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2008年07月03日

日本サッカー協会次期会長をめぐる人事報道


 日本サッカー協会次期会長をめぐる人事報道

  新聞各紙を毎日読み比べていると、こんな事に出くわす事がある。

  7月3日の朝日新聞は一面トップで日本サッカー協会の次期会長候補が犬飼基昭常務理事(65)に絞られた、というスクープを報じた。

  ところが同じ3日の読売新聞はスポーツ紙面で現副会長で国際サッカー連盟理事の小倉純二氏(69)の就任が有力となった事が2日わかった、と、これまたスクープまがいの記事を載せている。

  どちらが本当なのだろうか。答えは一つだ。どちらかが正しく、どちらかが間違っている。

  政治ブログを書かねばならない私であるが、このスクープ合戦とその後の顛末に、私は野次馬根性まるだしの興味を持った。関係者は今大騒ぎをしているに違いない。

  報道関係者にとっては、世のため、人のため、に立派な記事を書くことよりも、少しでも早く他社を出し抜いて最新ニュースを配信するほうが大事だ。だからこういう事が起きる。

  私はあまり関心はないが、人事はどの人事でも世間の関心の的だ。ましてやサッカーファンならばこの人事は大きな関心事に違いない。スポーツ紙などは最大のネタであろう。

  朝日と読売という日本を代表する大手紙のスクープ合戦の、はたしてどちらに軍配が上がるのか。 

  間違った人事を報じたほうは、どのような弁解をするのか。その記者に同情する。

 どうでもいいことだけれど、スクープ合戦の激しさと、非情、悲哀をしみじみと感じる。

  その事を一言書きたかった。それだけのブログである。

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2008年07月02日

 無駄をなくすという事は、無駄な仕事をしないことだ


 無駄をなくすということは、無駄な仕事をしないことだ

  7月2日の新聞に象徴的な記事が二つ並んでいた。

  一つは財務省が7月1日に発表した、予算執行調査結果の公表である。

  財務省がこのような調査結果を年度の途中に発表していたとは知らなかった。予算執行調査は2002年度から開始されたという。

  その結果、たとえば08年度予算の査定に際しては、無駄遣いをしていた省庁の予算査定を厳しくし、計342億円の予算削減につなげたという。

  もう一つは、自民党「無駄遣い撲滅プロジェクトチーム」なるものがまとめた提言が、やはり同じ7月1日に福田首相に提出された事だ。この提言に基づいて生み出される財源は2000億円程度という。

  無駄遣いをなくすのはいい。

  しかしわずか324億円や高々2000億円程度の節約が、本気で節約した結果と言えるのか。断じてそうではない。

  来るべき消費税増税による数兆円の財源増に比べれば少なすぎる。増税へのアリバイ作りだ。

  同じ7月2日の毎日新聞は、公益法人改革案の概要が明らかになったと報じていた。

  それによれば、350ある公益法人のうち、廃止方針が打ち出されるのはわずか10法人未満であるという。ふざけるな、という思いだ。本気で改革する気がない証拠だ。

  政治家や官僚の仕事は、その殆どが意味のない仕事である。

  というよりも、しなければならない仕事に手をつけず、どうでもいい仕事を作り出して、それに無駄な時間と予算を使う。

  それはすべて税金でまかなわれるから許されるのだ。

  成果主義の民間企業では決して許されない、考えられないことだ。直ちに株主訴訟になる。

  無駄をなくすということは、政治家や官僚の仕事を衆人環視の下に置き、その必要性を厳しく国民の眼にさらすことだ。その必要性の有無を国民の判断に委ねることだ。

  不要な政治家や、膨れ上がった官僚組織や、そのまた就職先の天下りの為の公益法人を、本気で削減していく事こそ、今求められているの。

  タクシー券や娯楽費の節約などといった瑣末な事にうつつを抜かす前に、自らの存在を自己査定することである。

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2008年07月02日

自衛隊の蘇生は自衛隊の原点に戻る事だ

 自衛隊の蘇生は自衛隊の原点に戻ることだ


  私は1988年から90年の二年間、外務省から総理府(当時)に出向し内閣安全保障室の審議官を務めたことがある。

  そこは国防予算を決定する防衛庁(当時)の出先機関のようなところだ。

  その勤務を通じて、防衛施設を訪れたり、一ヶ月の幹部防衛研修も受けた。知り合いもできた。

  だからこのようなニュースを聞くと悲しく思う。

  7月2日の報道は、今の防衛省が抱えている深刻な内部矛盾を露呈する二つのニュースを報じていた。

  日米軍事演習のデータが陸自隊員によって盗難、破棄されていた事、そして防衛省が渋谷に隊員集めの広報展示館(自衛館)をオープンした事、この二つのニュースである。

  防衛省改革が必死で検討されているにもかかわらずなぜこのような不祥事が後を絶たないのか。不況期で募集が困らないはずなのに何故自衛隊に若者がそっぽを向くのか。

  すべては今の自衛隊が矛盾に満ちているからだ。どのような美名をならべようと今の自衛隊の任務にやりがいが見つけられないからだ。

  それは当たり前だ。命をかけて国と国民を守るという、本来であれば最も崇高な任務のはずが、対米従属の政治家、官僚、制服幹部によって、米国軍の指令の下に米国の戦争のために共せられる傭兵のようになり下がっているからだ。

