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2008年02月29日

   おしらせ


  おしらせ


   「灰色のベンチ」のKENさんに頼まれて毎週一回、若者たちへの私からのメッセージを書く事になりました。
   何を書いてもいい、いつやめてもいい、という条件で2月22日より書き始めました。そこには、このブログでは決して明かす事のない私の本心を、これからの人生を歩もうとしている若者を対象に吐露しています。
   興味があれば「灰色のベンチ」の新しいサイト http://www.harinw.com/
をのぞいて見てください。他にも白川さんとかきくちゆみさんなどが交代で書いています。

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2008年02月29日

もうひとつの増税

  もうひとつの増税

  民主主義の下において、国家と国民の公正な関係をうらなう試金石は色々あるが、その中でも、「個人の基本的人権が公正に保障されているか」ということと、「個人の財産が国家に不当に奪われていないか」ということは、極めて重要であると私は思っている。

  その観点から今日の日本の状況をみると、この二つが見事に蹂躙されている事がわかる。

  基本的人権の蹂躙については、警察・検察・司法が一体となって、ものの見事に権力側につき、「法の支配」が毀損されている。

  大きい問題としては安全保障政策に関する問題がある。古くは日米安保条約からはじまって、新しいところではイラクへの自衛隊派遣訴訟に至るまで、裁判所は違憲判断を避け続けてきた。

  最近の大きな問題として、沖縄返還の際の日米密約を訴えた西山太吉訴訟がある。密約の事実が、米国公文書の公開や、外務省元担当局長の証言で、動かしがたいほど明らかになっても、裁判所は、こんどは「有効な訴訟期間が過ぎている」という理由を持ち出して、判断を拒否した。

  小さい問題ならば枚挙にいとまがない。一個人に対する数々の冤罪事件はいうまでもないが、たとえば贈収賄における判決の不公正さ(被告人の政治力の違いによる判決の軽重が加減される)、権力犯罪に対する甘さ(正義を実現するはずの警察、検察の裏金について、決して組織犯罪を認めない)、など、うんざりするほどの不当、不正義がまかりとおっている。

  ここではもう一方の巨悪、国民の財産に対する国家の収奪について一例をあげて批判したい。

  小さな記事であったが、2月29日の新聞各紙に、見逃すことの出来ない記事があった。

  農水省がスーパーなど小売業界29社と関連業界46団体に、4月から30%値上げする輸入小麦価格の政府売りわたし価格を、小売価格に転嫁しろと、異例の文書を出していたというのである。

  農水省の白須敏明次官は、28日の記者会見で、「値上げ要請ではない」と弁明したという。しかしその一方で「企業がつぶれる。流通の各段階で適正な価格転嫁が再生産につながる」と、小売価格への転嫁を認めたという(29日、読売)。

  これは消費税増税と事実上同じである。財務省は増税権を持つ。農水省は行政指導という名の権力で事実上の増税を行政指導する。しわ寄せは消費者である一般市民だ。

  同じ29日の各紙に、「国際連帯税創設を求める議員連盟」なるものが28日発足したという記事があった。洞爺湖サミットにあわせ、発展途上国の貧困・疾病対策にあてるためという。

  何のための一兆円のODAなのか。何のための一般予算なのか。予算の適正配分を厳しく見直してすべては解決しなければならないのに、そして本気になればそれができるはずなのに、美名の下に軽々しく新たな税金をつくりだそうとする政治家たち。その中にはなんと共産党の議員まで参加している。

 政府も政治家も、最後は国民から金を巻き上げて自分たちの仕事をつくっている。そこには国民の財産を守るという、ほとばしる使命感のかけらもない。

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2008年02月28日

誰のための国家権力か

  誰のための国家権力か

  日教組に会場を貸す事を断ったグランドプリンスホテル高輪が、26日記者会見をした。開催していたら約1万人の宿泊客や約2万5000人の近隣住民に迷惑をかけた、また、付近の幹線道路でも渋滞が起きた、として、判断の正しさをあらためて強調したという(27日読売新聞)。
 
  おかしくはないか。そこには、迷惑をかけようとした右翼の行動に対する言及はまったくない。

  そう思っていたら、28日の朝日新聞の社説を読んでもっと驚いた。右翼幹部がこう言っていたというのだ。

  「日教組に会場を貸すことはけしからんと知らしめることが一つの目的。我々が迷惑だというので貸す事を断念したと(したら、それはそれで)結果が出た」、と。

  驚くべき発言だ。こんな発言を放置しておいていいのだろうか。

  朝日の社説は書いている。「ホテル側の対応は右翼団体の思うつぼだったのだ。街宣車で騒音を撒きまきちらし、威圧的に走り回れば、集会を潰せるという悪い前例を残してしまった」と。

  そこまではいい。しかしその後でホテル側につぎのように注文をつけている。

  「世の中の理不尽な行為に対しては、警察の協力を得て立ち向かう。日本を代表するホテルの一つであればこそ、右翼のそうした横暴に立ち向かって欲しい。少しばかりの勇気を出していたなら、広く社会の共感を呼び、応援する市民や組織も出てくるだろう。それは健全な市民社会に勇気を与えることにもなるはずだ」、と。

