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2008年07月31日

竹島問題と日本外交の沈黙


 竹島問題と日本外交の沈黙

  韓国の強い抗議によって、米国が当初の中立的な立場から、一転して竹島は韓国領土であると言い出したらしい(時事通信)。

  韓国の「極めて高いレベル」からの申し入れを受けてブッシュ大統領がライス国務長官に命じたという。

  これが本当であれば日本外国の無力さは深刻である。

  米国の最良の同盟国であり続けた日本を、米国があっさりと袖にしたからだ。

  北朝鮮についで韓国との外交においてもだ。

  この外交の大失態については、どうしても書かざるを得ない。

  中学校の学習指導要領解説書の記述に端を発した竹島問題の再燃は、その大部分が外務省の判断ミスからもたらされたものだ。

  そもそも竹島の領土権問題は、政治的にも外交的にも当面の解決は不可能である。

  この事はこれまでの様々な経緯から誰の目にも明らかだった。

  右翼がナショナリズムを煽って領土権を主張し、政府の弱腰を批判するのは勝手だ。

  左翼が、日本の過去の誤りを理由に、領土権の問題に沈黙したり、韓国に譲歩しろなどと言うのにも驚かない。

  しかし、政府、外務省の対応は、そのいずれであってもならない。

  主権を放棄することなく筋を通す一方で、国益を考えた現実的な外交を辛抱強く行なうほかはない。

  国際司法裁判所に判断を委ねたいと言ってわが国の立場を維持する一方で、この問題を当面の間凍結しておくという外交は、立派な現実的外交である。

  もし外務省がそのような確固とした戦略を持っていたならば、文部科学省が学習指導要領解説書に領土権を明記するなどという動きを見せた段階で、すかさずこれを止めさせるべきであった。

  福田総理に問題提起をして迅速に総理決断で止めさせるべきであった。

  しかし、現実にはそれが報道されるところとなり、韓国国民がすかさず反撥した。

  歴史問題で日本に謝罪や反省を求めないという姿勢を示して登場した李明博大統領の、未来志向の立場を追い込んでしまった。

  外務省の第二の誤算は韓国国民の反応と各国政府の対応を見誤った事である。

  譲歩したはずの表現が韓国国民や韓国政府にまったく評価されず、韓国側の対応がどんどんとエスカレートしていった事である。

  この点については、さすがの私も韓国側の対応に行き過ぎがあると思う。

  市民レベルの友好交流を打ち切ったり、竹島近海で軍事演習するなどという対応は、誰が見ても間違っている。

  そのような韓国政府の対応を前にして、「冷静な対応を求めたい」などという事を、総理や官房長官に独り言のように繰り返させる外務省の対応は、あまりにも策がない。

 韓国国民反撥、反日感情は抑えようがないとしても、韓国政府の対応については話し合いができるはずだ。そして話し合いをすべきだ。

  の意味で7月31日の産経新聞に出ていた武貞秀士防衛研究所統括研究官の「両国は率直に意見交換を」という提言は正しい。

  ところが外務省にその動きはまったく見られない。

  「物言えば唇寒し」とでも言っているように、沈黙を守り続けている。

  それを福田総理や町村官房長官に振り付けている。

  しかしこれは外交ではない。戦略ではない。単なる無策に過ぎないのだ。

  そして今度の米国の韓国寄りの発言である。

  報じられる通り、もし米国が韓国の「極めて高度なレベル」からの要望を受けて、竹島は韓国の領土であると立場を鮮明にしたのであれば、外務省が対米外交でも韓国に負けたということだ。

  日米同盟を最優先して対米従属を続けてきた日本が、米国産牛肉問題や在韓米軍問題で、時として激しい反米感情を見せる韓国に、対米外交で敗れたのだ。

  米国は、あらゆる米国の要求を受け入れて譲歩を繰り返してきた日本よりも、韓国の要望をあっさりと受け入れたのだ。

  それでも日本は米国に文句の一つも言わない、言えない。

  そうであればもはや日本外交は不要という事になる。外務省は不必要ということになる。

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2008年07月31日

ホテル代を踏み倒した外務官僚


 ホテル代を踏み倒した外務官僚


  このニュースには驚いた。外務省はまだこんなことをやっていたのだ。

  40歳の外務官僚が1泊5万円のホテルに300日間滞在し、そこから毎日通勤していたと、31日の各紙が一斉に報じている。

  それだけなら、なんと贅沢な事をしている外務官僚だ、で終わってしまうのだが、その宿泊代約1500万円の支払いを拒否続けて、ホテル側から訴えられそうになっているというのだ。

