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2008年07月08日

 これで信用しろと言われても無理な相談だ


 これで信用しろと言われても無理な相談だ


  7月8日の読売新聞が国会議員の海外視察ラッシュを報じていた。

  いま、こういう記事を見せつけられると本当に腹が立つ。

  越年国会だったため5月の連休に行くことができなかった。8月末からは臨時国会が始まる。だから7月ー8月上旬に集中して、150人もの政治家が一斉に海外視察を行うという。

  そういえば、国会で激しく対立している与野党の幹部政治家たちが、外遊となると仲良く一緒に旅行しているという記事もあった。

  こういう記事を見ると、政治家というものが、いかにいい加減かという事がわかる。

  海外視察が悪いと言っているのではない。その殆どが現地大使館におんぶにだっこの物見遊山だから無駄だと言うのだ。それを私は嫌と言うほど世話をしてきた。

  すべての政治家がそうだと言っている訳ではない。しかし殆どがそうなのだ。

  なんでもかんでも批判する気はない。

  しかし政治家は、今こそ垂範をたれて自粛すべきではないか。

  今国民はどんなに苦しんでいるか。

  どれほどの節約を国民は、民間企業は迫られているか。

  財政赤字問題を解決するのが最大の政治課題ではないのか。

  日本が直面している政策課題の殆どすべては、そこから来ているのではないか。

  それを解決するのが政治家の責務ではないか。

  海外視察の予算が割り当てられているからと言って、その特典を使わないと損だと考えるのはあま  りにもいじましくないか。

  いまこそ外遊を自粛して、秋に備えて政策の一つでも勉強するのがあるべき姿ではないのか。

  国民生活第一の政治を行うと言われても、これで信用しろとは無理な相談だ。

 

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2008年07月08日

「在日米軍」 その本質を問う


 「在日米軍」 その本質を問う

  昨日のブログで、私はヘレン・ミアーズの「アメリカの鏡 日本」という著書を紹介した。

  そこで書かれている、米国の日本占領の正体を知って、私は、今日の対米従属関係が、63年前の占領の延長に過ぎない事を確信した。

  同時に、この「アメリカの鏡 日本」は、即座に私の頭の中に、最近読んだ、「マスコミ市民」という月刊誌に連載されている伊藤成彦中央大学名誉教授の、「『在日米軍』 その本質を問う」、という論文を想起させてくれた。

  伊藤教授の論文を私なりに要約すると次の通りである。

  ・・・米国の日本占領と不可分なのが、「日本のどこであれ、米国が必要と思う期間、必要と思われるだけの軍隊を置く権利」が与えられた、「在日米軍」の存在である。

  日本の非武装中立に固執していたマッカーサーも、吉田茂政権も、講和条約後も日本全土に米軍を駐留させるとするトルーマン大統領ーダレス国務長官の方針に反対であった。
 
  ところが50年8月に天皇陛下からマッカーサー宛に発せられた一つのメッセージが、マッカーサー、吉田茂の頭越しに、ダレス国務長官に届けられた。

  これこそが、1947年9月に沖縄基地の長期使用をマッカーサーに提案した天皇陛下の秘密メッセージと並んで、日本の戦後を規定した天皇陛下の秘密メッセージであったのだ。

  すでに象徴天皇であった昭和天皇の、この明らかに政治的な違憲メッセージは、何の目的で発せられたのか?

  天皇は憲法9条による非武装の日本を米軍に守ってもらうために日本全土の米軍基地化を提案した、とする見方はある。

  しかし、そのメッセージは、(当時はすでに極東裁判で天皇の戦争責任はなくなっていたが)「50年2月1日、ソ連が突如として天皇および数名の元日本軍高官を、細菌化学戦争にかかわった罪で国際軍事法廷に追加訴追を求める覚書を米政府に手交していた」後になされている。

  かつて、シーボルト駐日公使は、47年9月に天皇陛下がマッカーサーに提案した沖縄基地の長期使用のメッセージを当時のマーシャル国務長官に転送した際、「疑いもなく私利に大きくもとづいていた」と語っている。

  日本全土基地化の提案メッセージもまた、「自分を守ってほしい」というメッセージだとする推測が出てくる理由がそこにある・・・

  伊藤教授のこのような指摘が、史実として確立しているものなのかどうか、私は知らない。

  しかし、少なくとも伊藤教授は、秦郁彦「裕仁天皇五つの決断」(講談社)、豊下楢彦「安保条約の成立」(岩波新書)、坂元一哉「日米同盟の絆」(有斐閣)、西村熊雄「サンフランシスコ平和条約・日米安保条約」(中公文庫)などの公表された文献を検証、引用しながら書いている。

  重要な事は真実を知ることだ。真実に少しでも迫ることだ。

  あたかも憲法1条と9条が一対となって成立したごとく、米国の日本占領が米国と日本の合作であったとすれば、今日の対米従属外交もまた、日本が自ら選択した政策という事になる

  真実を知った上で、その真実を共有した上で、政策論争を行うのはよい。

  政策論争において意見が分かれる事も、考えが対立する事も、いい。

  異なる意見に耳を傾ける事は大切だ。

  しかし、都合が悪いからといって、見たくない、知りたくない、といって、真実から目をそらし、

  都合が悪いからといって、真実を隠蔽、歪曲するような事があっては、

  将来を誤る事になる。

   我々は、あまりにも真実を知らなさ過ぎるのではないか。

   真実を知ろうとする努力と謙虚さに欠けているのではないか。 

   私がこのブログで訴えたい事は、ただこの一点である。

  

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2008年07月07日

ブッシュ・小泉朋友関係の嘘

 ブッシュ・小泉朋友関係の嘘


  私はへそ曲がりに違いない。人が騒げば騒ぐほどほかの事をしたくなる。

  サミット一色の報道を読む気にならない。サミットと関係ない記事を無理して探そうとする。

  そう思って7月7日の各紙を眺めていると、やはり面白い記事はあるものだ。

  毎日新聞のワシントン発、坂東堅治という記者の手になる評論は示唆に富む。

  坂東記者は、サミットを前に行われる恒例の米国大統領と在米日本人記者との記者会見に出席して感激し、ブッシュ大統領の生の声を聞いて興奮して、その思いを次のように書いている。

 ・・・「やはりホワイトハウスでは大統領が最高権力者なのだ・・・(大統領の両脇に座ったハドリー補佐官(国家安全保障担当)やペリーノ報道官ら)側近は、ほとんど口をはさまず見守っていた。もう少し、周囲がアドバイスしたり、進行役を努めるかと思っていたが、あくまで大統領が中心だ・・・
  大統領は徐々にリラックスしたようすだったが、周囲には緊張感がただよっていた・・・」