  これはおかしい。我々市民や私企業は右翼が怖い。朝日の記者さえも襲われる事件があった。ましてや一般市民は抵抗は出来ない。手が出せないばかりか、口もだせない。そんな市民、私企業に、朝日が本気で勇気を持てと言っているのだとしたら、おかしい。

  公序良俗を守るのは政府の最低限の義務だ。市民の安全を守るのは、警察、検察、司法を握っている強大な国家権力なのだ。朝日が言うべきは国家権力には何をしているのか、ということだ。

  この種の事件を見るたびにいつも思う。国家権力は本気で右翼を取り締まらないのではないか。そうだとすれば大問題だ。

  ひょっとして警察さえも右翼が怖くて手が出せないのだろうか。そうであればもっと大問題だ。


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2008年02月28日

 対米追従外交ですらない日本の中東外交

  対米追従外交ですらない日本の中東外交

  大方の日本国民にとって、中東は遠くてなじみが薄い。ましてや中東問題についての知識や関心はない。
 メディアも識者も、中東を正しく理解している者は少ない。中東問題の本質を言ったり、書いたりすれば、まともな職にありつけない。

 そのような現実をいいことに、外務省のでたらめな中東外交がまかりとおっている。何も知らない政治家が、外務官僚のでっちあげた偽者の中東外交につき従い、踊らされている。

 28日の各紙は来日中のオルメルト・イスラエル首相と福田首相の首脳会談を一斉に報じている。イスラエル首相の訪日は11年ぶりであるという。イスラエルのパレスチナ政策がここまで非道、違法となっている時に、11年ぶりに首相を招く理由がどこにあるというのか。

 中東和平の進展に向けて日・イスラエル間で異例の共同声明を出したという。パレスチナ国家の存在を認めず、パレスチナを本気でおしつぶそうとしているイスラエルと共同声明を発する事が、どうして中東和平の進展につながるというのか。

 共同声明の目玉は「平和と繁栄の回廊」に資金協力することだという。日、ヨルダン、イスラエル、パレスチナ自治政府の4者協力によるヨルダン渓谷開発プロジェクトだという。

 抑圧者イスラエルと非抑圧者パレスチナの間に、どうして真の協力などができるというのか。外務官僚が無理につくりあげたでっち上げだ。そのようなでっち上げのプロジェクトに「平和」の名を冠する事は、平和への冒涜であろう。

 小泉元首相の5年半で日本の対米追従外交は行き着くところまで行った。それにともなってわが国の中東政策もかつてないほどイスラエル支持に偏向してしまった。かつての中東外交では考えられなかった事だ。

  いや、その米国は、ブッシュ大統領の退場とともに変わろうとしている。中東情勢は変わろうとしている。米国の中東政策も変わるだろう。そのような国際情勢の大局を読めない日本の中東外交は、もはや対米追従外交ですらない。

  日本中が中東問題に関心がないからといって、このような無策な外交を許してはいけない。それを指摘するメディアが皆無であることを残念に思う。

 
 

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2008年02月27日

 内部告発をする覚悟

  内部告発をする覚悟

  朝日新聞が、25日から27日にかけて、ミートホープの食品偽装を告発した元常務の赤羽喜六さん(72)の、告発までの心の葛藤とその後の人生の厳しさを、三回連続のシリーズ「内部告発」という形で取り上げていた。

 私はこれを深いため息をもって何度も何度も繰り返して読んだ。「会社はつぶれ、かつての仲間は職を失った」、「お前は会社に弓を引いた」、「自分だって途中まで見ない振りをしたじゃないか」、「恥だ、縁を切る」、「正義とはなんだろう」、「いいんじゃない、お父さんは間違っていないんだもの」

 壮絶な心の葛藤だ。いばらに満ちたその後の人生だ。72歳にもなってこんなに厳しい人生が待っていようとは。

  しかし私は赤羽さんに同情はしない。告発とはそういうものなのだ。すべての告発者は覚悟して告発しなければならない。告発とはそれほど重い行動なのである。割の合わない行為なのだ。

 同時に私は赤羽さんを心から尊敬する。手を握り、抱きしめたいと思う。赤羽さんの告発がなければ、ミートホープの腐った肉が、血や内臓で偽装されたひき肉が、今でもそのまま消費者の口に入っていたに違いない。赤羽さんは正しい事をした。その告発が消費者を助けたのだ。

 27日の朝日新聞の「人」欄に、松原泰道(100)という禅僧の言葉があった。130冊もの本を書き続け、生や死を説いているという。

 その禅僧がこう言っていた。一世紀もの間日本を見てきて、今必要なものは何かという記者の質問に、こう答えているのだ。

 「・・・謙虚さでしょうね。現代人はおそれを知らない。最近は、おてんとうさまより内部告発がこわいのですから」

  松原禅僧がこの言葉で何を意味しているか私には必ずしもわからない。しかし私は、告発者は現代の「おてんとうさま」である、と解釈したいと思う。

  説教することは誰にでもできる。後から様々な講釈を垂れる事はだれでも出来る。しかし損を覚悟で、誰もが口をぬぐっている事を言い出すことは、決して誰にでもできる事ではない。

