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2008年05月17日

読者の皆さんへーこのブログは次の総選挙までとします。


 読者の皆さんへーこのブログは次の総選挙までとします

  このブログの読者に私の思いを伝えます。

  このブログは次の総選挙までとします。その理由は次のとおりです。

  私はこのブログを通じて一人でも多くの人に自立した考えを持ってもらいたいと願って書きはじめ、そして書き続けてきました。

  徒手空拳の一人の人間でも、問題意識を持って新聞や雑誌の記事を読めば、色々な事が見えてくる。それを自分の頭で考え、自分の意見を持つ習慣を身に着ければ、やがて皆さんは立派な評論家、有識者になれるはずです。

  一人一人が、他人のお仕着せの考えに流されること無く、自分の確固とした意見を持つようになれば、この国を動かすことができる。読者の皆さんの意識が、叫びが、この国の権力を脅かし、日本の将来を切り開いていく、そう願って毎日書き続けてきました。

  そうであればこそ、このブログはいつかの時点で役割を終えなくてはなりません。いつまでも際限なく書き続ける事は、読者の自立心を妨げる事になる。

  読者には、いつの日にか、私になりかわって、声をあげ、行動を起こしてほしいのです。

  私は、今日本は歴史的転換期に差しかかっていると思うのです。
 
  それは決して好ましい転換期ではありません。

  それどころか、この日本という国が、踏みとどまることができるか、それともどんどんと悪い方向に流されて、漂流してしまうのか、その正念場に差しかかっていると思うのです。

  そして、その一つの試金石が次の総選挙だと、私は、思います。次の総選挙は、戦後の政治史に残る選挙だと思うのです。

  次の総選挙がいつあるかわかりません。しかし、たとえいつ、どのような形で行われようと、その時の国民の一票がこの国の将来を決めることになる。

  私は自公政権は何があっても崩壊、消滅しなければ日本の将来はないと思っています。

  ここまで日本を壊したのは自公政権でした。なんとしてでも下野させなければならない。責任をとらせなければならない。

  しかし、たとえ自公政権がなくなっても、政界再編によって形を変えた自公政権的なものができるようでは、同じことです。日本に将来はない。

  日本の政治は、革命的に変わらなければならないのです。

  それは次回の総選挙だけで実現できるものではありません。何度も選挙を重ねて、本当の政治家による、本当の政治を実現しなければならないのです。

  そして、次回の総選挙は、その始まりにしなくてはならないのです。

  その事を訴えながら、私は次回総選挙の時ま、全力を傾けてこのブログを書き続けます。

  一人でも多くの読者に気づいてほしい。今度の選挙では、いままでの政治をいったん全否定しなくてはならないと。

  そこから再出発するのです。そして、その時は、あなたが私になるのです。

  次の総選挙は、小泉元首相によれば来年のサミット後という事です。また、福田首相の唯一の仕事は、解散・総選挙をしないということらしいので当分は総選挙はありません。

  だからこのブログはまだしばらく続きます。私は、まだしばらく書き続けなければなりません。

  でも、そこまででいいでしょう。

  私は書き疲れたからやめるのではありません。あなたに覚悟を迫っているのです。

  誰からも命じられることなく、誰の支援を受けることなく、ただひたすら一人でパソコンの前で書いてきました。その姿を想像してください。

  やがて、その私はいなくなる。しかしあなたが私になるのです。

  その時には、もうあなたはブログを書く必要はなくなる。真実を見抜く力を持った自立したあなたが、立ち上がり、行動するのです。

  その時を願って、私はその時まで、全力を傾けて書き続けます。

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2008年05月17日

古代ギリシャの歴史家ヘロドトスの名言


 古代ギリシャの歴史家ヘロドトスの名言

 こういうエピソードを見つけると私は感動する。

 17日の朝日新聞土曜版(Be)に聖路加国際病院理事長の日野原重明氏が、「96歳、私の証 あるがまま行く」、と題する随想を書いていた。

 その随想の書き始めに次のようなエピソードを見つけた。

 ・・・太平洋戦争回避のための日米交渉の場で、特命全権大使を務めた外交官の来栖三郎氏の墓は東京・青山霊園にあります。墓所の一角には、古代ギリシャの歴史家ヘロドトスの名言を刻んだ石碑があります。
    私は彼の主知医をしていたこともあり、墓参した際に写真を撮ったことがあります。そこにはこう書かれていました。

    「平和の時には息子が父を葬り、戦時には父が息子を葬る」(日野原抄訳)

    来栖さんの息子さんが太平洋戦争で戦死した際に贈った碑だそうです・・・

    父の息子として生まれ、そして息子を持つ父となった世の中の多くの男たちには、このヘロドトスの名言が胸に響くに違いない。私もその一人だ。

    強烈な反戦歌だ。

    ヘロドトスも来栖も日野原も、強い平和主義者だ。

    そう思ってこの悲しい名言をかみしめて読んだ。

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2008年05月17日

「野口英世アフリカ賞」記念行事を欠席する小泉元首相


 「野口英世アフリカ賞」記念行事を欠席する小泉元首相

  17日の産経新聞に興味深い記事が出ていた。

  「英世賞」小泉氏冷めた?、言いだしっぺの本人欠席、という見出しで、小泉元首相が5月29日の「野口英世アフリカ賞」記念講演に欠席する、という事を報じていた。

  この「野口英世賞」とは、2年前の06年5月に、小泉元首相がガーナを訪れた時、「ひらめき」で自ら提案し、強引に創設した賞である。

  当時の小泉メールマガジンには次のように書かれている。

  ・・・飛行機の中で、野口英世賞を創設するというアイデアがひらめきました・・・今回のアフリカ訪問は、野口英世博士が私を呼んだような気がします・・・

  小泉元首相がそれまで野口英世の事をどれだけ知っていたか知らないが、大変な入れ込みようである。

  そして、ノーベル医学賞にも劣らないような賞にしたいとして、一人当たりの賞金が一億円の賞を創れと命じた。

  その授与は5年に一回開かれるアフリカ開発会議で授与する事が決められた。

  その5年に一回のアフリカ開発会議が、今回は横浜で5月末に開かれる。そしていよいよ「野口英世賞」の第一回目の受賞者が、それを授与されるのだ。

  当時の報道を思い起こせば、確かにこの「野口英世賞」は、パフォーマンス好きの小泉元首相の強い意向が無ければありえない賞であった。同様の賞はすでにいくつか存在するのになぜ今「野口英世賞」なのか、巨額の賞金をどう講じるか、という問題があった。なぜ、日本の医学会では評価されなかった野口英世の名前を冠する賞なのか、という意見もあった。