  坂東記者が驚くまでもない。これが米国政治の現実なのだ。

  あの、不人気のブッシュ大統領でさえ、すべてを決める決定権を持っている。気に入らない側近はいつでも更迭できる。誰もブッシュ大統領に逆らえない。

  だからこそ、あの歴史的誤りであったイラク攻撃を、誰も止める事が出来なかったのだ。

  そんな事は、実はどうでもよい事だ。

  私が坂東記者の記事で注目したのは次のくだりである。

 ・・・(日本人記者会見において日米関係に話が及んだ時)いつもの事ながら「最も親しい友人の一人」である小泉純一郎元首相に話が及んだ。
   だが、「日本は中国との良好な関係を持つべきだ」と明言したことに、個人的関係とは別の本音もにじみ出た・・・大統領自身は当時直接の言及を避けていたが、(小泉元首相の対中国敵視政策に)やはり懸念を持っていたわけだ。
    ブッシュー小泉の緊密な関係から、ブッシュ時代の日米関係は歴史的にも最良だったという印象を持つ人は少なくない。だが、米国は東アジアで中国を含めたマルチ外交に軸足を移してきたようだ・・

  この坂東記者の記述は巧みに小泉批判を避けている。

  しかし、彼が言いたい事は、ずばり、ブッシュ・小泉朋友関係は作り上げられた嘘の関係ではなかったか、という問いかけである。

   ブッシュ大統領の発言が見事に物語っている。ブッシュ・小泉関係はつくりあげられた虚像だったのだ。

   そして、ブッシュ大統領の方が一枚上である。小泉元首相を盛んに持ち上げ、ブッシュ・小泉関係の緊密さをことさらに強調してみせる。しかしそれは周到に計算された言動なのである。

   あの愚鈍と思われるブッシュ大統領が、小泉元首相を持ち上げて、小泉元首相を米国の代理人にしようとする狡猾な戦略を、その内に秘めていたのだ。

   その一方で、あれほど親しさを強調していた小泉元首相が、総理を辞めたとたん、米国やブッシュ大統領を避けているように見える。本当の友情関係などなかった事を白状している。

   日米同盟は不滅だ、と叫び続ける日本の政治家や外務官僚は、そういえば言うほど、底の浅さを暴露することになるのだ。

   

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2008年07月07日

  ヘレン・ミアーズの「アメリカの鏡・日本」という著書を読んで


 ヘレン・ミアーズの「アメリカの鏡・日本」という著書を読んで

  ヘレン・ミアーズの「アメリカの鏡・日本」という著書がある。米国占領軍総司令部のメンバーとして46年に来日した米国の日本研究者が、48年に出版した米国の対日占領政策論である。

  その抄訳版が05年に角川書店(角川ONEテーマ21)から出版された。それを私はたまたま本屋で見つけ、購入し、一晩かけて通読した。

  また一つ日米関係の真実について、新発見をした思いだ。

  私がこの本に興味を持ったのは、その序文や訳者あとがきの中で書かれている、次のような文章が目に留まったからだ。

  (極東国際軍事裁判の判決が下された48年にこの著書が米国で発売されて)ミアーズは全米の注目の的となったが、彼女の主張はアメリカ人にとって不愉快なものであり、アメリカ人は次第に彼女を無視するようになった。それゆえ、この本と共に彼女は世に出ることなくいつしか忘れ去られていった。

  ミヤーズから原著の寄贈を受けた日本の翻訳家、原百代は、それを日本で翻訳出版すべく連合軍総司令部に許可を求めたが、「占領が終わらなければ、日本人は、この本を読むことはできない」とするマッカーサーの一言で、かなわなかった。

  占領が終了した翌年の53年に、原氏の翻訳は「アメリカの反省」と題してやっと出版されたが、当時はなぜかあまり注目されず、その後はその存在すら忘れられていた。

  ミアーズの著書を偶然に知ったビジネスマンの白子英城が、アメリカ人によって書かれたその内容に驚愕し、この本は少しでも多くの日本人によって読まれるべき本だ、との思いで1995年にあらたに翻訳、出版した。

  翻訳した伊藤延司は、「恥ずかしい告白を許していただくなら、(読みながら)途中何度も泣いた・・・太平洋、沖縄における日本兵と民間人の死、大空襲と原爆による一般市民の惨めさと、同じ惨めさをアジアの人々に強要した近代日本の運命が無性に悲しかった・・・」と訳者あとがきで書いている。

  さて、前置きが長くなったが、結論から言えば、この本は、ブッシュ政権の米国と軍事同盟を強化しつつある今こそ、読まれるべき本である。

  すなわち、サミットでブッシュ大統領が訪日している今、北朝鮮外交をめぐって米国の対日政策の本性が露呈した今、そして何よりも米国のイラク戦争のツケを日本が無条件に支払わされている今 こそ、この本はすべての日本人に読まれるべき本なのである。

 ミアーズが繰り返しその著書で訴えているのは、

 米国は戦争に勝つために日本を占領したのではない、占領そのものが目的であった
 米国は日本が脅威だったから日本と戦ったのではない。日本の脅威をことさらに強調し、それを口実に日本国民と 日本文明の破壊のために日本を戦争に追い込んだ

 という事である。

  太平洋戦争をめぐるおびただしい専門書、研究書の中で、このミアーズの主張が日本でどのように評価されてきたか、私は知らない。

  しかし、このミアーズの米国対日占領政策観は、米国のイラク攻撃とその後に続く軍事占領の7年間と見事に一致する。

  私が、今こそこの著がすべての日本人によって読まれなければならないと思った理由はここにある。

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2008年07月07日

 石原慎太郎に残された使命は、「米国から自立した日本」の実現に身を焼き尽くす事である


 石原慎太郎に残された使命は、「米国から自立した日本」の実現に身を焼き尽くす事である

  7月7日の産経新聞に掲載された石原慎太郎の連載論評「日本よ」を読んで驚いた。同時にまた、このような論評を掲載した産経新聞にも驚いた。

  サミットが始まる当日に、しかも日米首脳会談が終わって日米同盟の重要性を政府が国民に懸命に訴えている時に、その米国を真っ向から批判し、日本の自立を訴えているのだ。

  彼の反米、嫌米は筋金入りである。1989年に「『NO』と言える日本」を出版し、米国に睨まれ、それで政治生命を絶ったというのが世間の通り相場だ。

  それ以来、彼の反米言辞はなりを潜めた。その代わりでもないだろうが、石原慎太郎の中国敵視発言はトーンアップしていく。

  しかし彼は本来的に愛国、自立であり、だからこそ米国の傲慢さと不当さに我慢が出来ないのだ。

  総理はもはやとっくにあきらめた。都知事再選も果たした。老齢の衰えも直視せざるを得ない。

  もはや石原慎太郎にはすることがない。それは逆に言えば失うものはない、気兼ねするものはないという事なのだ。

  その心境が、彼をして今までに見たことのないほどのストレートな米国批判をさせるのだろう。

  「今、人類は・・・画期的な危機に瀕しているといえるかもしれない・・・」という文章で始まるその論評は、環境破壊、世界的インフレ、鳥インフルエンザなどの新しい疫病蔓延といった困難が人類を滅ぼすと警鐘を鳴らし、その元凶が米国の市場原理主義である、と斬って捨てる。

