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2008年01月31日

 中国ギョーザ、ハンドボール、捕鯨問題ー今こそ外交の出番ではないのか

中国ギョーザ、ハンドボール、捕鯨問題―今こそ外交の出番ではないのか

  外交というものは、ただひたすらに日米同盟ばかりを追いかければ事足れりではない。ODAを気前よくばら撒けばいいというものではない。「中国との戦略的互恵関係を進める」、とか、「アジアからバルト海にまたがる自由と繁栄の弧を作る」となどと、空疎な言葉の遊びをしている暇はない。
  外交とは、国民生活の安全と豊かさを実現する国際活動であり、利害がせめぎ合う国際社会のジャングルの中で、日本という国の矜持を守り、世界に日本の主張を正しく発信する真剣な営みである。
  日本の外交力を問われる事件が相次いで起きている。中国から輸入された冷凍食品が日本人の生命を脅かす事件が起きた。政府は早急に原因を突き止めて国民に公表し、対策を講じなければならない。それは日本一国では出来ない。中国政府に働きかけ、日中両国政府による真相究明作業を行い再発防止策を講じなければならない。このままでは日中双方の非難合戦になる。日中双方の食品業界の打撃につながる。日本国民の食の不安が募る。こよなく外交的な対応が急がれるのだ。
  ハンドボールの国際試合をめぐってクウェートの横暴が放置されている。目に余る。スポーツと政治は別だという主張は間違いだ。1980年のモスクワ五輪はソ連のアフガン侵攻で日本を含む50カ国によってボイコットされた。クウェートといえば、1990年にイラクに侵攻された時、イラク攻撃を行った多国籍軍の資金援助のために、日本は130億ドルという最大の資金援助国であった。それをクウェートは、不注意なのか意図的なのか、支援国への謝意表明の中に日本という国を除外した。おろかな日本はクウェートに文句をいうどころか、これがトラウマとなって、やはり金だけでは評価されない、次からは軍事協力をしなければ駄目だと思い込んで憲法改正に方向に突っ走った。あの時日本政府はその怒りを世界に公言すべきであったのだ。血税でまかなった日本の貢献を大声で言うべきであったのだ。
  日本の捕鯨船団にシー・シェパードという環境NGOが暴力的な抗議をした。この背景には豪州政府の反捕鯨姿勢がある。だからこれはこよなく外交問題なのだ。今日31日から東京で始まる日豪外相会議でも議題になるという。当然だろう。しかしまともな外交はなされないだろう。サミットを控え外交問題にしないという慎重論が既に政府内を覆っているという。日本が強気出られないもう一つの理由がある。水産庁に主導された日本の捕鯨外交がある。天下り団体の利権が見え隠れする。日本は国際捕鯨取締り条約の抜け穴を利用した擬似商業捕鯨を行ていると世界は見ている。ここを正面から世界からつかれたら、日本のイメージは損なわれる。日本の捕鯨外交の失策がもたらした捕鯨問題である。
  見ているが良い。中国ギョーザ、ハンドボール、捕鯨、これらは今後もどんどんと問題は発展していくに違いない。メディアで報じられる事になる。そしていまのような日本外交の不作為の姿勢では、正しいはずの日本がどんどんと不利な状況に追い込まれていくに違いない。
  日本の食品業界やハンドボール協会、捕鯨関係者に任せていては気の毒だ。かれらもまた日本の不作為外交の犠牲者なのだ。
 繰り返して警告する。外交は、外務官僚が自分たちのやりやすい事をしていれば事が足りるものではない。日本国民の安全と繁栄、そして日本国の国益を守る国家的一大事業である。この難問に積極的にそれに取り組もうとする姿勢を見せないようであれば、外務省は本当にいらない事になる。

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2008年01月30日

 ガソリン税の次は岩国市長選挙だ

 ガソリン税の次は岩国市長選挙だ

 つなぎ法案は世論の反撥をおそれた自民党がとりあえず譲歩した形で終わった。自民党はあきらめたわけではないだろう。年度末にもう一度山場が来るらしい。しかし、時間が経てば経つほど、暫定税率の延長はできなくなる。国民の暮らしがますます苦しくなるからだ。税金の無駄遣いがますます明るみになるからだ。自民党は敗北したのだ。
 しかしこれは決して野党の勝利ではない。無言の民衆の勝利である。日本の政治史のなかで記録に残る民衆の勝利である。
 今度の騒動をきっかけに、私たちは、今後の政局を、そして与野党の政治家の言動を、有権者の立場から厳しく監視していこうではないか。観客は我々である。舞台に上がって演ずるのは官僚と政治家だ。大根役者が茶番劇を繰り広げ恥をさらす事になるのか、それとも我々の心に響く政治家が一人でも現れて、正しい政治というものを我々の前で見せてくれる事になるのか、けだし見ものである。
 今度の騒動には大きな意義があった。それは、黙って政府の言いなりになって税金を納めてきた、沈黙した大衆が、「俺たちの税金を勝手に使うことはゆるさない」、と素朴な怒りを覚えたことだ。そして、我々の税金が、官僚がつくった複雑な税制の下で、政治家、官僚、天下り役人、利権業者などの一部の間で食い物にされてきた、その事が少しでも一般大衆にわかったことだ。
 暫定税率などというごまかしが何十年も続いてきたなどという事は、この騒動がなければ国民が知る事はなかっただろう。つなぎ法案などという、それ自体は中立的、過渡的な措置を、切羽詰った自民党が姑息な政争の具に使おうとして失敗をした、そういう茶番も見せてもらった。議員立法なるものが、政府、閣僚の責任ではなく議員の責任でつくられる事、だから政府の答弁は必要なく、議論なしで通過する事、「私は一切関与していません」などと無責任な答弁を福田首相ができる事も見せもらった。これで我々の政府・官僚不信が決定的になった。
 繰り返して言うが、この世の中には生活に困らない多くの国民がいる。たかが25円ばかりガソリン価格が下がったところで何だ、と思っている国民は多いだろう。テレビの娯楽番組や芸能ニュースに興じる国民も多いだろう。それはそれでいい。しかしそういう国民も、その日暮らしに追われている多くの国民に思いを馳せなければならない。その日暮らしを強いられている者の中には、いわゆる自己責任に帰すべき者もいることだろう。しかし政策の犠牲者となって苦しい生活を余儀なくされている者も多いのだ。よしんば自己責任で苦しい羽目に追い込まれている者であっても、我々は連帯の手を差しのべなければならない。それが共生というものだ。
  日々の暮らしに窮する人がいる一方で、政策を決める立場にある政治家や官僚が、自らの怠慢や、無能や、不作為を棚に上げ、あるいは国民を騙し、保身に走り、責任を逃れようとする。やはりこれは間違っていると思う。許してはいけないと思う。無関心であってはならないと思う。
  たとえば我々の税金が次のように使われている。この事を知るだけでよい。凡百の識者の論議より、税金泥棒を許してなるか、という単純な、しかし根源的な感情を奮い立たせるだけでよいのだ。
  「道路保全技術センター」なる国交省所管の財団法人がある。全職員190人のうち、役50人が国交省OBという絵に描いたような天下り財団である。まともな仕事のないその財団の、官僚OBの職員の給与が、我々のガソリン税で賄われている(30日日刊ゲンダイ)。税金の横領ではないのか。
  元防衛政務官の米田健三元議員が日刊ゲンダイの連載「日米防衛利権」の中で書いている。一機83億円もする米国ボーイング社の戦闘ヘリコプター「アパッチ」を、自衛隊は米国から62機も買わされようとしている。ところが製造元が生産を中止したため予定より大幅に少なく調達する羽目になった。数が減ると上乗せされる設備投資償却分が大きくなり、一機216億円に跳ね上がるという。自衛隊関係者も認めているのだ。「アパッチは湾岸戦争でイラクの戦車軍団を相手に威力を発揮したが、値段も高く、使い方も複雑。そのうえすぐ部品が磨耗する。世界の軍事筋では決して評価は高くない。一機30-40億円の独仏共同開発「タイガー」の選択もあったのに、アメリカ製が最初から優先された」。我々から搾り取った税金をこんな無駄遣いされていた事をどの国民が知っていただろう。そして知ってしまったら黙っていられる国民がいるというのか。
  ガソリン税の次は岩国市長選挙である。米軍再編へ協力する事が至上命令となっている政府、外務・防衛官僚は、それに反対する井原市長を辞任に追い込んで、従属するあらたな市長に首をすげ替えようとしている。我々の税金を勝手に使い分けて、従えばばら撒いてやるが、反対すればビタ一文恵んでやらない、と締め付ける。こんな権限を我々は政府・官僚に与えた覚えがあるか。
  自公政権にとって、国民より米国政権のほうがはるかに重要である。だからガソリン税引き下げについて国民の目をおそれる自公政権も、日米軍事同盟については、住民がどんなに反対しても米国への協力を優先する。
  だから岩国の市長選挙に対する政府のしめつけはとどまるところを知らない。政府に反対する井原市長は苦しい選挙を戦わねばならないと思う。だからこそ負けるわけにはいかないのだ。私の反骨魂の全てはいま岩国の市長選挙に向かっている。
  市長選挙は2月3日に告示され10日に投票される。告示前日の2月2日に岩国市で井原市長を応援する集会がある。私はそれに駆けつけて井原市長を応援する。不正義がまかり通る日本であってはならない。これはイラク戦争に反対した私の原点だ。それを訴えるために一人の日本人が、JRを乗り継いで岩国市へ向かう。岩国市民の正義感に迫ってみせる。

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2008年01月29日

 一般大衆の心をとらえるのはどちらか

 一般大衆の心をとらえるのはどちらか

  もの凄い勢いで政治が動いている。しかも、それは既存の政治を変えるという変革の方向ではなく、自公政権の生き残りをかけたなりふりかまわない巻き返しに、野党第一党の民主党がなすすべもなく押し切られる形で。弱小の護憲イデオロギー政党が結束できず、ますます一般大衆の心から遠ざかる形で。
  大阪府知事選挙の民主党候補の惨敗は、大阪府民の心をとらえる魅力的な候補者を民主党が立てられなかった時点でとっくに決まっていた。参院選挙の結果が民意だと言い続け、民主党公認であれば誰でも選挙に勝てると思い込み、本気になって最強の候補者を探そうとしなかった民主党の自滅である。護憲イデオロギー政党に至っては、橋下叩きに終始した。あれでは大阪府民の心をつかむ事は到底出来ない。
  日々の生活に精一杯の一般大衆にとって、選挙で誰を選ぶかは、所詮は好感度であり感性、直感である。政策を理解した上で投票するのは一部の政治好きの者たちに過ぎない。あれだけの大差での勝利である。橋下が一般大衆の心に響いたということだ。
  メディアに露出していた橋下が有利であった事はその通りだろう。そうであれば最初からメディアを味方につける努力を最優先すべきであった。
  メディアが権力に迎合しているのは事実だろう。権力がメディアを使って情報操作する事は今に始まった事ではない。野党にはそのハンディを克服する覚悟が最初から必要である。そのハンディを上回るエネルギーを投入して、メディアを味方に引き込まなければならなかったのだ。
  メディアは権力に迎合する番組ばかりを流しているわけではない。そんなことをすれば視聴者から総スカンを食うだろう。メディアを動かすのは視聴率である。だから政治はメディアの先の視聴者、つまり一般大衆の心にどう訴えるかの競争である。そのためにはテレビ番組編成の実態を知る必要がある。
  1月29日の日刊ゲンダイに、政治評論家の有馬晴海氏が、「テレビに出て一番驚いたのは」と題して次のような極めて興味深い事を話していた。
  「(テレビの)生番組に出てみて感じるのは、もう少し解説の時間を与えてくれたら、順序だてて、丁寧に説明できるのに、ということです。小泉元首相みたいなワンフレーズのズバッとしたコメントがテレビ向きなのでしょう。でも、複雑な政治の問題を一言で説明するには限界があって、正直、難しいと思う事がありますね。それに、インタビュー取材の場合、一時間ほど費やして、実際に放送されるのは、10秒間のコメントが2回ほどということもしばしば・・・(インタビューを各局から受けて)その時感じたのはテレビの人たちがあらかじめ決まった答えを求めてくるということ。たとえば『公設秘書の給料って高すぎませんか』と唐突に質問される。その秘書が20代なら高すぎるだろうし、50代なら低すぎるわけで、一緒くたに論じる趣旨のものではないと感じました(が、そういってしまっては番組にならないのです)・・・」

 このコメントこそ今のテレビ番組の正体を見事に言い当てている。私の数少ないテレビ出演の経験からも全くその通りであると思う。そしてこのテレビの正体を知った上でテレビを利用しなければならない。党の顔として国民の感性に誰よりも訴えられる議員をテレビに露出する、そして番組のストーリーさえも、都合にいいように導いていく、そういう努力をするのだ。その決め手になるのは視聴者の好感度を高める事である。自らの議員の風貌、話術、感性によって視聴率を上げる、そういう努力をしてメディアを味方にするのである。
 ガソリン問題が最後の与野党攻防になってきた。いよいよ自民党はガソリン問題の一点突破を狙ってきた。民主党は党の存亡をかけてガソリン問題で一般国民をひきつけることだ。自民党の強硬姿勢を逆手にとって、これを迎え撃つ覚悟でなければならない。書生議論を繰り返していてはいけない。抵抗をひるんでは行けない。生活に困窮している一般国民の怒りの火を燃え上がらせる事だ。自分だけが勝手に燃えていては世論は逃げる。
  29日のTBSは特定道路財源を使って国交省が大阪の地下駐車場を作っていた事を報道していた。多くの駐車場が既に多く存在する大阪市街の真ん中に、100億円もかけて200台の地下駐車場をつくっているのだ。一台あたり5000万円の建設コストはべらぼうに割高だという。しかもその経営が天下り先の財団法人である。税金でつくった駐車場の収益が国庫に返納されずに天下り役人の収入となって懐に入っているのである。こんな事は報道でもされない限り一般国民は誰も知らないであろう。知らないところで我々の税金が私物化している。
  これこそが今の日本に蔓延している泥棒国家の実態である。
  民放メディアもこういう告発報道をするのである。民主党は今こそメディアを味方につけ、国民の怒りの炎に火をつけなければならない。この戦いに自民党と正面から取り組む、その事に民主党の命運がかかっている。日本の政治の将来がかかっている。ガソリン暫定税率の存否をめぐる与野党の攻防から目が離せない。

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2008年01月27日

愚かなり、サダム・フセイン

  愚かなり、サダム・フセイン

 27日の各紙が報じていた。サダム・フセイン元イラク大統領を尋問した米国FBI特別捜査官がCBSテレビのニュース番組で、「米軍が本格的に攻め込んできた事は誤算だった」、そうサダム・フセインが供述したというのだ。
 愚かなり、サダム・フセイン。これは90年に始まった湾岸戦争の後でサダム・フセインが語っていた言葉とまったく同じである。あの時は米国のグラスピー駐クウェート大使が、「米国は関与しない」というメッセージをフセインに送ってフセインを誤導した、などという話も語られた。しかし湾岸戦争から何も学ばなかったフセインはあまりにも愚かだ。あの時も、今度も、フセインは米国に攻撃の口実を与え、結果的に米国の戦争に協力したのだ。
 フセインはさらにまた次のように語ったという。
米国が侵攻してこないと判断した上で、「イランを牽制するために、大量破壊兵器を保有しているという誤解を維持したかった」と。
 愚かな指導者を持った国民は不幸だ。みすみすその犠牲に甘んじなければならない。しかしそれはイラクでけではない。米国民にも、日本国民にも、そのまま当てはまる。

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2008年01月27日

  ガザの惨状とダボス会議

 ガザの惨状とダボス会議

 今朝の日本のメディアはダボス会議のニュース一色だ。
 サブプライム問題で暴落した世界同時株安をどうするかが大問題だという。しかしそれは、世界経済を論じる振りをしながら、株取引で一攫千金をもくろむ金持ち連中の、欲の張り合いに過ぎない。
 日本がやおら環境先進国のごとく振舞っているらしい。しかしそれは洞爺湖サミットを乗り切って政権を維持したい福田首相の政治的ジェスチャーだ。心から出た提案ではない。だから演説を棒読みし、言葉につまり、拍手も起こらない。
 日本のメディアが報じるそんなダボス会議の最終日に、もう一つのニュースが世界を駆け巡った。パレスチナ自治区のガザで、イスラエルが閉鎖したの国境壁が爆破され、ガザの住民がエジプト国境へ買出しになだれをうったのだ。
 何故こんな事が起きたのか。それはイスラエルに国境を封鎖され、生きて行くための最低限の食料や、命をつなぐ薬さえも入手できないパレスチナ人が、最後のエネルギーを振り絞って立ち上がったという事だ。親米エジプト政府も、さすがにこれを容認せざるを得なかった。同胞アラブ人を見殺しには出来ないのだ。
 06年1月、米国の民主化の要求に従ってパレスチナで選挙が行われた。その結果パレスチナ人は圧倒的多数で、反米、反イスラエルの抵抗組織ハマスを選んだ。そのとたんに米国はハマスのパレスチナを兵糧攻めにして圧殺しようとした。ハマスの指導者ハニヤ首相がその時言った言葉を思い出す。
 我々はこの暴挙に屈しない。どんな苦しみにも耐えていける。我々には塩とオリーブがある!
 なんという爽快な言葉であろう。見事な反骨魂である。
 私は単純な人間だ。勧善懲悪ものが大好きだ。学生だった頃、高倉健のやくざ映画をよく見に行った。我慢に我慢を続けた末に、敢然と巨悪に向かって一人で殴りこみに行く。なんだか自分が強くなったような気がして、暗闇の映画館から出て真昼の街を歩く時の後ろめたさを隠すかのように、しばらくは肩で風を切るように歩いた事を思い出す。
 「塩とオリーブがあれば生きていける!」
 パレスチナ抵抗の歴史に残るこの名言は、しかし嘘だ。まもなくガザの住民は生きていけなくなり、ハニヤ首相は譲歩を迫られる。しかしどんなにハマスが譲歩を繰り返しても、イスラエルに屈従しない限りイスラエルはガザの包囲を緩めようとしない。一方において軍事攻撃を続け、他方において人と物の出入りをとめてガザを巨大な牢獄とする、そのようなイスラエルの政策が続いてきた。ダボス会議の出席者にとっては、そんなガザの窮状は見えないのだ。存在しないのだ。
  インタビューに答えて少年はこう叫んでいた、「オリーブ油がなくなった」と。インタビューに答えてオルメルト・イスラエルはこう言いはなったった。「ガザの連中に普通の生活をさせろという声は受け入れられない」と。
  どちらの声に耳を傾けるべきか。答えは自明である。


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2008年01月26日

大きな盲点ー日本政府を通り越して直接米国を相手にすればいい

大きな盲点―日本政府を通り越して直接米国を相手にすればいい

  日米の自然保護団体が米国防総省を相手にジュゴンの保護を求めていた裁判で、米カリフォルニア州の連邦地裁が24日、同省に対し、ジュゴンに与える影響などを調査し、90日以内に報告するよう命じたというニュースが25日一斉に流れた。同地裁は、普天間飛行場の名護市移設の現建設計画は米国の文化財保護法に違反していると判断したと言う。
  この事は、日本政府が一手に握っている対米政策が日本国民の利益に反する時、我々は何をなすべきかを見事に教えてくれている。日本政府は国民のいう事に耳を貸さない。デモをしても何をしても、それが全国的な圧力に発展しない限り政府は無視し続ける。
  それならば直接米国に訴えたらどうか。出来れば利害を同じくする米国人と一緒になって、米国人の手で、米国の国内で、米国政府の非を訴えるのだ。もちろんすべてがうまく行くとは限らない。しかしその主張が、誰が見ても正しいものであれば、そして米国民がそれを支持するようになれば、米国政府は必ず動く。これこそがグローバリゼーションなのだ。
  26日の読売新聞に辻井喬(堤清二)の回顧録「叙情と闘争」が掲載されている。その中に極めて面白いエピソードが載っていた。
  1959年に、父堤康次郎(元衆議院議長)と一緒に渡米した時のことだ。当時安保条約が行き詰っていた時であった。堤らが渡米してマッカーサー元司令官やアイゼンハワー大統領と会おうとした。日本の外務省はこれを快く思わずに仲介の労を頭から否定した。そこで堤は米国の有力な広告代理店を通じ交渉し、めでたくマッカーサーにもアイゼンハワーにも会うことが出来た。
 面白かったのは次のくだりである。アイゼンハワー大統領との面会が決まってホワイトハウスで待機していた時の光景を描いている。
「・・・朝海浩一郎駐米日本大使に僕は一ヶ月ほど前、『こんな時期に大統領に会う(おうとする)ことは非常識だ』と叱りとばされたのだが、事態が変わると顔色一つ変えずに僕らにこまごまと注意事項を説明してくれるのだった。腹の中では『この小癪な小僧奴』と罵りたかったのではないかと思うのだが見事に感情を制御して大使としての役割を粛々ろ実行するのだ。役人の見本のような人だ・・・」
  外務省は米国の意向に逆らう事は出来ない。その米国を使って外務省に命令する。これは一市民でもできるのだ。訴えが正しければ米国を動かす事が出来る。米国民は米国政府を命令できる。

