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2008年03月21日

  議員報酬の「日当制」導入について真剣な議論がなされる時だ


  議員報酬の「日当制」導入について真剣な議論がなされる時だ


  福島県矢祭(やまつり)町議会が3月31日の新任期から議員報酬の「日当制」を導入するという。このことについて、20日の読売新聞で小豆畑栄という福島支局員が書いていた。この制度導入の是非を考える事は議員活動の意義をあらためて考え直すきっかけになるのではないか、と。同感だ。

  昨年12月28日に日当制導入を決めた条例が議員提案され、賛成7、反対2で採択された。その条例では、定例会や委員会、町の公式行事などを条例で議員の公的活動と規定し、その活動を行う日に一日3万円の日当を支給する事に変えるという。

  その結果、経費はこれまでの月額20万円8000円から、月平均7万5000円に大幅に減少する見通しだという。

  「報酬は皆さんにわかりやすく払うのが一番いい。定着すれば議員の意識、町民の意識、そして選挙も変わる」。

  これは町長選挙に日当制導入を掲げて立候補したある候補者のアピールである。

  もちろん、この制度導入に反対する意見はある。議員活動では調査や資料集めに費用がかかる、議員のなり手が限られ、議会が資産家のサロンになる、などがそれである。

  しかし、本当にそうだろうか。それらの反対論は、議員報酬や議員特権を守る為から来ている言い訳ではないか。それよりもなによりも、国や地方の深刻な財政赤字は、もはや普通の手段では解決不能なレベルまで来ているのだ。

  財政赤字解消のために増税や保険負担増などが当然視される。国民や住民の生活が有無を言わさず切り詰められている。それを我々は当たり前の如く受け入れさせられている。そこに疑問を抱かないといけないのだ。

  国民の負担は今後どんどんと増えていくに違いない。議員、公務員の報酬や行政経費も制度的に見直しを迫られる時はやがて来る。来なければならない。

  少なくとも、テレビに出演に明け暮れたり、政治活動とは無関係の活動に忙しい無能政治家を淘汰することに役立つ。何かといえば国会審議がストップされる八百長国会を是正することができる。

  議員自らが、自らの甘味を手放すような制度導入を提案するはずはない。しかしメディアがそれを取り上げ、世論が啓発され、世論の圧力が高まれば、政治かもそれを無視し続ける事は出来ないだろう。

  国や地方の赤字累積はそこまで来ている。いかさまの制度改革ではなく、本物の制度改革をしなければならない。この読売記者の記事が、一過性の記事で終わらない事を期待する。

 

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2008年03月20日

5年前に決められていた武藤日銀総裁人事

  5年前に決められていた武藤日銀総裁人事

  20日の日経新聞に極めて興味深い記事が出ていた。武藤敏郎元財務次官の日銀総裁人事は、5年前に小泉元首相の手で決められていたという。それを手伝ったのが福田官房長官(当時)だったのだという。福田首相が武藤総裁にこだわったはずだ。

  その記事を一言で言えば、接待疑惑などで責任をとって辞めざるをえなかった松下日銀総裁以来、日銀総裁は速水、福井と二代続いて大蔵事務次官がはずされた。これは大蔵省にとっては耐え難い事で、大蔵官僚のお友達であった小泉元首相が、それを正常に戻す仕掛けを作った。つまり、当時財務次官であった武藤に、副総裁になるよう説得し、福井総裁―武藤副総裁という官僚の常識ではありえない逆転人事を耐え忍ぶことにより、5年後に武藤総裁を実現する事を約束したという。

  場所は小泉元首相のお気に入りである赤坂プリンスホテル内フランス料理店「トリアノン」。時は02年12月26日。03年度予算編成後の慰労会の場だという。大蔵省のエース武藤を使って、二代続いて失った日銀総裁のポストを5年後に取り戻す密約が決まった瞬間である。

  その予定調和が崩れるということは大変なことなのである。だからここまで大騒ぎになったのだ。

  予定調和が狂った最大の理由は参院選での与党敗北による国会のねじれ現象である。しかしもうひとつの大きな理由がある。大連立騒動の結果、小沢一郎が一転して福田政権に強硬にならざるを得なくなったという政治のハプニングだ。

