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2008年07月22日

教員の不正採用、昇格問題は単なる金銭的な問題だけではない


 教員の不正採用、昇格問題は単なる金銭的な問題だけではない

   不正人事の口利きにこれだけ多額な金品が動いていたとは驚きだ。

  えらそうな顔をしている教育委員長や教育委員会の連中が、ここまで堕していたとはお笑いだ。

  そして、このブログでも書いたが、政治家が口利きしていることがここまで明らかになり、元小泉首相の政治秘書がみずから口利きの事実を認めているのに、まるで腫れ物にさわるように、テレビや大手新聞が一切これを取り上げない偽善ぶりは噴飯ものだ。お前らいい加減にしろ、と一喝したい心境だ。

  しかし、この不正人事の問題は、単なる金銭的な贈収賄にとどまらない。それを教えてくれたのが、7月22日の東京新聞「本音のコラム」だ。

  筆者であるフリーライターの鎌田慧は、愛知県某市の教員採用を巡る取材経験から、「政治家と官僚に支配されている教育を市民に取りもどさなければならない」、と次のように書いている。

 ・・・子供好きで、きっといい教員になると想像させる学生が試験に受からない背景には、教育委員会の日教組対策があった。親が校長などコネ採用の子なら組合運動に走らないよう人質にできる・・・教育委員は知事、市町村の任命。実務の最高責任者である教育長は教員の出世コース。文部科学省による上意下達。馴れ合い「教育界」が泥沼化してボウフラがわいた・・・

  これが教員不正人事事件のもう一つの正体である。

  そういえば政治家や官僚のメディア買収というのもある。機密費をつかって同行取材をさせたり、会食にさそったりするアレだ。ひどいのになると金品を渡す。

  これは金銭がらみのみみっちい話にとどまらない。

  政府批判の記事を書かせないようにするためだ。犯罪まがいの醜聞にメディアを誘い込んで、いざと言う時には、「ばらすぞ」と脅かす武器を手にする。

  権力を監視すべきメディアが、政府、官僚批判の記事が書けなくなった一つの理由がここにある。

  口利きや買収の本当の罪は、政策をゆがめ、情報操作をして国民を欺く事にある。

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2008年07月21日

「緊迫」も「躍動」も消えた政治


 「緊迫」も「躍動」も消えた政治


  断っておくが、これは私の言葉ではない。7月21日の日経新聞に出ていた政治記者の田勢康弘氏のコラム「核心」の見出しの言葉である。

  その言わんとしていることは次のごとくである。

 「政治から躍動感が消えてしまった。手に汗握るとか、期待に胸膨らますというものがない。だからいま、テレビで政治を取り上げると、分刻みで視聴率が下がっていくという・・・自民党はいま総選挙をすれば議席の大幅減は必至だから、なるべく来年にしてほしいというのが本音だ・・・民主党にしても、選挙資金が相当不足しているのではないかという見方があり、必ずしも早期解散・総選挙を望んでいるとは言い切れない・・・自民党の中には福田首相のもとでの解散・総選挙は政権を失う可能性が高いと見る人たちが多い。だからといってポスト福田へ立ち上がろうという気配は感じられない・・・民主党でも党首選に意欲を見せているのは河村たかし氏ぐらいで・・・結局(誰も)出馬しないのではないか・・・だれか小沢氏の対抗馬として出馬して、党首選を盛り上げないと国民の支持を失う、という声もあるが、莫大な費用をかけてまで盛り上げる必要があるのかという現実的な問題もある・・・
 日本全体がどこか覇気に乏しく、保身と責任逃れに明け暮れているような感じがあるが、政界もまたその傾向が強い・・・世界経済は明らかに今年後半から大型台風発生の予兆を示している。原材料高と金融システムの不安を抱え、いまこそ、政治が緊張しなければならないときに、あまりにも小さな政権奪取ゲームに明け暮れていないか・・・」

 その通りである。

 しかしこのような立派な意見を書いている田勢康弘氏は、同じ日の夜の、「ビートたけしのテレビタックル」なる娯楽番組に出演して、本業を忘れた与野党の政治家たちとうつつを抜かしていた。

 いまの政治は、与野党の政治家と政治評論家たちの、飯の種としての営業活動でしかないのだ。

  そう思っているうちに、ストリートペーパーであるザ・ビッグ・イッシューの75号に掲載されていた抗議票党(プロテスト ボート パーティ PVP)の事を思い出していた。

 投票用紙に「どの候補もダメだ」と書きなぐったのではせっかくの意思表示も無効になる。しかし、「立候補者のいずれも投票するに値しない」と思いたくなることが確かにある。

 その思いを政党の形で実現しようとする動きが欧米で広がりつつあるというのだ。

 「私たちは、一般市民が投票において『該当者なし』という欄に印をつける権利があると信じている」と語る英国の抗議票党もその一つだ。

 確かに抗議票党の候補者が当選すれば、自動的にその分だけ当選する政治家が減ることになる。

 抗議票党の候補者は、当選と同時に辞任すればいいのだが、繰り上げ当選で他の候補者が当選する事を防ぐために、抗議票党の議員として存在し続ければいい。そのかわり一切の報酬、特権を放棄すれば議員の数を減らす事が出来る。

