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2008年07月24日

  立ち話しかできない日本の北朝鮮外交


 立ち話しかできない日本の北朝鮮外交

   岩手地震がもう少しはやく起きていれば今朝の紙面は地震記事で埋め尽くされていたに違いない。

   しかし外務省にとっては残念な事に、地震記事は朝刊には間に合わなかった。

   おかげで24日の各紙は北朝鮮の核問題をめぐる6カ国外相会議の空虚さを競って報道していた。

   どれも内容は同じだ。見出しをざっと拾ってみてもこの調子だ。

  「空虚な政治ショー」、「検証手順 進展なし」、「拉致再調査 空文化の恐れも」(毎日)。

  「核検証 議論進まず」、「拉致再調査、動きなし」(朝日)。

  「北は見通し示さず 再び見返り要求」(読売)。

  「米朝思惑外交ショー」、「北、前向き姿勢を演出」、「日本 進展ムード 警戒」(東京)。

  「同床異夢の6カ国協議」、「まず拉致進展 原則貫くしかない日本」(産経)。

  「核検証、駆け引き続く」、「北朝鮮 見返り支援に固執」、「拉致進展見えず」(日経)。

   ここまで各紙の見出しが一致するのもめずらしい。よほど不毛な外相会合であったに違いない。

   驚くべきは次の記事だ。

  拉致問題解決に向けて米政府の働きかけを重ねて要請した際、高村外相は「北朝鮮は6月に約束した再調査を実施していない」(からテロ指定解除には慎重に対応してほしい)とライス長官に伝えたという。

  その時のライス長官の返答が

  「日朝間でまったく何も起こっていないのか」というものだったという。(読売、朝日、毎日)

