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2007年11月29日

守屋疑獄ーもう一つの巨悪

守屋疑獄―もう一つの巨悪

 守屋前次官が逮捕された事で各紙が埋め尽くされている。東京地検特捜部は守屋前次官の妻まで逮捕して天下に二人の恥をさらした。ここまでした以上もはや東京地検特捜部は真実のすべて明らかにする責任がある。
 守屋夫妻の金銭的な収賄などは序の口に過ぎない。額賀の同席の有無などはどうでもいい。積年にわたって国民の目の届かないところで行われてきた日米軍需産業の疑獄と、何兆円にも上る防衛予算が米国に食い物にされている実態こそ明らかにされなければならない。戦闘機一機の水増し請求で消えたカネでどれほどの国民の医療救済ができると思うのか、我々はその事に思いを馳せるべきだ。
 しかし私はこの守屋事件のもう一つの巨悪こそ追及されなければならないと思っている。それは誰が守屋をここまで増長させたかである。そして増長した守屋を使ってより深刻な罪、すなわち、国民の目の届かないところで米軍再編への協力を一気に進めた巨悪こそ追及されなければならない。
  この事を正面から取り上げたのが29日付の日刊ゲンダイである。対米軍事従属をここまで徹底させたのは言うまでもなく小泉元首相だ。米軍再編への協力を最終的にブッシュ大統領に約束したのは昨年6月の訪米時である。その時小泉元首相は外務省を差し置いて守屋前防衛次官を同行させている。この異例な厚遇ぶりこそ、守屋が小泉対米従属外交の尖兵となって憲法違反の対米協力を進めた証であった。
   日刊ゲンダイは三流左翼ゴシップ新聞と馬鹿にするなかれ。本質をついているのだ。そしてこの問題意識は、大手新聞の中では、29日の朝日新聞本田優編集委員の記事が共有していた。
   本田の記事で注目すべきは、守屋が徹底した軍拡路線者であったということだ。本田の記事に中でかつての名次官と言われた西広整輝と若かりし頃の守屋のつぎのごとき論争が載っていた。
守屋 「有事になっても米軍や自衛隊が合法的に対応できるよう、有事法制を整備すべきだ」
西広 「米ソ核戦争で日本が戦場になったら終わり。抑止が大事なんだ。有事法制は研究だけして、金庫にいれておけばいい」
  それから20年近く経ち、守屋は小泉と言う稀代の対米従属主義者の庇護を得て、やりたい放題の憲法違反を重ねた。小泉は守屋というタカ派異端児を得て、「ブッシュの戦争」へ無条件で協力することに成功した。
  小泉も守屋もいなくなった今、この亡国的日本の外交政策を元に戻せる事のできるまともな護憲政治家が果たしてこの日本に出てくるであろうか。
  興味深いのは29日の読売新聞に掲載されていた西原正前防衛大学学長の懸念である。守屋事件によって基地問題の作業が遅れるのではないか、安全保障問題をめぐる日米関係に大きな影響がでるのではないか、と心配しているのだ。さすがに防衛省の御用学者である。よく分かっている。まさにその通りなのである。
  金銭授受の疑惑、疑獄ばかりが騒がれる中で、もう一つの巨悪、つまり小泉、守屋が進めた憲法蹂躙の対米軍事協力を再検討すべきであると、正面から申し立てる気骨ある政治家が出てこないものか。出てこないとすれば、この国は間違いなく米国の傭兵国家になる。日本の将来はない。

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2007年11月28日

政治家川田龍平の姿が見えない(最終回)

  政治家川田龍平の姿が見えない(最終回)

  今の日本の政治において無所属議員の活躍する余地はほとんどない。というよりも真の無所属議員が果たして何人いるのだろうかと思う。
  無所属議員には政党に帰属する議員にくらべて圧倒的なハンデイがある。その一つは無所属では選挙に勝てないという事であり、もう一つは国会の場で組織的な活躍ができないと言う事である。
  今の日本の政治は二大政党に急速に収束しつつある。自民党、民主党以外の政党の支持率は低下の一途を辿っている。自民党、民主党のいずれかに属さなければ政治家としてほとんど活躍できない時代に入りつつある。
  それでも既存の政党に属していれば生き残れる。ハードコアの支援者の組織票がある。生き残るだけが目的であれば政治家としての特権を十分楽しめる。政党に属すると政党助成金がもらえる。政党に属するとメディアに取り上げられる。政党の党首は党首会談に呼ばれる。国対協議に参加できる。国会質問の時間が与えられる。選挙の際に公認の選挙広報ができる。腐っても政党なのである。
 このように圧倒的に政党に有利な政治状況の中で、あえて好んで無所属議員になろうとするものがいるであろうか。いない。彼らはやむにやまれず無所属議員になっているのだ。下心があって無所属で通しているのだ。どこからも公認されなかったり、政党間に等距離を置く事によって利を得ようとしたり、あるいは裏ではどこかの政党につながって隠れ無所属を装っているか、そのいずれかである。要するに訳ありなのである。そのような無所属議員は、自己矛盾をきたすか、支持者に利用されるかして、やがて行き詰まる。
  不利な選挙を克服し、真の無所属議員になったとしよう。真の無所属議員は何が出来るのか。何をすべきであるのか。ここからが私の独断による答えである。
  無所属議員は、国会においては徹底した情報公開を求める政治家になることだ。質問主意書を連発して政府や官僚の情報提供を求め、それをメディアを通じて国民に公開する。国民が知りたい事を探してそれを政府、官僚にぶつける。これこそが国会議員のみに出来る特権である。判明した事実に基づいて起きてくる国民からの要望については、それが多くの国民の支持を得られるものであれば、おのずと与野党の攻防に発展させて新たな政策として実現する事が出来る。
  無所属議員は、国会外では、国家権力と闘う弱者の先頭に立って活動、行動をともにすることだ。自らの国会議員の特権を彼らに分かち合って最大限にそれを彼らの為に活用することだ。国会議員の移動には国から無償のグリーン券が供与される。それを使って東に困っている人がいれば助けに行き、西に怒っている人がいれば相談に乗ることができる。宮沢賢治の世界だ。体力が続く限り移動すればいいのだ。そうする事によって世間の苦しみ、悩みがわかる。わかればその解決に向かって政党政治家を動かせばいいのだ。そして政府の政策を変えていく。
  最後に残る問題は、組織もしがらみもない無所属候補がどうしたら選挙に勝てるかということである。それこそが大問題だ。シェークスピアの世界だ。答えは今の私にはない。しかし遠からず日本の政治は大混乱する。既存の政党の離合集散では国民がついて来ない時が来る。既存の政党を全否定する「無所属国民」が必ず出てくる。その時こそ真の無所属議員の好機が来る時であると私は思っている。
 能力と信念とカリスマのある人間が、こころざし一つを引っさげて国民的政治家として登場する、そんな時代が来る事を私は夢見るのである。

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2007年11月28日

これがブッシュ大統領8年間の中東政策のすべてだ

これがブッシュ大統領8年間の中東政策のすべてだ

 米国アナポリスの海軍士官学校で開かれている中東和平国際会議の表向きの評価がどうであれ、その実態はブッシュ大統領8年間の中東政策の欺瞞と迷走を象徴する壮大なアリバイ作りでしかない。
 中東問題の本質を理解していないのか、それとも知っていながら無知な日本国民をごまかせると思っているのか、日本のメディアが論じる記事はあまりにも皮相的だ。「成功の見通しは楽観を許さないが、それでも和平の進展を期待する他はない」などという評論家まがいのものばかりだ。
 現地アラブ人の評価はそんな甘いものではない。和平の実現どころか、この会議の目的はただ一つ、パレスチナの反米強硬派であるハマスを更に孤立させ、壊滅させて、親米ファタハのパレスチナとの平和共存を見せかけるというものでしかない。そしてその先の大目的は、多くのアラブ諸国を会議に参加させる事によって対イラン大包囲網を進めることであるという認識で一致している。
  なぜブッシュ政権8年間の中東情勢がそれまでの中東和平のかすかな希望さえも打ち砕き、最悪の情勢を招いたのか。それは一言で言えばブッシュ大統領個人の迷走がある。その迷走振りを、今振り返って一言で再現して見せよう。
  そもそもブッシュ大統領には中東問題への関心はなかった。就任したばかりの演説では中東に触れる事はなかった。そればかりか、「欠点だらけの中東和平交渉には自分は巻き込まれない」とさえ宣言していた(26日ニューヨーク・タイムズ紙)。女性スキャンダルの汚名挽回のために必死になって中東和平の仲介を試み、失敗したクリントン大統領に対する、あてつけでもあった。
  そのブッシュ大統領は、いまから振り替えれば驚きであるが、第二次インテファーダを前にして当初はナイーブにイスラエルの蛮行に不快感を示した。強硬派のシャロン首相がイスラエルに登場し、入植地の拡大や強硬な占領政策を進めた。ブッシュ大統領はそれに不快感を示した。抑止さえしようとした。そしてパレスチナの主権国家実現を口にした。今でも鮮明に覚えているのであるが、この発言は私を含め当時の関係者を驚かせた。今米国で行われているアナポリスの会議前夜の夕食会で、ライス長官が「彼(ブッシュ大統領)こそパレスチナの独立を最初に語った人です」と持ち上げた(28日朝日新聞)のは、その意味で正しいのである。
  ところがそのブッシュ大統領はユダヤロビーからの激しい批判を浴びる。おりしもタイミングよく9・11事件が起きた。それを境にブッシュ大統領は中東政策を大転換させる(「ユダヤロビーと米国の外交」講談社)。
 そこから後のブッシュ大統領の中東政策はアラブ強硬一辺倒、イスラエル・米国同一化の政策に傾く。彼が始めて打ち立てた中東政策が、あのブッシュドクトリンであった。それは「敵か味方か」「テロにつくか米国につくか」である。そして、ブッシュ大統領のいう「テロ」とは反イスラエルのアラブ人であり、それをかくまうアラブ国家であった。アフガン、イラクを攻撃し、国際司法裁判所さえも違法と認定したイスラエルの分離壁の建設を容認し、あらゆるパレスチナ人への弾圧を放置した。その結果反米感情が高まり中東情勢は混乱の一途を辿った。
  ブッシュ大統領の混乱振りはそれだけではない。イラク戦争の失敗は民主国家米国を卑劣な嘘つきの国にしてしまった。「戦争で真っ先に犠牲になるのは真実である」とはよく言ったものだ。終わりのない「テロとの戦い」に突入したブッシュの米国は嘘にまみれた国家となった。その嘘は、次つぎと起きた米国要人の告発で明らかになっていったが、その極めツケとも言うべき告発が行われようとしている。03年7月から06年4月まで大統領報道官をつとめたスコット・マクレランが来年4月に回顧録を発行すると言う。その一部がメディアに流れ大問題になろうとしている。ブッシュ大統領とその側近(チェイニー、リビー、ローブ、大統領首席補佐官)に嘘をつかされ続けてきたとマクレラン元大統領報道官がその回顧録で暴露しているというのだ。やがて日本のメディアでも取り上げられ、大騒ぎになるであろう。
  その最後に打った芝居が今度の中東和平国際会議である。しかしその結果がどうであれ、その先が必ずある。ブッシュ政権はまだ一年近く残っている。その背後にはイスラエルがいる。妥協を許さないユダヤロビーがいる。信念を持たないブッシュ大統領は格好の操り人形である。何が起こっても不思議はない。


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2007年11月27日

政治家川田龍平の姿が見えない(2)

 政治家川田龍平の姿が見えない(2)

  政治家の仕事は何か。衆参あわせて720余名の国会議員の中で、その歳費や特権に見合った仕事をしている国会議員が果たして何人いるというのか。やっとメディアもこの問題を取り上げるようになった。
  写真週刊誌フラッシュの11月20日号は衆議院議員の給料(歳費)を国会での質問語数で割って、国会議員の一言に税金がいくら使われているかを論じていた。第166回通常国会(07年1月25日―7月5日)における議事録から割り出した数字によると、発言一文字の経費が最も少なかった議員(すなわちもっとも発言して仕事をした議員)は共産党の吉井英勝で約266円。発言ゼロ、すなわち国会で一言も発言することなく給料をもらっている国会議員が480人中66名もいたという。因みに小泉チルドレンの杉村大蔵は質問した議員の中ではほとんどビリで、一字あたり15245円かかっていたという。
  また11月10日の毎日新聞は、07年度の予算で、国会議員一人当たり3億1078万円の経費がかかっている、という政府試算を報じていた。議員歳費や秘書給与などの議員経費に加え、各党に国家予算から配分される政党助成金や、国会事務職員の人件費などの国会経費など、すべての経費の総額を議員数で割ったら一人3億円以上かかっているというのだ。それだけの税金の消費に見合った仕事をしている国会議員は果たして何人いるというのか。
  国会議員の主たる仕事は国会審議である。その国会審議は与野党の政治駆け引きでほとんど開かれないのが現状だ。開かれても出席しない議員が多い。小泉や安倍は出席すらしない。小沢だってしない。その言い訳に、自分たちのすることはもっと重要なことがあるという。
  国会審議をしない議員は何をしているのか。考えられるのは次の選挙に備えた選挙運動である。あるいは国会対策の為の与野党折衝やその事前打ち合わせ。党内の会合や党内雑務。視察旅行。陳情受付。テレビ出演。選挙区まわり。要するに何でもできるのだ。逆に言えば何もしなくてもいいのだ。
  たとえばゴルファーの横峯パパなどは6年間何もしなくても歳費はもらい続ける。その一方で年金男の長妻昭などは勉強を重ねて国の不正を国民に教えてくれる。いずれも同じ国会議員だ。同じ民主党だ。
  この国の政治家は政党に属しているだけで国会議員が務まるのだ。政治家たちの最大の関心は政権をとることだ。単独で政権を取れないまでも政権政党と連立を組む事だ。政権を取るということは官僚を使って政策を実現できる。政策を実現する事で国民の役に立つというわけだ。政権政党の議員は自分が何もしなくても政権維持に貢献するだけで仕事をしていることになる。
  だから自民党政治家の最大の役割は選挙で勝って議席を一つでも増やす事だ。そうする事によって政権維持に協力することである。野党第一党民主党の政治家の役割は選挙で勝って民主党の政権獲得に貢献する事だ。だから横峯パパは国会で何もしなくても当選した事だけで意味があるのだ。スキャンダルにまみれてもやめなければいいのである。
 公明党の政治家は創価学会の論理で動く事が仕事である。政権政党にとどまって創価学会の利益を繁栄すればよいのだ。共産党の政治家は共産主義の政党を標榜したしかな野党であればいい。かつての野党第一党であった社民党は、いまや国民政党としての野党の存在意義をなくしている。それでも無くならないのは、支持する労働組合の利益代表としての意義があるからである。だからどんなに小さくなろうとも、それを通して国政に参加しようとする労働組合が存在する限り、ゼロにはならない。
  要するに今の日本の政党政治の中にあっては、いかなる政治家も既成政党のいずれかに属している限り意義があるということだ。それが国民生活に役立っていなくてもそれぞれの政党の存続に貢献するという意味があるのだ。
  ひるがえって川田龍平のような無所属の議員はどうか。よほどの個人的力量とカリスマがなければ活躍できる余地はない。いずれかの既存政党との連携なくしては何もできない。一般にはそう思われている。政治の現実もそうであろう。だから彼の場合は活躍の余地はない。社民党や民主党と連携しないかぎり何もできない。しかしそういう事をしているとたちまち自分の持っている良さを失ってしまう。何のために政治家になったのかという根本的な問題にぶち当たる。
   本当に川田龍平のような無所属議員の活躍する余地はないのであろうか。いや、決してそうではない。無所属議員だから思う存分出来る事があるのだ。その事について次回のブログで書く。 

