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2007年11月27日

政治家川田龍平の姿が見えない(2)

 政治家川田龍平の姿が見えない(2)

  政治家の仕事は何か。衆参あわせて720余名の国会議員の中で、その歳費や特権に見合った仕事をしている国会議員が果たして何人いるというのか。やっとメディアもこの問題を取り上げるようになった。
  写真週刊誌フラッシュの11月20日号は衆議院議員の給料(歳費)を国会での質問語数で割って、国会議員の一言に税金がいくら使われているかを論じていた。第166回通常国会(07年1月25日―7月5日)における議事録から割り出した数字によると、発言一文字の経費が最も少なかった議員(すなわちもっとも発言して仕事をした議員)は共産党の吉井英勝で約266円。発言ゼロ、すなわち国会で一言も発言することなく給料をもらっている国会議員が480人中66名もいたという。因みに小泉チルドレンの杉村大蔵は質問した議員の中ではほとんどビリで、一字あたり15245円かかっていたという。
  また11月10日の毎日新聞は、07年度の予算で、国会議員一人当たり3億1078万円の経費がかかっている、という政府試算を報じていた。議員歳費や秘書給与などの議員経費に加え、各党に国家予算から配分される政党助成金や、国会事務職員の人件費などの国会経費など、すべての経費の総額を議員数で割ったら一人3億円以上かかっているというのだ。それだけの税金の消費に見合った仕事をしている国会議員は果たして何人いるというのか。
  国会議員の主たる仕事は国会審議である。その国会審議は与野党の政治駆け引きでほとんど開かれないのが現状だ。開かれても出席しない議員が多い。小泉や安倍は出席すらしない。小沢だってしない。その言い訳に、自分たちのすることはもっと重要なことがあるという。
  国会審議をしない議員は何をしているのか。考えられるのは次の選挙に備えた選挙運動である。あるいは国会対策の為の与野党折衝やその事前打ち合わせ。党内の会合や党内雑務。視察旅行。陳情受付。テレビ出演。選挙区まわり。要するに何でもできるのだ。逆に言えば何もしなくてもいいのだ。
  たとえばゴルファーの横峯パパなどは6年間何もしなくても歳費はもらい続ける。その一方で年金男の長妻昭などは勉強を重ねて国の不正を国民に教えてくれる。いずれも同じ国会議員だ。同じ民主党だ。
  この国の政治家は政党に属しているだけで国会議員が務まるのだ。政治家たちの最大の関心は政権をとることだ。単独で政権を取れないまでも政権政党と連立を組む事だ。政権を取るということは官僚を使って政策を実現できる。政策を実現する事で国民の役に立つというわけだ。政権政党の議員は自分が何もしなくても政権維持に貢献するだけで仕事をしていることになる。
  だから自民党政治家の最大の役割は選挙で勝って議席を一つでも増やす事だ。そうする事によって政権維持に協力することである。野党第一党民主党の政治家の役割は選挙で勝って民主党の政権獲得に貢献する事だ。だから横峯パパは国会で何もしなくても当選した事だけで意味があるのだ。スキャンダルにまみれてもやめなければいいのである。
 公明党の政治家は創価学会の論理で動く事が仕事である。政権政党にとどまって創価学会の利益を繁栄すればよいのだ。共産党の政治家は共産主義の政党を標榜したしかな野党であればいい。かつての野党第一党であった社民党は、いまや国民政党としての野党の存在意義をなくしている。それでも無くならないのは、支持する労働組合の利益代表としての意義があるからである。だからどんなに小さくなろうとも、それを通して国政に参加しようとする労働組合が存在する限り、ゼロにはならない。
  要するに今の日本の政党政治の中にあっては、いかなる政治家も既成政党のいずれかに属している限り意義があるということだ。それが国民生活に役立っていなくてもそれぞれの政党の存続に貢献するという意味があるのだ。
  ひるがえって川田龍平のような無所属の議員はどうか。よほどの個人的力量とカリスマがなければ活躍できる余地はない。いずれかの既存政党との連携なくしては何もできない。一般にはそう思われている。政治の現実もそうであろう。だから彼の場合は活躍の余地はない。社民党や民主党と連携しないかぎり何もできない。しかしそういう事をしているとたちまち自分の持っている良さを失ってしまう。何のために政治家になったのかという根本的な問題にぶち当たる。
   本当に川田龍平のような無所属議員の活躍する余地はないのであろうか。いや、決してそうではない。無所属議員だから思う存分出来る事があるのだ。その事について次回のブログで書く。 