  米国流グローバリゼーション反対論者が聞いたら涙を流すような論評である。

  実際のところ、「・・・この世界を限られた者たちだけで仕切ろうとするサミットなるものが、今日から日本で行われようとしている・・・」と、昨日のこのブログで書いた、反サミット国際運動のキャッチフレーズと同じ言葉使いをしている。

  百聞は一見にしかず、というから、私がゴチャゴチャいうよりも、本人の言葉で語ってもらおう。

 ・・・こうした悪しき経済循環を引き起こしている究極の原因は、アメリカ的価値観にのっとった熾烈なマネーゲームであって・・・その結果ごく一部の者をのぞいたほとんどの人間が不幸に晒されている。
  しかしなお、こうした経済運営の主唱者たるアメリカはその姿勢を一向に変えようとはしない・・
  このあまりに巨(おお)きな粗相を糊塗するために、G-8では従来のルールを平然として都合よく変えようとしている・・・
   そうした経済行為が、限られた人間への恩恵しかもたらさぬ、いい換えればアメリカの独り勝ちにしか繋がらぬ私益絶対主義が、それを通り越して世界の存亡の危機につながろうとしている今・・・日本は・・・世界の経済に関する新しい理念と方向を提唱し・・・新しい資本主義の造形に努めるべきだ。
 さもないと・・・人類の存亡をひっくるめてこの世の全てを失うということになりかねない・・・

  その限りではまったくその通りだ。右も左もない。すべての国民が内心そう感じている。

  ならば、なぜそれを石原は実践しようとしないのか。できないのか。

  石原慎太郎がまったく触れていない大きな問題がある。「新しい資本主義」の内容もさることながら、そのような提案は、日本が米国から自立しなければ出来ないということである。

  そして米国から自立する事は、同時に日本の安全保障政策を自立させる事と表裏一体である。

  石原は言うだろう。軍事力を強化して世界にバカにされない国になることだと。

  それは米国が許さない。世界が警戒する。

  それでも軍事的自立を図ろうとすれば、日本は孤立し、米国と軍事的に敵対することになる。

  米国が文句の言えない安全保障政策、世界が歓迎する日本の国防政策は、憲法9条を掲げた専守  防衛しかないのだ。

    石原慎太郎がそのことに気づき、日本国民を覚醒させる時、彼は文字通り日本の英雄になれる  かもしれない。

  

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2008年07月06日

 論説を叩き斬る


 論説を叩き斬る

  このブログは読者にはどうでもいい内容だ。しかし私にとっては看過できない解説記事であったから、どうしても書いておきたかった。読者には我慢しておつき合い願いたい。

 7月6日の日経新聞「風見鶏」欄に、「外務省も内向き日本か」というタイトルで伊奈久喜という編集委員が書いていた。

 要するに一言で言うとこういう記事である。

 歴代の外務事務次官の名前を列挙して、最近の次官人事は、大使という「外交官としての働きどころ」の職を経験することのない人物が次官になりそして辞めて行く、そういう人事が増えて来た、と指摘し、企業だけでなく、外務省さえも、東京に人材を集中するようになった、という。
 そして、これは相対的な国力低下がもたらす日本全体の余裕のなさ、国力の低下の反映ではないか、と解説する。
 北朝鮮のテロ支援国家解除問題が、米国をより自分たちに引きつけようとする、日本と北朝鮮の外交戦だったとしたら、第一ラウンドは日本が敗れた。
 米国の対北朝鮮腰砕け外交は、もちろんブッシュ政権内部から由来する問題であり、それを外務省の体制のせいにしては酷だろうが、外務省の外交軽視の最近の傾向と無関係か。
 今日行われる日米首脳会談に注目したい。

 と、まあ、こういった内容の解説記事なのである。

 これは要するに、外務省の外交力の低下を批判したいのは山々だが、外務省には日ごろ情報提供などでお世話になっている幹部連中も多い。
 だから彼らの反発を買うような、面と向かった批判をするわけには行かない。
 そこで次官人事などを持ち出して、外交力が弱くなったのは皆が外交官よりも外務官僚を志向して内向きになったからだ、などと、無理をした解説を新聞紙上でして見せているのだ。

 読者のほうではなく、幹部外務官僚に顔を向けて書いている解説記事なのだ。

  事実はそんなものではない。もっと単純なのだ。

  次官人事が狂った理由はただ一つ。2001年始めに発覚した機密費横領の松尾事件のためである。

  あの事件で外務省の中枢がすべて汚染されていた事が明らかになった。次官経験者、現役次官、将来の次官候補者、すべてが汚染されていた。

  予定調和の次官人事がすべて狂ってしまったのだ。

  幹部が大使を経験せずに次官になったり辞めて行くということはありえない。それは本人にとっても、外務省にとっても好ましくない。

  そんな伝統的な人事を狂わすほど、あのスキャンダルは外務省にとって深刻であったという事だ。そしてその後遺症は今も続いている。

  それからもう一つ。大使よりも本省幹部のポストに人材が集まり勝ちである、という事は事実である。

  しかし、それは本省に優秀な人材が必要だからではない。

  民間企業の事は知らないが、外務省に限って言えば、出世をしたい連中が、大使よりも本省勤務を好むからだ。大使よりも本省幹部のほうが圧倒的に権限があるからだ。

  本来は大使というポストは外交官にとってこの上ない魅力あるポストである。

  現地の情勢に精通し、現地の要人と人脈を構築した大使からの情報や意見は、本来ならば尊重され、日本外交の最強の武器として活用されるべきである。

  それを出世主義、保身主義の官僚たちがぶち壊してしまった。権力者を喜ばすような情報しか取り入れず、権力者に都合の悪い情報は握りつぶす。

  東京に優秀な人材が必要なのではない。出世万能主義の連中ばかりが東京に集まっただけの話だ。

  大使職を軽視し、権力者の顔色ばかりをうかがうようになったから外務省は外交でまけるのだ。伊奈解説委員は、この単純な事実を国民に知らせるべきだ。

 新聞記事は、常に読者のほうに顔を向けて書かれなければならない。

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2008年07月06日

 グリーンピース鯨肉事件を幕引きさせるな


 グリーンピース鯨肉事件を幕引きさせるな

 私は6月21日のブログの中で、警察がグリーンピースのメンバーを鯨肉窃盗で逮捕した事は、危険な賭けである、というような事を書いた。

 それをきっかけに騒ぎが大きくなって、調査捕鯨が商業捕鯨だったというウソの暴露に、事態が進展しないとも限らない、と思ったからだ。

 ところが、残念ながらそうはならなかった、と思っていた。

 少なくとも7月7日の日刊ゲンダイの記事を見つけるまでは。

 私は、21日のブログでも書いたが、グリンピースという組織を決して支持しているわけではない。

 特に今回グリーンピースのメンバーがとった行為は、たとえそれが、彼らの言う「大きな正義」を追及するための「小悪」だとしても、やはりまずかったと思う。

 権力の怖さを甘く見てはいけない。世論をなめてはいけない。

 グリーンピース鯨肉事件は、すべてはグリーンピースの窃盗行為が悪い、という形で幕引きが図られてしまった。そう思っていた。

  ところが、7月7日の日刊ゲンダイは、次のような大きなニュースを流した。

  ・・・鯨肉は本当に土産用のものだったのか。どうやらそればかりではなさそうだ。その量が土産用にしては多すぎる。その上、長期保存用の仕様は、明らかに闇市場での販売を目的にしたものの疑い濃厚だ・・・