  報道では、ライス長官は、「よくわかった。北朝鮮にしっかりメッセージを伝えたい」とされている。

  外務省が流した一方的な情報にもとづく記事はだいたい嘘であると相場は決まっている。

  ライス長官の本心は、「なにをもたもたしているのよ。信じられない」というものだったに違いない。

  それよりも惨めなのは、北朝鮮外相との接触が立ち話でしか出来なかった、という事実だ。

  その立ち話で高村外相が「(拉致問題を含む)諸懸案を解決し日朝関係を進めよう」と呼びかけたのに対し、北朝鮮外相は一言「同意する」といったと言う。

  高村外相が自分からわざわざ記者団にブリーフしているのだ。アリバイ作りだ。北朝鮮外相は本当に「同意する」などと言ったのだろうか。とてもそうは思えない。

  実は同様な事は以前にも繰り返されていた。

  最近外務事務次官に昇進した藪中氏がアジア太平洋局長の時だ。会おうとしない北朝鮮側代表の腕をつかまえて無理やり一言発してみる。

  それが「北朝鮮代表との会談」に化けて日本記者団に説明され、「話し合った」という記事になる。

  会えずに帰ってきたとなると面目が立たないから、アリバイをつくる。

   なんとも情けない外交の繰り返しである。

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2008年07月24日

 無差別殺人事件を防ぐ事の出来ないこの国の政治


 無差別殺人事件を防ぐ事の出来ないこの国の政治

  ここまで頻繁に無差別殺人事件が起きると、さすがにこの国は壊れてしまったと思わざるをえない。

  いくらその背後にある原因を論じてみても、もはやむなしい。

  おそらく今後も同様の事件が後をたたないだろう。

  そうであるならば、我々は、国をあげて真剣に早急な対策を考えなくてはならないのではないか。

  どのような対策が効果的かは、勿論誰にもわからない。

  しかし、それでも、あらゆる叡智を結集して対策を講じなければならない。

  そしてその責任は真っ先に政治にある。

  政治家がその暇と金と権力を結集して、行動に移さなければ職務怠慢だ。

  ところが7月23日の日刊ゲンダイは、小泉元首相が最近ボーリングに凝っているというニュースを流していた。

  しかもただのボーリングではない。一時間何万円もする高級ボーリングサロンで、小泉チルドレンらを集めて生き残りを策しているというのだ。

  本当なのか。俄かには信じられない話だ。

  現職の政治家が、しかもこの国の総理として5年半も国政をあづかった者が、この時期にそんな事が平気で出来るものなのか。

  もし日刊ゲンダイの記事が事実であれば、それを一言も糾弾しない、出来ないテレビや大手メディアは異常だ。

  それ以上に異常なのは、小泉純一郎という人間の人間性である。

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2008年07月24日

インド洋で米国に給油するのでなく、日本国民に回すべきだ


 インド洋で米国に給油するのでなく、日本国民に回すべきだ

  この言葉は、23日の記者会見で福島瑞穂社民党党首が話した言葉であるという。

  その事を24日の毎日新聞がベタ記事で遠慮がちに報じていた。

  これは大部分の国民が心の中で思っている素直な考えであろう。

  高い価格でメジャーから原油を買わされ、それをそのまま米軍に給油するなどという馬鹿げた事を行なっている国が世界にあるだろうか。

  その一方で、日本においては、漁民や運送業者などが休業を迫られ、国民は運転を節約するという窮状である。

  しかも、来年1月に期限が切れるそのテロ給油法を延長することが、来るべき臨時国会における、自公政権の最優先課題であるという。

  どう考えてもおかしいではないか。

  しかし、このあたりまえのことが、福島社民党党首から語られる時、誰も相手にしない、そこがこの国の深刻な問題である。

 このようなあたりまえのことが、国民的人気のある東国原知事や橋下知事からは決して出てこない、そこがこの国の深刻な問題である。

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2008年07月23日

解決できない年金問題と舛添大臣の責任

 解決できない年金問題と舛添大臣の責任

  私は60歳の誕生日を迎えた昨年7月19日から月額14万608円の国家公務員共済年金を受け取る年金生活者となった。それから一年が過ぎた。

  その額では足らないと、64歳からの追加支給を前倒しする手続きを近くの社会保険事務所に赴いて行なってきた。

  いくつかの不利な条件を認めたうえで、10月ごろの支給から年額50万円ほどの追加が認められることになった。

  それでも月額20万円にも満たない。しかしこれが私が生涯受け取る年金額のすべてであることを知らされた。

  35年間キャリア外交官として共済年金を払い続けてきた私が受け取る年金のすべてである。

  共済年金の支払額は、大まかに言えば生涯給与の平均と勤続年数の月数で計算されるらしい。

  数年前に退職を迫られた私の年金受給額が、今でも大使を続けている同僚がやがて40年あまりの任期をまっとうして受け取る年金額より少ない事は明らかである。

  それでも、私より少ない年金額すら、年金記録不明で受け取れない国民にくらべれば、親方日の丸だと言われるだろう。

  それほどにこの国の年金制度の矛盾は深刻なのだ。

  ところが、根本的な制度改革をしなければ公正な年金制度の存続はありえないことがここまで明らかになったというのに、年金記録の不備ばかりが議論され、社会保険庁をつぶして新しい日本年金機構をつくるといった組織いじりばかりが議論され、肝心の年金制度見直しが進まない。

  なぜか。その理由は簡単だ。

  年金制度の根本的改革は今の政権とそれを支える官僚では出来ないからだ。

  そして、そんな政府、官僚の無能を、国民が一丸となって追及できないでいるからだ。

  今の年金制度で困っていない人たちが、まちがいなく多数いる。

  先般近くの病院に行って待合時間をある老人と話す機会があった。

  その老人は、たしかに後期高齢者医療費の値上げと天引きについて怒っていた。

  ところがその老人の年金受給額を知って驚いた。私の受給額よりはるかに多いのだ。

  その老人は大企業のサラリーマンではない。ふつうの地方の勤労者だったという。

  いうまでもなく、年金をかなり前から受給している人たちは、制度が変更しても遡及しないから、その受取額は多い。不満を言えばきりがないが、贅沢をしなければやりくりできる年金受給額だ。

  たとえば塩川正十郎のように、自分は十分な収入があるので、面倒な手続きをしてまで年金を受け取らなくてもよい、などとテレビで豪語する軽率な者がいる。

  福井日銀総裁のように、毎年の年金額だけでも800万円も受け取っているという報道もある。

  このような恵まれた国民に、年金改革への切羽詰った関心がないのは当然だ。

  しかし、一般国民の中にも、早々と年金生活をして既得権を確保している国民は、既得権を損なわれる年金改革には断固として反対するに違いない。

  今日(7月23日)の日経新聞「ザ厚労省」⑤に、公的年金制度の源流である労働者年金保険制度の創設者である旧厚生官僚、花沢武夫(故人)の次の言葉を見つけた。

 「・・・すぐに考えたのは膨大な資金の運用ですね。何十兆円もあるから、一流の銀行だってかなわない。厚生省の連中がOBになった時の勤め口に困らない。年金を払うのは先のことだから、今のうちにどんどん使ってしまって構わない・・・」