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2008年01月25日

  「日本国民であることを誇りに思う」人が93%であったと強調する読売新聞

  「日本国民であることを誇りに思う」人が93%であったと強調する読売新聞

 25日の読売新聞は、一面トップに自社の世論調査の結果を掲げていた。なんでも読売新聞は1978年以来連続して30年間、日本人の「国家意識」について世論調査を続けているという。そして今年の調査の結果、「国民であることを誇り」とし、「国の役に立ちたい」と考える国民が、それぞれ93%、73%と、過去最高に達した事、そしてまた、誇りに思う項目については、「歴史、伝統、文化」が71.6%と、二位の「国土や自然」(43.4%)、三位の「社会の安定・治安」(28.4%)などを大きく引き離してトップであることも強調している。
 これだけを読むと、保守・愛国主義者が喜びそうな世論調査結果である。
 ところが、もう一つの興味深い数字について、読売新聞は殆ど言及しない。あたかも言及を避けるかのようだ。
  読売新聞の世論調査のもう一つの注目点は、「あなたは今の日本はどのような国だと感じているか」という問いに対して、「平和国家」(59.7%)、「経済大国」(35.9%)、「文化国家」(27.2%)、「民主的な国」(25.2%)という答えが上位を占め、「軍事大国」(2.0%)という答えが最下位であるという点である。
  さらにまた、どのようなイメージで国の役に立ちたいかという問いに対しては、「将来を担う子供を育てる」(48.2%)、「平和と安全を守ることに貢献する」(44.3%)がダントツで高く、「他国に侵略されたらどうするか」という直接的な問いに対しては、「武器以外の方法で抵抗する」(38.9%)、「安全な場所に逃げる」(33.1%)が一位、二位を占め、「武器を持って抵抗する」と答えた者はわずか16%でしかないという事実である。この傾向は若者ほど強い。
  読売新聞の世論調査で明らかになった事は何か。それは、日本人の多くは、平和な日本を愛し、誇りに思う、その日本に平和的に貢献したい、他国に侵略されても武器を持って闘うのではなく、武器以外の手段で解決する、話のわからない相手の攻撃からは逃げる、そういう、極めて好ましく、健全な考え方を、多くの国民が持っているという事実だ。
  その日の読売新聞の社説は、「給油再開の『次の手』も考えねば」と題して、給油の再開は最も危険の小さい任務に戻るに「過ぎない。今こそテロとの戦いに備えて自衛隊海外派遣の恒久法の検討が急務である、と訴えている。読売新聞は国民の考えと背馳する新聞である事を自らその社説で認めている。

 

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2008年01月25日

岩国は負けない


  岩国は負けない

  これはお知らせです。
  ブログを書いていた(正確にはインターネットで囲碁をしていたのですが)私のところへ、一冊の新刊本が宅急便で届けられました。「岩国は負けない」(週刊金曜日編)という小冊子です。
  もうすっかり忘れていましたが、私は昨年12月16日に岩国市で開かれた「米軍再編は誰のため」というシンポジウムに参加しました。その時の議事録を中心に、米軍再編に苦しめられている地方自治岩国市の問題をわかりやすく解説した本が出版されたのです。
  一人でも多くの人に読んでもらいたい。そこには日本政府が強行しようとしている米軍再編への協力が、いかに間違っているかが見事に書かれています。米軍再編問題は単なる日本の安全保障問題ではない。それは日米関係の将来と、日本の将来の諸問題が凝縮している大問題です。国民生活のすべてに影響を及ぼす大問題です。それにもかかわらず、政府はその真実を決して国民に明らかにすることなく、国民の声に耳を傾ける事なく、強行しようとしている。これはテロ特措法問題や年金問題や税金問題と全く同じ構図です。やがて改憲に行き着く事でしょう。
  その岩国市では、井原市長の信任を賭けたやり直し選挙が2月3日に告示されます。その前日の2日に、岩国で井原市長を応援する大集会が開かれます。人と協調出来ない、いつまでたっても官僚から脱しきれない、そう批判される私が、井原市長の応援だけはさせて欲しいと、自らお願いしました。今度も岩国に駆けつけます。何故私が井原市長の岩国を応援するのか、その答えが、新刊書「岩国は負けない」に書かれています。本屋で見つけたら目を通してください。
                              
 

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2008年01月25日

  サブプライム問題と米国のモラルハザード

 サブプライム問題と米国のモラルハザード

 サブプライム問題が世界を震撼させている。一見複雑に見えるこの問題の本質は極めて単純だ。
 それはまず、サブプライムローンというサラ金まがいの住宅ローンが米国において放置され、跋扈していた事にある。
 次に、その詐欺的ローンに価値を与え、証券化し、不特定多数に売りさばいて利益をあげようとした米国金融資本の利益至上主義の悪がある。
 そして、責任者のすべてが、その悪に気づきながら、目先の利益に目がくらんで放置していた罪がある。
 最後に、世界の金融機関や企業が、乗り遅れてはいけないと一斉に参加していた事がある。
 それは一口で言えば、新自由主義、市場万能主義、グローバリゼーションなどという名前で呼ばれて世界を席巻した、米国金融資本の「勝者の利益独り占め」というモラルハザードが、世界を虚業の経済活動に巻き込んだ結末であるということだ。
 一つの例を引用したい。1月18日の日刊ゲンダイで、共同通信ワシントン支局長などを歴任し、「秘密のファイルーCIAの対日工作」など多くの著書がある春名幹男氏は次のように書いていた。
 すなわち、長年にわたって米国経済の番人として権力をふるっていた前連邦準備理事会議長のグリーンスパン氏は、サブプライムローン問題を知っていながら放置した事を、昨年12月18日付のニューヨークタイムズ紙の調査報道が暴露したと紹介していた。約7年も前から、連邦準備理理事会のグラムリッチ理事や、ベアー財務次官などが警告を発していたにもかかわらず、グリーンスパン氏は聞く耳を持たなかったというのだ。おそらくグリーンスパン氏はサブプライムローンの悪を知っていたに違いない。しかしそれを締め付けると、金融資本の虚像で支えられている米国経済が持たない、それを知っていたからこそ、サブプライムローンを放置していたのだ。
 日本の政財界人は米国要人に強い。とくにグリーンスパン氏に対する財務省、財界人の崇拝は絶大だ。のその結果何が起きたか。バスに乗り遅れまいとする日本の金融資本が一蓮托生でそれに乗ったのだ。
  このようにサブプライム問題の本質を語ることは誰にでもできる。問題はそれが今後どう発展するかである。これは誰にもわからない。景気動向一つ当てられない経済学である。学者や専門家といえども本当の事をわかる者はいない。ましてやこのサブプライムローン問題は、サラ金ローンという不良債権を、不特定多数の投資家に分割販売し、それを購入した投資家が短期で売買を繰り返しババ抜きゲームをやっていたから、誰がどれだけ損をしたかすら、わからないというのだ。
  しかしただひとつだけはっきりしていることがある。株の乱高下はこれからも当分続くということである。なぜならば株は実体経済と関係なく乱高下する。一つのニュース、一つの噂で動く。そして、サブプライム問題の真実は誰も知らないのだから、どれが本当の情報か、嘘の情報かは、わからない。政府でさえ、いや政府だからこそ、嘘をつくのだ。ブッシュ政権はこのまま株を下げ続ける事は出来ない。米国経済は金融資本操作の運用益で生き延びているからだ。だから当面は危機を回避した振りをするしかない。嘘をついてまでも楽観論を繰り返すだろう。一時的に株は上がだろう。しかしそのうち偽情報がばれて急落する時がくる。その後に明るい情報が出てまた上がる。その繰り返しである。そして株が乱高下する時こそ、インサイダーが大儲けする時だ。
  犠牲になるのは常に末端の弱者だ。サラ金に手を出して家を買い、住宅バブルが弾けて家を追い出される米国低所得者であり、なけなしの貯金を株に投資して損をさせられる一般投資家である。その米国の動向を見て右往左往する日本の投資家である。支配者たちは決して損をしない。最後は公権力を行使して、損失を国民に付回すからだ。
  米国の金融工学とやらが産み出した、実体経済とは何の関係も無い巨額の錬金術は、もはやすべての人間を汚染してしまった。そのモラルハザードは遅れて日本社会を襲った。もう汗水たらして給料生活をするだけの生活にもどれない人間が増えた。どんなに危険で、不安定であろうと、巨大なマネーゲームにつきあっていかなくてはならないのだ。政府のゼロ金利政策や、自己責任による年金資金の強制的運用は、もはや一般国民を嫌でも金融投機の世界に引きずり込んでしまったのだ。
  米国金融資本が世界をモラルハザードに陥れた。それは米国が続けてきた軍事力によって、世界中いたるところで紛争の犠牲者が耐えない事と同じである。軍需産業の犠牲になるのは、常に何も知らない弱者である。嘘や情報操作を繰り返すところまでそっくりである。
  イラク戦争とサブプライムローンの破綻、その根底にあるものは見事に一致する。

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2008年01月24日

ガソリン減税で小沢民主党に塩を送る

 ガソリン減税で小沢民主党に塩を送る

  ガソリン減税をめぐって百家争鳴の議論が続いている。しかし、繰り返して書くが、議論では結論は出ない。議論をすればするほど本質が見えなくなる。議論は焦点隠しの危険な罠なのだ。
  私はガソリン暫定税率は以下の理由で今度の国会でなんとしてでも廃止されなければならないと思っている。この問題までもテロ特措法と同様に曖昧に終わってしまうと、今度こそ日本の政治は、何も変わらないまま自公政権の誤りが繰り返され、日本は破滅していくと思う。現状を変えなければならない。だから小沢民主党に頑張ってもらいたい。このブログで小沢民主党に塩を送る。秘策を伝える。
  ガソリン暫定税率問題の本質はなにか。それは官僚と自民党に独占されてきたこの国の税制の欺瞞である。暫定税率を廃止することは、税金を、声なき弱者の一般大衆に正しく還元すrという一大事業に向かって風穴を開くことができるか、という問題である。
  政府・官僚の無駄を笑ってすませる事の出来る富裕層は勝手に議論していればいい。税金のバラマキから直接利益を受ける道路官僚、族議員、地元業者らが「反対」の気勢を上げるのは、利権政治にまみれるこの国の政治のいつもの光景である。
  しかしそれらのいずれでもない、名も無い一般大衆は、一切の議論に耳を傾けることなく、今こそ民主党のガソリン税引き下げを単純に支持するべきだ。沈黙する一般大衆よ。行動を起こせとは言わない。世論調査で反対投票をするだけでよい。暫定税率継続を強行する福田政権の支持率を落とすだけでよいのだ。
  そして、官僚たちの中でも、心ある善良な官僚たちは、そろそろ真実を語るべきだ。保身に終始する自分たちの言動を恥じるべきだ。そしてまた、国民の生活の安定を心から願う善良な自民党政治家は、国民の批判を恐れるからガソリン税廃止に賛成するというのではなく、ガソリン暫定税率は一般国民をいじめるものだという認識の下に、堂々とこれに反対するべきだ。
  以上の前置きを述べた上で、今日のブログの本論に入る。
  24日早朝のみのもんたの「朝ズバ!」で、コメンテーターの一人として、元国土交通省のキャリア官僚早坂実が、驚くべき率直さで、この暫定税率の欺瞞性をしゃべっていた。早坂実は芸名で本名は坂本武というらしい。その早坂、いや坂本が、ガソリン暫定税率を作るときの当事者の一人であった経験から、次のように、発言したのだ。
 つまり、暫定税率の一部はすでに一般財源化して他の病院建設やほかの目的に転用されている、小泉政権のときに毎年約3%、すなわち600億円を超える財源を、道路建設予算から削って他に回す、つまり事実上一部の一般財源化が決められた、しかしそれを国民に隠した。暫定税率が維持され続けるのは、道路特定財源といっておけば既得権として自動的に国民から取り続けられるからだ、財源を手放したくないからだ、このような暫定税率を許した私は間違っていた、と、ここまではっきり言っていたのである。返す刀で早坂は、財源などは独立行政法人の無駄をなくせばあっという間に財源は捻出できると言わんばかりの発言までしていた。無駄な独立行政法人がたくさんあることを元国交省官僚がテレビの前で認めた瞬間である。
  この早坂、いや坂本の発言は、日刊ゲンダイがしきりに訴えている告発記事と見事に平仄が合う。1月24日の日刊ゲンダイはフリージャーナリスト横田一の連載③の中で、霞ヶ関最大の埋蔵金を握っているのが、ガソリン税や自動車重量税などの「金脈」を持っている国土交通省の道路官僚である、「道路整備特別会計」のおかげで、彼らは自動車利用者から取り立てたガソリン税などを湯水のように使っている、道路官僚や自民党族議員が、暫定税率撤廃に反対しているのは、つかみ金である道路特別会計の収入が、ガタ減りするからである・・・と書いている。日刊ゲンダイの別の記事はまた、国交省はガソリン税で集めた金を流用し、宿舎建設や遊興費に財布がわりに使っていたと報じている。社会保険庁の保険金流用とまったく同じ構図だ。
  もういいだろう。このブログを読んだ小沢民主党の議員たちよ。今すぐみのもんた「朝ズバ!」のビデオを取り寄せて、元国土交通省キャリア官僚早坂実の発言を仔細に検討しろ。朝ズバ!は毎日5時半から始まる。24日の早坂の発言は始まってすぐだったから、5時35分前後であった。そして早坂を国会に参考人として招致し、全国の国民の前で証言させよ。そしてそれをもとにして官僚の上に乗っかって国民軽視の税金を食い物にしてきた自民党政治を糾弾せよ。政権交代を迫れ。
 繰り返して書く。ガソリン論争は、単にガソリン価格を25円下げる話ではない。今国会で問題となっているこの国の財政制度のありかた、税制全体のありかた、更に言えば、一般大衆を食い物にしてきた自民党・官僚の亡国政治のあり方を問う問題である。もうそろそろこの辺で自公政権を交代させなければ日本は滅んでしまう、という根本問題なのである。だからこそ福田自民党政権は慌てているのだ。
 日本は待ったなしの危機に直面していると思う。政治の正念場であり、国民が立ち上がる時なのである。国民はどうすればいいか。簡単だ。メディアで流される議論に惑わされる事泣く、世論調査でガソリン暫定税率は反対だと答えるだけでよい。福田政権は支持できないと答えるだけでよいのだ。

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2008年01月23日

  ひきこもり

  ひきこもり

  私が官僚で一生を終わっていたならば、おそらくこのような記事を注意して読むような事はなかっただろうと思う。弱者の気持ちに気づかないままの人間であり続けたに違いない。いや今も何も変わっていないのかもしれない。現役を退いた人間のひまつぶしから目にとまっただけかもしれない。
  そんなことはどうでもいい。22日の東京新聞で読んだ次の記事に心が動かされた。ただそれだけである。
  福島保護観察所長である青木信人という人が、「こどもと大人のあいだ」というコラムで、もうすぐ40歳になるひとりの青年が、病院関係者や福祉職員など、多くの人々の支援で、「ひきこもり」から自立して新しいスタートを切ることになった事を祝していた。自らも「ひきこもり」になった経験のある人ならではの悲しくも暖かい文章であると私は感じた。ひきこもりになった人間を単に弱者と切り捨てては行けない、それは社会全体で向かい合っていく問題であると筆者はいいたいのであると私は読んだ。

 ・・・(受験失敗を契機に自宅から一歩も外に出ることができなくなった当時の自分は)いつまでもこの状態が続くだろうという不思議に安定した感覚に浸るようになった。社会を敵に回しても、親だけは自分を見捨てないだろうという甘えが全身を満たした。時間感覚の喪失の中で、私は社会に向けて自立する意欲を失っていった。
   ひきこもりを続ける若者たちの多くも、同じような感覚に陥ってしまっているのではないか。そして、その親たちも、子供が何歳になろうが、変わることのない親子関係の中で、時間感覚を見失ってしまうのだろう。
  しかし、当然のことだが、誰にも平等に時間は進む。十代の少年もやがて大人になる。働き盛りだった親たちも、必ず老いる。老いれば、子供を経済的にも精神的にも支えることができなくなってしまう。そうして訪れる絶望的な状況の中で、親殺し、子殺しといった惨事が時に発生する。氷山の一角にすぎないそうした惨事の陰には、抜け道のない絶望を抱えた無数の親子が存在していることを、私たちは再認識すべきだと思う。

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2008年01月23日

欧米から悪者扱いされる日本の調査捕鯨

  欧米から悪役扱いされる日本の調査捕鯨

  読者の皆さんにはあまり興味ないかもしれないが、私が外務省にいたときに個人的にかかわった仕事であったので少し書いてみた。
  19日の朝日新聞の「ニュースがわからん!」は国会議員の「文書通信滞在交通費」についてであった。23日のそれは「調査捕鯨船が抗議受けてるけど?」という記事だ。
  先日、豪州についで英国の反捕鯨活動家が日本の捕鯨船に乗り込んで抗議活動を行うという事件が起きた。この事について、「どっちが悪いの?」という質問に、次のように答えている。

 ・・・制止を阻止して乗り込んできた活動家の身柄を拘束するのは当然といえば当然。しかし欧米主要国に多い反捕鯨派の反撥を受けて欧米では日本は悪役扱いされている。
 国際捕鯨委員会(IWC)加盟78カ国のうち捕鯨支持は36カ国、反対派は42カ国とほぼ二分状態・・・87年以降販売目的の漁業としての商業捕鯨は一時停止したが調査捕鯨は認められている。しかし日本はどこの国にも属さない南極海で調査捕鯨を続けていることもあり批判は強い・・・商業捕鯨停止から20年が過ぎて日本国内の消費は細る反面、調査捕鯨による捕獲量は当初の4倍に増えた・・・  調査費用54億円の1割は国の補助金で、9割は鯨肉の販売収入だ。鯨肉を売るため、水産庁は新会社の設立を後押しして、学校給食などでの消費拡大に必死なんだ・・・(商業捕鯨が再開される見込みは)歩み寄りは望めない・・・

 どうだろう。これを読んでも捕鯨反対派と賛成派のどっちが正しいかさっぱりわからない。
 実は私は95年―97年に、豪州の日本大使館に勤務していた。その時政府代表の一人としてIWCの会議に参加したことがある。とはいっても主導権は日本の水産庁にあるので外務省はその方針に従うだけだ。水産庁は今も昔も徹底して商業捕鯨推進派である。
 推進派と反対派に対立は、もはや単に経済論、科学論にとどまらず、政治的、文化的、宗教的問題が絡んだ根強い対立になっている。たとえば鯨を絶滅の危険から救うために乱獲するなという立場と、鯨が増えすぎて海洋資源を食い荒らすから除去すべきという正反対の立場があり、鯨は高等動物であり殺して食するのは野蛮だという立場と、それでは牛や豚はどうか、豪州に至っては国のシンボルであるカンガルーまで食っているではないか、などという食文化的、感情的、対立までに発展している。
 さすがの私もこの問題については判断しかねる。今回の英国、豪州の抗議行動はとても容認できない。さりとて何故ここまで日本の国際的イメージを傷つけてまで捕鯨に固執するのかという気もする。朝日が書いているように、鯨肉の消費が細る一方で漁獲量が4倍にも増える理由はどこにあるのだろう。反捕鯨国は米・英・豪・独・仏など欧米主要国だ。欧米主要国のすべてを敵に回してここまで頑張る外交テーマがかつてあっただろうか。
  実は日本の捕鯨の最大の弱点は、調査捕鯨であると称して商業捕鯨を行っているという事実である。この事は外務省条約課長自身がこれを認めている。条約違反を続けなければならないほど捕鯨は国益なのか。朝日の記事は一言も教えてくれない。

 

 

 

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2008年01月23日

政治家の最大の責任は税金の適正な国民還元である

政治家の最大の責任は税金の適正な国民還元である

  胸に手を当てて冷静に考えてみるといい。昨今の大きな政治問題は、すべてといっていいほど金(カネ)にまつわる話だ。ガソリン減税はもとより、アフガン給油、年金、薬害訴訟、ナントカ還元水に象徴される政治家の使途不明金、一向に進まない天下り規制・行政改革、防衛装備調達疑惑、などなど、すべて政府予算をどう使うか、どう配分するか、という話である。
  そしてそのカネのほとんどが、一般税であれ、目的税であれ、社会・医療保険であれ、国民から徴収したものである。国民の所得を国が吸い上げる仕組みは、官僚が縦割り行政で考え出す、おそろしく複雑、巧妙なものだ。国民はその殆どを何も知らない。ウムを言わさず政府からまきあげられている。だからこそ国民は、そのカネが適正に使われているのか、政府・官僚によって無駄遣いされていないか、国民の間に公平に配分・還元されているのか、などについて、厳しく監視し、注文をつける権利があるのだ。
  しかし一般の国民にはそれはできない。だからこそ政治家を選び、その政治家に国会の予算・決算審議で追及を任せるのだ。すなわち政治家の最大の責任は、税金を適正・公平に国民へ還元する事なのである。
  残念ながら現実にはそれが十分になされていない。それは国会の審議が形骸化している事がある。自民党永久政権の下で、政府・官僚が国会審議による野党の追及を相手にしてこなかった事がある。しかし何よりも、政治家の中で、自らの生活より国民の生活を優先すると本気で考えている者がいない、と言う事ではないのか。
  22日の朝日新聞は「ニュースがわからん!」というコラムで、国会議員に支給される「文書通信交通滞在費」というものに焦点をあてた記事を見つけた。これを読んだ国会議員はさぞかし慌てた事だろう。最も触れられたくない事を書かれたからだ。
  国会議員には給与(歳費)として毎月130万円ほど支給される。それに加えて期末手当を月額に換算すれば約53万円というから、国会議員は、仕事をしても、しなくても、老人も若者も、どんな国会議員でも等しく毎月180万円以上の給与を受け取っていることになる。
  勿論これは給与に限ってである。政党各党には税金から政府助成金が支払われ、これが国会議員に政治活動費として配られる。そのほかにも国会議員には住居費や移動費に大きな優遇、特権が与えられている事は、すでに散々マスコミで報道されている通りである。
  ところが、これらに加えて、毎月100万円もの「文書通信交通滞在費」が給付されている。これは「公認」された使途不明金である。
  もちろんこれはその名の通り、建前では、政治活動に要する文書費、通信費、滞在費、交通費に使われるために支給されるものである。交通費や滞在費について既に特権が与えられているのに、それに加えて何故交通費、滞在費が二重に支払われるのか、という素朴な疑問はここでは置いておく。
  問題はこの「文書通信交通滞在費」が、議員本人に毎月直接支払われ、一切の領収書が要らない「第二」の給与であるということだ。つまり国会議員は毎月300万円近くの給与を受け取っていることになる。
 朝日新聞の記事が書いているとおり、年1200万円の「渡しきり」のカネは、民間企業でも常識はずれであり、「不明朗で不正の温床」(山田真哉公認会計士)との指摘が出ている。
 折からサブプライムローン問題で国中が更なる富の喪失に見舞われている。年金積み立て金が政府の運用で数十兆円失われたと言われる。個人と言えば、ゼロ金利と年金制度の変更で、嫌でも株式投資を迫られてきた。そしてその株で損をさせられているのだ。格差社会で「カネも将来もないから殺した」という犯罪が後を絶たない。自殺者は高止まりだ。
  国民生活のこの現実を見るとき、国会議員は率先して取り過ぎている給与の一部を返上すべきと考えないのだろうか。議員年金特権を返上すべきと考えないのだろうか。
  ところが、与党はもとより国民の政党を標榜している野党の政治家も、誰一人「文書通信交通滞在費」の不明朗さについて改めようとしない。ここに政治家の正体を見る思いがする。