  このニュースは一見すると不届きな一外務官僚の個人的不始末のように見える。

   しかし、問題は、このような官僚が後をたたないという外務省の土壌にある。

  一職員の不祥事を放置し続けた外務省の「緩み」と「統制力」の弱さがある。

   しかも、これは外務省の職員であるという立場を利用した一種の横領であり、組織ぐるみの不祥事であるのだ。

  それはこういう事だ。

  招待外交を繰り返す外務省はホテル側にとって大きなお得意先である。

  私が外務省にいた時もそうであったが、外務省は他の省庁と違って、国際会議費、要人招待費の大きな予算を持っている。

  おそらくその予算は、人の往来が激しくなった今日においては更に膨れ上がっているに違いない。

  この職員が高額な宿泊を繰り返し、しかもその支払いを一年近くも未払いでいられた背景には、お得意様である外務省の立場を利用した甘えがあったに違いない。

  そして一年近くも未払いをしていたことに対するホテル側の不満が外務省関係者の耳に入っていなかったはずはない。

  知っていながらこの職員を放置してきた外務省という組織のゆるみがあるのだ。

   それはそのまま7年前の一職員による巨額な機密費に横領事件を思い起こさせる。

   そういえばあの事件の張本人であった松尾某はもうすぐ刑期を満了して出所してくる頃だ。

   一人の職員にすべての罪を押し付けた逃げた外務省の幹部やOBはさぞかし後味が悪い思いをしていることだろう。

   松尾事件は外務省にとって立ち上がることの出来ない傷を残した。

   それに懲りて外務省改革なるものが行なわれた筈であった。

   それにもかかわらず、今再びこのような事件が出てくる。

    それはその改革なるものがでたらめであったという事だ。

    外務省の弛緩した体質は何も変わっていないということだ。

    むしろ外交が行き詰まって仕事がなくなった分だけ、暇をもてあまし、モラルは更に低下しているのかもしれない。

    報道によれば、外務省は「本人とも連絡を取った上で詳細を確認したい」と言っているらしい。

    こんなとぼけた事を言っている外務省では、さぞかし外に出ない多くの不祥事を抱えているに違いない。

  

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2008年07月31日

拉致家族を正しい方向に導く人が現れないものか


 拉致家族を正しい方向に導く人が現れないものか

   このところすっかり報道されなくなった北朝鮮問題について書いてみる。

   25日の読売新聞社説は、鳴り物入りで初めて行なわれた6カ国外相会議が、「核も拉致も進展しなかった」という見出しで、米国の対朝鮮宥和政策とそれに従うしかない日本政府の無策を批判していた。

  読売新聞が社説に掲げるまでもなく、わが国の対北朝鮮外交は迷走を繰り返し、国民に真実を明らかにされないまま行き詰まったままだ。

  このままでは、拉致問題は国民が納得する形で解決される見通しは皆無に近い。

  いずれ拉致被害者家族に冷酷な事実が告げられ、国益のためにはそれを受け入れるしかないではないか、と迫られて拉致問題は終止符を打たれることになるだろう。

  これに対し、拉致被害者家族会は街頭抗議を必死に続けて、国民に訴えている。

  30日も新潟市内で、制裁解除はするな、万景峰を入港させるな、とシュプレヒコールを挙げたと報じられた(31日読売新聞)。

  その少し前の7月9日には、洞爺湖サミットでの福田首相の熱意のなさに失望し、「もはや日本政府には期待できない」と、今後は政府と距離を置く方針を明らかにした(7月10日毎日新聞)。

  その気持ちは痛いほどわかる。

  私も北朝鮮の非道を憎み、一日も早い被害者の救出を強く願う者の一人である。

  だからこそ、このような拉致被害者家族の対応を残念に思う。

  拉致被害者家族の行なう事は、決して制裁強化ばかりを主張する事ではない。

  拉致被害者は絶対に日本政府と距離を置いてはいけない。

  拉致家族が行うべき事はなにか。

   それはあくまでも日本政府や外務省に対し、北朝鮮とのトップ会談を通じて、一日も早い拉致被害者の救出を求め続ける事である。

  すなわち、拉致被害者が相手にするのは、金正日の北朝鮮ではなく、福田首相の日本政府だ。

  そのためには日本政府と距離を置いてはいけない。日本政府がこれまで如何に無能で不誠実であったとしても、いやだからこそ、その日本政府に、国民を救出する責任は政府にある、と迫り続ける必要があるのだ。

  そしていたずらに制裁強化ばかりを訴えるのではなく、どのような手段でもいいから、とにかく一日もはやく拉致被害者を救出して欲しい、もし、もはや生存していない事が確認されているのなら、その事実を早く公表し、その後の正しい対応を示して欲しい、嘘をついてこれ以上我々の心をもてあそばないでくれ、と詰め寄ることである。

  拉致被害者の救出については、街頭で寄付をすることぐらいしかしてこなかった一国民の私である。

  拉致被害者家族やそれを支えてきた関係者に意見を言える資格は私にはない。

  それを承知で、私はこころより願う。

  拉致被害者家族を正しい方向に導く人が現れて、政府、外務省に対し、正しい対応を取るよう迫っていく事が出来ないかと。

  今求められている事はそのことである。
  

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2008年07月30日

今上天皇の声なき声

 今上天皇の声なき声

  30日の毎日新聞に、天皇陛下のご意向を受けて9月6-7日に新潟市で開かれる「第28回全国豊かな海づくり大会」の「海上パレード」が中止されるという記事が大きく掲載されていた。