  というのである。

 しかもこの問題は、7月2日に都内で行われた公開討論会で取り上げられ、保坂展人議員(社民党)や谷岡郁子議員(民主党)が、「国政調査権を発動してでも徹底的に真相を解明すべき」だと語ったという。

 私は、もっぱら、調査捕鯨と偽って商業捕鯨をしていた水産庁の国際法違反疑惑を追及してきた。しかし、この事件で浮上してきたのは、公共財産の着服、横領疑惑である。

 それが事実であれば大問題だ。

 天下り機関の横領、着服がいたるところで問題になっている御時世である。もし一人でも鯨肉横流しで売上金を私物、私用している者がいたとしたら、大事件となる。

 この疑惑が明らかにされた以上、そして日刊ゲンダイがすでに報じた以上、大手新聞がこの問題を調査、報道しなければウソである。

 さもなければ、単なる怠慢か、水産庁とデキている、ということだ。

 どうやら私の指摘したように、水産庁は危険な賭けに出てしまった。

 そしてそれに負ける危険性が出てきた。

 グリーンピース鯨肉事件を幕引きさせてはならない。

 

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2008年07月06日

 2008.7.6. サミット前日に考える事

 2008.7.6. サミット前日に考える事

  このブログで書いてきた事のいくつかは、何年か先に、必ず意味を持ってよみがえってくる。そう思いながら私はこのブログを全力で書き続けている。

  誤認や誤解、そして見込み違いもある。それでも、そのいくつかは歴史に耐える真実を射抜いているに違いない。そういう自負を唯一の頼りに書き続ける。

  私にかくも傲慢なことを言わせる背景には、このブログを書くに当たって一切の私利、私欲、打算がない、という事実がある。

  読者の一人一人が、立場や考えの違いを超えて、自立した正しい判断力を持ってもらいたい、世間の不正に対峙してもらいたい、あらゆる権力者の悪に対し抗って強く生きてもらいたい、この一念で書いている。

  自らが強くなければ、愛するものさえ守る事が出来ない、それが私の読者へのメッセージである。

  サミット前日の今日は、あらゆる報道がサミット一色だ。うんざりする。

  しかしそれは無理もない。

  大きな国際行事だ。8年に一度の主催国の責任はある。

  サミットは無事に終わればいい。願わくば少しでも意味のある会議になってもらいたいと思う。

  テレビ番組は、福田首相の父親である福田赳夫氏がサミット直前の総裁選で破れ、総理はおろかサミット議長の名誉まで直前で手放した悔しさを放映していた。

  その悔しさを間近で見て一番知っているのが福田康夫首相だ、だから、支持率が低下しても,
何があっても、自分の手でサミットをやりたいのだ、などと政治解説者が語っていた。

  そうなのだろう。しかしその事自体は悪い事でもなんでもない。それが人情というものだ。

  洞爺湖サミットは歴史的な会議だと評価する意見がある一方で、難問題山積の中で一日や二日のサミットで何が決まるのかと冷めた見方もある。どの国でサミットが行われようと、必ず言われる事だ。

  そのいずれもが正しく、いずれもが正しくない。

  議長役の福田首相はもとより、政府関係者は無事に終わる事に精一杯だ。

  テロ対策の警備も大変だ。

  国民生活にとっては大迷惑だ。税金の無駄遣いだという声も聞こえる。

  そのような声もまた、いずれも正しく、そして正しくない。

  サミット開催国の責任者であったなら、やはり福田首相や日本政府と同じ対応をするに違いない。

  報道関係者は大騒ぎして、こぞって報道競争をしている。これも仕方のないことだ。

    そして、ここからが今日のブログの言いたい事であるのだが、それらすべてを受け入れた上で、決して見落としてはならない二つの問題点を指摘したい。

  その一つはサミット反対の国際的運動のうねりについてである。

  あれはシアトルのWTO反対運動の頃から始まった動きだと思う。反グローバリズムの国際的な動きがサミット前に必ず行われるようになった。

  私がもし官僚で一生を終わっていたならば、おそらくこのような反対運動に理解を示す事はなかったに違いない。この種の反対運動に違和感と嫌悪感を覚えたままであったに違いない。

   しかし今の私は、あらゆる意見に耳を傾ける時間がある。それを自分の頭で考えてみる暇がある。何よりも、組織や立場に縛られることなく、自分の考えに忠実でいられる自由がある。

  グローバリズム反対の活動家には様々な人たちがいるのだろう。主義主張のの違いや、思惑も一つではないのだろう。

  しかし、ATTACK(トービン税の導入を目指す市民団体)の発起人の一人であるスーザン・ジョージさんの次の言葉は考えさせられる。

 ・・・G-8に集まっている国は地球上の人口のわずか14%を代表しているに過ぎない。その指導者たちは、自分たちの国では選挙で選ばれたかもしれないが、世界を支配する役割を担うために選ばれたものではない。しかも、この指導者達ですら、自分たちの国において正当に国民を代表していないかもしれないのだ。
 その指導者たちが、世界を代表しているがごとく振る舞い、(世界の人類の幸福実現を等しく願うのではなく、彼らだけの利害を優先する。自国の利益を優先する。)そんな会議に果たして正統性があるのか・・・

 たしかにそれは一つの視点である。世界の指導者、権力者が集まるのではなく、世界の国民が手を繋げ、もう一つの国際的な民主主義体制をつくる必要性があるのかもしれない。そういう時代がいつの日か来るのかもしれない。

  7月6日の各紙が、洞爺湖サミットに反対する運動の事を一斉に取り上げたり、7月6日の朝日新聞が「ひと」欄が、来日したスーザン・ジョージさんを取り上げているのも、こうしたサミットに反対する国際的動きに、漠然とではあるが、将来の可能性を認めている証拠ではないか、単なるサミット妨害者と切り捨てられない何かがあると感じている証拠ではないか、と思ったりする。

  もう一つは、6日朝のフジテレビ「報道2001」が、サミット報道に背を向けて、あえて老人介護の問題を取り上げていたことである。そして6日の毎日新聞が、サミット報道と並んで、「人も団地も老いゆく」という見出しで、急速にふえつつある都会の孤独死を特集していたことである。

 女優小山明子が夫である映画監督大島渚の介護の、そして歌手橋幸夫が母親の介護の、苦労話をテレビで語る。華やかなスターでさえも、その陰で誰もが向かい合う苦労をしている。
 毎日新聞の記事の次のような言葉が、我々の目の前に広がる現実を突きつける
 「・・・遺体は1DKの居間で布団に横たわっていた。目を開き、天井を見上げていた。孤独死だった。部屋の主がいなくなって8ヶ月以上も経つのに、郵便受けにはいまもはがきや封書が届く。部屋のベランダでは洗濯物が風に揺れている・・・」