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2008年01月22日

  もう一度言う。ガソリン国会で何が悪い

 もう一度言う。ガソリン国会で何が悪い

  ガソリン暫定税率の是非をめぐる論評が一斉に始まった。うんざりさせられる。これは手のいい目くらましに違いない。
  私は19日のブログで今度の国会で野党がとるべき戦略は、ガソリン値下げの実現を迫るだけで十分だと書いた。それは勿論極論である。しかし、極論ではあっても正論なのである。もはや普通の事をやっていてはこの国の政治の無力を打破することはできない。山積する諸問題を解決できない。庶民の窮状を救うことはできない。その事について、再度書く。
  「良識的」な人たちは言うかもしれない。たかがガソリン価格を25円引き下げただけで国民生活がどれほど楽になるのかと。それよりも年金、医療、格差、環境、特殊法人改革など、より重要な問題を国会で堂々と議論して解決することが先決であると。
  これはもちろん机上の論理としては正しい。しかしそれは、自公政権と官僚に支配されて来たこの国の政治の現実を捨象した空論である。この国の国会論戦において、いまだかつて議論の優劣で政策が決まったことがあったか。メディアが政治色抜きの正確な報道を国民に提供したことがあったか。マニフェストといい、論争といい、国民がそれを詳しく聞いて政党の政策の是非を判断した事があったか。決してそうではない。
  テレビの政治討論番組を見るがいい。与野党の立場にわかれて繰り広げられるテレビ論戦の、どの一つをとっても、議論の歩み寄りで政策の一つでも合意されて終わったことがあったか。すべては言いっぱなしである。同じ議論の繰り返しである。
  なぜか。相手の言うことに利があると思っていても決してそれを認めようとしないからである。それを認めると政治的敗北になるからだ。だから自分の言っている事が間違っていても正しいと言いい、相手の言っていることが正しくても間違いだといわざるを得ないのだ。自分に都合のいい物事の一面だけを殊更に強調し、相手の言うことには耳を貸そうとしない。その繰り返しである。
  それがテレビ番組であれば笑ってすませることもできる。番組担当者や評論家はそれで飯を食っている。番組をつくり続けなければならない。視聴率を稼ぐためには喧嘩したほうが面白い。しかし国会論議においてさえ同様の事が繰り返されている、それが問題なのだ。与野党の論戦からは決して国民のための正しい政策はうまれてこない。
  22日の各紙は、社会保険庁が、窓口対応を見直して、年金記録の本人確認にヒントを与える方針を決めたと一斉に報じている。これは論議の末に、その論議に負けて社会保険庁が方針を変えたのではない。知っていても教えなかった、その不埒な内部マニュアルがばれて国民の怒りをかったから変更しただけである。薬害救済措置の政治決断はどうか。沖縄教科書検定の見直しはどうか。それらは決して詳細で緻密な論議の結果、政府・官僚がこれまでの政策の間違いを認めて変更したのではない。無責任な行政の結果命を奪われた人たちが立ち上がり、軍国主義に捨石にされた沖縄住民の11万人の抗議集会におそれをなして、政府が動かざるを得なかっただけである。
 問題山積の中で、政局争いに奔走している時ではないという声が巷に溢れている。しかしこれまでのあらゆる政治課題で、政争がらみでないものが一つでもあったか。
 重要な問題であればあるほど政争と切り離せないのである。ガソリン暫定税率撤廃の賛否に関するおびただしい論評の多くが、政府・与党支持のメディアと民主党・野党支持のメディアに分かれていることもそれを如実に示している。自公政権にとってガソリン税率引き下げ問題は実は大問題なのだ。
 自公政権は言う。暫定税率を撤廃すると2兆6000億円の税収減になると。語るに落ちるとはこのことだ。ガソリン税だけでそれだけの金額を国民から搾り取っていたのだ。その金をえさにして建設業界を利権誘導してきたのだ。
 民主党は「ガソリン値下げ隊」などと浮かれる。そんなパフォーマンスをしているから国民の心に届かないのだ。困っている庶民のために本気でガソリン値下げを実現しますという真摯な姿勢をしめせ。 
 社民党は環境税などという。環境も大切だ。しかし今声をあげるのは、これ以上いかなる増税も許さないという主張ではないのか。本気で庶民の痛みを感じているのか。
 すべての経済政策について言えることであるが、一つの政策が与える影響は、経済的余裕のある層、その政策によって直接裨益する特定層と、日々の生活に追われている層、その政策から直接に利益を受けない一般層、との間によって受け止め方が違う。それどころか利害が反することすらある。だからこのガソリン価格引き下げ政策も、国民によって受け止め方は二分されるだろう。しかし政治にとって重要な事は、多数の弱者の利益をまず守るという事でなくてはならない。恵まれている国民は恵まれていない国民に思いを馳せなければならない。今の日本に求められている事はその事だ。
 もう一度だけ繰り返す。今回のガソリン国会で、ガソリン価格の引き下げ一つ実現できないようであれば、年金問題をはじめとしたその他のより重要な諸問題は、何一つ弱者の為になる方向で解決されることはないだろう。
 政治家たちは、党利・党略、政権あらそいもいいが、その前に、まず一般庶民のための政治を実現してみせろ、ということである。
 ガソリンからはじめよ、まずガソリンの価格を下げてみよ、である。
 

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2008年01月21日

対米従属外交を繰り返す事によって失うもの

対米従属を繰り返す事によって失うもの

  何故か大きく報道されないが、新テロ給油法に基づいて給油を再開しようとする日本政府が、今度こそ流用疑惑を招かないように使途検証をさせてくれと頼んだところ、米国がこれを拒否したという。検証を約束させられるぐらいなら給油は断るとまで言ってきたらしい。驚いた。これでは米国自身が流用疑惑を認めたようなものだ。
   しかし私がもっと驚いた事は、石破防衛大臣が、「防衛大臣の責任で決める。そこまで疑ったら同盟関係とは何かとなる」などと、これまでの国会答弁を覆して米国の無理な要求をあっさり認めた事だ。その昔外務省の幹部が省員に対し「米国は日本を守ってくれのか、などと疑う事は、同盟国の米国さまに失礼だ」と訓示を垂れた。あの言葉とそっくりだ。流用しても目をつむりますからどうぞ給油を受けとってください、と石破大臣は言っているのである。
  そういえば19日の各紙は、なぜか小さな記事であったが、来日中のセドニー米国防次官補代理が、普天間飛行場の移設問題について、「移設先や滑走路の形は日本政府から提案があり、米国としてパーフェクトではなかったが合意した。合意した計画は履行されるべき」と、一切の交渉を受けつけない発言を記者会見で行ったと報じていた。日本政府と沖縄県がこれだけ難交渉を重ねて妥協点を見つけようとしているのに、まったく歯牙にもかねない態度だ。次官補代理ごとき下っ端役人に、そこまで言われているのである。
  これだけではない。「思いやり予算はビタ一文まけない」と言ってほぼ全額どおり向こう3年間毎年2000億円を超える予算を日本側に認めさせたのは、昨年12月であった。テロ給油などよりも米国は駐留米軍の予算を確保することのほうをはるかに重視し、福田首相に念を押していたのだ。薬害訴訟であれほど時間がかかった福田首相の「政治決断」は、米国に対しては二つ返事なのだ。
  しかし、この程度で驚いてはいけない。米軍再編にともなうあらゆる不合理な米側の要求がこれから怒涛のように押し寄せてくる。1兆円とも3兆円とも言われる根拠不明の沖縄海兵隊グアム移転の経費、イージス艦や迎撃ミサイルシステム導入の更なる強化、自衛隊の米軍傭兵家など、気が遠くなりそうな無体な要求が続く。
  米国という国は一切の譲歩をしない国である。弱いものに対しては徹底的に高圧的になる国である。自分の利益が損なわれるとなると、怒り狂う国である。
  そのような国の要求を、日米同盟最優先だからといってなんでも丸呑みしてしまう日本政府の対米従属外交。これを繰り返す事によって一体何が失われるのか。
  それは勿論我々国民の安全と豊かな暮らしである。しかしもっと深刻な問題がある。政府や官僚は嘘をつき続けなければならない。本当の事を明らかにすると、さすがに国民も、それはないだろう、ということになる。説明できないから隠し続け、嘘を重ねる事になる。おかしいと思う自分自身まで欺かなければならないのだ。自分を騙さなければ、さすがに官僚たちもこれ以上の対米従属を続けることはつらい。そこで自分自身の良心までも欺く事になる。
  その結果何が起きるか。モラルの崩壊である。人間性の崩壊である。「日米同盟」の重要性を訴え続ける政治家や官僚はもとより、その政策を国民の前で擁護し続ける御用学者は、長年の嘘の繰り返し、自己欺瞞の積み重ねによって、内部崩壊していくのだ。
  そんな連中にまともな仕事が出来るはずは無い。気力は萎え、物腰、顔つきまで悪くなっていく者のなんと多いことか。対米従属外交の真の怖さはそこにある。
 

 

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2008年01月21日

  日経新聞が書いた「三極委員会の転機」

 日経新聞が書いた「三極委員会の転機」

 かつて私はこのブログで、日米欧という三極が世界を動かすと言う時代が、中国の台頭ですっかり色あせて来た、という事を書いた。
 それを見事に解説してくれた記事を1月21日の日経新聞に見つけた。
 「3極委員会 新たな転機」と題する日経新聞編集委員の春原剛氏の記事は、3極委員会の経緯を述べた後で、中国、インド、ロシアなどの新たな「地域大国」をどう取り入れていくかについて意見が割れている事、そしてそれらを加盟させていけば、やがて3極委員会は、「世界の針路を陰で決める」と揶揄される「ありがたみ」がなくなる、というジレンマに置かれている事を書いていた。
 私が春原氏の記事で新たに勉強したのは、次のくだりである。

 「・・・20世紀後半、急速な経済成長を遂げた日本を、何とか国際システムの中に受け入れなければならない。1972年、そう考えたデヴィッド・ロックフェラーは、当時、欧州社会の知的エリートが結集する協議体、ビルダーバード会議の運営責任者であるオランダ王家に日本受け入れを打診した。だが、その答えは期待に反して、「ノー」だった。
  欧州からの帰途、ロックフェラーは、後にカーター米大統領補佐官になるズビグニュー・ブレジンスキーにこう提案した。「それならば、日本を主要メンバーとした新しい会議を創設しようではないか」
 それから程なく、日本から宮沢喜一(後に首相)、大来佐武郎(後に外相)らを招いた勉強会を開催。翌73年10月、民間非営利の団体として「日米欧委員会」が誕生した・・・」

  そして春原氏は次のように続ける。

  「・・・現在では時事用語の一つにもなった『グローバリゼーション』の代名詞的な存在でもある三極委員会。皮肉な事に、その転機はグローバライゼーションの進展と共に訪れた。まず、90年代半ばに「欧州委員会」に中欧諸国が参加、2000年には「北米委員会」にメキシコが加わった。アジアでも日本委員会はアジア太平洋委員会と衣替えし、これに伴い、日本語名称もそれまでの「日米欧委員会」から「三極委員会」に改称している・・・」

そう書き綴った後で、春原氏は次のように締めくくっている。

  「・・・かつてその特殊な生い立ちから『世界の針路を陰で決めている』とまで揶揄された三極委員会。だが、複雑さを増す21世紀の国際システムの中で、そのアイデンティティは良くも悪くも急速に薄れつつある・・・」

  ビルダーバーグ会議なるものが世界を支配するインナーサークルの秘密結社かどうかは私は知らない。しかし、そこに入れてもらえなかった代わりにできたと言う日米欧委員会(三極委員会)なるものが、単なる勉強会以上の影響力のある存在であるとはとても思えない。少なくとも、日本側メンバーが、小林陽太郎富士ゼロックス顧問、緒方貞子国際協力機構理事長、経済評論家田中直毅、東大教授田中明彦、などと聞くと、とてもそのような集まりとは思えない。

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2008年01月21日

 40年ぶりの再会

 40年ぶりの再会

 私事の話で恐縮だけれど我慢していただきたい。私は1966年4月に京都大学法学部に入学した。人づき合いの悪い私は当時の法学部一年一組の同級生との交流はまったくない。三年生で中退した私にはゼミ仲間もいない。
 そんな私が今でも時折思い出す人がいる。授業に必ず出席していた紅一点のクラスメートだった人だ。いかにも聡明な感じの人だった。人づてに司法試験を現役であっさり合格して弁護士になったと聞いていたが、その後はすっかり忘れていた。もう40年近く昔の事である。
 そんな私は、1月17日の朝日新聞のオピニオン投稿欄に出ていた、環境NPO法人気候ネットワーク代表浅岡美恵さんという人の記事を見つけた。今月下旬に出席するダボス会議において、福田首相には是非とも温暖化対策についての日本の決意を表明してもらいたい、という記事であった。
 「福田さんには、まあ、むりだろうなあ」と思いながら読み過ごした。その時はまったく気づかなかった。 ところが、翌18日の毎日新聞で、やはり同じ浅岡さんが、「展望なき経団連まかせ」という見出しで、日本の温暖化政策が経団連に大きく影響されてきた事を指摘し、こんな事では日本は国際社会の動きから完全に取り残される、という意見を述べていた記事を見つけた。
 随分地球温暖化防止に熱心な人だなあと、あらためて浅岡美恵さんの顔写真をしばらく見入った後に他の記事に目を移した。と、その時、突然40年前の記憶と結びついた。彼女は、ひょっとしてあの時の・・・。急いでウキペディアで検索した。間違いなかった。70年3月京都大学卒業。同4月第24期司法修習生とある。それにしてもその後の浅岡さんの歩んだ人生は素晴らしい経歴と活動振りである世のため、人のためとはこの事をいうのだろう。現在は京都弁護士会の会長でもあるという。
 私が浅岡さんの事を書いたのは40年前の感傷に浸るためではない。もちろん、浅岡さんに対して私が恋慕の情を抱いていたということもない。今日のブログで、私はかねて思っているあることを言いたかった、それだけである。
 私は確信している。一流の人間は、決して、官僚(私もその一人であったのだが)や政治家や名誉を求める財界指導者や有識者などを目指さない。つまり権力や名誉を進んで求めない。本当に優秀な人は、一般の人の知らないところで、公共に役立つ活動を行っているものなのだ。そういう人こそ立派な人たちなのだ。立派と言うのは、もちろん頭が良いだけではない。人格的にも立派であるということだ。
 すこしばかり優秀ではあっても、決して一流ではない人物ばかりに権力が集中している、そこに、今の日本の限界があるのではないかと本気で思う。

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2008年01月20日

人間に寄り添って生きる

  人間に寄り添って生きる

  共生という言葉がついに総理の国会施政演説方針の中で正面から掲げられるようになった。それはいいことである。しかし、その言葉は実践されてはじめて意味を持つ。
  これは福田首相の演説を批判して言っているのではない。福田首相は、選挙目当てではなく本気でそう思って演説したのだろう。
  しかし共生の大切さは、政治のスローガンとして大きく掲げるものではない。実現することだ。実践されてはじめて光り輝く。
  この世の中には、我々が知らないところでこれを日常的に実践している人たちが何と多くいることか、その人たちこそ真に尊敬できる人に違いない、そういう人たちが政治を動かせばいいのではないか、私はそれを強調したいのである。
  そう私に思わせる新聞記事を1月19日の東京新聞の「家族の事を話そう」というコラムに見つけた。袖山卓也さんという30代半ばの介護士が紹介されていた。その袖山さんの言葉に私は深い感動を覚えた。
  袖山さんは長距離トラックの運転手の父と美容師の母の下で、家族四人の狭いアパート暮らしで育った。やんちゃな多感期を過ごしていた時、オートバイ仲間が事故で死んだ。通夜の席で泣き続ける友人の母親に衝撃を受け、その翌日から、金髪だった髪を黒くし、なかった眉毛はフエルトペンで書いて、制服にもエリをつけて登校するようになった。以来命について考えるようになって、臨床検査技師になった。しかし、そこで自分のやりたい事は病気を治すことではなく、人間に寄り添いたいんだということに気づき福祉の道を歩む。
  今は4つの介護施設の統括マネージャーとなり、有限会社「笑う介護士」を設立したという袖山さんの次の言葉に私は感動した。

 「・・・僕が子供のころは障害児も普通学校にいて、一緒に遊んだ。でも、誰かが仕切らないといじめられる。たとえば鬼ごっこで、ずっと鬼にされてしまうとか。ぼくは親から『絶対にいじめてはいけない』と言われていた。だから、一緒に遊べるようなルールをつくった。何回つかまっても鬼にならない、みたいな。嫌だったですよ。だってぼくもいじめられるから。それでも変な自信もあってね・・・」

  その袖山氏は高齢者ケアに携わるようになり認知症に出会う。

  「・・・認知症は(人生最期のもっともつらい、親しい人との別れすら忘れてしまえるという意味で)、神様のプレゼントではないかと思っている。問題はケア。ばかにされたりし、高齢期が暗くみじめなものになってはいけない。そこで、決めたんです。認知症の人がそのまま普通に過ごせるケアをつくろう。お年寄りがわらっていられる社会にしたい・・・」

  その袖山氏も、失禁やはいかいが激しい老人を目にして「この人たちと一緒にくらしたくない」といったことがあったという。

  「・・・おばあさんと狭いアパートで一週間ほど過ごした記憶がある。おやじが面倒を見るために、引き受けたんだと思うんです。一緒にいる間、失禁や、はいかいがすごかった。そのとき、『この人と一緒に暮らしたくない』と言ってしまった。あのときに戻りたい。今のぼくなら、最高のケアができると思いますから。そういう思いを、本人も家族の人もしなくていいような介護を、広げていきたいと思っています」

  私は確信している。この世の中には袖山さんのような「人と寄り添って生きる」事を大切にし、実践する人たちが無数に存在する事を。その人たちはメディアに毎日のように登場する政治家や評論家などのように「立派」な人ではない。しかしこの世の中は彼らのような、名もなく権力もない無数の人たちの「共生」を実践している人たちで成り立っているに違いない。
 彼らにこそ今の日本の政治を任せたい。彼らこそ小泉似非構造改革以来日本を席巻する新自由主義に抗し、「共生」する日本を取り戻せるの人たちに違いない。

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2008年01月19日

「ガソリン」だけでよい

  「ガソリン」だけでよい

 1月18日の朝日新聞の社説は、その日から始まった通常国会が「ガソリン国会」と異名がついた事を揶揄しながら、「ガソリン」だけじゃない、という見出しをつけて、それ以外の問題も論じ合って政権選択の判断材料を国民に与えろと力説している。
 そうではない。ガソリンが4月1日から25円安くなるかどうか。それができる政権はどっちか、それが最大の政権選択の判断材料であるのだ。
 田中政権の時に導入された暫定税金が、既得権として道路建設業界にばら撒かれてきた。そんな事は今度の参院における与野党逆転でも起こらない限り永久に国民は知る事が無かったであろう。マスコミは報道しなかったであろう。そのような異常なことが一党永久政権の下でどれほど繰り返されてきたことか、容易に想像できる。
  暫定税率をなくせばその穴埋めの財源をどうするかと自民党は言う。ふざけるな。その為に税金で給料を払って官僚を雇っているのだ。それを考えるのが官僚の仕事であり、その官僚が国民優先の政策を作れるかどうかを監視するのが政治家の仕事なのだ。政治家と官僚が結託して自らの利権を守ってきたから国民生活が苦しくなったのだ。
 野党もそんな自民党の議論に応じて官僚的な言い訳をする必要はない。財源などは、特別会計の無駄をなくせばすぐ出てくる、不必要な独立行政法人をなくすだけで膨大な予算が国民の手元に返ってくる、それをやってから物を言え、と真実を訴え続けるだけでいいのだ。
 これまで政治は保守か革新か、右か左かなどとイデオロギー対立のごとく安易に色わけされてきた。そして自民党は反対党をすぐに左翼だと決め付けイメージ毀損に走った。しかし今や一般大衆の大半は日々の生活で精一杯だ。一般大衆の喫緊の課題は自らの暮らしの安心である。それに反する政治家や官僚の暴政を抑止してくれる新しい政治勢力を心から望んでいる。
 19日の朝日新聞に30代の政治論客が増えてきたという記事があった。そしてその背景に、「『左』の崩壊が『右』の崩壊も引き起こし、従来のスタイルで語る論客は退場した結果、『政治を語るうさんくささや拒否反応が薄らいだ』(佐藤俊樹・東大准教授)という指摘があった。
 そういえばある月刊誌に、共産党を離れたイデオロギストで人生の大半を終えてしみじみ次のごとく述懐していた。
 「・・・ずっと後になって気がついたことだが、日本の左翼は、ソ連・中国・北朝鮮などに依存して生きてきた没主体的な集団であったと思う。いっぽう、右翼も米国に依存してきたことはあきらかだ。日本における思想運動は、左右両極とも他力本願であったのではないか・・・」
 そろそろ我々は自力本願で日本を再生する原点に立ち戻るべきではないか。その時の唯一のイデオロギーは一般国民の、一般国民による、一般国民の為の政治を実現することである。その試金石こそガソリン引き下げが出来る政権ができるかどうかであるのだ。「ガソリン」だけでよい。