  だからと言って私は世の中の普通の人々に告発を推奨はしない。やはり尋常ではないからだ。犠牲が大きすぎるからだ。しかし、悪いと知っていながら沈黙を守る普通の人々たちは、告発者を称えるべきだ。間違っても批判してはいけない。

  告発者は、我々誰もが持っている良心を、我々に代わって代弁する人だ。内なる我々なのだ。

  責められるべきは、あたりまえのように不作為と保身を繰り返す政府、官僚である。捨て身で行った告発を生かす事なく見過ごし、おまけに、「余計な事をしやがって」と告発者に制裁を加える彼らこそ、おてんとうさまに詫びなければならないのだ。

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2008年02月26日

とにかく政権を交代させるしかない

とにかく政権を交代させるしかない

 26日の各紙は、2007年末の国の借金残高が過去最大の838兆円になったという財務省の発表を、一斉に報じている。国民一人あたり換算で656万円の借金であるという。年を追って膨らむ一方であるという。なんど同じような報道が繰り返されてきたか。

 政府は本気で借金を減らそうとしていないに違いない。誰かがナントカしてくれると先送りしているのだろう。パンクすればその時の責任者が考えればよい、とあきらめているのだろう。

 もし本気で減らそうとして出来ないのであれば、もっと深刻だ。これまでの政治家、官僚の知恵では解決できないということだ。

 とにかく政権を交代させるしかない。政治を根底から変えるしかない。

 岩国市の福田良彦市長が、25日、米空母艦載機部隊の受け入れを固めたという。28日開催の定例市議会で表明するという。近く上京して国側に伝えると言う。

 これを受けて国は凍結していた35億円を支給するという。おまけに、あらたに米軍再編交付金を支払うという。

 態度を曖昧にしておきながら、選挙が終わったらわずか2週間ほどで受け入れを明言する福田市長。あまりにも不誠実ではないか。待ってましたとばかり補助金、交付金を岩国市に注ぎ込む。これは税金の恣意的濫用ではないのか。明白な憲法違反ではないのか。自民党市長と自民党政府の八百長ではないのか。

 とにかく政権を交代させるしかない。政治を根底から変えるしかない。


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2008年02月26日

  映画に出てくるせりふに真実を見つける


  映画に出てくるせりふに歴史の真実を見つける

  

  26日の毎日新聞「発信箱」で、玉木研二という論説室記者が書いていた映画の中のせりふに感動した。教えてもらった。

  米映画「ゴッドファーザーPART2」の中で、アル・パチーノ扮するマフィアの首領がこうつぶやいたと言うのだ。

  「政府軍兵士は金で雇われているのに、反乱軍は無償で戦っている。彼らが勝つんじゃないか」

  舞台は1958年のキューバ。陽光降り注ぐホテル屋上で、バティスタ独裁政権と、その独裁政権に癒着した米国マフィアたちが、カジノ、売春、麻薬で得た巨大な利権の山分け話をしている。

  カストロ率いる革命軍は既に首都ハバナに迫っているが、政府もマフィアも、「蹴散らせる」、と相手にしない。そんな中で上記のアル・パチーノの言葉が出てくるのだ。

  一人アル・パチーノだけが見抜いていた。「報いを求めぬ者」の献身の戦意の高さを。

  果たして59年元旦、バティスタは大統領の座を放り出し、蜜に群がるように集まったマフィアも政治家も、身一つで米国へ飛び帰る。

  私は、カストロやゲバラの革命劇に魅了される純粋さを持った若者ではなかった。革命を起こそうとする勇気も覚悟もない。しかし、たとえ作り話でも、この映画のでてくるせりふに魅せられる。歴史の真実を見る。

  

  

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2008年02月25日

 基本所得が保障される社会

  基本所得が保障される社会

  2月17日の毎日新聞の書評欄で「ベーシック・インカムー基本所得のある社会へー」(ゲッツ・W・ヴェルナー 現代書館)という本が紹介されていた。すべての個人にミニマムの所得を保障する社会の実現を訴える書であるという。

  書評を書いている中村達也氏は言う。こういう主張は、決して主流的な位置を占めることはなかった。新約聖書の中のパウロの言葉である「働かざる者、食うべからず」という労働倫理が、あまねく世の中に定着しているからである、と。

  しかし、同時に中村氏は言う。実はこうした基本所得を社会が保障すべきという考え方は、すでに18世紀末以来、様々に形を変えながら、ヨーロッパではあたかも持続低音の如く語り継がれて来たと。

  著者のヴェルナーはこう主張しているという。「所得を得るために不本意な雇用関係の中に身を置くのではなく、基本所得によってミニマムの所得が保障されれば、自らの意思によって自由に仕事を選択できるし、ボランテア活動など雇用以外で自らの役割を見出すこともできる」と。

  実はこの考え方こそ、私が漠然と考えてきた理想的な社会の実現を可能にする考えだと思う。それは共産主義的な理想社会ではない。自由主義の社会で、なおかつ最低生活を皆に保障する社会である。

  著者のヴェルナーは、ヨーロッパ全土でドラッグストア・チェーン「デーエム」を創業し、近年カールスルーエ工科大学教授に就任した異色の経歴の持ち主であるという。

  私が注目したのはここだ。著者のヴェルナーが成功した経営者であるという点だ。利潤を追求して、競争に勝ち抜いた企業成功者が、すべての個人に最低限の所得を社会が保障する事を訴える、そういう社会が理想だと言っているのだ。