  それらを押し切って小泉元首相のために創られた賞であるから、今回の授与式に小泉元首相が出席しないという事はおかしい。

  そう思って記事をを注意深く読むと、小泉元首相は5月28日の授与式には出席するが、29日の受賞者による記念講演には欠席するという、のだ。

  それなら頷ける。小泉元首相の面目躍如である。いいとこどりである。

  自分が目立つところだけは顔をだすが、受賞者が主役の記念講演などには関心は無い。

  そもそも、他人の講演などを、長い時間をかけて聞く辛抱は、彼にはまったくないのだ。

  受賞者の記念講演こそ、受賞者に敬意を表するこの種の受賞式のハイライトなのに、である。

  それにしてもこの「野口英世賞」とは「公的な賞」なのか小泉元首相の「個人的な賞」なのか。

  賞金は政府の予算と民間、個人の寄付からなるという。その比率はどうなっているのだろう。政府の予算とは、どの費目から出ているのだろう。ODAなのか。内閣機密費なのか。

  寄付が集まらなかったとみえて、小泉元首相は、給与だったか、賞与だったかから、数百万円ほど寄付したという報道がなされたことがあった。

  そして、28日の授賞式では、誰が賞を受賞者に渡すことになるのか。これが小泉元首相から手渡されるのであれば、こよなく個人的色彩の強い賞であるということだ。小泉パフォーマンスの賞ということだ。そんな賞に政府予算が使われていいのか。

  渡す人間が福田総理やその代理であれば、野口英世賞は、その設立経緯とは別に、まがりなりにも、日本政府の継続的な「公的な賞」ということになる。しかし自分が渡さないような賞の授与式に小泉元首相が出席するはずはない。

  5月28日の授与式から目が話せない。

  

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2008年05月17日

地震被災まで利用して中国批判を繰り返す心の貧しさ


 地震被災まで利用して中国批判を繰り返す心の貧しさ

  昨日のブログで私は中国の地震報道はもう十分だという事を書いた。

  その理由は、中国の地震報道の洪水の中で、我々が知らなければならないその他の重要なニュースがかき消されるおそれがあるからだ。

  しかし、連日流される中国の地震報道で、私が耐えられない事がもう一つある。それは中国の不幸までも、対中批判の道具にしようとしている心の貧しさを感じるからである。

  実は報道各社の中国地震報道の洪水には、もっと安直な理由がある。毎日毎日ニュースを見つけるのは大変な仕事である。ニュースの無い時も、何かニュースを流さなければならないからだ。

  とくに最近のテレビなどは、政治・報道番組が安上がりと見えて、一日中ニュース番組を流しているかのようだ。ネタに困るのも当然だ。

  だからこのような大きな事件が起きると、当分は頭を痛めなくてもよい。そればかりを流していればいいからだ。それに、他社が流す以上、自分ところも流さなければならない。しかも競って。

  この世の中には、国民に知らせなければならないニュースは、本当は山ほどある。しかしそれを見つけ出すには、鋭いジャーナリズム精神と、知的努力が必要だ。それが面倒だから大きな事件に飛びつく。そしてそれで当分は稼げる。要するに安直なのだ。

  そのような安直な理由は、まだ笑って見過ごすことができる。

  しかし私が許せないのは、何でも反中国に結びつけようとする勢力が、大量の中国人民が天災で生き埋めになっている時に、それさえも中国たたきに使っているという卑劣さである。

  やれ、救助態勢が整っていない、手抜き建築が被害を大きくした、なぜもっと早く国際支援を受け入れようとしなかったか、ドサクサにまぎれて詐欺が横行するのが中国だ、温家宝や胡錦涛の現地入りはパフォーマンスだ、などなどである。

  よく考えたほうがいい。今度の中国の地震は阪神淡路大震災以上の大きさだ。被災者は1,000万人に及ぶという。未曾有の災害だ。

  日本でこのような大震災が起きれば、上手く対応できるのか。阪神淡路大震災の時の日本政府の対応はどうだったか。

  被害に無縁の日本が、傍観者的に中国の惨状を報道する。在留邦人に犠牲者はいなかったとか、日本の緊急援助隊の中国入り、などという自分の国に関係するところだけを報道する。

 そのような第三者的観点からの報道は、もういい加減にやめたほうがいい。

  何もできない我々がすべきことは、中国に同情し、犠牲者を悼むことだけだ。

  ましてや、隣国のこの未曾有の大天災までも対中批判の道具にするような連中は、自らの心の貧しさ、卑しさを恥じるべきである。必ずわが身に返ってくる。

  

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2008年05月16日

中国地震報道の洪水の裏で着々と進む「ねじれ国会」の幕引き


 中国地震報道の洪水の裏で着々と進む「ねじれ国会」の幕引き

  さすがに天変地異までは自公政権も操作できないであろう。だからあの地震が自公政権の手によってもたらされたと言うつもりはない。

  しかし、不幸な中国の地震は、福田政権にとっては幸いであったに違いない。

  連日洪水のように流される報道の前に、本来であればもっと報道されるはずの国内政治の諸問題が、完全にかき消されている。

  国民の目が中国地震ニュースに釘付けされている間に、窮地に立たされている福田政権が国会を幕引きし、態勢を立て直そうとしている。

  国会が6月15日に、会期延長なく終わる、と報道されはじめた。それを知っている政治記者は、もはや一月足らずの国会は消化試合だ、などと言い出している。

  そういうことなのだろう。

  あれほど騒いだ年金問題も、道路財源問題も、後期高齢者医療制度問題も、そして天下り官僚の税金の無駄遣い問題も、どれ一つとして解決されないままだ。

 格差問題も、公務員改革問題も、地方分権問題も、何もかも、解決に向けて進む気配は感じられない。

 政治家たちは、国民の窮状を救う政策の実現の事よりも、選挙に生き残ること、政権にしがみつくこと、政権に近づくこと、そのためにどのような政界再編を行うかということ、そればかりである。

