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2008年07月11日

 小泉元首相と三熟女


 小泉元首相と三熟女

  今朝のテレビ報道で、三熟女に囲まれた小泉元首相のうれしそうな顔が流され、朝刊各紙が写真入でそれを報じていた。

  小池、佐藤、猪口と言った、何の脈絡もない三人の自民党議員が共著を出したという。

  その出版記念パーティだという。

  なぜか女性に囲まれるところにいつも顔をだす小泉元首相だ。

  ますます髪が長くなってきたようだ。

  これもおきまりの光景だが、政策に関係のない話になると、やたらに饒舌になる。

  そっくりさんが出てきて掛け合い漫才をやって会場を沸かせる。

  広告会社の安物の演出通りだ。

  山本モナと二岡のデート話と一緒に、これが芸能ニュースやゴシップ欄で報じられるのであればわかる。そう思って眺めれば楽しめる。

  しかし、それが堂々と政治面で取り上げられ、政治記者がまじめにそれをコメントするところに、この国の政治報道の不真面目さがある。情報操作の匂いがする。

  考えてみるがいい。小泉、小池、佐藤、猪口。この顔ぶれで、今の日本が苦しんでいる格差問題、年金問題、医療問題、インフレ問題が解決できるというのか。

  バブルに便乗し、弱者を踏み台にして自分だけいい思いをしてきた政治家ばかりではないのか。

  そういう連中が、選挙を意識して、さらなる権力を求めようとしているだけではないのか。

  このニュースをおもしろく受け止め、目くじらをたてるなと受け流す恵まれた人たちがいる。

  その一方で、彼らの産み落とした無責任な政策のために、厳しい毎日を黙々と汗水たらして働かされている人たちがいる。

  この国の国民は間違いなく分裂しつつある。分裂させられようとしている。

  次の選挙は、どちらが勝つか、負けるかの選挙となる。

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2008年07月10日

「沖縄ビジョン」を決定した民主党


 「沖縄ビジョン」を決定した民主党

 9日の各紙は、一段の小さな記事で、民主党が8日の「次の内閣」会議で、民主党の沖縄政策の基本となる「沖縄ビジョン」の改訂版を正式決定した、と報じた。

 寡聞にも知らなかったが、改訂版というから、すでに民主党の「沖縄ビジョン」なるものは存在していたということだ。

 それがどのようなものであったかはともかく、今度の改訂版では、「普天間基地の県外移転の道を模索すべき」とし、「戦略環境の変化を踏まえ国外移転をめざす」としているという。

 また、日米地位協定についても、「抜本的な改定を早急に実現する」としているという。

 「沖縄ビジョン」をもって、民主党が直ちに日米安保体制をなくそうとしているものではない事は明らかだ。

 しかし、小泉政権の時に合意した普天間基地移転計画はもともと日本側から提案したものであり、それを米国が受け入れた以上、更なる変更を日本側がしてきても受け入れられない、と米国側は繰り返し強調している。

 さらにまた、普天間基地移転計画と沖縄海兵隊の削減などとはパッケージで合意したものであり、もし普天間基地の移転計画が変更されることになると、これまでに合意した在日米軍再編のすべてが白紙となる、などと米国は脅かしている。

 何よりも日米地位協定の改定問題は、米国がこれまで決してこれを認めることはなかった問題であり、だからこそ外務省は、米兵のあいつぐ犯行のたびに高まる不平等条約改定の声にも、一切耳を傾けてこなかったのだ。

 今からでも遅くない。メディアはもっと大きくこの「沖縄ビジョン」を取り上げて、国民の注目を喚起すべきである。

 それにしても不思議だ。

 政権交代が目の前に迫っているこの時期に、なぜ民主党は「沖縄ビジョン」を発表して米国を刺激する必要があるのか。

 ただでさえ、安保政策で大きな違いのある前原グループと社会党出身に取り囲まれた小沢民主党の間に亀裂があるというのに、民主党代表選挙を9月に控えた今、なぜわざわざ「沖縄ビジョン」を改定し、前原に代表される親米、新自由主義グループを刺激するような事を行なうのか。

 そいいえば昨年のテロ給油法延長反対の時もそうだった。

 日米同盟に賛成しておきながら、なぜ米国の反発を買うような行為に出たのか。

 衆議院で再可決される事がわかっていながら反対したのか。

   民主党は政権をとったとたんに「沖縄ビジョン」をさらにまた改定する心算であるのか。

   それとも、政権をとっても「沖縄ビジョン」にこだわり、米国から自立した日本を実現しようとするのであろうか。

   「沖縄ビジョン」の今後の取り扱いに注目したい。小沢民主党の対米外交政策の本音を知りたい。
   

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2008年07月10日

 政策論争の前提は事実を共有することである


 政策論争の前提は事実を共有することである

  少し前のどこかの新聞が、中国の国営テレビが、北京五輪の映像をリアルタイムから30秒遅れて放送することになる、という記事を流していた。都合の悪い事が起きれば映像をカットしたりするためだ。

  そういえば3月のアテネでの聖火採取の行事において、「国境なき記者団」が抗議のため乱入した時、その画面が差し替えられて放映されたという前例を、我々は知っている。

  こんな事をやっているから、中国は国際社会から非難されるのだ、そう思ってその記事を読んだ。

  ところが今日(10日)の東京新聞は、それを止めると中国当局が発表した事を報じている。

  すなわち、9日付の中国各紙は、CCTVスポーツチャネルの江和平総督が、「これまでの生中継は安全上の理由で30秒遅らせていた」と明かす一方、「慣例を打破し五輪は真の生放送となる」と説明した、と報じたという。

  あの中国でさえ、慣例を打破せざるを得なくなったという事だ。

  この発表に対する北京市民の反応がいい。「生中継に時間差があったとは」と、驚いている。

  共産党中国政府が感じている脅威は、国際世論の目だけではない。

  情報公開によって目覚め始めた自国民の反応こそ最大の脅威なのだ。

  中国は、もはやかつての情報管制がむつかしくなりつつある。そしてそれは中国のためにもいいことに違いない。

   ひるがえって「民主国家」日本はどうか。「民主国家」米国はどうか。

   米国の事はともかくとして、日本は本当に情報公開の国か。公然と情報操作が行なわれているとしたら、我々はどう考えればいいか。

  今日発売の週刊文春7月17日号は、ジャーナリスト富坂聡の書き下ろし、「マスコミは『外務省』にだまされている」という特集記事を載せている。

  ヒル次官補のオフレコのメモによれば、日本と米国とはとっくに拉致問題で決定的な亀裂がうまれている。

  それにもにもかかわらず外務省は、米国は日本の立場をよく理解しているとマスコミに言い続けている。日米協力こそ重要だと繰り返している。マスコミがそれをそのまま報じている、というのだ。

  更に言えば、東シナ海油田の共同開発についても、主権をめぐる中国の立場は全く変わっていないのに、外務省が双方の妥協で円満解決したとマスコミをだまし続けている、と富坂氏は中国高官の言葉を引用して明らかにしている。