 花沢は死んだ。しかし花沢のような性根の厚生官僚が、年金記録の不備、喪失をもたらしたのだ。

 そこに殴りこんだのが舛添大臣であったはずだ。年金問題の解決は不可能だと暴露したのが枡添大臣だった。それゆえに国民的人気が高まった。

 その舛添が、ある時点で手のひらを返したように豹変し始めた。厚生労働省の味方になった。

 そして、噂される次の内閣改造で、「全力でやっていく」とデモンストレーションをして留任工作をしているという(23日毎日新聞)。

 「それほどまでして大臣がやりたいのか」

 その問いかけに、彼は応えるだろう。

 「その通りです。大臣になってこんなにいいものだとは思いませんでした。手放したくないです」と。

 そこが舛添の面白いところだ。憎めないところだ。

 確かに舛添以外の誰になっても年金問題は解決できないだろう。

 しかし、人気があるからといって福田首相が舛添大臣を留任させるようではこの国はおしまいだ。

 年金問題を何一つ解決できなかった舛添えには、責任はとってもらわなくてはいけない。

 けじめすらつけられない福田政権では、年金問題は決して解決しない。

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2008年07月22日

蟹工船ブームと日本共産党の勘違い


 蟹工船ブームと日本共産党の勘違い

  日本共産党の主張する政策は私もその殆どを評価する。

  しかし私は共産主義を認めない。平等よりも自由を選ぶからだ。

  そのような私を日本共産党は受け入れない。私も日本共産党に媚びる必要は何も無い。

  だから、かねてから気になっていたことを今日のブログで書く。

  私にその気を起こさせたのは、昨21日の夜のビートたけしのTVタックルで、日本共産党がみようにはしゃいでいたからだ。

  共産党本部にカメラを入れ、志位委員長や小池政策委員長があの低俗番組に媚びていた。

  最近の共産党議員は娯楽政治番組の常連となっている。選挙前に高感度をあげようとする計算がありありと見える。本来のあるべき姿ではない。

  小林多喜二の蟹工船がブームである。そのおかげかどうかは知らないが、最近の世論調査では日本共産党の支持率があがっている。党員の数も増えていると報道されている。

  御同慶の至りだ。皮肉でなく本心から喜んでいる。

  自公政権の支持率があがるよりも野党の支持率が増えるほうがいいと、私は思っている。

  たとえ日本共産党であっても、その支持率の増加は歓迎する。

  しかし日本共産党は勘違いしない方がよい。

  若者の心を捉えたのは小林多喜二であり日本共産党ではない。

  若者の心を捉えたのは蟹工船で描かれている労働条件の悲惨さであり、日本共産党のプラットフォームではない。

  そうであるとすれば、日本共産党が真っ先に行なう事は、その若者の期待に応えて、苦しい状況を改善する政策を一つでも実現することだ。

  そのためには野党協力が不可欠である。日本共産党だけでは何もできない。

  自公政権はもとより他の野党まで批判、排斥して、一人日本共産党だけが正しいと言い張るのは、傲慢である。

  唯我独尊の私が、日本共産党を唯我独尊の傲慢な政党であると批判する。

  これはほとんどジョークだ。

 「お前にだけは言われたくない」と、日本共産党は言うだろう。

 しかし、どうしても言わざるを得ない。

 日本共産党のどこが問題なのか。それは国民の味方だと言いながら、国民を見下したエリート集団が日本共産党を動かしているからだ。

 国民を見下すことにかけては誰にも負けない官僚を経験した事のある私が、そう感じるのだから間違いない。

 日本共産党よ。勘違いしてはいけない。

 日本共産党の支持率が増えているのは、国民生活が待ったなしに苦しくなっているからだ。

 その国民を救う政策を実現することが日本共産党の役割なのだ。

 そのためには他の野党と協力しなければならない。

 他の野党が、日本共産党と協力してもよいと思うような、そういう柔軟な日本共産党にならなければならない。

 

  

  

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2008年07月22日

教員の不正採用、昇格問題は単なる金銭的な問題だけではない


 教員の不正採用、昇格問題は単なる金銭的な問題だけではない

   不正人事の口利きにこれだけ多額な金品が動いていたとは驚きだ。

  えらそうな顔をしている教育委員長や教育委員会の連中が、ここまで堕していたとはお笑いだ。

  そして、このブログでも書いたが、政治家が口利きしていることがここまで明らかになり、元小泉首相の政治秘書がみずから口利きの事実を認めているのに、まるで腫れ物にさわるように、テレビや大手新聞が一切これを取り上げない偽善ぶりは噴飯ものだ。お前らいい加減にしろ、と一喝したい心境だ。

  しかし、この不正人事の問題は、単なる金銭的な贈収賄にとどまらない。それを教えてくれたのが、7月22日の東京新聞「本音のコラム」だ。

  筆者であるフリーライターの鎌田慧は、愛知県某市の教員採用を巡る取材経験から、「政治家と官僚に支配されている教育を市民に取りもどさなければならない」、と次のように書いている。

