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2008年03月31日

 平和憲法は国民の手で守れる

平和憲法は国民の手で守れる

  最近目にしたいくつかの言葉から、久しぶりに憲法9条について書きたくなった。

  31日の読売新聞は野坂昭如の近況を伝えている。2003年に脳梗塞で倒れた野坂は懸命にリハビリと戦っている。口述筆記で書かせた次の言葉に、人生の最後を必死で行き続けている者の迫力を感じる。野坂はいま最強の平和主義者となった。

  「・・・ぼくがこだわり続けているのは戦争。戦争は人をケダモノにする。人間を変えてしまう。嫌というほどそれを見てきたし、僕自身も変わった。戦争を知る人間として、戦争はするなと語り続ける義務がある・・・」

  本屋で手にした雨宮かりんと佐高信の対談本の中で、雨宮かりんが赤木智弘の言葉を代弁するかのように、次のように語っていた。赤木智弘とは、「希望は戦争」、「丸山眞男をひっぱたきたい」などと公言しているフリーターの社会評論家の事である。

  「戦争は起きたほうがいいが、愛国心などさらさらない」

  悲しい言葉だ。私は戦争には断固反対する。しかし日本を愛している。

  31日の東京新聞は、宇都宮駐屯地で30日に行われた陸自中央即応連隊の装備公開式において、折木良一陸上幕僚長が述べた次のごとき言葉を紹介していた。

  「今こそ武力集団としての原点に立ち返り、時代の変化に的確に対応するたくましい集団に・・・」

  驚くべき違憲発言だ。一昔前なら大問題発言である。しかしガソリン国会に奔走する今の政治やメディアはこの発言を見逃してしまう。

  私は自衛隊を認める。専守防衛に徹し、日本国民を守る自衛隊であるならば、敬意すら抱く。

  しかし、国際平和協力というごまかしの名の下に、海外活動を本来業務とし、米国の戦争のために武力集団と化す自衛隊を、認めるわけにはいかない。それを誇らしげに公言する陸将を許すわけにはいかない。

 
  少し前の報道になるが、新憲法制定議員同盟の3月4日の総会で、民主党の幹部議員があたらに参加したというのがあった。

  すなわち羽田孜元総理、鳩山由紀夫民主党幹事長、前原誠司副代表らが、顧問や副会長などになったというのだ。

  こうして改憲議員は超党派でまとまりつつある。しかし、護憲政党が団結するという動きはまったく見られない。もはや国会議員の三分の一以上の護憲議員によって改憲発議を阻止するなどという事は、絶望的だ。

  しかしその一方で、「9条の会」をはじめとした草の根集会や団体の、憲法9条を守ろうとする動きは全国に拡大しつつある。ここに希望を見出す。

  新憲法制定議員同盟の幹事役である愛知和男議員が、「9条の会」などが全国に根付きはじめている事に危機意識を持ち、「我々も全国的な活動を進めなければならない」と発言した事は象徴的だ。

  平和を叫ぶ市民団体や集会は、その背後に共産党や社民党の支援と思惑がある。だから集会のまとまりも統一化もない。たとえば「9条の会」が共産党の影響下にあり、「9条行脚の会」が社民党の団体である、といった具合に。

 しかし、それらの集会に集まる人たちの中には、政治と離れてひたすらに平和を願う一般国民が多く含まれている事も事実である。

 新憲法制定議員同盟が怖れているのは、そのような一般国民の護憲意識の拡大に違いない。共産党や社民党がわずかばかり議員数を増やしたところで、改憲発議はできる、とたかをくくっているに違いない。

 しかし国民投票で改憲案が国民の手によって拒否されれば、改憲の目論見は頓挫する。その事を怖れているのだ。

 重要なことは国民一人一人の意識である。もはや議論などいらない。「今憲法を変える必要性はない」、「憲法9条を変えて米国の戦争にこれ以上巻き込まれるのは真っ平だ」、そう素朴に考える国民が一人でも多くなればいいだけの話だ。その国民は、バラバラでもいい。政治的にまとまらなくてもいい。自分の頭で考え、自分の判断で、「戦争より平和がいいに決まっている」と思えばいいだけの話だ。

 戦争が起きて世の中が壊れてしまえばいいと考える者はいるだろう。戦争が好きなものはいるだろう。気に食わない国を攻撃してしまえと思う者もいるかもしれない。米国の軍事的庇護から離れて自主防衛力を高めるために憲法9条を変えるしかない、と思う者もいるだろう。どう考えようがそれは勝手だ。

 しかしそれは間違いだと思う国民が、過半数いれば平和憲法は守れる。他に解決すべき問題が山積している時に、何も今憲法を急いで変える必要はない、と考える国民が半分いれば憲法は守れる。

 憲法9条を維持する事は、もっとも安上がりで最強の安全保障政策なのだ。その事を一人でも多くの国民が気づくように、私はどのような平和集会でも応援する。

  

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2008年03月31日

ガソリン国会を正しく見抜く眼力

  ガソリン国会を正しく見抜く眼力


  ガソリン国会について、テレビも新聞も、うんざりするほど同じような報道を繰り返している。

  ガソリン価格が下がる事が、暮らしにあえぐ一般国民にとっていいことであるに決まっているではないか。

  その財源減をどうやって穴埋めするかとか、地方に財源をどうまわすかなどは、そして市場の混乱を防ぐなどという事は、正しい政治指導による、正しい政策を行えば、どうとでも解決できるものなのだ。

  国民は、少しでも暮らしを楽にしろ、と政治家や官僚組織に訴えるだけでいいのだ。

  そう私が書くと、物事が分かっていると自称する識者はからは、ガソリン価格だけに問題を矮小化するなと言う声が聞こえてきそうだ。実際のところ、「ガソリン国会」をどう見るかについて、大手新聞の社説はすべて、「福田首相も発奮したのだから、民主党も譲れ」と書いている。自民党はわが意を得たりと、この社説を引用し、民主党を攻撃する。

  そんな中で一つだけ、ガソリン問題の本質を見抜いた記事があった。30日の毎日新聞「風知草」で山田孝男専門編集委員が書いている指摘がそれだ。

  山田氏は、片山善博前鳥取知事の発言を引用して、要旨次のように書いていた。

  ・・・片山善博は(福田)首相の発奮を疑う。首相案の本質は財務省案だからだ・・・首相案がなぜ財務省案か。そもそも、特定財源の一般財源化は財務省の悲願だ。国土交通省の権益を抑え、税金の使い道をあらかじめ決めない仕組みに戻す。これ自体は正論だが、結果として財務省の権益が大きくなる・・・

  首相案は「09年度から一般財源化(にする)」と、ここだけやけに具体的だ。これに対し、暫定税率の扱いや、道路整備計画の策定は今後の政治折衝にゆだねるという。日程や数値でシッポをつかませない。予算編成過程で抵抗勢力をなだめるための布石であり、発想が財務省的だ・・・ごまかしへの逆行を阻む歯止めがない・・・
  
  そこで思い出すのが94年の細川首相の真夜中の記者会見だ。あの時細川首相は突然国民福祉税導入を発表した。増税反対の武村官房長官や連立与党・社会党を出し抜くため、緊急会見という手法をとった。

  米国の要請で内需拡大のために所得税減税に踏み切る見返りの増税だったのだ。

  世論の反発をかって細川首相は一夜で撤回するのだが、このシナリオを書いたのが大蔵次官の斉藤次郎であったというのが定説だ・・・

  片山の見事な分析だ。片山の言うとおりであると思う。キャリア官僚であり、今では官僚組織から決別して本音の発言を繰り返す片山ならではの指摘だ。官僚組織を本当に監視できるのは、官僚組織と決別したキャリア官僚でしかできない。

  福田首相も、さらにその前に既に一般財源化を唱えている小泉元首相も、所詮は財務官僚のシナリオに踊らされている。それを知ってか、知らずか、福田首相の提案をこぞって持ち上げて、今度は民主党に譲歩を迫る大手新聞もまた、皆、官僚たちのお友達なのだ。

 そういえば、民主党副代表の前原誠司は、小沢民主党に反旗を翻すかのように、福田提案は画期的で民主党も評価すべきだと発言した。前原グループの松井孝治も自らのHPで、「福田提案は評価できる」などと見事に歩調をあわせているという(29日毎日新聞、岩見隆夫、近聞遠見)。

 この前原グループこそ、官僚を批判する振りをしながら、官僚と共存していく民主党の抵抗勢力なのだ。

 一般国民は気づかなくてはいけない。ガソリン国会を巡る与野党の攻防の本質は、ただ一点。官僚支配を突き崩せるかどうかだ。戦後の政治を貫いてきた、自民党・官僚支配勢力と、その支配勢力に支配されてきた一般国民の、最終的なせめぎ合いなのである。

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2008年03月30日

人種問題の原罪から逃れられない米国


  人種問題の原罪から逃れられない米国

  あれほど騒いで日本のメディアが報道したオバマ熱が、ここにきて急に冷めてしまった。それは決してヒラリー、オバマの混戦に決着がつかないからではない。

 誹謗合戦の選挙運動の中で、米国の有する原罪が表面化してきたからだ。人種差別問題に踏み込まざるを得なかったオバマ氏に対し、オバマで大丈夫かという声なき声が米国内で広がりつつあるからだ。

 この事を、30日の読売新聞「ワールド・ビュー」における大塚隆一アメリカ総局長の記事が教えてくれた。

 バラク・オバマ上院議員の躍進の原因の一つに、人種や性の違いを超えた国民「融合」の訴えがあった。

 ところが、そのオバマ候補が師と仰いできたジェレマイア・ライト黒人牧師の白人政権批判の発言が、米国民のオバマ熱を奪い、米国民を分裂させつつあるという。

 「広島と長崎で我々は(米同時テロで亡くなった)数千人よりはるかに多い人々に爆弾を落とした。米国は悪事の報いを受けた」

 「米政府は、有色人種を大量殺害するためにエイズウイルスを作り出した」

 「米国は今も世界一の殺し屋だ。プロの殺し屋の訓練にもかかわっている」

  この黒人牧師発言の映像が3月14日に米国メディアで流されると、騒ぎは一気に拡大したという。今では黒人票の大半がオバマ氏に集まり、白人票の多くはクリントン氏に流れているという。国民融和の熱は冷め、国民の分裂がむしろ深まっているという。

  オバマ大統領候補は、これを打ち消そうと、18日に人種問題を正面からとりあげた率直な演説をした。それがさらに国論を二分しつつある。人種問題こそは今でも米国の最大のタブーであり、弱点なのだ。

  ライト牧師の発言は、いずれも皆が内心思っている事である。しかしそれを他国の人間が口にしたとたん、米国の反発を招く。しかし、米国人が発言したらそういうわけには行かない。

  人種差別は60年代まで米国内で公然と存在したからだ。しかもその差別は、あらゆる差別がそうであるように、あまりにも酷かった。そして公的差別は撤廃されても、人種差別の意識は厳然として米国民の潜在意識に厳然と存在する。米国に少しでも住んだ事のある日本人なら、それを知っている。

  大塚アメリカ総局長はこう締めくくっている。

 「・・・オバマ氏が『パンドラの箱』を開けた形になった人種論争は今後も続くだろう。特に本選挙に勝ち進めば、共和党側はあの手この手でライト発言を蒸し返すだろう。歴史的な挑戦を続けるオバマ氏には、なお険しい道のりが待ち構えている」

   米国の人種差別は、中東政策や、そこから生じた「テロとの戦い」に強く反映されている。それどころか対日政策の根底にも人種差別が陰を落とす。

   それから目をそらし、米国こそ日本と最も価値観を共有する同盟国であると繰り返す政治家や外務官僚は、無知であるか、さもなくば自己欺瞞だ。民主党は反日的で、共和党は親日的だ、と単純化し、てマケイン候補の当選を願う日本の自称米国通は、あまりにも皮相的だ。

   今こそ、我々はオバマ大統領が米国に誕生するのか本気で見極めなければならない。日本のメディアは、今こそ米国大統領選挙の行方を、これまで以上に報道しなければならない。

 

 

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2008年03月29日

イスラエルに急接近する中国


  イスラエルに急接近する中国


  読売新聞が連載している「中国疾走」の29日の記事のなかに、注目すべき記述を見つけた。イスラエルに急接近する中国の姿が、そこに描かれている。

  このところ中国のイスラエルからの武器購入が増えているという。いまや中国はイスラエルにとってロシアについで第二の武器輸出国であるという。

 そして、その狙いは、イスラエルを通じて米国のハイテク兵器の技術力を獲得することにあるという。

 イスラエルにとっても「中国の巨大な市場は大きな魅力」だ。北京五輪で、競技場や選手村の出入り口を管理する警備システムを受注したのも、イスラエル企業であるという。

 ついに中国は、イスラエルをして、「中国は中東和平の支援役」であり、「家族主義で教育熱心など、我々と価値観が似ている。欧米人とのビジネスよりやりやすい」とまで、言わしめるようになった。

 イスラエルと中国はまた、異民族弾圧でも共通している。イスラエルのパレスチナ弾圧に口を挟まないかわりに、中国のチベット弾圧には口を挟ませない、という了解がある。

 中国はまた、ユダヤロビーの米国に対する影響力を知っている。イスラエルへの急接近を通じて、米国の対中政策をコントロールしようとしている。

 その一方で、中国はまたイスラエルの仇敵であるイランとの関係も強化している。世界がイランへの経済制裁を強化する中で、中国はイランとの関係を強化している。テヘラン市営地下鉄建設に協力し、イランの石油、天然ガス利権を次つぎと手にし始めた。

 そして、イランをして、「よき友である中国の協力に感謝する」とまで言わしめている。

 見事な全方位外交だ。私はそのような中国の外交に決して好感は持たない。しかしこれこそが国益を最優先した現実主義の外交なのだ。

 かつて私が中東・アフリカ局の課長であった時、当時の外務省の幹部は、安倍晋太郎外相(当時)のために、「創造的外交」なるキャッチフレーズをでっち上げた。イラン、イラク戦争の最中に、どちらにもパイプを持った等距離外交であると喧伝した。イランと米国の関係が途絶えている中で、米国とイランのパイプ役を自認した。

 しかし、その実態は、日本食や果物などを手土産に、イランとイラクを訪問するだけのパフォーマンス外交でしかなかった。

 その外務省は、いまや対米従属外交に終始し、親イスラエル政策に一方的に傾斜してしまっている。身動きが取れないでいる。

 中東外交においても、日本外交は中国外交に圧倒されてしまっている。それを見事に示してくれた読売新聞の記事であった。

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2008年03月28日

  前原誠司氏よ、こんな事を産経新聞に書かせる隙を見せてはいけない

  前原誠司氏よ、こんな事を産経新聞に書かせる隙を見せてはいけない


  産経新聞はよほど民主党が政権を取る事に反対らしい。よほど小沢一郎が嫌いらしい。だから、民主党を分断させるような、次の如き記事をあえて書いて見せるのだ。

  26日の産経新聞「政論探求」というコラムで、客員編集委員の花岡信昭氏が、次のように前原誠司副代表の事を書いていた。

 ・・・先週の数日間、「日露専門家対話」というシンポジウムに招かれ、日本政治の現状を報告した・・・民主党が強硬な態度に出ているのは、党内に「小沢(一郎代表)離れ」をはじめとした問題を抱えているためではないのか。
    モスクワ訪問は学者、政治家ら十数人のメンバーだったが、その中に、民主党の前原誠司副代表(元代表)もいた。この重大な時期に国会を離れていたのは、不毛の攻防戦から距離をおきたかったためではないか・・・

  前原氏よ。こんな事を産経新聞に書かせてはいけない。今は何があっても小沢民主党が一丸となって自公政権との決戦に勝つことだ。隙を見せてはいけない。

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2008年03月28日

  マケイン大統領候補まで核軍縮を提唱し始めた

  マケイン大統領候補まで核軍縮を提唱し始めた。

  17日のブログ「考えられない事が起きる時代に突入する予感」の中で、私は米国の重鎮が、次つぎと核兵器撤廃を言い始めた事を書いた。

  28日の朝日新聞は、マケイン大統領候補までもが、「世界中の核兵器を削減する作業を、我々から始めなければ」と、核軍縮を提唱したという。26日、ロサンゼルスで外交政策について演説した中で発言したという。

  これは注目すべき発言だ。このブログを読んでいる外務官僚よ。この機会を逸することなくブッシュ大統領に呼びかけてみよ。今度のサミットで米国と一緒になってあらたな核軍縮の提案を福田首相にさせたらどうか。

  それが成功すれば、福田首相の業績は歴史に残るに違いない。それこそが外交というものだ。

  米国の真意は、核兵器がテロにわたるぐらいなら全廃したほうがいい、という程度の発想だ。核兵器が全廃されても、もっと破壊力のある兵器を開発しているので、米国の攻撃力は落ちる事はない、という計算がある。

  それでも、核兵器削減について、米国と日本が共同提案し、それが欧州を巻き込んで世界の核軍縮が進むようなことになれば、歴史的な成果となる。

  北朝鮮も六カ国協議で核凍結に応じざるをえなくなる。イスラエルも核兵器を持つことができなくなる。イランも核開発が出来なくなる。

  これほど大きな外交成果はない。国際環境は整いつつある。これほどまでに多くの米国の重鎮が核兵器廃止を言い始めている。ついに米国大統領選挙の共和党タカ派のマケイン氏までもが言い始めたのだ。オバマといい、ヒラリーといい、民主党大統領候補が核軍縮に反対するのは困難だろう。

 あらゆる条件が整いつつある。外務官僚よ。嘘とアリバイ作りの、どうでもいい仕事に埋没するのではなく、今こそ建設的な外交に取り組んだらどうか。

 たとえうまく行かなくても試みる価値は十分ある。ひょっとしたら福田首相の起死回生になるかも知れない。それぐらいの知恵を働かせてみろ、かつての同僚たちよ。

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2008年03月28日

 ガソリン税騒ぎのニュースの洪水のなかで、隠れた注目すべきニュースもある

  ガソリン税騒ぎのニュースの洪水のなかで、隠れた注目すべきニュースもある

   いつも思うことなのだが、一つのニュースにすべてのメディアが集中する。テロ給油の時はそればかり。守屋疑惑の時はそればかり。大連立騒動の時はそればかり。チベット暴動が起こればそればかり。ここ数日間はガソリン税の帰趨のニュースばかりが続くだろう。