  もちろん、週刊誌の記事など信用できるものではない。

  しかし、重要な事は事実がどこにあるかだ。

  事実を共有してこそ意味ある政策論争ができる。

  この週末には、各局の政治番組はサミットの評価で花盛りであろう。

  しかしそんな番組が殆ど意味がない。

  正しい、共通の情報に立脚した議論でなければ意味がないからだ。

  あらゆる政策論争の問題はここにある。

  政府と国民との間には圧倒的な情報格差がある。

  与党と野党との間には圧倒的な情報格差がある。

  その情報格差を埋めるべく、政府から少しでも真実を見つけ出し、国民に報道するのがマスコミの役割である。

  そのマスコミが、富坂氏の言うように、政府、外務省にだまされているのなら、国民に正しい意見を持てと要求しても無理な話だ。

  ましてやマスコミが政府と馴れ合っているのであれば、はじめから話にならない。

  
 

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2008年07月09日

デニス・クシニッチ、きくちゆみ、安濃一樹、ロバート・フィスク

 デニス・クシニッチ、きくちゆみ、安濃一樹、ロバート・フィスク

  これから書くことは、私の独り言である。そう思って読み流してもらいたい。

  私は7月3日のブログで、一人の外交官でも、本気で仕事をすればかなりの仕事ができる、という事を書いた。

  実は、それは自分自身に向けた反省の言葉であった。

  もう一度時計の針を戻せたら、と思う事は、誰にでもある。そして、たとえもう一度やり直せるチャンスが与えられても、おそらく我々はまた同じ間違いを繰り返すに違いない。

  それでも、私は時々思う。あの時もっと真剣に生きていたら、本気で仕事に取り組んでいれば、と。

   今、私が最も関心を持って眺めている米国の政治家の一人に、オハイオ州下院議員のデニス・クシニッチ(民主党)という議員がいる。

   あの時彼にあっていたならば、と悔やまれてならない。

   私は1997年9月から2000年11月までデトロイトの総領事をしていた。その管轄地域はミシガン州とオハイオ州だ。

   二つの州の知事や上下院議員に、つとめて会って人脈を構築するのも外交官の仕事である。

   デトロイトのあるミシガン州では殆どの政治家をたずねた。しかしオハイオ州では何人かの政治家に、ついに会うことが出来なかった。そのうちの一人がクシニッチ議員であった。

   約束まで取り付けていたのだが都合により取り止めとなった。日程を調整して後日会う事にしているうちに、任期が終わって帰国することになった。

   その彼が、イラク攻撃に反対し、ブッシュ大統領を弾劾するような人物だとは、その時は気づく事はなかった。

  イラク攻撃を行なって多くの人命を犠牲にした、その自らの誤りを正当化するために、隠蔽、盗聴、拷問など、数々の人権無視、憲法違反を繰り返すブッシュ大統領。

  そのブッシュ大統領を、35に上る理由を挙げて弾劾する決議案を議会に提出した政治家がデニス・クシニッチである。この事を私は6月16日のブログで書いた。

  その時の米国議会風景を描写した記事を、ネット新聞日刊ベリタ(www.nikkanberita.com)
7月5日号に見つけた。

  安濃一樹という名の記者が書いたその記事は、たった一人でブッシュ大統領と向かあうクシニッチ議員への心からのオマージュである。

  その文章を読んだ時、私はこの見知らぬ記者のジャーナリスト魂に、久しく忘れていた身震いするほどの感動を覚えた。

  なかでも次の言葉ほど私のブログの目指すところを言い当てている言葉はない。

 ・・・私たちに必要なのは、思想ではなく、戦略でもない。まして権力でもない。倫理という権威に支えられた信念である・・・

   その通りだと思う。これだけの言葉を吐けるジャーナリストが日本にもいたのだ。

   そう思って安濃一樹という記者の事を調べていたら、彼は翻訳家でもあり、ロバート・フィスクの著書を翻訳している事を知った。その事だけで私は安濃一樹を信用する。

  ロバート・フィスクという名を久しぶりに目にして嬉しくなった。

  英国ジャーナリストであるロバート・フィスクは、私がレバノン大使であった頃、レバノンに滞在し、良質な記事を精力的に書いていた。

 そのロバート・フィスクと偶然友人のホームパーティで会い、話していくうちに、米国やイスラエルのパレスチナ政策に批判的な立場で意見が一致した。彼の中東政治を見る目は、私には随一に思える。

そのロバート・フィスクが不快な顔をした瞬間があった。おなじく中東専門の米人ジャーナリストであるトーマス・フリードマンの名前を私が口にした時だ。

 「彼と一緒にしてもらっては困る」

 米国・イスラエルの御用ジャーナリストとは自分は違うのだ、と言いたかったのだろう。

 話をクシニッチ議員に戻そう。

  クシニッチ議員がいかに平和を愛する良心的な政治家であるかを私に教えてくれたのは、きくちゆみという女性平和活動家である。私が外務省を辞めたばかりの頃、雑誌のインタビューで知り合った。

  米国の政治家にも、このような反戦、平和の塊のような政治家がいた。その喜びで、オハイオまでクシニッチ議員に会い行ったと言う行動派の人である。

  クシニッチ議員と会って意気投合し、彼のこころざしを日本に紹介しようと頑張っている。おそらくクシニッチ議員を個人的に知っているただ一人の日本人に違いない。

  この世の中には、実にすぐれた人たちがいる。国籍も立場も知名度も、それぞれ違ってはいても、そのこころざしにおいて、そして能力において、すばらしい人たちが、無数に存在する。

  我々の短い一生において、一人の人間がめぐり合う、そのような人たちが、ほんのわずかな人たちでしかない事を残念に思う。  

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2008年07月09日

 現実に何が起きているか、行なわれているか、を直視する、自分の頭で考える。


 現実に何が起きているか、行なわれているか、を直視する、自分の頭で考える。

  今回のサミットをどう評価するか、いくつかのメディアから問い合わせがあった。

  いつもの事だけれど、誠意をもって思っていることを答えた。

  しかし、それが正確に伝わっているか、その言葉が正しく書かれるか、そもそも私のコメントが取り上げられるか、それはわからない。

  メディアは報道方針が決まっているのだ。それに合わなければ取り上げない。取り上げられたとしても、その発言をシナリオにそって脚色して報じる。

  今回のサミットを大成功だったと書く報道はまずないであろう。濃淡はあるが批判的な報道になる。

  しかし、私は今回のサミットがまったく無意味なサミットだったとこき下ろす報道に与しない。

  そもそも今回のサミットは具体的な成果を期待するほうが無理なサミットであった。

  それは福田総理の指導力がないとか、支持率の低い、たそがれの首脳ばかりが集まった、などという問題ではない。

  直面する問題が大きすぎる上に、的が絞れなかった。その時点で結果は見えていた。

  あえて言えば、議長国の日本が、その特権を生かして議題を絞り込み、達成すべき目標に向かって何かを成し遂げる、という戦略がなかった。責められるべきはその事であろう。

  しかし、それとても無理だったに違いない。何しろ日本は米国に面と向かって批判的なことは何も言わない、言えない国になってしまっているからだ。すべてはここに帰着する。

  米国のイラク攻撃に伴う政治的、経済的損失が米国を弱体させ、今日の世界に、そのつけが及んでいる事は、もはや心ある人は誰でも気づいている事だ。

  しかし、その事が、サミットの議題にまったく上らない。まるでタブーのごとくだ。

  それはあたかも、あの米国の間違ったイラク攻撃を止めさせる事が出来なかったサミットメンバー国が、自らの無力を恥じ入り、その現実から必死で目をそらせようとしているかのごとくである。

