飛騨の高山で考えた事
飛騨の高山で考えた事
勉強会の講師に呼ばれて飛騨の高山を訪れた。高山は中学一年の一時期を過ごした場所である。以来訪れる機会がないままに四十数年が経っていた。
気温の差が激しいのであろう。紅葉の美しさは息を呑むばかりであった。名古屋から高山本線に乗り継いで高山へ向かった二時間あまりは、車窓から眺める日本の秋の色に体中が染まった二時間であった。
話が脱線した。自然の美しさに免じて許していただきたい。さっそく今日のブログの本旨に入る事とする。飛騨の高山で考えた事である。
私を招いてくれた十数人の人々は、年齢、職業、境遇は異なるけれど、一つの思いを共有して集まったという有志の人達であった。この世の中、何かおかしい。このまま行けば日本の未来は危うい。政府や官僚に多くを期待する事はできない。もはや自分の生活は自分で守るしかない。そのためには勉強するしかない。一つでも多くの真実を知り、隠蔽されている世の中の巨悪に気づき、それに抗していく自立した力をつける。一人では無力であっても、仲間と一緒に勉強し、情報を共有し、そして我々の手で日本を救い、日本の未来を切り開いていこう、そういう思いで集まってきた人達と、私は飛騨の山奥で出会ったのである。
私が特に注目したのは、そのような活動の前提として、まず個々人の経済的基盤を強化しておこうという認識である。生活費を確保し、その上で、さらに自立した活動のできる経済力を強化する、そのためには仲間の皆が協力し、情報交換し、人脈を広げていって、個々人の資金力を増やしていく、そのことに皆が協力し合う、そういう発想である。
なぜ私がこういう人達の生き方に共鳴するのか。それは私が夢見る「全く新しい政治」の実現につながると思うからである。
なぜ今の政治家に立派な政治家が少ないのか。それは政治家になる事、政治家であり続ける事を目的とする者があまりにも多いからである。親の地盤を継いで易々と政治家になる世襲議員や、満足な人生経験をすることなく若くして政治家を志し、そのまま一生政治家を続けようとする者などは、私から言わせれば最悪の政治家である。
政治家とはそのような形で生まれるものではないと私は考える。人は皆赤ん坊として生まれ、親に育てられ、いつかその親の庇護から自立して人生を生きていく。どのような生き方を選ぶにせよ、自分の手で食い扶持を稼ぎ社会人として生きていく。サラリーマンを経験したり、自営業を営んだり、技術屋になったり、どのような職業に就くにせよ、自らの手で金をつかんで生きる。その過程で社会の矛盾や不合理を知る事になる。そこから政治的意識が芽生えるのだ。
人間は不完全な生き物だ。時として悪を犯さなければ生きていけない時もある。それらをすべて許さないというのではあまりにも厳しすぎる。硬直的過ぎる。しかし、やはりできるものなら悪は犯さないほうがいい。ましてや悪事が意図的に見逃されたり、悪事の間に不公平な処遇があったりしてはならない。そのような世の中を実現する事こそ政治の大きな役割ではないのか。
政治家に真っ先に求められる資質は、国民が安寧に暮らせる世の中の実現のために、自らを犠牲にする覚悟である。無私の精神である。そしてそのような精神を持ち、政治家としての責務をよく果たす能力のある人物は、そうはいない。そのような人物が選ばれるにしては国会議員の数が多すぎるのだ。
加えて今の選挙制度の下では既成政党、組織政党が有利になっており、メディアを通じた知名度が当選のための決定的影響力を持つことになる。だから理想的な政治家が選挙で選ばれる保証はない。今ある政治家のほとんどは真の政治家からは程遠い。我々が今の政治に失望するのは当たり前なのである。今の政治制度が続く限り、何回選挙を繰り返しても、たとえ政権交代が起きたとしても、基本的には変わらないのである。
しかし、だからと言って今の政党、政治家をなくすことはできない。今の政治・政治家は存在し続ける。ここに私が提唱する「もう一つの政治、政治家を作り出す」事の重要性と必要性があるのだ。
勉強会に集まった人達こそ、「新しい政治・政治家」を作り出す事のできる人達であると思う。既存の政党やイデオロギーを超え、自主・自立・正しく生きるという事を単純に追い求めるだけである。
実はこのような人達は飛騨の高山にだけ存在するものではない。過去4年間、私は全国を講演で歩き回って、この日本列島のいたるところで同様の思いを抱いて新しい政治を実現したいと考えてる人達に遭遇した。問題はそのような人達のネットワークや協力・連携を、誰が、どのように実現していくかである。それが出来た時始めて、その中から真の政治家を国会に送り込む事が出来る時が来るかもしれないと思っている。その代表たる政治家はたとえ一人でも二人でもいい。既存の政党・政治家を監視する役目は一人でも十分になしうるのである。国会議員としての特権と歳費を本来の形で行使すれば、たとえ一人出会っても今の政治家の何倍もの仕事が間違いなくできる。