 ・・・子供好きで、きっといい教員になると想像させる学生が試験に受からない背景には、教育委員会の日教組対策があった。親が校長などコネ採用の子なら組合運動に走らないよう人質にできる・・・教育委員は知事、市町村の任命。実務の最高責任者である教育長は教員の出世コース。文部科学省による上意下達。馴れ合い「教育界」が泥沼化してボウフラがわいた・・・

  これが教員不正人事事件のもう一つの正体である。

  そういえば政治家や官僚のメディア買収というのもある。機密費をつかって同行取材をさせたり、会食にさそったりするアレだ。ひどいのになると金品を渡す。

  これは金銭がらみのみみっちい話にとどまらない。

  政府批判の記事を書かせないようにするためだ。犯罪まがいの醜聞にメディアを誘い込んで、いざと言う時には、「ばらすぞ」と脅かす武器を手にする。

  権力を監視すべきメディアが、政府、官僚批判の記事が書けなくなった一つの理由がここにある。

  口利きや買収の本当の罪は、政策をゆがめ、情報操作をして国民を欺く事にある。

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2008年07月21日

「緊迫」も「躍動」も消えた政治


 「緊迫」も「躍動」も消えた政治


  断っておくが、これは私の言葉ではない。7月21日の日経新聞に出ていた政治記者の田勢康弘氏のコラム「核心」の見出しの言葉である。

  その言わんとしていることは次のごとくである。

 「政治から躍動感が消えてしまった。手に汗握るとか、期待に胸膨らますというものがない。だからいま、テレビで政治を取り上げると、分刻みで視聴率が下がっていくという・・・自民党はいま総選挙をすれば議席の大幅減は必至だから、なるべく来年にしてほしいというのが本音だ・・・民主党にしても、選挙資金が相当不足しているのではないかという見方があり、必ずしも早期解散・総選挙を望んでいるとは言い切れない・・・自民党の中には福田首相のもとでの解散・総選挙は政権を失う可能性が高いと見る人たちが多い。だからといってポスト福田へ立ち上がろうという気配は感じられない・・・民主党でも党首選に意欲を見せているのは河村たかし氏ぐらいで・・・結局(誰も)出馬しないのではないか・・・だれか小沢氏の対抗馬として出馬して、党首選を盛り上げないと国民の支持を失う、という声もあるが、莫大な費用をかけてまで盛り上げる必要があるのかという現実的な問題もある・・・
 日本全体がどこか覇気に乏しく、保身と責任逃れに明け暮れているような感じがあるが、政界もまたその傾向が強い・・・世界経済は明らかに今年後半から大型台風発生の予兆を示している。原材料高と金融システムの不安を抱え、いまこそ、政治が緊張しなければならないときに、あまりにも小さな政権奪取ゲームに明け暮れていないか・・・」

 その通りである。

 しかしこのような立派な意見を書いている田勢康弘氏は、同じ日の夜の、「ビートたけしのテレビタックル」なる娯楽番組に出演して、本業を忘れた与野党の政治家たちとうつつを抜かしていた。

 いまの政治は、与野党の政治家と政治評論家たちの、飯の種としての営業活動でしかないのだ。

  そう思っているうちに、ストリートペーパーであるザ・ビッグ・イッシューの75号に掲載されていた抗議票党(プロテスト ボート パーティ PVP)の事を思い出していた。

 投票用紙に「どの候補もダメだ」と書きなぐったのではせっかくの意思表示も無効になる。しかし、「立候補者のいずれも投票するに値しない」と思いたくなることが確かにある。

 その思いを政党の形で実現しようとする動きが欧米で広がりつつあるというのだ。

 「私たちは、一般市民が投票において『該当者なし』という欄に印をつける権利があると信じている」と語る英国の抗議票党もその一つだ。

 確かに抗議票党の候補者が当選すれば、自動的にその分だけ当選する政治家が減ることになる。

 抗議票党の候補者は、当選と同時に辞任すればいいのだが、繰り上げ当選で他の候補者が当選する事を防ぐために、抗議票党の議員として存在し続ければいい。そのかわり一切の報酬、特権を放棄すれば議員の数を減らす事が出来る。

 「該当者なし」の動きは英国にとどまらない。米国では消費者活動で有名なラルフ・ネーダーが「該当者なし欄」立候補者として大統領選に立候補したり、フランスでは「空白投票運動」、ウクライナの「全員に反対」投票、スペインの「空白で投票」など、民主主義体制のある多くの国に、不投票者を組織し、立候補者すべてを拒否する意思を表示することで現状を変えようと活動する団体が確実に増えつつあるという。