   しかし、そのようなニュースはどの記事も同じだ。どの解説も大差はない。そういう時こそ、他のニュースに注目すべきである。

   たとえば28日の各紙が取り上げている、突然の文部科学省の学習指導要領の告示である。2月に公表したばかりの改定案を一部修正し、郷土愛の文言を追加した。君が代が歌えるようにと変更した。東京新聞だけが大きく問題提起していたが、普通であれば大きな論争を呼ぶニュースだ。

   イラクでは数日前からイラク軍・警察による掃討作戦が始まった。これは、イラク政権が治安能力を証明しようとするものだが、背後には撤退をスムーズに運ぶための米国の作戦があるに違いない。しかし結果は治安悪化の逆戻りだ。内戦再発の危険な賭けだ。

   その一方で中東ではアラブ連盟会議が開けないでいる。アラブ諸国が親米諸国とイラン・シリア派に対立し、その対立のあおりを受けたレバノンが大統領を選べないでいる。アラブ連盟に出席できないでいる。

   ブッシュ政権末期において中東情勢は確実に不透明さをましている。

   ブッシュ大統領が胡錦涛主席に電話連絡をして暴力の自制を求めたという。見せかけのポーズだ。米中の話し合いの始まりだ。

   北朝鮮の核問題を、密約まで交わして進めようとしているブッシュ政権が、中国と敵対するはずはない。イスラエルの暴力を放置している米国が、チベット問題で中国に強く出られるはずがない。

   フランスのサルコジ大統領が五輪をボイコットする可能性を匂わせた。笑止だ。格差に怒る若者を暴力で鎮圧したサルコジが、中国に何を言っても中国は相手にしないだろう。コソボ独立問題で分裂する欧州やロシアは、民族問題は自分たちの問題でもあるのだ。少数民族問題は世界で繰り広げられている最も厄介な国際政治問題なのである。

   産経新聞の「断」というコラムで潮匡人というサンケイ御用達評論家が、ミャンマーの時に大騒ぎをした人権論者がなぜチベット問題で強く反対しないのか、と皮肉っている。これも笑止だ。そんな事を言えば、日頃人権問題に関心のない連中が、なぜ中国叩きの道具に、チベット問題を利用して大きく騒ぐのか、と言い返されるのがオチであろう。

  昨年7月に横須賀で女性二人を刺して重軽傷を負わせた米海軍の水兵の初公判が横須賀地裁で行われ、水兵は殺意を否定したという。ここまで状況証拠が明らかであるのに、である。小さな記事であるが、我々はこの裁判の行方を見極めなければならない。

  手元の記録では、昨年にはこの殺人未遂事件のほかにも、横須賀での無免許、酒気帯び運転事故(1月)、広島での19歳女性の海兵隊4人による集団暴行(10月(、沖縄でも米兵子息による女性暴行(10月)、横須賀での女性2人殴打事件(12月)がある。今年に入ってからは、タクシー運転手刺殺容疑の前に、沖縄での少女暴行事件(2月)やフィリピン女性暴行(2月)や男性警官に対する暴力行為(3月)などがある。
  我々はどこまでこれら事件の結末を知っているか。メディアはどこまで報道してきたか。

 最後に、こういう記事が28日の朝日新聞にのっていたから紹介しておきたい。北富士演習場の返還闘争を住民団体が断念したというニュースだ。

 山梨県の富士山北麓に拡がる演習場では陸上自衛隊と米海兵隊が実弾射撃訓練をしている広大な敷地がある。国と山梨県が5年ごとに使用協定を更新してきた。そのたびに反対し、土地返還運動をしてきた住民団体が、今回ついに返還闘争を断念したというニュースだ。

 現在の会員はわずか10人たらず。平均年齢は80歳。「後に続く人がいない。闘争はもう終わりにする」と元会長は話す。その一方で、山梨県や地元3市村は、交付金をもらえなければ予算が組めない状況である。

  こうしてどんどんと在日米軍の日本占領が強化されていくのだ。こういう現実こそ、メディアは国民に問題提起すべきだと思う。

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2008年03月27日

  超党派「ビビンバの会」とは笑止千万だ


  超党派「ビビンバの会」とは笑止千万だ

  27日の産経新聞で「超党派ビビンバの会」が始動したという記事を読んで驚いた。同時に失笑を禁じえなかった。

  自民党の加藤紘一が民主党の仙石由人らと超党派勉強会「ビビンバの会」を発足させたという。なんでも2月に加藤と訪韓したメンバーが中心だという。自民党山崎拓、民主党枝野幸男、社民党辻本清美など15人が参加したという。

  いずれも賞味期限の切れた過去の政治家だ。こころざしの全くない政治家ばかりだ。自分の生き残りしか考えない政治屋だ。

  「評論家はもうやめた。これからは現役復帰だ」と加藤紘一が宣言したという。冗談じゃないか。「加藤の乱」の失態を忘れたのか。

  松本健一・麗澤大学教授を講師に招いてナショナリズムや国家像について意見交換したという。それで、「健全なナショナリズム育成に向け、リベラル派の結集」だと。「政界再編をにらんだリベラル勢力の結集」だと。なんという厚かましさだろう。

  なかでも社民党の辻本清美である。尊敬する元社会党衆議院議員だったのある人が、辻本だけは気をつけろ、とんだ食わせ者だ、と私に語った事がある。

  私にはわからない。しかし、二、三度言葉を交わした私の直感では、心に響くものが何もない政治家だ。何しろ議員に復活したとたん、「帰って来ました」と笑顔で小泉首相に握手を求めに行った姿をテレビで見て、これはダメだと思った。いくら護憲を唱えても、私の心には響かない。

  今の日本の政治の混迷を象徴している産経新聞の記事であった。

  

  

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2008年03月27日

  目にあまる主権放棄だ。

  目にあまる主権放棄だ

  ここまで主権を奪われて、政治家も、官僚も、メディアも、愛国主義者も、誰一人として本気で立ち上がろうとしない。これでは国民は浮かばれない。

  横須賀で起きたタクシー運転手刺殺事件は、これまでの報道を見る限り誰が見ても米脱走兵の仕業だ。ところが、いまだに日本の警察の捜査が進展していない。情報がすべて米軍に握られたままだからだ。これではタクシー運転手は浮かばれない。家族や同僚の怒りや無念は堪え難い。

  報道によれば米軍は脱走の取調べしかしていないという。それどころか本人は殺人を否定し、それが放置されている。

  これが日本人の犯行ならば、指紋やDNA鑑定などで直ちに白黒が判明するところだ。なんという無法状態だ。

  この事の不当さを、連日本気になって訴えているのは、夕刊タブロイドの日刊ゲンダイだけだ。やっと本日発売の週刊新潮が書いた。それも日米地位協定が捜査の壁になっている、というなまぬるいものだ。

  おりから、27日に、防衛省が機密を漏洩したとされる自衛官を書類送検したという記事を各紙が一斉に取り上げた。機密が漏れるなどという防衛省の体たらくを弁護する気はさらさらない。

  しかし、05年5月に起きた事件が、なぜ今頃になって書類送検なんだ。自衛官の機密漏洩がこれまでいくつも行われてきたのに、この事件だけなぜ書類送検か。

  それは米国からもらった情報だからだ。それが漏れたことにより米国が怒って日本政府に圧力をかけたからだ。情けないと思わないか。

  27日の朝日新聞に出ていた森本敏の次の言葉がすべてを物語っている。

  米国の信頼を著しく損なう深刻な事案で、リークした自衛官は厳しく罰せられるべきだ・・・安全保障にかかわる広範な「秘密保護法」を整備すべきで、自衛隊員に限らず議員やメディアなど「防衛情報に接した者」に保全の義務を課す(べきだ)。

  森本よ、横須賀タクシー刺殺事件についても法の厳格な適用を唱えてみたらどうか。

  日本のメディアよ。政治の混乱を報じるのもよい。「誰でもいいから殺したかった」とうそぶく壊れた若者の事件を報じるのもよい。それらは今の日本の深刻な問題である。

  しかし、もう一つの大問題、主権を放棄して米国に全てを預けた今の日本の窮状について、どうして大きく声を上げないのか。愛国主義者はなぜ黙っているか。国民が押しつぶされている最大の原因が米国の日本支配にあるというのに。
  

  

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2008年03月26日

   姿が見えない外務省


  姿が見えない外務省

  ここ当分の間、防衛省や国交省や厚生労働省などが引き起こした問題がマスコミに騒がれ、その影に隠れて外務省の仕事振りが注目されることはなかったが、実は外交不在の状況は深刻だ。

  26日の毎日新聞と東京新聞の記事がそれを教えてくれた。

  毎日新聞は、国内政治で苦境に立つ福田首相が、実は得意の外交でもまったく成果が乏しいと、次のように書いている。

 ・・・「きちんとやるべきことはなされている。7月のサミットなどでリーダーシップがますます発揮されることを期待する」
    藪中三十二外務次官は24日の会見で(こう)語ったが、外務省内には「『外交マジック』は効かない」という悲観論が広がっている
    ・・・日米同盟に関連する安全保障論議は進んでいない。
    政権浮揚のカギとみられた日中関係も・・・ガス田開発問題は先送り。1月末にはギョーザ問題     が起こり、3月にはチベット暴動が起き、5月の胡主席来日を控え対応に苦慮している。
      対話路線に軸足を転換した対北朝鮮外交でも膠着が続く・・・4月13日に期限切れを迎える    対北朝鮮経済制裁は再延長が避けられず、北朝鮮の反発は必死だ・・・


   東京新聞「国際デスクから」はもっと核心をついている。外報部嶋田明浩記者は、今どき、「知らしむべからず」でもなかろうが、外務省が絡むトラブルでは、ことの経緯や責任の所在がまったく国民に明らかにされない、と次のように書いている。

    ・・・ガス田問題などを抱える日中関係でも「信頼関係を損なうようなことになっては・・・」が外務    官僚の口癖だ・・・昨年12月には「日中ハイレベル経済対話」の共同文書を、中国は勝手に一部    削除して発表した(が、外務省の説明は不明なままだ)。今月中旬、北京の裁判所が日本の外務   省幹部らを「スパイ」と認定する判決を出したと報じられた際も、高村正彦外相は「判決内容を知っ   ているか否かも含めて答えを差し控えたい」として、反論の姿勢を示さなかった。
      そこへ今月20日に持ち上がったのが、東大などで講演が予定されていたイタリアの政治哲     学者アントニオ・ネグリ氏の来日中止・・・査証申請手続き問題の当事者である外務省は、「直前    までネグリ氏の来日予定を知らなかった」という・・・今回もまた責任が明確にされないまま、著名    な学者の入国を拒んだとして日本の威信は傷ついた。

   外務省の置かれている状況は深刻に違いない。

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2008年03月26日

全面対決で今度こそ決着をつけてもらいたい

 
  全面対決で今度こそ決着をつけてもらいたい

   政治が面白くなってきた。これこそ本来の政治の姿だ。国民が観客となり、主役となって政治家たちの真価を監視すればいいのだ。

  思えば参院選挙での自公政権の敗北以来、随分まわり道をさせられた。あの時一気に政権交代の是非を国民に問うべきだったのだ。何しろ安倍首相が政権を投げ出したのだ。それも国会の所信表明演説の直後にだ。

   「ねじれ国会」などという言葉が横行し、「政局より政策を優先させろ」などとメディアは書きたてた。そんなごまかしでは、政治のゆがみは正せなかった。

   小沢一郎の「大連立騒動」などというパプニングもあった。大きな間違いであったが、それが政権交代を望む国民の強い反発を招いたゆえに、民主党も勉強をした。小沢民主党は今度こそ腰砕けの妥協をしないでもらいたい。

   小沢民主党は、メディアがなんと書きたてようと、暫定税率廃止を貫き、ガソリン価格を下げてもらいたい。審議拒否による国民の反発を恐れる必要は無い。参院で民主党を支持した国民は対決を望んでいるのだ。その国民を信じるしかない。
 
   福田首相は、自らの進退をかけて、衆院再議決を強行してくれ。正しいと思う租税法案を成立さろ。民主党案に譲歩することは、政権政党としての責任と矜持をかなぐり捨てる事だ。政権にとどまりたいだけの妥協は、貴方の本意ではないだろう。

   メディアはつまらない解説を繰り返すべきではない。所詮国民は、自公支持派と政権交代派に分かれているのだ。この際下手な情報操作などせず、一気に政局に持ち込んでくれ。

   日本の状況は待ったなしの状況に追い込まれている。嘘と犯罪に溢れかえった現状は、誰が政権をとっても容易に解決は出来ない。自公政権であろうが、民主党による政権交代であろうが、政界再編であろうが、はやくすっきりさせて強力な政権を作らなければならないのだ。

   今の日本はそれほど深刻なのだ。国民生活はそれほど困窮しているのだ。一刻も早く国民に政権を決めさせてくれ。

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2008年03月25日

松下幸之助の新党構想とその挫折


  松下幸之助の新党構想とその挫折

  産経新聞に北康利という作家が松下幸之助の自伝を連載している。25日の第29回目では、松下幸之助の新党構想とその挫折が記されていた。私はそれを読んで深く考えさせられた。

  松下幸之助が生きていたら今の政治を何と思っていただろうと思う。そして松下幸之助のような人物が、今の日本になぜ現れてこないのだろうと思うのだ。

  松下幸之助という人物が立派であったという事はよく聞かされる。本当にそうなのか。どこが彼の立派なところであるのか。私は詳しく知っているわけではない。

  しかし北康利の連載を読むにつれ、松下幸之助の非凡さに気づくようになった。1974年に、「崩れゆく日本をどう救うか」という警世の書を世に出し、それが発売半年で50万部も売れた。それだけでも只者ではない。

  84歳にもなった1979年に、総額100億円もの私財を投入して松下政経塾を設立し、国民に尊敬され、信頼される政治家を育てようとした事に改めて驚く。

  私が25日の産経新聞の記事で特に注目したのは、松下幸之助が松下政経塾の開塾式においてぶち上げたものが「無税国家構想」であったということだ。

  納税は国民の義務だとし、節税などおよそ考えた事がなかった松下幸之助が、税金が高いと国民の勤労意欲を維持できないと痛切に感じ、「税金をとるのが当たり前だと考えるのではなく、国家自体が企業のような事業体となって利益を生むような国家事業を展開し、その収益を国民に配分していこうといった発想の転換も必要ではないか」と提言したというのだ。私が漠然と考えていたものと同じだ。何でも国民から搾り取ろうとする今の政治の対極にある考えだ。

  松下幸之助が不幸だったのは、財界の中で誰一人として本気で彼につくものがいなかったことだ。彼が夢見た政経塾には、それを「ステップ」にして政治家になろうとするしたたかな連中しか集まらなかったことだ。

  松下幸之助は「松下政経塾では間に合わんかもしれん」と言い出して82年に保守新党を作ろうとしたという。既存政党にはもはや期待できない、人を育てるには自分の時間はない、と考えたのだ。

  しかし、自民党を敵に回す事など誰も怖くて出来なかった。松下電器の中枢でさえ、ビジネスへの悪影響を恐れて新党構想の火消しに躍起になった。幸之助は断腸の思いで新党構想を断念した。88歳である。

  それから二十数年たち、今の政治はもっとひどい。政治はまったく機能せず、国民はおいてけぼりだ。それにもかかわらず、この国の有力者の中で、誰一人として動き出そうとする者がいない。

  松下幸之助が生きていたら聞いてみたい。あなたなら今の日本をどうしたいか。あなたの言う保守新党の保守とは何か。対米従属から日本を自立させ、憲法9条を誇る平和国家をあなたは目指そうとしていたのか、と。

  

  

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2008年03月24日

  チベット問題に関する中国と米国の出方に注目したい

  チベット問題に関する中国と米国の出方に注目したい

  私はチベット問題についてこのブログで書く事を控えてきた。その理由は十分な知識を持ち合わせていない為だ。自信を持って発言できないからだ。

  しかし24日の二つの新聞記事を読んで、少なくとも次の事を学んだ。

  この問題の責任は勿論まず中国にある。しかしもう一つの鍵を握るのは米国である。すなわち中国と米国がチベット問題の帰趨を決めると言うことだ。そしてその両国を国際世論が監視すべきである。

  24日の東京新聞「アジア観望」というコラムで清水美和論説委員が次のように教えてくれている。

  「・・・中国の総書記の中でも、チベット民衆に『チベット民衆の生活には大きな進歩がみられなかった』と謝罪し(80年)、無責任な漢民族幹部を更迭してチベット人を登用しようとした総書記がいた。胡耀邦である。

  ところが、これが中国共産党内の強い反撥を買い、失脚(87年)の遠因になる。その胡耀邦が見つけて、育てた胡錦涛現総書記は、チベット自治区の党書記に就任した88年、この事を熟知して、89年にラサで起きた大規模な騒乱では自ら装甲車に乗り、鎮圧の先頭に立った。

  最高実力者の鄧小平は『中国に必要なのは、このような人物だ』と絶賛した。天安門事件に驚愕した鄧小平は、自ら後継者に選んだ胡耀邦、趙紫陽の両総書記を、国内の民主化運動に手ぬるいと、中央で無名だった胡錦涛を49歳の若さで最高指導部に抜擢し、将来のトップに備えた・・・」。

  今回のチベット騒動がどのような背景で急に起きたかは私にはわからない。しかしはっきりしていることは、中国が国際的な大国を目指そうとするならば、かつてのように少数民族問題、人権問題に強硬姿勢を貫き通す事は許されないということだ。

   胡錦涛総書記は、時代が変わった事を知らなければならない。それがいかに国内政治上の大きな問題であるとしても、中国が国際的に認められる大国を目指すならば、従来の強硬政策、情報統制政策を改めなければならない事を知るべきである。

   この問題に対する対応を間違えば中国は大きなしっぺ返しを受けるだろう。中国の正念場である。

   もう一つの記事は24日の読売新聞「中国疾走」という連載記事である。第一回目の今日の記事では、チベット問題についての米国ブッシュ政権の及び腰姿勢を次のように書いている。