 そんな、「国民から乖離した政治」を象徴したニュースが16日に流された。

 ボーリング振興議員連盟会長の武部勤が小泉、森元首相を誘い、猪口邦子ら小泉チルドレン約20名と都内のホテルでボーリングに興じた、というニュースである。

 一ゲーム目は91のスコアだったが二ゲーム目は161を出し、「普段は報道陣の問いに無言を貫く小泉氏だったが、この日ばかりは上機嫌だった」という。「解散・総選挙は来年のサミット後だ」と檄をとばしたという。

 この顔ぶれをみよ。この軽さ、緩みぶりを、目を凝らして直視せよ。

 生活に追われている国民を前に、問題山積の終盤国会にもかかわらず、政策に汗を流すわけではなく、政策を語るでもない。

 現職を離れた政治家たちが、政治家として、なお生き残り、あわよくば復権を、とうつつを抜かして恬として恥じない姿が、そこにある。

 政治家という職業を私物化して楽しんでいる姿がそこにある。

 

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2008年05月16日

 強行実施される裁判員制度ー民意無視の政策がまた一つ推し進められる


  強行実施される裁判員制度ー民意無視の政策がまた一つ推し進められる

  冷静に世の中の動きを観察していると、戦後62年もたって、本来ならば「国民主権の新憲法」が定着し、民主主義国家日本が実現していなければならないはずなのに、ここにきて急速に世の中は逆行しているような気がする。

  「世論や民意を大切にする」、という政府、政治家の言い草とは裏腹に、本音のところでは、自公政権と官僚支配がどんどんと強まり、国民の権利が無視されるような政策が加速度的に進んでいるような気がする。

  年金問題もガソリン税金問題も後期高齢者医療問題も、結局のところ、彼らの思惑通りに政策が推し進められてしまうことになる。

  国民の怒りも高まらず、マスコミも本気で追及せず、最後は皆があきらめる。その憂さ晴らしのように、テレビが馬鹿番組を流し、乾いた笑いで国民の頭を麻痺させる。政府・官僚の高笑いが聞こえるようだ。

  あと一年で開始される裁判員制度についても、そうだ。

  国民の大多数が反対しているこの制度は、このまま行けば間違いなくあと一年後に実施される。国民は、その意思に反して、原則として裁判員としての役務に服さなければならない。

  これは「現代の徴兵制度」ではないか。そういう指摘も、決して的外れではない。我々はもっと真剣にこの制度の導入を問題視すべきである。

  「なぜこんな制度を我々は許してしまったのか」と一年後に後悔しても始まらない。それはあたかも後期高齢者医療保険制度の諸問題が、実施に移されて始めて「とんでもない」事に気づくのと同じだ。その時点ではどんなに騒いでも手遅れなのである。

  なぜいきなり裁判員制度なるものが導入されるようになったのか。その事を知っている国民がどれほどいるだろう。

  裁判の迅速化であるとか、国民の司法意識を高めるとか、民意を裁判に反映させるとか、そんな理由が語られる。

  しかし、いずれも説得力はない。その程度の理由で導入される裁判員制度であれば、わざわざ国民の大多数の意見に反して強行する必要はない。

  この裁判員制度の導入に反対する意見を、作家の高村薫が15日の毎日新聞「社会批評」で次のように書いていた。

 ・・・裁判員制度なるものが民意を裁判に反映させるために導入されるのであれば、なぜ死刑か無期かを争うような刑事裁判から始まるのだろう・・・民意を活かすところは、むしろ公害訴訟や薬害訴訟、あるいは近年増加している労働訴訟や行政訴訟のほうだろう。裁判の長期化の弊害は、こうした民事裁判も同様であるし、公害問題や労働問題は私たちにとってより大きな関心事でありうる・・・想像してみよう。もし薬害肝炎訴訟を私たち裁判員が裁いていたならば、はるか昔に国と製薬会社の責任を認めて賠償を命じていたはずだ。
   結局、ほんとうに私たちの民意が活かされる民事裁判が閉ざされたままであるのは、国と司法と官庁が、これだけは国民に触れさせないとして死守しているからに他ならない・・・

   どこまでも国民を馬鹿にした政府・官僚支配のこの国である。

  

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2008年05月15日

 日本国民を犠牲にして米国を助ける日本政府


 日本国民を犠牲にして米国を助ける日本政府

  私がブログを書く基本姿勢は、繰り返し書いてきたとおり、凡百の評論を聞くよりも、真実、事実を知る事こそ重要である、というものだ。

  たとえば、15日の産経新聞は一面トップで、塩川正十郎元財務相の、「ねじれ国会」を嘆く次のような評論を載せていた。

  「・・・「ねじれ国会」になってからは政治家の素直さが失われ、政党のメンツにこだわり、国民の声がほとんど反映されていない・・・その責任を与野党の一方に問うものではない。この際、与野党の政治家が対抗意識をすてて、ゴルフ大会や歌謡大会でも開いて懇親を深め、互いを柔軟に見つめられるようにならないか。目下の国会論争は生産性なき政争だ・・」

  こんな論評を読んだところで得るものは皆無だ。それどころか、この物言いは間違っている。塩川の一貫した清和会政権擁護のための情報操作の匂いが漂う。

  不毛な今の政治の元凶は、国民の支持を失ってもなお国民無視の政治を強行する福田政権であり、その非を、国民に代わって厳しく弾劾できない野党第一党民主党の腰砕け振り、党内不一致なのだ。
  ゴルフやカラオケをやって今の政治が生産的になるようなものでは、決してない。

  その一方で、15日の各紙の中で、毎日と日経が、虫眼鏡で見ないと分からないほどの小さな記事であったが、PAC3(地上配備型迎撃ミサイル)が14日未明に静岡県浜松基地に配備された、という記事を配信していた。首都圏以外に始めて配備されたこの事実の持つ意味は大きい。

  繰り返してこのブログで指摘してきたように、莫大な税金を投入して米国から買わされた迎撃ミサイルシステムは、財政赤字削減という錦の御旗の下で国民に過酷な負担を強いる日本政府の、膨大な税金の無駄遣いである。