 そういえばサミットやWTOをボイコットして世界の市民をネットワークで結ぶ、もう一つの世界をつくるという動きなども、根底には同様の思想があるのかもしれない。

 このような動きが実際問題として広がっていくかどうかは疑わしいだろう。

 しかしいまの日本の政治と政治家を見ている限り、私がいつも半分冗談で、半分真剣に訴えている、すべての政党、政治家は不要である、という思いが、どんどんと膨れ上がっていく。

 「この豚野郎はどいつもダメだ」(米国のカルト映画監督ジョン・ウオルター)の心境に共感を覚える。

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2008年07月21日

これほど暮らしが危機状況なのに、なぜ緊張感が感じられないのか


 これほど暮らしが危機的状況なのに、なぜ緊張感が感じられないのか

 日本の新聞を代表する読売と朝日が、21日の一面で、奇しくも米国と日本の国民の暮らしの危機的状況を大きく取り上げていた。

 すなわち、読売新聞は、醜悪なまでに貪欲になった金融資本主義の鬼子であるサブプライムローンの破綻の結果、普通の米国国民が、「金も職も希望もなくなった」生活を強いられている現状を報告している。

 家を追われた「ローン難民」が、医療を受ける経済的余裕をなくし死んでいく。名門大学を卒業し、キャリアのある者たちでさえ職探しに困窮して車中生活を強いられる。そういう米国の現状が活写された記事だ。

 その一方で同じ日の朝日新聞一面では、日雇い長距離運転手の過酷な労働状況が書かれていた。自宅を出て13日間、車中で寝泊りして走り続ける。睡眠時間をけずり、パーキングエリアで3分100円のシャワーをとり、ペットボトルに小便しながら走り続ける。それでも年収300万円程度だと言う。

 奇跡的な戦後復興を成し遂げた国と喧伝されていた日本が、なぜこのような人権軽視の国に急速に転落していったのか。

 どう考えても危機的状況あるのに、政府・官僚や政治家には何一つ解決策が提示できていない。それにもかかわらず国民の怒りが一向に政治に向かっていかない。

 その理由はこの国がどんどんと二分化されつつあるからだと私は考えている。

 暮らしの困窮ばかりが報道されるけれど、その一方で生活に困らない恵まれた層が日本を牛耳っているからだと思っている。

 年金だけでおよそ800万円を受け取っている元日銀総裁などの連中と、時給1000円前後の非正規労働者が当たり前のように並存しているのが今の日本だ。

 そして、最も重要なことなのであるが、そのような恵まれた層の中で、ただの一人も、弱者のために自分の地位や財産のほんの少しでさえ犠牲にして、本気で貢献しようとする者が出てこない日本がある。

 ここに私は寂しさといらだたしさを覚えるのだ。

 恵まれた立場の政治家や官僚や評論家や財界人が、メディアと一緒になって政治や経済をまことしやかに語る。

 その一方で、おびただしい数の無名で善良な国民が、声高に叫ぶことなく、だまって助け合いながら毎日を必死に生きている。

 この国は、そのような人たちがいることによってかろうじて保たれている。

 

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2008年07月20日

なぜ防衛予算を削減して国民生活の救済に回せないのか


 なぜ防衛予算を削減して国民生活の救済に回せないのか

  多くの日本人は、聖路加国際病院理事長である日野原重明さんを知っているであろう。

  そして、96歳の高齢でなお現役の医者を続けている彼の誠実な人柄を、多くの日本人は敬意をもって認めているに違いない。

  その日野原さんが7月19日の朝日新聞土曜欄の連載コラム「96歳、私の証 あるがまま行く」のなかで、軍事費を老人医療費に、と次のように訴えておらる。

  ・・・高齢化傾向は今後ますます進み、老人にかかる医療費が増え続けることは明白です。付け焼刃な制度で国民に負担を強いる前に、もっと工夫の余地はあるはずです。
  一つの提案として、自衛隊の維持費や駐留米軍への思いやり予算など、軍事にかかる費用の一部を回してはいかがでしょうか。平和憲法を守るためにも、よいアイデアだと思います・・・

  ふつうの国民であれば誰もがそう思うに違いない。

  20日朝のテレビの政治番組はガソリン高騰の為に漁民の一時休業を取り上げていた。その対応策をめぐる議論の中で、ただ一人共産党の政治家だけが、イージス艦一隻の購入を控えるだけで、漁民を助ける十分な財源が確保される、と指摘していた。