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2007年11月27日

パレスチナ支援の欺瞞

パレスチナ支援の欺瞞

  この世の中には、世の不条理と闘い、国家権力の不正と闘い、あるいはさまざまな弱者の救済に立ち上がる組織や個人が多く存在する。それらの活動の中には、政治的背景があったり、利権が絡んでいたり、あるいは自己満足によるものがあったりする。しかし殆どは献身的な人達の善意の活動である。
  外務省を離れて言論活動を始めた私は、そのような活動に呼ばれ、賛同し、共鳴したりする。しかし自分の日常生活や生活費やエネルギーを割いて、それらすべての活動に参加する事は今の私にはとてもできない。
  その中で私が極力参加しようとつとめているのがパレスチナ支援の活動である。それは、私が職を賭してイラク戦争に反対した最大の理由がパレスチナ問題であったという事だけではない。パレスチナ問題こそ、世の中のあらゆる不正、不条理、暴力、人権抑圧などの諸問題が凝縮されている、今世紀最大の矛盾であると確信するからだ。
  11月25日、大阪で「国連分割決議から60年。今こそ、パレスチナに正義と平和を!」というささやかな集会があった。私は前座の講演を頼まれて参加した。前座であるといったのは、集会の中心は、主催者(パレスチナ平和を考える会 06-6949-2442)が日本に招聘したパレスチナ自治区ヨルダン西岸の元バルダラ村評議会議長ファトヒさんの現地レポートであったからだ。私もファトヒさんの報告を楽しみに参加したのだった。
  ファトヒさんの報告は衝撃的であった。知っていたつもりであったがイスラエルのパレスチナ占領政策、抑圧政策がこれほどまでに非人道的であったのか、ファトヒさんの報告を聞いて私は認識を新たにした。
   しかしそれを伝えるのが今日のブログの目的ではない。ファトヒさんの報告の中で、私ははからずも外務省のパレスチナ支援の欺瞞を知ったのである。前置きがいつものように長くなったが、外務省がでっち上げたパレスチナ支援の欺瞞を告発することがこのブログの目的である。
  小泉元首相が退任直前に中東へ卒業旅行した事は我々の記憶に新しい。らくだに乗り、ユダヤ帽をかぶってはしゃいだ小泉首相の姿が報道されていた。その小泉卒業観光旅行のお土産として外務省が用意したのが「平和と繁栄の回廊」構想という援助計画であった。米国の中東外交に追従してイスラエルの暴挙に何も文句の言えない日本が、それでも日本は中東和平に貢献していると宣伝するためにでっち上げられた「援助」と言う名の欺瞞である。
   パレスチナ、ヨルダン、イスラエル、日本の4カ国が協議して、パレスチナ自治区のあるヨルダン渓谷の農業、水資源開発を行うと宣伝する。紛争の原因の一つが貧困である。だから貧困を解決する事によって和平を実現するのだという。パレスチナ人の悲惨さから目をつむった官僚が鉛筆を舐めて考えだした虚構である。
   その欺瞞を見事に喝破したのがファトヒさんが伝えた現地の声であった。
   給油問題の大騒ぎの中で盛んに語られたのがアフガン復興支援である。日本ができる貢献はあるはずだ。それこそ復興支援である、などと、政府はもとより民主党なども強調する。これに対してアフガンで民生援助を続けるペシャワール会の中村哲医師が名言を吐いた。
   「戦争をしながら援助をするということがありうるだろうか」と。
   それニモ負けない至言をファトヒ元議長は我々の前で語った。
   「占領するものが占領されるものと一緒に真の協力が出来るというのか」
   日本の援助はイスラエルの占領を正当化し、占領を固定化するものだ、そのような支援は占領されているパレスチナ人の支援には決してつながらないとファトヒさんは訴えた。
   その通りではないか。しかし私がもっと強い憤りを覚えたのは、援助を実施する国際協力機構(JICA)が現地の声を聞くことなく、現地の要望に一顧だにすることなく、日本側の都合でどんどんと援助を実施しようとしている事だ。JICAの援助はパレスチナ解放を願う住民の声に敵対すらしていると、現地住民が告発しているというのである。
   「パレスチナの平和を考える会」はファトヒさんが携行したヨルダン渓谷地域評議会の声明とともに11月22日外務省を訪れ援助の見直しを申し入れた。国会議員会館で政治家に対して訴えた。しかしまともに相手にされなかったという。
   このブログを読んだメディアの関係者よ。遠路はるばる日本を訪れたファトヒさんの告発を記事にしてくれ。援助される側の住民から拒否される援助を血税で行おうとする外務省の欺瞞は必ずや国民の批判にさらされるであろう。このブログを読んだ野党国会議員よ。今こそ国会の場で外務省援助の欺瞞を追及して欲しい。福田政権はさらなる批判にさらされる事になろう。このブログを目にした外務省の後輩官僚たちよ。あわてて自己弁護の準備に取り掛かるがいい。しかしどのように取り繕っても、住民の声を押さえつける事は出来ない。自らの誤りを謙虚に反省するほかはないのだ。


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2007年11月27日

政治家川田龍平の姿が見えない(その1)

政治家川田龍平の姿が見えない(その1)

  小さな記事であるが27日の毎日と朝日に薬害肝炎の問題で、厚生労働省の調査チームが訴訟の原告の二人から感染の経緯などをヒアリングしたという記事があった。重要なのはヒアリングをした事ではない。ヒアリングに応じた原告の二人たちが、副作用で肝炎に汚染するおそれについて、「医師から何の説明もなかった」と証言した事だ。「医師が説明したはず」という厚生労働省の認識との違いが明らかになったという事だ。この欺瞞を記者会見して告発した原告は怒りに声を震わせた。
  まだこんな事をやっているのかと思う。薬害被害の問題は、防衛省の武器売買疑惑とならんで、国と業者の癒着による国民の生命と財産を裏切る深刻な国家犯罪疑惑である。
  それがいつまでたってもすっきりと解決しない。それはなぜか。本気で政治家が国民の為に問題解決に動かないからだ。国民が国家権力を相手に闘ったところで勝てるはずはない。その国民の闘いの先頭に立って国家権力を動かすのが政治家の重要な仕事である。
  なぜ川田龍平の姿が見えないのか。彼はもはやエイズ薬害の一被害者ではない。薬害被害を売り物にして選ばれた政治家である。いまこそすべての薬害被害者の先頭に立って徹底的に厚生労働省と闘うべきではないのか。わずかばかりメディアに露出して批判発言を繰り返したところで何の意味もない。薬害被害者を代表してあらゆる行動を取るべきなのだ。その時間と財政的裏づけと権力を政治家は持っている。それを国民の為に使う事以外に彼の政治家としての役割があるというのか。
 これは川田龍平に対する個人的批判ではない。彼のような無所属の一議員が政治家になったとき、一体何ができるか。何をすればいいのか。私が彼の立場であったならどうするか、それをこれから連載で書いていく。これから書いていく事は私の新しい政治像、政治家論でもある。

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2007年11月26日

「年末ジャンボ宝くじ発売」の舞台裏

「年末ジャンボ宝くじ発売」の裏舞台

  テレビが朝っぱらから騒がしい。山本一太と松原仁という政治家が額賀大臣証人喚問の是非をめぐって大声を出し合っている。ここ何週間もの間、一体どれほど同じような不毛なトークショーが繰り返されて来たことか。怒りを通り越して、「それしか芸がないのか」と笑ってしまう。
  その同じテレビ番組で、年末ジャンボ宝くじの発売が報じられていた。毎度のように、やれ今年は当たり券が増えた、賞金金額が増えた、とはやし立てている。
  私は生来のギャンブル好きであるが同時にまた賭け事に弱い。負け続けるから最近はほとんど賭け事はしなくなった。それでも年末のジャンボ宝くじと有馬記念だけは買うことにしている。私もまた年末に「夢を買う」一人である。そう自分に言い聞かせながら無駄遣いを正当化している。
  その夢を壊すようで申し訳ないが、「年末宝くじ発売」のニュースを聞くたびに、この国の国営ギャンブルが官僚の資金源となっているという不愉快な現実を思い出さざるを得ない。その事を今日のブログで書く。
  宝くじの所管官庁は総務省(旧自治省)である。そう思ってわが国の国営ギャンブルを眺めるとその背後に必ず特定の所管官庁が決まっている。競馬は農水省、競輪は通産省、パチンコは警察庁と言った具合だ。
  ギャンブルで必ず勝つのは胴元であると古今東西相場が決まっている。売り上げの一割から二割はそれぞれの省庁の懐に入り、それが特別会計となって省庁の隠し財源となる。
  この間の新聞で、競馬の配当率を少しだけ上げることになった、というニュースを読んだ。それを読んで私は即座にピンときた。生活苦にともなって競馬の売り上げが減っているのだろう。すこしばかり餌を与えて馬券購入者を増やそうという魂胆だ。何のことは無い。胴元の取り分をちゃっかり確保しようということだ。宝くじもそうだ。あれやこれやで当たり券を増やし、賞金金額を増やして購買者を煽り立てる。しかし結局一番得するのは総務省の官僚なのである。問題はそのような配当のサジ加減が、胴元である官僚の恣意的な裁量で行われているということである。
  やがて国営カジノがこの国でも認められるようになるだろう。ギャンブル好きの私にとってそれは大歓迎だ。殆どの先進国で認められているカジノがなぜ日本で何時までたっても認められないのか。ギャンブル好きの日本人の事だから、カジノを認めると破産者が続出して社会問題になるからだ、と考えている人がいたとしたら、それは大きな間違いだ。どこの省庁がこの美味しいギャンブルの胴元になるかで省庁間の縄張り争いがあるからだ。これでは当分カジノが解禁される日は来ない。
  官僚の裁量権といえば、かつてある医者からこんな話を聞いた。一般の所得税の累進化税率は最高が40%近くになっているのに、退職金にかかる税率だけは同じ所得でありながら20%に押さえられている。この事について患者の一人であった大蔵省の官僚がその医者に対し、聞かれもしないのに得意げにこううそぶいたという。「天下りを重ねて巨額の退職金を手にする自分たちの事を考えて、退職金の税率だけは低くしているのだ」と。
  官僚を35年も続けてきた私が何を言っても、読者のお叱りを受けるのがオチであるが、この国の官僚の厚顔振りと浅ましさは、度し難いものがある。

 

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2007年11月26日

そして日本だけが残った

そして日本だけが残った

  やはりこのことだけは書いておかなければならないであろう。豪州の総選挙における野党の勝利である。
  自民党は内心おだやかでないに違いない。怖くて解散できないに違いない。24日に行われた豪州の総選挙で野党・労働党が圧勝し、11年ぶりに保守連合が政権を手放す事になった。
  豪州の事だ。労働党になったからと言って対米関係を重視する政策には変わりはないだろう。しかしイラク問題や環境問題ではっきりと路線を変更することになる。驚くべきは11年間も政権を担ってきた現職の首相が落選したことだ。ここまで劇的な政治の変化を国民は求めたのである。
  これで米国のイラク攻撃が始まってからわずか4年半で、イラク戦争を支持した米国の主要な同盟国のリーダーがすべていなくなった。25日の各紙の報道の中で、毎日新聞の見出しが一番的確であった。「米、『最後の朋友』失う」となっていた。振り返ってみれば、ブレア英国前首相を除いて、ブッシュの朋友はすべて選挙に敗れて退場した。そのブレア首相でさえ、イラク戦争を支持したことが原因で人気を失い、失意のうちに早期辞任に追い込まれたのだ。
  イラク戦争の張本人であるブッシュ大統領が史上最低の支持率にあえぎ、もうすぐ本格化する米国の大統領選挙で、候補者が競ってイラク戦争からの撤退を訴えているなかで、ただ一人日本の指導者だけが日米同盟の重要性を強調し、アフガン給油を継続することが国益だと訴える。それに疑問を抱かない国民が半数近くもいる日本は、間違いなく国際情勢から取り残されている。
  それにしても世界の国民の、選挙に関する熱狂振りはどうだ。政治家の言葉の魅力はどうだ。「国民みんなで歴史の新たな一ページを記そう」と勝利演説したラッド新首相に歓喜で応える国民。そういえば来年早々に行われるパキスタンの総選挙についても、現職陣営も野党陣営も、候補者も国民も、命がけの熱狂を見せている。指導者の呼びかけに地響きを立てて呼応する群集たち。指導者の言葉が国民の心を共振させている。
  ひるがえって日本はどうか。天下分け目の政権交代の選挙を前にして、与党も野党もまるで選挙をおそれて逃げ惑っているかのごとくだ。国民もさめたままだ。無理も無い。今の政治家の中で、演説で大衆の心を揺さぶる政治家が一人でもいるというのか。
  あの食わせ物の政治家の空疎な言葉に熱狂し、5年半もの長き任期をまっとうさせ、日本経済をここまで破壊させた責任を追及できないでいる日本国民は、今まさに政治の崩壊という形でそのツケを払わせられようとしているのだ。

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2007年11月24日

アフガン給油、中東和平国際会議、レバノンの混迷

アフガン給油、中東和平国際会議、レバノンの混迷

  アフガン給油に従事していた自衛隊の補給艦が日本に戻ってきた。それを防衛大臣や官房長官など政府要人がこぞって仰々しく出迎えた。テレビが一斉に放映し、国民の視覚に訴えた。24日の朝刊各紙もこれを取り上げた。おりしも国内政治はアフガン給油活動の継続をめぐって自民と民主が政権をかけて争っている。政府・自民党側からしてみれば、自衛艦を「誇らしく出迎える」ことにより、「熱波の中東で自衛隊は命を賭けて立派に国益を果たした」と、国民の感情に訴えたいのだろう。そうして給油継続への支持率を高めたいに違いない。
  しかし同じ24日の朝刊各紙は、世界の注目が27日に米国で行われる中東和平国際会議に集まっている事を報じた。同時に、任期が切れた大統領の後任者が決まらないレバノンの政治的空白が中東の混乱を招きかねないと危惧している。
  アフガン給油、中東和平会議、レバノンの混迷、この三つの報道を関連付けて解説する事が今日のブログの趣旨である。
  アフガン給油問題は、中東問題の中の実に瑣末な問題である。米国の、いや世界の最大の関心事は、危機に瀕した中東和平をいかに復元するかである。この事を私は繰り返して書いてきた。
  ブッシュ大統領の中東政策は、これまでのどの米国大統領以上にイスラエルに傾斜してしまった。そしてイスラエルのパレスチナ弾圧を放置してきた。その結果これまでに築き上げられた中東和平のかすかな希望まで粉砕してしまった。アラブの反米感情が高まり、アルカイダの9・11テロに繋がった。
  本来ならば、ここで米国は中東和平の実現に本腰を入れるべきであった。しかしイスラエル・ロビーに影響されたブッシュ大統領は、テロとの最終戦争を選んだ。アルカイダをかくまったアフガニスタンを攻撃し、反イスラエルの急先鋒であるサダム・フセインを排除し、レバノンの反米・イスラエル勢力であるヒズボラを攻撃した。いずれも失敗し、中東情勢は混迷した。その中で、米国は核武装を行おうとするイランの攻撃さえも視野に入れている。
  何故レバノンの大統領選挙が大問題なのか。レバノンは中東のクロスロードである。その地政学的重要性のゆえにレバノンと言う国は有史以来大国に征服され続けてきた。ギリシャ、ローマの支配から始まって長い間オスマントルコの支配下に置かれた。近代においてはフランスの植民地となり、そして戦後フランスから独立した後は、イスラエルとパレスチナの紛争の舞台となり続けた。イスラエルの北に国境を接するレバノンが、親米・イスラエルの国になるか、親イラン・シリアの国になるかは、中東和平の帰趨にとって極めて重要なのである。
  米国はシリアのレバノン支配を長らく許してきた。それはシリアが反米テロを押さえつける役割を果たしてきたからである。しかし9・11を契機に米国は中東全体を民主化しなければ真の安全は得られないと考え方を改めた。中東を親米政権に染め上げ、イスラエル・米国の安全保障を一気に高めようとした。
  それに危機感を感じたのがシリアだった。レバノンと言う経済的に魅力のある国を手放せばシリアはただの貧しい国となる。ましてや米国・イスラエルから攻撃されればシリアはひとたまりもない。危機感を抱いたシリアは、反米の雄であるイランと結びつき、レバノンを反米・イスラエルのテロの拠点として生き残りを図ろうとした。
  そのような中で、レバノンの新しい大統領が米国・イスラエルの言いなりになる大統領となるのか、それともイラン・シリアの傀儡大統領となるかは、もはや中東紛争の帰趨に直結する大問題となった。だからいつまでたっても大統領が決まらない。暗殺が続き、国民が分断された。残念ながらレバノンの混乱は当面は悪化の一途をたどるだろう。情勢如何ではイスラエル・米国の軍事介入もありえよう。
  そして中東和平である。任期が迫ったブッシュ政権にとって、もはやアフガンもイラクも安定化は望めない。せめて見せ掛けの中東和平を実現し、外交実績を残そうと思い始めたとしてもおかしくない。それが27日に行われる中東和平会議である。
  しかし、パレスチナの暴力放棄しか念頭になく、パレスチナ国家の成立を決して認めようとしないイスラエルと、それを容認するブッシュ大統領が主催する和平会議が成功する見通しはまったくない。
   ブッシュ大統領が中東和平実現を焦ってパレスチナに強硬姿勢をとるならば、中東和平は更に遠のく事になる。そうなれば、アフガンもイラクも混乱が放置され、レバノンが内戦になり、パレスチナではハマスが最後の抵抗を示す事になる。加えて、核開発に固執するイランを、イスラエルや米国が攻撃する事にでもなれば、まさに中東全体が燃え上がる。米国にとってもはやアフガン情勢どころではなくなる。そのアフガンに給油活動を行う日本は、完全にはしごを外されることになる。
   政府・自民党は中東情勢を真剣に考えたほうが良い。日米同盟への悪影響をおそれる、ただその一点でアフガン給油に固執する事が、中東情勢や国際政治から見て如何にぴんと外れであるかを、外務官僚の浅はかな入れ智恵に踊らされるのではなく、胸に手を当ててよく考えるべき時だ。何が本当の国益か。今こそ政治家は真剣に考えるべきである。