  日本の国防にとって迎撃システム整備より優先される自衛隊装備はほかにいくらでもある。それどころか、技術的にもこの迎撃ミサイルシステムは欠陥だらけだ。

  おまけに、今日の毎日新聞の記事によれば、あくまでも教育訓練用で実弾頭を配備する計画はない、という。何のための国防か。

 また、15日の朝日新聞は、南極海で日本政府が行っている調査捕鯨の乗組員が、捕獲した鯨肉を大量に持ち出し、これを飲食業界に不正に横流ししている疑いがある、とするスクープ記事を配信していた。調査捕鯨の名を借りて商業捕鯨をしているのではないか、という疑惑を、限りなく深める記事である。

  そんな中で、15日早朝の某局テレビが、耳を疑うようなニュースを、さりげなく流した。ガソリン価格の高騰で悩む米国を助けるために、日本の経済産業省や石油業界が、米国に対し石油製品を輸出し、支援する事にした、というニュースである。

  本当か。15日の各紙は、石油情報センターが14日に発表した石油製品市況調査で、ついにレギュラーガソリンの平均価格が1リットルあたり160円を超えたと一斉に報じている。苦しんでいるのは日本国民だ。日本政府の仕事は、まず日本国民を救うことだ。

 私は早朝のテレビが流したこのニュースの真偽を確かめたくて、15日の大手各紙の経済欄に目を通したが、関連記事は皆無であった。

 このブログを読んだ経済記者諸兄にお願いしたい。本当に日本政府と石油業界は米国を助けるために石油製品を米国に売り渡そうとしているのか。

 重要なことは真実を知ることである。それを国民に知らせるのがメディアの第一義的使命である。特オチを恐れて横並びの記事を一斉に流すのもいい。
 しかし他社が報道しない特ダネを流してこそメディアの真価が問われる。

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2008年05月14日

あなたならどう対応するだろうか


 あなたならどう対応するだろうか

  私が現役の外交官であった時、いつも自分に問いかけていたある質問があった。

  それは、どうしても自分はその国の体制を許せないと思われるような国に勤務を命ぜられた時、その国とどう向き合っていくか、という質問である。

  幸いにして、私はそこまでの悪政国家に勤務したことはなかった。だから深刻に悩まなくて済んだ。

  しかし、私がレバノンという国に勤務していたとき、隣国のイスラエルが連日パレスチナ人を弾圧していた実態を目撃し、イスラエルを許せないと思った。

  もし自分がレバノンではなくてイスラエルに勤務を命じられた時、はたしてイスラエル政府とどう向き合っていただろうか、と考えて毎日を過ごしていた。

  どこの国も程度の差こそあれ悪政は行われている。国民を苦しめている。少数民族の人権を奪ったりしている。

  そしてどこまでが許容範囲で、どこまでが絶対悪政であるかを判断する事は難しい。

  たとえばチベット問題だ。チベットの人権尊重を叫び、中国政府に政策の改善を求めるのはよい。

  しかし、その人たちが、同じ怒りを世界のすべての人権抑圧国に向けているだろうか。

  ミャンマーの軍事政権はどうか。ロシアの対チェチェン政策はどうか。スーダンのダルフール政策、そしてイスラエルのパレスチナ弾圧はどうか、となる。

  これら人権抑圧国と日本が外交関係を持たなければ悩まなくてすむ。勤務しなくてよいからだ。

  しかし外交関係がない国というのは、ほとんどが交戦状態が続いていたり、和平条約がいまだ実現していない国であって、その国の政治が悪いから外交関係を持たない、という事はまずない。

  あの北朝鮮であっても、金体制が独裁だから外交関係を持たないのではなく、戦後の国交回復がなされていないから外交関係がないのだ。

  だから日本もまた、多くの「好ましくない体制」の国々と外交関係を維持し、大使館をその国に構えることになる。勤務させられる事になる。

  そこで冒頭の質問に戻る。

  14日の産経新聞に駐日イスラエル大使がイスラエル建国60周年を記念して都内のホテルでパーティを開いたという記事があった。

  会合には各国の外交関係者や日本の外務省の大使経験者ら、イスラエルに縁のある数百人が集まったという。

  そしてニシム・ベンシトリット駐日大使が「・・・ユダヤ人が勇気を振り絞ることにより、国を造ることができた・・・私たちは一つの夢を持っている。子の世代に国を残し、基本理念は平和であるということだ・・・」と話した、と書かれていた。
 
  それを受けて、日本・イスラエル友好議員連盟会長の野呂田芳成衆議院議員が

  「(イスラエルが独立した)1948年には日本はGHQの占領下にあり、国民は意気消沈していた。そんな時、イスラエルが、敵対する周辺諸国を相手に敢然と独立宣言をしたことは、大変励みになった」という祝辞を述べた、と書かれていた。

  私は思い出している。私がレバノンの大使をしている時、隣のイスラエルに勤務していた同僚の大使が、イスラエルのパレスチナ政策はなんとかならないか、と恐る恐る批判的な事をイスラエル政府に伝えた事があった。

 そのとたん、イスラエル政府は、烈火のごとく怒り、再びこのような事を言えば国外追放すると言わんばかりの対応を見せた事を。

 それ以上イスラエルとやりあうとその大使は外務省からいさめられるであろう。イスラエルとの関係を悪化してまで、パレスチナ問題に肩入れするなと。

 外交も人間関係も同じである。自分が絶対的に正しいと誰もが思う。正しい事であっても、それを相手に言えば、言われた相手は怒る。

 それなら二度と付き合わない、と別れられるのなら事は簡単だ。しかし、現実は、どんなに気に食わない相手であっても、様々な配慮や打算で、つきあいを続けざるを得ない時がある。

 だから、誰もがイスラエルの不正義を心に感じていても、それを不問にして、上記のパーティ席上のような表面的なエールの交換を続ける事になるのである。

 不器用な私にはそれができなかった。パレスチナの犠牲の残酷さを知ってしまった私にはイスラエルの非から目をそらすことはできなかった。

 あなたが駐イスラエル国の大使なら、果たしてどう対応するであろうか。
 
  

  

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2008年05月13日

 たとえば私はこんな記事に注目した(13日の紙面から)


 たとえば私はこんな記事に注目した(13日の紙面から)

