Font-size: small medium big

Blog Calendar

サイト内 検索

 


 人気blogランキング(政治)に参加しました、応援お願いします。 人気blogランキング

2008年07月31日

竹島問題と日本外交の沈黙


 竹島問題と日本外交の沈黙

  韓国の強い抗議によって、米国が当初の中立的な立場から、一転して竹島は韓国領土であると言い出したらしい(時事通信)。

  韓国の「極めて高いレベル」からの申し入れを受けてブッシュ大統領がライス国務長官に命じたという。

  これが本当であれば日本外国の無力さは深刻である。

  米国の最良の同盟国であり続けた日本を、米国があっさりと袖にしたからだ。

  北朝鮮についで韓国との外交においてもだ。

  この外交の大失態については、どうしても書かざるを得ない。

  中学校の学習指導要領解説書の記述に端を発した竹島問題の再燃は、その大部分が外務省の判断ミスからもたらされたものだ。

  そもそも竹島の領土権問題は、政治的にも外交的にも当面の解決は不可能である。

  この事はこれまでの様々な経緯から誰の目にも明らかだった。

  右翼がナショナリズムを煽って領土権を主張し、政府の弱腰を批判するのは勝手だ。

  左翼が、日本の過去の誤りを理由に、領土権の問題に沈黙したり、韓国に譲歩しろなどと言うのにも驚かない。

  しかし、政府、外務省の対応は、そのいずれであってもならない。

  主権を放棄することなく筋を通す一方で、国益を考えた現実的な外交を辛抱強く行なうほかはない。

  国際司法裁判所に判断を委ねたいと言ってわが国の立場を維持する一方で、この問題を当面の間凍結しておくという外交は、立派な現実的外交である。

  もし外務省がそのような確固とした戦略を持っていたならば、文部科学省が学習指導要領解説書に領土権を明記するなどという動きを見せた段階で、すかさずこれを止めさせるべきであった。

  福田総理に問題提起をして迅速に総理決断で止めさせるべきであった。

  しかし、現実にはそれが報道されるところとなり、韓国国民がすかさず反撥した。

  歴史問題で日本に謝罪や反省を求めないという姿勢を示して登場した李明博大統領の、未来志向の立場を追い込んでしまった。

  外務省の第二の誤算は韓国国民の反応と各国政府の対応を見誤った事である。

  譲歩したはずの表現が韓国国民や韓国政府にまったく評価されず、韓国側の対応がどんどんとエスカレートしていった事である。

  この点については、さすがの私も韓国側の対応に行き過ぎがあると思う。

  市民レベルの友好交流を打ち切ったり、竹島近海で軍事演習するなどという対応は、誰が見ても間違っている。

  そのような韓国政府の対応を前にして、「冷静な対応を求めたい」などという事を、総理や官房長官に独り言のように繰り返させる外務省の対応は、あまりにも策がない。

 韓国国民反撥、反日感情は抑えようがないとしても、韓国政府の対応については話し合いができるはずだ。そして話し合いをすべきだ。

  の意味で7月31日の産経新聞に出ていた武貞秀士防衛研究所統括研究官の「両国は率直に意見交換を」という提言は正しい。

  ところが外務省にその動きはまったく見られない。

  「物言えば唇寒し」とでも言っているように、沈黙を守り続けている。

  それを福田総理や町村官房長官に振り付けている。

  しかしこれは外交ではない。戦略ではない。単なる無策に過ぎないのだ。

  そして今度の米国の韓国寄りの発言である。

  報じられる通り、もし米国が韓国の「極めて高度なレベル」からの要望を受けて、竹島は韓国の領土であると立場を鮮明にしたのであれば、外務省が対米外交でも韓国に負けたということだ。

  日米同盟を最優先して対米従属を続けてきた日本が、米国産牛肉問題や在韓米軍問題で、時として激しい反米感情を見せる韓国に、対米外交で敗れたのだ。

  米国は、あらゆる米国の要求を受け入れて譲歩を繰り返してきた日本よりも、韓国の要望をあっさりと受け入れたのだ。

  それでも日本は米国に文句の一つも言わない、言えない。

  そうであればもはや日本外交は不要という事になる。外務省は不必要ということになる。

Copyright ©2005-2013 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2008年07月31日

ホテル代を踏み倒した外務官僚


 ホテル代を踏み倒した外務官僚


  このニュースには驚いた。外務省はまだこんなことをやっていたのだ。

  40歳の外務官僚が1泊5万円のホテルに300日間滞在し、そこから毎日通勤していたと、31日の各紙が一斉に報じている。

  それだけなら、なんと贅沢な事をしている外務官僚だ、で終わってしまうのだが、その宿泊代約1500万円の支払いを拒否続けて、ホテル側から訴えられそうになっているというのだ。

  このニュースは一見すると不届きな一外務官僚の個人的不始末のように見える。

   しかし、問題は、このような官僚が後をたたないという外務省の土壌にある。

  一職員の不祥事を放置し続けた外務省の「緩み」と「統制力」の弱さがある。

   しかも、これは外務省の職員であるという立場を利用した一種の横領であり、組織ぐるみの不祥事であるのだ。

  それはこういう事だ。

  招待外交を繰り返す外務省はホテル側にとって大きなお得意先である。

  私が外務省にいた時もそうであったが、外務省は他の省庁と違って、国際会議費、要人招待費の大きな予算を持っている。

  おそらくその予算は、人の往来が激しくなった今日においては更に膨れ上がっているに違いない。

  この職員が高額な宿泊を繰り返し、しかもその支払いを一年近くも未払いでいられた背景には、お得意様である外務省の立場を利用した甘えがあったに違いない。

  そして一年近くも未払いをしていたことに対するホテル側の不満が外務省関係者の耳に入っていなかったはずはない。

  知っていながらこの職員を放置してきた外務省という組織のゆるみがあるのだ。

   それはそのまま7年前の一職員による巨額な機密費に横領事件を思い起こさせる。

   そういえばあの事件の張本人であった松尾某はもうすぐ刑期を満了して出所してくる頃だ。

   一人の職員にすべての罪を押し付けた逃げた外務省の幹部やOBはさぞかし後味が悪い思いをしていることだろう。

   松尾事件は外務省にとって立ち上がることの出来ない傷を残した。

   それに懲りて外務省改革なるものが行なわれた筈であった。

   それにもかかわらず、今再びこのような事件が出てくる。

    それはその改革なるものがでたらめであったという事だ。

    外務省の弛緩した体質は何も変わっていないということだ。

    むしろ外交が行き詰まって仕事がなくなった分だけ、暇をもてあまし、モラルは更に低下しているのかもしれない。

    報道によれば、外務省は「本人とも連絡を取った上で詳細を確認したい」と言っているらしい。

    こんなとぼけた事を言っている外務省では、さぞかし外に出ない多くの不祥事を抱えているに違いない。

  

Copyright ©2005-2013 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2008年07月31日

拉致家族を正しい方向に導く人が現れないものか


 拉致家族を正しい方向に導く人が現れないものか

   このところすっかり報道されなくなった北朝鮮問題について書いてみる。

   25日の読売新聞社説は、鳴り物入りで初めて行なわれた6カ国外相会議が、「核も拉致も進展しなかった」という見出しで、米国の対朝鮮宥和政策とそれに従うしかない日本政府の無策を批判していた。

  読売新聞が社説に掲げるまでもなく、わが国の対北朝鮮外交は迷走を繰り返し、国民に真実を明らかにされないまま行き詰まったままだ。

  このままでは、拉致問題は国民が納得する形で解決される見通しは皆無に近い。

  いずれ拉致被害者家族に冷酷な事実が告げられ、国益のためにはそれを受け入れるしかないではないか、と迫られて拉致問題は終止符を打たれることになるだろう。

  これに対し、拉致被害者家族会は街頭抗議を必死に続けて、国民に訴えている。

  30日も新潟市内で、制裁解除はするな、万景峰を入港させるな、とシュプレヒコールを挙げたと報じられた(31日読売新聞)。

  その少し前の7月9日には、洞爺湖サミットでの福田首相の熱意のなさに失望し、「もはや日本政府には期待できない」と、今後は政府と距離を置く方針を明らかにした(7月10日毎日新聞)。

  その気持ちは痛いほどわかる。

  私も北朝鮮の非道を憎み、一日も早い被害者の救出を強く願う者の一人である。

  だからこそ、このような拉致被害者家族の対応を残念に思う。

  拉致被害者家族の行なう事は、決して制裁強化ばかりを主張する事ではない。

  拉致被害者は絶対に日本政府と距離を置いてはいけない。

  拉致家族が行うべき事はなにか。

   それはあくまでも日本政府や外務省に対し、北朝鮮とのトップ会談を通じて、一日も早い拉致被害者の救出を求め続ける事である。

  すなわち、拉致被害者が相手にするのは、金正日の北朝鮮ではなく、福田首相の日本政府だ。

  そのためには日本政府と距離を置いてはいけない。日本政府がこれまで如何に無能で不誠実であったとしても、いやだからこそ、その日本政府に、国民を救出する責任は政府にある、と迫り続ける必要があるのだ。

  そしていたずらに制裁強化ばかりを訴えるのではなく、どのような手段でもいいから、とにかく一日もはやく拉致被害者を救出して欲しい、もし、もはや生存していない事が確認されているのなら、その事実を早く公表し、その後の正しい対応を示して欲しい、嘘をついてこれ以上我々の心をもてあそばないでくれ、と詰め寄ることである。

  拉致被害者の救出については、街頭で寄付をすることぐらいしかしてこなかった一国民の私である。

  拉致被害者家族やそれを支えてきた関係者に意見を言える資格は私にはない。

  それを承知で、私はこころより願う。

  拉致被害者家族を正しい方向に導く人が現れて、政府、外務省に対し、正しい対応を取るよう迫っていく事が出来ないかと。

  今求められている事はそのことである。
  

Copyright ©2005-2013 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2008年07月30日

今上天皇の声なき声

 今上天皇の声なき声

  30日の毎日新聞に、天皇陛下のご意向を受けて9月6-7日に新潟市で開かれる「第28回全国豊かな海づくり大会」の「海上パレード」が中止されるという記事が大きく掲載されていた。

  この記事は、「新潟市は29日・・・天皇陛下のご意向を受け中止すると発表した・・・」となっているから、すべての報道機関に知らされた情報に基づいて書かれたものに違いないが、なぜか毎日新聞だけがスクープのように大きく掲載していた。

  その記事はさらに次のように詳しく経緯を書いている。

  宮内庁によると、陛下はいまの漁業及び漁業関係者をとりまく厳しい環境を踏まえ、日々の漁業活動に及ぼす影響を最小限にとどめて今回の運営にあたっていただきたい、とのお気持ちである、という。

  宮内庁から新潟県にパレード中止を検討するよう連絡があったのは、全国一斉休漁があった7月15日だったという。

  あきらかに天皇陛下は燃料高騰で苦しんでいる国民の事を憂えているのだ。

  今上天皇の平和を願う気持ちは、これまでにも随所に示されてきた。

  その事についてはこのブログでも取り上げた。今の日本で、政府の憲法9条に反する政策を最も残念に思われているう人は、明仁天皇ではないか、と。

  その今上天皇が、この国の指導者の誰よりも本気になって国民の苦しみに思いをはせているのである。

  私は思う。今上天皇は、この国の政治の無能さに、日々怒りと苛立ちを感じているに違いない、と。

  その立場上、発言は出来ないけれど、声なき声で政府を叱責しているに違いない、と。

  この国の指導者や政治家、官僚は、自らを恥じなくてはならない。

  天皇陛下にこのような思いをさせるとは、かつてならば切腹ものだ。

  新憲法になって天皇陛下は象徴となった。政治に関与してはならない事になった。

  そのかわりに新憲法は総理大臣という職に絶大な権限を与えた。

   その総理大臣が、小泉元首相のように、靖国参拝を控えた昭和天皇の事を、俺には関係ないと  言い放つ時代になった。

   石原東京都知事が皇太子を呼び捨てにする時代になった。

   そのような言動に対し右翼まで沈黙する時代になった。

   天皇の権威とは一体なんであろうか。皇室の役割とは何であろうか。

   それよりもなによりも、平和を願い、国民の暮らしに思いを馳せる今上天皇に対し、

   この国の指導者達は自らを恥じなければならない。

   今上天皇の声なき声を重く受け止めなければならない。

Copyright ©2005-2013 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2008年07月29日

昭和天皇とマッカーサー


 昭和天皇とマッカーサー

  あなたは昭和天皇とマッカーサーが、二人だけで11回も会見した歴史的事実を知っていたか。

  しかも、1947年に新憲法が施行され、天皇が象徴天皇となり、一切の政治に関与しないとされた後も、何度もマッカーサーと会って日本の戦後を規定する安保体制をマッカーサーに頼み込んでいた事を。

  私は知らなかった。

  少なくとも豊下楢彦氏の「安保条約の成立ー吉田外交と天皇外交ー」(岩波新書、1996年12月発刊)を読むまでは。

  その著書は、部分的にしか公表されていない昭和天皇とマッカーサーの会見記録を丹念に読み解いて、一つの仮説を立てている。

  すなわち、当時の吉田首相と外務官僚たちが必死になって安保条約を「五分五分の論理」で対等のものにしようと粘り強く交渉していた時に、その一方で昭和天皇がマッカーサーと二人だけで会談し、日本をソ連共産主義の脅威から守って欲しいと直訴する二重外交が行なわれていたのではないか、という推論を、当時京都大学の助教授であった国際政治学者の豊下楢彦はその著書で展開したのだ。

  昭和天皇の戦争責任を語る時、我々はマッカーサー回顧録で明かされている昭和天皇のお言葉を通説として信じてきた。

 「すべての責任は私にある、私の一身はどうなってもいい・・・」と言う例のお言葉である。

 そしてそれに感動したマッカーサーが、天皇の免責を信じたと言う事になっている。

 しかし、豊下の仮説は、それを根本的に覆すものである。

 だからこそ世の中に受け入れられる事はない。

 それどころか、作為的に目立たないものにされてきた。

 その豊下が、この7月に岩波現代文庫から「昭和天皇・マッカーサー会見」と題する著書を出した。

 私はそれを早速読了した。

 そして唸ってしまった。豊下の推論がさらに精緻に組み立てられていたのだ。

  豊下が前掲の「安保条約の成立」を世に発表した96年から12年の年月が経った。

  その間に、彼の研究は更に深められた。

  しかもその間に富田宮内庁長官の日記の公表などという新たな資料も出てきた。

  そして何よりも安保体制そのものが、いまや日本をソ連共産主義から守る事から離れ、米国の戦争に追従する足かせのごとくなりつつある時代の変遷がある。

  米軍駐留に基づいた安保体制の構築は、なによりもまず天皇制の防衛のためであった、その意味で安保体制こそ戦後日本のあたらな「国体」であった、と、豊下はその「はしがき」で言う。

  この「昭和天皇・マッカーサー会見」という本は、おそらく豊下の覚悟を固めたライフワークに違いない。

  日本国民必読の書である。

  しかし私がそう言ってみたところで、何の影響力もない。それどころか、この本の価値をかえって下げるだろう。

  そう思ってこのブログで書評を書くつもりはなかった。

  ところが、今発売中の週刊文春(7月31日号)の書評欄で評論家の坪内祐三が絶賛している事を知った。

  自分は知らなかった。昭和天皇とマッカーサーが11回も会って日本の将来を決めていたなんて・・・と。

  坪内のような気鋭で保守派の論壇が、豊下のこの本を書評で取り上げて評価しているのだ。

  その事をこのブログで紹介したかった。ただそれだけである。

  

Copyright ©2005-2013 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2008年07月29日

 つくづく思う。この国はリーダー不在の迷走状況に陥ってしまった。

 つくづく思う。この国はリーダー不在の迷走状況に陥ってしまった。

  27日のブログで私は福田首相にエールを送った。もはや失うものはない。一刻も早く自分の意見を鮮明に打ち出し、今の閉塞感を打ち破るべきであると。

  あれほど無茶苦茶な事を行なった小泉元首相でも、開き直れば国民は黙るのだ。

  それほど首相の権力は大きいのだ。

  あなたの判断が小泉元首相の判断より劣っているはずはないだろう、と。

  小泉元首相との対比で、私は就任時より福田首相に好意的であった。同情的であった。

  その中間に登場した安倍前首相は、もはや私の頭には存在しない。

  しかし、どうやら福田首相に、そんな期待をかけることはむなしかったようだ。

  月末の内閣改造が見送られる事になったらしい。

  その最大の理由が、WTO交渉が延期された事によって閣僚不在になるからだという。

  もしこれが本当であれば、福田首相に総理を続ける資格はない。

  WTO交渉における甘利、若林両大臣の役割はほとんど皆無に近い。

  なにしろ「「死活問題だ」と悲鳴を上げる農業関係者の立場を守れなかったのだ(29日東京新聞)。

  その一方で中国は、自動車、家電の関税撤廃交渉に反発し、土壇場になって反対姿勢を高めているという。インドも同様だ(29日読売新聞)。

  中国、インドが反発すれば交渉がまとまらないと恐れられ、日本が反対すると、「孤立するぞ」と相手にされない。

  こんなWTOの交渉に両大臣を出席させ続ける意味はまったくない。副大臣とか政務官に後を任せ、直ちに帰国させるべきだ。そして両大臣を改造内閣で直ちに更迭すればいいのだ。

  もう一つ。臨時国会の招集日がいつまでたっても決まらない。

  その最大の理由が公明党の意向であるという。

  しかし公明党は福田首相では戦えないと公然と言い出している。もはや自民党の政権陥落必至と見切って、民主党にシフトしつつあると報道されている。

 それが本当ならば福田首相は、今こそ自分の判断で内閣改造、臨時国会の召集を決め、国民にそのリーダーシップを示すべきではないか。

  福田首相に、内に秘めた深謀遠慮の強い決意があれば別である。

  しかしひょっとして、「どうしたものか」ととぼけるいつもの発言が、本当に「どうしたものか」と迷っているのかもしれない。

  そうだとしたら、これほど情けない事はない。選挙に勝てないどころではない。首相を続けてはいけない。

  29日の東京新聞の政治コラム「政理整頓」で谷政幸論説副主幹が、「自存自衛」の公明党にあおられっぱなしの福田首相と自民党執行部を、「政権の活力が乏しい。ひょっとしたらこれは、衆院三百の自民バブルの崩壊である」と不穏な予言をしている。

  しかし、政局を閉塞させてるのは実は野党なのだ。

  ここまであらゆる状況が行き詰まり、国民が悲鳴を上げているというのに、早く国会を開いて論戦を挑み、自公政権を追い詰めるという気迫が一向に伝わってこない。

  29日早朝のみのもんたの朝ズバッという番組で、毎日新聞論説委員の与良正男が言っていた。   「なぜ野党は早く臨時国会を開くよう福田首相に迫らないのか」と。

  これこそ誰もが感じる事だ。

  そういえば29日の各紙は、「ネット献金」超党派議連が8月1日に発足する事を報じていた。

  オバマ米大統領候補の予備選勝利の原動力がネット献金で莫大な政治資金を集めたから、それにあやかる為だと言う。

  民主党の菅代表代行や自民党の加藤紘一らが呼びかけ、国民新党の糸川正晃、社民党の辻元清美、浅野史郎前宮城県知事らが名前を連ねているという。

  政治の世界で生き残りたいともがく、おなじみの顔ぶれである。

  つくづく思う。

  今この国はリーダー不在のまま、国民生活を救う事の出来ない迷走状況に陥ってしまった、と。

  既存のすべての政党、政治家を否定して、まったく新しいもう一つの政治をつくらないとダメだ。

Copyright ©2005-2013 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2008年07月28日

基地に乗っ取られつつある沖縄の小さな町

 基地に乗っ取られつつある沖縄の小さな町

  久しぶりにジャーナリズム魂を感じさせる反骨の記事を読んだ。

  ジャーナリズム魂とは何か。

  それは、我々が気づかない事実を目の前に突きつけて、その不条理を直視させる事である。

  怒りを呼び起こし、声をあげていこうと呼びかける事である。

  28日の東京新聞「こちら特報部」は、米海兵隊とその家族によって沖縄の町(北谷町砂辺区)が乗っ取られようとしている現状を我々に教えてくれている。

  米兵とその家族の数が沖縄住民の数を超え、美しいビーチや公園などが米兵とその家族のプライベート所有地のようになりつつあるという現実を、沖縄から遠い本土の我々に教えてくれている。

  なぜそうなるのか。

  耳をつんざく轟音に耐え切れず住民が離れていく。

  その一方で、おんぶにだっこの優遇条件で米兵とその家族の生活環境が整えられる。

  住民の数が逆転していくのは当然だ。乗っ取られるのは当然だ。

  北谷町のようなところに家賃30万円ー40万円の豪華マンションがどんどんと建てられている。全て  米兵とその家族の住宅である。

  「問題はこの高額な家賃を誰がはらっているかという点だ」とその記事は問いかける。

  そして、断片的な公開情報を繋ぎ合わせるだけでも、かなりの部分が日本側負担の「思いやり予算」でまかなわれている事をその記事は明らかにしている。

  基地外住宅の住宅手当は米政府から支払われている事になっているという(在日米司令部)。

  しかし金には色はない。そのほかの部分でどれほど日本政府が財政支援をしていることか。

  基地内住宅の多くを日本政府が建設していた事はすでに判明している。

  米兵は住民税、自治会費などは一切払わない。

  光熱水費も長らく日本政府が払っていた。

  これらは明らかになっている一例だ。その全貌はわからないままだ。

  「・・・思いやり予算は大枠の名目しか分からない。沖縄返還時の密約のように、国民が知らない形で米国側に資金が渡り、その中から支払われているのではないか」(山内徳信参議院議員)。

   テロとの戦いで米国再編が急速に進んでいる。在外米軍は世界的規模で縮小されつつある。

   もはや米国海兵隊が大挙して日本に駐留する必要性は、米国の戦略上からも薄らいでいる。

   それなのに日本だけは在日米軍の縮小が進まない。

   その最大の理由は米兵にとってこれほど快適な場所はないからだ。

   米政府にとってこれほど優遇される国はないからだ。

   日本を守らずに米国の敵(テロ)と戦うだけになった在日米軍を、それでもここまで優遇しつづける日本政府の政策に正統性はあるのか。説明がつくのか。

   日本政府は明らかに日本国民より米国政府を重視している。

   日米軍事同盟は神聖不可侵だといい続ける官僚や御用学者は明らかに嘘をついている。

   対米従属を許すジャーナリズムは、その使命を放棄している。

   そんな中で、東京新聞「こちら特報部」はジャーナリズムの反骨魂を見事に見せてくれた。

   

Copyright ©2005-2013 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2008年07月27日

研修生と言う名の外国人低賃金労働者


 研修生と言う名の外国人低賃金労働者

  何が卑劣かといって、国が偽装制度をつくって、裁量権にまかせて違法まがいの事を行なうほど、卑劣な事はない。

  何が醜悪かといって、貧者の弱みに付け込んで搾取を行なう事ほど醜悪な事はない。

  しかし、それがこの国で公然と行なわれてきたのだ。

  27日の朝日新聞は「外国人 名ばかり研修生」という見出しの特集記事を掲載していた。

  日本の企業、とりわけ中小企業は人手不足を埋める単純労働者を必要としている。経費節約の昨今はとりわけ必要だ。

  しかし外国人の単純労働者を受け入れるかどうかについては国内の議論がまとまらない。

  それをまとめあげて、堂々と外国人労働者を認める法律をつくる覚悟も、努力も、事なかれ主義の官僚たちにはない。

  その一方で、低賃金外国人労働者を求める企業側の要求は高まる一方だ。

  それをはねつけ、あるいは企業の依頼を受けて圧力をかけてくる政治家を跳ね返す度胸は、官僚たちにはない。

  そこで官僚の浅知恵で考え出したのが、研修生受け入れの名目で事実上の単純労働者を認めるという偽装研修生、名ばかり研修生制度である。

  そのための組織として、91年には財団法人国際研修協力機構なるものが、法務省、外務省、通産省、労働省の談合で作られた。

  そしてちゃっかりとその幹部ポストに各省は天下りを送り込んでいる。

  研修と言う名の労働者受け入れが、関係者すべての幸福に繋がるのであればいい。

  しかしどうしても無理が生じる。不透明さがつきまとう。搾取が起きる。

  弱者である外国人研修生(労働者)にしわ寄せが行く。

   この不合理さを糾弾しているのが朝日新聞の記事である。

   「菓子づくりを教える」といいながら菓子の箱詰め作業だけをさせたり、時間外労働や賃金不払いなどの「不正行為」も急増しつつあるという。

  悩ましいのは貧しい国からやってくる貧しい外国人労働者の中に、それでも大金をためる事が出来るので我慢して日本へ来るという者が少なからずいるという現実である。

   雇用者側のすべてが悪徳企業ばかりではなく、労使ともども感謝しあって円満に行っている場合もあるということだ。

   世の中は、何でもかんでも白黒をはっきりさせなければならない、という訳ではない。

   しかし、やはり今の状況は改められなければならない。

   単純労働者がどうしても必要ならば、制度を見直して正規の労働者として迎え入れるべきである。

  「外国人を招いておいて、奴隷のように働かせる」(ある弁護士の言葉)

   日本はそんな国であってはならない。

   政府がそれを放任しているようではいけないのである。

Copyright ©2005-2013 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2008年07月27日