   「・・・ホワイトハウスのペリノ報道官は20日、記者団に、『五輪は政治イベントではない。あくまでも頂点に立つ選手たちが競う場だ』と説明、ブッシュ大統領の北京五輪開会式への出席を見直す考えがないことを明言した。(ソ連のアフガン侵攻に抗議して80年のモスクワ五輪がボイコットされた事を知っている記者が『五輪の歴史は違う』と食い下がっても、その質問には正面から答えなかった)
   ・・・その背景には、中国が経済的にも軍事的にも大きくなった故の米中関係の構造的変質がある。経済や軍事をめぐる利害が複雑に交錯するようになった両国が、全面対決に進む筋書きは考えにくい。
   米経済学者のポール・クルーグマン氏は『中国はいじめるには大きすぎる』存在になったと指摘する・・・」

   米国のダブルスタンダード面目躍如である。人権や民主主義を前面に押し出して弱い者いじめをしてきた米国が、「いじめるには大きすぎるようになった」中国に対しては、理念外交をあっさりと後退させる。その一方でブッシュ政権は中東民主化の名の下に一方的に軍事攻撃を行って来たのだ。

   覇権国家の中国と米国を、果たして国際世論はどう追及していくのか。チベット問題は、中国、米国という二大国と国際世論のせめぎあいである。チベット問題の本質はこの点に違いない。

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2008年03月23日

はちどりの一滴(ひとしずく)

はちどりの一滴(ひとしづく)

  週末の読んだ本の中から書評をしてみる。

  米国から自立しない限り日本の将来はない。この事に漠然と気づいている国民は多くいるに違いない。しかしそれを誰も公言しない。あたかもタブーのように。

  左翼イデオロギストは打倒米帝国主義を声高に叫び続ける。しかし、そのようなスローガンは、かえって国民から真の対米自立心を奪っていく。

  イデオロギーにとらわれるのでなく、反米一辺倒に傾斜するのでもなく、対米従属の呪縛から自立して本来の日本を取り戻すべきであると主張する指導者が日本にあらわれるのはいつの日か。国民がその事に気づく日が、日本に来る日はあるのか。

  「脱アメリカで日本は必ず甦る」(日本文芸社)を最近出版した評論家森田実氏は、孤軍奮闘しているきわめて例外的な日本の有識者の一人である。

  しかし、彼自らが吐露しているように、米国批判や対米自立を公言する者は敬遠され、メディアから排除されるという現実がある。

  あたかもこの国には、対米批判の言説が如何に正鵠を得ていようが、幅広く国民の間に浸透していかない仕組みが厳然として存在するかのごとくである。

 それでも敢然と対米自立を訴え続ける二人の外国人がいる。いや彼らは二人とも最近日本人の国籍を取得したというから、立派な日本人だ。

  一人はカナダ出身のベンジャミン・フルフォード氏であり、もう一人は米国出身のビル・トッテン氏である。

  米経済誌フォーブズ誌のアジア太平洋支局長を経てフリーランスジャーナリストとなったフルフォード氏は、最近「解体されるニッポン」(青春出版社)という文庫を出版し、断末魔のアメリカにこれ以上従属していると日本は解体される、と警鐘を鳴らす。

  ソフトウエア販売会社の社長であるビル・トッテン氏もまた、近著「愛国者の流儀」(PHP)を出版して対米従属からの脱却を訴え、米国流経済至上主義との決別を訴える。

  彼は言う。ヒューマニズム(人間愛)こそ、本来の日本が世界に誇るべき伝統的な価値であり、その伝統を取り戻す事こそ、日本再生の鍵である、と。

  私が注目したのは、原罪を人の心に植えつけるキリスト教は、民衆の事を思う教えではなく、支配者が民衆を都合のいいように押さえ込む宗教であると、言い切っているくだりだ。

  それは、他の生き物や自然と共生して生きる事を大切にする日本の伝統思想とは対極にある教えだという。そういう米国の経済至上主義、軍事優先主義のから決別することこそ、日本をとりもどす鍵であると主張する。

  彼が日本に来た60年代の終わりにはそんな日本があった。その日本が急速に変化してしまった。米国が日本を解体させたのだ、日本を見てきた米国人だからこそ、それがわかると書いている。一読の価値がある本だ。

 なかでも、彼がいう「ワンドロップ」のたとえがいい。「ワンドロップ」とは、南アメリカのキチュア民族の「はちどりのひとしずく」という話に由来している。山火事で森が燃えたとき、一匹のハチドリがくちばしで水のしずくを運んで火を消そうとした。「そんな事をして、いったい何になるんだ」と笑われたとき、ハチドリは「私は私のできることをしているだけだ」と答えたという。

 対米自立の重要性を唱えることがたとえ「ワンドロップ」であるとしても、それを続けていく価値はあると書いているのである。

 そういう日本人がイデオロギーの違いを超えて、日本の有力者の中から一人でも増えて行かねばならないと思う。


 

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2008年03月22日

安倍前首相を今でも支持する国民がいるというのか

  安倍前首相を今でも支持する国民がいるというのか

  我々が毎日目の当たりにしている日本の政治の混迷は、すべて昨年9月の安倍前首相の政権放棄から始まった。この事を忘れている国民はいないだろう。

  それにもかかわらず安倍前首相は、「すっかり元気になりました」と言って、臆面もなく政治の世界に戻ってきた。それを許すぐらいだから、自民党が如何にだめになったかという事である。よもや国民は許していないだろうな。

  そう思っていたら、22日の朝日新聞に次のような投書があった。福井県の75歳の農業従事者からの投稿である。

  安倍前首相が地球温暖化対策をテーマにした新たな勉強会「クールアース50懇話会」を立ち上げ、自ら座長に就任したと報道で知って、一瞬耳を疑った・・・国会で所信表明演説後、各党から質問を受ける当日に突然政権を投げ出した日本一の無責任男が、だ。
  ・・・いかに熱しやすく冷めやすい日本人でも、よもや忘れはすまい。
  本来なら議員も辞職し、頭を丸めて禅寺にでもこもり、懺悔の日々を送るのが、あるべき姿ではないか・・・
  安倍氏は「北海道洞爺湖サミットを成功させるのは私の責任でもある」と挨拶したというが、彼から責任論を聞かされるほど国民はお人よしではなかろう・・・彼はもう過去の人である。

  毎日新聞各紙を読み、政治のニュースに注意している私も、安倍前首相がこのような発言をしていたとは知らなかった。

  あきれ果てるとともに、それを教えてくれたこの投稿者に敬意を表するため、今日のブログで紹介させてもらった。

  それにしても、このような投稿は、産経新聞や読売新聞では決してお目にかかれないだろう。色々な報道を読まなければならない理由がそこにある。

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2008年03月22日

日銀総裁人事の大騒ぎは何だったというのか

  日銀総裁人事の大騒ぎは何だったというのか

  あれほど大騒ぎをした日銀総裁人事問題がすっかりニュースから消えた。

  ついこの間までは、総裁人事が空白になる事など決して許されない、日本経済が混乱し、世界の信用を失墜する、などと書き立てていた経済記者たちも、空白が長期化する雲行きになっても、もはや今では無関心のごとくだ。何も書かなくなった。

  一体あの騒ぎは何だったのか。それは財務省次官の天下り人事が復活するかどうかという、こよなく政治的な問題に過ぎなかったのだ。我々の生活にはおよそ無関係な話であったのだ。

  腰が引けている民主党も今回ばかりは頑張って福田首相の思惑を打ち砕いた。そのとたんに一つの政治バトルは終わり、直ちに次の政府バトルに移った。ガソリン税廃止問題が、メディアが騒ぎ立てる次の政治バトルである。

 3月21日の毎日新聞「発信箱」で、中村秀明という経済部記者が、日銀総裁人事の大騒ぎの愚を、別の角度から次のように書いている。そもそも日銀総裁というポストが重要な仕事をしてきたポストであるのか、どんな責任をこれまで果たしてくれたというのか、と素朴な疑問をぶつけているのだ。

・・・マスコミの編集幹部が数人集まった会合で、誰かが言った。「いまさらだけど、日銀総裁って、大事な仕事なのかな?」・・・戦後初の空席になったが、市場の動揺を増幅するような事は起きていない・・・澄田智、三重野康、松下康雄、速水優、福井俊彦氏といった歴代総裁は、どうだったのか。国民には(その役割が)ほとんど届いていない。多くの人達の評価は「大事な仕事なの?」である・・・

  このような素朴な疑問は、何も日銀総裁人事だけに呈せられるものではない。マスコミは、国民にかわって、素朴な疑問を、もっとどんどんと今の政治にぶつけなければいけない。
  考えても見るがいい。年金問題をはじめとして、守屋次官の疑惑問題、特定財源問題、公務員改革問題、ギョーザ問題など、米軍基地問題、など、大騒ぎするだけで、問題の本質は何も解決されないままだ。

  我々はこのような政治家たちの無責任さを厳しく追及しなければならない。騒ぎ立てるばかりで政治の責任を最後まで追及しないメディアに文句を言わなければならない。

  政治家も官僚もメディアも、国民の事など考えていないのだ。いずれ国民は追い詰められ、それが彼らに跳ね返ってくるに違いない。

 

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2008年03月22日

横須賀タクシー刺殺事件と私のブログ

  横須賀タクシー刺殺事件と私のブログ

 今日のブログは一つの時事テーマについて私の見方を書くのではない。ここで少し立ち止まって、私のブログの趣旨を読者の皆さんに今一度説明しておくことが重要であると思ったので、横須賀タクシー刺殺事件などと関連して、以下にそれを書いて見る。

 読者の中には自分の関心の高いテーマについてこのブログで取り上げてもらいたいという声を寄せる者がいる。それに応じたい事はやまやまだ。しかし私の能力は限られている。どうしても自分の関心のあるテーマに限られる。

  さらにまた、どのようなテーマでどのように書こうとも、必ず反論が寄せられる。私は誰とも論争をするつもりはないが、どのような論争を挑まれても動じないためにも、確信を持って断言できるテーマしか書かない事にしている。

  そして私がこの際最も強調しておきたい事は、私は決して自己満足や自己宣伝の遊びでこのブログを書いているのではないということである。

  世の中の一人でも多くの人に、日本のカラクリを知ってもらいたい、真実に少しでも近づいてもらいたい、そうする事によって権力者の嘘や横暴から、身を守る知恵を皆に持ってもらいたい、その一念でブログを書いているのだ。

  私がこのブログで最も重要視しているテーマとは何か。それは日本の政治家、官僚、財界、メディアが絶対視し、タブー視している日米同盟関係の誤りを指摘することである。

  なぜならば、この問題こそ戦後62年の日本の歴史を覆ってきた最大の問題であるからだ。そしてこの対米従属関係の呪縛こそ、政治、安全保障問題はもとより、経済、社会、文化などおよそあらゆる問題の元凶であると思うからだ。

  それはまた、私がこのブログで重視するもう一つの問題、すなわち権力者の嘘や情報操作、法の支配の放棄、戦争をはじめとした暴力、弱者を犠牲にする不正義、などが、つまるところは日米関係の異常さとそれをタブー視する日本の空気から来ていると思うからだ。

  たとえば今日の新聞を見てみよう。横須賀のタクシー刺殺事件は大問題である。ところが米兵の犯した事件であるがゆえにその情報さえ米国に依存せざるを得ない。一ヶ月も前に米兵が脱走していた時点で犯罪が起きる危険性があったにもかかわらず、知らされなかった。タクシー運転手は、暴行された少女や、少し前の老女の殺害と同様、日米同盟のゆがみの犠牲者なのである。

  それにもかかわらず、日本政府にとってこの問題は何よりも深刻な問題であるがゆえに、政府は封じ込めようとしている。メディアもそれに協力的だ。今日の各紙の中でこの問題を大きく取り上げたのは毎日新聞だけであった。読売、サンケイなどは三面記事並みである。

  その産経新聞はチベット問題で全紙を埋め尽くしている。あたかもチベット問題が最大の国際問題であるかのように。なぜか。それは中国叩きの格好の材料となるからだ。中国たたきこそサンケイの売りなのだ。

  私はチベット問題についてこのブログで詳しくは書かない。なぜならば情報不足であるからだ。断言できるほどの意見を持ち合わせていないからだ。しかし次の事だけは言える。

  およそ人権問題であれ民族自決問題であれ、これは世界中で常に問題になる厄介な問題である。そして人権抑圧や少数民族弾圧は許されるものではない。

  しかしある国の人権問題や民族、宗教問題に国際社会が介入する時、そこには公平性がなければならない。政治的道具に使われてはならない。

  突然起きたチベット問題は、産経新聞の如く中国を批判するだけで済ませるには、あまりにも大きく、不透明な国際問題であるのだ。

  最後にアントニオ・ネグりの訪日中止の問題に触れておく。この問題も、読者の一人から書いてくれと投稿のあったテーマである。結論から言えば22日の東京新聞「こちら特報部」に書かれている事が全てであると思う。

 これは外務省の判断ミスが起こした問題であると私は思っている。

 ネグリは過激な思想を持った学者である。しかしその著書が世界的にベストセラーとなった。外務省の担当官は入国問題なしと判断をし、それに基づいて関係者により全国で講演が予定されていた。

 ところが話が上に上がった時点で、何者かの判断で拒否反応が出たのだ。グローバリズムと新自由主義を否定するネグリは好ましくないという判断である。これも対米配慮なのだろう。

 拒否の理由は、懲役や禁固刑を受けた外国人の入国は日本の出入国管理法で禁じられている、という出入国管理法である。しかし政治犯は例外である。だから担当官は入国を認めたのだ。

 ところが横槍が入った。何か理由をつけなければならない。政治犯を証明するためには資料が必要である。それが間に合わなかったという説明だ。これはおかしい。そんな事ははじめから分かっていたはずだ。

  これも外務省の嘘であり情報操作だ。その背景には対米配慮がちらつく。


 

 

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2008年03月21日

  嘘の外交を堂々と告白する岡本行夫氏

  嘘の外交を堂々と告白する岡本行夫氏

  岡本行夫という人物がいる。北米一課長のポストを最後に外務省を辞めた元キャリア外交官である。私の一年先輩にあたる。米国研修でも、本省勤務でも、一時期をともにした間柄だ。

  いまここで彼の人物評価をするつもりはない。彼との個人的関係も決して悪いわけではなかった。しかし、外務省を辞めた後の目指すところがさっぱり分からない。

  ベンチャー・キャピタルを立ち上げたり、企業のコンサルタントを行ったりと、金儲けに走っているように見える。それならそれで分かりやすい。

  しかしその一方で、首相補佐官や内閣参与などの肩書きで日本政府の外交に関与したりする。外交に未練があるのか。いずれ外務大臣に声がかかるのをまっている野心があるのか。

  メディアに頻繁に登場する。しかし政府擁護の発言をする一方で、政府の外交批判を行ったりする。何が言いたいのか分からない。

  その岡本氏が、朝日新聞月刊誌「論座」の4月号に掲載されているインタビューの中で、見事にその本性を告白して見せた。

  岡本氏が、内閣参与の肩書きで小泉政権下に出来た「対外関係タスクフォース」の座長についたのは01年9月である。それから一年ほどたった02年の11月に、最終報告書を発表した。

  その報告書には、「米国は、反対意見や異なる価値体系に関する寛容の精神が弱まりつつある」、とか、「米外交の道義性が弱まる可能性がある」などという、アメリカに対する厳しい表現があるという。

  そこをついて、インタビュアーの薬師寺克行「論座」編集長・発行人が、どういう理由で対米批判のごとき言及をしたのか、とたずねたのに対し、岡本氏は、驚くべき率直さで次のように答えているのだ。

・・・日米安保は絶対的に必要で、安全保障の面では日本はアメリカと一心同体であるべきだと思います・・・(しかし、イラク開戦が囁かれている中で)国民の間に嫌米主義やアメリカは怖い、という感じが出始めていましたから、(アメリカに批判的な事を言う事によって)国民の米国離れ、安保離れを食い止めようという意識がありました。すべての問題についてアメリカべったりということになれば、日米安保への国民的支持が弱まってしまうという危惧感がありました・・・(それを防ぐための政治効果を狙ったレポートだったのです)。

 何の事はない。本音とは反対の言辞を弄して国民の嫌米意識のガス抜きを図ろうとしたのだ。日米安保を守るための作文だったのだ。

 実はこれこそが外務省のやってきた外交なのである。国民のためではなく、日米同盟関係の維持を最優先する外交に終始し、そのために情報操作を行う、その意味で岡本氏は外務省を離れてもなお外務官僚を超えることが出来ないでいるのだ。こころざしが感じられないは当然である。

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2008年03月21日

  議員報酬の「日当制」導入について真剣な議論がなされる時だ


  議員報酬の「日当制」導入について真剣な議論がなされる時だ


  福島県矢祭(やまつり)町議会が3月31日の新任期から議員報酬の「日当制」を導入するという。このことについて、20日の読売新聞で小豆畑栄という福島支局員が書いていた。この制度導入の是非を考える事は議員活動の意義をあらためて考え直すきっかけになるのではないか、と。同感だ。

  昨年12月28日に日当制導入を決めた条例が議員提案され、賛成7、反対2で採択された。その条例では、定例会や委員会、町の公式行事などを条例で議員の公的活動と規定し、その活動を行う日に一日3万円の日当を支給する事に変えるという。

  その結果、経費はこれまでの月額20万円8000円から、月平均7万5000円に大幅に減少する見通しだという。

  「報酬は皆さんにわかりやすく払うのが一番いい。定着すれば議員の意識、町民の意識、そして選挙も変わる」。

  これは町長選挙に日当制導入を掲げて立候補したある候補者のアピールである。

  もちろん、この制度導入に反対する意見はある。議員活動では調査や資料集めに費用がかかる、議員のなり手が限られ、議会が資産家のサロンになる、などがそれである。

  しかし、本当にそうだろうか。それらの反対論は、議員報酬や議員特権を守る為から来ている言い訳ではないか。それよりもなによりも、国や地方の深刻な財政赤字は、もはや普通の手段では解決不能なレベルまで来ているのだ。

  財政赤字解消のために増税や保険負担増などが当然視される。国民や住民の生活が有無を言わさず切り詰められている。それを我々は当たり前の如く受け入れさせられている。そこに疑問を抱かないといけないのだ。

  国民の負担は今後どんどんと増えていくに違いない。議員、公務員の報酬や行政経費も制度的に見直しを迫られる時はやがて来る。来なければならない。

  少なくとも、テレビに出演に明け暮れたり、政治活動とは無関係の活動に忙しい無能政治家を淘汰することに役立つ。何かといえば国会審議がストップされる八百長国会を是正することができる。

  議員自らが、自らの甘味を手放すような制度導入を提案するはずはない。しかしメディアがそれを取り上げ、世論が啓発され、世論の圧力が高まれば、政治かもそれを無視し続ける事は出来ないだろう。

