誰も言わない事を言う勇気
誰も言わない事を言う勇気
面白い記事を見つけた。2月4日の朝日新聞「私の視点」で民・民の天下りを廃止せよ、と主張している人がいた。神鋼電機会長の佐伯弘文という経営者である。
面白いのはその当人が8年前に親会社神戸製鋼の役員から子会社の神鋼電機に天下った人であるということだ。その当人が民・民の天下りはやめろと言っているのである。「お前に言われたくない」という声が聞こえてきそうだ。そんな批判を承知の上で佐伯氏は言っているに違いない。
その論旨は明快である。官から民への天下りの弊害は十分に言われてきたが、親会社から子会社への「民から民への天下り」の是非についてはまともな議論を聞いた事がない。しかし、ほとんどの民間企業で共通するこの天下りも、大きな弊害があると、次のように言うのだ。
「・・・ (子会社に天下りする)当人は行く先の業界も現場も殆ど知らない。適切なリーダーシップなど取れるわけがない。子会社の従業員もトップや幹部は親会社から来る者と思い込みやる気を失っている。天下った当人に意欲があっても人事の都合で次が来る。天下り組は「老後の安住の場」と考えがちだ。そんな経営陣の言動が社員の情熱や愛社精神を失わせる・・・欧米諸国ではこうした天下りはあまり見かけない。株主はじめ利害関係者の目が厳しく、安直な人事は認められないからだという。残念ながら日本の株主総会で、天下り人事が議論されたという話は聞いた事がない。日本の企業社会は甘すぎるのである・・・自分の代で天下りは終えようと決め親会社と交渉した。改革も徹底した。幹部を内部から登用した。人は育てるものだ。彼らの目つきが変わったのを感じる・・・親子を対等の立場におき、子会社が真にやる気を起こす風土をつくること。日本中の子会社が活性化すれば日本経済が強くなるに違いない・・・」
私は官から民への天下りほど、民・民天下りを悪く言うつもりはない。官僚の天下りのように税金の浪費や官業癒着の弊害はないからだ。民間企業の人事は民間企業の収益の範囲で自己責任で行われるものであるからだ。
佐伯氏の「民・民天下り廃止」の提言に関して私が付け加えるとすれば、人間はある年齢に達したら現役を退いて若者に活躍の機会を譲るべきだという事である。
どのように能力のある人であっても余人をもって代えがたい人はまれである。いや、人はたとえ能力があっても、一定の年齢になったら後進に道を譲らねばならない。若者を育てる意識を持たなくてはいけない。すべての肩書きを捨て、過去の権力を捨て、自分に正直になって、今までの人生でできなかった言動を自由に行う、公共善の実現に貢献する、そういう時期を人生の最後には持たなくてはいけないのではないか。若者を生かす人間が多いか、少ないかで、国の将来が決まると私は思っている。
再び佐伯氏に戻ろう。私は佐伯氏とはもちろん一面識もない。彼の人となりも何も知らない。しかし彼は人の言わないことを言う人に違いない。それは日本の社会では勇気のいる事だ。その一点で私は佐伯氏を評価する。