  そんなサミットに成果を求めるほうが無理と言うものだ。

  サミットが行なわれている最中に、カブール中心部のインド大使館前で自爆テロが起こり41人が死亡し、イスラマバード中心部の商店街で自爆テロがあり19人が死亡したと報じられた。イラクでは中部バクーバの市場で女性が自爆し9人死亡、12人が負傷した。

  いずれも8日の新聞が伝えていた。

  その米国は、ついに兵士が足らなくなって、知的障害者と知りながら借り出して戦地に向かわせている。偵察部隊に投入され、その兵士は判断力の欠如から、たちどころに犠牲になっている。7月9日号のニューズウィーク日本語版がその告発記事を書いている。おぞましい記事だ。

  ここまで米国は狂ってしまっているのだ。

  その米国を誰もがとめられないでいる。

  無論、一般市民である我々は、米国を止められないどころか、その米国に従属する日本政府さえも正す事ができない。

  ブッシュ大統領は正しいと絶叫してイラクに自衛隊を投入した小泉元首相を、今でも持ち上げる国民があまたいる国だ。

  しかし、今何が起きているのか。世界で、そして日本で、権力者が何を行なおうとしているのか。それだけは、目を見開いて直視しなければならない。逃げてはならない。

  それは誰にもできることだ。そして直視すれば、嫌でも自分なりの考えが思い浮かぶはずだ。

  世の中はこれでいいのか。日本はこれでいいのか。

  そう自分の頭で考える時が、始まりの時である。

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2008年07月08日

ビッグ・イシューという雑誌を知っていますか?


 ビッグ・イシューという雑誌を知っていますか。

  読者の皆さんはザ・ビッグ・イシューという雑誌を知っているだろうか。

  私は知らなかった。

  その知らない雑誌から、平和特集をするから、平和について何か書いてくれという依頼がこのブログに寄せられた。

  しばらくして、ビッグ・イシューの過去のバックナンバーとともに、丁重な依頼状が私のもとに送られてきた。

  なかなかいい雑誌である。

  今の私には失うものは何もない。ビッグ・イシューなる雑誌の背景に何があろうとも、構わない。

  いい雑誌だと思って寄稿を引き受けた。次号のビッグ・イシューに私の主張が掲載される事になる。

  私がビッグ・イシューに興味を持ったのは、その内容がよかったから、だけではない。

  何よりも、その雑誌の創設目的が気に入ったからだ。

  ホームレスの仕事をつくり、自立を応援する。慈善の施しではない。自分の手で生計を立てる。そのやる気を支援するのだ。そういう目的で1991年にロンドンで始まった。

  国際的な化粧品会社ボディショップの創始者ゴードン・ロディックのアイデアを、友人のジョン・バードが英国で実現して始まったのだ。

  それを知った日本のNPO活動家が、是非とも日本版を作りたいと英国を訪ね、始めた雑誌である。

  フリーペーパーが氾濫するなかで、たとえ300円といえども、わけの分からない無名の雑誌など誰が買うのか。ましてや活字離れの昨今だ。

  おまけに、ホームレスが街頭で売るというのだ。それを買うような習慣、文化は、日本にはない。

  そんな企画は日本では100%失敗する。

  そういう声にひるむことなく、2003年9月11日に創刊号が発行された。

  発行された日が9月11日というのもいい。強烈なメッセージが込められている。

  発行された年が2003年というのもいい。私が外務省を追放され、新しい人生を歩み始めた年だ。

  負けてたまるか、という反骨精神を全身から振り絞って生きた年だ。

   それに、何と言っても、貧しい人たちに、施しではなく、自分の力で生き抜いてみよ、支援をするからそれに応えて頑張ってみよ、と励ます姿勢がいい。

   これは私が漠然と考えていた構想である。

   もし私が大金持ちになったなら、そして、そんな事はまずありえないことなのだが、ビル・ゲイツのように寄付するのではなく、若者たちに好きな事業を起業させるチャンスを与える回転基金をつくりたい、などと思ったりする。

   ビッグ・イシューの発想は、その一つだ。

   定価300円の雑誌をまず10冊無料で与える。その売り上げ3000円を元手に、以降は140円で仕入れ、300円で売って、差額の160円が自らの収入となる。

   一日10冊売れば1600円の収入になる。20冊で3200円という勘定だ。

   そう思っているうちに、はたと思い出した。

   かつて私は御徒町近辺を生活圏として暮らしていた事がある。その時、駅前の街頭で見たこともない雑誌を売り歩く姿をよく見かけた。

   いかにも怪しげな雑誌ではないか、販売人を装ってCIAかなんかの諜報部員が活動をしているのではないか、などと敬遠して見ていた自分を思い出す。

   今から思えば、申し訳なく思う。

   その反省も込めて、私はこれからは、街頭でビッグ・イシューを見つけたら購入する事にした。

   ビッグ・イシューの販売が、どんどんと拡大していく事を応援したい。

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2008年07月08日

 これで信用しろと言われても無理な相談だ


 これで信用しろと言われても無理な相談だ


  7月8日の読売新聞が国会議員の海外視察ラッシュを報じていた。

  いま、こういう記事を見せつけられると本当に腹が立つ。

  越年国会だったため5月の連休に行くことができなかった。8月末からは臨時国会が始まる。だから7月ー8月上旬に集中して、150人もの政治家が一斉に海外視察を行うという。

  そういえば、国会で激しく対立している与野党の幹部政治家たちが、外遊となると仲良く一緒に旅行しているという記事もあった。

  こういう記事を見ると、政治家というものが、いかにいい加減かという事がわかる。

  海外視察が悪いと言っているのではない。その殆どが現地大使館におんぶにだっこの物見遊山だから無駄だと言うのだ。それを私は嫌と言うほど世話をしてきた。

  すべての政治家がそうだと言っている訳ではない。しかし殆どがそうなのだ。

  なんでもかんでも批判する気はない。

  しかし政治家は、今こそ垂範をたれて自粛すべきではないか。

  今国民はどんなに苦しんでいるか。

  どれほどの節約を国民は、民間企業は迫られているか。

  財政赤字問題を解決するのが最大の政治課題ではないのか。

  日本が直面している政策課題の殆どすべては、そこから来ているのではないか。

  それを解決するのが政治家の責務ではないか。

  海外視察の予算が割り当てられているからと言って、その特典を使わないと損だと考えるのはあま  りにもいじましくないか。

  いまこそ外遊を自粛して、秋に備えて政策の一つでも勉強するのがあるべき姿ではないのか。

  国民生活第一の政治を行うと言われても、これで信用しろとは無理な相談だ。

 

