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2008年05月01日

 ガソリン減税の混乱を煽り立てるメディア


 ガソリン減税の混乱を煽り立てるメディア

   この国の政治を語る事は馬鹿らしく思えてくる。だから極力書かずにすまそうとしてきたのだが、これだけはどうしても書いておかなければならないと思った。

   それはガソリン税をめぐる報道姿勢についてである。

   世論の多くがガソリン減税を支持し、暫定税率復活に反対していた。それにもかかわらず福田首相は復活させた。国民に喧嘩を売っているようなものだ。どう考えても福田首相は反国民的である。

   それにもかかわらず、メディアは福田首相への批判に向かわない。

   ガソリン価格が下がったのはわずか一ヶ月間だ。また値上げが復活した。何のための価格値下げだったのか。混乱するばかりだ。などと、あたかも民主党が反対した事が混乱の原因であるかのような報道ばかりだ。

   そんな情報操作に惑わされる事なく、我々は一連の税制改革について、それが国民のための議論ではなく、課税権限を手放したくない官僚と、その官僚に乗った自民党政治の税制改革でしかない、という一点を、見逃してはならない。

   それを教えてくれた貴重な記事を、4月29日の毎日新聞に見つけた。財務省と総務省(旧自治省が、地方財源改革をめぐって対立しているという記事である。

   すなわち、財務省は地方への税源移譲を認めるのであれば、その代わりに国が一般財源から地方に配分する地方交付税を大幅に削減すると主張する。

   しかし、総務省(旧自治省)は、地方交付税は自分たちが自治体を支配するための既得権であると捕らえている。だからはじめに地方交付税の削減ありき、という財務省の方針には徹底的に反発する。

   実は福田首相が暫定税率復活にここまで固執する理由も、財務省と国交省(旧建設省)の対立tという、国民不在の官僚支配にある。

   すなわち、暫定税率の名の下に道路建設予算を既得権益化している国交省と、その国交省から道路建設予算を既得権益化して配分してもらっている自治体は、一般財源化などくそ食らえなのである。

   そんな官僚のエゴを抑えきれない福田首相の官僚依存体質こそ、ガソリン税復活に見せた国民不在の福田政治の正体なのである。

   メディアがこの事を知らないはずはない。この国民不在の、官僚による血税の奪い合いを放任している福田政治の本性を知らないはずはない。

   しかし、メディアは、自民党・官僚体制を敵に回しては情報をもらえないとばかり、本当の事を国民に知らせようとしない。国民から背を向けて、もっぱら自民党と官僚の方ばかりを見ている。

   そんなメディアこそが国民の本当の敵であるのかも知れない。

   

   

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2008年05月01日

なぜ今ごろ騒ぐ


  なぜ今ごろ騒ぐ

  4月30日の東京新聞で、東京新聞が行っている「読者と対話の日」についての報告記事が掲載されていた。4月19日に、千代田区内幸町で開かれた第264回目の「読者との対話の日」の集いであるという。

  その中で、後期高齢者医療の問題について、「この問題を、なぜ今、騒ぐのか。早くから決まっていたのではないか・・・マスコミでとりあげてほしいことがたくさんある・・・・」と、マスコミの反応の遅れを指摘する意見が出されたという。

  これに対し、佐藤育男政治部長は、「後期高齢者医療制度ができたのは、2年前の小泉政権の時・・・当時、後期高齢者医療制度の問題点を報道しなかったのは、マスコミの責任だ」と答えたという。

 素直に非を認める佐藤部長には好感が持てる。

 しかし、私がここで注目したのは、五十住和樹社会部デスクの次の言葉だ。

 五十住デスクは、「制度の仕組みが複雑で担当記者にも難解な面もある」と答えたのだ。

 この率直な白状に、官僚支配のこの国の行政の本質的な問題がある。

 官僚は、暇に任せて机上の空論を重ね、複雑で、矛盾に満ちた欠陥法律を乱造してきた。そうして、自分たちだけが理解できる法律をつくって、自分たちの権限を守ってきたのだ。

 選挙の事しか頭にない政治家に、そんな複雑な法律が理解できるはずはない。採決前に官僚を呼びつけて教えてもらうような政治家ばかりだ。官僚の用意した法案を、ただ採決するだけの与党政治家なのである。