ついに大手新聞まで書き出した、「裁判員制度は第二の後期高齢者医療制度」となるおそれ


  ついに大手新聞まで書き出した、「裁判員制度は第二の後期高齢者医療制度」となるおそれ

  私は7月15日のブログで、来年に始まる裁判員制度は、間違いなく第二の後期高齢者医療制度となる、と書いた。

  それはもちろん冗談ではない。基本的なところで同じ問題を抱えているからだ。

  すなわち制度そのものが不備、不合理であるということだ。

  それにもかかわらず、国民的関心が高まらないままにどんどんと準備が進められたということだ。

  いざその制度が現実のものとなった時、裁判員に借り出される国民が、「そんな事は知らなかった」と文句を言出だすに違いないからだ。

   そんな私の思いが的中することを裏付けるような記事が7月27日の朝日新聞に出ていた。

   来年5月から始まる裁判員制度に対する国民の間での参加意識がなかなか高まらない。

  そんな状況の中で導入したら、「新たな国民負担」と受け止められれば、それが政府批判に繋がるおそれがある、

   これを福田首相の周辺が本気で懸念し始めた、という記事である。

   私の推測の正しさを誇示したいために書いているのではない。

   当然の成り行きである。そしてそれをわかっていて政策変更の出来ない官僚組織の硬直性が、この国を不必要に混乱させているのである。

   ついでに言えば三年先に導入されるデジタル放送制度についても同様である。

   低俗番組がほとんどのこの国のテレビ番組に、なぜ今以上の高画質のシステムが必要なのか。

   無駄な経費を強いる強制的なデジタル放送制度の導入もまた、間違いなく国民の反発を食らうに違いない。

   その不純な導入理由が糾弾されるに違いない。

Copyright ©2005-2013 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2008年07月27日

むのたけじの言葉


 むのたけじの言葉

  27日の朝日新聞書評欄に「新聞と戦争」(朝日新聞出版)という本の紹介があった。

  07年4月から一年間朝日新聞の夕刊に連載された「満州事変以降の15年戦争の検証」を、一冊にまとめたものであるという。

  「あの戦争は、マスメディアの協力なしには遂行できなかった・・・」で始まり、「ジャーナリストがジャーナリストでなくなっていったことにこそ、その最大の悲劇があった」という言葉で締めくくられているその書評は、最近読んだ、むのたけじの「戦争絶滅へ、人間復活へ」(岩波新書)を思い出させてくれた。

  むのたけじとは、戦争に加担したジャーナリズムの責任をとって、終戦の日である1945年8月15日に朝日新聞を辞め、週刊新聞「たいまつ」を創刊した今年93歳の元朝日新聞記者のことである。

  ノンフィクション・ライター黒岩比佐子氏が、むのたけじにインタビューを繰り返して綴ったこの本は、むのたけじの反戦への強烈な言葉がちりばめられている。

  たとえば従軍記者として目撃した事実を語る次のような言葉は、およそ戦争と言うものを少しでも擁護するあらゆる議論を木っ端微塵に粉砕する。

  ・・・戦争のことを一番よく知っているのは、実際に戦場で戦った人たちです。ところが戦場へ行けばわかりますが、行ってしまえばもう「狂い」ですよ。相手を先に殺さなければこちらが殺されるという恐怖感。これが朝昼晩とずっと消えることがない。三日ぐらいそれが続くと、誰もが神経がくたくたになって、それから先は「どうにでもなれ」という思考停止の状態になってしまうんです。したがって、戦場からは反戦運動というものは絶対に出てきません・・・

    本当にいやなことだけれども、戦場にいる男にとっては、セックスだけが「生きている」という実感になる・・・ものを奪う、火をつける、盗む、だます、強姦する・・・ということが、戦場における特権として・・・黙認されてきた。

 ・・・あえて言いますが、ほとんどの男は、とても自分の女房や子供たちに話せないようなことを、戦場でやって(きた・・・)
 私はインドネシアの慰安所に行って、実際になかに入って、女性たちから話を聞きました・・・兵士が何人もズボンをずり下げて順番待ちをしている。女の側は、膣のなかが何人もの液体でごちゃごちゃになるので、三人終わると便所へ行って、ウーンと力んで射精されたのを出してまたすぐ戻ってくる。そうした事実があったということは、ここではっきり言っておきます・・・

  負けた戦争を「勝った、勝った」といい続け、嘘ばかり書いていたのだから、ここできちんとけじめをつけて辞するべきだ、新しい新聞をつくる資格をもった人々に朝日新聞を委ねるべきだ、

  そう訴えたむのたけじに、みんな黙っているだけで反論はしない。そして誰も辞めるものが出てこなった。

  むのたけじは今でも正しく評価されることはない。

  ここに日本の反戦の限界がある。欺瞞がある。

Copyright ©2005-2013 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2008年07月27日

 小泉と福田の違い


 小泉と福田の違い

  どうやら年明け早々にも解散・総選挙が行なわれる雲行きになってきた。

  そこで、私なりに福田首相の行く末を考えてみたい。

  福田首相の不人気の最大の理由はリーダーシップが見えないということらしい。

  あらゆる世論調査を見てもそうなっている。

  そして、それと対比して語られるのが小泉元首相のわかりやすさである。

  その結果としての高支持率である。

  私は人後に落ちない小泉政治批判者の一人であるが、小泉政治で唯一ほめるとすれば、このリーダーシップである。

  もちろん、その殆どが誤りであった。その結果日本は滅茶苦茶になった。

  靖国神社参拝にこだわって日中関係を凍結させたり、ブッシュ大統領の米国に追従して日本を米国に売り渡したり、郵政改革を改革の本丸だなどとピント外れな主張を行なってそのツケを後にまわしたりと、およそまともな国民であれば、おかしいと思うようなことを押し通した。

  だから、唯一評価できると言った、この小泉元首相の誤ったリーダーシップこそ、私の小泉批判の核心であるのだが、福田政治との対比において、今は、逆説的に、そのリーダーシップを、福田首相に欠けている長所としておく。

  そしてここからが重要な事なのだが、その時も、そして今はなおさらに、日本が直面している閉塞感を打ち破るには、トップが方向性を示さなければ国民は満足できないところまで来ているのだ。

  そもそも日本が抱えている諸問題の解決は、誰が行なっても名解答などありえない。

  そうだとすれば、とにかく自分の考えを打ち出して指導者としての解答案を提示することである。

  小泉元首相はろくに考えもしないで解答を出しまくった。

  それに異論があろうが、なかろうが、平気で押し通した。

  その無責任さと厚かましさにはあきれ返るが、それでもその時は誰もその勢いに押された。

  そして、今となってそれが間違っていたと論じてみても、もはや後の祭りなのだ。

   おそらく福田首相は小泉元首相と好対照な常識人なのであろう。

  官僚たちの意見に耳を傾け、周囲の政治家の声を聞いて落ち着きさきを見極めるという調整型なのであろう。

  だからその決断も、たいしたことがない代わりに、大きな誤りをおかしそうもない。

  そうであればこそ、ここで福田首相は自分の意思を明確に打ち出すべきだ。

  自らの手で内閣を改造し、自分のやりたい政策を明らかにし、一つでもそれを実現して、そして自分の手で解散・総選挙に打って出る時である。  

  それでも負けると思うがそれは福田首相の責任ではない。自民党は小泉元首相によって完全に壊れされてしまったのだ。終わっていたのだ。

  それを明らかにするためにも年明け早々の解散・総選挙に向けて自己主張をすべきである。

  案外それが福田政権の起死回生策かもしれない。

  

Copyright ©2005-2013 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2008年07月26日

ありきたりの報道からは何も見えてこない


 ありきたりの報道からは何も見えてこない

 今に始まったことではないが、大手メディアが報じるありきたりの報道からは、今の日本が抱えている深刻な問題は何も見えてこない。

 政府の政策が、如何に無策であるかがわからない。

  たとえば25日に総務省が発表した6月の消費者物価指数に関するニュースだ。

  15年ぶりの大幅上昇を憂えている。消費が細り、景気回復に暗雲が立ち込めると嘆く。

  しかし、そこには政府の無策についての追及はない。

  所得が増えないのに生活必需品の物価が上がるのだ。

  生活を切り詰めるしかない。欲しいものまで買い控えざるをえない。

  物が売れなくなるのは当然だ。製造業が落ち込むのは当然だ。

  余裕資金がなくなれば遊ぶ金もなくなる。金融商品に手を出す気にもなれない。

  景気が低迷するのは当たり前だ。

   それなのに政府は財政赤字解消のために、更なる増税やむなしと主張する。

   まともな政策ではない。

   増税をするためには、その前に無駄をなくさなければならないのは当然だ。

   だから、増税の口実として、町村官房長は25日の記者会見で「無駄ゼロ」を推進するため有識者   からなる「行政支出総点検会議」なるものを発表した。

    しかし効果は皆無だろう。

    無駄はもちろんなくすべきだ。しかし今の膨大な財政赤字を本気での解決しようとするなら、無駄をなくす程度のパフォーマンスでは焼け石に水だ。

   労多くして節約額の少ない萎縮策よりも、予算編成を抜本的に改める事こそ必要なのだ。

   防衛費やODA費を凍結したり、国会議員を無給にしたり、公務員定員を半減したり独立行政法人を全廃し、その代わりに生活補助費を増額するなど、官僚と族議員任せの予算編成を根本的に変えない限り、この国の危機は終わらない。

   7月26日の朝日新聞が平沼新党について書いていた。その中で平沼氏の次の言葉が引用されていた。

  「自民党にも、民主党にも、どうしても満足できない声がある。一緒にその声に応える」

  これは護憲、市民派のいうセリフではないのか。

  その護憲、市民派がまとまって新党をつくろうとするのならわかる。

  ところがその動きがまったくない中で、ウルトラ保守の平沼新党が、自民でも民主でもない者たちの期待に応えるという。

  おかしくはないか。

  こんな新党が成功するはずはない。

  革新勢力側から第三の勢力が出てこない今の日本はおかしい。

  日朝関係進展に向けて外遊中の高村外相は中国に協力要請をしたという事が23日の産経新聞で取り上げられていた。

  米国に頼み、それでだめなら中国に頼むという訳だ。

  そう思っていたら、今度はハノイでベトナムの外相にまで、拉致問題の解決を要請したという(26日産経新聞)。

  冗談ではないか。なぜベトナムにまで日朝関係進展の協力を頼まなければならないのか。

  北朝鮮に対して最も利害関係のある国は日本である。影響力のある国は日本である。

  だからこそ小泉元首相が訪朝したのではなかったか。ピョンヤン宣言を結んだのではなかったか。

  秋山直紀という防衛コンサルタントが脱税容疑でついに逮捕された。

  この問題で批判の矢面に立っているのが防衛省だ。守屋前次官の醜聞からいもずる式に明るみになった防衛関連企業をめぐる日米癒着問題である。

  しかしこの問題で当惑している省がもう一つある。それは外務省だ。

  秋山は外務省管轄の社団法人「日米平和・文化交流協会」の専務理事であった。

  監督責任はないのか。外務官僚の関与はないのか。

  それよりもなによりも、ここまで秋山が増長した理由は、彼がラムズフェルド、アーミテージ、コーエンをはじめとした米国の要人と太いパイプがあったということになっている。

  それは裏を返せば、日米安全保障関係は外務省の専管事項だと主張してきた外務省が、駐米大使を含め、如何に米国要人とのパイプが希薄であるかの証明でもある。

   米国が秋山を重要視していたとはとても思えない。

   それにもかかわらず秋山を、さも米国との太いパイプがあるかのように見せたのは、外務省の無能さの責任である。

   26日の東京新聞は国家公務員の定年を65歳まで延長することを検討する中間報告をまとめたと報じた。

   これほど時代に逆行した事はない。

   キャリアの早期退職は、同期との昇進に敗れた者を救済するための天下りシステムにある。定年年齢の引き延ばしとは無関係だ。
 
   ただでさえ60歳まで身分保障されている一般公務員の定年を65歳まで延長するのは公務員優遇でしかない。

   ましてや年金を受け取るまで定年を引き延ばすなどとは、公務員天国を地で行くようなものだ。

   ありきたりの報道では何も真実は見えてこない。
 

Copyright ©2005-2013 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2008年07月25日

スポーツジャーナリスト二宮清純の嘆き


 スポーツジャーナリスト二宮清純の嘆き

  一般の国民には信じられない事だろうが、私にはさもありなんと苦笑して読まざるをえなかった記事を、25日の産経新聞に見つけた。

  スポーツジャーナリスト二宮清純氏の手によるコラム「断」である。

 外務省のゴシップ話に過ぎないが、興味深かったのでこのブログで書いてみる。

  野茂が引退を表明した事から、その野茂にまつわる13年前の話を、「もう時効だから書いてもいいだろう」と前置きして、二宮清純氏は次のようなエピソードを披露していた。

  渡米したその年、野茂はオールスターゲームに、ドジャース監督推薦で選ばれた。

  二宮氏が宿泊していたホテルに深夜外務省の職員から電話がかかってきたという。

 「あなたが二宮さん?ちょっと頼みがある。村山首相(当時)から野茂選手宛の親書を預かっているのだが、お渡し願えないか?あなたは野茂選手と親しいと聞いている」

 面識も何もない外務省職員からのいきなりの慇懃無礼な電話に、二宮氏は次のように答えた。

 「そんな重要なものは預かれない。ご自身でお渡しになればいいじゃないですか」

  一旦は引き下がったその職員から、今度はうってかわって丁寧な言葉遣いで、数分後再び電話がかかってきた。

 「実は野茂選手の宿泊しているホテルがわからないのです。何とかお願いできないものでしょうか」

  仕方ないので引き受けた。翌朝、親書を受け取ると、差出人の名が「MURAYAMA]ではなく「MURIYAMA」とスペリング間違いになっていた・・・

  二宮氏はそのコラムを次の言葉で締めくくっている。

 「・・・それは笑い話だからいいのだが、後で心配になった。外務省の・・・能力はその程度なのか・・・あれは特例中の特例であったと思いたい・・・」

  外務省の名誉のために言っておく。外務省の職員のすべてがこんな職員ばかりというわけではない。

  しかし、特例ではない。よく見られる外務省の普通の仕事振りなのである。

  今日25日の新聞で外務省幹部の定期人事異動が出ていた。

  すっかり若返って、知らない職員までもが幹部になる時代になった。

  しかし、その顔ぶれをみて、こんな奴でも幹部になるようになったのかという思いであった。

  その中には、二宮氏が「特例中の特例と思いたい」ような仕事をしてきた者が確かにいる。

  

Copyright ©2005-2013 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2008年07月24日

  立ち話しかできない日本の北朝鮮外交


 立ち話しかできない日本の北朝鮮外交

   岩手地震がもう少しはやく起きていれば今朝の紙面は地震記事で埋め尽くされていたに違いない。

   しかし外務省にとっては残念な事に、地震記事は朝刊には間に合わなかった。

   おかげで24日の各紙は北朝鮮の核問題をめぐる6カ国外相会議の空虚さを競って報道していた。

   どれも内容は同じだ。見出しをざっと拾ってみてもこの調子だ。

  「空虚な政治ショー」、「検証手順 進展なし」、「拉致再調査 空文化の恐れも」(毎日)。

  「核検証 議論進まず」、「拉致再調査、動きなし」(朝日)。

  「北は見通し示さず 再び見返り要求」(読売)。

  「米朝思惑外交ショー」、「北、前向き姿勢を演出」、「日本 進展ムード 警戒」(東京)。

  「同床異夢の6カ国協議」、「まず拉致進展 原則貫くしかない日本」(産経)。

  「核検証、駆け引き続く」、「北朝鮮 見返り支援に固執」、「拉致進展見えず」(日経)。

   ここまで各紙の見出しが一致するのもめずらしい。よほど不毛な外相会合であったに違いない。

   驚くべきは次の記事だ。

  拉致問題解決に向けて米政府の働きかけを重ねて要請した際、高村外相は「北朝鮮は6月に約束した再調査を実施していない」(からテロ指定解除には慎重に対応してほしい)とライス長官に伝えたという。

  その時のライス長官の返答が

  「日朝間でまったく何も起こっていないのか」というものだったという。(読売、朝日、毎日)

  報道では、ライス長官は、「よくわかった。北朝鮮にしっかりメッセージを伝えたい」とされている。

  外務省が流した一方的な情報にもとづく記事はだいたい嘘であると相場は決まっている。

  ライス長官の本心は、「なにをもたもたしているのよ。信じられない」というものだったに違いない。

  それよりも惨めなのは、北朝鮮外相との接触が立ち話でしか出来なかった、という事実だ。

  その立ち話で高村外相が「(拉致問題を含む)諸懸案を解決し日朝関係を進めよう」と呼びかけたのに対し、北朝鮮外相は一言「同意する」といったと言う。

  高村外相が自分からわざわざ記者団にブリーフしているのだ。アリバイ作りだ。北朝鮮外相は本当に「同意する」などと言ったのだろうか。とてもそうは思えない。

  実は同様な事は以前にも繰り返されていた。

  最近外務事務次官に昇進した藪中氏がアジア太平洋局長の時だ。会おうとしない北朝鮮側代表の腕をつかまえて無理やり一言発してみる。

  それが「北朝鮮代表との会談」に化けて日本記者団に説明され、「話し合った」という記事になる。

  会えずに帰ってきたとなると面目が立たないから、アリバイをつくる。

   なんとも情けない外交の繰り返しである。

Copyright ©2005-2013 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2008年07月24日

 無差別殺人事件を防ぐ事の出来ないこの国の政治


 無差別殺人事件を防ぐ事の出来ないこの国の政治

  ここまで頻繁に無差別殺人事件が起きると、さすがにこの国は壊れてしまったと思わざるをえない。

  いくらその背後にある原因を論じてみても、もはやむなしい。

  おそらく今後も同様の事件が後をたたないだろう。

  そうであるならば、我々は、国をあげて真剣に早急な対策を考えなくてはならないのではないか。

  どのような対策が効果的かは、勿論誰にもわからない。

  しかし、それでも、あらゆる叡智を結集して対策を講じなければならない。

  そしてその責任は真っ先に政治にある。

  政治家がその暇と金と権力を結集して、行動に移さなければ職務怠慢だ。

  ところが7月23日の日刊ゲンダイは、小泉元首相が最近ボーリングに凝っているというニュースを流していた。

  しかもただのボーリングではない。一時間何万円もする高級ボーリングサロンで、小泉チルドレンらを集めて生き残りを策しているというのだ。

  本当なのか。俄かには信じられない話だ。

  現職の政治家が、しかもこの国の総理として5年半も国政をあづかった者が、この時期にそんな事が平気で出来るものなのか。

  もし日刊ゲンダイの記事が事実であれば、それを一言も糾弾しない、出来ないテレビや大手メディアは異常だ。

  それ以上に異常なのは、小泉純一郎という人間の人間性である。

Copyright ©2005-2013 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2008年07月24日

インド洋で米国に給油するのでなく、日本国民に回すべきだ


 インド洋で米国に給油するのでなく、日本国民に回すべきだ

  この言葉は、23日の記者会見で福島瑞穂社民党党首が話した言葉であるという。

  その事を24日の毎日新聞がベタ記事で遠慮がちに報じていた。

  これは大部分の国民が心の中で思っている素直な考えであろう。

  高い価格でメジャーから原油を買わされ、それをそのまま米軍に給油するなどという馬鹿げた事を行なっている国が世界にあるだろうか。

  その一方で、日本においては、漁民や運送業者などが休業を迫られ、国民は運転を節約するという窮状である。

  しかも、来年1月に期限が切れるそのテロ給油法を延長することが、来るべき臨時国会における、自公政権の最優先課題であるという。

  どう考えてもおかしいではないか。

  しかし、このあたりまえのことが、福島社民党党首から語られる時、誰も相手にしない、そこがこの国の深刻な問題である。

 このようなあたりまえのことが、国民的人気のある東国原知事や橋下知事からは決して出てこない、そこがこの国の深刻な問題である。

Copyright ©2005-2013 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2008年07月23日

解決できない年金問題と舛添大臣の責任

 解決できない年金問題と舛添大臣の責任

  私は60歳の誕生日を迎えた昨年7月19日から月額14万608円の国家公務員共済年金を受け取る年金生活者となった。それから一年が過ぎた。

  その額では足らないと、64歳からの追加支給を前倒しする手続きを近くの社会保険事務所に赴いて行なってきた。

  いくつかの不利な条件を認めたうえで、10月ごろの支給から年額50万円ほどの追加が認められることになった。

  それでも月額20万円にも満たない。しかしこれが私が生涯受け取る年金額のすべてであることを知らされた。

  35年間キャリア外交官として共済年金を払い続けてきた私が受け取る年金のすべてである。

  共済年金の支払額は、大まかに言えば生涯給与の平均と勤続年数の月数で計算されるらしい。

  数年前に退職を迫られた私の年金受給額が、今でも大使を続けている同僚がやがて40年あまりの任期をまっとうして受け取る年金額より少ない事は明らかである。

  それでも、私より少ない年金額すら、年金記録不明で受け取れない国民にくらべれば、親方日の丸だと言われるだろう。

  それほどにこの国の年金制度の矛盾は深刻なのだ。

  ところが、根本的な制度改革をしなければ公正な年金制度の存続はありえないことがここまで明らかになったというのに、年金記録の不備ばかりが議論され、社会保険庁をつぶして新しい日本年金機構をつくるといった組織いじりばかりが議論され、肝心の年金制度見直しが進まない。

  なぜか。その理由は簡単だ。

  年金制度の根本的改革は今の政権とそれを支える官僚では出来ないからだ。

  そして、そんな政府、官僚の無能を、国民が一丸となって追及できないでいるからだ。

  今の年金制度で困っていない人たちが、まちがいなく多数いる。

  先般近くの病院に行って待合時間をある老人と話す機会があった。

  その老人は、たしかに後期高齢者医療費の値上げと天引きについて怒っていた。

  ところがその老人の年金受給額を知って驚いた。私の受給額よりはるかに多いのだ。

  その老人は大企業のサラリーマンではない。ふつうの地方の勤労者だったという。

  いうまでもなく、年金をかなり前から受給している人たちは、制度が変更しても遡及しないから、その受取額は多い。不満を言えばきりがないが、贅沢をしなければやりくりできる年金受給額だ。

  たとえば塩川正十郎のように、自分は十分な収入があるので、面倒な手続きをしてまで年金を受け取らなくてもよい、などとテレビで豪語する軽率な者がいる。

  福井日銀総裁のように、毎年の年金額だけでも800万円も受け取っているという報道もある。

  このような恵まれた国民に、年金改革への切羽詰った関心がないのは当然だ。

  しかし、一般国民の中にも、早々と年金生活をして既得権を確保している国民は、既得権を損なわれる年金改革には断固として反対するに違いない。

  今日(7月23日)の日経新聞「ザ厚労省」⑤に、公的年金制度の源流である労働者年金保険制度の創設者である旧厚生官僚、花沢武夫(故人)の次の言葉を見つけた。

 「・・・すぐに考えたのは膨大な資金の運用ですね。何十兆円もあるから、一流の銀行だってかなわない。厚生省の連中がOBになった時の勤め口に困らない。年金を払うのは先のことだから、今のうちにどんどん使ってしまって構わない・・・」

 花沢は死んだ。しかし花沢のような性根の厚生官僚が、年金記録の不備、喪失をもたらしたのだ。

 そこに殴りこんだのが舛添大臣であったはずだ。年金問題の解決は不可能だと暴露したのが枡添大臣だった。それゆえに国民的人気が高まった。

 その舛添が、ある時点で手のひらを返したように豹変し始めた。厚生労働省の味方になった。

 そして、噂される次の内閣改造で、「全力でやっていく」とデモンストレーションをして留任工作をしているという(23日毎日新聞)。

 「それほどまでして大臣がやりたいのか」

 その問いかけに、彼は応えるだろう。

 「その通りです。大臣になってこんなにいいものだとは思いませんでした。手放したくないです」と。

 そこが舛添の面白いところだ。憎めないところだ。

 確かに舛添以外の誰になっても年金問題は解決できないだろう。

 しかし、人気があるからといって福田首相が舛添大臣を留任させるようではこの国はおしまいだ。

 年金問題を何一つ解決できなかった舛添えには、責任はとってもらわなくてはいけない。

 けじめすらつけられない福田政権では、年金問題は決して解決しない。

Copyright ©2005-2013 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2008年07月22日

蟹工船ブームと日本共産党の勘違い


 蟹工船ブームと日本共産党の勘違い

  日本共産党の主張する政策は私もその殆どを評価する。

  しかし私は共産主義を認めない。平等よりも自由を選ぶからだ。

  そのような私を日本共産党は受け入れない。私も日本共産党に媚びる必要は何も無い。

  だから、かねてから気になっていたことを今日のブログで書く。

  私にその気を起こさせたのは、昨21日の夜のビートたけしのTVタックルで、日本共産党がみようにはしゃいでいたからだ。

  共産党本部にカメラを入れ、志位委員長や小池政策委員長があの低俗番組に媚びていた。

  最近の共産党議員は娯楽政治番組の常連となっている。選挙前に高感度をあげようとする計算がありありと見える。本来のあるべき姿ではない。

  小林多喜二の蟹工船がブームである。そのおかげかどうかは知らないが、最近の世論調査では日本共産党の支持率があがっている。党員の数も増えていると報道されている。

  御同慶の至りだ。皮肉でなく本心から喜んでいる。

  自公政権の支持率があがるよりも野党の支持率が増えるほうがいいと、私は思っている。

  たとえ日本共産党であっても、その支持率の増加は歓迎する。

  しかし日本共産党は勘違いしない方がよい。

  若者の心を捉えたのは小林多喜二であり日本共産党ではない。

  若者の心を捉えたのは蟹工船で描かれている労働条件の悲惨さであり、日本共産党のプラットフォームではない。

  そうであるとすれば、日本共産党が真っ先に行なう事は、その若者の期待に応えて、苦しい状況を改善する政策を一つでも実現することだ。

  そのためには野党協力が不可欠である。日本共産党だけでは何もできない。

  自公政権はもとより他の野党まで批判、排斥して、一人日本共産党だけが正しいと言い張るのは、傲慢である。

  唯我独尊の私が、日本共産党を唯我独尊の傲慢な政党であると批判する。

  これはほとんどジョークだ。

 「お前にだけは言われたくない」と、日本共産党は言うだろう。

 しかし、どうしても言わざるを得ない。

 日本共産党のどこが問題なのか。それは国民の味方だと言いながら、国民を見下したエリート集団が日本共産党を動かしているからだ。

 国民を見下すことにかけては誰にも負けない官僚を経験した事のある私が、そう感じるのだから間違いない。

 日本共産党よ。勘違いしてはいけない。

 日本共産党の支持率が増えているのは、国民生活が待ったなしに苦しくなっているからだ。

 その国民を救う政策を実現することが日本共産党の役割なのだ。

 そのためには他の野党と協力しなければならない。

 他の野党が、日本共産党と協力してもよいと思うような、そういう柔軟な日本共産党にならなければならない。

 