  福田首相は19日夜の内輪の会談で、民主党のある方が、武藤さんで結構だ。責任を持って民主党内を説得すると言ってくれた、というようなことを口走ったという。この事を会談に出席していた自民党幹部が記者に漏らした。その事が記者に伝わって20日の報道で一部流れた。つまり民主党内の小沢、反小沢の攻防が、武藤人事に待ったをかけたのだ。

  今度の日銀武藤人事の混迷が示してくれたことは、官僚支配の予定調和が、思わぬところからほころび始めたということだ。それをメディアはとっくに知っているのに、正面から書かないのだ。しかしそれでもどこかで書かざるを得ないほど重要な内幕である。だからこのように断片的に漏れてくる。

 我々はそれを見抜かなければならない。政治家もメディアも味方につけたこの国の官僚支配体制が、果たして音を立てて崩れていくのか、それともうわべだけの混乱を経て、再びもとの予定調和に戻るのか。

 
 その帰趨に、国民生活がさらに苦しくなっていくのか、蘇生できるかがかかっている。日銀人事総裁の問題は、メディアが書いているような日本経済の将来や日本経済の信用の問題では決してない。国民が知らないところで動いているこの国の支配構造の内輪もめの話なのだ。

 そしてその支配構造の内輪もめが、はたしてどこに落ち着くか。それは支配者たちも、それと密着しているメディア関係者も分からなくなってきている、それほど今の日本は崩れ始めているということである。我々国民はしっかりしなければいけない。

 

 

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2008年03月19日

 イラク攻撃から5年たって、あらためて日本外交を検証する

  イラク攻撃開始から5年たって、あらためて日本外交を検証する

  明日3月20日はイラク攻撃が始まった日である。特集記事が各紙で組まれている。しかしいずれもがつまらない。本気で検証するものがないからだ。

  あの攻撃が正しかったかどうかを議論しても意味はない。正しいはずはないからだ。

  自衛隊を派遣してまで協力した日本外交の是非を論じても意味はない。「対米追従」の一言ですべてが説明できるからだ。

  イラクや中東の現状が改善したかどうかは、毎日のニュースが伝える通りである。

 ほとんど意味のない特集記事の中で、ただひとつ、私が興味を持って読んだのは、19日の毎日新聞の、「主要国の中で、日本の指導者だけが『誤り』を認めず、孤立が際立っている」、という記事である。

  ここに日本外交の空疎さが象徴的にあらわれている。事はイラク問題だけではない。すべての日本外交に通底する嘘の外交である。外務官僚に任せてきた日本外交の行き詰まりである。

  以下は私の言葉ではない。上野央絵という記者の言葉を抜粋、引用したものである。

  ・・・ブッシュ米大統領がイラクの大量破壊兵器に関する情報の多くが誤りだったと認めた05年、「盟友」小泉純一郎首相(当時)は、「国連決議に沿った判断。イラクが大量破壊兵器はないと証明すれば戦争は起こらなかった」とし、安倍晋三前首相もそれをなぞった。両首相と異なる外交姿勢の福田康夫首相も、この点については国会で、「当時の情報はイラクにおける大量破壊兵器の存在を示唆していた。国連決議に基づく支持だ」と繰り返す。「日本は、大量破壊兵器があるから開戦を支持すると言ったことは一度もない。支持の前提が違う」というのが外務省の理屈だ・・・

  (しかし)イラク戦争をめぐって日本は奇妙な国際的「孤立」に陥っている。開戦を主導した米英が「大量破壊兵器はなかった」と認め、「誤った戦争」との認識が(国際社会に)定着しつつある中、要請を受けて協力した日本は依然「開戦を支持したのは国連安保理決議に基づく正しい判断だった」という強弁を5年間貫いている・・・

  (前提となった重大事実に誤りがあり、各国の立場や国際環境が変わっても、なお同じ理屈にしがみつくかたくなさは、)かえって開戦支持の本質が「対米追従」に他ならなかったことを浮き上がらせている。
  今では外務省幹部さえ、「北朝鮮の拉致問題でお世話になっているから、米国がやると決めたのに日本が支持しないわけにはいかないという政界の空気があった」と語るほどだ・・・