  国や地方の赤字累積はそこまで来ている。いかさまの制度改革ではなく、本物の制度改革をしなければならない。この読売記者の記事が、一過性の記事で終わらない事を期待する。

 

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2008年03月20日

5年前に決められていた武藤日銀総裁人事

  5年前に決められていた武藤日銀総裁人事

  20日の日経新聞に極めて興味深い記事が出ていた。武藤敏郎元財務次官の日銀総裁人事は、5年前に小泉元首相の手で決められていたという。それを手伝ったのが福田官房長官(当時)だったのだという。福田首相が武藤総裁にこだわったはずだ。

  その記事を一言で言えば、接待疑惑などで責任をとって辞めざるをえなかった松下日銀総裁以来、日銀総裁は速水、福井と二代続いて大蔵事務次官がはずされた。これは大蔵省にとっては耐え難い事で、大蔵官僚のお友達であった小泉元首相が、それを正常に戻す仕掛けを作った。つまり、当時財務次官であった武藤に、副総裁になるよう説得し、福井総裁―武藤副総裁という官僚の常識ではありえない逆転人事を耐え忍ぶことにより、5年後に武藤総裁を実現する事を約束したという。

  場所は小泉元首相のお気に入りである赤坂プリンスホテル内フランス料理店「トリアノン」。時は02年12月26日。03年度予算編成後の慰労会の場だという。大蔵省のエース武藤を使って、二代続いて失った日銀総裁のポストを5年後に取り戻す密約が決まった瞬間である。

  その予定調和が崩れるということは大変なことなのである。だからここまで大騒ぎになったのだ。

  予定調和が狂った最大の理由は参院選での与党敗北による国会のねじれ現象である。しかしもうひとつの大きな理由がある。大連立騒動の結果、小沢一郎が一転して福田政権に強硬にならざるを得なくなったという政治のハプニングだ。

  福田首相は19日夜の内輪の会談で、民主党のある方が、武藤さんで結構だ。責任を持って民主党内を説得すると言ってくれた、というようなことを口走ったという。この事を会談に出席していた自民党幹部が記者に漏らした。その事が記者に伝わって20日の報道で一部流れた。つまり民主党内の小沢、反小沢の攻防が、武藤人事に待ったをかけたのだ。

  今度の日銀武藤人事の混迷が示してくれたことは、官僚支配の予定調和が、思わぬところからほころび始めたということだ。それをメディアはとっくに知っているのに、正面から書かないのだ。しかしそれでもどこかで書かざるを得ないほど重要な内幕である。だからこのように断片的に漏れてくる。

 我々はそれを見抜かなければならない。政治家もメディアも味方につけたこの国の官僚支配体制が、果たして音を立てて崩れていくのか、それともうわべだけの混乱を経て、再びもとの予定調和に戻るのか。

 
 その帰趨に、国民生活がさらに苦しくなっていくのか、蘇生できるかがかかっている。日銀人事総裁の問題は、メディアが書いているような日本経済の将来や日本経済の信用の問題では決してない。国民が知らないところで動いているこの国の支配構造の内輪もめの話なのだ。

 そしてその支配構造の内輪もめが、はたしてどこに落ち着くか。それは支配者たちも、それと密着しているメディア関係者も分からなくなってきている、それほど今の日本は崩れ始めているということである。我々国民はしっかりしなければいけない。

 

 

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2008年03月19日

 イラク攻撃から5年たって、あらためて日本外交を検証する

  イラク攻撃開始から5年たって、あらためて日本外交を検証する

  明日3月20日はイラク攻撃が始まった日である。特集記事が各紙で組まれている。しかしいずれもがつまらない。本気で検証するものがないからだ。

  あの攻撃が正しかったかどうかを議論しても意味はない。正しいはずはないからだ。

  自衛隊を派遣してまで協力した日本外交の是非を論じても意味はない。「対米追従」の一言ですべてが説明できるからだ。

  イラクや中東の現状が改善したかどうかは、毎日のニュースが伝える通りである。

 ほとんど意味のない特集記事の中で、ただひとつ、私が興味を持って読んだのは、19日の毎日新聞の、「主要国の中で、日本の指導者だけが『誤り』を認めず、孤立が際立っている」、という記事である。

  ここに日本外交の空疎さが象徴的にあらわれている。事はイラク問題だけではない。すべての日本外交に通底する嘘の外交である。外務官僚に任せてきた日本外交の行き詰まりである。

  以下は私の言葉ではない。上野央絵という記者の言葉を抜粋、引用したものである。

  ・・・ブッシュ米大統領がイラクの大量破壊兵器に関する情報の多くが誤りだったと認めた05年、「盟友」小泉純一郎首相(当時)は、「国連決議に沿った判断。イラクが大量破壊兵器はないと証明すれば戦争は起こらなかった」とし、安倍晋三前首相もそれをなぞった。両首相と異なる外交姿勢の福田康夫首相も、この点については国会で、「当時の情報はイラクにおける大量破壊兵器の存在を示唆していた。国連決議に基づく支持だ」と繰り返す。「日本は、大量破壊兵器があるから開戦を支持すると言ったことは一度もない。支持の前提が違う」というのが外務省の理屈だ・・・

  (しかし)イラク戦争をめぐって日本は奇妙な国際的「孤立」に陥っている。開戦を主導した米英が「大量破壊兵器はなかった」と認め、「誤った戦争」との認識が(国際社会に)定着しつつある中、要請を受けて協力した日本は依然「開戦を支持したのは国連安保理決議に基づく正しい判断だった」という強弁を5年間貫いている・・・

  (前提となった重大事実に誤りがあり、各国の立場や国際環境が変わっても、なお同じ理屈にしがみつくかたくなさは、)かえって開戦支持の本質が「対米追従」に他ならなかったことを浮き上がらせている。
  今では外務省幹部さえ、「北朝鮮の拉致問題でお世話になっているから、米国がやると決めたのに日本が支持しないわけにはいかないという政界の空気があった」と語るほどだ・・・

  だが、自民党国防族からも「海上自衛隊のインド洋給油が『ガソリンスタンド』ならば、イラクでの空輸は『無料バス』。もうやめてもいい」という本音が漏れる・・・

  17日の日経新聞において、パク・トウジンコリア国際研究所所長という人が、「米朝が接近するときは日朝は進展しない。それが北朝鮮の外交戦略だ」と述べている。この記事を読んだ時に、上記の上野記者の書いた外務省幹部の言葉を思い出した。 「北朝鮮の拉致問題でお世話になっているから・・・支持しないわけにはいかない」、という考えまでもが、間違っていたのである。日本外交のすべてが間違っている。


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2008年03月18日

   官僚組織に屈する政治家とメディア

  官僚組織に屈する政治家とメディア

  私は13日のブログで、日銀人事をめぐる混迷が示す一つの大きな理由は、それが官僚組織の人事をめぐる予定調和の破壊と密接に関係しているからだ、と書いた。

  読者が私の意図をどこまで正確に理解したかわからない。だから今日のブログでは、最近見つけたいくつかの証言を引用して再び述べてみる。

  これは、私がキャリア官僚であったから書ける事である。しかしキャリア官僚が官僚を辞めたからといって誰もが書けるわけではない。官僚組織から決別して生きる覚悟をした者だけが書けるのである。

  「潮」という月刊誌の4月号に、田原総一郎が極めて興味深い事を明らかにしている。小泉首相にインタビューした時の小泉首相の言葉を紹介しているのだ。

   すなわち、道路改革や郵政改革を成し遂げた小泉首相に、なぜ公務員改革を行わなかったのか、と聞いた時、小泉首相は次のように田原氏に語ったというのだ。正確な言い回しは忘れたが、小泉首相の言ったことは次のごとくである。

   ・・・そんなこと俺には出来っこない。官僚すべてを敵にまわすことになる。それにメディアをも敵にすることになる・・・

   小泉首相の、この後半部分の意味について、ご丁寧に田原氏は次のように解説して見せてくれている。

   なぜメディアを敵に回すことになるのか。それは、官僚組織がつぶれてしまうと情報源がなくなる、官製情報に依存するメディアが文句を言い出す、メディアの仕事の邪魔をすることになる、ということだ、と。

   私はこの小泉首相の言葉を知ったとき、私が抱いていた小泉政治の本質を見る思いがした。つまり小泉政権とは、官僚組織とメディアを味方につけた三者による合作政権であったということなのだ。

   確かに小泉首相は自分の政策に背くような官僚を、見せしめのごとく更迭したことがあった。しかし、それはあくまでも個々の官僚の更迭であり、しかも彼が更迭したのは中枢官僚ではなく傍流官僚だ。

   弱小官僚の首を見せしめのごとく切って抵抗勢力と戦う姿を演じ、その裏で官僚組織と手を結んでいたのだ。小泉首相は決して官僚組織と戦おうとしなかった。

   メディアも同様である。世論に迎合する形で官僚批判はしてみせる。しかし、決して官僚組織を怒らせるような記事を本気で書くことはない。官製情報から締め出される事を恐れるのだ。

   政治家もメディアも官僚組織との良好な関係を維持しようとしている。その現実を、最近の報道からさらに検証してみたい。

   17日の毎日新聞「風知草」で山田孝男編集委員が、元衆議院議員田中秀征の次の言葉を紹介している。田中は副総裁・武藤を総裁に昇格させる政府案に次のように反対する。すなわち財務省出身の武藤の総裁を阻むこと、そのものに意味があるというのだ。

・・・昇格といっても実態は最強官庁である財務省からの天下り。それを認めないことで、霞が関改革が期待できる・・・

  これが正しい。私が繰り返し言っていることだ。しかし政治家を離れ、もはや評論家に徹した感のある彼だから言えることであって、このような発言を本気で行う政治家やメディアはほとんど見当たらない。

  それどころか、次のような政治家の発言や新聞論調が、連日の報道で満ち溢れている。

  「政権を取った時に財務省を敵に回していいのかと躊躇した時期はあった。黒田氏でも渡辺氏でも(いずれも財務官経験者)個人的には認められる」(鳩山由紀夫民主党幹事長、16日のテレビ朝日番組)。

  「このままいってしまうと、経済も混乱する。国民生活にも影響が出てくる。福田総理も小沢代表も譲り合うところは譲り合い、少しでも国民生活を前進させる話し合いをしてほしい」(小泉元首相、13日の浜松市での講演-国民生活を無視して日本経済を米国に売り渡した男が、国民生活を大切にしろとはよく言ってくれるものだ)。

  「そもそも武藤氏の昇格への民主党の反対は、『財務省出身では財政と金融の分離に反する』という、まったく説得力のないものだ」(18日読売社説)

  最後に18日の朝日新聞「政態拝見」における星浩編集委員の次の言葉を引用してブログを終えることとする。これがギリギリの書き方であろう。

  ・・・新聞の社説は武藤氏の昇格容認が多数派だった。それに対しテレビ・・・は昇格に批判的な意見が多かった・・・社説を書く論説委員は経済の専門家の立場から武藤氏の力量を評価。(テレビの)キャスターは低金利に苦しむ庶民の感覚を重んじる・・・小泉政権で田中真紀子氏が外相に起用された時、新聞が冷ややかだったのに対し、テレビのワイドショーは喝采した。あれも外交の専門家と素人の反応の違いだった・・・

   その星浩編集委員もまた、その後に、「日銀人事問題を・・・政策論争に高めていく工夫が必要である」と締めくくって、問題の本質をはぐらかしている。

    日銀人事問題は、官僚組織を敵に回してまでも官僚支配を崩せるか、崩す覚悟があるか、の問題なのである。

    それは政治家やメディアでは出来ない。「素人」である世論が、「王様は裸だ」と叫んだ子供のように、「無能な官僚が日本を支配してきたから、ここまで日本がダメになったのではないか」と、言い出すかどうかである。

    小沢代表の政治生命は、国民にその事を言わせられるかどうかにかかっている。

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2008年03月17日

考えられないことが起きる時代に突入する予感

 考えられないことが起きる時代に突入する予感

 たとえば、自民党が完全に野党になる。いや、それよりも保守の分裂、政界再編によって自民党そのものが消滅する。

 あるいは、特権にあぐらをかいた官僚支配の時代がまったくの過去の遺物になる。

 そんな日が来るなどという事は、少なくともこれまでの常識では考えられなかった事だ。そして、そのような事が日本でそう簡単に起きるとは考えられない。日本は自らの手で劇的な変化を遂げる事のできない国であるからだ。

  しかしそんな日本でも、世界の大きな変革のダイナミズムに押される形で、変化を余儀なくされる日が来るかもしれない。

  17日の朝日新聞「私の視点」の中で、元スリランカの外交官、元国連軍縮担当事務次長であり、現在は国連大学理事会議長であるジャヤンタ・ダナバラ氏が、今こそ核廃絶を、として次のように書いていた。

・・・核兵器のない世界なんて「絵に描いた餅」。かつて、英国のサッチャー元首相が、そのひと言で核廃絶を一蹴したのは有名な話だ。
  実際、核廃絶をめざす科学者らでつくるパグウオッシュ会議などの非政府組織から非同盟運動諸国まで、いくら核軍縮を訴えても非現実的だと歯牙にもかけられなかった。
  だが、こうした動きに革命的な変化が起きている。(2007年1月4日に)米政界の長老たち(ジヨージ・シュルツ、ヘンリー・キッシンジャー元国務長官、ウイリアム・ペリー元国防長官、サム。ナン元米上院軍事委員長)が、保守的な米紙ウオールストリート・ジャーナルで「核兵器のない世界」を呼びかけた・・・(その呼びかけは)さらに多くの重鎮たちの賛同者を集めた。オルブライト元米国務長官、ベーカー元国務長官、ブレジンスキー元大統領補佐官、クリストファー元米国務長官、パウエル前国務長官といった人たちである。しかも彼らの背後には、科学的専門知識を提供するスタンフォード大学フーバー研究所の学者集団が控えているのだ・・・この構想は米大統領選や英国など諸外国の政策に影響を及ぼし始めている。2月末にはノルウェー政府が同構想の推進に向けた国際専門家会議を開いた・・・ハンス・ブリクス氏が率いる大量破壊兵器委員会は、大量破壊兵器の軍縮、不拡散に関する世界首脳会議を開くよう提言した・・・この機会を絶対逃がしてはならない・・・

  なんという未来志向の、創造的な投稿であろうか。国際政治において、かつては考えられないほどの大きな動きが生まれ始めているのかもしれない。

  それなのに、日本の政治家、有識者、メディアの間で、この世界的動きに呼応しようという者は皆無である。「唯一の被爆国である日本がなぜ動き出さないのだ」と、シュルツ元米国務長官は嘆く。情けないではないか。日本の指導者たちよ。

  日本の政治家や官僚に見通しの明るい者がいないのは、残念ながらそのとおりだ。だからいまさら失望もしない。しかし私が心底失望させられたのは、世論を導くべき大手新聞が、その社説、論説において、旧態依然とした考え方を繰り返している事だ。

 (中国の軍備増強から日本を守るには)日米安保体制を強化することだ(3月7日産経新聞)。東アジアの安定と繁栄をどう確保していくか。そのためには緊密な日米関係を維持すべきだ。この地域での米国の力の弱体化は、日本の国益を損なう(17日読売新聞)。日米同盟再・再定義が要る。集団的自衛権をめぐる憲法解釈の変更であり、恒久法の形で自衛隊の国際協力活動を可能にする取り組みであり普天間基地の約束である・・・(月17日日経新聞)。

  急速に変化しつつある国際情勢の流れに気づかず、百年一日のごとく日米同盟を訴え続ける知的怠慢である。

  今までに考えられないような世界の動きを先取りし、日本の新たな方向を唱えていく。作り出していく。なんという夢のある仕事であろうか。核廃絶の動きに日本が率先して参加する。米国や中国に歓迎される形で日米安保体制をなくしていくことができるかもしれない。圧倒的多数の国民の意見によって改憲の試みの愚が一蹴される日が来るかもしれない。

  そんな課題に向かって進むことは夢がある。翻って、国民に嘘をついたり、隠したり、飴と鞭を使ったりして、時代錯誤の日米軍事同盟を必死で守っていこうとする仕事の不毛さ、むなしさ。

  どちらが正しいかはやがて歴史が証明してくれるに違いない。

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2008年03月16日

   日本が世界に誇れるもの、それは「平和国家、日本である」

 日本が世界に誇れるもの、それは「平和国家、日本」である

 日本が世界に誇れるものは何か。ものづくりである。いや、今では日本料理だ、アニメだ、観光資源だ、などといわれている。しかし、それらよりもはるかに大きなものがある。それは平和国家、日本だ。

 連日チベットにおける反中国暴動のニュースが大きく流されている。私はその裏には、中国を牽制する周到に計算された謀略があると感じているが、それについてはここでは触れない。

 中国にはそのような謀略につけ込まれる隙があるのだ。もし中国が反政府の動きを軍事力で押さえつけようとすれば、中国は国際非難の的になる。北京五輪にも影響が出るに違いない。

 イスラエルがどのような暴虐をガザで働いていても、このような報道がなされる事は決してない。国際的批判がイスラエルに向けられることはない。だからと言って、中国が軍事力で人民を押しつぶす事を認めるわけにはいかない。

 今月初めに、旧ソ連軍将校の武器密売人がタイで逮捕されたという事件があった。15日の産経新聞は、ソ連崩壊後、旧ソ連製兵器が世界の闇武器市場に大量に流出し、世界各地の紛争地で使われている実態を報じている。ロシアもまた軍事大国の国である。だから「死の商人」の罪を犯す。

 中国の悪も、ロシアの悪も、米国軍事力の悪にくらべれば、まだ可愛いものかもしれない。開発途上国の独裁、非民主的国家の悪もそうだ。それにもかかわらず、これらの国の人民抑圧を容認できるものではない。世界の殆どの国が自らの軍事力によって苦しめられているのだ。

  こう考えた時、戦後の日本という国が、いかに世界の大勢から外れ、際立って平和な国であるかがわかる。軍事力を国家権力の後ろ盾として国益を追求するという、世界の常識とは、まったく異質な国であることがわかる。