  

  

Copyright ©2005-2013 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2008年07月22日

教員の不正採用、昇格問題は単なる金銭的な問題だけではない


 教員の不正採用、昇格問題は単なる金銭的な問題だけではない

   不正人事の口利きにこれだけ多額な金品が動いていたとは驚きだ。

  えらそうな顔をしている教育委員長や教育委員会の連中が、ここまで堕していたとはお笑いだ。

  そして、このブログでも書いたが、政治家が口利きしていることがここまで明らかになり、元小泉首相の政治秘書がみずから口利きの事実を認めているのに、まるで腫れ物にさわるように、テレビや大手新聞が一切これを取り上げない偽善ぶりは噴飯ものだ。お前らいい加減にしろ、と一喝したい心境だ。

  しかし、この不正人事の問題は、単なる金銭的な贈収賄にとどまらない。それを教えてくれたのが、7月22日の東京新聞「本音のコラム」だ。

  筆者であるフリーライターの鎌田慧は、愛知県某市の教員採用を巡る取材経験から、「政治家と官僚に支配されている教育を市民に取りもどさなければならない」、と次のように書いている。

 ・・・子供好きで、きっといい教員になると想像させる学生が試験に受からない背景には、教育委員会の日教組対策があった。親が校長などコネ採用の子なら組合運動に走らないよう人質にできる・・・教育委員は知事、市町村の任命。実務の最高責任者である教育長は教員の出世コース。文部科学省による上意下達。馴れ合い「教育界」が泥沼化してボウフラがわいた・・・

  これが教員不正人事事件のもう一つの正体である。

  そういえば政治家や官僚のメディア買収というのもある。機密費をつかって同行取材をさせたり、会食にさそったりするアレだ。ひどいのになると金品を渡す。

  これは金銭がらみのみみっちい話にとどまらない。

  政府批判の記事を書かせないようにするためだ。犯罪まがいの醜聞にメディアを誘い込んで、いざと言う時には、「ばらすぞ」と脅かす武器を手にする。

  権力を監視すべきメディアが、政府、官僚批判の記事が書けなくなった一つの理由がここにある。

  口利きや買収の本当の罪は、政策をゆがめ、情報操作をして国民を欺く事にある。

Copyright ©2005-2013 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2008年07月21日

「緊迫」も「躍動」も消えた政治


 「緊迫」も「躍動」も消えた政治


  断っておくが、これは私の言葉ではない。7月21日の日経新聞に出ていた政治記者の田勢康弘氏のコラム「核心」の見出しの言葉である。

  その言わんとしていることは次のごとくである。

 「政治から躍動感が消えてしまった。手に汗握るとか、期待に胸膨らますというものがない。だからいま、テレビで政治を取り上げると、分刻みで視聴率が下がっていくという・・・自民党はいま総選挙をすれば議席の大幅減は必至だから、なるべく来年にしてほしいというのが本音だ・・・民主党にしても、選挙資金が相当不足しているのではないかという見方があり、必ずしも早期解散・総選挙を望んでいるとは言い切れない・・・自民党の中には福田首相のもとでの解散・総選挙は政権を失う可能性が高いと見る人たちが多い。だからといってポスト福田へ立ち上がろうという気配は感じられない・・・民主党でも党首選に意欲を見せているのは河村たかし氏ぐらいで・・・結局(誰も)出馬しないのではないか・・・だれか小沢氏の対抗馬として出馬して、党首選を盛り上げないと国民の支持を失う、という声もあるが、莫大な費用をかけてまで盛り上げる必要があるのかという現実的な問題もある・・・
 日本全体がどこか覇気に乏しく、保身と責任逃れに明け暮れているような感じがあるが、政界もまたその傾向が強い・・・世界経済は明らかに今年後半から大型台風発生の予兆を示している。原材料高と金融システムの不安を抱え、いまこそ、政治が緊張しなければならないときに、あまりにも小さな政権奪取ゲームに明け暮れていないか・・・」

 その通りである。

 しかしこのような立派な意見を書いている田勢康弘氏は、同じ日の夜の、「ビートたけしのテレビタックル」なる娯楽番組に出演して、本業を忘れた与野党の政治家たちとうつつを抜かしていた。

 いまの政治は、与野党の政治家と政治評論家たちの、飯の種としての営業活動でしかないのだ。

  そう思っているうちに、ストリートペーパーであるザ・ビッグ・イッシューの75号に掲載されていた抗議票党(プロテスト ボート パーティ PVP)の事を思い出していた。

 投票用紙に「どの候補もダメだ」と書きなぐったのではせっかくの意思表示も無効になる。しかし、「立候補者のいずれも投票するに値しない」と思いたくなることが確かにある。

 その思いを政党の形で実現しようとする動きが欧米で広がりつつあるというのだ。

 「私たちは、一般市民が投票において『該当者なし』という欄に印をつける権利があると信じている」と語る英国の抗議票党もその一つだ。

 確かに抗議票党の候補者が当選すれば、自動的にその分だけ当選する政治家が減ることになる。

 抗議票党の候補者は、当選と同時に辞任すればいいのだが、繰り上げ当選で他の候補者が当選する事を防ぐために、抗議票党の議員として存在し続ければいい。そのかわり一切の報酬、特権を放棄すれば議員の数を減らす事が出来る。

 「該当者なし」の動きは英国にとどまらない。米国では消費者活動で有名なラルフ・ネーダーが「該当者なし欄」立候補者として大統領選に立候補したり、フランスでは「空白投票運動」、ウクライナの「全員に反対」投票、スペインの「空白で投票」など、民主主義体制のある多くの国に、不投票者を組織し、立候補者すべてを拒否する意思を表示することで現状を変えようと活動する団体が確実に増えつつあるという。

 そういえばサミットやWTOをボイコットして世界の市民をネットワークで結ぶ、もう一つの世界をつくるという動きなども、根底には同様の思想があるのかもしれない。

 このような動きが実際問題として広がっていくかどうかは疑わしいだろう。

 しかしいまの日本の政治と政治家を見ている限り、私がいつも半分冗談で、半分真剣に訴えている、すべての政党、政治家は不要である、という思いが、どんどんと膨れ上がっていく。

 「この豚野郎はどいつもダメだ」(米国のカルト映画監督ジョン・ウオルター)の心境に共感を覚える。

Copyright ©2005-2013 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2008年07月21日

これほど暮らしが危機状況なのに、なぜ緊張感が感じられないのか


 これほど暮らしが危機的状況なのに、なぜ緊張感が感じられないのか

 日本の新聞を代表する読売と朝日が、21日の一面で、奇しくも米国と日本の国民の暮らしの危機的状況を大きく取り上げていた。

 すなわち、読売新聞は、醜悪なまでに貪欲になった金融資本主義の鬼子であるサブプライムローンの破綻の結果、普通の米国国民が、「金も職も希望もなくなった」生活を強いられている現状を報告している。

 家を追われた「ローン難民」が、医療を受ける経済的余裕をなくし死んでいく。名門大学を卒業し、キャリアのある者たちでさえ職探しに困窮して車中生活を強いられる。そういう米国の現状が活写された記事だ。

 その一方で同じ日の朝日新聞一面では、日雇い長距離運転手の過酷な労働状況が書かれていた。自宅を出て13日間、車中で寝泊りして走り続ける。睡眠時間をけずり、パーキングエリアで3分100円のシャワーをとり、ペットボトルに小便しながら走り続ける。それでも年収300万円程度だと言う。

 奇跡的な戦後復興を成し遂げた国と喧伝されていた日本が、なぜこのような人権軽視の国に急速に転落していったのか。

 どう考えても危機的状況あるのに、政府・官僚や政治家には何一つ解決策が提示できていない。それにもかかわらず国民の怒りが一向に政治に向かっていかない。

 その理由はこの国がどんどんと二分化されつつあるからだと私は考えている。

 暮らしの困窮ばかりが報道されるけれど、その一方で生活に困らない恵まれた層が日本を牛耳っているからだと思っている。

 年金だけでおよそ800万円を受け取っている元日銀総裁などの連中と、時給1000円前後の非正規労働者が当たり前のように並存しているのが今の日本だ。

 そして、最も重要なことなのであるが、そのような恵まれた層の中で、ただの一人も、弱者のために自分の地位や財産のほんの少しでさえ犠牲にして、本気で貢献しようとする者が出てこない日本がある。

 ここに私は寂しさといらだたしさを覚えるのだ。

 恵まれた立場の政治家や官僚や評論家や財界人が、メディアと一緒になって政治や経済をまことしやかに語る。

 その一方で、おびただしい数の無名で善良な国民が、声高に叫ぶことなく、だまって助け合いながら毎日を必死に生きている。

 この国は、そのような人たちがいることによってかろうじて保たれている。

 

Copyright ©2005-2013 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2008年07月20日

なぜ防衛予算を削減して国民生活の救済に回せないのか


 なぜ防衛予算を削減して国民生活の救済に回せないのか

  多くの日本人は、聖路加国際病院理事長である日野原重明さんを知っているであろう。

  そして、96歳の高齢でなお現役の医者を続けている彼の誠実な人柄を、多くの日本人は敬意をもって認めているに違いない。

  その日野原さんが7月19日の朝日新聞土曜欄の連載コラム「96歳、私の証 あるがまま行く」のなかで、軍事費を老人医療費に、と次のように訴えておらる。

  ・・・高齢化傾向は今後ますます進み、老人にかかる医療費が増え続けることは明白です。付け焼刃な制度で国民に負担を強いる前に、もっと工夫の余地はあるはずです。
  一つの提案として、自衛隊の維持費や駐留米軍への思いやり予算など、軍事にかかる費用の一部を回してはいかがでしょうか。平和憲法を守るためにも、よいアイデアだと思います・・・

  ふつうの国民であれば誰もがそう思うに違いない。

  20日朝のテレビの政治番組はガソリン高騰の為に漁民の一時休業を取り上げていた。その対応策をめぐる議論の中で、ただ一人共産党の政治家だけが、イージス艦一隻の購入を控えるだけで、漁民を助ける十分な財源が確保される、と指摘していた。

  「イージス艦とは、この間漁船に衝突して沈没させたあの自衛艦船ですが」という解説は、皮肉であるとしても、まさに緊急必要性を考えた場合、この発想が重要である。

  この当たり前の事が共産党議員からしか出てこないところに今の日本の政治家の限界がある。

  今、日本国民の生活は未曾有の苦境にある。それなのになぜ迅速で、的確な問題解決の具体策が講じられないのか。

  それはこの国の予算編成が政治家と官僚に独占されているからだ。

  国民の税金で公務を任せられている彼らが、国民の声を聞くことなく、国民の税金を独り占めしているからだ。

  予算編成権を国民に手に取り戻す。政治改革の本質は突き詰めればここに帰着する事である。  

Copyright ©2005-2013 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2008年07月19日

政府が交渉する相手は沖縄県ではない。米国政府だ。


 政府が交渉する相手は沖縄県ではない。米国政府だ。


  米普天間飛行場移設に関する政府と地元側による協議会が18日、官邸で開かれたという。

  そのニュースを見るにつけ、この協議の不毛さ、ばかばかしさを指摘せずにはいられない。

  政府が沖縄県側とどのような話し合いをしようとも、米国は、06年に日米政府で合意した今の移設案(名護市辺野古崎におけるV字形滑走路の変更は一切認めないと繰り返し強調している。

  仲井真知事が、「滑走路の沖合いへの移動」を求め、町村官房長が「滑走路を沖合いに出してもいい。100メートル出せというなら検討する」(19日朝日)と空手形を切って見ても、米国がこれを認めなければ一人相撲だ。

  そんな米国の強硬姿勢を知っている石破防衛相は、「合理的な理由なくして変更することは困難」(19日東京)などと主張して、沖縄県側の前で政府の足並み不一致を露呈させた。

  こんな調子で政府と沖縄側がいくら話し合っても意味はない。時間の無駄だ。

  政府がまず話し合う相手は、米国政府なのである。

  「県議会選挙の与野党逆転で変更せざるを得なくなった。さもなければ在日米軍全般の見直し要求につながりかねない」と米国を恫喝して、米国に譲歩を迫る事だ。

  今回の協議では、政府と地元の溝が埋まらず、環境影響の評価や危険性除去の問題を検討する二つの作業チームを作っただけで終わったと言う。問題を先送りして終わったという。

  予算とエネルギーの無駄である。

  暑い夏だ。仕事は効率よくなされるべきだ。

  問題山積の政府である。一つでもはやく問題を片付けていくべきである。

  そのために政府が本気になってやるべき仕事は唯一つ。

  それは、地元に圧力をかけて飲ませようとすることではない。地元の意向を米国にぶつけて、国民の前で米国に譲歩を迫る事である。

  簡単な事である。問題解決を遅らせているのは政治家、官僚の米国恐怖症である。

Copyright ©2005-2013 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2008年07月19日

拉致問題が進展しない最大の理由


 拉致問題が進展しない最大の理由

  自民党の山崎拓という議員が、あたかも拉致問題の解決が出来るのは自分しかいない、といわんばかりに行動をしている。

  そんな彼の行動でも、たまには国民にとって役に立つ事はある。

  19日の各紙は、小さい報道ながらも、山崎拓議員が訪中し、中国共産党の王家瑞対外連絡部長なる人物と会談した事を報じている。

  その記事の中で見逃せないのが、王家瑞氏が語った次の言葉である。

 「解決が行き詰っていたのは、何をもって拉致問題の解決とするかの(問題で)日朝間に基準の不一致があるからだ・・・」

  この言葉の意味するところは大きい。いわば拉致問題の核心部分である。

  われわれが政府、外務省から繰り返し聞かされて来た事は

 「拉致問題の解決とは拉致被害者全員の救出である」という事である。

  しかしこの言葉は、実は何の意味も持たない。

  拉致被害者全員とは誰と誰の事を指すのか。我々はいまだかつて一度も政府から具体的なリストを示された事はない。

  そして拉致被害者の救出とは何を意味するのか。

  生きて帰ってくることか。それとも亡くなった者がいたとしてもその死亡が確認されればいいのか。

  何をもって日本政府は死亡が確認されたと認定するつもりか。

  それで日本国民を納得させられるのか。

  実は政府はこのような事について、いまだ一度たりとも国民の前に明確に考えを述べた事がない。

  それにもかかわらず北朝鮮との間では話し合っているのだ。

  政府の考えを示し、北朝鮮側の立場も聞いているのだ。

  そうでなければ中国の要人がこのような発言をできるはずはない。

  拉致問題が進展しないのは、もちろん北朝鮮側の硬直的な態度にある。

   しかし、その北朝鮮側を追い詰めることが出来ない最大の原因は、政府、外務省の秘密主義にある。

   国民に真実を隠しながら北朝鮮側と、落としどころを話し合う、もしそんな外交が進められているとしたら、拉致問題の誠実な解決は望むべくもない。

Copyright ©2005-2013 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2008年07月19日

長銀無罪判決で問われる本当の罪

 長銀無罪判決で問われる本当の罪

  7月18日、最高裁は、一審、二審の有罪判決を覆して、当時の日本長期信用銀行の元頭取らに無罪判決を下した。

  この衝撃的なニュースが日本中を駆け巡った。

  もはやバブル崩壊当時の状況を知らない世代も多くなった。

  だからこの判決の意味を理解できない者がいるかもしれない。

  しかし、バブル崩壊とその後の混迷を見てきた多くの日本人にとって、この判決は、当時の異常な状況を、鮮やかによみがえらせてくれた。

  そして、19日の各紙が報じる今回の無罪判決の評価を読む時、10余年の歳月が我々をして、今、当時の状況を冷静に考えさせてくれるようになった、と、つくづく思わざるを得ない。

  各紙がその記事のなかで、あるいはその社説の中で等しく指摘している事は、おおむね次のごとくである。

  ・・・逆転無罪判決は理解できる。一、二審の有罪判決の根拠となった粉飾決算事件は、旧大蔵省の通達による会計基準整備が周知徹底してなかった過渡期に起きた事件だ。

  経営者の責任は問われるべきであるが、長銀の幹部らだけを犯罪者とするのは法的に無理がある。

  問われるべきは自らの責任回避の為に、裁量行政(護送船団方式)から金融機関の自己責任へと法体制を切り替えた金融当局の行政責任ではないか。

  当時は、巨額な公的資金(税金)を投入して大手金融機関を救済したことに対する国民の怒りをそらすためにも、政府はスケープゴートを必要とした。

  その政府の意を汲んだ検察の国策捜査ではなかったのか。

  一審、二審の有罪判決は、世論の怒りや国策捜査の流れに逆らえなかったのではないか。

  あれから10年余りたって、やっと妥当な判決が出たということだ。

  しかし、これほどの事件が起きて、誰も責任を取らずに忘れ去ってしまっていいものか。

  真の責任者は政府、行政にあるのではないか・・・

  
   私もこのような解説に、おおむね賛成だ。

    しかし、金融行政に素人の私が、この判決の事をブログで取り上げる気になったのは、別のところにある。

  19日の読売新聞は元長銀マンたちの様々な反応について書いていた。

  その中の一人の言葉に次のような自戒の言葉があった。

  「無罪判決を素直に受け止められない。・・・法的には無罪でも、経済人としては許されない行為。経営陣だけでなく、すべての行員も、心の内で責任を感じなくてはいけない・・・」

   そうなのだ。悪い事だと内心気づきながらも組織の一員としてそれを見過ごしてしまう。

  その事が、結果としてどれだけ多くの社会的悪をもたらしてきたか。見て見ぬ振りをすることこそ罪ではないのか。

  その一方で、正義感に駆られて不正を告発したものが、どれだけ割りに合わない処遇を受けてきたことか。つまはじきされてきたことか。

  ここのところが逆転しない限り世の中はかわらないのだろう。

  見て見ぬ振りをする事自体が一つの犯罪であり、不正を告発した者への評価が、その身分が守られなければならないといった受身の立場から、不正の告発者は英雄であるという積極的な評価に変わらない限り、組織犯罪、権力犯罪は決してなくならないだろう。

  日本社会がそこまで変わることができるかという事である。

  長銀幹部の無罪判決が我々に投げかける本当の問いはその事である。

Copyright ©2005-2013 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2008年07月18日

 既存の政党、政治家が信用できない理由の一つがここにある


 既存の政党、政治家が信用できない理由がここにある

  任期満了にともなう山口県知事選は17日告示され、8月3日に投開票されるという。

  しかし、各紙が報じるその記事を見て、私は目を疑った。

  共産党が推薦する元山口県労連議長の新人候補と、4選を目指す現職知事の二人の一騎打ちであるという。

  あるいは私が間違っているのかもしれない。

 いずれ民主党が候補者を出し、その候補者を社民党や国民新党などが応援して、政権交代を争うごとく自公と野党連合の決戦になるのかもしれない。

 あるいは社民党がその他の護憲政党と一緒になって共産党候補を応援し、米空母艦載機部隊の岩国移転反対や、上関原発建設反対を訴えて明確な対立軸を示す選挙になるのかもしれない。

  しかし、報道振りでは、とてもそうは思えない。

  前回の選挙では現職知事は自民、民主、公明の各党の推薦を受けていた。そして今回も、4選禁止の手前自民、公明は県組織の推薦と言うごまかしをし、民主党は県議の自主支援という形をとっているが、事実上は前回と同じ、「与野党相乗り」であると、産経新聞などは明確に教えてくれている。

  護憲勢力が平和や環境などで結束する動きが見えてこない。

  地方選挙は国政選挙ではない、与野党相乗りは茶飯事である、などととしたり顔で説明するものがいる。

  とんでもない政治蔑視の発言だ。

  しかも今回の選挙は、政権交代がらみの政局のさきがけとも言うべき状況の中で行なわれる選挙である。

  年金問題や後期高齢者医療制度の失政は言うまでもないが、物価高騰、国民生活の困窮、地方の疲弊など、これまでの自公政権の誤りを追及する絶好のタイミングの中で行なわれる選挙である。

  もし民主党が独自の候補者を立てないようなら、そして社民党がその護憲の立場を鮮明にし、米空母艦載機部隊の岩国移転反対や、中国電力の上関原発建設反対で共産党や市民団体と一致団結して闘わないのなら、一体彼らは本気で国民の前に政治の選択を迫っていると言えるのか。

  ここに既存の政党、政治家が信用できない理由がある。今の政治が欺瞞に満ちたものであるかを見事に教えてくれている。

  前回の投票率が過去最低の38.22%であったという。当然であろう。選択のしようがない。

  

Copyright ©2005-2013 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2008年07月18日

 国家権力を甘く見てはいけない


 国家権力を甘く見てはいけない


  埼玉県で95年に起きた保険金殺人事件の被告である八木茂の死刑が確定した。

  最高裁が「巧妙で悪質な犯行」であり、「まったく反省の態度が見られない」として、被告の上告を棄却したからだ。

  私は凶悪犯に対する限定的な死刑執行についてはこれを是認する立場である。しかしこの事についてここで議論するつもりはない。

  私は世の中には冤罪事件が多く存在するという事を知っている。しかし八木被告の判決に関して、それが冤罪かどうかを論じるつもりはない。

 私がここで言いたいのは、国家権力の大きさ、強さ、怖さである。

 私は国家権力の誤りを厳しく批判してきた。それは権力そのものが、内在的に巨悪を伴っているものであるという一つの考えを持っているからだ。

 それが言い過ぎであれば、権力は濫用におぼれる、腐敗する、そういう特徴を持っている、といい換えてもよい。

 だからといって国家権力の全てを否定すると社会は成り立たない。無秩序、無政府状態となる。

 そうである以上、国家権力は認めなければならない。

 実際のところ国家権力はおおむね正しく使われているに違いない。

 八木被告の過去のビデオがテレビで流されていた。犯罪を否定し、警察を侮って悪態をついていた。

 しかし、彼がどのようにわめこうが、暴れようが、強がりを言おうが、国家権力はびくともしない。

 そして一瞬にして、国家権力は彼の命を奪い取ってしまう。

 麻原彰晃にしても、その他のいかなる凶悪犯罪人にしても、彼らがどのような抵抗を続けようとも、国家権力の前にはなすすべはない。

 権力の頂点にあった田中角栄でさえも、一瞬にして犯罪人となってすべてを失ってしまうのだ。

 それほど国家権力は巨大である。

 国家権力を決して甘く見てはいけない。

 問題は、国家権力が巨大、強大であるからこそ、国家権力の行使にあたっては、細心の注意が払われなければならない、ということだ。

 国家権力の濫用や、恣意的、不公正な適用は、何よりも残酷、非道な犯罪である、と思って、国家権力は国民から監視されなければならない、ということである。

 人類の歴史の中で、つい最近までは、個人と権力が一体となって思いのままの政治が行なわれてきた時代があった。

 今日の世の中でも、いまだに多くの国において、そのような非民主的な体制にある国が多い。独裁者が跋扈している国が多い。

 しかし、問題は、民主主義のチャンピオンとみなされる米国においてさえ、国家権力の不正、濫用、人権抑圧が行なわれているという現実である。

 そして、その米国を最良の同盟国と仰ぎ、「自由主義、民主主義」という普遍的価値観を最もよく共有している、と主張する日本において、権力の犯罪、不正、冤罪、隠蔽が後を絶たないことである。

 国家権力のすべてが悪いわけではない。むしろ悪は例外的、限定的と思いたい。

 しかし、たとえそれが例外的、限定的であるとしても、国家権力の犯罪は、その国民に与える悪が絶対的、暴力的であるがゆえに、決して見過ごされてはならないのだ。

 国家犯罪を裁く事が出来るのは、国民であり、その結集としての世論である。

 だからこそ国家権力は、その権力を使って、権力に楯突く個人を弾圧し、世論を誘導、情報操作するのである。

  我々は、国家権力の不正を許してはいけない。屈してはいけない。

  そのためには、国家権力を決して見くびってはいけない。

  なんでもかんでも国家権力に楯突いてエネルギーを空費してはいけない。

  本当に戦わなければならない時にそなえ、慎重に事を運ばなければならない。

  

Copyright ©2005-2013 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2008年07月17日

 やはり自民党は終わっている

やはり自民党は終わっている

 昨日のブログで、私は自民党という政党は崩壊していると書いた。

 やはり自民党は終わっている。

 16日、伊吹文明幹事長は、地元京都市の講演会で、消費税増税は必要であり、それを行なうが、それは総選挙の後に先送りして切り抜けたい、という趣旨の事を話したらしい。

 問題は、それをあらわす表現だ。

 「選挙に勝とうと思うと、一種の『目くらまし』をやらないとしょうがない」、と述べたと言うのだ。

 政権政党の幹事長が、ここまで言うのである。

 考えられない事だ。

 ここまでなめられて、それでも自民党に投票する国民がいるのか。

 自民党は終わってしまった。

 総選挙をいつやっても結果は変わらない。

Copyright ©2005-2013 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2008年07月17日