  「イージス艦とは、この間漁船に衝突して沈没させたあの自衛艦船ですが」という解説は、皮肉であるとしても、まさに緊急必要性を考えた場合、この発想が重要である。

  この当たり前の事が共産党議員からしか出てこないところに今の日本の政治家の限界がある。

  今、日本国民の生活は未曾有の苦境にある。それなのになぜ迅速で、的確な問題解決の具体策が講じられないのか。

  それはこの国の予算編成が政治家と官僚に独占されているからだ。

  国民の税金で公務を任せられている彼らが、国民の声を聞くことなく、国民の税金を独り占めしているからだ。

  予算編成権を国民に手に取り戻す。政治改革の本質は突き詰めればここに帰着する事である。  

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2008年07月19日

政府が交渉する相手は沖縄県ではない。米国政府だ。


 政府が交渉する相手は沖縄県ではない。米国政府だ。


  米普天間飛行場移設に関する政府と地元側による協議会が18日、官邸で開かれたという。

  そのニュースを見るにつけ、この協議の不毛さ、ばかばかしさを指摘せずにはいられない。

  政府が沖縄県側とどのような話し合いをしようとも、米国は、06年に日米政府で合意した今の移設案(名護市辺野古崎におけるV字形滑走路の変更は一切認めないと繰り返し強調している。

  仲井真知事が、「滑走路の沖合いへの移動」を求め、町村官房長が「滑走路を沖合いに出してもいい。100メートル出せというなら検討する」(19日朝日)と空手形を切って見ても、米国がこれを認めなければ一人相撲だ。

  そんな米国の強硬姿勢を知っている石破防衛相は、「合理的な理由なくして変更することは困難」(19日東京)などと主張して、沖縄県側の前で政府の足並み不一致を露呈させた。

  こんな調子で政府と沖縄側がいくら話し合っても意味はない。時間の無駄だ。

  政府がまず話し合う相手は、米国政府なのである。

  「県議会選挙の与野党逆転で変更せざるを得なくなった。さもなければ在日米軍全般の見直し要求につながりかねない」と米国を恫喝して、米国に譲歩を迫る事だ。

  今回の協議では、政府と地元の溝が埋まらず、環境影響の評価や危険性除去の問題を検討する二つの作業チームを作っただけで終わったと言う。問題を先送りして終わったという。