 「該当者なし」の動きは英国にとどまらない。米国では消費者活動で有名なラルフ・ネーダーが「該当者なし欄」立候補者として大統領選に立候補したり、フランスでは「空白投票運動」、ウクライナの「全員に反対」投票、スペインの「空白で投票」など、民主主義体制のある多くの国に、不投票者を組織し、立候補者すべてを拒否する意思を表示することで現状を変えようと活動する団体が確実に増えつつあるという。

 そういえばサミットやWTOをボイコットして世界の市民をネットワークで結ぶ、もう一つの世界をつくるという動きなども、根底には同様の思想があるのかもしれない。

 このような動きが実際問題として広がっていくかどうかは疑わしいだろう。

 しかしいまの日本の政治と政治家を見ている限り、私がいつも半分冗談で、半分真剣に訴えている、すべての政党、政治家は不要である、という思いが、どんどんと膨れ上がっていく。

 「この豚野郎はどいつもダメだ」(米国のカルト映画監督ジョン・ウオルター)の心境に共感を覚える。

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2008年07月21日

これほど暮らしが危機状況なのに、なぜ緊張感が感じられないのか


 これほど暮らしが危機的状況なのに、なぜ緊張感が感じられないのか

 日本の新聞を代表する読売と朝日が、21日の一面で、奇しくも米国と日本の国民の暮らしの危機的状況を大きく取り上げていた。

 すなわち、読売新聞は、醜悪なまでに貪欲になった金融資本主義の鬼子であるサブプライムローンの破綻の結果、普通の米国国民が、「金も職も希望もなくなった」生活を強いられている現状を報告している。

 家を追われた「ローン難民」が、医療を受ける経済的余裕をなくし死んでいく。名門大学を卒業し、キャリアのある者たちでさえ職探しに困窮して車中生活を強いられる。そういう米国の現状が活写された記事だ。

 その一方で同じ日の朝日新聞一面では、日雇い長距離運転手の過酷な労働状況が書かれていた。自宅を出て13日間、車中で寝泊りして走り続ける。睡眠時間をけずり、パーキングエリアで3分100円のシャワーをとり、ペットボトルに小便しながら走り続ける。それでも年収300万円程度だと言う。

 奇跡的な戦後復興を成し遂げた国と喧伝されていた日本が、なぜこのような人権軽視の国に急速に転落していったのか。

 どう考えても危機的状況あるのに、政府・官僚や政治家には何一つ解決策が提示できていない。それにもかかわらず国民の怒りが一向に政治に向かっていかない。

 その理由はこの国がどんどんと二分化されつつあるからだと私は考えている。

 暮らしの困窮ばかりが報道されるけれど、その一方で生活に困らない恵まれた層が日本を牛耳っているからだと思っている。

 年金だけでおよそ800万円を受け取っている元日銀総裁などの連中と、時給1000円前後の非正規労働者が当たり前のように並存しているのが今の日本だ。

 そして、最も重要なことなのであるが、そのような恵まれた層の中で、ただの一人も、弱者のために自分の地位や財産のほんの少しでさえ犠牲にして、本気で貢献しようとする者が出てこない日本がある。

 ここに私は寂しさといらだたしさを覚えるのだ。

 恵まれた立場の政治家や官僚や評論家や財界人が、メディアと一緒になって政治や経済をまことしやかに語る。

 その一方で、おびただしい数の無名で善良な国民が、声高に叫ぶことなく、だまって助け合いながら毎日を必死に生きている。

 この国は、そのような人たちがいることによってかろうじて保たれている。

 

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2008年07月20日

なぜ防衛予算を削減して国民生活の救済に回せないのか


 なぜ防衛予算を削減して国民生活の救済に回せないのか

  多くの日本人は、聖路加国際病院理事長である日野原重明さんを知っているであろう。

  そして、96歳の高齢でなお現役の医者を続けている彼の誠実な人柄を、多くの日本人は敬意をもって認めているに違いない。

  その日野原さんが7月19日の朝日新聞土曜欄の連載コラム「96歳、私の証 あるがまま行く」のなかで、軍事費を老人医療費に、と次のように訴えておらる。

  ・・・高齢化傾向は今後ますます進み、老人にかかる医療費が増え続けることは明白です。付け焼刃な制度で国民に負担を強いる前に、もっと工夫の余地はあるはずです。
  一つの提案として、自衛隊の維持費や駐留米軍への思いやり予算など、軍事にかかる費用の一部を回してはいかがでしょうか。平和憲法を守るためにも、よいアイデアだと思います・・・

  ふつうの国民であれば誰もがそう思うに違いない。

  20日朝のテレビの政治番組はガソリン高騰の為に漁民の一時休業を取り上げていた。その対応策をめぐる議論の中で、ただ一人共産党の政治家だけが、イージス艦一隻の購入を控えるだけで、漁民を助ける十分な財源が確保される、と指摘していた。