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2007年11月23日

 テロ特措法をめぐる一大騒動に意味があるとすれば

 テロ特措法をめぐる一大騒動に意味があるとすれば

  23日の朝刊各紙は、22日に行われた党首会談で、「新テロ特措法を成立させたいと平身低頭する福田首相に対し、小沢民主党代表が断固これを拒否した」、と一斉に報じた。
  事ここに至ってはもはやこれ以上与野党間の協議が続けられる事はないだろう。いや、あってはならない。7月末の突然の小沢発言から始まった一大茶番劇はこれで終りにさせなければならない。我々国民は、これ以上無駄な時間を今の政治家たちに使わせてはいけない。今の日本にはそのような余裕はない。
  そもそもアフガン給油・給水問題などと言うものは、激動する国際政治においては極めて瑣末な問題である。対米配慮というその一点で日本の政治家たちが大騒ぎをしている。つまりこよなく国内政治上の問題なのだ。
 世界の大多数の国は日本の給油活動には関心はない。それどころか知っている国は殆どない。日本のメディアが盛んに取り上げたのは、それが政局に絡んだ話しであるからなのだ。
  しかし政局に絡んだ国内問題ならもっと重要な問題が山ほどある。年金問題はもはや解決不能である事がハッキリした。膨大な財政赤字は膨れ上がる一方だ。その尻拭いのために増税されようとしている。インフレが迫ってきた。米国金融資本による日本経済の乗っ取りは加速化していくだろう。格差社会がどんどん進み、企業と職員の対立、不信が、日本の企業文化や社会風潮を破壊しつつある。
  これらの問題について政府・官僚は打つ手がないのが現状だ。国民は政府・官僚に頼ることなく、日本のシステムを自らの手で根本的に変えていかねばならないという自覚を持つべきだ。戦後連綿と続いた政・官・業の馴れ合いが結局今日の日本の停滞を招いたのだ。テロ特措法問題は大騒ぎする問題ではない。
  私は、そもそもアフガン給油活動など必要はないという立場である。それどころか米国のテロとの戦いに日本は巻き込まれてはいけないと主張してきた。だからテロ特措法の延長にも、それに替わる新たな新法にも反対である。
   しかし対米配慮を最優先し、それを「国際責任」という言葉にすりかえて、何としてでも給油活動を続けようとする政府・自民党の立場を私は知っている。
   だから私はまず福田自民党に言いたい。日米同盟のために本当に給油活動が不可欠であると信じているのなら、野党が何と言おうと、世論がどう考えようと、もはやここに至っては強硬策を推し進めて成立させるべきではないかと。三分の二の衆院再議決で成立させる事が出来るではないかと。問責決議案が出されようと、解散・総選挙に追い込まれようと、いやしくも政権与党である。天下の自民党である、野党などに平身低頭することなく堂々と新法を成立させ、そのほかの重要問題に一刻も早く取り組むべきではないか。
   そして私は小沢民主党に尋ねたい。小沢氏がテロ特措法の延長に反対した真の理由は一体なんだったのかと。私の考えと同じように、そもそも米国の対アフガン戦争が間違いであり、その米国のアフガン戦争に加担するいかなる協力も日本はしてはならない、というものであるのか。それとも、日本にふさわしいやり方で、米国やNATOのアフガン戦争に協力すべきであると考えているのか。一体どっちなんだ。
  前者であるのなら、国連決議云々などということなく、あらゆる協力に反対だと明言すべきだ。後者であるのなら、自民党が言うように早く対案を出すべきだ。そして自分の考えを自民党に飲ませて一日も早く新法を成立させるべきだ。そうだろう。
  23日の毎日新聞に次のような小沢民主党代表の言葉を見つけた。首脳会談で福田首相が「(恒久法で)民主党も考えがあるのなら出してくれ」と迫ったのに対し、小沢代表はこう言ったというのだ。
「野党各党間でも異論があるので、首相から言われても簡単にまとまる話ではない」。語るに落ちるとはこの事だ。違いは野党の間だけではない。民主党内部でも意見が分かれている。それは衆知の事実である。
  だからと言って、いつまでたっても対案を出さず、さりとて自民党案を否決する訳でもなく、いたずらに法案審議を引き延ばすのであれば、それは卑怯というものだ。否決してもどうせ衆議院での三分の二の再議決で成立させられる、だからそれを避ける為に、審議を引き延ばし、時間切れを狙ってあくまでも法案成立を阻止すると言うのであれば、それも一つの戦略である。しかし、民主党内部や野党間で意見の不一致があるために引き延ばしているとすれば、その態度は自民党よりも劣る。情けない。
  23日の朝日新聞は、今の政局を評して、国会会期を再延期してでも衆院三分の二の再議決で新法を成立させようとする自民党と、それに対抗して福田首相の問責決議案を出そうとする小沢民主党の度胸比べ(チキンレース)であると書いている。つまり強硬姿勢を押し通せば最後は解散・総選挙に追い込まれる、それを恐れる方が先に譲歩するだろう、というわけだ。
  なるほど、そう考えてみると、追い込まれているのは福田自民党でも小沢民主党でもない。どちらも追い込まれているのだ。いや、今の政党のすべてが追い込まれているのだ。彼らが一番恐れているのは世論であり、解散・総選挙なのである。国民の投票権である。
 国民が主役になったのだ。こんどの茶番劇に意味があったとすれば、これまで以上に国民の判断が政治を動かすようになったという事である。国民はこの事を自覚すべきである。

 

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2007年11月22日

 普天間基地移設問題の本質は一体何なのか

 普天間基地移設問題の本質は一体何なのか

 11月22日の読売新聞に政治部の山田真也という若い記者が普天間移設問題の協議再開について書いていた。その記事の最後を山田記者はつぎのような言葉で結んでいる。
 「・・・政府も沖縄県も、普天間移設実現の「大目標」を失わないために、一致点を見出す努力が必要だ・・・」
 私はこの結論の是非をここで問題にしているのではない。勿論私は、「日本にとって在日米軍はもはや完全に不要かつ有害となった」という立場を取るものであるから、この結論には反対である。
 しかしこの記者のように、「普天間基地移設を早期に実現し日米軍事同盟をさらに進めていくべし」という、政府やその支持者の考えに賛同する国民が存在する事を知っている。同時にまたどちらが正しいか分からないままにこの問題を眺めている大多数の国民がいることも知っている。
 より重要な事は、どちらの考えが正しいのか、論点を一つ一つ明確にした上で正面から国民的議論を行ない、国民が納得する答が出される事である。メディアの役割は、特定の意見を押し付けるのではなく、正確な情報を提供して国民に自主的な意見を持たせる事である。
  残念ながら、この記事もそうであるが、およそこれまでの在日米軍基地問題をめぐるメディアが流す記事は、いずれも本質論を避けている。政府や外務・防衛官僚が、自らの政策実現の為に意図的な情報操作をしたり、真実を隠蔽したりする事はわかる。しかし少なくともメディアの報道は、事実を正確に伝え、国民が自主的な意見を持てるよう、啓蒙的な役割を果たさなければならない。いやしくも御用メディアでなければ。
  果たして国民は普天間基地移設問題の本質をどこまで正しく理解しているのか。その報道の多さにもかかわらず、誰も本当の事を知らされていないのではないか。
  どんなに普天間移転問題の解決が困難であっても、政府はいつかは強硬手段に訴えてそれを解決するであろう。なぜならそれが米国の命令であるからだ。そしてその時が近づきつつあるような気がする。だから私は、警鐘を鳴らす意味でも、22日の読売の記事がこの問題を提起した機会に、読者に問題提起をしてみたい。それが今日のブログの趣旨である。
1. まずこの記事でも書かれているように、普天間基地移設を含めた在日米軍再編に対する協力の必要性を強調する政府は、「抑止力の維持と地元負担の軽減の両立」という言葉を決まって繰返す。小泉元首相が、国民への説明も了解もないままにブッシュ大統領と約束を交わした時も、彼はこの言葉ばかり繰り返していた。そして今後もこの言葉が繰り返されるに違いない。
  しかし少しでも冷静に考えれば、この言葉そのものが壮大な矛盾である事が分かる。米国が求める「テロとの戦い」に対する攻撃力の強化は、日本の住民の負担などお構いなしに進めなければならないものである。攻撃力を抑止力という言葉でごまかす事には目をつぶろう。しかし抑止力(攻撃力)の維持は、必然的に住民の負担を増やす事である。戦争に勝つためにはあらゆる事が優先されるのだ。そして米国は今後永久にテロとの戦争を続けていかなければならないと自ら公言しているのだ。
  日本の住民の負担を減らそうとするなら、抑止力(攻撃力)に制約が加えられることになる。「テロとの戦争」に負ける訳にはいかない米国がそれを認めるわけがない。要するに普天間移転と住民負担の軽減は両立しないのである。日本政府はまずその事を国民にはっきりと明言して、それでも米国に協力するしかないのだ、と言わなければならない。メディアはそれを書かなければならない。
2 次に普天間基地移設に限って言えば、政府と沖縄の協議の対立点がどこにあるか、これが明確にされなければ、議論は進まないということだ。
   これについては次のような雑多な、そして時として矛盾する事が繰り返し語られてきた。
すなわち沖縄側は 、日米が合意した滑走路2本のV字型滑走路は、「騒音や墜落事故の危険性軽減」のため、あるいは「海ガメ、ジュゴンなどの生態保護、環境保護」の観点から、沖合いに移動させたいと主張する。その一方で。「建設業界により多くの工事費が落ちるために」沖合いに移転させたい、それが本音であるという見方がある。また、「返還跡地を利用して沖縄県を発展させたいから最後は譲歩する腹積もりだ。取引を有利に進める為に交渉を引き延ばしているだけだ」などという指摘もされる。
  他方において、政府側が沖縄との交渉に譲歩できない理由として「米国と合意してしまった以上一歩も譲るわけにはいかない」という事が言われ、その一方で「計画を1センチでも動かしてはいけないという訳ではない」と微調整なら応じるべきだという意見も報じられる。さらにまた、反対理由の中には「沖合いに滑走路をずらすと、埋め立て面積が拡大して海洋環境への影響が大きくなる」というものや、「滑走路が陸地から離れれば人が立ち入れない水域での工事が多くなり、反対派に工事を妨害される」と言った考えも報道されたりす。
  一体どれが本当の理由なのか。どの理由が政府側や沖縄側で最も大きな理由なのか、どの理由が一番が双方にとって譲れない理由なのか、そこがはっきりしないといつまで経っても議論は進まない。

 結論から言うと、今の沖縄の知事側が要求しているのは日米軍事同盟に反対するという原則論ではなく、あくまでも条件闘争である。そうであるならば、後は最後はカネをばら撒いて黙らせる事で決着することになる。そのカネを米国はビタ一文負担しない。すべては日本国民の税金だ。だから米国は攻撃力が損なわれない限り、あとは日本の問題だと高みの見物である。
 こうして、主として環境問題の観点から反対している人たちは、環境問題で政府を譲歩させる事が出来ればそれで満足するかもしれない。
 住民の被害とその補償を重視する立場から反対する人たちは、負担の軽減や補償の充実を勝ち取る事が出来れば、譲歩するかもしれない。
 しかしその一方で、普天間基地移転問題に限らず、日米軍事同盟の強化とその結果余儀なくされる全国に存在する在日米軍の継続、再編は、日本の将来を危うくするという、根本的な問題から反対する人たちもいる。私もその意見を唱える一人である。おそらく沖縄の住民の中にも、仲井真知事の考えに反対の住民jだって多く存在するはずだ。要するに誰が敵で誰が味方かわからないままに普天間基地移設問題が論じられてきたのだ。
  この問題はそろそろ正面から議論しなければならない時期にきている。さもなければいつまで経っても在日米軍基地にまつわる問題はなくならない。ある時は普天間基地移転問題、ある時は騒音・安全問題、そしてある時は原子力事故の危険性の問題などと言った個別問題にすりかえられて処理されてしまっては最後は政府側がその方針を押し通す事になる。
  普天間移設問題は、米軍再編問題に対する協力の是非、さらには日米安保体制の今日的意義といった本質的な問題との観点で論じられるべき時に来ている。国民的議論を尽くした上で解決されなければならない時期に来ている。メディアはこの点を国民に提起しなければならない。
  
     

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2007年11月21日

ODA工事の事故の責任をうやむやに終わらせてはいけない

ODA工事の事故の責任をうやむやに終わらせてはいけない

  もう誰も忘れかけていたに違いない、そう思って安堵していた外務省にとって、寝た子をさますような記事が、21日の朝日新聞に報じられた。
  アセアン+3の首脳会議に出席のためシンガポールを訪れていた福田首相は20日、ズン・ベトナム首相に対し、日本の援助で建設中に起きたベトナム橋(カントー橋)の崩落事故の犠牲者と遺族に「哀悼の意」を表明した。また高村外相も20日のキエム・ベトナム副首相兼外相との会談の席上、同じく犠牲者と遺族に「哀悼の意」を表明した。首相と外相がこぞって謝罪するなどと言う事は異例だ。それだけこの事故が深刻であったということだ。
  この事故とは今年の9月にベトナム南部のカントー市近くに日本の援助で建設されていたカントー橋が崩落事故を起こし、130名のベトナム人の死傷者を出したという事故の事である。
  この事故は単なる事故以上に深刻な意味を持っている。
  まずそれは日本の経済援助(ODA)で行われていた工事の事故であるということだ。そしてその工事を日本企業が請け負っていたと言う事である。
  日本のODAは、かつて欧米から「ひも付き(その工事を請け負うのは日本企業に限る)」の多さが批判され、おりしも日本の貿易黒字が非難されていた事もあって、世界のどこの会社も入札できるアンタイド援助にした時があった。ところが日本の不況にともない、経済界の要求に屈する形で、いつのまにか再びタイドにした。その時の言い訳は「日本の高い技術を活かす」という事であった。その結果のこの事故である。現地の日本企業駐在員からは、「税民を使いながら我々が培った「日本の技術力」を台無しにしてくれた」という批判が出たのも当然であろう。
  より深刻な問題は、この工事を施工する日本企業側において、経費節約の為に工事に手抜きがなかったか、という疑惑である。この点についてはいまだまともな事故調査が行われていない。
  おりしも10月22日の各紙は、日本政府が中国で進めている遺棄化学兵器処理事業をめぐる事業費の不正水増し請求を暴露した。この事業を請け負っているパシフィックコンサルタンツインターナショナル社は、わが国のODA事業を数多く受注している名うての公共事業請負コンサルタント会社である。
東京地検特捜部も資金の流れを解明しているという(10月22日読売)。
  おりしも防衛予算の疑惑が世間を揺さぶっている。防衛予算と並んで聖域あつかいをされ続けてきたODA予算をめぐる疑惑は、これまでにも枚挙にいとまがない。この際カントー橋の事故原因については第三者による徹底した調査が必要である。
  最後に130人にも及ぶベトナム人犠牲者を出した大事故について、日本政府は単なる言葉の謝罪にとどまらず補償をしなくていいのかと言う事である。もしこの事故が日本や欧米の先進国で起きたとすればただでは済まされなかったであろう。人の命にベトナムも日本も欧米も違いはない。ベトナムが日本の援助を受け続けてきた国であるからと言って謝罪だけで済まそうとすることが正しいのか。ベトナム政府が、最大の援助国日本に気遣って、自国国民に泣き寝入りさせようとしているとしたら、あまりにも悲しすぎる。
 日本政府はこの事故をもっと深刻に受け止めるべきである。施工業者の大成建設は担当役人2人の降格と全取締役の報酬の一部返上を決めた。ODAの監督官庁である外務省の責任が問われなくてもいいはずはない。
 

 
 