 急速に進む高齢化社会に温かい対応策を講じるのは、間違いなく政府の最優先の責務である。

 サミットで国際問題が語られるのもいい。環境問題も資源問題、金融問題も重要だ。

  しかし、サミットが終わった後で福田首相が真っ先になすべき責任は、この国の国民の日々の暮らしをどう安心させるかだ。

  日本の指導者だけでなく、世界の政治家が、指導者が、自分の地位、名誉、利権を省みることなく、国民の、人類の、豊かで平和な生活を心から願い、優先的にその問題に取り組むならば、サミットのあり方も変わっていくに違いない。

  二酸化酸素ガス規制の目標年である2050年には、環境問題だけではなく、人類は、戦争のない、平和で豊かな生活をしているのだろうか。

  我々はいま大きな歴史の転換期にあるのかもしれない。

  サミットが終われば内閣改造だ、解散・総選挙だ、などというのは、日本の政治家たちのつまらない権力闘争に過ぎないのではないかと思えてくる。

     

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2008年07月05日

官僚支配打破の前提は、政治家とそれを選ぶ国民の意識改革ができるかどうかだ


 官僚支配打破の前提は、政治家とそれを選ぶ国民の意識改革ができるかどうかだ


  5日朝のテレビ番組で、民主党の長妻昭が、次の選挙で国民が政権選択を行う一つの大きな基準は、自民党と民主党のどちらが官僚支配打破の政治を実施できるか、ということだと言っていた。

 この発言を俟つまでもなく、いまや「官僚主導から政治主導へ」という言葉は流行り言葉だ。

 そして私は、それが単なる国民に迎合する流行り言葉で終わるのではなく、それが真に実現されなければ日本はかわらないと思っている。

 「官僚の中にもまじめで優秀な者もいる」、とか、「官僚を批判するのではなく、使いこなす事だ」などという言葉は一見もっともだ。

 官僚の個人攻撃をしてもあまり意味はないし、それを行う事が目的になってはいけない。

 しかし問題の本質はもっと大きく、深い。そのような「良識的」な事を言っていては到底官僚支配は変わらないほど、困難な問題なのである。

 官僚支配を打破するということは、これまでの政治と行政のシステムを変える問題であり、そのシステムを変える前提は、つまるところ、「官尊民卑」の意識改革に行き着くのだ。

 その事を説明する好例として、最近の報道の中から二つの例を取り上げたい。

 その一つは年金運用によってもたらされた5兆円の運用損である。

 この問題の本質は、「運用損が出た」という事ではない。

 いつごろから、そしてどのような法的根拠で、我々から強制的に徴収した年金の原資が、厚生労働省の下部組織、天下り組織のひとつである年金積立金管理運用独立行政法人の手に委ねられるようになったか、私は不詳にもつまびらかでははない。

 しかし、その事さえも今ここで問題にしない。

 我々が納めた年金の原資が、サブプライムローンなどの危険なマネーゲームに使われていた事を問題にしているのでもない。
 金融資本主義を是認してきた我々の経済システムにおいては、個人も、企業も、国とても、もはやマネーゲームに染まり、そこから直ちに、超然として、身を切り離す事は困難だ。

 問題は、運用が上手くいった時は国民に還元することなく国家予算の一部として活用、流用、無駄遣いし、損失が出た時には、誰も責任をとることなく、「いままでの運用益があるから問題ない」と、言い逃れて終わってしまう、「官」の優位、「行政」の優位である。

 国民の代弁者である政治家は何をしているのか。どういう改善策を行政に迫るのか。本気で追及する政治家が一人でも出てくるのか。

 もう一つは、政治活動の報告ビラを集合ポストに投函した共産党市議が、東京地検という行政の一端に書類送検された事件である。

 私が驚いたのは、この「恐怖警察」に、政権政党の自民党の政治かも、政権奪取を狙う民主党の政治家も、ともに萎縮し、すくんでいるという実態である(7月5日東京新聞 ニュースの追跡)。

 オートロックの外側にある集合ポストには、商売のチラシは黙認だ。ピザ広告も風俗営業の勧誘も放置されている。

 それなのに政治家の政治活動である議会報告ビラの配布を官僚が恣意的に取り締まる。

 本来であれば政治家が行政の責任者を呼びつけて怒鳴りつけるべきではないのか。

 少なくとも直ちに国会でとりあげて国民の判断に委ねるべきではないか。

 それなのに、「もう、怖くてできない」、「政治家なら誰でもスネに傷を持つ。批判なんかしたら、警察からメディアにリークされ、袋叩きにあって政治的に殺される。警察批判なんて、与党だって怖くてできないんだよ」などと言う(前掲東京新聞)。

 官僚支配の根源は政治家や国民の意識の底にある。

 東大、京大出身の高級官僚には勝てないという学歴偏重主義のがある。

 国家権力に逆らう事は悪い事だという根拠のない思い込みがある。

 この意識がなくならない限り官僚支配はなくならない。
 

 

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2008年07月04日

メディアは小泉元首相に政策を語らせてみろ


 メディアは小泉元首相に政策を語らせてみろ

  国会が終わったとたん、政治記事がつまらない政局の話に明け暮れることになると、私はいつかのブログで書いた。

 その通りになった。

 ここしばらく、報道はサミットと北京五輪で明け暮れる。

 それが終われば8月の臨時国会が始まり、その前の内閣改造の有無が騒がれる。

 それまでの2ヶ月足らずは政治家の夏休みだ。

 勉強会と称して政治家仲間が集まって来るべき政局に備え鳩首協議を重ねる。

 激しく対立していた与野党の政治家たちが、視察という名の海外旅行に揃って出かける。

 さもなければ、至るところで講演をし、演題をそこのけで政局を語る。

 うんざりだ。

 政治家もメディアも、政策を語り、語らせるべきだ。

 いや語っている場合ではもはやない。

 一つでもいいから、悲鳴を上げている国民を救う政策を実現すべきだ。

 メディアは、政府に、与党政治家に、それを厳しく迫るべきだ。

  政治家の言動の中で、見逃してはならないのが小泉元首相のそれである。

  私は6月15日のブログで岩見隆夫の手になる毎日新聞「近聞遠見」を引用して、中曽根元首相がある政治パーティの席で、小泉元首相の差し出した握手に応じなかったというエピソードを紹介した。

  そうしたら、その岩見隆夫が、6月28日の同じ「近聞遠見」で、小泉元首相から直接電話がかかってきたこと、「中曽根元首相の憲法改正案を切り捨てたのは俺ではない」と文句を言ってきたこと、を書いていた。