  その最大の理由は、日本が、戦力の不保持を謳った憲法9条を有している国であるからだ。これこそが、今日の国際政治の中で日本が誇れる最大の優位性なのである。

  その日本が、いま音をたてて崩れようとしている。世界中を軍事力で押さえつけようとしている米国の言いなりになる国になりつつある。米軍基地が拡大・固定化されようとしている。その危険性に気づかず、平和の重要性に気づく余裕がないほど、国民が疲弊しつつある。国民が分断されつつある。

  平和を訴える者の声が、政治の場で消え去り、メディアや世論の中からかき消されようとしている。

  平和な日本を見失ってはいけない。日本こそ世界を世界に訴えていける国なのだ。せめて国民だけは平和な日本の素晴らしさに気づかなくてはならない。国民の手で平和な日本を守らなくてはならない。それを訴える事こそ、私がブログを書き続ける最大の理由である。

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2008年03月15日

 この国の不正義は最高裁にこそある

 この国の不正義は最高裁にこそある

  各紙がこぞって取り上げる記事は、大事件や政局がらみの話しと相場が決まっている。最近では、自衛艦「あたご」の事故、日銀総裁人事、特定道路財源問題、円安・株価暴落などである。

 だから、15日の各紙が、「横浜事件」という聞きなれない事件の最高裁判決をこぞってとりあげた事は異例である。それほど、この事件が重要な意味を持っているということだ。今日的な問いかけをしているということだ。

 「横浜事件」とは、戦前の42年から45年にかけて、雑誌編集者ら数十人が、「共産主義を広めようとした」として、治安維持法違反で逮捕され、特高警察の過酷な拷問の末に死者まで出した史上最大の言論弾圧事件である。いまではでっち上げであったことまで明らかになっている。

 私は3月11日のブログで拷問を禁止する上下院決議に拒否権を発動したブッシュ大統領を強く批判した。拷問は人間性に反する最大の罪であると思うからだ。これが国家権力と結びついて行われる時、一切の正義が抹殺される。

 その不正義を、21世紀を生きる我々の目の前で、この国の司法が断罪する事ができないでいる。その事を我々に教えてくれた判決が、14日の最高裁判所で下されたのだ。

 名誉回復の為に無罪を求めた遺族の、当然過ぎる訴えを、「すでに大赦を受けている場合は免訴とすべき」であるという法律、判例を踏襲して、無罪の訴えを起こす事、そのものを認めないという判決を、最高裁が全会一致で下した。最高裁の判決ですべては確定する。

 卑怯な判決だ。有罪か無罪かの判断を避けている。卑怯な判決はこの事件にとどまらない。これまでのほとんどすべての違憲訴訟がそうだ。国家権力に不利になるような訴訟については、いつも様々な理由をつけて判断を避ける。その事を最高裁は下級裁判所にまで命令する。裁判官の人事を握って従わせる。

  国家権力をあからさまに擁護する判決であっても、裁判官が自分の意見を国民の前に提示するのであればまだ許せる。卑怯なのは、国が法を犯している事が明らかであるにもかかわらず、いや明らかだからこそ、判断を回避し、訴えを却下する裁判官の保身的態度だ。

 思うに、この国の不正義の根源は最高裁にあるのではないか。司法試験を合格して法曹を目指す者たちが出世する序列は、裁判官、検事、弁護士の順であるらしい。その裁判官の中でも最高裁は最高位だ。すなわち最高裁判事は法曹を目指すものたちにとっての出世頭ということだ。

 しかし出世する事と優れている事とは違う。まして裁判官として立派である事とはまったく違う。それどころか立派で良心的な裁判官であればあるほど、出世が出来ない仕組みになっているのだ。最高裁判事になるものほど、出世の為に裁判官の良心を自己否定してきた者に違いない。
 
 このような判決を見聞きするたびに決まって思い出す映画の1シーンがある。南アフリカの人種差別(アパルトヘイト)を糾弾した、「白く渇いた季節」という映画の法廷シーンである。

  拷問の有無を問われる法廷で、警察側が一人の黒人を証人として招致する。そしてその黒人に、刑務所で拷問などなかった事を証言させようとする。 

  しばらく黙って下を向いていたその黒人は、やがて顔をあげ、キリッとした目をしてその官憲をにらみつける。
  そしていきなり傍聴席に背を向け、シャツを剥ぎ取り、拳を上げて、「アマンダ!」と叫ぶ。
  背中には拷問でつけられた傷跡が生々しく映し出される。

  彼は係員数名に取り押さえられるように法廷外に連れ出されていく・・・

  死を覚悟の上の真実の叫びである。

  命をかけろとは言わない。せめて一人くらい最高裁判事の中から現れてこないものか。正義の為に真実の判決を下す勇気のある者が。良心の拳を高らかに掲げる者が。

  最高位に上り詰めた裁判官。それ以上彼が手にしたいものは、もはや裁判官の良心のほかに、一体何があるというのだろうか。 

 

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2008年03月14日

 イラク戦争と小泉元首相

  イラク戦争と小泉元首相

  米兵の誤射でイラクの少女が死亡したという小さな記事があった。パトロール中の兵士が不審な動きを見つけ、警告のために土嚢に向けて発砲したところ、背後にいた少女にあたったという。

  我々は、イラク戦争を、もはや遠い昔の、ひとごとだと思っているに違いない。しかしイラク戦争は今も続いている。その悲惨さが日本にいる我々に見えないだけだ。日本のメディアが関心を示さないだけだ。

  その意味で、3月11日から始まった毎日新聞のイラク戦争特集は、極めて意義のある特集である。主要国の関係者にインタビューする形で、当時の状況を再現してみせる。それはとりもなおさず、今も続くイラク戦争についての、この上ない検証作業になっている。12日のブログでも書いたが、あらためて毎日新聞に敬意を表したい。

 その特集の14日の証言者は、前英陸軍参謀総長のマイク・ジャクソン氏である。彼の言葉のなかで、私が特に注目したのは次のくだりだ。

「イラク侵攻の際、英陸軍参謀総長として異議を伝えましたか」という問いに次のように答えている。

 ・・・無論、そうした。しかし、我々は(米軍より)下位のパートナーだ。発言力に限界がある。フーン前英国防相は、「ブレア首相と私は当時、米政権を説得できなかった」と回想している・・・

 そういえば当時のストロー英外相もイラク攻撃に反対し、それに不快感を示したラムズフェルド前米国防長官が、「英国なしでも攻撃する」と、すかざず言い返した事を思い出す。

 イラク戦争に反対した仏のシラク大統領や独のシュローダー首相はもとより、米国を支持し参戦した英国のブレア首相も、そしてイタリアのベルルスコーニー首相も、ブッシュ大統領を説得した事を後日明らかにした。それほどまでに米国のイラク攻撃は当初より間違っていたのだ。

  翻って小泉元首相はどうだったのか。表向きに日米同盟の重要性を訴えるのはいい。しかし彼はただの一度も朋友ブッシュ大統領に、「攻撃はやめたほうがいい」と言わなかったのであろうか。外務官僚は小泉元首相に、そうブッシュ大統領に伝えて欲しいと言わなかったのか。自衛隊の幕僚幹部の誰一人として、あの戦争が間違っていると進言しなかったのだろうか。

  またぞろメディアに顔を見せ始めた小泉元首相に、国会議員は、メディアは、是非とも、イラク戦争を今でも正しかったと思っているのか、聞いて欲しいと思う。

  最近に至って小泉元首相が政局がらみの言動を活発化している。それをメディアが盛んに取り上げている。

  愚かなり小泉元首相。あなたはボロを出さずに首相を終えられた事で満足すべきであった。完全燃焼したという自らの言葉を忠実に守るべきだった。

  政争の与太話しか出来ないあなたが、あなたが壊した日本で苦しんでいる国民に、今でも喝采を受けると思っていれば、それは勘違いだ。

    自己の権勢欲の為に日本を壊してしまった男が、メディアに相手にされない寂しさに負けて再登場した、それが今の小泉元首相の姿である。

   そんな男にもう一度、好き勝手を許すほど、もはや今の日本に余裕はない。

   見ているがいい。彼の身勝手な言動をメディアが面白がって取り上げるほどに、この国の政治が劣化していく。この国の状況はもっと悪くなっていく。

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2008年03月13日

  日銀総裁人事のつぎは大使人事だ

   日銀総裁人事の次は大使人事だ

  武藤日銀総裁人事になぜ自民党はこんなのこだわるのか。その最大の理由は官僚が独占してきた人事権を改革する勇気と覚悟がないからだ。

  財務省事務次官のエースであった武藤氏の日銀総裁就任は、財務省という官僚組織にとっては予定調和であった。これが狂う事は財務省組織の崩壊を意味する。財務省官僚は組織をあげて自民党に泣きつき、自民党はその官僚のお願いを聞いてやる。

  永久に続くと思われていたこの国の官僚支配が、防衛省や厚生労働省や国交省の一連の不祥事で、今音を立てて崩れようとしている。国民がそのおかしさに気づき始めたからだ。

  我々が目の当たりにしているのは、官僚組織となれあって政権を維持してきた自民党の政治家たちが、そのような世論と、生き残りに必死な官僚組織のどちらに軸足を置くかで、歴史的な板ばさみに立たされている姿である。

  そして、この期に及んでも、自民党は変わることが出来ないでいる。世論ではなく、あくまでも官僚のお友達でいようとしているのだ。彼らは、特権階級、権力保持者、という点で官僚たちの仲間なのである。特に福田首相はそうだ。

  なぜ公務員改革制度が一向に進まないのか。改革の目玉である内閣人事庁の設置が骨抜きにされようとしているのか。それは官僚組織が独占してきた人事権に手をつけようとしないからだ。けだし官僚組織は人事がすべてなのである。

  官僚が独占してきた人事の中で、いままで殆ど語られることなく、まったく手つかずの人事がある。  それは外務省の大使人事である。

  4月号の月刊文藝春秋に、とっくに内定している駐米大使の発令が5月にずれ込むという記事がある。その理由は、毎年4月にワシントンで開かれる日米友好行事「桜まつり」に、新任の藤崎一郎大使では荷が重いからだという。6年以上も大使をつとめてきた加藤良三駐米大使に任せてから赴任させようというのだ。

   もっともこの加藤大使も、6年間も駐米大使をしているにもかかわらず米国での存在感はない。それでも6年間いたから新任よりはいいだろうというのだ。

   これは象徴的だ。日本との関係が薄く、誰が大使をしてもさしたる影響もない三流国の大使なら官僚でもつとまる。しかし米国とか中国といった大国の大使人事を外務官僚が独占してきた時代はもはやとっくに終わっているのだ。

  それにもかかわらず未だに外務官僚が当然の如く大国の大使を独占してきた。その人選まで身内で決めてきた。

   その結果こんな人事も放置されることになる。欧州の某大国においては、人とのつき合いが嫌だと職場放棄した大使がいた。レストランで食事をする予算をすべて部下に使わせて、社交の場に出なくなったのだ。なんというもったいない事か。この日本においてはその国への知識と愛着と人脈を持った人物はいくらでもいる。その国の大使にふさわしい人物はいくらでもいる。

  駐米大使などというポストは、総理経験者やトヨタの社長などといった日本の顔になる人物がなってしかるべき重要ポストである。官僚でつとまるポストではない。

  次は大使人事に手がつけられなければならない。主要国大使の人事を広く国民に開放する。国民の目で見て最善の大使を送り込む。それこそが外務省改革の本丸なのである。外務省がもっとも嫌がる改革なのである。

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2008年03月12日

  元米国務省職員によるイラク攻撃批判

  元米国務省職員によるイラク攻撃批判

  毎日新聞が、イラク開戦5年を迎えるにあたって、イラク戦争の総括特集を始めている。きわめて重要な特集だ。毎日新聞に敬意を表したい。

  米国のイラク攻撃は、21世紀のはじめを汚した深刻な外交的一大事件であった。末永く記憶にとどめられる事件となるに違いない。

  それは世界を分裂させた。中東情勢の混迷を加速させた。日本は「テロと戦う」米国軍に決定的に従属させられる事になりつつある。なによりもおびただしい人命が失われた。その犠牲は今も続いている。

  自衛隊のサマワからの撤退にともなって、イラク戦争はすっかり日本のメディアから消えてしまった。それにともなって日本人の関心も急速に失せた。

  しかし、いつか日本でも、誰かの手によって、米国のイラク攻撃が冷静に検証されなければならない。我々は、米国のイラク攻撃を支持した小泉外交の大きな罪を直視しなければならない。それなくしては日本外交の再生はない。日本の自立はおぼつかない。

  12日の毎日新聞に掲載されていたジョン・ブラウン元米国務省職員(59)の次の証言は、当時の私の記憶を鮮やかに蘇らせてくれた。それはレバノンで皆が言っていた事だ。駐レバノン米国大使が私に述べていた事だ。ブッシュ大統領と小泉首相の軽さが見事に一致していた事を教えてくれる。

   ・・・この戦争は素晴らしいという同僚は一人もいなかった・・・ブッシュ大統領自身、国際的な事にほとんど興味を持たず、知識もなかった。
   ホワイトハウスの取り巻き連中の関心は常に国内問題だった。つまり、共和党政権をどうやって維持するか・・・02年11月の中間選挙に勝つために大統領を強い指導者に見せかける必要があった。そのためにイラク危機を利用したのだ・・・
   政権幹部はこんな結果になるとは全く予測していなかったはずだ。簡単に考えていたのだ。中東に関する無知のゆえだ・・・ブッシュ大統領は・・・イラクにイスラム教のシーア派とスンニ派の2宗派がある事さえ知らなかった・・・
   イラク戦争を遂行する必要上、米政府はウズベキスタンやパキスタンなどの独裁政権と手を結んだ。アブグレイブ刑務所での収容者虐待や拷問(を重ねた)。その結果世界中で反米感情を高めてしまった。イラク戦争によって米国のイメージは決定的に低下した・・・
   米国はもっと長期的な広い視野で外交をする必要がある。イラクはそれを教えている・・・

   あらためて強調する。イラク戦争の総括なくしては日本外交の再生はない。日本の自立はない。

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2008年03月11日

 拷問を容認するブッシュ大統領

  拷問を容認するブッシュ大統領

  さすがにこのニュースには驚いた。このような人物を大統領に居座らせた米国議会や米国民に、あらためて失望させられた。米国に正統性はない。

 ブッシュ大統領は、8日のラジオ演説で、CIAがテロ容疑者への尋問で「水責め」などの拷問を禁止する法案に拒否権を発動したと発表した。それを11日の読売新聞が報じている。

 布で覆った顔に大量の水を浴びせて自白をせまる「水責め」は、どう考えても今日の民主主義国家では許されない行為だと思っていた。映画の中のシーンであると思っていた。ところが米国でこれが行われてきたのだ。それが明るみになって世界の批判が集中した。民主党主導でそのような拷問を禁止する法案が上下院を通過した。

 それをブッシュ大統領が拒否したのだ。「大規模テロ計画を未然に防げた」からだと胸を張ったのだ。

 米国では「テロとの戦い」では何でも許されるのだ。これでは反米テロはなくならない。その米国と価値観を共有する日本に未来はない。

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2008年03月11日

   右翼ブログから学ぶ

  右翼ブログから学ぶ

  反中国、反米の、自称フリー作家が書いているブログに「依存症の独り言」というのがある。たまたま見つけたその2月11日のブログに興味深い記述があった。

  「街頭右翼は公安が泳がせている?」と題するそのブログは、先般のプリンスホテルによる日教組集会の拒否事件を取り上げて、「言論・集会の自由を封殺したのは街頭右翼である」と断じる。

  その上で、街頭右翼がホテルに集まる事を知って警察に警備を頼んでおきながら、日教組の予約を一旦受け付け、一部前金まで受けとっていながら、直前になって突然解約する、そんなプリンスホテルは非難されても仕方がない、と言う。正論だ。

  しかし私が注目したのはその後に続く公安警察と街頭右翼の関係を述べたくだりである。「元過激派だった私」そう言うのだから間違いない」、と繰り返し強調した上で、公安警察は街頭右翼などを利用して共産党の活動を牽制しているのだと次のように述べている。

  すなわち公安警察は暴力団と裏表の街頭右翼をこれまで本気で取り締まらなかった。なぜか。それは街頭右翼が反共であるからだ。公安警察の最大の標的は、今でも共産党である。その共産党と敵対している組織や団体を公安警察は利用してきたのだ、という。

  更に、反共という意味では部落解放同盟も過激派もそうだ、これらは警察が本気になれば簡単に検挙できたはずだ。しかし、そうしなかった理由は、それらが反共であるからだ。警察はそれらを通じて共産勢力の伸張を抑制しようとしたからだ、というのだ。

  「・・・中核も革マルも、お互いに相手を「権力の手先」と罵倒していたが、何の事はない、両方とも権力の手のひらで踊らされていた。情けない・・・」と。

  さらにまた刑事警察は暴力団対策法で暴力団を取り締まるのに、暴力団と一体の街頭右翼を泳がせるのは、街頭右翼の担当が公安警察であるからだ、と、警察の内部事情にまで言及している。

  確かにそのとおりかもしれない。しかも警察が手心を加えているのは街頭右翼だけではない。先般も暴力団を使った地上げ屋に警察OBが天下っている事が発覚している。

  善良な市民が何も知らない「権力の悪」が厳然と存在する。世の中の闇の部分である。たまったものではない。

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2008年03月11日

  拉致問題はどうなったのか


  拉致問題はどうなったのか

  年金問題をはじめとして、どの問題も何の解決もなされないまま、次々と新しい問題が生じて、古い問題はメディアから忘れ去られていく。これが今の日本の政治の現状だ。国民生活がよくなるはずはない。

  外交問題についての最大の懸案の一つが北朝鮮問題である。北朝鮮問題の核心は拉致問題である。あれほど連日メディアを騒がした拉致問題は、すっかり忘れ去られてしまった感があった。

  それを再び思い出させてくれたのが11日の朝日新聞一面のスクープであった。拉致を指示した北朝鮮工作機関の幹部が、金正日総書記の側近であることが日本の警察当局の調べでわかったというのだ。

  それが事実であるとすれば、6年前の小泉訪朝における合意が根底から覆る事になる。さもなければ、小泉、金総書記の間で拉致問題にフタをした密約があった事になる。

  あの時、メディアは、金正日総書記が初めて拉致を認めたと喧伝した。それが小泉訪朝の最大の成果であると言い立てた。それを根拠に日朝国交正常化を急ごうとした。それが日朝平壌宣言であった。