戦争は人間性を狂わす。何があっても容認できない


 戦争は人間性を狂わす。何があっても容認できない

  米国のイラク攻撃と、その後に続く米国の「テロとの戦い」の混乱が、いかに人間性を狂わせる状況をもたらしたことだろうか。

  それを示すニュースがまた一つ報告された。

  17日の東京新聞が、米国のCNNテレビが15日に放映したニュースを、日本国民に教えていた。

  ワシントン特派員石川雅和氏は、それを見て日本国民に伝えざるを得なかったのだろう。

  悪名高いキューバのグアンタナモ米軍基地で16歳の少年が情報当局に尋問されている映像だ。

  アフガニスタンで米兵を殺したとして拷問を受けているビデオである。

   「お母さん」と泣き叫び、両手で顔を覆う様子などが映し出されているという。

  「テロリスト」には拷問も許されると、今でも言い続けているのがブッシュの米国だ。

  日本はそんな米国とこれ以上軍事同盟を進めてはいけない。

  米国は「テロリスト」との終わりのない戦争を続けると公言している国である。

  戦争は人間性を狂わす。

  日本まで人間性を失っていく国になっていく。

  それを我々は黙って見ていられるか。

  祖先や未来の日本人に申し訳が立つのか。

  

Copyright ©2005-2013 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2008年07月16日

追い込まれつつある自公政権

 追い込まれつつある自公政権

    福田首相が今日から21日まで夏休みに入ったと今日(16日)の各紙が報じていた。

    夏休み中に内閣改造について検討するかと記者から質問された福田首相は、「何をかんがえますかね。それを考えましょう」ととぼけたという。福田さんらしい。

    しかし、福田首相がいかにとぼけても、政局は動く。内閣改造があってもなくても、夏休み明けから政局は動き出す。

  どんなに解散・総選挙を引き伸ばしても、どんどんと時間はなくなってくるからだ。

  どんなに解散・総選挙を引き伸ばしても、日本の苦しい状況は更に悪化していくからだ。

  メディアは民主党の代表選挙の事ばかりを書きたてている。小沢民主党の亀裂をことさらに強調する。

  確かに民主党は分裂含みだ。自民党から揺さぶられるおそれは常にある。

  しかし、より深刻な問題を抱えているのは、実は政権政党の自民党と公明党のほうなのだ。

  それを示す記事を月刊文芸春秋8月号に見つけた。

  一つは矢野元公明党委員長の手記である。

  創価学会から人道にもとるような恐喝、恫喝をされ、ついに怒りが爆発したようだ。

 「私はもう76年も生きた。これからは腹をくくって生きていく。いかなる妨害にも立ち向かっていく」と、言い切って、創価学会幹部と徹底的に国会で対決すると宣言をした矢野の手記は超ど級の迫力がある。

 創価学会にとっては最大の危機だ。

 権力を手放す恐ろしさを知っている公明党は、民主党との連携さえ視野に入れ始めたらしい。しかしそのような権力志向の創価学会が一般国民にどう映るか。非常事態である。

 もっと深刻なのは自民党だ。なかでも福田と小泉の激突である。

 小泉の頭にあるのは自分の生き残りであり、次男への政治の世襲である。

 一時は総選挙を任期いっぱいまで引き伸ばし、自民党の延命を期待した時期もあった小泉だが、どうやら最近は自民党はいつ選挙をやっても負けると観念したようだ。

 福田を見限ったのだ。誰が福田の後をついでも勝てないと見切ったのだ。

 だから自民党と民主党を分裂させ比較第一党、もしくはあらたな保守連立を小泉は仕掛けだしたのだ。

 その事を指摘しているのが同じく文芸春秋8月号にあるペンネーム赤坂太郎の政治コラムである。

 中川秀直、前原誠司、小池百合子らをさかんにけしかけ、自分は軍師気取りでいる。

 そのような小泉に福田は怒り心頭に違いない。もともと小泉とは合わない。その小泉が、首相の専管事項である解散時期や、内閣改造についてぺラペラとしゃべり始めた。頭にこないはずはない。

 小泉でなくとも、今の自民党には、福田では戦えないと考える連中が多い。しかも彼らは同時にまた反小泉の面々である。

 要するに、今の自民党は誰も福田を支えようとしていないのだ。

 それを知っている福田は、しかし自民党総裁であり、首相である。絶大な権力を持っている。

 そして、地位に連綿としない福田には、その権力を思う存分発揮できる有利な立場にある。ああ見えても福田は強いところがある。

  要するに自民党は修復できないほどに分裂している。終わっているのだ。

  自公政権は、野党が何をしなくても日増しに追い込まれていくであろう。

  民主党の代表選挙などに目を奪われていては、本当の政局を見失うことになる

 

Copyright ©2005-2013 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2008年07月16日

全漁連一斉休業の行き着く先はどうなるのか


 全漁連の一斉休業の件が、にわかに大きなニュースとなって取り上げられ始めた。こうなることは6月中旬の発表の時からわかっていたはずなのに。

 それにしても16日の各紙の報道振りや論調は見事に一致している。

 すなわち、

  このままではますます選挙を戦えないので政府は支援策を打ち出さなければならない、

  しかし、漁業関係者も、休業を続けて消費者を敵に回すような事をやればしっぺ返しをくらうだろう

 重要な事は、漁業界も価格高騰に耐えられるよう構造改革を進める必要がある。ちょうどいい機会であるととらえ前向きに考えるべきだ、政府もそれを支援すべきだ、

 これである。

 そこにはガソリン税率を引き下げるべきだ、という声はまったく見られない。

 自民党はもとより民主党の小沢党首まで「1000億円の直接支援を」などと、税金のばら撒きの競い合いをやっている。

 減税も、ばら撒きも、元はと言えば一般国民の負担だ。計算上はどちらをとっても同じである。

 それにもかかわらず、ばら撒きの方ばかりが強調され、減税と言う声が聞こえないのはなぜか。

 答えは単純明快である。

 減税は政府、官僚の仕事、権限をなくす事である。

 その反対にばら撒きと言う名の予算執行は、自らの権限誇示、組織拡充の源泉であるのだ。

  それにしても、メディアがそのような政治家、官僚の片棒を担ぐような論調を張って、漁業者と消費者(一般国民)を分断するような真似をすることをどう考えればいいのか。

  メディアが庶民の立場に立たなくなったら、この国の将来は本当に危うい。

 

Copyright ©2005-2013 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2008年07月16日

口利きを公言していた飯島勲元首相秘書

 口利きを公言していた飯島勲元首相秘書

  大分県の教員採用試験を巡る汚職事件が連日ニュースを賑わしている。

  ついに、全面否定していた大分県教育委員会の教育長までが、受験者の合否を県議に事前連絡していた事を認めた。

  メディアはこれを地方公務員法上の守秘義務違反のおそれがある、と書きたてているが、その実態は口利きした県議に、「口利きの件は確かに実行しておきましたよ」と連絡する事にあったことは自明である。

  一体この大分県口利き汚職事件はどこまで広がるのだろう。そして誰がどのような罰を受けて終わりになるのだろう。

  しかし、大騒ぎをするわりには奇妙に白けている。

  みているがいい。この種の権力犯罪の結末は、またもやとかげの尻尾きりで終わることになるに違いない。

  その最大の理由は、この種の口利き疑惑が、長きにわたって、広く、深く浸透してきた現実があるからだ。

  それを皆がしっているからだ。

  関係者を罰しだすときりがないからだ。

  だからといって問題が放置されていいはずはない。

  政治家による口利き疑惑については、本日発売の週刊新潮(7月24日号)が極めてタイムリーな記事を流した。

  小泉元首相の政治秘書であった飯島勲氏が、01年に講談社文庫から出版した著書、「代議士秘書ー永田町 笑っちゃうけどホントの話」のなかで、まさしく教員採用に関する口利きをやっていたことを公言していたのである。

  たまたまこの本は、私もかつて購入して読んだ本だ。あらためて読み直してみた。週刊新潮の報じるとおりである。飯島氏もまさかこんなところでボロが出てくるとは夢にも思わなかっただろう。

  誤報や不正確な情報でたびたび訴えられる週刊誌だが、これは間違いなく事実である。誰もが忘れている01年の著書を見つけてきた週刊新潮の殊勲打である。

  さて、この問題はどう発展するのか。

  これもまた答えは明らかだ。

  見ているがいい。大手新聞やテレビは一切取り上げないだろう。

  それをすると小泉元首相に傷がつく。

  小泉元首相はまだ現役政治家である。しかも、長男孝太郎ともどもメディアにとっては利用価値がある。

  その秘書だった飯島勲氏も、これからの政局報道解説にとって、折に触れ使えるキャラクターだ。彼の発言する内容がどのようにピントはずれでも、何も知らない世論をごまかす事は出来る。

  同じ日に、村岡元官房長官の上告が最高裁で棄却され有罪が確定した。

  もはや落選してただの人になったからこそ、非情に切り捨てられるのだ。

  村岡が無罪だというつもりはない。

  しかし、もし村岡が有罪ならば、なぜ橋本や青木、野中らが一切不問に付されたままなのか。

  この件を報道するテレビ番組の政治記者もキャスターも皆そう疑問を呈していた。

  しかしそこで終わっている。それ以上追及しないのだ。

  この世の中で何が許せないかと言って、権力者の悪を、知っていながら皆で見逃す事ほど許せない事はないだろう。

  たとえ許されたとしても必ずその罪は倍加して降りかかる事になる。自分の良心を裏切り続ける事は、人間であればできることではない。

  モラルハザードほど人間をダメにさせるものはない。

Copyright ©2005-2013 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2008年07月15日

 間違いなく裁判員制度は後期高齢者医療保険制度の二の舞になる


 間違いなく裁判員制度は後期高齢者医療保険制度の二の舞になる


  これほどその問題点が指摘されているにもかかわらず、政府は後戻りできないとみえて、来年5月から始まる裁判員制度を着実に進めている。

  15日の各紙は、今日から裁判所が候補者名簿作成作業に着手した事を報じている。裁判員制度の事実上の始動である(15日東京新聞)。

  裁判員制度導入をめぐる問題点についてはこのブログでも何度も指摘してきた。

  それから後も、数多くの問題点が識者、関係者から提起されてきた。

  それにもかかわらず、国民の間でこれを撤回する動きがまったく出てこない。

  目の前の生活に直接結びつかないからだ。その問題の深刻さに気づかないからだ。

  しかし、見ているがいい。この裁判員制度は、間違いなく後期高齢者医療保険制度導入の二の舞になるに違いない。

   あまりにも不当な制度であることについて、それが実施されて始めて国民は気づく。それは後期高齢者医療制度の時とまったく同じである。

   気がついたら後の祭りだ。どんなに文句を言ってみても、一旦始まった制度は容易には廃止されない。それも後期高齢者医療保険制度の場合とまったく同じだ。

   小泉政権の時に、小泉改革の一環で導入された。それも後期高齢者医療保険制度の場合とまったく同じだ。

   裁判員制度の何が問題か?数え上げたらきりがない。

   しかし、次の諸点を思い起こしただけで十分である。

   まず、その必要性がさっぱりわからない。

   表向きは、裁判に市民の常識を取り入れ国民の裁判に対する理解増進と信頼を向上させる、ということらしいが、こんな理由を額面どおりに受け取る国民がいたらよほどお目出度い。

   たとえそうであったとしても、このくそ忙しいのに、それだけの理由で導入するか。

   制度の欠陥に至っては、山ほど指摘される。

   民事事件こそ庶民感覚が必要なのに、なぜ刑事事件に限るのか。

   国民間に公平さを持たせるのであれば順番にすべての国民に経験させるべきところを、なぜ抽選で一部を選ぶのか。

   笑ってしまうのは、裁判官を辞退できる国民の基準である。
  
   たとえば売れっ子のホステスの場合は、裁判員による時間拘束が商売の利益に影響を及ぼすから認められるが、売れっ子のホステスでなければ辞退できないという。

   こんな恣意的判断で裁判員が決められては、裁かれる者もたまったものではないだろう。

   見ているがいい。裁判員制度は来年5月の実施が近づくにつれて、大きな問題となってくるだろう。
   もっともその頃の日本は、裁判員制度などどうでもいいほど大きな国難に見舞われているかもしれないが。

   

   
   

Copyright ©2005-2013 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2008年07月15日

外務省の対中外交に知恵を与える


 外務省の対中外交に知恵を与える

  傍目で見ていて気の毒に見えるほど、とくに最近の外務省の外交は行き詰っている。

  対米従属外交の破綻のことではない。

  日本の対アジア外交の行き詰まりだ。

  小泉喧嘩外交の反動で、福田外交の協調路線が目立つようになった。

  しかし、国際政治はそれほど生易しくはない。

  戦略なき外交は、甘く出れば出るほどなめられる事になる。

  「人の嫌がることはしない」という福田外交は、基本的には正しいと思う。

  しかし、その事と、事なかれ主義とは似て非なるものがある。

  一連の対中国、韓国、北朝鮮外交は、アジアを敵視、蔑視する右翼ならずとも、首を傾げたくなるほどの譲歩振りである。

  一番最近の例では竹島領有権をめぐる教科書要領「解説書」騒動だ。

  文部科学省に無念な思いをさせてまで外交的配慮をしたにもかかわらず、猛烈な批判を韓国から受けている。福田首相にしてみれば、どうすればいいんだ、という心境に違いない。

  そんな中で、外務省に読ませたい記事を見つけた。7月15日の東京新聞「本音のコラム」の中で、「五輪と偏見」と題して鎌田慧が重要な指摘をしていた。

  北京五輪を三週間後に控えた中国が「精神病、ハンセン病、性病、開放性肺結核などの伝染病に罹患している」外国人は入国を拒否する、とHPに掲載しているという。

  これを見つけた「ハンセン病市民学会」は驚き、そして行動を起こす事にした。

  ほかの病気の患者さんの入国禁止も問題だが、とにかくハンセン病については中国政府に方針撤回をするよう、中国大使館と日本政府(厚労省)に要望書を提出し、記者会見を行なったのだ。

  これに参加した鎌田氏は次のように書いている。

 「・・・6月の国連人権理事会では、日本政府が提案して『国連加盟の各国はハンセン病患者とその家族に対するすべての差別を撤廃するための措置をとる』との決議案が可決され、中国もその共同提案国だった・・・参加がモットーの世界的な祭典で、差別と偏見が助長されるのは時代への逆行であり、悲しい事だ・・・」と。

  鎌田たちの要請を受けて外務省は、近く北京で開かれる局長級の「日中人権対話」で是正を働きかけるという。

  外務省は本気で中国に撤回を求めるべきである。

  その交渉過程と中国の対応を公開すべきである。

  理は日本側にある。中国側としても対応を変更せざるを得ないであろう。

  筋を通せば中国の政策も変えさせる事が出来る、この事を外務省は天下に示すべきである。

  この交渉の成り行きを日本のメディアはフォローして国民に知らせるべきである。

 

Copyright ©2005-2013 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2008年07月15日

ガソリン価格高騰と平成一揆


 ガソリン価格高騰と平成一揆

  全国の漁業者がきょう一斉に休業する。漁船20万隻すべてが参加する。歴史的な事件だ。

  私は6月26日のブログで、これはストライキだ。条件闘争だ。今のガソリン価格では漁業は壊滅する、というほど差し迫った事態には、まだ至っていないに違いない、と書いた。

  しかし、それから20日近くたって、予告どおり操業を一日休業する事を報じるニュースでは、本当に
日本の漁業はこのままでは全滅する、という事を伝えている。

  もし、それが本当であれば、これはストライキではない。条件闘争ではない。生き残りをかけた死に物狂いの訴えだ。
  
  そこまで差し迫った状況に思いが至らなかった私の不明を詫びなければならない。

  その上で、私は訴えたい。

  ガソリン価格高騰で生き残れないのは漁業界だけではない。

  全国トラック業界はどうだ。ガソリンスタンド業界はどうだ。石油燃料に頼っている多くの製造業界、サービス業界はどうか。

  そして何よりもあらゆる物価高騰の最後の転嫁先である一般消費者はどうか。

  そう思っていたら、7月15日の朝日新聞が、原油高で首都高速利用者が減り、高速道路建設費用の借金返済に影響が出る、という記事を書いていた。

  国民経済のあらゆるところが、ガソリン価格の高騰で悲鳴を上げているのだ。

  全国の漁業者よ。政府に燃料高騰の補填を求めたり、消費者やスーパーに価格転嫁を訴えたりすることはやめよ。

  そのかわり、原油価格高騰に等しく苦しんでいる全国の業者、国民に呼びかけて、平成一揆を起こす事だ。

  ガソリンにかかっているもろもろの税金を撤廃させ、米国金融資本の投機マネーによって引き起こされたガソリン価格の異常な世界的高騰に、政府が対応するよう求めるのである。

  財務省主導の政府は、減税で減った財源をどこに求めるのか、ときまって反論するだろう。

  答えは簡単だ。米国から買わされる膨大な防衛装備を、一年や二年凍結すればいいだけの話だ。

  安全保障はどうするかって?

  バカな事を言ってはいけない。

  北朝鮮が日本にミサイルを撃ち込んでくる前に、日本国民は疲弊してつぶれてしまう。

  国民生活の差し迫った脅威は目の前にある。

Copyright ©2005-2013 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2008年07月14日

放射線影響研究所という名の財団法人


 放射線影響研究所という名の財団法人


 7月13日の毎日新聞「発信箱」というコラムに、広岩近広編集委員が興味深い記事を書いていた。

 「放影研にのぞむ」というタイトルの、その短いコラムは、「放影研には信頼を損ねることのない決然とした対処を求めたい」という注文で締めくくられている。

 彼が言いたい事はこういう事である。

 「・・・原爆症認定集団訴訟で国側が連続敗訴しているように、残留放射線による内部被爆の影響はもはや無視できない事が明らかになった。

  体内に入った放射線物質は組織細胞を傷つけ、がんに限らず種々の病気との関係も否定できなくなってきた。

  それは被爆者が、いわば命と引き換えに残したカルテの積み重ねによってもたらされた結晶だ。

  放影研の将来構想を検討する日米の上級委員会は先月、今後20年間は被爆者の寿命、健康調査を継続する、と提言した。

  しかし、被爆の影響調査は、そのような時限制で打ち切るのではなく、その影響の詳細が明らかにされるまで、最後まで続けられるべきである。

  調べていくうちに、米国が知りたくないような被爆データが増えていくだろう。しかしそれを避けてうやむやに終わらせてはならない。国民の信頼を損ねるような事をしてはならない・・・」

  この要旨を読んだだけでは、読者はまだぴんと来ないかもしれない。

  しかし彼が指摘している次の事実を知ると、この問題もまた、対米追従の日本政府に対する、痛烈な警鐘である事がわかる。

  放影研(正式名称は放射線影響研究所)の前身は、終戦直後の1947年に、米国原子力委員会の資金で作られた原爆傷害調査委員会である。

  その原爆傷害調査委員会は、被爆者を呼びつけては、モルモットのように検査しても、治療はしなかった。

  この委員会は、明らかに初期放射線の影響を知る目的のために米国がつくった。

  そして、このデータは「使える核兵器」の研究に利用された、具体的には小型の地下貫通核兵器だ、と広岩編集委員は推量する。

  そして、その初期放射線データが揃ったと判断した米国は、日本国民から批判された米国専管の原爆傷害調査委員会を、日米共管理の財団法人に切り替えた。それが1975年にできた放影研である。

  原爆被害者は老齢化し、やがていなくなる。使える核兵器製造の為にデータも十分揃った。だからあと20年もしたら放影研も不要となる。日米共菅の財団法人にして、やがてなくしていけばよい。

  もし米国がそのように考えているのなら、今こそ日本はそれを引き継いで、唯一の被爆国として核兵器の非人道性を、「命のカルテの積み重ね」によってもたらされたデータをつきつけて、糾弾していくべきではないか。非核化の世界の実現を訴えていくべきではないのか。

  広岩編集委員はそう訴えているのだ。

  しかし、残念ながらそうならないだろう。

  調べてみると、財団法人・放影研は見事な天下り機関である。

  外務省、厚生労働省OBが理事に名を連ねている。三十数億円の補助金が日米双方から負担され、その殆どが人件費に消えている。

   核兵器廃絶に向けてその存在感を示すどころか、補助金目当てのその他大勢の天下り機関になってしまうに違いない。

  

  

  

Copyright ©2005-2013 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2008年07月14日

英雄となったある内部告発者


 英雄となったある内部告発者

  今でこそ食品偽装問題はあたりまえのように頻発しているが、その嚆矢ともいえる雪印食品偽装事件の事を、皆さんは果たして記憶しているだろうか。

  2002年1月に発覚し、雪印乳業の子会社である雪印食品を消滅に追い込んだ一大社会事件のことである。

  この事件の凄さは次の二点に集約される。

  一つは、告発が、身元不明の内部関係者から行なわれるのではなく、雪印食品の取引先である冷凍倉庫会社(西宮冷蔵)の社長から起こされたという事である。

  二つには、告発した西宮冷蔵が、その後、業界と行政の様々な圧力、いじめにあって、円滑な仕事が出来なくなり、倒産に追い込まれた、ということである。

  実は私はこの西宮冷蔵の水谷洋一社長とわずかばかりの面識がある。

  関西の政治娯楽番組「たかじんのそこまでいって委員会」という番組に一緒に出演したことがあったからだ。

  真っ向から権力を批判する私は、やがてその番組に呼ばれなくなるのだが、当時は外務省を批判した官僚というきわもの扱いで二、三度その番組に出演した事があった。

  橋下徹大阪知事もそのころまさに売り出し始めであり、三宅久之や宮崎哲弥とならんで常連のコメンテーターだった。

  その番組で水谷社長と偶然知り合い、それ以降水谷社長の奮闘振りを見つめてきた。

  聞けば聞くほど気の毒な話であった。正しい事を言ったのに、悪者扱いされて会社までつぶされてしまったのだ。

   食品偽装問題などは、その多くは、行政がその気になっていれば未然に防げていたはずのものだ。ところが現実は行政の仕事の怠慢がある。告発を受けても真剣に対応しない不作為の罪がある。

   もっとひどいのは、知っていながら手心を加える共犯まがいの実態すらある。

   だから水谷社長のように身分を明らかにして正面からそれを告発するのは、いわばお上に対する反抗でもあるのだ。だから潰されるのだ。

  しかし、水谷社長はくじけなかった。

  その彼を支える多くの反骨魂の人たちがいた。

  反権力を標榜する月刊誌「紙の爆弾」(鹿砦社)代表松岡利康氏もその一人だ。

  ついにそのストーリーがNHKでドラマ化され放映される事になったという。

  7月30日午後10時から「たった一人の反乱」と題して全国放映されるという。

  主役の候補者は俳優の竹中直人であるという。

  これはすごいことだ。この番組は必見の番組だ。まさに人間ドラマだ。

  NHKに敬意を表するとともに、心から水谷社長とその支援者にエールを送りたい。

Copyright ©2005-2013 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2008年07月14日

日米関係に何が起きているのか


 日米関係に何が起きているのか

  今日は新聞休刊日だからテレビ報道ぐらいしか騒いでいないが、この週末には見逃がせない動きが起きている。

  一つは米環境保護局が11日、温室効果ガス排出を規制するのは「不適当」との見解を公表した事だ。
  11日といえばサミットでブッシュ大統領も含めた主要国首脳が、「2050年までに世界全体の温室効果ガス排出量を半減するとの長期目標を共有する」と世界に向かって宣言した直後だ。

  議長国日本は、環境問題で前進させることができた、責任を果たした、と自画自賛した。

  一体どうなっているのか。

  米環境保護局はブッシュ政権そのものだ。そのブッシュ政権が、サミット直後に、経済活動に悪影響がある、と言って規制に反対だと世界に向けて公言したのだ。

  サミットでは、また、北朝鮮に対し、拉致問題の解決、核廃棄への完全検証を求める事で合意された、と日本では喧伝された。

  しかし、その直後に中国で行なわれた6カ国協議は、すべてを先送りしたまま、交渉の形跡もなくあっという間に終わってしまった。

  6カ国協議の結果を13日の朝刊各紙はこぞって書いていたが、それを読んだ国民の果たして何人が、その記事を理解したと言うのか。

  あらためてそのすべてを読み返してみた。

  どうみても米国の一方的な譲歩だ。筋を通そうとしている日本が孤立している。

  北朝鮮に見返りの援助をしていないのは日本だけだ、足を引っ張るな、と責められている。

  一体どうなっているのか。

  そんな中で、韓国の観光客が北朝鮮の兵士に射殺されるという事件が起きた。

  これほどの大事件が起きたと言うのに、米国も中国も北朝鮮を非難する形跡はない。

  そのせいなのだろう。北朝鮮は、すべての責任は韓国にある、と言出だす始末だ。

  韓国は真相究明への共同調査を求めると言っている。当然であろう。

  はたして北朝鮮がそれに応じるか。

  日本も拉致問題で同様の要求をしているはずだ。

  だから今回の事件でも北朝鮮の出方が一つの試金石となる。

  しかし、まず100%、まともな調査は行なわれないであろう。

   本来ならば日本と韓国が一致協力して不透明な北朝鮮に迫るべきであるのに、日本と韓国は竹島領有権を巡る教科書記述で、またもやもめている。

  一体何が起きているのか。

  報道を見ているだけでは何もわからない。

  報道関係者はもちろんすべての真実をつかんではいないし、つかむ事もできない。

  しかし、少なくとも次の一点だけはわかっているはずだ。

  つまり、最近の一連のアジア外交は、米国・中国・北朝鮮の間で密かに話し合われ、それにもとづいて進んでいる、ということだ。

  だから、「米国との緊密な連携を保って拉致問題、核問題を解決する」という日本政府の言い草は根拠のない間違いだということだ。

  政府が、知っていながらそういっているのなら、国民を欺いていることになる。

  知らずにそういっているのであれば、度し難い対米追従ということだ。

  メディアが書くことはこの事である。

  日本がおかれている立場の危うさである。

  