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2008年01月18日

最大のインサイダーは政府であり政府と関係を深める面々である

 最大のインサイダーは政府であり、その政府と関係を深める面々である

 NHK職員三名が株のインサイダー取引をしたのではないかという疑惑が、18日の朝刊各紙のトップ記事となっている。「たとえ得られた利益が小額でも、不公正な取引には厳しく対処する」と証券取引等監視委員会は言う。いいだろう。不正は厳しく取り締まるべきだ。この機会に野放し状態の巨悪インサイダー取引者たちを一網打尽にしてみたらどうか。
 株を少しでも手がけた事のある者なら誰でも知っている。株で確実に儲ける事が出来るのは、インサイダー取引である事を。公開情報を丹念に研究して会社の業績を調べたり、チャートを辿ったり、底値で買って高値で売る、などと、当たり前の事をしても儲かるとは限らない。経済学者のケインズがいみじくも言ったように株取引は美人コンテストのようなものなのだ。人によって嗜好は違う。売買対象になる銘柄はまちまちだ。だからこそ得をしたり損をしたりする。
 そんな中で確実に儲かるのはインサイダー情報を得る事である。株取引をしている連中はあらゆるコネを使ってインサイダー情報を手に入れようと躍起になる。そしてインサイダー情報つくり、操作できる最大の権限者は政府、行政である。その政府情報を入手できる政治家や、その政治家と関係を深める仲間たち。彼らがインサイダー取引を行っていない、などと誰が信用するだろうか。
 そもそも日本にインサイダー取引を禁止する明確な規定が証券取引法などに設けられたのは80年代末だという。それまでは政治銘柄などと言われる政治資金提供目当てのインサイダー取引が公然と行われていた。
 しかもインサイダー規定が出来たからといって、インサイダー情報を探したり、インサイダー情報をもとに取引を行う事だけで処罰されることはない。法の要件を満たしてはじめて違法になるのだ。そしてその判断は証券取引等監視委員会や検察、司法当局にゆだねられる。
 インサイダー取引が厳しく禁じられるのはよい。しかしその取締りはあくまでも公正、公平でなければならない。最大のインサイダー情報保有者である政府と、その違法性を最終的に判断する行政、司法は、まず自らを律しなくてはいけない。NHK職員のインサイダー取引だけを大騒ぎしてフタをしてはいけない。

 

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2008年01月18日

ブッシュ大統領の中東訪問と日本の中東外交

  ブッシュ大統領の中東訪問と日本の中東外交

  野党議員にお願いしたい。一人でもいいからこの質問を国会でぶつけて欲しい。質問相手はもちろん福田首相であり高村外相である。しかし彼らに中東を語る知見はない。外務官僚の作成した答弁を、下を向いて読み上げるだけだ。だからこの質問は外務官僚に対する質問ということになる。外務官僚はどこまで中東情勢を理解しているのか。外務省の中枢は米国しか顔が向いていない。中東を担当する局長さえ対米外交を最重要視し中東情勢など担当官まかせだ。よもや日本の中東外交は米国の中東外交の後方支援ではないだろうな。質問の趣旨はそこにある。
 1月16日ブッシュ大統領は8日間に及ぶ中東歴訪を終えた。6カ国1地域(パレスチナ)に及ぶ、就任8年目にして初めての本格的な中東訪問であった。これは、あの9・11から突然ブッシュ大統領の最優先外交課題となった米国の中東政策の総括である。
 もちろん1年たらずの残りの任期に中東情勢はさらに動くであろう。ブッシュ大統領の再度の中東訪問もありうるかもしれない。しかし今や米国は国内経済問題が火を噴き始めた。ブッシュ政権の残りの任期は経済政策に集中せざるをえないだろう。ブッシュ大統領の中東政策は終わったのである。だから総括するのである。
 今回のブッシュ大統領の中東訪問は何のためだったのか。そしてその成果は何だったのか。日本はそのブッシュ大統領の中東政策をどう評価し、自らの中東政策の反面教師とするのか、これである。
 日本中がアフガン給油問題で大騒ぎしている時、ブッシュ大統領は中東訪問の真っ只中にあった。パレスチナの和平問題、イラクの安定化、イランの孤立化、などという大きな問題について、湾岸諸国や親米アラブ諸国の協力を取りつける事が目的であったと報じられていた。
 しかしその間に中東で何が起こっていたか。パレスチナ自治区ガザにイスラエル軍が侵攻し市民3人を含む17名(19名)のパレスチナ人が殺害された。さすがの親米アッバス自治政府議長も「虐殺行為だ」と非難せざるをえなかった(16日毎日、17日日経)。
 そのイスラエルでは、アッバス議長と和平交渉を始めたオルメルト・イスラエル首相を「なまぬるい」と、タカ派政党「わが家イスラエル」が連立を離脱した(17日毎日)。親米、親イスラエルのアッバス議長でさえダメだとイスラエルのタカ派は言っているのである。17日には長距離ミサイルの発射実験に成功したと発表した。あきらなかイラン挑発である。200発とも言われる核弾頭の保有国イスラエルが、イランはもとよりパキスタン、インドなども射程距離に入れる長距離ミサイル実験を誇示している。日本は一言も遺憾の意をとなえることはない(18日日経)。
 イラクでは、07年の米軍(多国籍軍)による空爆が1,447回行われた。これは06年の約6倍であったという(17日ワシントンポスト)。これまでイラクでは稀であった女性による自爆テロが、今月に入って2日、16日と相次いで起きた(17日朝日)。米軍はアルカイダなどの反米抵抗組織に対抗するため、イラクのスンニ派部族を武装化しイラクの治安に使おうとしている。しかしこのような思いつきの政策が、イラクシーア派との宗教対立を激化するおそれがある事は明らかである。重要な事は特定部族に武器を与える事ではなく、イラクの非政府組織や民兵の武装解除であると、イラクの有識者から警告を発せられている(17日毎日 世界の目)。その一方で、イラクでは、マリキ政権に反発するスンニ派、シーア派、世俗派などの共同戦線が出来つつある(15日日経)。石油の利権をめぐった国内クルド人との権限争いも残ったままだ。要するにイラク情勢は混迷の極みであるということだ。
 レバノンでは米大使館のクルマが自爆テロに襲われ3名の犠牲者が出た。シリアのレバノン支配は変わらず、ブッシュ大統領が敵視したシリアと米国の関係も裏取引の噂が絶えない。
 親米政権のサウディアラビア、エジプトでさえも、「一体、これ以上何をイスラエル人に譲歩できるのか」(サウド・サウディアラビア外相)」(17日朝日)、「ムバラク大統領は米国の中東政策を繰り返し批判してきた」(11日付エジプト紙アルアハムラ)とブッシュ大統領の中東政策に批判的だ。アラブのメディアや一般国民の反米、反ブッシュ感情はもっと激しい。
 要するに目もくらむようなブッシュ大統領の中東外交の失敗が明らかになったのだ。このような現実に一切目をつむり、ブッシュ大統領は「(年内の和平交渉妥結に)私は楽観的だ」などと語る。
 日本はブッシュ大統領の中東訪問をどう評価しているのか。そしてこのような中東情勢を前にして日本はどのような中東政策を持っているのか。それを国民の前で的確に質してくれる野党政治家はいないものか。


 

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2008年01月17日

 「反抗にあこがれぬ若者」という読売新聞の記事に思う

 「反抗にあこがれない若者」という読売新聞の記事に思う

 1月14日の読売新聞に興味深い社会評論の記事を見つけた。最近の若者は、かつての若者の特権である「反抗」について興味を示さなくなったと、次のように書いていた。

  ・・・自分(40歳の記者)の青春時代を振り返れば、あこがれたのは優等生ではなく、大人や社会に立ち向かうような人だった。もっと上の世代なら・・・ゲバ棒で権力と闘った。それに比べると現代っ子は違う・・・彼らは皆、クールだ。
 「上の世代に反抗する意味ってあるんですか」
 「社会に抵抗するのは時間の無駄。ただ、自分の力をだせばいいだけ」
 「今の男子学生に、尾崎豊が歌う映像を見せると、『こんなに熱く歌って気持ち悪い』とか言うんです」と話すのは精神科医の香山リカさん(47)だ。香山さんはここ何年か、教鞭を執る大学の心理学の授業で尾崎を取り上げているが、『大人への反発や、管理社会への抵抗を歌った曲は非常に人気が低い』という。
  ・・・なぜ(反撥や抵抗が)弱まったのか。香山さんいわく、「おそらく、父親や教師が優しくなり、脅威ではなくなったから」。それ故、今の若者は、大人を無条件に信頼し勝ちだ。「大人は自分たちのために何か協力してくれる存在。ならばそれを利用しない手はない。尾崎みたいに生きるのは損だと考えるんです」
 「大人が優しい社会」となった理由を文化人類学者の沼崎一郎・東北大教授(49)は、「家族をつくる事が『趣味』になったと分析する。概して社会は豊かになり、人々の心には余裕が生まれてきた。結婚しないと世間体が悪い、なんてこともなく、コンビニと電化製品があれば男一人でも生きていける。
 「じゃあ、どうして結婚して子供をつくるのか。それは家族を楽しみたいからなんです」
 家族を楽しむために父親は子供に気をくばり、「誰に飯を食わせてもらっているんだ」などとは言わない。だから子供は、素直で、気配りができ、他人との関係性を重視する人間に育つ。沼崎さんはこんな傾向を「男の子たちの少女化現象」と呼ぶ・・・

 なるほどそういえば、まわりを眺めると思いあたるような気もする。社会で頻発する家族殺しや凶悪犯罪は、例外的なほんの一部かもしれないのだ。だからこそ、それが大きなニュースになるのだ。
 そして「反抗、反撥」に冷淡なのは若者に限らない。社会人も、引退した高齢者も、総じてやさしく、おりこうなのだ。抵抗するものは負け組みだ、自分は負け組みと一緒になりたくない、内心そう思っているに違いない。
 これほど自公政権が無能であっても、もし次の選挙で政権交代が起こらないとしたら、それは日本がまだ、まだ恵まれた国であるという事だ。格差社会、格差社会とメディアが騒いでいる割には、多くの国民は、貧しいながらも、苦しいながらも、なんとかやっていけるのだ。だから現状を是認しているのだ。変化に臆病なのだ。
  「いや、そうではない」、と反論する声が聞こえそうだ。私も、この読売新聞の記事が一面的である事を願う。いつ、どのような状況のもとで総選挙が行われても、そして小沢民主党に問題が多いとしても、次の総選挙では政権交代を期待する。
  はたして日本国民の多くは、一般大衆の大半は、反骨精神がないのか、「反抗」は愚かだとさめているのか。それは次の総選挙で明らかになる。

 


 

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2008年01月17日

  「新車販売の不振」のニュースから見えるもの

  「新車販売の不振」のニュースから見えるもの

  07年の国内新車販売が不振であるというニュースが各紙に報道されたのは1月8日であった。前年比で7.6%減。35年前の水準であるという。売上高が2兆円を超えたと喧伝されているトヨタでさえ前年実績6.2%も減らしている。
  その理由として消費者の嗜好の多様化や人口の少子・高齢化、ガソリン価格の高騰などがあげられていた。しかし一番の理由は賃金の伸び悩みや、若者の雇用形態の変化による低所得化が急速に進んでいることに違いない。私はその記事を読んだ時直感的にそう思った。
  それにはわけがある。その記事を読む二、三日前のある集会で出会った社長の話を思い出したからだ。私が暮らしている那須塩原市で自動車販売の会社を経営しているというその社長は、「お仕事はどうですか」、と何気なく挨拶代わりにたずねた私の言葉に、興奮気味に語ったものだ。

 ・・・昔は若者が買いたいものは車が上位だった。しかし最近は売れなくなった。自動車会社は金儲けのために経費を切り詰め社員をいじめている。その結果社員の生活は苦しくなり、まわり、まわって車が売れなくなった。これでは自分の首を絞めているようなもんだ。おかげでこっちも影響を受けて大変だよ・・・

  新聞でははっきりとは書かないが、本日(17日)発売の週刊実話1月31日号で、経済アナリストの森永卓郎が見事に、次のように書いていた。

  「・・・車が売れなくなった理由について、自動車業界は人口減や若者のクルマ離れだと指摘しているが、本当にそうだろうか・・・07年の成人人口は前年より、わずか0.3%だが、増えている。だから人口減が自動車販売減の理由にはならない・・・本当に若者はクルマを必要としなくなってしまったのだろうか・・・平成16年の世帯普及率をみると年収400万円台前半の普及率は78%、300万円台前半でも66%の普及率がある。東京や大阪などの大都市に住んでいる人は別にして、今の日本では、クルマが生活必需品になっている。実際、地方都市に住んでいると、市役所に行くのも、買い物に行くのも、車がないと不便でしかたがない。しかしいくら生活必需品であると言っても、あまり低所得になるとクルマが買えない。実際、年収200万円未満の世帯になると、自動車の普及率は35%に激減している。
  昨年国税庁が発表した「民間給与の実態」によると、年収200万円未満の給与所得者が1023万人と、21年ぶりに1000万人の大台に乗せた。こうした低所得層の拡大が、クルマの販売不振に結びついているのは間違いないだろう。
  こうした観点でもう一度07年の自動車販売統計を見ると・・・国産高級車のレクサスシリーズは前年比11・9%も販売台数を増やしているのだ。いわゆる勝ち組が所得を増やして高級車をどんどん買っているのに対して、庶民は軽自動車さえ買えなくなってしまっているのが現実なのだ。
 これまで構造改革派の人たちは、グローバル競争に勝ち抜くためには、人件コストを抑えることが必要不可欠だとして、リストラや非正規社員の活用を進めてきた。しかし、それが、やりすぎになってしまったため、車が買えなくなるくらい庶民の懐が寂しくなってしまったのだ。構造改革派にとっては、まさに『悪事身に返る』になってしまったのだ・・・」

  揮発油税の暫定税率という聞きなれない言葉が何故ここに来て急に国民の関心を惹いているのか。それは暫定法が3月末で期限切れとなれば4月以降ガソリン価格が20数円確実に下がるからだ。それを「たかが20数円で大騒ぎをするな」などと嘯いている連中は、格差社会の痛みを理解していない連中だ。いや、むしろ格差社会をもたらした張本人たちに違いない。
  本来なら、所得格差是正のために減税や金融緩和や景気対策を早急に講じられねばならないのに、与党からも野党からも本気でそのような対策を採ろうとする声は聞こえてこない。そんな中で唯一目に見える救済策がガソリン価格をさげる暫定税率の撤廃なのである。財源がどうだとか、道路がつくれなくなるだとか、そんな事はお前ら政府・責任者が考える話だ。それがお前らの仕事だろう。とにかく今は一刻もはやくガソリン価格を引き下げろ、米国の給油する金があるのなら、まずそれを国民に回すのが筋だろうが。これが一般庶民の正しい声なのである。
  小沢民主党よ、自らの政権とりのためにパフォーマンスに浮かれている場合ではない。もっとまじめにこの問題を国民的政治イシューにすべきだ。生活に苦しむ多くの庶民を代表するのが民主党ならば、富裕層と結託してこの国の政治を独占してきた自公政権と対決すべきだ。その姿勢を一般国民に前にひたむきに示すべきだ。ガソリン国会、ガソリン引き下げ隊などとヘラヘラしていると、そのうち福田政権が「国民生活重視」に豹変し、暫定税率撤廃までもさらわれていくことになる。


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2008年01月16日

ネット囲碁に夢中になりながら

ネット囲碁に夢中になりながら

  どうでもいいことなのだけれど、ネット囲碁に夢中になって2週間が経つ。対極は100回を超えた。戦績は2勝3敗のペース。典型的なヘボ碁だ。ヘボ碁の常として、負けると悔しくて腹が立つ。いきおい回数が増える。
  今から40年近く前、外務省に入って東京暮らしを始めた頃、盆暮れの休暇に実家の京都に帰ってはおやじとよく囲碁を打った。人付き合いの下手なおやじは、停年後はめっきりふけて家で時間を過ごす日々であった。私が帰るのをいつも心待ちにしていた。
  たまに帰ったからと言って格別の話題もない。いきおい囲碁を打つことになった。その昔おやじから教わった囲碁であった。いつしか私が少しだけ上手になっていた。それでも置き碁はおやじのプライドが許さない。互い先で打てば2勝1敗のペースで私が勝つ。もう一回、もう一回ということになって、いつしか夜を徹して囲碁を打ったりもした。いまから思えば精一杯の親孝行だったのかも知れない。
  そのおやじは、私が海外勤務の時に肺炎をこじらせて急死した。66歳だった。死に目には会えなかった。あと数年で私もその歳に手が届くようになった。
  もっと囲碁を打っておけばよかった。私はネット囲碁を打ちながら、そして見知らぬネット先の相手に負けて腹をたてながら、時々はおやじとの短かった対話の時間を思い出している。

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2008年01月16日

正気の沙汰とは思えない迎撃ミサイルの新宿御苑訓練配備

 正気の沙汰とは思えない迎撃ミサイルの新宿御苑訓練配備

 15日夕刻7時のNHKニュースは、米国から買わされた迎撃ミサイルを新宿御苑に訓練配備したというニュースを流していた。夕食をとっている家庭が多い平和な日本の茶の間に、まるで非常事態でも起こったようなニュースを流す。正気の沙汰とは思えない。しかも今後も代々木公園ほか都内の要所に実地調査のための配備を繰り返すという。
 しかし正気の沙汰でないのはNHKではない。NHKはそれを流せと命じられているのだ。正気の沙汰でないのは、そのような訓練を平気で命ずる政府であり、その政府の命令に絶対服従する思考停止の自衛隊という巨大な実力組織である。
  それにしても人口が密集する東京都心に迎撃ミサイルを配備する政府、そしてそれを黙って見過ごす日本国民、問題提起をまったくしないこの国のメディア、いずれも正常な感覚が麻痺しているのではないか。
  一体どの国が日本にミサイル攻撃をしてくるというのか。政府は北朝鮮であると言うだろう。しかしその北朝鮮の生殺与奪を握る中国と米国はもはや利害共有関係にある。米国も中国も金融資本による世界経済のコントロールが最優先だ。それどころか当面はサブプライムローン問題の処理で手一杯なのだ。北朝鮮の暴発など許す筈が無い。
  百歩譲ってその北朝鮮が日本にミサイル攻撃をして来たとしよう。新宿御苑に配備された迎撃ミサイルは射程距離が長くても数十キロメートルである。新宿御苑に運ぶまでにミサイルは都心に何発も着弾している事だろう。冷静に考えれば無意味なことをやっているのだ。いや、むしろ日本を危険に陥れている。
  米国の巨額の最新兵器を大量に導入している国はイスラエルとサウジアラビアと日本だけだ。そのうちイスラエルは、文字通り米国の兵器でアラブすべてを押さえつけようとしている。意味のある武装である。
  しかし、サウジアラビアは米国軍需産業に食い物にされている国だ。石油資源を支配さえれ、石油輸出代金を兵器購入で吸い上げられる。最新兵器を砂漠に導入しても自分たちで使いこなせない。猫に小判、豚に真珠だ。他の湾岸産油国も同様でだ。内心世界の笑いものになっているのだ。
  そして日本である。グローバリゼーションという名の米国金融資本の搾取を許し、国民生活をズタズタにしてしまったこの国の為政者は、今こそ国民の生活救済に全力を傾注しなければならない時であるのに、米国政府に絶対服従して米軍需産業のために血税を浪費している。守屋事件でここまで明らかになったというのに何も変わらない。変えることができない。
  内閣府は15日に試算を発表し、ついに財政赤字の健全化を事実上あきらめたようだ。頼みとする個人向け国債も売れなくなった。地方に回す予算もないので地方財政の赤字は地方債で賄えとい始めた(16日読売、毎日)。
  その一方で福田首相は15日の記者会見で消費税引き上げをほのめかした。国民の7割が渇望しているガソリン価格は、「日本のガソリンはほかの先進国に比べるとかなり安い。環境問題を考えた場合、果たしてガソリンが安いほうがいいのか」などと他人ごとのようである(16日朝日)。

 16日の日刊ゲンダイは次のような見出しを掲げていた。

 戦略なき自公無能政権とビジョンなき野党という壊滅状態の永田町
 ただ傍観し垂れ流しているだけの大マスコミ
 日常生活に浮かれている若者
 生命はあるが何もできない高齢者の群れ
 一過性の繁栄に享楽する一握りのタレント・文化人たち

 日本がこのまま崩壊していっていいはずはない。敗戦から立ち上がり日本を復興させた先人たちの努力を無にしていいはずはない。

 

