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2008年08月31日

 今こそ外務省は中国ギョーザ問題の真相解明に取り組まなければならない


  8月6日の読売新聞のスクープにより、ギョーザ事件に関する中国側からの報告を、政府・外務省が公表しなかったことが問題にされた。

  私は6日のブログでこのスクープは日中両国の対応に大きな影響を与える衝撃的なスクープであると読売新聞を評価した。

  8日のブログでは、ギョーザ問題の正しい解決は日中関係の将来にとって重要であり、日中両政府の外交力の見せ場であると書いた。

  また9日のブログでは、外務省の隠蔽を批判する野党・世論に対し、「隠蔽、隠蔽と今の時点で騒ぐ必要はない。すべては北京五輪が終わった後の日中政府の対応次第で事の真偽が判明する。その時まで待てばよい。その時こそ厳しく追及すればいいのだ」、と書いた。

  そして11日のブログでは、毎日新聞の秀逸な特集記事を読んで、やはり外務省は隠蔽工作に終始していたようだ、今後の展開について外務省には大きな期待はできない、と書いた。

  そのような一連のギョーザ問題に対するブログの最終回として、このブログを書いている。

  31日の朝日、読売、毎日が、ギョーザ問題に関する中国側の新たな動きについて報じた。

  これは重要な記事である。

  政府関係者が明らかにしたというそれらの報道は、北京五輪が終わった8月28日に、約束どおり中国側が外交ルートを通じてかなり踏み込んだ捜査状況を日本側に伝えていた事実を我々に教えてくれた。

 一番詳しく報道していたのは朝日新聞だ。それによると、

  中国公安当局は、天洋食品内で農薬成分が故意に混入された可能性が高い(内部犯行)と判断したこと、
  中国側の犠牲者は、回収品を食べた会社関係者の4人に限られ、被害者が外部に広がった事実は確認されていないこと、

  被害者4人の中には日本の被害者と同様子供も含まれており、また重症患者もいたこと、

  などが中国側から日本側へ通報されていたという。

  重要な事は朝日新聞が指摘している次の点である。

  つまり、

  中国当局がここまで積極姿勢に転じた背景には、日本の世論の関心が強い事を実感した胡錦涛指導部の強い意向があること、しかし同時に、複雑な利害関係がある上に、問題を解決したくない勢力もいるので、どこまで解明されるかは不透明である、

  という見方である(31日朝日)。

  31日の報道をきっかけに中国ギョーザ問題に対するメディア・世論の関心が再燃する事を期待する。
  我々は今こそ政府・外務省の外交力を問わなければならない。

  しかし外務省は、北京五輪が終わった後も、そしてこの報道が明らかになった後も、「日本政府として、中国政府から情報の提供を受けたことはない」として、あくまでも中国政府の正式な見解を待つ姿勢を示しているという(8月31日毎日)。

  政府・外務省はどこまでも消極的だ。隠蔽的だ。

  それを許してはならない。中国ギョーザ問題の幕引きがどのような形で行なわれるのか、我々は注視していかなければならない。
  

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2008年08月30日

 消費者不在の石油小売価格決定のからくり


 福田政権の目玉の一つが消費者庁の設立であるという。

 しかしその主要な業務として何が想定されているかがポイントである。

 国民はここに注目しなければならない。

 たとえば、後を絶たない食品偽装の防止や、中国ギョーザ事件に懲りて食の安全を徹底する、といった事を口実にして、いたずらに政府の規制、介入を強化する事は許されない。

 その為に、不必要な経費を使ったり、職員の数を増やそうとするのななら、焼け太りだ。

 またもや税金の無駄遣いとなる。

 官僚の権限が強化されることになる。

 民間企業の営業活動が妨害され官製不況が再来する。

 私なら、消費者庁の最優先の業務として、生活必需品の価格設定のメカニズムを情報公開し、関係者間の利益配分を公表し、そして、消費者に最終的に転嫁される小売価格の妥当性について、国民に提示、説明する事を要求する。

 物価上昇がとまらない。なぜここにきて一斉に物価が上がるのか。しかも賃金上昇をはるかに上回る大きさで。

 それは原油その他の資源、食糧物資の価格高騰があったからだという。

 しかし、たとえば原油の小売製品であるガソリン価格一つ取ってみても、分からない事があまりにも多い。

 たとえば、投機資金によって押し上げられた原油の先物価格がここにきて急落しているというのに、ガソリン価格は逆に上昇したという矛盾がある。

 この矛盾について、28日の東京新聞は、石油元売各社の卸価格の決定方式は二ヶ月前の石油調達コストを基準にするから、タイムラグが起きる為だと解説する。

 しかし同時に、出光興産などは、ガソリン販売店などとの密室交渉で決まる卸売り価格の公表を、商売の手の内を明かすようなものだとして、控えると表明した。

 怪しい。

 そう思っていたら、今発売中の週刊ポスト9・5日号が、石油業界は脱法行為で巨額の利ざやを稼いでいた、という驚愕の調査報道をしていた。新聞ではめったにお目にかからない見事な追及だ。

 そのきっかけは石油業界に長年携わってきた経営者の「告発」であったというから迫力がある。

 その記事を一言で要約するとこうだ。

  政府が徴収する税金率によってガソリン価格が変化する事は、4月の暫定税率の一時廃止にともなってガソリン価格が下がった事、そしてその後暫定税率が復活した事により再び上がったことで、我々も知っている。

 石油業界では一般的に海外保税地区の製油所やタンクを使って在庫調整し、国内でガソリン価格が上がった時は日本に輸入し、下がれば別の国に出すやり方で、需給調整を行なっている。

 その仕組みを悪用し、帳簿上日本に輸入した時期を誤魔化して、暫定税率が廃止された4月に大量の輸入をした事にして課税を免れ、それを暫定税率復活後に販売して1リットル25円ほどの利ざやを稼いでいた業者がいたという。

 問題はそのような虚偽申告が出来る国税庁、エネルギー庁の仕事の不透明さである。

 まったく気づかなかったとしたらとんだ怠慢である。

 もし見て見ぬ振りをしていたとしたら犯罪である。

 いずれにしても馬鹿を見るのは消費者だ。

 あらゆる日常品の消費者価格には非公開の部分がある。

 そのすべてを公開する事は営業妨害であるならば、せめて消費者庁は国民にかわってその実態を把握し、国民の為に適正な価格設定を確保してもらいたい。

 私が消費者庁に期待するのはその一点である。

 

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2008年08月29日

 概算要求再びー国民の暮らしなど関係ねえ


  昨日(28日)のブログで、予算編成というものが、如何に国民の生活から遊離し、官僚と政治家の税金私物化のプロセスでしかない事、それを誤魔化す壮大なセレモニーである事を書いた。

  書いていて馬鹿馬鹿しくなったので途中でやめた。

  しかし今日(29日)の新聞で、嫌でもその愚が目についたので、もう一回だけ書く。

  我々は、この現実を直視しなければならない。

  直視して、記憶に刻んでおかねばならない。

  一人一人の国民は何も出来ないかもしれない。

  しかし、思い出し、怒りを蓄え、世の中が動き出した時にそのエネルギーを爆発させなければならない。

  厚生労働省は、年金記録の全件照合を着実に進めるため、厚生労働省から83名の担当職員を社会保険庁(その後継組織として09年度に設立される日本年金機構)に配置する方針を固めたという。

  とんでもない事だ。

  記録の一部は紛失、消失している。どんなに時間をかけ、人員を増やしても記録の正確、公正な照合は不可能である。

  だからこそ2年近くたっても作業がまったく進まなかったのではなかったか。

  不可能な事が確認済みであるからこそ、年金問題検討委員会とやらで、年金支給は申請者の顔つきを見て信用できるかどうか判断する、などという馬鹿げた提言がなされていたのではなかったか。

  急がれるのは一刻も尾早いあらたな年金制度の確立である。

  それを目指すことなく、不毛な作業に人員を貼り付け、関連予算の要求を行なう。

  法務省は来年度から始まる裁判員制度のため国選弁護報酬予算を倍増要求するという。

  国民の関心が低い事をいい事に、勝手に裁判員制度なるものを導入しておいて、その為の必要予算を要求する。

  一旦賛成した社民党や共産党が裁判員制度の導入を見直すと言い始めているにもかかわらず、当然のごとく裁判員制度を強行し、予算要求をする。

  総務省は地上デジタル移行対策費のため約600億円の概算要求を発表した。

  ただでさえ利権狙い、天下り確保の地上デジタル移行であると言われている。

  国民にとって不必要な経費負担をともなう地上デジタル化を強引に進め、おまけにそのための関連経費を600億円も使おうとする。

  なんのための財政再建か。

  嘘ばかりである。

  無駄ばかりである。

  政治は政争に明け暮れる。笑っているのは官僚ばかりだ。

 

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2008年08月29日

こんな日本になるなんて

  29日の毎日新聞の投書欄に、「ああ、こんな日本になるなんて」という投書が掲載されていた。

  埼玉県狭山市在住の66歳の女性からの投書である。

  その女性は、まずその投書の冒頭で、最近スーパーで経験した次のようなエピソードを紹介している。

  ・・・スーパーの刺身コーナーの前で、ご婦人が深いため息をつき、パックを取ったり置いたりしていました。
 「どうしたんですか」と尋ねると「好きな刺身を、もう2ヶ月ぐらい食べていないの。年金生活なので、食費を節約しないと」と悲しそうな顔で答えてくれました。
 そのご婦人は、貯金があったものの、ご主人が4年前に亡くなり、子供もいないことから、少しずつ蓄えを崩して生活しているという。
 仏様に供える花を買うのにも悩むそうです・・・

 そして、その投書女性は、次のようになげく。

 これが今日のブログのハイライトである。

 この言葉を紹介したくて、このブログを書いた。

 ・・・ああ、こんな日本になるなんて、誰が予想したでしょう。高級な生活をしている人には理解できないでしょうが、105円のサケの切り身を、財布と相談しなければ買えない年金生活者もいるのです。
   そんな中、福祉のために消費税の税率を引き上げるべきだとの意見もあるようですが、本当に誰を信じていいのでしょうか。
   普通の明るい老後を、どこへ探しに行けばいいのでしょうか・・・

  64年の東京オリンピック、70年の大阪万博を経て、80年代初めまでの日本を経験してきた私たち団塊の世代や、それよりも年配の日本国民は、戦後復興を成し遂げて世界第二の経済大国と意気軒昂だった日本が、それから20年たってもっと発展しているはずのなのに、逆行、退化し、ここまで生活苦の日本になろうとは、夢にも思わなかったはずだ。

 大金持ちも少ないかわりに、大多数の国民が平凡な中流生活を楽しんでいた、あのつつましくも平凡な日本が、ここまで余裕を失った競争社会になるとは思わなかったはずだ。

 こんな日本になるなんて。

 おかしいと思わなくてはいけない。怒りを感じなくてはいけない。

 その責任はもちろんこの国を動かしてきた政治家と官僚にある。

 そしてその政治家たちが今国民生活をほったらかして生き残りの痴態を演じている。

 官僚たちが、組織防衛のために開き直っている。

  そろそろ心ある国民は発言しなくてはならない。
  
  立ち上がらなくてはならない。

  それはもちろん自分たちの為である。

  しかし、同時にそれは、後に続く世代の為、この日本の将来の為に、我々に課せられた責務でもあるのだ。

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2008年08月29日

グルジア戦争で表面化した米・ロの対立と日本外交の苦悩


  グルジア戦争が勃発した直後の10日のブログで、私は本物の戦争が始まったと、その深刻さを指摘した。

  12日のブログで、米国にすりよれば安泰だといわんばかりに、プーチンのロシアという強権国家の恐ろしさを甘く見たグルジアのサーカスベリ大統領の軽率さを指摘した。

  そして15日のブログでは、退任を目の前にして、ロシアとの協力関係さえも失ったブッシュ大統領の8年間は、そのすべてを失って米政権から退場する事になる、と書いた。

  それから2週間が経ち、どうやらその見通しは皆が共有するようになった。

  思えばブッシュ政権は、2001年の発足当時、「もうロシアは『敵』ではない」という認識を外交・安保政策の基盤にしてスタートした。

  そして「テロとの戦い」こそ米国の唯一、最大の脅威であると繰返した。

  しかし、今や、敵でなくなったはずのもう一つの敵と対峙していかなくてはならなくなった。

  しかもその敵は、「テロ」よりもはるかに手ごわい軍事覇権国家だ。

   米国とロシアの対立は、もはや単に二国間の対立にとどまらず、世界を巻き込んだ国際政治上の大きな対立に発展しそうだ。

  そしてその対立は、かつての冷戦時のイデオロギー対立と違って、利害に基づいた対立である。

  軍事力や経済力(金融・資源エネルギー)をめぐる世界支配の主導権争い、覇権争いである。

  国際政治の最も根源的な争いである。

  だからこの対立は根深く、長期にわたるものになる。

  グルジア戦争のようなホットな対立関係はやがて収まるかもしれないが、米・ロの覇権争いは国際政治の底を流れる息の長い対立になり続けるに違いない。

  戦後63年間、共産主義の脅威から守ってくれるのは米国しかいない、といい続けて対米従属政策を続けてきた日本外交は、大きな試練を迎える事になるに違いない。

  29日の朝日新聞は米・ロ新対立の深刻さに言及した丹波実元駐ロ大使の言葉を掲載していた。

  ロシアが、かつてのソ連邦構成員が次々とNATOに取り込まれ包囲されつつあることに強烈な不満を持っていた事、

  機会あれば状況を変えたいと狙っていた事、

  そのロシアを甘く見て、オセチア侵攻を仕掛けたサーカスベリ大統領は軽率だった事、

  グルジア全土の制圧とサーカスベリ政権の転覆という事態までありえたが国際世論を考えて南オセチア独立承認で止めた事、そこまでロシアの強硬姿勢は固い事、

 米欧とロシアの対立は相当長期的なものになる事、

 ロシアをG8から外そうとする米国内の意見は、ますます事態を深刻化させ賢明ではない事、

 日本がとるべき道は、グルジア情勢の安定化に向けて対話と交渉で解決されるべきだと国際社会に広く訴えるほか、取るべき方策はない事、

 などを語っていた。

 その通りだと私も思う。

 これと好対照なのが23日の日経新聞に掲載されていた岡本行夫元北米第一課長の言葉である。

 米ロの新たな対立が深刻で、日本外交が試練に立たされる事になる、という見方までは同じだ。

 ところが、その後に続く言葉が、外務省を辞めても尚、日米関係の重要性を繰返すほかに能のない岡本の真骨頂を示している。

  「・・・米国は同盟国として自分たちを支持するよう日本に求めるに違いない。だが、アフガニスタンの対テロ活動からも脱落しようとする日本が、もっと難易度が高い国際変化に対応できるはずがない・・・米国との関係がうまくいっていないとき、日本が動ける余地は少ない。ドイツはロシア政策では米国と意見対立があるが、アフガンには派兵している。日本の場合、アフガン本土で貢献せず、インド洋での給油活動もやめるとなれば、ドイツのようなフリーハンドは得られないだろう」

  このような対米従属政策が、イラクで外交官を犠牲にし、アフガンでNGO職員を犠牲にしたのである。
  

 

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2008年08月28日

予算要求を見ればこの国の政治家・官僚の正体がわかる。


 今年もまた予算要求の季節がやってきた。

 各省庁から提出される概算要求を査定するのはもっぱら財務官僚だ。

 今でもこの季節になると思い出す。

 同じ官僚でありながら、各省庁の幹部が、たかが財務省の課長にも満たない主査に、頭を下げて日参する。

 それほど財務官僚の予算編成権は強い。

 ここまで財務官僚に権限を与えてしまったところに、まず大きな問題がある。

 しかし、各省庁もいい加減なものだ。

 国民の為になる必要な予算要求をするのではなく、自分たちの権限拡大の為に政策をつくる。

 その政策を実施する為に増額要求を繰返す。

 族議員を使って、財務官僚に圧力をかける。

 官僚たちの間の、狐と狸のばかしあいである。

 その過程で官官接待などという税金の無駄遣いもある。

 最後は、政府と各省庁大臣間の政治折衝で予算が固まる。年末のセレモニーだ。

 しかし、これは与党政治家たちの取引に過ぎない。

 そこには国民の声が反映される余地は全くない。

 野党政治家が出る幕はない。

 政府・与党と官僚が独占的に決める予算原案は、事後的に通常国会で審議され成立する。

 そこで野党が国民の声を代弁して予算案の不備を追及するというのが建前である。

 ところが実際はこの予算審議がまったく無意味、形式的である事を我々は知っている。

 国会審議の論争の果てに、与党・官僚が予算を組み替えるなどという事はまずありえない。

 官僚の沽券にかかわるからだ。政府・自民党の数の横暴で最後は押し通せるからだ。

  28日の各紙は各省庁の概算要求を断片的に報じている。

  防衛庁は、原油高の影響だといって航空機や艦艇などの燃料費の54.8%の増額要求をしている。国民や民間業者は黙って原油高を受け入れざるを得ないのにである。

  農水省は自給率向上や水田再生の為の支援と称して13.4%の増額要求をしている。自らの農業政策の失敗を棚に上げて、予算はいつも増額要求である。

  内閣府は消費者庁の発足の為に182億円要求している。208人の定員人件費などだ。また一つ無駄な官僚組織が出来上がる。

  国交省は19%の公共事業費増を要求しているらしい。あれほど無駄な公共事業が叫ばれているというのにである。

  馬鹿らしくてこれ以上書く気も起こらない。

  財政再建の掛け声は一体何なのだ。

  国民に痛みを我慢しろと言った小泉改革は何だったのか。

  自分たちが自ら率先してどれほどリストラをしたというのか。

  あるのは増額要求だけである。国民のお金だからいくら要求してもいいということだ。

  これは泥棒国家だ。

 予算要求の中にこそ、この国の政治家、官僚の正体が表れる。

 このままでは国民は浮かばれない。

  

 

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2008年08月28日

 厚生労働省、社会保険庁の犯罪をいつまで許し続けるのか


  私は20日のブログで、年金記録改ざんを告発した元社会保険事務所課長の勇気ある行為と、その課長を見殺しにしてはならないと、課長を招致して話を聞いた民主党の責任について書いた。

  それから一週間。28日朝のテレビ、みのもんたの「朝、ズバッ!」で、その課長がゲスト出演していた。

  その告白は衝撃的だ。警察の裏金作りと同じ構図である。

  全国に広がっている犯罪だ。意図的にせよ、黙認にせよ、中央官庁幹部までかかわっている組織的犯罪だ。

  その組織犯罪の深刻性も、組織犯罪を告発した元職員の勇気ある行動も、そっくり同じだ。

  警察の裏金づくりはもちろん許せない。

  しかし、年金記録の改ざんは、国民が収めた年金負担や国民が受け取る年金額に直接に関係する不正であるから、なおさら許せない。

  年金徴収率をすこしでも向上させようとする社会保険事務所側と、年金負担額をすこしでも減らそうとする企業側の利害が一致して、月額報酬を過小申告する。

  その結果、職員の年金受取額は不当に少なくなる。

  こんな事が全国的に行なわれていたのである。

  みのもんたは怒っていきまいていた。

  解説者も、そしてその日のゲストコメンテーターである社民党党首の福島瑞穂もあきれていた。

  いいだろう。

  ならばこの問題をテレビ番組の道具に使って終わりにするのでなく、現実に福田政権に責任を取らせてみよ。

 みのもんたは今度の選挙で政権交替をさせるよう訴えられるか。

 福島瑞穂は、この勇気ある告発を使って、次の国会で福田政権を追い詰める覚悟はあるか。

 告発した尾崎孝雄(55)元社会保険事務所課長の覚悟は、残りの人生を賭けた決死の覚悟である。

 その覚悟ある告発を、再びテレビの前で再現した。

 組織の不正と対峙し戦っている一人の人間の人生をテレビの前に晒し、質問攻めをしたのである。

  その後は、メディアや評論家や政治家の番だ。

  決死の告発を受けついで、政府や厚生労働省を追い詰めるのは、彼らの責任である。

  はたしてそれが出来るのか。その覚悟があるのか。

  我々は厳しくそれを見届けなければならない。

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2008年08月28日

 アフガンにおけるNGO邦人射殺事件の衝撃


 アフガンで起きたNGO邦人射殺事件についてコメントを求められる。

 しかし私は多くを語らない。

 私が語る事はただ一つ。

 小泉元首相が世界に胸を張って公言した「米国のテロとの戦いへの協力」の重いツケが、はじめて国民に突きつけられたということだ。

 そして、そのツケはこれから雪崩を打つように日本全体に押し寄せてくることになる。

 そういうコメントすれば歓迎されない。メディアは腰を引く。そんなコメントは取り上げない。

 メディアに流されるコメントは、命をかけたNGO職員の崇高さをたたえ、その命を奪ったテロを許さないとするものだ。それでも日本はテロとの戦いにひるんではいけない、とするものだ。

 中東専門家と称する人々が、この種の事件が起きるたびにメディアに担ぎ出され、アフガンの治安状況や犯人の意図などをしたり顔して語る。

 メディアはその解説を流して問題の複雑さを強調し、視聴者はそんなものか、大変だ、と分かったような、分からないような気になって、やがて忘れていく。

 政治記者はこれを政局と結びつけて、新テロ給油法に与える影響やアフガン復興支援継続についての自公政権の対応について書き、対米協力が語られる時には決まって噴出する民主党の内部対立を騒ぎ立てる。

 もはやそのような繰り返しは許されない。

 日本はどうすればいいのか真剣に議論しその態度を決める事だ。

 政府・与党が自らの間違いを認めるわけがない。メディアもそれを認めないし、野党も追及不足で終わる。

 結局は今までどおりになる。

 しかし、それは根拠なき選択だ。現状認識が欠如している選択だ。みんな認識不足なのである。

 もっと正確に言えば、なるようにしかならない、という無責任さであり、いまさらどうにもならないという無力感である。

 日本の正しい選択は一つしかない。

 米国のテロとの戦いに無条件で追従してきた誤りを潔く認め、これを好機に、米国とのテロとの戦いからきっぱりと決別宣言を行なう事だ。

 平和憲法9条の原点に戻り、紛争を軍事力で解決する事の限界を指摘し、米・ロをはじめとして世界の軍事大国にそれを訴える事だ。

 そういう日本の自主、平和外交を、これをきっかけに世界に宣言をすることである。

 殺されたNGO職員には多数の射撃傷があったという。

 タリバンは犯行声明を出して、外国人が一人残らず撤退するまで殺し続けると言ったという。

 それは狂気だ。

 しかし、その狂気をもたらしたものこそ戦争である。

 米国はテロを一人残らず根絶すると公言して大量殺戮を繰返してきた。世界はそれを放置してきた。

 殺されるものが抵抗するのは当たり前だ。殺されるぐらいなら一人でも多くの敵を殺して死ぬ、そう考えるものを我々は非難できるのか。

 非難さるべきは戦争である。それを誰よりも繰返してきた米国である。

 その米国から決別し、自主、自立した平和外交を取り戻す。

 この当たり前の事を本気で言うものが出てこない日本の現状を憂える。

 NGO職員が殺された責任は、もとより米国の戦争に加担した自公政権にある。

 それを追認したメディアにある。

 自公政権の戦争加担を止められなかった野党にある。

 それら政治家やメディアを許してきた国民にある。

 そして、それはまた、「私を含め、情勢に対する認識が甘かった」と悔やむペシャワール会の中村医師らNGO幹部にもある。

 NGO職員の死は日本国民の責任だ。

 今からでも遅くない。これをきっかけに、米国のテロとの戦いの誤りを騒ぎ立てるべきだ。

 米国の中東政策の誤りを騒ぎ立てるべきだ。

 そしてこれ以上米国の戦争に協力していくことの愚かさを、われわれは素直に認めるべきである。

 それこそが、それだけが、NGO職員伊藤和也の死に報いる事である。

 

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2008年08月27日

消費者よ、権利を行使せよ


 今こそ消費者は目覚めなければならない。お客様こそ神様なのだ。消費者こそ神様なのだ。

 考えてみるがよい。汗水たらして手にしたお金は、天下り役人が手にする金とか、脱税で誤魔化したカネではない。

 お天道様に恥じる事のない自分の金だ。たとえそれが小額であっても、それを使う時は大きな顔をして使うべきだ。それを使う時は一円たりとも納得した使い方をしなければならない。