  ひとつの記事を論考する事によって自分の考えを述べる、それが私のブログである。

  しかし、たとえば13日の紙面から、注目した記事を引用して自分の考えを伝える事もできる。

  それが今日のブログである。読者はどう思ってそれらの記事を読む事であろうか。

  以下は順不同でピックアップした記事の要約である。

  トヨタ自動車の今期の営業利益予想が三割減というのは想定の範囲内で、驚きではない・・・衝撃は2008年1-3月期の四半期決算で、これまでドル箱だった北米の営業利益が、わずか一年足らずの間に激変したことだ。(07年4-6月期の1602億円の黒字が、124億円の赤字へ)・・・トヨタの決算が映すのは、単に一企業の不振ではない・・・米経済の低迷が長期化すれば、トヨタに限らず多くの日本企業にとって手痛い打撃となるだろう。世界を見渡して、米国ほど購買力豊かな市場は存在しない・・・日本企業に突きつけられた課題は大きい。(日経、一目均衡 編集委員 西條都夫)。北米頼みの日本経済の体質は変わらない。対米追従は政府だけではないということか。

  「日本の教育投資は主要先進国と比べ遜色ない」。財務省は12日、「日本の教育支出は他の主要先進国より低水準」として、国内総生(GDP)比で3・5%の教育支出を、10年間で5%に引き上げるべきだとする文部科学省に、真っ向から反論する文書を公表したという(各紙)。
  何のことはない。官僚と族議員の予算の分捕り合戦である。日本の教育をまじめに考えて行われる議論ではない。

 「介護の喜びが伝われば、めざす若者が増えるのでは」。こういう期待を込めて、「介護職が主役のテレビドラマをやってほしい」と介護福祉士を養成する専門学校の校長がこぼした。厚生省も人材確保の研究会を開いたりしている。
 しかし必要なことは、そんなうわべだけの広報活動ではない。政府の介護報酬の引き下げこそ問題にされなければならない。過酷な勤務に心身を壊し、「月給20万円程度では結婚もできない」と嘆く若者に希望を持たせる「待遇改善」こそ必要なことである。(朝日新聞、政策ウオッチ)

 「率直に言って(イスラエルとの和平交渉は)何も進んでいない」。パレスチナ自治政府のアッバス議長は4月下旬、ワシントンでブッシュ米大統領と会談後、米メディアのインタビューに不満をぶちまけた・・・自治政府筋は毎日新聞の取材に対し、「議長は今後も交渉成果が見えなければ、辞職も真剣に検討している」と延べ、閉塞感を強調した・・・(毎日新聞は5月14日のイスラエル建国60週年記念日を前に特集記事を組んでいた。
 その毎日新聞の記事は全編「戦闘、侵攻、抑圧の60年イスラエル建国史」の行き詰まりを述べるものであった。

 「台風の目に入ったか、奇妙に凪の政界である。衆院山口2区補選で勝ったのに、民主党は問責決議案を提出しない」
 これは、朝日新聞の政治コラム「政態拝見」で曽我豪編集委員が書いている記事の冒頭の言葉である。
 しかし、何をいまさら、の感がする。そのような馴れ合いのような緩みきった政治を許してきたメディアの政治記事もまた、無力感が漂う凪の記事ばかりではないのか。

 その政治について今度は産経新聞の「政論探求」が、花岡客員編集委員の記事として、次のように福田政権を批判していた。
 「胡錦涛国家主席の訪日も福田首相の得点にはならなかった。むしろ、首相経験者との朝食会でチベット問題に言及した安倍前首相が、久々に存在感を発揮したのが目立った・・・衆議院山口2区補選の惨敗(は)、自民党執行部の判断ミスだ。小泉チルドレンの福田良彦氏は「次回は落選」が当然視されていた。福田氏はそこを読みきって早々と転出したのである。自民党執行部が、次期衆議院選挙で比例上位へのランクを「密約」するなど、市長選出馬を食い止めていたら補選はやらずにすんだ・・・
 自らの地元山口で必死に応援演説をしたにもかかわらず、自民党候補者を勝たすことのできなかった安倍前首相については、しかし、産経新聞は何も触れていない。

 公明党の矢野洵也元委員長が12日、創価学会と幹部7人に5,500万円の損害賠償を求める訴訟を東京地裁に起こした(産経新聞)。
 言論活動の中止や多額の寄付を強要され、精神的苦痛を受けたからだという。
 原告の訴えが事実であるとすれば驚くべきことだ。
 どちらが勝訴するということよりも、裁判所は、少なくとも事実認定だけは正確にしてもらいたい。

 作家小林多喜二の代表作「蟹工船」の売れ行きが、若い世代を中心に好調であるという(朝日新聞)。
 凍える洋上で過酷なカニ漁を強いられる男たちが、暴力的な監督に団結して立ち向かう昭和初期のプロレタリア文学が、いまなぜ若者に読まれるのか。
 「小説の労働者は、一緒に共通の敵に立ち向かえてうらやましい」
 「隣の席で働くのは別の派遣会社から来たライバル。私たちの世代にとっては、誰が敵かもよくわからない」
 「私たちならばあきらめるかも。蟹工船で働く人たちは偉いですよね」
 「蟹工船」が発表されたのは1929年。小林多喜二はその4年後の33年に、反共弾圧の築地警察署で拷問され絶命した。
 日本にもそういう時代があったと言うこともまた、若者は知るべきである。

 政府が6月上旬に発表する「福田ビジョン」に、2050年時点での日本の温室効果ガス削減目標を60-80%と盛り込む方向で調整を進めていることがわかった。胡錦涛主席訪日を政権浮揚につなげられなかった福田首相は、北海道洞爺湖サミットで存在感を示すためにも、温室効果ガス削減目標で欧州と同じ方針を示すことになったと見られる(産経新聞)。
 しかし、これを初めて明らかにしたのは町村官房長官の10日の講演であったという。首相サイドは「寝耳に水」で「福田ビジョン」の「福田」とはいったい誰のことかと不満を見せているという。
 週内に関係閣僚に今後の対応を指示し、「首相主導」を見せようとしていたのを、町村氏が「先にばらした」(政府関係者)ためで、首相と町村氏の疎遠な関係を改めて浮き彫りにさせている、という。
 その一方で、経済界との調整を求められる経済産業省は「60-80%の削減メニューはまだできていない。数字だけが先走ってしまい、本当に積み上げていけるのかわからない」(同省関係者)と困惑しているという。
 あまりにも次元の低い話だ。どうしようもない状態だ。
 