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2007年11月20日

米国を理解しない者たちが唱える日米同盟のもろさ

米国を理解しない者たちが唱える日米同盟のもろさ

 最近の報道を見ているとやたらに「日米同盟は危機的状態だ」といった記事が目立つ。外交に関する日米の彼我の違いが、ここに来て顕著になっているからだ。
 テロ特措法延長反対の動きがそれである。また、米国は北朝鮮をテロ指定国家から解除するという動きを見せている。かつては従軍慰安婦問題に対する米議会の対日批判決議もあった。その前には、わが国の国連安保理常任理事国入りについて米国が反対した事もあった。そして米国はもはや日本よりも中国のほうをはるかに重視しつつある。
  このようにおよそ日本は米国に裏切られっぱなしだ。さすがに日本人の保守層の中にも親米保守と反米保守の対立までみられるようになった。
 ところが、このような日米関係の現実を直視しようとせず、いたずらに言葉の遊びでごまかそうとするわが国の政府関係者や有識者が後を絶たない。たとえば20日の朝日新聞「政態拝見」にみられる星浩論説委員の記事などはその典型である。
 星浩編集委員は加藤良三駐米大使の次のような言葉を引用している。
 「・・・日米同盟は美しい庭になったが、それを維持するには、草むしりをしたり枯れ葉掃除をしたり、といった絶え間ない手入れが大事だ・・・」
 このような言葉の遊びから一体何が生まれてくるというのか。日本はこれまで草むしりや枯れ葉掃除以上の事をさんざんやってきたではないか。日米関係を悪化させない為に、絶え間ない努力を、国民の生活を犠牲にしてまで、行ってきたではないか。それにもかかわらず、日米関係は希薄なのだ。
 加藤大使はまた今の日米関係は「自分が米国に在勤してきた中で最悪である」とも言っているらしい。このような言葉が駐米大使から発せられる事自体が驚きである。それは自分の無能さを認めているのと同じ事だ。6年間という異例の長さで駐米大使を務めておきながら、どうして日米同盟が最悪になったと、まるでひとごとのように言えるのであろうか。一体どんな仕事をしてきたのか。
 星編集委員はまた次のようにも書いている。「・・・日米政治家同士の交流が細っていることが気になる。かつては、フオーリー元下院議長と竹下登元首相、ブラッドリー元上院議長と椎名素夫元参議院議員といった伝説的な人脈があった。それが、日米関係が険悪になることを防ぐ役割を果たしたが、そうしたつながりは途絶えた・・・」と。
  本当だろうか。星浩編集委員は本気でそう思っているのだろうか。それならば聞く。ついこの間までは小泉元首相とブッシュ大統領の関係が「史上最強、最善の個人的関係」と喧伝された事は一体何だったのか。もしそれが本当なら、なぜ日米同盟関係の手入れが重要なこの時期に、小泉元首相が活躍しないのか。活躍を頼まないのか。時間をもてあましているはずの小泉元首相は、退任して一年以上も経つと言うのに一度でもブッシュ大統領と会って日米関係について話しあおうとした事があったか。
  日本と米国との間には、強固な信頼関係などいまだ一度も出来ていないのだ。そのような関係を築き上げた指導者は一人もいないのだ。
 私は米国研修から始まって米国勤務にいたるまでの個人的体験を通じて、確信している事がひとつある。それは日本が米国と対等になるには、日本人の指導者たちはあまりにも米国を知らなさ過ぎるということである。米国人との個人的関係が希薄すぎるということである。米国の中に入り込めていない。またそのような努力を本気でしようとする者はいない、ということである。
  一つのエピソードを紹介しよう。私が国デトロイトの総領事をしていた時の話である。星浩の大先輩である朝日新聞の元米国総局長なる人物がデトロイトに講演に来たことがあった。その時彼は講演の中で、「自分が若い時、米国に勤務して、米国の実力主義の世界に感動した。米国の社会がすばらしいと思った。しかしこの歳になると米国のような競争社会よりも日本のような年功序列社会のほうが楽だとつくづく思うようになった」などと言って聴衆を笑わせた。こんな事を米国人の前で話すような欧米人はまずいない。それどころか世界のどの要人も米国に来てこんな発言はしないだろう。
  もう一つ、日本の指導者がよく言う言葉に、「やっぱり横メシより縦メシのほうがくつろげる」と言う言葉がある。米国人と話すときはカミシモをつけているからくたびれる。食事をするときはやはり日本人同士に限るというのだ。私はこの言葉を批判するつもりはない。私にも経験はある。要するにまだ、まだ日本人は米国人と自然体で対等に付き合える事が出来ていないのだ。
  デトロイト総領事の時、私はつとめてプライベートのクラブに顔を出すようにした。米国の社会と言うのは無数のプライベートクラブからなる。そこに集まって食事をしながら、あるいはスポーツをしながら、商談をしたり、情報交換をしたりするのだ。中には女性禁制のクラブだったり、泳いだ後水着姿で食事をしたり、必ず昼食時には誰かがスピーチをしたりする。私も自らに鞭打って極力そのようなクラブに足を運び、スピーチをしたりした。その時、いつも聞かされた言葉は、「我々のクラブに参加してきた日本人はお前が初めてだ」、というものだった。私は自らの仕事振りを自慢しているのではない。それほど米国の社会に入り込む事は日本人にとって大変な事であり、またそのような努力をしている日本人は少なかったという事を言いたいのだ。
  今日の日米関係を論ずるとき、日本人は日米同盟を絶対視する者か、あるいはいたずらに米国を批判する者かの両極端に分かれる。その中間がないのだ。この実態こそ日米同盟関係の脆さを象徴している。
  いつの日か、日本人の多くが米国と言う国を自然な形で客観視できる日が来る事を願う。その時こそ、言葉の遊びなど必要ない、安定した真の日米同盟が出来る時である。

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2007年11月19日

廃止すべき法律は山ほどある

廃止すべき法律は山ほどある

 一つの国会で成立する法案はおよそ百前後であるらしい。その殆どがろくな審議もされず、そしてマスコミに報道される事もなく、つぎつぎと成立する。そして国民生活を支配する事になる。テロ特措法とか国民投票法とか個人情報保護法とか、マスコミが取り上げる与野党対立法案などは、実はごく一部に過ぎないのである。
 この国では法案は各省の官僚がつくる。そしてその多くは、各省の利権や天下りに都合の良いようにつくられる。政局に忙しく、選挙活動に熱心な与党の政治家たちは、ろくな勉強もせず官僚のつくった法案にただ賛成するだけである。そして少数野党の政治家は、官僚がつくる法案の多さにアップアップして、官僚の意図を見抜けない。悪法の成立を阻止する事が出来ない。こうして国民生活や民間企業の足を引っ張る悪法が、粗製濫造される。
 今日のブログで取り上げる改正建築基準法もその典型である。
 読者は耐震偽装事件を覚えているだろうか。ちょうど今から二年前の事だ。大騒ぎをしたあげく一部の建築家や不動産業者、検査機関が裁かれて幕引きになった事件である。
 事件当初の大騒ぎの中で、一部のマンションが取り壊され、住民が多大の損失を蒙った。しかしその後続々と判明した欠陥建築物を前に、そのあまりの多さに、すべて壊せば経済が崩壊するという事で、補強工事でごまかして済ましてしまった。取り壊されたマンションの住民は良い面の皮だ。気の毒としか言いようがない。
 この耐震偽装事件の真の責任者は建設省の官僚である事を知っている者は、果たして国民の中にどれほどいるだろう(私は2001年の行政改革で出来た国土交通省という名前を使わない。運輸省や建設省、国土庁などを寄せ集めた国土交通省は責任の所在が曖昧になるので、ここでは旧建設省と呼び続ける)。
  その事を告発したのが指定確認検査機関イーホームズの藤田東吾社長である。彼はその著書「月に響く笛 耐震偽装」(IMAIRU)の中で、建設省の作成した耐震構造計算ソフトウエアこそ、容易に改竄できる欠陥ソフトであった、だからこそ偽装が容易にできたのだ、と告発している。
  因みに指定確認検査機関とは、建設省が天下り先を確保するために、本来ならば建設省みずからが確認すべき仕事を、建設省が公認する指定検査機関というものをつくり、そこに確認検査を任せるという形にした。そこに民間企業が参入したのがイーホームズであった。まさか民間企業が確認検査に参入してくるとは思わなかった建設省は、官製検査機関の仕事を横取りするイーホームズを当初から目の敵にしていたのだ。そのイーホームズが建設官僚の不備を告発したのであるから、イーホームズが潰されたのも当然であった。
  回り道になったがこのブログの結論を書く。建設官僚は、今年の6月にあわてて建築基準法を改正した。その名目は、二度と耐震偽装事件が起こらないように建築物の安全審査を厳格化するというものである。しかし、このあつものに懲りてなますをふくがごとき改正建築基準法が建築業界を直撃した。11月16日の日経新聞がこれを取り上げている。そのあまりの審査基準の厳格化と承認手続きの膨大さに、建築確認数が激減し、なんと経済成長率まで引き下げかねないというのだ。
  さすがに建築業界の批判にあって建設省側も「運用面で問題があった事は事実で、今後改善に努める」(冬柴鉄三国交相)方針を表明し、11月14日には施行規則の一部を緩和し、運用の円滑化にも着手したらしい。
  しかしそのような官僚のつくる行政規則や官僚の裁量でごまかされてはいけない。悪法は廃案されなければならない。そして透明性を高めるために新たな法律が作られなければならない。
  改正建築基準法は氷山の一角に過ぎない。われわれ国民生活の足を引っ張る官僚の為の法律は山ほどある。それらは即刻廃止されなければならない。

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2007年11月18日

いまこそ米軍再編特措法を廃止すべきである

 いまこそ米軍再編特措法を廃止すべきである

  野口みずきが東京国際マラソンで新記録の優勝を飾った。私は野口の大ファンだ。その理由は、かつて彼女がマラソンに初優勝した時、新聞が報じた感動的なエピソードを知ったからだ。子供の頃、買ってもらったばかりの自転車を乗り回していた友達を前に、苦しい家計を思いやった野口は、「私には親からもらった二本の脚がある」といって明るく走りまわっていたという。カネにまかせて何でも出来る世の中で、このすがすがしさは感動的だ。人には見栄がある。ましてや女の子である。子供心に悔しく、悲しかったに違いない。それに負けず頑張ったからこそ今日の彼女があるのだ。生まれ変わったら彼女をお嫁さんにしたいと思うほどだ。
  話は脱線した。気分のいい時に不愉快な話を書くのは本意ではないが、いつかこのブログで書かなければならないと思っていた事を書く。それは、今こそ米軍再編特措法を廃止すべきだ、野党はこぞって立ち上がるべきだ、という事である。
  テロ特措法、イラク特措法など、およそ特措法と名のつく最近の法律にろくなものはないが、防衛関連予算をここまで勝手に使ってきた防衛省の犯罪が明らかになった今こそ、米軍再編特措法(駐留軍等の再編の円滑な実施に関する特別措置法)の非道さに世論の関心が向けられなければならない。
 私は5月21日のブログで「米軍再編交付金制度という名の暴力」と題して、米軍再編を受け入れる自治体に対してはカネを湯水のように使うが、それに反対して米軍基地受け入れを拒否する自治体には、住民の生活に必要な交付金までもビタ一文与えないという米軍再編特措法の暴力と違憲性について糾弾した。
 しかしこの法律は、なんの批判もなく大手を振ってまかり通ってきた。そして米軍基地に反対する自治体を苦しめてきた。いじめは、新たな交付金の分配だけではない。厚木からの空母艦載機移転の受け入れを拒否している岩国市は、すでに着工している市庁舎建設の補助金(35億円)まで打ち切られている。それどころか住民の支持を得た井原勝介市長が、受け入れに反対しているという事を理由に市議会から解任されようとしているのだ。こんな暴挙が今の日本でまかり通っているのである。
 その一方で政府に従順な自治体にはカネがばら撒かれる。防衛省のやることだ。ばら撒かれたカネは利権に結びついているに違いない。さもなければ米軍基地など喜んで受け入れる自治体があるはずがない。商売や利権のうまみがなければ、誰が駐留米軍を歓迎するというのか。
 守屋事件は何としてでも普天間移転事業の疑獄にまで発展させなければならない。その疑獄をきっかけに米軍再編特措法は即刻廃止されなければならない。


 

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2007年11月17日

立花隆とかけて堀田力と解く。その心は?

 立花隆とかけて堀田力と解く。その心は?

 いずれも田中角栄を追い詰めた人物だ。すなわち立花隆は今から20年あまり前、月刊文芸春秋で田中角栄の金脈問題を取り上げ、田中首相を辞任に追い込んだ。堀田力は東京地検特捜部の検事の時、ロッキード事件で田中角栄に論告求刑を行って田中を逮捕した。彼らは今回の防衛疑惑をどういう思いで眺めているのであろうか。
 私は田中元首相の権力犯罪を許すものではない。田中逮捕のCIA陰謀説を信じる者でもない。ましてや田中無罪説に与する事は決してない。
 しかしカネにまつわる政治家の数ある権力犯罪の中で、田中だけが飛びぬけて悪質だとは思わない。ロッキード事件にしても、田中の5億円の贈収賄(全日空によるトライスター購入)だけが立件され、もう一つの児玉ルートである対潜哨戒機(防衛庁が購入したP3Cオライオン)をめぐる中曽根幹事長(当時)の疑惑が、うやむやのまま終わってしまった事は、いくら証拠不十分で立件出来なかったとしても、あまりにも不公平、不正義であろう。
  今回の防衛疑惑に果たして正義が下されるのか。これが今日のブログのテーマである。結論から言うと私はそうならないと思う。これは根拠のない私の直感であるが、福田内閣総辞職につながるような事件には発展しない。世の中が田中逮捕の時と異なってきているからだ。  
  派閥政治のすさまじさがなくなり(田中逮捕は自民党の権力争いから逮捕につながった)、検察が国家権力におもねるようになり、国民の正義感がどんどんと消えうせ、そしてメディアのジャーナリズム精神が萎えてしまっているからだ。要するに権力者の力がますます強くなり、その事に無関心になるほど国民が自己中心的になってしまったからだ。
  今回の防衛疑惑は、守屋武昌という防衛官僚の卑小な贈収賄疑惑などでは決してない。国防という国家の独占事業が連綿と繰り返してきた政・官・業の癒着の一大疑惑の集大成なのである。しかも米国国防関係者や米国軍需産業まで巻き込むおそれが出てきた。さらには沖縄普天間基地移設や米海兵隊のグアム移転事業に絡んだ膨大な資金が絡んだ疑獄まで囁かれている。要するにこの国の安全保障、米軍再編協力に直結する疑惑なのである。おまけに福田内閣の主要閣僚である額賀財務大臣の関与まで証言されてしまった。もしその全貌が包み隠さず明らかにされたなら、間違いなく福田政権は吹っ飛んでしまう。
  それでも全貌が明らかにされるの事にはならないと私は思う。私の手元に12月号の文芸春秋がある。立花隆とヤメ検(検事を退職後に弁護士となって犯罪者を弁護する元検事の意)田中森一の対談記事を読むために購入したものだ。
  その中に次のような驚愕のくだりがある。平和相互事件の最大の疑惑である金屏風事件(8000万円程度の金屏風を40億円で平和相互銀行に買い取らせその裏金が政界に流れた疑惑事件)に絡んで、竹下登元首相の金庫番青木秘書が受け取った疑惑に関するくだりである。

  田中 青木がメモを残しているらしいとは噂されていたんですが、当初ははっきりした内容は分かっていなかった。ところが青木の自宅をガサ入れしたら、実物が出てきたんで驚いた。しかも名前までがはっきり書かれていたから、特捜部もむしろ困ったんじゃないですか。当時の竹下登といったら、自民党幹事長で次期総裁候補ですよ。逮捕するとなったら、ロッキード並みの大事件になる。僕も先輩検事から呼ばれて、「田中ちゃん、(東京地検特捜部の)部長がもうあのメモには一切触れるなと言っているから」と言われた。

  立花 エーッ、そんな事があったんですか・・・

  要するに検察は国家権力の前に正義を振りかざす事はしないのだ。しかも田中はさらにこう証言している。

  「(自民党サイドからの圧力がかかったのかという立花の問いに対し)いや、僕はむしろ自主規制だったと思っている。マスコミはよく『政治的な圧力によって特捜事件がつぶされた』と書き立てるけれど、実際は違うことも多い。赤レンガ出身の検察トップ達は、国益に反すると思ったら自発的に捜査をやめてしまうんですよ。あの時本気で捜査をしたら、竹下登一人の逮捕では済まなかった・・・」

   立花隆よ、驚いている場合ではない。田中角栄追及のあの情熱はどこへ失せたのか。赤レンガ同窓生の堀田力よ、さわやか福祉財団などのボランテア活動もいいが、良い子ぶってテレビなどで当たり障りのないコメントをする暇があったら、今回の防衛疑惑に対する正義の追及に検察の奮闘を呼びかけるべきではなにのか。彼らが沈黙を守ってしまったら、誰が正義を実現するというのか。


 

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2007年11月16日

めぐみさん拉致30年に思う

 めぐみさん拉致30年に思う

   11月16日の読売新聞の、「めぐみ30年」という連載記事の次のくだりをまず読んで頂きたい。いきなり消息を絶った13歳の少女を20年近く捜し求めた横田夫妻が、初めて娘の消息を知らされた瞬間である。

   「・・・その子は賢い子で、朝鮮語を習得すれば帰してあげると言われ、一生懸命勉強した。それがかなわぬと分かると、遠くから両親を見るだけでいいからと懇願したそうです・・・」
   「めぐみに間違いない」。滋さんも妻の早紀江さんも、娘の様子がまぶたの裏に浮かんだ。涙が止まらなかった・・・

  悲しすぎる。生きとし生ける人間の心象風景としてこれ以上の残酷さがあるだろうか。拉致被害者はもちろん横田めぐみさんだけではない。しかし、バトミントンの練習を終えた13歳の少女が、いつものように帰宅する直前に、何の理由もなく、見知らぬ者に拉致され、愛する家族から引き裂かれ、生き別れのままに30年の歳月が経ったのだ。「めぐみさん」の拉致30年を迎えた今、私は、すべての拉致被害者の苦しみに思いを馳せながら、あらためて日本政府、外務省の責任を追及したい。

