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2008年05月17日

読者の皆さんへーこのブログは次の総選挙までとします。


 読者の皆さんへーこのブログは次の総選挙までとします

  このブログの読者に私の思いを伝えます。

  このブログは次の総選挙までとします。その理由は次のとおりです。

  私はこのブログを通じて一人でも多くの人に自立した考えを持ってもらいたいと願って書きはじめ、そして書き続けてきました。

  徒手空拳の一人の人間でも、問題意識を持って新聞や雑誌の記事を読めば、色々な事が見えてくる。それを自分の頭で考え、自分の意見を持つ習慣を身に着ければ、やがて皆さんは立派な評論家、有識者になれるはずです。

  一人一人が、他人のお仕着せの考えに流されること無く、自分の確固とした意見を持つようになれば、この国を動かすことができる。読者の皆さんの意識が、叫びが、この国の権力を脅かし、日本の将来を切り開いていく、そう願って毎日書き続けてきました。

  そうであればこそ、このブログはいつかの時点で役割を終えなくてはなりません。いつまでも際限なく書き続ける事は、読者の自立心を妨げる事になる。

  読者には、いつの日にか、私になりかわって、声をあげ、行動を起こしてほしいのです。

  私は、今日本は歴史的転換期に差しかかっていると思うのです。
 
  それは決して好ましい転換期ではありません。

  それどころか、この日本という国が、踏みとどまることができるか、それともどんどんと悪い方向に流されて、漂流してしまうのか、その正念場に差しかかっていると思うのです。

  そして、その一つの試金石が次の総選挙だと、私は、思います。次の総選挙は、戦後の政治史に残る選挙だと思うのです。

  次の総選挙がいつあるかわかりません。しかし、たとえいつ、どのような形で行われようと、その時の国民の一票がこの国の将来を決めることになる。

  私は自公政権は何があっても崩壊、消滅しなければ日本の将来はないと思っています。

  ここまで日本を壊したのは自公政権でした。なんとしてでも下野させなければならない。責任をとらせなければならない。

  しかし、たとえ自公政権がなくなっても、政界再編によって形を変えた自公政権的なものができるようでは、同じことです。日本に将来はない。

  日本の政治は、革命的に変わらなければならないのです。

  それは次回の総選挙だけで実現できるものではありません。何度も選挙を重ねて、本当の政治家による、本当の政治を実現しなければならないのです。

  そして、次回の総選挙は、その始まりにしなくてはならないのです。

  その事を訴えながら、私は次回総選挙の時ま、全力を傾けてこのブログを書き続けます。

  一人でも多くの読者に気づいてほしい。今度の選挙では、いままでの政治をいったん全否定しなくてはならないと。

  そこから再出発するのです。そして、その時は、あなたが私になるのです。

  次の総選挙は、小泉元首相によれば来年のサミット後という事です。また、福田首相の唯一の仕事は、解散・総選挙をしないということらしいので当分は総選挙はありません。

  だからこのブログはまだしばらく続きます。私は、まだしばらく書き続けなければなりません。

  でも、そこまででいいでしょう。

  私は書き疲れたからやめるのではありません。あなたに覚悟を迫っているのです。

  誰からも命じられることなく、誰の支援を受けることなく、ただひたすら一人でパソコンの前で書いてきました。その姿を想像してください。

  やがて、その私はいなくなる。しかしあなたが私になるのです。

  その時には、もうあなたはブログを書く必要はなくなる。真実を見抜く力を持った自立したあなたが、立ち上がり、行動するのです。

  その時を願って、私はその時まで、全力を傾けて書き続けます。

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2008年05月17日

古代ギリシャの歴史家ヘロドトスの名言


 古代ギリシャの歴史家ヘロドトスの名言

 こういうエピソードを見つけると私は感動する。

 17日の朝日新聞土曜版(Be)に聖路加国際病院理事長の日野原重明氏が、「96歳、私の証 あるがまま行く」、と題する随想を書いていた。

 その随想の書き始めに次のようなエピソードを見つけた。

 ・・・太平洋戦争回避のための日米交渉の場で、特命全権大使を務めた外交官の来栖三郎氏の墓は東京・青山霊園にあります。墓所の一角には、古代ギリシャの歴史家ヘロドトスの名言を刻んだ石碑があります。
    私は彼の主知医をしていたこともあり、墓参した際に写真を撮ったことがあります。そこにはこう書かれていました。

    「平和の時には息子が父を葬り、戦時には父が息子を葬る」(日野原抄訳)