  予算とエネルギーの無駄である。

  暑い夏だ。仕事は効率よくなされるべきだ。

  問題山積の政府である。一つでもはやく問題を片付けていくべきである。

  そのために政府が本気になってやるべき仕事は唯一つ。

  それは、地元に圧力をかけて飲ませようとすることではない。地元の意向を米国にぶつけて、国民の前で米国に譲歩を迫る事である。

  簡単な事である。問題解決を遅らせているのは政治家、官僚の米国恐怖症である。

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2008年07月19日

拉致問題が進展しない最大の理由


 拉致問題が進展しない最大の理由

  自民党の山崎拓という議員が、あたかも拉致問題の解決が出来るのは自分しかいない、といわんばかりに行動をしている。

  そんな彼の行動でも、たまには国民にとって役に立つ事はある。

  19日の各紙は、小さい報道ながらも、山崎拓議員が訪中し、中国共産党の王家瑞対外連絡部長なる人物と会談した事を報じている。

  その記事の中で見逃せないのが、王家瑞氏が語った次の言葉である。

 「解決が行き詰っていたのは、何をもって拉致問題の解決とするかの(問題で)日朝間に基準の不一致があるからだ・・・」

  この言葉の意味するところは大きい。いわば拉致問題の核心部分である。

  われわれが政府、外務省から繰り返し聞かされて来た事は

 「拉致問題の解決とは拉致被害者全員の救出である」という事である。

  しかしこの言葉は、実は何の意味も持たない。

  拉致被害者全員とは誰と誰の事を指すのか。我々はいまだかつて一度も政府から具体的なリストを示された事はない。

  そして拉致被害者の救出とは何を意味するのか。

  生きて帰ってくることか。それとも亡くなった者がいたとしてもその死亡が確認されればいいのか。

  何をもって日本政府は死亡が確認されたと認定するつもりか。

  それで日本国民を納得させられるのか。

  実は政府はこのような事について、いまだ一度たりとも国民の前に明確に考えを述べた事がない。

  それにもかかわらず北朝鮮との間では話し合っているのだ。

  政府の考えを示し、北朝鮮側の立場も聞いているのだ。

  そうでなければ中国の要人がこのような発言をできるはずはない。

  拉致問題が進展しないのは、もちろん北朝鮮側の硬直的な態度にある。

   しかし、その北朝鮮側を追い詰めることが出来ない最大の原因は、政府、外務省の秘密主義にある。

   国民に真実を隠しながら北朝鮮側と、落としどころを話し合う、もしそんな外交が進められているとしたら、拉致問題の誠実な解決は望むべくもない。

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2008年07月19日

長銀無罪判決で問われる本当の罪

 長銀無罪判決で問われる本当の罪

  7月18日、最高裁は、一審、二審の有罪判決を覆して、当時の日本長期信用銀行の元頭取らに無罪判決を下した。

  この衝撃的なニュースが日本中を駆け巡った。

  もはやバブル崩壊当時の状況を知らない世代も多くなった。

  だからこの判決の意味を理解できない者がいるかもしれない。

  しかし、バブル崩壊とその後の混迷を見てきた多くの日本人にとって、この判決は、当時の異常な状況を、鮮やかによみがえらせてくれた。

  そして、19日の各紙が報じる今回の無罪判決の評価を読む時、10余年の歳月が我々をして、今、当時の状況を冷静に考えさせてくれるようになった、と、つくづく思わざるを得ない。

  各紙がその記事のなかで、あるいはその社説の中で等しく指摘している事は、おおむね次のごとくである。

  ・・・逆転無罪判決は理解できる。一、二審の有罪判決の根拠となった粉飾決算事件は、旧大蔵省の通達による会計基準整備が周知徹底してなかった過渡期に起きた事件だ。

  経営者の責任は問われるべきであるが、長銀の幹部らだけを犯罪者とするのは法的に無理がある。

  問われるべきは自らの責任回避の為に、裁量行政(護送船団方式)から金融機関の自己責任へと法体制を切り替えた金融当局の行政責任ではないか。

  当時は、巨額な公的資金(税金)を投入して大手金融機関を救済したことに対する国民の怒りをそらすためにも、政府はスケープゴートを必要とした。

  その政府の意を汲んだ検察の国策捜査ではなかったのか。

  一審、二審の有罪判決は、世論の怒りや国策捜査の流れに逆らえなかったのではないか。

  あれから10年余りたって、やっと妥当な判決が出たということだ。

  しかし、これほどの事件が起きて、誰も責任を取らずに忘れ去ってしまっていいものか。

  真の責任者は政府、行政にあるのではないか・・・

  
   私もこのような解説に、おおむね賛成だ。

    しかし、金融行政に素人の私が、この判決の事をブログで取り上げる気になったのは、別のところにある。

  19日の読売新聞は元長銀マンたちの様々な反応について書いていた。

  その中の一人の言葉に次のような自戒の言葉があった。

  「無罪判決を素直に受け止められない。・・・法的には無罪でも、経済人としては許されない行為。経営陣だけでなく、すべての行員も、心の内で責任を感じなくてはいけない・・・」

   そうなのだ。悪い事だと内心気づきながらも組織の一員としてそれを見過ごしてしまう。

  その事が、結果としてどれだけ多くの社会的悪をもたらしてきたか。見て見ぬ振りをすることこそ罪ではないのか。

  その一方で、正義感に駆られて不正を告発したものが、どれだけ割りに合わない処遇を受けてきたことか。つまはじきされてきたことか。

  ここのところが逆転しない限り世の中はかわらないのだろう。

  見て見ぬ振りをする事自体が一つの犯罪であり、不正を告発した者への評価が、その身分が守られなければならないといった受身の立場から、不正の告発者は英雄であるという積極的な評価に変わらない限り、組織犯罪、権力犯罪は決してなくならないだろう。

  日本社会がそこまで変わることができるかという事である。

  長銀幹部の無罪判決が我々に投げかける本当の問いはその事である。

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2008年07月18日

 既存の政党、政治家が信用できない理由の一つがここにある


 既存の政党、政治家が信用できない理由がここにある

  任期満了にともなう山口県知事選は17日告示され、8月3日に投開票されるという。

  しかし、各紙が報じるその記事を見て、私は目を疑った。

  共産党が推薦する元山口県労連議長の新人候補と、4選を目指す現職知事の二人の一騎打ちであるという。

  あるいは私が間違っているのかもしれない。

 いずれ民主党が候補者を出し、その候補者を社民党や国民新党などが応援して、政権交代を争うごとく自公と野党連合の決戦になるのかもしれない。

 あるいは社民党がその他の護憲政党と一緒になって共産党候補を応援し、米空母艦載機部隊の岩国移転反対や、上関原発建設反対を訴えて明確な対立軸を示す選挙になるのかもしれない。

  しかし、報道振りでは、とてもそうは思えない。

  前回の選挙では現職知事は自民、民主、公明の各党の推薦を受けていた。そして今回も、4選禁止の手前自民、公明は県組織の推薦と言うごまかしをし、民主党は県議の自主支援という形をとっているが、事実上は前回と同じ、「与野党相乗り」であると、産経新聞などは明確に教えてくれている。