  なぜ拉致問題はいつまで経っても解決しないのか。それは勿論金正日総書記率いる北朝鮮の理不尽で硬直な態度があるからだ。しかし同時にまた日本政府や政治家、外務省の責任も問われなければならない。
  まず、何と言っても6年前の突然の訪朝時に、小泉元首相が金正日総書記と拉致問題で手打ちをした事がある。すべての原因はここに由来すると言っても過言ではない。あの時我々は「金正日総書記が拉致を認め、謝罪した」と聞かされた。しかし正確に思い起こしてほしい。一部の不届き者が拉致をした、その事について金正日総書記は謝罪したという事なのだ。決して金正日総書記は北朝鮮の国家的拉致を認めていないのだ。それにも関わらず小泉元首相は訪朝の失敗をおそれてそれを許し、事前に用意したピョンヤン宣言を一字一句修正することなく署名した。拉致問題の真の解決の為にも、もう一度仕切りなおして交渉を始めなければならない。
  次に、拉致問題の追及が、左翼イデオロギーの歪んだ論理によってねじれ現象を起こして来た事があげられる。北朝鮮とのイデオロギー的な結びつきを優先していた左翼政党は、かつて「拉致はなかった」と公言した。その誤りが明らかになった今も、左翼政党やその政治家たちは自らの過ちを認めようとはしない。それどころか国交正常化を最優先し、拉致にこだわって強硬姿勢をとるから北朝鮮との話し合いが進まないのだ、といわんばかりの倒錯した論理を展開する。奇妙な事に彼らはあの小泉首相を評価し、ピョンヤン宣言を評価する。このような左翼政党の姿勢こそ、改憲やイラク反戦と異なって拉致問題が政治的対立問題にならない最大の理由なのである。そしてその事が政府、外務省への追及を妨げて来たのだ。
  この点に関連し、人権派弁護士の川人博と護憲派国際政治学者であるカンサンジュとの間で最近の週刊朝日誌上で興味深い大論争があった。その詳細は川人博著の「金正日と日本の知識人」(講談社新書)に詳しく再現されているから是非一読してもらいたい。ここで注目すべきは川人博は決して右翼ではないという事だ。それどころか在日朝鮮人問題や過労死問題に取り組んで来た人権派弁護士である。左派ともいえるその彼が、社民党御用達のごときカンサンジュの北朝鮮融和姿勢を正面から批判しているのだ。私は両人の言動を等しく共感を持って見て来た一人であるが、少なくともこの論争に関しては圧倒的に川人博が正しいと考える。護憲・平和という問題では左翼政党と同じ立場に立つ私であるが、こと拉致問題、北朝鮮政策については、決して左翼政党の考えに私は組しない。
  三番目の不幸な問題は、拉致被害者の家族が対北朝鮮強硬一辺倒の拉致議連の政治家と一緒になって行動している事だ。もっともこれは前述第二の現象の裏返しでもある。つまり護憲や人権を叫ぶ左翼政党が拉致家族を助けようとしない。歴史認識や靖国神社参拝問題に強硬な愛国的、国家主義的な政治家たちだけが拉致問題に熱心なのだ。ここに拉致被害者家族の不幸がある。左翼イデオロギー政党が北朝鮮に宥和的であるのと正反対の理由で、拉致議連の保守・強硬派議員の強硬な言動は問題解決にとってマイナスなのである。
  そして最後の問題として、日本政府や外務省の対米依存がある。米国の対北朝鮮外交に過度に依存し、その故に米国の対北朝鮮外交の豹変に振り回されて来たという問題がある。その米国はいまや北朝鮮をテロ指定国から解除し、国交正常化さえも視野に入れる動きを見せるに至った。その米国に対し日本政府や外務省は北朝鮮に対する強硬姿勢を崩さないでくれと懇願する。本末転倒の外交である。
  拉致問題はどう取り組めばよいのか。それは上記の逆を行なえばいいのだ。すなわち、拉致問題は日本と北朝鮮との二国間の問題と捉え首脳同士の直談判でこれを行なわなければならない。そしてその交渉の対象は拉致問題だけに集中すべきなのだ。決して北朝鮮の核放棄を絡ませてはいけない。核放棄問題は米国に任せておけばいい。米国以上の対北朝鮮核交渉力を日本が持てるはずはない。その必要もない。そして拉致問題の解決を迫る時は日本の過去の過ちに対する謝罪と国交正常化(経済支援)問題を同時に提起するのである。すなわち謝罪や経済支援と引き換えに拉致問題の誠意ある全面的解決をパッケージで合意する、そういう交渉を首脳間で行なうのである。拉致問題の解決はこれしかない。北朝鮮が交渉に応じて来るのはこれしかない。そしてこのパッケージ解決の交渉に北朝鮮が応じて来ないはずはない。北朝鮮は日本の援助をのどから手が出るほど欲しいのだ。米国からの安全保障の確約と日本からの経済援助、この二つが北朝鮮の目的である。
  このような当たり前の交渉をどうして日本政府や外務省は始めようとしないのか。これを始めるリーダーシップを持った政治家がどうして現れないのか。今からでも遅くない。拉致被害者の家族は、この一点に絞って福田首相に英断を決断を迫るべきである。

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2007年11月16日

これが小沢民主党代表の本音である

  これが小沢民主党代表の本音である

  今日(16日)の朝日新聞に小沢民主党代表との単独インタビュー記事が大きく掲載されていた。このインタビュー記事は、今の政治の混迷に多少なりとも関心のある者にとって必読の記事である。
  詳しくは後述の小沢代表の発言要旨を見てほしい。驚くべき自信と傲慢さをもって今でも大連立構想は正しかったと言い切っている。そして解釈改憲を容認し、自衛隊海外派遣を恒久化すべきであると言っているのだ。なかでも私が特に危険で、お粗末だと思ったのは、「ブッシュ政権は米国民に支持されていないから気兼ねをする必要はない」、と公言した事だ。ブッシュ大統領が聞いたら激怒するだろう。米国の安全保障政策や中東政策は共和党も民主党も基本的には変わらない。しかも、ブッシュ大統領が米国民の支持を失っているからといって、他国が、しかも日本が、そしてその日本の政権を担おうとする政治家が、現職の米国大統領を批判する事の不適切さ、危険さが、彼にはまるでわかっていない。これは衝撃的だ。
  小沢民主党代表の辞任騒動をめぐっては、さまざまな意見が、さまざまな立場から書かれている。私はそれらに極力目を通しながら自分の考えの正しさを確認する事に努めてきた。もちろん自分と違った考えや、自分の知らなかった情報を見つけたりすると、それを客観的に評価して、自分のそれまでも考えの誤りを改め、より正確に政治の現状を把握するように努めてきた。
  今日の小沢代表のインタビューを読んで、あらためてこれまでの自分の考えの正しさを確認できた。テロ特措法延長反対の表明から始まった大騒動は、結局は小沢民主党の政権奪取の野望から出た底の浅い政局劇に過ぎなかったということだ。
  それはわが国の対米外交を基本から見直すという政策論ではなかった。ましてや護憲などでは決してない。小沢一郎という一人の元自民党幹部が、自民党との権力争いの末自民党を飛び出し、小沢流政治を実現してやろうと「最後の戦い」を仕掛けたという事でしかない。思えば菅直人民主党代表が政権ほしさに小沢自由党と合併した時点で今日の民主党の混迷が始まったのだ。
  一度は政権交代をしないと日本の政治は変わらない。この考えに私も同意する。自公永久政権がもたらしたこの国の深刻な弊害は取り除かなくてはならない。政権交代により少しはそれが取り除かれるであろう。国民の目線に立った政治が今よりも少しは進むかもしれない。
  しかし、小沢政権となってもその根本において自公政権とは変わる事はない。むしろ小沢民主党に政権が渡れば、間違いなく保守大連立が始まる。日米軍事同盟も、改憲も、消費税アップも、すべてが実現するのだ。
  このような実態をわからずして、あるいはわかっていながら、政権ほしさに、あるいは生き残りの為に、民主党にとどまったり、民主党との選挙協力を行う労働組合(連合)や旧社会党とは、一体何だったんだろうか。壮大な自己矛盾である。
  共産党や公明党のほうがよほどすっきりしている。しかし共産党や公明党は国民政党ではない。硬直的なイデオロギーや個人崇拝に縛られた特殊な政党だ。そういう政党が民主主義国家にあってもいい。しかしそれらが国民の生活を左右する影響を持つことはありえない、あってはならない。
  私が今の政治を全否定する理由がここにある。すなわち今の日本の政治状況は、国民にとって救いがないのだ。本当の意味での政界再編、いやまったくあたらしい政治の仕組みが出来ないと、日本は変わらない、明るい未来の展望は望めない。
  そして、それが不可能であるのならば、国民は政治に一切の幻想を抱くことなく、「自分の生活は自分で守るしかない」という自覚を持つ事である。小沢インタビューを読んでつくづくそう思った。
  前置きが長くなった。小沢インタビューの核心の部分を以下に引用する。興味のある読者は朝日新聞の全文を読む事をお進めする。

問  一連の過程で斉藤次郎・元大蔵事務次官が仲立ちした説もあるが。
答  いや、そんな事は言っちゃいけない。渡辺さんまでは張本人だからいい。あ
   とは信義として言っちゃいけない。
問  大連立の狙いは。
答  (福田)首相は、連立なら特措法さえも譲って構わない、憲法解釈も180度
   転換しても構わないと、そこまで言い切った・・・(我々の主張する)目玉政策
   も飲むかもしれない。画期的なものが民主党の主張で実現できれば、選挙
   に絶対有利だ。だが、みんなどうせ実現できないと思っていて民主党の議
   員さえそんな気がある。それは権力を知らないからだ。僕は権力をとれば簡
   単にできる事を知っている。
問  中選挙区制に戻す話はなかったか。
答  論外だ。小選挙区制だから、政治にケリがつけられる。中選挙区制だった
   らぐちゃぐちゃで意味不明になる。
問  山田洋行について小沢氏への献金や空自出身の田村秀昭元参院議員と
   の関係を指摘する報道もあるが。
答  何の関係もない。(献金は)もう全部返した。パーティーかどっかで会ったか
   も知らないが、全然知らない。わけがわからん。
問   一連の経過の総括は
答   (大連立の)政治判断は今でも正しいと思っている。選挙で勝てる最大の方策だ。だ
    が、みんながそれを望まないというんだから、その方法は捨てる以外ない。残念だけど。
問   総選挙の目標は。
答   野党で過半数でいい。共産党を入れるわけにはいかないが、きわどい状
    況なら、首相指名で共産党はどうするのか。自民党に入れるのか、どっちに
    入れるんだとなる。
問   総選挙の争点は。
答   (安保問題には)国民は関心がない。(安保問題は)政治家や政党の責
    任、見識でやればいい。
問   国際治安支援部隊(ISAF)への参加が可能とした考えは党内に浸透した
    か。
答   国連活動に参加することはマニュフェストで国民に約束したことだから、こ
    れから論議することではない。何でそんな単純な議論がわからないのか、
    不思議でしょうがない。
問   社民党は反対だ。
答   反対でいい。反対だけれど、それ以上に自民党政権を倒さなきゃいけないなら
    ら、それでいい。そういう割り切りが日本人は下手だ・・・政権取った時に一
    緒に連立を組むかは別だ。選挙協力は何もおかしくない。共産党とだって
    おかしくないが、政権に入れるかどうかというと別問題だ。
問   日米関係を心配する向きがある。
答   何の心配もない。ブッシュ大統領なんて米国民に支持されていないんだ
    から、何で気兼ねするんだ。
問   党首会談では恒久法で合意したのか。
答   そんなことはない・・・「自衛隊派遣、安全保障については憲法解釈がクリ
    アにならなければ連立もへちまもない」・・・「法制局の意見なんか聞いたってダメだ」と言った・・・
問   政権を取れば(恒久法)制定を考えるのか。
答   自衛隊派遣のきちんとした原則を明記して憲法を補完する基本法が必要
    だ。そうしないと憲法を改正するまで憲法問題が続いちゃう。選挙で多数取れば、(恒久化)基本    法を進めたほうがいい・・・

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2007年11月15日

パレスチナの悲しい風景が目に浮かぶ

パレスチナの悲しい風景が目に浮かぶ

 久しぶりに良質の記事を読んだ。乾いたほこりと銃口と、紺碧の空と、地中海の風にそよぐオリーブの木々と、そして悲しみと憎しみに満ちた漆黒の瞳が、私のまぶたに浮かぶ。レバノンから離れて4年がたった今も当時の記憶が鮮やかによみがえって来る。
 11月14日の朝日新聞外交面に掲載されていた川上泰徳特派員のイスラエルからの「特派員メモ」からの抜粋である。その文章を一人でも多くのブログの読者に読んでもらいたいと思う。許可なく転載する事をお許し願いたい。

・・・「ドアが開いたら、前に進みなさい」「中央に立ち、両手を挙げなさい」・・・ガザからイスラエルに戻る際、エズレ検問所で身体検査を受ける・・・イスラエル人係官は前方2階の窓からスピーカーでパレスチナ人に指示する・・・装置の前で5、6人が順番を待つ。私の後ろに赤ん坊を抱いた若い母親。私の番になり、順番を母親に譲った。
  母親が中に入った。係官がマイクで怒鳴る。子供を離せという。ドアが開き、母親が赤ん坊を差し出した。赤ん坊を受けとると、とたんに火がついたように泣き出した。よし、よしと、足を突っ張る赤ん坊をあやした。
  母親の身体検査は手間取った。係官の鋭い声で、長い衣のポケットに入っていた紙くずを出したり、立ち位置を変え(させられている)。やっと終わった。ドアが開いた。
  母親は赤ん坊を受けとる時、私が外国人だと初めて気が付いたように目を見開いた。赤ん坊は泣き止んで私を見た。目が母親とそっくりだった。
  不愉快な検問所にいるのを忘れるような温かな重さが腕の中に残った・・・

  このような光景は毎日繰り返されているに違いない。そして川上特派員が感じたこのつかの間の平和の前にも、後にも、果てしのない弾圧と反抗の流血が続いている。あの時も、今も、パレスチナは世界から見捨てられたままである。耐えられない悲しさだ。

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2007年11月14日

鬱病や過労死になる前に目覚めて欲しい

鬱病や過労死になる前に目覚めて欲しい

 11月14日の日経新聞「こころのサプリメント」という心理カウンセルの欄に、臨床心理士が興味ある臨床患者の話を書いている。
 建設関連の企業につとめる30歳代のAさんは、過重労働による疲労と仕事の業績が上がらないことへの自信喪失からうつ病を発症し、会社を休職中である。病院での治療に加え、カウンセリングに訪れている。その時の状況を書いているのだ。
 「部下をまとめられない」と落ちこむAさんは、大手企業B社からの過酷な要求に押しつぶされる毎日であった。とはいえ、B社は超大口の取引先。「理不尽な要求も黙って聞くしかなかった」と話すAさん。部下たちはそんな彼を見て次第にやる気をなくし、Aさんの指示を無視するようになってしまったという。
 カウンセラーの求めに応じ、Aさんは取引先や部下に対する鬱積した感情をポツリポツリと話し始める。やがて「リーダーとしての自分の役目は、取引先の言いなりになることではなく、交渉して部下が働きやすい環境をつくることだった」、「自分と言う人間が悪かったのではない。取引先と交渉しない自分の仕事の進め方が悪かった」と気付いたAさん。すべて話し終える頃には、それまでの落ち込んだ表情は消え、晴れやかな顔になっていたという。
 このエピソードを引用した後、その臨床心理士は次のように締めくくっている。

 「・・・相手の言いなりになる事を続けていると、自分を卑下するような発想になりがちだ。相手に気を使い・・・相手に合わせてばかりいると、潜在的な能力や可能性が発揮できず、何をしてもやりがいや充実感が得られなくなってしまう。
  これは仕事だけではなく、夫婦関係や人間関係でもあてはまる。他者との関係にストレスを感じる時は、相手の言いなりになるばかりで、交渉を避けていないか。もう一度振り返ってみよう・・・」

  私がこの記事を引用したのは他でもない。米国の不当な要求を呑まされ続けている外務官僚たちとこの患者がダブって見えたからだ。
  もっとも官僚はこの患者のように簡単には鬱病にはならない。自分を偽って平然としていられる図太さがあり、出世のためにはあらゆる事を耐え忍ぶ強烈な出世欲を持っているからだ。
  しかしその彼らも、矛盾に悩んでいる。知らないところで徐々に自己崩壊している。その姿を私はまじかに見てきた。仕事の質がどんどんと低下していき、国民の幸せのために正しい外交をしているという充実感はなく、国民に嘘をついてまで日米外交の重要性を唱えるという後ろ向きの仕事に奔走することになってしまっている。アリバイづくり、言い訳づくりの外交に追い込まれてしまっている。
  相手の要求をはねつける事は容易なことではない。その相手が強大であればあるほど断る事は難しい。しかし人生において一番大切な事は自立した自分を取り戻す事だ。勇気を持って正論を口に出すことだ。それは一時的には大変な勇気がいる事かもしれない。しかし勇気を振り絞って口に出してみれば、その後には無限の自由と心の開放が広がっているのだ。
 外務官僚たちよ。自らを解き放て。自己に忠実な外交を目指せ。さもなければ日本外交は本当に行き詰まる事になる。自らを鬱病に追い込む事になる。