  「イージス艦とは、この間漁船に衝突して沈没させたあの自衛艦船ですが」という解説は、皮肉であるとしても、まさに緊急必要性を考えた場合、この発想が重要である。

  この当たり前の事が共産党議員からしか出てこないところに今の日本の政治家の限界がある。

  今、日本国民の生活は未曾有の苦境にある。それなのになぜ迅速で、的確な問題解決の具体策が講じられないのか。

  それはこの国の予算編成が政治家と官僚に独占されているからだ。

  国民の税金で公務を任せられている彼らが、国民の声を聞くことなく、国民の税金を独り占めしているからだ。

  予算編成権を国民に手に取り戻す。政治改革の本質は突き詰めればここに帰着する事である。  

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2008年07月19日

政府が交渉する相手は沖縄県ではない。米国政府だ。


 政府が交渉する相手は沖縄県ではない。米国政府だ。


  米普天間飛行場移設に関する政府と地元側による協議会が18日、官邸で開かれたという。

  そのニュースを見るにつけ、この協議の不毛さ、ばかばかしさを指摘せずにはいられない。

  政府が沖縄県側とどのような話し合いをしようとも、米国は、06年に日米政府で合意した今の移設案(名護市辺野古崎におけるV字形滑走路の変更は一切認めないと繰り返し強調している。

  仲井真知事が、「滑走路の沖合いへの移動」を求め、町村官房長が「滑走路を沖合いに出してもいい。100メートル出せというなら検討する」(19日朝日)と空手形を切って見ても、米国がこれを認めなければ一人相撲だ。

  そんな米国の強硬姿勢を知っている石破防衛相は、「合理的な理由なくして変更することは困難」(19日東京)などと主張して、沖縄県側の前で政府の足並み不一致を露呈させた。

  こんな調子で政府と沖縄側がいくら話し合っても意味はない。時間の無駄だ。

  政府がまず話し合う相手は、米国政府なのである。

  「県議会選挙の与野党逆転で変更せざるを得なくなった。さもなければ在日米軍全般の見直し要求につながりかねない」と米国を恫喝して、米国に譲歩を迫る事だ。

  今回の協議では、政府と地元の溝が埋まらず、環境影響の評価や危険性除去の問題を検討する二つの作業チームを作っただけで終わったと言う。問題を先送りして終わったという。

  予算とエネルギーの無駄である。

  暑い夏だ。仕事は効率よくなされるべきだ。

  問題山積の政府である。一つでもはやく問題を片付けていくべきである。

  そのために政府が本気になってやるべき仕事は唯一つ。

  それは、地元に圧力をかけて飲ませようとすることではない。地元の意向を米国にぶつけて、国民の前で米国に譲歩を迫る事である。

  簡単な事である。問題解決を遅らせているのは政治家、官僚の米国恐怖症である。

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2008年07月19日

拉致問題が進展しない最大の理由


 拉致問題が進展しない最大の理由

  自民党の山崎拓という議員が、あたかも拉致問題の解決が出来るのは自分しかいない、といわんばかりに行動をしている。

  そんな彼の行動でも、たまには国民にとって役に立つ事はある。

  19日の各紙は、小さい報道ながらも、山崎拓議員が訪中し、中国共産党の王家瑞対外連絡部長なる人物と会談した事を報じている。

  その記事の中で見逃せないのが、王家瑞氏が語った次の言葉である。

 「解決が行き詰っていたのは、何をもって拉致問題の解決とするかの(問題で)日朝間に基準の不一致があるからだ・・・」

  この言葉の意味するところは大きい。いわば拉致問題の核心部分である。

  われわれが政府、外務省から繰り返し聞かされて来た事は

 「拉致問題の解決とは拉致被害者全員の救出である」という事である。

  しかしこの言葉は、実は何の意味も持たない。

  拉致被害者全員とは誰と誰の事を指すのか。我々はいまだかつて一度も政府から具体的なリストを示された事はない。

  そして拉致被害者の救出とは何を意味するのか。

  生きて帰ってくることか。それとも亡くなった者がいたとしてもその死亡が確認されればいいのか。

  何をもって日本政府は死亡が確認されたと認定するつもりか。

  それで日本国民を納得させられるのか。

  実は政府はこのような事について、いまだ一度たりとも国民の前に明確に考えを述べた事がない。

  それにもかかわらず北朝鮮との間では話し合っているのだ。

  政府の考えを示し、北朝鮮側の立場も聞いているのだ。

  そうでなければ中国の要人がこのような発言をできるはずはない。

  拉致問題が進展しないのは、もちろん北朝鮮側の硬直的な態度にある。

   しかし、その北朝鮮側を追い詰めることが出来ない最大の原因は、政府、外務省の秘密主義にある。

   国民に真実を隠しながら北朝鮮側と、落としどころを話し合う、もしそんな外交が進められているとしたら、拉致問題の誠実な解決は望むべくもない。

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2008年07月19日

長銀無罪判決で問われる本当の罪

 長銀無罪判決で問われる本当の罪

  7月18日、最高裁は、一審、二審の有罪判決を覆して、当時の日本長期信用銀行の元頭取らに無罪判決を下した。

  この衝撃的なニュースが日本中を駆け巡った。

  もはやバブル崩壊当時の状況を知らない世代も多くなった。

  だからこの判決の意味を理解できない者がいるかもしれない。

  しかし、バブル崩壊とその後の混迷を見てきた多くの日本人にとって、この判決は、当時の異常な状況を、鮮やかによみがえらせてくれた。

  そして、19日の各紙が報じる今回の無罪判決の評価を読む時、10余年の歳月が我々をして、今、当時の状況を冷静に考えさせてくれるようになった、と、つくづく思わざるを得ない。