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2008年01月15日

 国政選挙に電子投票制度を導入する動きを警戒せよ

国政選挙に電子投票制度を導入する動きを警戒せよ

 毎日ブログを書いていると読者から次はこういうテーマで書いてくれという依頼がよく寄せられる。私にあらゆるテーマをカバーする専門的知見と無限のエネルギーがあればそれらの要望に応えることも可能だろう。しかし、残念ながらそうではない。世の中の山とある不正、不条理、暴政、欺瞞のほんの氷山の一角を、独断と偏見で選んで好きなように書く。それがこのブログのすべてである。
 今日取り上げる電子投票制度の導入も読者から書くように要望されていたテーマの一つであった。それを書く気になったのは、15日の毎日新聞「クローズアップ2008」において、電子投票の不安が大きく問題提起されていたからだ。
 その記事を読んで、わが国の国政選挙に電子投票制度が導入される動きの不当さ、不純さを、あらためて認識したからだ。どうしてもこのブログで書きたくなった。
 私が毎日新聞の記事で特に注目したのが、この制度をいち早く導入した米国において、すでに不正疑惑が問題となり、その信頼性が大きく揺らいでいるという事実である。毎日新聞の記事はこう書いている。

 ・・・「タッチパネル式投票の長所は、その不透明性(という短所)に打ち消されてしまっている」。カーター元大統領とベーカー元国務長官が共同議長を務めた超党派の「連邦選挙改革委員会」は05年の報告書で(そう)結論づけた。
   タッチパネル式投票機の普及率が4割近い米国では、近年、電子投票の信頼性が大きく揺らいでいる。04年の大統領選挙では、住民の8割以上が民主党の地域で共和党のブッシュ大統領が勝ったり、投票者数が638人だったのにブッシュ氏が4258票を獲得した例があった。大手投票機メーカー2社と共和党の関係が深く、投票機が共和党に有利に設計されていたのではないかとの疑惑も報道された。
  今月8日の大統領選のニューハンプシャー州予備選では電子投票集計がヒラリー・クリントン上院議員に有利に行われているのではないかとして、同じ民主党候補の一人クシニッチ下院議員が再集計を申請した。
  連邦選挙改革委員会は投票者が自分の投票を確認でき、再集計も手作業でできるよう、投票ごとにレシートのような記録紙が打ち出されるタッチパネル式投票機の導入などを提言した・・・

 ことごとく米国を後追いする日本政府が、この米国の動きにもかかわらず今頃になって国政選挙に電子投票を導入しようとしている理由はどこにあるのか。誰もが抱く疑問である。
 毎日新聞によれば、このきっかけを作ったのは、電子投票機を製造・販売する中小企業の連合体である「電子投票普及協業組合」なる団体だという。選挙のたびに登場する選挙コンサルタントの一人宮川隆義氏が理事長をしている組合であるという。選挙コンサルタントといえば聞こえは良いが、政界に出入りし選挙が近づくたびにマスコミに予想を流す選挙業界人である。その組合が、超党派の電子投票推進議員連盟「電子式投開票システム研究会」の結成(93年)に奔走したというのだ。
 その結果、一部の自治体選挙で2002年から電子投票が試験的に導入された。ところが集計トラブルが相次ぎ、廃止する自治体も出てきた。そんな電子投票制度が、なぜ今になって急に国政選挙に導入されようとしているのか。
 政府・与党内にも慎重論があって長年先送りされてきたものが、電子投票推進議連幹部の中川秀直氏が自民党の幹事長に就任したことにより急に機運が高まったという。そして07年6月に議員立法の形で急いで改正案が国会に提出され、今にも成立しそうになっていたのだ。私が読者からブログで取り上げて欲しいとメールを受け取ったのも丁度その時であった。そのメールの発信者はまさに正しく、危機意識を持っていたのだ。
  こうして過去の経緯と関係者の顔ぶれを見るだけでも胡散臭い法案であるが、問題はそれがこれまでほとんど大きな報道とならず、関係者の間だけでどんどんと進められていたという事実である。
  幸いにも昨年12月の参院政治倫理・選挙特別委員会で民主党の中村哲治議員が①不正の検証手段が無い②機器のトラブルで記録が消えた時の全国的な影響が大きい③特殊な機器であり限られた業者に利権をもたらす危険があるという、至極もっともな質問をし、提案者の一人である原田義昭衆院議員(自民)が満足に答えられなかった為、今国会での採択は見送られ継続審議となったという。
 選挙で勝てそうもないとわかれば得票をごまかすのが古今東西の政治の例である。皮肉を込めて言うのだが、まさか選挙道徳の進んだ日本の政治家がそのような忌まわしい事を考えているとは思わない。
 しかし、いくら解散・総選挙を引き伸ばしても勝てそうもないとわかればどうか。あらゆる手を使って勝とうとする、それが権力の甘味を知った政治家の常である事も、やはり古今東西の例が示すところである。
 この毎日新聞の記事で、もはや自公政権は電子投票法を急いで成立させることは出来なくなったに違いない。下手にそのような動きをすれば、その真意を疑われる。強行すればますます選挙に勝てなくなる。
 今後この電子投票制導入の動きをメディアが注視して大きく報道してくれる事を期待する。 

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2008年01月14日

2月10日の岩国市長選に希望の光を

  2月10日の岩国市長選に希望の光を

 14日の日経新聞が2月10日に迫っている岩国市長選挙の事を報じていた。この記事を読んであらためてこの選挙の重要性を思い返した。
 なぜかテレビではほとんど岩国の市長選挙の事を報じない。だから全国的な話題にはならない。しかしこの選挙こそ日本の政治の未来を占う重要な選挙なのだ。
 岩国市長選挙に至る経緯は次の通りである。すなわち、米軍再編に協力するために日本政府は、何があっても米空母艦載機を厚木から岩国へ移駐させようとする。これ以上の負担を住民に強いる事はできないと井原岩国市長は反対する。日米軍事同盟を最優先する日本政府は、テロ給油継続と同様に強硬姿勢一点張りだ。「補助金打ち切り」という兵糧攻めで井原市長に圧力をかける。自公系が多数の岩国市議会も政府に同調し、井原岩国市長を解任に追い込んでいる。進退窮まった井原市長は、ついに昨年12月26日、辞職・出直し選挙に訴えた。こうして住民の信を問う選挙が行われる事になった。
 政府の横暴は目に余るものがある。あらゆる意味で井原市長に正義がある。しかし正義が常に勝つとは限らない。人は暴政の前に屈服する。理想よりも現実生活を優先する。この選挙で井原市長が勝つことは容易ではない。それでも井原市長に勝ってもらいたい。そう願って私は井原市長を応援する。
 大げさに言えば、この選挙で岩国市長が勝つか、自公の候補者が勝つかに、この国の未来がかかっている。この国が、為政者のゴリ押しを許して一億総保守化の国になるのか、それとも、権力の暴政に抗って正義を貫く国として踏みとどまることができるか、その試金石となる選挙である。
 私はこの選挙のポイントは三つあると考えている。
 一つはこの選挙を、左右イデオロギーの対立選挙にしてはならないということである。この選挙が我々に問いかけるものは何か。それは勿論米国の言いなりになって在日米軍を永久固定化しようとする政府の誤りである。それは日本の未来を危うくする。だから米軍再編に協力してはならないのだ。
 しかし私のこのような訴えは、左右のイデオロー対立にすり替えられるおそれがある。イデオロギー対立に辟易している一般市民の腰を引かせることになる。政府側はこの点をついて来るに違いない。
 おりしも14日の毎日新聞に、自民党の大田誠一衆院議員が福岡市内で行われた新春の集いで、福島瑞穂社民党党首を「極左」呼ばわりし、極左とテロを結びつける発言をしたという記事があった。政府側にしてみれば、元労働官僚の井原市長も今や共産党の如くであり、イラク戦争批判を声高に叫ぶ元外務官僚の私はさしずめテロリストに洗脳された過激派ということになる。
 しかし岩国市長選挙は決してイデオロギー対立の選挙ではない。それは、強者による弱者いじめ、国家権力による地方自治の弾圧、国民より米国政府を大切にする国民生活無視の政策に反対する、岩国市民、日本国民の闘いなのである。
 二つは、岩国市民が、そして日本国民が、国家(お上)と対決し続ける事にどこまで耐えられるか、それが問われる選挙であるということだ。
 06年3月に空母艦載機移駐の是非を問う住民投票が行われた時も、そしてその翌月に合併に伴う新岩国市長選挙が行われた時も、住民は井原市長を支持した。
 しかし今回は騒音被害が最も激しい基地周辺の自治会も「現実的対応」を市長に促すようになったという。「反対しても米軍は来る。だったら条件交渉を」という声が強まりつつあるというのだ。自らの手で主権を手にした事のない日本国民の悲しいまでの従順さである。
 果たして岩国住民は分断され、支配されていくのか。それとも筋を貫けるのか。全国の国民は岩国住民の苦しみを自分の苦しみとして受け止め、権力と闘う岩国住民を応援する声が高まるのか。
 三つは、移駐容認派が対抗馬として擁立した候補者福田良彦氏(37)が「小泉チルドレン」の一人であるという事である。米軍再編への協力を国民に説明することなくブッシュ大統領に公約したのは小泉元首相であった。その小泉元首相の郵政選挙で政治家になった福田氏は、今度の総選挙では勝てないと白旗をあげ、ならば市長に「再就職」しようと早々と手を上げたという。そんな候補者を岩国住民がおめおめと選ぶ事になるのだろうか。
 自公側にも福田氏の出馬を疑問視する声があるという。「市長選、補選に連敗したら目も当てられない」という危機感があるという。井原氏が市長を辞職した昨年12月26日、福田康夫首相は記者団に「困った」と述べたという(14日付日経新聞)。自公政権も追い込まれているのだ。
 2月10日の岩国市長選から目が離せない。

 

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2008年01月14日

 ねじれているのはこの国の政治そのものである

 ねじれているのはこの国の政治そのものである。

 14日昼に流されたJNNのニュースで最近の世論調査の数字が出ていた。いずれ同様の世論調査の結果が報道各紙で発表されるであろう。その数字に多少のバラツキはあっても、大勢は変わらないに違いない。
 それによると福田自民党の支持率は低下したままだ。新テロ法を再議決で強行成立させた事に対する反対が過半数以上ある。福田政権の支持率は、今後下がる事はあっても上がることはないだろう。無理もない。新テロ法案などという国民生活にとってどうでもよいものに血道をあげ、国民生活を救う財政・経済政策はまったく目処が立たない。
 それにもかかわらず福田首相は解散・総選挙を来年9月の任期いっぱいまで行わないという声すら出てきている。議席を減らすことがわかりきっている負け戦をする首相がどこにいるかということらしい。その間にどんどんと国民生活は窮乏していく。これでは自公政権は国民の悲鳴より自分たちの政治的保身を優先する政権だと公言しているようなものである。
 その一方で民主党も壮大な自己矛盾を抱えている事が世論調査で判明した。民主党の支持率が自民党の支持率を上回り、民主党中心の連立を望む声が自民党中心の連立を望む声よりも大きい。今ほど政権交代の可能性が高い時はないというのに、自公政権を追い詰めるという熱気がまるで民主党に感じられない。
 それどころか選挙に勝つために余人をもって替えられないという小沢民主党代表を、国民の7割以上が首相にしたくないと思っていることがわかった。新テロ法採決時に国会を欠席した小沢民主党代表を批判する声は、実に8割以上にのぼる。なにしろ欠席した事を鳩山幹事長が謝罪し党首の本人が沈黙するという政党である。
 これほど自民党と民主党の限界と矛盾が露呈しているというのに、その他の政党を支持する声は一向に強くならない。一体これはどういうことなのだろう。どの政党が、どの政治家が、難問山積のこの国を救うことが出来るというのか。
 ねじれているのは国会ではない。この国の政治そのものである。

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2008年01月13日

  通常国会の争点は年金問題の一点に焦点をあてるべきだ

 通常国会の争点は年金問題の一点に焦点をあてるべきだ

 野党の味方をするわけではない。国民の一人として通常国会の焦点は年金問題の一点に絞って政府の失政を追及してもらいたい。
 参院選挙で示された国民の意思は、明らかに政権政党の国民生活無視の政策を拒否するという拒否ののろしであった。しかし何を勘違いしたのか小沢民主党代表は、一般国民には関心の低いテロ特措法延長反対を突然言い出した。
 その結果、政治の争点が分散し、与野党の政策対立がすっかりぼけてしまった。テロ特措法をめぐる自公と民主の混迷した駆け引きの陰で、政治資金不正問題や守屋疑惑や天下りからくる談合問題など、国民の税金を食い物にする深刻な問題がウヤムヤのまま終わろうとしている。
 給油をやめさせられる事が出来たのならまだ納得がいく。しかし迷走の末より違憲的な自衛隊の海外派遣恒久化の道を開いてしまった。給油停止の実現はあまりにも困難な問題だ。国民生活よりも対米追従を重視する自公政権が給油停止を認めるはずはなかった。日米同盟を重視する民主党が一丸となって給油停止にまとまれるはずはなかった。なによりも一般国民の関心が薄かった。敗北は最初から見えていたのだ。
 しかし、国民の怒りがまったくおさまらない大きな問題が残っている。しかもその問題は解決されるどころか、どんどんと不正が発覚している。そして問題の解決策が不可能であることが明らかになりつつある。それが年金問題である。今からでも遅くない。野党はこの問題一点に焦点を絞って自公政権を追い詰めるべきだ。
 年金問題は、暮らしに困窮している多数の国民の生活に直結し、国民の怒りの発火を誘発する問題だ。そして誰が見ても行き詰まっている問題だ。誠実に払った自分たちの金が無駄遣いされ、しかも積み立てた資金が満額どころかまったく返ってこないのだ。その責任は100年安心年金制度などとまったくの嘘っぱちを重ねてきた自公政権に100%ある。この問題こそ、さすがの自公政権も国民の前で弁解できないのだ。
 繰り返し言うが、国民の一人として通常国会では年金問題一本に絞って徹底的に自公政権の悪政、失政を追及してもらいたいと思う。
 それにしても年金問題は泥沼だ。12日(土曜)早朝のみのもんたの番組で、年金問題の次のような報道がなされていた。すなわち主人が亡くなって遺族年金をもらおうと申請した主婦が、申請書の不備を理由に支払いを拒否され続けて来た。その問題を共産党の小池晃参院議員が商工委員会で取り上げたところその三日後に支払い決定がなされたという。
 国民に冷たい官僚も政治家の批判には手のひらを返したように豹変する。度し難い役人根性である。
 しかし私がこの報道を見て満腔の怒りを感じたのはその事ではない。長年誠実に支払い続けてきた国民の年金積立金にもかかわらず、国民が申請しなければ払わない、申請の信憑性を申請者自身が証明しない限り払わないとする社会保険庁の基本姿勢である。亡くなった本人にはずっと年金を支払い続けてきたにもかかわらず、本人が死んだとたんに遺族年金支給の可否を再検討し、その遺族がすべての問いに正確に答えられなければ申請不備として支払わない、このような社会保険庁官僚の硬直的な裁量が、ここまで社会保険庁の不正、怠慢が批判されているというのに、今もまかり通っていたのだ。しかも社会保険庁は情報をすべて握っているにもかかわらず、申請者が正確に申告できなければ支払いを拒否するという態度である。それが部内秘密マニュアルで書かれているという。政府を挙げての反国民的行為である。
 年金問題が残された最大の難問である事を一番知っているのは福田首相自身だろう。この問題は薬剤問題のように政治決断で解決できる問題ではない。テロ新法のように、日米同盟、国際公約と叫んで強硬姿勢を貫く事は出来ない。全国の国民の生活がかかっている問題なのである。
 だからこそ福田首相は新テロ法を成立させたその足で都内の社会保険事務所を訪れて積極的に取り組む姿勢を見せたのだ。どうしても自公政権を続けさせたいメディアがそれを一斉に報じ、国民をごまかそうとしている。しかしその社会保険事務所が厚生年金記録を改ざんしていたという醜聞が13日の産経新聞の一面で報じられていた。訪問した福田首相の顔までつぶしているのだ。
  年金問題の不正はこれからもどんどん出てくるに違いない。年金制度は破綻している事があらゆる情報で明らかなりつつある。真実がすべて公表されると国民に暴動が起きるほどであるに違いない。
  もう一度繰り返して言う。野党は今後の政策論争を年金問題一本に絞るべきだ。それは野党の政争の為に言っているのではない。我々国民一人一人の生活の為に、この際、徹底的に全ての真相を明らかにしてもらいたい為である。
  年金問題までもが曖昧な決着に終わるとすれば与野党の政権交代は夢のまた夢だ。 

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2008年01月12日

1月11日に成立したもう一つの新法

1月11日に成立したもう一つの新法

 1月11日は新テロ法が成立した歴史的日である。その事については昨日のブログで書いた。しかし、その同じ日にもう一つの新法が成立した。薬害肝炎被害者救済法である。この劇的な対比について今日のブログで書く。
 それにしても、新テロ法成立の茶番劇が、最後の最後に小沢民主党代表の本会議欠席するというおまけまでつくとは、さすがの私も想像しなかった。小沢氏には本当に失望させられた。何しろ政治家失格の安倍前総理からも批判される敵失を犯したのだ。総理を投げ出して国民に顔向けできないはずの安倍前首相が、新テロ特措法成立を見たとたん、「よかった」と国民の前に再登場してしゃべり、返す刀で本会議を欠席した小沢代表を批判したのである。
 話はそれるが、安倍前首相の再登場について、10日の日経新聞に、「保守結集に意欲」という記事が載っていた。10日発売の月刊文藝春秋2月号に手記を寄せ、平沼新党の動きを念頭に「保守勢力のよりどころとして、さまざまな勉強会ができることは有意義」、「日本に本格的な保守政治を根付づかせるための捨て石となって粉骨砕身していく」と述べたという。
 早速文春を買い求めて読んでみた。そして驚いた。なんと全編にわたって言い訳のオンパレードである。辞めた理由のすべてが潰瘍性大腸炎であり、その潰瘍大腸炎は加齢を重ねるごとに緩和されていくので完治する、もう大丈夫、という。その言い訳を長々と述べた後で、最後の2行に、保守政治実現のために粉骨砕身するからよろしく、と書かれているだけである。このような厚顔な安倍前首相にまで批判され、安倍再デビューのきっかけを小沢氏は与えたのである。
 テレビ報道にはおまけがついていた。新テロ法成立の感想を聞く民主党代表議員として、そのテレビ局は、よりによって、暴言男横峯良郎と自らをアイドルタレントと勘違いしている姫井由美子を選んでいた。両議員はテレビの前で専門家よろしく出番が来たとばかり、嬉々として応じていた。何を答えていたかすら思い出せない。もはや政治はバラエテイショーだ。民主党は笑い物にされているのだ。
 どうも前置きが長くなっていけない。薬害肝炎救済法の成立について書く。
 言いたい事はただ一つ。与野党政治家が主役になって繰り広げられた茶番劇の末に成立した新テロ法に比べると、なんというすがすがしい新法であることか、その事を言いたいのである。
 新テロ法の場合と違い、主役は、あきらめずに訴え続けた原告たちである。徒手空拳の普通の市民である。被害者であり肝炎患者という、まったくの弱者である。そしてその弱者を助けた弁護団であり、弱者の闘いを支援した世論である。
 政府・官僚を追及した野党の政治家や、遅ればせに「政治決断」をしたこの国の首相は、あくまでも「主役の正義」に背中を押された脇役に過ぎない。
 「お母さんには社会的正義があるのだよ」と子供から励まされ、あきらめずに訴え続けた(12日毎日新聞)5年間の末の勝利は、新テロ特措法成立の茶番劇とは対極にある政治ドラマであった。この吉報を見届けることなく死んでいった被害者とともに新法成立を心から喜びたい。
 「正しい事をしている」という信念を唯一の頼みとして、この国の官僚支配による不条理な政策をひっくり返した普通の人たちの行動と勇気に、この国の未来を賭けたい。

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2008年01月11日

 新テロ法成立騒動の茶番(後編)-護憲政党の終焉

  新テロ法成立騒動の茶番(後編)―護憲政党の終焉

  小沢民主党代表が、参院選勝利の高ぶりの中で、いきなりテロ特措法延長反対を唱え、国民の前でシーファー大使に反対の意思表明をした時、私はなんとも言えない違和感と危惧感を抱いたものだ。その時の心境を当時のブログで次のように書いた。
  
  ・・・日米同盟関係を重視する元自民党政治家の小沢氏が、米国の「テロとの戦い」に本気で反対しているとはとても思えない。そうであるとすれば、この問題は小沢氏も小沢民主党も、早急に落としどころを見つるべきだ。
 つまり自民党に早く延長再議決をさせることにより、米国を安堵させる一方で、国民の前では反対姿勢を貫いた民主党の姿勢を示す事が出来る。アフガン情勢の更なる悪化は間違いなく、給油活動継続の無意味さが一層明らかになるだろう。だから再延長した自民党の強硬姿勢はいずれ批判される事になる。一石三鳥だ。
 小沢氏の発言の真意がどこにあろうとも、それが「米国のテロとの戦いは間違いだ。いかなる形でも自衛隊を加担させてはいけない」、という、真に護憲的、平和的な信条から来ているのでなければ、これ以上自公政権との論争を続けてはいけない。それは政治家小沢にとっても為にならないし、民主党の政権取りにもマイナスになる。
 そしてなによりも、政局を巻き込んでの議論の末に、それでもテロ特措法の延長を阻止できない形で終わってしまうと、国民の間で無力感、無関心が高まり、今後は一気に対米軍事同盟強化が進むだろう。もはや誰もがそれを止められなくなる。
 だから落としどころを早く見つけて終焉させるべきだ。テロ特措法延長に反対だ、と宣言した時点で、小沢発言の役割は終わったと考えるべきだ・・・

 それから数ヶ月、事態は最悪の展開を見せ、最悪の形で決着した。しまりのない国会論争と不毛な政局に膨大な時間と経費が費やされ、国民の関心がすっかり離れていった。挙句の果てにいままでのテロ特措法よりも悪い新テロ法が成立した。事実上の自衛隊海外派遣恒久化法だ。憲法9条違反がさらに大きく前進した。
 自公政権や外交・防衛官僚は笑が止まらないであろう。焼け太りという奴だ。給油活動の流用疑惑や守屋防衛次官疑獄という大問題も、議論が深まらないまま、何もはっきりさせられないまま、新テロ法の成立ですべて吹っ飛んでしまった。
 今後は日米軍事同盟がらみの話が一気に進んでいくであろう。普天間基地移設問題も、岩国市への空母艦載機移転の問題も、ミサイル迎撃システムの導入問題も、何もかもが一気に進んでいく事になる。
 それにしても10日はこの国のねじれ政治状況を象徴した歴史的な日になった。それは参院外交防衛委員会で新テロ法案が野党の反対で否決されたからではない。同じ委員会で、民主党が提出した対案が、今度は自公と社民、共産の4党の反対で否決されたという出来事が起きたからである。
 この事は何を意味するか。そもそも民主党主導の野党連立はありえないという事なのだ。政界再編や大連立の動きが必ず起きるという事だ。そして、それは、保守勢力の間の再編や連立であり、決して護憲政党を巻き込んだ政界再編や大連立ではないということだ。日本全体が総保守化へと大きく傾く中で、護憲勢力が結束出来ずに消えていく事だ。消えないまでも飾りのように無意味に残存し続けると言う事だ。それでも「無いよりはましだ」と護憲勢力が自己中心の保身に堕している。
  如何なる国も、情勢の悪化が一線を超える時、必ずそれを修正しようとする新しいエネルギーが生まれる事を歴史は証明している。そのエネルギーを体現する動きが現れる事を歴史は示している。しかしそれは多大の犠牲者が出て初めて起きる。そうなる前に日本に正しい政治力が現れる事を期待するばかりである。
  

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2008年01月11日

 新テロ法成立騒動の茶番(前編)-米国外交のダイナミズムが目に入らぬか!