  この記事は、「新潟市は29日・・・天皇陛下のご意向を受け中止すると発表した・・・」となっているから、すべての報道機関に知らされた情報に基づいて書かれたものに違いないが、なぜか毎日新聞だけがスクープのように大きく掲載していた。

  その記事はさらに次のように詳しく経緯を書いている。

  宮内庁によると、陛下はいまの漁業及び漁業関係者をとりまく厳しい環境を踏まえ、日々の漁業活動に及ぼす影響を最小限にとどめて今回の運営にあたっていただきたい、とのお気持ちである、という。

  宮内庁から新潟県にパレード中止を検討するよう連絡があったのは、全国一斉休漁があった7月15日だったという。

  あきらかに天皇陛下は燃料高騰で苦しんでいる国民の事を憂えているのだ。

  今上天皇の平和を願う気持ちは、これまでにも随所に示されてきた。

  その事についてはこのブログでも取り上げた。今の日本で、政府の憲法9条に反する政策を最も残念に思われているう人は、明仁天皇ではないか、と。

  その今上天皇が、この国の指導者の誰よりも本気になって国民の苦しみに思いをはせているのである。

  私は思う。今上天皇は、この国の政治の無能さに、日々怒りと苛立ちを感じているに違いない、と。

  その立場上、発言は出来ないけれど、声なき声で政府を叱責しているに違いない、と。

  この国の指導者や政治家、官僚は、自らを恥じなくてはならない。

  天皇陛下にこのような思いをさせるとは、かつてならば切腹ものだ。

  新憲法になって天皇陛下は象徴となった。政治に関与してはならない事になった。

  そのかわりに新憲法は総理大臣という職に絶大な権限を与えた。

   その総理大臣が、小泉元首相のように、靖国参拝を控えた昭和天皇の事を、俺には関係ないと  言い放つ時代になった。

   石原東京都知事が皇太子を呼び捨てにする時代になった。

   そのような言動に対し右翼まで沈黙する時代になった。

   天皇の権威とは一体なんであろうか。皇室の役割とは何であろうか。

   それよりもなによりも、平和を願い、国民の暮らしに思いを馳せる今上天皇に対し、

   この国の指導者達は自らを恥じなければならない。

   今上天皇の声なき声を重く受け止めなければならない。

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2008年07月29日

昭和天皇とマッカーサー


 昭和天皇とマッカーサー

  あなたは昭和天皇とマッカーサーが、二人だけで11回も会見した歴史的事実を知っていたか。

  しかも、1947年に新憲法が施行され、天皇が象徴天皇となり、一切の政治に関与しないとされた後も、何度もマッカーサーと会って日本の戦後を規定する安保体制をマッカーサーに頼み込んでいた事を。

  私は知らなかった。

  少なくとも豊下楢彦氏の「安保条約の成立ー吉田外交と天皇外交ー」(岩波新書、1996年12月発刊)を読むまでは。

  その著書は、部分的にしか公表されていない昭和天皇とマッカーサーの会見記録を丹念に読み解いて、一つの仮説を立てている。

  すなわち、当時の吉田首相と外務官僚たちが必死になって安保条約を「五分五分の論理」で対等のものにしようと粘り強く交渉していた時に、その一方で昭和天皇がマッカーサーと二人だけで会談し、日本をソ連共産主義の脅威から守って欲しいと直訴する二重外交が行なわれていたのではないか、という推論を、当時京都大学の助教授であった国際政治学者の豊下楢彦はその著書で展開したのだ。

  昭和天皇の戦争責任を語る時、我々はマッカーサー回顧録で明かされている昭和天皇のお言葉を通説として信じてきた。

 「すべての責任は私にある、私の一身はどうなってもいい・・・」と言う例のお言葉である。

 そしてそれに感動したマッカーサーが、天皇の免責を信じたと言う事になっている。

 しかし、豊下の仮説は、それを根本的に覆すものである。

 だからこそ世の中に受け入れられる事はない。

 それどころか、作為的に目立たないものにされてきた。

 その豊下が、この7月に岩波現代文庫から「昭和天皇・マッカーサー会見」と題する著書を出した。

 私はそれを早速読了した。

 そして唸ってしまった。豊下の推論がさらに精緻に組み立てられていたのだ。

  豊下が前掲の「安保条約の成立」を世に発表した96年から12年の年月が経った。

  その間に、彼の研究は更に深められた。

  しかもその間に富田宮内庁長官の日記の公表などという新たな資料も出てきた。

  そして何よりも安保体制そのものが、いまや日本をソ連共産主義から守る事から離れ、米国の戦争に追従する足かせのごとくなりつつある時代の変遷がある。

  米軍駐留に基づいた安保体制の構築は、なによりもまず天皇制の防衛のためであった、その意味で安保体制こそ戦後日本のあたらな「国体」であった、と、豊下はその「はしがき」で言う。