 あらゆる商品の価格設定に誤魔化しはないのか。その情報公開を堂々と要求すべきだ。

 27日の読売新聞に、「政府が輸入小麦の値上げ幅圧縮へ」という記事があった。そこにこのような言葉が並べられていた。

 ・・・政府・与党は26日、輸入小麦の10月に予定している政府売り渡し価格の値上げ幅を・・・本来ならば現在よりも約23%値上げする必要があるが、(消費者への影響を和らげるため値上げ幅を)10%台に抑える方向だ・・・

 ふざけた話だ。何が本来ならば約23%値上げしなければならない、かだ。

 そもそもなぜ政府・農水省が小麦の輸入を、民間が自由に輸出国から輸入する事を許さず、政府が独占輸入して、それをわざわざ民間業者のマージンを上乗せして売り渡さなければならないのか。

 食料の安定供給とか、農家の保護・育成の補助金の財源だというのは口実だ。

 天下り機関の経費、人件費にその多くがまわされている事はすでにばれている。

  8月15日の読売新聞に小売スーパーのイオンが漁業協同組合から直接、鮮魚を買い付ける「直接取引」をはじめると発表したという記事があった。

 中間流通を通さない事で、漁業者も、小売業者も、そして消費者も、皆がトクをするのだ。

 なぜ小麦は政府・農水省という中間流通を政府の力で作り上げ、関係業者すべてを不幸にするのか。

 すべては政府・農水省の利権確保の為である。

 福田首相は消費者庁を作って消費者保護をするという。消費者庁の設立が今度の臨時国会の目玉の一つだという。消費者を馬鹿にした話だ。

 そんな事をするよりも、政府の搾取を直ちに廃止せよ。それだけで十分だ。

 消費者庁などをつくってまたもや税金の無駄遣いをする事は許されない。

 

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2008年08月26日

 もはや国家権力は国民の敵ではないか


 世界の様々な国に勤務してその国の政治を見てくると、残念ながら国家権力は国民の敵であるような国が実に多く存在する事を知る。

 まさか日本はそんな国ではないだろう、と思っているとしたら間違いである。

 そう思わせる事件が私の周りに最近立て続けに起きた。

 私が今住んでいる栃木県の鹿沼市で、豪雨で水没した軽乗用車が県警と消防本部の危機管理体制の不備によって放置され、運転していた女性が水死するという考えられない事件が16日起きた。

 「助けて、水が、水が」という電話が母親の携帯電話に鳴ったのは夜中ではない。皆が活動している夕方6時過ぎである。
 「どこにいるの?」とお母さんが尋ねてもかえってくるのは悲鳴ばかり。そしてその電話は最後にこう言い残して切れたと言う。「お母さん、さようなら・・・」

 この事故で県警と市消防は通報をたびたび受けながら現場に出動しなかったという。他の水没事故と混同して的確な判断が出来なかったという。

 信じられない事件であるが、悪意がないだけまだましかもしれない。

 国家権力は、自己保身のために、時として悪意を持って国民を犠牲にする。

 そんな事件が公然と高知県で起きていた。

 先日講演で徳島を訪れたとき、隣の高知県でバスの運転手の冤罪事件を知った。

 停止していたスクールバスに白バイがぶつかって、それを運転していた警官が死ぬという事件が起きたのは06年い3月の事だった。

 警察と国は、組織防衛の為にその事故はバスの運転手を過失致死罪と言い張り、その運転手は有罪となる。

 これはとんでもない冤罪だと訴えを起した運転手。その訴訟が最後は最高裁まで上がって争われていた。そして最高裁が上告を退けて冤罪が確定した、という事件である。

 高知から来た人が言う。誰もが警察のでっち上げと思っているのに、皆口をつぐんだままだ。運転手は気の毒だ、と。

 こんな不条理な事が実際にありうるのだろうか。

 そう思っていたら、この警察、司法の国民無視のやり方を一貫して糾弾しているブログを見つけた。「きっこのブログ」である。

 その22日のブログには冤罪にされた運転手の悲痛な叫びが掲載されている。警察、司法の国民弾圧の非道が告発されている。

 これほどまでに重大な冤罪であるのに、大手新聞がまともにこれを報道する事はない。テレビが伝える事はない。だから国民は知らないままだ。

 気の滅入るような出来事の中で、救われる思いの出来事が起きた。

 26日の各紙は、海上自衛隊員の自殺事件をめぐって被害者の両親が国を相手取って起していた訴訟において、福岡高裁は国の賠償責任を求めた、というニュースを報じていた。

 自衛隊内部でのいじめで自殺に追い込まれたり犠牲になっている隊員は少なからずいる。

 その家族の一人がかつて講演中の私を訪ねてきたことがあった。その際私は、決してなき寝入りしてはいけない、正義は必ず勝つ、と励ました事があった。

 その家族が、粘り強く訴訟を続けた結果、ついに福岡高裁は、「上司の言動は指導の域を超え違法」と断じたのだ。素晴らしい判決である。

 国家権力の中にいても正しい判決を下す裁判官もいる。

 そこに私はこの国の将来に関する一条の光を見る思いがした。

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2008年08月26日

再び問う。戦争責任者たちが公正、公平に追及されたのかと。


 昨日のブログで私は広田弘毅の東京裁判における死刑判決について書いた。

 その時私は、どのような戦争であれ、その戦争を防ぎきれなかった指導者はすべて等しく重い責任がある。戦争とはそれほど極悪な人間の仕業である、と書いた。

 偶然にも26日の毎日新聞「発信箱」に、同じような意見を述べた記事を見つけた。

 玉木研二論説委員は、最近公表された東条英機の手記に言及して次のように書いている。

 ・・・(敗戦間際でもなお継戦を唱え、降伏を主張する指導者や国民を腰抜け呼ばわりしてなじる東条の姿を浮き彫りにした手記について)

   東条の狭量を裏付ける資料というのが大方の見方のようだ。
   では、どうしてこの程度の人物が開戦直前から2年9ヶ月も首相を務め得たか。その硬直した無責任政治システムの狭量も当然批判・解明されなければならない。だが、それはなおざりにされてきた・・・
   敗戦前後には、後難を恐れ人が(東条に)近寄らなくなった。そして政府・軍部が懸念したのは東条の自決である。裁判で責任を負ってもらわねば累が他におよぶ・・・占領軍上陸直前の45年8月27日、陸軍省高級副官が(東条を)訪ね、様子を探った・・・自決の意思は固いとみた副官からの報告で、大臣が説得に乗り出したという・・・

   歴史に「もし」は禁句だ。しかし、東条の姿が東京裁判の被告席になかったら、責任追及はどのような展開になっていたか。
   東条の自決が未遂に終わり、裁判になったことに副官は「日本のためであった」と記している・・・

  この玉木研二氏の指摘こそ今日の日本の指導者に引き継がれてきた無責任体制の象徴ではないか。

  戦争責任で罰せられる者があまりにも少なかったのではないか。責任を取るべき人物たちが戦後手のひらを返したようにその責任を封印して特権人生を送って来たのではなかったか。

  その体質は今日に見事に生き続けている。

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2008年08月25日

広田弘毅とその戦争責任


  高速バスを乗り継いで徳島に久しぶりの講演に出かけた。

  いまさら講演でもないが、平和について語れと請われれば、断りはしない。

  残された人生で、私に出来る事があるとすれば、元外交官の経験から最後にたどり着いた結論を語る事だと私は覚悟をした。

  日本は何があっても戦争をしてはいけない、戦争に加担してはいけない、日本が世界に誇る事ができるのは平和憲法である、それこそが最強の安全保障政策だ、と、一人でも多くの人たちに訴えていく事を心に決めた。

  バスにゆられながら私は一冊の新書を読んだ。読みながら先輩外交官たちの苦悩と限界に深いため息をつかざるをえなかった。

 最近発刊された中公新書の「広田弘毅 悲劇の宰相の実像」である。

 服部龍二という若い学者の手になるこの新書は、国民必読の書である。

 満州事変から太平洋戦争につらなる日本のあまりにも愚かな戦争がなぜ避ける事が出来なかったのか、その責任は誰にあるのか、責任者は等しく公正に処罰されたのか、そしてその事は戦争という過去の誤りを超えて、今日の日本の様々な権力の誤りにそのままつながっているのではないか。罰せられるべきものが正しく罰せられることなく生き延びている事までも、そっくりそのままではないのか。

 その事を教えてくれる書である。書を閉じて深いため息をついた。

 著者の服部氏と同様に、そして多くの日本人と同様に、私の広田弘毅に対するイメージは城山三郎の「落日燃ゆ」の中で描かれた感動的な広田である。

 すなわち、A級戦犯としてただ一人文官で絞首刑となった悲劇の宰相であり、軍部に抵抗したにもかかわらず極刑の戦争責任を問われ、それでも超然と、黙してそれを受け入れて死んで言った高潔の人というイメージである。

 しかし服部は、広田の人間的な魅力や、無類の家族思いであった広田に惹かれつつも、そして絞首台に踏み出す広田の姿を想定して心が沈む自分を認めながらも、膨大な史実を検証して心を鬼にしてこう断じる。

 軍部に抵抗する姿勢が弱く、破局へと向かう時代に決然とした態度を示さなかった広田の責任は免れない、と。

 たしかに広田は満州事変から2・26事件を経て日中戦争に突入し、そして太平洋戦争に至る決定的な時期に外相、首相をつとめた日本の指導者であった。その事の持つ意味は思い。

 外交官としてのこの大先輩の置かれた困難な状況と、その中で尽くした努力に思いを馳せながらも、私もまた服部と同様に、広田の戦争責任を問わないわけにはいかない。戦争とはそれほど重いものなのだ。深刻なものなのだ。

 問題は、その戦争の責任を等しく共有した指導者たちの多くが責任を免れたという事だ。

 責任者が公平、正当に処罰されなかったということだ。

 そして責任を免れた者たちが、戦後も何食わぬ顔をして日本を動かしてきたという無責任さである。

 その事こそ問われなくてはならない。

 そしてその事は今日の権力者の不正にそっくり当てはまる。

 日本が正しい道を歩む事のできない最大の理由がそこにある。

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2008年08月25日

メディアの将来を考える


 
 情報源の手段としての新聞の地位が、インターネットの普及で脅かされつつあることが指摘されて久しい。

 それを決定づける出来事を米国に見た。

 オバマ米大統領候補が副大統領候補バイデン氏をメールを使って公表した事を知った。

 24日の朝日新聞が次のように報じていた。

 「既成メディアを通じず、携帯やメールを使って有権者を直接巻き込むという前例のない発表方法に『変革』を掲げるオバマ陣営らしさがにじんだ・・・」

 これは新しいメディアの時代を予感させる。

 これまでにも個人が自らのブログなどで情報をいち早く発表することがある。

 また匿名のブログが未確認の情報を流すことが氾濫している。

 しかし大統領選挙の最新情報といった、皆が最も注目している公的な情報を、既存のメディアでなく、インターネットで最初に流す事は初めてではないか。

 日本でこのようなことが起きれば、真っ先に既成メディアが抗議するに違いない。

 しかしよく考えてみればそれら既存のメディアが文句を言う筋合いではない。

 最新の公的情報を流すことは、何も既存メディアの特権ではないのだ。

 ただでさえその将来が危ぶまれている新聞業界などはこのニュースを震撼の思いで受け止めたことであろう。

 だからこそ、朝日は書いたが、ほとんどのメディアはこの出来事を押さえ込もうとしているかのようだ。

 しかし私はこの動きが日本でも広がることを期待する。

 既成メディアが独自の調査報道をすることなく、政府の御用メディアになったと言われている。

 しかしそれを嘆く必要はない。

 あらたなメディアを作っていけばいいのだ。

 メディアを選択するのは我々読者だ。

 インターネットのニュースでスクープがどんどんと手に入るようになれば、新聞やテレビの役割はますます失われていく。

 膨大なスタッフを高給で抱え込んでいる既存メディアは、たちどころに立ちいかなくなるだろう。

 その危機意識が既存メディアにカツを入れることになる。

 メディア業界もまた、すさまじい生き残りの世界に放り込まれているのだ。

 それは、より良質な情報を手に入れたいと願う読者にとって喜ばしいことである。

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2008年08月24日

  朝日新聞は滅びていく


  24日の朝日新聞が、その社説で米国とインドの原子力協力について書いていた。

  私が執拗に書いてきた核不拡散に対する米国のダブルスタンダード批判である。

  「日本はノーと言うべきだ」という見出しをつけて、このまま米国とインドに気兼ねをしてインドの核兵器を容認してしまえば、パキスタンや北朝鮮の核保有に反対できなくなる、それはアジアの安定にも、日本の国益にもそぐわない、日本はいまこそ米印協定に明確にノーと言わねばならない、と、その社説で声をあげていた。

 かつての朝日新聞であればうなずける。

 しかし今の朝日新聞が、今頃になってこんな事を言ってみても、とってつけたような違和感を感じる。

 朝日は確かに変わった。

 というよりも朝日の内部で大きな路線の対立があって、その対立は、もはや保守、親米派の勝利によって朝日が解体させられつつあるかのようだ。

 朝日の論壇月刊誌の「論座」が9月号で閉刊するという。読者の活字離れで購読数が伸び悩んだ事が理由だという。

 そうではない。朝日らしさが失われてしまったからだ。

 朝日らしさの失われた論壇誌など読むものはいない。

 正論や諸君やオピニオンなどを読んでいればいいのだ。

 本体の朝日新聞も同様にかつての朝日を失いつつある。朝日新聞の購読数は今後も減り続けていくに違いない。

 23日の朝日新聞に、朝日新聞主筆の舟橋洋一氏が、米政権に望む、と題して、自己宣伝の記事を一面に掲げていた。

 米外交評論誌フォーリン・アフェアーズの求めに応じて寄稿した、米国新政権の対アジア政策に対する提言であるという。

 ながながと自慢げに引用しているその内容は、およそ読むに値しないものだ。

 ブッシュ政権は、日本と中国の二国間関係を同時に改善するという立派な業績を残した。それがアジアの安定につながった、米次期政権はこの資産を大切にするべきである、という言葉から始まって、米国がアジアにとっても盟主になるように勧めている。

 日米同盟にもとづいた国際貢献は、治安は米国、復興・再建は日本と言った補完性の原則にのっとって行ったらどうかだとか、米国はグローバリゼーションの負の側面の克服に真剣に取り組むべきだとか米国の為にもっともらしい助言をしている。

 為にする議論だ。

 米国が日本の言う事を聞くとでも思っているのだろうか。

 次期米国政権に言う事はただ一つ。軍事力に頼んだ傲慢な政策は止めろ、その一言で足りる。

 舟橋洋一という時代遅れの記者を主筆として抱え込んでいる限り朝日に未来はない。

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2008年08月24日

野中広務という政治家


 
  毎日系テレビの朝の番組に時事放談と言う番組がある。

  いつも同じような政治家や評論家を交代で招いて文字通り時事放談を繰り返す番組である。

  八百長番組であるが、時として本音の発言を見つける事がある。

  24日の番組のゲストは亀井静香氏と野中広務氏であった。

  公明党矢野元委員長の国会招致問題に話が及んだ時である。

  亀井氏と野中氏の好対照の反応が注目された。

  亀井氏は、もし矢野元公明党委員長が言っているとおり、公党の委員長までやった人に、創価学会があそこまで言論封殺、人権抑圧をしていた事が事実であれば、やはりこれは大問題だから、そこのところを国会ではっきりさせる必要がある、と答えていた。

  これに対し野中氏は、公明党は矢野元委員長の国会招致を恐れてはいけない。堂々と受けてたてばいい。その時私もあわせて招致すればいい。私は矢野元委員長がそんなに立派な事を言えた人ではない事を知っているから、と言うような趣旨のことを言って、カメラに向かってニヤリと笑った。

  野中氏の真骨頂だ。

  国家公安委員長などを歴任した野中氏が、その情報力をちらつかせて、敵対する者を恫喝する。

  そういえば彼は日歯連の政治献金事件で一人村岡元官房長官をスケープゴートにして逃げ切った。

  世間の評価は知らないが、私は野中広務という政治家は稀代のワルだと思っている。

  その最大の理由は、彼が一貫して自民党を支えてきた政治家であるからだ。

  自民党を揺るがす言動を行う政治家を、ことごとくつぶしてきた。加藤紘一しかり。小沢一郎しかり。

  今度の件も自公政権を作ったのは自分だと言って、ここまで国民に背を向けてきた自公政権を徹底的に擁護している。

  しかし私が野中氏を信用しない最大の理由は彼の平和に対する偽善である。

  彼は政界を引退した後、「平和の語り部」と称して反戦政治家のごとく講演に奔走しているらしい。

  本当にそうだろうか。

  かつて私は土井たか子氏、野中広務氏らと一緒にイラク戦争反対のシンポジウムに出たことがある。

  それがきっかけで野中氏と私を引き合わせようとした人物がいた。

  私はこちらから面会を嫌うことはしない。

  たとえ立場が違っても、気に食わない人物であっても、こちらから面談を断ることはない。

  だからその人に答えた。やってみてください。しかし野中さんは断るでしょう。

  案の定返答は「NO」であった。

  その人を通じて届けられた私へのメッセージは、メディアには気をつけろ、という言葉であった。

  イラク反戦でメディアに一時的に取り上げられたからといって調子に乗っていると、そのうちはしごをはずされるぞ、という伝言である。

  しかし彼が私を避ける真の理由は反戦・平和について語るうちに正体がばれる事をおそれるからに違いない。

  いいみじくも24日の時事放談で、インド洋給油の継続を問われたとき、野中氏は、「今更やめるわけにはいかないでしょう」、と答えていた。

  日米軍事同盟に反対できない者に憲法9条や世界平和を語る資格はない。

  私の目をごまかすことはできない。

  
  

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2008年08月23日

  財政再建の掛け声の中の予算増額要求


  財政再建が叫ばれて久しい。

  痛みを我慢せよと国民に訴えた小泉改革も、その目的は財政再建であった。

  しかし赤字は増え続けている。

  23日の新聞各紙は財務省が発表した06年度の国家資産と負債の対照表なるものを報じていた。

  それによると、05年度に比べさらに3兆円悪化したという。

  財政再建など不可能だ。

  それを駄目押しする記事があった。

  外務省はODA13%増の概算要求を行っている(22日各紙)。

  国交省は道路予算15%増を要求しているという(23日各紙)。

  その事を問われた自民党の代議士は、これはあくまでも要求ですから腹いっぱい要求しているのです。査定では減額されますから、などと答えていた。

  どうだ、この弛緩ぶりは。

  ここまで国民生活が困窮し、深刻な予算使用が求められている時に、予算編成にたずさわる官僚たちが、自らの省庁の権限確保のために、駄目もとで腹いっぱいの要求をしているという。

 そんな馬鹿げた予算要求のために膨大な人員と時間が費やされるのだ。

 予算編成を官僚に独占させるからこうなるのだ。

 官僚ともたれあった族議員を跋扈させるからこうなるのだ。

 予算編成を国民の手に取り戻さなくてはならない。

  

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2008年08月23日

北京五輪の結果とこの国の今の姿


 こう見えても私は心やさしい人間だと自分で勝手にそう思っている。

 だから北京五輪で結果を示すことができなかった選手たちを批判する気にはなれない。

 結果がすべての勝負の世界であるが、それにはもともとの実力の差というものもあるし、運・不運もある。

 そのすべてが人間ドラマだ。

 だからこそ、つらい練習とも、想像を絶する心理的圧力とも無縁な一般観衆が、勝手な評論をして楽しむ事ができるのだ。

 その感動と興奮を与えてくれた選手たちに心から感謝しなくてはならない。

 そう、当たり障りのないことを言っておいて、ここから私のこじつけ論を展開させてもらう。

 私は今度の日本選手たちの成績は立派であったと思う。

 しかし、それでも、中国の躍進に比べて、日本はもっと頑張れたはずだ、と考える人がいるなら(私もそう思ったりするのだが)、その理由は今の日本の現状に求められるに違いない。

 23日の報道で、知的障害者に暴行を繰り返した少年たちの事を知った。

 知的障害者という絶対的な弱者に暴力を加えるという行為そのものが許しがたい事であるが、「自分より弱そうな人を狙った「、「身体障害者をいじめて何が悪い」と少年たちがうそぶいている事を知って、心底驚いた。

 本当に驚いた。日本という国が悲しくなった。

 私も色々な国に勤務してきたが、これほど人間の心がすさんでいる国は見たことがない。

 これほど人間性にもとる若者がいる国は見たことがない。

 どんなに貧しい国でも、どんなに政治体制が非民主的な国でも、子供がここまで卑劣な国はなかった。

 これを要するに日本という国がここまで無節操になっているということではないのか。

 国力とは畢竟その国の国民の心の持ち方である。

 国民をここまで無節操にしたものは何か。理由はいくつもあるだろう。

 しかし間違いなく政治、政治家の退廃だ。

 今の政治状況を見るがいい。あまりにも無能、無責任ではないか。

 国民のための政治から離れ、自己保身、生き残りに汲々としていると思わないか。

 そして、そのような政治、政治家を放置し、政治をおもしろおかしく取り扱ってきたのがメディアであり、それを許してきたのが我々国民なのである。

 日本選手のふがいなさを嘆く者がいるとしたら、まず自らを反省すべきなのかもしれない。

 

 

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2008年08月23日

核の拡散という大問題に沈黙を守り続ける日本政府と外務官僚


  ウイーンで開かれた原子力供給国グループ会合について、私はこのブログで執拗に問題提起をしてきた。

 それはこの会議の帰趨が核拡散を決定づけると思われるからだ。

 日本が訴え続けてきた核廃絶の悲願が文字通り吹き飛ぶことになるからだ。

 そして、ここが最も私が強調したいことであるのだが、日本政府、外務省の正体が、核廃絶ではなく対米追従であることを白日の下にさらされるからだ。

 原子力供給国グループの重要性を正しく認識し、一貫してその記事を配信してきたのは毎日新聞だけであった。

 その毎日新聞は23日の朝刊で、インドを例外扱いしたいとする米国の要求に対して慎重論が相次ぎ、結論は9月以降の次回総会へ持ち込まれる見通しである事を報じていた。

 同時にまた毎日新聞の記事は、アイルランドやニュージーランドなどが米国のインド例外扱いを核不拡散体制(NPT)の「形骸化につながるとして強く反発したのに対し、日本政府が態度を示さず、福田首相のリーダーシップもまったく見えない、と書いている。

 私は繰り返し強調したい。

 核不拡散を望むまともな国はない。世界中の人々は核兵器に反対している。

 唯一の被爆国日本こそ、誰よりも核不拡散を訴える立場にある。

 日本が本気になって核廃絶を訴えた時、その事に正面から反対できる国は世界には存在しない。

 もっとも強力な外交カードを対米追従の一点で放棄する日本政府と外務官僚は、それを正当化できる一言の抗弁もできない。

 だからいつまでたっても態度表明ができないのだ。

 戦後63年。日本の国力がここまで衰退してしまったのは、正しいことを胸を張って正しいと言えない、この卑屈な生き様にある。

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2008年08月22日

 国会図書館に閲覧禁止を命じた国家権力の卑しさ

  私は5月19日のブログで、東京新聞のスクープによって明らかにされたこの国の隠蔽体質を批判した。

  すなわち5月18日の東京新聞は、秘密解除された米国公文書によって、米兵の犯罪について裁判権を放棄するという密約を日米両国が交わしていた史実を明らかにしたのだ。

  この驚くべき密約の存在については、その後政府に対するなんらの追及もなされないまま忘れ去られていった。

  ところがそれから三ヶ月ほどたった8月20日の読売新聞や朝日新聞などが、あらたに二つの事実を報道してくれた。

  一つはこの裁判権放棄に関する事実が、米国側の公文書公開だけでなく、法務省の内部資料でも確認されたという事である。

  つまり法務省刑事局は1953年に全国の地検に通達を出し、米兵の日本国内の刑事事件については慎重に裁判権を行使するよう命じていたのだ。

  笑ってしまうのは、その通達は秘密資料であったにもかかわらず、なんらかの理由で外部に流出し、それを古本屋から入手した国会図書館が、1991年から一般閲覧者に公開していたという事実である。

 もう一つは、裁判権放棄の密約が5月に東京新聞でスクープされたことにあわてた法務省は、遅ればせながら国会図書館によってその通達が公開されている事に気づき、あわてて国会図書館に非公開とするよう求め、国会図書館はそれに従って6月23日からそれを非公開にしていた、という事実である。