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2007年11月14日

福田・小沢会談の最大の問題点は何か

 福田・小沢会談の最大の問題点は何か

 大連立騒ぎの陰に隠れて、福田・小沢会談の最大の問題点が見逃されている。
 政局という観点から見れば確かに大連立についての密談は大問題であろう。政権交代を訴えて選挙に勝った民主党の代表が、その支持者の期待を突然に、勝手に、裏切ったからだ。
 しかし政策という観点から見れば、小沢代表は純情な護憲派の期待を裏切った。私はこちらの方こそ大問題にしなければならないと思っている。
 小沢氏は参院選の勝利後まもない7月末に、「アフガン攻撃は米国の一方的な戦争だ。その戦争に加担するようなテロ特措法の延長には断固反対だ」と大見得を切って護憲派を喜ばせた。
 私は単なる護憲論者ではない。護憲も重要だが、それ以上に日米軍事同盟を最優先する外交こそ改めなければならないと思っている。そして、その事をあらゆる機会に強調してきた。
 小沢氏は根っからの日米同盟論者である。その小沢氏が、その考えを根本のところで変えないままにテロ特措法に反対をした。この矛盾が必ず大きなツケとなって小沢氏に跳ね返ってくるに違いないと、私はブログで繰り返し書いてきた。たとえ小沢氏にどのような深謀遠慮があろうともである。
  果たせるかな、小沢代表は福田首相との党首会談で、「国連決議があれば合憲だ」という自らの勝手な論理を福田首相が飲むのであれば給油活動再開を認めると密約した、という話が、いくつかメディアで報じられた。
  勿論この密約はいまだ藪の中だ。しかし11月13日の毎日新聞が大貫智子記者の署名入りで極めて注目する記事を報じていた。すなわちその記事によれば、党首会談よりかなり前の10月中旬の時点で、民主党の小沢代表は民主党の新テロ特措法の対案の中に、「国連決議に基づく場合」という条件つきで、「給油・給水活動への参加を検討する」という表現を挿入するよう民主党の政調幹部に指示していたというのである。
  つまり小沢氏のテロ特措法延長反対は、米国のアフガンやイラクの攻撃そのものに反対するのではなく、国連決議に基づくものであれば自衛隊の海外派遣にさえ積極的であるというシロモノなのだ。自衛隊を海外に派遣する法律を恒久化してもいいとさえ考えているのだ。米国の「テロとの戦い」を全面的に否定する私にとっては、到底容認できない考え方である。
  私が不思議に思うのは、この小沢代表の自衛隊海外派遣恒久化容認の考え方に対して、民主党の旧社会党議員も、民主党と選挙協力をしようとしている社民党の護憲派議員も、批判するどころか、寂として声がない事である。もっとも民主党の旧社会党議員に関しては分からないではない。民主党に合流した時点で彼らはもはや護憲を捨てたも同然であるからだ。しかし社民党の議員は違う。護憲を党是としているのである。その社民党の福島代表は、小沢党首が大連立構想に乗った事を裏切りだと憤って見せたものの、テロ特措法に賛成したという密約報道については奇妙に沈黙している。
  護憲が売り物の社民党はどうした。そう思っていたら、読売ウィークリーの11月25日号に興味深い記事を見つけた。一回目の党首会談が行われた10月30日の前日、つまり10月29日に、小沢代表と輿石代表代行(山梨県教組出身)が自治労や日教組関係者と会談をし、社民党との選挙協力についてこれら組織に調整役を頼んでいたというのだ。そしてその中で小沢代表は社民党の民主党への合流話を持ちかけていたというのだ。党勢が衰退の一途をたどる社民党も、民主党と社民党の間で支持組織が股裂き状態の自治労や日教組も、本音ではこの合流話にまんざらではないという。なんという裏切り行為であろうか。
  もはや今の日本の政治家には信条に殉ずるなどという考えはないらしい。すべては選挙に勝つことだ。生き残りが第一だ。だから日米軍事同盟に断固反対するという真の平和政党は、今の日本の政治の中では共産党のほかには存在しなくなってしまった。共産党だけがただ一人日米軍事同盟反対を叫ぶこの国の政治こそ、この国の絶望的な状況を示している。
  これでは米軍基地は永久に日本からなくならない。それどころか日本は米国に命じられるままに戦争に加担する国に間違いなくなってしまう。その時が目前に迫っている。

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2007年11月14日

佐藤優という休職外務省員を私はどう評価するか

佐藤優という休職外務省員を私はどう評価するか

  佐藤優という起訴休職外務事務官がマスコミの寵児になって露出度を高めている。元外務省員である私にメディアから「彼をどう評価するか」という問い合わせが寄せられることがある。私は彼とは在職中も、現在も、言葉を交わしたことも、一面識もない。だからメディアからの問い合わせにはコメントしない事にしている。
  しかし、私のブログの読者中からも時々聞かれる。それを無視するのは忍びがたいところがある。ブログの読者にサービスをするつもりで、かねてから抱いていた私の佐藤氏に対する意見を、はじめて述べることとする。
  それは、彼の著作につぶさに目を通し分析した上での、作家、評論家としての佐藤氏に対する評論では決してない。断片的に見聞きしてきた彼の言動に対する、わたしの直感的感想である。一口で言えば次の通りである。

 「佐藤氏の言論の中で私が最も興味深く読むのは外務省や外務省幹部に対する批判と暴露の部分である。それは正鵠を得ており、実名を挙げてあそこまで徹底して外務省を批判し、外務省の実態を暴露する佐藤氏の勇気は驚きである。さすがの私も真似が出来ない。
  加えて彼が自らの逮捕・拘置の経験から「国策捜査」の実態をその著書「国家の罠」(新潮社)で告発し、国家権力と闘う姿勢を見せている事に注目する。
  しかし彼の言説は、その激しさ、直截さの割には私の心を共振させない。なぜだろうか。
  思うに彼はその根底において国家主義者であり、強権主義者である。インテリジェンスの重要性を殊更に強調し、戦略、策略によって国益を実現する外交を主張する。
  国家より個人を優先し、憲法9条を世界に掲げて平和外交を唱える私と佐藤氏は、おそらくその思想において対極的なところに位置する。情報公開を最優先し、一人でも多くの国民の監視によって国家権力の誤りを掣肘していかなければならない、と考える私が、佐藤氏の論説の多くに違和感を覚えるのは当然であるのかもしれない」

  このような私の直感的とも言うべき印象論に対して、より精緻な佐藤分析論を私は最近見つける事が出来た。それはインパクション(インパクト出版会)という雑誌の07年160号に掲載されたキム・ガンサンという在日三世の論文である。私が今までに見かけた佐藤優論の中で群を抜いて的確であり周到な評論である。
  キム・ガンサンはその論文の中で、佐藤氏が左右両派から重用されている「論壇の寵児」の異常さに着眼し、右派メディアと左派メディアにおいて言論を使い分ける佐藤氏の狡猾さを喝破する。特に、「週間金曜日」、「世界」をはじめとしたいわゆる左派雑誌が彼を好んで取り上げ、斉藤貴男、魚住昭らのような、一般に「左」とされるジャーナリストが佐藤氏を評価している現象を嘆いている。まったく同感である。
  私は、特に、キム・ガンサンの論文の中に引用されている佐藤氏の次の言葉を知って、いままでの私の佐藤氏に対する違和感の原因に合点がいった。
  佐藤氏は、昨年7月のイスラエルによるレバノン侵略戦争を、北朝鮮の拉致問題と絡めて次のように全面的に支持していたのだ。
  「・・・イスラエル領内で勤務しているイスラエル人が拉致されたことは、人権侵害であるとともにイスラエルの国権侵害でもある。人権と国権が侵害された事案については、軍事行使も辞せずに対処するというイスラエル政府の方針を筆者は基本的に正しいと考える・・・」
  とんでもない発言である。イスラエルのパレスチナ弾圧には一言も触れない彼は、この言葉によって完全にイスラエルの代弁者であることが証明された。彼のインテリジェンスの源はイスラエルの情報機関からの情報であるのだ。
  なぜ佐藤氏が「マスコミの寵児」となりえたのか。それは勿論彼の作家、評論家としての非凡さの故である。そしてそれに目をつけたマスコミが彼を利用して売り上げを伸ばそうとしたのだ。マスコミの打算である。しかし同時に、「マスコミの寵児」となることは、佐藤氏の打算でもある。経済的基盤を強化すると言う事も勿論あるであろうが、「マスコミの寵児」となって露出度を高めることは国家権力の圧力から身を守るという事でもある。生き残りに必死な佐藤氏の利害がマスコミの利害と一致した結果である。
  しかし「マスコミの寵児」となる事は自分自身を失う危険をおかすことでもある。私は自らの体験を通じてそれを知っている。
   今月号(12月号)の文芸春秋に「沖縄集団自決」に関する佐藤氏とその母の対話が掲載されている。それを読んだ私は、「マスコミの寵児」であり続けるために実母までも利用しなければならない佐藤氏を気の毒に思うのである。同時にまた私はその文春の記事を読んであらためてキム・ガンサン氏の佐藤優論の正しさを思い知った。 
  佐藤氏は母親の経験談を引用しながら「軍の自決強制」があったことを間接的に認めて左派に取り入り、その一方で、歴史には「複数の真実がある」などとごまかして右派からの反発を避ける。マスコミの寵児であり続けなければならない佐藤氏の苦しさと卑怯さを見逃すわけには行かないのである。

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2007年11月12日

池田大作という人物

池田大作という人物

 今月号(12月号)の月刊文芸春秋を読み進むうちに「池田大作 79歳の私生活」という記事に遭遇した。
 私は雑誌や本を買っても隅から隅まで熟読することはない。興味のある記事や箇所を飛ばし読みをして読んだ気になる。それでも、けちな根性の私は、「もったいない」と思って出来るだけ完読しようとする。すべての記事を読もうとする。しかしほとんどの場合、その試みに成功することはない。読み残してほったらかしにし二度と読むことはない。読まない記事を残して捨ててしまう。
  この時もそうだった。他に読みたい記事があって買った文春だった。池田大作のゴシップ記事など読む気はなかった。見出しの「好きなものはメロン、天ぷら、美女。一番恐ろしいものは・・・」という言葉に惹かれてつい読み始めてしまった記事であった。
  ところが読み始めた私は、たちまちその記事に惹きこまれてしまった。一字一句、これほど興味を持って読ませてくれた記事は最近読んだ記事の中でもない。知らない間に熟読し、完読した。そして強烈な不快感だけが残った。
  私は宗教には造詣がない。創価学会という宗教団体にも関心はない。だからその宗教団体の長である池田大作という人物がどういう人間であるかは私には関係がない。
  しかし創価学会はこの国の公党の一つである公明党の宗教母体である。その公明党は自民党と連立政権を作って我々国民を律する政策を作ってきた。その公明党は自民党と組んでイラク戦争を支持し続け、戦争犯罪国家となり下がった米国との軍事同盟強化を進めてきた。職を賭してイラク戦争に反対した私は、この一事だけで公明党を許すことは出来ない。米国の戦争に加担しておきながら自らを「平和の政党」であると公言し続ける厚かましさと欺瞞さに身震いするほどの怒りを覚える。
  その創価学会の会長である池田大作は次のように言ったという。
「私は、日本の国王であり、大統領であり、精神界の王者であり、思想文化一切の指導者・最高権力者である」
  この発言は日本国民の一人として見逃すわけにはいかない。本当にそんな発言をしたのか。なんとしてでも真偽が検証されなければならないと思う。創価学会の政治的関与から目が離せなくなった。

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2007年11月11日

飛騨の高山で考えた事

 飛騨の高山で考えた事

 勉強会の講師に呼ばれて飛騨の高山を訪れた。高山は中学一年の一時期を過ごした場所である。以来訪れる機会がないままに四十数年が経っていた。
 気温の差が激しいのであろう。紅葉の美しさは息を呑むばかりであった。名古屋から高山本線に乗り継いで高山へ向かった二時間あまりは、車窓から眺める日本の秋の色に体中が染まった二時間であった。
 話が脱線した。自然の美しさに免じて許していただきたい。さっそく今日のブログの本旨に入る事とする。飛騨の高山で考えた事である。
 私を招いてくれた十数人の人々は、年齢、職業、境遇は異なるけれど、一つの思いを共有して集まったという有志の人達であった。この世の中、何かおかしい。このまま行けば日本の未来は危うい。政府や官僚に多くを期待する事はできない。もはや自分の生活は自分で守るしかない。そのためには勉強するしかない。一つでも多くの真実を知り、隠蔽されている世の中の巨悪に気づき、それに抗していく自立した力をつける。一人では無力であっても、仲間と一緒に勉強し、情報を共有し、そして我々の手で日本を救い、日本の未来を切り開いていこう、そういう思いで集まってきた人達と、私は飛騨の山奥で出会ったのである。
  私が特に注目したのは、そのような活動の前提として、まず個々人の経済的基盤を強化しておこうという認識である。生活費を確保し、その上で、さらに自立した活動のできる経済力を強化する、そのためには仲間の皆が協力し、情報交換し、人脈を広げていって、個々人の資金力を増やしていく、そのことに皆が協力し合う、そういう発想である。
   なぜ私がこういう人達の生き方に共鳴するのか。それは私が夢見る「全く新しい政治」の実現につながると思うからである。
   なぜ今の政治家に立派な政治家が少ないのか。それは政治家になる事、政治家であり続ける事を目的とする者があまりにも多いからである。親の地盤を継いで易々と政治家になる世襲議員や、満足な人生経験をすることなく若くして政治家を志し、そのまま一生政治家を続けようとする者などは、私から言わせれば最悪の政治家である。
  政治家とはそのような形で生まれるものではないと私は考える。人は皆赤ん坊として生まれ、親に育てられ、いつかその親の庇護から自立して人生を生きていく。どのような生き方を選ぶにせよ、自分の手で食い扶持を稼ぎ社会人として生きていく。サラリーマンを経験したり、自営業を営んだり、技術屋になったり、どのような職業に就くにせよ、自らの手で金をつかんで生きる。その過程で社会の矛盾や不合理を知る事になる。そこから政治的意識が芽生えるのだ。
 人間は不完全な生き物だ。時として悪を犯さなければ生きていけない時もある。それらをすべて許さないというのではあまりにも厳しすぎる。硬直的過ぎる。しかし、やはりできるものなら悪は犯さないほうがいい。ましてや悪事が意図的に見逃されたり、悪事の間に不公平な処遇があったりしてはならない。そのような世の中を実現する事こそ政治の大きな役割ではないのか。
  政治家に真っ先に求められる資質は、国民が安寧に暮らせる世の中の実現のために、自らを犠牲にする覚悟である。無私の精神である。そしてそのような精神を持ち、政治家としての責務をよく果たす能力のある人物は、そうはいない。そのような人物が選ばれるにしては国会議員の数が多すぎるのだ。
  加えて今の選挙制度の下では既成政党、組織政党が有利になっており、メディアを通じた知名度が当選のための決定的影響力を持つことになる。だから理想的な政治家が選挙で選ばれる保証はない。今ある政治家のほとんどは真の政治家からは程遠い。我々が今の政治に失望するのは当たり前なのである。今の政治制度が続く限り、何回選挙を繰り返しても、たとえ政権交代が起きたとしても、基本的には変わらないのである。
  しかし、だからと言って今の政党、政治家をなくすことはできない。今の政治・政治家は存在し続ける。ここに私が提唱する「もう一つの政治、政治家を作り出す」事の重要性と必要性があるのだ。
  勉強会に集まった人達こそ、「新しい政治・政治家」を作り出す事のできる人達であると思う。既存の政党やイデオロギーを超え、自主・自立・正しく生きるという事を単純に追い求めるだけである。
  実はこのような人達は飛騨の高山にだけ存在するものではない。過去4年間、私は全国を講演で歩き回って、この日本列島のいたるところで同様の思いを抱いて新しい政治を実現したいと考えてる人達に遭遇した。問題はそのような人達のネットワークや協力・連携を、誰が、どのように実現していくかである。それが出来た時始めて、その中から真の政治家を国会に送り込む事が出来る時が来るかもしれないと思っている。その代表たる政治家はたとえ一人でも二人でもいい。既存の政党・政治家を監視する役目は一人でも十分になしうるのである。国会議員としての特権と歳費を本来の形で行使すれば、たとえ一人出会っても今の政治家の何倍もの仕事が間違いなくできる。

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2007年11月10日

ティベッツ機長の言葉

 ティベッツ機長の言葉

 私もふくめて多くの者は戦争の当事者ではない。そのような者がいくら平和論を唱えても所詮は評論である、少なくとも私はそう思って自分を戒めている。
 かつて私が現役の外交官であった時、黒人差別と戦っていた南アフリカのネルソン・マンデラや、今や米国にとってオサマ・ビン・ラデンについで危険人物とされているレバノンの反米武装抵抗組織のナスラッラーと面談したことがある。その時に私は日本政府の建前論である「暴力は絶対に認められない」という言葉を投げかけたものだ。その時、マンデラは微笑んでうなずき、ナスラッラーはやはり笑いながら「われわれは日本の神風から学んだのさ」と答えた。
 当事者でない我々が、自らを安全なところに身を置いて、いかに偉そうに平和論をぶったところで、多くの人間の命を巻き込んだ政治闘争を重ねる歴史的責任者の前では所詮は机上の空論であり奇麗事に過ぎないのであろう。私は立場上そのような公式見解を当事者を前に口走りながら、内心は自らを恥じていたものだ。
 11月10日の朝日新聞に1日に92歳で死去したポール・ティベッツ氏の記事を見つけた。広島に原爆投下したB29[エノラ・ゲイ]の機長であった人物だ。医師になる事を望んだ厳格な父に背いて陸軍航空隊に入った時、母親だけが「大丈夫よ」と励ましてくれた。その思い出から原爆投下機に母親の名前をつけたという事を、私はこの記事ではじめて知った。
 そのティベッツ機長は、自分は決して原爆投下を後悔していないと言い続けて死んだ人物だ。とんでもない人物だと日本人なら思うかもしれない。確かに彼の発言を一つ一つ調べてみると驚くものが多い。
 しかし私は03年に米紙との会見で語ったという彼の次の言葉を見つけたとき、彼こそが本当の戦争の犠牲者ではなかったのか、少なくとも我々当事者ではない凡庸の平和論者などよりも、はるかに戦争の苦しさと平和の大切さを知っていたのではないのか、そう確信した。当事者の言葉は、それだけで極めて重いものがある。