 新テロ法成立騒動の茶番(前編)―米国外交のダイナミズムが目に入らぬか!

 本日11日新テロ特措法が衆院本会議での三分の二以上の多数決で再議決され成立するという。思えば昨年7月末、小沢民主党代表の突然の「延長反対発言」から始まった国会史上まれに見る茶番劇は、半年以上の無益な政争を経て、あっけなく終わろうとしている。メディアはいっせいに様々な論評を行うであろう。それを見越して今日のブログで真っ先にこの茶番劇の核心について書いておく。
 この茶番劇を通して見えてきたものは何か。それはズバリ二つある。
一つは、もはや日本の指導者たちは、米国のダイナミズムを理解しようとする努力を怠り、米国のダイナミズムを先取りして日本外交を柔軟に適応させようとする知見を持たず、ただひたすらに「日米同盟は不滅だ、対米協力は国際貢献だ」と繰り返すばかりの無能集団になってしまったということである。
 二つ目は、安全保障政策に関する限り、この国の政治はもはや完全に日米軍事同盟強化で大連立が出来つつあるという事であり、その流れに正面から抗い、日米軍事同盟をこれ以上強化させていくことの危険性について一般国民を覚醒させることの出来る魅力あるカリスマ政治家が、誰一人存在しないという現実である。
 悲しく、残念な現実である。
 前編では、まず第一点について、11日の日経新聞にのっていた、「米国の新政権は単独主義の転換点になるだろう」という米国識者の意見を引用しながら、説明したい。
 米カーネギー国際平和財団理事長ジェシカ・マシューズ氏はインタビューでこう答えている。
 ・・・今振り返ると、同時テロが世界秩序に与えた意味はイラク戦争に比べはるかに小さかった。同時テロは米国民の心理(に与える)影響が大きかった(が)、イラク戦争は中東全域を不安定にし、イランの発言力を強め、核拡散体防止体制に深刻な打撃を与えた。米国の外交目標に対する敵意ばかりを生んだ・・・
  ブッシュ政権は(核拡散防止体制についての)根本的な思想を変えた。イラク戦争前は核兵器や関連物質など「モノ」に焦点を当て、取引や移送を防ぐ手段を考えていた。ところがイラク戦争の発想は「拡散しそうな政権はつぶせ」となった・・・
  (その一方でブッシュ政権は対中政策、北朝鮮政策ではうまくいっている)中国脅威論を退け、北朝鮮の核問題で協力体制を築いた。中国もこれに満足している・・・米中は大国同士の関係としては健全と言える・・・
  米国が主導し、他国が追随する(というブッシュ政権の)単独主義の見直しや、ブッシュ・ドクトリンである「予防的攻撃」の再評価など、(来年の政権交代は)米外交の抜本的な転換点となる。これは民主党候補の公約に聞こえるかもしれないが、共和党政権でも米外交は大きく変わる。共和党内にも、次の政権で外交理念を変えたいという意見は出ている・・・

  これが米国のダイナミズムである。そこには、壊しては作り直す米国の、そして、国益のためには状況次第で機敏に敵と結び、味方を切り捨てる米国外交の、現実がある。インド洋給油問題などはじめから米国指導者の視野にはない。
  ところがどうだろう。翻って福田首相は新テロ法成立に向けて、(給油をやめると)国際社会が日本の事をどう思うか。無責任と批判されないためにも(成立は)当然だ、などと感情的に語気を荒げる始末だ。本気でそう思っているのならお笑いだ。不勉強もはなはだしい。いかに米国との本物のコンタクトをしていないかだ。そして、それが国民を欺く発言であれば、首相失格だ。
  ジェシカ女史の指摘を待つまでもなく、米国はいまや一方において中東政策を見直し、他方において中国、北朝鮮外交を積極化しようとしている。日本外交は、その双方において逆を行っている。無理もない。日本の指導者の頭には対米追従しかなく、そしてその米国の意思さえ読めないのだから。気がついたら取り残される、その誤りを繰り返す宿命にあるのだ。

 さてもう一つの問題。つまりこのテロ特措法延長問題が図らずも浮き彫りにしてくれたこの国の政治の混迷についても事態は深刻である。これについては後編で書く。

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2008年01月10日

 米国の安全保障政策にこだわり続けよう

 米国の安全保障政策にこだわり続けよう

 私は軍事専門家ではない。しかし軍事問題というのは、装備の詳細に精通したり、軍事戦略を考える事が中心ではない。軍事の本質は外交であり、政治である。誰もが常識を働かして軍事問題を考え、論評できるものなのだ。
 国民の最大の関心は年金問題や消費税問題、医療問題である。軍事問題については殆ど関心を示さない。軍事や安全保障問題はむつかしく、現実の生活には関係がない。そう思い込んでいるからだ。
 そうではない。防衛政策の基本は決してむつかしくはない。それどころかこよなく我々の暮らしに大きな影響を与えているのだ。
 我々はもっと米国の安全保障政策にこだわり続ける必要がある。その米国との軍事同盟を強化しようとしている政府の政策について、我々はもっと監視と関与を強めていかなければならないと思う。
 もう一度繰り返す。軍事の本質は外交であり、外交は政治の延長である。その政治の主役は、かつては専制君主や王族の独占物であった。それが西欧の民主革命により一般大衆の手にわたった。
 日本でも、敗戦による米国占領によって民主主義が導入された。それは借り物の民主主義ではあったが、それでも多くの国民の犠牲と引き換えに少ずつ根づいていった。
 日本の戦後政治は、確かに、不毛なイデオロギー対立の政治が一般国民の政治への参加を妨げ、そのイデオロギー対立が左派の消滅で終わったとたん、今度は新自由主義という名の強者による「民主主義」が日本を席巻しつつある。その意味で、本物の民主主義の実現には程遠い観がする。メディアが権力と一緒になって国民を監視、誘導するようになり、むしろ逆行しつつあるとも言われる。
 しかし決してそうではない。昨日の党首会談とそれを批評するメディアの報道を見るがよい。二大政党の党首会談があの体たらくなのだ。避けに避けてきた党首会談であった。問題が山積する中での党首会談であった。政権交代を賭けた党首討論であった。双方とも十分準備をして臨んだ党首討論であった。その党首討論が、「座布団を飛ばしたい」(1月10日朝日新聞社説)と言われるほどお粗末だった。権力を握る指導者がこの程度なのだ、という事が全国に知れ渡った。それをメディアが公然と報じる世の中になったのだ。
 間違いなく国民が政治を動かす時代になりつつある。だからこそ国民は民主主義の担い手としての自覚を持ち、自らを高めていかなければならない。その自覚を読者に期待して私はブログを書き続ける。
 いつものように前置きがながくなった。今日のブログの本題は「米国の安全保障政策にこだわり続けよう」という事である。
 1月10日の朝日新聞「地球24時」欄に、「指揮権移管、米、韓国に延期拒否」という見出しの小さな記事を見つけた。これは大きな意味を持っている。もっと大きな記事にすべきである。報道関係者はその背景の詳細を調べ、その意味するところを考えて、正しく国民に伝えるべきである。
 私の考えはこうだ。昨年米韓両国は朝鮮半島有事の際の作戦統制権(指揮権)を2012年4月に移管する事で合意した。これはノムヒョン政権下での対米自主防衛政策、対北朝鮮太陽政策に基づいた対米交渉の結果と受け止められた。平時における指揮権はかなり前に韓国に移管されているが、ついに有事の際の指揮権までも米国は韓国に引き渡した。
 この事について当時私はブログの中でこう書いた。
 「これは米国が韓国に譲歩したのでは決してない。米国の安全保障政策の変更がそうさせたのだ。もはや米国はテロとの戦いを最優先に海外の米軍基地を再編成しつつある。韓国に指揮権を委ねたと言うことは、もはやアジアの有事を想定していないということだ。中国や北朝鮮は米国にとって脅威ではないのだ。
 その一方で米国は米軍の指揮権を日本に移動させ、自衛隊を自らの安全保障政策に組み込もうとしている。これは、極東の有事に備えて日本を守るのではなく、日本をテロとの戦いにおけるアジアの拠点としようとしているからだ」と。
 私は、今日の朝日新聞の小さな記事から、この考えを更に強くした。昨年末の大統領選挙の結果、4月から韓国では李明博保守政権が誕生する。その次期政権側が米国に対し、指揮権の移管を先延ばしするよう求めていた事はすでに報じられていた。
 それに対し米国防省は8日までに、「応じられない」と返答したと言うのだ。韓国への指揮権の移譲は韓国の要請に米国が譲歩したのではなく、米国側の都合でそうしたのだ。
 その一方で日本に対してはどんどんと米国の指揮・命令を強めていく。それに対し日本政府は財政負担まで強いられている。おかしいと思わなくては行けない。米国の本心がどこにあるかを見極めなければならない。
 「韓国と違ってやはり米国は日本を重視している。日米友好関係の証である」などと日本政府や官僚たちが本気で喜んでいるとしたらお笑いだ。国民を欺こうとしているのなら売国的だ。
 米国の安全保障政策に我々はこだわり続けなければならない。

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2008年01月09日

1月26日の講演会のお知らせ


 1月26日の講演会のお知らせ

  フリーラーンスのジャーナリストであるベンジャミン・フルフォード氏の依頼により講演をすることになりました。彼の講演についで私が話す事になっています。もはや講演はあまりしなくなった私ですが、フルフォード氏からの要請でもあり、久しぶりに人前に出て熱弁を振るおうと思っています。
 演題は彼の要望で「今後の政局と日本の将来」についてです。日頃私が考えている事を話すつもりです。その後引き続きベンジャミン氏との対談が予定されています。
 関心がある読者のために以下の通り案内させていただきます。

 日時 1月26日(土)  13:00-15:00
 場所 東陽セントラルビル ホール2F
     江東区東陽4-1-13
     地下鉄東西線 東陽町駅 3番出口真上
 問合せ先 ベンジャミン・フルフォード事務所 080-3282-3790

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2008年01月09日

「内なる国防」を固めよという毎日新聞の論説

「内なる国防」を固めよという毎日新聞の論説

 新聞の論説を批評する事はこれで最後にしたいが、読売、朝日、と続いて1月5日の毎日新聞の「内なる国防」を固めよという論説について考えてみたい。
 その論説の訴えるところは、「内なる国防」とも言われる社会保障制度全体を根本的に見直さない限り日本の将来は危ういというものである。その通りである。
 しかしこの論説は次のような文章で締めくくっている。
 「・・・社会保障には『内なる国防』という言い方がある。内も外も『国防』がしっかりしていないと国は危うくなる・・・」
 もし毎日新聞の社説が、社会保障の強化という「内なる国防」と、自衛隊装備の強化という「外からの国防」の双方を「しっかりさせろ」と主張しているのであれば、やはりこの毎日新聞の論説も奇麗事の机上の論説である。本気で政策論を訴えているとは思えない。
 財源が右肩上がりで増え続けている時はそれもありえよう。しかし今の日本は、一方において財政赤字が制御できない程膨らみ、債務の減少はおろか毎年の予算でさえ均衡させられない状態であり、他方において、日々の生活に困窮している国民が急増する少子高齢化社会に突入しようとしている。
 すなわち、「限られた税収を、まずどこから優先的にまわすか」という究極の政治的選択が今ほど迫られている時はないのである。
 私はもちろん「内なる国防」の強化に税収を使うべきだと考える一人である。しかし、「外からの国防」を強化しなければならないと考える人達がいる事も知っている。ここで日本の安全保障論議をする時間はない。
 私が今日のブログで言いたい事は、そのような「外からの国防」強化を優先する人達も、政府が米国に命ぜられて行おうとしているミサイル防衛システムが、果たして本当に日本の国防強化に役立っていると心から思っているのか、と言うことである。防衛強化論者は、日本の最適な国防を真剣に自らの頭で考えているのかと言う事である。
 発売中のアエラ1月14日号に、軍事ジャーナリスト田岡俊次の「ミサイル防衛は霊感商法」という記事がある。その記事は、昨年12月18日にハワイ沖で「成功」した日米対空ミサイル迎撃共同実験成功に言及し、これで弾道ミサイル攻撃から日本を守れると思ったら大間違いだと、次のように書いている。
 「・・・この実験では発射地点、時間、コース、標的のミサイル特性が事前にわかっていた。野球の練習で『センターフライ』と予告して捕球させるのと同様だ。実践では、相手がいつ、どこから、どこに向けて発射するかなど教えてくれない。弾道ミサイルの性能も推定でしかない。しかも実験では標的は一つだけだが、実践ではほぼ同時に多数を発射する可能性が高い・・・」
 要するにミサイル戦争が起きればとても防ぎきれないという事である。一発でも東京に打ち込まれれば壊滅的な打撃を受ける事は誰でも容易に想像できる。
 ミサイル防衛賛成論者はすかさず反論するかもしれない。だからこそ実験を重ね、防衛システムを高度化していかなければならないと。
 机上の論議としてはそれもいいだろう。しかし今の日本の財政状況はそれを許す余裕はない。その事は防衛強化論者も否定できないであろう。
 政府は迎撃ミサイル整備の予算をすでに約1兆円使ってきた(04年度―10年度)。しかし導入後の維持費や将来の技術革新に対応するためには費用が膨らむ事は必至である。「米国に言われるままに整備を進めていたら、将来いくら費用がかかるかわからない」と防衛省幹部さえ求めているのだ(07・12・19朝日新聞)。
 しかも迎撃ミサイルシステムの導入は、中途半端な導入にとどまったら、それまでの経費がまったく無駄金になるのである。貴重な税金が何兆円単位で無駄になるのだ。
 田岡氏は次のように締めくくっている。
 「・・・ミサイル防衛は『霊感商法』に似ている。不安感をまぬかれようとお守りを買えば、それでは済まず、さらに高価な壷などを買わされる・・・」そして効果がなかったとなれば、その膨大な無駄のツケは誰にまわされるのか。決して政治家や防衛官僚が負担する事はない。
 ミサイルで殺される前に国民は生活苦で死んでしまう。これは冗談では決してない。政治的判断が変わらなければその可能性は現実のものとなるに違いない。
 「内なる国防」にこそ予算を集中させる時である。
 

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2008年01月08日

 中東和平を求める朝日新聞の社説は美しすぎる

 中東和平を求める朝日新聞の社説は美しすぎる

 昨日のブログでは、「それでも日米同盟は基軸である」と日米同盟の不変的、不可侵的重要性を訴える読売新聞の社説を批判的に論じた。今日のブログは朝日新聞の社説について言及する。
 8日の朝日新聞に「紛争の60年に終止符を」と題して、中東和平の実現を願う社説が掲げられていた。そのテーマに異存はない。ブッシュ大統領が8日から中東を訪問する、そのタイミングにあわせて、中東和平の進展を願い、そのためにイスラエル、パレスチナ双方に注文をつける。米国の仲介指導力に期待する。中東和平の実現に向けての国際社会の協力を求める。それらはもちろん正しく、重要な事である。
 しかし8日の朝日新聞の社説は、現実から目をそらした奇麗事に終始したものにとどまったままであった。このような論説がこれまでどれほど繰り返されてきたか。そして中東情勢の悪化を食い止められなかった事か。
 朝日の社説は言う。中東和平の二つの大きな問題は、パレスチナ国家の樹立とパレスチナ難民問題であると。そして主張する。妥協点を見つけるしかない。こうした交渉の仲介役を演じられるのは双方に影響力がある米国だけであると。そして、日本も、米国の和平仲介を支援すべきだと。
  現実のパレスチナ情勢は、このような一般的な論説を繰り返す時期はとうに過ぎている。イスラエルは隣国にアラブ人のパレスチナ国家が出来る事を決して認めない。その事はもはや周知の事実である。そしてイスラエルは国連が一貫して求めてきたパレスチナ難民のイスラエルへの帰還権を決して認めないと公言している。この二点にイスラエルの譲歩はない。朝日新聞の社説が求める二大問題点のいずれもがイスラエルの国家政策によって否定されているのだ。
 朝日新聞がその事を知らないはずはない。知っていながらイスラエルを正面から糾弾しない、できないのだ。歴代のどの大統領よりもユダヤ系米国人の政治的影響下に置かれたブッシュ大統領。そのブッシュ大統領の米国政府が、「正直な仲介者」になれるはずがない事を、朝日新聞が知らないはずはない。そしてなによりも、対米従属外交に終始する日本政府が、米国外交が最重要視する中東問題について、米国の意向に反した独自の外交を打ち出せるはずがない事を、朝日新聞が知らないはずがない。
 朝日が書くべき事はこの矛盾である。そして米国とイスラエルに対して、もし彼らが国際社会の善良な一員になろうとするのであれば、これまでの対中東政策、対アラブ政策を根本的に改めろ、100%自らの要求を押し通すのではなく、少しぐらいは譲歩してみろ、と正面から唱える事である。
 同じ8日の朝日新聞に村上伸一記者が、「風 ユダヤ人だけの民主主義」 というコラムを書いていた。アラブ系の国民が2割もいるイスラエルにもかかわらず、イスラエルはユダヤ人の国家であり、イスラエルの民主主義はユダヤ人の民主主義であるとするイスラエル政府の方針を悲しんでいた。
 朝日が社説で書くべきはまさにこのユダヤの民族浄化政策の悲しさである。
 我々人類は、この地球上で共存、共生しなければ生きていく事は出来ない。生きる価値はない。

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2008年01月07日

 「やはり日米同盟が基軸だ」という社説を掲げた読売新聞

 「やはり日米同盟が基軸だ」という社説を掲げた読売新聞

 特定の筆者が書いたのか、あるいは論説委員たちが話し合って合作したのか、読売新聞は1月7日の社説で「やはり日米同盟が基軸だ」という社説を掲げていた。
 立場の違いこそあれ、これからの日本が米国とどう向かい合っていくかは重要な課題である。だから私はこの社説の表題につられて目を通した。
 読んでみてがっかりした。その表題にもかかわらず日米同盟の重要性についての言及が書き出しの最初の部分に一言触れているだけなのである。その社説の多くの部分は、中国のことであったり、韓国のことであったり、北海道洞爺湖サミットであったり、防衛省の改革であったりである。私が知りたい「何故日米同盟が基軸なのか」については、次の一言で片付けられている。
  すなわち、「超大国・米国が保持する軍事抑止力をはじめとする強大な力を、日米の安全は無論、世界の平和と繁栄の支えとする為に、日米同盟の重要性は一層高まっている」というだけである。これでは参考にも議論にもならない。
 読売新聞の中興の祖と言われてた元読売新聞社長の正力松太郎氏が、米国占領下の一時期に、暗号ネームまで与えられて米国CIAの意向に従って行動していた事が、米国立公文書の機密資料で明らかにされたのは06年であった。
 その読売新聞であるから、日米同盟の重要性を訴えるのは当然である。しかし国民に訴えるには、やはりその理由は説得力があるものでなければならない。「重要だから重要なのだ」、というのでは、「与件を受け入れろ」と言うのと同じである。
 圧倒的な軍事大国になった米国が、その軍事力にまかせて世界を従わせようとしたのが、ネオコンに主導されたブッシュ政権であった。そしてそれが失敗に終わり、ネオコンが退き、米国の大統領選挙は、そのようなブッシュ政権の外交からの決別をいかに実現するかに焦点が当てられている。強大な軍事力が世界の平和と繁栄にならない事は、世界はもとより、米国さえも再考し始めたのだ。
 米国自身が今、岐路に立っている。世界の平和と繁栄の支えになる米国を取り戻せるかどうか、その為には、ソフトパワー、スマートパワーにならなければならないとか、核廃棄に向けて米国が主導的立場になるべきだとか、米国自身が模索を始めたのだ。
 もし米国の新しい政権が、ブッシュ政権と同様に、それでも軍事力に任せた政策をとりつづけるのならば、今度こそ米国は世界から孤立することになるだろう。「日米同盟が基軸」であるかどうかは、そのような米国の行方を見極めた上でこそ判断さるべきなのである。
 例えば米国の対イラン政策である。ブッシュ大統領が去った後の新しい米国が、それでも核開発を理由にイラクを軍事攻撃するのであれば、日本はそのような米国と軍事同盟を続ける訳にはいかない。危険すぎる。犠牲が大きすぎる。
 幸いにもイランの核開発は中断されていることが米国情報機関の発表で明らかになった。これによって米国のイラン攻撃は遠のいた。しかし、1月6日の毎日新聞において、イラン反体制派のテロリストの一人が、「イランに戦争を仕掛けようとしてきたチェイニー米副大統領らが(我々を)支援している」と答えている。米国自らが「テロ組織」と指定したイランの反体制組織を支援し、イランの内部崩壊を工作していると、この反体制派テロリストは証言しているのだ。米国がこのような国であり続ける限り、米国は「世界の平和と繁栄を支える国」には、決して成りえない。
 それにしても読売新聞は果たして米国の本質を理解しているのだろうか。その社説の中で、読売新聞はこうも書いている。
 「・・・日米同盟の強化とは、緊密に政策調整をしつつ、日本の国益を確保する主体的外交である。米国の要求に唯々諾々と応じる対米追従外交ではない」と。
 しかしこれは米国と言う国を知らない、まったくの机上の論理である。米国は自らの利益が満たされる限りにおいては友好的に振舞う国であるが、いったん自らの利益が挑戦されると、手のひらを返したように激しく攻撃的になる国である。米国という国に説得は通用しないのである。
 日米同盟を基軸とする限りは対米追従にならざるを得ない。まさしくそれが戦後一貫して取られてきた対米外交であったのである。読売新聞の社説は国民の前にその事を正直に書かなければならない。