  まともな若者ならば、いや判断力のある国民であれば、おかしいと思わないはずはない。

  このままでは自衛隊は拡大する矛盾に押しつぶされ、やがて自壊していくに違いない。

  それを防ぎ、自衛隊を蘇生させるにはどうすればいいのか。

  その答えはただ一つ。自衛隊の原点に戻る事だ。

  自衛隊を日米軍事同盟の鎖から解き放ち、世界で日本だけにしかない専守防衛の「自衛隊」を、国民の尊敬と祝福を受けてつくり直すことである。

  憲法9条は、二度と日本に軍国主義を起こさせないという米国の懲罰的な配慮から押しつけられたものだった。様々な議論はあるが、この側面は誰も否定できない。

  理想的過ぎることが分かっていながら、そしてそれがあまりにも理想的過ぎるので、やがて日本人は改めるであろう、と思いながら、米国は憲法9条を日本に課した。

  ところが日本人はそれを歓迎して受け入れた。そして今日まで守り続けた。

  憲法9条を押し付けた米国は自分達の都合で憲法9条を捨て、日本に軍隊を持たせようとした。

  朝鮮動乱によって占領米軍が朝鮮半島に出兵した時、米兵の留守家族を守るために作られた保安隊はやがて、冷戦が熱戦になるにともなって、アジアの先兵として米国の手で軍隊にさせられた。

  それは、みずから押しつけた武装解除の憲法9条に明らかに違反する。しかし米国の身勝手なご都合主義は、日本国民の抵抗を恐れ、憲法9条を変えることなく、なし崩し的に日本に軍隊を持たせ、憲法9条を否定したのだ。

  しかし、憲法9条がある限り、それは軍隊ではない。自衛隊なのだ。専守防衛の自衛隊なのだ。

  その存在が、憲法9条違憲論争を通り越し、現実の存在として国民に受け入れられてきた。

  政治の世界においても、自衛隊を違憲だと正面から主張する政党はもはやなくなった。

  こうして自衛隊は世界広しといえども日本にしか存在しない「自衛隊」となった。

  それでいいのだ。

  自衛隊は国際政治の矛盾の中で生まれたものであったが、その結果、我々は専守防衛の、世界で唯一の「自衛隊」を、手に入れたのだ。

  我々が今直面している最大の問題は、そのような専守防衛の日本の「自衛隊」が、米国の命ずるままに米国の傭兵に成り下がりつつあるということだ。

  対米従属の政治家や官僚や、防衛省の制服幹部さえもが、保身のあまり本心を押しつぶして「自衛隊」の誇りを踏みにじろうとしている事だ。

  自衛隊の蘇生は日本固有の「自衛隊」の原点に戻る事しかない。

  米国従属の軍事同盟から決別し、専守防衛に徹した日本の「自衛隊」を作り直すしかない。

  日本の安全保障政策も、それに見合った装備も、日本の自主、自立した物に作り直していくのだ。

  その時の原点は平和憲法9条堅持である。憲法9条の下での、専守防衛の自衛隊である。

  外交力によって紛争を平和的に解決する事を最優先にする。

  不合理な国が日本を攻撃してこないように、攻撃させないように、自衛隊に強力な抑止力を持たせ 
  る。

  自衛隊の日常業務は災害援助など国土保全任務がすべてとなる。そのことによって国民に感謝される存在となる。

  日本や日本国民が攻撃される危険が迫った時には、真っ先に命をかけて国と国民を守る。そのことによって国民が尊敬する存在となる。

  専守防衛の自衛隊は決して国外に派遣してはならない。たとえ国際貢献のためであっても国外に出してはいけない。

  憲法9条を世界に宣言し、日本の自衛隊はいかなる脅威にもならない、専守防衛の自衛隊は国外には一歩も出さない、と宣言する。

 これほどの国際貢献はない。世界は拍手喝さいを送るに違いない。

  もう一度言う。自衛隊の蘇生は自衛隊の原点に戻る事だ。

  対米従属の傭兵軍隊ではなく、国民に喜ばれ、尊敬される自主、自立の、専守防衛の自衛隊の姿に立ち戻る事である。

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2008年07月01日

何のための自衛隊を海外に派遣するのか


 何のために自衛隊を海外に派遣するのか

  福田首相は6月30日に、訪日した国連のパンギムン事務総長に、スーダンの国連平和維持活動(PKO)の司令部に自衛官を派遣すると表明した。

  7月1日の各紙は、政府が発表した広報資料そのままに、この事実関係を淡々と報じていた。

  その中で一人朝日新聞だけが、「戦略なき派遣」、「『貢献先』探しに必死」という批判的な記事を載せていた。

  その報じるところは要旨次のごとくである。

  すなわち、決定に至るまで政権内部の議論は迷走が続いた。
  スーダン派遣が浮上したのは、福田首相が1月の施政方針演説で、「平和協力国家」を打ち出した後だという。つまり最初に国際貢献ありきであった。平和協力国家という福田政権のアピールがあったのだ。
  外務省がスーダンを選んだ理由はいずれも後付の理由であり、国際貢献が真に必要なところへの派遣ではなかった。
  すなわち、必要な国にはすでに主要国の軍隊が派遣されている。イラクやアフガニスタンへの派遣は新たな法律が必要になる。アフリカ開発会議の開催国としてアフリカの平和構築に協力する姿勢をアピールできる、などなど、あくまでも外務官僚が鉛筆をなめてでっち上げた理由だ。
  しかし派遣させられる防衛省は、「サミットを控えた外務省の都合だけで危険地域に部隊を派遣するわけにはいかない」と最後まで抵抗したという。
  落としどころが、スーダンの首都ハルツームの司令部への要員派遣だけだった。
  しかし、それとても、国連側から提示された用務がデータ管理と補給物資管理のポストだけだった事から、「こんな(地位の低い)ポストなら出すに値しない」と石破防衛相が難色を示したという。
  最終的には官房長官、外相、防衛相の3閣僚会合で石破防衛相が譲歩し、国連事務総長との福田首相の会談直前の6月26日に決まったという。
  しかも、その後でさえ、司令部要員の主要な任務は、自国の部隊と参加各国との連絡調整にあたるだけであるので、「国際的にどれほど評価されるのか」(防衛省幹部)と冷めた見方が強いという。
  更にその朝日の記事は、ある国連筋の話として、
 「PKOは常に人手不足。一人でも増えればありがたいというだけで、自衛隊の派遣を特段重要視しているわけではない」などという言葉をのせている。