  だが、自民党国防族からも「海上自衛隊のインド洋給油が『ガソリンスタンド』ならば、イラクでの空輸は『無料バス』。もうやめてもいい」という本音が漏れる・・・

  17日の日経新聞において、パク・トウジンコリア国際研究所所長という人が、「米朝が接近するときは日朝は進展しない。それが北朝鮮の外交戦略だ」と述べている。この記事を読んだ時に、上記の上野記者の書いた外務省幹部の言葉を思い出した。 「北朝鮮の拉致問題でお世話になっているから・・・支持しないわけにはいかない」、という考えまでもが、間違っていたのである。日本外交のすべてが間違っている。


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2008年03月18日

   官僚組織に屈する政治家とメディア

  官僚組織に屈する政治家とメディア

  私は13日のブログで、日銀人事をめぐる混迷が示す一つの大きな理由は、それが官僚組織の人事をめぐる予定調和の破壊と密接に関係しているからだ、と書いた。

  読者が私の意図をどこまで正確に理解したかわからない。だから今日のブログでは、最近見つけたいくつかの証言を引用して再び述べてみる。

  これは、私がキャリア官僚であったから書ける事である。しかしキャリア官僚が官僚を辞めたからといって誰もが書けるわけではない。官僚組織から決別して生きる覚悟をした者だけが書けるのである。

  「潮」という月刊誌の4月号に、田原総一郎が極めて興味深い事を明らかにしている。小泉首相にインタビューした時の小泉首相の言葉を紹介しているのだ。

   すなわち、道路改革や郵政改革を成し遂げた小泉首相に、なぜ公務員改革を行わなかったのか、と聞いた時、小泉首相は次のように田原氏に語ったというのだ。正確な言い回しは忘れたが、小泉首相の言ったことは次のごとくである。

   ・・・そんなこと俺には出来っこない。官僚すべてを敵にまわすことになる。それにメディアをも敵にすることになる・・・

   小泉首相の、この後半部分の意味について、ご丁寧に田原氏は次のように解説して見せてくれている。

   なぜメディアを敵に回すことになるのか。それは、官僚組織がつぶれてしまうと情報源がなくなる、官製情報に依存するメディアが文句を言い出す、メディアの仕事の邪魔をすることになる、ということだ、と。

   私はこの小泉首相の言葉を知ったとき、私が抱いていた小泉政治の本質を見る思いがした。つまり小泉政権とは、官僚組織とメディアを味方につけた三者による合作政権であったということなのだ。

   確かに小泉首相は自分の政策に背くような官僚を、見せしめのごとく更迭したことがあった。しかし、それはあくまでも個々の官僚の更迭であり、しかも彼が更迭したのは中枢官僚ではなく傍流官僚だ。

   弱小官僚の首を見せしめのごとく切って抵抗勢力と戦う姿を演じ、その裏で官僚組織と手を結んでいたのだ。小泉首相は決して官僚組織と戦おうとしなかった。

   メディアも同様である。世論に迎合する形で官僚批判はしてみせる。しかし、決して官僚組織を怒らせるような記事を本気で書くことはない。官製情報から締め出される事を恐れるのだ。

   政治家もメディアも官僚組織との良好な関係を維持しようとしている。その現実を、最近の報道からさらに検証してみたい。

   17日の毎日新聞「風知草」で山田孝男編集委員が、元衆議院議員田中秀征の次の言葉を紹介している。田中は副総裁・武藤を総裁に昇格させる政府案に次のように反対する。すなわち財務省出身の武藤の総裁を阻むこと、そのものに意味があるというのだ。

・・・昇格といっても実態は最強官庁である財務省からの天下り。それを認めないことで、霞が関改革が期待できる・・・

  これが正しい。私が繰り返し言っていることだ。しかし政治家を離れ、もはや評論家に徹した感のある彼だから言えることであって、このような発言を本気で行う政治家やメディアはほとんど見当たらない。

  それどころか、次のような政治家の発言や新聞論調が、連日の報道で満ち溢れている。

  「政権を取った時に財務省を敵に回していいのかと躊躇した時期はあった。黒田氏でも渡辺氏でも(いずれも財務官経験者)個人的には認められる」(鳩山由紀夫民主党幹事長、16日のテレビ朝日番組)。

  「このままいってしまうと、経済も混乱する。国民生活にも影響が出てくる。福田総理も小沢代表も譲り合うところは譲り合い、少しでも国民生活を前進させる話し合いをしてほしい」(小泉元首相、13日の浜松市での講演-国民生活を無視して日本経済を米国に売り渡した男が、国民生活を大切にしろとはよく言ってくれるものだ)。