  
  

Copyright ©2005-2013 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2008年07月13日

 自衛隊のサマワ派遣は憲法9条違反ではなかったのか


  自衛隊のサマワ派遣は憲法9条違反ではなかったか

  陸上自衛隊がイラクのサマワから撤収して2年が経つ。

  今では国民のほとんどが忘れ去っている。

  しかし、その記憶をよみがえらせるかのように、13日の東京新聞が一面でスクープを掲載した。

  自衛隊統合幕僚監部から独自に入手した資料によれば、陸自への攻撃が13回あり、22発が宿営地およびその近辺に着弾したという。予想以上の危機的状況だったという。

   果たしてサマワは、政府が主張していたような「非戦闘地域」であったのか。

   ここで思い出さなければばらばいのが、4月17日に名古屋高裁で下された判決文である。

  この判決は、自衛隊のイラク派兵によって平和生存権を侵害されたとして損害賠償を国に求め、イラク派兵の即時差止めを要求した訴訟である。

  裁判所の判決は、原告側に損害賠償請求を認めるだけの十分な理由はないと却下し、国が勝訴させた判決であった。

  しかし、その結論を導き出す判決文の中で、首都バクダッドはイラク特措法にいう「戦闘地域」にあたり、そのバクダッドへ多国籍軍への空輸活動を行なう事は、多国籍軍の武力行使と一体化した行動であるとして、専守防衛を定めている憲法9条への明白な違反である、としたのである。

  この判決の画期的なところは、政府の命令によって行なわれた自衛隊の行動が憲法9条違反であると断じたところである。戦後始めて自衛隊の行動が違憲とされた。

  この判決のもっとも重要なところは、「憲法解釈において政府と同じ立場をとり、さらに自衛隊派遣の直接の根拠となっているイラク特措法が合憲(つまり憲法9条の趣旨から見て認められる)であるとの判断に立ったとしても、バクダッドへの空輸は違憲である、と考えざるを得ないとしたところにある。

  つまり立場を超えて、誰が見ても違憲である、としたのだ。

 その背景には、もちろんイラク情勢の悪化がある。もし米国のイラク攻撃が、一時的な混乱の後に、あっさり鎮圧されていたならば、このような判決はありえなかった。

  イラク派兵差止め訴訟も続かなかった。

  しかし、イラク情勢は誰の目にも戦争状況が悪化し、しかもひどくなっている。

  そして原告側が提出した数々の自衛隊空輸の現実を示す資料は、いやしくも裁判官が事実から目をそらさずに「法の支配」を誠実に実現しようとするならば、もはや違憲以外の判断を下せない状況であることを示したのだ。

 同じ事は、このサマワでの陸自の活動に関しても言えるのではないか。

 米国自身が認めているように今日の戦争の最大の敵は国家ではなく武装抵抗組織(テロ)である。

 陸自に対して行なわれた13回の攻撃が陸自の活動に反発した武装抵抗であることは明らかである。

 宿営地に迫撃弾やロケット弾が着弾した事が、攻撃を受けたという事ではないと言い張る事は詭弁でしかない。裁判官がそのような判断を下せるはずはない。

 東京新聞が入手したという統合幕僚監部の資料を基に、平和を願う人々の間から、あらたな違憲訴訟が起きるかもしれない。

 重装備したサマワへ自衛隊を派遣した事が、憲法9条はおろかイラク特措法にも違反していたのではないか、という違憲訴訟が起きるかもしれない。

 「どこが戦闘地域でどこが非戦闘地域などと、自分にわかるはずはない」などという政治家の粗雑な発言とは異なり、司法の場において、どの裁判官が「サマワが非戦闘地域である」などと、と言い切れるのだろう。

  8月下旬から始まる臨時国会の最大の政治課題は自衛隊のアフガン派遣だと取りざたされている。

 その議論を深めるためにも、野党議員はまず、この東京新聞のスクープを活かし、自衛隊サマワ派遣に絞っての違憲性を追及すべきである。

Copyright ©2005-2013 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2008年07月12日

民主党代表選の重要性を強調する愚


 民主党代表選の重要性を強調する愚

  政局がらみの報道を見ると、どの報道も、どの政治評論家も、9月21日の民主党代表選挙の重要性を強調している。

  そして今日の新聞の社説だ。

  毎日新聞は、「無投票ではもったいない」と題して、対抗馬が出馬してきちんと選挙を行い、党内論戦を深めるべきだ、などと言う。

  産経新聞は、「政策論争の好機を失うな」と題して、小沢党首の三選を支持する声が党内で相次いでいることを、「これでよいのか。党首候補が本格的な政策論争を展開し、政権を担える政党であることを国民の前に示す事がなによりも必要な時である」などと書いている。

  これほどおかしなことはない。

  自民党を応援している者がそういうのはわかる。民主党が分裂、混乱すれば敵失の利が得られるからだ。

  小沢憎しの連中がそういうのはわかる。小沢代表の無投票再選はしゃらくさいからだ。

  しかし、民主党を応援している者までがそういうのはおかしい。

  ましてや民主党議員の中で、対抗馬擁立や、民主党内の政策論争を必要だ、などという者がいるとしたら、その連中は、政権をとる、という事がわかっていない連中だ。

  自民党と民主党の決定的な違いは何か。

  それは政権を握っている政党とそうでない野党の違いである。

  そしてこの違いは、計り知れないほど大きい。

  政権政党がどのような派閥争いをしようとも、議員の中でどのような政策対立、権力闘争があろうとも、政権を維持するという一点で必ず結束する。

  なぜならば、政権を手放した時点ですべてが無意味になるからだ。

  しかし、政権を取れていない政党が、いかに政権に近づいているからといって、自分たちの政党が政権を取ったらこういう政策を行ないますという事を、争っても意味はない。

  政権を取れないうちから政策論争をしているようでは、政権を取れるはずはない。

  民主党の最優先の課題は確実に次の選挙で政権交代を実現させる事である。

  実現させる事に自信がないから、大連立とか政界再編とかの話に惑わされ、結果として政権交代を遠のかせる失敗をおかす事になるのだ。

  そうして、政権交代を望む国民を失望させるのだ。

  政権交代を望むものは、民主党を好きだから応援しているのではない。

  これ以上自公政権が続けばこの国は救われないと思っているだけだ。

  政権交代には民主党しかないから民主党を応援するしかないのだ。

  そのためには、結束して自公政権にぶつかるしかないではないか。

  考えても見るがいい前原で民主党がまとまれるというのか。自民党とガチンコ勝負をして政権を取れるというのか。

  同じ事はかつて党首を経験した岡田にも言える。ましてや仙石や枝野や野田が民主党を背負って国民の前で自民党とたたかえると考える国民は、一人もいないであろう。

  好き嫌いは別にして、小沢民主党しかないだろう。

  今民主党に求められている事は、一日も早く解散・総選挙に向けた選挙公約を纏め上げ、自公政権との対決姿勢を強めていく事だ。

  小泉偽改革路線を否定できないでいる自公政権に対して明確な対立軸を打ち出して国民に信を問うしかないのだ。

  国民もそれを望んでいるのだ。

  それで勝てないなら政権取りをあきらめればいいだけの話だ。

  国民が、この期に及んでも政権交代を望まないのであれば、もはや解決能力のない自公政権と、とことんまで心中していけばいいだけの話である。

  

Copyright ©2005-2013 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2008年07月12日

規定路線になりつつある自衛隊のアフガン支援とその矛盾


 規定路線になりつつある自衛隊のアフガン支援とその矛盾

  臨時国会が異例の8月に始まる理由は、来年1月に期限が切れる新テロ特措法に変わるあたらな支援法を、想定される野党の反対を押し切って自然成立させるためである。

  新しい支援法には、イラクやインド洋における対米支援策にとどまらず、あらたな自衛隊の活動が追加される。

  そして、その対象が、どうやらアフガンにおけるテロとの戦いに協力する事になりそうだ。

  そのアフガン支援策に関し、12日の東京新聞と産経新聞が、政府案なるものを報じていた。

  東京新聞はアフガン本土での陸自派遣による人的支援拡大が政府の視野に入っているという。

  しかしこれは危険を伴う。

  サマワと同様に安全なところを探して人道援助を繰り返すという愚を繰り返すのか。

  バクダッドと同様に空自が物資輸送を行なうのか。

  いずれにしても、それはまやかしであり憲法9条違反である事を、もはや国民は知っている。

  それよりもなによりも、今のアフガンはイラク以上に危険だ。どのような形にせよ、派遣される自衛隊員に犠牲者がでる可能性は、今までより高くなる。

  いくら米国に頼まれたからといって、あるいは対米従属の外務省に頼まれたからといって、福田首相にその政治決断できるだろうか。

  その一方で産経新聞は、インド洋にある米軍基地ディエゴガルシアと、オマーン、ジブチにある米国基地の三角地帯にP3C哨戒機を飛ばし、警戒監視飛行を行なう案が有力案として残ったと報じている。
  これだと不審船を発見した場合でも米国に通報するだけでよく、あとは多国籍軍が対処してくれるので安全だというのだ。

  考え方があまりにもお粗末ではないか。あまりにも矛盾しているではないか。

  それにしても、なぜ今アフガン協力なのか。

  この時期に自衛隊のアフガン支援を急ぐ政府や外務省、防衛省の対応は、あらゆる意味で無理がある。

  最終的にどのような協力に落ち着くのか、我々はこの眼でしっかり見届けなければならない。

Copyright ©2005-2013 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2008年07月12日

小泉構造改革ーもう一つの罪(その2)


 小泉構造改革ーもう一つの罪(その2)

  私は昨日(11日)のブログで小泉構造改革のもう一つの罪として、なんでもかんでも改革が悪いという風潮を作り出す危険性がある事を書いた。

  つまり本当の改革までつぶしてはならない。改革つぶしを目的にする連中に、小泉偽改革が利用されてはいけない、という事を書いた。

  今日のブログでは、同様に、小泉改革と同義語のように語られる規制緩和について、規制緩和どころか、かえって規制強化が進んでいる、という話について書いて見たい。

  12日の朝日新聞が規制強化の危険性を指摘した記事を掲載していた。

  松村愛、竹中和正の二人の記者によるその記事の主張は次のとおりである。

   ・・・小泉政権が進めた規制緩和が「格差拡大」や「競争過熱」などのひずみを生んだ。その反発で規制強化の動きが急速に広がりつつある。

     タクシー規制強化、日雇い派遣規制強化、有害サイト規制強化など、さきの通常国会で次々と「規制強化」法案が成立した。

     それは本当に国民生活のために必要な規制強化なのか。

   規制緩和の反動から、なんでも規制強化に走れば、経済活動を萎縮させるおそれがあるばかりか、国家権力の介入を強化させる事になる・・・

   その通りだと思う。

   規制強化の法案作りに励む官僚たちは、国民生活の為という名目の裏で、まちがいなく自分達の権限強化を狙っているのだ。

   小泉偽改革の罪は重い。

  官から民への合言葉は、官僚の権限を制限して、民間主導に委ねる事であった。

   小泉首相もその事を考えていたと思う。

   しかし、彼は官僚組織を敵にまわす事をおそれた。

   三流官庁である郵政省を叩き、郵政民営化を行なえば、あとはまったくやる気をなくした。

   偽改革のために、改革の目的である官僚組織の権限削減が、かえって権限強化に終わってしまったとすれば、それはほとんど冗談だ。

   しかし、その冗談が今まさに行なわれようとしている。

Copyright ©2005-2013 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2008年07月11日

 新しい安保闘争を起こすべき時だ


 新しい安保闘争を起こすべき時だ


  私は外務省を辞めて、にわか平和主義者に祭り上げられた。しかし祭り上げられたおかげで、平和について本気で考えるようになった。

  そして今私は、にわか平和主義者から本物の平和主義者になった。最強の憲法9条護憲論者となった。

  しかし、私は、「平和は素晴らしい」と唱えるだけの平和主義者ではない。

  日本が世界に誇れる平和国家になるためには、まず安保体制をなくさなければならないと考える、強烈な反安保主義者だ。

  60年の安保闘争にも、70年代初めの全共闘運動にも、私はかかわる事はなかった。その意味で私は安保闘争参加者ではない。

  その私が今あらたな安保闘争を訴えている。安保世代や学生運動世代がおとなしくしくなってしまった今の日本において、いまこそ安保反対の動きを起こす時ではないか、

と訴えている

  なぜ私が安保体制をなくすべきだと訴えるのか。それは安保体制こそ平和の敵であるからだ。

  憲法9条を真っ向から否定する軍事同盟であるからだ。

  そしてその日米軍事同盟が、もはや日本を守る軍事同盟ではなく、戦争国家米国を一方的に支えるだけの軍事同盟に成り下がってしまったからだ。

  「安保」に触れることなく「平和な日本」を賛美する事は嘘だ。

  そういう私の思いを、大声で訴え続けている人がいる。

  元米国海兵隊員で沖縄に駐留した事のあるダグラス・ラミス、その人である。

  彼は今、沖縄に住み、沖縄9条連の代表として、在日米軍から沖縄を解放すること、日本から安保体制をなくすことに情熱を傾けている。

  彼は言う。

  「安保」という言葉自体がタブーになった。憲法9条を支持している人々の中に安保を支持している者もいる。支持しないまでも、特に反対していない者もいる。「安保」に触れないで「平和な日本」を賛美すると、出発点が嘘になる・・・

  見事な指摘である。

Copyright ©2005-2013 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2008年07月11日

小泉構造改革ーもう一つの罪


 小泉構造改革ーもう一つの罪

  「小泉構造改革の揺る戻しが随所で起きている・・・」

  こういう書きだしで始まる平野春木氏の政策ウオッチ(7月10日付朝日)は、小泉偽改革のもう一つの罪を見事に言い当てている。

  小泉改革の罪は何か。それは改革という耳障りのいい言葉で国民を翻弄し、その実はこの国を米国流の弱肉強食の競争社会に変えてしまった罪だ。

  その背後にはもちろん米国金融資本の日本乗っ取りがある。

  しかし、小泉構造改革の罪はもう一つある。

  それは小泉改革が悪いからといって、なにもかも改革が悪いと、真の改革まで逆戻りさせる危険をもたらした罪である。

  改革が悪いのではない。改革すべきところをせずに、改革してはならないところを変えてしまった偽小泉構造改革が悪いのだ。

  平野春木氏の記事は、診療報酬明細書(レセプト)の電子化を通じたオンライン請求が、遅々として進まない事を憂いている。

  医療費削減の名の下に弱者を切捨てる医療改革はもちろん間違いである。

  しかし、無駄をなくし、経費を節約する改革は必要である。

  ところが3年前に方針が決まった診療報酬明細書(レセプト)審査の効率化が遅々として進まない。

  政府の規制緩和改革会議の松井道夫委員(松井証券社長)は、「人員はこんなにいらない。診療報酬点数表とのチエックも電子化で瞬時に実現する」という。

  ところが現実は、いまだに病院から届く年8億件以上のレセプトのチェックの大半が、社会保険診療報酬支払基金という天下り組織の事務職員5300人の手作業だという。

  このための人件費が年に約500億円もかかっているという。

  効率化には人件費削減が避けられない。そのために人員を削減する事は避けられない。

  しかし、雇用を奪われてはたまらないと、既存の行政組織や天下り組織がいつまでも温存されれば、つまるところは国民の間で税金の奪い合いになってしまう。

  証券会社の社長が政府の規制改革会議の委員になってオンライン化を進める事についての適否の問題はあろう。

  しかし、改革はすなわちリストラだといって、改革をすべて悪者にすることもまた間違いである。

  重要な事は、何のための改革か。誰のための改革か。それを見極める事だ。

  小泉構造改革の罪は、まさにそのところをごまかして逃げた事にある。

  

Copyright ©2005-2013 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2008年07月11日

 小泉元首相と三熟女


 小泉元首相と三熟女

  今朝のテレビ報道で、三熟女に囲まれた小泉元首相のうれしそうな顔が流され、朝刊各紙が写真入でそれを報じていた。

  小池、佐藤、猪口と言った、何の脈絡もない三人の自民党議員が共著を出したという。

  その出版記念パーティだという。

  なぜか女性に囲まれるところにいつも顔をだす小泉元首相だ。

  ますます髪が長くなってきたようだ。

  これもおきまりの光景だが、政策に関係のない話になると、やたらに饒舌になる。

  そっくりさんが出てきて掛け合い漫才をやって会場を沸かせる。

  広告会社の安物の演出通りだ。

  山本モナと二岡のデート話と一緒に、これが芸能ニュースやゴシップ欄で報じられるのであればわかる。そう思って眺めれば楽しめる。

  しかし、それが堂々と政治面で取り上げられ、政治記者がまじめにそれをコメントするところに、この国の政治報道の不真面目さがある。情報操作の匂いがする。

  考えてみるがいい。小泉、小池、佐藤、猪口。この顔ぶれで、今の日本が苦しんでいる格差問題、年金問題、医療問題、インフレ問題が解決できるというのか。

  バブルに便乗し、弱者を踏み台にして自分だけいい思いをしてきた政治家ばかりではないのか。

  そういう連中が、選挙を意識して、さらなる権力を求めようとしているだけではないのか。

  このニュースをおもしろく受け止め、目くじらをたてるなと受け流す恵まれた人たちがいる。

  その一方で、彼らの産み落とした無責任な政策のために、厳しい毎日を黙々と汗水たらして働かされている人たちがいる。

  この国の国民は間違いなく分裂しつつある。分裂させられようとしている。

  次の選挙は、どちらが勝つか、負けるかの選挙となる。

Copyright ©2005-2013 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2008年07月10日

「沖縄ビジョン」を決定した民主党


 「沖縄ビジョン」を決定した民主党

 9日の各紙は、一段の小さな記事で、民主党が8日の「次の内閣」会議で、民主党の沖縄政策の基本となる「沖縄ビジョン」の改訂版を正式決定した、と報じた。

 寡聞にも知らなかったが、改訂版というから、すでに民主党の「沖縄ビジョン」なるものは存在していたということだ。

 それがどのようなものであったかはともかく、今度の改訂版では、「普天間基地の県外移転の道を模索すべき」とし、「戦略環境の変化を踏まえ国外移転をめざす」としているという。

 また、日米地位協定についても、「抜本的な改定を早急に実現する」としているという。

 「沖縄ビジョン」をもって、民主党が直ちに日米安保体制をなくそうとしているものではない事は明らかだ。

 しかし、小泉政権の時に合意した普天間基地移転計画はもともと日本側から提案したものであり、それを米国が受け入れた以上、更なる変更を日本側がしてきても受け入れられない、と米国側は繰り返し強調している。

 さらにまた、普天間基地移転計画と沖縄海兵隊の削減などとはパッケージで合意したものであり、もし普天間基地の移転計画が変更されることになると、これまでに合意した在日米軍再編のすべてが白紙となる、などと米国は脅かしている。

 何よりも日米地位協定の改定問題は、米国がこれまで決してこれを認めることはなかった問題であり、だからこそ外務省は、米兵のあいつぐ犯行のたびに高まる不平等条約改定の声にも、一切耳を傾けてこなかったのだ。

 今からでも遅くない。メディアはもっと大きくこの「沖縄ビジョン」を取り上げて、国民の注目を喚起すべきである。

 それにしても不思議だ。

 政権交代が目の前に迫っているこの時期に、なぜ民主党は「沖縄ビジョン」を発表して米国を刺激する必要があるのか。

 ただでさえ、安保政策で大きな違いのある前原グループと社会党出身に取り囲まれた小沢民主党の間に亀裂があるというのに、民主党代表選挙を9月に控えた今、なぜわざわざ「沖縄ビジョン」を改定し、前原に代表される親米、新自由主義グループを刺激するような事を行なうのか。

 そいいえば昨年のテロ給油法延長反対の時もそうだった。

 日米同盟に賛成しておきながら、なぜ米国の反発を買うような行為に出たのか。

 衆議院で再可決される事がわかっていながら反対したのか。

   民主党は政権をとったとたんに「沖縄ビジョン」をさらにまた改定する心算であるのか。

   それとも、政権をとっても「沖縄ビジョン」にこだわり、米国から自立した日本を実現しようとするのであろうか。

   「沖縄ビジョン」の今後の取り扱いに注目したい。小沢民主党の対米外交政策の本音を知りたい。
   

Copyright ©2005-2013 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2008年07月10日

 政策論争の前提は事実を共有することである


 政策論争の前提は事実を共有することである

  少し前のどこかの新聞が、中国の国営テレビが、北京五輪の映像をリアルタイムから30秒遅れて放送することになる、という記事を流していた。都合の悪い事が起きれば映像をカットしたりするためだ。

  そういえば3月のアテネでの聖火採取の行事において、「国境なき記者団」が抗議のため乱入した時、その画面が差し替えられて放映されたという前例を、我々は知っている。

  こんな事をやっているから、中国は国際社会から非難されるのだ、そう思ってその記事を読んだ。

  ところが今日(10日)の東京新聞は、それを止めると中国当局が発表した事を報じている。

  すなわち、9日付の中国各紙は、CCTVスポーツチャネルの江和平総督が、「これまでの生中継は安全上の理由で30秒遅らせていた」と明かす一方、「慣例を打破し五輪は真の生放送となる」と説明した、と報じたという。

  あの中国でさえ、慣例を打破せざるを得なくなったという事だ。

  この発表に対する北京市民の反応がいい。「生中継に時間差があったとは」と、驚いている。

  共産党中国政府が感じている脅威は、国際世論の目だけではない。

  情報公開によって目覚め始めた自国民の反応こそ最大の脅威なのだ。

  中国は、もはやかつての情報管制がむつかしくなりつつある。そしてそれは中国のためにもいいことに違いない。

   ひるがえって「民主国家」日本はどうか。「民主国家」米国はどうか。

   米国の事はともかくとして、日本は本当に情報公開の国か。公然と情報操作が行なわれているとしたら、我々はどう考えればいいか。

  今日発売の週刊文春7月17日号は、ジャーナリスト富坂聡の書き下ろし、「マスコミは『外務省』にだまされている」という特集記事を載せている。

  ヒル次官補のオフレコのメモによれば、日本と米国とはとっくに拉致問題で決定的な亀裂がうまれている。

  それにもにもかかわらず外務省は、米国は日本の立場をよく理解しているとマスコミに言い続けている。日米協力こそ重要だと繰り返している。マスコミがそれをそのまま報じている、というのだ。

  更に言えば、東シナ海油田の共同開発についても、主権をめぐる中国の立場は全く変わっていないのに、外務省が双方の妥協で円満解決したとマスコミをだまし続けている、と富坂氏は中国高官の言葉を引用して明らかにしている。

  もちろん、週刊誌の記事など信用できるものではない。

  しかし、重要な事は事実がどこにあるかだ。

  事実を共有してこそ意味ある政策論争ができる。

  この週末には、各局の政治番組はサミットの評価で花盛りであろう。

  しかしそんな番組が殆ど意味がない。

  正しい、共通の情報に立脚した議論でなければ意味がないからだ。

  あらゆる政策論争の問題はここにある。

  政府と国民との間には圧倒的な情報格差がある。

  与党と野党との間には圧倒的な情報格差がある。

  その情報格差を埋めるべく、政府から少しでも真実を見つけ出し、国民に報道するのがマスコミの役割である。

  そのマスコミが、富坂氏の言うように、政府、外務省にだまされているのなら、国民に正しい意見を持てと要求しても無理な話だ。

  ましてやマスコミが政府と馴れ合っているのであれば、はじめから話にならない。

  
 

Copyright ©2005-2013 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2008年07月09日

デニス・クシニッチ、きくちゆみ、安濃一樹、ロバート・フィスク

 デニス・クシニッチ、きくちゆみ、安濃一樹、ロバート・フィスク

  これから書くことは、私の独り言である。そう思って読み流してもらいたい。

  私は7月3日のブログで、一人の外交官でも、本気で仕事をすればかなりの仕事ができる、という事を書いた。

  実は、それは自分自身に向けた反省の言葉であった。

  もう一度時計の針を戻せたら、と思う事は、誰にでもある。そして、たとえもう一度やり直せるチャンスが与えられても、おそらく我々はまた同じ間違いを繰り返すに違いない。

  それでも、私は時々思う。あの時もっと真剣に生きていたら、本気で仕事に取り組んでいれば、と。

   今、私が最も関心を持って眺めている米国の政治家の一人に、オハイオ州下院議員のデニス・クシニッチ(民主党)という議員がいる。

   あの時彼にあっていたならば、と悔やまれてならない。

   私は1997年9月から2000年11月までデトロイトの総領事をしていた。その管轄地域はミシガン州とオハイオ州だ。

   二つの州の知事や上下院議員に、つとめて会って人脈を構築するのも外交官の仕事である。

   デトロイトのあるミシガン州では殆どの政治家をたずねた。しかしオハイオ州では何人かの政治家に、ついに会うことが出来なかった。そのうちの一人がクシニッチ議員であった。