  このニュースは極めて重大な意味を持つ。権力による情報隠しであり、憲法で保障されている「国民の知る権利」への重大な侵害であるからだ。

  ところが本来はもっと危機意識をもって政府を糾弾すべきメディアが、まったく動かない。

  そう思っていたら、22日の東京新聞がこれを大きく取り上げた。

  すなわち、閲覧を拒まれたフリージャーナリストの斉藤貴男氏が、閲覧差止めを求める訴訟を起こそうとしているという記事である。

  斉藤氏と東京新聞は、次のように法務省の差止め命令を糾弾する。それに唯々諾々と従った国会図書館の自立性のなさを憂える。

  ・・・そもそも、米兵の犯罪の裁判権を放棄すること自体、国家として許されない事であるが、米国の公文書公開ですでに明らかにされ、また日本の国会図書館でも91年から今日まで公開されてきた法務省の資料を、いまさら隠さなければならない合理的な理由はどこにあるというのか。

  翻って国会図書館の対応も批判さるべきである。国会図書館はその名の通り立法府(国会)の一機関であり、国会議員の資料収集や調査に寄与してきたのみならず、国民の知る権利に答える事を誇りにしてきた。

  それなのに行政府(法務省)からの不当な要求に、唯々諾々と応じ、今頃になって非公開にしてしまった。もう十分に知れわたっており、いまもどこかに出回っている可能性は強いというのに。

 国会図書館は、政府・法務省に顔を向けるのではなく、「国民の知る権利」を尊重すべきだ・・・

  斉藤貴男や東京新聞を孤立させてはいけない。

  あらゆるメディアはこの動きを支持し、斉藤貴男や東京新聞と一体となって、政府、法務省の違憲的隠蔽体質と戦っていかなくてはならない。

  国民は、政府・法務省の卑小さを糾弾し、野党政治家を叱咤激励し、政治の場で政府、法務省が追及されるよう求めていかなくてはいけない。
  

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2008年08月22日

「命を懸けてもいい」という言葉の重み

 「命を懸けてもいい」という言葉の重み

   言うまでもなく私は臆病な人間だ。打算的、現実的な人間だ。

   「命を懸けて」何かをなす、という事は、私には考えられない。

   だから「死んでも本望だ」と言い切って何かをなすことのできる人は立派だと思う。

   ただしそれが本物であればの話である。

   北京五輪で女子ソフトボールチームが金メダルをとった。

   その中に心臓病を抱え、臓器移植をしてまでもソフトボールを続けた選手がいた。「死ぬかもしれない」と心配する両親に、「グラウンドで死ぬのは怖くないからやらせて欲しい」とソフトボールを続けた。

   その選手が活躍をして金メダルにつながった。彼女の人生で最高の瞬間だろう。

   感動的だ。彼女の「死ぬのは怖くない」という言葉は本物である。

  22日の産経新聞に民主党の松本謙公という議員が小沢民主党代表に期待してこう述べていた。

   (その体調で小沢代表は首相がつとまるかという問いに答え)
   死ぬまで首相をやればいいんだ。予算委員会で「それはなあ!」って答弁して、前のめりにバタッと倒れて。大変申し訳ないけど「老後なんてあるかい。死ぬ一秒前まで政治をやれ」って言いたいよ。
   そのぐらいの意気込みで俺たちは支えている。
   小沢一郎本人がね、命をかけて先頭に立って戦うっていう姿勢がなければ、民主党は勝てない・・・

   小沢一郎は自らが最後の戦いと繰り返している今度の総選挙で、この言葉を国民の前で言うべきだ。国民がそれを信じかどうかは問わずに。

   そしてもう一人「死んでもいい」と公言した男がいた。

   郵政改革に命をかけると言った小泉元首相だ。
  
   そしてそれに感動した愚かな国民がいた。

   あの男が、自ら命をかけた日本郵便会社の将来についてその後何かしゃべった事があったか。どうなろうともはや何の関心もない。

   それどころか首相5年半の政策の結果について一切語ることはない。

   語るのは音楽と食事とボーリングだ。

   「命をかける」という言葉の耐えられない軽さである。

 

 

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2008年08月22日

 インドが6番目の公認された核保有国になる日


 インドが6番目の公認された核保有国になる日

  核廃絶を呼びかける事は誰でもできる。

  しかし現実の国際政治は、どの国も、どの政治家も、核廃絶はおろか、核不拡散さえ防ぐことができない。

  21日からウイーンで始まった原子力供給国総会でインドの核保有が認められそうだ。

  インドとの原子力協力に踏み切った米国が、ルールを変えてインドへの原子力技術、核燃料の輸出解禁を行おうとしている。

  これは核不拡散条約に加盟していない核保有国を、事実上認める事である。

  核不拡散体制の否定である。

  そんな事が認められてよいものか。果たして今度の総会でそれが本当に認められるのか。

  報道によれば、インドへの無条件の輸出解禁には根強い慎重論がある一方で、米国を相手に最後まで反対を貫く国はない、という見方もあるという(22日日経)。

  唯一の被爆国日本の態度は重い。だから日本が総会でどのような態度をとるのか注視しよう。

  私は昨日のブログでそう書いた。

  その私の問いかけに、22日の朝刊各紙のなかで、ただひとつ日経新聞だけが答えてくれた。

  事実上の核拡散につながる米印原子力協力の是非を慎重に検討してきた日本政府であるが、最終的にこれを容認する方針を固めた、というのだ。

  残念だ。

  しかし、外務省の方針ははじめから決まっていたに違いない。

  なにしろ米国のイラク攻撃を「仕方がない」といって賛成した日本だ。

  米国の方針に逆らうことはありえない。すべては「仕方がない」のだ。

  外務省の姑息なところは、それを堂々と認めないところだ。

  日経新聞によれば、日本政府が最終的に容認した理由として、

 ①IAEA(国際原子力機関)とインドとの査察協定がすでに承認されているので、インドへの査察が可能となる

 ②インドによる原発導入が進めば、温暖化ガスの排出抑制に役立つ

  の2点が挙げられている。

  いずれも、とってつけたような理由である。

  そんな詭弁を弄するよりも、唯一の被爆国であろうが、憲法9条の国であろうが、日本は米国の方針に逆らうことができないから、仕方がなく認めざるを得ないのだ、と正直に白状したほうがまだましだ。

  その一方で22日の読売新聞は、9月初めに広島で主要8カ国の下院議長会議が開かれ、被爆国として平和を目指す姿勢を国際社会にアピールできるなどと報じている。

  8月16日の毎日新聞「近聞遠見」で岩見隆夫氏は、その会議を主催する河野衆院議長の平和に対する執念を褒めている。

  繰り返して言う。

  核兵器廃絶や平和の大切さを訴える事は誰でもできる。

  問題は、現実の国際政治の中で核保有国の政策を変えられるか、変えるように本気で詰め寄ろうとしているのか、それである。
 

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2008年08月21日

日本政府は米国とインドの原子力協定を認めるのか注目しよう


 日本は米国とインドの原子力協定を認めるのか注目しよう

 また一つ、日本の外交力が試される会議が開かれる。

 21日の毎日新聞が、21日からウイーンで開かれる原子力供給国グループの総会の帰趨について書いていた。

 事実上インドを米・英・仏・ロ・中についで6番目の核保有国として公認する事になるこの会議で、果たして唯一の被爆国日本は、どういう投票態度を示すだろうか注目したい、という記事である。

 そもそもこの原子力供給国グループというのは、74年に核不拡散条約(NPT)に不参加のインドが核実験を行なった事をきっかけに、原子力技術や核燃料物資の輸出を管理・規制する目的で日米欧を中心とした原子力先進国が78年につくった会議であった。

 それは一言で言えば、核の不拡散を担保する目的の会議であった。

 ところが、最近インドと米印原子力協定を結んだ米国が、今度の総会では、これまでのルールを変えてインドを無条件で例外扱いにしようと言い出した。

  見事な米国のダブルスタンダードである。勝手にルールを変える常習犯米国のあつかましさである。

  当然のことながらそのルール改定に批判的な参加国は多い。

  ところが唯一の被爆国である日本の態度がまったく不明なのだ。

  米国のそのようなダブルスタンダードに厳しい姿勢を見せているのが毎日新聞である。

  21日の記事も毎日新聞が書いていたのだが、その毎日新聞はすでにに8月11日の社説において、「インドの特別扱いは危険だ」と題して、日本はインドの特別扱いに明確に反対すべきであると、次のような実に明快な論陣を張っている。

  唯一の被爆国である日本は、毎年、国連総会で核兵器全廃をめざす決議案を提出してきたではないか。昨年もそれが圧倒的多数で採択されたではないか(因みに反対した国は米印と北朝鮮のみ)。

 もし日本がインドの核兵器保有を認めるような事になれば、北朝鮮の核廃棄をどうして迫る事が出来ようか、と主張する。

 誰が聞いてもその通りであろう。

 果たして福田首相と外務官僚は21日、22日の原子力供給国グループ会議総会で、米国のダブルスタンダードにNOと言えるだろうか。

 またしても日本の外交力が試される事になる。

 

 

 

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2008年08月21日

日本の政治の将来に直結する創価学会問題


 日本の政治の将来に直結する創価学会問題

  内閣改造問題も、臨時国会召集時期の問題も、新テロ給油法延長問題も、解散・総選挙の時期さえも、何もかも福田自民党は創価学会・公明党に握られている。

  この事は連日の新聞報道で繰り返し語られつつある。

  しかし、その事をここまではっきりと書いたメディアを私は知らない。

 今日(21日)発売の週刊フライデー(9月5日号)(講談社)の、「崩壊寸前、自公連立与党の民主潰しの裏工作」を読んで、私はそう思った。

  もし1000万人の購読者を誇る朝日、読売新聞がここまでストレートに書いたらどうなるだろうと思って私はこの記事を読んだ。

 その内容をここで引用する事は、さすがに私にはできない。週刊フライデーの売り上げの営業妨害になるからだ。

 創価学会、公明党に弾圧される事をおそれるからだ。

 しかし一人の国民として次の点だけは指摘しておきたい。

  ひとつには、前公明党参院議員の福本潤一氏が、「(国会)招致が実現すれば、私は政治とカネの問題、矢野氏は(学会による)人権侵害の問題を証言することになります」と述べている点である。その発言に福本、矢野の覚悟を見る。

  もうひとつは、池田大作名誉会長の国会証人喚問が実現すれば創価学会という組織は瓦解するおそれがある、という指摘である。創価学会は今最大の危機にある。

  そして最後に、何があってもそれを阻止するために、国民新党綿貫代表との選挙協力や、民主党の政権奪取への協力を通じ、喚問つぶしの裏工作が画策されているという指摘である。

  圧巻はこの記事の締めくくりの、次の言葉だ

 「・・・それにしても約720ある衆参の議席のうち、たった50議席ほどしか保持していない小政党の意向が、国政全体の行方をカンタンに左右してしまう現状は、異常ではないのか。自党の都合で政治を歪ませ、しかもここ数年、国民に負担増を強いるだけでロクな政策を実行しない自民・公明両党の責任は、重大だと言わざるを得ない。」

  イラク戦争に反対して外務省を追われた私には、米国の砲火の犠牲になって死んでいった何十万人ものイラク人の悲しみと恨みを背にして、そのイラク戦争を支持した権力者たちと戦う覚悟を決めた。

  ブッシュのイラク攻撃を正しいと世界に公言した小泉政権を支えたのが公明党である。

  その限りで私は公明党を許すことはできない。

  しかしこのフライデーの記事は、イラク戦争を超えたものがある。

  日本の政治、日本国民全体の生活と公明党の問題である。

  それをあらためて認識させてくれたフライデーの記事である。

 

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2008年08月21日

 どこまでも日本から搾り取ろうとする米国


 どこまでも日本から搾り取ろうとする米国


 「日本は米国にとって重要な同盟国だ」、そう心にもない言葉を繰り返して日本を搾り取ろうとする米国。

 そのような米国の底の浅い本音を知ってか、知らずか、どこまでも米国の要請に応じ続ける日本政府と外務官僚。

 それを見事に象徴する記事を21日の各紙に見つけた。

 在日米軍が犯した犯罪の謝罪の時か、「テロとの戦い」への協力要請の時しか姿を見せないシーファー駐日大使。

 近年の歴代の米国の駐日大使の中でも、このシーファー大使ほど日本国民との関係が希薄な大使はない。さすがの日本政府・外務官僚も、そして日本のメディアも、シーファー大使との関係は深まらない。

 そのシーファー駐日大使が、20日麻生幹事長を訪れ、インド洋での給油の継続を忘れるなと念を押した。

 しかも、給油にとどまらず、「アフガンではほかの形での貢献も希望する」と、さらなる復興支援を要請した。

 これに対し、アフガンを巡る国際情勢の複雑さなどおよそ無知の麻生幹事長は、「重要性は前から認識している」と、あっさり米国への恭順の意を述べた(日経新聞ほか各紙)。

 21日の東京新聞は、給油の転用疑惑も曖昧なままインド洋の給油を続けようとする日本政府が、同時にまたバクダッドでの米軍輸送支援活動に必要な自衛隊輸送機の燃料を、日米物品役務相互提供協定に基づいて米国から買わされているという、おんぶにだっこの、米国に対するガソリン代支援の実態を大きく報じていた。

 これでは湾岸戦争の時と同じように、「カネこそ一番」ではないのか。ガソリン代高騰にあえぐ国民無視ではないか、と東京新聞は問いかける。

 そして21日の毎日新聞「世界の目」における、ドイツ外交政策協会研究所研究員ヨゼフ・ブルラム氏の次のような指摘である。

 ・・・米国は増大する財政赤字のため、イラクやアフガニスタンでも戦費負担を、同盟国に押し付ける方向に進むだろう・・・日本もおそらく財政的に大きな役割を果たすことになるだろう。
    米国では、戦費の問題は常に重要テーマだ。購買力低下や雇用不安に直面する有権者は、「国内の道路や通信基盤が老朽化し、緊急に整備する必要が迫られている時に、なぜイラクの復興を優先するのか」と自問している・・・

 戦争で膨れ上がった赤字のツケを、自らの国民に回す前に、まず同盟国日本から搾り取ろうとするブッシュ政権。

 しかし、ブッシュ政権としては当たり前の事をしているだけだ。

 「それはないよ」、と上手くはねつける、そんな当たり前の事ができない日本政府と外務官僚こそ、我々は糾弾しなければならない。

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2008年08月20日

 新テロ給油法延長問題に頭を悩ます自民、公明、民主、各党


 新テロ給油法延長問題に頭を悩ます自民、公明、民主、各党

 福田首相は18日の政府・与党連絡会議で、インド洋での給油活動が非常に大事だとして、新テロ給油法の延長にあらためて意欲を示した。

 私は19日の各紙に報じられた福田首相のこの言葉を知って、やはり福田首相も対米追従を最優先する凡庸な自民党政治家だと思った。

 同時にまた、いい度胸だ、と思った。

 なぜならば、新テロ給油法の延長にこだわることは政権延命のためには決して得策ではないからだ。

 インド洋への給油を始めた頃と今とではその必要性に対する説得力はまったく違う。

 「テロとの戦い」は国際貢献だ、と繰り返す政府の叫びとは裏腹に、イラクからアフガン、パキスタンへと戦場が移動しつつある「テロとの戦い」は、もはや完全に米国とイスラム原理主義との戦いになりつつある。

 イランと米国、イスラエルの戦いに至っては、戦いそのものが世界を不幸にする。そんな戦いは、協力するどころか、阻止しなければならない無謀な戦いだ。

 おまけに、ガソリン価格の高騰で国民は悲鳴を上げている。米国の戦争に協力するよりも国民生活を優先しろ、という声は、誰が聞いてももっともだ。

 国民生活優先、消費者保護を掲げているのは福田政治ではなかったか。

 そう考えていくと、この新テロ給油法の延長問題は、福田首相にとってまことに頭が痛い問題である。

 ところが、頭が痛いのは福田自民党だけではない。公明党は、まさしく今、「生活優先の党、平和の党」なのか、とその真贋を問われている。

 ただでさえ矢野元委員長弾圧問題、政教一致違憲問題を追及されようとしている公明党、創価学会である。

 ここで参院野党が否決した新テロ給油法延長をまた強行再可決する自民党に同調すれば、今度こそ公明党は平和の党を捨て去ることになる。

 すでに公明党は、ブッシュの侵略戦争に加担し続けてきた。その烙印が公明党、創価学会に与えた影響は大きかったと思う。再び自民党と一緒になって新テロ給油法延長に賛成するようなことになれば、こんどこそ致命的となろう。

 ところが、笑い話のようであるが、自公を追い詰める立場に立っている野党第一党の民主党も、この新テロ給油法の扱いに頭を痛めているのだ。

 審議拒否ばかりを繰り返していては国民にそっぽを向けられるとばかり、民主党は今度の臨時国会では、中国ギョーザ問題や消費者庁設置問題などで審議や対案で応じる戦法に切り替えるという。

 ところがこのインド洋給油問題についてだけは審議拒否を貫くというのだ。

 なぜか。

 それは安全保障問題、対米外交については、民主党の亀裂は埋まるどころかますます分裂、迷走しつつあるからだ。

 審議に応じたり、対案を出そうとすれば、たちまちその矛盾が露見し党が解体するからだ。

 党首の小沢氏自身が、国連決議最優先主義という奇妙な持論を展開した。つつかれれば憲法9条違反である。

 
 だから下手に審議するよりも、反対を叫んでいるだけのほうが楽なのだ。

 けだし安保政策は民主党の最大の弱点なのである。

 世界からみたらおよそどうでもいい、この新テロ給油法延長問題が、日本国内では最大の政争、政局になっているところに、この国の政治のピントハズレぶりがある。

 ついに自民党内部の中で、新テロ給油法の延長が危うくなれば解散・総選挙だ(中川秀直元幹事長)などと、いう発言まで飛び出した。

 どこまでズレていくのだろうかと思う。
 

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2008年08月20日

年金記録改ざんを告発した元社保庁職員と民主党の責任


 年金記録の改ざんを告発した元社保庁職員と民主党の責任


 滋賀県の元社会保険事務所課長、尾崎孝雄さん(55)が19日、民主党の会合で、保険収納率を上げるため、月給額を低く改ざんするよう組織ぐるみで指導していたと告発した。

 このニュースが20日の各紙で報道された。

 今日のブログは、何を差し置いてもこの事を取り上げざるを得ない。

 社会保険庁のこうした不正処理は、これまでにも断片的に指摘されていたが、社保庁や厚労省は「職員の関与は不明」としてごまかしてきた。

 ところが元徴収課長が顔をさらして、ここまで克明に社会保険庁、厚生労働省の意図的不正を告発したのである。

  自公政権が国民の信頼を失い、国民の怒りを買ったきっかけは、年金記録紛失問題の露見であった。それに端を発する数々の年金制度の矛盾であった。

 ところがあれから2年近くたつというのに自公政権と官僚組織は、何一つ解決できなかった。国民は泣き寝入りのままだ。

 その裏で政府の意図的な不正行為が行われていたのだ。

 社会保険料の支払いを減らして資金繰りを楽にしたい事業主と滞納額を圧縮して保険料徴収の成績をよく見せたい社会保険事務所。その思惑が一致して行われたこの改ざんは、国民の間に年金の納付、受け取りにおいて多大な不公平をもたらすことになる。

 要するに年金制度はもはやぐちゃぐちゃなのである。

 この問題をメディアが大きく取り上げなければ嘘である。

 野党が国会で政府を追い込まなければ八百長である。

 ところがこの問題は警察の裏金問題とまったく同じ構図になるだろう。

 警察の裏金問題も、現職、OBの警察官の告発が相次いだ。

 その事を通じて、裏金作りが、単なる地方警察の不祥事ではなく、警察庁の中枢が関与した国家犯罪である事も明らかになった。

 それにももかかわらず、その犯罪があまりにも広く、深く浸透している事により、責任が曖昧にされたまま今日に至っている。

 告発した者は、正義の人どころか、政府・官僚組織から目の敵にされて終わるのがオチだ。

 年金問題について、私は野党第一党の民主党にその責任を問う。

 長妻昭や山井和則が年金問題を追及してきた事は評価する。

 しかし、もはや追及を繰り返す段階はとうに過ぎた。

 ここまで不祥事が明らかになっているにもかかわらず、福田首相や舛添大臣を追い詰めることができなければ、政治家の器量が問われても仕方がないだろう。本気で追及しているのかと疑われても仕方がない。

 告発者の捨て身の行動を無駄にしてはいけない。

 自分の売名行為に利用しているに過ぎないと思われるようではだめだ。

 今こそ年金問題の決着をつけてもらいたい。

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2008年08月19日

 竹島を日本固有の領土と書き続ける外務省とこれを見過ごす韓国政府


 竹島を日本固有の領土と書き続ける外務省とこれを見過ごす韓国政府


  国際政治が大きく動きつつある。

  ついにムシャラフ大統領が辞任した。つぎはアフガンのカルザイ大統領の番だ。

  ブッシュ大統領が始めた「テロとの戦い」は、これから混迷に季節に入っていく。

  その一方でグルジア戦争に象徴される米ロの新たな冷戦は、国際政治を大きく逆戻りさせつつある。

  米ロの対立は当然ながら中東情勢にも影響を与えずにはおかない。

  グルジアに軍事協力していたイスラエルが、ロシアの怒りをかって、グルジアから手を引くという。

  米ロの緊張関係はまた、米国の対イラン政策にも影響を与えざるを得ないだろう。

  そのような大きな国際政治の流れのなかで、日本外交だけが羅針盤を失ったかのように漂流し続けている。

  なにしろギョーザ問題、テロ給油問題、拉致問題などが福田政権の命運がかかった問題だと言う国なのである。

  その事については機会をあらためて書きたい。

  今日のブログは、瑣末な問題を取り上げる。

  しかし、この瑣末な問題の背景にあるものこそ、日本のアジア外交の矛盾を象徴している。

  そう思ってこのブログを書く事にした。

  19日の読売新聞政治コラム「永田町フィールドノート」にこんな記事があった。

  外務省ホームページの竹島問題に関するコーナーが、突然の人気を集めているというのだ。

  その理由を知って笑ってしまった。

  「竹島は歴史的・法的にも日本固有の領土」と主張しているところが受けているという。

  因みに私は外務省のホームページなどおよそ見る事はない。

  外務省在職中からそれがいかにつまらないかを知っているからだ。

  外務省幹部はホームページなんかに関心はない。当然のことながらHPを書く連中は外交戦略のない末端の職員だ。

  だからそこに書かれている内容は、更新が遅れたり、平凡な内容のものばかりだ。

  そんな中で、竹島問題をめぐる外務省のホームページにアクセスが急増しているという。

  竹島問題とは、中学校社会科の学習指導要領解説書をめぐって大問題となった日韓間の一大外交問題である。

  外務省は、韓国との関係悪化を懸念して明記に反対したと報じられていた。

  削除がかなわないと知った後も、韓国側を刺激しないように文部科学省に表現を変えさせた。

  それでも韓国政府はこれを政治問題化させ、韓国大使を本国に召還させて強く抗議した。

  それだけの問題であるにもかかわらず、そしてこの問題に関する日韓両国の政府の間では何の進展もないのに、外務省はその公式ホームページで、「竹島問題は歴史的・法的にも日本固有の領土」であると書き続けていたのである。

  私はこれは書き換えを忘れた単なるミスであると考えている。外務省のHPによく見られる不注意である。幹部と末端職員の連絡のなさである。

  しかし、ひょっとしてこれは、外務省幹部が高村外相、福田首相と周到に図った一大戦略かもしれない、とも思ったりする。

  そうであれば立派だ。

  そして今度は韓国側が責められるべきだ。

  あれほど激しい日本批判は一体何だったのか、と。

  外務省は日本の外交の最高責任者だ。その外務省の公式HPで竹島は日本の固有の領土であると主張し続けているのである。

  教科書の指導要領解説書で、しかも曖昧な表現で領土の主張をしたことにあれほど騒ぎながら、外務省のHPで堂々と日本領土を主張している事に対し、反応を示さないならば、所詮は韓国の竹島領有の主張も、政治的ジェスチャーでしかなかった事になる。韓国の反日批判はその程度のものである事が証明される。

