井上康生がんばれ
井上康生がんばれ
愛燦燦という歌の詩の中に、「わずかばかりの運の悪さを恨んだりして、人は悲しいものですね・・・」というのがある。
私はこの言葉が好きだ。長い人生においては、いや短くてもいいのだが、どうしても思うように行かない時がある。そんなとき、人は神頼みになったり、不遜にも神を恨んだりする。自分のツキのなさをなげく。
私は井上康生がフランスで行われた柔道の世界選手権で破れ、北京五輪への道が絶望的になったという報道をつらい気持ちで読んだ。全盛期において、すべて一本勝ちで勝つことにこだわり、それを実現した井上康生がいた。
有頂天になるなよと思いながらも、私は井上康生のファンだった。その彼がアテネ五輪で金メダルを逸してから、坂道を転がるように負けるようになった。一時は復活の兆しを見せたのだが、長続きしなかった。
負けた井上を見るのはつらい。しかし私がもっと同情を感じるのは婚約者の女性に対してである。心ない週刊誌やスポーツ紙が彼女のツキの無さを殊更取り上げて、井上が負けだしたのはその女性とつきあいだしてからだというのだ。そして今回の敗北である。
運と女性について、私は小説家宮本輝が最近のテレビで話していた言葉を思い出す。羽振りのよかった彼の父親は、最後は破産状態で死んでいったという。その父親を回想する宮本は、母親を捨てて他の女性に走った時からおやじのツキが音をたてて落ちていったと思うと語っていた。
この言葉で思い出すのが某スポーツ選手の事だ。つきあっていた女優との話が明るみに出た時、彼はその女性をかばうことなく噂を否定した。その女性はそれを見て彼から去っていった。男女間の事を第三者がとやかく言う道理は無い。それを承知で敢て書けば、彼には、できれば胸を張ってつきあいを認め婚約発表をしてもらいたかった。そうしていたら彼は男を上げたに違いない。私は当時そう思ったものだ。そのスポーツ選手はその後めっきり活躍しなくなった。
ツキのない女性と一緒になるからツキが落ちるのではない。女性を粗末に扱うからツキが落ちるのだ。井上康生、がんばれ。今お前がなすべきことは、自分で選んだその女性を悲しませない事だ。もう一度頑張る事だ。それでもうまく行かなければ新たな第二の人生を見つければいいだけの話だ。私は本当に井上康生に頑張ってもらいたいと思っている。