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2008年01月06日

 米国のイラク攻撃ーもう一つのパンドラの箱

 米国のイラク攻撃―もう一つのパンドラの箱

 米国が嘘までついてイラクを攻撃した最大の理由は、石油欲しさでも、軍需産業の要請でもなく、イラクを、アラブの反米、反イスラエル武装抵抗組織と戦う軍事的拠点(民主化と言う名のイラクの親米化)にするためであった。この認識はもはや国際的に一致するところである。米国のイラク戦争は、こよなくパレスチナ問題なのである。
 しかしそのような米国の軍事的攻撃が、イラクを民主化するどころか分裂、崩壊させてしまった。それを世界中が今や目撃している。
 その分裂、混乱、崩壊は、しかし、決してイスラム教シーア派とスンニ派の対立の為だけで起こったのではない。イラクを取り巻くシーア派のイラン、スンニ派の石油湾岸諸国(サウディアラビア、ア首長国連邦など)を巻き込んだ覇権争いから来ているだけではない。
 祖国なき最大の民(川上洋一著 クルド人 もう一つの中東問題 集英社新書)と言われる、推定2500万人のクルド人の分離独立の動きと、国内に最大のクルド人口を抱えるトルコのクルド人攻撃こそ、イラク情勢の混乱が最後にたどり着く最悪のシナリオであったのだ。
 そしてその最悪の事態が昨年12月1日に始まった。ついにトルコ軍がイラク領内を越境して北部イラクの武装組織クルド労働者党を爆撃したのだ(07年12月3日朝日ほか)。こうして米国のイラク攻撃がもたらしたもう一つのパンドラの箱が開かれた。
 この大事件は日本ではほとんど報道されることはない。しかしトルコのイラク攻撃はその後も断続的に続き、昨年12月18日には数百人規模の地上部隊がイラク領内に侵攻するという事態に発展した(07年12月19日読売)。
 1月6日の朝日新聞は、「空爆 限りなき痛み」という見出しの下に、多くのクルド民間人の犠牲者とともに、2000人以上のクルド住民が避難生活を強いられていると報じている。そして、米国が、クルド労働者党は「テロ」であり、トルコと米国の共通の敵であるとして、トルコの攻撃を容認するどころか、支援していると報じている。
 イラクはもはや崩壊した国家である。あまりにも不正義で、無責任な米国の中東政策によって、引きちぎられた国となってしまったのだ。誰かがその米国の横暴を止めなければならない。傲慢な米国の軍事力行使に鉄槌が下らなければならない。

 

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2008年01月06日

メディアに頻繁に登場する国会議員の発言の意味するもの

 メディアに頻繁に登場する国会議員の発言の意味するもの

 政局がらみの事については、このブログでなるべく取り上げないつもりでいる。書きはじめればきりがないからだ。週明けから政治は本格的に動き出し、事実が評論を先行するほどにめまぐるしく動く事になるだろう。そしてその動きは解散・総選挙に向けて加速する。しかも選挙の結果でさらに激しく動く。まことに政局の一年が始まるのだ。
 しかし、6日朝のフジテレビの報道2001年に出演していた自民、民主の政治家の話を聞いていて、どうしても一言書いて置きたくなった。この私の予言は、おそらくその通りになって展開していくと思う。だから今一言書いておかなければならないのだ。
 この番組の中で、本人は気がついていたかどうかわからないが、小池百合子と前原誠司が極めて意味ありげな発言をしていた。
 すなわち小池百合子は、福田総理の支持率が更に下がって、自民党が選挙の顔として福田首相を降ろさざるを得なくなった時、小池百合子を担ぎ出そうとしたらそれに応じるか、といわんばかりのキャスターの質問に対し、「自民党の代表として担ぎ出される事はない」ときっぱりとこれを否定し、「それでは新党をつくるのか」という質問に対し、「新党をつくるノウハウは十分蓄積している。3日もあれば新党をつくれる」と答えたのだ。彼女はもはや明らかに今の自民党は終わっていると見ている。そして自民党は間違いなく再編されていく、それが民主党との連立なのか、新党結成による合従連衡なのかはわからないが、自公対民主という対立は早晩再編成される、と見ているのだ。
 私がさらに驚いたのは前原誠司の発言である。彼は民主党の目指すものはあくまでも政権交代であり、その先の二大政党制であるとして、政権を取る前に民主党が分裂する事はないと教科書的な答弁をしていたが、その後で、「二大政党制と言っても、米国のように安全保障問題については一致した二大政党制でなければ国は安定しない」と言いきったのである。
 前原氏の安全保障観については自民党のタカ派のそれと変わらない事は、もはや今となっては周知の事実である。しかしその前原が、ここまで「安全保障政策で基本的な立場が同じである二大政党制を目指す」と言い切った事がかつてあっただろうか。明らかに前原は新しい政治状況を見据えている。
 鳩を見たら、普通は平和の象徴であると考える。ましてや女性ならば。しかし小池百合子は「おいしそうな鳩」と言ったという。そういうエピソードがまことしやかに伝えられている。その小池と言い、ネオコン前原と言い、日米軍事同盟の強化を前提とした政界再編に向けて、元気いっぱい走り出しているということだ。
 しかし、ここまでは少しでも政局に関心のあるものならば誰でも気づいているに違いない。私がこのブログで問題提起したいのは、ここまで日米軍事同盟の強化を前提にした政界再編が当たり前になりつつある状況下で、平和憲法を標榜するいわゆる護憲政党の間で、「政界再編」(彼らの場合には大同団結しかないのであるが)の動きがまったく見られないという事実である。
 これは一体どうした事なのだろうか。日米軍事同盟の強化を前提とした二大政党体制が出来てしまえば、彼ら護憲政治家の存在価値は限りなく消えてしまう。国民の生活重視の政策は、もはや保守政権こそ、護憲政党の先を越して、着実に取り入れていくであろう。その事は既に5日のこのブログで書いた。繰り返して強調したい。護憲政党の存在価値は、イデオロギーなど関係のない一般国民にとっては、限りなく消えつつあるのだ。
 そのような存亡の危機に立っている彼らは、自民党や民主党の議員のように、生き残りをかけた死に物狂いの「政界再編」に、なぜ本気になって動き出そうとしないのか。
 この点一つをとってみても、彼らの政治家としての資質が、自民党、民主党の国会議員のそれよりはるかに劣っている事がわかる。自民党と民主党の国会議員の、政治生命を賭けたバトルの前に、護憲政党議員の迫力のなさが、悲しいまでに浮き彫りにされている。

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2008年01月06日

 円は今やローカル通貨と言い放った元財務官僚

 円は今やローカル通貨と言い放った元財務官僚

 日経新聞に「YEN漂流、私はこうみる」という連載が続いている。その1月5日紙上に衝撃的な記事を見つけた。発言の主は米国際経済研究所長フレッド・C・バーグステン氏である。
 バーグステン氏はカーター政権で財務次官補を務めた後、国際経済研究所を設立し、有力シンクタンクに育て上げた米国の国際経済政策のご意見番の一人だ。APEC(アジア太平洋経済協力会議)の賢人会議議長を務めた事もある自由貿易主義者である。その彼が「日本はもはや国際金融の脇役だ」と次のように語っていたのだ。

 「ドルが支配的な通貨であり続けたのは、競争相手がいなかったためだ。ユーロ誕生で状況は大きく変わった。ユーロ圏は米国と同じ経済規模を持ち、貿易量も外貨準備の額も優る。債権発行もドルよりユーロが多く、将来、ユーロはほぼドル並みの地位を占めるようになろう・・・今後20年から30年の間にユーロとドルの二極通貨体制が誕生するだろう。そして、40年から50年後には、中国の人民元が第三の極として台頭し、三極の通貨システムができる。アジアには人民元ブロックが成立し、日本はその一員になる・・・日本の国際競争力は15年から20年前がピーク。その時なら円をアジアの基軸通貨、そして世界の主要通貨に育てられたが、好機を逃がした・・・」

 金融はいまや軍事力と並んで、いや、平和的な手段で人々の暮らしを左右すると言う意味でそれ以上に有力な、世界支配の手段である。そして金融支配に果たす基軸通貨の威力がどれほど大きいかは金融専門家ならずとも容易に想像がつく。 
 思えば日本の指導者が世界のパワーバランスを語るとき、米国、欧州、アジアの三極構造を語り、その場合のアジアの中心は日本であると当然のごとく考え、話していた時があった。1973年に日米欧三極委員会がつくられ、毎年春に日本、米国、欧州の各都市で持ち回りの総会を重ねて、国際通商・金融問題、安全保障問題、エネルギー問題などの国際主要問題について共同研究や政策提言を行ってきた。
 円の国際通貨に向けての野心さえ、つい10年ほど前までは公然と語られていた。1997年に東南アジアで通貨危機が起こった時、当時の宮沢大蔵大臣構想は3兆円を超える円による資金援助を東南アジアに提供し、東南アジアにおける円勢力圏を作ろうと考えた事があった。
 ところが、日米欧委員会は、2002年4月にワシントンで開かれた第33回総会で中国が主要テーマとして取り上げられて以降、毎年の総会でアジアにおける中国の役割が議論されるようになり、もはや日米欧三極委員会の存在さえ影が薄くなってしまった。宮沢構想に至っては、米国の強い圧力の下に、日の目を見ないまま放棄させられてしまった。そして今回のバーグステン発言である。
 しかし、今日のブログで私が言いたい事は、「事実」としての日本経済の凋落ではない。日本凋落をもたらした失政の責任は誰にあるかという考察である。
 実は、この「YEN漂流 私はこう見る」の連載の、元旦の日経新聞の中で、黒田東彦アジア開発銀行総裁(元大蔵省財務官)が次のように平然と述べていた。
 「円がアジアで支配的な通貨になるのは難しい。円はいまやローカル通貨」
 金融政策の最高責任者であった元財務官が、現役を退いた後、当たり前のように優雅な天下りポストに安住し、自らの失政を省みる事なく、まるでひとごとのように円の凋落を嘆く。日本の政策責任者の無責任ぶりを見事に象徴する風景である。
 実は私は外務官僚時代、個人的に黒田氏と言葉を交わした事がある。人間的には好人物である。その彼を個人攻撃するつもりはない。彼に象徴されるこの国の政治家、官僚、経済学者たちの総称としての、顔のない、姿が見えない、「日本の支配体制」の責任を問うているのである。
 事は円の凋落だけに限らない。戦後我々の先輩が、そして我々が、日本株式会社の一員として汗水たらして築きあげた日本の復興、発展が、あっと言う間に、多くの国民が生活に苦しまなければならない日本に逆戻りしてしまった。ついこのあいだまで世界一、二を争う経済大国だと聞かされてきた日本が、いまや十数位に転落してしまった。
 それは決して我々国民のせいではない。我々が怠けものであったり、無能であったという事では決してない。間違いなく為政者の失政の責任である。その責任の所在を追及されることは決してない。誰も取ることなく、現役をしりぞいてもなお特権を享受し続けるこの国の支配者層における 競争の欠如、談合体質こそ、日本をだめにした原因であるのだ。
 明日を担う若者たちよ。古い世代を乗り超えよ。自分の生活は自分で切り拓くという気概を持て。間違っても自分自身を殺して体制に従順であった先輩たちに追従する愚をおかしては行けない。自主・自立した生き方は決してなまやさしい生き方ではない。しかしその生き方こそ自分を救う唯一の道であるのだ。世界中の国民が皆そうして生きているのだ。それは自分を解き放つ事である。君たちの手で日本を蘇生させることでもあるのだ。

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2008年01月05日

 国民力の元年にしたい

  国民力の元年にしたい

  いきなり唐突な言葉を持ち出して恐縮だが、今年の政治を語るキーワードとして「国民力元年」という言葉を思いついた。その意味は、今年が「国民が政治の主役になる年」の始まりになる、いやそうしなければいけない、という意味である。
  国民と言っても様々だ。しかしここで私が言う「国民」は、テレビやメディアで勝手なことを書いたりしゃべったりしながら優雅な生活をしている国民ではない。もちろん政治家や官僚や財界人のごとくこの国を食い物にしている連中の事ではない。非正規労働者や失業者、若者や高齢者などは勿論、日々の生活に追われるこの国の大多数の善良で沈黙している一般大衆の事である。
  なぜ私が「国民力」という言葉を思いついたか。それは小沢民主党が昨年の暮れから急に「国民の生活を守る」という言葉を使い始めたからだ。もちろんこの言葉は昨年7月の参議院選挙のキャッチフレーズであった。しかし小沢代表がこの言葉を急に頻繁に使いだしたのは大連立構想が頓挫してからであった。つまり大連立構想が国民によって拒否されるや、180度方向転換をして選挙で政権交代を取るしかないと覚悟を決め、照準を「国民の生活」に合わせたからだ。
  以来小沢氏の発言の中には、国民の生活、国民の怒り、国民の声、と言った言葉が連発される。そしてその真骨頂は年明け早々に発売された週刊プレーボーイ(1月21日号)のインタビューにおける次の言葉である。
  「・・・我々民主党は、安全保障も市場原理、自由競争もいいけれど、まずは国民の生活を守る仕組みをきちんとつくると言っているんです・・・国民が声をあげないでこのまま解散しなかったら、あと2年間我慢するしかない。でもあと2年このまんまだったら、日本はメチャクチャになっていると思う・・・」
  元自民党政治家の小沢が、若者向けの週刊誌に登場してここまで言わなくてはならないのである。国民力の凄さに感づいているからだ。
  そして、この小沢民主党代表の攻勢に対抗するかのように、とうとう福田首相までもが1月4日行われた年頭記者会見において、国民の生活が一番重要である、ときっぱりと言い出した。年金問題、薬剤肝炎問題で示された国民の反発と支持率急減に脅えた結果である。
  付け足して言えば、1月5日の朝日新聞政治欄において、自民党の山崎拓元幹事長が4日の福岡市の講演で、「生活者の視点に立つ勢力も含み、新しい政治の核が必ずできる」と話したという小さな記事があった。もはや国民最優先の政治のオンパレードである。
 公明党、共産党、社民党らはすっかりお株を奪われてしまった格好だ。しかしこれらの政党にとって「生活者、消費者重視の政治」に異論があろうはずはない。
 かくして今年は「国民力」が問われる年になる。「国民力元年」と私が名前をつけたゆえんである。
 ならば我々はその国民力を今年こそ政治家たちに見せつけなければならない。国民力の中心となるのは若者、団塊世代、老人である。彼らはその立場、境遇、思想においてバラバラかも知れない。それどころか世代間格差、世代間対立の中にあるのかもしれない。しかし彼らは等しく官僚主導のこの国の政治の犠牲者なのだ。行き詰まった今の政治を打破しなければ未来はないという点で一致している。会社人間から解き放たれ、政治的に自由になった団塊の世代は今こそ自立した政治的行動を取らなければならない。政府から切り捨てられる老人たち、今こそ生命を脅かす政策に怒らなければならない。そして真っ先に搾取の犠牲者にさせられるの若者たち、そのエネルギーを政治変革にぶつけていかなければならない。間違っても「希望は戦争」などとマスコミに持ち上げられて、踊らされてはいけない。
 どうすればいいか?選挙で自公政権を交代させることだ。当然だろう。永久政権政党であった自民党が日本をここまで行き詰まらせたのだ。その自民党と偽装結婚をしてこの国を左右してきた公明党が日本の政治を歪めたのだ。小沢民主党が嫌いでも、護憲政党がかったるくても、自公政権をこれ以上延命させるよりはましなのだ。政変を起こす。その事で何かが変わる。変わらなければ何度も政変を起こす。それは世界の流れである。
 今年は国民力元年となる。いやそうならなければ日本は世界から取り残されていく。

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2008年01月04日

佐藤優の外務省攻撃がとまらない

  佐藤優の外務省攻撃がとまらない

  雑誌を買っても全ての記事を読む事はまずない。しかし年末年始の時間を使って、めずらしく買った雑誌のすべてを隅から隅まで読んだ。おかげで色々な事を学んだ。それをブログで折に触れて紹介させてもらおうと思っている。
  最初に紹介したい記事は月刊文藝春秋1月号にのっていた佐藤優の「外務省・松尾事件の真相」という記事である。事件の真相を知っている私には衝撃的な記事であった。外務省の現役・OB官僚はさぞかし逃げおおせたと思って忘れようとした過去の醜聞を思い出して腰を抜かしているに違いない。
  私も忘れていたぐらいだから、大方の読者はもっと忘れていたに違いない。おまけに最近は年金横領や守屋疑惑など官僚の金銭にまつわる不祥事は当たり前になってしまった。今更外務省のスキャンダルなど過去の話だ、と思うかも知れない。しかしそうではない。あの事件は、大蔵省(当時)のノーパンしゃぶしゃぶ事件と並んで、官僚組織を揺るがした前代未聞の醜聞であったのだ。
  しかも外務省の場合、なんら真実が表に出ることなく、一職員の詐欺事件で終わらせてしまったのだ。それを佐藤は国民に思い出させたのだ。寝た子を覚ましてくれたのだ。
  佐藤の記事の全てをここに書く余裕はない。しかし次の一部を紹介するだけで、彼の言いたい事は十分伝わる。2002年3月12日、東京地裁は外務省会計担当官松尾克俊被告に懲役7年6ヶ月の実刑判決を言い渡した。それから6年近くが経った。松尾氏は刑務所で模範囚として過ごしているという。刑期満了前に仮釈放となるだろう。場合によっては今年中にも出所するかもしれない。世間やマスコミは決してこの事件を忘れてはいけない。彼の出所をまって改めてこの事件を検証しなくてはならない、そういう佐藤のメッセージなのである。
  勿論私はこの問題を忘れない。佐藤と同様に真実を知っているからだ。松尾事件で壊滅的な打撃を受けたはずの外務省は、問題の本質を隠蔽して今日まで来た。その負い目が、わが国の外務省をここまで劣化させたのである。後ろめたさを引きずって、気迫ある本物の外交などできるはずはない。この事件の真の解明こそ、外務省が生まれ変われるきっかけになると私は信じている。
  以下は私が抜粋した佐藤の告発記事である。
  ・・・(約4億5千万円という)多額の公金詐欺事件であるにもかかわらず、外務省幹部も松尾氏の部下も、一人も連座しなかった・・・筆者がいちばん信頼する会計担当の中堅幹部はこう言っていた。
  「・・・あの人が・・・外務省内に愛人を作ったり、また裏金で幹部のゴルフコンペを開いたり、キャリアの飲食費を負担したりと、やっていることは滅茶苦茶です。松尾よりも松尾に甘えている上の方に問題があるんですよ・・・あの人がやっていることは犯罪です。ただし、それを摘発したら上も連座する。そういう構造です」・・・
  筆者はワシントンで松尾氏と同時期に勤務していた航空会社幹部から、こんな事を言われたこともある。
  「松尾さんは大使館幹部のために何から何まで面倒を見ていましたよ。エコノミークラスをビジネスクラスにするアップグレードや、数百キロの超過荷物をタダにしてくれといった類の無理難題を、松尾さんが一生懸命処理していましたね・・・あの事件を知って、外務省は松尾さんにありとあらゆる汚れ仕事をやらせたのに、完全にトカゲの尻尾切りをしたと思いました」(ワシントン駐在航空会社幹部)
  そして佐藤は、その長い外務省批判を次の言葉で締めくくっている。
・・・松尾が取り調べや法廷で呑み込んでしまったことを、全て表に出せば、外務省に激震が走ると思う。筆者の予測では、外務省は、痕跡がつかないように二人くらいの仲介者を通じ、松尾が仮釈放になった後、可及的速やかに接触し、口止めを画策し、その見返りに一生生活の面倒を見ることになると思う。
  この記事を読んだ外務省幹部・OBはこの佐藤の言葉を何と聞く。

 