  すべての個人に国が無条件で基本所得を保障する社会となれば人は怠惰に堕す、不労者による勤労者の逆搾取になる、そもそもその財源を国はどう手当てするのか、などと、議論は尽きないであろう。

  私には答えはない。これ以上うまく表現できない。しかし福祉国家の究極の本質はここにあるのではないか。

  世の中には成功者を目指して競争社会を勝ち抜こうとする者がいる。努力や運で巨万の富を手にする者がいる。それらを批判するのではなく、そうでない者、富や立身出世を望まなくてよい、そのかわり自由で人間的な生活ができればいい、そういう者たちの生き方をも等しく認める。そういう人が臆することなく生きていける社会、私はそれが理想だと思う。

  そのためには強者や成功者が、その富を還元し、本気になって福祉社会の実現のために協力する。国家や世論に強制される事なく、自発的にそれを行う人が増えていく、そういう社会が理想ではないかと、漠然と考えている。

 

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2008年02月25日

年金制度はなくしたほうがいいと何故誰も言いださないのか

 年金制度はなくしたほうがいいと何故誰も言いださないのか


 見ているがいい。もうすぐ年金を全額消費税で負担しようという議論が大手を振ってくる。年金制度を維持するためには税負担しかないからだ。あらたな税負担を行うには消費税引き上げが一番手っ取り早いからだ。おそらく早晩そういう方向に行き着くに違いない。

 年金制度を維持するのに保険方式か税方式かという議論が繰り返されている。しかしそもそも公的年金制度そのものが必要なのか。

 医療保険や最低生活を保障する生活保障制度などの制度は必要である。百歩譲って、今まで行った返金積み立て分を返還するという意味での既得権者に対する年金給付は継続されなければならない。

 しかし成人になった者に対し、年金支払いの保障もないままに年金を徴収する、そういう年金制度は直ちに廃止すべきではないか。少なくとも国民が納得するあらたな年金制度ができるまで保険料の徴収は凍結すべきではないか。なぜこの事を、世の中の有識者は誰も言い出さないのか。

 25日の毎日新聞が一面トップで若者の次のような言葉を掲載していた。

 時給2500円で月収27万円ほど、家賃7万4000円。札幌で育ち、高卒後に上京した23歳の銀座のホステス嬢。慣れない都会生活。将来の事も考える。20歳の時に生命保険に入り、災害保険にも加入した。月々計7200円の負担。だが、国民年金には入っていない。その彼女が言う

  ・・・月に1万4100円も国民保険料を取られるのはきつい。それよりも年金制度が将来もあると思えない。もらえる額は減るし、私たちの頃はもらえる時期は70歳ぐらいになると思う。不特定多数のお年寄りの為に保険料を払う気にはなれない・・・

  当然の反応だ。すべての若者がそう思っているに違いない。私が若者であってもそう思う。その毎日新聞の記事では現在国民年金の保険料未納率は20歳代で45%にのぼるという。

  私は不勉強で正確な知識がないのであるが、この未納は税金と同様に違法行為になっているのだろうか。そうだとすれば20代の若者の45%は犯罪者ということなのか。それとも年金の受け取りを拒否すれば払わなくていいのだろうか。もしそうであれば今の日本の年金制度の下では誰も払わなくなるだろう。

  国民年金制度は廃止されるべきではないか。その積立金は国に収めるのではなく個人が好きなように積み立てて、あるいは民間保険会社に納めて、老後資金にしたほうがよほどわかりやすく公正ではないのか。少なくとも官僚が横領したり無駄遣いする事を防げる。

  公的年金制度がなくならない本当の理由は、官僚たちの仕事や権力や利権がなくなるからに違いない。

 


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2008年02月24日

  若者よ、その怒りを国家権力の横暴に向かわせよ

  若者よ、その怒りを国家権力の横暴に向かわせよ

  護憲や平和の集会に出かけていつも感じさせられる事がある。昨日参加した集まりもそうであった。それはこの種の集まりに熱心な人たちは戦争体験をした人たちが多いことだ。

  そして、そのような集まりで決まって語られることは、やがて戦争体験者が亡くなり、この国に戦争を知っている人がいなくなった時、日本の護憲運動はなくなってしまうのではないかという危惧である。

  私もその危惧を共有する。しかし同時に、私には決してそうならない、という思いもある。

  人間の行動に影響を与えるのは原体験である。しかし想像力によって生まれる言動が、原体験の言動を凌駕する事もある。それが人間のみが持つ素晴らしさではないのか。人間の証ではないか。

  その私の思いを裏付けてくれる記事を見つけた。24日の毎日新聞「発信箱」で、広岩近広専門編集委員が書いていた。広島で最近開かれた「詩と平和」の集い参加した時に聞いた、ある詩人の言葉であるという。

 「ピカソがゲルニカを描いたとき、彼はゲルニカに住んでいたわけではない」

 ゲルニカとはスペイン内戦で空爆を受けた町の名前だ。ピカソのゲルニカとは、その惨状を描いた代表作の一つだ。

  素晴らしい言葉である。ながく心にとどめておきたい言葉である。そうなのだ。想像力こそ人間の特権である。人間のみが持つ素晴らしい財産である。それは無限だ。それが人間を突き動かす力は原体験よりもはるかに大きいに違いない。

