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2008年07月21日

「緊迫」も「躍動」も消えた政治


 「緊迫」も「躍動」も消えた政治


  断っておくが、これは私の言葉ではない。7月21日の日経新聞に出ていた政治記者の田勢康弘氏のコラム「核心」の見出しの言葉である。

  その言わんとしていることは次のごとくである。

 「政治から躍動感が消えてしまった。手に汗握るとか、期待に胸膨らますというものがない。だからいま、テレビで政治を取り上げると、分刻みで視聴率が下がっていくという・・・自民党はいま総選挙をすれば議席の大幅減は必至だから、なるべく来年にしてほしいというのが本音だ・・・民主党にしても、選挙資金が相当不足しているのではないかという見方があり、必ずしも早期解散・総選挙を望んでいるとは言い切れない・・・自民党の中には福田首相のもとでの解散・総選挙は政権を失う可能性が高いと見る人たちが多い。だからといってポスト福田へ立ち上がろうという気配は感じられない・・・民主党でも党首選に意欲を見せているのは河村たかし氏ぐらいで・・・結局(誰も)出馬しないのではないか・・・だれか小沢氏の対抗馬として出馬して、党首選を盛り上げないと国民の支持を失う、という声もあるが、莫大な費用をかけてまで盛り上げる必要があるのかという現実的な問題もある・・・
 日本全体がどこか覇気に乏しく、保身と責任逃れに明け暮れているような感じがあるが、政界もまたその傾向が強い・・・世界経済は明らかに今年後半から大型台風発生の予兆を示している。原材料高と金融システムの不安を抱え、いまこそ、政治が緊張しなければならないときに、あまりにも小さな政権奪取ゲームに明け暮れていないか・・・」

 その通りである。

 しかしこのような立派な意見を書いている田勢康弘氏は、同じ日の夜の、「ビートたけしのテレビタックル」なる娯楽番組に出演して、本業を忘れた与野党の政治家たちとうつつを抜かしていた。

 いまの政治は、与野党の政治家と政治評論家たちの、飯の種としての営業活動でしかないのだ。

  そう思っているうちに、ストリートペーパーであるザ・ビッグ・イッシューの75号に掲載されていた抗議票党(プロテスト ボート パーティ PVP)の事を思い出していた。

 投票用紙に「どの候補もダメだ」と書きなぐったのではせっかくの意思表示も無効になる。しかし、「立候補者のいずれも投票するに値しない」と思いたくなることが確かにある。

 その思いを政党の形で実現しようとする動きが欧米で広がりつつあるというのだ。

 「私たちは、一般市民が投票において『該当者なし』という欄に印をつける権利があると信じている」と語る英国の抗議票党もその一つだ。

 確かに抗議票党の候補者が当選すれば、自動的にその分だけ当選する政治家が減ることになる。

 抗議票党の候補者は、当選と同時に辞任すればいいのだが、繰り上げ当選で他の候補者が当選する事を防ぐために、抗議票党の議員として存在し続ければいい。そのかわり一切の報酬、特権を放棄すれば議員の数を減らす事が出来る。

 「該当者なし」の動きは英国にとどまらない。米国では消費者活動で有名なラルフ・ネーダーが「該当者なし欄」立候補者として大統領選に立候補したり、フランスでは「空白投票運動」、ウクライナの「全員に反対」投票、スペインの「空白で投票」など、民主主義体制のある多くの国に、不投票者を組織し、立候補者すべてを拒否する意思を表示することで現状を変えようと活動する団体が確実に増えつつあるという。

 そういえばサミットやWTOをボイコットして世界の市民をネットワークで結ぶ、もう一つの世界をつくるという動きなども、根底には同様の思想があるのかもしれない。

 このような動きが実際問題として広がっていくかどうかは疑わしいだろう。

 しかしいまの日本の政治と政治家を見ている限り、私がいつも半分冗談で、半分真剣に訴えている、すべての政党、政治家は不要である、という思いが、どんどんと膨れ上がっていく。

 「この豚野郎はどいつもダメだ」(米国のカルト映画監督ジョン・ウオルター)の心境に共感を覚える。

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2008年07月21日

これほど暮らしが危機状況なのに、なぜ緊張感が感じられないのか


 これほど暮らしが危機的状況なのに、なぜ緊張感が感じられないのか

 日本の新聞を代表する読売と朝日が、21日の一面で、奇しくも米国と日本の国民の暮らしの危機的状況を大きく取り上げていた。

 すなわち、読売新聞は、醜悪なまでに貪欲になった金融資本主義の鬼子であるサブプライムローンの破綻の結果、普通の米国国民が、「金も職も希望もなくなった」生活を強いられている現状を報告している。

 家を追われた「ローン難民」が、医療を受ける経済的余裕をなくし死んでいく。名門大学を卒業し、キャリアのある者たちでさえ職探しに困窮して車中生活を強いられる。そういう米国の現状が活写された記事だ。

 その一方で同じ日の朝日新聞一面では、日雇い長距離運転手の過酷な労働状況が書かれていた。自宅を出て13日間、車中で寝泊りして走り続ける。睡眠時間をけずり、パーキングエリアで3分100円のシャワーをとり、ペットボトルに小便しながら走り続ける。それでも年収300万円程度だと言う。

 奇跡的な戦後復興を成し遂げた国と喧伝されていた日本が、なぜこのような人権軽視の国に急速に転落していったのか。

 どう考えても危機的状況あるのに、政府・官僚や政治家には何一つ解決策が提示できていない。それにもかかわらず国民の怒りが一向に政治に向かっていかない。

 その理由はこの国がどんどんと二分化されつつあるからだと私は考えている。

 暮らしの困窮ばかりが報道されるけれど、その一方で生活に困らない恵まれた層が日本を牛耳っているからだと思っている。

 年金だけでおよそ800万円を受け取っている元日銀総裁などの連中と、時給1000円前後の非正規労働者が当たり前のように並存しているのが今の日本だ。

 そして、最も重要なことなのであるが、そのような恵まれた層の中で、ただの一人も、弱者のために自分の地位や財産のほんの少しでさえ犠牲にして、本気で貢献しようとする者が出てこない日本がある。

 ここに私は寂しさといらだたしさを覚えるのだ。

 恵まれた立場の政治家や官僚や評論家や財界人が、メディアと一緒になって政治や経済をまことしやかに語る。

 その一方で、おびただしい数の無名で善良な国民が、声高に叫ぶことなく、だまって助け合いながら毎日を必死に生きている。

 この国は、そのような人たちがいることによってかろうじて保たれている。

 

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