  本当に金正日総書記は小泉首相に謝罪したのか。その時メディアが書きたてたのは、「特殊機関の一部の妄動主義者による犯行」であり、「彼らを処罰した」、という事であった。

  そもそも金正日独裁体制の下で、拉致が一部の妄動者の犯罪であった、などという事がありうるはずはないのに、それが謝罪だと強弁して国交正常化を急いだのが、小泉元首相と外務官僚であった。それを書きたてたのがメディアであった。

  ところが、今回の警察当局の調査が正しければ、その「一部の妄動者の犯行」そのものが嘘であったという事になる。金正日は、謝罪したどころか、嘘をついたのだ。小泉元首相はまんまと騙されたのだ。さもなければ、金正日と裏取引をしたのだ。

  本来ならば、この朝日のスクープを契機に、再び拉致問題は大きく動き出さなければならない。もちろん金正日の北朝鮮は、「拉致問題は解決済み」と言い続けるであろう。しかし少なくとも日本においては、あの時の小泉訪朝の真相を、あらためて今究明する事はできる。そしてそれは是非とも国民の見える形で国会で追及されなければならない。

  しかし、残念ながら、拉致問題は動かないであろう。金正日の北朝鮮を動かす前に、日本政府が動かないのだ。与野党の政治家が自らの不明を隠し続けようとしているからだ。

  スクープをした朝日新聞の緒方健二編集委員がその事を記事の中で認めている。「・・・逮捕状をとっても北朝鮮にいる人物の身柄を確保できる可能性は低い。政治的な思惑も絡み、ただでさえ容易ではない捜査を、さらに困難にする要因は少なくない」と。

  スクープをした朝日新聞がかくも悲観的なのである。何のためのスクープなのか。

  平壌宣言にはこう書いてある。

   「日朝間の不幸な過去を清算し、懸案事項を解決」すると。

  平壌宣言とは一体何であったのか。小泉訪朝とは何だったのか。拉致被害者家族の苦痛だけが取り残されている。

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2008年03月10日

  これでは反米テロはなくならないはずだ

  
 これでは反米テロはなくならないはずだ

 10日の読売新聞は、宮崎健雄ワシントン特派員の次のような記事を載せていた。

 すなわち、任期終了がどんどんと迫ってくるブッシュ大統領が、8日、ワシントン市内で一足早いお別れ夕食会を開き、そこで狂態を演じたという記事だ。

 600人以上の閣僚や記者団の前に、カウボーイ姿で登場したブッシュ大統領は、カントリーソングの替え歌を熱唱したらしい。

 「古いホワイトハウスを後にして、もう一度気楽な生活に戻る。平城の(核)危機は気にしなくていいんだ・・・」

 それを参加者は総立ちで拍手を送り、大好評を博したという。おそらく大部分の出席者は、内心では苦笑していたに違いない。しかしそれでも表向きはスタンディングオベーションを忘れないのだ。

 この光景は米国と言う国のある一面を象徴的に示している。つまり米国人は身内に甘いのだ。そして決して身内を面と向かって批判しない。

 かつて私が米国に勤務していた時、ゴルフ雑誌でこんなアンケートがあった。「あなたが上司と一緒にプレーしていたとして、もし上司の不正をみつけたら注意しますか」という問いに、注意しないと答えた者が一番多かったのが、世界各国の中で米国だったのに驚いた記憶がある。

 後に米国の友人にその事を話したら、「あたりまえだろう。そんな事を言ったらクビにされるのがオチだ。人の事を悪くは言わない。しかし人に自分の悪口を言わせない、これが米国人だ」という答えが返ってきた。

 そんな米国に軍事攻撃され、虫ケラのように殺されていくアラブ人たち。今でも毎日民間人が犠牲になっている。

 ここまで中東をメチャクチャにしておきながら、8年間もの間、その指揮をとったブッシュ大統領が、「核も中東もくそくらえだ、もう一度気楽な生活に戻れる、愛犬バーナーと暮らすのを楽しみにしている」などとふざけられては、犠牲になった連中はたまったもんじゃない。

 これでは決して反米テロはなくなるはずがない。

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2008年03月10日

  荒涼たる日本の風景を象徴する二つの新聞記事

 荒涼たる日本の風景を象徴する二つの新聞記事

 なんともやるせない記事を見つけた。なんとも腹立たしい記事をみつけた。

 一つは10日の東京新聞「応答室だより」である。東京新聞が5日夕刊社会面の「現場考」で、厚生労働省が生活保護の基準引き下げを容認した事を書いたら、すかさず読者より、「まだ恵まれている」、「苦しい生活とは思えない」という声が相次いだという。

 「記事の女性は月11万2700円。私は保護なしで月10万6000円。それでも生きています」(76歳男性)

 「年金生活者だって食費は月3万円以内に切り詰めている」(60代男性)。

 「記事の方より生活保護を受けていない私の方が生活は苦しいのですが、何とか工夫して明るく暮らしています」(60代女性)などなど。

 そして「応答室だより」を書いたE記者は(なぜその記者は実名を明かさないのか私にはわからないのだが)、こうした、弱者に弱者の足を引っ張らせるような声を出させて、生活保護基準引き下げを容認させようとする、そういう厚生労働省を批判したい、と言うのだ。まったくその通りである。

 その一方で同じ10日の毎日新聞「風知草」で、専門編集委員の山田孝男氏は、「たった3冊で1億円」と題して次のような国土交通省の税金ドロボーぶりを厳しく糾弾していた。

 国土国交省の書棚には3冊で1億円もする超高価本が眠っているという。天下り法人の一つである「国際建設技術協会」の担当者が、テキトーにまとめた海外道路事情の調査報告書である。

 英文資料を自動翻訳機にかけただけと思わせる不自然な日本語、ネット百科事典ウキペディアや世銀データの丸写しが大半の、誰も読まないような1100ページの膨大な資料。

そんな報告書を国交省は自らのOBの天下り法人である国建協に委託して作らせていたのだ。

そのために1億円の予算を支払い、それが職員幹部の人件費などに使われている。こんなでたらめが行われていても、処罰も賠償もない。これでは警察はいらないではないか、と山田委員は書いている。

「国建協は可愛い方。ふつうはもっと壮大な仕掛けをつくって天下りOBの人件費を生み出します。霞ヶ関は膨大な無用の仕事を作り出し、役人の天下り先に税金をつぎ込む。この構造を変えなきゃダメです。」(元自治省官僚、片山善博前鳥取県知事)

 わずか百万円あまりの収入で老後の生活を賄う一般国民と、仕事もせずに千万円を超える収入を手にする国家権力に守られた国民、それが同居し続ける日本は、不健全だ。不道徳だ。やがて行き詰まるに違いない。


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2008年03月10日

  大前繁雄衆議院議員の暴言を野党、メディアは直ちに追及せよ

  大前繁雄衆議院議員の暴言を野党、メディアは直ちに追及せよ

  イージス艦と漁船の衝突事故について、「避けるべきだったのは漁船側のほうであった」と公言するジャーナリストを、私は8日のブログで批判した。

  ところが、それを上回る超ど級の暴言を、現職の国会議員がしていた事を10日の朝日新聞で知った。

  その記事によると、兵庫7区選出の自民党代議士、大前繁雄氏が、神戸市内で8日行われた党兵庫県連の会合で、「漁船側に重大な過失がある」などと、次のような発言していたというのだ。

  「・・・双方に過失があったはずで、公正な立場から原因究明にあたるべきだ・・・(漁船側に)重大な過失があるが、そのことには一言も触れられていない・・・ライフジャケットをつけていれば浮いてくるはずで、大規模な捜査活動はいらなかった・・・」

  大前議員は安倍内閣で防衛政務官を努めていたというから、ただの議員ではない。この発言は極めて深刻だ。野党議員やメディアはこの発言を決して看過してはいけない。

  あれほど大騒ぎした漁船事故である。あれほど防衛省が非難された事故である。石破大臣の辞任要求が迫られた事故である。それが、衝突の責任は漁船側にあったと前防衛政務官が公言したのである。

  メディアの報道は間違っていたのか。そのメディアの報道を鵜呑みにした我々は間違っていたのか。私の暴言批判は間違っていたのか。そうであれば全面的に謝罪しなければならない。

  そういえばこの問題の真相解明はどうなっているのだろうか。事故の原因と責任所在についての政府の判断はいつ、どのような形で国民の前に公表されるのであろう。

  野党議員やメディア関係者は、この大前議員の発言を追及しなければ嘘である。漁師仲間は大前議員の発言に直ちに反論しなければ嘘である。

  繰り返して言う。あれほど騒いだのである。あれほど防衛省を責めたのである。漁船側に事故の原因があると言われて沈黙を守るようでは、いままでの大騒ぎが根拠のないパフォーマンスであった事になる。野党の追及が、心のこもっていない政争がらみの批判だったということになる。

   もし大前議員が、根拠もなく漁船側に衝突の責任があると失言したのなら、これまでのどの失言よりも深刻な失言になる。

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2008年03月09日

 日銀総裁人事をめぐる大騒動をどう見ればいいか

 日銀総裁人事をめぐる大騒動をどう見ればよいか

  日銀総裁人事がどのような形に落ち着こうと、一般の国民にとってはどうでもいい話だ。こんな問題が連日のトップニュースになっている事自体が、日本の政治が国民から乖離している証拠である。

  結論から言えば、これは自民党と民主党の政争である。しかも政策の絡んだ政争ではなく、政権交代をにらんだ面子をかけた喧嘩まがいの政争だ。今回ばかりは日銀人事を政争の愚に使うな、という批判は当たっている。

  それではこのくだらない政争騒ぎを我々はどういう思いで見物すればいいか。

  まず第一点。「能力主義で最善の人選をおこなえ」、という建前論ほど馬鹿らしいものはないと言うことである。

  そもそもこれまでの人事は、財務省(大蔵省)次官と日銀エースの交替人事ではなかったか。その業界の最優秀の人物が総裁になってきたはずではなかったか。

  ところがその結果はどうだったか。プラザ合意をきっかけに始まったバブル経済とその破綻。そして、債務問題に苦しんだ「失われた10年を経て今日に至る経済停滞。どれ一つとっても日銀総裁は何もできなかった。

  プラザ合意を飲まされた前川総裁から始まって、米国の要求に屈してゼロ金利のきっかけをつくった澄田総裁、バブルを破裂させた三重野総裁など、日銀総裁は、ことごとく日本経済を悪化させたのではなかったか。

  現総裁である福井氏至っては一体何をしたというのか。日銀のプリンスとして登場した福井総裁であったにもかかわらず、ゼロ金利一つ解決できなかった。インフレの番人であるはずが最近の物価上昇に何一つ手を打てないでいる。

  福井総裁と聞いて国民が思い出すのは村上ファンドで金儲けした事がばれて批判され、それでも辞任せずに粘った総裁ということぐらいだろう。

  何故日銀総裁の人事がこれほど大騒ぎになるのか。それは一つには、天下り人事に固執する財務官僚の執念がある。

  武藤副総裁は財務省にとってのエースであった。本来ならば次官を辞めた後直ちに立派な天下り先のポストにつくはずが、世論の風当たりを受けて日銀副総裁にとりあえず身を潜めた。しかしその時点で日銀総裁に復活することが財務省内では決まっていたのだ。

  もし、今回の騒動の結果、武藤氏が日銀総裁になれなければ、本人はもとより財務省にとって大打撃である。これ以上ないほどの挫折感を味わう事になる。人事がすべての官僚組織である。何が何でも武藤氏は総裁になりたい、財務省は総裁にさせたいのだ。

  そんな財務省の強い要望を知っている自民党は、財務省に恨まれてまで武藤外しはできない。ましてや官僚との関係を重視する福田首相にとっては、これ以外の人選はなかったのだ。

  その一方で小沢民主党も、日銀人事ごときでここまで反対するつもりはなかったに違いない。ところが大連立の動きを世論から非難された民主党は、いきおい対決姿勢を示さざるを得なくなった。ましてや、自民党が道路特定財源問題で強行採決させた以上、今度こそ強硬姿勢を貫かざるをえなくなったのだ。

  こうなると国民にとっては格好の政治ショーだ。

  もし武藤人事が覆されるような事になると、ただでさえ低迷している福田首相の指導力は更に低下する。

  その一方で、もし民主党が武藤人事を飲むようなことがあれば、今度こそ民主党の腰砕け振りに世論はあきれ果てる。

  こうしてどちらも引き下がれなくなってしまったのだ。

 福井総裁の任期は3月19日までだ。空白になったところで、国民にとって実害はない。しかし、国際信用を失いかねず、株価もさらに下落する。自民党も民主党も、世論の批判をおそれて19日までには妥協するに違いない。

  あと10日たらずのドタバタ劇を高見の見物と決め込めば、国民も腹は立たない。

 

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2008年03月09日

これは第二のノーパンシャブシャブ事件ではないのか


  これは第二のノーパンシャブシャブ事件ではないのか

  この国の官僚支配体制が、こんどこそ音をたてて崩れ始めつつあるようだ。

  国交省の特定道路財源流用は底なしの様相を呈してきた。しかしこれは氷山の一角に過ぎない。

  すべての省庁は天下り組織を抱えている。その経費はそれぞれの省庁が縄張りとして持っている特別会計だ。その財源は国民の血税だ。

  正義感のあるジャーナリストは、この際すべての独立行政法人の不要な業務と天下り職員の仕事振り、そして予算の支出入を調べて、大手しに書かないか。国民に教えてくれないか。驚くべき詐欺、横領の実態が判明するに違いない。

  民主党の石井紘基という代議士が殺されたのは2002年であった。その真相はいまだ謎のままであるが、彼が殺された理由は特殊法人の会計不正の証拠を掴んだからだと、今でも囁かれている。

  それから数年、いまや特別会計の闇がここまで暴かれるようになった。その全貌が国民の前に明らかになりつつある。いまさら税金の官による不正使用を暴いたところで殺されることはない。それどころか国民の喝采をあびるだろう。税金ドロボーに対する国民の怒りが、そのような闇の暴力を押しつぶすであろう。

  最近明らかになった新たな不正使用は、公共用地補償機構という天下り法人の職員旅行が、特別会計予算で賄われていたというものである。一人当たり一泊9万円という法外な出張手当が支出されていたという。

  さすがに半額を幹部職員に返納させるという。珍しく迅速に対応したのには裏があるに違いない。問題は9万円もの予算が何に使われていたかということである。

  そう思っていたら、9日の夕刊フジは、コンパニオン付きの宿泊で遊興していたという。それで合点がいった。法外の金額はコンパニオンのサービス料だったのだ。もしそうだとすればこれは第二のノーパンシャブシャブ事件ではないのか。

  あの時は大蔵省幹部は銀行業界の接待で遊んでいた。だから恥を書くことで済んだ。しかし今回の金は国家予算である。国民の血税である。職員旅行の実態が明らかになれば国民の怒りは爆発するに違いない。

  こころある大手新聞記者よ。この際実態を調べて書いてくれないものか。このブログで取り上げるのは本意でないほど低次元の話だ。しかし眠れる国民をさますには格好の醜聞に違いない。

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2008年03月08日

 「漁船がイージス艦をよけるべきだ」と公言するジャーナリスト

  「漁船がイージス艦をよけるべきだ」と公言するジャーナリスト

  花田紀凱(かずよし)というジャーナリストがいる。週刊文春編集長や朝日新聞社の雑誌を手がけたりしているから、一応ジャーナリストと呼んでおこう。

 その花田氏が、8日の産経新聞、「週刊誌ウオッチング」で次のように書いていた。

 ・・・事故当初から言っていたのだが、大きい船と小さい船が接近遭遇したら小さい船がよけるべきだ。小さい船の方が身軽で、舵も切りやすいし、スピードも落としやすいのだから。
    自衛艦批判に急で、こういう意見が出ないところが日本のジャーナリズムの限界だ・・・

  ・・・週刊新潮(3月13日号)は、ズバリ・・・漁師仲間のひとりがこう語っている(ことを紹介していた)、
 「・・・大型船には近づくなっていう、不文律みたいなもんがあるんですよ。大きい船がずーっと走ってきたら、小さいほうが避けると。だって、図体がでかい船は小回りがきかない・・・それにでかい船にぶつかっても、やられるのは小さいほうなんだから、命がいくつあっても足りない。だから、小さいこっちが避けるんです。それが鉄則っていうか、漁師の常識なんです」
 その「漁師の常識」を今、誰も口にできない「空気」が日本に満ちているわけである。
 今週随一の正論だ・・・・

  これが花田氏の言うように本当に正論ならば、なぜ福田首相はそう言わなかったのか。石破防衛大臣はそう言わなかったのか。メディアはそう書かなかったのか。漁師仲間はテレビの前でそう言わなかったのか。そもそも本当に漁師たちはそう言っているのか。週刊誌の丁稚上げではないのか。そもそも接近遭遇したら船の如何を問わず右に舵を切って避けるという国際ルールがなぜ存在するのか。

 言論の自由が認められているありがたい日本では、どんな暴論も許される。顔写真入で堂々とこうした主張をする花田氏はいい度胸だ。そんな花田氏の暴論を連載する産経新聞も見上げたものだ。

 おそらく花田氏も産経新聞も、自分たちの立ち位置をわきまえているのだろう。暴論を好む一部の読者に受ければ十分ジャーナリズムの世界で生き残っていけると。それを売り物にして食っていけると。

 ジャーナリズムの劣化だ。娯楽化だ。商業化だ。そこから学ぶものは何もない。

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2008年03月08日

派遣先探しが優先する日本のPKO


  派遣先探しが優先する日本のPKO

   8日の朝日新聞は、訪日中のカンボジア副首相が、カンボジアがPKO(国連平和維持軍)を派遣しているスーダン南部の治安情勢が緊張していると述べたと報じている。

  この記事を読んだ日本政府関係者は、さぞかし困惑しているに違いない。

  それというのも、7日の日経新聞では、政府は自衛隊のPKOへの新規派遣先として、スーダン南部を有力候補地として絞り込んだという記事があったからだ。

  その日経記事によると、こうだ。洞爺湖サミットではアフリカ支援が主要議題の一つ。サミット前にスーダンに自衛隊を派遣できれば、福田首相が掲げる国際貢献を世界にアピールできる。

  防衛省は治安情勢を見極めたいとしているが、高村外相や町村官房長はなんとか実現したいと思っている。だから、来日中のスーダンの大統領補佐官と話し合い(高村外相)、どんな協力ができるかスーダン政府と話し合って決めたい(町村官房長)と一生懸命なのだ。

