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2007年12月01日

無為の時間にどれだけ耐え切れるか

無為の時間にどれだけ耐え切れるか

  日々のブログから離れて独り言を書いてみたい気になった。
  私は、考えに行き詰った時、自分の行動に意味を見出せなくなった時、庭に出て土を耕す事にしている。この上ない心の安らぎを得ることが出来る。二年前に那須塩原市に移り住み、100坪あまりの庭に木々を植え、草花を咲かせて眺める毎日を過ごすようになった私は、思いついたら庭に出て土を掘り起こす。幸いにも那須塩原の荒地には石ころが土の中に無限に転がっている。掘っても掘っても石が出てくる。それを掘り起こしてはまた耕す。一日中そうする事もある。まったく意味のない行動である。それに疲れたらコンピューターの前に座って「ひまつぶし」というゲームを行う。文字通りのひまつぶしだ。意味もないゲームに熱中し続ける。人がそれを見ると正気の沙汰ではないと思うかもしれない。しかし今の私にはそのような無為の時間を過ぎすことと、寸暇を惜しんで金儲けにいそしむ事や、他人との競争に身を削る毎日を送る事との間に、それほどの違いはないと思える贅沢を得るようになった。そしてその思いを更に深めていけば、この世の中には様々な理由によって無為な時間を過ごさざるを得ない境遇の無数の人達がいるという事に気づく。その人達と、秒刻みで仕事に励む成功者との間で、さしたる違いはないのかも知れないのだ。
  断っておくが私は有意義な時間を過ごそうと寸暇を惜しんで励む人が悪いと言っているのではない。かつての私がそうであったように、人間は人生のある一時期は必死で働いたり、成功目指して頑張る時を持たなければならないと思う。そういう時間をもてる自分を幸せに思わなくてはならないと思う。
しかし人間は、いつかはそういう時期を卒業し、無為な時間の中で自分自身と正面から向き合い、対峙しなければならない時期がくる。その時点で人間は皆平等になる。差別なく、あらゆる人を許せるようになる。許されるようになる。
  かつて南アフリカの初代黒人大統領になったネルソンマンデラが、政治犯としてロビンアイランドの牢獄に27年間つながれていた時、毎日毎日石ころを右から左に運んで、今度はそれを左から右に運ぶ、そんな無意味な一日を一年中強いられたという話を聞いた事があった。当時はまだ私は40歳前の働き盛りの時である。それまでの私の人生がそうであったように、一瞬たりとも無駄な時間を過ごしたくない、一瞬たりとも有意義な時間を過ごさないと罪悪感を抱く、そんな自分であった。だから、マンデラのような無為な時間を過ごすという事は考えられない事であった。耐えられない思いで聞いていた。
  しかし今こうして人生の大半を終え、人よりわずかばかり先んじて引退を迫られた私は、その逆境をバネに過去の自分と決別し、一つの極地に到達しつつある。人間はある年齢を超えたら、無為な時間に耐えられる心のゆとりを持たなければならないのではないか。欲望も、迷いもなく、自然のままに生きる。わずかな、残された生を、自分のみに忠実に生きる、最後はそういう人生に辿りつかなければならないのではないか。
  もちろんこれは私の考えである。人は様々だ。80歳や90歳を超えてもあくなき名誉欲、自己実現欲にとらわれて生きる人もいる。死ぬまで働き続け、人に囲まれ、ちやほやされ、上昇志向を抱き続ける人もいる。そういう人生を私がとやかく言う筋合いはない。また、自らの限界を悟る事のできる人であっても、それに気づく年齢は人によってまちまちだ。それもまったく問題はない。
  しかし、それでもやはり私は思う。人間は、いつかは無為な時間を過ごす事を素直に受け入れなければならない時が来るのだ。その時はすべてが平等になる。富める者も貧しい者も、成功した人も失敗した人も、健常者も非健常者も、醜いもの美しい者も、すべては平等になる。心優しくなれる。神というものが存在するとすれば、その時こそ誰もがその神に等しく近づける時であるに違いない。 