  瑣末な問題が大きな外交問題に広がっていく事もある。

  メディアは韓国政府に、外務省のHPをどう思っているのか聞くがいい。

  メディアは福田首相にこの外務省のHPの事をしっているか、知っていながらHPの掲載を続けるのか、と聞くがいい。

  その反応次第で、竹島問題が本当の領土争いなのか、単なる政治的駆け引きの道具であったのかがわかる。

  是非ともメディアには読売新聞のこの記事を追及してもらいたい。

  

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2008年08月18日

松尾邦弘という元検事総長の何気ない言葉にその正体を見る


 松尾邦弘という元検事総長の何気ない言葉にその正体を見る

  はじめに断っておくが、私は松尾邦弘という元検事総長には何の面識もない。

  ましてや個人的な恨みやこだわりはない。

  法務官僚のトップに上りつめたエリート官僚に対し、外務省を追われた失格官僚が何を言っても笑われるのがオチだろう。

  しかし、私も松尾氏も、この国の官僚という一点で共通するものを持っていた。

  保身と出世のために、最後は国民よりも権力者に従うという現実主義、打算的処世術である。

  ついでに言えば、私と松尾氏が官僚人生を始めたのもほぼ同時期だ。

  官僚人生の終わりは天と地の開きはあるが、私にとっては元検事総長もただの官僚である。

  その松尾氏の正体を見せる不用意な発言を私は見つけた。

  読売新聞の連載に「時代の証言者」というのがある。

  その18日の記事から、松尾元検事総長の証言がはじまった。

  その一回目の記事に次のような松尾氏の証言があった。

  ・・・私はこの時期、法務事務次官や最高検次長検事などを務め、組織の中枢にいました。最大の課題として常に眼前にあったのが司法制度改革でした・・・

 と述べた後で、松尾氏はこう証言している。

 「・・・債権回収に奔走していた友人の銀行幹部から痛烈な批判を浴びました。『担保不動産を処分したいが、そのための裁判は何年もかかる。司法はいざ必要な時に役に立たない』と。
  こうした不満が経済界を中心に沸き起こり、司法制度改革の論議につながっていきました・・・」

 正体見たり。

 国民からのニーズで裁判員制度が出来たのでは決してない。この国のエリート同士の都合で出来たのだ。

 経済界の仲間の不満を受けて、司法改革を行なったと認めているのである。

 さらに彼の証言は続く。

 99年7月小渕内閣の時にできた司法制度改革審議会は、2001年6月、小泉首相に最終意見書を提出した。

 その意見書の中に盛り込まれていた裁判員制度について、松尾元検事総長はこう証言している。

 「・・・はじめはよくわかりませんでしたが、審議会の議事録を必死で読み、夜遅くまで他の幹部と議論を重ねるうちに、次第に司法の位置づけが見えてきました・・・」

 驚くべき証言である。検察のトップでさえもわからない裁判員制度なのである。

 検察のトップが必死で勉強してできた制度が、何もわからない国民に押しつけられる。

 それが来年5月から始まるのである。

 裁判員制度は、他の多くの制度と同じように、国家権力の弛緩と横暴から生まれたものでしかないのだ。

 それを国民は黙って受け入れさせられるのである。

 

 

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2008年08月18日

外交官人事に見る日本と中国の真剣度の違い


 外交官人事に見る日本と中国の真剣度の違い

 18日の各紙は高村外相の訪日を報じていた。

 どの報道も、楊外相との間で「ギョーザ問題の早期解明で一致した」、「捜査協力の強化で一致した」、などと報じていた。

 そんな中で東京新聞だけが、高村外相の訪中は「五輪観戦」が目的だった?」と書いていた。私はこの記事に注目した。

 私がここで言いたい事は、高村外相がギョーザ問題を話し合うために北京へ行ったのか、五輪観戦のために北京へ行ったのか、どちらが正しいか、を詮索する事ではない。

 この東京新聞の記事を通じて、日本と中国の外交に対する真剣度の違いを見るのだ。

 新華社は「高村外相は五輪観戦のために北京へ来た」と報じたという。戴国務委員は「五輪の試合観戦にわざわざおいでいただいたことを心から歓迎する」と述べたという。

 これら中国側の対応が、ギョーザ問題から世論の目をそらす周到な戦略から来ている事は明らかだ。

 これに対し外務省や高村外相はどう反応したのだろう。

 18日の各紙が報じるところによれば、高村外相は、外相会談の一方で、女子マラソンや女子レスリングを観戦し、日本オリンピック委員会主催のレセプションに出席し日本選手と歓談したりしている。

 ここに私は日本外交の甘さを見る。五輪観戦に来た、と宣伝される隙を与えている。

 私は今度の高村外相の訪中は、五輪観戦が目的の訪中では、もちろんなかったと思う。

 しかし同時にまた、高村外相はギョーザ問題の解決のために訪中したのではなかった。

 五輪期間中の高村外相訪中は以前から検討されていたに違いない。

 そんな中で、読売新聞のスクープによってギョーザ事件隠蔽問題が発覚した。

 あわてた外務省は、国内世論対策のためにギョーザ問題で訪中するかのごとく発表したのだ。

 いつものようなアリバイづくり、情報操作である。

 考えてみるがいい。

 少なくとも今まで報道されていた事が事実であるならば、五輪期間中にはギョーザ問題は凍結したいとする中国側の要請を受けて、これに理解を示し、事実を隠蔽しようとしたのが外務省だった。

 そしてその事がばれた後は、福田首相も高村外相も、外交的には当然の対応だ、五輪後に捜査を加速させる、と開き直ったかのような強弁をしている。

 そうだとすれば五輪期間中にギョーザ問題の解決のために訪中するなどは、自己矛盾なのである。

 今度の外相会談で意味があるとすれば、せいぜい、

 「日本国内の世論がうるさいので、五輪が終わったらひとつよろしくおねがいします。事実関係をなんらかの形で公表できなければ、世論や野党が納得しませんから」

  と陳情するくらいなのである。

  その程度の外相会談が、「ギョーザ早期解明で一致」、「捜査協力強化で一致」という見出しに見事に化けたのである。

  今度の外相会談の成果の有無も含め、すべては五輪が終わった後の中国側の出方で明らかにされる。私がギョーザ問題の進展は五輪後に注目すべきだと繰り返している理由がそこにある。

 このような彼我の外交力の違いを示す見事な記事を18日の毎日新聞「発信箱」に見つけたので、是非ともここで紹介しておきたい。

 「ブッシュ家と中国」と題して、北米総局の坂東賢治氏が次のように書いている。

  「・・・米中が対戦した10日の北京五輪バスケット会場。
   ブッシュ大統領と父親のブッシュ元大統領にはさまれて中国の楊外相が座り、観戦していた。
   ・・・74年ー75年に北京で国交正常化前の連絡事務所長をつとめた父ブッシュ氏は鄧小平氏らと
   親交を持った。
     中国は77年に公職を離れた父ブッシュ氏を招待し、異例のチベット入りを認めた。
   その時の通訳が、(当時)まだ20歳の楊氏だった。
     寅年生まれの楊氏は「タイガー・ヤン」と呼ばれ、ブッシュ一行から可愛がられた。
   その後、鄧氏の通訳や米国大使館勤務を重ねながら、ブッシュ家との関係を深める。
     先代ブッシュ政権下には中国政府の密使役となり、ホワイトハウスの住居部分に潜入した事もあったという。
    01年に現ブッシュ政権が誕生すると駐米大使に就任し、ブッシュ大統領とも密接な関係を築い
   た・・・」

    ここまで述べてきた後で、坂東記者は次のような強烈な言葉でその記事をしめくくるのである。

   「・・・ブッシュ大統領は小泉純一郎元首相を『最も親しい友人の一人』と強調していたが、楊氏の
    場合、こうした外交辞令とは別の次元の関係だ・・・(日本は米国の最大の同盟国と自分で宣伝    しているが、その)同盟国すら構築が難しい「特別な関係」が(米国と中国の間に)存在すること
    は隣国としても抑えておくべきだ・・・」

   米国要人との個人的な関係をここまで築ける日本の外交官はただの一人もいない。
   外務省の「戦略なきトコロテン人事」では、決してこのような外交官を育成する事は出来ない。

    ましてや外交とはおよそ無縁な日本の政治家が、いきなり首相になってエルビスプレスリーの
   まねをしたからといって、ブッシュ大統領と個人的な朋友関係を結んだなどと喧伝するのは、あまり   にも悲しいジョークである。
    総理の座を離れたとたん、それが見事に剥がれ落ちている。小泉元首相と米国、ブッシュ大統    領の関係は、ものの見事に雲散霧消してしまっている。

    もったいない話だ。情けない話だ。

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2008年08月17日

許せばいい、と簡単に言ってしまってよいのか


 許せばいい、と簡単に言ってしまってよいのか

 人の過ちを許す事は、人間としての重要な美徳であるといわれている。

 人の批判ばかりする人間は心の貧しい者だとされる。

 人間は誰しも欠陥を持つ不完全な存在だ。批判するよりもその過ちを許してこそ人間だ。

 なによりも、その生き方こそ前向きな生き方だ、争いのない平和な生き方だ。

 世間の一般はそう言う。私も一般論としてはそれに異存はない。

 しかし、世の中には決して許してはならない事もある。

 その一つは権力者の弱者抑圧である。

 これだけは許してはならない。ブッシュの米国はそれを繰り返した。

  8月17日の産経新聞に見逃せない記事があった。

  ロサンゼルス支局長の松尾理也(みちや)という人が書いている「今も(ブッシュ)大統領を支持する人々」という評論である。

 彼はブッシュ大統領が「わが家」と呼ぶテキサス州中部の田舎町クロフォードを取材で訪れる。

 そしてそこで、今も変わらず「わが町の大統領」を支持し続ける「無知」で「善良」な人々がいることを知る。

 その一人であるマーフィー牧師の次の言葉を引用する。

 「8年の間にもちろん、ブッシュ氏は間違いを犯した。ほかのすべての人間と同じく。今になって批判する人もいるが、(しかし)私は非難するつもりはない」

 そして松尾氏は、その後に次のような批評家小林秀雄の言葉を紹介する。

 「・・・第二次世界大戦が終わり、戦争責任をめぐって世の中が右往左往していた時、批評家の小林秀雄は、『僕は無智だから反省なぞしない。利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか』と言い放った・・・」

  小林秀雄が自らを「無智」と言うところにおごりと卑劣さを感じる。

 もうおわかりであろう。

 松尾氏は、彼の評論の次の結論を導き出すために、マーフィー牧師や小林秀雄の言葉を巧みに利用したのだ。

 「・・・『利巧』な人々の間では、もはやブッシュ批判はあたりまえのような政治的意匠の一つでしかない。
    『無智』と見られたくないがゆえに、こぞってブッシュ批判の大合唱を繰り広げている感さえある。
 9・11直後のブッシュ大統領の支持率は90%を超えていたのだし、イラク戦争開戦直後も70%を超えていた。にもかかわらず、今、米メディアからはほとんど、ブッシュたたきの論調以外は聞こえてこない。
   そんな中で、もはや声高ではないにせよ、きっぱりとブッシュ大統領は『よくやった』という人間が存在するという事実。
   それは『無智』などではなく、米国社会の懐の深さを示すものだとはいえないだろうか・・・」

  このような情緒的な評論を平気でメディアという公器を通じて流す産経新聞は悪質である。

  久しぶりに強い怒りと不快感を覚えた。

  ブッシュの犯した人道にもとる罪は決して許されてはならない。どれだけの数の無辜の命がその権力犯罪の犠牲になったことか。末永く歴史に刻み込まなければならない権力者の犯罪である。

  そのブッシュ大統領を「正しい人だ」と根拠なく公言して追従した小泉元首相の罪は、さらに思い。

  日本の戦後史に残る汚点である。

  産経新聞の、この愚にもつかない評論は、ブッシュの戦争やそれに追随した小泉元首相を支持したメディアの、巧みな自己弁護に違いない。

  自らの責任追及を避けるための世論誘導である。

  「無智」な私を騙す事はできない。

  

 

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2008年08月17日

米大統領選挙の民主党政策綱領の中で、ついに核廃絶が公約される時代が来た


 米大統領選挙の民主党政策綱領の中で、ついに核廃絶が公約される時代が来た

 17日の各紙は、25日から開幕する米大統領選挙の民主党全国大会で採択される政策綱領の中に、「核兵器のない世界をめざす」と明記された事を報じている。

 この記事の重要性はいくら強調してもし過ぎる事はない。ついにこういう時代がやってきたのだ。

 この政策綱領を一番詳しく報じたのは毎日新聞であった。その原案(51ページ)を入手して次のように書いている。

 ・・・「米国は核兵器が存在する限り、強力で信頼性のある抑止力を維持する」とする一方、「核兵器への依存を減らし、究極的にすべての核兵器を廃絶する事で米国は安全になる」と指摘。米政府としてこの方針を各政策の中心課題に置き、「米国は具体的な行動を取る」と強調した・・・

 これは大統領選挙に向けた公約である。民主党が政権をとれば米国の政策になるべきものなのだ。

 いくら選挙のための政策綱領であっても、一国の総理が、「公約などたいしたものではない」などと言い放っても許される日本と米国は違う。

 政権をとった後でそれに反する事を公然と行なうようであれば、米国のメディアや国民は許さないであろう。

 私が政治家であれば、今すぐ米国へ飛んでいって、民主党の政策綱領起草者たちと話し合いを進めるだろう。

 民主党が政権を取った暁には、核廃絶に向けて、ともに世界に向けて行動を起こそうではないか、唯一の被爆国と唯一の核使用国が協力して、世界に核廃絶を訴えた時、誰もそれに反対できるはずはない、と。

 核廃絶が実現されても戦争はなくならない。

 核兵器が廃棄されても大量殺戮兵器は存在し続ける。

 そういう声が聞こえて来そうだ。

 しかしそれはためにする議論である。

 核廃絶が実現すれば世界の安全保障体制は一変する。

 軍縮に対する考え方が根本的に変わる。

 米国の核の傘に頼らざるを得ない、だから対米追従は仕方がない、などという発想が意味を成さなくなる。

 もし本当に核廃絶が出来たなら、間違いなく世界は変わる。

  日本も核武装すべきだなどと公言する政治家や、日米同盟は何にもまして日本外交の基軸である、などと、根拠なく言い続ける政治家には、私ははじめから期待はしていない。

 しかし、核兵器廃絶を唱え、護憲を叫んできた政治家たちに、私は問いたい。

 お題目を繰り返して事足れりとするのではなく、地球上から核を廃絶する事を本当に望んでいるのなら、今をおいて行動に出る時は他にはない。なぜ行動しないのか、と。

 いまこそ米国を動かして、核のない世界をつくる千載一遇のチャンスだ。

 日本の国内世論を動かし、アメリカや世界の核廃絶を願う市民に働きかける。

 その行動に政治家としての使命を果たす政治家が果たして一人でもこの国に出てくるか。

 私はそこに注目していきたい。

 それを行なおうとしない護憲政治家を私は一切信用しない。

 

 

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2008年08月17日

歴史的人物の正しい評価を求めて


 歴史的人物の正しい評価を求めて

 読者の皆さんはこういう経験をしたことがあるだろう。

 身近な人でも、歴史的な人でもいいのだが、自分が知っている、あるいは思い込んでいるその人の評価が、何かのきっかけで否定され、裏切られた思いにさせられた事を。

 日経新聞書評欄にある「彼らの第4コーナー」という連載の8月17日に、山本五十六のエピソードを見つけた。あの真珠湾攻撃の指揮をとった連合艦隊司令官の山本である。

 山本五十六に対する世間一般の評価は、当時の帝国軍人の中では傑出したものとされている。

 日独伊三国同盟に反対し、日米開戦に反対した、米国の事情に詳しく、米国からも評価されていた、などなど。

 もっとも、それを否定する様々な言説も専門家の間では語られているのであるが、史実に詳しくない一般の日本人の間では山本五十六は名将ということになっている。

 そう思って山本五十六を見てきた人にとっては、編集委員 井上亮氏の書いたこの記事は驚きであろう。私にとっても初めて知った興味あるエピソードであった。

 真珠湾の奇襲攻撃に成功を収めた山本五十六は、しかしその後の米軍との会戦でことごとく負けていく。そのきっかけとなったのがミッドウェー海戦の敗北だった。

 井上氏のその記事によれば、日米開戦の翌年の4月18日、日本近海に接近した米空母から発進した爆撃機から日本本土へのはじめての空襲が行なわれた。

 被害は軽微だったが、襲撃を受けた山本は米艦隊空母撃滅を期して、かねて構想していたミッドウェー作戦を軍令部の反対を押し切って実施する。

 私が驚いたエピソードはその時の山本五十六の次のような言動である。

 ・・・真珠湾攻撃で受けた傷がまだ深い米太平洋艦隊に対し、連合艦隊は戦力で圧倒していた。司令部は楽観的だった。しかし、(戦艦)大和艦上で参謀と将棋を指していた山本五十六に悲報が舞い込む。
  「敵艦上機の攻撃を受け、(戦艦)赤城被爆大にして総員退去」、
  「(戦艦)加賀、大火災」。
 暗号長が悲痛な声で次々と読み上げる空母の被害報告に、山本は「ほう、またやられたか」とつぶやき、将棋を指す手を止めなかった」
  この会戦で日本側は空母4隻と三千人の乗員を失った・・・

 井上氏の書くこのようなエピソードが史実であるかどうかは私は知らない。

 しかしもしこれが史実であるならば、やはりあの戦争は愚将たちによる間違った戦争であった事になる。

 自らを高みにおいて国民や兵士に不必要な苦痛を強いた裏切りの戦争であったということだ。

 毎年迎える終戦記念日(敗戦記念日)において、平和の決意を新たにするのは重要な事だ。

 しかし、より重要な事は、多大な犠牲を双方の国民に強いる戦争が、指導者のどのような覚悟で行なわれたものであったか、その真実を知ることだ。

 それは今日の国民いじめの政治にも通じるものがある。

 我々の知らない事、知らされていない事は、まだまだ山ほどある。

 

 

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2008年08月16日

 米国の情報公開の凄さ


 米国の情報公開の凄さ

 16日の読売新聞に、14日米中央情報局が、その前身である米戦略情報局(第二次大戦中に設立)のスパイリストを公開した、という記事を見つけた。

 米国立公文書館で公開されたそのリストの中には、約2万4000人の名前が列挙されており、アカデミー賞を受賞したジョン・フォード監督をはじめ、野球選手、俳優、最高裁判事、歴史学者、元大統領の子息など、有名人の名前が多数含まれているという。

 さすがに、CIAが名前の公開を容認したことに不満の声が上がっているらしい。

 また、ブッシュ大統領はイラク攻撃をめぐる不都合な情報を隠すために、情報公開を一部制限するという動きを見せ始めた。

 しかし、少なくとも今日までの米国の情報公開に対する姿勢は見事である。

 問題はそのような公開された情報の中から、日本にとって重要なものを見つけ出し、それを我々日本国民に伝える役割を、誰が果たしてくれるかである。

 これまでにも、学者やジャーナリストの手により、我々がそう思い込まされていた歴史的「事実」の嘘が、断片的に明らかにされてきた。

 たとえば沖縄密約がそれである。日本政府は今でもその存在を否定し続けるが、米国立公文書館による極秘資料の公開で、密約の存在は確認された。

 誰かが、米国の公開情報を体系的、組織的に読み解いていかねばならない。

 そう思っていたら、そのような人を見つけた。

 8月12日の朝日新聞「ひと」欄で、米外交文書発掘の実践マニュアル本ーアメリカ国立公文書館徹底ガイド(凱風社)-を出版した仲本和彦さん(43)という人が紹介されていた。

 沖縄の英語教師であった仲本さんは、留学先の米国の大学院で公文書の管理を学び、人生が一転する。

 米国に残り、沖縄県の公文書専門員として9年間、米軍の沖縄統治の資料を収集してきたという。

 彼が集めた沖縄関係文書の資料目録だけでも2000ページになったという。

 彼は言う。

 「・・・米国立公文書館は現代史の宝の山である・・・(しかし)書架の長さにして210キロという文書の量に圧倒されて、たいていの人は途方にくれてしまう・・・鉱脈を探し当てて、その地図を描き、あとから来る人に知らせるのが役目なのです・・・」

 彼の残した業績が、後につづく人たちに受け継がれなければあんらない。

 彼の作ったマニュアル本を活用して、これからの学者やジャーナリストが、どんどんと新しい史実を発見し、我々の前に公開してくれる事を、期待したい。

 

 

 

 

 

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2008年08月15日

なぜ日本人の国連職員は増えないのか


 なぜ日本人の国連職員は増えないのか

 15日の毎日新聞に、「国連職員増員作戦」と言う見出しの記事があった。

 国連への拠出金や人口規模から見て、日本人の国連職員数は少なく、外務省が人材確保に躍起になっている、という記事である。

 昔から言われてきた事である。そしていつまでたっても変わらない現状である。

 なぜ国連職員は日本人に人気がないのか。

 それは国連職員になるためには高学歴と語学力が求められるからだ。

 国連職員になるには単なる学卒ではまず受け入れられない。修士はおろか博士の学歴を持った職員ばかりである。

 その上に語学力が求められる。多くの国連職員は複数の語学力を有する。

 しかもその語学力を活かして口八丁、手八丁の活躍をしなければならない。日本人がもっとも不得手な事だ。

 そのような能力を持った日本人は決して多くはない。

 たとえいたとしても、そういう日本人は、国内で引き手あまただ。

 国連職員よりも魅力的なポストがいくらでもある。

 日本人の国連職員を増やし、国連に日本の存在感を高め、国連に影響力を持とうとするなら、本来ならば外務省職員をどんどん送り込めばいいのだ。それが外務省の仕事である。

 ところが外務省の職員からリクルートすることは、一般民間人からリクルートするよりももっと難しい。

 公務員試験を受かっただけで、国家権力に胡坐をかく外務省職員には、国連職員として使い物になる人物はまずいない。

 国連職員になって苦労するより外務省の中にいて、休まず、遅れず、働かず、といった生活をしていたほうがはるかに楽なのだ。

 しかも幹部国連職員のポストについては、キャリア官僚が、その能力とは関係なく、政治枠として送り込まれる。

 そのような外務官僚たちが、一般国民に対し国連職員になれと勧誘しているのだ。

 まるで説得力はない。

 要するに外務省は昔も今も、本気になって日本人の国連職員増員に取り組んでいないのだ。

 日本人の国連職員がいつまでたっても増えない理由がそこにある。

 

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2008年08月15日

 敗戦記念日における野坂昭如の言葉


 敗戦記念日における野坂昭如の言葉

  毎日新聞に隔週で連載されている野坂昭如の「七転び八起き」という随想がある。

  脳梗塞からのリハビリと戦いながら執筆活動を続けている、もうすぐ78歳になる野坂のその随筆は、淡々とした中にも、もはや人生において一切の虚飾を必要としない今の彼の覚悟が感じられて、読ませる随筆である。

  この事は以前このブログでも書いた。

  私が彼の随筆で一番強く感じるのは、野坂の反戦、平和への思いである。

  それは、平和主義者と称せられている現役の識者の誰の言葉よりも、私には強烈に感じられる。

  8月15日の「七転び八起き」もまた、それが感じられた。

  終戦記念日をあえて敗戦記念日と書く事にこだわるところも彼らしい。以下一部引用してここに紹介したい。

  因みに15日の各紙の社説はいずれも終戦記念日という言葉を使っていた。

 「・・・今日は8月15日。敗戦記念日である。8月に入ると突然、戦争反対の機運が高まる。この意味もよく判らないまま反戦を唱え、殊勝な面持ちの世間。それでもいい。意味は判らなくてもいい。殺し合いに反対するのに意味は要らない。
 8月15日よりも思い起こすべきは12月8日ではないか・・・いわゆる真珠湾攻撃。つまり12月8日は戦争が始まった日。
 日本は中国を侵略、かの地に日本の勢力を定着せしめようとしていた。だがその思惑は行き詰まっていた。その行き詰まりを打破したのが12月8日である。
 ハワイを攻撃することで天窓が開いた思いだった。当時の指導者たちは、軍の上層部、その他文化人、知識人も一緒になり好戦性をむき出しにした。
 これこそ、忘れてはいけない人間の本性である・・・
  反省すべき、または振り返るべきは、12月8日であろう。
  今日、敗戦の日に開戦の朝を思う。」