 「・・・戦争に道徳なんてない。国家紛争の解決の手段としての戦争はなくす道を探すべきだ・・・」

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2007年11月09日

新聞拾い読み

新聞拾い読み

 GMが4兆円を超える赤字だという。その主な原因がサブプライムローン(米国低所得者向け住宅ローン)絡みの損失だという。9日の各紙はモルガン・スタンレーの4200億円の追加損失が明らかになった事を報じている。そういえばこのところ連日米国の大手企業がサブプライム関連の投資で大損をし、膨大な債務負担に見舞われている事が報じられている。これはかつての日本のバブル崩壊後と同じではないか。
 失われた10年、不良債権問題が日本経済の大問題であり続けた。そして日本政府は血税を湯水のように使って銀行を救済した。
 ところが、9日の朝日新聞経済面の経済気象台というコラムに次のような文章を見つけた。
  「・・・米大手3銀行がサブプライム対策基金を設立した。これはウオール街出身のポールソン財務長官の肝いりで実現したといわれる。金融不安を回避したいが、米国民の税金を使ってまでも投資家たちを救済する気はないというホワイトハウスの空気の反映だ・・・」
  これを読んで驚いた。日本と米国の責任者の対応の違いはどうだ。何でも国民の税金を使えばよいとする日本の政治家や官僚はあまりにも無能であり、安易だ。官尊民卑だ。民主主義国家から程遠い日本の姿があらためて浮き彫りになった記事である。

  米国があからさまに日本を恫喝し始めた。「こんな事では日米同盟の信頼関係が揺らぎかねないぞ」と。給油問題、普天間基地移転をはじめとした米軍再編問題、思いやり予算問題、などについて、日本の対応がもたもたしている事に対する叱責である。
  外務省幹部が、今の対米関係について、「いい話は一つもない」と話しているという事を9日の朝日新聞で知った。ふざけた発言だ。外務省の幹部も、最早後輩ばかりになってしまった。誰がそういっているかはおよそ想像がつく。
  お前たち、よく聞け。これまでの対米関係において、日本が米国の要求に悩まされなかった「いい時代」があったというのか。「「いい話は一つもなかった」事は今に始まったことではない。これほどまでに米国に従っても、「いい話」はいつまでたっても出てこなかった。
  米国が日本に突きつけてくる難題はどんどん不合理、反国民的になってきている。それもこれも米国の要求を受け入れ続けてきた外務官僚の無策にあった。要求を呑むことを当たり前と思わせてしまった外務官僚の米国あまやかしのせいでそうなってしまったのだ。
  これからはもっと悪い話が続出すると覚悟しておくべきだ。「いい話はひとつもない」どころか、対米従属外交を続ける限り「出口はない」のだ。

  「ねじれ国会」なる言葉が独り歩きしている。法案が一本も通らない事で「大連立はだめでも政策協議なら止むを得ない」などという発言が政治家や評論家の口からから当然のごとく発せられる。
   まったくナンセンスだ。対決法案ばかりではない。与野党の対立なしで成立させられる法案はいくらでもある。それが成立しないのは、政治家が国民不在の政争に明け暮れているからだ。それを大ニュースのごとくメディアが煽るからだ。
   テロ特措法をはじめとした対決法案は、対立するのが当たり前だ。政府・自公政権が本気になって対決法案を通そうとすれば、つまり衆院での再議決を覚悟すれば、成立させる事ができる。それを行おうとしないのはねじれ国会だからではない。解散・総選挙に追い込まれる事がこわいだけの話だ。
   民主党もまた総選挙が怖いのだ。だからにらみ合っている。法案審議どころではない。だから法案が成立しない。ただそれだけの話だ。
   自民党も民主党も、今度の衆議院選挙で負ければ政党は空中分解する事を知っている。だから総選挙が怖いのだ。自民党はあくまでも大連立を求め、小沢一郎もまた、敗れて政界を引退する事をおそれて、党首会談に応じた。
   小沢辞任騒動の後の民主党はもはや引き下がれない。強硬姿勢を貫くしかない。解散風が吹きそうだ、そう9日の朝日新聞は書いている。早期解散を恐れていた自民党は、小沢辞任騒動で世論の民主党離れが起きるとみて「今なら勝てる」と考えるだろうという。しかしその一方で、小泉劇場で得た大量議席をできるだけ長く使ったほうがいいという声があるのも当然だ。だから「決して侮ってはいけない」などと山崎拓あたりが言っている。
   他方民主党も、年内解散に追い込むしかないと突っ走る連中もいるかと思えば、小沢氏が続投を表明したことで「党内の結束が確認できた。これで年内解散はいったん沈静化した」と胸をなでおろしている者もいるという。
  皆選挙がこわいのだ。笑ってしまったのは9日の朝日新聞に出ていた鳩山民主党幹事長の次の言葉だ。
  「次の衆院選挙で(民主党が)政権をとることがかなわなかった時、政策がまったく動かないという話になりかねない。このときに(大連立の)話が復活する可能性はでてくる」
  そんな話ではない。その時はとっくに民主党は分解している。すべては今度の衆議院選挙から始まる。どっちが勝っても負けても、政界は混乱し、再び選挙ということになる。日本の政治が落ち着くまでには後何回かは選挙が必要となる。だから早く総選挙をしろと言っているのだ。

   9日の毎日新聞「世界の目」において、米戦略国際問題研究所のハーラン・ウルマン上級顧問がNATOの危機について書いていた。
   「北大西洋条約機構(NATO)は・・・ソ連という脅威によって存在意義が正当化された冷戦時代と比べ、今は巨大な困難に直面している・・・ジレンマは軍事的脅威の崩壊後も軍事同盟を維持することだ・・・」と。
   これこそが今日の西側主要国の軍事担当者の大きな問題なのだ。不要になっても解体できない、それが軍隊だ。軍隊を維持する為にはあらたな理由を見つけなければならないのである。
   ウルマンは、NATOの将来はアフガニスタンでの成功にかかっている、と率直に言っている。だからアフガンでの敗北は許されないと強調している。その一方で、「NATOが(アフガンでの)すべての戦闘で負かしているのに、旧支配勢力タリバンは依然として成長を続ける」と言い、「・・・内政改革の進展の乏しさはひどい。汚職と失業が蔓延し、麻薬の生産は増加し、裁判、法制度、警察は完全には機能していない」と言う。大変な矛盾だ。
   挙句の果てには、エネルギーとインフラ基盤整備、人道援助、復興などすべてが任務の対象となるように、あらたな戦略的目的の構築が必要である、と言う。
   要するに軍事力だけではどうにもならないと言うことなのだ。しかし軍事力優先の今の米国のやり方ではそれはできない。そんな米国に追従する日本外交では、平和は決して築けない。

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2007年11月08日

「今の政治家・官僚ならば不要だ」という認識からの出発(その2)

「今の政治家・官僚ならば不要だ」という認識からの出発(その2)

 8日の各紙がいっせいに報じていた記事のなかに、たった一人の原告が「混合診療」を禁じた国の医療保険制度の根幹を揺るがした、という記事があった。私はこの記事を読んで深い感動を禁じえなかった。
 混合診療の定義と混合診療導入の是非についてはここで説明する余裕はない。読者はそれを知っているという前提で書いていく。
 混合診療を解禁すると、金持ちと貧者の間で治療の格差が生じるという心配は確かにある。しかし、だからといって、保険外の診療を受けたら保険診療分も全額患者負担になるという今の国の政策は、どう考えても患者の負担を不当に重くするものであり、混合診療の事実上の禁止に等しい。難病患者の中にはやむにやまれず保険外診療に頼らなくてはならない場合もあるだろう。それを受けたらすべての医療費が保険外となり全額患者負担となるのは実に粗雑で不合理な政策だ。
  この安易で不当な国の政策を、60歳のがん患者がたった一人で訴えたのだ。しょしてその訴えに対し、7日東京地裁は原告の勝訴を認める判決を下したのである。
  この訴訟の一連の経緯を仔細に眺めると、一個人の努力と能力がなしうる仕事のほうが、事なかれ主義の官僚組織がつくるこの国の政策より、はるかに正しく立派であったということがわかる。
  考えても見るがいい。原告はすい臓がんと闘う病人である。その病人が一人で国と訴訟を構えて闘い、そして勝ったのである。難病と闘い、生きながらえるためには保険外療法も必要である、しかしその療法を受けたために本来なら保険の対象となる治療費までも保険外となって全額患者負担となるのはどう考えてもおかしい、そう思って訴訟を決意したが、相談した弁護士に、「混合診療訴訟の経験がない」と断られた。その患者は、それではと、インターネットなどで訴訟に関する知識を一から独学し、ついに一人で提訴するに至った。そして口頭弁論では「混合診療の禁止は法律のどこに書いてあるのか?」と素朴な疑問を国側にぶつけた(8日付読売新聞)のである。
  裁判所の判決は、その疑問に対し、「混合診療について、保険が受け取れないと解釈できる法律上の根拠はない」と明快に答えた。弁護士には「経験がない」と断られ、医師からも「国が禁じているのでこれ以上の治療は続けられない」と断られた患者が、病身の身をおしてたった一人で訴訟を起こし、陳述し、そして官僚の恣意的な法律解釈を覆したのである。これ以上の快挙があるだろうか。
  私は嫌というほど見てきている。官僚が国家権力の上に胡坐をかいていかにいい加減で恣意的な法律解釈、法律適用を行ってきたかを。国民生活のなんと多くの部分において我々は知らないままに官僚の犠牲になっているかを。そんな官僚も、そしてすべての政策を官僚に任せきりにして国民生活を守ろうとしない政治家も、ごく一部の良質な官僚や政治家を別にすれば、まったく不要なのである。いや、不要なだけならまだいい。高給をむさぼり、特権を享受している。それは皆国民が働いて収めた血税によってまかなわれているのだ。我々はこの事をよく認識すべきである。

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2007年11月08日

「今の政治家・官僚であれば不要だ」という認識からの出発(その1)

「今の政治家・官僚であれば不要だ」という認識からの出発(その1)

 11月8日の朝日新聞に辛酸なめ子という漫画家・コラムニストの「勝手に盛り上がってださい」という意見が掲載されていた。辛酸なめ子なる人物がどのような考えの人かは知らない。しかしこのコラムで言っている事は私がいつも強調している持論を一部見事に代弁している。
 安倍前首相の辞任騒動も小沢民主党代表の辞任騒動も盛り上がっているのは政治家ばかりだ、みんなが「自分に注目している、自分を必要としている」といわんばかりに酔っているようだ、そんな政治家に国政を左右されては国民としてはたまったものではない、という辛酸なめ子は次のように自らの体験に基づいて政治家を一刀両断する。
 「・・・どうも政治家というのは、勝手に盛り上がる人たちのようだ。松下政経塾に取材で一日密着したことがあるが、夜通し政治を語り合ったり、朝礼で誓いの言葉を叫んだりしているうちに、どんどん浮世離れをしていくように思えた・・・」
 そしてそのコラムを次のようにしめくくっている。
 「・・・非現実的な政治ドラマから庶民の気持ちは離れてしまっても、特殊な永田町という舞台では、政治家同士分かり合えるということか。だったら、どうぞ勝手に盛り上がってください。庶民は庶民で政治に期待せず、堅実に生きていきますから」と。
 辛酸なめ子の「勝手に盛り上がっていろ」というこの言葉を投げつけるべき相手は永田町の連中だけにとどまらない。霞ヶ関の官僚もまた同様である。みずから特権階級と勘違いした浮世離れの官僚には国民生活に思いを馳せる者は皆無に近い。そのくせに自分たちは国を動かしているという間違った認識だけは捨てない。捨てられない。なぜならばそれを捨ててしまったら何も残らないからだ。今の官僚たちのほとんどは無理をして自らの「使命」や「生きがい」を捏造しているのだ。
 「政治家や官僚は勝手にやっていろ、我々は政治家や官僚に期待せず、自分たちの事は自分たちで面倒をみて堅実に生きていくから」という辛酸なめ子の姿勢は、その限りで100%正しい。
  しかし、彼女が見落としているのは、国家権力を握る政治家、官僚の特権の大きさとうまみである。「勝手にやっていろ」というだけでは不十分なのである。そうして国民が彼らを突き放すだけではあまりにも馬鹿らしいのである。政治家や官僚が、国民生活に役立たず、勝手に盛り上がっているのであれば、政治家や官僚の特権や優遇された手当てを、民間の世界がそうであるように、厳しく削減しなくてはならないのである。不正を行えば国民と同様に厳しく罰せられるシステムを作らなければならないのである。
  実際のところこの国の官僚には絶大な権力が集中している。我々の生活を規定する法律をつくり、その解釈をほしいままにし、さらには我々の税金を勝手に増税し、そしてそれを流用・着服したり自らの天下りの為に使ったりする。そんな官僚支配を規制できる唯一の存在が政治家であるが、その政治家が無能であるために、いつまでたっても官僚支配を断ち切れないのである。それどころか政・官の癒着が断ち切れないのである。
  この官尊民卑の現状が変わらない限り、「勝手に盛り上がってください」と突き放すだけでは不十分である。彼らは我々の税金を使って「勝手に盛り上がりっぱなし」になってしまう。それではいつまでたっても国民は救われない。どうすればいいのか(続く)。

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2007年11月07日

「恥をさらす」ようだが、前言をひるがえしてもう一度書く

「恥をさらす」ようだが、前言をひるがえしてもう一度書く

  昨日のブログで、小沢騒動についてはこれをもって最終回にすると書いた。その前言をひるがえし、「恥をさらす」ようだがもう一度だけ書く。どうしてもこれだけは書いておきたいからだ。
  それは小沢騒動の本当の問題は何かということだ。それは決して民主党の政権交代が遠のいた事ではない。小沢一郎の政治生命がなくなった事ではない。やがて始まる小沢騒動第二幕の事ではない。ましてやスキャンダルで鳴りを潜めていた横峯良夫が、このドサクサにまぎれてマスコミに登場し、「小沢先生が党首続投をするのは当然だ」といわんばかりに鼻息を荒くしている滑稽さでは決してない。そんな事は所詮は政治に関わっている政治家とそれに群がる関係者の私利私欲まみれの騒ぎに過ぎないのだ。
  何が深刻な問題なのか。それは今度の騒動の結果、わが国の対米従属が一気に固定化してしまうということだ。その事によってわが国の安全はもとより経済も我々の生活も崩壊させられていくという事だ。
  私が護憲や平和を叫ぶ時、日々の生活に追われている若者たちから、「俺たちはその日の生活が奪われている」のだとか、「平和など糞くらえだ、エリートのたわ言だ」、などと言う声が寄せられる。そのような連中に対して私は言う事にしている。米国という国を甘く見るなと。貧困層が急速に拡大し、国民間の経済格差が拡大した最大の原因は、この国の指導者たちが、国民を犠牲にして戦争国家米国の要求に屈したからなのだ。対米自立外交を取り戻す事は、日本の平和を守るためばかりでなく、我々の暮らしの豊かさを取り戻すために、不可欠であるということなのだ。米国からの不当な要求をはねつける為の憲法9条であり、平和外交なのである。
  小沢騒動の結果、テロ特措法延長の是非をめぐる国会での論争が急速に閉じられ、対米従属外交が自民・民主の政策協調で固定化されていく。米国の防衛産業を巻き込んだ防衛疑惑に蓋がされる。
「小沢騒動は米国の陰謀とか圧力によってもたらされたものである」といった話はここでは論じない。しかし少なくとも結果的にはそうなる雲行きなのだ。小沢騒動が、「大連立には反対だが政策協議は行うべきだ」という、訳のわからない論理によって、終わるとすれば、新テロ特措法は自民・民主の政策協力によって成立する事になる。「国連決議さえあれば自衛隊を海外に派遣する事は合憲だ」という小沢一郎の粗雑な議論を逆手にとって、自民党が自衛隊海外派遣の恒久化を小沢民主党の賛成の下に成立させようとしている。私が一番懸念していた事だ。
  今度の小沢騒動で興味深いのは、民主党内の旧社会党議員の影が薄かったことである。小沢の大連立騒動の問題は、実は二つある。一つは勿論政権交代を望む民意を裏切って自民党と連立しようとした事である。これについては民主党内の若手右派やその後ろにいる仙石などが息巻いた。しかしもう一つの問題は小沢が福田と自衛隊派遣恒久法をつくることで手を結んだ事にある。そしてこの事こそ民主党護憲派や護憲野党の福島社民党、日米軍事同盟に反対する共産党などが、本気で怒らなければならない事であった。しかし不思議な事に、彼らもまた「大連立は民意の裏切りである」という批判は大声でしてみても、集団的自衛権を容認する小沢一郎の国際貢献至上主義に、本気になって反対する気配はない。ここにこの国の政治における平和勢力の不在を見る。
  事実上軍隊である自衛隊はいかなる名目でも海外へ派遣してはならない。その必要性もない。戦争当事国のほかに世界のどの国が日本の自衛隊を海外に派遣してくれと望んでいる国があるというのか。国際責任を果たさないと世界から批判されるなどというたわ言は、対米従属を絶対視する政府や外務官僚の自作自演でしかないのだ。この事を正面から発言する政党こそ今の日本に必要なのである。