 問題は、今の日本の状況が、そしてそれを作り出した日本の政治が、個人の想像力を奪ってしまうほどに国民を苦しめている事だ。未来の日本を背負うべき若者の可能性を押しつぶしていることだ。

 日々の生活に押しつぶされようとしている若者の現実は悲惨である。それはフリーターや非正規労働者に限らない。正社員の若者もまた、それ以上に連日深夜まで働かされている。命を削って働かされている。眠りから覚めれば労働であり、労働が終われば眠るだけの生活を送っている。楽しいはずの休日が、翌日の労働を考えると憂鬱になる休日になりさがっている。

 このような若者から想像力を働かせよと言っても無理だ。平和の大切さを訴えても無理だ。

かつてこの国の首相は、選挙の時には国民は寝てくれていたほうがいい、と放言した。今の指導者は、国民は政府に抵抗する気力がなくなるほど弱まったほうがいい、と考えているに違いない。人間から人間性を奪っているに違いない。

 出口の見えない現状を打破するためには戦争でも起きればいい、と公言する若者が出てきた。勘違いをしてはいけない。国家権力の片棒を担いではいけない。国家権力を擁護するマスコミにおだてられ、踊らされて舞い上がっている時ではない。

 若者はその怒りを正しく政治に向かわせるべきだ。怒りの一票で政治を左右する存在になるべきだ。破壊すべきは今の日本ではない。日本国民ではない。今の政治なのである。

 その事に気づかなくてはならない。その一点で政治的に結束しなければならない。既存のイデオロギーや政党を全否定するあらたな政治力を作り出さなければならない。若者にその重要性を気づかせるため私はブログを書き続けている。

 

 

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2008年02月24日

   もう一つのテロが米国の手で生まれようとしている

   もう一つのテロが米国の手によって生まれようとしている
 
   21日の夜にトルコ軍がイラク北部に侵攻し、クルド人武装組織と地上戦を開始したという報道が流れた。トルコ軍の発表ではクルド人戦闘士44名が死亡、トルコ軍兵士も5名死亡したという。

   現地報道では投入されたトルコ兵士は約1万人であったという。昨年10月に始まったトルコ軍のイラク越境軍事作戦は、おさまるどころか拡大の一途である。ついに、米国のイラク攻撃当初に想定された最悪のシナリオが現実になったということだ。

   重要な事は、このようなトルコ軍のイラク北部攻撃は米国の承認なしにはありえないということだ。イスラエルの安全保障を確保するためには、北方のトルコと南方のエジプトを親米・イスラエルにとどめておかなければならない。そのためにはイラク主権の蹂躙は二の次である。

   イラクのマリキ大統領もゼバリ外相もこれを非難している。主権国家イラクの大統領、外相としては当然の非難だ。しかし米国は「トルコの自衛権行使を支持する」と、これを容認している。かつてサダムフセインのイラクがクウェートに侵攻した時、直ちに軍事制裁を加えて撤退させたのと好対照だ。見事な米国のダブルスタンダードである。

   24日の日経新聞は、カイロ発の記事として、攻撃を受けたイラク北部のクルド武装組織が、「トルコ軍が撤退しなければトルコの都市でテロ攻撃をすると警告したと報じている。もう一つのテロが米国の手によってうまれようとしている。米国ではイラクを安定させることはできない。

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2008年02月24日

  オバマ大統領の誕生する米国を想像する

  オバマ大統領の誕生する米国を想像する

  オバマ上院議員が民主党の大統領候補になるかどうか、まだわからない。たとえ民主党候補になっても、米国大統領になるかどうかわからない。オバマ上院議員が米国大統領になっても、米国が変わるどうか、わからない。オバマ上院議員の政治家としての評価についても、私には判断出来ない。

  しかし、それでも一つだけ断言できることがある。それは、オバマ米国大統領候補は「可能性を見いだす存在である」ということだ。

  24日の毎日新聞に、マーチン・ルーサー・キング牧師の右腕であったビンセント・ハーディングさん(76)という人の次の言葉が載っていた。それを読んでそう確信した。

  そういえば米国史上に残る公民権運動の指導者キング牧師が暗殺されたのは40年の4月だった。民主主義の指導国家である米国に公民権が認められたのは、わずか40年ほど前でしかなかったことを、あらためて思い出させてくれた。

   ・・・キング牧師の時代には生まれていなかった若者が支持している。「弱者の痛みに注意を払わない傲慢な者が権力中枢を占めることには反対」と考える人も(今のアメリカには)多い。オバマ氏はそうした層のシンボル的存在だ。オバマ氏は新しい米国の創造者なのだ・・・(自分も含めて)少し前までは、誰もオバマ氏がこれほど有力候補になるとは考えていなかった。彼の躍進を見るにつけ、米国社会に大きな変化が起きていると実感する。あらゆる人々に「可能性」が生まれる社会になったということなのだろう。オバマ氏を支持する人々は、彼の中に自分たちの可能性を見出している・・・
   ・・・歴史を見ればこの国(アメリカ)の過去が暴力の連続であったことがわかる。オバマ氏にも(暗殺などの)危険はある。しかし、彼ら夫婦は闘っていく決意をした。(註 オバマ氏が暗殺されれば直ちにオバマ夫人が立候補宣言をすると言われている。その場合はオバマ氏よりもっと強力な大統領候補となると言われている)。
   オバマ氏を支持する人々は、危険を心配するより、一緒に前進していくことを決意したのだ。


