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2008年03月04日

年金一律救済を主張する産経新聞の論説

  年金一律救済を主張する産経新聞の論説

  4日の産経新聞の論説「政論探求」で、花岡信昭という客員編集委員が、「年金一律救済が必要だ」と言い出した。もっとも、その論説によれば、すでに昨年暮れのこのコラムでそう主張していたというから、言い出したというのは当たらないかもしれない。彼の持論であるのだ。

  彼は言う。もはや膨大な記録の名寄せ作業はどうやっても追いつかないのは明らかだ、「領収書がなくとも納付済み」として処理するという政治決断をしろ、多少のごまかしが生ずるかもしれないが、ここまできたら国民も許容するだろう、と。

  その主張は私もまったく同感だ。ねんきん特別便を送付して書き込ませるなどという無駄な作業を繰り返し、年金受給資格者を徒に困らせるべきではない。

  花岡氏が唱える如く、はやく一律救済を始めるべきだ。

  しかし、花岡氏がそう主張するのは、決して国民のためを思ってではない。早く解決しないと自公政権は追い込まれるぞ、と、優柔不断な福田政権に次のような助言を新聞紙上で行っているのだ。

  ・・・今後の難関は3月末の攻防だ。暫定税率維持を含めた関連法案の成立が最大の課題と見られているが、問題はむしろ(年金5000万件の)「最後の一人まで」公約が3月末の期限内に達成できないこと(である)。
  野党はここぞと責め立てるだろうし、改めて「政府の無策」が蒸し返されるだろう・・・(おまけに)09年度から基礎年金の国庫負担が3分の1から2分の1に引き上げられるから、今年暮れにはその財源として消費税の税率アップの議論が待っている・・・(年金システムの大改革を)打ち出すかどうか。そこにこの政権の行方がかかっているように思える。

  どうだ、この心配ぶりは。このままでは自公政権は危ない。だから領収書などなくても、多少のごまかしがあっても、とにかく早く解決しておけ、という親心からの論評なのだ。

  百年安心などと国民を騙して欠陥年金制度を積み重ねてきた年金官僚と、今尚その官僚の言いなりになって国民を裏切り続ける自公政権に対して、産経新聞は怒りを感じないのだろうか。もはやどう考えても解決能力のない自公政権を、ここまで支持する産経新聞は、一体日本という国を愛しているのだろうかと思ってしまう。

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2008年03月04日

政策の違いこそ政局をつくりだす

   政策の違いこそ政局をつくりだす

   空転する国会を前にして、世の識者は必ず口にする。政策を政局の道具にもてあそぶな、と。そうではない。政策が違うからこそ政局が生まれるのだ。

  権力を握る与党がその政策を強引に押し進めようとし、その政策に反対する野党が、自ら主張する政策を実現するためには権力を握るしかないと考えた時、必然的に、そこに政局が生まれる。

  そんな私の考えを代弁してくれる記事を4日の東京新聞に見つけた。谷政幸論説副主幹の「政理整頓」がそれだ。「政策が政局に直結する」という見出しで書かれたその論説のなかで、谷氏はこう言う。

  ・・・かねて気になっている論調がある。安全保障や税、年金の問題を政争の具にするな、という、いわば”大人の説諭“である・・・はたしてそういう議論は正しいか。政権を持っている側やそれにくみする立場からの言い分ではないのか・・・

  そう言ったあとで、谷氏は、たとえば組織防衛に終始する防衛省をかばうか、根本的に改革するかという問題や、道路特定財源問題で官僚主導の政策に乗って官僚を擁護する立場をとるか、官僚政治に風穴を開けるか、などは、すぐれて政治的な対立軸の問題であり、どちらの立場をとるかの議論は、そのまま「政争」、「政局」につながる、というのだ。

  私もそう思う。多くの国民もそう思っているに違いない。問題は野党が政局を作りきれていないところにある。見ているがいい。空転している国会は一週間たてば再開する。そして同じような議論を繰り返していたずらに日数を消費する。

  野党が真の政局に持ち込めないところが最大の問題なのである。与野党の政治家たちが自分たちの生き残りのために政界再編にうつつを抜かすようになっているのが問題なのだ。

 自公政権を否定するかしないか、はやく国民に決めさせないところが、日本の混迷を不必要に長引かせているのである。

 

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2008年03月04日

  消滅するパレスチナ国家


  消滅するパレスチナ国家


  「選択」という月刊誌の最新号(3月号)に「パレスチナ問題の出口が見えてきた」という記事を見つけた。筆者の名前はないが、中東情勢に詳しい者の手による記事と思われる。

  1948年のイスラエル国家の以来繰り返されてきた流血は、どうやらパレスチナ国家の消滅という形で終わることになりそうだ、というのである。

  もっとも、筆者の言うとおり、パレスチナという国は歴史上一度も存在した事はなく、パレスチナ人という民族もどこにもいなかった。

  英国の植民地であり、委任統治であった、かつてのオスマントルコ領の一部に、アラブ人とユダヤ人が混在して住んでいた。そこにいきなりユダヤ人国家が出来て、その地を追われて難民になったアラブ人が、「パレスチナ人」というアイデンティテイを求めただけなのだ。

  だから、「消滅するパレスチナ国家」ではなく、「消滅するパレスチナ国家の可能性」であり、「消滅するパレスチナ建国の夢」とか「消滅するパレスチナ建国の悲願」と言ったほうが、より正確であろう。

 その消滅のシナリオについて筆者はつぎのように予想する。

 反米、反イスラエル強硬派ハマスの地となったガザは、イスラエルの弾圧と封鎖によって監獄と化し、もはやガザの150万人はエジプトへ流入するしか生き残れない事がわかった。封鎖壁が破壊されガザの住民が怒涛のように流れ込んだ事件がそれを証明した。ハマスは壊滅され、ガザはもとどおりエジプトの一部となる。

 その一方で、ヨルダンから切り離された西岸は、ユダヤ人入植で虫食いだらけになったミニ国家として見せ掛けの独立を実現し、いずれヨルダンとの連合国家を形成することになる。

 見事なパレスチナ問題の終焉予想である。出口シナリオである。私もそう思う。

 しかしその筆者と私の間には、一つだけ大きな違いがある。そのシナリオを進めようとすれば、多大の犠牲と流血が避けられないということだ。人間の良心がそれに耐えられるかということだ。

  それよりも、なによりも、そのような政策を強硬に進めようとする米国とイスラエルに、未来があるのか、である。

  私は、そのシナリオが、米国とイスラエルの描くシナリオであることは認めても、そのシナリオが最終的なシナリオになるとは決して思わない。最後は公正で永続的な平和を目指すシナリオに行き着くほかはない、米国もイスラエルのその事に気づかざるを得ない時が来る、と確信している。

 

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