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2007年11月06日

思いやり予算交渉に見る対米絶対服従

思いやり予算交渉に見る対米絶対服従

 日本外交の病理の根源が、日米同盟至上主義という名の対米絶対服従にあることは繰り返しこのブログで述べてきた。この事はいくら強調してもし過ぎる事はない。
 思いやり予算をめぐる交渉もその一つである。すこし前の記事になるが、10月21日の読売新聞が「政府は思いやり予算の100億円削減を目指す方針を固めた」と仰々しく報じていた。中興の祖である正力松太郎社主がCIAの手先であっただけに読売新聞の対米従属は相当なものだ。スクープのつもりで一面トップに大きく掲げたこの記事は、いくつかの点で読者をたぶらかす工夫がなされている。
 その一つは100億円減という言葉のまやかしである。その数字だけを見ると日本が米国に強く出て負担減を迫ったという印象を与える。しかし2007年度の思いやり予算は2173億円である。そのうちのわずか100億円である。しかも日本人基地従業員の労働組合である全駐労の反対によって、最終的な削減幅は数十億円程度にとどまる可能性があるという。削減の対象が日本人従業員の給与・手当てであるところが味噌だ。財務省は決して在日米軍の基地維持費や光熱費などの米軍予算には手をつけない。日本人従業員が困るところを削減して内輪喧嘩させているのだ。
  もう一つは「減額する方針」ではなく、「減額を目指す方針」と巧妙に書いている点である。なぜか。それは米国との交渉次第であるからだ。米国が削減を了承しなければ減額できないのだ。
  その事に関連し、11月6日の日経新聞に「思いやり予算 調整難航」という記事があった。財務省は大幅削減をしたいが、米国が猛反発をしているというのだ。日米関係への悪影響を懸念する外務省が反対し、最終的な決断は福田首相の政治的決断にゆだねられるという。シーファー駐日大使は高村外相に「日米同盟に看過できない悪影響が出る」と脅かし、国防総省幹部も10月下旬に訪米した谷内正太郎外務次官に「特別の配慮」を求めたという。因みに谷内は私と同期入省で共に米国で研修生活を送った仲だ。英語が下手だった彼がどこまで米国と交渉してきたのか。御用聞きの訪米でなかった事を願うばかりだ。
  因みにこの「思いやり予算」そのものが対米絶対服従の象徴なのである。78年にベトナム戦争で疲弊した米国経済だったが、それに加えてドル安もあって、米国は日本に駐留米軍経費の一部肩代わりを求めてきた。当時防衛庁長官であった金丸信が、「困った相手に思いやるって事だ」とかなんとかとぼけた事を言って、日米地位協定を逸脱した違法な負担を認めた事から始まった。当初62億円であったものが95年のピーク時には2714億円にまで膨れ上がった。しかも米国の経済は最良、最長の好景気を享受していたクリントン政権(92年―2000年)であったのに、減るどころか急増し、在日米軍の娯楽・保養施設費までも負担するようになったのである。
  10月29日のブログで私は米国が在日大使館の敷地の地代を踏み倒している事を書いた。どこまで日本政府は血税を米国に貢い続けるのか。その政府は、自国の国民に対しては年金不払い、保険料カット、消費税アップを平然と迫る。これがこの国の政府・官僚のしている仕事である。
 

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2007年11月05日

  小沢辞任騒動、防衛疑惑、パキスタンの崩壊

小沢辞任騒動、防衛疑惑、パキスタンの崩壊

 小沢民主党代表辞任をめぐる百家争鳴でマスコミは当面持ちきりとなる。しかしこれは壮大な時間の浪費だ。政治的茶番劇だ。こんな混乱に惑わされて世の中の動きを見失ってはいけない。日本や世界で何が起きているのかわれわれは今こそ冷静に考えるべき時にある。
 残念ながらにほんの政治は混乱と迷走が続くであろう。今の時点で誰がどのような評論や解説をしても、それらに大差があるはずはない。ありようはない。解説をすればするほど、真実を知れば知るほど、国民は失望、絶望することになる。あきれ果てる事になる。だから私はこのブログで自分の意見を気色ばんで書く気はない。
  しかし何も書かない訳にはいかない。私は8月はじめからこのブログで、テロ特措法延長反対の小沢発言とその後の迷走について断片的に書いてきた。だからその最終回としてこのブログを書く。
  もし読者に暇と関心があれば、8月はじめから断片的に書いてきた小沢発言に反する私のブログを、今一度時系列的に読み直していただきたい。私の分析は見事に当たった。その勢いで、私は、小沢騒動をめぐる一連のブログの最終回において、わが国政治の今後の方向性について、希望的観測をまじえて次のように問題提起する。

 1.小沢民主党は終わった

  「自公政権を下野させることが政治を変えるための始まりである」と考える人達にとって、小沢一郎は民主党最後の「切り札」であった。政権交代を果たせるのは民主党しかない。そして小沢一郎以外の人物で自民党に総選挙で勝てる者はいない。私もそう思ってきた一人である。
  しかし、私の場合は、民主党にも、小沢一郎にも、特段の思い入れはない。あくまでも、自民党に抗する野党第一党の民主党を応援するという事であり、その民主党を総選挙で自民党に勝たせるのは小沢一郎しかいないから小沢一郎を応援する、ただそれだけである。だからその可能性がなくなったとすれば、小沢民主党に対する期待も、評価も雲散霧消する。感情的なこだわりは何もない。
  この期に及んでも小沢代表を引きとどめたいと考えている者が民主党の内外にいる。そしてそのような者の中には、小沢辞任劇の背景には自民党やメディア、そして米国などの陰謀があるなどと言ったりする。小沢自身も辞任の記者会見でそういう事を口走っていた。
  情けないと思う。とんだお門違いだ。世の中には陰謀はつきものだろうが、かりにそうであっても自分に隙がなければどのような陰謀にも抗する事ができるはずだ。小沢民主党の信奉者たちは「裏切られた」とはっきりと認めるべきだ。
  私は心情的には小沢に見果てぬ夢をかなえさせたいという気持ちがあった。しかし残念ながら小沢は自らその可能性を捨てた。自滅した。私ががっかりしたのは、辞任会見で「今後も一議員として活躍したい」と発言した事だ。自ら政治生命を賭けると公言して臨むはずの総選挙から敵前逃亡した小沢は、安倍前総理と同様、もはや政治家を続ける意味はない。小沢一郎も小沢民主党も終わった。そこから今後の政治のすべてをはじめるべきだ。

2.民主党の限界と菅直人の決断

 小沢の辞任発言以上に残念なのは民主党の体たらくだ。本来ならば即刻新代表を選んで総選挙体制を立て直すべきである。ところが小沢の後を次ぐ代表を見つける事ができないばかりか、総選挙に勝つためには小沢しかいないと、小沢を引きとどめようとしている。そんな民主党に未来はない。
 また、仮に小沢が慰留されて代表にとどまるようであれば恥の上塗りだ。
 だからといって、岡田とか枝野だとか野田とか仙石とか、世上言われているような連中が民主党代表を引き受けても、もはや参院選を勝利した時の勢いを回復することはできないだろう。どのような体制になろうとも、今後の民主党はもはやかつての民主党ではない。
  動揺する民主党を前にして、自民党は参院の民主党議員を引き抜きにかかるだろう。今度の小沢民主党党首の辞任で、福田自民党が喜ぶのは早計だ。今の民主党が続く限り、今後6年間は参院は民主党が多数を占める。民主党が分裂しない限り6年間は逆転現象が続く。だから自民党のバトルは、民主党を分解させるか、民主党議員の一部を引き抜いて参院での多数決をとるまでは終わらない。この事をわれわれは忘れてはならない。
  政権交代の熱が冷めたとたん民主党はがたがたになる。ましてや総選挙での勝利が遠のくと民主党の存在意義は完全に失われる。自民党はそこをついて攻勢に出てくるであろう。民主党は分裂するかもしれない。
  もしそそのような事態が進展するならば、この際菅直人は、政権交代の野望を捨て、自民保守政治に対抗する新たな勢力を結集すべきである。民主党の護憲・リベラル派を引き連れ、自民党の護憲・リベラル派や社民党の有志を束ね、保守勢力に対抗するまったく新しい政治勢力をつくるべきだ。それこそが真の政界再編である。
  今の政治状況では、単独過半数をとれる政党は当分出てこない。いかなる連立政権ができようとも、そしてその連立政権に入っても入らなくても、結束した護憲・リベラル勢力ができれば、その勢力は今後の政治に大きな影響力を持つ存在になリ得る。それを信じて菅直人は一点突破を図るべきだ。

3.社民党は解党的に出直して菅直人に合流すべきである

  民主党以上に絶望的なのが共産党と社民党である。しかし共産党はまだいい。共産党は共産党である。いかなる政党が政権をとっても共産党は資本主義の弊害を批判していればいいのだ。平和を訴えていればいいのだ。「たしかな」万年野党として、権力の悪を追及し、内部告発を続けて自己満足していればいい。その限りの役割はあるし、実害はない。
  しかし社民党の場合はそうではない。福島社民党には、もはや護憲・リベラル政党として国民の期待を取り戻す実力も魅力もない。それに気づくことなくいまだに社民党のアピールを繰り返している。護憲勢力の結集を図ろうとする努力も示さず、いまだに社民党の生き残りを模索しているかのようだ。それは護憲勢力の結集の足を引っ張る行為だ。自滅の道を突き進むだけの時間とカネの浪費でしかない。
  今こそ社民党は解党し、菅直人率いる新たな護憲・リベラル勢力の下に結集すべきである。社民党の議員は自らの不明を自覚し、私心を捨てて、国民の中に飛び込んでいかなければならない。労働組合に担がれて安住するのではなく、国民政党になる努力をすべきである。

4.防衛省疑惑の追及を忘れるな

 小沢辞任劇を一番喜んでいるのは守屋前防衛次官と疑惑政治家たちであろう。あれほど大問題であった防衛疑惑がすっかり報道されなくなった。しかしこの問題をうやむやに終わらせてはいけない。
防衛疑惑の本質は、守屋一人の接待問題、公務員倫理規定違反などという瑣末な不正では決してない。すでに多くの雑誌が報じているように、田中角栄事件を上回る米国軍需産業を巻き込んだ一大防衛疑獄事件の可能性が高いのだ。それだけで政権が吹っ飛びかねない問題であるのだ。本日発売の週間ポスト11月16日号がいみじくもこの点を強調している。
  更に言えば防衛疑獄は日米軍事同盟最優先の外交が生み出した、血税無視、国民不在の政治の落とし子なのだ。どんなに政治が低迷しようとも、守屋事件をきっかけに発覚した防衛疑惑だけは追及を緩めてはいけない。
   ところが見ているがいい。残念ながら今の民主党や社民党は追及する余裕も政治力もない。唯一期待できるのは共産党であるが、共産党は日本の政治からあまりにも疎外されている。共産党がどんなに追及しても、「共産党の言っていることだ」の一言で相手にされずじまいに終わる。
  日本の政治の中に、国民的な支持を得る護憲・リベラル政党を至急つくらなければならない理由がそこにある。

5. 米国の無法から日本を守る政治勢力の必要性

  パキスタンに3日戒厳令が敷かれた。小沢事件でニュースがかき消されている中で、このニュースの持つ意味は大きい。これはパキスタンという国が事実上崩壊した事を意味する。そしてその崩壊の原因は米国の「テロとの戦い」の為に、ムシャラフ大統領がパキスタンという国を差し出してしまった事にある。
  冷静に観察するがいい。米国はイラクを崩壊させ、アフガンを崩壊させ、パレスチナを崩壊させた。そんな米国の外交に従属したエジプト、ヨルダン、サウディアラビアの政権は国民の反発を招いて不安状況強めている。そして今度のパキスタンの崩壊である。要するに米国の外交に振り回される国は、最後はことごとく滅びていくのだ。
  小沢辞任の遠因も、もとをただせば小沢代表がテロ特措法延長に中途半端に反対したからだ。米国の「テロとの戦い」の誤りを正面から追及することなく、テロ特措法などという瑣末な法案の延長拒否にこだわった小沢一郎は、結果的に米国を怒らせ、国内の反発にあい、自らを追い込んだ。
  小沢に「対米従属からの自立」という信念があれば話は別であった。しかし親米保守の小沢にその覚悟はない。テロ特措法反対という自らまいた種で行き詰まったのだ。
  その結果、私が繰り返し危惧してきたように、対米従属がさらに深まる事になる。もはや米国の不当な要求をはねつける政治家や政党は、共産党を除いてなくなる。給油疑惑も吹っ飛ぶ事になる。
  しかし、すでに述べたように、米国に従属する国は最後は崩壊する運命をたどるのだ。
  あらたな護憲・リベラル勢力は、日米軍事同盟から自立し、平和憲法を掲げて日本を亡国から救わなければならない。あらたな護憲・リベラル政党は望まれるもう一つの理由がそこにある。菅直人が率いるあらたな護憲・リベラル勢力は、この一点で結束し、国民を支持を広げていかなければならない。
 6. 小沢辞任に意味があるとすれば
   
   テロ特措法反対の小沢発言から始まり、突如として起きた小沢辞任劇で幕が引かれた3ヶ月あまりの政局の混迷に、唯一意味があるとすれば、それは早晩求められるこの国の真の政界再編を一気に加速させる事になるかもしれないという期待である。それははかない期待であるかもしれない。しかしこの国の護憲・リベラル政治家たちは、どうころんでも日本を救う事のできない自民・民主の政争に自らの生き残りをかけるのではなく、今こそ護憲・リベラルの結集こそ日本を救うのだという信念を持って立ち上がらなければならない、その時が来たと思うべきである。

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2007年11月03日

深刻な中東情勢を前にして迷走する日本の政治


深刻な中東情勢を前にして迷走する日本の政治

  10月30日のブログで、党首会談に応じた小沢民主党代表に疑義を呈した。そのブログを書いてすぐに日本を離れた。11月2日夜に日本に帰ってきたら、二回目の党首会談のニュースで持ちきりであった。
  おどろくべき政治の混迷だ。その真相はいずれ明らかにされるであろうが、もはや一日も早く総選挙が行われなくてはならない。そしてその結果がどうであろうと、さらなる選挙が必要となるだろう。何度も選挙を繰り返し、日本の政治は真の政界再編が行われて落ち着く必要がある。本当の政治が始まるのはその時からである。
  残念ながらその間の日本の政治・経済は停滞する。日本の外にいて世界のニュースを眺めるにつけても、世界が急速に動いているというのに、日本の政治はそれらの動きに対応できていない、内向きの政争に明け暮れ世界から取り残されつつある、そういう気がしてならない。自民福田も民主小沢も、そしてそのほかの弱小政党やその政治家たちは、今何をすべきかについて、おそらく思いが及ばないに違いない。自分たちの事で精一杯なのであろう。残念な事である。情けない事である。
  旅行中に「イスラエル・ロビーとアメリカの外交政策上下(講談社)」を熟読した。副島隆彦氏が訳者あとがきの中で、「ここまで満天下に事実を書かれてしまった以上イスラエル・ロビーと言えどもぐうの音も出ないだろう」と書いている通り、米国の中東政策が米国の国益や、いたイスラエルの国益さえも犠牲にする形で、シオニストロビーに影響されている事を憂える驚愕の書である。著者のミヤシャイマー、ウオルトという二人の米国際政治学者がその序の中で、「どんな人間も一人の力や知識で本を書くことはできない」と書いているように、この本の強みは多くの政治家や学者が実際に話した事、報じられた事実を丹念に調べあげ、引用しているところにある。イスラエル・ロビーの実態をここまで明らかにして書いている以上、いかなる批判も恐れ事はない。
  私がレバノンで得た限られた情報に基づいて直感的に判断した米国のイラク攻撃の誤りが、ものの見事にこの書で証明された。
  テロ特措法延長問題をめぐる国内論争を聞きながら、「給油活動を停止することは無責任である」とか、あるいは「日本に出来る貢献は非軍事的な分野であるべきだ」などという議論が、いかにピント外れであるかがわかる。そもそも「テロとの戦い」などに日本は一切かかわるべきではないのだ。日本は米国の中東外交のすべてを否定すべきなのだ。それが出来ないのであれば、きっぱりと米国の中東外交から距離を置くべきなのだ。
  政治家も官僚も学者も評論家も、もっと本気になって米国の中東政策を知らねばならない。日本の在るべき外交を自主的に形作っていかなければならない。その必要性と重要性を、旅先で教えてくれた書である。

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