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2008年07月08日

「在日米軍」 その本質を問う


 「在日米軍」 その本質を問う

  昨日のブログで、私はヘレン・ミアーズの「アメリカの鏡 日本」という著書を紹介した。

  そこで書かれている、米国の日本占領の正体を知って、私は、今日の対米従属関係が、63年前の占領の延長に過ぎない事を確信した。

  同時に、この「アメリカの鏡 日本」は、即座に私の頭の中に、最近読んだ、「マスコミ市民」という月刊誌に連載されている伊藤成彦中央大学名誉教授の、「『在日米軍』 その本質を問う」、という論文を想起させてくれた。

  伊藤教授の論文を私なりに要約すると次の通りである。

  ・・・米国の日本占領と不可分なのが、「日本のどこであれ、米国が必要と思う期間、必要と思われるだけの軍隊を置く権利」が与えられた、「在日米軍」の存在である。

  日本の非武装中立に固執していたマッカーサーも、吉田茂政権も、講和条約後も日本全土に米軍を駐留させるとするトルーマン大統領ーダレス国務長官の方針に反対であった。
 
  ところが50年8月に天皇陛下からマッカーサー宛に発せられた一つのメッセージが、マッカーサー、吉田茂の頭越しに、ダレス国務長官に届けられた。

  これこそが、1947年9月に沖縄基地の長期使用をマッカーサーに提案した天皇陛下の秘密メッセージと並んで、日本の戦後を規定した天皇陛下の秘密メッセージであったのだ。

  すでに象徴天皇であった昭和天皇の、この明らかに政治的な違憲メッセージは、何の目的で発せられたのか?

  天皇は憲法9条による非武装の日本を米軍に守ってもらうために日本全土の米軍基地化を提案した、とする見方はある。

  しかし、そのメッセージは、(当時はすでに極東裁判で天皇の戦争責任はなくなっていたが)「50年2月1日、ソ連が突如として天皇および数名の元日本軍高官を、細菌化学戦争にかかわった罪で国際軍事法廷に追加訴追を求める覚書を米政府に手交していた」後になされている。

  かつて、シーボルト駐日公使は、47年9月に天皇陛下がマッカーサーに提案した沖縄基地の長期使用のメッセージを当時のマーシャル国務長官に転送した際、「疑いもなく私利に大きくもとづいていた」と語っている。

  日本全土基地化の提案メッセージもまた、「自分を守ってほしい」というメッセージだとする推測が出てくる理由がそこにある・・・

  伊藤教授のこのような指摘が、史実として確立しているものなのかどうか、私は知らない。

  しかし、少なくとも伊藤教授は、秦郁彦「裕仁天皇五つの決断」(講談社)、豊下楢彦「安保条約の成立」(岩波新書)、坂元一哉「日米同盟の絆」(有斐閣)、西村熊雄「サンフランシスコ平和条約・日米安保条約」(中公文庫)などの公表された文献を検証、引用しながら書いている。

  重要な事は真実を知ることだ。真実に少しでも迫ることだ。

  あたかも憲法1条と9条が一対となって成立したごとく、米国の日本占領が米国と日本の合作であったとすれば、今日の対米従属外交もまた、日本が自ら選択した政策という事になる

  真実を知った上で、その真実を共有した上で、政策論争を行うのはよい。

  政策論争において意見が分かれる事も、考えが対立する事も、いい。

  異なる意見に耳を傾ける事は大切だ。

  しかし、都合が悪いからといって、見たくない、知りたくない、といって、真実から目をそらし、

  都合が悪いからといって、真実を隠蔽、歪曲するような事があっては、

  将来を誤る事になる。

   我々は、あまりにも真実を知らなさ過ぎるのではないか。

   真実を知ろうとする努力と謙虚さに欠けているのではないか。 

   私がこのブログで訴えたい事は、ただこの一点である。

  

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2008年07月07日

ブッシュ・小泉朋友関係の嘘

 ブッシュ・小泉朋友関係の嘘


  私はへそ曲がりに違いない。人が騒げば騒ぐほどほかの事をしたくなる。

  サミット一色の報道を読む気にならない。サミットと関係ない記事を無理して探そうとする。

  そう思って7月7日の各紙を眺めていると、やはり面白い記事はあるものだ。

  毎日新聞のワシントン発、坂東堅治という記者の手になる評論は示唆に富む。

  坂東記者は、サミットを前に行われる恒例の米国大統領と在米日本人記者との記者会見に出席して感激し、ブッシュ大統領の生の声を聞いて興奮して、その思いを次のように書いている。

 ・・・「やはりホワイトハウスでは大統領が最高権力者なのだ・・・(大統領の両脇に座ったハドリー補佐官(国家安全保障担当)やペリーノ報道官ら)側近は、ほとんど口をはさまず見守っていた。もう少し、周囲がアドバイスしたり、進行役を努めるかと思っていたが、あくまで大統領が中心だ・・・
  大統領は徐々にリラックスしたようすだったが、周囲には緊張感がただよっていた・・・」

  坂東記者が驚くまでもない。これが米国政治の現実なのだ。

  あの、不人気のブッシュ大統領でさえ、すべてを決める決定権を持っている。気に入らない側近はいつでも更迭できる。誰もブッシュ大統領に逆らえない。

  だからこそ、あの歴史的誤りであったイラク攻撃を、誰も止める事が出来なかったのだ。

  そんな事は、実はどうでもよい事だ。

  私が坂東記者の記事で注目したのは次のくだりである。

 ・・・(日本人記者会見において日米関係に話が及んだ時)いつもの事ながら「最も親しい友人の一人」である小泉純一郎元首相に話が及んだ。
   だが、「日本は中国との良好な関係を持つべきだ」と明言したことに、個人的関係とは別の本音もにじみ出た・・・大統領自身は当時直接の言及を避けていたが、(小泉元首相の対中国敵視政策に)やはり懸念を持っていたわけだ。
    ブッシュー小泉の緊密な関係から、ブッシュ時代の日米関係は歴史的にも最良だったという印象を持つ人は少なくない。だが、米国は東アジアで中国を含めたマルチ外交に軸足を移してきたようだ・・

  この坂東記者の記述は巧みに小泉批判を避けている。

  しかし、彼が言いたい事は、ずばり、ブッシュ・小泉朋友関係は作り上げられた嘘の関係ではなかったか、という問いかけである。

   ブッシュ大統領の発言が見事に物語っている。ブッシュ・小泉関係はつくりあげられた虚像だったのだ。

   そして、ブッシュ大統領の方が一枚上である。小泉元首相を盛んに持ち上げ、ブッシュ・小泉関係の緊密さをことさらに強調してみせる。しかしそれは周到に計算された言動なのである。