 

 

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2008年08月15日

グルジア戦争ですべてを失ったブッシュ大統領


 グルジア戦争ですべてを失ったブッシュ大統領

 15日の日経新聞は、13日ホワイトハウスでグルジア戦争に関する声明を発表するブッシュ大統領とライス国務長官の写真を掲載している。

 ブッシュ政権の末路を象徴するこれほど皮肉な写真はない。

 繰り返して私はこのブログで書くが、グルジア戦争は、最大の軍事覇権国家米国と、その米国に軍事的に対峙する軍事覇権国家ロシアの代理戦争である。

 どちらが正しい、どちらが悪い、などという議論はまったく無意味だ。

 悪しき指導者たちによって引き起こされた、およそ無益な絶対悪の戦争である。

 それにしてもブッシュ大統領は愚かだ。

  ブッシュ大統領の8年間は、イスラエル、ネオコンに引っ張られた誤った中東政策のため、イラク攻撃を始め、テロとの戦いを引き起こし、そして国際社会を分断させた。

 ブッシュ大統領の8年間はまた、グローバリズムと言う名の新自由主義によって内外に格差社会をつくり、行き過ぎた金融資本主義によって世界経済を不安定化させた。その末路がサブプライムローン問題の炸裂である。

 そして今度のグルジア戦争である。

 もしブッシュ大統領が冷戦後の安定した米ロ協力関係を構築できていたのなら、そこに一つの評価を認められたはずである。

 しかし、ブッシュ大統領は自らの手で、その可能性を閉ざした。それどころか「新たな冷戦」関係をつくってしまったのだ。

 これでブッシュ大統領の8年間は、文字通り評価すべき何物もない歴史的な不毛の8年間となった。

 それにしてもライス国務長官は無能だ。

 彼女はロシアの専門家ではなかったのか。ブッシュ大統領の教師ではなかったのか。

 ライス国務長官の虚像がついに白日の下に晒された。

 もはやすべての側近が去っていった裸の王様ブッシュ大統領に、最後まで忠誠を尽くした、ただの無能な追従者でしかなかったということだ。

  そんなブッシュ大統領を正しいと叫び、日本をブッシュ大統領の米国に売りわたして国民を塗炭の苦しみに突き落とした小泉元首相の責任を、今こそ我々は追及しなければならないのだ。

  その追求を恐れて小泉元首相は政策を語らないのだと思う。

  にわかボーリング愛好家になってごまかそうとしているに違いない。

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2008年08月14日

無駄を無くすということの本当の意味


 無駄を無くすということの本当の意味

  増税をする前にまず無駄を無くせと言う声が最近やたらにメディアに流れる。

  最近はその事が野党からだけではなく政府からも聞こえてくる。

  もちろん政府は増税を行なうために、無駄を無くしたというアリバイづくりをしようとしているのだ。

  しかし、野党民主党でさえも、無駄を無くしても増税は避けられないと言う。

  天下の朝日新聞までも増税論を展開するようになった。

  そのために政府と同じようにその社説でまず無駄を無くせと主張してみたりする。

  いいだろう。無駄を無くすという事に異存はない。

  しかし問題は無駄を無くす事の本当の意味である。

  居酒屋タクシーや談合や多くの天下り組織などは、明らかな無駄である。

  しかし、そのような誰の目にも明らかな無駄を少しばかり無くしてみたところで、膨大な財政赤字を減らす事はおぼつかない。

  あれだけ改革を叫んだ小泉政権の5年半でさえ、赤字を減らす事ができなかったばかりか、増え続けたのだ。

  その一方で国民の負担だけが一気に加重されていった。

  要するに無駄な政府だったのだ。役に立たない事をやっていながら国民の税金を使い続けたのだ。

  もはや本気で財政赤字を減らすつもりなら、普通のことをやっていてはおぼつかない。

  真っ先に切り捨てるべきは政府と官僚の仕事である。

  その好例を示す記事を8月11日の日経新聞に見つけた。

  まったく用済みの法律が、国民の知らないところでごろごろと存在している。予算を無駄遣いし続けている。

 たとえば1992年に施行された国会等移転法である。90年代に盛り上がった首都機能移転と、それにともなって作られたこの法律は、移転騒ぎの最中にも官邸や省庁の庁舎が東京のど真ん中にどんどんと建て替えられるほどの、いかさまな法律であったが、首都移転などとっくに忘れ去られた今でも存続し、国土交通省は2億円の予算を担当部局の維持やニュースレター発行などに毎年空費しているという。

 1946年に施行された物価統制令が今でも残っているという。しかしこの法律にもとづいて政府が価格統制しているのは公衆浴場(銭湯)の入浴料だけであるという。銭湯は現在全国に約6300あるらしいが、都道府県は毎年、様々な調査を実施し、学識経験者などの意見を聞いて料金の上限を決めているという。
 生活必需品の値上げが広がる中で、なぜ銭湯だけが保護されているのか。国民の殆どが風呂やシャワーあり住宅に住んでいるというのにである。

 官民一体で滞在型観光地を整備しようと作られた総合保養地域整備法(リゾート法)も即刻廃止さるべき法律だ。現在同法を所轄する国交省の仕事は、事業を廃止する自治体の申請内容を審査すという後始末だけである。そんな無駄な仕事ははやく終わらせtれリゾート法を一日もはやく廃止すべきだ。

 このような不合理は探せば山ほど出てくるに違いない。

 知れば知るほど最大の無駄は政府と官僚の仕事ぶりであることがわかる。

  無駄を無くすということの本当の意味は政府や国会議員、官僚を革命的に減らす事である。

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2008年08月13日

勢古浩璽と渡辺清をつなぐもの

 勢古浩璽と渡辺清をつなぐもの

 人間が短い一生のうちでめぐり合う人は実に限られたものであるに違いない。

 しかし書物などを通じ、一生顔をあわせることがない人たちと時空を超えて接する事を含めれば少しはその交友範囲を広げられることはできる。

 それを楽しむのは人間だけがもつ特権であるに違いない。

 私が勢古浩璽という人物を知ったのはたまたま本屋で見つけて購入した「結論で人生論を読む」(草思社)という本がきっかけであった。

 そのあとがきに「順風満帆な人生には人生論なんかまったく必要ない。『人生とはなにか?』、『生きるとはなにか?』などという問いかけが浮かぶはずもないからである。え?君たちは楽しくないの?とかいわれて終わりである。耐える人、報われない人、失意の人、に人生論がやってくる・・・」という言葉を見つけた。おもわず苦笑して、それにつられて本を買ってしまった。

 勢古が私と同じ1947年生まれであることにも関心を持つ。しかし私がもっとも興味を持つのは、ただのサラリーマンであった彼が、「私の人生論」などという本を書いて評論家、作家としてよく生計を立てられるなあという事だ。彼は実に多くの著作を世に出している。

 その勢古浩璽が11日の産経新聞に書評を書いているのを偶然見つけた。それは渡辺清著の「砕かれた神」(岩波現代新書)という本の書評である。

 「本書を知ったのはほんの数ヶ月前である。ある必要から読んだのだが、読後、しばし呆然としてしまった。こんな人がいたのか・・・」という書き出しから始まるその書評は、私の興味を惹きつけた。

 天皇に対する純粋無垢の信奉から16歳で海軍に志願し、戦艦武蔵に乗り込みマリアナ、レイテ沖開戦を経て武蔵沈没に際しても奇跡的に生還した渡辺清という帝国軍人渡辺清。

 「砕かれた神」という書は、その渡辺が、戦争責任を一切語らず、一夜にして人間に豹変した「神」に裏切られた思いをつづった書であるという。

 勢古はその書評の中でこう書いている。

 ・・・圧巻は、天皇から貸与・支給されたすべての品物と俸給を返上するくだりである。その辺納品リストが7ページにわたって列挙されている。4等水兵ー6円20銭(月額俸給)からはじまって、軍衣、軍袴、靴下一枚に至るまで延々と書き連ね、最後にこう記している。

 「以上が、私がアナタの海軍服役中、アナタから受けた金品のすべてです。総額4,281円、05銭になりますので、端数を切り上げて4,282円をここにお返しします。お受け取り下さい。私は、これでアナタにもうなんお借りもありません」

 このような「砕かれた神」を書いた渡辺清(1925-81)。

 その渡辺の書を読んで、「私が震撼したのは著者の天皇に対する純粋無垢の信奉と、戦後、その「神」から裏切られた事への憤怒である・・・渡辺清が稀有なのは天皇崇拝に洗脳された自分自身の責任をもまた問い返した事である・・・これほど誠実で率直な内省の記録はめったにあるものではない・・・」と絶賛する勢古浩璽(1947-)。

 その勢古浩璽の評論に興味を持つ私。

 しばし猛暑を忘れて時空を超えた交流を楽しむ。

 

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2008年08月13日

外務省を悩ます拉致問題と中国ギョーザ問題

 外務省を悩ます拉致問題と中国ギョーザ問題

  いまや拉致問題と中国ギョーザ問題は外務省を悩ませている最も厄介な二大懸案となった。

  本来ならば、なすべきもっと重要な外交は山ほどある。

  しかし、国内政治の大きな懸案になってしまったこれら二つの懸案について、それを如何に軟着陸させて、時の政権を守るか、が、他のどの問題よりも重要になった。

  それは決して拉致被害者家族や消費者のためではない。外務官僚の保身のために、である。

  しかもそのような窮地に自らを追い込んだのは、他でもない。外務官僚自身の稚拙な外交による自業自得なのだ。

  斎木昭隆アジア大洋州局長が特別に悪いわけではない。それは田中均から始まって藪中、佐々江と続く歴代の外務官僚の責任を受け継いでいるに過ぎない。

  斎木アジア太平洋局長が特段優れているわけではない。彼もまた保身に凝り固まった一人の凡庸な外務官僚に過ぎなかったというだけの事だ。

  そしてそのような、名前や顔は変わっても、その内容は金太郎飴のように同質な外務官僚が、外務省のトップを占め、外務省を動かし続けてきたという現実こそ、外務省の閉塞さがある。甘さがある。

 拉致問題については、もはや多くを語るつもりはない。

 本来ならば、「拉致被害者を帰せ」と要求すればいいだけの、圧倒的に強い立場にある日本が、誰が見ても不誠実な北朝鮮の対応に譲歩を重ね、意味のない交渉を数年間も続けてきた。この倒錯した現実を指摘するだけでいい。

 いま目の前で繰り返されている「交渉」は外交交渉ではない。国民に対し「やるだけやったがどうにもならなかった」という最終幕に向かっての壮大なアリバイ作りでしかない。

  拉致問題交渉は、小泉元首相の二回目の訪朝の際、これ以上北朝鮮を追及するのなら首脳会談を中止すると言って席を立とうとした金正日総書記に対し、小泉首相がすがって引き止めた、その時点で勝負がついていた。

 独裁者金正日にとって交渉決裂は痛くも痒くもない。しかし日本の指導者にとっては政治的死を意味する。国民の手前何があっても決裂させる事は出来ないのだ。

 その後につづく交渉は、壮大な芝居である。

 それが言いすぎなら、北朝鮮と一緒になって日本国民を騙そうとする共同作業だ。

 拉致問題についてはこれ以上書かなくてもいいだろう。

 今日のブログの目的は、中国ギョーザ問題についての今後の見所についてである。

  13日の各紙が一斉にギョーザ事件の外務省説明を載せていた。

 民主党のギョーザ問題対策本部が外務省に経緯説明を求めた事に対する外務官僚のはじめての公式返答である。

 その意味で民主党は野党としての仕事を果たしている。政治が動かなければ、官僚は決して動かない。官僚を動かす事ができるのは政治家しかいない。

  しかし民主党に注文がある。隠蔽、隠蔽と声高に批判してはいけない。

 もっと静かに、しかしもっと本質をついて外務省を追い詰めることである。福田首相に迫るべきである。

 12日になされた外務省と福田首相の発言で注目すべきは次の一点である。

 すなわち外務省も福田首相も、公表しないと判断した責任は誰にあるのか、そして公表しなかった本当の理由、という最も重要な質問をたくみにごまかしている。

 この事をもっとも正確に伝えているのは読売新聞であった。

 すなわち質問に答えた小原参事官は高村外相や福田首相には秘書官を通じ間接的に伝えただけであった事を明らかにした。そしてそれで「公表しない方針は了承されたと認識した」と答えている。

 実はこれこそが外務官僚の仕事のやり方の無責任さである。

 私が外務省にいた時に頻繁に見られた仕事のずさんさである。

 つまり外務省幹部は直接に外相や総理のところへ飛んでいって、あるいは急遽首脳会談を行なって方針を決める事をしないのである。

 総理や外相は確かに忙しい。しかしそれを口実に、紙切れ一枚を秘書官に送りつけ、後は秘書官に任せたといって済ませるのである。

 実際は肝心の話が総理や外相に伝わらないことが多い。

 その事で後で大きな問題になることが頻繁に繰り返されていた。

 総理や外相が怒り狂う事があった。

 しかしそれは内部の醜態だ。だから決して外には明かされることはない。

 今度の情報については、それが秘書官を通じ福田首相や高村外相の耳に入っていたのかもしれない。

 しかしもし入っていて、それで特段の反応を見せずに終わっていたとすれば、それはそれで大きな問題なのである。

 これほどの重要な問題についてまともな議論をすることなく、斎木局長の判断ですべてが動いたことになる。

 当然のことながら中国政府とのやり取りはなかったという事だ。中国の通報を受け取っただけで終わったと言うことである。

 もし福田首相や高村外相が何の指示も出さなかったとしたら、中国側に早く調査を進めて解明を求めた、という事は嘘だったということになる。

 我々が今後徹底して追及しなければならないのは、過去のことではない。隠蔽の有無ではない。

 将来の早い段階で調査結果が公表されるかどうかである。

 福田首相は公表しなかった理由として、「公表して捜査に支障があった場合は、真相が解明されないということだから、日本国民に対して申し訳ないことだ」と開き直った発言をした。

 その言をメディアはよく覚えておくが言い。

 北京五輪が終わったら福田首相は中国に調査結果を急ぐ事を求め、その結果を公表するよう求めなければならない。

 ここまで明らかになったのだからもはや隠す事は許されない。

 原因を突き止め、事故か犯罪かを明らかにし、その責任者を処罰し、そして再発防止の為の策を講じる、そして被害者に対し謝罪と正統な賠償を行なう、

 ここに至ってはじめて中国ギョーザ事件が終わったという事になる。

 メディアはそこまで見届けなければならない。そしてそれを国民に伝えなければならない。

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2008年08月12日

グルジアのサーカシビリ大統領はくわせもの


 グルジアの大統領はくわせもの


  繰り返して何度も書くが、南オセチア紛争を止められない世界の指導者たちは、等しく責任を感じなくてはならない。

  その最大の責任者は米国とロシアの指導者である。

  しかし私はグルジアのサーカシビリ大統領こそ平和の敵であると考える。

 12日の毎日新聞は、今回の軍事衝突の発端はグルジア軍による南オセチア侵攻が発端だったと書いている。

 また、圧倒的に軍事力でロシアに劣勢なグルジアが、米国の了解なくして攻撃出来るはずはないという認識が共有されていると書いている。

 アフガンのカルザイもそうであるが外国メディアの前で自国語をしゃべらず流暢なアメリカ語を話す奴にろくなものはいない。

 そう思っていたら、12日の読売新聞はグルジアが米英についで一番多くの兵士をイラクに送っていたと書いていた。

 海外の報道ではイスラエルがグルジアに軍事協力をしている事も明らかにしている。

 ようするにサーカシベリは自分の権力保持のためグルジア市民の命を犠牲にしているという事だ。

 どいつもこいつも、軍事力を平気でつかうとんでもない指導者だ。

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2008年08月12日

柔道は仕事、持って行く物は柔道着


 柔道は仕事。持っていく物は柔道着

 12日の東京新聞の中で、いい言葉を見つけた。

 高橋広史という記者が「北京ノート」というスポーツコラムで五輪報告を書いている。

 新聞記者といえば何事にも精通していると思いがちだ。しかしだれでも仕事始めは無からスタートする。何もわからないままにとにかく記事を書かなくてはいけない。

 この記者もおそらくそういう中で五輪取材を始めたに違いない。みずから「柔道がメーン担当ではない」と認めているくらいだ。

 「つかみどころがなかった。柔道男子66キロ級の内柴正人に初めて接したのは、約一ヶ月前の国内合宿だった・・・」という短い文章から始まるこのコラムは、しかし、アテネ五輪の立派な報道になっていた。

 それどころか、日本選手金メダル第一号となった内柴正人選手の次のような言葉を紹介しているこのコラムは、今日の各紙の五輪報告のなかで、私がもっとも惹きつけられた記事であった。

 「北京に持っていく物をたずねると『柔道着』と平然と答える。人を食っているというか、正直というか。ただ、勝てずに苦しんだこの4年間について質問が飛んだ時の真顔が印象に残っている。
 『正直きつかった。建設業の父も自分で会社を興して、やりたくない仕事をやり、頭を下げたくない人にも下げて、今がある。僕は柔道を仕事としている・・・』・・・」

  私がこの言葉に惹かれたのは個人的な思いがあるからだ。

 大学に入ったばかりの頃、私は何もせずに非生産的な毎日を送っていた。

 暇にまかせて自動車免許をとりに教習所通いを始めた時のことだった。

 運転する当ても自動車を買う金もなかったが、いずれ必要になるだろうからと思って通い始めた。というよりも、する事がない中での時間つぶしだったというほうがより正確だった。

 ある時、自動車の中にかばんを忘れて帰ろうとして教師に呼び止められた。

 年配のその教師が私に言った言葉は、「学生さん、商売道具を忘れてはいけないよ」というものだった。

 その時私は、学生の身分である恵まれた自分と、働かずに毎日を空費する恥ずべき自分との間で、複雑な思いを抱いた事を覚えている。

 「そうか、勉学は学生の仕事なのか。人が汗水たらして働いている時に、働かずに大きな顔をして生きていけるのは学生の特権だ。しかし勉強をしない学生は学生の身分に甘えるただの非生産者でしかない、と」

 私の学生生活は、それ以来少しは勉強するようになった。学生らしくなった。

 

 
 
  

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2008年08月11日

まともな市民であれば誰も戦争など望まない


 まともな市民であれば誰も戦争など望まない

  10日のブログで私は書いた。

  胡錦涛に政治的器量があるのなら、世界が注目している北京五輪の場で、グルジアの即時停戦がなされるまですべての競技を中止しようと、呼びかけてみたらどうか、と。

  およそすべての戦争は指導者の政治的思惑なら引き起こされる。まともな市民なら戦争に賛成する者はいるはずがない、と。

  そのf二つを見事に世界に訴えたアスリートがいた。

  女子射撃エアピストルで銀メダルをとったロシアのナタリア・パデリナ(32)と銅メダルをとったグルジアのニーノ・サルクワゼ(39)だ。

  戦闘が激化している国同士の選手が表彰式の後、互いに歩み寄って抱き合った。そして報道陣の前でこう言ったという。

 「何事も私たちの友情は壊せない」

 「戦争を起こすのも止めるのも政治家。話し合って欲しい」、と。

 さらに記者から「彼らはあなたたちに学ぶべきだ」と声をかけられると

 「それができていれば戦争は起きない」と答えたという。

 同じ11日の新聞で、グルジアのサーカシビリ大統領は、政権基盤を強化するために攻撃をしかけた、欧米諸国の支持を期待し、また軍事力で圧倒的に有利なロシアが独立派支援のために軍事介入すればロシアへの国際非難が高まるだろうと計算して電撃攻撃したが、いずれも思惑が外れた、という記事があった(読売)。

 その一方でブッシュ大統領は、父や娘を引き連れて中国滞在を楽しみ、スポーツ観戦に興じ、その合い間に即時停戦と和解をよびかけたりしている。

 世界の反対を押し切ってイラク攻撃を始めた男が、そんなことを言っても説得力はない。

 プーチンはプーチンで、犠牲者が出ようとも軍事介入を止める気配はない。

  まさしく戦争は愚かな指導者によって引き起こされるのだ。

  誰も彼らの大量殺戮を罰せられないところに世の中の不条理がある。

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2008年08月11日

ギョーザ問題の正しい解決はありえない


 ギョーザ問題の正しい解決はありえない

 ギョーザ問題に関する中国側の通報を国民に隠蔽していた事が読売新聞のスクープで明らかになった。

 私は8日のブログで、その事に触れ、隠蔽批判は事実関係の判明をまって行なうべきだ、それより重要な事は、真相究明と責任者の処罰について、日中両政府が協力してそれを行なうべきだ、その事を福田首相は胡錦涛主席に毅然として申し入れることだ、と書いた。

 どうやらそのような期待は見事に裏切られる事になりそうだ。

 見ているがいい。政府、外務省は自らの仕事振りを国民にアピールするアリバイ外交に終始し、中国政府に対する申し入れなどは望むべくもなさそうだ。

 私がそう確信するのは11日の毎日新聞は「読む政治」という特集記事を読んだからだ。

 この毎日新聞の特集記事は、中国側からの通報を日本政府が一ヶ月も隠蔽していた事件の真相を見事に探り当てている。ジャーナリズム魂を感じさせる秀逸な特集記事である。

 その内容が事実であるという保証はもちろんない。

 しかしかつての同僚の顔を思い浮かべながらその記事を読んだ私には、そこに書かれている事は限りなく真実に近いと思うのだ。

 いずれ公表される外務省発の説明は、例によってたくみに嘘がちりばめられている。

 そんな説明よりも、この毎日新聞の記事のほうがはるかに真実に迫っていると思う。

 それを読むと、まず、福田首相が如何に情報不足であったかがわかる。

 そしてそれにもかかわらず、外務官僚を怒鳴りつけるでもなく、胡錦涛主席との首脳会談でも外務官僚の振り付けどおりにしか動かなかったかがわかる。

 せの責任者は高村外相である。これは私の体験から言える事なのだが、高村正彦という政治家は、実に外務省に忠実な政治家なのである。外務官僚の代弁者のような政治家なのであある。さぞかし外務官僚は高村外相の留任を喜んだに違いない。

 毎日新聞の特集記事の中の注目点をさらにいくつかピックアップしてみたい。

 福田首相が中国側からの通報があったことを初めて知ったのは、ザ・ウインザーホテル洞爺での胡錦涛主席との会談30分前に行なわれた、外務官僚らとの打ち合わせだったという。

 一週間も前に中国外交部から外務省に「正式な外交ルート」で知らされていたにもかかわらずである。

  注目すべきは中国側の通報の内容である。

 それは、中国でも発生していた被害者は4人、発生時期や場所まで特定した具体的な内容であったという。毒物混入も中国内で行なわれたことがほぼ確実となる重要な捜査情報だったという。

 中国が国内の捜査情報を他国に知らせるのは異例である。しかも中国側は一旦は混入場所を日本だと主張していた。メンツまるつぶれである。

 それにもかかわらず日本に通報したのは、福田首相との信頼関係を重視する胡主席のトップ決断だったという。

 その政治決断を、外務官僚が直ちに福田首相に通報することなく握りつぶしていたのだ。

 驚くべきは公表に対する外務省の対応振りである。

 「外交ルートで来た情報なので表には出せない」、「捜査中の中国の意向を尊重するのは当然」(外務省幹部)などとと勝手に決め込んで、官邸と警察庁にしか知らせなかった。

 しかも隠蔽に走った。

 外務省はさぞかし新聞スクープにあわてたに違いない。

 それでも、6日午後5時の記者会見で、町村官房長官に「コメントはしない」と言わせて隠蔽を続けようとした。

 ところが中国側は異例の速さで日本の報道機関に事実関係を認めていた。

 あわてた外務省は中国側に「問い合わせに答えていいのか」と確認し、中国側の返答をまって公表した。

 しかも総理の代弁者である町村官房長官が外務省の振り付けどおり「コメントできない」とバカ正直にしゃべらされている、その時に、外務省の木っ端役人(報道官)が記者会見で、手のひらを返して公表していたのである。

 こりゃあダメだ。

 日本外交は救いようがない。

 そんな外務官僚の言いなりになっている政治家はもっと救いがたい

 