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2008年02月23日

道路特定財源をめぐる議論はこれで決まりだ

 道路特定財源をめぐる議論はこれで決まりだ

 道路特定財源をめぐる議論の迷走が続く。なぜか。それは各人が自分の都合のいいところだけを強調して論じているからだ。議論がかみ合わないのは当たり前だ。

  この議論には、「これ以上国民に税負担をかけずに解決の方策を見つける」、という大前提がそもそもないからである。族議員、官僚、業者の三者によって税金が乱用されてきた、その弊害をなくす事が先決である、という大前提がないからである。

  数ある議論の中で私がこれで決まりだと思う意見が23日の朝日新聞にのっていた。片山義博前鳥取知事の意見である。

  人の評価というものは万人が一致する事には決してならない。しかし私はマスコミに頻出する全国の知事経験者の中で、唯一評価できるのはこの片山氏くらいだと思っている。道路特定財源をめぐる議論については特にそうである。

  彼は言う。

   ・・・特定財源は、自治体が流用するおそれがある時には有効だが、国も自治体も「道路が重要だ」と言っているのだから使い道を縛る意味はない。(特定財源は)実は国民(住民)を縛っている。国民(住民)が他に(例えば教育に)使ってくれと言えない仕組みをつくっている・・・道路予算の1千万円は端数だが、学校現場では大変な金額だ・・・(知事時代の体験から言うと)なんでこんな所に、という道路が随分あった。国は早く、たくさん造れと、と言うが、町中は立ち退きが必要で早く造れない。山奥など人の住んでいない場所に造る方がやりやすい・・・必要な道路整備は思うように予算が増えなかったが、一方で農水省からは、農道整備で補助金を使うよう働きかけがあった。必要な高速道路の予算は増やせないと言いながら、不要な農道を造れと金を押し付けてくるとは、政府は一体どうなっているのか。そんな(片山氏の)批判を知った農水省幹部から、「県とのお付き合いを考えさせてもらわなければならない」と告げられた。そんな国の姿勢が、自治体に恐怖感を与えている・・・

  これが道路建設の実態なのだ。岩国市長選挙とまったく同じ構図だ。国の都合に逆らうと補助金をもらえないのだ。そのまんま東は国を相手に闘うべきなのだ。

  その片山氏の意見でも、賛成できないものもある。彼は、一般財源化という点では民主党の方が正しいとしながらも、税率は下げるが地方道路を造れるようにするのはまやかしだ、税率を下げるなら財源を示せ、それが出来なければ道路整備もペースダウンする、という。

  ここが問題の核心である。真に必要な道路であれば、たとえば防衛予算を削って捻出できるはずである。政治家や官僚の数を減らして人件費を節約すれば出来るはずである。政策の優先順位を国民の目の前で明らかにして決めていく、もはやそこまでしなければ日本の経済は成り立たないところまで来ているのだ。

  税負担をこれ以上増やす事なく、優先順位を決めていく。そんな当たり前の事をやってこなかった大蔵省主計局と族議員が独占してきた予算編成が、膨大な債務超過を招いたのではないか。けだし道路特定財源問題は戦後日本の政治問題の核心部分に触れる問題なのである。

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2008年02月23日

  中国から提案された日中米三カ国定期対話のウラを読む

 中国から提案された日中米定期対話のウラを読む

  23日の日経新聞は、「中国政府が日本、米国との三カ国の定期対話の新設を日米両政府に打診した事が22日明らかになった」、と報じている。これは注目すべき記事である。

  これに対し、その日経新聞の記事は、「中国の意図は、日米同盟の強化にくさびを打つ思惑もあるとみられる」などと水をかけるコメントをしている。世界情勢の流れに気づいていない皮相的なコメントだ。

  これからのアジア情勢は、これまでのように日米対中国という対立軸だけでとらえるのではなく、日米中の三者の話し合いで決められていく時代になる。そう最初に言い出したのは、実は米国であった。

  すなわち、今から一年ほど前の07年2月18日、超党派の米国シンクタンクである米国際戦略問題研究所は、「日米同盟―2020年のアジア地域を正しい方向に導く為に」という報告書を発表した。いわゆるアーミテージレポートパート2である。

  当時この報告書の重要性を指摘した報道は殆どなかった。しかも当時の解説の多くは、従来の日米同盟の重要性を確認したもので目新しいものはない、などというものばかりであった。

  ところがこの報告書には日米安保体制の根幹を揺るがす重要な指摘がなされていたのだ。すなわち、これからのアジア情勢は、単に日米対中国という対立軸だけで捉えるのではなく、日米中三カ国の話し合いによって、ケースバイケースで決められていくことになる、という明言があった。