   あの愚鈍と思われるブッシュ大統領が、小泉元首相を持ち上げて、小泉元首相を米国の代理人にしようとする狡猾な戦略を、その内に秘めていたのだ。

   その一方で、あれほど親しさを強調していた小泉元首相が、総理を辞めたとたん、米国やブッシュ大統領を避けているように見える。本当の友情関係などなかった事を白状している。

   日米同盟は不滅だ、と叫び続ける日本の政治家や外務官僚は、そういえば言うほど、底の浅さを暴露することになるのだ。

   

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2008年07月07日

  ヘレン・ミアーズの「アメリカの鏡・日本」という著書を読んで


 ヘレン・ミアーズの「アメリカの鏡・日本」という著書を読んで

  ヘレン・ミアーズの「アメリカの鏡・日本」という著書がある。米国占領軍総司令部のメンバーとして46年に来日した米国の日本研究者が、48年に出版した米国の対日占領政策論である。

  その抄訳版が05年に角川書店(角川ONEテーマ21)から出版された。それを私はたまたま本屋で見つけ、購入し、一晩かけて通読した。

  また一つ日米関係の真実について、新発見をした思いだ。

  私がこの本に興味を持ったのは、その序文や訳者あとがきの中で書かれている、次のような文章が目に留まったからだ。

  (極東国際軍事裁判の判決が下された48年にこの著書が米国で発売されて)ミアーズは全米の注目の的となったが、彼女の主張はアメリカ人にとって不愉快なものであり、アメリカ人は次第に彼女を無視するようになった。それゆえ、この本と共に彼女は世に出ることなくいつしか忘れ去られていった。

  ミヤーズから原著の寄贈を受けた日本の翻訳家、原百代は、それを日本で翻訳出版すべく連合軍総司令部に許可を求めたが、「占領が終わらなければ、日本人は、この本を読むことはできない」とするマッカーサーの一言で、かなわなかった。

  占領が終了した翌年の53年に、原氏の翻訳は「アメリカの反省」と題してやっと出版されたが、当時はなぜかあまり注目されず、その後はその存在すら忘れられていた。

  ミアーズの著書を偶然に知ったビジネスマンの白子英城が、アメリカ人によって書かれたその内容に驚愕し、この本は少しでも多くの日本人によって読まれるべき本だ、との思いで1995年にあらたに翻訳、出版した。

  翻訳した伊藤延司は、「恥ずかしい告白を許していただくなら、(読みながら)途中何度も泣いた・・・太平洋、沖縄における日本兵と民間人の死、大空襲と原爆による一般市民の惨めさと、同じ惨めさをアジアの人々に強要した近代日本の運命が無性に悲しかった・・・」と訳者あとがきで書いている。

  さて、前置きが長くなったが、結論から言えば、この本は、ブッシュ政権の米国と軍事同盟を強化しつつある今こそ、読まれるべき本である。

  すなわち、サミットでブッシュ大統領が訪日している今、北朝鮮外交をめぐって米国の対日政策の本性が露呈した今、そして何よりも米国のイラク戦争のツケを日本が無条件に支払わされている今 こそ、この本はすべての日本人に読まれるべき本なのである。

 ミアーズが繰り返しその著書で訴えているのは、

 米国は戦争に勝つために日本を占領したのではない、占領そのものが目的であった
 米国は日本が脅威だったから日本と戦ったのではない。日本の脅威をことさらに強調し、それを口実に日本国民と 日本文明の破壊のために日本を戦争に追い込んだ

 という事である。

  太平洋戦争をめぐるおびただしい専門書、研究書の中で、このミアーズの主張が日本でどのように評価されてきたか、私は知らない。

  しかし、このミアーズの米国対日占領政策観は、米国のイラク攻撃とその後に続く軍事占領の7年間と見事に一致する。

  私が、今こそこの著がすべての日本人によって読まれなければならないと思った理由はここにある。

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2008年07月07日

 石原慎太郎に残された使命は、「米国から自立した日本」の実現に身を焼き尽くす事である


 石原慎太郎に残された使命は、「米国から自立した日本」の実現に身を焼き尽くす事である

  7月7日の産経新聞に掲載された石原慎太郎の連載論評「日本よ」を読んで驚いた。同時にまた、このような論評を掲載した産経新聞にも驚いた。

  サミットが始まる当日に、しかも日米首脳会談が終わって日米同盟の重要性を政府が国民に懸命に訴えている時に、その米国を真っ向から批判し、日本の自立を訴えているのだ。

  彼の反米、嫌米は筋金入りである。1989年に「『NO』と言える日本」を出版し、米国に睨まれ、それで政治生命を絶ったというのが世間の通り相場だ。

  それ以来、彼の反米言辞はなりを潜めた。その代わりでもないだろうが、石原慎太郎の中国敵視発言はトーンアップしていく。

  しかし彼は本来的に愛国、自立であり、だからこそ米国の傲慢さと不当さに我慢が出来ないのだ。

  総理はもはやとっくにあきらめた。都知事再選も果たした。老齢の衰えも直視せざるを得ない。

  もはや石原慎太郎にはすることがない。それは逆に言えば失うものはない、気兼ねするものはないという事なのだ。

  その心境が、彼をして今までに見たことのないほどのストレートな米国批判をさせるのだろう。

  「今、人類は・・・画期的な危機に瀕しているといえるかもしれない・・・」という文章で始まるその論評は、環境破壊、世界的インフレ、鳥インフルエンザなどの新しい疫病蔓延といった困難が人類を滅ぼすと警鐘を鳴らし、その元凶が米国の市場原理主義である、と斬って捨てる。

  米国流グローバリゼーション反対論者が聞いたら涙を流すような論評である。

  実際のところ、「・・・この世界を限られた者たちだけで仕切ろうとするサミットなるものが、今日から日本で行われようとしている・・・」と、昨日のこのブログで書いた、反サミット国際運動のキャッチフレーズと同じ言葉使いをしている。

  百聞は一見にしかず、というから、私がゴチャゴチャいうよりも、本人の言葉で語ってもらおう。

 ・・・こうした悪しき経済循環を引き起こしている究極の原因は、アメリカ的価値観にのっとった熾烈なマネーゲームであって・・・その結果ごく一部の者をのぞいたほとんどの人間が不幸に晒されている。
  しかしなお、こうした経済運営の主唱者たるアメリカはその姿勢を一向に変えようとはしない・・
  このあまりに巨(おお)きな粗相を糊塗するために、G-8では従来のルールを平然として都合よく変えようとしている・・・
   そうした経済行為が、限られた人間への恩恵しかもたらさぬ、いい換えればアメリカの独り勝ちにしか繋がらぬ私益絶対主義が、それを通り越して世界の存亡の危機につながろうとしている今・・・日本は・・・世界の経済に関する新しい理念と方向を提唱し・・・新しい資本主義の造形に努めるべきだ。
 さもないと・・・人類の存亡をひっくるめてこの世の全てを失うということになりかねない・・・