  各紙がその記事のなかで、あるいはその社説の中で等しく指摘している事は、おおむね次のごとくである。

  ・・・逆転無罪判決は理解できる。一、二審の有罪判決の根拠となった粉飾決算事件は、旧大蔵省の通達による会計基準整備が周知徹底してなかった過渡期に起きた事件だ。

  経営者の責任は問われるべきであるが、長銀の幹部らだけを犯罪者とするのは法的に無理がある。

  問われるべきは自らの責任回避の為に、裁量行政(護送船団方式)から金融機関の自己責任へと法体制を切り替えた金融当局の行政責任ではないか。

  当時は、巨額な公的資金(税金)を投入して大手金融機関を救済したことに対する国民の怒りをそらすためにも、政府はスケープゴートを必要とした。

  その政府の意を汲んだ検察の国策捜査ではなかったのか。

  一審、二審の有罪判決は、世論の怒りや国策捜査の流れに逆らえなかったのではないか。

  あれから10年余りたって、やっと妥当な判決が出たということだ。

  しかし、これほどの事件が起きて、誰も責任を取らずに忘れ去ってしまっていいものか。

  真の責任者は政府、行政にあるのではないか・・・

  
   私もこのような解説に、おおむね賛成だ。

    しかし、金融行政に素人の私が、この判決の事をブログで取り上げる気になったのは、別のところにある。

  19日の読売新聞は元長銀マンたちの様々な反応について書いていた。

  その中の一人の言葉に次のような自戒の言葉があった。

  「無罪判決を素直に受け止められない。・・・法的には無罪でも、経済人としては許されない行為。経営陣だけでなく、すべての行員も、心の内で責任を感じなくてはいけない・・・」

   そうなのだ。悪い事だと内心気づきながらも組織の一員としてそれを見過ごしてしまう。

  その事が、結果としてどれだけ多くの社会的悪をもたらしてきたか。見て見ぬ振りをすることこそ罪ではないのか。

  その一方で、正義感に駆られて不正を告発したものが、どれだけ割りに合わない処遇を受けてきたことか。つまはじきされてきたことか。

  ここのところが逆転しない限り世の中はかわらないのだろう。

  見て見ぬ振りをする事自体が一つの犯罪であり、不正を告発した者への評価が、その身分が守られなければならないといった受身の立場から、不正の告発者は英雄であるという積極的な評価に変わらない限り、組織犯罪、権力犯罪は決してなくならないだろう。

  日本社会がそこまで変わることができるかという事である。

  長銀幹部の無罪判決が我々に投げかける本当の問いはその事である。

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2008年07月18日

 既存の政党、政治家が信用できない理由の一つがここにある


 既存の政党、政治家が信用できない理由がここにある

  任期満了にともなう山口県知事選は17日告示され、8月3日に投開票されるという。

  しかし、各紙が報じるその記事を見て、私は目を疑った。

  共産党が推薦する元山口県労連議長の新人候補と、4選を目指す現職知事の二人の一騎打ちであるという。

  あるいは私が間違っているのかもしれない。

 いずれ民主党が候補者を出し、その候補者を社民党や国民新党などが応援して、政権交代を争うごとく自公と野党連合の決戦になるのかもしれない。

 あるいは社民党がその他の護憲政党と一緒になって共産党候補を応援し、米空母艦載機部隊の岩国移転反対や、上関原発建設反対を訴えて明確な対立軸を示す選挙になるのかもしれない。

  しかし、報道振りでは、とてもそうは思えない。

  前回の選挙では現職知事は自民、民主、公明の各党の推薦を受けていた。そして今回も、4選禁止の手前自民、公明は県組織の推薦と言うごまかしをし、民主党は県議の自主支援という形をとっているが、事実上は前回と同じ、「与野党相乗り」であると、産経新聞などは明確に教えてくれている。

  護憲勢力が平和や環境などで結束する動きが見えてこない。

  地方選挙は国政選挙ではない、与野党相乗りは茶飯事である、などととしたり顔で説明するものがいる。

  とんでもない政治蔑視の発言だ。

  しかも今回の選挙は、政権交代がらみの政局のさきがけとも言うべき状況の中で行なわれる選挙である。

  年金問題や後期高齢者医療制度の失政は言うまでもないが、物価高騰、国民生活の困窮、地方の疲弊など、これまでの自公政権の誤りを追及する絶好のタイミングの中で行なわれる選挙である。