   約束まで取り付けていたのだが都合により取り止めとなった。日程を調整して後日会う事にしているうちに、任期が終わって帰国することになった。

   その彼が、イラク攻撃に反対し、ブッシュ大統領を弾劾するような人物だとは、その時は気づく事はなかった。

  イラク攻撃を行なって多くの人命を犠牲にした、その自らの誤りを正当化するために、隠蔽、盗聴、拷問など、数々の人権無視、憲法違反を繰り返すブッシュ大統領。

  そのブッシュ大統領を、35に上る理由を挙げて弾劾する決議案を議会に提出した政治家がデニス・クシニッチである。この事を私は6月16日のブログで書いた。

  その時の米国議会風景を描写した記事を、ネット新聞日刊ベリタ(www.nikkanberita.com)
7月5日号に見つけた。

  安濃一樹という名の記者が書いたその記事は、たった一人でブッシュ大統領と向かあうクシニッチ議員への心からのオマージュである。

  その文章を読んだ時、私はこの見知らぬ記者のジャーナリスト魂に、久しく忘れていた身震いするほどの感動を覚えた。

  なかでも次の言葉ほど私のブログの目指すところを言い当てている言葉はない。

 ・・・私たちに必要なのは、思想ではなく、戦略でもない。まして権力でもない。倫理という権威に支えられた信念である・・・

   その通りだと思う。これだけの言葉を吐けるジャーナリストが日本にもいたのだ。

   そう思って安濃一樹という記者の事を調べていたら、彼は翻訳家でもあり、ロバート・フィスクの著書を翻訳している事を知った。その事だけで私は安濃一樹を信用する。

  ロバート・フィスクという名を久しぶりに目にして嬉しくなった。

  英国ジャーナリストであるロバート・フィスクは、私がレバノン大使であった頃、レバノンに滞在し、良質な記事を精力的に書いていた。

 そのロバート・フィスクと偶然友人のホームパーティで会い、話していくうちに、米国やイスラエルのパレスチナ政策に批判的な立場で意見が一致した。彼の中東政治を見る目は、私には随一に思える。

そのロバート・フィスクが不快な顔をした瞬間があった。おなじく中東専門の米人ジャーナリストであるトーマス・フリードマンの名前を私が口にした時だ。

 「彼と一緒にしてもらっては困る」

 米国・イスラエルの御用ジャーナリストとは自分は違うのだ、と言いたかったのだろう。

 話をクシニッチ議員に戻そう。

  クシニッチ議員がいかに平和を愛する良心的な政治家であるかを私に教えてくれたのは、きくちゆみという女性平和活動家である。私が外務省を辞めたばかりの頃、雑誌のインタビューで知り合った。

  米国の政治家にも、このような反戦、平和の塊のような政治家がいた。その喜びで、オハイオまでクシニッチ議員に会い行ったと言う行動派の人である。

  クシニッチ議員と会って意気投合し、彼のこころざしを日本に紹介しようと頑張っている。おそらくクシニッチ議員を個人的に知っているただ一人の日本人に違いない。

  この世の中には、実にすぐれた人たちがいる。国籍も立場も知名度も、それぞれ違ってはいても、そのこころざしにおいて、そして能力において、すばらしい人たちが、無数に存在する。

  我々の短い一生において、一人の人間がめぐり合う、そのような人たちが、ほんのわずかな人たちでしかない事を残念に思う。  

Copyright ©2005-2013 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2008年07月09日

 現実に何が起きているか、行なわれているか、を直視する、自分の頭で考える。


 現実に何が起きているか、行なわれているか、を直視する、自分の頭で考える。

  今回のサミットをどう評価するか、いくつかのメディアから問い合わせがあった。

  いつもの事だけれど、誠意をもって思っていることを答えた。

  しかし、それが正確に伝わっているか、その言葉が正しく書かれるか、そもそも私のコメントが取り上げられるか、それはわからない。

  メディアは報道方針が決まっているのだ。それに合わなければ取り上げない。取り上げられたとしても、その発言をシナリオにそって脚色して報じる。

  今回のサミットを大成功だったと書く報道はまずないであろう。濃淡はあるが批判的な報道になる。

  しかし、私は今回のサミットがまったく無意味なサミットだったとこき下ろす報道に与しない。

  そもそも今回のサミットは具体的な成果を期待するほうが無理なサミットであった。

  それは福田総理の指導力がないとか、支持率の低い、たそがれの首脳ばかりが集まった、などという問題ではない。

  直面する問題が大きすぎる上に、的が絞れなかった。その時点で結果は見えていた。

  あえて言えば、議長国の日本が、その特権を生かして議題を絞り込み、達成すべき目標に向かって何かを成し遂げる、という戦略がなかった。責められるべきはその事であろう。

  しかし、それとても無理だったに違いない。何しろ日本は米国に面と向かって批判的なことは何も言わない、言えない国になってしまっているからだ。すべてはここに帰着する。

  米国のイラク攻撃に伴う政治的、経済的損失が米国を弱体させ、今日の世界に、そのつけが及んでいる事は、もはや心ある人は誰でも気づいている事だ。

  しかし、その事が、サミットの議題にまったく上らない。まるでタブーのごとくだ。

  それはあたかも、あの米国の間違ったイラク攻撃を止めさせる事が出来なかったサミットメンバー国が、自らの無力を恥じ入り、その現実から必死で目をそらせようとしているかのごとくである。

  そんなサミットに成果を求めるほうが無理と言うものだ。

  サミットが行なわれている最中に、カブール中心部のインド大使館前で自爆テロが起こり41人が死亡し、イスラマバード中心部の商店街で自爆テロがあり19人が死亡したと報じられた。イラクでは中部バクーバの市場で女性が自爆し9人死亡、12人が負傷した。

  いずれも8日の新聞が伝えていた。

  その米国は、ついに兵士が足らなくなって、知的障害者と知りながら借り出して戦地に向かわせている。偵察部隊に投入され、その兵士は判断力の欠如から、たちどころに犠牲になっている。7月9日号のニューズウィーク日本語版がその告発記事を書いている。おぞましい記事だ。

  ここまで米国は狂ってしまっているのだ。

  その米国を誰もがとめられないでいる。

  無論、一般市民である我々は、米国を止められないどころか、その米国に従属する日本政府さえも正す事ができない。

  ブッシュ大統領は正しいと絶叫してイラクに自衛隊を投入した小泉元首相を、今でも持ち上げる国民があまたいる国だ。

  しかし、今何が起きているのか。世界で、そして日本で、権力者が何を行なおうとしているのか。それだけは、目を見開いて直視しなければならない。逃げてはならない。

  それは誰にもできることだ。そして直視すれば、嫌でも自分なりの考えが思い浮かぶはずだ。

  世の中はこれでいいのか。日本はこれでいいのか。

  そう自分の頭で考える時が、始まりの時である。

Copyright ©2005-2013 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2008年07月08日

ビッグ・イシューという雑誌を知っていますか?


 ビッグ・イシューという雑誌を知っていますか。

  読者の皆さんはザ・ビッグ・イシューという雑誌を知っているだろうか。

  私は知らなかった。

  その知らない雑誌から、平和特集をするから、平和について何か書いてくれという依頼がこのブログに寄せられた。

  しばらくして、ビッグ・イシューの過去のバックナンバーとともに、丁重な依頼状が私のもとに送られてきた。

  なかなかいい雑誌である。

  今の私には失うものは何もない。ビッグ・イシューなる雑誌の背景に何があろうとも、構わない。

  いい雑誌だと思って寄稿を引き受けた。次号のビッグ・イシューに私の主張が掲載される事になる。

  私がビッグ・イシューに興味を持ったのは、その内容がよかったから、だけではない。

  何よりも、その雑誌の創設目的が気に入ったからだ。

  ホームレスの仕事をつくり、自立を応援する。慈善の施しではない。自分の手で生計を立てる。そのやる気を支援するのだ。そういう目的で1991年にロンドンで始まった。

  国際的な化粧品会社ボディショップの創始者ゴードン・ロディックのアイデアを、友人のジョン・バードが英国で実現して始まったのだ。

  それを知った日本のNPO活動家が、是非とも日本版を作りたいと英国を訪ね、始めた雑誌である。

  フリーペーパーが氾濫するなかで、たとえ300円といえども、わけの分からない無名の雑誌など誰が買うのか。ましてや活字離れの昨今だ。

  おまけに、ホームレスが街頭で売るというのだ。それを買うような習慣、文化は、日本にはない。

  そんな企画は日本では100%失敗する。

  そういう声にひるむことなく、2003年9月11日に創刊号が発行された。

  発行された日が9月11日というのもいい。強烈なメッセージが込められている。

  発行された年が2003年というのもいい。私が外務省を追放され、新しい人生を歩み始めた年だ。

  負けてたまるか、という反骨精神を全身から振り絞って生きた年だ。

   それに、何と言っても、貧しい人たちに、施しではなく、自分の力で生き抜いてみよ、支援をするからそれに応えて頑張ってみよ、と励ます姿勢がいい。

   これは私が漠然と考えていた構想である。

   もし私が大金持ちになったなら、そして、そんな事はまずありえないことなのだが、ビル・ゲイツのように寄付するのではなく、若者たちに好きな事業を起業させるチャンスを与える回転基金をつくりたい、などと思ったりする。

   ビッグ・イシューの発想は、その一つだ。

   定価300円の雑誌をまず10冊無料で与える。その売り上げ3000円を元手に、以降は140円で仕入れ、300円で売って、差額の160円が自らの収入となる。

   一日10冊売れば1600円の収入になる。20冊で3200円という勘定だ。

   そう思っているうちに、はたと思い出した。

   かつて私は御徒町近辺を生活圏として暮らしていた事がある。その時、駅前の街頭で見たこともない雑誌を売り歩く姿をよく見かけた。

   いかにも怪しげな雑誌ではないか、販売人を装ってCIAかなんかの諜報部員が活動をしているのではないか、などと敬遠して見ていた自分を思い出す。

   今から思えば、申し訳なく思う。

   その反省も込めて、私はこれからは、街頭でビッグ・イシューを見つけたら購入する事にした。

   ビッグ・イシューの販売が、どんどんと拡大していく事を応援したい。

Copyright ©2005-2013 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2008年07月08日

 これで信用しろと言われても無理な相談だ


 これで信用しろと言われても無理な相談だ


  7月8日の読売新聞が国会議員の海外視察ラッシュを報じていた。

  いま、こういう記事を見せつけられると本当に腹が立つ。

  越年国会だったため5月の連休に行くことができなかった。8月末からは臨時国会が始まる。だから7月ー8月上旬に集中して、150人もの政治家が一斉に海外視察を行うという。

  そういえば、国会で激しく対立している与野党の幹部政治家たちが、外遊となると仲良く一緒に旅行しているという記事もあった。

  こういう記事を見ると、政治家というものが、いかにいい加減かという事がわかる。

  海外視察が悪いと言っているのではない。その殆どが現地大使館におんぶにだっこの物見遊山だから無駄だと言うのだ。それを私は嫌と言うほど世話をしてきた。

  すべての政治家がそうだと言っている訳ではない。しかし殆どがそうなのだ。

  なんでもかんでも批判する気はない。

  しかし政治家は、今こそ垂範をたれて自粛すべきではないか。

  今国民はどんなに苦しんでいるか。

  どれほどの節約を国民は、民間企業は迫られているか。

  財政赤字問題を解決するのが最大の政治課題ではないのか。

  日本が直面している政策課題の殆どすべては、そこから来ているのではないか。

  それを解決するのが政治家の責務ではないか。

  海外視察の予算が割り当てられているからと言って、その特典を使わないと損だと考えるのはあま  りにもいじましくないか。

  いまこそ外遊を自粛して、秋に備えて政策の一つでも勉強するのがあるべき姿ではないのか。

  国民生活第一の政治を行うと言われても、これで信用しろとは無理な相談だ。

 

Copyright ©2005-2013 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2008年07月08日

「在日米軍」 その本質を問う


 「在日米軍」 その本質を問う

  昨日のブログで、私はヘレン・ミアーズの「アメリカの鏡 日本」という著書を紹介した。

  そこで書かれている、米国の日本占領の正体を知って、私は、今日の対米従属関係が、63年前の占領の延長に過ぎない事を確信した。

  同時に、この「アメリカの鏡 日本」は、即座に私の頭の中に、最近読んだ、「マスコミ市民」という月刊誌に連載されている伊藤成彦中央大学名誉教授の、「『在日米軍』 その本質を問う」、という論文を想起させてくれた。

  伊藤教授の論文を私なりに要約すると次の通りである。

  ・・・米国の日本占領と不可分なのが、「日本のどこであれ、米国が必要と思う期間、必要と思われるだけの軍隊を置く権利」が与えられた、「在日米軍」の存在である。

  日本の非武装中立に固執していたマッカーサーも、吉田茂政権も、講和条約後も日本全土に米軍を駐留させるとするトルーマン大統領ーダレス国務長官の方針に反対であった。
 
  ところが50年8月に天皇陛下からマッカーサー宛に発せられた一つのメッセージが、マッカーサー、吉田茂の頭越しに、ダレス国務長官に届けられた。

  これこそが、1947年9月に沖縄基地の長期使用をマッカーサーに提案した天皇陛下の秘密メッセージと並んで、日本の戦後を規定した天皇陛下の秘密メッセージであったのだ。

  すでに象徴天皇であった昭和天皇の、この明らかに政治的な違憲メッセージは、何の目的で発せられたのか?

  天皇は憲法9条による非武装の日本を米軍に守ってもらうために日本全土の米軍基地化を提案した、とする見方はある。

  しかし、そのメッセージは、(当時はすでに極東裁判で天皇の戦争責任はなくなっていたが)「50年2月1日、ソ連が突如として天皇および数名の元日本軍高官を、細菌化学戦争にかかわった罪で国際軍事法廷に追加訴追を求める覚書を米政府に手交していた」後になされている。

  かつて、シーボルト駐日公使は、47年9月に天皇陛下がマッカーサーに提案した沖縄基地の長期使用のメッセージを当時のマーシャル国務長官に転送した際、「疑いもなく私利に大きくもとづいていた」と語っている。

  日本全土基地化の提案メッセージもまた、「自分を守ってほしい」というメッセージだとする推測が出てくる理由がそこにある・・・

  伊藤教授のこのような指摘が、史実として確立しているものなのかどうか、私は知らない。

  しかし、少なくとも伊藤教授は、秦郁彦「裕仁天皇五つの決断」(講談社)、豊下楢彦「安保条約の成立」(岩波新書)、坂元一哉「日米同盟の絆」(有斐閣)、西村熊雄「サンフランシスコ平和条約・日米安保条約」(中公文庫)などの公表された文献を検証、引用しながら書いている。

  重要な事は真実を知ることだ。真実に少しでも迫ることだ。

  あたかも憲法1条と9条が一対となって成立したごとく、米国の日本占領が米国と日本の合作であったとすれば、今日の対米従属外交もまた、日本が自ら選択した政策という事になる

  真実を知った上で、その真実を共有した上で、政策論争を行うのはよい。

  政策論争において意見が分かれる事も、考えが対立する事も、いい。

  異なる意見に耳を傾ける事は大切だ。

  しかし、都合が悪いからといって、見たくない、知りたくない、といって、真実から目をそらし、

  都合が悪いからといって、真実を隠蔽、歪曲するような事があっては、

  将来を誤る事になる。

   我々は、あまりにも真実を知らなさ過ぎるのではないか。

   真実を知ろうとする努力と謙虚さに欠けているのではないか。 

   私がこのブログで訴えたい事は、ただこの一点である。

  

Copyright ©2005-2013 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2008年07月07日

ブッシュ・小泉朋友関係の嘘

 ブッシュ・小泉朋友関係の嘘


  私はへそ曲がりに違いない。人が騒げば騒ぐほどほかの事をしたくなる。

  サミット一色の報道を読む気にならない。サミットと関係ない記事を無理して探そうとする。

  そう思って7月7日の各紙を眺めていると、やはり面白い記事はあるものだ。

  毎日新聞のワシントン発、坂東堅治という記者の手になる評論は示唆に富む。

  坂東記者は、サミットを前に行われる恒例の米国大統領と在米日本人記者との記者会見に出席して感激し、ブッシュ大統領の生の声を聞いて興奮して、その思いを次のように書いている。

 ・・・「やはりホワイトハウスでは大統領が最高権力者なのだ・・・(大統領の両脇に座ったハドリー補佐官(国家安全保障担当)やペリーノ報道官ら)側近は、ほとんど口をはさまず見守っていた。もう少し、周囲がアドバイスしたり、進行役を努めるかと思っていたが、あくまで大統領が中心だ・・・
  大統領は徐々にリラックスしたようすだったが、周囲には緊張感がただよっていた・・・」

  坂東記者が驚くまでもない。これが米国政治の現実なのだ。

  あの、不人気のブッシュ大統領でさえ、すべてを決める決定権を持っている。気に入らない側近はいつでも更迭できる。誰もブッシュ大統領に逆らえない。

  だからこそ、あの歴史的誤りであったイラク攻撃を、誰も止める事が出来なかったのだ。

  そんな事は、実はどうでもよい事だ。

  私が坂東記者の記事で注目したのは次のくだりである。

 ・・・(日本人記者会見において日米関係に話が及んだ時)いつもの事ながら「最も親しい友人の一人」である小泉純一郎元首相に話が及んだ。
   だが、「日本は中国との良好な関係を持つべきだ」と明言したことに、個人的関係とは別の本音もにじみ出た・・・大統領自身は当時直接の言及を避けていたが、(小泉元首相の対中国敵視政策に)やはり懸念を持っていたわけだ。
    ブッシュー小泉の緊密な関係から、ブッシュ時代の日米関係は歴史的にも最良だったという印象を持つ人は少なくない。だが、米国は東アジアで中国を含めたマルチ外交に軸足を移してきたようだ・・

  この坂東記者の記述は巧みに小泉批判を避けている。

  しかし、彼が言いたい事は、ずばり、ブッシュ・小泉朋友関係は作り上げられた嘘の関係ではなかったか、という問いかけである。

   ブッシュ大統領の発言が見事に物語っている。ブッシュ・小泉関係はつくりあげられた虚像だったのだ。

   そして、ブッシュ大統領の方が一枚上である。小泉元首相を盛んに持ち上げ、ブッシュ・小泉関係の緊密さをことさらに強調してみせる。しかしそれは周到に計算された言動なのである。

   あの愚鈍と思われるブッシュ大統領が、小泉元首相を持ち上げて、小泉元首相を米国の代理人にしようとする狡猾な戦略を、その内に秘めていたのだ。

   その一方で、あれほど親しさを強調していた小泉元首相が、総理を辞めたとたん、米国やブッシュ大統領を避けているように見える。本当の友情関係などなかった事を白状している。

   日米同盟は不滅だ、と叫び続ける日本の政治家や外務官僚は、そういえば言うほど、底の浅さを暴露することになるのだ。

   

Copyright ©2005-2013 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2008年07月07日

  ヘレン・ミアーズの「アメリカの鏡・日本」という著書を読んで


 ヘレン・ミアーズの「アメリカの鏡・日本」という著書を読んで

  ヘレン・ミアーズの「アメリカの鏡・日本」という著書がある。米国占領軍総司令部のメンバーとして46年に来日した米国の日本研究者が、48年に出版した米国の対日占領政策論である。

  その抄訳版が05年に角川書店(角川ONEテーマ21)から出版された。それを私はたまたま本屋で見つけ、購入し、一晩かけて通読した。

  また一つ日米関係の真実について、新発見をした思いだ。

  私がこの本に興味を持ったのは、その序文や訳者あとがきの中で書かれている、次のような文章が目に留まったからだ。

  (極東国際軍事裁判の判決が下された48年にこの著書が米国で発売されて)ミアーズは全米の注目の的となったが、彼女の主張はアメリカ人にとって不愉快なものであり、アメリカ人は次第に彼女を無視するようになった。それゆえ、この本と共に彼女は世に出ることなくいつしか忘れ去られていった。

  ミヤーズから原著の寄贈を受けた日本の翻訳家、原百代は、それを日本で翻訳出版すべく連合軍総司令部に許可を求めたが、「占領が終わらなければ、日本人は、この本を読むことはできない」とするマッカーサーの一言で、かなわなかった。

  占領が終了した翌年の53年に、原氏の翻訳は「アメリカの反省」と題してやっと出版されたが、当時はなぜかあまり注目されず、その後はその存在すら忘れられていた。

  ミアーズの著書を偶然に知ったビジネスマンの白子英城が、アメリカ人によって書かれたその内容に驚愕し、この本は少しでも多くの日本人によって読まれるべき本だ、との思いで1995年にあらたに翻訳、出版した。

  翻訳した伊藤延司は、「恥ずかしい告白を許していただくなら、(読みながら)途中何度も泣いた・・・太平洋、沖縄における日本兵と民間人の死、大空襲と原爆による一般市民の惨めさと、同じ惨めさをアジアの人々に強要した近代日本の運命が無性に悲しかった・・・」と訳者あとがきで書いている。

  さて、前置きが長くなったが、結論から言えば、この本は、ブッシュ政権の米国と軍事同盟を強化しつつある今こそ、読まれるべき本である。

  すなわち、サミットでブッシュ大統領が訪日している今、北朝鮮外交をめぐって米国の対日政策の本性が露呈した今、そして何よりも米国のイラク戦争のツケを日本が無条件に支払わされている今 こそ、この本はすべての日本人に読まれるべき本なのである。

 ミアーズが繰り返しその著書で訴えているのは、

 米国は戦争に勝つために日本を占領したのではない、占領そのものが目的であった
 米国は日本が脅威だったから日本と戦ったのではない。日本の脅威をことさらに強調し、それを口実に日本国民と 日本文明の破壊のために日本を戦争に追い込んだ

 という事である。

  太平洋戦争をめぐるおびただしい専門書、研究書の中で、このミアーズの主張が日本でどのように評価されてきたか、私は知らない。

  しかし、このミアーズの米国対日占領政策観は、米国のイラク攻撃とその後に続く軍事占領の7年間と見事に一致する。

  私が、今こそこの著がすべての日本人によって読まれなければならないと思った理由はここにある。

Copyright ©2005-2013 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2008年07月07日

 石原慎太郎に残された使命は、「米国から自立した日本」の実現に身を焼き尽くす事である


 石原慎太郎に残された使命は、「米国から自立した日本」の実現に身を焼き尽くす事である

  7月7日の産経新聞に掲載された石原慎太郎の連載論評「日本よ」を読んで驚いた。同時にまた、このような論評を掲載した産経新聞にも驚いた。

  サミットが始まる当日に、しかも日米首脳会談が終わって日米同盟の重要性を政府が国民に懸命に訴えている時に、その米国を真っ向から批判し、日本の自立を訴えているのだ。

  彼の反米、嫌米は筋金入りである。1989年に「『NO』と言える日本」を出版し、米国に睨まれ、それで政治生命を絶ったというのが世間の通り相場だ。

  それ以来、彼の反米言辞はなりを潜めた。その代わりでもないだろうが、石原慎太郎の中国敵視発言はトーンアップしていく。

  しかし彼は本来的に愛国、自立であり、だからこそ米国の傲慢さと不当さに我慢が出来ないのだ。

  総理はもはやとっくにあきらめた。都知事再選も果たした。老齢の衰えも直視せざるを得ない。

  もはや石原慎太郎にはすることがない。それは逆に言えば失うものはない、気兼ねするものはないという事なのだ。

  その心境が、彼をして今までに見たことのないほどのストレートな米国批判をさせるのだろう。

  「今、人類は・・・画期的な危機に瀕しているといえるかもしれない・・・」という文章で始まるその論評は、環境破壊、世界的インフレ、鳥インフルエンザなどの新しい疫病蔓延といった困難が人類を滅ぼすと警鐘を鳴らし、その元凶が米国の市場原理主義である、と斬って捨てる。

  米国流グローバリゼーション反対論者が聞いたら涙を流すような論評である。

  実際のところ、「・・・この世界を限られた者たちだけで仕切ろうとするサミットなるものが、今日から日本で行われようとしている・・・」と、昨日のこのブログで書いた、反サミット国際運動のキャッチフレーズと同じ言葉使いをしている。

  百聞は一見にしかず、というから、私がゴチャゴチャいうよりも、本人の言葉で語ってもらおう。

 ・・・こうした悪しき経済循環を引き起こしている究極の原因は、アメリカ的価値観にのっとった熾烈なマネーゲームであって・・・その結果ごく一部の者をのぞいたほとんどの人間が不幸に晒されている。
  しかしなお、こうした経済運営の主唱者たるアメリカはその姿勢を一向に変えようとはしない・・
  このあまりに巨(おお)きな粗相を糊塗するために、G-8では従来のルールを平然として都合よく変えようとしている・・・
   そうした経済行為が、限られた人間への恩恵しかもたらさぬ、いい換えればアメリカの独り勝ちにしか繋がらぬ私益絶対主義が、それを通り越して世界の存亡の危機につながろうとしている今・・・日本は・・・世界の経済に関する新しい理念と方向を提唱し・・・新しい資本主義の造形に努めるべきだ。
 さもないと・・・人類の存亡をひっくるめてこの世の全てを失うということになりかねない・・・

  その限りではまったくその通りだ。右も左もない。すべての国民が内心そう感じている。

  ならば、なぜそれを石原は実践しようとしないのか。できないのか。

  石原慎太郎がまったく触れていない大きな問題がある。「新しい資本主義」の内容もさることながら、そのような提案は、日本が米国から自立しなければ出来ないということである。

  そして米国から自立する事は、同時に日本の安全保障政策を自立させる事と表裏一体である。

  石原は言うだろう。軍事力を強化して世界にバカにされない国になることだと。

  それは米国が許さない。世界が警戒する。

  それでも軍事的自立を図ろうとすれば、日本は孤立し、米国と軍事的に敵対することになる。

  米国が文句の言えない安全保障政策、世界が歓迎する日本の国防政策は、憲法9条を掲げた専守  防衛しかないのだ。

    石原慎太郎がそのことに気づき、日本国民を覚醒させる時、彼は文字通り日本の英雄になれる  かもしれない。

  