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2008年08月10日

調査報道に私財を提供する人たちがいる米国の偉大さ

 調査報道に私財を提供する人たちがいる米国の偉大さ

  皆さんはリクルート事件を覚えているだろうか。

  1988年に発覚した戦後最大級の一大疑獄事件である。

  値上がり確実のリクルートコスモス社の未公開株が、江副浩正会長から政・官・財・メディアなどにばら撒かれ、この国の支配階級がその地位を利用して錬金術に奔走していたという醜態が白日の下に晒された事件である。

  その後日本の政治は大きく変わることになる。

  この事件が発覚したきっかけは、朝日新聞横浜支局社会部の調査報道であった。

 一新聞の調査報道がここまで世の中に影響を与えたのである。

 しかし、その後なぜか良質の調査報道は見られなくなった。

 今日では大手新聞は政府の広報役を担っているかのごとくである。

 そんな日本の報道の現状に衝撃を与えるような記事を見つけた。

 8月5日の朝日新聞の特集記事がそれである。

 その記事は、最近米国で、調査報道に取り組む非営利組織が次々と立ち上がり、新たな調査報道の担い手として目立つ成果を挙げ始めた事を紹介している。

 たとえばその一つとして昨年10月にニューヨークで旗揚げした非営利の報道機関「プロパブリカ」というのがある。

 カリフォルニアの資産家夫妻が向こう3年間にわたり、年千万ドル(約10億円あまり)を寄付してできた組織であるという。

 「市民への裏切り、権力濫用、弱者からの搾取に焦点をあて、独自報道に取り組む」事が目的であるという。

 予想をはるかに上回る1200人もの求職者が殺到。中には、ピューリッツアー賞を受賞した報道にかかわった記者や編集者もいるという。

 主筆はウォールストリート・ジャーナルの編集長を16年間つとめたポール・スタイガー氏だ。

 そのスタイガー氏は語る。

 「ネット時代になって『意見』の情報源は豊かになったが『事実』の情報源が縮小している・・・」と。

 その通りだ。

 ネットの世界では、このブログを含め、意見や評論は山ほどある。

 しかし百の意見より一つの事実の発見こそ、重要なのである。

 05年にスタートしたカリフォルニア州の「サンディエゴの声」もそんな調査報道の非営利組織だ。

 その「サンディエゴの声」がサンディエゴ市警察本部長の答弁の嘘を暴いた。

 本部長が議会発表した犯罪統計では治安がよくなったように見えたが、実際は逆だった。

 記者は情報公開制度を使って直接にナマの犯罪発生統計を入手し、答弁の嘘を証明したという。

 米国が羨ましい。

 調査報道の重要性を認識し、それを行なう者達に私財を惜しみなく寄付する篤志家があらわれる国。

 「地を這ってでも調査報道を発信する」と言って、優秀な記者がどんどんと集まってくる国。

 「新聞社が縮小し始め、調査報道が減る中、ジャーナリズムが公の仕事であることに、オペラやホームレスにお金を寄付してきた人たちが気づき始めた。私たちは、新しい調査報道をつくることができる」

 そう断言する30歳の編集者の声がまぶしい。

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2008年08月10日

戦争に対してあまりにも無力な国際社会


 戦争に対してあまりにも無力な国際社会

  世界の首脳が平和の祭典を祝っている時にグルジアで紛れもない戦争がはじまった。

  それにもかかわらず誰もそれを止められない。

 世界を動かすブッシュもプーチンも、平和の祭典を主催する胡錦涛も、無力である。

 国連安保理は停戦決議すら成立させる事が出来ず、事務総長の姿はまったく見えない。

 この事は、21世紀の今日においても、国際社会は戦争を回避することができないという現実を我々に突きつけた。

 事態は極めて深刻である。

 しかし、だから平和主義は無力だ、軍事力は必要だ、憲法9条は改めるべきだ、と考えるのは、大きな間違いである。

  軍事力を持つからこそ戦争が起こるのだ。紛争を平和的に解決しようとせず安易に軍事力に訴える事になるのだ。

  軍事力に訴えるから相手に負けない軍事力を持とうとする。その結果米国、ロシアの軍事的対立の構図が冷戦後も変わることなく続き、いまやそれに中国が急速に仲間入りをしつつある。

  あらゆる戦争は彼らの代理戦争になっていく。 

 日本が軍事力を少しばかり強化してみたところでどうにもならないのだ。

 日本の憲法9条の先駆性は、いまこそ、その正統性を持つ。

 今度の戦争は民族紛争、国家分離紛争が原因であると言われている。それはその通りだろう。

  しかし、民族紛争、国家紛争のすべてが、そのまま戦争に繋がる事は決してない。それどころか戦争に繋がらない紛争のほうが圧倒的に多い。

  およそあらゆる戦争は、指導者の政治的思惑で起こされるものなのである。

  今度の戦争も、親米化を急ぐグルジアのサーカシビリ大統領と、それを許さないロシアのメドベージェフ大統領(プーチン首相)の政治的思惑で引き起こされたものである。

  そしてその遠因は、冷戦後もなおロシアを包囲しようとする米国の敵対政策がある。

 東京新聞をのぞく今日のすべての各紙はこの問題を取り上げている。こぞって関係者すべて自制を求めている。

 しかし真っ先に和平に向けて動かなければならないのは米国とロシアの指導者だ。

 もし中国の胡錦涛主席が、「グルジアの戦争が停止されない間は五輪のあらゆる競技を停止する」、と呼びかけたらどうだろう。

 間違いなく世界はそれを歓迎する。戦争は停戦となる。

 残念ながらそこまでの器量は中国にはいまだ持ち得ない。

 どうしたら世界から戦争をなくすことが出来るか。

 それはわからない。

 しかし一つのヒントはある。

 世界の多くの国に勤務してきて確信するのは、戦争に賛成する一般市民などいるはずはない、ということだ。

 指導者が政治的に正しく振る舞い、決して紛争を戦争にさせない、という決意があれば、戦争は起こらないのだ。

 そのような指導者を一般国民が選べるような政治体制の国が一つでも増えれば、戦争の可能性は少なくなる。

 世界の国民が手を繋ぐことだ。手を繋いで戦争を始める指導者を選ばない事だ。

 その中心に日本の憲法9条の精神がある。

 日本の政治指導者の中から、憲法9条を世界に広めようと本気で行動する人物が生まれてこない事が残念でならない。

 

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2008年08月09日

小泉新党が動き出すという、冗談のようで、冗談ではないかも知れない話


 小泉新党が動き出すという、冗談のようで、冗談ではないかもしれない話

  どうせたいした話を書いているわけではないのだから格好をつけるわけではないが、政局を書くのは気が進まない。

  なぜか政局の事を書くと文章が卑しくなっていく気がする。書いている自分が嫌になる。

  そう言いながら書きたくなる。所詮は根性が卑しいのだ。

  わが愛読紙の8月9日の日刊ゲンダイに小泉新党が動き出すという記事があった。

  福田自民党に切り捨てられ、出番のなくなった小池百合子や中川秀直などが、このままでは腹の虫がおさまらない、というのだ。その気持ちはわかる。

  自民党総裁選に小池百合子を押し立てて頑張る。それでだめなら自民党を離れて新党で次回選挙を戦う、という。

  私は福田首相が内閣改造を行なった8月1日のブログで、小泉政治が終焉した、だからこのブログも役割も終わった、と書いた。

  それの思いは今でも変わらない。今更小泉改革でもないだろう。

  これからの政局は、不況と生活苦を前にして怒る国民をどうなだめるか、という事を中心に回っていく。

 自民党と民主党のどちの政策が国民にアピールするか、それを競い合う選挙になる。

  小泉元首相は政策を語る能力はない。彼が無責任な事を好き放題語れたのも、首相と言う権力を握っていたからだ。その権力をためらいなく振りかざしたからだ。

  権力を手放した無能な政局の政治家と、やはり政局をあやつって生き延びてきた小池百合子や中川秀直などが、そしてそれに武部や竹中が集まってきても、もはやまともな国民は相手にしないと思う。

  しかし、それは常識的な考えだ。

  政治には常識は通用しない。今の国民は常識では考えられない反応を示す。

  私は小泉新党は次の理由で、ひょっとしたら動き出すのではないか、と実は思っている。

  一つにはこのままでは自民党は終わりになる可能性が高いという事である。

  仮に自民党が残ったとしても、もはや自民党の中で小泉一派は中心的勢力にはなりえない。

  そうだとしたら、このまま自民党に残る意味はないのだ。

  ついこの間までマスコミに追われて有頂天になっていた誇りもある。

  二つには、前の選挙で生まれた大量の小泉チルドレンが黙って落選するより動き出したいと思うだろうからだ。
  彼らの大多数は間違って当選した連中だ。しかし彼らは政治家になった。政治家の甘みを味わった連中はつまらない奴ほど執着心が強い。現職の政治家の強みを活かしてなりふりかまわない行動に出てもおかしくない。失うものは何もない。

  三つ目に、そしてこれが重要なところであるが、小泉元首相がその気になって小池百合子や武部や中川や竹中平蔵と組めば、そして杉村大蔵や佐藤ゆかりやなんかを寄せ集めれば、メディアはさわぐ。政策なんか関係ないのだ。面白ければいいのだ。

  ここまで日本がめちゃくちゃになっているというのに、しかもそれがことごとく小泉偽改革によってもたらされたものであるというのに、そんな動きについていく国民がいるのか、と思うかもしれない。

 しかしそれがありうるのだ。

 国民はバカばかりだ、と言ってしまってはおしまいだが、言ってしまう。

 日本国民はそこまでダメになってしまったと私は思っている。

 さすがにかつてのような数の当選者は望めないかもしれない。

 しかし、社民党や国民新党などをはるかに上回る当選者をだすに違いない。

 あるいは自民、民主についで第三の勢力になるかもしれない。

 問題は、小泉元首相がそのような新党の先頭に立って次回選挙を戦うか、である。

 私はそれはないと思う。

 しかし私の政局判断はよく外れる。

 よく考えてみたら、小泉元首相には恥ずかしいなどという言葉は存在しないのかもしれない。

 再び権力に囲まれて有頂天になりたいのかもしれない。
   
 小泉新党こそ小泉氏の真骨頂かもしれない。

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2008年08月09日

乗り越えられない戦後

 乗り越えられない戦後

 8月9日の東京新聞に次のような言葉を見つけた

 ・・・毎年八月になると実感する。日本の戦後は終わることなく、歳月だけが過ぎていく。広島、長崎の原爆はもちろん、憲法9条、日米安保、そして靖国問題などなど、私たちは、戦後を乗り越えていないのだ・・・昭和の戦争が歴史的に決着をつけられないまま、延々と戦後が続く現状がある・・・

 これは政治学者や歴史家の言葉ではない。「アートで表現するYASUKUNI展」を評する美術評論家の藤田一人という人の言葉だ。

 その展覧会のどこを見てそのような感想を藤田氏が感じたかは私にはわからない。

 しかし、私はまったく別の出来事から、藤田氏と同じ感慨を抱かざるを得なかった。

 それは民主党「核軍縮促進議員連盟」会長の岡田克也副代表が、8日長崎市で記者会見し、日本の非核三原則を韓国、北朝鮮に広め、北東アジアに非核地帯を設ける事を目指す「非核兵器地帯条約案」を発表したという記事を見つけたからだ。

 これは、米国による核の傘に依存した日本の戦後の安全保障体制を「やむをえない」とする自民党との違いを際立たせる狙いであるという。

 しかし、それは大きな勘違いだ。そうでなければ日米安保体制を否定できない民主党の、意図的な平和外交ジェスチャーでしかない。

 そもそも韓国、日本、北朝鮮の三者だけの非核など北朝鮮はおろか韓国さえも賛同するはずはない。
 
 核兵器廃絶は米国抜きでは無意味なのだ。

 米国との関係がよければ他のどの国との関係がよくても意味がない。米国との関係が悪ければ他のどの国との関係がよくてもダメだ、という歴史的な迷い言を国会で堂々と語ったのは、あの小泉元首相であった。

 これが、滑稽なまでに間違いである事は言うに及ばないが、こと核兵器に関してはそれは正しい。

 米国が参加しない核兵器廃絶は意味がなく、米国が率先して提唱する核兵器廃絶は、それを拒絶する国はない、のである。

 東アジアの非核は中国の非核なしには意味がなく、中国の非核は米国が率先してこれを提唱して初めて現実的なものとなるのだ。

 目指すべきは米国の核兵器廃絶なのだ。それなくして戦後を乗り切ることはできない。

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2008年08月09日

ワーキングプアの悲惨さと小泉偽改革の罪


 ワーキングプアの悲惨さと小泉偽改革の罪

  小泉偽改革によって格差社会が加速し、ワーキングプアが急速に増えた。

  もはやその事を正面から否定できるものはいない。

  しかし、ワーキングプアの悲惨さの本質と、それをもたらした小泉新自由主義の真の罪について、ここまで単純、明確に指摘した文章はない。

 8月9日の日経新聞経済コラム「大機小機」は言う。

  ・・・経済的な「欲」ばかりに焦点を当てた政策は、人間の生きがいだけではなく、社会の活力や安全まで奪うおそれがある・・・ワーキング・プアの悲惨さには、低賃金(だけにあるのではない。それ)に加え、強いられる仕事のひどさも影響している。生きがいか、収入か、の選択ではなく、楽しみも誇りも感じられない労働と、その代償として支給される(ものが)最低限の賃金しかないでしかない(という二重の意味の絶望である)ということだ・・・

 その通りであると私も思う。

 そのコラムは更に次のように続ける

  ・・・聖域なき改革を大義にした社会保障の削減によって、保護の網の目からこぼれ落ちた母(父)子世帯や高齢単身者にも言える。経済的な貧しさに加え、人間的きずなの維持も困難になり、社会的な関係の中で何とか生きてきた人間が、(今)激しい孤立感に苦しんでいるのだ・・・

 そして小泉偽改革の罪を次のように喝破してみせる、

 ・・・もし、痛みを伴った小泉純一郎元首相の改革の効果が、(その改革の成果ではなく)、景気の循環的回復の結果に過ぎず、国民生活の改善よりも犠牲の方が大きかったとするなら、改革は国民に対する裏切りだったと言える・・・人間ではなく経済合理人を前提にした小泉改革には、社会が求める安心と安定への配慮が欠けていた・・・


 この的確な記事を、匿名でしかかけないところに、大手新聞の限界を見る。

 

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2008年08月09日

中国ギョーザ問題で福田政権の責任を問うのは五輪後の中国の対応を見てからだ

中国ギョーザ問題で福田政権の責任を問うのは五輪後の中国の対応を見てからだ

  今から思えば、6日の読売新聞の中国ギョーザ問題に関するスクープは近年まれに見る大ヒットであったことになる。

  中国ギョーザ問題は、正しい日中関係を構築できるかどうかの試金石になりつつある。

  民主党が、中国政府からの通報を遅らせた事を批判する談話を発表したという。

  それより少し前には、不公表にした経緯を国民の前に明らかにすべきと、国会での追及姿勢を明らかにした。

  国会での真相追及は徹底して行なってもらいたい。そうすべきである。

  しかし、不公表とした事を、今の時点で直ちに「情報隠蔽である」と声高に糾弾する事は、政局に絡めた性急かつ軽率な対応である。

  その事を今日のブログで書く。

  8日福田首相は北京での胡錦涛主席との首脳会談で、ギョーザ事件の徹底究明と情報公開を求めたという。

  これに対して胡錦涛主席は、できるだけ早く解決する、全力をあげる、と約束したと言う。

  この約束の実行こそ五輪後の日中関係の最大の課題である。

  その成り行きを最後まで徹底して監視し、その結果を俟って日中双方の政府の責任に迫る、これこそが正しい対応なのである。

  情報公開でもっとも注目されるべきは、サミット前の中国側の通報が、どのタイミングでどのように通告されたのか、それに対し日本政府は、どのレベルの判断で、どのように応答したのか、それが正確に公表される事である。

  もし中国側が単に公表を差し控えて欲しいと言って来ただけであったなら、そして、それに対し日本政府が何も注文をつけずに、中国側が嫌がる事をする必要はないと考えて不公表にしていたとすれば、外務省と福田首相はいくら批判されても批判され過ぎる事はない。

  もし中国側が、約束した五輪後の公表において、それでも中国側の非を認めないようであれば、胡錦涛主席の中国は厳しく非難されるべきである。

 そして、真相がどちらにあるかは五輪後の日中双方の対応を見れば直ぐわかる。

 8月9日の日経新聞は日本政府高官が「五輪が終われば、中国側は捜査結果を公表するかも知れない」などと他人事のように言っている。

 同じく8月9日の産経新聞では、ギョーザ事件は北京五輪での首脳会談では「取り上げられない」(外務省関係者)方針だったが、日中両国の「隠蔽」が発覚したので、急遽主要テーマに浮上した、と報じている。

 このような報道を見る限り、五輪後の中国の対応は期待はずれに終わる事になると思う。

 その時福田首相はどう対応するかだ。

 それでも胡錦涛に厳しく迫ることが出来ないのなら、その時こそ福田首相を厳しく追及しなければならない。

 胡錦涛主席の中国を厳しく批判しなければならない。

 その時に向けて国民の関心を集中するためにも、今は隠蔽、隠蔽と騒がない方がよい。

 五輪後の日中双方の対応を注視していきたい、と冷静さを装った方が迫力がある。

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2008年08月08日

 日中両首脳の外交力が問われている


 日中両首脳の外交力が問われている

  昨年から育てたブルーベリーがたくさん実をつけた。それを摘み取ってこれからジャムをつくろうとしている。私の夢だった。上手く出来たら真っ先にそれを食べるのはもちろん自分である。最高の贅沢だ。

  その合間にこのブログを書いている。

  そう書けば、片手間のブログと読者は思うかもしれない。

  しかし、このブログは、私が今までに書いてきたどのブログよりも最も気合を入れて書いている。

  中国製ギョーザ問題の正しい解決が今こそ問われている時はない。

  福田首相と胡錦涛主席の二人の外交力が試されているのだ。

  その外交力の先には日本と中国の国民の未来がかかっている。

  今度の中国ギョーザ事件で最も糾弾されるべきは、事件が起きた原因である。

  それが事故であれば事故の原因を突き止め、改善策を講じればよい。

  それが人為的に引き起こされた事件であれば、その卑劣な犯人を見つけて処罰するのだ。

   中国側が、中国でも同じ商品での中毒事故がおきていた事を日本側に通報していた事が明るみになった。

   それを受けた日本政府が、中国側の要請にもとづいて公表を控えていた事を認めた。

   その事で、日中双方の政府の対応が批判されている。

   その事については、すべての真相が明らかにされるまでは正しい評価は下せない。

   もし中国側が事件の真相を未来永劫封印しようとして、公表を控えるよう要請してきたのなら、とんでもない話だ。

   それを受けた日本が、中国との関係に波風を立てたくないからといって、バレなければそうした方がいいと、事実を隠蔽しようとしていたのなら、もっと大きな問題だ。

   しかし、日中両国政府が、いずれ公表することになるが、その最善のタイミングを見計っていたとしたら話は別だ。

   つまり、どちらに責任があろうとも真実を明らかにしよう、そしてその真実を日中両国民に正しく公表し、責任を認め、そしてこれをきっかけに改善していこう、しかし、公表のタイミングは最善の時を選ぼう、と話し合っていたのであれば、話はまったく別である。

   その真相はいずれ明らかにされなければならない。

   しかしより重要な事は公表を遅らせたことが明らかになった、それ以降の日中両政府の対応である。

   福田首相は胡錦涛主席との首脳会談でなんとしてでも伝えるべきだ。

   原因を日中が捜査協力してつきとめよう、そしてその結果を公表しよう、その結果たとえ中国側に責任があったとしても、中国はそれを認めなければならない、それは長い目で見たら中国にとって正しい事だ、日中関係にとっても正しい事だ、この事件をきっかけに、より強固な日中両国の関係を目指していこう、もちろん日本側に責任があった場合も同様である、大切なことは日中両国民の信頼回復だ、と。

   胡錦涛主席はそれに応じるべきだ。政治的に如何に困難であろうとも、中国が国際社会に受け入れられる大国になるためには、避けて通れない試練と心得るべきである。

   日中両国の将来を見据えた時、中国が民主国家として政治的、経済的に発展していく事は、互恵であり、不可欠なことである。

   そのために日中が協力して友好関係を追求していくことは、双方の指導者の責務である。

   日中間には克服しなければならない歴史問題がある。

   それにくらべればギョーザ問題は小さい問題だ。

   しかし小さい問題であるからこそ正しい解決が望まれる。

   この小さい問題で正しい解決ができなければ、どうして歴史問題が克服できようか。

   何かと批判される福田首相である。

   いつまでたっても支持率の上がらない福田首相である。

   しかし見方によっては福田首相はいくつかの歴史的チャンスを与えられているのかもしれない。

   それを活かすも、失うのも、政治家福田康夫の器量である。

   五輪参加選手達が頑張っている時である。

   その選手達に負けずに、福田首相は本気になって仕事をしなければならない。

   

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2008年08月07日

田中康夫の政治感覚に期待する


 田中康夫の政治感覚に期待する

  日刊ゲンダイの連載に田中康夫の「奇っ怪ニッポン」というのがある。

  その8月7日の指摘は私のそれとまったく同じだ。

  すなわち、侮り難し、福田改造内閣!である。

  田中康夫は喝破している。

  政権交代がすべての民主党は、小泉、安倍「似非構造改革」から決別した福田「仕事師内閣」を決して甘く見てはいけないと。

  これは私の認識と一致する。

  見ているがいい。福田改造内閣は「地方」対策に心血を注いで来るだろう。

  消費税はもはや福田改造内閣の主張ではなくなる。凍結なのだ。

  テロ給油法の再延長にはもはやこだわらない。

  中国憎しの右翼とは一線を画し、靖国参拝を封印し、戦略的互恵関係に邁進する福田自民党政権は、民主党との違いが見えなくなってくる。

  それはまた寄り合い所帯の民主党の弱点をつく、おそるべしヌエ的自由民主党の真骨頂である。

  この事を正面から言い当てている田中康夫の政治感覚は見事だ。

  そのような政治感覚を持った田中康夫は、民主党でも自民党でもない。
 
  ましてや左翼では決してない。

  新党日本はいまのところまったく音なしの構えだ。

  マスコミも田中新党日本の事をまったく報じていない。

  しかし、この政治感覚を持った田中康夫である。

  総選挙を睨んだ新党の動きや政界再編の動きの中で、このまま音なしで終わるはずはない。

  あらゆるしがらみから脱した田中康夫の政治感覚に、私は期待する。

   新党日本の動向に注目する。

  

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2008年08月07日

スポーツは人間賛歌だ

 スポーツは人間賛歌だ

  いよいよ北京五輪が明日からはじまる。しばらくは選手の活躍に熱中しよう。声援を送ろう。

  なぜスポーツは素晴らしいのか。

  それは虚飾のない世界だからだ。

  自分の体一つで勝負する世界だからだ。

  一瞬の勝負のために長く、苦しい練習を積み重ねてきた。

  それにもかかわらず勝てる保証はない。
  
  その不安と戦いながら勝負に挑む。

  そこに我々は感動を覚えるのだ。

  我々凡人はそのような競技に参加できるはずはない。

  しかし、だからこそ、自らをそこに投影して、その感動を共有する贅沢を味わうのだ。

  友達が自転車を買ってもらった時、私には親からもらった脚があると言って、友達の漕ぐ自転車の後を追って走り回ったというマラソンの野口みずき。貧しさに負けなかったけなげな心意気がそこにある。

  台所にはいつもバーベルがあったという重量挙げの三宅宏実。64年の東京オリンピックで銅メダルをとった父の三宅義行が、顔面を崩してバーベルを持ち上げた瞬間の写真を見ながら、私は大学受験に励んだものだ。

  田村で金、谷で金、ママで金、という名言を語ったやわらちゃんこと谷亮子。ママでこそ金を取ってもらいたい。

  女性だけではない。私が期待する一人は柔道の石井慧だ。一本勝ちで金メダルをとるのは格好がいいかもしれない。しかし勝つためには組み技でも、時間稼ぎでもいい、格好悪いと批判されてもかまわない、と言い切って金メダルを取ると公言する、その覚悟がいい。

  北京五輪が無事成功に終わる事を祈る。

  勝っても負けても、選手達が無事にその練習の成果を発揮できる事を願う。

  何でもかんでも中国を批判し、北京五輪の問題ばかりを騒ぎ立てる連中も、しばし選手達に声援を送ることに反対は出来ないはずだ。

  日本の見苦しい政争も北京五輪の間は休戦だ。そんな政争は、五輪参加の選手達の活躍の前には、あまりにも卑小である。

  スポーツにはいかなる批判も封じる力がある。そこには人間賛歌がある。

 