 

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2008年05月12日

強く生きることの難しさと大切さ


 強く生きることの難しさと大切さ

  このところ、政治がまったくつまらなくなってきている。それはなぜか。政治家に理想がなくなったからだ。政治家という特権を手放すことを恐れ、闘う事を恐れて、皆が保身に走っているからだ。

  そして、それを国民が許している。国民の間で政治対する怒りが失せ、あきらめの気持ちが強くなっているからだ。国民もまた保身に汲々としているのだ。

  12日の産経新聞の「新三無主義を吹き飛ばせ」という随筆が目に留まった。

  小林毅論説委員の手になる「一筆多論」のなかで、彼はこう書いている。

  かつて「三無主義」という言葉があった。「無気力、無責任、無関心」のことである。これは、昭和40年代後半の若者の姿勢を、戦後復興に懸命に取り組み高度成長を実現した人々が、苦々しい表情で批判した言葉だ。
  しかし最近の日本には、新しい三無主義がはびこっているように見える。しかもそれは「若者限定」ではなく、老若男女を問わず、社会全体を広く、深く覆っている。
 それは、そんなの「無理」だし、頑張っても「無駄」、何を言っても「無意味」じゃないか、という新三無主義の風潮である・・・

  この風潮が、「似非改革」を叫ぶ小泉元首相にだまされて熱狂した国民を生み、その小泉改革にだまされた、苦しめられたことがわかった今では、その怒りを小泉批判に向かわせることなく、逆に、より弱いものをいじめる方向に暴力的に走らせている。

  権力者にとっては、なんと都合のいい国民であろうか。

  この小林毅論説委員の随筆はまた、5月3日の東京新聞「本音のコラム」における伊藤洋一住友信託基礎研究所主席研究員の次の随筆を私に思い起こさせてくれた。

  彼はその前のコラムで、「最近日本では自動車のクラクションをあまり聞かなくなった。一般的に後進国ではやたらにクラクションを鳴らす。日本もかつてはそうであったが、クラクションがならなくなったということは、日本も先進国となり、日本人も洗練してたのではないか。結構なことだ」という趣旨の事を彼は書いた。

  それに対し、すかさず友人から次のようなメールをもらったという。

 「刺される恐れがあるからですよ。よほど必要でない限り、鳴らしたら報復されるかもしれないので・・・」

 また別の友人も「さわらぬ神にたたりなし(無駄な喧嘩をしては損をする)」と言ってきた。

 そして伊藤氏は「この反応には本当に驚いた」、と言い、また「そうかもしれない」と考え込んだという。

 考えこんで、妙に感心して終わっては困るのである。誰でも考える事は同じだ。そしてその事がわかっていても、誰も行動を起こそうとはしない事も同じである。

 正しいことを言い続けることは勇気がいる事だ。ましてやそれを行動に移す事はもっと勇気がいる。

 しかし、自分に忠実に強く生きる勇気が、今ほど大切な時はない。

 

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2008年05月10日

政権交代なき自民党の終焉

  政権交代なき自民党の終焉

   5月9日号と16日号の週刊朝日において、田原総一郎が二回にわけて二人の自民党政治家とのインタビューを行っていた。中川秀直元幹事長と与謝野馨前官房長とのインタビューだ。

   それを読んでつくづく思い知らされた。自民党はもはや政権政党として終わっている、と。

   10日の各紙は、財務省が9日に発表した07年度末の国の債務残高をいっせいに報じている。前年度より増えて過去最高の849兆円となったという。

   いうまでもなく財政赤字削減は政権政党である自民党の長年の最大の公約であった。

   そのために、痛みを伴う改革を自民党政治は国民に強いてきた。その象徴が小泉政権5年半の「改革」政治だった。

   ところが、掛け声だけの改革は、赤字を解消するどころか増加させた。

   小泉は逃げて口を閉ざし、残された自民党は、今、その解決の方法において、さらなる緊縮(増税)の与謝野と、財政支出による経済成長(上げ潮)の中川が、真っ向から対立している。

   政策の基本のところで対立している。そのような政党が、どうして政権政党を続けられるというのか。

   しかし、私が自民党は終わっていると言うのは、その事ではない。

   解散・総選挙を恐れて逃げ回っている事である。

   政策で真っ向から対立している中川と与謝野も、この点では見事に一致している。

   週間朝日のインタビューのなかで、中川は、「任期満了まで解散・総選挙はすべきではない」と言い、与謝野は「自民党の国会議員はみんな、それだけは(解散・総選挙だけは)やめてほしいと思っています」と、国民にばらしている。

   こんな政権政党など見た事がない。選挙から逃げる政党など政党ではない。

   それにもかかわらず政治に緊張感がまったくないのは野党の弱さである。

   天下分け目の山口補欠選挙はいったい何だったのか。

   民主党は、なぜ政権交代の絶好のチャンスを、指をくわえて見逃そうとしているのか。

   野党はなぜ団結して自公政権打倒に突き進めないのか。

   その答えは、もはや政治家たちは政界再編に走りだしているからだ。

   政権交代を実現するのだといい、キャスティングボートを握る事を目指すのだ、というのも、すべては、来るべき新たな政治状況において、有利な地位を確保したい、あわよくば政権政党に入りたい、という保身である。

   選挙の後に想定される連立政権に入るには、誰と組めばいいか。そんな政治家の打算だけが走り出している。

   そこには、国民の視点にたって、国民のための政策をどう実現するか、と本気で考える政治家は一人もいない。

   自民党がどんなに選挙から逃げ回っても、来年9月までには総選挙をしなければならない。そしてその時は自民党は負ける。政権政党を終える。

   しかし自民党政治が終焉しても、真の政権交代が起きなければ何も変わらない。自民党はなくなるけれど、新しい自民党なる政党と、それに類する政党との談合連立政権ができるだけである。国民が救われる事はない。