Copyright ©2005-2013 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2008年07月06日

 論説を叩き斬る


 論説を叩き斬る

  このブログは読者にはどうでもいい内容だ。しかし私にとっては看過できない解説記事であったから、どうしても書いておきたかった。読者には我慢しておつき合い願いたい。

 7月6日の日経新聞「風見鶏」欄に、「外務省も内向き日本か」というタイトルで伊奈久喜という編集委員が書いていた。

 要するに一言で言うとこういう記事である。

 歴代の外務事務次官の名前を列挙して、最近の次官人事は、大使という「外交官としての働きどころ」の職を経験することのない人物が次官になりそして辞めて行く、そういう人事が増えて来た、と指摘し、企業だけでなく、外務省さえも、東京に人材を集中するようになった、という。
 そして、これは相対的な国力低下がもたらす日本全体の余裕のなさ、国力の低下の反映ではないか、と解説する。
 北朝鮮のテロ支援国家解除問題が、米国をより自分たちに引きつけようとする、日本と北朝鮮の外交戦だったとしたら、第一ラウンドは日本が敗れた。
 米国の対北朝鮮腰砕け外交は、もちろんブッシュ政権内部から由来する問題であり、それを外務省の体制のせいにしては酷だろうが、外務省の外交軽視の最近の傾向と無関係か。
 今日行われる日米首脳会談に注目したい。

 と、まあ、こういった内容の解説記事なのである。

 これは要するに、外務省の外交力の低下を批判したいのは山々だが、外務省には日ごろ情報提供などでお世話になっている幹部連中も多い。
 だから彼らの反発を買うような、面と向かった批判をするわけには行かない。
 そこで次官人事などを持ち出して、外交力が弱くなったのは皆が外交官よりも外務官僚を志向して内向きになったからだ、などと、無理をした解説を新聞紙上でして見せているのだ。

 読者のほうではなく、幹部外務官僚に顔を向けて書いている解説記事なのだ。

  事実はそんなものではない。もっと単純なのだ。

  次官人事が狂った理由はただ一つ。2001年始めに発覚した機密費横領の松尾事件のためである。

  あの事件で外務省の中枢がすべて汚染されていた事が明らかになった。次官経験者、現役次官、将来の次官候補者、すべてが汚染されていた。

  予定調和の次官人事がすべて狂ってしまったのだ。

  幹部が大使を経験せずに次官になったり辞めて行くということはありえない。それは本人にとっても、外務省にとっても好ましくない。

  そんな伝統的な人事を狂わすほど、あのスキャンダルは外務省にとって深刻であったという事だ。そしてその後遺症は今も続いている。

  それからもう一つ。大使よりも本省幹部のポストに人材が集まり勝ちである、という事は事実である。

  しかし、それは本省に優秀な人材が必要だからではない。

  民間企業の事は知らないが、外務省に限って言えば、出世をしたい連中が、大使よりも本省勤務を好むからだ。大使よりも本省幹部のほうが圧倒的に権限があるからだ。

  本来は大使というポストは外交官にとってこの上ない魅力あるポストである。

  現地の情勢に精通し、現地の要人と人脈を構築した大使からの情報や意見は、本来ならば尊重され、日本外交の最強の武器として活用されるべきである。

  それを出世主義、保身主義の官僚たちがぶち壊してしまった。権力者を喜ばすような情報しか取り入れず、権力者に都合の悪い情報は握りつぶす。

  東京に優秀な人材が必要なのではない。出世万能主義の連中ばかりが東京に集まっただけの話だ。

  大使職を軽視し、権力者の顔色ばかりをうかがうようになったから外務省は外交でまけるのだ。伊奈解説委員は、この単純な事実を国民に知らせるべきだ。

 新聞記事は、常に読者のほうに顔を向けて書かれなければならない。

Copyright ©2005-2013 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2008年07月06日

 グリーンピース鯨肉事件を幕引きさせるな


 グリーンピース鯨肉事件を幕引きさせるな

 私は6月21日のブログの中で、警察がグリーンピースのメンバーを鯨肉窃盗で逮捕した事は、危険な賭けである、というような事を書いた。

 それをきっかけに騒ぎが大きくなって、調査捕鯨が商業捕鯨だったというウソの暴露に、事態が進展しないとも限らない、と思ったからだ。

 ところが、残念ながらそうはならなかった、と思っていた。

 少なくとも7月7日の日刊ゲンダイの記事を見つけるまでは。

 私は、21日のブログでも書いたが、グリンピースという組織を決して支持しているわけではない。

 特に今回グリーンピースのメンバーがとった行為は、たとえそれが、彼らの言う「大きな正義」を追及するための「小悪」だとしても、やはりまずかったと思う。

 権力の怖さを甘く見てはいけない。世論をなめてはいけない。

 グリーンピース鯨肉事件は、すべてはグリーンピースの窃盗行為が悪い、という形で幕引きが図られてしまった。そう思っていた。

  ところが、7月7日の日刊ゲンダイは、次のような大きなニュースを流した。

  ・・・鯨肉は本当に土産用のものだったのか。どうやらそればかりではなさそうだ。その量が土産用にしては多すぎる。その上、長期保存用の仕様は、明らかに闇市場での販売を目的にしたものの疑い濃厚だ・・・

  というのである。

 しかもこの問題は、7月2日に都内で行われた公開討論会で取り上げられ、保坂展人議員(社民党)や谷岡郁子議員(民主党)が、「国政調査権を発動してでも徹底的に真相を解明すべき」だと語ったという。

 私は、もっぱら、調査捕鯨と偽って商業捕鯨をしていた水産庁の国際法違反疑惑を追及してきた。しかし、この事件で浮上してきたのは、公共財産の着服、横領疑惑である。

 それが事実であれば大問題だ。

 天下り機関の横領、着服がいたるところで問題になっている御時世である。もし一人でも鯨肉横流しで売上金を私物、私用している者がいたとしたら、大事件となる。

 この疑惑が明らかにされた以上、そして日刊ゲンダイがすでに報じた以上、大手新聞がこの問題を調査、報道しなければウソである。

 さもなければ、単なる怠慢か、水産庁とデキている、ということだ。

 どうやら私の指摘したように、水産庁は危険な賭けに出てしまった。

 そしてそれに負ける危険性が出てきた。

 グリーンピース鯨肉事件を幕引きさせてはならない。

 

Copyright ©2005-2013 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2008年07月06日

 2008.7.6. サミット前日に考える事

 2008.7.6. サミット前日に考える事

  このブログで書いてきた事のいくつかは、何年か先に、必ず意味を持ってよみがえってくる。そう思いながら私はこのブログを全力で書き続けている。

  誤認や誤解、そして見込み違いもある。それでも、そのいくつかは歴史に耐える真実を射抜いているに違いない。そういう自負を唯一の頼りに書き続ける。

  私にかくも傲慢なことを言わせる背景には、このブログを書くに当たって一切の私利、私欲、打算がない、という事実がある。

  読者の一人一人が、立場や考えの違いを超えて、自立した正しい判断力を持ってもらいたい、世間の不正に対峙してもらいたい、あらゆる権力者の悪に対し抗って強く生きてもらいたい、この一念で書いている。

  自らが強くなければ、愛するものさえ守る事が出来ない、それが私の読者へのメッセージである。

  サミット前日の今日は、あらゆる報道がサミット一色だ。うんざりする。

  しかしそれは無理もない。

  大きな国際行事だ。8年に一度の主催国の責任はある。

  サミットは無事に終わればいい。願わくば少しでも意味のある会議になってもらいたいと思う。

  テレビ番組は、福田首相の父親である福田赳夫氏がサミット直前の総裁選で破れ、総理はおろかサミット議長の名誉まで直前で手放した悔しさを放映していた。

  その悔しさを間近で見て一番知っているのが福田康夫首相だ、だから、支持率が低下しても,
何があっても、自分の手でサミットをやりたいのだ、などと政治解説者が語っていた。

  そうなのだろう。しかしその事自体は悪い事でもなんでもない。それが人情というものだ。

  洞爺湖サミットは歴史的な会議だと評価する意見がある一方で、難問題山積の中で一日や二日のサミットで何が決まるのかと冷めた見方もある。どの国でサミットが行われようと、必ず言われる事だ。

  そのいずれもが正しく、いずれもが正しくない。

  議長役の福田首相はもとより、政府関係者は無事に終わる事に精一杯だ。

  テロ対策の警備も大変だ。

  国民生活にとっては大迷惑だ。税金の無駄遣いだという声も聞こえる。

  そのような声もまた、いずれも正しく、そして正しくない。

  サミット開催国の責任者であったなら、やはり福田首相や日本政府と同じ対応をするに違いない。

  報道関係者は大騒ぎして、こぞって報道競争をしている。これも仕方のないことだ。

    そして、ここからが今日のブログの言いたい事であるのだが、それらすべてを受け入れた上で、決して見落としてはならない二つの問題点を指摘したい。

  その一つはサミット反対の国際的運動のうねりについてである。

  あれはシアトルのWTO反対運動の頃から始まった動きだと思う。反グローバリズムの国際的な動きがサミット前に必ず行われるようになった。

  私がもし官僚で一生を終わっていたならば、おそらくこのような反対運動に理解を示す事はなかったに違いない。この種の反対運動に違和感と嫌悪感を覚えたままであったに違いない。

   しかし今の私は、あらゆる意見に耳を傾ける時間がある。それを自分の頭で考えてみる暇がある。何よりも、組織や立場に縛られることなく、自分の考えに忠実でいられる自由がある。

  グローバリズム反対の活動家には様々な人たちがいるのだろう。主義主張のの違いや、思惑も一つではないのだろう。

  しかし、ATTACK(トービン税の導入を目指す市民団体)の発起人の一人であるスーザン・ジョージさんの次の言葉は考えさせられる。

 ・・・G-8に集まっている国は地球上の人口のわずか14%を代表しているに過ぎない。その指導者たちは、自分たちの国では選挙で選ばれたかもしれないが、世界を支配する役割を担うために選ばれたものではない。しかも、この指導者達ですら、自分たちの国において正当に国民を代表していないかもしれないのだ。
 その指導者たちが、世界を代表しているがごとく振る舞い、(世界の人類の幸福実現を等しく願うのではなく、彼らだけの利害を優先する。自国の利益を優先する。)そんな会議に果たして正統性があるのか・・・

 たしかにそれは一つの視点である。世界の指導者、権力者が集まるのではなく、世界の国民が手を繋げ、もう一つの国際的な民主主義体制をつくる必要性があるのかもしれない。そういう時代がいつの日か来るのかもしれない。

  7月6日の各紙が、洞爺湖サミットに反対する運動の事を一斉に取り上げたり、7月6日の朝日新聞が「ひと」欄が、来日したスーザン・ジョージさんを取り上げているのも、こうしたサミットに反対する国際的動きに、漠然とではあるが、将来の可能性を認めている証拠ではないか、単なるサミット妨害者と切り捨てられない何かがあると感じている証拠ではないか、と思ったりする。

  もう一つは、6日朝のフジテレビ「報道2001」が、サミット報道に背を向けて、あえて老人介護の問題を取り上げていたことである。そして6日の毎日新聞が、サミット報道と並んで、「人も団地も老いゆく」という見出しで、急速にふえつつある都会の孤独死を特集していたことである。

 女優小山明子が夫である映画監督大島渚の介護の、そして歌手橋幸夫が母親の介護の、苦労話をテレビで語る。華やかなスターでさえも、その陰で誰もが向かい合う苦労をしている。
 毎日新聞の記事の次のような言葉が、我々の目の前に広がる現実を突きつける
 「・・・遺体は1DKの居間で布団に横たわっていた。目を開き、天井を見上げていた。孤独死だった。部屋の主がいなくなって8ヶ月以上も経つのに、郵便受けにはいまもはがきや封書が届く。部屋のベランダでは洗濯物が風に揺れている・・・」

 急速に進む高齢化社会に温かい対応策を講じるのは、間違いなく政府の最優先の責務である。

 サミットで国際問題が語られるのもいい。環境問題も資源問題、金融問題も重要だ。

  しかし、サミットが終わった後で福田首相が真っ先になすべき責任は、この国の国民の日々の暮らしをどう安心させるかだ。

  日本の指導者だけでなく、世界の政治家が、指導者が、自分の地位、名誉、利権を省みることなく、国民の、人類の、豊かで平和な生活を心から願い、優先的にその問題に取り組むならば、サミットのあり方も変わっていくに違いない。

  二酸化酸素ガス規制の目標年である2050年には、環境問題だけではなく、人類は、戦争のない、平和で豊かな生活をしているのだろうか。

  我々はいま大きな歴史の転換期にあるのかもしれない。

  サミットが終われば内閣改造だ、解散・総選挙だ、などというのは、日本の政治家たちのつまらない権力闘争に過ぎないのではないかと思えてくる。

     

Copyright ©2005-2013 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2008年07月05日

官僚支配打破の前提は、政治家とそれを選ぶ国民の意識改革ができるかどうかだ


 官僚支配打破の前提は、政治家とそれを選ぶ国民の意識改革ができるかどうかだ


  5日朝のテレビ番組で、民主党の長妻昭が、次の選挙で国民が政権選択を行う一つの大きな基準は、自民党と民主党のどちらが官僚支配打破の政治を実施できるか、ということだと言っていた。

 この発言を俟つまでもなく、いまや「官僚主導から政治主導へ」という言葉は流行り言葉だ。

 そして私は、それが単なる国民に迎合する流行り言葉で終わるのではなく、それが真に実現されなければ日本はかわらないと思っている。

 「官僚の中にもまじめで優秀な者もいる」、とか、「官僚を批判するのではなく、使いこなす事だ」などという言葉は一見もっともだ。

 官僚の個人攻撃をしてもあまり意味はないし、それを行う事が目的になってはいけない。

 しかし問題の本質はもっと大きく、深い。そのような「良識的」な事を言っていては到底官僚支配は変わらないほど、困難な問題なのである。

 官僚支配を打破するということは、これまでの政治と行政のシステムを変える問題であり、そのシステムを変える前提は、つまるところ、「官尊民卑」の意識改革に行き着くのだ。

 その事を説明する好例として、最近の報道の中から二つの例を取り上げたい。

 その一つは年金運用によってもたらされた5兆円の運用損である。

 この問題の本質は、「運用損が出た」という事ではない。

 いつごろから、そしてどのような法的根拠で、我々から強制的に徴収した年金の原資が、厚生労働省の下部組織、天下り組織のひとつである年金積立金管理運用独立行政法人の手に委ねられるようになったか、私は不詳にもつまびらかでははない。

 しかし、その事さえも今ここで問題にしない。

 我々が納めた年金の原資が、サブプライムローンなどの危険なマネーゲームに使われていた事を問題にしているのでもない。
 金融資本主義を是認してきた我々の経済システムにおいては、個人も、企業も、国とても、もはやマネーゲームに染まり、そこから直ちに、超然として、身を切り離す事は困難だ。

 問題は、運用が上手くいった時は国民に還元することなく国家予算の一部として活用、流用、無駄遣いし、損失が出た時には、誰も責任をとることなく、「いままでの運用益があるから問題ない」と、言い逃れて終わってしまう、「官」の優位、「行政」の優位である。

 国民の代弁者である政治家は何をしているのか。どういう改善策を行政に迫るのか。本気で追及する政治家が一人でも出てくるのか。

 もう一つは、政治活動の報告ビラを集合ポストに投函した共産党市議が、東京地検という行政の一端に書類送検された事件である。

 私が驚いたのは、この「恐怖警察」に、政権政党の自民党の政治かも、政権奪取を狙う民主党の政治家も、ともに萎縮し、すくんでいるという実態である(7月5日東京新聞 ニュースの追跡)。

 オートロックの外側にある集合ポストには、商売のチラシは黙認だ。ピザ広告も風俗営業の勧誘も放置されている。

 それなのに政治家の政治活動である議会報告ビラの配布を官僚が恣意的に取り締まる。

 本来であれば政治家が行政の責任者を呼びつけて怒鳴りつけるべきではないのか。

 少なくとも直ちに国会でとりあげて国民の判断に委ねるべきではないか。

 それなのに、「もう、怖くてできない」、「政治家なら誰でもスネに傷を持つ。批判なんかしたら、警察からメディアにリークされ、袋叩きにあって政治的に殺される。警察批判なんて、与党だって怖くてできないんだよ」などと言う(前掲東京新聞)。

 官僚支配の根源は政治家や国民の意識の底にある。

 東大、京大出身の高級官僚には勝てないという学歴偏重主義のがある。

 国家権力に逆らう事は悪い事だという根拠のない思い込みがある。

 この意識がなくならない限り官僚支配はなくならない。
 

 

Copyright ©2005-2013 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2008年07月04日

メディアは小泉元首相に政策を語らせてみろ


 メディアは小泉元首相に政策を語らせてみろ

  国会が終わったとたん、政治記事がつまらない政局の話に明け暮れることになると、私はいつかのブログで書いた。

 その通りになった。

 ここしばらく、報道はサミットと北京五輪で明け暮れる。

 それが終われば8月の臨時国会が始まり、その前の内閣改造の有無が騒がれる。

 それまでの2ヶ月足らずは政治家の夏休みだ。

 勉強会と称して政治家仲間が集まって来るべき政局に備え鳩首協議を重ねる。

 激しく対立していた与野党の政治家たちが、視察という名の海外旅行に揃って出かける。

 さもなければ、至るところで講演をし、演題をそこのけで政局を語る。

 うんざりだ。

 政治家もメディアも、政策を語り、語らせるべきだ。

 いや語っている場合ではもはやない。

 一つでもいいから、悲鳴を上げている国民を救う政策を実現すべきだ。

 メディアは、政府に、与党政治家に、それを厳しく迫るべきだ。

  政治家の言動の中で、見逃してはならないのが小泉元首相のそれである。

  私は6月15日のブログで岩見隆夫の手になる毎日新聞「近聞遠見」を引用して、中曽根元首相がある政治パーティの席で、小泉元首相の差し出した握手に応じなかったというエピソードを紹介した。

  そうしたら、その岩見隆夫が、6月28日の同じ「近聞遠見」で、小泉元首相から直接電話がかかってきたこと、「中曽根元首相の憲法改正案を切り捨てたのは俺ではない」と文句を言ってきたこと、を書いていた。

  中曽根案を取り上げなかったのは自分ではない。自民党改正案作成の責任者である枡添議員が最終案をつくり、自分はそれを了承しただけだというのだ。

  瑣末な事だ。それ以外のところは、岩見が書いたとおりだと認めているようなものだ。

  しかし、私がこの記事を読んで認識を新たにしたことは、小泉元首相は自分の評判を気にかけているということだ。

  しかも、少しでも自分の評判に傷がつくような事があれば、それを訂正しようと自ら行動をとるという熱心さだ。

  その熱心さを政策づくりに結びつけたらどうか。政策を語ったらどうか。

   4日朝の報道は、こぞって小泉元首相が、内閣改造と解散・総選挙について、福田首相に注文をつけた事を報じていた。

  「解散は、今年のサミットではなく、来年のサミット後だ」と言ったかと思うと、今度は「追い込まれて解散をしてはいけない」などと発言をする。

  無責任だ。無節操だ。それをメディアが、あたかも大事件のごとく報じる。

  笑ってしまったのは7月4日の産経新聞の次の文章だ。

  「3日午後、都内で開かれた環境シンポジウムの基調講演に招かれた小泉純一郎元首相は冒頭から脱線した・・・」

  小泉元首相にまともな講演ができるのだろうか。

  脱線しっぱなしでは環境シンポジウムにならないだろう。少なくとも少しぐらいは環境政策を語ったのだろう。メディアはそこを報道しなければならない。国民に教えてくれなくてはいけない。

  5年半もこの国の首相をつとめた小泉元首相である。良くも悪くも、その政策の影響がすべてが今この国に現れてきている。国民生活に影響を与えつつある。

  政策を語ることは彼の義務であるのだ。

  しかし、彼は一言でも政策を語った事があるのか。メディアは一度でも彼に政策を語ることを求めた事があるのか。

  7月17日号の週刊実話は、小泉元首相が一人2万円もする高級フランス料理店に女性議員を集め、一人政局話をして悦に入っていた、あまりにも不謹慎だ、という記事を書いていた。

  これこそ大手新聞が書くべきだ。そんな暇があればブッシュ大統領と電話会談して対北朝鮮外交の一つでも話したらどうなのだ。

  このブログを読んでいる小泉元首相。政策を語ってみよ。

  このブログを読んでいる政治記者諸君。小泉元首相に一つでいいから政策を語らせてみろ。そしてそれを記事にして国民に知らせてみろ。

 

Copyright ©2005-2013 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2008年07月04日

  イスラエルの代弁を繰り返す外務省OB


 イスラエルの代弁を繰り返す外務省OB

  ここ当分の間、外交に関する記事はサミット一色になる。そこで報じられる事柄は、殆ど意味のないことばかりだ。

  膨大な議題の渦の中で、何一つ具体的な成果は期待されそうもない。

  おまけに、「指導力を失った首脳ばかりだ。

  しかも、どの議題もG-8だけで解決できるものではない。首脳会議は事実上拡大されてしまった。

  もはやサミットは事実上国連化しつつある。拘束力のない共同宣言づくりがすべてだ。

  もはやサミットは五輪化しつつある。参加する事に意義がある。無事終われば成功だ。

  そのようなサミットに関する記事を読む時は、同じような記事を飛ばし読みし、誰も書かない視点からの記事を見つけることに限る。

  私にとっては、7月4日の東京新聞にでていた野上義二元外務次官のインタビュー記事がそれであった。

  彼は8年前に日本が沖縄サミットを主催した時、外務審議官としてシェルパ(首脳個人代表)をつとめた経験がある。だから東京新聞の記者は彼をインタビュー相手に選んだのだろう。

 最初の質問は、「沖縄サミットは、日本では初めての地方開催だった。どの点に力を入れ、どんな苦労があったか」というつまらないものであった。

 その後に続く質問も、答えも、東京新聞や野上元次官には失礼だが、読むに値しないものであった。だから飛ばし読みをした。

 ところがある箇所で私の目が留まった。それは野上元次官がイランについて言及した箇所である。

 質問が北朝鮮の核問題に及んだ時である。彼は次のように答えていた。

 「・・・この問題(核拡散)で、世界的に見て一番深刻なのはイランだ。(「日本国内はイランよりも北朝鮮だが」という問いをさえぎって)日本の国益は拉致問題であってイランは国益に関係ないという議論にはならない・・・イランが核兵器国になり、湾岸ですごみを聞かせたとき、世界のエネルギー状況はどうなるのか・・」

 見事なイスラエルの代弁である。ユダヤロビーに屈した米国の中東外交の代弁である。

  一般の国民には、野上元外務次官といえば、田中真紀子外相と対立しともに更迭された「ヒゲの野上」ぐらいしか思い浮かばないだろう。

  しかし彼こそ、日本の中東外交をイスラエル寄りにゆがめた外務次官だった。

 彼が外務次官のとき、私はレバノンの大使であった。その時私は、彼が訪日中のイランの外務次官と公式会談をした中で、「イランはパレスチナ問題から手を引け」と面と向かって発言した事を知った。

 中東問題では中立を保つことに苦慮してきた日本外交であった。欧米と違って日本は中東では手が汚れていない。アラブの対日感情も悪くない。中立は日本外交の強みであった。

 その日本外交を担う外務省のトップが、どうしてこのような発言ができるのか。

 私は本省に直ぐに質した。

 「中東問題で中立を保つ事に腐心してきた日本ではなかったのか。この発言は野上次官の個人的な発言か、それとも日本外交の公式な立場なのか」と。

 東京からはなしのつぶてであった。

 後で知った事だが、野上元次官に関してはいくつかのエピソードがある。

 米国大使館勤務時代にユダヤ系米国人に評価され、「これで俺の出世はまちがいない」と外務省内で吹聴していたことや、彼が中近東局の参事官の時に起きたマルコポーロ事件で、ユダヤ批判の言論をする出版社を非難したこと、などである。

 駐英大使を5月に退任した野上氏はみずほコーポレート銀行の常任顧問に請われたという。

 ユダヤ金融資本の代弁者になって日本経済を売り飛ばすような事がないことを願う。

Copyright ©2005-2013 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2008年07月03日

 一人の外交官でもこれだけのことが出来る


 一人の外交官でもこれだけのことが出来る

  産経新聞は7月1,2,3日の三日間にわたって、「人、瞬間 あのとき あの国 あの人」という連載で一人の元外交官の仕事振りを紹介していた。

  これがきわめて良質な企画であるのだ。

  そこで取り上げられていた砂川昌順(48)という元外交官を私は個人的には知らない。

  その経歴からみて、いわゆるキャリア外交官ではなく、また外務公務員試験を受けて採用されたノンキャリ外交官でもない。

  外交官のなかには、もっぱら大使館や総領事館などの海外勤務要員として採用される外交官もいる。砂川氏もその一人なのだろう。ガーナ大使館、バーレーン大使館勤務を経て、10年足らずで外務省を辞めている。