  文字通り「派遣先探しに必死」な「戦略なき派遣」である。

  しかし、この朝日の記事さえも正面から書かない本当のジレンマがある。

  国際貢献を本来業務にしたのはいいが、国際貢献という名前ので米国の戦争につきあわされて自衛隊に犠牲者を出すような事は、絶対避けたいというのが政府や防衛省の本音である。

  ましてや自衛隊の生命をあずかる防衛省としては、外務省の対米従属外交や国際貢献をアピールする宣伝外交に付き合わされて、戦地に自衛隊を派遣する事は、決して認められないのだ。

  スーダンの事情に詳しいNPOの若者が見事に言い当てていた。

 「ハルツームは我々が夜間で歩いても平気な安全な場所だ。そんなところには何も自衛隊を派遣する必要はない。本当に必要な場所は今でも紛争が続いているダルフールなのに・・・」

  自衛隊の海外派遣は、これからも間違いなく迷走し続けることになる。

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2008年07月01日

 サミットが拡大されるという産経新聞のスクープ


 サミットが拡大されるという産経新聞のスクープ

  7月1日の産経新聞は一面トップで、今度のサミットで、サミット参加国を現在の8カ国から13カ国に拡大することが正式議題になった、という事を大きくスクープした。これは産経の立派なスクープだ。

  サミットは私の35年の外交官生活の中でも思い出深い出来ごとである。だから今日のブログでサミットが拡大されるという事への思いを書かせてもらいたい。

  サミットが正式に発足したのは1975年のランブイエ(仏)における主要国首脳会議であった。

  その直接のきっかけは73年の石油危機であり、当時高まる産油国のナショナリズムとカルテルに対決するために先進国は結束を固めた。

  一方において、74年にキッシンジャー米国務長官が提唱した国際エネルギー機関(IEA)がOECD内部につくられ、備蓄、融通、代替エネルギー開発を三本柱とする、原油価格高騰に対する先進消費国の結束が図られるとともに、他方において、フランスのジスカール・デスタン大統領の提唱により、仏、英、独、イタリアの欧州勢と米国、そして日本の主要先進6カ国の首脳会談がスタートしたのである。

 だからこのサミットはもっぱら経済問題を中心とした、自由、資本主義体制の主要国の極めて戦略的な会議としてスタートしたのだ。

 石油の高騰とそれがもたらす世界経済の混乱にどう対応していくかという会議であった。

 欧米4カ国と米国からなる首脳会議に日本が招待された、ということで、その当時の日本の指導者達が有頂天になって大喜びをしていた事を今でも思い出す。

 当時米国研修を終えて東京に戻った私は、初めての本省勤務が、このような歴史的会議であった事に感動したものだ。

 当時私は経済局総務参事官室という経済局の筆頭課に配属されていたのだが、直接の担当課として、隣の国際経済課が指名され、その課の末席に、やはり米国研修を終えて本省に戻ってきていた、私より一年先輩の岡本行夫がいた。

 いずれにしてもサミットの原点である6カ国の中に入る事を認められた日本は、今から思えば国際政治の中での絶頂期であったと思う。

 その後1976年の第二回サミットでは米国の強い意向でカナダが参加しG-7となり、冷戦後の1998年には経済体制の異なるロシアが参加してG-8となった。

 その間にも、カナダが入ったのだから豪州も参加したいと言い出したが、かつての宗主国英国が冷たく対応し参加は実現しなかった。

  開放後の中国の参加問題が、中国の経済力の向上にともなって常に取りざたされたが、中国自身が希望しなかったため、今日まで実現しないでいる。

  日本はG-6の拡大には常に反対であった。なにしろ欧米主要5カ国の中で、アジアの有色人国家がただ一人参加を認められたのだ。この特権を薄めたくはない。

  ところがついに2008年のサミットで、しかも日本が議長国である時にサミットが13カ国に拡大することが決められるという。なんたるめぐり合わせだろう。

  産経新聞の記事によれば、G-8に加え中国、インド、ブラジル、メキシコ、南アフリカの5カ国を加えた13カ国とする問題が正式議題になるという。

  そして日本はいつものように、反対している。

  日本は、サミット参加国の拡大問題を議題としないよう仏、英などに働きかけたという。

  福田首相も町村官房長官も、そして安倍晋三前首相も、加盟国拡大に反対して、もはやこれ以上拡大しないで欲しい、と関係国の首脳にはたらきかけてきたという。

  しかし、この問題を首脳会合で取り上げるというサルコジ仏大統領の意向は硬く、正式に議題に登録されたという。

  産経新聞も書いているように、今度のサミットで拡大が決定される事が決まらないかもしれない。日本の抵抗で加盟国拡大問題が先送りされるかも知れない。

  しかしサミット加盟国拡大は早晩避けられない。

  それが現実だ。日米同盟最優先しか語ることのなかった日本の行き着く先である。

  また一つ、日本の国際政治における優位性が失われていく。

  75年のあの高揚感が夢のようだ。

  

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2008年07月01日

 既存の政治を全否定するという発想が重要である

 既存の政治を全否定するという発想が重要である


  政治は二の次だといいながら、はやりこのブログでは政治的な事を書かざるを得ない。今の日本の政治は、完全に機能していないからだ。

  誤解の危険をおかしても、このブログの書き方を、わざと過激的、皮肉的にする。読者の頭の中に刺激を与え、自らの考えを呼び起こさせるためだ。

  今日の各紙は一斉に国会議員の所得一覧を掲載していた。その数字を額面どおり受け取る者はいないだろう。どの議員も数字に表れない所得や資産を持っている事は皆が知っている。

  注目すべきは、昔とちがってテレビ出演をしたり、本を出版して得た所得が報道されるようになったことだ。

  政治家にそれらの活動を自粛せよというつもりはない。しかし、政治家が本来の政治を本気で行おうとした時、そんな余業をする暇とエネルギーがあるだろうか。

  今日の毎日新聞に、「年金解決 メド立たず」という大きな見出しで、驚くべき記事がでていた。「宙に浮いた年金記録」問題が、根本的にはまったく解決されておらず、解決のメドさえ立たないという記事だ。