  その限りではまったくその通りだ。右も左もない。すべての国民が内心そう感じている。

  ならば、なぜそれを石原は実践しようとしないのか。できないのか。

  石原慎太郎がまったく触れていない大きな問題がある。「新しい資本主義」の内容もさることながら、そのような提案は、日本が米国から自立しなければ出来ないということである。

  そして米国から自立する事は、同時に日本の安全保障政策を自立させる事と表裏一体である。

  石原は言うだろう。軍事力を強化して世界にバカにされない国になることだと。

  それは米国が許さない。世界が警戒する。

  それでも軍事的自立を図ろうとすれば、日本は孤立し、米国と軍事的に敵対することになる。

  米国が文句の言えない安全保障政策、世界が歓迎する日本の国防政策は、憲法9条を掲げた専守  防衛しかないのだ。

    石原慎太郎がそのことに気づき、日本国民を覚醒させる時、彼は文字通り日本の英雄になれる  かもしれない。

  

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2008年07月06日

 論説を叩き斬る


 論説を叩き斬る

  このブログは読者にはどうでもいい内容だ。しかし私にとっては看過できない解説記事であったから、どうしても書いておきたかった。読者には我慢しておつき合い願いたい。

 7月6日の日経新聞「風見鶏」欄に、「外務省も内向き日本か」というタイトルで伊奈久喜という編集委員が書いていた。

 要するに一言で言うとこういう記事である。

 歴代の外務事務次官の名前を列挙して、最近の次官人事は、大使という「外交官としての働きどころ」の職を経験することのない人物が次官になりそして辞めて行く、そういう人事が増えて来た、と指摘し、企業だけでなく、外務省さえも、東京に人材を集中するようになった、という。
 そして、これは相対的な国力低下がもたらす日本全体の余裕のなさ、国力の低下の反映ではないか、と解説する。
 北朝鮮のテロ支援国家解除問題が、米国をより自分たちに引きつけようとする、日本と北朝鮮の外交戦だったとしたら、第一ラウンドは日本が敗れた。
 米国の対北朝鮮腰砕け外交は、もちろんブッシュ政権内部から由来する問題であり、それを外務省の体制のせいにしては酷だろうが、外務省の外交軽視の最近の傾向と無関係か。
 今日行われる日米首脳会談に注目したい。

 と、まあ、こういった内容の解説記事なのである。

 これは要するに、外務省の外交力の低下を批判したいのは山々だが、外務省には日ごろ情報提供などでお世話になっている幹部連中も多い。
 だから彼らの反発を買うような、面と向かった批判をするわけには行かない。
 そこで次官人事などを持ち出して、外交力が弱くなったのは皆が外交官よりも外務官僚を志向して内向きになったからだ、などと、無理をした解説を新聞紙上でして見せているのだ。

 読者のほうではなく、幹部外務官僚に顔を向けて書いている解説記事なのだ。

  事実はそんなものではない。もっと単純なのだ。

  次官人事が狂った理由はただ一つ。2001年始めに発覚した機密費横領の松尾事件のためである。

  あの事件で外務省の中枢がすべて汚染されていた事が明らかになった。次官経験者、現役次官、将来の次官候補者、すべてが汚染されていた。

  予定調和の次官人事がすべて狂ってしまったのだ。

  幹部が大使を経験せずに次官になったり辞めて行くということはありえない。それは本人にとっても、外務省にとっても好ましくない。

  そんな伝統的な人事を狂わすほど、あのスキャンダルは外務省にとって深刻であったという事だ。そしてその後遺症は今も続いている。

  それからもう一つ。大使よりも本省幹部のポストに人材が集まり勝ちである、という事は事実である。

  しかし、それは本省に優秀な人材が必要だからではない。

  民間企業の事は知らないが、外務省に限って言えば、出世をしたい連中が、大使よりも本省勤務を好むからだ。大使よりも本省幹部のほうが圧倒的に権限があるからだ。

  本来は大使というポストは外交官にとってこの上ない魅力あるポストである。

  現地の情勢に精通し、現地の要人と人脈を構築した大使からの情報や意見は、本来ならば尊重され、日本外交の最強の武器として活用されるべきである。

  それを出世主義、保身主義の官僚たちがぶち壊してしまった。権力者を喜ばすような情報しか取り入れず、権力者に都合の悪い情報は握りつぶす。

  東京に優秀な人材が必要なのではない。出世万能主義の連中ばかりが東京に集まっただけの話だ。

  大使職を軽視し、権力者の顔色ばかりをうかがうようになったから外務省は外交でまけるのだ。伊奈解説委員は、この単純な事実を国民に知らせるべきだ。

 新聞記事は、常に読者のほうに顔を向けて書かれなければならない。

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2008年07月06日

 グリーンピース鯨肉事件を幕引きさせるな


 グリーンピース鯨肉事件を幕引きさせるな

 私は6月21日のブログの中で、警察がグリーンピースのメンバーを鯨肉窃盗で逮捕した事は、危険な賭けである、というような事を書いた。

 それをきっかけに騒ぎが大きくなって、調査捕鯨が商業捕鯨だったというウソの暴露に、事態が進展しないとも限らない、と思ったからだ。

 ところが、残念ながらそうはならなかった、と思っていた。

 少なくとも7月7日の日刊ゲンダイの記事を見つけるまでは。

 私は、21日のブログでも書いたが、グリンピースという組織を決して支持しているわけではない。

 特に今回グリーンピースのメンバーがとった行為は、たとえそれが、彼らの言う「大きな正義」を追及するための「小悪」だとしても、やはりまずかったと思う。

 権力の怖さを甘く見てはいけない。世論をなめてはいけない。

 グリーンピース鯨肉事件は、すべてはグリーンピースの窃盗行為が悪い、という形で幕引きが図られてしまった。そう思っていた。

  ところが、7月7日の日刊ゲンダイは、次のような大きなニュースを流した。

  ・・・鯨肉は本当に土産用のものだったのか。どうやらそればかりではなさそうだ。その量が土産用にしては多すぎる。その上、長期保存用の仕様は、明らかに闇市場での販売を目的にしたものの疑い濃厚だ・・・

  というのである。

 しかもこの問題は、7月2日に都内で行われた公開討論会で取り上げられ、保坂展人議員(社民党)や谷岡郁子議員(民主党)が、「国政調査権を発動してでも徹底的に真相を解明すべき」だと語ったという。

 私は、もっぱら、調査捕鯨と偽って商業捕鯨をしていた水産庁の国際法違反疑惑を追及してきた。しかし、この事件で浮上してきたのは、公共財産の着服、横領疑惑である。

 それが事実であれば大問題だ。

 天下り機関の横領、着服がいたるところで問題になっている御時世である。もし一人でも鯨肉横流しで売上金を私物、私用している者がいたとしたら、大事件となる。

 この疑惑が明らかにされた以上、そして日刊ゲンダイがすでに報じた以上、大手新聞がこの問題を調査、報道しなければウソである。

 さもなければ、単なる怠慢か、水産庁とデキている、ということだ。

 どうやら私の指摘したように、水産庁は危険な賭けに出てしまった。

 そしてそれに負ける危険性が出てきた。

 グリーンピース鯨肉事件を幕引きさせてはならない。

 