  これは、言い換えれば、米国の立場はいつも日本と同じとは限らない。場合によっては日本よりも中国と利害が一致する事もある、と言っているのだ。米国が中国をステークホールダー(利害が一致する可能性のある国)と呼ぶゆえんである。

  これは極端に言えば日米安保体制の米国側から出た廃棄宣言である。そしてその事は日本外交にとっても好ましい事なのである。日本から言い出せなくても米国がそう言い出したのである。これを奇禍として日本外交は本来の自主、自立、フリーハンド外交を目指すべきなのである。

  そう考えると、実は日中米三カ国定期対話は日本にとっても好ましいのである。いや、積極的にこれを活用すべきなのである。

  日中米三カ国定期協議は直ちには動き出さないかもしれない。

  いまでも内心では中国を蔑視し、敵視する日本は、中国がこのような提案をした事を「しゃらくさい」と思うことだろう。米国という恋人に捨てられた心境で寂しく思うだろう。

  日本を米国の隷従下に置き続けよう思っている米国は、あくまでも日本が最重要だと耳元で囁いて日本をだまし続けようとするだろう。日中間の離間作戦を忘れないであろう。

  米国との関係を優先する中国は日本よりも米国に方に顔を向けて事を進めようとするだろう。これが日本外交当局の神経を逆撫でするだろう。


  しかしそれらすべての外交的ゲームを捨てて、国益に沿った真の日本外交を始める時が、もはや待ったなしに来ている。それが真剣勝負の外交である。この事に気づいて外務官僚を動かしていく真の政治家が出てこなくてはいけない。それは政治家の仕事である。官僚の発想からは決して出てこない。

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2008年02月22日

組織防衛に値する組織なのか

   組織防衛に値する組織なのか

  連日報道されるイージス艦「あたご」の漁船衝突事故は、聞くに耐えない悲惨な事故である。しかしこの事故は、メディアが大騒ぎするだけでは済まない深刻な事故である。今の日本を象徴する事故である。

  深刻であるという意味は、もちろん圧倒的に弱い立場にある漁業従事者たちが、絶対的強者である国家の犠牲者となって切り捨てられようとしているからである。

  自衛隊という名の軍隊組織が、平和な日本の社会の中で、特権組織に位置づけられ、国民の日常生活と命をないがしろにしている、そういう日常性を、改めて我々に教えてくれたからである。

 しかしもっと深刻な問題は、国民を殺しておきながらその非を素直に認めない「組織防衛の論理」が、またもや大手を振ってまかり通り、問題解決を遅らせている事にある。

 政治が、みせかけの怒りや謝罪とは裏腹に、それを本気になって咎める事の出来ない、この国の「正義の喪失」がある。指導者たちの緊迫感の欠如がある。

 「あたご」事故の第一報を聞いたとき、私は瞬時に88年に起きた「なだしお」事故を思い出した。

 潜水艦「なだしお」が東京湾近海で大型釣り船第一富士丸を沈没させ、30名の死者を出した、あの事故である。当時私は、首相府で危機管理を担当する、内閣安全保障室の審議官であった。「なだしお事故」の対応の一部始終を内部で目撃してきた一人であった。

 今振り返って瞬時に思い起こす事が二つある。一つは民間の船舶が多く浮遊している東京湾をはじめとした日本近海に、巨大な鉄の塊である軍用艦が日常的に共存しているという事実である。この現実がなくならない限り、どんなに注意しても事故の可能性を100%なくす事は出来ない。

  二つ目は徹底した事故防止策の必要性である。軍と民の共存が不可避である以上、民の犠牲を最小限に抑える徹底した事故防止策を構築する本気さが必要であるということだ。

  その意識が政府内にないわけではない。しかし徹底していないのだ。国家権力にまもられた組織の甘えがあるのだ。

  そして、事故が起きれば真っ先に組織防衛を優先する不透明な政府、官僚の体質がある。

  これらの責任は末端の職員にあるのではない。幹部にあるのだ。指導者の責任なのだ。石破大臣は、事故を早急に解決し、その直後に辞任しなければならない。それを今の時点で国民の前に宣言しなければならない。防衛省職員の前で訓示しなければならない。

  今指導者に求められているのはそういった緊張感だ。与野党の政争ではない。野党の石破辞任要求の発言はまったく緊迫感が伝わってこない。

  週刊文春2月21日号は、6年前に公金を不正支出したとして背任容疑で懲戒免職になった加藤好美という一等陸尉(56)が、国を相手に懲戒処分の取り消しを求めて提訴しているという記事を掲載していた。

  この記事は組織防衛のために末端職員を切り捨てた防衛省幹部の罪を糾弾する記事である。背任容疑は不起訴に終わったにもかかわらず、防衛省は加藤氏を懲戒免職にした。組織犯罪を隠すためにトカゲの尻尾切りをしたのだ。

  私は公金を着服したことはない、悪いのは組織的にウラ金工作をしている防衛省だ、と実名を明かして実例の数々を上告理由書に書いた、「たった一人の反抗者」は、1月に最高裁に上告したという。

  これは大きな事件だ。大手新聞はまったく報道しないから我々は知らない。しかしこれは防衛省という組織の破綻を意味している。組織防衛の名の下に幹部の責任逃れが起こした破綻だ。