  この「昭和天皇・マッカーサー会見」という本は、おそらく豊下の覚悟を固めたライフワークに違いない。

  日本国民必読の書である。

  しかし私がそう言ってみたところで、何の影響力もない。それどころか、この本の価値をかえって下げるだろう。

  そう思ってこのブログで書評を書くつもりはなかった。

  ところが、今発売中の週刊文春(7月31日号)の書評欄で評論家の坪内祐三が絶賛している事を知った。

  自分は知らなかった。昭和天皇とマッカーサーが11回も会って日本の将来を決めていたなんて・・・と。

  坪内のような気鋭で保守派の論壇が、豊下のこの本を書評で取り上げて評価しているのだ。

  その事をこのブログで紹介したかった。ただそれだけである。

  

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2008年07月29日

 つくづく思う。この国はリーダー不在の迷走状況に陥ってしまった。

 つくづく思う。この国はリーダー不在の迷走状況に陥ってしまった。

  27日のブログで私は福田首相にエールを送った。もはや失うものはない。一刻も早く自分の意見を鮮明に打ち出し、今の閉塞感を打ち破るべきであると。

  あれほど無茶苦茶な事を行なった小泉元首相でも、開き直れば国民は黙るのだ。

  それほど首相の権力は大きいのだ。

  あなたの判断が小泉元首相の判断より劣っているはずはないだろう、と。

  小泉元首相との対比で、私は就任時より福田首相に好意的であった。同情的であった。

  その中間に登場した安倍前首相は、もはや私の頭には存在しない。

  しかし、どうやら福田首相に、そんな期待をかけることはむなしかったようだ。

  月末の内閣改造が見送られる事になったらしい。

  その最大の理由が、WTO交渉が延期された事によって閣僚不在になるからだという。

  もしこれが本当であれば、福田首相に総理を続ける資格はない。

  WTO交渉における甘利、若林両大臣の役割はほとんど皆無に近い。

  なにしろ「「死活問題だ」と悲鳴を上げる農業関係者の立場を守れなかったのだ(29日東京新聞)。

  その一方で中国は、自動車、家電の関税撤廃交渉に反発し、土壇場になって反対姿勢を高めているという。インドも同様だ(29日読売新聞)。

  中国、インドが反発すれば交渉がまとまらないと恐れられ、日本が反対すると、「孤立するぞ」と相手にされない。

  こんなWTOの交渉に両大臣を出席させ続ける意味はまったくない。副大臣とか政務官に後を任せ、直ちに帰国させるべきだ。そして両大臣を改造内閣で直ちに更迭すればいいのだ。

  もう一つ。臨時国会の招集日がいつまでたっても決まらない。

  その最大の理由が公明党の意向であるという。

  しかし公明党は福田首相では戦えないと公然と言い出している。もはや自民党の政権陥落必至と見切って、民主党にシフトしつつあると報道されている。

 それが本当ならば福田首相は、今こそ自分の判断で内閣改造、臨時国会の召集を決め、国民にそのリーダーシップを示すべきではないか。

  福田首相に、内に秘めた深謀遠慮の強い決意があれば別である。

  しかしひょっとして、「どうしたものか」ととぼけるいつもの発言が、本当に「どうしたものか」と迷っているのかもしれない。

  そうだとしたら、これほど情けない事はない。選挙に勝てないどころではない。首相を続けてはいけない。

  29日の東京新聞の政治コラム「政理整頓」で谷政幸論説副主幹が、「自存自衛」の公明党にあおられっぱなしの福田首相と自民党執行部を、「政権の活力が乏しい。ひょっとしたらこれは、衆院三百の自民バブルの崩壊である」と不穏な予言をしている。

  しかし、政局を閉塞させてるのは実は野党なのだ。

  ここまであらゆる状況が行き詰まり、国民が悲鳴を上げているというのに、早く国会を開いて論戦を挑み、自公政権を追い詰めるという気迫が一向に伝わってこない。

  29日早朝のみのもんたの朝ズバッという番組で、毎日新聞論説委員の与良正男が言っていた。   「なぜ野党は早く臨時国会を開くよう福田首相に迫らないのか」と。

  これこそ誰もが感じる事だ。

  そういえば29日の各紙は、「ネット献金」超党派議連が8月1日に発足する事を報じていた。

  オバマ米大統領候補の予備選勝利の原動力がネット献金で莫大な政治資金を集めたから、それにあやかる為だと言う。

  民主党の菅代表代行や自民党の加藤紘一らが呼びかけ、国民新党の糸川正晃、社民党の辻元清美、浅野史郎前宮城県知事らが名前を連ねているという。

  政治の世界で生き残りたいともがく、おなじみの顔ぶれである。

  つくづく思う。

  今この国はリーダー不在のまま、国民生活を救う事の出来ない迷走状況に陥ってしまった、と。

  既存のすべての政党、政治家を否定して、まったく新しいもう一つの政治をつくらないとダメだ。

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2008年07月28日

基地に乗っ取られつつある沖縄の小さな町

 基地に乗っ取られつつある沖縄の小さな町

  久しぶりにジャーナリズム魂を感じさせる反骨の記事を読んだ。

  ジャーナリズム魂とは何か。

  それは、我々が気づかない事実を目の前に突きつけて、その不条理を直視させる事である。

  怒りを呼び起こし、声をあげていこうと呼びかける事である。

  28日の東京新聞「こちら特報部」は、米海兵隊とその家族によって沖縄の町(北谷町砂辺区)が乗っ取られようとしている現状を我々に教えてくれている。

  米兵とその家族の数が沖縄住民の数を超え、美しいビーチや公園などが米兵とその家族のプライベート所有地のようになりつつあるという現実を、沖縄から遠い本土の我々に教えてくれている。

