたい。

  そのためには名誉会長の国会招致も必要になってくるだろう。

  創価学会、公明党にとっては最大の危機である。

  だからすべてに最優先してこの問題を回避しようとするだろう。

  みどころは民主党、国民新党がどこまで本気で追及するかだ。

  自民党がどこまで公明党、創価学会をかばうかだ。

  公明党は政権政党であり続けなければならない。

  政権政党である限り国会喚問をかわす事ができる。

  政権を手放したとたん状況は厳しくなる。

  だから、福田自民党で選挙が勝てそうもなければ福田おろしに走る。

  それでも自民党が勝てないと判断すれば自民党を見限って民主党との連立に向けて舵を切る。

  矢野問題はまさに政局そのものに結びつく。だから目が話せない。

   もう一つは小泉改革派の福田おろしの動きである。

  私は8月1日のブログで福田改造内閣によって小泉政治は終焉したと書いた。

  もはや誰もがそれを認めている。

   しかしその事と小泉一派の悪あがきとは別だ。

  面目をつぶされた小泉元首相とその一派がこのまま黙って引き下がるかかどうか。これが第二のみどころだ。

  すでに様々な事が言われ始めた。いわく小泉がかんかんになって怒っている。総裁選で小池百合子をたてて戦う。自民党を割って小泉新党をつくってキャスティングボートを目指す、などなどである。

  それはありうる話だ。福田改造内閣の支持率が上がらなければ、そのチャンスはひろがる。

  そして福田首相には思惑はずれだったろうが、支持率は大して上がらなかった。今後は支持率が更に下がっていく危険さえある。

  ここで重要な事はメディアが、福田おろしに加担している事だ。

 福田改造内閣を官僚支配、規制強化、ばら撒きの復活であり、増税内閣だとレッテルを貼っている。

  たとえば5日の日経新聞は経済コラム「大機小機」のなかで、「改革か、反改革か」という見出しの下に、小泉改革、福田反改革と決めつけている。

  あのときメディアは小泉改革を持ち上げて今日の日本の混迷を招く過ちを犯した。

  メディアはそれを認めたくないのだ。

  小泉一派もメディアも、「改革を後戻りさせるな」と叫んでいれば国民が納得すると思っている。

  国民もなめられたものだ。

  しかし、それは違う。

  改革か反改革かではない。本物の改革か偽物の改革かなのである。

  そして小泉改革はまさしく偽の改革であった。それもとんでもない偽物の改革であった。

  そもそも改革の本丸は、官僚支配の打破と官僚の無駄を排除する事にあった。

  ところがそれには殆ど有効な手を打つことなく、規制緩和の下に新自由主義を徹底して日本を格差社会にしてしまった、対米従属を徹底して日本を米国に売り渡してしまった。これが小泉偽改革の正体であったのだ。

  そしてその痛みが表面化、深刻化するのはむしろこれからだ。

  だから、小泉再登場は容易ではない。

  いくら「改革を後退させるな」と言って見たところで、「お前らに言われたくないよ」となるのである。

  メディアがいくら改革を進めろと言ったところで、今の政治では無理なのだ。

    国民にとっては不幸な事だ。

   しかし混乱を通じて新しい政治が生まれるのなら、そこに一縷の望みを見つける事ができるかもしれない。

  そう期待して思い切り政局の混迷を眺める他はない。

  どうせ眺めるしかないのであれば、思い切り楽しめばいいのだ。批評家になって勝手に批評していればいいのだ。

  政局は間違いなく混沌としてくる。

  間違いなく面白くなってくる。

  
  

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2008年08月05日

PCI社によるODA疑惑事件の真の責任者


 PCI社によるODA疑惑事件の真の責任者


  パシフィックコンサルタントインターナショナル(PCI)という建設コンサルタント会社の幹部らが政府開発援助(ODA)贈賄疑惑でついに4日逮捕された。

  5日の各紙はそれを一斉に大きく取り上げ、ODAを食い物にしたPCI社を、その社説で激しく批判している。

 しかし、どの記事も、その大きな取り上げ方の割りに、よそよそしい。迫力がない。

 なぜか。

 それはPCI社だけが悪事を働いているわけではないからだ。

 疑惑は大手商社のすべてに及ぶからだ。

 民間企業だけをいくら責めてみても、物事の解決にはならないからだ。

 真の責任者は政府の担当省庁であるが、その責任を本気で追求する気がないからだ。

 真の責任者とは誰か。

 それはODAを主管する外務省である。

 その外務省の監督下にある援助実施機関である。

 断っておくが、私は何も外務省や援助実施機関の誰かが賄賂をもらったり、法に触れる事をしていると言っているのではない。

 さすがにそれはないだろう。

 しかし、だからといって外務省や援助実施機関がその責任から逃れる事はできない。

 彼らはPCIをODAの担当企業として長年認めてきたのだ。

 不正疑惑が指摘されていたにもかかわらず動こうとしなかったのだ。

  私は外務省にあって長く経済援助を担当していたから言えるのであるが、そもそも日本のODA援助にはコンサルタント疑惑はつきものであった。

  なぜならば日本の援助政策の基本が、プロジェクト援助中心であり、相手国政府からの要請をまって行なう要請主義で出来ているからだ。

 すなわち、プロジェクト援助にはそれを作り上げるコンサルタント社の関与が不可欠である。援助案件はコンサルタント社が発掘、作成し、日本の援助が受けられやすい形に持っていく事が常態化している。

 そして、そのようにして作られた援助案件は、受ける側の政府が日本政府に要請してきてはじめて、日本政府がそれを援助対象として検討する事になっている。

 すなわち、日本の援助は日本のコンサルタント業者、援助を受ける政府、そして援助を供与する日本の三者による共同作業なのである。

 そして、残念ながら、援助を受ける国の殆どの政府は腐敗している。

 このPCI事件が新聞で報道されて以来、さぞかし外務省は内心びくびくしていたに違いない。

 外務省みずからが贈賄に関与していた事がばれるからではない。

 外務省の最大の武器であるODA(政府開発援助)に付きまとう構造的な問題点が世の中に知れ渡る事である。

 それを監督する立場にある外務省の担当職員や出先大使官の仕事のいい加減さが明るみに出る事である。

 そして、「外務省だけにODAをまかせるわけにはいかない」という声がまたぞろ頭を持ち上げ、新たな援助担当省庁を作るべしという声が再燃するという恐れである。

 これこそが外務省が最も避けたい事なのである。

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