  中曽根案を取り上げなかったのは自分ではない。自民党改正案作成の責任者である枡添議員が最終案をつくり、自分はそれを了承しただけだというのだ。

  瑣末な事だ。それ以外のところは、岩見が書いたとおりだと認めているようなものだ。

  しかし、私がこの記事を読んで認識を新たにしたことは、小泉元首相は自分の評判を気にかけているということだ。

  しかも、少しでも自分の評判に傷がつくような事があれば、それを訂正しようと自ら行動をとるという熱心さだ。

  その熱心さを政策づくりに結びつけたらどうか。政策を語ったらどうか。

   4日朝の報道は、こぞって小泉元首相が、内閣改造と解散・総選挙について、福田首相に注文をつけた事を報じていた。

  「解散は、今年のサミットではなく、来年のサミット後だ」と言ったかと思うと、今度は「追い込まれて解散をしてはいけない」などと発言をする。

  無責任だ。無節操だ。それをメディアが、あたかも大事件のごとく報じる。

  笑ってしまったのは7月4日の産経新聞の次の文章だ。

  「3日午後、都内で開かれた環境シンポジウムの基調講演に招かれた小泉純一郎元首相は冒頭から脱線した・・・」

  小泉元首相にまともな講演ができるのだろうか。

  脱線しっぱなしでは環境シンポジウムにならないだろう。少なくとも少しぐらいは環境政策を語ったのだろう。メディアはそこを報道しなければならない。国民に教えてくれなくてはいけない。

  5年半もこの国の首相をつとめた小泉元首相である。良くも悪くも、その政策の影響がすべてが今この国に現れてきている。国民生活に影響を与えつつある。

  政策を語ることは彼の義務であるのだ。

  しかし、彼は一言でも政策を語った事があるのか。メディアは一度でも彼に政策を語ることを求めた事があるのか。

  7月17日号の週刊実話は、小泉元首相が一人2万円もする高級フランス料理店に女性議員を集め、一人政局話をして悦に入っていた、あまりにも不謹慎だ、という記事を書いていた。

  これこそ大手新聞が書くべきだ。そんな暇があればブッシュ大統領と電話会談して対北朝鮮外交の一つでも話したらどうなのだ。

  このブログを読んでいる小泉元首相。政策を語ってみよ。

  このブログを読んでいる政治記者諸君。小泉元首相に一つでいいから政策を語らせてみろ。そしてそれを記事にして国民に知らせてみろ。

 

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2008年07月04日

  イスラエルの代弁を繰り返す外務省OB


 イスラエルの代弁を繰り返す外務省OB

  ここ当分の間、外交に関する記事はサミット一色になる。そこで報じられる事柄は、殆ど意味のないことばかりだ。

  膨大な議題の渦の中で、何一つ具体的な成果は期待されそうもない。

  おまけに、「指導力を失った首脳ばかりだ。

  しかも、どの議題もG-8だけで解決できるものではない。首脳会議は事実上拡大されてしまった。

  もはやサミットは事実上国連化しつつある。拘束力のない共同宣言づくりがすべてだ。

  もはやサミットは五輪化しつつある。参加する事に意義がある。無事終われば成功だ。

  そのようなサミットに関する記事を読む時は、同じような記事を飛ばし読みし、誰も書かない視点からの記事を見つけることに限る。

  私にとっては、7月4日の東京新聞にでていた野上義二元外務次官のインタビュー記事がそれであった。

  彼は8年前に日本が沖縄サミットを主催した時、外務審議官としてシェルパ(首脳個人代表)をつとめた経験がある。だから東京新聞の記者は彼をインタビュー相手に選んだのだろう。

 最初の質問は、「沖縄サミットは、日本では初めての地方開催だった。どの点に力を入れ、どんな苦労があったか」というつまらないものであった。

 その後に続く質問も、答えも、東京新聞や野上元次官には失礼だが、読むに値しないものであった。だから飛ばし読みをした。

 ところがある箇所で私の目が留まった。それは野上元次官がイランについて言及した箇所である。

 質問が北朝鮮の核問題に及んだ時である。彼は次のように答えていた。

 「・・・この問題(核拡散)で、世界的に見て一番深刻なのはイランだ。(「日本国内はイランよりも北朝鮮だが」という問いをさえぎって)日本の国益は拉致問題であってイランは国益に関係ないという議論にはならない・・・イランが核兵器国になり、湾岸ですごみを聞かせたとき、世界のエネルギー状況はどうなるのか・・」

 見事なイスラエルの代弁である。ユダヤロビーに屈した米国の中東外交の代弁である。

  一般の国民には、野上元外務次官といえば、田中真紀子外相と対立しともに更迭された「ヒゲの野上」ぐらいしか思い浮かばないだろう。

  しかし彼こそ、日本の中東外交をイスラエル寄りにゆがめた外務次官だった。

 彼が外務次官のとき、私はレバノンの大使であった。その時私は、彼が訪日中のイランの外務次官と公式会談をした中で、「イランはパレスチナ問題から手を引け」と面と向かって発言した事を知った。

 中東問題では中立を保つことに苦慮してきた日本外交であった。欧米と違って日本は中東では手が汚れていない。アラブの対日感情も悪くない。中立は日本外交の強みであった。

 その日本外交を担う外務省のトップが、どうしてこのような発言ができるのか。

 私は本省に直ぐに質した。

 「中東問題で中立を保つ事に腐心してきた日本ではなかったのか。この発言は野上次官の個人的な発言か、それとも日本外交の公式な立場なのか」と。

 東京からはなしのつぶてであった。

 後で知った事だが、野上元次官に関してはいくつかのエピソードがある。

 米国大使館勤務時代にユダヤ系米国人に評価され、「これで俺の出世はまちがいない」と外務省内で吹聴していたことや、彼が中近東局の参事官の時に起きたマルコポーロ事件で、ユダヤ批判の言論をする出版社を非難したこと、などである。

 駐英大使を5月に退任した野上氏はみずほコーポレート銀行の常任顧問に請われたという。

 ユダヤ金融資本の代弁者になって日本経済を売り飛ばすような事がないことを願う。

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2008年07月03日

 一人の外交官でもこれだけのことが出来る


 一人の外交官でもこれだけのことが出来る

  産経新聞は7月1,2,3日の三日間にわたって、「人、瞬間 あのとき あの国 あの人」という連載で一人の元外交官の仕事振りを紹介していた。

  これがきわめて良質な企画であるのだ。

  そこで取り上げられていた砂川昌順(48)という元外交官を私は個人的には知らない。

  その経歴からみて、いわゆるキャリア外交官ではなく、また外務公務員試験を受けて採用されたノンキャリ外交官でもない。

  外交官のなかには、もっぱら大使館や総領事館などの海外勤務要員として採用される外交官もいる。砂川氏もその一人なのだろう。ガーナ大使館、バーレーン大使館勤務を経て、10年足らずで外務省を辞めている。

  その外交官が、外務省のどの外交官も出来なかったような仕事をしていたのだ。

  1987年11月に大韓航空機爆破事件という大事件があった。北朝鮮の工作員とされる二人がバクダッド発ソウル行きの大韓航空機を空中爆破した事件だ。

  拘束された一人が金賢姫という若い女性工作員であった。北朝鮮に拉致された日本人女性、田口八重子さんから日本語教育を受けていたということも、後に判明した。

   その金賢姫がバーレーン内務省に偽造日本人パスポート所持で拘束されていた時、当時バーレーン日本大使館の外交官だった砂川は事情聴取のため金賢姫と会っている。

 砂川は、殆ど何もしなかった大使館の幹部を尻目に、一人で金賢姫らの居場所をつきとめ、空港で面会することに成功した。

 「事件のことは後でゆっくり聞けばよい。彼女の心を開かせる事が先決だ。」

 没収したカメラから、恥らうように立っていた彼女の写真を見つけた時、この人(金賢姫)はまっすぐに育ったに違いないと砂川は直感した。

 まっすぐな人間にはまっすぐに向き合うしかない。取調べ官としてではなく人間として。砂川は顔が引っくほど彼女に近づき、懸命に呼びかけた。「困っていることはないか?」、「不当な扱いは受けていないか?」。尋問から約40分、彼女が話し始めた・・・