 野党政治家は、曲がりなりにも勉強をして問題点を追求する努力をする。しかし、多勢に無勢である。官僚は、議員もスタッフも少ない野党が追及できないように、わざと法案を複雑にし、乱造する。

 野党議員はアップアップ状態なのだ。

 ましてや、他社との競争に明け暮れる若い記者が、官僚のつくる法案を勉強して、その真意を見抜く事など出来るはずはない。

 こうしてこの国の、国民を切り捨てる政策がどんどんと作られていく。その多くは後になって多くの問題点が含まれている事が明らかになる。

 「今ごろ騒いでも法案が通ってしまったら終わりだ」

 そういう官僚の高笑いが、私には聞こえる。

 

 

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2008年05月01日

アフリカ開発会議という名のままごと遊び

 アフリカ開発会議と言うの名のままごと遊び

  こういう記事を書くことは私の本意ではない。読者にとって得るものがないからだ。外務省の仕事にケチをつけるだけの話だからだ。

  しかし、かねてから一度は書いておかねばならないと思っていた。外務省のやり方があまりにも目に余るものがあるからだ。その事を指摘できるのは私しかいない。それに免じておつきあい願いたい。

  4月29日の各紙は、「『日本・アフリカサミット』とあえて言わせていただく」という藪中事務次官の記者会見での唐突な発言を紹介していた。

  5月末に横浜市で開催予定の第4回アフリカ開発会議の名称を、外務省が、突然変更したのだ。

  第4回アフリカ開発会議は、40カ国のアフリカ首脳が参加する今年の日本外交の目玉行事である。

  それにもかかわらず、「国民にほとんど知られていない」。だから7月のサミットにあわせて、急遽「日本・アフリカサミット」と呼称して、思いつきで分かりやすさを狙ったのだ。

  すでにポスターなど印刷済みで、事務局は戸惑っている、というのにである。

  実は外務省はこのアフリカ開発会議を外務省OBや御用学者を使ってやたらに宣伝してきた。

  4月30日の産経新聞では岡本行夫氏が「人界観望楼」というコラムで、「アフリカが歩き始めた」などと持ち上げている。

  五百旗頭真防衛大学校校長(神戸大学名誉教授)や北岡伸一東大教授など、外務省御用達の学者が、最近新聞や雑誌で、やたらにアフリカ外交の重要性を書いている。

  笑止千万である。藪中といい岡本といい、五百旗頭、北岡教授といい、彼らはおよそアフリカなどには関心も知見もない対米重視一本やりの連中である。

  それがここへきてにわかにアフリカ外交の重要性を訴えている。明らかな宣伝活動である。

  米国研修を終えて私が最初に勤務したのがナイジェリアだった。72年の事だ。

  そして85年に外務省で課長になったのが英語圏アフリカ諸国を担当するアフリカ二課であった。

  さらには経済援助を担当して、アフリカ諸国の殆どを訪れている。

  だからアフリカ外交について、私は発言する資格はあると言わせてもらっていいだろう。

  日本外交の中で、アフリカは不在である。外務省幹部でまともにアフリカの事を考える者はいない。

  そういう連中が、今、日本・アフリカサミットの重要性を訴えている。

  この財政難の時代に、外務省はアフリカ地域に援助をばら撒き、名前も知られていないようなアフリカの小国に日本大使館を増設し、大使を乱造して税金の無駄遣いをしている。

  このいかさま外交を、鈴木宗男の秘書をしていたムルアカ氏が、月刊誌レベラルタイムス5月号で見事に言い当てていた。

  当時外務政務次官(今の副大臣)の鈴木宗男議員を利用して、関心のないアフリカに脚光を当てようとしたのが外務官僚であった。その外務官僚が、思いついたのがアフリカ開発会議であったのだ。