  「そもそも武藤氏の昇格への民主党の反対は、『財務省出身では財政と金融の分離に反する』という、まったく説得力のないものだ」(18日読売社説)

  最後に18日の朝日新聞「政態拝見」における星浩編集委員の次の言葉を引用してブログを終えることとする。これがギリギリの書き方であろう。

  ・・・新聞の社説は武藤氏の昇格容認が多数派だった。それに対しテレビ・・・は昇格に批判的な意見が多かった・・・社説を書く論説委員は経済の専門家の立場から武藤氏の力量を評価。(テレビの)キャスターは低金利に苦しむ庶民の感覚を重んじる・・・小泉政権で田中真紀子氏が外相に起用された時、新聞が冷ややかだったのに対し、テレビのワイドショーは喝采した。あれも外交の専門家と素人の反応の違いだった・・・

   その星浩編集委員もまた、その後に、「日銀人事問題を・・・政策論争に高めていく工夫が必要である」と締めくくって、問題の本質をはぐらかしている。

    日銀人事問題は、官僚組織を敵に回してまでも官僚支配を崩せるか、崩す覚悟があるか、の問題なのである。

    それは政治家やメディアでは出来ない。「素人」である世論が、「王様は裸だ」と叫んだ子供のように、「無能な官僚が日本を支配してきたから、ここまで日本がダメになったのではないか」と、言い出すかどうかである。

    小沢代表の政治生命は、国民にその事を言わせられるかどうかにかかっている。

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2008年03月17日

考えられないことが起きる時代に突入する予感

 考えられないことが起きる時代に突入する予感

 たとえば、自民党が完全に野党になる。いや、それよりも保守の分裂、政界再編によって自民党そのものが消滅する。

 あるいは、特権にあぐらをかいた官僚支配の時代がまったくの過去の遺物になる。

 そんな日が来るなどという事は、少なくともこれまでの常識では考えられなかった事だ。そして、そのような事が日本でそう簡単に起きるとは考えられない。日本は自らの手で劇的な変化を遂げる事のできない国であるからだ。

  しかしそんな日本でも、世界の大きな変革のダイナミズムに押される形で、変化を余儀なくされる日が来るかもしれない。

  17日の朝日新聞「私の視点」の中で、元スリランカの外交官、元国連軍縮担当事務次長であり、現在は国連大学理事会議長であるジャヤンタ・ダナバラ氏が、今こそ核廃絶を、として次のように書いていた。

・・・核兵器のない世界なんて「絵に描いた餅」。かつて、英国のサッチャー元首相が、そのひと言で核廃絶を一蹴したのは有名な話だ。
  実際、核廃絶をめざす科学者らでつくるパグウオッシュ会議などの非政府組織から非同盟運動諸国まで、いくら核軍縮を訴えても非現実的だと歯牙にもかけられなかった。
  だが、こうした動きに革命的な変化が起きている。(2007年1月4日に)米政界の長老たち(ジヨージ・シュルツ、ヘンリー・キッシンジャー元国務長官、ウイリアム・ペリー元国防長官、サム。ナン元米上院軍事委員長)が、保守的な米紙ウオールストリート・ジャーナルで「核兵器のない世界」を呼びかけた・・・(その呼びかけは)さらに多くの重鎮たちの賛同者を集めた。オルブライト元米国務長官、ベーカー元国務長官、ブレジンスキー元大統領補佐官、クリストファー元米国務長官、パウエル前国務長官といった人たちである。しかも彼らの背後には、科学的専門知識を提供するスタンフォード大学フーバー研究所の学者集団が控えているのだ・・・この構想は米大統領選や英国など諸外国の政策に影響を及ぼし始めている。2月末にはノルウェー政府が同構想の推進に向けた国際専門家会議を開いた・・・ハンス・ブリクス氏が率いる大量破壊兵器委員会は、大量破壊兵器の軍縮、不拡散に関する世界首脳会議を開くよう提言した・・・この機会を絶対逃がしてはならない・・・

  なんという未来志向の、創造的な投稿であろうか。国際政治において、かつては考えられないほどの大きな動きが生まれ始めているのかもしれない。

  それなのに、日本の政治家、有識者、メディアの間で、この世界的動きに呼応しようという者は皆無である。「唯一の被爆国である日本がなぜ動き出さないのだ」と、シュルツ元米国務長官は嘆く。情けないではないか。日本の指導者たちよ。