 ところが日本政府は、政治的摩擦をおそれて、さっさと彼女の身柄を韓国政府へ引き渡してしまう。

 「まずは日本での取調べを行うべきだ」と主張した砂川の意見はまったく聞き入れられなかった。

 「悔しかったし、日本政府の判断は間違っていると思った。(北朝鮮の工作など)金賢姫にはいくらでも聞きたいことはあったからです」

  その大韓航空機爆破事件から約2年後。休暇をとってオーストリアのウィーンを訪れた砂川は、当地で北朝鮮の外交官と秘密裏に接触し、「日本の外交官として北朝鮮に亡命したい。主体思想を勉強させて欲しい」と持ちかけたという。

  バーレーン大使館にいたころ、「複数の日本人がヨーロッパから北朝鮮に渡っている」という情報をつかんでいたからだ。この情報は後に有本恵子さんらのことと判明する。

  「確認するには北朝鮮の内部に入り込むしかない。無謀な賭けであり関係者には多大な迷惑をかけるかもしれない。でも当時は『この仕事は自分にしかできない。必ずや証拠をつかみ、生きて戻ってくる』という、うぬぼれがあったのです」

  だが数日後北朝鮮側は砂川の申し入れを断ってきた。砂川の「北朝鮮侵入計画」は頓挫した。

  この時に、外務省という「組織」に砂川は限界を感じる。砂川はまもなく外務省を去ることとなる。

  産経新聞からの引用が長くなった。

  私が言いたい事は、日本という国を背負った外交官であれば、その気になればかなりの仕事ができるということである。今の外務省は、そして殆どすべての外交官は、その仕事をしていないということである。日本の外交力を無駄にしているという事である。
  砂川の意見の通り金賢姫の事情聴取があの時日本当局の手で行われていたならば、拉致問題の展開も異なったものになっていたかもしれない。

  ここに紹介した砂川氏の行おうとした事は、極端であり、訓令違反のところもある。

  しかし、訓令の範囲内で普通の仕事をしていても、仕事に対する熱意と問題意識があれば、日本国という国家権力を背負った外交官は、かなりの事ができるのだ。

  普通なら会えない様な人物とも会う事が出来るし、スパイ活動などしなくても、貴重な情報を入手することのできる機会に恵まれる。

  今から思えば、私の外交官としての仕事振りは十分ではなかったと反省する。もっと、もっと良い仕事ができる環境にあったと思う。

  それでも、投獄から解放された直後の南アのマンデラと二人だけで話す機会を得、南アの今日を予測する事が出来たし、欧米政府がテロリストとみなして接触を禁止していたレバノンの反米武装組織ヒズボラの領袖ナスララとも、何度も会って話した。

  レバノンで知り合った人々を通じ、米国のイラク攻撃の目的や、米国ではイラクを統治できない事なども、事前に入手できたし、それを東京に報告した。

  問題は、日本の指導者達や、官僚たちが、本物の仕事をしようとしない事にある。

  権力に守られている事に安住し、保身を第一に考えて、危険を冒そうとしないのだ。

  真実を追及し、最善の政策が何かを考える努力を、はじめからしないのだ。

  「金賢姫と最初に会見した日本政府高官」と喧伝された当時の北東アジア課長(韓国、北朝鮮担当課長)は、私の同期生であった。

  その彼の悪口を書きたくはないが、話の都合上あえて書かざるを得ない。

  彼が、帰国後内輪の席で我々の前で最初に語った言葉が、

  「いい女だったぞ。あれは処女に間違いない」で、あった。

  外交官のあり方として、産経新聞に紹介された砂川氏との姿勢との、あまりに格差に心が寒くなる。

  砂川氏のような外交官が外務省幹部に一人でもいるのなら、日本外交もここまで無残なことにはならなかったに違いない。

  外務省は日本の外交力をみすみす放棄している。もったいない事だ。残念な事だ。

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2008年07月03日

日本サッカー協会次期会長をめぐる人事報道


 日本サッカー協会次期会長をめぐる人事報道

  新聞各紙を毎日読み比べていると、こんな事に出くわす事がある。

  7月3日の朝日新聞は一面トップで日本サッカー協会の次期会長候補が犬飼基昭常務理事(65)に絞られた、というスクープを報じた。

  ところが同じ3日の読売新聞はスポーツ紙面で現副会長で国際サッカー連盟理事の小倉純二氏(69)の就任が有力となった事が2日わかった、と、これまたスクープまがいの記事を載せている。

  どちらが本当なのだろうか。答えは一つだ。どちらかが正しく、どちらかが間違っている。

  政治ブログを書かねばならない私であるが、このスクープ合戦とその後の顛末に、私は野次馬根性まるだしの興味を持った。関係者は今大騒ぎをしているに違いない。

  報道関係者にとっては、世のため、人のため、に立派な記事を書くことよりも、少しでも早く他社を出し抜いて最新ニュースを配信するほうが大事だ。だからこういう事が起きる。

  私はあまり関心はないが、人事はどの人事でも世間の関心の的だ。ましてやサッカーファンならばこの人事は大きな関心事に違いない。スポーツ紙などは最大のネタであろう。

  朝日と読売という日本を代表する大手紙のスクープ合戦の、はたしてどちらに軍配が上がるのか。 

  間違った人事を報じたほうは、どのような弁解をするのか。その記者に同情する。

 どうでもいいことだけれど、スクープ合戦の激しさと、非情、悲哀をしみじみと感じる。

  その事を一言書きたかった。それだけのブログである。

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2008年07月02日

 無駄をなくすという事は、無駄な仕事をしないことだ


 無駄をなくすということは、無駄な仕事をしないことだ

  7月2日の新聞に象徴的な記事が二つ並んでいた。

  一つは財務省が7月1日に発表した、予算執行調査結果の公表である。

  財務省がこのような調査結果を年度の途中に発表していたとは知らなかった。予算執行調査は2002年度から開始されたという。

  その結果、たとえば08年度予算の査定に際しては、無駄遣いをしていた省庁の予算査定を厳しくし、計342億円の予算削減につなげたという。

  もう一つは、自民党「無駄遣い撲滅プロジェクトチーム」なるものがまとめた提言が、やはり同じ7月1日に福田首相に提出された事だ。この提言に基づいて生み出される財源は2000億円程度という。