  なぜそうなるのか。

  耳をつんざく轟音に耐え切れず住民が離れていく。

  その一方で、おんぶにだっこの優遇条件で米兵とその家族の生活環境が整えられる。

  住民の数が逆転していくのは当然だ。乗っ取られるのは当然だ。

  北谷町のようなところに家賃30万円ー40万円の豪華マンションがどんどんと建てられている。全て  米兵とその家族の住宅である。

  「問題はこの高額な家賃を誰がはらっているかという点だ」とその記事は問いかける。

  そして、断片的な公開情報を繋ぎ合わせるだけでも、かなりの部分が日本側負担の「思いやり予算」でまかなわれている事をその記事は明らかにしている。

  基地外住宅の住宅手当は米政府から支払われている事になっているという(在日米司令部)。

  しかし金には色はない。そのほかの部分でどれほど日本政府が財政支援をしていることか。

  基地内住宅の多くを日本政府が建設していた事はすでに判明している。

  米兵は住民税、自治会費などは一切払わない。

  光熱水費も長らく日本政府が払っていた。

  これらは明らかになっている一例だ。その全貌はわからないままだ。

  「・・・思いやり予算は大枠の名目しか分からない。沖縄返還時の密約のように、国民が知らない形で米国側に資金が渡り、その中から支払われているのではないか」(山内徳信参議院議員)。

   テロとの戦いで米国再編が急速に進んでいる。在外米軍は世界的規模で縮小されつつある。

   もはや米国海兵隊が大挙して日本に駐留する必要性は、米国の戦略上からも薄らいでいる。

   それなのに日本だけは在日米軍の縮小が進まない。

   その最大の理由は米兵にとってこれほど快適な場所はないからだ。

   米政府にとってこれほど優遇される国はないからだ。

   日本を守らずに米国の敵(テロ)と戦うだけになった在日米軍を、それでもここまで優遇しつづける日本政府の政策に正統性はあるのか。説明がつくのか。

   日本政府は明らかに日本国民より米国政府を重視している。

   日米軍事同盟は神聖不可侵だといい続ける官僚や御用学者は明らかに嘘をついている。

   対米従属を許すジャーナリズムは、その使命を放棄している。

   そんな中で、東京新聞「こちら特報部」はジャーナリズムの反骨魂を見事に見せてくれた。

   

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2008年07月27日

研修生と言う名の外国人低賃金労働者


 研修生と言う名の外国人低賃金労働者

  何が卑劣かといって、国が偽装制度をつくって、裁量権にまかせて違法まがいの事を行なうほど、卑劣な事はない。

  何が醜悪かといって、貧者の弱みに付け込んで搾取を行なう事ほど醜悪な事はない。

  しかし、それがこの国で公然と行なわれてきたのだ。

  27日の朝日新聞は「外国人 名ばかり研修生」という見出しの特集記事を掲載していた。

  日本の企業、とりわけ中小企業は人手不足を埋める単純労働者を必要としている。経費節約の昨今はとりわけ必要だ。

  しかし外国人の単純労働者を受け入れるかどうかについては国内の議論がまとまらない。

  それをまとめあげて、堂々と外国人労働者を認める法律をつくる覚悟も、努力も、事なかれ主義の官僚たちにはない。

  その一方で、低賃金外国人労働者を求める企業側の要求は高まる一方だ。

  それをはねつけ、あるいは企業の依頼を受けて圧力をかけてくる政治家を跳ね返す度胸は、官僚たちにはない。

  そこで官僚の浅知恵で考え出したのが、研修生受け入れの名目で事実上の単純労働者を認めるという偽装研修生、名ばかり研修生制度である。

  そのための組織として、91年には財団法人国際研修協力機構なるものが、法務省、外務省、通産省、労働省の談合で作られた。

  そしてちゃっかりとその幹部ポストに各省は天下りを送り込んでいる。

  研修と言う名の労働者受け入れが、関係者すべての幸福に繋がるのであればいい。

  しかしどうしても無理が生じる。不透明さがつきまとう。搾取が起きる。

  弱者である外国人研修生(労働者)にしわ寄せが行く。

   この不合理さを糾弾しているのが朝日新聞の記事である。

   「菓子づくりを教える」といいながら菓子の箱詰め作業だけをさせたり、時間外労働や賃金不払いなどの「不正行為」も急増しつつあるという。

  悩ましいのは貧しい国からやってくる貧しい外国人労働者の中に、それでも大金をためる事が出来るので我慢して日本へ来るという者が少なからずいるという現実である。

   雇用者側のすべてが悪徳企業ばかりではなく、労使ともども感謝しあって円満に行っている場合もあるということだ。

   世の中は、何でもかんでも白黒をはっきりさせなければならない、という訳ではない。

   しかし、やはり今の状況は改められなければならない。

   単純労働者がどうしても必要ならば、制度を見直して正規の労働者として迎え入れるべきである。

  「外国人を招いておいて、奴隷のように働かせる」(ある弁護士の言葉)