  もし民主党が独自の候補者を立てないようなら、そして社民党がその護憲の立場を鮮明にし、米空母艦載機部隊の岩国移転反対や、中国電力の上関原発建設反対で共産党や市民団体と一致団結して闘わないのなら、一体彼らは本気で国民の前に政治の選択を迫っていると言えるのか。

  ここに既存の政党、政治家が信用できない理由がある。今の政治が欺瞞に満ちたものであるかを見事に教えてくれている。

  前回の投票率が過去最低の38.22%であったという。当然であろう。選択のしようがない。

  

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2008年07月18日

 国家権力を甘く見てはいけない


 国家権力を甘く見てはいけない


  埼玉県で95年に起きた保険金殺人事件の被告である八木茂の死刑が確定した。

  最高裁が「巧妙で悪質な犯行」であり、「まったく反省の態度が見られない」として、被告の上告を棄却したからだ。

  私は凶悪犯に対する限定的な死刑執行についてはこれを是認する立場である。しかしこの事についてここで議論するつもりはない。

  私は世の中には冤罪事件が多く存在するという事を知っている。しかし八木被告の判決に関して、それが冤罪かどうかを論じるつもりはない。

 私がここで言いたいのは、国家権力の大きさ、強さ、怖さである。

 私は国家権力の誤りを厳しく批判してきた。それは権力そのものが、内在的に巨悪を伴っているものであるという一つの考えを持っているからだ。

 それが言い過ぎであれば、権力は濫用におぼれる、腐敗する、そういう特徴を持っている、といい換えてもよい。

 だからといって国家権力の全てを否定すると社会は成り立たない。無秩序、無政府状態となる。

 そうである以上、国家権力は認めなければならない。

 実際のところ国家権力はおおむね正しく使われているに違いない。

 八木被告の過去のビデオがテレビで流されていた。犯罪を否定し、警察を侮って悪態をついていた。

 しかし、彼がどのようにわめこうが、暴れようが、強がりを言おうが、国家権力はびくともしない。

 そして一瞬にして、国家権力は彼の命を奪い取ってしまう。

 麻原彰晃にしても、その他のいかなる凶悪犯罪人にしても、彼らがどのような抵抗を続けようとも、国家権力の前にはなすすべはない。

 権力の頂点にあった田中角栄でさえも、一瞬にして犯罪人となってすべてを失ってしまうのだ。

 それほど国家権力は巨大である。

 国家権力を決して甘く見てはいけない。

 問題は、国家権力が巨大、強大であるからこそ、国家権力の行使にあたっては、細心の注意が払われなければならない、ということだ。

 国家権力の濫用や、恣意的、不公正な適用は、何よりも残酷、非道な犯罪である、と思って、国家権力は国民から監視されなければならない、ということである。

 人類の歴史の中で、つい最近までは、個人と権力が一体となって思いのままの政治が行なわれてきた時代があった。

 今日の世の中でも、いまだに多くの国において、そのような非民主的な体制にある国が多い。独裁者が跋扈している国が多い。

 しかし、問題は、民主主義のチャンピオンとみなされる米国においてさえ、国家権力の不正、濫用、人権抑圧が行なわれているという現実である。

 そして、その米国を最良の同盟国と仰ぎ、「自由主義、民主主義」という普遍的価値観を最もよく共有している、と主張する日本において、権力の犯罪、不正、冤罪、隠蔽が後を絶たないことである。

 国家権力のすべてが悪いわけではない。むしろ悪は例外的、限定的と思いたい。

 しかし、たとえそれが例外的、限定的であるとしても、国家権力の犯罪は、その国民に与える悪が絶対的、暴力的であるがゆえに、決して見過ごされてはならないのだ。

 国家犯罪を裁く事が出来るのは、国民であり、その結集としての世論である。

 だからこそ国家権力は、その権力を使って、権力に楯突く個人を弾圧し、世論を誘導、情報操作するのである。

  我々は、国家権力の不正を許してはいけない。屈してはいけない。

  そのためには、国家権力を決して見くびってはいけない。

  なんでもかんでも国家権力に楯突いてエネルギーを空費してはいけない。

  本当に戦わなければならない時にそなえ、慎重に事を運ばなければならない。

  

