ゲーテの言葉に感動する原田宗典の随想を読んで書きたくなった
ゲーテの言葉に感動する原田宗典の随想を読んで書きたくなった
どうでもいいことを書いてみたい気になった。
断っておくがこれは原田宗典を批判するものではない。彼の書いた随筆にケチをつけるのでもない。
彼と同様に、ゲーテの言葉に大いにうなずくものである。
すべてはゲーテの偉大さの故に書いてみる気になったまでだ。
そして、いつもの通り最後に一言余計な事を書く。それだけである。
16日の毎日新聞に小説家、エッセイストの原田宗典が、梅雨の季節に暇に任せて手に取った「ゲーテの格言集」(高橋健二訳)を読んで、感動した事を書いていた。
ゲーテいわく
生活はすべて次の二つから成り立っている。したいけれど、できない。できるけど、したくない。
豊かさは節度の中にだけある。
生活をもてあそぶものは、決して正しいものになれない。自分に命令しないものは、いつになってもしもべにとどまる。
目標に近づくほど困難は増大する。
理解していないものは、所有しているとは言えない。
人はみな、わかることだけ聞いている。
などなど
うわっ!すれ違いざまに一本!みねうちじゃ・・・という感じ。さすがにゲーテである。なるほどお~と恐れ入ってしまうような言葉が並んでいる・・・と原田さんは感動している。
私はそのように大げさに感動はしないけれど、やはりゲーテはいい事を言っている、と感動する。
しかし私は、なぜかこのような名言集や格言集の類が嫌いだ。
嫌いだと言うよりも、格言集にでてくる言葉の洪水に、辟易してしまうのである。
一つ一つのありがたみが薄れるような気がするのである。
そして、これに似た思いをどこかでする事があったと考え、しばらくして思い出した。
たとえば読者の皆さんはこのような経験をしたことはないか。
ある曲や歌が好きだとしよう。
その曲は、他のどうでもいい曲の中に一つだけある。だからその曲を聴こうと思ったら他の曲が沢山入っているアルバムを買わなければならない。
しかもそのアルバムで好きな曲を繰り返し聴こうと思ったら、他の曲を早送りしたりスキップしなければならない。
そういう事が面倒なので、自分の聴きたい曲だけを編集してお気に入りアルバムを作って見たりする。
ところがいざ作って見いてみると、その曲のありがたさが半減し、好きな曲ばかり入っているそのコレクションが、急に色あせて見える。
格言集や箴言集の類もそうに違いない。
たとえば一つの名言にたどり着くには、それまでの長い道のり、無駄な時間が必要ではないのか。
長い小説の中で最後に主人公が漏らす言葉の中に、その小説のすべてが凝縮される、そのためにその作家がストーリーを凝らし、文筆を重ねるのではないか。
何事も要領よく答えだけを引き出そうとすると上手くいかない。面白くもない。感動もない。
それでもゲーテは偉大だから、その言葉の価値はなくならないとは思うけれど。