  この問題が国民的な大問題になったのはもう一年半も前の事だったと記憶している。その間あらゆる政治家が、官僚が、知恵を絞って解決策を模索した。しかしそのめどさえ見つけられなかったのだ。

  その一方で今日の各紙は7月1日から値上げが始まる商品の一覧表を掲載していた。

  それを見て驚かない人はいないであろう。生活する上での基本的な物資や公共サービスが軒並みに値上がりするのだ。

  政治は一体何をしているのだろう。政治家は何をしているのか。

  ここで私は、プロゴルファーの父親とかタレント性だけで当選した、税金ドロボーまがいの政治家の事をあげつらっているのではない。

  元総理経験者や、長年政治に携わってきた派閥の領袖、さらには政策通と目されている多くの政治家の事を言っているのだ。

  6月末に国会が終わり、政治報道は書くことがなくなった。だからもっぱら選挙絡みの政治家の記事ばかりだ。

  やれ解散・総選挙の時期はいつか、ポスト福田は誰か、9月の民主党の党首選挙における小沢の対抗馬は出るのか、新党は、政界再編は・・・

  残念ながら、このような記事はこれからも繰り返されるに違いない。しかしこれらの政治家が一つでも国民のために役立つ仕事をしたというのか。

  国民生活が楽になるような政策を打ち出せたか。

 どれ一つ解決されない、解決できないのではないか。

 私は「今の政治の全否定からはじめよう」と繰り返し書いてきた。

  それは勿論極端な意見であり、非現実的な提案だ。

  しかし、今の日本を見るにつけても、そこまでの発想の転換をしない限り、ちょっとやそっとの政治改革では、日本の未来はない、という思いを日々強めざるをえない。

  今報道されているのは既存の政治家達の、自分達の生き残り活動でしかない。

  政治を飯の種にしている政治記者たちの作り上げた閉鎖された世界でしかない。

  政権交代が起こっても、政界再編が起きても新党ができても、今の政治家の顔ぶれを見ている限り、まず100%何もかわらない。

  そうだとすれば、どうすればいいのだろう。

  選挙区から誰か一人を選ばなければならない、という発想を捨てることだ。

  税金を払うに値する政治家だけを選ぶという発想を持つ事だ。

  たとえば今度の選挙を考えた時、与野党のどちらかの候補が勝つ。どちらかが負ける。

  そのために刺客を送るとか、選挙区を鞍替えするとか、選挙協力をする。住民票を移す、という禁じ てもあるらしい。

  小泉とか福田とか安倍とかと言った選挙区は対抗馬がいない。小泉にいたっては選挙区に一度も足を運ばずに当選したりする。

  すべては政治家の定数があり、必ず誰かが選ばれるという事になっているからだ。

  これを発想を転換して、最低の得票率が得られなければ、たとえ比較一位になっても当選できないとしたらどうか。

  その得票率を過半数としたら、おそらく当選する者はいなくなる。

  それでいいのだ。

  本当に立派な政治家であれば過半数の支持くらい得られなければおかしいだろう。

  それで誰も当選しなければ、それでもいいのだ。

  税金が節約できる。おびただしい経費が節約できる。

  国を動かしていくことぐらい、国民がその気になってあたらしい方式を考え出せば、どうとでも出来るのだ。

  それくらいの発想の転換をして国民が動かなければこの国は変わらない。

  変わらなければ、この国はもっともっと悪くなる。格差は広がり、社会不安は高まっていく。国民はばらばらになっていく。

  日本はもうそこまで来ているのではないか。

  我々が政治をつくり直さなくてはいけない。

  

  
  

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2008年06月30日

 女優五十嵐めぐみさんの半生の思いをめぐらす


 女優五十嵐めぐみさんの半生に思いをめぐらす

  私が毎日ブログを書いている作業の、その企業秘密を明かすと、まず気にとまった記事や情報を切り抜いてファイルしておく。そしてその中から優先順位を決めて、そのテーマについて補足的情報を入手したり、過去の関連情報を参考にする。そしてその日に書ける時間的余裕の範囲で、気分のままに書く。

  こうして毎日を過ごしていると、どんどんと書けなかった記事や情報がたまっていく。そしてそれを使うことなく、そのファイルは埋もれ、廃棄されていく。

  廃棄するまえには、そのファイルを眺めながら、感慨にふけったりする。

  私のブログは政治的なテーマに限って書くことにしている。だから、ファイルの記事も、当然のごとく政治的な物が多い。

  しかし中にはおよそ政治とは無関係なものもある。どうしても気になる記事がある。残しておきたい読み物があるのだ。

  本当はそういう事に私は関心がある。

  政治など、所詮我々の人生にとって二次的なものに違いない。

  政治を生業にしている特殊な人間は別にして、普通の者にとって、人生はもっと個人的な、もっと真剣なものに違いない。

  たとえば、平和を願い憲法9条を守ると政治的活動をすることは、重要な事である。

  しかし問題は憲法9条が守られた後だ。永久の平和が達成さえれた後だ。

  その後には、もはや護憲運動や平和運動をしなくてもよくなる。

  しかしそれでも我々はすることがある。その後に、待っているのは、長く、平凡で、そして時として修羅の困難を伴った個人的人生である。

  我々はそれらと面と向かって生きていかなくてはならないのだ。

  所得格差がなくなっても、医療制度が充実しても、個人的人生の問題は解決しない。我々が本当に取り組まなければならないのは、そのような個人的人生なのである。

  政治が正常に機能していれば、そもそも我々は政治なんかに無関心でいればいいのだ。政治が正しければ、こんなブログなどまったく必要がない。

 残念ながら政治が正しく機能していないから、政治家や行政が義務を果たさず悪い事ばかりやっているから、政治を監視しなければならないだけなのだ。政治を語る必要が出てくるのだ。