   今までにない、まったく新しい政党や政治家が出てこない限り、この国の政治は面白くならない。

   なによりもこの国はまったく変わらない。勝ち組の支配が続き、皆が勝ち組の仲間入りを目指してなびく、そういう社会がどんどんと進んでいくに違いない。

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2008年05月09日

 胡錦涛訪日と産経新聞の報道振りに思う


 胡錦涛訪日と産経新聞の報道振りに思う

  何から何まで中国を目の敵にして報道する産経新聞。チベット問題に関する中国批判が見られない日はない。

  だから今回の胡錦涛訪日について、産経新聞がどのように激しい批判的な記事を書こうと、驚くに値しない。

  中国には確かに批判されるべきところはある。それが正しい批判であれば中国にとっても有益であろう。そう思って私は産経新聞の対中批判記事を熱心に読んできた。

  しかし、9日の産経新聞の報道振りについては、心の底から苦笑せざるを得なかった。

  胡錦涛主席と創価学会名誉会長の池田大作氏との「うれしい再会」を、大きな写真入で詳しく報じている。そこには一切の批判的な言辞はない。

  その同じ紙面で、中曽根大勲位が、胡錦涛主席の来日と福田首相との日中首脳会談は、「歴史的意義がある」と評価した事を、これも何の批判もすることなく、そのまま載せている。

  さすがは中曽根大勲位である。いい事を言っていた。私もまったく同感である。

  それは産経新聞の言説とはまったく正反対であるが、その正反対の意見を掲載する産経新聞も、立派である。

  ところが、苦笑せざるを得なかったのは胡錦涛主席と歴代4首脳の朝食会で、安倍前首相が中国側にチベットやウイグルの人権問題を指摘した事を大きく取り上げ、それをグッドジョッブであるといわんばかりに誉めそやしていることだ。

  池田大作氏や中曽根大勲位の記事よりもはるかに大きく、詳しく書いている。

  冗談はよしてくれ。安倍前首相がどんな辞め方をした男か、忘れたのか。国民を失望させ、世界中に日本の恥をさらした、前代未聞の首相ではなかったか。

  まともな政治家であれば、あのような形で総理を辞めた時点で、議員さえも辞めるべきであった人物なのだ。あのような情けない体たらくを一番嫌うのは産経新聞ではなかったか。

  いくら中国批判をしてくれたからといって、そんな人物を誉めそやすようでは、私のこれまでの産経新聞に対する評価は、見事に失墜せざるをえない。産経新聞の志は一体何なんだ。

  それにしても安倍晋三という男、何を勘違いしているのだろう。これ以上晩節を汚してくれるな。その程度の政治家は、この国にははいて捨てるほどいる。

  

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2008年05月09日

目を疑う朝日新聞の小泉元首相インタビュー記事

 目を疑う朝日新聞の小泉元首相インタビュー記事

  5月9日の朝日新聞に「音楽と政治」小泉元首相に聞く、というインタビュー記事があった。

  何だろうと思って読んでみたら、小泉元首相が近く日経新聞出版社から発刊する予定の「音楽遍歴」と題する本の前宣伝記事であった。

  嬉々としてインタビューをし、その記事を書いた記者は、朝日新聞元政治部編集委員の早野透氏である。

  彼はまず、在任中に、頻繁にオペラ鑑賞をしたり、プレスリーを歌ったりして、大の音楽好きであると知られている小泉元首相ならではの出版だ、と持ち上げる。

  そして、その小泉元首相に、「音楽と政治」について、久しぶりにインタビューしたと、その応答を次のように書き連ねる。

  中学生の時にバイオリンを始めた小泉氏は、ハイフェッツの演奏する「ロマンス」をレコードで聞いて、ああ、自分の下手なこと!天才にはかなわない、以後、聴くのを専門にしよう、と思ったという。

  (政治の天才だったじゃないですか)「いやいや、天才は政治に向かない。国民とかけはなれちゃう。凡才が政治家になるんですよ」

  「オペラは愛である。そこには嫉妬も憎悪も死もある」

  「権力も愛の前にはむなしい。ベルディのドン・カルロスを聞けばよい」

  (郵政改革の時はミュージカル「ラマンチャの男」に励まされドンキホーテの「見果てぬ夢」を次のよう  に口ずさんだ)

  「夢は実りがたく、敵はあまたありとも、胸に悲しみを秘めて、我は勇みて行かん」

  (このごろどう過ごしていますか?)
  「本読んだりテレビ見たり、コンサートに行ったり、たまに政治会合」

  (ちまたには再登板を求める声がありますよ)
  「それは私を知らない人たちのいう事。総理大臣はつらいよ。しっちゅうあまたの敵と闘っているのは」
  (ご自分の葬儀にはどんな曲を?)
  「モリコーネの映画音楽を聴いてもらうのがいいんじゃない」

  このインタビュー記事に強い違和感を抱いた私がおかしいのか。

  第一線を退いたとはいえ、早野氏は長年政治部の記者を務めた人物である。今日の日本の混迷の根本原因は5年半の小泉政権の結果引き起こされたものであるという事を知らないはずはない。

  いくら保守化したとはいえ、朝日新聞は権力を監視する事を標榜してきたこの国のジャーナリズムを代表する大手新聞である。その朝日新聞が、このようなちょうちん記事を掲載するとは。

  せめて早野氏にはインタビューの最後に言って欲しかった。

  「5年半もこの国の首相を務めたあなたが、今国民が苦しんでいる時に、日本の未来についてとるべき政策を何も語らなくていいのか」、と。

  「好き勝手な余生を送るのは御自由だが、自分の楽しみだけを追求するのであれば、議員バッジをはずしてからにして欲しい」と。

  ちなみに、小泉元首相の近刊本「音楽遍歴」は、次のような言葉で結ばれているという。

 「総理大臣の職責から解放されて・・・これからは埋もれている名曲や新しい名曲を求めて遍歴の旅に出かけようと思っている」
  

  

 

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2008年05月09日

メディアから無視された憲法9条世界会議


 メディアから無視された憲法9条世界会議

  5月9日の朝日新聞に、「9条に世界からエール、幕張・世界会議に2万人」という囲み記事があった。

  この憲法9条世界会議については、これまでも新聞で二、三度見かけた記憶があるが、いずれも目立たないものだった。テレビに至っては、この会議の映像を流した局を見た記憶はない。

  9日のこの朝日新聞の囲み記事で、私ははじめて詳しく知る事ができた。

  「世界がもし100人の村だったら」という本の著者である池田香代子さんらが中心となり、井上ひさしさん、ピーコさんら、約90人が呼びかけて始まった会議であるという事を。