 この一例が日本のPKO派遣の正体を端的に物語っている。日本のPKO派遣は、紛争国や国際社会の要請に応じて派遣されるのではない。紛争解決や防止のために派遣されるのではない。日本の国際貢献をアピールするために派遣されるのだ。

 だから、いくらNATOや米国から求められても、危険なアフガンやイラクには派遣しない。安全なところを必死で探して派遣しようとする。

  しかし安全な紛争地などありえない。安全なところを探して自衛隊を派遣しても、国際社会は決して評価しない。

  日本のPKO派遣は日本の都合による一人相撲なのだ。

 

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2008年03月07日

麻生氏が唱える日米同盟再定義の的外れ

 麻生氏が唱える日米同盟再定義の的外れ

 「日米シーパワーダイアローグ」なるシンポジウムが5日米国ワシントンで開かれたという。海洋政策研究財団と新アメリカ安全保障センターが共催し、読売新聞が後援したという。

  因みにこの海洋政策研究センターというのは、その前身が日本造船振興財団というのだから、まさしく天下り団体である。現に今の会長には大蔵省出身の元防衛事務次官秋山昌廣氏が就いている。

  そんな団体が主催するシンポジウムに私は興味はない。私が注目したのは、ゲストとして招かれた麻生元外相の講演要旨である。3月7日の読売新聞によれば、麻生氏は、太平洋の二大海洋国家(シーパワー)である日米両国は、同盟関係を「再定義」し、「統合されたシーパワー」化を目指すべきだ、と提唱したというのだ。

  何故今頃麻生氏が日米安保再定義を言うのだろうか。まさか麻生氏が日米安保体制を見直そうと言い出したのではないだろうな、そう思って注目したのだ。

  というのも、そもそも日米安保再定義とは、ソ連共産主義の崩壊により日米安保体制の共通の敵がなくなった状況下で、日米安保体制を世界的規模に拡大しようとして、米国が言い出したものであったからだ。

  すなわち、クリントン政権下の1995年、ハーバード大学教授から国防次官補に転じたジョセフ・ナイ氏が、日米安保体制の目的を、「アジアにおける共産主義の脅威」への共同対処から、「世界の平和と安全」に向けての日米軍事同盟に、「再定義」した。いわゆるナイ・レポートである。

  それが発展して、「極東」という地理的概念の制約を外した周辺事態法が成立し、そして今日の「テロとの闘い」、米軍再編に対する協力、と完成していったのである。

  だから今更日米安保の再定義などというものは必要ない。もし日本側が今の時点で日米安保再定義を言い出すのなら、日米安保体制はやっぱり不要だからなくしましょうということしかない。まさかそんな事を麻生元外相が言い出すはずはない。だから私は驚いたのだ。

  ところが読売新聞をよく読むと、麻生氏のいう再定義とは、旧来の軍事面などハードパワーの協力はもとより、民主主義など価値観を共有する国や民間レベルの協力を推進し、資源開発、環境保護などでの知見を共有するソフトパワーの協力も強化すべきだという提案だという。

  笑ってしまった。そんな提案に米国はほとんど関心がない。米国の関心はあくまでも軍事力、すなわちハードパワーなのである。しかも米国の考える日米安保再定義とは、米国の軍事行動のためにいかに日本の領土と資金と自衛隊を利用するかである。

  かつて外務省は90年代の初めに日米コモンアジェンダと称して、健康問題(エイズ)や環境問題など地球規模の共通の問題に協力して対処しようと打ち上げた事があった。それは当時の日米関係が、経済摩擦をはじめとして対立に終始していたので、両国が共通の目標に向かって建設的に協力できる分野を探そうとした結果の、日本側の思いつきの提案であった。

  ところが米国の関心は低く、日本へのおつき合い程度の認識で事に当たった。だからすぐに頓挫した。

  麻生氏の日米安保「再定義」はまさにその愚を繰り返そうとしている。米国がまともに相手にするはずはない。

  このシンポジウムの詳細は13日の読売新聞に掲載されるという。関心のある向きはどうぞ。

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2008年03月07日

胡錦涛国家主席の来日延期の動きに注目せよ

  胡錦涛国家主席の来日延期の動きに注目せよ

  桜の咲くころと言えば4月だ。思い出してほしい。昨年12月末に福田首相は駆け足で訪中した。その時に「桜の咲くころ」に中国の国家主席来日で双方が合意した。これで決まりだった。

  ところがこの来日日程がずれ込むという報道がなされ始めた。首脳外交の日程が直前まで決まらない。おまけに直前になって延期の動きが出る。これは極めて異例である。

  メディアはあえて大きく取り上げていない。おそらく外務省は騒がれたくないに違いない。なにしろ10年ぶりの中国国家主席の来日問題が、政府・外務省にとって、当面の最大の問題となってしまったのだから。

  一旦合意した日程を何故ずれ込まさなければならなかったのか。日本と中国のどちらがそれを言い出したのか。

  6日の毎日新聞によれば、「・・・日本側は4日、宮本雄二・駐中国大使を通じて中国側に『5月の連休明けに訪日日程を延期できないか』と打診・・・」とある。これが事実ならば延期の要求は日本側がしたことになる。

  おそらくそうだろう。中国側が延期する理由はない。7日の読売新聞によれば、武大偉外務次官が6日北京で邦字紙の取材に対し、「現在協議中だが7月や5月の後はありえない。5月はまだ春だ。桜も八重桜が咲いている」と、延期されても5月中には来日したいという中国側の希望をほのめかしている。

  それでは何故日本側が延期を要請しなければならなかったのか。6日の日経新聞によれば、

  「・・・日程調整に時間がかかっている理由の一つに、皇室行事との兼ね合いがある・・・今回の来日は儀典上で最も格式が高い国賓待遇。迎賓館での歓迎行事など天皇、皇后両陛下が出席する行事が4回開かれるが『皇室も公務がつまっており、まとまった日程を確定しづらい』(政府関係者)という事情がある・・・」

  これは嘘だ。皇室の都合を確認することなく、昨年12月に福田首相が胡錦涛主席を招聘できるはずはない。それに、イスラエルのオルメルト首相でさえ天皇陛下に謁見させているのだ。むしろ急に延期するという話になったので、皇室は日程調整を苦慮しなければならなくなった、ということだろう。

  延期の動きがでてきた最大の理由は、それまでにギョーザ問題の明確な解決が出来ないということだろう。しかも訪日時に首脳間で解決する事になっていたガス田開発の問題も見通しがつかない。

  しかし延期したことは大きな誤りである。諸般の事情を考えると、たとえ延期しても大幅な延期はできない。遅らせば遅らせるほど来日の日程が難しくなる。来日できないとなると日中関係改善のアピール性は完全に失われてしまう。外交的大失敗となる。

 なによりも、ギョーザ問題にしても、ガス田開発についても、今の日本の外交力では短期間で解決できる問題ではない。

 もし延期の話が福田首相の方から出たのであれば、外務官僚は予定通り行うべきである、と申言すべきであった。もし外務官僚がそれを言い出して福田首相が従ったとしたら、外務官僚は大きな間違いを犯したことになる。

  予定通り早期の中国主席の来日を実現する事だ。中味のない来日でも友好親善をアピールするだけでいいのだ。外務省は、ただでさえ外交問題が山積しているというのに、このような不毛な問題を抱え込んでしまう愚を犯したのだ。

 

 


 

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2008年03月06日

   中国の軍事力増強に日本はどう対応すべきか

  中国の軍事力増強に日本はどう対応すべきか

  4日発表された中国の2008年度国防予算が約6兆800億円となり、日本のそれを約1兆円上回る事が明らかになったという。

  米国防総省は「東アジアの軍事的均衡を崩しつつある」と警戒し、日本の反応も、米国に従うように、不快感、警戒感に満ちたものとなっている。

  米国が中国の軍事力を警戒するのは当然である。世界に敵が存在しないほど軍事大国になった米国にとって、唯一対抗できる軍事大国になりうる国は、もはや中国だけであるからだ。

   これに対し中国は、「国防政策は国土防衛のためであって、海外への勢力拡張の意思はない」と反論する(5日東京新聞)。

   その中国側の説明を額面どおりに受け止めたとしても、その説明自体が、自分たちは米国の軍事的脅威に対抗するために軍事力を増強している、と認めているようなものだ。

   中国も米国もおろかだ。軍事力に回す予算を、国民生活の向上や経済力強化にまわせば、はるかに国力の強化につながるに違いないのに。

    しかし中国も米国も覇権を求める国である。そうである以上、日本が何と言おうとも、米国も中国も聞く耳を持たない。それぞれ固有の国内事情から、軍事大国の道を突き進む他はないのだ。

   我々が考えるべきは、日本として、そのような米、中から自立した、日本自身の安全保障政策や外交を打ち立てる時が来たという事である。

   なまじ競争意識をもって、あるいは中国嫌いの感情に流され、中国に軍事的に対抗しようとしても、今の日本にその余裕はない。そんな事をしていたら日本経済は破綻する。国民生活は、戦争をする前につぶれてしまう。

   しかも軍備を強化する事は必然的に中国との軍事的衝突の危険性を高めることになる。万が一中国と戦うことになったら、日本の受ける犠牲は余りにも大きい。日本はもはや近代兵器、大量殺戮兵器を駆使した総力戦を戦える国ではないのだ。

  だからといって、日米軍事同盟を強化し、米国の軍事力に守られた日本を永久化、固定化するという考えも大きな間違いだ。

  それは米国という国を見誤った考えだ。米国の安全保障政策の本質を理解していない思い込みである。

  米国は慈善国家ではない。あくまでも自国の国益を最優先する国である。しかも世界最大の軍事大国である。そのような国と軍事同盟を強化し、軍事的一体化を進める事は、決して日本の安全につながることにはならない。

  それどころか米国の戦争に加担させられるのがオチだ。そして米国の戦争の犠牲になっている国々の国民に恨まれることになる。米軍再編に協力する事はそういうことなのだ。

  中国や米国のような軍事力を盾にした覇権国家に未来はない。たとえ一時的に世界を支配する国になろうとも、やがてその軍事力によって国が滅ぶ事になる。

  日本はそのような中国や米国とは異なる国を目指すべきだ。過去の誤りが招いた未曾有の犠牲と引き換えに憲法9条を手にした国に誇りを持つべきだ。

  憲法9条こそ最強の安全保障政策である事を、米国や中国に胸を張って宣言し、米国や中国の軍事的覇権国家から自立する国である事を世界に示すべきだ。

  米国と中国が軍事的覇権国家を賭けて競う愚を犯している今こそ、千載一遇のチャンスなのである。

  残念な事は、そのような考えを掲げる政治家が今の政治家に見当たらないことだ。それどころか、超党派の「新憲法制定議員同盟」ができる始末だ。しかもその中に野党第一党の民主党の鳩山幹事長や前原前代表などが堂々と名を連ねている。

  せめて国民だけは日本の将来を見誤らないで欲しい。政治家たちの誤りに追従してはならない。

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2008年03月06日

  税の無駄遣いを精査することは国会議員の責務ではなかったのか

  税の無駄遣いを精査することは国会議員の責務ではなかったのか

  国交省所管の財団法人「公共用地補償機構」が、職員旅行の費用を丸抱えしていた事が5日、民主党の長妻昭議員の資料要求で明らかになった。この事を6日の報道で知った。

  各省が既得権として有している独立行政組織という名の天下り組織が、これほどまで多く存在し、そのすべてが官僚の手によって組織的に税金を食いものにしていることが、毎日のように明らかになっている。

  官僚のやりたい放題については知っているつもりの私も、さすが、ここまで広く、深く、官僚組織が汚染されているのか、と、驚きと怒りの気持ちを禁じざるを得ない。

  問題は、亡国の官僚組織の実態がここまで明らかになっているのに、公務員改革や独立行政法人の廃止が一向に進まないことだ。

  それどころか自公政権の政治家たちが、必死になってそれをかばっている。その率先者が福田首相であり、福田自公政である。

  どうしてそんな政党が政権政党であり続けられるのか。そのような政治家が毎度の選挙で当選して政治家を続けられるのか。

  6日の毎日新聞「記者の目」で政治部の田中成之記者がこの事について触れていた。彼はねじれ国会になって初めて予算のあり方をめぐる国会審議が活発になった事はよかったとした上で、情報提供に消極的な官庁の姿勢が目あまると書いている。

  そしてこれら官僚のずさんな仕事振りが、長妻昭議員をはじめとしたごく一部の野党議員の地道な追及で初めて明るみになった事を指摘しつつ、次のように問題提起をしているのだ。

  ・・・「ねじれ」状態は2013年の参院選挙まで5年以上続く。「ねじれ」の結果、法案成立には野党の理解が不可欠となり、これまでの姿勢はもう通用しない。政府・与党も、「情報公開をして野党の追及を受け、政府案が修正されるのは当たり前」、ぐらいの意識変革をしたほうが(いい)・・・そもそも国会議員の第一の役割は、税金の使途を精査することのはずだ・・・与党議員による政府の無駄遣い追及という光景が(なぜ日常的にならないのか)・・・

 その通りだ。しかし現実の政治の世界は、官僚が作った法案をスムースに通すために、あるいは次期総選挙で政権を手にするために、「大連立」や「政界再編」に走り出している。

 一刻も早く納税者、有権者の民意を政治に反映させなくてはならない。政治家は長妻昭のような政治家だけで十分だという事をわからせなければならない。

  そのためにも早く総選挙が行われなければならない。総選挙が遅れれば遅れるほど、日本の状況はますます悪化していく。
 

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2008年03月05日

  沖縄問題に関する二つの意見

 沖縄問題に関する二つの意見

  5日の新聞で沖縄問題に関する二つの意見が述べられていた。この意見に誰が反論できるだろうか。

 一つは、毎日新聞「記者の目」における三森輝久那覇支局の、沖縄少女暴行事件に関する次の意見である。

  ・・・私はかねて沖縄問題は日本という国の公正さを問う問題だと考えてきた。この国は、沖縄を戦時中に「捨て石」とした揚句、沖縄復帰後も米軍基地の大幅返還に消極的だ。一地方に過酷な歴史を負わせ続ける理由は、日本が不公正な国だからとしか、考えようがない・・・国民の多くが日米安保を必要と考えながら、安保による痛みを沖縄に負わせ続け、共有しようとしない矛盾。そして女性や子供が被害者となりながら、国内法の下で審理できない矛盾。(今回の少女暴行事件は)二つの矛盾を(私たちに)突きつけている・・・

 若い記者がこのような意見を持っている事を知って、私は日本の将来に希望を持つ。

 もう一つは、朝日新聞「私の視点」で述べられていた現代史研究者大杉一雄氏の沖縄集団自決に関する次の意見である。

 ・・・敵が上陸したら竹槍を持って軍とともに戦うか、ひたすら逃げるか、自決するか。沖縄に限らず当時の国民は不安におののき、絶望的であった・・・私自身も、米軍が沖縄に上陸した事を知らされ、いよいよ本土決戦かと悲壮な覚悟をした。
   沖縄の小さな島を守る軍隊は援軍も期待できず、最後まで戦って玉砕する決意しかなかった。一般国民にしても、米英は鬼畜であり、占領されれば男は殺され、女は暴行されると教育されていた・・・国土が戦場となれば、住民には軍のほかに頼れるものはなく、軍に協力するのが当然であるとされた・・・戦闘に巻き込まれることは不可避であり、軍官民が一体化して敵に当たるほかなかった。その意味で「軍の関与」があったことは当然である。
  教科書検定についての論争はもっぱら、集団自決が軍による強制=命令かどうかということだった。(しかし史実は)自分たちは玉砕するが、住民にはとにかく逃げ延びろという場合もあっただろうし、一緒に死のうと手榴弾を手渡したケースもあっただろう。一億玉砕を教えられていた当時の国民はそれを受け入れる精神状態にあり、それがあの戦争の現実であった・・・
    (直接的な軍命令の関与が確認されているかいないかという議論をつづけるよりも、当時の客観的な事情を前提に、歴史の真実が書かれるべきである。)
・・・悲劇の責任を問われるべきは、沖縄現地軍というよりは、敗色歴然となっても本土決戦、一億玉砕を叫んでいた軍首脳部と、終戦を積極的に推進しなかった政治家である。権力の中枢にいた人々と、第一線で戦わざるを得なかった人々の責任の軽重は、厳に区別されなければならない。

  まったくその通りだと私は共感する。

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2008年03月04日

年金一律救済を主張する産経新聞の論説

  年金一律救済を主張する産経新聞の論説

  4日の産経新聞の論説「政論探求」で、花岡信昭という客員編集委員が、「年金一律救済が必要だ」と言い出した。もっとも、その論説によれば、すでに昨年暮れのこのコラムでそう主張していたというから、言い出したというのは当たらないかもしれない。彼の持論であるのだ。

  彼は言う。もはや膨大な記録の名寄せ作業はどうやっても追いつかないのは明らかだ、「領収書がなくとも納付済み」として処理するという政治決断をしろ、多少のごまかしが生ずるかもしれないが、ここまできたら国民も許容するだろう、と。

  その主張は私もまったく同感だ。ねんきん特別便を送付して書き込ませるなどという無駄な作業を繰り返し、年金受給資格者を徒に困らせるべきではない。

  花岡氏が唱える如く、はやく一律救済を始めるべきだ。

  しかし、花岡氏がそう主張するのは、決して国民のためを思ってではない。早く解決しないと自公政権は追い込まれるぞ、と、優柔不断な福田政権に次のような助言を新聞紙上で行っているのだ。

  ・・・今後の難関は3月末の攻防だ。暫定税率維持を含めた関連法案の成立が最大の課題と見られているが、問題はむしろ(年金5000万件の)「最後の一人まで」公約が3月末の期限内に達成できないこと(である)。
  野党はここぞと責め立てるだろうし、改めて「政府の無策」が蒸し返されるだろう・・・(おまけに)09年度から基礎年金の国庫負担が3分の1から2分の1に引き上げられるから、今年暮れにはその財源として消費税の税率アップの議論が待っている・・・(年金システムの大改革を)打ち出すかどうか。そこにこの政権の行方がかかっているように思える。