 前置きが長くなった。

 6月26日と27日の産経新聞に二回にわたって女優五十嵐めぐみさんの私生活が本人の言葉でつづられていた。

 私は若かりし頃、五十嵐めぐみのファンだった。だからその記事が目に留まった。

 写真で見る彼女は今でも美しい人であるが、さすがに年老いた。万年青年であると思っていた自分がいつの間にか60を過ぎたのだから当然である。

 これが年月というものである。

 そう思って読み始めた五十嵐めぐみさんの半生を知って、感じるところがあった。

 長男が4歳の夫をがんで失った五十嵐めぐみさんは、実母と二人三脚で二人の息子を育てるのだが、長男に学習障害があることを小学生入学時に知る。その後は長男のための苦労の人生である。
 その五十嵐さんをもう一つの問題が襲う。兄の障害を受け入れられない弟が、母親に抵抗し、兄と喧嘩する毎日だ。
 そういう修羅の毎日も、やがて時が解決してくれる。息子二人が24歳と22歳になって、兄は就職し 五十嵐さんは演劇界に進んだ弟の脚本、演出した舞台に出演する喜びを味わえるようになる。
 「こんな(幸せな)日が来るとは思わなかった」と話す五十嵐さんを見て、自分の半生はなんと恵まれているのか、この世の中には五十嵐さん以上の苦労をしている人がどれほど多く存在する事か、という事に思いをはせてみる。

  人はみな与えられた人生を懸命に生きている。生きる事に精一杯の人たちにとって、政治などどうでもいいことなのだ。

  政治家はもとより、政治を生業にしている人たちは、心に銘ずべきだと思う。

  政治は人生にとって二次的なものだ。国民の一人一人は自らの幸福のために懸命に生きている。政治家は、そして政治は、その国民の生き方を陰で応援するだけのものだ。

  その政治が、国民の生活を苦しめ、国民の足を引っ張るとしたら、本末転倒も甚だしい。

  政治で飯を食っている連中には良く考えてもらいものだ。自ら省みて恥ずべき仕事をしている事はないか、と。

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2008年06月30日

 地上デジタル化強行の背景にある官僚と財界の蜜月


 地上デジタル化強行の背景にある官僚と財界の蜜月


  限られた知識と能力でも、できるだけ多くの事柄について真実を追究していきたい。

  そう思って毎日努力して書いているのだが、テーマはいつも同じようになる。

  日米軍事同盟のごまかしや官僚支配の弊害、最近ではもっぱら北朝鮮問題だ。

  そんな中で、今日の新聞で新しい発見をした。今日のブログのテーマはこれで決まりだ。

  東京新聞「こちら特報部」に「地デジ化強行の裏で」という特集記事があった。

  「不評著しい後期高齢者医療制度と同様、これから実施される裁判員制度とテレビの地上デジタル化も『構造改革』を掲げた小泉政権の置き土産だ・・・」という書き出しで始まるこの特集記事は、ズバリ、地上デジタル化強行の背景に、官僚の天下りと財界利権の蜜月があることを言い当てている。

  後期高齢者医療制度については皆が問題にしているからもはや私が説明する必要はない。

  裁判官制度についても、それがいかに不要で不純なものであるか、このブログでも書いた。

  裁判員制度もまた、来年5月の実施が近づくにつれて国民的大問題となってくるだろう。

  ところがテレビのデジタル化移行についてはほとんど議論が無い。

  しかし、その移行の背景には、驚くべき官民癒着の反国民的な意図があったのだ。

  なぜこれ、ほどまでに毎日のようにテレビで女子アナやタレントを使って宣伝している理由が頷けた。国民のマインドコントロールである。

  技術の進歩によりテレビがアナグロからデジタル化になるのは結構だ。しかし、不景気の最中に、なぜ国民に経済的負担を強いる移行を、国民の選択の余地なしに強行するのか。アナグロテレビが十分に機能するのに、強制的にそれを廃棄させるのか。もったいなくはないか。環境保護にも逆行するのではないか。

  くわしくは東京新聞を読んでもらいたいが、一言で言えば、IT戦略を国家戦略と定めた2002年度以降、政府は莫大な予算を講じ、それが関連業界の産業振興と官僚の天下り乱造(少なく見積もっても地デジ関連の天下り法人は100以上あるという)の資金源となっているというのだ。

  この問題についての著作を近く出版するという、元特定郵便局長の異色作家、世川行介氏は、こう言う。

 「ぼくらの生きてきた戦後には自由の理念があった。ところが、(後期高齢者医療制度や裁判員制度と同様に)地デジには選択の自由が無い。これでは統制国家だ・・・アナグロ波停止は国際的な趨勢とはいえ、不況による受信機器の普及の遅れから、米国や韓国ではアナグロ放送終了を延期している・・・アナグロ終了は使用中のテレビの寿命が尽きるまでといった穏やかな形に変えるべきだ。官僚と財界の都合で、豊かでない庶民の娯楽が奪われてはならない」

  極めつけは、これが「聖域なき構造改革」を叫んだ小泉政権の置き土産であるという点だ。

  そういえばITが何かも分からない元首相が、ITを「それ」と言ったという話もあった。

  官僚の悪知恵に操られたこの国の政治のもたらすものは、国民生活を苦しめるものばかりである。

  

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2008年06月29日

 「今こそ小泉元首相の出番ではないのか」の真意について


 「今こそ小泉元首相の出番ではないのか」の真意について


   驚きました。私が書いた「今こそ小泉元首相の出番ではないのか」というブログが、少数の読者ではあったと願いますが、まったく誤解されて読まれていたようで、私に強烈な投書が寄せられました。

   アンチ小泉の読者からは、あれほど小泉元首相を批判していた私がなぜそう思うのか、見損なった、という投書が、

   そして小泉ファンからは、小泉を評価してくれて、お前を見直した、ありがとう、という両極端の投書が寄せられました。

   ひょっとして他の読者のなかにも誤解して読まれた方がおられるかもしれないと思ってここで真意を明確にさせていただきます。

   このような釈明のブログは二度と書くつもりはありませんが、私が本気で小泉元首相の再登板を願っていると思われては、私ももはやブログを書く気力もなくなってしまいますので、これだけははっきりさせておきたいと思いました。