   日本はそんな国であってはならない。

   政府がそれを放任しているようではいけないのである。

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2008年07月27日

ついに大手新聞まで書き出した、「裁判員制度は第二の後期高齢者医療制度」となるおそれ


  ついに大手新聞まで書き出した、「裁判員制度は第二の後期高齢者医療制度」となるおそれ

  私は7月15日のブログで、来年に始まる裁判員制度は、間違いなく第二の後期高齢者医療制度となる、と書いた。

  それはもちろん冗談ではない。基本的なところで同じ問題を抱えているからだ。

  すなわち制度そのものが不備、不合理であるということだ。

  それにもかかわらず、国民的関心が高まらないままにどんどんと準備が進められたということだ。

  いざその制度が現実のものとなった時、裁判員に借り出される国民が、「そんな事は知らなかった」と文句を言出だすに違いないからだ。

   そんな私の思いが的中することを裏付けるような記事が7月27日の朝日新聞に出ていた。

   来年5月から始まる裁判員制度に対する国民の間での参加意識がなかなか高まらない。

  そんな状況の中で導入したら、「新たな国民負担」と受け止められれば、それが政府批判に繋がるおそれがある、

   これを福田首相の周辺が本気で懸念し始めた、という記事である。

   私の推測の正しさを誇示したいために書いているのではない。

   当然の成り行きである。そしてそれをわかっていて政策変更の出来ない官僚組織の硬直性が、この国を不必要に混乱させているのである。

   ついでに言えば三年先に導入されるデジタル放送制度についても同様である。

   低俗番組がほとんどのこの国のテレビ番組に、なぜ今以上の高画質のシステムが必要なのか。

   無駄な経費を強いる強制的なデジタル放送制度の導入もまた、間違いなく国民の反発を食らうに違いない。

   その不純な導入理由が糾弾されるに違いない。

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2008年07月27日

むのたけじの言葉


 むのたけじの言葉

  27日の朝日新聞書評欄に「新聞と戦争」(朝日新聞出版)という本の紹介があった。

  07年4月から一年間朝日新聞の夕刊に連載された「満州事変以降の15年戦争の検証」を、一冊にまとめたものであるという。

  「あの戦争は、マスメディアの協力なしには遂行できなかった・・・」で始まり、「ジャーナリストがジャーナリストでなくなっていったことにこそ、その最大の悲劇があった」という言葉で締めくくられているその書評は、最近読んだ、むのたけじの「戦争絶滅へ、人間復活へ」(岩波新書)を思い出させてくれた。

  むのたけじとは、戦争に加担したジャーナリズムの責任をとって、終戦の日である1945年8月15日に朝日新聞を辞め、週刊新聞「たいまつ」を創刊した今年93歳の元朝日新聞記者のことである。

  ノンフィクション・ライター黒岩比佐子氏が、むのたけじにインタビューを繰り返して綴ったこの本は、むのたけじの反戦への強烈な言葉がちりばめられている。

  たとえば従軍記者として目撃した事実を語る次のような言葉は、およそ戦争と言うものを少しでも擁護するあらゆる議論を木っ端微塵に粉砕する。

  ・・・戦争のことを一番よく知っているのは、実際に戦場で戦った人たちです。ところが戦場へ行けばわかりますが、行ってしまえばもう「狂い」ですよ。相手を先に殺さなければこちらが殺されるという恐怖感。これが朝昼晩とずっと消えることがない。三日ぐらいそれが続くと、誰もが神経がくたくたになって、それから先は「どうにでもなれ」という思考停止の状態になってしまうんです。したがって、戦場からは反戦運動というものは絶対に出てきません・・・

    本当にいやなことだけれども、戦場にいる男にとっては、セックスだけが「生きている」という実感になる・・・ものを奪う、火をつける、盗む、だます、強姦する・・・ということが、戦場における特権として・・・黙認されてきた。

 ・・・あえて言いますが、ほとんどの男は、とても自分の女房や子供たちに話せないようなことを、戦場でやって(きた・・・)
 私はインドネシアの慰安所に行って、実際になかに入って、女性たちから話を聞きました・・・兵士が何人もズボンをずり下げて順番待ちをしている。女の側は、膣のなかが何人もの液体でごちゃごちゃになるので、三人終わると便所へ行って、ウーンと力んで射精されたのを出してまたすぐ戻ってくる。そうした事実があったということは、ここではっきり言っておきます・・・

  負けた戦争を「勝った、勝った」といい続け、嘘ばかり書いていたのだから、ここできちんとけじめをつけて辞するべきだ、新しい新聞をつくる資格をもった人々に朝日新聞を委ねるべきだ、