  無駄遣いをなくすのはいい。

  しかしわずか324億円や高々2000億円程度の節約が、本気で節約した結果と言えるのか。断じてそうではない。

  来るべき消費税増税による数兆円の財源増に比べれば少なすぎる。増税へのアリバイ作りだ。

  同じ7月2日の毎日新聞は、公益法人改革案の概要が明らかになったと報じていた。

  それによれば、350ある公益法人のうち、廃止方針が打ち出されるのはわずか10法人未満であるという。ふざけるな、という思いだ。本気で改革する気がない証拠だ。

  政治家や官僚の仕事は、その殆どが意味のない仕事である。

  というよりも、しなければならない仕事に手をつけず、どうでもいい仕事を作り出して、それに無駄な時間と予算を使う。

  それはすべて税金でまかなわれるから許されるのだ。

  成果主義の民間企業では決して許されない、考えられないことだ。直ちに株主訴訟になる。

  無駄をなくすということは、政治家や官僚の仕事を衆人環視の下に置き、その必要性を厳しく国民の眼にさらすことだ。その必要性の有無を国民の判断に委ねることだ。

  不要な政治家や、膨れ上がった官僚組織や、そのまた就職先の天下りの為の公益法人を、本気で削減していく事こそ、今求められているの。

  タクシー券や娯楽費の節約などといった瑣末な事にうつつを抜かす前に、自らの存在を自己査定することである。

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2008年07月02日

自衛隊の蘇生は自衛隊の原点に戻る事だ

 自衛隊の蘇生は自衛隊の原点に戻ることだ


  私は1988年から90年の二年間、外務省から総理府(当時)に出向し内閣安全保障室の審議官を務めたことがある。

  そこは国防予算を決定する防衛庁(当時)の出先機関のようなところだ。

  その勤務を通じて、防衛施設を訪れたり、一ヶ月の幹部防衛研修も受けた。知り合いもできた。

  だからこのようなニュースを聞くと悲しく思う。

  7月2日の報道は、今の防衛省が抱えている深刻な内部矛盾を露呈する二つのニュースを報じていた。

  日米軍事演習のデータが陸自隊員によって盗難、破棄されていた事、そして防衛省が渋谷に隊員集めの広報展示館(自衛館)をオープンした事、この二つのニュースである。

  防衛省改革が必死で検討されているにもかかわらずなぜこのような不祥事が後を絶たないのか。不況期で募集が困らないはずなのに何故自衛隊に若者がそっぽを向くのか。

  すべては今の自衛隊が矛盾に満ちているからだ。どのような美名をならべようと今の自衛隊の任務にやりがいが見つけられないからだ。

  それは当たり前だ。命をかけて国と国民を守るという、本来であれば最も崇高な任務のはずが、対米従属の政治家、官僚、制服幹部によって、米国軍の指令の下に米国の戦争のために共せられる傭兵のようになり下がっているからだ。

  まともな若者ならば、いや判断力のある国民であれば、おかしいと思わないはずはない。

  このままでは自衛隊は拡大する矛盾に押しつぶされ、やがて自壊していくに違いない。

  それを防ぎ、自衛隊を蘇生させるにはどうすればいいのか。

  その答えはただ一つ。自衛隊の原点に戻る事だ。

  自衛隊を日米軍事同盟の鎖から解き放ち、世界で日本だけにしかない専守防衛の「自衛隊」を、国民の尊敬と祝福を受けてつくり直すことである。

  憲法9条は、二度と日本に軍国主義を起こさせないという米国の懲罰的な配慮から押しつけられたものだった。様々な議論はあるが、この側面は誰も否定できない。

  理想的過ぎることが分かっていながら、そしてそれがあまりにも理想的過ぎるので、やがて日本人は改めるであろう、と思いながら、米国は憲法9条を日本に課した。

  ところが日本人はそれを歓迎して受け入れた。そして今日まで守り続けた。

  憲法9条を押し付けた米国は自分達の都合で憲法9条を捨て、日本に軍隊を持たせようとした。

  朝鮮動乱によって占領米軍が朝鮮半島に出兵した時、米兵の留守家族を守るために作られた保安隊はやがて、冷戦が熱戦になるにともなって、アジアの先兵として米国の手で軍隊にさせられた。

  それは、みずから押しつけた武装解除の憲法9条に明らかに違反する。しかし米国の身勝手なご都合主義は、日本国民の抵抗を恐れ、憲法9条を変えることなく、なし崩し的に日本に軍隊を持たせ、憲法9条を否定したのだ。

  しかし、憲法9条がある限り、それは軍隊ではない。自衛隊なのだ。専守防衛の自衛隊なのだ。

  その存在が、憲法9条違憲論争を通り越し、現実の存在として国民に受け入れられてきた。

  政治の世界においても、自衛隊を違憲だと正面から主張する政党はもはやなくなった。

  こうして自衛隊は世界広しといえども日本にしか存在しない「自衛隊」となった。

  それでいいのだ。

  自衛隊は国際政治の矛盾の中で生まれたものであったが、その結果、我々は専守防衛の、世界で唯一の「自衛隊」を、手に入れたのだ。

  我々が今直面している最大の問題は、そのような専守防衛の日本の「自衛隊」が、米国の命ずるままに米国の傭兵に成り下がりつつあるということだ。

  対米従属の政治家や官僚や、防衛省の制服幹部さえもが、保身のあまり本心を押しつぶして「自衛隊」の誇りを踏みにじろうとしている事だ。

  自衛隊の蘇生は日本固有の「自衛隊」の原点に戻る事しかない。

  米国従属の軍事同盟から決別し、専守防衛に徹した日本の「自衛隊」を作り直すしかない。

  日本の安全保障政策も、それに見合った装備も、日本の自主、自立した物に作り直していくのだ。

  その時の原点は平和憲法9条堅持である。憲法9条の下での、専守防衛の自衛隊である。

  外交力によって紛争を平和的に解決する事を最優先にする。

  不合理な国が日本を攻撃してこないように、攻撃させないように、自衛隊に強力な抑止力を持たせ 
  る。

  自衛隊の日常業務は災害援助など国土保全任務がすべてとなる。そのことによって国民に感謝される存在となる。

  日本や日本国民が攻撃される危険が迫った時には、真っ先に命をかけて国と国民を守る。そのことによって国民が尊敬する存在となる。

  専守防衛の自衛隊は決して国外に派遣してはならない。たとえ国際貢献のためであっても国外に出してはいけない。

  憲法9条を世界に宣言し、日本の自衛隊はいかなる脅威にもならない、専守防衛の自衛隊は国外には一歩も出さない、と宣言する。

 これほどの国際貢献はない。世界は拍手喝さいを送るに違いない。

  もう一度言う。自衛隊の蘇生は自衛隊の原点に戻る事だ。

  対米従属の傭兵軍隊ではなく、国民に喜ばれ、尊敬される自主、自立の、専守防衛の自衛隊の姿に立ち戻る事である。

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2008年07月01日

何のための自衛隊を海外に派遣するのか


 何のために自衛隊を海外に派遣するのか

  福田首相は6月30日に、訪日した国連のパンギムン事務総長に、スーダンの国連平和維持活動(PKO)の司令部に自衛官を派遣すると表明した