   あのブログは、もちろん最大級の小泉批判です。そしてその小泉元首相の批判をいまだにしようとしないマスコミ批判でもあります。

  拉致問題は小泉元首相が7年前の訪朝のすべてを正直に話せば、かなりの部分が解決できた問題です。

   今こそ彼を国会に証人喚問をし、すべてを白状させれば、日本のとるべき正しい方向はおのずと見えてくると思います。

   しかし彼はその覚悟は無いでしょう。もちろん彼には私がブログで書いたようなことをするつもりは無く、また出来ません。

   権力を手放したとたんに何も出来なくなった小泉元首相には、潔く政治家を辞するべきだ、と言っているのです。

   残念ながら読者には正確に伝わりませんでした。私の表現力のつたなさをお詫びするとともに、明日からのブログでは、凝った表現をやめて直球勝負で行きます。

   お騒がせしました。
                                                       天木

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2008年06月29日

今こそ小泉元首相の出番ではないのか


 今こそ小泉元首相の出番ではないのか。

  読者の皆さんにお願いしたい。これから書く私の言う事が間違っていれば、申し出てきてほしい。

  米国が北朝鮮外交で日本を裏切った。そう報じられている。私もそう思う。

  米国が北朝鮮をテロ支援国指定解除することを決めた。これで拉致問題の根本解決はなくなった。私もそう思う。

  米国が北朝鮮の核に譲歩した。このままいけば北朝鮮は核保有国になる。そして、米国の容認のもとに、さらなる核拡散が広がる。私もそう思う。

  これほどの深刻な事態を前にして、この国は明確な方針を打ち出せずにいる。

  この期に及んでも、日本政府は、ひたすら米国との緊密な同盟関係の重要性を繰り返し、拉致問題の進展と北朝鮮の核無能力化に向かって、米国の協力をお願いし、期待する、という言葉を繰り返すしか策はないがごとくだ。

  福田首相の対応に国民の7割近くが不満を持っているというのに、福田首相は動こうともしない。

  しかし福田首相だけではない。山崎元副総裁にしても安倍前首相にしても、内輪喧嘩に忙しくしても、北朝鮮や米国とまともに話せるとは思えない。

  政治家も官僚も有識者もマスコミも、評論は繰り返すが、誰一人として有効な行動を取れるものはいない。

  そんな中で、今こそ登場願いたいと期待できる者が一人いる。それが小泉元首相である。

  なにしろ彼は、「北朝鮮外交は首脳外交しかない」と大見得を切って北朝鮮に乗り込み、ピョンヤン宣言を合意してきた人だ。

  金正日総書記と二度にわたる会談を二人だけで行い、金正日総書記は優秀で立派な人だとブッシュ大統領に引き合わせようとした人だ。

  そのブッシュ大統領にもっとも評価され、個人的波長の合った日本で唯一の政治家だと我々はさんざん聞かされてきた。

  おまけに拉致問題ではもっとも実行力と功績があったとされている人だ。

  ピョンヤン宣言を作って北朝鮮に評価もされている。金正日総書記にも握手して歓迎された。

  何から何まで、彼ほどの適任者はいない。

  今こそ小泉元首相は、金正日、ブッシュ大統領との三首脳会談を提唱し、拉致問題と非核化問題と北朝鮮との国交正常化(経済支援問題)の同時、一括、最終解決を世界の前で実現すべきではないか。

  それが出来る保障はもちろんない。しかし少なくともそういう試みは誰かがおこなわなければならない。そしてそれは小泉元首相をおいてない。

  うまくいけば三人ともノーベル平和賞は確実だ。

  それこそ小泉元首相の望んでいたものではないのか。

  小泉元首相には元首相の肩書きがある。まだ現職の政治家だ。他にすることはないはずだ。政局やシモネタ話に忙しいようだから、エネルギーは十分あるに違いない。

  繰り返して言うが、なによりもブッシュ大統領と金正日総書記を仲介する最適任者である。

  こんな人物は世界中探してもいない。その事を自分も自慢していたではないか。

  なぜマスコミはこの事を書かないのだろうか。

  なぜ国民は、小泉さん、今こそあなたの出番ですよ、と声を上げないのか。

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2008年06月28日

 米国の真意をアレコレ詮索してもはじまらない


 米国の真意をアレコレ詮索してもはじまらない

 なぜ米国はテロ指定解除を急いだのか、北朝鮮の核保有に譲歩したのか。

 このことについての報道が氾濫している。そしてそれはこれからもメディアで様々な形で繰り返されるに違いない。

 わけがわからない、という率直な意見から始まって、やれ「歴史に残る大統領になりたかった」、やれ「北朝鮮を中国から分断する作戦だ」、「やれ、中東のテロに核がわたらなければ米国はそれでいいのだ」、「東アジアにあらたな安保体制を作ろうとしているのだ」、など、など、挙句の果てに、「北朝鮮にはそもそも有効な核兵器など存在しない事を米国は知ってしまった」などという意見まで乱れ飛んでいる。

 しかし、そんなことを詮索したところでほとんど意味はない。

 米国は無責任な国だ。身勝手な国だ。それどころか、米国自身が何もわかっていないかもしれない。

  米国と言う国は論理が通用しない国なのだ。権力者が全てを決める国なのだ。取り巻き連中はその権力者にすべて従う国なのだ。

 それがイラク戦争であり北朝鮮外交なのだ。

 あらゆる反対を押し切って、イラン攻撃までも行うかもしれない、そういう国なのである。

  私がデトロイトの総領事であった頃、ゴルフ雑誌に興味深い記事を見つけたことがあった。

 その記事は、世界のゴルフファンにアンケートをとった結果を比較していた記事だ。

 質問の中に、「あなたは上司が不正をしたところを見てしまった時(たとえばスコアを過少申告したり、ボールを動かしたり)、上司に注意をしますか」、という質問があった。

 「イエス」と答える比率はどこの国の国民が高かったか。

 総じて開発途上国の国民のほうが高かった。日本はその中間ぐらいだった。

 私がもっとも驚いたのは、最も低かったのが米国であったという事だ。

 その答えが、「そんなことをして首をきられたら損だ。そんな馬鹿な事を誰がする」というものだった。

   民主主義国家のチャンピオンである米国はまた、もっとも個人的つながりを重視するコネ社会だ。

   気に入れば重用する。気にらなければ首にする。権力者に付き添って出世したければ不正にも目をつぶる。不正の命令にも従う。それがいやなら裏切ってたもとを分かつ。そして告発する。