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2007年12月01日

この国では真の政権交代は決して起こらない

 この国では真の政権交代は決して起こらない
    ―額賀喚問中止と朝青龍問題の底に共通するものー

  この国では残念ながら真の政権交代は起こらないであろう。たとえ政権交代が起きたとしてもその政権は本質的には自民党的なものに収斂していくであろう。決して革命的な変化は起こらない。額賀喚問中止と朝青龍復帰問題のニュースを見て、そしてそれを報ずるメディアの対応振りを見て、私はつくづくそう思った。
  額賀喚問中止のニュースには失望した。今更ながら民主党の腰砕けぶりと野党の慢性的な結束のもろさを思い知らされた。はやりこの国では野党共闘などというものはありえないのだ。野党共闘がなければ政権交代は起こらない。あるのは政界再編と連立の繰り返しでしかない。そしてその中心はやはり自民党である。
  朝青龍の謝罪会見はこんなものだろう。彼に本心からの反省を求める事は無理な話しだ。むしろここまで流暢な日本語を話せるようになった朝青龍に感心する。横綱審議会の面々を前にして一人で対峙して(みせかけの)謝罪をやってのけた、その度胸と強さを賞賛したいほどだ。情けないのは横綱審議会の面々である。あれほど厳しい事を言っていた各界の名士といわれている連中が、この程度の謝罪で、明らかに不満気な顔をしながら、「一応これで」と幕引してしまったのだ。極めて自民党的だ。
  この、一見無関係に見える二つの出来事の背景にある心象風景に私は日本と言う国の特性を見る。日本人の姿を見る。それはよく言えば大人の態度であり、白黒をつけない曖昧さであり、謝罪をするものをそれ以上追い込まない寛容さであろう。しかし、他方においてそれは「間違っているものは間違っている」、「嘘は嘘だ」という原則論を押し通せない弱さであり、筋を最後まで押し通す事によって招く他者からの反発や孤立へのおそれである。この国では一人筋を通せば変わり者、異端者という烙印を押されてしまう。そのつらさ、厳しさ、馬鹿らしさを私は身をもって痛感してきた。
  問題はそれが権力者の悪にまで適用されるとどうなるかである。
  朝青龍の場合はまだいい。彼は相撲は強くてもいわゆる権力者ではない。横綱といえども一私人だ。しかも(八百長という噂はたえないが)自分の体一つで横綱にのし上がった人物だ。今後彼は土俵という場でその真価を証明しなければならない。彼の評価はフアンの反応で最終的に判断が下される事になる。
  しかし額賀喚問問題は話は別だ。権力者の犯罪と嘘の有無がかかっている問題である。自民党政権の存続がかかっている問題である。そのような問題までも、世間の目をおそれて徹底的な追及が出来ないとすれば、この国では永久に正義は実現されないであろう。権力者の悪は最後のところで逃げ延びる事となる。
  12月1日の朝日新聞に次のような記述があった。民主党の国対幹部は「本当はやめたくなかったんだ」と言って残念がった。それが想定外の共産党の気変わりで「数の横暴」に対する批判を恐れる羽目になったというのだ。しかしそのような混乱の中でも司令塔がしっかりしていれば正しく対応できたに違いない。しかし鳩山幹事長からの相談に小沢代表は「幹事長に任せる」と言って逃げ、その鳩山幹事長は野党共闘を重視し、小沢不在のまま幹部を集めて協議し喚問の見送りを決めたというのだ。天下分け目の政局でこの体たらくである。その一方で原因をつくった共産党幹部は、与野党攻防に与えるダメージを心配し、「民主党に冷や水を浴びせたいわけじゃないから、うちも困ったんだよ」などと逃げ口上をはいたという。福島党首の再任で忙しい社民党の声は、例によってまったく聞こえてこない。
  最後まで追い詰める事は美徳ではないとするこの国の特性と、いつまでたっても結束できない野党、そんな今の日本においては決して真の政権交代は起こらないであろう。ここまで政権担当能力のなくなった自民党でも、それでも政権を担い続けるのである。それに変わる政権がすっきりした形で生まれないのである。日本の将来は暗い。国民生活はますます苦しくなる。

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