  31の国と地域から、ノーベル平和賞受賞者や大学教授や、イラク戦争経験者ら、150人あまりがやってきたという事を。

  そして、彼らが、「憲法9条を世界に広めるために来た」、「憲法9条を見習うべきだ」、「憲法9条は日本だけのものではない」、などと口々に語ったという事を。

  娯楽や芸能ニュースばかりがもてはやされるご時世で、平和集会に2万人を超える観客が集まるという催しは、それ自体が一大ニュースであるはずだ。

  しかしそれがほとんどニュースにならなかった。

  そういえば同様の会議は大阪でも一万人を超える参加者を得て開催されたけれど、やはりニュースにならなかったという。

  あまりにも不自然だ。作為的だ。

  報道されないということは、当事者や関係者以外の一般の国民にとっては存在しない事と同じだ。

  どれほどこの会議が熱気につつまれたものであっても、国民の間に広がっていかない。一過性で終わってしまう。そうさせたい力が働いているかの如くだ。

  日米軍事同盟を推し進めるために、国民の中に護憲の動きが広がる事を恐れる権力側の、作為的な報道抑制があるに違いない。さもなければ、権力に従順な昨今のメディアの報道自粛があるに違いない。

  もしそうであるならば、それに抵抗して行こうではないか。

  私は、この素晴らしい「憲法9条世界会議」を呼びかけ、主催した関係者に敬意を表するとともに、お願いをしたい。

  どうかこれをスタートとして、「憲法9条世界会議」を継続・発展させて行って欲しい。そして政府やメディアが無視できない程の大きな国民的動きにつなげて行って欲しい。

  それこそが、既存の護憲政党が決してなしえる事のできなかった、憲法9条の下の平和勢力の結集である。既存の護憲政党の党利・党略を超越した、あらたな政治的動きである。

  平和を願う普通の国民が待ち望んでいる動きである。

  今の日本を救うのは、そのような新しい動きしかない。
  

  

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2008年05月08日

胡錦涛主席の訪日を日中歴史上の大きな転換としたい


 胡錦涛主席の訪日を日中歴史上の大きな転換としたい

  これから書くことは私の希望である。外交に多少なりともかかわった者として、ある程度の知見と情報に基づいて書いている。

  しかしそれ以上のものではない。あくまでも感想である。それも私の希望的な感想だ。

  胡錦涛主席がどうだとか、福田首相がどうだとか言うものではない。中国が好きだとか嫌いだとか、そんな話ではない。ましてやギョーザ問題やチベット問題や東シナ海油田問題などで何の具体的な進展がなかった、などという個別案件的なものではない。

  日本は開国して脱亜入欧をはかり、植民地戦争に突入してアジアを植民地化した。その日本が、太平洋戦争に突入し、破れ、米国の占領国となった。

  そして戦後は一転して対米従属となり、今日に至るまで戦後62年間、自主、自立外交を失ったまま日本という国を米国に完全に喪失させられてしまった。その結果としての今日の国民の困窮である。

  そういう近・現代史の流れを冷静に振り返った時、日中関係を正しいものにしていく事こそ、おそらくはこれからの日本の最大かつ喫緊の外交課題に違いない。

  繰り返して言う。好きとか嫌いとかいう話ではない。世界の多くの国、とりわけ開発途上国の歓迎する形で、日中友好関係は構築されなければならない。

  それを阻む勢力こそ米国なのだ。だからこそ常に米国は離反政策を画策してきた。

  その事を中国も知っている。中国は米国との関係を重視する。しかし決して米国に心を許してはいない。中国こそ、日本の対米自立を誰よりも望んでいるのだ。平和国家日本との互恵関係を望んでいるのだ。

  米国に命じられるままに作為的に日本を米国に差し出そうとする者たちや、その手先となって走り回る者たちも、過去から未来に貫かれる悠久の歴史に思いをはせ、自らの考えを改めるべき時である。

  外交とは無縁の一般国民であっても、そろそろ気づくべきである。日本と中国がともに力をあわせることが出来れば、それは間違いなくお互いの未来にとってよいことであるということを。

  今回の胡錦涛主席の訪日をめぐる報道の中で、私は特に次の二点に注目した。

  一つは日中共同声明第4項で、「双方は互いに脅威とならないことを確認した」という文言がある事だ。
  今までに出された共同宣言の中でも、あるいはこの言葉は使われていたかもしれない。しかし中国が着実に近代化を進め、世界経済に大きな影響力を持つようになりつつある今日ほど、この声明が重要な意味を持つことはない。

  日本と中国がお互いを軍事的脅威ではなく、平和的友好国であると世界に声明したのだ。

  この声明が偽りでなければ、日本の安全保障政策は対米従属から、自主、自立の平和外交へ発展していかなければならない。

  二つ目は、個人の身勝手な言動で日中関係をぶち壊した小泉元首相が、宮中晩餐会ほかのすべての歓迎行事に、歴代の首相のなかでただ一人、出席できなかったという報道である。

  呼ばれなかったのか、自ら辞退したのか、新聞では不明である。おそらく辞退したのだろう。しゃらくさいと思ったのだろう。

  歴史の大きな流れに、あだ花であった卑小な政治家小泉純一郎が弾き飛ばされたのである。私は彼が政治の場に再び登場する事はないとかねてから思って来たが、この欠席によってそれが確信となった。

  繰りかえしていう。これは私の勝手な感想だ。しかも希望的な感想だ。しかし日中友好関係の圧倒的な重要性の前に、ここ数日間、あらゆる反中的な言説が見事にかき消されてしまった。

  具体的成果の何もない訪日であったかかもしれない。成果はパンだの貸与だけだと嘲笑する報道者もいた。

  しかし、そんな言説など一蹴する重みが今回の胡錦涛主席訪日にあった。日中友好関係、その事がすべてを凌駕したのだ。

  それは胡錦涛主席がえらいわけでも福田首相がえらいわけでも、外務省が偉いわけでも、親中国国会議員がえらいわけでもない。

  悠久の日中関係と両国民がそれを求めているのである。

  日中友好関係がゆるぎないものになった時、ギョーザ問題も東シナ海問題も、チベット問題も、そして歴史問題さえも、すべてが解決する。私はそう思って今回の訪中を眺めていた。

  

 
  

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