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2008年07月17日

 やはり自民党は終わっている

やはり自民党は終わっている

 昨日のブログで、私は自民党という政党は崩壊していると書いた。

 やはり自民党は終わっている。

 16日、伊吹文明幹事長は、地元京都市の講演会で、消費税増税は必要であり、それを行なうが、それは総選挙の後に先送りして切り抜けたい、という趣旨の事を話したらしい。

 問題は、それをあらわす表現だ。

 「選挙に勝とうと思うと、一種の『目くらまし』をやらないとしょうがない」、と述べたと言うのだ。

 政権政党の幹事長が、ここまで言うのである。

 考えられない事だ。

 ここまでなめられて、それでも自民党に投票する国民がいるのか。

 自民党は終わってしまった。

 総選挙をいつやっても結果は変わらない。

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2008年07月17日

戦争は人間性を狂わす。何があっても容認できない


 戦争は人間性を狂わす。何があっても容認できない

  米国のイラク攻撃と、その後に続く米国の「テロとの戦い」の混乱が、いかに人間性を狂わせる状況をもたらしたことだろうか。

  それを示すニュースがまた一つ報告された。

  17日の東京新聞が、米国のCNNテレビが15日に放映したニュースを、日本国民に教えていた。

  ワシントン特派員石川雅和氏は、それを見て日本国民に伝えざるを得なかったのだろう。

  悪名高いキューバのグアンタナモ米軍基地で16歳の少年が情報当局に尋問されている映像だ。

  アフガニスタンで米兵を殺したとして拷問を受けているビデオである。

   「お母さん」と泣き叫び、両手で顔を覆う様子などが映し出されているという。

  「テロリスト」には拷問も許されると、今でも言い続けているのがブッシュの米国だ。

  日本はそんな米国とこれ以上軍事同盟を進めてはいけない。

  米国は「テロリスト」との終わりのない戦争を続けると公言している国である。

  戦争は人間性を狂わす。

  日本まで人間性を失っていく国になっていく。

  それを我々は黙って見ていられるか。

  祖先や未来の日本人に申し訳が立つのか。

  

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2008年07月16日

追い込まれつつある自公政権

 追い込まれつつある自公政権

    福田首相が今日から21日まで夏休みに入ったと今日(16日)の各紙が報じていた。

    夏休み中に内閣改造について検討するかと記者から質問された福田首相は、「何をかんがえますかね。それを考えましょう」ととぼけたという。福田さんらしい。

    しかし、福田首相がいかにとぼけても、政局は動く。内閣改造があってもなくても、夏休み明けから政局は動き出す。

  どんなに解散・総選挙を引き伸ばしても、どんどんと時間はなくなってくるからだ。

  どんなに解散・総選挙を引き伸ばしても、日本の苦しい状況は更に悪化していくからだ。

  メディアは民主党の代表選挙の事ばかりを書きたてている。小沢民主党の亀裂をことさらに強調する。

  確かに民主党は分裂含みだ。自民党から揺さぶられるおそれは常にある。

  しかし、より深刻な問題を抱えているのは、実は政権政党の自民党と公明党のほうなのだ。

  それを示す記事を月刊文芸春秋8月号に見つけた。

  一つは矢野元公明党委員長の手記である。

  創価学会から人道にもとるような恐喝、恫喝をされ、ついに怒りが爆発したようだ。

 「私はもう76年も生きた。これからは腹をくくって生きていく。いかなる妨害にも立ち向かっていく」と、言い切って、創価学会幹部と徹底的に国会で対決すると宣言をした矢野の手記は超ど級の迫力がある。

 創価学会にとっては最大の危機だ。

 権力を手放す恐ろしさを知っている公明党は、民主党との連携さえ視野に入れ始めたらしい。しかしそのような権力志向の創価学会が一般国民にどう映るか。非常事態である。

 もっと深刻なのは自民党だ。なかでも福田と小泉の激突である。

 小泉の頭にあるのは自分の生き残りであり、次男への政治の世襲である。

 一時は総選挙を任期いっぱいまで引き伸ばし、自民党の延命を期待した時期もあった小泉だが、どうやら最近は自民党はいつ選挙をやっても負けると観念したようだ。

 福田を見限ったのだ。誰が福田の後をついでも勝てないと見切ったのだ。

 だから自民党と民主党を分裂させ比較第一党、もしくはあらたな保守連立を小泉は仕掛けだしたのだ。

 その事を指摘しているのが同じく文芸春秋8月号にあるペンネーム赤坂太郎の政治コラムである。

 中川秀直、前原誠司、小池百合子らをさかんにけしかけ、自分は軍師気取りでいる。

 そのような小泉に福田は怒り心頭に違いない。もともと小泉とは合わない。その小泉が、首相の専管事項である解散時期や、内閣改造についてぺラペラとしゃべり始めた。頭にこないはずはない。

 小泉でなくとも、今の自民党には、福田では戦えないと考える連中が多い。しかも彼らは同時にまた反小泉の面々である。

 要するに、今の自民党は誰も福田を支えようとしていないのだ。

 それを知っている福田は、しかし自民党総裁であり、首相である。絶大な権力を持っている。

 そして、地位に連綿としない福田には、その権力を思う存分発揮できる有利な立場にある。ああ見えても福田は強いところがある。

  要するに自民党は修復できないほどに分裂している。終わっているのだ。

  自公政権は、野党が何をしなくても日増しに追い込まれていくであろう。

  民主党の代表選挙などに目を奪われていては、本当の政局を見失うことになる

 