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2008年01月04日

 「声なき声に応えたい」と年頭に誓う読売新聞社会部長

 「声なき声に応えたい」と年頭に誓う読売新聞社会部長

  「国家的犯罪から身の回りの病理現象まで・・・記者の一人ひとりが追及すべき悪の対象を胸に秘め、取材している。あとはいま書ける事を書き切るだけだ。過去の苦い悔いを繰り返さないように・・・声なき声の代弁者でいたい・・・」
  これは年頭にあたって読売新聞社会部長の中井一平という記者が1月4日の読売新聞朝刊に寄せている誓いである。
  その言やよし。読売新聞の記者は本当にそれを実行してくれるだろうか。この一年の読売新聞の記事を私は注視して行きたい。
  中井社会部長がこのような決意を書いた理由は、氏がかつて駆け出しの頃、横田めぐみさん拉致事件に関して、「国策も絡むのなら記事にできないか」と独り合点して取材のほこを収めたからだ。筆を折ったからだ。
  その時の経緯を今思い返して、中井部長は次のように書いている。
 
  ・・・77年11月、当時中学1年生の横田めぐみさんが下校途中、北朝鮮工作員に拉致されたとされる自宅近くの道を、(海鳴りの)音に向かって進む。松林を抜け、荒波が打ち寄せる日本海が目に入った時、かぶさるように、ある光景が思い浮かんだ。
  85年の秋口、東京都内の警視庁公安部の刑事宅。深夜、帰ってきた顔なじみの刑事が、玄関先で沈んだ声で言った。
  「急に、『もういい』となった。何なんだろう」
  門灯の薄明かりにも、さえない表情はうかがえた・・「上の方」から捜査にストップがかかったという。
  「政治的な思惑らしい。でも日本人が無理やり、連れていかれているんだよ」。刑事はいつしか涙声  になっていた。そのころ大物政治家が日朝の関係改善に動いていた・・・
 
  こう書いたあと、中井部長の前掲の言葉が続く。
  「国策が絡むのなら記事にでできないか」。真偽は確かめられないまま独り合点して取材のほこを収めた。」
  そして、中井部長は次のように更に続ける。
  「あのとき書いて世に訴えていれば」、「いや、それでどうなったか」。悔いと言い訳が胸中で交錯した。年を重ねるごとに膨らむのは悔いの方だ・・・

  ならば中井部長にお願いをしたい。今からでも遅くない。たかだか20年ほど前の話だ。あの時どのような配慮から拉致問題を不問にするという政治的判断がなされたのか。その判断を下した政治家たちは誰か。その政治家の判断に黙って従った警察庁や外務省の官僚たちは誰か。
  その政治家たちが今も口をぬぐって残っている限り、そしてその官僚たちの体質が今の官僚に受け継がれている限り、拉致問題の真の解決はおぼつかない。
  そして何よりも、あなたが、「声なき声の代弁者になりたい」と本気で年頭に決意をしたのであれば、今からでも遅くない。当時知りえた事実を包み隠さず書くことだ。当時の同僚記者たちに呼びかけて、国民には殆ど知らされていない拉致問題の真実を国民に知らせることだ。
  一般市民の「声なき声に応える」事は、決して難しい事ではない。本当にその覚悟があるのならば。 

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2008年01月03日

読者の皆様へ


 読者の皆様へ

  囲碁をたしなむ読者には御理解いただけると思いますが、囲碁を御存じない読者も無理をして御理解いただきたいと思います。
  昨年末からインターネット囲碁に夢中になりまして、こんなにいいひまつぶしはないと思って回を重ねていくうちに、負けが込むと腹が立って一日中挑戦を続ける羽目になる事もしばしばとなりました。
  ブログの回数と質が落ちるかもわかりませんが、その場合はヘボ碁に打ち興じている姿を想像してなにとぞご容赦願います。

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2008年01月03日

あるパキスタン歴史家の投稿

 あるパキスタン歴史家の投稿

 3日の朝日新聞、「私の視点」にタリク・アリというパキスタンの歴史家・作家が寄稿していた。これが極めて的確な指摘なのだ。以下に抜粋して紹介させてもらう。

 ・・・ブット氏の暗殺は許しがたい。だが、彼女がパキスタンとその民主主義の救世主になりえたとはとても思えない。
 2回目に首相の座に就いたとき(筆者註93年―96年)、彼女と夫の腐敗は最悪だった。パキスタンがアフガニスタンに介入し、タリバン政権樹立に動いたのも彼女が首相の時だ。その彼女の遺志で、夫と19歳の息子がパキスタン人民党を率いるという。政党の私物化だ。そんな政党を欧米は改革志向で、近代的で、民主的だと言ってきた・・・
 この国のエリートは一貫して盲目的に米国に依存し続けた。冷戦期はソ連への対抗策からイスラム過激派を支持し、今はそれと戦う米国を手伝う有様だ。パキスタンは近代的国民国家になり損ない、自立にも失敗している・・・
 ブット氏が今回、帰国したのは、米国がどうしても非軍人の政治家を必要としたからだ。彼女の問題を覆い隠して政界に復帰させた。しかし、人々は彼女がブッシュ米大統領の手駒だと感じていた。パキスタンでは過激派自体は少数だが、大半の人々はイラクやアフガニスタンでの米国の対外政策に反発している・・・
 軍政と、さらにまして嘆かわしい政党。それがパキスタンの悲しい政治状況だ。早晩選挙は行われよう。それは恥部を隠すイチジクの葉に過ぎないが、米国は正統政府ができたと認めるだろう。米国は対外政策で同調しない政府ができるのが嫌なのだ・・・
 貧しい人たちがまず望むのは子供たちへのちゃんとした教育だ・・・それに基本的な医療制度、電気、水道も届かない地域はまだ多い。
 米国をはじめ国際社会はパキスタンを戦略的、軍事的視点からばかり見る。それが悲劇を招いている。
 
  この投稿を読んだ時、私はこの地球上にパキスタンのように米国の政策の犠牲になった国々がなんと多いことかという感慨を持った。日本もその一つに違いない。パキスタンほど日本の政治状況は悪くない、パキスタンほど国民生活は困窮していない。そう思う。日本がこれ以上悪くならないことを祈るばかりだ。

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2008年01月03日

 松本健一の平和論

 松本健一の平和論

 昨日に続き諸君!2月号の記事からブログの読者へ問題提起をさせてもらう。
 諸君!2月号の中に、松本健一麗澤大学教授、長谷川三千子埼玉大学教授、今谷明都留文科大学次期学長の三者の鼎談記事があった。三者とも日本の天皇制と昭和天皇を絶賛している。
 その事については、私はここでは問題にしない。私がここに引用し、読者とともに考えてみたいのが「天皇の政治責任」に関する松本教授の次の言葉である。
   (A級戦犯が靖国神社に合祀された事に不快感を示された冨田メモに言及して)
 ・・・私はこのメモの信憑性を疑うものではありませんが、この記述をもって「昭和天皇は平和主義者」だったと論じるのは明らかな間違いでしょう。
 というのも、君主の「平和」の観念は、戦後左翼や運動家のいう非武装中立的観念とは別物だからです。わかりやすく言うなら、「あいつは敵だ。だから、警戒しつつ手を握っておこう。そうすれば平和が生まれる」というのが、君主のリアリスティックな平和論です。実際、支那事変の際も、「威嚇すると同時に平和論を出せ」(「独白録」)と参謀本部に何度もおっしゃった。

 そしてこの松本教授の言葉を引き取って、長谷川教授が次のように続ける

 そこで用いられた「平和」のお言葉は、ピースボートのいう「平和」とは意味が違うわけですね。

 読者諸兄はこの二人の言葉を聞いてどう思うか。君主の「平和」などというものがあるのだろうか。左翼やピースボートのいう「平和」と、昭和天皇のいう「平和」とは「意味が違う」のだろうか。「威嚇すると同時に平和論を出せ」という昭和天皇の言葉を、我々は一体どう理解すればよいのか。松本教授の言うように、昭和天皇は平和主義者ではなかったということなのか。
       
 

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2008年01月03日

 山口4区と神奈川11区に注目する

  山口4区と神奈川11区に注目する

 「政治の年明け」を象徴するかのように各紙が衆議院選挙の候補者一覧表を掲載している。その中に安倍前首相と小泉元首相の名前がのっている。しかも彼らには対抗馬がいない。事実上の当選確実だ。おかしくはないか。 
 安倍首相は、「総理の重責にこれ以上耐えられない」と言って、国民の目の前で首相職を放り投げた政治家である。政治家を続けて今更何を行おうとするつもりなのか。いくら若いといっても今年54歳だ。一年議員に戻って一からやり直す歳ではない。もう一度総理を目指そうと考えているのであればとんだ勘違いだ。どう考えても彼が政治家を続ける公的な理由は成り立たない。
 ところが週刊新潮1月3・10日新年特大号に掲載されていた安倍昭恵夫人の「初めて明かす『安倍辞任』の真相」の次のくだりを読んで驚いた。
 ・・・私は主人に言いました。「総理大臣までしたのだから、もう政治家を辞めたいと思うなら、辞めても構わないんじゃないかしら」・・・主人の答えはこうでした。「いや、それは違う」。辞めるつもりはまったくないようでした・・・
 その安倍夫人は、「もう一度主人と出会ったらどうするかと聞かれたら、どうでしょうか・・・今とは違う形で会えたらいいですね。政治家ではないほうがいいかも知れません」と答えている。安倍さんの残りの人生は、政治家にしがみつくのではなく、昭恵夫人を幸せにする第二の人生を歩む事だと思う。
 もう一人の首相経験者である小泉元首相の場合は、もっと理解できない。彼は首相在職中から、父小泉純也氏が没した歳である65歳になったらきっぱりと政治家を辞めると繰り返し言っていた。小泉元首相はこの1月8日で満66歳になる。
 それよりも何よりも、首相を辞めてからの小泉元首相の言動である。国会には欠席し、格差問題をよそに一泊7万円もするマンダリンオリエンタル東京を定宿にして自由を楽しんでいるという。勉強をするわけでもなく、財界が彼のためにつくったシンクタンク「国際公共政策研究センター」にもほとんど顔を出さない(1月5-12日週刊現代)。得意の政局さえも無関心になり、泣きつく小泉チルドレンを突き放し、「煮ても焼いてもどうにでもしたらいい」と古賀選対本部長に伝え、「小泉に何を言っても無駄。だから清和会からは連絡もないようだ」(親しい知人)(1月3日―10日週刊文春)といった調子である。
 次回選挙に立候補して政治家を続ける唯一の理由が、準備の整わない次男の政治家への時間稼ぎだというのだから国民も舐められたものだ。
 それにしても、と思う。
 自分の都合で政治家を続ける彼らの当選を、当たり前のように許す地元有権者よ、これ以上選挙を貶めてくれるな。今の日本の政治にはそんな余裕はない。日本再生の為に働く本物の政治家が一人でも多く必要な時なのだ。
 「火の玉となって何が何でも勝つ」と新年会で語った小沢民主党代表よ、もし本気でそう思っているのであれば、その戦いの証として、真っ先に山口4区、神奈川11区に強力な野党統一候補を擁立すべきではないか。一騎打ちの戦いを挑み、メディアがこぞって注目する今度の選挙の主戦場にすべきではないのか。

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2008年01月02日

  近衛文麿を再評価する

 近衛文麿を再評価する

 正月休みが明けるまでは世間はお屠蘇気分である。活動はしばし休止し、世の中の動きを伝えるメディアも休んでいる。
 そういう時こそ、年末に興味深く読んだ諸君!2月号の「気骨の宰相・近衛文麿に、いまこそ再評価を」という記事について書いてみたい。
 私は歴史に不勉強で、近衛文麿という日米開戦直前に首相を務めた人物について殆ど知らない。知っている事と言えば、日米交渉が失敗すると内閣を「投げ出し」た無責任な首相だとか、貴族的性格の弱さがあったお公家さんであるとか、戦犯容疑で巣鴨へ出頭を命じられ服毒自殺をしたというくらいだ。
 しかしこの私の評価は、たとえば北岡伸一東大教授でさえも、安倍首相が退陣表明した翌日の07年9月13日付読売新聞に、「安倍さんを歴代の首相に例えるなら、近衛文麿に似ている。近衛は第三次内閣で、日米交渉で局面を打開できなくなって辞めた。安倍首相も近衛首相も、辞めればなんとかなるはずだ、というだけではないのか」、と書いていた程だから、多くの日本人はそう思っているのだろう。
 しかし歴史的人物の評価については、よほど詳しく史実を知らない限り正しく評価できない。それを教えてくれたのが諸君!の記事である。
 「近衛は不当に貶められている。いまこそ再評価されるべきだ」と主張する鳥居民氏(近現代史研究家)と工藤美代子氏(ノンフィクション作家・われ巣鴨に出頭せず(日本経済新聞社)の著者)の対談は、私にあらためて歴史を正しく知る事の重要性を教えてくれた。
 近衛文麿にほれ込んだ二人の語る近衛再評価論である。ほかの歴史家から見れば異論があるかもしれない。しかし少なくとも私には、あの日米開戦をめぐる天皇陛下の御聖断の背景や、戦後マッカーサーに新憲法起草を頼まれた近衛が一転して戦犯にさせられた経緯の真相を垣間見た気がする。

  鳥居と工藤が熱く語る近衛再評価の対談の要旨は次のごとくである。

1.近衛の名誉のために言っておくと(安倍首相の場合はどうかしらないが)、北岡教授が軽々しく言うような、「辞めれば何とかなる」とは、近衛は決して思っていなかった。むしろ近衛は最後まで日米開戦を回避しようと努力をした。
2.そもそも近衛批判を繰り返す歴史家たちは、戦前の内閣では首相に現憲法ほど権限はなく、閣僚の一人でも反対すれば「閣内不一致」となり、その閣僚が辞めないと頑張ったら、首相は辞職するしかないという事実を忘れている。 近衛の失態というよりも明治憲法の大きな欠陥によるところが大きい。
 中国撤兵によって米国との交渉の打開を図ろうとした近衛に対し、陸軍大臣東条英機は自己保身のためにどうしても賛成しなかった。再三にわたって説得を試みた近衛に対し、最後に東条は、「これは性格の相違ですなあ」と突き放した。中国との戦いを広げてきた東条の面子があった。
3.近衛には周りが言えない事でも率先して言う強い責任感があった。中国撤兵によって日米開戦を回避しようとしたり、天皇に退位を願って皇室を守ろうとする、この発想とそれを実行する勇気は、近衛以外誰も持ち得なかった。5摂家筆頭という名門の家紋を背負い、資産もあった彼には、地位や名誉・財産を求める必要はない。私欲を捨てて日本の為に働ける数少ない一人だった。
4.近衛はまた、世界的視野で物事を見ていた。帝国主義、対外膨張主義真っ盛りの時代状況において、「富というのはどの国にも均等に配分されなければならない。列強は植民地経営をやめて、独立を認めるべきだ」などと真っ当な感覚を持っていた。「歴代最悪の首相」はどう見ても不当な評価だ。
5.なぜ近衛の評価が歪められたのか。これこそが歴史の盲点である。その背景には、内大臣として天皇陛下の傍らに仕えていた木戸幸一の保身と嫉妬があった。GHQ対敵諜報部分析課長ハーバート・ノーマンの近衛排斥の工作があった。
 すなわち学生時代から近衛と親しかった木戸は、家柄も風貌も国民的人気もかなわない近衛に次第に嫉妬心を抱くようになる。そしてその近衛が中国撤兵を唱えだし、天皇陛下の退位を進言するようになった時点で、自分に責任が及ぶことを恐れ近衛の対米和平交渉をつぶそうと動く。軍部でさえも対米開戦にためらいがあることを、天皇に正しく伝えなかった責任を隠そうとする保身も働いた。 
6 GHQ対敵諜報部分析課長ハーバート・ノーマンも近衛の復活を望まなかった。戦後の日本における共産主義勢力の台頭をおそれるマッカーサーは近衛を信頼し、自由主義勢力を結集して、新憲法起案に取り組んでもらいたいと近衛に依頼する。それに危機感を感じた共産主義者のノーマンは、猛烈な宣伝攻勢を始める。新聞や世論などで急速に近衛批判が高まると、マッカーサーは一転して「近衛の憲法改定にはGHQは関与しない」と声明を出して近衛を切り捨てた。復活したかに見えた近衛の政治生命はこれで閉ざされることになる。

   以上が対談のあらましである。工藤と鳥居は最後に次の言葉で対談を締めくくっている。

   工藤  ・・・近衛は最後まで逮捕について多くを語ろうとしませんでした。さらに近衛はノーマンと都留(註 都留重人、経済学者・後の一橋大学学長。木戸の姪の夫で、ノーマンの親友でもあった。都留からノーマンにわたった近衛の情報はすべて木戸幸一から出ていたと考えられる)が、木戸のために策をめぐらし、自分を貶めていた事をまったく知らなかったと思われます。
  もしそうであったなら、実はあなたの知らないうちにこういう事が起こっていたのですよ、と彼の墓前に報告したい・・・
   鳥居  近衛は自殺する前日、次男に「我の心は知る人ぞ知る」と遺言します。近衛はアメリカとの戦争を回避しようと懸命に努力しました。戦いになってしまってからは、戦いを終わらせようと努力を重ねました。今こそ、木戸やノーマンによって歪められた近衛像ではなく、かれの本当の「志」を知るべき時だと思います・・・

  繰り返し述べるが、上記の対談で述べられた近衛の再評価に異を唱える歴史学者もいることだろう。史実は自分の都合の良いところだけを見て、それを強調して書かれるからだ。
  しかし少なくとも我々は、一つでも多くの情報、一つでも新しい知識を見出だそうとする努力の重要性を知らなければならない。同じ情報と知識の閉鎖性の中で、ただひたすらに自説を繰り返しているだけでは、独断に陥る危険性がある事に気づかなければならない。その事を教えてくれた対談であった。
  新年にふさわしく、あらたな気持ちで謙虚に歴史を振り返る、そういう柔軟な姿勢を忘れないでおきたい、そういう気持ちでこのブログをお届けする。

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2008年01月01日

国際社会と日本の役割

 国際社会と日本の役割

  元旦の朝刊各紙の社説は、やはり本年は政治が大きく動く年であるという論調が多かった。その通りであると思う。
  しかし本年最初のブログでは、私は毎日新聞の社説から次の一文を引用し、そして国際政治における日本の役割について考えてみたい。新年らしく、明るい未来志向のブログで始めたい。
  「08年を考える」と題した毎日新聞の社説は、身捨つるほどの祖国はありや、という寺山修司の短歌の一節を引用し、世界と日本の混迷の共通項として、「責任」の欠如、「公(おおやけ)」の感覚の喪失をあげている。
  そして、日本の場合、「公共心や責任というものが身についていなかった」とすればそれは「(それが)借り物であったからではないか」、「公共心や公共への責任感は空から降ってくるわけではない。それは私たちが、共通する問題にどう対処するか、平等な立場で、オープンに議論をたたかわせる中で」、「自分たちが手探りで作っていかなければならないもの」、であると論じている。そうなのだろうと思う。
  しかし私はこの社説の中の国際情勢を語る次の部分を読んで日本の果たすべき役割を考えてみた。

 ・・・唯一の超大国としての(米国の)威信は昨年大きく失墜した。政治的にはイラク問題。経済的にはサブプライムローン問題だ。
 超大国の役割は「平和と安定」という世界のための公共財を提供することだ・・・米国は限界を明らかにしつつある。
 サブプライムローン問題は米国が住宅バブルを放置した結果である・・・イラク戦争でも地球環境問題でも、米国がその理念と構想力で世界をリードするのが難しくなった。もう冷戦終了直後の精神的指導性を有していない。
 米国の混迷の間に、中国と資源国ロシアの台頭がめざましい。しかし、彼らが米国に代わって世界運営の責任を引き受けたわけではない。逆に露骨に国益を追う事が多く、世界の不安定化に拍車をかけている・・・

 私は米国の力を決してあなどらない。米国が没落するなどという言説には与しない。米国は、未来永劫というわけではないが、当分の間引き続き世界最大の軍事大国、覇権国として世界に君臨するに違いない。
  しかし、米国はもはや世界の平和と安定という「国際公共財」を提供できる国ではない、米国では世界を幸せにはできない、という点については同感である。
  この毎日新聞の社説に中で、私が最も同意するくだりは、そして強調したい事は、台頭めざましい中国や、プーチンによって復権したロシアもまた、いやそれ以上に、決して「世界の安定と平和」に対して責任を果たそうとしている国ではないということである。彼らもまた、「露骨に国益を追求する国」であり、世界を安定化させようとする国ではないのだ。その意味で私は、米国から決別して中国やアジアとの関係を重視せよ、と唱える人達の考えにも、米国についていくしかないと考える対米従属の人々と同様、与しない。
 多極化する世界の中で、核兵器の拡散、テロとの戦い、温室効果ガスの削減などグローバルな問題について、米国、欧州、中国、ロシアなどの大国に、そしてインド、ブラジルなど続々と台頭する新興勢力に、どこまで国際公共財の実現の必要性をわからせるか、そして一致協力させられるか。
  私は、希望を込めて、その役割を担う国こそ日本だと思っている。日本はこれまで世界を支配してきた欧米とは異なる仏教の国である。日本の伝統的な価値観は和であり協調であり中庸である。極端な競争社会を好まない心情がある。なによりも弱者に対する思いやりがある。」
  その日本が、平和憲法9条を掲げて世界に訴える時、誰も正面からそれに異を唱える事は出来ない。野心と権力欲に取りつかれた世界の指導者たちではなく、世界の市民、国民の多くは、そのような日本に拍手喝さいを送るだろう。
  そのためには、日本がまず、そのような国にならなければならない。世界の公共財を実現しようとする理想も意思もなくなった米国にどこまでも従っていこうとする日本が、本来の日本の姿にまず変わらなければならないのだ。自主、自立の日本元年にしてみたい。


 

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