  どうだ、この心配ぶりは。このままでは自公政権は危ない。だから領収書などなくても、多少のごまかしがあっても、とにかく早く解決しておけ、という親心からの論評なのだ。

  百年安心などと国民を騙して欠陥年金制度を積み重ねてきた年金官僚と、今尚その官僚の言いなりになって国民を裏切り続ける自公政権に対して、産経新聞は怒りを感じないのだろうか。もはやどう考えても解決能力のない自公政権を、ここまで支持する産経新聞は、一体日本という国を愛しているのだろうかと思ってしまう。

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2008年03月04日

政策の違いこそ政局をつくりだす

   政策の違いこそ政局をつくりだす

   空転する国会を前にして、世の識者は必ず口にする。政策を政局の道具にもてあそぶな、と。そうではない。政策が違うからこそ政局が生まれるのだ。

  権力を握る与党がその政策を強引に押し進めようとし、その政策に反対する野党が、自ら主張する政策を実現するためには権力を握るしかないと考えた時、必然的に、そこに政局が生まれる。

  そんな私の考えを代弁してくれる記事を4日の東京新聞に見つけた。谷政幸論説副主幹の「政理整頓」がそれだ。「政策が政局に直結する」という見出しで書かれたその論説のなかで、谷氏はこう言う。

  ・・・かねて気になっている論調がある。安全保障や税、年金の問題を政争の具にするな、という、いわば”大人の説諭“である・・・はたしてそういう議論は正しいか。政権を持っている側やそれにくみする立場からの言い分ではないのか・・・

  そう言ったあとで、谷氏は、たとえば組織防衛に終始する防衛省をかばうか、根本的に改革するかという問題や、道路特定財源問題で官僚主導の政策に乗って官僚を擁護する立場をとるか、官僚政治に風穴を開けるか、などは、すぐれて政治的な対立軸の問題であり、どちらの立場をとるかの議論は、そのまま「政争」、「政局」につながる、というのだ。

  私もそう思う。多くの国民もそう思っているに違いない。問題は野党が政局を作りきれていないところにある。見ているがいい。空転している国会は一週間たてば再開する。そして同じような議論を繰り返していたずらに日数を消費する。

  野党が真の政局に持ち込めないところが最大の問題なのである。与野党の政治家たちが自分たちの生き残りのために政界再編にうつつを抜かすようになっているのが問題なのだ。

 自公政権を否定するかしないか、はやく国民に決めさせないところが、日本の混迷を不必要に長引かせているのである。

 

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2008年03月04日

  消滅するパレスチナ国家


  消滅するパレスチナ国家


  「選択」という月刊誌の最新号(3月号)に「パレスチナ問題の出口が見えてきた」という記事を見つけた。筆者の名前はないが、中東情勢に詳しい者の手による記事と思われる。

  1948年のイスラエル国家の以来繰り返されてきた流血は、どうやらパレスチナ国家の消滅という形で終わることになりそうだ、というのである。

  もっとも、筆者の言うとおり、パレスチナという国は歴史上一度も存在した事はなく、パレスチナ人という民族もどこにもいなかった。

  英国の植民地であり、委任統治であった、かつてのオスマントルコ領の一部に、アラブ人とユダヤ人が混在して住んでいた。そこにいきなりユダヤ人国家が出来て、その地を追われて難民になったアラブ人が、「パレスチナ人」というアイデンティテイを求めただけなのだ。

  だから、「消滅するパレスチナ国家」ではなく、「消滅するパレスチナ国家の可能性」であり、「消滅するパレスチナ建国の夢」とか「消滅するパレスチナ建国の悲願」と言ったほうが、より正確であろう。

 その消滅のシナリオについて筆者はつぎのように予想する。

 反米、反イスラエル強硬派ハマスの地となったガザは、イスラエルの弾圧と封鎖によって監獄と化し、もはやガザの150万人はエジプトへ流入するしか生き残れない事がわかった。封鎖壁が破壊されガザの住民が怒涛のように流れ込んだ事件がそれを証明した。ハマスは壊滅され、ガザはもとどおりエジプトの一部となる。

 その一方で、ヨルダンから切り離された西岸は、ユダヤ人入植で虫食いだらけになったミニ国家として見せ掛けの独立を実現し、いずれヨルダンとの連合国家を形成することになる。

 見事なパレスチナ問題の終焉予想である。出口シナリオである。私もそう思う。

 しかしその筆者と私の間には、一つだけ大きな違いがある。そのシナリオを進めようとすれば、多大の犠牲と流血が避けられないということだ。人間の良心がそれに耐えられるかということだ。

  それよりも、なによりも、そのような政策を強硬に進めようとする米国とイスラエルに、未来があるのか、である。

  私は、そのシナリオが、米国とイスラエルの描くシナリオであることは認めても、そのシナリオが最終的なシナリオになるとは決して思わない。最後は公正で永続的な平和を目指すシナリオに行き着くほかはない、米国もイスラエルのその事に気づかざるを得ない時が来る、と確信している。

 

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2008年03月03日

起業して貧困を救うという発想

 起業して貧困を救うという発想

 生涯一官僚であった私に起業を語る資格はない。しかしアイデアをたくましくする事は出来る。

 かねてから私には一つの夢があった。起業に成功して大金持ちになった連中の中から、一人でもいいから、その富と成功体験を弱者や貧困者に分け与え、ともに新たな起業に向かって挑戦するような人物が出てこないかと。

 3日の朝日新聞を読んで、そのような夢を実践している人が現実に存在する事を知った。

 「人」欄で紹介されていたジャクリーン・ノボグラッツさん(46)がその人だ。ベンチャー投資ファンドで事業を成功させ、途上国の貧困層を支援しているという米国女性経営者である。2月上旬に来日していたという。

 住友化学が開発したマラリア蚊を防ぐ蚊帳が今、タンザニアの工場で年間700万枚作られ、5千人の新規雇用を生み、世界で年3億人が感染するマラリア予防に役立っているという。元銀行ウーマンの彼女は、ファンドを設立し、100万ドル(約1億円)の投資を行ってこの事業を可能にしたという。

  彼女の次の言葉が気に入った。

  「一万人を寄付で救うより、市場を活用して100万人の人生を変えよう」

  この呼びかけに呼応した若い実業家たちが、南アジアやアフリカで既に27の事業に、合計3千万ドル(約30億円)以上注ぎこみ、延べ1千万人の健康や収入に貢献してきたという。

  「彼らは単なる資金の受け手ではない。自らの夢と尊厳を持っているのです」

  私の夢はもっと現実的である。事業活動は何も人道的な事業に限らなくてもいい。金儲けを求める事業でもいい。起業に成功したものが、手にした資金を自分だけのために使うのではなく、他者の起業チャンスのために分け与えるのだ。

 その資金で成功したものがまた、その儲けをお返しし、あらたな起業チャンスづくりに貢献するのだ。

 人間は好きなことならやる気をだす。人に命令して働くだけではなく、自分の手で何かを達成する自主性を与えられれば勤労は喜びに変わる。そのうえ金儲けできればこんなに楽しい事はない。夢のある人生はない。

 そういえば起業に成功したある若者が宇宙旅行に使う金が30億円ぐらいであった。自分で手にした金を何に使おうが勝手だが、その金を若者の起業チャンス育成のために使おうという発想をもつ成功者が、出てこないものか。皆が勝ち組になる社会はありえないのだろうか。

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2008年03月02日

  山崎正和氏の米国金融市場主義批判を笑う

  山崎正和氏の米国金融市場主義批判を笑う

  2日の読売新聞「地球を読む」を読んで苦笑をせざるを得なかった。サブプライムローン問題を引き起こした米国の金融市場中心主義を、劇作家山崎正和氏がこれ以上ないほどの表現でこきおろしているのだ。

  ・・・この人為的災害の原因を究明し、責任を追及する声がなぜ高まらないのか。これは誰かの陰謀なのか、それとも市場経済が犯す不可避的な誤謬なのか。もし前者なら捜査と断罪が急がれるべきであろうし、後者であれば問題は更に深刻で、人類は市場経済そのものの是非を見直さなければなるまい・・・と。

 大上段に構えた彼の批判は続く。

  ・・・どんな素人目にも、今回の事件の粗筋だけは明らかだ。強欲な金貸しが貸出先を増やそうとして、普通なら借金をしない(できない)低所得者層に目をつけた・・・これは金融工学の勝利なのか、それとも巧妙な集団詐欺なのか・・・

 そして、ルービンやポールソンを財務長官に送り出した、米国金融資本主義の権化であるゴールドマン・サックス社が、ひとり40億ドルもの利益をあげていた事について、インサイダーまがいではないかとまで、次のように言うのだ、

  ・・・この証券会社のディーラーはなぜか弱気の立場をとり高値の段階で売り続けたという。とくに目を惹くのは、ある段階で同社が強気の顧客の買い求めに応じながら、同時に自社の資金を使って売り続けていた点である。その際彼らは逆の立場をとる顧客に対して、自社の持つ情報を与えようとしなかったという・・・ついにアメリカ連邦捜査局が動き出し金融機関など14社の捜査に入ったらしい・・・

 極めつけは論評の最後のほうで述べられている次のくだりである

 ・・・いま、真に求められているのは、ジャーナリズムと研究者の総力をあげて、今回の災害の本質を抉り出す事である。いったい低所得者に不動産の値上がりをあてにさせてむりな借金を負わせ、庶民に居住の不安を与えてまで貸付量を増やすのは、健全な金融活動なのか。金融業者が貸し倒れの危険を独力で担う事を避け、貸金を証券にして売り飛ばすのは、商道徳にかなうのか・・・

  彼の言っている事はまったく正しい。しかしその言葉が彼の口から出るところが笑ってしまうのだ。

  山崎氏は60年代の安保闘争の頃から、保守・親米の自民党政府を支える御用学者として育てられた一人だ。あのイラク戦争の時も徹底して米国支持を繰り返した。小泉首相を擁護した。今では中教審会長を嬉々として受け入れるような政略の塊のような有識者の一人である。

 そのような人物が、軍事力とならんで米国の世界支配の両輪である金融資本主義を、ここまで批判する事は、あまりにも不自然だ。米国が聞いたら怒るだろう。反グローバリズムの連中が聞いたら、それは俺たちのいうせりふだ、と苦笑するに違いない。

 ひょっとして大損をさせられた腹いせではないかと思ったりもする。


  

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2008年03月02日

  国会論戦から距離を置く経済界の風見鶏ぶり

  国会論戦から距離を置く経済界の風見鶏ぶり

  3月1日の朝日新聞土曜版(b)の経済論説「読み解く」で、安井孝之編集委員がするどい指摘をしていた。暫定税率の是非をめぐる国会論戦に対し、何故自動車業界は自らの立場を明らかにしないのかと。

  小泉政権が自動車特定財源を一般財源化しようとした時、自動車業界はこぞってこれに反対した。大手自動車メーカーの首脳らは街頭に出て、反対の署名運動までしてみせた。

  一般財源化するくらいなら暫定税率を廃止すべきだ、道路がいらないなら余った分はユーザーに返すべきだ、とまで言っていた。

  ところが今の国会論戦については、一転して沈黙を守っている。自動車工業会長の張富士夫トヨタ会長は、「期待するのはきちっと国会で議論してもらうことだ」という建前論にとどまっている。

  これを安井編集委員は、自動車業界の深慮遠謀であると、次のように指摘する。

  「(暫定税率廃止を主張していた民主党を擁護するような)下手な発言は、政府・与党を窮地に陥らせかねない」ので控え、

  その一方で、いまや暫定税率廃止から一般財源化に焦点を移した民主党に対し、「本来ならば猛反発してもよさそうだが、特定財源死守を言い立てると守旧派の烙印を押されるので派手に動かない」、と。

  そして安井編集委員はこう締めくくっている。

・・・「修正協議」をめぐる与野党の攻防は3月末に向かって激しくなるであろう。しかし、結局は特定道路財源は残され、その一方で、小額であるが一般財源化が実現する。痛み分けである。
   微妙なバランスの上で特定財源が残される以上、自動車工業会も法案を大事に成立させたいのだろう。
   しかし(その本音とは裏腹に)自動車工業会は「与野党案ともに不満」と言っている。そうであればもう少し踏み込んで発言したらどうか・・・

 政局風見鶏を決め込んだ自動車業界に対する経済ジャーナリストの厳しい批判である。

 

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2008年03月02日

外務省のかつての同僚たちに訴えたいー イスラエル非難声明を今すぐ世界に発信して欲しい

 外務省のかつての同僚たちに訴えたい - イスラエル非難声明をいますぐ世界に発信して欲しい


  このブログを読んでいる外務省のかつての同僚たちよ。これは君たちへの批判ではない。一人の元同僚の心の叫びである。

  連日繰り広げられてきたイスラエル政府のガザ弾圧は、ついに来るべきところまで来た。3月1日、ハマス戦闘員の殺害の巻き添えで数十人の犠牲者が出た。その多くが市民だ。朝食を用意していた母親や子供たちが一瞬にして吹き飛ばされた。

  その悲鳴が、舞い上がる土埃の中から私の耳に聞こえる。地中海の青さを切り裂いて伝わってくる。オリーブのかおりを含んだ風が血の匂いにかき消されていく。

  これほどまでの虐殺を知りながら、なぜ外交的行動を起こそうとしないのか。かつての外務省であれば直ちに暴力停止の非難声明を出したはずだ。それが何の意味ももたらさないと分かっていても、少なくとも外交的良心の声を上げた。

  今から数年前、私が職を賭して小泉首相の対米従属政策を批判したのは、まさにパレスチナ政策に対するこの米国・イスラエルの非道を目の当たりにしたからだ。

 パレスチナ人の窮状に目をつむりながら、さらなる犠牲をイラクにもたらそうとした米国・イスラエルの暴挙を許すことはできなかったからだ。

 中東情勢を一顧だにせず、「ブッシュ大統領は正しい」と叫んだ小泉元首相を許すことが出来なかったからだ。

  それから数年たって、どれほどの人命がいたずらに失われていったか。どれほどの涙と悲鳴が繰り返されたか。私に悔いるところがあるとすれば、私のたった一人の反抗が、なんの意味もなかったことだ。

  これほどまでの悲惨な状況が繰り返されてきたというのに、それに耳をふさぎ、目を閉じたままで、どうして君たちは外交官にとどまっていられるのか。

  これは君たちに対する批判ではない。外務省を解雇された者の恨み節ではない。元同僚としての心の叫びである。一人の人間としての素直な問いかけである。

  もう一度君たちに聞きたい。「今声を上げずして、それでも外交官にとどまっている意味があるのか」、と。

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2008年03月01日

中国ギョーザ問題の混迷と日本外交の不在

  中国ギョーザ問題の混迷と日本外交の不在

  2月28日に中国公安局省が突然の内外記者会見を開き、中国混入説を一方的に否定した。いたずらに中国を敵視、嫌悪する連中でなくとも、この中国側の強硬な態度には不快感を持たざるを得ないだろう。私もその一人だ。1日の各紙社説もいっせいにこの事を取り上げている。

  しかし、中国の態度を非難したところで、この問題の解決には何の役にも立たない。なぜか。それはギョーザ問題をめぐる日中の対応そのものが、国益を賭けた壮絶な外交ゲームであるからだ。

  中国の傲慢な態度を非難するのもいい。しかしそれよりも重要な事は、この問題の解決に向けて主導権をとれなかった日本外交の不在こそ問題にされるべきなのだ。

  考えてみるがいい。この問題は、事件発生の時点で、極めて深刻な日中間の外交問題となることは明らかであった。

  日本側にとっては国民の食の安全という譲れない問題だ。その一方で日本の食材の多くが中国産に依存し、中国食品なしでは日本の食品業界が成り立たなくなっているという現実がある。中国からの食材をストップすればいいという話ではない。

  中国側には、国際的大国の地位を獲得しよう懸命になっている時に、食品衛生面において、ずさん、危険な国、と非難される事は、何があっても避けなければならない、という絶対的な事情がある。

  おまけに日中双方には過去の歴史に関する感情的な対立が常に潜在的にある。

  だからこの問題は、事件発生の時点において、双方の利害に配慮した両国最高首脳間における高度の外交的決着が不可欠であったのだ。またそうしなければならなかった。

  つまり、真相究明を追及するあまりお互いの非を責め合う袋小路に入る愚を避け、むしろ、食の安全を保障する日中協力を再確認し、今後両国政府間の協力で二度とこのような問題を起こさない事で一致した、という形で、迅速、かつ前向きで力強い終結を図る外交努力をすべきであったのだ。

  それは決してごまかしではない。日中双方の立場を傷つける事無く、さらにまた食の不安を取り除く未来志向の解決である。更なる日中経済協力を進める、まさに外交力による危機管理なのである。

  なぜそのような外交を福田首相に進言できなかったのか。外務官僚の対応から見えるのは、日中関係を悪化させてはいけないという単純で保身的な配慮であり、面倒な仕事は厚生労働省や警察庁などの縦割り行政に任せればいいという指導力のなさであり、自らは外務次官を中国に派遣して、よくやっている、というジェスチャー外交、アリバイ作り外交に終始した。それしか知恵が働かないのだ。

  象徴的なのは中国側の発表に対する日本側の反応である。吉村警視庁長官は、「看過できない正確でない部分がある」と頬を紅潮させながら反論し、泉国家公安委員長は、「中国側からの情報提供、分析結果の提供がないなかで、突然会見し、考え方を公にすることは問題解決にならない」と批判した。

 しかし、その同じ日に、福田首相は「非常に前向きですね。中国も原因をしっかりと調査し、その責任をはっきりさせたいという気持ちは十分にもっている」と、中国側の発表をむしろ評価している(29日毎日)。驚くべき政治力のなさだ。外務官僚の上にのっかかっただけの事なかれ発言だ。

  そういえば日中ガス田協議もそうである。この問題が官僚の間の協議などでは決して解決しない問題である事は明らかなのに、外務次官が飛んで行って会議を重ねている振りをする。中国側が譲歩する事はありえないのに、協議は進んでいるかのような印象をメディアに与える。すべてはアリバイづくりである。

  因みに藪中外務次官はアリバイづくりの名人である。かつて、アジア局長時代に拉致問題で訪朝した時、北朝鮮の代表と面談出来ない時があった。このまま手ぶらで帰っては非難されると思った彼は、すれ違いざまに北朝鮮の代表の腕をつかみ一言、二言、しゃべるというアリバイをつくった。これを称して面談してきたと吹聴した。そういう報道が当時流された。

  アリバイづくりに奔走する外交では日本の国益は守れない。国家をあげて国益に邁進する中国とは最初から勝負にならないのである。


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