  そう訴えたむのたけじに、みんな黙っているだけで反論はしない。そして誰も辞めるものが出てこなった。

  むのたけじは今でも正しく評価されることはない。

  ここに日本の反戦の限界がある。欺瞞がある。

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2008年07月27日

 小泉と福田の違い


 小泉と福田の違い

  どうやら年明け早々にも解散・総選挙が行なわれる雲行きになってきた。

  そこで、私なりに福田首相の行く末を考えてみたい。

  福田首相の不人気の最大の理由はリーダーシップが見えないということらしい。

  あらゆる世論調査を見てもそうなっている。

  そして、それと対比して語られるのが小泉元首相のわかりやすさである。

  その結果としての高支持率である。

  私は人後に落ちない小泉政治批判者の一人であるが、小泉政治で唯一ほめるとすれば、このリーダーシップである。

  もちろん、その殆どが誤りであった。その結果日本は滅茶苦茶になった。

  靖国神社参拝にこだわって日中関係を凍結させたり、ブッシュ大統領の米国に追従して日本を米国に売り渡したり、郵政改革を改革の本丸だなどとピント外れな主張を行なってそのツケを後にまわしたりと、およそまともな国民であれば、おかしいと思うようなことを押し通した。

  だから、唯一評価できると言った、この小泉元首相の誤ったリーダーシップこそ、私の小泉批判の核心であるのだが、福田政治との対比において、今は、逆説的に、そのリーダーシップを、福田首相に欠けている長所としておく。

  そしてここからが重要な事なのだが、その時も、そして今はなおさらに、日本が直面している閉塞感を打ち破るには、トップが方向性を示さなければ国民は満足できないところまで来ているのだ。

  そもそも日本が抱えている諸問題の解決は、誰が行なっても名解答などありえない。

  そうだとすれば、とにかく自分の考えを打ち出して指導者としての解答案を提示することである。

  小泉元首相はろくに考えもしないで解答を出しまくった。

  それに異論があろうが、なかろうが、平気で押し通した。

  その無責任さと厚かましさにはあきれ返るが、それでもその時は誰もその勢いに押された。

  そして、今となってそれが間違っていたと論じてみても、もはや後の祭りなのだ。

   おそらく福田首相は小泉元首相と好対照な常識人なのであろう。

  官僚たちの意見に耳を傾け、周囲の政治家の声を聞いて落ち着きさきを見極めるという調整型なのであろう。

  だからその決断も、たいしたことがない代わりに、大きな誤りをおかしそうもない。

  そうであればこそ、ここで福田首相は自分の意思を明確に打ち出すべきだ。

  自らの手で内閣を改造し、自分のやりたい政策を明らかにし、一つでもそれを実現して、そして自分の手で解散・総選挙に打って出る時である。  

  それでも負けると思うがそれは福田首相の責任ではない。自民党は小泉元首相によって完全に壊れされてしまったのだ。終わっていたのだ。

  それを明らかにするためにも年明け早々の解散・総選挙に向けて自己主張をすべきである。

  案外それが福田政権の起死回生策かもしれない。

  

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2008年07月26日

ありきたりの報道からは何も見えてこない


 ありきたりの報道からは何も見えてこない

 今に始まったことではないが、大手メディアが報じるありきたりの報道からは、今の日本が抱えている深刻な問題は何も見えてこない。

 政府の政策が、如何に無策であるかがわからない。

  たとえば25日に総務省が発表した6月の消費者物価指数に関するニュースだ。

  15年ぶりの大幅上昇を憂えている。消費が細り、景気回復に暗雲が立ち込めると嘆く。

  しかし、そこには政府の無策についての追及はない。

  所得が増えないのに生活必需品の物価が上がるのだ。

  生活を切り詰めるしかない。欲しいものまで買い控えざるをえない。

  物が売れなくなるのは当然だ。製造業が落ち込むのは当然だ。

  余裕資金がなくなれば遊ぶ金もなくなる。金融商品に手を出す気にもなれない。

  景気が低迷するのは当たり前だ。

   それなのに政府は財政赤字解消のために、更なる増税やむなしと主張する。

   まともな政策ではない。

   増税をするためには、その前に無駄をなくさなければならないのは当然だ。

   だから、増税の口実として、町村官房長は25日の記者会見で「無駄ゼロ」を推進するため有識者   からなる「行政支出総点検会議」なるものを発表した。

    しかし効果は皆無だろう。

    無駄はもちろんなくすべきだ。しかし今の膨大な財政赤字を本気での解決しようとするなら、無駄をなくす程度のパフォーマンスでは焼け石に水だ。

   労多くして節約額の少ない萎縮策よりも、予算編成を抜本的に改める事こそ必要なのだ。

   防衛費やODA費を凍結したり、国会議員を無給にしたり、公務員定員を半減したり独立行政法人を全廃し、その代わりに生活補助費を増額するなど、官僚と族議員任せの予算編成を根本的に変えない限り、この国の危機は終わらない。