   ヒル次官補は前者の典型なのではないか。野心に動かされた凡庸な米国外交官なのではないか。

  そんな米国に振り回されてきたのが日本なのだ。

  米国の真意をアレコレ詮索するよりも、自主・自立の日本を取り戻すことが先決なのだ。

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2008年06月28日

笑うしかない


 笑うしかない

  新聞を開けば国民生活を直撃するニュースのオンパレードだ。

 年金問題の記入ミスがまた明らかになった。と思ったら、今度は改ざんだ。

 後期高齢者医療保険は手つかずのまま保険料値上げが天引きされ続けている。

 ガソリンが180円になり、公共料金が軒並み値上がりし、卵かけご飯を食べるしかないと思っていたら、物価優等生の卵までが値上がりするという。

  その一方で居酒屋タクシーが騒がれ、天下りがなくならず、公務員改革が骨抜きにされつつある。

  その一方で増税やむなしという。

  巷には偽装事件があふれ、大手企業の脱税疑惑が次々と報道される。

  北朝鮮外交では頼みとする米国にあっさり袖にされ、失望と虚脱感が日本中を覆っている。

  28日早朝のみのもんたのサタズバは、このようなニュースを次々ととりあげ、与野党の国会議員を招いて議論をさせている。

  それを聞いて、あまりの馬鹿馬鹿しさに腹が立った。

  野党の議員が政府の失政と無能さを攻撃するのはいい。

  しかし与党の政治家がそれ批判をまったく受け入れず、ことごとく政府弁護に終始する。

  あまりにも不毛な番組だ。与野党の議員が何を論議しても、国民生活は何一つよくならない。

  司会役のみのもんたの顔を見ながら、思わず笑がこみあげた。ケーシー高峰の顔を思い出したのだ。

  私はケーシー高峰の医療漫談が好きだ。馬鹿さ加減がいい。とぼけた顔がいい。

  もはや国民は腹を立ててもしようがない。笑うしかない。

  

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2008年06月27日

 日本の外交力が問われている(後編)-対米従属外交から決別し、自主・自立した平和外交へ向かう


 日本の外交力が問われている(後編)-対米従属外交から決別し、自主・自立した平和外交へ向かう

  前編に引き続き、拉致問題については一切触れることなく、もっぱら日本の安全保障政策のありかたについて述べることとする。

  だから、拉致被害者家族の「裏切られた」という叫びや、ブッシュ大統領の「拉致問題を決して忘れない」という発言や、福田首相の「拉致問題の解決が遅れることになるとは全く思っていない」などという発言の一つ一つにコメントはしない。

  前編と同様に、北朝鮮の核保有を米国が認めたという現実を直視し、そこから日本の安全保障政策はどうあるべきか、日本外交はどうあるべきか、について考えることとする。

   日本政府は、これからも日米関係を緊密に保って、北朝鮮の核申告の検証を厳しく行うという。テロ支援国指定の解除発効までの45日間あるのだから、その間に厳しく検証すると繰り返している。

  しかしこれはナンセンスだ。そんな事を本気で思っているのなら、米国を理解していない底なしの間抜けである。

  そして、内心ではあきらめているのに、国民の手前、なお北朝鮮の核に厳しく臨むと言っているのなら、国民に嘘を平気で繰り返しているということだ。

  米朝の約束は出来上がっている。6カ国の議長国である中国もそれを知っている。この三カ国で6カ国協議は動かされてきた。そしてこの三カ国で6カ国協議が幕引きされようとしているのだ。

  それは、北朝鮮の核を根絶する(非核化)よりも、核保有を認め、それを管理する政策を取ることによる終結である。

  日本政府は、そこから日本の外交を再出発させるべきである。

  おそらく、日本の政治家も官僚も、それでも、いや、こういう時期だからこそ、日米信頼関係をゆるぎないものにしていかなければならない、と繰り返すであろう。

  しかし、北朝鮮の核保有さえも認めるに至った米国を信じ続けて対米従属外交を続けていく事は日本外交を今度こそ完全に放棄するということだ。

  米国不信を抱きながら、それでも対米従属を続けていくことは、もっと惨めな自主外交の放棄である。
  いずれにしても、何があっても米国に文句は言わない、ということである。

  そこまで覚悟して日本の政治家や官僚が対米従属外交を続けていくのであれば、そしてそれを国民が受け入れるのであれば、もはや議論を続ける必要はない。 

  だからここからは、ここまで日本を軽視する米国に頼り続けることなく、今こそ、自主・自立した外交を取り戻すべきだ、という立場から議論を続ける事になる。

  対米自立外交を主張するということは、同時に米国に依存しない日本独自の安全保障政策を確立するということである。

 そして日本独自の安全保障政策を確立するという事は、突き詰めれば、憲法9条をあらため軍事力を強化して日本を守るという方向と、憲法9条を維持し、専守防衛の自衛隊と外交力をもって平和を確保するという二つの方向のいづれかを選ぶという究極の選択の問題である。

 このうち、軍事力を強化して自国を守る場合は、核兵器を保有し、ミサイル攻撃能力、ミサイル防衛能力を強化するところまで行き着かないと軍事力による安全保障は確保できない。中途半端な軍事力ではかえって不安となり、戦争の危険さが高まる。