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2008年07月06日

 2008.7.6. サミット前日に考える事

 2008.7.6. サミット前日に考える事

  このブログで書いてきた事のいくつかは、何年か先に、必ず意味を持ってよみがえってくる。そう思いながら私はこのブログを全力で書き続けている。

  誤認や誤解、そして見込み違いもある。それでも、そのいくつかは歴史に耐える真実を射抜いているに違いない。そういう自負を唯一の頼りに書き続ける。

  私にかくも傲慢なことを言わせる背景には、このブログを書くに当たって一切の私利、私欲、打算がない、という事実がある。

  読者の一人一人が、立場や考えの違いを超えて、自立した正しい判断力を持ってもらいたい、世間の不正に対峙してもらいたい、あらゆる権力者の悪に対し抗って強く生きてもらいたい、この一念で書いている。

  自らが強くなければ、愛するものさえ守る事が出来ない、それが私の読者へのメッセージである。

  サミット前日の今日は、あらゆる報道がサミット一色だ。うんざりする。

  しかしそれは無理もない。

  大きな国際行事だ。8年に一度の主催国の責任はある。

  サミットは無事に終わればいい。願わくば少しでも意味のある会議になってもらいたいと思う。

  テレビ番組は、福田首相の父親である福田赳夫氏がサミット直前の総裁選で破れ、総理はおろかサミット議長の名誉まで直前で手放した悔しさを放映していた。

  その悔しさを間近で見て一番知っているのが福田康夫首相だ、だから、支持率が低下しても,
何があっても、自分の手でサミットをやりたいのだ、などと政治解説者が語っていた。

  そうなのだろう。しかしその事自体は悪い事でもなんでもない。それが人情というものだ。

  洞爺湖サミットは歴史的な会議だと評価する意見がある一方で、難問題山積の中で一日や二日のサミットで何が決まるのかと冷めた見方もある。どの国でサミットが行われようと、必ず言われる事だ。

  そのいずれもが正しく、いずれもが正しくない。

  議長役の福田首相はもとより、政府関係者は無事に終わる事に精一杯だ。

  テロ対策の警備も大変だ。

  国民生活にとっては大迷惑だ。税金の無駄遣いだという声も聞こえる。

  そのような声もまた、いずれも正しく、そして正しくない。

  サミット開催国の責任者であったなら、やはり福田首相や日本政府と同じ対応をするに違いない。

  報道関係者は大騒ぎして、こぞって報道競争をしている。これも仕方のないことだ。

    そして、ここからが今日のブログの言いたい事であるのだが、それらすべてを受け入れた上で、決して見落としてはならない二つの問題点を指摘したい。

  その一つはサミット反対の国際的運動のうねりについてである。

  あれはシアトルのWTO反対運動の頃から始まった動きだと思う。反グローバリズムの国際的な動きがサミット前に必ず行われるようになった。

  私がもし官僚で一生を終わっていたならば、おそらくこのような反対運動に理解を示す事はなかったに違いない。この種の反対運動に違和感と嫌悪感を覚えたままであったに違いない。

   しかし今の私は、あらゆる意見に耳を傾ける時間がある。それを自分の頭で考えてみる暇がある。何よりも、組織や立場に縛られることなく、自分の考えに忠実でいられる自由がある。

  グローバリズム反対の活動家には様々な人たちがいるのだろう。主義主張のの違いや、思惑も一つではないのだろう。

  しかし、ATTACK(トービン税の導入を目指す市民団体)の発起人の一人であるスーザン・ジョージさんの次の言葉は考えさせられる。

 ・・・G-8に集まっている国は地球上の人口のわずか14%を代表しているに過ぎない。その指導者たちは、自分たちの国では選挙で選ばれたかもしれないが、世界を支配する役割を担うために選ばれたものではない。しかも、この指導者達ですら、自分たちの国において正当に国民を代表していないかもしれないのだ。
 その指導者たちが、世界を代表しているがごとく振る舞い、(世界の人類の幸福実現を等しく願うのではなく、彼らだけの利害を優先する。自国の利益を優先する。)そんな会議に果たして正統性があるのか・・・

 たしかにそれは一つの視点である。世界の指導者、権力者が集まるのではなく、世界の国民が手を繋げ、もう一つの国際的な民主主義体制をつくる必要性があるのかもしれない。そういう時代がいつの日か来るのかもしれない。

  7月6日の各紙が、洞爺湖サミットに反対する運動の事を一斉に取り上げたり、7月6日の朝日新聞が「ひと」欄が、来日したスーザン・ジョージさんを取り上げているのも、こうしたサミットに反対する国際的動きに、漠然とではあるが、将来の可能性を認めている証拠ではないか、単なるサミット妨害者と切り捨てられない何かがあると感じている証拠ではないか、と思ったりする。

  もう一つは、6日朝のフジテレビ「報道2001」が、サミット報道に背を向けて、あえて老人介護の問題を取り上げていたことである。そして6日の毎日新聞が、サミット報道と並んで、「人も団地も老いゆく」という見出しで、急速にふえつつある都会の孤独死を特集していたことである。

 女優小山明子が夫である映画監督大島渚の介護の、そして歌手橋幸夫が母親の介護の、苦労話をテレビで語る。華やかなスターでさえも、その陰で誰もが向かい合う苦労をしている。
 毎日新聞の記事の次のような言葉が、我々の目の前に広がる現実を突きつける
 「・・・遺体は1DKの居間で布団に横たわっていた。目を開き、天井を見上げていた。孤独死だった。部屋の主がいなくなって8ヶ月以上も経つのに、郵便受けにはいまもはがきや封書が届く。部屋のベランダでは洗濯物が風に揺れている・・・」

 急速に進む高齢化社会に温かい対応策を講じるのは、間違いなく政府の最優先の責務である。

 サミットで国際問題が語られるのもいい。環境問題も資源問題、金融問題も重要だ。

  しかし、サミットが終わった後で福田首相が真っ先になすべき責任は、この国の国民の日々の暮らしをどう安心させるかだ。

  日本の指導者だけでなく、世界の政治家が、指導者が、自分の地位、名誉、利権を省みることなく、国民の、人類の、豊かで平和な生活を心から願い、優先的にその問題に取り組むならば、サミットのあり方も変わっていくに違いない。

  二酸化酸素ガス規制の目標年である2050年には、環境問題だけではなく、人類は、戦争のない、平和で豊かな生活をしているのだろうか。

  我々はいま大きな歴史の転換期にあるのかもしれない。

  サミットが終われば内閣改造だ、解散・総選挙だ、などというのは、日本の政治家たちのつまらない権力闘争に過ぎないのではないかと思えてくる。

     

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2008年07月05日

官僚支配打破の前提は、政治家とそれを選ぶ国民の意識改革ができるかどうかだ


 官僚支配打破の前提は、政治家とそれを選ぶ国民の意識改革ができるかどうかだ


  5日朝のテレビ番組で、民主党の長妻昭が、次の選挙で国民が政権選択を行う一つの大きな基準は、自民党と民主党のどちらが官僚支配打破の政治を実施できるか、ということだと言っていた。