   7月26日の朝日新聞が平沼新党について書いていた。その中で平沼氏の次の言葉が引用されていた。

  「自民党にも、民主党にも、どうしても満足できない声がある。一緒にその声に応える」

  これは護憲、市民派のいうセリフではないのか。

  その護憲、市民派がまとまって新党をつくろうとするのならわかる。

  ところがその動きがまったくない中で、ウルトラ保守の平沼新党が、自民でも民主でもない者たちの期待に応えるという。

  おかしくはないか。

  こんな新党が成功するはずはない。

  革新勢力側から第三の勢力が出てこない今の日本はおかしい。

  日朝関係進展に向けて外遊中の高村外相は中国に協力要請をしたという事が23日の産経新聞で取り上げられていた。

  米国に頼み、それでだめなら中国に頼むという訳だ。

  そう思っていたら、今度はハノイでベトナムの外相にまで、拉致問題の解決を要請したという(26日産経新聞)。

  冗談ではないか。なぜベトナムにまで日朝関係進展の協力を頼まなければならないのか。

  北朝鮮に対して最も利害関係のある国は日本である。影響力のある国は日本である。

  だからこそ小泉元首相が訪朝したのではなかったか。ピョンヤン宣言を結んだのではなかったか。

  秋山直紀という防衛コンサルタントが脱税容疑でついに逮捕された。

  この問題で批判の矢面に立っているのが防衛省だ。守屋前次官の醜聞からいもずる式に明るみになった防衛関連企業をめぐる日米癒着問題である。

  しかしこの問題で当惑している省がもう一つある。それは外務省だ。

  秋山は外務省管轄の社団法人「日米平和・文化交流協会」の専務理事であった。

  監督責任はないのか。外務官僚の関与はないのか。

  それよりもなによりも、ここまで秋山が増長した理由は、彼がラムズフェルド、アーミテージ、コーエンをはじめとした米国の要人と太いパイプがあったということになっている。

  それは裏を返せば、日米安全保障関係は外務省の専管事項だと主張してきた外務省が、駐米大使を含め、如何に米国要人とのパイプが希薄であるかの証明でもある。

   米国が秋山を重要視していたとはとても思えない。

   それにもかかわらず秋山を、さも米国との太いパイプがあるかのように見せたのは、外務省の無能さの責任である。

   26日の東京新聞は国家公務員の定年を65歳まで延長することを検討する中間報告をまとめたと報じた。

   これほど時代に逆行した事はない。

   キャリアの早期退職は、同期との昇進に敗れた者を救済するための天下りシステムにある。定年年齢の引き延ばしとは無関係だ。
 
   ただでさえ60歳まで身分保障されている一般公務員の定年を65歳まで延長するのは公務員優遇でしかない。

   ましてや年金を受け取るまで定年を引き延ばすなどとは、公務員天国を地で行くようなものだ。

   ありきたりの報道では何も真実は見えてこない。
 

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2008年07月25日

スポーツジャーナリスト二宮清純の嘆き


 スポーツジャーナリスト二宮清純の嘆き

  一般の国民には信じられない事だろうが、私にはさもありなんと苦笑して読まざるをえなかった記事を、25日の産経新聞に見つけた。

  スポーツジャーナリスト二宮清純氏の手によるコラム「断」である。

 外務省のゴシップ話に過ぎないが、興味深かったのでこのブログで書いてみる。

  野茂が引退を表明した事から、その野茂にまつわる13年前の話を、「もう時効だから書いてもいいだろう」と前置きして、二宮清純氏は次のようなエピソードを披露していた。

  渡米したその年、野茂はオールスターゲームに、ドジャース監督推薦で選ばれた。

  二宮氏が宿泊していたホテルに深夜外務省の職員から電話がかかってきたという。

 「あなたが二宮さん?ちょっと頼みがある。村山首相(当時)から野茂選手宛の親書を預かっているのだが、お渡し願えないか?あなたは野茂選手と親しいと聞いている」

 面識も何もない外務省職員からのいきなりの慇懃無礼な電話に、二宮氏は次のように答えた。

 「そんな重要なものは預かれない。ご自身でお渡しになればいいじゃないですか」

  一旦は引き下がったその職員から、今度はうってかわって丁寧な言葉遣いで、数分後再び電話がかかってきた。

 「実は野茂選手の宿泊しているホテルがわからないのです。何とかお願いできないものでしょうか」

  仕方ないので引き受けた。翌朝、親書を受け取ると、差出人の名が「MURAYAMA]ではなく「MURIYAMA」とスペリング間違いになっていた・・・

  二宮氏はそのコラムを次の言葉で締めくくっている。

 「・・・それは笑い話だからいいのだが、後で心配になった。外務省の・・・能力はその程度なのか・・・あれは特例中の特例であったと思いたい・・・」

  外務省の名誉のために言っておく。外務省の職員のすべてがこんな職員ばかりというわけではない。

  しかし、特例ではない。よく見られる外務省の普通の仕事振りなのである。

  今日25日の新聞で外務省幹部の定期人事異動が出ていた。

  すっかり若返って、知らない職員までもが幹部になる時代になった。

  しかし、その顔ぶれをみて、こんな奴でも幹部になるようになったのかという思いであった。

  その中には、二宮