  日本の政治家や官僚に見通しの明るい者がいないのは、残念ながらそのとおりだ。だからいまさら失望もしない。しかし私が心底失望させられたのは、世論を導くべき大手新聞が、その社説、論説において、旧態依然とした考え方を繰り返している事だ。

 (中国の軍備増強から日本を守るには)日米安保体制を強化することだ(3月7日産経新聞)。東アジアの安定と繁栄をどう確保していくか。そのためには緊密な日米関係を維持すべきだ。この地域での米国の力の弱体化は、日本の国益を損なう(17日読売新聞)。日米同盟再・再定義が要る。集団的自衛権をめぐる憲法解釈の変更であり、恒久法の形で自衛隊の国際協力活動を可能にする取り組みであり普天間基地の約束である・・・(月17日日経新聞)。

  急速に変化しつつある国際情勢の流れに気づかず、百年一日のごとく日米同盟を訴え続ける知的怠慢である。

  今までに考えられないような世界の動きを先取りし、日本の新たな方向を唱えていく。作り出していく。なんという夢のある仕事であろうか。核廃絶の動きに日本が率先して参加する。米国や中国に歓迎される形で日米安保体制をなくしていくことができるかもしれない。圧倒的多数の国民の意見によって改憲の試みの愚が一蹴される日が来るかもしれない。

  そんな課題に向かって進むことは夢がある。翻って、国民に嘘をついたり、隠したり、飴と鞭を使ったりして、時代錯誤の日米軍事同盟を必死で守っていこうとする仕事の不毛さ、むなしさ。

  どちらが正しいかはやがて歴史が証明してくれるに違いない。

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2008年03月16日

   日本が世界に誇れるもの、それは「平和国家、日本である」

 日本が世界に誇れるもの、それは「平和国家、日本」である

 日本が世界に誇れるものは何か。ものづくりである。いや、今では日本料理だ、アニメだ、観光資源だ、などといわれている。しかし、それらよりもはるかに大きなものがある。それは平和国家、日本だ。

 連日チベットにおける反中国暴動のニュースが大きく流されている。私はその裏には、中国を牽制する周到に計算された謀略があると感じているが、それについてはここでは触れない。

 中国にはそのような謀略につけ込まれる隙があるのだ。もし中国が反政府の動きを軍事力で押さえつけようとすれば、中国は国際非難の的になる。北京五輪にも影響が出るに違いない。

 イスラエルがどのような暴虐をガザで働いていても、このような報道がなされる事は決してない。国際的批判がイスラエルに向けられることはない。だからと言って、中国が軍事力で人民を押しつぶす事を認めるわけにはいかない。

 今月初めに、旧ソ連軍将校の武器密売人がタイで逮捕されたという事件があった。15日の産経新聞は、ソ連崩壊後、旧ソ連製兵器が世界の闇武器市場に大量に流出し、世界各地の紛争地で使われている実態を報じている。ロシアもまた軍事大国の国である。だから「死の商人」の罪を犯す。

 中国の悪も、ロシアの悪も、米国軍事力の悪にくらべれば、まだ可愛いものかもしれない。開発途上国の独裁、非民主的国家の悪もそうだ。それにもかかわらず、これらの国の人民抑圧を容認できるものではない。世界の殆どの国が自らの軍事力によって苦しめられているのだ。

  こう考えた時、戦後の日本という国が、いかに世界の大勢から外れ、際立って平和な国であるかがわかる。軍事力を国家権力の後ろ盾として国益を追求するという、世界の常識とは、まったく異質な国であることがわかる。

  その最大の理由は、日本が、戦力の不保持を謳った憲法9条を有している国であるからだ。これこそが、今日の国際政治の中で日本が誇れる最大の優位性なのである。

  その日本が、いま音をたてて崩れようとしている。世界中を軍事力で押さえつけようとしている米国の言いなりになる国になりつつある。米軍基地が拡大・固定化されようとしている。その危険性に気づかず、平和の重要性に気づく余裕がないほど、国民が疲弊しつつある。国民が分断されつつある。