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2007年11月27日

パレスチナ支援の欺瞞

パレスチナ支援の欺瞞

  この世の中には、世の不条理と闘い、国家権力の不正と闘い、あるいはさまざまな弱者の救済に立ち上がる組織や個人が多く存在する。それらの活動の中には、政治的背景があったり、利権が絡んでいたり、あるいは自己満足によるものがあったりする。しかし殆どは献身的な人達の善意の活動である。
  外務省を離れて言論活動を始めた私は、そのような活動に呼ばれ、賛同し、共鳴したりする。しかし自分の日常生活や生活費やエネルギーを割いて、それらすべての活動に参加する事は今の私にはとてもできない。
  その中で私が極力参加しようとつとめているのがパレスチナ支援の活動である。それは、私が職を賭してイラク戦争に反対した最大の理由がパレスチナ問題であったという事だけではない。パレスチナ問題こそ、世の中のあらゆる不正、不条理、暴力、人権抑圧などの諸問題が凝縮されている、今世紀最大の矛盾であると確信するからだ。
  11月25日、大阪で「国連分割決議から60年。今こそ、パレスチナに正義と平和を!」というささやかな集会があった。私は前座の講演を頼まれて参加した。前座であるといったのは、集会の中心は、主催者(パレスチナ平和を考える会 06-6949-2442)が日本に招聘したパレスチナ自治区ヨルダン西岸の元バルダラ村評議会議長ファトヒさんの現地レポートであったからだ。私もファトヒさんの報告を楽しみに参加したのだった。
  ファトヒさんの報告は衝撃的であった。知っていたつもりであったがイスラエルのパレスチナ占領政策、抑圧政策がこれほどまでに非人道的であったのか、ファトヒさんの報告を聞いて私は認識を新たにした。
   しかしそれを伝えるのが今日のブログの目的ではない。ファトヒさんの報告の中で、私ははからずも外務省のパレスチナ支援の欺瞞を知ったのである。前置きがいつものように長くなったが、外務省がでっち上げたパレスチナ支援の欺瞞を告発することがこのブログの目的である。
  小泉元首相が退任直前に中東へ卒業旅行した事は我々の記憶に新しい。らくだに乗り、ユダヤ帽をかぶってはしゃいだ小泉首相の姿が報道されていた。その小泉卒業観光旅行のお土産として外務省が用意したのが「平和と繁栄の回廊」構想という援助計画であった。米国の中東外交に追従してイスラエルの暴挙に何も文句の言えない日本が、それでも日本は中東和平に貢献していると宣伝するためにでっち上げられた「援助」と言う名の欺瞞である。
   パレスチナ、ヨルダン、イスラエル、日本の4カ国が協議して、パレスチナ自治区のあるヨルダン渓谷の農業、水資源開発を行うと宣伝する。紛争の原因の一つが貧困である。だから貧困を解決する事によって和平を実現するのだという。パレスチナ人の悲惨さから目をつむった官僚が鉛筆を舐めて考えだした虚構である。
   その欺瞞を見事に喝破したのがファトヒさんが伝えた現地の声であった。
   給油問題の大騒ぎの中で盛んに語られたのがアフガン復興支援である。日本ができる貢献はあるはずだ。それこそ復興支援である、などと、政府はもとより民主党なども強調する。これに対してアフガンで民生援助を続けるペシャワール会の中村哲医師が名言を吐いた。
   「戦争をしながら援助をするということがありうるだろうか」と。
   それニモ負けない至言をファトヒ元議長は我々の前で語った。
   「占領するものが占領されるものと一緒に真の協力が出来るというのか」
   日本の援助はイスラエルの占領を正当化し、占領を固定化するものだ、そのような支援は占領されているパレスチナ人の支援には決してつながらないとファトヒさんは訴えた。
   その通りではないか。しかし私がもっと強い憤りを覚えたのは、援助を実施する国際協力機構(JICA)が現地の声を聞くことなく、現地の要望に一顧だにすることなく、日本側の都合でどんどんと援助を実施しようとしている事だ。JICAの援助はパレスチナ解放を願う住民の声に敵対すらしていると、現地住民が告発しているというのである。
   「パレスチナの平和を考える会」はファトヒさんが携行したヨルダン渓谷地域評議会の声明とともに11月22日外務省を訪れ援助の見直しを申し入れた。国会議員会館で政治家に対して訴えた。しかしまともに相手にされなかったという。
   このブログを読んだメディアの関係者よ。遠路はるばる日本を訪れたファトヒさんの告発を記事にしてくれ。援助される側の住民から拒否される援助を血税で行おうとする外務省の欺瞞は必ずや国民の批判にさらされるであろう。このブログを読んだ野党国会議員よ。今こそ国会の場で外務省援助の欺瞞を追及して欲しい。福田政権はさらなる批判にさらされる事になろう。このブログを目にした外務省の後輩官僚たちよ。あわてて自己弁護の準備に取り掛かるがいい。しかしどのように取り繕っても、住民の声を押さえつける事は出来ない。自らの誤りを謙虚に反省するほかはないのだ。


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2007年11月27日

政治家川田龍平の姿が見えない(その1)

政治家川田龍平の姿が見えない(その1)

  小さな記事であるが27日の毎日と朝日に薬害肝炎の問題で、厚生労働省の調査チームが訴訟の原告の二人から感染の経緯などをヒアリングしたという記事があった。重要なのはヒアリングをした事ではない。ヒアリングに応じた原告の二人たちが、副作用で肝炎に汚染するおそれについて、「医師から何の説明もなかった」と証言した事だ。「医師が説明したはず」という厚生労働省の認識との違いが明らかになったという事だ。この欺瞞を記者会見して告発した原告は怒りに声を震わせた。
  まだこんな事をやっているのかと思う。薬害被害の問題は、防衛省の武器売買疑惑とならんで、国と業者の癒着による国民の生命と財産を裏切る深刻な国家犯罪疑惑である。
  それがいつまでたってもすっきりと解決しない。それはなぜか。本気で政治家が国民の為に問題解決に動かないからだ。国民が国家権力を相手に闘ったところで勝てるはずはない。その国民の闘いの先頭に立って国家権力を動かすのが政治家の重要な仕事である。
  なぜ川田龍平の姿が見えないのか。彼はもはやエイズ薬害の一被害者ではない。薬害被害を売り物にして選ばれた政治家である。いまこそすべての薬害被害者の先頭に立って徹底的に厚生労働省と闘うべきではないのか。わずかばかりメディアに露出して批判発言を繰り返したところで何の意味もない。薬害被害者を代表してあらゆる行動を取るべきなのだ。その時間と財政的裏づけと権力を政治家は持っている。それを国民の為に使う事以外に彼の政治家としての役割があるというのか。
 これは川田龍平に対する個人的批判ではない。彼のような無所属の一議員が政治家になったとき、一体何ができるか。何をすればいいのか。私が彼の立場であったならどうするか、それをこれから連載で書いていく。これから書いていく事は私の新しい政治像、政治家論でもある。

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