  破綻しているのは防衛省だけではない。昨今ニュースをにぎわしている国交省や厚労省、さらには外務省、財務省、警察、検察、すべて不正が行われて来た。それにもかかわらず、真の解明は、「組織防衛」の壁の前にウヤムヤにされて終わっている。与党政治家がそれをかくまってきた。

  「組織防衛」の名の下に、政府、官僚の反国民的犯罪を許してはいけない。そもそも国民生活にとって、今の官僚組織は防衛に値する組織なのか。その事を根本的に問いたださなければならない時に、戦後の日本はさしかかっているのだ。

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2008年02月21日

目にとまった二つの言葉

  目にとまった二つの言葉

 時には自分の意見をながながと書く事なく、気にかかった言葉だけを引用してみるのもいいだろう。このブログの読者はこの言葉をどういう思いで読む事だろうか。

 ・・・正直者が馬鹿を見たり、まじめに働く者が損をする現実は、経済という有機体の故障を物語っている・・・

 この言葉は、1947年に書かれた経済白書の一節であるという。2月16日付の読売新聞「キャッチボール」欄で、深沢淳一デスクが書いていた。

 深沢デスクは、「日本の官僚や政治家は国の将来を考えていない。社会正義の心を持たない経営者も増えている」という投書をもらい、私も感じるものがあったと述べたうえで、上記の言葉を引用し、「官僚や政治家に必要なのは(この白書を書いた)先人たちの真摯な姿勢だと思います、」と結んでいる。

 因みに白書の最後は、「・・・政府はこのような事実を率直に国民と分かち合い、国をあげての再建復興のための礎にしたい」、という言葉で締めくくられているという。

 ・・・密約は当時の政府全体の方針だった。西山さんが真実と名誉のため裁判を闘う姿勢は尊敬するが、国が隠そうとする姿勢にも道理がある。日米以外に日ソ、日韓も、外交交渉には表に出せないプロセスがたくさんあるからだ・・・

  これは、沖縄返還交渉時の密約の有無をめぐって、機密漏洩の罪に問われた西山太吉元毎日新聞記者が、その後米政府公文書の公開や関係者の証言によって密約の事実が確認されたとして、名誉回復と損害賠償を訴えて提訴した事件に関する言葉である。

 20日、東京高裁は、東京地裁と同様に、密約の存否に一切言及することなく、除斥期間(事件から20年以上たてば民事上の不法行為に対する請求権が失われる)を理由に提訴を棄却した。

 その事を報じる2月21日の毎日新聞の記事の中で述べられていた吉野文六元外務省アメリカ局長(当時の担当責任者)の言葉である。

 吉野氏は06年2月にメディアに対し密約を認める証言を行って世間に衝撃を与えた人物である。それから2年ほどたって、吉野氏はこのような政府擁護とも受けとられる発言をしている事を知って、私は失望させられた。彼の心中に何が起きたのだろうか。

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2008年02月20日

新聞記事の中から政治家、官僚の本音を見つける

   新聞記事の中から政治家、官僚の本音を見つける

 一般市民が政治家や官僚と直接接触して話を聞くことはまずできない。代わりにそれを行って報道するのがマスコミ人の仕事だ。その中でも大手新聞記者の役割は大きい。

 もっとも彼らとて政治家や官僚の本音を聞き出すことは容易ではない。夜討ち朝駆けを繰り返して迫り、酒を飲んで人間関係を気づきあげる努力を重ねる。

  書かないという前提でしゃべった本音を勝手に書けば恨まれる。信頼関係は崩れる。さりとて聞き出した興味ある話を全く書かないというのはもったいない。記者魂が許さない。そこで「自民党有力者は」とか、「某省のある幹部は」などといった匿名の言葉を借りて真実を伝えようとする。

 20日の毎日新聞「記者の目」もそうであった。高橋昌紀という社会部の記者が、改正建築基準法について書いていた。

  もっとも、その記事には、改正建築基準法は悪法ではない などというタイトルがつけられていた。冬柴国交相でさえも「悪法と言われる改正建築基準法」などと自嘲気味に話しているというのに。

  記事の内容も、そもそも姉葉事件の教訓から求められたのは法の厳格化であったはずである。住宅の安全が脅かされる事態に対応するための改正を、「厳しすぎる」と言えば元も子もない・・・などと、あたかも国交省を弁護するかの如き記事である。

  高橋記者は、国交省の不正を内部告発したイーホームズの藤田東吾社長の事をしっているのだろうか。上場直前の自らの会社を倒産に追い込み、目前の200億円の上場益を一瞬にして失う事と引き換えに真実を訴えた藤田社長が、渾身の力を振り絞って書いた「月に響く笛 耐震偽装」(IMAIRU)を読んだことがあるのだろうか。

  そんな高橋記者でさえ、改正建築基準法づくりを急いだ国交省の責任を認めざるを得なかった。高橋記者はその記事の最後の部分で次のような国交省住宅局の若手幹部の言葉を引用して締めくくっている。

  「・・・悪いのは建築基準法ではなく国交省だ。非難されるのは仕方がない。過ちは過ちとして受け入れ、役立てなければならない・・・」

  高橋記者は、本当はこの最後の国交省幹部の言葉を引用したくてこの記事を書いたのではないか。私はそう思いたいのである。

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