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2008年07月16日

全漁連一斉休業の行き着く先はどうなるのか


 全漁連の一斉休業の件が、にわかに大きなニュースとなって取り上げられ始めた。こうなることは6月中旬の発表の時からわかっていたはずなのに。

 それにしても16日の各紙の報道振りや論調は見事に一致している。

 すなわち、

  このままではますます選挙を戦えないので政府は支援策を打ち出さなければならない、

  しかし、漁業関係者も、休業を続けて消費者を敵に回すような事をやればしっぺ返しをくらうだろう

 重要な事は、漁業界も価格高騰に耐えられるよう構造改革を進める必要がある。ちょうどいい機会であるととらえ前向きに考えるべきだ、政府もそれを支援すべきだ、

 これである。

 そこにはガソリン税率を引き下げるべきだ、という声はまったく見られない。

 自民党はもとより民主党の小沢党首まで「1000億円の直接支援を」などと、税金のばら撒きの競い合いをやっている。

 減税も、ばら撒きも、元はと言えば一般国民の負担だ。計算上はどちらをとっても同じである。

 それにもかかわらず、ばら撒きの方ばかりが強調され、減税と言う声が聞こえないのはなぜか。

 答えは単純明快である。

 減税は政府、官僚の仕事、権限をなくす事である。

 その反対にばら撒きと言う名の予算執行は、自らの権限誇示、組織拡充の源泉であるのだ。

  それにしても、メディアがそのような政治家、官僚の片棒を担ぐような論調を張って、漁業者と消費者(一般国民)を分断するような真似をすることをどう考えればいいのか。

  メディアが庶民の立場に立たなくなったら、この国の将来は本当に危うい。

 

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2008年07月16日

口利きを公言していた飯島勲元首相秘書

 口利きを公言していた飯島勲元首相秘書

  大分県の教員採用試験を巡る汚職事件が連日ニュースを賑わしている。

  ついに、全面否定していた大分県教育委員会の教育長までが、受験者の合否を県議に事前連絡していた事を認めた。

  メディアはこれを地方公務員法上の守秘義務違反のおそれがある、と書きたてているが、その実態は口利きした県議に、「口利きの件は確かに実行しておきましたよ」と連絡する事にあったことは自明である。

  一体この大分県口利き汚職事件はどこまで広がるのだろう。そして誰がどのような罰を受けて終わりになるのだろう。

  しかし、大騒ぎをするわりには奇妙に白けている。

  みているがいい。この種の権力犯罪の結末は、またもやとかげの尻尾きりで終わることになるに違いない。

  その最大の理由は、この種の口利き疑惑が、長きにわたって、広く、深く浸透してきた現実があるからだ。

  それを皆がしっているからだ。

  関係者を罰しだすときりがないからだ。

  だからといって問題が放置されていいはずはない。

  政治家による口利き疑惑については、本日発売の週刊新潮(7月24日号)が極めてタイムリーな記事を流した。

  小泉元首相の政治秘書であった飯島勲氏が、01年に講談社文庫から出版した著書、「代議士秘書ー永田町 笑っちゃうけどホントの話」のなかで、まさしく教員採用に関する口利きをやっていたことを公言していたのである。

  たまたまこの本は、私もかつて購入して読んだ本だ。あらためて読み直してみた。週刊新潮の報じるとおりである。飯島氏もまさかこんなところでボロが出てくるとは夢にも思わなかっただろう。

  誤報や不正確な情報でたびたび訴えられる週刊誌だが、これは間違いなく事実である。誰もが忘れている01年の著書を見つけてきた週刊新潮の殊勲打である。

  さて、この問題はどう発展するのか。

  これもまた答えは明らかだ。

  見ているがいい。大手新聞やテレビは一切取り上げないだろう。

  それをすると小泉元首相に傷がつく。

  小泉元首相はまだ現役政治家である。しかも、長男孝太郎ともどもメディアにとっては利用価値がある。

  その秘書だった飯島勲氏も、これからの政局報道解説にとって、折に触れ使えるキャラクターだ。彼の発言する内容がどのようにピントはずれでも、何も知らない世論をごまかす事は出来る。