  護憲勢力が平和や環境などで結束する動きが見えてこない。

  地方選挙は国政選挙ではない、与野党相乗りは茶飯事である、などととしたり顔で説明するものがいる。

  とんでもない政治蔑視の発言だ。

  しかも今回の選挙は、政権交代がらみの政局のさきがけとも言うべき状況の中で行なわれる選挙である。

  年金問題や後期高齢者医療制度の失政は言うまでもないが、物価高騰、国民生活の困窮、地方の疲弊など、これまでの自公政権の誤りを追及する絶好のタイミングの中で行なわれる選挙である。

  もし民主党が独自の候補者を立てないようなら、そして社民党がその護憲の立場を鮮明にし、米空母艦載機部隊の岩国移転反対や、中国電力の上関原発建設反対で共産党や市民団体と一致団結して闘わないのなら、一体彼らは本気で国民の前に政治の選択を迫っていると言えるのか。

  ここに既存の政党、政治家が信用できない理由がある。今の政治が欺瞞に満ちたものであるかを見事に教えてくれている。

  前回の投票率が過去最低の38.22%であったという。当然であろう。選択のしようがない。

  

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2008年07月18日

 国家権力を甘く見てはいけない


 国家権力を甘く見てはいけない


  埼玉県で95年に起きた保険金殺人事件の被告である八木茂の死刑が確定した。

  最高裁が「巧妙で悪質な犯行」であり、「まったく反省の態度が見られない」として、被告の上告を棄却したからだ。

  私は凶悪犯に対する限定的な死刑執行についてはこれを是認する立場である。しかしこの事についてここで議論するつもりはない。

  私は世の中には冤罪事件が多く存在するという事を知っている。しかし八木被告の判決に関して、それが冤罪かどうかを論じるつもりはない。

 私がここで言いたいのは、国家権力の大きさ、強さ、怖さである。

 私は国家権力の誤りを厳しく批判してきた。それは権力そのものが、内在的に巨悪を伴っているものであるという一つの考えを持っているからだ。

 それが言い過ぎであれば、権力は濫用におぼれる、腐敗する、そういう特徴を持っている、といい換えてもよい。

 だからといって国家権力の全てを否定すると社会は成り立たない。無秩序、無政府状態となる。

 そうである以上、国家権力は認めなければならない。

 実際のところ国家権力はおおむね正しく使われているに違いない。

 八木被告の過去のビデオがテレビで流されていた。犯罪を否定し、警察を侮って悪態をついていた。

 しかし、彼がどのようにわめこうが、暴れようが、強がりを言おうが、国家権力はびくともしない。

 そして一瞬にして、国家権力は彼の命を奪い取ってしまう。

 麻原彰晃にしても、その他のいかなる凶悪犯罪人にしても、彼らがどのような抵抗を続けようとも、国家権力の前にはなすすべはない。

 権力の頂点にあった田中角栄でさえも、一瞬にして犯罪人となってすべてを失ってしまうのだ。

 それほど国家権力は巨大である。

 国家権力を決して甘く見てはいけない。

 問題は、国家権力が巨大、強大であるからこそ、国家権力の行使にあたっては、細心の注意が払われなければならない、ということだ。

 国家権力の濫用や、恣意的、不公正な適用は、何よりも残酷、非道な犯罪である、と思って、国家権力は国民から監視されなければならない、ということである。

 人類の歴史の中で、つい最近までは、個人と権力が一体となって思いのままの政治が行なわれてきた時代があった。

 今日の世の中でも、いまだに多くの国において、そのような非民主的な体制にある国が多い。独裁者が跋扈している国が多い。

 しかし、問題は、民主主義のチャンピオンとみなされる米国においてさえ、国家権力の不正、濫用、人権抑圧が行なわれているという現実である。

 そして、その米国を最良の同盟国と仰ぎ、「自由主義、民主主義」という普遍的価値観を最もよく共有している、と主張する日本において、権力の犯罪、不正、冤罪、隠蔽が後を絶たないことである。

 国家権力のすべてが悪いわけではない。むしろ悪は例外的、限定的と思いたい。

 しかし、たとえそれが例外的、限定的であるとしても、国家権力の犯罪は、その国民に与える悪が絶対的、暴力的であるがゆえに、決して見過ごされてはならないのだ。

 国家犯罪を裁く事が出来るのは、国民であり、その結集としての世論である。

 だからこそ国家権力は、その権力を使って、権力に楯突く個人を弾圧し、世論を誘導、情報操作するのである。

  我々は、国家権力の不正を許してはいけない。屈してはいけない。

  そのためには、国家権力を決して見くびってはいけない。

  なんでもかんでも国家権力に楯突いてエネルギーを空費してはいけない。

  本当に戦わなければならない時にそなえ、慎重に事を運ばなければならない。

  

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