  その外交官が、外務省のどの外交官も出来なかったような仕事をしていたのだ。

  1987年11月に大韓航空機爆破事件という大事件があった。北朝鮮の工作員とされる二人がバクダッド発ソウル行きの大韓航空機を空中爆破した事件だ。

  拘束された一人が金賢姫という若い女性工作員であった。北朝鮮に拉致された日本人女性、田口八重子さんから日本語教育を受けていたということも、後に判明した。

   その金賢姫がバーレーン内務省に偽造日本人パスポート所持で拘束されていた時、当時バーレーン日本大使館の外交官だった砂川は事情聴取のため金賢姫と会っている。

 砂川は、殆ど何もしなかった大使館の幹部を尻目に、一人で金賢姫らの居場所をつきとめ、空港で面会することに成功した。

 「事件のことは後でゆっくり聞けばよい。彼女の心を開かせる事が先決だ。」

 没収したカメラから、恥らうように立っていた彼女の写真を見つけた時、この人(金賢姫)はまっすぐに育ったに違いないと砂川は直感した。

 まっすぐな人間にはまっすぐに向き合うしかない。取調べ官としてではなく人間として。砂川は顔が引っくほど彼女に近づき、懸命に呼びかけた。「困っていることはないか?」、「不当な扱いは受けていないか?」。尋問から約40分、彼女が話し始めた・・・

 ところが日本政府は、政治的摩擦をおそれて、さっさと彼女の身柄を韓国政府へ引き渡してしまう。

 「まずは日本での取調べを行うべきだ」と主張した砂川の意見はまったく聞き入れられなかった。

 「悔しかったし、日本政府の判断は間違っていると思った。(北朝鮮の工作など)金賢姫にはいくらでも聞きたいことはあったからです」

  その大韓航空機爆破事件から約2年後。休暇をとってオーストリアのウィーンを訪れた砂川は、当地で北朝鮮の外交官と秘密裏に接触し、「日本の外交官として北朝鮮に亡命したい。主体思想を勉強させて欲しい」と持ちかけたという。

  バーレーン大使館にいたころ、「複数の日本人がヨーロッパから北朝鮮に渡っている」という情報をつかんでいたからだ。この情報は後に有本恵子さんらのことと判明する。

  「確認するには北朝鮮の内部に入り込むしかない。無謀な賭けであり関係者には多大な迷惑をかけるかもしれない。でも当時は『この仕事は自分にしかできない。必ずや証拠をつかみ、生きて戻ってくる』という、うぬぼれがあったのです」

  だが数日後北朝鮮側は砂川の申し入れを断ってきた。砂川の「北朝鮮侵入計画」は頓挫した。

  この時に、外務省という「組織」に砂川は限界を感じる。砂川はまもなく外務省を去ることとなる。

  産経新聞からの引用が長くなった。

  私が言いたい事は、日本という国を背負った外交官であれば、その気になればかなりの仕事ができるということである。今の外務省は、そして殆どすべての外交官は、その仕事をしていないということである。日本の外交力を無駄にしているという事である。
  砂川の意見の通り金賢姫の事情聴取があの時日本当局の手で行われていたならば、拉致問題の展開も異なったものになっていたかもしれない。

  ここに紹介した砂川氏の行おうとした事は、極端であり、訓令違反のところもある。

  しかし、訓令の範囲内で普通の仕事をしていても、仕事に対する熱意と問題意識があれば、日本国という国家権力を背負った外交官は、かなりの事ができるのだ。

  普通なら会えない様な人物とも会う事が出来るし、スパイ活動などしなくても、貴重な情報を入手することのできる機会に恵まれる。

  今から思えば、私の外交官としての仕事振りは十分ではなかったと反省する。もっと、もっと良い仕事ができる環境にあったと思う。

  それでも、投獄から解放された直後の南アのマンデラと二人だけで話す機会を得、南アの今日を予測する事が出来たし、欧米政府がテロリストとみなして接触を禁止していたレバノンの反米武装組織ヒズボラの領袖ナスララとも、何度も会って話した。

  レバノンで知り合った人々を通じ、米国のイラク攻撃の目的や、米国ではイラクを統治できない事なども、事前に入手できたし、それを東京に報告した。

  問題は、日本の指導者達や、官僚たちが、本物の仕事をしようとしない事にある。

  権力に守られている事に安住し、保身を第一に考えて、危険を冒そうとしないのだ。

  真実を追及し、最善の政策が何かを考える努力を、はじめからしないのだ。

  「金賢姫と最初に会見した日本政府高官」と喧伝された当時の北東アジア課長(韓国、北朝鮮担当課長)は、私の同期生であった。

  その彼の悪口を書きたくはないが、話の都合上あえて書かざるを得ない。

  彼が、帰国後内輪の席で我々の前で最初に語った言葉が、

  「いい女だったぞ。あれは処女に間違いない」で、あった。

  外交官のあり方として、産経新聞に紹介された砂川氏との姿勢との、あまりに格差に心が寒くなる。

  砂川氏のような外交官が外務省幹部に一人でもいるのなら、日本外交もここまで無残なことにはならなかったに違いない。

  外務省は日本の外交力をみすみす放棄している。もったいない事だ。残念な事だ。

Copyright ©2005-2013 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2008年07月03日

日本サッカー協会次期会長をめぐる人事報道


 日本サッカー協会次期会長をめぐる人事報道

  新聞各紙を毎日読み比べていると、こんな事に出くわす事がある。

  7月3日の朝日新聞は一面トップで日本サッカー協会の次期会長候補が犬飼基昭常務理事(65)に絞られた、というスクープを報じた。

  ところが同じ3日の読売新聞はスポーツ紙面で現副会長で国際サッカー連盟理事の小倉純二氏(69)の就任が有力となった事が2日わかった、と、これまたスクープまがいの記事を載せている。

  どちらが本当なのだろうか。答えは一つだ。どちらかが正しく、どちらかが間違っている。

  政治ブログを書かねばならない私であるが、このスクープ合戦とその後の顛末に、私は野次馬根性まるだしの興味を持った。関係者は今大騒ぎをしているに違いない。

  報道関係者にとっては、世のため、人のため、に立派な記事を書くことよりも、少しでも早く他社を出し抜いて最新ニュースを配信するほうが大事だ。だからこういう事が起きる。

  私はあまり関心はないが、人事はどの人事でも世間の関心の的だ。ましてやサッカーファンならばこの人事は大きな関心事に違いない。スポーツ紙などは最大のネタであろう。

  朝日と読売という日本を代表する大手紙のスクープ合戦の、はたしてどちらに軍配が上がるのか。 

  間違った人事を報じたほうは、どのような弁解をするのか。その記者に同情する。

 どうでもいいことだけれど、スクープ合戦の激しさと、非情、悲哀をしみじみと感じる。

  その事を一言書きたかった。それだけのブログである。

Copyright ©2005-2013 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2008年07月02日

 無駄をなくすという事は、無駄な仕事をしないことだ


 無駄をなくすということは、無駄な仕事をしないことだ

  7月2日の新聞に象徴的な記事が二つ並んでいた。

  一つは財務省が7月1日に発表した、予算執行調査結果の公表である。

  財務省がこのような調査結果を年度の途中に発表していたとは知らなかった。予算執行調査は2002年度から開始されたという。

  その結果、たとえば08年度予算の査定に際しては、無駄遣いをしていた省庁の予算査定を厳しくし、計342億円の予算削減につなげたという。

  もう一つは、自民党「無駄遣い撲滅プロジェクトチーム」なるものがまとめた提言が、やはり同じ7月1日に福田首相に提出された事だ。この提言に基づいて生み出される財源は2000億円程度という。

  無駄遣いをなくすのはいい。

  しかしわずか324億円や高々2000億円程度の節約が、本気で節約した結果と言えるのか。断じてそうではない。

  来るべき消費税増税による数兆円の財源増に比べれば少なすぎる。増税へのアリバイ作りだ。

  同じ7月2日の毎日新聞は、公益法人改革案の概要が明らかになったと報じていた。

  それによれば、350ある公益法人のうち、廃止方針が打ち出されるのはわずか10法人未満であるという。ふざけるな、という思いだ。本気で改革する気がない証拠だ。

  政治家や官僚の仕事は、その殆どが意味のない仕事である。

  というよりも、しなければならない仕事に手をつけず、どうでもいい仕事を作り出して、それに無駄な時間と予算を使う。

  それはすべて税金でまかなわれるから許されるのだ。

  成果主義の民間企業では決して許されない、考えられないことだ。直ちに株主訴訟になる。

  無駄をなくすということは、政治家や官僚の仕事を衆人環視の下に置き、その必要性を厳しく国民の眼にさらすことだ。その必要性の有無を国民の判断に委ねることだ。

  不要な政治家や、膨れ上がった官僚組織や、そのまた就職先の天下りの為の公益法人を、本気で削減していく事こそ、今求められているの。

  タクシー券や娯楽費の節約などといった瑣末な事にうつつを抜かす前に、自らの存在を自己査定することである。

Copyright ©2005-2013 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2008年07月02日

自衛隊の蘇生は自衛隊の原点に戻る事だ

 自衛隊の蘇生は自衛隊の原点に戻ることだ


  私は1988年から90年の二年間、外務省から総理府(当時)に出向し内閣安全保障室の審議官を務めたことがある。

  そこは国防予算を決定する防衛庁(当時)の出先機関のようなところだ。

  その勤務を通じて、防衛施設を訪れたり、一ヶ月の幹部防衛研修も受けた。知り合いもできた。

  だからこのようなニュースを聞くと悲しく思う。

  7月2日の報道は、今の防衛省が抱えている深刻な内部矛盾を露呈する二つのニュースを報じていた。

  日米軍事演習のデータが陸自隊員によって盗難、破棄されていた事、そして防衛省が渋谷に隊員集めの広報展示館(自衛館)をオープンした事、この二つのニュースである。

  防衛省改革が必死で検討されているにもかかわらずなぜこのような不祥事が後を絶たないのか。不況期で募集が困らないはずなのに何故自衛隊に若者がそっぽを向くのか。

  すべては今の自衛隊が矛盾に満ちているからだ。どのような美名をならべようと今の自衛隊の任務にやりがいが見つけられないからだ。

  それは当たり前だ。命をかけて国と国民を守るという、本来であれば最も崇高な任務のはずが、対米従属の政治家、官僚、制服幹部によって、米国軍の指令の下に米国の戦争のために共せられる傭兵のようになり下がっているからだ。

  まともな若者ならば、いや判断力のある国民であれば、おかしいと思わないはずはない。

  このままでは自衛隊は拡大する矛盾に押しつぶされ、やがて自壊していくに違いない。

  それを防ぎ、自衛隊を蘇生させるにはどうすればいいのか。

  その答えはただ一つ。自衛隊の原点に戻る事だ。

  自衛隊を日米軍事同盟の鎖から解き放ち、世界で日本だけにしかない専守防衛の「自衛隊」を、国民の尊敬と祝福を受けてつくり直すことである。

  憲法9条は、二度と日本に軍国主義を起こさせないという米国の懲罰的な配慮から押しつけられたものだった。様々な議論はあるが、この側面は誰も否定できない。

  理想的過ぎることが分かっていながら、そしてそれがあまりにも理想的過ぎるので、やがて日本人は改めるであろう、と思いながら、米国は憲法9条を日本に課した。

  ところが日本人はそれを歓迎して受け入れた。そして今日まで守り続けた。

  憲法9条を押し付けた米国は自分達の都合で憲法9条を捨て、日本に軍隊を持たせようとした。

  朝鮮動乱によって占領米軍が朝鮮半島に出兵した時、米兵の留守家族を守るために作られた保安隊はやがて、冷戦が熱戦になるにともなって、アジアの先兵として米国の手で軍隊にさせられた。

  それは、みずから押しつけた武装解除の憲法9条に明らかに違反する。しかし米国の身勝手なご都合主義は、日本国民の抵抗を恐れ、憲法9条を変えることなく、なし崩し的に日本に軍隊を持たせ、憲法9条を否定したのだ。

  しかし、憲法9条がある限り、それは軍隊ではない。自衛隊なのだ。専守防衛の自衛隊なのだ。

  その存在が、憲法9条違憲論争を通り越し、現実の存在として国民に受け入れられてきた。

  政治の世界においても、自衛隊を違憲だと正面から主張する政党はもはやなくなった。

  こうして自衛隊は世界広しといえども日本にしか存在しない「自衛隊」となった。

  それでいいのだ。

  自衛隊は国際政治の矛盾の中で生まれたものであったが、その結果、我々は専守防衛の、世界で唯一の「自衛隊」を、手に入れたのだ。

  我々が今直面している最大の問題は、そのような専守防衛の日本の「自衛隊」が、米国の命ずるままに米国の傭兵に成り下がりつつあるということだ。

  対米従属の政治家や官僚や、防衛省の制服幹部さえもが、保身のあまり本心を押しつぶして「自衛隊」の誇りを踏みにじろうとしている事だ。

  自衛隊の蘇生は日本固有の「自衛隊」の原点に戻る事しかない。

  米国従属の軍事同盟から決別し、専守防衛に徹した日本の「自衛隊」を作り直すしかない。

  日本の安全保障政策も、それに見合った装備も、日本の自主、自立した物に作り直していくのだ。

  その時の原点は平和憲法9条堅持である。憲法9条の下での、専守防衛の自衛隊である。

  外交力によって紛争を平和的に解決する事を最優先にする。

  不合理な国が日本を攻撃してこないように、攻撃させないように、自衛隊に強力な抑止力を持たせ 
  る。

  自衛隊の日常業務は災害援助など国土保全任務がすべてとなる。そのことによって国民に感謝される存在となる。

  日本や日本国民が攻撃される危険が迫った時には、真っ先に命をかけて国と国民を守る。そのことによって国民が尊敬する存在となる。

  専守防衛の自衛隊は決して国外に派遣してはならない。たとえ国際貢献のためであっても国外に出してはいけない。

  憲法9条を世界に宣言し、日本の自衛隊はいかなる脅威にもならない、専守防衛の自衛隊は国外には一歩も出さない、と宣言する。

 これほどの国際貢献はない。世界は拍手喝さいを送るに違いない。

  もう一度言う。自衛隊の蘇生は自衛隊の原点に戻る事だ。

  対米従属の傭兵軍隊ではなく、国民に喜ばれ、尊敬される自主、自立の、専守防衛の自衛隊の姿に立ち戻る事である。

Copyright ©2005-2013 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2008年07月01日

何のための自衛隊を海外に派遣するのか


 何のために自衛隊を海外に派遣するのか

  福田首相は6月30日に、訪日した国連のパンギムン事務総長に、スーダンの国連平和維持活動(PKO)の司令部に自衛官を派遣すると表明した。

  7月1日の各紙は、政府が発表した広報資料そのままに、この事実関係を淡々と報じていた。

  その中で一人朝日新聞だけが、「戦略なき派遣」、「『貢献先』探しに必死」という批判的な記事を載せていた。

  その報じるところは要旨次のごとくである。

  すなわち、決定に至るまで政権内部の議論は迷走が続いた。
  スーダン派遣が浮上したのは、福田首相が1月の施政方針演説で、「平和協力国家」を打ち出した後だという。つまり最初に国際貢献ありきであった。平和協力国家という福田政権のアピールがあったのだ。
  外務省がスーダンを選んだ理由はいずれも後付の理由であり、国際貢献が真に必要なところへの派遣ではなかった。
  すなわち、必要な国にはすでに主要国の軍隊が派遣されている。イラクやアフガニスタンへの派遣は新たな法律が必要になる。アフリカ開発会議の開催国としてアフリカの平和構築に協力する姿勢をアピールできる、などなど、あくまでも外務官僚が鉛筆をなめてでっち上げた理由だ。
  しかし派遣させられる防衛省は、「サミットを控えた外務省の都合だけで危険地域に部隊を派遣するわけにはいかない」と最後まで抵抗したという。
  落としどころが、スーダンの首都ハルツームの司令部への要員派遣だけだった。
  しかし、それとても、国連側から提示された用務がデータ管理と補給物資管理のポストだけだった事から、「こんな(地位の低い)ポストなら出すに値しない」と石破防衛相が難色を示したという。
  最終的には官房長官、外相、防衛相の3閣僚会合で石破防衛相が譲歩し、国連事務総長との福田首相の会談直前の6月26日に決まったという。
  しかも、その後でさえ、司令部要員の主要な任務は、自国の部隊と参加各国との連絡調整にあたるだけであるので、「国際的にどれほど評価されるのか」(防衛省幹部)と冷めた見方が強いという。
  更にその朝日の記事は、ある国連筋の話として、
 「PKOは常に人手不足。一人でも増えればありがたいというだけで、自衛隊の派遣を特段重要視しているわけではない」などという言葉をのせている。

  文字通り「派遣先探しに必死」な「戦略なき派遣」である。

  しかし、この朝日の記事さえも正面から書かない本当のジレンマがある。

  国際貢献を本来業務にしたのはいいが、国際貢献という名前ので米国の戦争につきあわされて自衛隊に犠牲者を出すような事は、絶対避けたいというのが政府や防衛省の本音である。

  ましてや自衛隊の生命をあずかる防衛省としては、外務省の対米従属外交や国際貢献をアピールする宣伝外交に付き合わされて、戦地に自衛隊を派遣する事は、決して認められないのだ。

  スーダンの事情に詳しいNPOの若者が見事に言い当てていた。

 「ハルツームは我々が夜間で歩いても平気な安全な場所だ。そんなところには何も自衛隊を派遣する必要はない。本当に必要な場所は今でも紛争が続いているダルフールなのに・・・」

  自衛隊の海外派遣は、これからも間違いなく迷走し続けることになる。

Copyright ©2005-2013 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2008年07月01日

 サミットが拡大されるという産経新聞のスクープ


 サミットが拡大されるという産経新聞のスクープ

  7月1日の産経新聞は一面トップで、今度のサミットで、サミット参加国を現在の8カ国から13カ国に拡大することが正式議題になった、という事を大きくスクープした。これは産経の立派なスクープだ。

  サミットは私の35年の外交官生活の中でも思い出深い出来ごとである。だから今日のブログでサミットが拡大されるという事への思いを書かせてもらいたい。

  サミットが正式に発足したのは1975年のランブイエ(仏)における主要国首脳会議であった。

  その直接のきっかけは73年の石油危機であり、当時高まる産油国のナショナリズムとカルテルに対決するために先進国は結束を固めた。

  一方において、74年にキッシンジャー米国務長官が提唱した国際エネルギー機関(IEA)がOECD内部につくられ、備蓄、融通、代替エネルギー開発を三本柱とする、原油価格高騰に対する先進消費国の結束が図られるとともに、他方において、フランスのジスカール・デスタン大統領の提唱により、仏、英、独、イタリアの欧州勢と米国、そして日本の主要先進6カ国の首脳会談がスタートしたのである。

 だからこのサミットはもっぱら経済問題を中心とした、自由、資本主義体制の主要国の極めて戦略的な会議としてスタートしたのだ。

 石油の高騰とそれがもたらす世界経済の混乱にどう対応していくかという会議であった。

 欧米4カ国と米国からなる首脳会議に日本が招待された、ということで、その当時の日本の指導者達が有頂天になって大喜びをしていた事を今でも思い出す。

 当時米国研修を終えて東京に戻った私は、初めての本省勤務が、このような歴史的会議であった事に感動したものだ。

 当時私は経済局総務参事官室という経済局の筆頭課に配属されていたのだが、直接の担当課として、隣の国際経済課が指名され、その課の末席に、やはり米国研修を終えて本省に戻ってきていた、私より一年先輩の岡本行夫がいた。

 いずれにしてもサミットの原点である6カ国の中に入る事を認められた日本は、今から思えば国際政治の中での絶頂期であったと思う。

 その後1976年の第二回サミットでは米国の強い意向でカナダが参加しG-7となり、冷戦後の1998年には経済体制の異なるロシアが参加してG-8となった。

 その間にも、カナダが入ったのだから豪州も参加したいと言い出したが、かつての宗主国英国が冷たく対応し参加は実現しなかった。

  開放後の中国の参加問題が、中国の経済力の向上にともなって常に取りざたされたが、中国自身が希望しなかったため、今日まで実現しないでいる。

  日本はG-6の拡大には常に反対であった。なにしろ欧米主要5カ国の中で、アジアの有色人国家がただ一人参加を認められたのだ。この特権を薄めたくはない。

  ところがついに2008年のサミットで、しかも日本が議長国である時にサミットが13カ国に拡大することが決められるという。なんたるめぐり合わせだろう。

  産経新聞の記事によれば、G-8に加え中国、インド、ブラジル、メキシコ、南アフリカの5カ国を加えた13カ国とする問題が正式議題になるという。

  そして日本はいつものように、反対している。

  日本は、サミット参加国の拡大問題を議題としないよう仏、英などに働きかけたという。

  福田首相も町村官房長官も、そして安倍晋三前首相も、加盟国拡大に反対して、もはやこれ以上拡大しないで欲しい、と関係国の首脳にはたらきかけてきたという。

  しかし、この問題を首脳会合で取り上げるというサルコジ仏大統領の意向は硬く、正式に議題に登録されたという。

  産経新聞も書いているように、今度のサミットで拡大が決定される事が決まらないかもしれない。日本の抵抗で加盟国拡大問題が先送りされるかも知れない。

  しかしサミット加盟国拡大は早晩避けられない。

  それが現実だ。日米同盟最優先しか語ることのなかった日本の行き着く先である。

  また一つ、日本の国際政治における優位性が失われていく。

  75年のあの高揚感が夢のようだ。

  

Copyright ©2005-2013 www.amakiblog.com
人気blogランキング

2008年07月01日

 既存の政治を全否定するという発想が重要である

 既存の政治を全否定するという発想が重要である


  政治は二の次だといいながら、はやりこのブログでは政治的な事を書かざるを得ない。今の日本の政治は、完全に機能していないからだ。

  誤解の危険をおかしても、このブログの書き方を、わざと過激的、皮肉的にする。読者の頭の中に刺激を与え、自らの考えを呼び起こさせるためだ。

  今日の各紙は一斉に国会議員の所得一覧を掲載していた。その数字を額面どおり受け取る者はいないだろう。どの議員も数字に表れない所得や資産を持っている事は皆が知っている。

  注目すべきは、昔とちがってテレビ出演をしたり、本を出版して得た所得が報道されるようになったことだ。

  政治家にそれらの活動を自粛せよというつもりはない。しかし、政治家が本来の政治を本気で行おうとした時、そんな余業をする暇とエネルギーがあるだろうか。

  今日の毎日新聞に、「年金解決 メド立たず」という大きな見出しで、驚くべき記事がでていた。「宙に浮いた年金記録」問題が、根本的にはまったく解決されておらず、解決のメドさえ立たないという記事だ。

  この問題が国民的な大問題になったのはもう一年半も前の事だったと記憶している。その間あらゆる政治家が、官僚が、知恵を絞って解決策を模索した。しかしそのめどさえ見つけられなかったのだ。

  その一方で今日の各紙は7月1日から値上げが始まる商品の一覧表を掲載していた。

  それを見て驚かない人はいないであろう。生活する上での基本的な物資や公共サービスが軒並みに値上がりするのだ。

  政治は一体何をしているのだろう。政治家は何をしているのか。

  ここで私は、プロゴルファーの父親とかタレント性だけで当選した、税金ドロボーまがいの政治家の事をあげつらっているのではない。

  元総理経験者や、長年政治に携わってきた派閥の領袖、さらには政策通と目されている多くの政治家の事を言っているのだ。

  6月末に国会が終わり、政治報道は書くことがなくなった。だからもっぱら選挙絡みの政治家の記事ばかりだ。

  やれ解散・総選挙の時期はいつか、ポスト福田は誰か、9月の民主党の党首選挙における小沢の対抗馬は出るのか、新党は、政界再編は・・・

  残念ながら、このような記事はこれからも繰り返されるに違いない。しかしこれらの政治家が一つでも国民のために役立つ仕事をしたというのか。

  国民生活が楽になるような政策を打ち出せたか。

 どれ一つ解決されない、解決できないのではないか。

 私は「今の政治の全否定からはじめよう」と繰り返し書いてきた。

  それは勿論極端な意見であり、非現実的な提案だ。

  しかし、今の日本を見るにつけても、そこまでの発想の転換をしない限り、ちょっとやそっとの政治改革では、日本の未来はない、という思いを日々強めざるをえない。

  今報道されているのは既存の政治家達の、自分達の生き残り活動でしかない。

  政治を飯の種にしている政治記者たちの作り上げた閉鎖された世界でしかない。

  政権交代が起こっても、政界再編が起きても新党ができても、今の政治家の顔ぶれを見ている限り、まず100%何もかわらない。

  そうだとすれば、どうすればいいのだろう。

  選挙区から誰か一人を選ばなければならない、という発想を捨てることだ。

  税金を払うに値する政治家だけを選ぶという発想を持つ事だ。

  たとえば今度の選挙を考えた時、与野党のどちらかの候補が勝つ。どちらかが負ける。

  そのために刺客を送るとか、選挙区を鞍替えするとか、選挙協力をする。住民票を移す、という禁じ てもあるらしい。

  小泉とか福田とか安倍とかと言った選挙区は対抗馬がいない。小泉にいたっては選挙区に一度も足を運ばずに当選したりする。

  すべては政治家の定数があり、必ず誰かが選ばれるという事になっているからだ。

  これを発想を転換して、最低の得票率が得られなければ、たとえ比較一位になっても当選できないとしたらどうか。

  その得票率を過半数としたら、おそらく当選する者はいなくなる。

  それでいいのだ。

  本当に立派な政治家であれば過半数の支持くらい得られなければおかしいだろう。

  それで誰も当選しなければ、それでもいいのだ。

  税金が節約できる。おびただしい経費が節約できる。

  国を動かしていくことぐらい、国民がその気になってあたらしい方式を考え出せば、どうとでも出来るのだ。

  それくらいの発想の転換をして国民が動かなければこの国は変わらない。

  変わらなければ、この国はもっともっと悪くなる。格差は広がり、社会不安は高まっていく。国民はばらばらになっていく。

  日本はもうそこまで来ているのではないか。

  我々が政治をつくり直さなくてはいけない。

  

  
  

Copyright ©2005-2013 www.amakiblog.com
人気blogランキング