  同じ日に、村岡元官房長官の上告が最高裁で棄却され有罪が確定した。

  もはや落選してただの人になったからこそ、非情に切り捨てられるのだ。

  村岡が無罪だというつもりはない。

  しかし、もし村岡が有罪ならば、なぜ橋本や青木、野中らが一切不問に付されたままなのか。

  この件を報道するテレビ番組の政治記者もキャスターも皆そう疑問を呈していた。

  しかしそこで終わっている。それ以上追及しないのだ。

  この世の中で何が許せないかと言って、権力者の悪を、知っていながら皆で見逃す事ほど許せない事はないだろう。

  たとえ許されたとしても必ずその罪は倍加して降りかかる事になる。自分の良心を裏切り続ける事は、人間であればできることではない。

  モラルハザードほど人間をダメにさせるものはない。

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2008年07月15日

 間違いなく裁判員制度は後期高齢者医療保険制度の二の舞になる


 間違いなく裁判員制度は後期高齢者医療保険制度の二の舞になる


  これほどその問題点が指摘されているにもかかわらず、政府は後戻りできないとみえて、来年5月から始まる裁判員制度を着実に進めている。

  15日の各紙は、今日から裁判所が候補者名簿作成作業に着手した事を報じている。裁判員制度の事実上の始動である(15日東京新聞)。

  裁判員制度導入をめぐる問題点についてはこのブログでも何度も指摘してきた。

  それから後も、数多くの問題点が識者、関係者から提起されてきた。

  それにもかかわらず、国民の間でこれを撤回する動きがまったく出てこない。

  目の前の生活に直接結びつかないからだ。その問題の深刻さに気づかないからだ。

  しかし、見ているがいい。この裁判員制度は、間違いなく後期高齢者医療保険制度導入の二の舞になるに違いない。

   あまりにも不当な制度であることについて、それが実施されて始めて国民は気づく。それは後期高齢者医療制度の時とまったく同じである。

   気がついたら後の祭りだ。どんなに文句を言ってみても、一旦始まった制度は容易には廃止されない。それも後期高齢者医療保険制度の場合とまったく同じだ。

   小泉政権の時に、小泉改革の一環で導入された。それも後期高齢者医療保険制度の場合とまったく同じだ。

   裁判員制度の何が問題か?数え上げたらきりがない。

   しかし、次の諸点を思い起こしただけで十分である。

   まず、その必要性がさっぱりわからない。

   表向きは、裁判に市民の常識を取り入れ国民の裁判に対する理解増進と信頼を向上させる、ということらしいが、こんな理由を額面どおりに受け取る国民がいたらよほどお目出度い。

   たとえそうであったとしても、このくそ忙しいのに、それだけの理由で導入するか。

   制度の欠陥に至っては、山ほど指摘される。

   民事事件こそ庶民感覚が必要なのに、なぜ刑事事件に限るのか。

   国民間に公平さを持たせるのであれば順番にすべての国民に経験させるべきところを、なぜ抽選で一部を選ぶのか。

   笑ってしまうのは、裁判官を辞退できる国民の基準である。
  
   たとえば売れっ子のホステスの場合は、裁判員による時間拘束が商売の利益に影響を及ぼすから認められるが、売れっ子のホステスでなければ辞退できないという。

   こんな恣意的判断で裁判員が決められては、裁かれる者もたまったものではないだろう。

   見ているがいい。裁判員制度は来年5月の実施が近づくにつれて、大きな問題となってくるだろう。
   もっともその頃の日本は、裁判員制度などどうでもいいほど大きな国難に見舞われているかもしれないが。

   

   
   

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2008年07月15日

外務省の対中外交に知恵を与える


 外務省の対中外交に知恵を与える

  傍目で見ていて気の毒に見えるほど、とくに最近の外務省の外交は行き詰っている。

  対米従属外交の破綻のことではない。

  日本の対アジア外交の行き詰まりだ。

  小泉喧嘩外交の反動で、福田外交の協調路線が目立つようになった。

  しかし、国際政治はそれほど生易しくはない。

  戦略なき外交は、甘く出れば出るほどなめられる事になる。

  「人の嫌がることはしない」という福田外交は、基本的には正しいと思う。

  しかし、その事と、事なかれ主義とは似て非なるものがある。

  一連の対中国、韓国、北朝鮮外交は、アジアを敵視、蔑視する右翼ならずとも、首を傾げたくなるほどの譲歩振りである。

  一番最近の例では竹島領有権をめぐる教科書要領「解説書」騒動だ。

  文部科学省に無念な思いをさせてまで外交的配慮をしたにもかかわらず、猛烈な批判を韓国から受けている。福田首相にしてみれば、どうすればいいんだ、という心境に違いない。

  そんな中で、外務省に読ませたい記事を見つけた。7月15日の東京新聞「本音のコラム」の中で、「五輪と偏見」と題して鎌田慧が重要な指摘をしていた。

  北京五輪を三週間後に控えた中国が「精神病、ハンセン病、性病、開放性肺結核などの伝染病に罹患している」外国人は入国を拒否する、とHPに掲載しているという。

  これを見つけた「ハンセン病市民学会」は驚き、そして行動を起こす事にした。

  ほかの病気の患者さんの入国禁止も問題だが、とにかくハンセン病については中国政府に方針撤回をするよう、中国大使館と日本政府(厚労省)に要望書を提出し、記者会見を行なったのだ。

  これに参加した鎌田氏は次のように書いている。

 「・・・6月の国連人権理事会では、日本政府が提案して『国連加盟の各国はハンセン病患者とその家族に対するすべての差別を撤廃するための措置をとる』との決議案が可決され、中国もその共同提案国だった・・・参加がモットーの世界的な祭典で、差別と偏見が助長されるのは時代への逆行であり、悲しい事だ・・・」と。

  鎌田たちの要請を受けて外務省は、近く北京で開かれる局長級の「日中人権対話」で是正を働きかけるという。

  外務省は本気で中国に撤回を求めるべきである。

  その交渉過程と中国の対応を公開すべきである。

  理は日本側にある。中国側としても対応を変更せざるを得ないであろう。

  筋を通せば中国の政策も変えさせる事が出来る、この事を外務省は天下に示すべきである。

  この交渉の成り行きを日本のメディアはフォローして国民に知らせるべきである。

 

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