    来栖さんの息子さんが太平洋戦争で戦死した際に贈った碑だそうです・・・

    父の息子として生まれ、そして息子を持つ父となった世の中の多くの男たちには、このヘロドトスの名言が胸に響くに違いない。私もその一人だ。

    強烈な反戦歌だ。

    ヘロドトスも来栖も日野原も、強い平和主義者だ。

    そう思ってこの悲しい名言をかみしめて読んだ。

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2008年05月17日

「野口英世アフリカ賞」記念行事を欠席する小泉元首相


 「野口英世アフリカ賞」記念行事を欠席する小泉元首相

  17日の産経新聞に興味深い記事が出ていた。

  「英世賞」小泉氏冷めた?、言いだしっぺの本人欠席、という見出しで、小泉元首相が5月29日の「野口英世アフリカ賞」記念講演に欠席する、という事を報じていた。

  この「野口英世賞」とは、2年前の06年5月に、小泉元首相がガーナを訪れた時、「ひらめき」で自ら提案し、強引に創設した賞である。

  当時の小泉メールマガジンには次のように書かれている。

  ・・・飛行機の中で、野口英世賞を創設するというアイデアがひらめきました・・・今回のアフリカ訪問は、野口英世博士が私を呼んだような気がします・・・

  小泉元首相がそれまで野口英世の事をどれだけ知っていたか知らないが、大変な入れ込みようである。

  そして、ノーベル医学賞にも劣らないような賞にしたいとして、一人当たりの賞金が一億円の賞を創れと命じた。

  その授与は5年に一回開かれるアフリカ開発会議で授与する事が決められた。

  その5年に一回のアフリカ開発会議が、今回は横浜で5月末に開かれる。そしていよいよ「野口英世賞」の第一回目の受賞者が、それを授与されるのだ。

  当時の報道を思い起こせば、確かにこの「野口英世賞」は、パフォーマンス好きの小泉元首相の強い意向が無ければありえない賞であった。同様の賞はすでにいくつか存在するのになぜ今「野口英世賞」なのか、巨額の賞金をどう講じるか、という問題があった。なぜ、日本の医学会では評価されなかった野口英世の名前を冠する賞なのか、という意見もあった。

  それらを押し切って小泉元首相のために創られた賞であるから、今回の授与式に小泉元首相が出席しないという事はおかしい。

  そう思って記事をを注意深く読むと、小泉元首相は5月28日の授与式には出席するが、29日の受賞者による記念講演には欠席するという、のだ。

  それなら頷ける。小泉元首相の面目躍如である。いいとこどりである。

  自分が目立つところだけは顔をだすが、受賞者が主役の記念講演などには関心は無い。

  そもそも、他人の講演などを、長い時間をかけて聞く辛抱は、彼にはまったくないのだ。

  受賞者の記念講演こそ、受賞者に敬意を表するこの種の受賞式のハイライトなのに、である。

  それにしてもこの「野口英世賞」とは「公的な賞」なのか小泉元首相の「個人的な賞」なのか。

  賞金は政府の予算と民間、個人の寄付からなるという。その比率はどうなっているのだろう。政府の予算とは、どの費目から出ているのだろう。ODAなのか。内閣機密費なのか。

  寄付が集まらなかったとみえて、小泉元首相は、給与だったか、賞与だったかから、数百万円ほど寄付したという報道がなされたことがあった。

  そして、28日の授賞式では、誰が賞を受賞者に渡すことになるのか。これが小泉元首相から手渡されるのであれば、こよなく個人的色彩の強い賞であるということだ。小泉パフォーマンスの賞ということだ。そんな賞に政府予算が使われていいのか。

  渡す人間が福田総理やその代理であれば、野口英世賞は、その設立経緯とは別に、まがりなりにも、日本政府の継続的な「公的な賞」ということになる。しかし自分が渡さないような賞の授与式に小泉元首相が出席するはずはない。

  5月28日の授与式から目が話せない。

  

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2008年05月17日

地震被災まで利用して中国批判を繰り返す心の貧しさ


 地震被災まで利用して中国批判を繰り返す心の貧しさ

  昨日のブログで私は中国の地震報道はもう十分だという事を書いた。

  その理由は、中国の地震報道の洪水の中で、我々が知らなければならないその他の重要なニュースがかき消されるおそれがあるからだ。

  しかし、連日流される中国の地震報道で、私が耐えられない事がもう一つある。それは中国の不幸までも、対中批判の道具にしようとしている心の貧しさを感じるからである。

  実は報道各社の中国地震報道の洪水には、もっと安直な理由がある。毎日毎日ニュースを見つけるのは大変な仕事である。ニュースの無い時も、何かニュースを流さなければならないからだ。

  とくに最近のテレビなどは、政治・報道番組が安上がりと見えて、一日中ニュース番組を流しているかのようだ。ネタに困るのも当然だ。

  だからこのような大きな事件が起きると、当分は頭を痛めなくてもよい。そればかりを流していればいいからだ。それに、他社が流す以上、自分ところも流さなければならない。しかも競って。

  この世の中には、国民に知らせなければならないニュースは、本当は山ほどある。しかしそれを見つけ出すには、鋭いジャーナリズム精神と、知的努力が必要だ。それが面倒だから大きな事件に飛びつく。そしてそれで当分は稼げる。要するに安直なのだ。

  そのような安直な理由は、まだ笑って見過ごすことができる。

  しかし私が許せないのは、何でも反中国に結びつけようとする勢力が、大量の中国人民が天災で生き埋めになっている時に、それさえも中国たたきに使っているという卑劣さである。

  やれ、救助態勢が整っていない、手抜き建築が被害を大きくした、なぜもっと早く国際支援を受け入れようとしなかったか、ドサクサにまぎれて詐欺が横行するのが中国だ、温家宝や胡錦涛の現地入りはパフォーマンスだ、などなどである。

  よく考えたほうがいい。今度の中国の地震は阪神淡路大震災以上の大きさだ。被災者は1,000万人に及ぶという。未曾有の災害だ。

  日本でこのような大震災が起きれば、上手く対応できるのか。阪神淡路大震災の時の日本政府の対応はどうだったか。

  被害に無縁の日本が、傍観者的に中国の惨状を報道する。在留邦人に犠牲者はいなかったとか、日本の緊急援助隊の中国入り、などという自分の国に関係するところだけを報道する。

 そのような第三者的観点からの報道は、もういい加減にやめたほうがいい。

  何もできない我々がすべきことは、中国に同情し、犠牲者を悼むことだけだ。

  ましてや、隣国のこの未曾有の大天災までも対中批判の道具にするような連中は、自らの心の貧しさ、卑しさを恥じるべきである。必ずわが身に返ってくる。

  

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