  平和を訴える者の声が、政治の場で消え去り、メディアや世論の中からかき消されようとしている。

  平和な日本を見失ってはいけない。日本こそ世界を世界に訴えていける国なのだ。せめて国民だけは平和な日本の素晴らしさに気づかなくてはならない。国民の手で平和な日本を守らなくてはならない。それを訴える事こそ、私がブログを書き続ける最大の理由である。

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2008年03月15日

 この国の不正義は最高裁にこそある

 この国の不正義は最高裁にこそある

  各紙がこぞって取り上げる記事は、大事件や政局がらみの話しと相場が決まっている。最近では、自衛艦「あたご」の事故、日銀総裁人事、特定道路財源問題、円安・株価暴落などである。

 だから、15日の各紙が、「横浜事件」という聞きなれない事件の最高裁判決をこぞってとりあげた事は異例である。それほど、この事件が重要な意味を持っているということだ。今日的な問いかけをしているということだ。

 「横浜事件」とは、戦前の42年から45年にかけて、雑誌編集者ら数十人が、「共産主義を広めようとした」として、治安維持法違反で逮捕され、特高警察の過酷な拷問の末に死者まで出した史上最大の言論弾圧事件である。いまではでっち上げであったことまで明らかになっている。

 私は3月11日のブログで拷問を禁止する上下院決議に拒否権を発動したブッシュ大統領を強く批判した。拷問は人間性に反する最大の罪であると思うからだ。これが国家権力と結びついて行われる時、一切の正義が抹殺される。

 その不正義を、21世紀を生きる我々の目の前で、この国の司法が断罪する事ができないでいる。その事を我々に教えてくれた判決が、14日の最高裁判所で下されたのだ。

 名誉回復の為に無罪を求めた遺族の、当然過ぎる訴えを、「すでに大赦を受けている場合は免訴とすべき」であるという法律、判例を踏襲して、無罪の訴えを起こす事、そのものを認めないという判決を、最高裁が全会一致で下した。最高裁の判決ですべては確定する。

 卑怯な判決だ。有罪か無罪かの判断を避けている。卑怯な判決はこの事件にとどまらない。これまでのほとんどすべての違憲訴訟がそうだ。国家権力に不利になるような訴訟については、いつも様々な理由をつけて判断を避ける。その事を最高裁は下級裁判所にまで命令する。裁判官の人事を握って従わせる。

  国家権力をあからさまに擁護する判決であっても、裁判官が自分の意見を国民の前に提示するのであればまだ許せる。卑怯なのは、国が法を犯している事が明らかであるにもかかわらず、いや明らかだからこそ、判断を回避し、訴えを却下する裁判官の保身的態度だ。

 思うに、この国の不正義の根源は最高裁にあるのではないか。司法試験を合格して法曹を目指す者たちが出世する序列は、裁判官、検事、弁護士の順であるらしい。その裁判官の中でも最高裁は最高位だ。すなわち最高裁判事は法曹を目指すものたちにとっての出世頭ということだ。

 しかし出世する事と優れている事とは違う。まして裁判官として立派である事とはまったく違う。それどころか立派で良心的な裁判官であればあるほど、出世が出来ない仕組みになっているのだ。最高裁判事になるものほど、出世の為に裁判官の良心を自己否定してきた者に違いない。
 
 このような判決を見聞きするたびに決まって思い出す映画の1シーンがある。南アフリカの人種差別(アパルトヘイト)を糾弾した、「白く渇いた季節」という映画の法廷シーンである。

  拷問の有無を問われる法廷で、警察側が一人の黒人を証人として招致する。そしてその黒人に、刑務所で拷問などなかった事を証言させようとする。 

  しばらく黙って下を向いていたその黒人は、やがて顔をあげ、キリッとした目をしてその官憲をにらみつける。
  そしていきなり傍聴席に背を向け、シャツを剥ぎ取り、拳を上げて、「アマンダ!」と叫ぶ。
  背中には拷問でつけられた傷跡が生々しく映し出される。

  彼は係員数名に取り押さえられるように法廷外に連れ出されていく・・・

  死を覚悟の上の真実の叫びである。

  命をかけろとは言わない。せめて一人くらい最高裁判事の中から現れてこないものか。正義の為に真実の判決を下す勇気のある者が。良心の拳を高らかに掲げる者が。

  最高位に上り詰めた裁判官。それ以上彼が手にしたいものは、もはや裁判官の良心のほかに、一体何があるというのだろうか。 

 

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