 この発言を俟つまでもなく、いまや「官僚主導から政治主導へ」という言葉は流行り言葉だ。

 そして私は、それが単なる国民に迎合する流行り言葉で終わるのではなく、それが真に実現されなければ日本はかわらないと思っている。

 「官僚の中にもまじめで優秀な者もいる」、とか、「官僚を批判するのではなく、使いこなす事だ」などという言葉は一見もっともだ。

 官僚の個人攻撃をしてもあまり意味はないし、それを行う事が目的になってはいけない。

 しかし問題の本質はもっと大きく、深い。そのような「良識的」な事を言っていては到底官僚支配は変わらないほど、困難な問題なのである。

 官僚支配を打破するということは、これまでの政治と行政のシステムを変える問題であり、そのシステムを変える前提は、つまるところ、「官尊民卑」の意識改革に行き着くのだ。

 その事を説明する好例として、最近の報道の中から二つの例を取り上げたい。

 その一つは年金運用によってもたらされた5兆円の運用損である。

 この問題の本質は、「運用損が出た」という事ではない。

 いつごろから、そしてどのような法的根拠で、我々から強制的に徴収した年金の原資が、厚生労働省の下部組織、天下り組織のひとつである年金積立金管理運用独立行政法人の手に委ねられるようになったか、私は不詳にもつまびらかでははない。

 しかし、その事さえも今ここで問題にしない。

 我々が納めた年金の原資が、サブプライムローンなどの危険なマネーゲームに使われていた事を問題にしているのでもない。
 金融資本主義を是認してきた我々の経済システムにおいては、個人も、企業も、国とても、もはやマネーゲームに染まり、そこから直ちに、超然として、身を切り離す事は困難だ。

 問題は、運用が上手くいった時は国民に還元することなく国家予算の一部として活用、流用、無駄遣いし、損失が出た時には、誰も責任をとることなく、「いままでの運用益があるから問題ない」と、言い逃れて終わってしまう、「官」の優位、「行政」の優位である。

 国民の代弁者である政治家は何をしているのか。どういう改善策を行政に迫るのか。本気で追及する政治家が一人でも出てくるのか。

 もう一つは、政治活動の報告ビラを集合ポストに投函した共産党市議が、東京地検という行政の一端に書類送検された事件である。

 私が驚いたのは、この「恐怖警察」に、政権政党の自民党の政治かも、政権奪取を狙う民主党の政治家も、ともに萎縮し、すくんでいるという実態である(7月5日東京新聞 ニュースの追跡)。

 オートロックの外側にある集合ポストには、商売のチラシは黙認だ。ピザ広告も風俗営業の勧誘も放置されている。

 それなのに政治家の政治活動である議会報告ビラの配布を官僚が恣意的に取り締まる。

 本来であれば政治家が行政の責任者を呼びつけて怒鳴りつけるべきではないのか。

 少なくとも直ちに国会でとりあげて国民の判断に委ねるべきではないか。

 それなのに、「もう、怖くてできない」、「政治家なら誰でもスネに傷を持つ。批判なんかしたら、警察からメディアにリークされ、袋叩きにあって政治的に殺される。警察批判なんて、与党だって怖くてできないんだよ」などと言う(前掲東京新聞)。

 官僚支配の根源は政治家や国民の意識の底にある。

 東大、京大出身の高級官僚には勝てないという学歴偏重主義のがある。

 国家権力に逆らう事は悪い事だという根拠のない思い込みがある。

 この意識がなくならない限り官僚支配はなくならない。
 

 

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2008年07月04日

メディアは小泉元首相に政策を語らせてみろ


 メディアは小泉元首相に政策を語らせてみろ

  国会が終わったとたん、政治記事がつまらない政局の話に明け暮れることになると、私はいつかのブログで書いた。

 その通りになった。

 ここしばらく、報道はサミットと北京五輪で明け暮れる。

 それが終われば8月の臨時国会が始まり、その前の内閣改造の有無が騒がれる。

 それまでの2ヶ月足らずは政治家の夏休みだ。

 勉強会と称して政治家仲間が集まって来るべき政局に備え鳩首協議を重ねる。

 激しく対立していた与野党の政治家たちが、視察という名の海外旅行に揃って出かける。

 さもなければ、至るところで講演をし、演題をそこのけで政局を語る。

 うんざりだ。

 政治家もメディアも、政策を語り、語らせるべきだ。

 いや語っている場合ではもはやない。

 一つでもいいから、悲鳴を上げている国民を救う政策を実現すべきだ。

 メディアは、政府に、与党政治家に、それを厳しく迫るべきだ。

  政治家の言動の中で、見逃してはならないのが小泉元首相のそれである。

  私は6月15日のブログで岩見隆夫の手になる毎日新聞「近聞遠見」を引用して、中曽根元首相がある政治パーティの席で、小泉元首相の差し出した握手に応じなかったというエピソードを紹介した。

  そうしたら、その岩見隆夫が、6月28日の同じ「近聞遠見」で、小泉元首相から直接電話がかかってきたこと、「中曽根元首相の憲法改正案を切り捨てたのは俺ではない」と文句を言ってきたこと、を書いていた。

  中曽根案を取り上げなかったのは自分ではない。自民党改正案作成の責任者である枡添議員が最終案をつくり、自分はそれを了承しただけだというのだ。

  瑣末な事だ。それ以外のところは、岩見が書いたとおりだと認めているようなものだ。

  しかし、私がこの記事を読んで認識を新たにしたことは、小泉元首相は自分の評判を気にかけているということだ。

  しかも、少しでも自分の評判に傷がつくような事があれば、それを訂正しようと自ら行動をとるという熱心さだ。

  その熱心さを政策づくりに結びつけたらどうか。政策を語ったらどうか。

   4日朝の報道は、こぞって小泉元首相が、内閣改造と解散・総選挙について、福田首相に注文をつけた事を報じていた。

  「解散は、今年のサミットではなく、来年のサミット後だ」と言ったかと思うと、今度は「追い込まれて解散をしてはいけない」などと発言をする。

  無責任だ。無節操だ。それをメディアが、あたかも大事件のごとく報じる。

  笑ってしまったのは7月4日の産経新聞の次の文章だ。

  「3日午後、都内で開かれた環境シンポジウムの基調講演に招かれた小泉純一郎元首相は冒頭から脱線した・・・」

  小泉元首相にまともな講演ができるのだろうか。

  脱線しっぱなしでは環境シンポジウムにならないだろう。少なくとも少しぐらいは環境政策を語ったのだろう。メディアはそこを報道しなければならない。国民に教えてくれなくてはいけない。

  5年半もこの国の首相をつとめた小泉元首相である。良くも悪くも、その政策の影響がすべてが今この国に現れてきている。国民生活に影響を与えつつある。

  政策を語ることは彼の義務であるのだ。

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