  以来、5年に一回のペースで開かれてきたこのアフリカ会議で外務省が行った事といえば、東京で会議を開催し、アフリカ諸国の閣僚を招待してばら撒いただけであった。

  そんなアフリカ開発会議は、アフリカの自立と発展にはなんら貢献しなかった。

  日本の都合でアフリカ外交をやっているというパフォーマンスの繰り返しであった。アフリカ諸国の間で失望と不満が出るのも無理はない。

  アフリカ諸国は見抜いている。外務省は本気になってアフリカの開発や生活向上のために支援する気はないと。

  日本の外務省が求めているのは、国連の一票であり、アフリカの資源でしかないと。そして援助をばら撒いて日本企業に仕事を与えてる事であると。

  そんなアフリカ諸国の冷めた意識を象徴するのが、安保理常任理事国入りを切望する日本に対し賛成票を投じなかったアフリカ諸国なのであった。

  5月末に開かれる日本・アフリカサミットは、大挙して押しかけるアフリカ首脳とその一行の世話と、ホテル、観光業者を喜ばすだけの壮大なパフォーマンスでしかない。

  そんなエネルギーと経費があるのなら、金をかけることなく頭を使う、もっと重要な外交を行うべきである。
  

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2008年05月01日

 長沼ナイキ訴訟で違憲判決を下した元判事の朝日新聞投稿

 
 長沼ナイキ訴訟で違憲判決を下した元判事の朝日新聞投稿


  福島重雄という元判事が、先般の名古屋高裁の自衛隊イラク派兵訴訟の違憲判決について、5月1日の朝日新聞に投稿していた。

  最初は気づかなかったが、読み始めてすぐにわかった。「・・・9条をめぐる裁判での違憲判断は、私が札幌地裁の裁判長時代に言い渡した『長沼ナイキ基地訴訟』の自衛隊違憲判決以来、実に35年ぶりのことだ・・・」というくだりを読んだ時に、この人があの福島裁判長だったのか、とピント来た。

  彼は、その投稿の中で、福田首相が今回の違憲判断に対して「傍論、脇の論ね」とそっけなくつっぱねた事や、「主文に影響しない違憲判断は蛇足だ」という一部批判に言及した上で、

  事実認定をまず確定した上で、その事実に基づいて、原告に訴訟するだけの権利、利益があるのかどうかを判断した手法は、裁判のあり方としては常道であり、なんら問題はない、と断じている。

  それどころか、航空自衛隊トップの「そんなの関係ねえ」発言をはじめ、政府関係者の指摘の多くは、判決のインパクトを弱めようとする意図が感じられる、と書いている。

  私もまったく同感である。

  あの判決は、在日米軍基地や自衛隊という一つの存在が違憲であるとした従来の違憲判決を超えて、「自衛隊を米軍の後方支援のためにバクダッドへ派遣した」という「政府の政策そのもの」が違憲である、と断じた点で、実に画期的な判決であった。この事はいくら強調してもしすぎることはない。

  だからこそ政府は慌て、ことさらにあの判決を貶め、一蹴しようとしたのである。

  しかし、私がこの福島元判事の投稿の中で最も注目した箇所は、国防など高度に政治性のある国家行為について「司法は判断権を有しない」とする、いわゆる「統治行為論」をとることなく、裁判所は堂々と憲法判断をすべきである、と次のように断じている部分である。

  「私は(長沼ナイキ訴訟の)判決でこれを採用しなかった。なぜなら憲法81条は最高裁判所は、一切の法律、命令、規則または処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する最終裁判所であると規定しており、このような憲法の下で、司法の審査に服さない国の行為の存在を考える余地はない・・・三権分立の中で、司法が一定の分野について判断を避けるという姿勢は、政治に追従、譲歩することに他ならず、日本が法治国家を(放棄することになるからである)・・・私はこうした考えから、自衛隊と憲法9条を、(司法)判断の対象にすることに、なんら迷いはなかった・・・」

  この物言いは、一見すると、自分のとった行動の自慢話のように聞こえる。間接的に名古屋高裁の裁判長に、主文の中で違憲判決を堂々と下すべきであった、と注文をつけているように聞こえる。

  しかし、決してそうではない。この投稿文の全体に貫かれている主張は、名古屋地裁の勇気ある判決を、我々国民はもっと重く受け止め、国民の力で、この国のゆがんだ政治とそれに追随する官僚支配を、正していかねばならない、とするほとばしる叫びであることがわかる。

  私は最後に書かれていた福島元判事の経歴をしみじみと読み返した。73年の長沼ナイキ判決後、彼は東京地裁から、福島、福井家裁に追いやられ、定年を9年残して、89年に退官している。

  現在富山市で弁護士を続けている77歳の元判事に、出世をなげうって国家権力と戦った反骨魂を見る。

  ふやけきった今の日本に真に必要な人物は、この福島元判事のような日本人ではないのか。そう思って私はこの投稿を何度も何度も読み返した。
  

  

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