2008年05月31日
2008年05月31日
クラスター爆弾禁止に同意した福田首相と毎日新聞の貢献
クラスター爆弾禁止に同意した福田首相と毎日新聞の貢献
クラスター爆弾禁止条約案が30日参加約110カ国の全会一致で採択された。最後まで異論を唱え続けていた日本も福田首相の政治決断で一転して賛成することになった。
クラスター爆弾禁止条約案が採択された事を喜ぶ。それに同意した福田首相の政治決断を歓迎する。
しかし、私がこのブログで指摘したいのは、当初よりこの条約の重要性を訴え、日本政府に対して前向きな対応をとるよう一貫して主張し、報道してきた毎日新聞の貢献である。
毎日新聞は「STOPクラスター」という標語を掲げて、毎日のようにクラスター爆弾禁止をめぐる交渉過程を報道してきた。米国に追従して消極的な態度に終始した日本政府の対応を批判してきた。
その記事を読みながら、私も随分学ばせてもらった。その報道で知った日本政府のあきれた迷走振りを、このブログでも批判してきた。
私は思うのであるが、この毎日新聞のクラスター爆弾禁止に対する情熱と、その情熱が書かせた記事が、日本政府への目に見えない圧力となって、最後は日本政府を動かしたに違いないと。
毎日新聞の担当記者たちに乾杯!
それにしても画期的な条約の成立とそのプロセスだった。
軍事大国によって支配されている軍縮交渉がまったく機能しない中で、ノルウェーなどの有志国とNGOが、あたらしい軍縮交渉の場(オスロプロセス)をつくったのが07年2月であった。
当初45であった参加国が15ヶ月で110まで膨らんだ。その背景には国際世論の盛り上がりがあった。
オスロプロセスの参加をためらっていた日本政府は、世論の圧力に押されるように嫌々ながら参加したが、参加しても水をかけるおろかな役割を果たしてきた。
そして最後は英、独、仏などの主要国が賛成するようになり孤立した。採択の直前になって、政治決断が下されて賛成に転じたのだ。
官僚に主導された外交の限界である。
この条約には、米国、ロシア、中国、イスラエル、インド、ブラジルという軍事大国が参加していない。それを理由に、実効性がないと言われ続けてきた。
日本政府もそれを繰り返し強調し、消極姿勢を貫いてきた。
しかし、国際世論を敵に回すような形でクラスター爆弾を保有し、使い続けるこれらの国こそ、世界の大勢から孤立しているのだ。
これらの国々は、どんなに偉そうなことを言ってみたところで、世界に恥をさらしているのだ。
これらの国は、一時的にどんなに自らを大国であると誇示してみても、長い歴史の中で、国際世論の良心によって断罪され、そしていずれ自らの誤りを改めざるを得なくなるであろう。
人類の発展のためには、そうならなければいけない。
最後に一言、今度は、31日の読売新聞の記事を引用しながら、安全保障問題とは一体何なんだ、という問いかけをしてこのブログを終えたい。
読売新聞は次のように書いていた。
・・・防衛省はクラスター爆弾は日本の安全保障上「有効な武器」であると主張してその禁止に反対してきた。
すなわち「国土の狭い日本では、敵部隊が上陸してきた場合、すぐに都市部へ侵攻する恐れがある。クラスター爆弾はこうした敵を海岸で一網打尽に攻撃できる」、というわけだ。
だが、福田首相は周辺に次のように語って、こうした主張を受け入れなかったという。
今日の日本の脅威は、ミサイルや航空機による攻撃であり、敵部隊の直接の上陸の可能性はきわめて低い。だから「クラスター爆弾は持っていても使えない兵器だ」、と。
実はこの議論は、今日の日本の安全保障政策全般に言える事なのである。
冷静に考えれば、5兆円にも上る毎年の軍事予算の中で、本当に必要な兵器がどれほどあるというのだろうか。
防衛省が安全保障上必要だと主張するクラスター爆弾を、総理は「不必要だ」という政治的判断で一蹴した。
防衛省が、「それでは日本の安全保障は守れない」、と必死で抵抗した形跡はない。福田首相の判断は誤りであるといって福田首相を引き摺り下ろそうとする政治的な動きはない。
その程度の安全保障論議で政策が決められるのだ。
多くの装備が実は「持っても使えない武器」なのではないのか。
誰かがその議論を正面から行わなくてはならない。
そういう議論ができる首相が出てこなくてはいけない。