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2008年08月07日

日刊ゲンダイの悩み


 日刊ゲンダイの悩み

 どうでもいい話だけれど、思わず苦笑せざるを得なかった話を一つ。

 私の愛読紙に日刊ゲンダイがある。一頃私も少しだけ連載寄稿していた事がある。

 だからゴマをするわけではない。日刊ゲンダイの基本スタンスが気に入っているのだ。

 なにしろ日刊ゲンダイは政権批判に徹している。

 今は福田政権批判の一色だが、その前は安倍政権、そしてその前は小泉政権と、一貫して時の政権批判を行なってきた。

 民主党が政権をとれば民主党を批判することになる。

 現実的にはありえないことだけれど、共産党が政権をとればもちろん共産党政権批判だ。

 そして、それはそのまま私の基本的スタンスでもある。

 権力は腐敗する。だから権力者そのものが批判の対象なのである。

  ところがそこには大きな問題がある。

  長所はまた欠点でもある。ぶれる事のない一貫した政権批判は、同時にまたワンパターンの政権批判を繰り返すことになってしまう。

  8月6日の日刊ゲンダイに福田改造内閣は小泉改革路線の否定であるという記事があった。

  世間では同じ清和会に属するよしみで福田首相は小泉元首相の意見を聞いたり相談したりする仲だと思われているが、実はそうではない。今度の改造人事で、福田が小泉を嫌っている事がはっきりした、と書いている。

 ここまでは私の考えとまったく同じだ。

 ところが日刊ゲンダイはあくまでも現政権の批判に徹している。

 だから小泉偽改革から決別した事さえも福田批判につなげなければならない。

 そこが私と日刊ゲンダイの違うところだ。

  私は、今の日本の政治や経済の崩壊と国民生活の困窮の責任は、5年半もの長きにわたって繰り返された小泉偽装改革のせいだと思っている。日本を米国に売り渡した対米従属外交のせいだと思っている。

 だから、少なくとも今度の改造内閣で明確に小泉一派を排除した事は快挙だと思っている。

 おそらく日刊ゲンダイの編集者や記者も内心そう思っているに違いない。

 しかし日刊ゲンダイはあくまでも現政権の批判に徹するという方針を固めているに違いない。

 福田政権を批判し続けるしかないのだ。

 日刊ゲンダイの悩みがそこにある。

 愛読者の一人として同情を禁じえない。

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2008年08月06日

 中国ギョーザ事件に望まれる日本の外交力


 中国ギョーザ事件に望まれる日本の外交力

 今日6日のビッグニュースは何といっても読売新聞のスクープである。

 一面トップで、あの中国の「天洋食品」社のギョーザが、事件後に回収されたにもかかわらずそれが中国国内で流通し、それを食べた中国人がメタミドホス中毒を起こしていたと報じた。

 関係筋が5日明らかにしたというこのスクープは、もし事実であるとすれば大きな外交的意味を持つ。

 不明のままに終わろうとしていた毒入り中国ギョーザ事件が、中国での混入の可能性が強まった事で、再び動き出す事になるからだ。

  断っておくが私はこの問題で再び日中間が緊張関係になることを願っているのではない。

  日中間が互恵平等の正しい関係になっていくためにも、その試金石としてこの問題を正しく解決して欲しいと願うのである。

  読売新聞の報道によると中国側がサミット直前の7月はじめに外交ルートを通じて日本側にこの新事実を通告してきたという。その際、中国での混入の可能性を示唆したという。

  面子を重んじる中国が自ら通告してきたのだ。今までの中国では考えられなかった事だ。

  小泉元首相の下での事件であったなら、それでも中国は通告してこなかったに違いない。

  間違いなく福田外交の功績だ。日中関係は正しい方向へ変化しつつある。

  これを契機に日中両国の捜査協力が進み、原因の究明がなされ、責任の所在が明らかにされ、そしてその責任を批判し合うのではなく、今後の対応策について協力関係に発展させてもらいたい。

  それが出来れば、日中関係はさらなる時代に発展していくに違いない。

  中国ギョーザ事件に望まれる日本の外交力である。

  禍転じて福となすのたとえである。

  折から4日にはウイグル自治区では邦人記者が武装警察官に暴行されると言う事件が起きた。

  直ちに抗議した日本政府に対し、中国警察は謝罪し、中国外務省は遺憾の意を表明した。

  これも今までにはなかった中国側の対応である。

  これまでの日本の対中外交といえば、何かと騒ぎを大きくしないという慎重な対応に終始してきた。

  その対応を一概に否定するものではない。

  何かが起きた時、まず冷静に情勢判断を行ない、その初動態勢に慎重である事は外交の要諦である。

  しかし中国の反日的対応を恐れるあまり、言うべきことも言わず、事実を抑え込んで物事の沈静化を

図るこれまでの日本外交は、慎重と言うより怠慢である。

  五輪を控えた中国は今、かつて経験した事がないほどの試練と向かい合っている。

  中国と言う国が、責任ある国際国家、民主主義国家として世界から認知されるために避けては通れ

ない試練である。

  その中国を日本は支援していかなければならない。

  しかし支援するということは中国との間に波風を立てる事をおそれ言うべき事まで黙ってしまう事ではない。

  時には激しく自己主張し、あるいは相手の非を指摘していかなければならない。

  そのことによってまた中国も学ぶのである。

  その時一番重要なことは、中国への思いやりであり、中国の安定、発展、民主化は日本にとっても有益であるという現実的な認識である。

  過去の過ちに報いるという謙虚な気持ちも必要である。

  日本もまた中国の発展と競い合ってみせるという自負心もあってもいい。

  あけてもくれても中国の非ばかりを唱える事は、国益にとって何のためにもならない。

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2008年08月06日

核廃絶と日本の外交力

 
核廃絶と日本の外交力

 今日8月6日は広島に原爆が投下された日である。8月9日の長崎の原爆投下とともに、日本人にとっては決して忘れてはならない日である。

 今日のブログでもやはりこの問題について書かざるを得ないと思う。

 6日の各紙の社説は、さすがにこぞって核兵器の問題を取り上げていた。

 しかしその内容は様々だ。

 東京新聞は政治論を離れ、ヒロシマ、ナガサキの悲しい体験を「伝えたい、語りたい」と題して、平和とは、一人一人の小さな意思の積み重ねであると、詩的、情緒的に訴えていた。

 その社説に異存はないが、格段のコメントはない。

  産経と日経の社説の特徴は、「北の核を許さぬ決意新たに」(産経)」、「核拡散への監視を緩めるな」(日経)などとと、原爆記念日にかこつけて北朝鮮の核を叩いていることだ。

 日経の場合は、それでもインド、パキスタン、イスラエルなどの核保有にも言及し、核不拡散の枠組み作りの重要性と日本の責務を訴えている。

 しかし、産経新聞に至っては北の核一色だ。

 「(核全廃を訴える事も)大切であるが、日本が直面する最大の脅威国は北朝鮮の核である」とし、「(昨年のヒロシマの平和宣言には北の核に対する警告のメッセージがなく国民に失望感を与えた」とし、「米国が軽々に指定解除をしないように、さらに働きかけを強めて欲しい」などと主張する。

  「核全廃を訴える事も大切だ」、などと言わず、いっその事、米国が核を独占して世界のならず者を抑え込め、と書いたほうがわかりやすい。

  前置きはそれぐらいにして、私がこのブログで指摘したい事は、これから書くことである。

  読売、毎日、朝日の社説は、いずれも、昨年1月のウオールストリートジャーナル紙に掲載されたキッシンジャー、シュルツ元国務長官、ペリー元国防長官、サム・ナン元上院軍事委員長の共同寄稿に言及し、核廃絶のチャンスであるとしていた。

  この米国の安全保障政策の重鎮らによる核廃絶呼びかけの重要性については、私は07年3月1日のブログで強調した。

  この呼びかけを千載一遇のチャンスととらえ、日本政府は彼らにアプローチをし、一緒になって米国政権を動かし、そして世界に呼びかけて核全廃を現実の動きにつなげろ、と提案した。

  日本のメディアもそれを訴えるべきであると書いた。

  残念ながら日本からは何の反応も出てこなかった。

  ところが世界は動いていたのだ。

  昨年に引き続き今年の1月にもまたキッシンジャー氏らは核兵器廃絶を提言している(毎日社説)。

  それに動かされて、今年の6月末、英国のハード元首相、ロバートソン前NATO事務総長ら4人が「思い切った核軍縮は可能であり、最終目標は核のない世界であるべきだ」との主張を英タイムズ紙に寄せた(朝日社説)。

  動きはOBだけではない。政府レベルでも新風が吹き始めた。

  ノルウェーは今年2月、シュルツ氏らを招いた国際会議を開き、ストーレ外相は「核廃絶には国際安全保障のあり方を考え直すことが必要で、国の指導者自身の取り組みが欠かせない」と強調した。

  今年6月、来日したオーストラリアのラッド首相は広島で核廃絶に向けた国際的な賢人会合の創設を提唱した。

  そして今、米国では、次期米国大統領を目指すオバマ氏が「(核のない世界という)ビジョンを現実にするために力を尽くすのは米国の責任である」と語り、マケイン氏が「思い切って世界の核を減らす時がきた」と、米国が指導力を発揮する決意を強調し始はじめている(いずれも朝日社説)。

  今こそ日本は全力をあげてその外交力を発揮する事ではないか。

  決して遅くはない。

  それどころか、米国ではブッシュ政権がイラク戦争の誤りを批判され、失意の中で退場しつつある。

  米国も欧州もその誤りから立ち直ろうとしている。

  イラク戦争で壊された世界の平和を本気で取り戻そうと模索している。

  そのような中で唱えられ始めた核兵器全廃だ。

  核兵器廃止は、米国がその気になれば出来る。

  米国が率先して核廃絶を行なえば、世界はこれに従う。

  その米国が、OBも、次期大統領候補も、核廃絶を言い始めたのだ。

  彼らが嘘を言っているとは思えない。

  どこかの首相と違って公約をあっさり翻すは思えない。

  そんな事をしたら世界から批判されて、たちどころに政治生命を奪われるであろう。

  核兵器廃絶は動き出すに違いない。

  唯一の被爆国である日本の首相が本気になってその動きを加速させない手はない。

  福田首相がこのブログを読むことを切に願う。

  そして指導力を発揮する事を願う。

  もし福田首相が米国を動かす事ができるなら、そして世界を束ねることが出来るなら、

  それだけで福田首相は歴史に残る名宰相となるだろう。ノーベル平和賞は間違いないだろう。

  北朝鮮もイスラエルもイランも、核を保有し続ける事はできない。核兵器を開発する事はできない。

  世界を敵に回しては生き残れない。

   福田首相。支持率の低下や総選挙の勝利に悩む必要はない。

   そんな事は取るに足らない瑣末な事だ。

   そんな事に人生を消耗するよりも、この地球上から核をなくすことに賭けて見ないか。

   誰もが出来ないと思っていたことが今目の前に現れつつあるのだ。

   私は決して冗談で言っているのではない。誇張して言っているのではない。

   おそらく今歴史は100年一度、あるいはそれ以上の転換期にある。

   それを感じ、行動に移すことが出来るかどうかが、政治家の器量である。

   外交の福田である。

   外務官僚からは歴史観のある想像力は決して生まれてこない。

   しかし彼らは命じればそれを忠実に実行する。

   彼らだってそうしたいに違いない。

   初めてやりがいのある仕事にめぐりあえるのだ。

   今こそ福田首相は外務省を奮い立たせ、核廃絶に向けての流れを現実のものとすべきだ。

   日本が行なわなくても、やがて誰かがそれを行なうに違いない。

   唯一の被爆国である日本が先駆けてそれを行なわなくていいはずはない。

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2008年08月05日

混迷する政局を楽しむ方法


 混迷する政局を楽しむ方法

  昨日のブログで政治家は政局に明け暮れている時ではないと書いた。

  しかし政治家は政局に明け暮れる。

  その理由は、政策どころの話ではないからだ。

  ただでさえ、政策を本気で実現する能力と志をもった政治家はいないのに、今は、たとえいたとしても、それどころではないのだ。

  選挙に勝ち残らなければならない。

  政権を死守しなければ終わってしまう自民党。

  政権が取れなければ分解してしまう民主党。

  その他の政党は少しでも政権に近いところに場所を見つけようと必死だ。

  メディアもまた政策より政争に飛びつく。

  難しい政策論よりわかりやすいからだ。

  皆が政局に走る。

  そうだとすれば、我々も政局を楽しむに限る。

  ましてや政治に影響力のない一般国民の我々だ。

  せめて政治家のなりふりかまわない権力争いと駆け引きを、嘲笑しながら眺めようではないか。

  それが政治に関係のない一般国民の特権だ。贅沢だ。

  さてその政局である。

  注目点はいろいろあるだろう。

  しかし、私が最も注目するのは、創価学会名誉会長の国会喚問問題と小泉改革一派の福田おろしの動きの二点である。

  いずれも政局と直に結びつく問題だ。

    5日の読売新聞が、国民新党の亀井静香代表代行が、「(矢野元公明党委員長問題を)臨時国会で取り上げざるを得ない。言論封殺の指摘があった以上、民主主義の観点から事情を聞く必要がある」と述べたと報じている。

  もし矢野元委員長の国会招致が実現すれば、公明党にとっては大きな痛手となる。

  覚悟を決めている矢野元委員長の国会発言は見ものだ。内容如何ではさらなる事態に発展するかもしれない。

  創価学会と何の利害関係もない一般国民の立場からすればぜひとも実現してもらいたい。

  確かに「言論の自由」は民主主義の根幹だ。

  政権政党の一翼をになってこの国を動かしてきた公明党、創価学会が、「言論の自由」を犯すような事をしていたのなら看過できない。

  昔から取りざたされては消えていく政教一致という違憲疑義の問題についても、この際はっきりと白黒つけてもらいたい。

  そのためには名誉会長の国会招致も必要になってくるだろう。

  創価学会、公明党にとっては最大の危機である。

  だからすべてに最優先してこの問題を回避しようとするだろう。

  みどころは民主党、国民新党がどこまで本気で追及するかだ。

  自民党がどこまで公明党、創価学会をかばうかだ。

  公明党は政権政党であり続けなければならない。

  政権政党である限り国会喚問をかわす事ができる。

  政権を手放したとたん状況は厳しくなる。

  だから、福田自民党で選挙が勝てそうもなければ福田おろしに走る。

  それでも自民党が勝てないと判断すれば自民党を見限って民主党との連立に向けて舵を切る。

  矢野問題はまさに政局そのものに結びつく。だから目が話せない。

   もう一つは小泉改革派の福田おろしの動きである。

  私は8月1日のブログで福田改造内閣によって小泉政治は終焉したと書いた。

  もはや誰もがそれを認めている。

   しかしその事と小泉一派の悪あがきとは別だ。

  面目をつぶされた小泉元首相とその一派がこのまま黙って引き下がるかかどうか。これが第二のみどころだ。

  すでに様々な事が言われ始めた。いわく小泉がかんかんになって怒っている。総裁選で小池百合子をたてて戦う。自民党を割って小泉新党をつくってキャスティングボートを目指す、などなどである。

  それはありうる話だ。福田改造内閣の支持率が上がらなければ、そのチャンスはひろがる。

  そして福田首相には思惑はずれだったろうが、支持率は大して上がらなかった。今後は支持率が更に下がっていく危険さえある。

  ここで重要な事はメディアが、福田おろしに加担している事だ。

 福田改造内閣を官僚支配、規制強化、ばら撒きの復活であり、増税内閣だとレッテルを貼っている。

  たとえば5日の日経新聞は経済コラム「大機小機」のなかで、「改革か、反改革か」という見出しの下に、小泉改革、福田反改革と決めつけている。

  あのときメディアは小泉改革を持ち上げて今日の日本の混迷を招く過ちを犯した。

  メディアはそれを認めたくないのだ。

  小泉一派もメディアも、「改革を後戻りさせるな」と叫んでいれば国民が納得すると思っている。

  国民もなめられたものだ。

  しかし、それは違う。

  改革か反改革かではない。本物の改革か偽物の改革かなのである。

  そして小泉改革はまさしく偽の改革であった。それもとんでもない偽物の改革であった。

  そもそも改革の本丸は、官僚支配の打破と官僚の無駄を排除する事にあった。

  ところがそれには殆ど有効な手を打つことなく、規制緩和の下に新自由主義を徹底して日本を格差社会にしてしまった、対米従属を徹底して日本を米国に売り渡してしまった。これが小泉偽改革の正体であったのだ。

  そしてその痛みが表面化、深刻化するのはむしろこれからだ。

  だから、小泉再登場は容易ではない。

  いくら「改革を後退させるな」と言って見たところで、「お前らに言われたくないよ」となるのである。

  メディアがいくら改革を進めろと言ったところで、今の政治では無理なのだ。

    国民にとっては不幸な事だ。

   しかし混乱を通じて新しい政治が生まれるのなら、そこに一縷の望みを見つける事ができるかもしれない。

  そう期待して思い切り政局の混迷を眺める他はない。

  どうせ眺めるしかないのであれば、思い切り楽しめばいいのだ。批評家になって勝手に批評していればいいのだ。

  政局は間違いなく混沌としてくる。

  間違いなく面白くなってくる。

  
  

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2008年08月05日

PCI社によるODA疑惑事件の真の責任者


 PCI社によるODA疑惑事件の真の責任者


  パシフィックコンサルタントインターナショナル(PCI)という建設コンサルタント会社の幹部らが政府開発援助(ODA)贈賄疑惑でついに4日逮捕された。

  5日の各紙はそれを一斉に大きく取り上げ、ODAを食い物にしたPCI社を、その社説で激しく批判している。

 しかし、どの記事も、その大きな取り上げ方の割りに、よそよそしい。迫力がない。

 なぜか。

 それはPCI社だけが悪事を働いているわけではないからだ。

 疑惑は大手商社のすべてに及ぶからだ。

 民間企業だけをいくら責めてみても、物事の解決にはならないからだ。

 真の責任者は政府の担当省庁であるが、その責任を本気で追求する気がないからだ。

 真の責任者とは誰か。

 それはODAを主管する外務省である。

 その外務省の監督下にある援助実施機関である。

 断っておくが、私は何も外務省や援助実施機関の誰かが賄賂をもらったり、法に触れる事をしていると言っているのではない。

 さすがにそれはないだろう。

 しかし、だからといって外務省や援助実施機関がその責任から逃れる事はできない。

 彼らはPCIをODAの担当企業として長年認めてきたのだ。

 不正疑惑が指摘されていたにもかかわらず動こうとしなかったのだ。

  私は外務省にあって長く経済援助を担当していたから言えるのであるが、そもそも日本のODA援助にはコンサルタント疑惑はつきものであった。

  なぜならば日本の援助政策の基本が、プロジェクト援助中心であり、相手国政府からの要請をまって行なう要請主義で出来ているからだ。

 すなわち、プロジェクト援助にはそれを作り上げるコンサルタント社の関与が不可欠である。援助案件はコンサルタント社が発掘、作成し、日本の援助が受けられやすい形に持っていく事が常態化している。

 そして、そのようにして作られた援助案件は、受ける側の政府が日本政府に要請してきてはじめて、日本政府がそれを援助対象として検討する事になっている。

 すなわち、日本の援助は日本のコンサルタント業者、援助を受ける政府、そして援助を供与する日本の三者による共同作業なのである。

 そして、残念ながら、援助を受ける国の殆どの政府は腐敗している。

 このPCI事件が新聞で報道されて以来、さぞかし外務省は内心びくびくしていたに違いない。

 外務省みずからが贈賄に関与していた事がばれるからではない。

 外務省の最大の武器であるODA(政府開発援助)に付きまとう構造的な問題点が世の中に知れ渡る事である。

 それを監督する立場にある外務省の担当職員や出先大使官の仕事のいい加減さが明るみに出る事である。

 そして、「外務省だけにODAをまかせるわけにはいかない」という声がまたぞろ頭を持ち上げ、新たな援助担当省庁を作るべしという声が再燃するという恐れである。

 これこそが外務省が最も避けたい事なのである。

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2008年08月04日

本当は政局に明け暮れている暇などないはずだ


 本当は政局に明け暮れている暇などないはずだ

  これからの政局は面白くなってくる。

  だから私も政局の報道を興味深く読んだり見たりする。

  勝手な私見をブログに書いてみたりする。

  しかし、本当は今の日本は政局どころではないのだ。

  政治にそんな暇は許されないはずだ。

  考えてみるがいい。今の政治は国民生活の切実な問題に何一つ答えられないでいる。

  いたずらに時間を費やしているだけだ。

  例えて言えば、

   ガソリンをはじめとする生活物資の相次ぐ値上げを、なんら防ぐすべがない。

  年金問題は何も解決されていない。

  救急医療体制の不備も、介護負担の問題も、日雇い労働者の低賃金と過酷な労働条件も、

  何もかも、議論はしても解決策は何一つ打てないでいる。

  それが今の政治だ。

  政局に明け暮れる暇があれば、どれか一つでもいいから解決してみろ、と言いたいほどだ。

  なぜ私がいきなりそんな事を言い出したかといえば、8月4日の毎日新聞「発信箱」に衝撃的な記事を見つけたからだ。

  「カメラの前の死」と題する北米総局坂東賢治記者の手になるその記事は、7月に米国のテレビニュースで流された映像の衝撃について書いていた。

  ニューヨークの人権団体が、ブルックリン地区の公立病院の待合室で防犯カメラがとらえた映像をテレビで公開した。

  ジャマイカ国籍の黒人女性(49)は病院の待合室で24時間近くを過ごした後、早朝に椅子から崩れ落ちるように床に倒れ、そのまま死亡した。脚にできた血栓が死因と見られる。

  防犯カメラがとらえた映像では女性は倒れた直後には体を動かしていた。警備員らはそれを見ながら救助しようとせず、一時間近く放置していた。保険に入っていない患者は相手にされない。

  それにしてもである。病院で倒れたというのに、そして皆がそれを見ていたにもかかわらず、患者が放置され、死亡するのである。それが今の米国なのである。

  人間が守るべき最低限のセーフティネットさえ米国では危機にさらされている。

  その米国を一回り遅れて追走してきたのが日本である。

  このままではやがて日本の社会もそのような米国の状況に突入していくに違いない。

  わかっていながら何の手も打てないのであればそれは由々しいことだ。

  政治家は政局に明け暮れている場合ではない。

  

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2008年08月03日

ノーベル平和賞を受賞した佐藤栄作元首相とキッシンジャー元国務長官の会談議事録


 ノーベル平和賞を受賞した佐藤栄作元首相とキッシンジャー元国務長官の会談議事録

  機密公文書の公開によって史実が明らかにされる。それによってそれまでの評価が変えられる。

  その例をもう一つ紹介したい。

  8月1日に発売された月刊現代9月号に、春名幹男元共同通信ワシントン支局長(現名古屋大学教授)の貴重な発見が自らの手で語られている。

  すなわち春名氏は、米国ミシガン州にあるフォード大統領図書館を訪れ、そこで、いままで日本のどの学者、研究者も目を通した形跡のないキッシンジャー・佐藤栄作会談の記事録を発見したという。

  そして、その議事録で明かされている新事実を次のように我々に教えてくれている。ノーベル平和賞を受賞した佐藤栄作元首相とキッシンジャー元国務長官の知られざる会談である。