 しかし日本が核武装をするということは、米国がまずこれを認めないであろうし、すべての核保有国、さらには世界中の国に警戒心を抱かせることになる。日本は孤立する。

 おまけにミサイル戦争とも言われる現代の戦争が起きれば、どのように軍事力を高めようとも、日本が受ける被害は深刻である。つまり日本はその被害の大きさと軍事的脆弱性(バルネラビリティ)を考えれば、もはや戦争の出来ない国になってしまっているのだ。

 しかも日本の財政状況を考えれば、軍事力増強に予算を使う余裕はもはやない。戦争で国が滅びる前に、経済的に国民生活が滅びることになる。

 そう考えたとき、憲法9条を積極的に掲げて、外交力で日本の安全保障を確保することが唯一、最善の方策であることがわかる。

 日本から米軍基地をなくし、専守防衛の自衛隊の能力を作り直すとともに、憲法9条を掲げて、攻撃しない、攻撃させない、事を世界に宣言する。

 これこそが日本が目指す安全保障政策であり、自立した平和外交である。

 もう一つ、北朝鮮に核保有を許した米国に対し、これからは地球上から核兵器を全廃する事を提案するのである。

 現にテロ組織に核兵器がわたる事をおそれた米国の内部から、核兵器全廃の提言がなされ始めた(キッシンジャー、シュルツ、ペリー、ナン共同提案)

 それを契機に核兵器の全廃を本気で提唱していくのだ。

 さもなければ北朝鮮につぐ核保有国が中東に現れ、気がつけば核のない日本の発言力がますます小さくなることになる。

 日本政府がなすべきことは、今回の米国の北朝鮮外交をいたずらに批判し、嘆くよりは、これを奇禍として自主外交を取り戻し、核兵器全廃の指導力を発揮することである。

 それぐらいの発想の転換と外交力がない限り、日本はますます世界の中で埋没していくことになる。
 


 今度の米国の北朝鮮外交を

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2008年06月27日

 日本の外交力が問われている(前編)ー北朝鮮の核保有を認めた米国


 日本の外交力が問われているー北朝鮮の核保有を認めた米国


  私は25日のブログで、北朝鮮の核保有を認める米国について、それでも日本は従属していくのか、という問題を指摘した。

  そのことについてもう一度あらためて書く。

  こんどは、「おもしろくなってきた」、などという茶化した言い方は止めて、真剣に問題提起する。

  北朝鮮外交を語るとき、日本政府もメディアも国民も、これまで北朝鮮の核問題と拉致問題を一体として取り扱ってきた。

  今度の米国の北朝鮮外交の適否を議論する際は、いまこそこの二つの問題を完全に切り離して議論しなければならない。

  それは、今回のブッシュ大統領の北朝鮮への譲歩が、如何に間違っているかを浮き彫りにするために必要な作業であるからである。

  私はこのブログで繰り返し拉致問題の解決の重要性を指摘してきた。

  しかし、拉致問題については、国内には、ピョンヤン宣言を高く評価して、拉致問題の解決よりもよりも国交正常化を優先すべきとする意見がある。

  それは、日本の戦争責任と絡めて、拉致以上に残酷な事を日本は北朝鮮に対して行ってきたのであるから拉致だけを騒ぐなという左翼イデオロギストの立場からの意見が主であるが、保守派の中からも様々な思惑で国交正常化を急ごうとする者たちがいる。

  なによりも小泉元首相や外務官僚たちも、国民に対する説明とは裏腹に、そういう立場である。国交正常化と言う外交的成果を自分の手で行いたいのだ。

  このような考えと、私のように、拉致問題を最大の人権蹂躙ととらえ、その方法は制裁でも対話でもどちらでもいいから、そして謝罪や補償や国交正常化と絡めて同時決着でもいいから、とにかく早急かつ明確な解決を、北朝鮮に強く迫るべきだ、とする考えとは、なかなか議論が深まらない。

  そこで、ここで拉致問題については一切触れることなく、北朝鮮の核保有を許していいのか、という問題に絞って、ブッシュ外交の間違いと、それでも日本はブッシュ外交に従属していくのか、という、日本外交の根本問題について考えてみたい。

  今回の一連の流れは、断片的に報道されるブッシュ政権や日本政府の表向きの説明を額面どおり受け取ったとしても、どう考えてもブッシュ政権が北朝鮮の核保有を認めたということだ。

  ブッシュ政権が当初の方針を180度転換した理由が、任期前に実績を作りたいという理由なのか、あるいはテロに対する核の横流しを防ぐ引き換えなのか、あるいは北朝鮮の資源目当てなのか、あるいは中国から北朝鮮を引き離すという深謀遠慮なのか、それはわからなが、はっきりしていることは、何かの理由で、核問題では米国が北朝鮮に譲歩したということだ。

  それを批判してみたところで意味はない。ブッシュ政権はブッシュ政権の利益にもとづいて最善と考えた決断をしたのだ。

  問題は日本として、北朝鮮の核保有を認められるか、ということである。

  建前として、唯一の被爆国である日本は、核不拡散、核廃絶を世界に訴える立場だ。その最大の矛盾は、米国の核に守られているという理由で米国の核を認めてきたことだ。

  さらに言えば、たとえばイスラエルであるとか、最近ではインドであるとか、米国が核保有を認めるようになった国の核に目を瞑ってきた事だ。

  そしてとうとう米国は米国の思惑で北朝鮮の核を認めることになった。

  その時に、また日本は黙ってそれを認めwることになるにか、という事である。

  これは拉致問題の解決とは理論的にはまったく関係のない話である。

  日本の安全保障政策の話である。

  北朝鮮の脅威を最大限に訴えてきた日本政府は北朝鮮の核保有を許せるのか。北朝鮮の核保有を譲歩したブッシュ政権に従うのか。そういう問題ととらえれば、今後の6カ国協議や米国の動きから目が離せないのは、これからなのである。

                                               続く

  

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