  沖縄返還を成し遂げた佐藤栄作元首相は1974年ノーベル平和賞を受賞した。

  後にも先にも初めての日本人のノーベル平和賞受賞である。

  あの小泉元首相が、自分も欲しいと考えて日朝国交正常化という功労を焦ったと噂されたほどだ。

  受賞理由は外交交渉で沖縄返還を実現した事、そして日本の非核三原則政策を打ち立てた事であるという。

  ところがその佐藤栄作元首相は核武装論者であった。

  さらにまた沖縄返還の際には密約が存在し、いわゆる「核抜き本土並み」返還が嘘だった事が後日米国公文書公開で明らかにされた。

  ノーベル平和賞受賞自体が、本人が寝耳に水だとの驚きのポーズとは裏腹に、周到な受賞工作を結果であった。

  その功労者の一人が前年(73年)にやはりノーベル平和賞を受賞したキッシンジャー国務長官であった。

  これらは既に周知の事実である。

   ところが春名氏が見つけたキッシンジャー・佐藤議事録は、さらに次のような新事実を教えてくれている。

  1974年11月フォード大統領が現職の米大統領として始めて訪日した事があった。

  その時同行したキッシンジャー国務長官を、首相を離れて2年半の佐藤氏が訪れている。

  キッシンジャー国務長官を訪れた目的はノーベル平和賞受賞の際のスピーチの草案について、キッシンジャー長官の了承を取ることであった。

  佐藤氏はそのスピーチのなかで、当時の核兵器保有五大国(米、ソ、英、仏、中国)に向けて核兵器全廃を訴えようとした。そのためにはキッシンジャー長官の了承が必要と考えた。

  ところがキッシンジャー長官はそれを認めなかった。当時通常ミサイルに関しては米国、欧州はソ連より劣っていた。核兵器の抑止力があるからこそソ連を牽制できたのだ。

  何をとぼけた事を言い出すのか。

  それよりも何よりも、核武装論者の佐藤が、ノーベル平和賞をもらったとたんに核廃絶論者づらをすることが許せなかったのだ。

  キッシンジャー長官に一蹴された以上あきらめるしかない。

  佐藤氏は御丁寧にスピーチを報じる新聞のコピーを後日キッシンジャー長官に送り、約束どおり核廃絶を訴える事はしなかったと、身の証を立てるという従順ぶりである。

  その半年後佐藤氏は脳溢血で倒れ世を去ることになる。

  それから30年余り立ち、キッシンジャー氏は、シュルツ元国務長官、ペリー元国防長官、サム・ナン元上院議員らと連名で、この地球上から核兵器を廃絶すべきだと訴えるようになった。

 テロに核兵器がわたるくらいなら全廃したほうがいいという。米国は核兵器より強力な兵器を独占しているからだという。

  いい加減なものだ。

  佐藤氏が聞いたらなんと思うことだろう。

  もっとも、どっちもどっちであるが。

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2008年08月03日

アイゼンハワー米大統領の言葉

 アイゼンハワー米大統領の言葉

 アイゼンハワー米国大統領の有名な言葉の一つに、1962年の退任演説で米国の軍産複合体の危険を予言した言葉がある。

 いずれ米国は軍産複合体の深刻な結果に向かい合わなくてはならないであろう・・・という例の言葉である。

 しかしその言葉よりも、もっと素晴らしいアイゼンハワー大統領の言葉を見つけた。

 8月3日の毎日新聞書評欄で、五百旗頭真防衛大学校長(神戸大学名誉教授)が、「アイゼンハワー政権の封じ込め政策」(佐々木卓也著、有斐閣)という本を論じていた。

 五百旗頭氏は、三十年後には原則として機密政府公文書が公開される米国においては、外交史家が新たな原文書を読み込んで新事実を発見し、あるいはあらたな解釈を試みることが出来る、その結果再評価の津波がたびたび押し寄せる事がある、と指摘する。

 そして、米国外交文書を誠実に読み込んで、アイゼンハワー大統領の真実の姿を我々に教えてくれている佐々木氏の最近著を絶賛している。

 すなわちアイゼンハワー米大統領の在任中の評価は決して高くなかった。ダレス国務長官が冷戦外交を牽引する強力な手腕家であったのに対し、軍事的一辺倒を避けたため、政治的ダイナミズムを欠いた凡庸な軍人大統領と見られがちであった。

 しかし史実はそのアイゼンハワー大統領を再評価させることになる。

 アイゼンハワーは、強硬派ダレスの操り人形ではなく、ここ一番はダレスをしっかりとコントロールしていた。そして実際の戦闘によって相手を破壊するよりも、宣伝・広報工作や東西交流計画を通じ、ソ連の内部変化を追求した大統領であったのだ。

 アイゼンハワーの退任から27年後の1989年、冷戦は一発の銃声もなく歴史的な終結を迎えた。

 その事を考える時、アイゼンハワー大統領の次の言葉が一段と輝いて見える。

  「私は十分に戦争を経験した。平和に優るものはない」

  この言葉の迫力はどうだ。

  米国の元軍人大統領アイゼンハワーのこの言葉に反駁できる者はいないに違いない。

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2008年08月03日

ブログの終了と日本の政治の行く末


 ブログの終了と日本の政治の行く末

  どうやらこのブログを終える時が近づきつつあるようだ。

  その最大の理由は野党ではなく自民党の手によって小泉政治に終止符が打たれたからだ。

  小泉政治の欺瞞と悪を糾弾する事が私を突き動かす一つの大きな原動力であった。

  それが、身内から否定された。

  それを見てしまった私の中から一つの闘争心が失せつつあるのだ。

  しかし、私がブログを止めようと思う最大の理由は、それではない。

  小泉政治は否定されたけれど、小泉偽改革の幻想が生き残り、それが形を変えて日本を苦しめていく事になると懸念するからだ。

  その事を指摘し、国民にだまされるなと警鐘を鳴らしていく事は、もはや私には手に余る大きな作業である。

  もっと具体的に述べてみる。

  3日のフジテレビ「報道2001年」で西部遭が極めて的確な発言をしていた。

  すなわち、今度の内閣改造は明らかな小泉政治の否定であり、自民党の大半の議員はそれが正しいと思っている。しかし、「小泉改革すなわち善」、と考えているメディアと、そのメディアに踊らされてきたおろかな国民をおそれ、福田自民党は小泉改革否定と明言できない。だから福田政権は苦しい、と。

  その通りである。

  たとえば今日の新聞の社説を見るがいい。「改革路線を捨てるのか」(東京新聞)、「福田改造内閣は改革を逆行させるな」(日経新聞)などと、福田政権たたきは続く。

  この風潮が国民の目を曇らせることになる。

  福田政権たたきがそのまま民主党政権への政権交代への主張につながるのであればいい。しかし決してそうではない。

 政局が自民党政権内部の改革派、反改革派の対立、脱官僚派、官僚依存派の対立図式にすりかえらる。

 この事は政権交代を遠ざける事になる。

 なぜならば小泉改革派の考えは民主党の考えと似てくるからだ。民主党の中には小泉改革派に近い者が多く存在するからだ。

  自公政権と民主党野党の政権交代争いは、もちろん今後の政局の中心であり続けるだろう。

  しかしそれ以上に自民党の中の小泉、反小泉争いが本格化し、国民の目は改革か反改革かという方に向けられていく。

  このことが自民党生き残りのための意図された見せ掛けの対立であると考える者がいる。

  私は決してそうは思わない。もはや小泉派と反小泉派はもとには戻らない。戻れない。

  しかし、そんな事はどうでもいい事だ。

  重要な事は、偽自民党対立であっても本物の自民党対立であっても、よほど民主党がしっかりしないと、政権交代への世論の関心が薄れていく危険性があるということである。

  果たして次期総選挙で政権交代はあるのか。

 私は政権交代をすべてに優先する立場の一人である。だからこれから総選挙まで、ただひたすらに政権交代を訴え続ける。

  総選挙まではブログを書き続ける。

  もし政権交代が起きれば文字通り私のブログの役割は終わる。

  政権交代が起こらなければ気の遠くなるような先の長い不毛な政治がつづく。

  もはやブログを書き続ける気持ちにはなれない。

  いずれにしてもこのブログを終える時が近づきつつある。

  

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2008年08月02日

アーミテージと日米軍需利権


 アーミテージと日米軍需利権

  日刊ゲンダイに春名幹男という元共同通信ワシントン支局長(現名古屋大学教授)が、「国際情報を読む」という週一回の連載を書いている。

  私はこの連載を毎回楽しみに読むことにしている。

  彼の視点が私のそれと一致するからだ。

  その情報の確かさを私は高く評価するからだ。

  その春名氏が、8月1日の日刊ゲンダイに、「20年前から追求されているアーミテージ氏と日米軍需利権」という記事を書いていた。

  防衛コンサルタント秋山直紀容疑者の捜査が、果たして日米軍事利権の闇を解明につながるか。

  その観点からも春名氏の記事は興味深い情報を我々に教えてくれている。

  アーミテージ元国務省、元国防省高官は、日本政府や政治家、メディアが重用する人物だ。

  いつまでたっても米国との間で人的パイプが築けない日本の政・官・財の弱みにつけこんで、親日派、知日派の名をほしいままにしてきた人物だ。

  秋山容疑者が日本の防衛族を米国に連れて行くときに必ず記念写真に納まっている。

  彼はいわば「日米同盟のドン」なのだ。

  そのアーミテージが20年も前に米国議会で「日本利権」を追及され、パパブッシュ時代に国務次官補のポストを棒に振った経歴があるという。  

  春名氏の記事はその事を教えてくれている。

  国務次官補を辞退せざるを得なくなったアーミテージは、その後コンサルタント会社を経営し、多くの日本企業をカモにしてきた。

  この事だけでも、十分な利権疑惑を想起させる。

  そういえば最近6年余の長きにわたって駐米大使をつとめ帰国した加藤前駐米大使は、愛娘の就職をアーミテージに頼んでいたという癒着振りが日本の週刊誌で報道されたことがあったが、この時事はそれ以上追求されずに封印された。

  春名氏は、日刊ゲンダイの記事を次の言葉で結んでいる。

  「今度の事件の捜査では日米を結ぶ軍事利権にメスが入るのだろうか」と。

  まずそれは無理だろう。

  それを知ってあえて春名氏はそう書いているのだ。

  日米同盟関係の実態を知っている春名氏だからこそ、この問題はこれ以上広がらない事を知っている。

  ジャーナリズムに身を置いたことのある春名氏だからこそ、日本のメディアも、日米軍事利権の疑惑を追求しない事を知っている。
  
  春名氏がこの記事で訴えたかった事は、まさにこの欺瞞であるに違いない。

  

 

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2008年08月02日

 こういう言葉を使ってみたい


 こういう言葉を使ってみたい

  いい言葉を見つけた時、私はうれしくなる。

  コマーシャルのセリフではないが、「金はないが暇ならある」という今の私の最高の楽しみだ。

  最近見つけた幾つかの言葉を紹介したい。

  いずれも記憶をたどっての言葉だから一字一句正確に再現できないが、その意図するところは明確だ。

  「米国は自分達の商業利益だけを考えている。我々はインドの農家を守りたい」

  これはWTO交渉の最後の段階で、インドの代表が外国記者団に話した言葉だ。

  自国の安い農産品を開発途上国にまで売りつけようとして関税削減を迫った米国に対し、インドはセイフガードのハードルを下げなかった。結果としてWTO交渉は決裂した。

  交渉が決裂する事をおそれず「インドの農業を守りたい」と言える自信。これが政治家だ。

  日本の政治家がここまで言えるか。

  ちょうど同じ頃、日本の閣僚達は外国人記者を避けて日本人記者相手に会見していた。

  「外国人記者の厳しい質問にはとても答えられない」(政府関係者)(8月1日朝日)という。

  言葉で勝負する前に負けている。

  秋葉忠利広島市長の次の言葉もいい。

  8月6日の広島原爆記念日の挨拶文の要旨を、1日の記者会見で披露した時の言葉だ。

  「核兵器は廃絶されることにのみ意義がある」

  核兵器に反対するこれ以上の言葉はない。

   蛇足ながら、もう一つの言葉を引用したい。

  これはほめる言葉ではない。嘲笑の対象として引用する言葉だ。

  「(現在の金融危機は)1世紀に1度起きるかどうか(の危機に)発展している」

   CNNのインタビューにグリーンスパン前FRB議長が答えた言葉であるという(8月2日読売)。

   サブプライムローンの危険性を知りながら放置した者の言葉だ。

   そのグリーンスパンを、かつて日本政府や経済専門家は、「米国経済を支えた神様だ」と絶賛していた。

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2008年08月01日

 小泉時代の終焉(その2)-小沢民主党の正念場

 小泉時代の終焉(その2)-小沢民主党の正念場


  改造内閣後の福田政権は果たして支持率を向上させる事が出来るだろうか。

  今度の改造内閣の顔ぶれはパフォーマンス好きの一般国民にとっては地味に見えるかもしれない。

  だから支持率は大して上がらないかもしれない。

  麻生幹事長は失言癖がある。問題発言をしないとも限らない。

  選挙対策責任者の古賀誠氏と麻生氏の対立関係もある。

  何よりも山積する内政・外交の難問がある。

  福田自民党にとっての正念場は続く。

  しかし、それにもかかわらず、私は今度の改造内閣は小沢民主党にとっては手ごわい相手だと考えている。

  むしろ正念場は小沢民主党の方かもしれない。

  なぜか。

  一つには改造内閣の顔ぶれだ。よく見ると強力な顔ぶれだ。浮ついた小泉パフォーマンスを排除した、本来の挙党一致内閣だ。

  小泉自民党とは違って平沼グループや国民新党などとも寄りを戻せるかもしれない。

 二つには政策面における手ごわさだ。

  改造後の新福田自民党は、一方において生活重視の政策を更に打ち出し、アジア重視の外交を続け、他方において麻生氏を前面に出してナショナリストの感情をなだめる。

  つまり民主党との違いをなくす一方で、民主党の弱点である左翼的な部分と対抗して幅広い国民の支持を求めていこうとするからだ。

  三つ目には民主党に自滅、分裂の脆弱さが常につきまとうからだ。

  自民党はあらゆる手段を講じて民主党の自滅を画策してくるだろう。民主党議員の醜聞一つで世論の動きは移ろう。

  その謀略を小沢民主党ははねつけられるか。

  その一方で小泉元首相の揺さぶりがある。

  自民党の中に居場所がなくなった小泉元首相が、このまま引き下がるとは思えない。メディアが小泉人気をあっさりと手放すとは思えない。次男を当選させなくてはならないという事情もある。

  小泉元首相は民主党に手を突っ込んで新党づくりに動き出すかもしれない。

  小沢民主党はその画策に耐えられるか。

  小沢民主党の悲しいところは、このような自民党や小泉元首相の手練手管に負けない政治家が、あまりにも少ない事だ。

  小沢一郎自身の国民的人気がいつまでたっても低い事だ。

  これからが小沢民主党の正念場である。文字通り解散・総選挙に向けて福田自民党と小沢民主党のガチンコ勝負である。

  国民にとっては最大の見せ場が明日から始まるということだ。
  

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2008年08月01日

小泉時代の終焉(その1)ー福田自民党政権の正念場

 小泉時代の終焉(その1)-福田自民党政権の正念場

  これから週末にかけての政治ニュースは福田改造内閣をめぐる政治評論で一色になるだろう。

  その前に私が先手を打って独断的解説をしておく。

  今度の内閣改造の最大の目玉は麻生太郎が幹事長となったことだ。

  およそ福田首相と肌色の異なる麻生氏。

  一年前の自民党総裁選では福田首相と一騎打ちの戦いをした麻生氏。

  福田政権ができた時、考えが違うと言って入閣を断った麻生氏。

  その麻生氏に福田首相は幹事長就任を頼んだ。その要請を麻生氏は今度は引き受けた。

  自民党生き残りのための見事な打算だ。政治ドラマだ。

  選挙に勝ったら次はお前だ、とでも福田さんは麻生氏に言ったのではないかと思いたくなる。

   次の総選挙は文字通り福田自民党の正念場である。

   選挙に負ければ福田首相は与党自民党最後の首相という汚名を背負う。

   自民党が下野すれば、70歳近くの麻生太郎の首相就任の可能性は完全になくなる。

   後のない二人の自民党政治家が、次期総選挙で勝つために、自分を殺して手を組んだのだ。

   この事は何を意味するか。ついに福田首相は小泉時代を終わらせたということだ。

   これこそが私が今度の内閣改造で最も注目した点である。

   かねてから私は、福田首相が小泉元首相を嫌っていると考えてきた。そう指摘してきた。

   その傍証はいくらでもあった。

   そもそも小泉政権時に官房長官を突然辞したのは、飯島勲を増長させた小泉への抗議だった。   
   田中真紀子が外相を更迭され涙を見せた時。小泉元首相は女の涙は最大の武器だと言った。それを聞いて「小泉首相に泣かされてみたい」などという気色悪い言葉を吐いて忠誠を尽くした川口順子参議院議員に対し、「環境大臣をやっていたのだから(勝負服の)赤ではなく、緑色の服を着たらどうか」などと福田首相が皮肉っていた。

   最近に至っては小泉元首相の福田おろしの言動に心底頭に来ていたに違いない。なにしろ内閣改造や解散・総選挙と言う首相の専権事項について、あれこれと無責任な発言を繰り返していた小泉氏だった。

   その小泉氏の子分だった飯島勲の福田批判も福田首相にとって許せなかったに違いない。

   支持率を回復するためには小泉人気を使えばよさそうなものだが、福田首相は決してそうしなかった。

  「(山口補選の)応援演説を頼んだらどうか」、とか「後期高齢者医療制度の説明は、(それを導入した)小泉元首相にしてもらったらどうか」などという周りの声を、福田首相は露骨に無視した。

   そして麻生太郎の幹事長要請だ。小泉とは相容れない麻生氏だ。小泉元首相の政策を批判を公然と行なう。しかも麻生氏には小泉的な大衆人気がある。

   小泉人気を拒絶し、麻生氏で自分にない人気を取ろうとしたのだ。

   小泉政治との決別は閣僚人事にも現れている。

    下馬評にあがっていた小池百合子を決して入閣させようとしなかった。

    それとは好対照に、小泉元首相を批判し、刺客を送られ、その刺客と戦って勝った野田聖子を入閣させた。

   見ているがいい。これからの政局で、自民党議員としての小泉純一郎の出番はなくなるだろう。

   福田首相は麻生氏とともに選挙に戦うのだ。自民党の大方の派閥の領袖もそれに協力する。

  彼らは、自分だけ好き勝手をして自民党を壊した小泉を憎んでいる。

  小泉人気に頼ることなく選挙を戦う覚悟をしたのだ。もはや小泉氏など相手にしないだろう。

  こうなれば自民党主要議員の中に友人を持たない小泉元首相の居場所はなくなる。

  それとともに武部や小泉チルドレンはもとより、中川秀直や小池百合子などの出番もなくなる。

  小泉政治、小泉劇場の終焉である。

   

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2008年08月01日

WTO交渉の決裂と日本の沈黙

 WTO交渉の決裂と日本の沈黙

 たとえば、悪事をあばいて批判してみたり、平和が一番と叫んだりする事は簡単である。

 私がこのブログで毎日行なっている事だ。

 あるいはその逆に、政府側に立って政策の正当性を主張したり、軍備なくしてどうして国が守れるのか、と居丈高になるのも簡単だ。よく見かける保守、反動ブログが好例だ。

 しかし、本当に難しい事は、白黒つけられない問題にどう答えを出すか、そしてその答えの正統性を、自信をもって不特定多数の人々にどう説得できるか、という事である。

 WTO交渉の決裂を見てそう思う。

 資源を持たない貿易立国の日本は自由貿易の最大の受益者である。

 そしてその通り、日本は戦後の世界自由貿易体制(GATT)の恩恵にあずかって、戦後復興と経済成長を成し遂げた。

 ところが、自由貿易体制は強者の論理である。

 世界の大多数はいわゆる開発途上国という弱者である。

 しかも、どのような国でも、つまり米国や欧州や日本といった西欧先進国でも、国内に開発途上産業、衰退産業という弱者を抱えている。

 強者の論理で、強者の利益だけでなく弱者の要求をどう満たすか。これこそが近年のWTO交渉の難しさであった。

   話は横道にそれるが、かつて私は1970年代の末にスイスのジュネーブにある国連日本政府代表部に勤務し、そこで連日行なわれる経済交渉会議に携わっていた事がある。

   当時ジュネーブの経済交渉といえば、開発途上国問題を扱うUNCTADと、先進工業国間の自由貿易を話し合うGATTの二つに大別されていた。

   UNCTADは、多数の弱者途上国と先進国が対立する労使交渉のような会議で、小田原評定だとGATTの担当者からはバカにされていた。

   それに引き換えGATTは、先進国主導の交渉だった。

   利害が激しくぶつかるかわりに、最後は結論がでる。

   規則に違反する経済活動を行なえば訴訟で白黒をつけられる合理性がある。

   必然的にGATTの交渉は真剣なものになるが、先進国は、そのプライドをかけて最後は交渉をまとめる、そういう不文律があった。

   それが変わり始めたのが私がジュネーブにいた70年代末であった。

   おりから起きた開発途上国の資源ナショナリズムなどにより、国際貿易において開発途上国の意見を無視できなくなったのだ。いわゆるGATTのUNCTAD化である。

   その時のGATT担当者が、GATTも堕落したものだと嘯いていたのを今でも私は思い出す。

   それから30年、いまやGATTはWTOと名前変え、多くの開発途上国を参加国とする世界的機構になって久しい。

   しかも開発途上国はもはやかつての開発途上国ではない。

   インド、中国、中東金融資本国、などと、成長著しい新興発展国としてサミットにまで招かれるように成長した。

   その一方で米国や欧州の先進国にとって、国内産業保護は、ますます重要な国内政治問題となりつつある。

   従来ならば先進国同士が国内産業保護について妥協すれば交渉はまとまった。 

   欧州と米国が妥協すれば、日本がはじき出されて終わりだった。

   今回の交渉もそういう結末で終わりそうだという報道もあった。

   ところが突如としてインドが米国に反撥し、中国がそれを支持した。

   この両国は、もはやかつてのインドや中国ではない。世界一、二位の人口を抱え、経済、技術力の向上を果たした自信に満ちた国だ。

   西欧先進国に追いつこうとするこれらの国にとって、国の経済発展を第一に優先する事に何のためらいもない。

   国民はそれを支持する。国民の支持を背景に堂々と自国の国益を主張できる国となった。

   だからWTOが決裂するのはやむを得ない。

   そしてこの事はWTOの将来に暗い影を投げる。

   世界的な自由貿易体制を目指すこれまでの方向から、新しい時代のブロック経済化時代に移行する前兆である。

   そこで日本である。

   どの新聞を見ても日本の存在感のなさを嘆いている。

   しかし、それは無理もない。

   日本は世界で最も低関税率を誇る産業、技術先進国であるにもかかわらず、その一方でコメを最優先する農業保護政策国であるからだ。

   おまけに日本は、米国やインドや中国のように、「国益優先で何が悪い」と開き直る強さがない。戦略がない。

   さらにいえば日本は、低価格の自国農産物を海外で売りさばくために開発途上国にまで関税削減を求める理不尽な米国に、何も言えない国なのだ。

   7月31日の読売新聞に次のような光景が描かれていた。

 ・・・ジュネーブのホテルの一室では、農林族と農林水産省や外務省の幹部が、「ありがとう」、「ご苦労さま」と声を掛け合い、がっちりと握手した・・・

   つまり日本は、自分達が悪者にならずに交渉が決裂した事で、結果的には農業を守れてよかったのだ。

  その一方で経済産業省や日本の産業界は、「輸入拡大という自由化のメリットを逃がした」、「長い目でみれば決裂は損失が大きい」などと言う。

  要するに、日本全体としてコンセンサスがないのだ。

 貿易自由化と農業保護という相反する政策を、いつまでたっても調整できないのだ。

  WTO交渉決裂を報じた日の各紙はすべてこの問題を社説で取り上げた。

  そしてその社説はすべて、貿易自由化を後戻りさせるな、農政改革に取り組め、というものだ。

  建前ではその通りだ。しかしわかっていてもそれが出来なかったのがこれまでの日本であった。

  その最大の理由は政治が国益をまとめ切れなかったからだ。

  政治家が選挙の票を優先して、政策を歪めて来たからだ。

  それを一言で言えば政治にリーダーシップがなかったからだ。

  最近の日本の政治でリーダーシップを発揮した首相は小泉元首相だと言われている。

  私もそう思う。

  しかし、小泉元首相のリーダーシップは、間違ったリーダーシップであった。

  日本を破壊し、米国に日本を売り渡し、アジアを敵に回した、おろかなリーダーシップであった。

  いまこそ正しいリーダーシップを持った政治家が現れなくてはならない。

  自分の私利私欲、気まぐれの小泉偽改革ではなく、国民のための真の改革ができる指導者が必要だ。

  果たしてそのような指導者があらわれるのか。

  WTOの交渉決裂と日本の沈黙を見て、つくづくそう思う。

  

 
   

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