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2007年10月10日

拉致家族が気の毒でならない

拉致家族が気の毒でならない

 しばらく政局がらみの話を書く気にならない。無意味と思えるからだ。
 民主党が反撃にあっている。小沢党首のあらたな政治資金疑惑が発覚したり、小沢党首が唱える自衛隊のアフガン派遣が自民党の反撃にあっている。世論調査では自民党が支持を延ばし民主党が支持を下げている。政権交代の勢いが一気にしぼみつつある。あれほどの追い風を受けていた民主党がこの体たらくだ。民主党はやはり弱体だ。結束力がない。人材がいない。国民の期待に応える魅力がない。
  しかし自公政権は勘違いをしないほうが良い。悪あがきをしないほうがよい。もはや自公政権がこのまま復活する事はない。好き勝手できる時代は終った。仮に次の総選挙で「負け」を防いだとしても、6年間は逆転参議院のままだ。参院で否決された法案を衆院で再議決するためには三分の二の多数決を必要とする。自公がいくらこれからの衆院選で頑張っても、その数を取ることは不可能だ。要するにねじれ国会は当分続くのだ。どちらも自分たちだけで政治を動かす事はできないのだ。
  そしてそれは国民にとって理想的なのだ。どちらも国民の方に顔を向けなければならない。政策を国民の前で競い合わなければならない。自公勢力を支援する国民も、民主中心の連立を支持する国民も、自分たちの政治を実現する事は出来ない。
  「支持政党なし」の国民が主役になる時代が来る。自公政権でも民主中心の政権でも、どちらでもいいから、正しい政策を実行しろ、と注文をつける国民こそ主役になる時代が来るということだ。我々国民は、究極の政治批判者になり、年金を返せ、税金をねこばばするな、経済を活性化させろ、米国に追従するな、といった要求を、政治家や官僚にどしどし要求し続け、まともな仕事をしない、できない政治を批判し、監視し続ければいいのだ。
  この国の政治家と官僚たち、そしてそれらに迎合して自らも権力者であると勘違いしているマスコミ幹部たちは、決して一般国民の視点に立っていない。弱者の気持ちを分かろうとしない。それは至るところに現れているが、今日のブログで取り上げるのは拉致問題への取り組みである。
  今発売中の月刊誌「正論」11月号に、拉致被害者の一人である有本恵子さんの父親、有本明弘さんの手記が掲載されている。「どうしても言いたい!拉致隠蔽に群がった政・官・マスコミへの根本的不信」と題するこの告発記を読んで、私は強い怒りと深い悲しみにとらわれずにはいられなかった。およその推測はしていたが、この国の指導者たちの国民無視がこれほど酷いものとは思わなかった。
 かつて外務官僚が「わずか10名ぐらいの事で日朝国交正常化が妨げられてはならない」という暴言を吐いた事があった。私はかつての同僚がそのような気持ちで仕事をしている事を残念に思った。しかし、これは外務官僚だけの考えではなかったのだ。与野党の政治家が国を挙げてそう考えていたのだ。本気で拉致被害者の救済に立ち上がる指導者はいなかったのだ。だからいつまでたっても拉致問題が解決しないのだ。
 拉致家族は最初から今日まで切り捨てられ続けてきたのだ。そして今後もそうなるに違いない。官僚であったからよく分かるのだが、我々国民は国を相手にどんな願いを繰り返してもどうにもならないのだ。誰も助けてくれないのだ。それどころか国の機嫌を損ねると仕返しをされるのだ。意地悪をされるのである。なんという国であろうか。
  これは有本さんの告発の核心であるのだが、なぜ拉致問題は解決しないのか、それは勿論一番悪いのは北朝鮮の金正日政権である。しかし金丸訪朝以来拉致問題を隠蔽したまま国交正常化を急いだこの国の政治家と外務官僚、そしてそれに加担したマスコミの姿勢こそ罪深い。特に許しがたいのは「拉致は無い」と言い張って北朝鮮との友好関係を唱えていた左派イデオロギー政党の政治家と信奉者たちである。今でも反省するどころか、国交正常化を急ぐ事ばかり唱えている。
  平和や憲法九譲の大切さを訴えるのもいい。テロ特措法をめぐる論議を続けるのもいいだろう。日米軍事同盟の危険性を糾弾するのもいい。格差社会を問題とする事もいい。しかし拉致された国民一人さえ救えない国とは何か。政治家とは何か。私は拉致問題の行く末だけは、あらゆる動きを見逃す事無く追跡して行こうと思っている。

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2007年10月08日

野坂昭如の連載「七転び八起き」ほか

  野坂昭如の連載「七転び八起き」

  毎日せっせと新聞や雑誌を読んでいると、色々な出会いがある。その中の一つが毎日新聞に連載されている野坂昭如の「七転び八起き」である。
  野坂昭如といっても若い世代は知らない人が多いと思うが、昭和の高度成長期に活躍した作家であり、今でいうマルチタレントである。タレント参議院議員でもあったが、直木賞作品「火垂の墓」で戦争の悲惨さを訴えたりする全共闘、左派の硬骨漢でもある。
  その野坂は今では77歳のれっきとした老人となった。数年前に脳梗塞で倒れ現在リハビリ中という。その野坂が毎日新聞に4年ほど前から断続的に書いているのがこの「七転び八起き」である。 自らの過ぎし人生を思い起こしながら書いている、とりとめのない随想である。しかしその文章の中に、私は惹きつけられる言葉を時折見つける。勝手に決めつけて申し訳ないが、彼はこの先そう長くない自分の人生を自覚しながら、これがみずからの最後の作品であると思って書いているのではないか。不自由な自分の体と折り合いをつけながら、必死で、それでいて、ある種のゆとりを持って、生きている、その証としてこれを書いているのだと思う。
10月8日の文章には、次のような言葉があった。
・・・日本は小さな島国である。四面海に囲まれている。自給自足を捨てた資源のない日本は、諸外国と仲良くすることでしか生きのびられない。東洋のスイスである。国民がまずその事を知らなければならない。今、日本は前進するしかない。だが、時には立ち止まって考える事も必要である。日本はこれを忘れている・・・
 人間は遮二無二生きている時、絶頂にある時には見えない物がある。不遇の時、人生を降りた時にはじめて見える物がある。野坂の文章を読みながら、私はいつもそう思うのだ。


  それでもメディアに頑張ってもらいたい

 月刊「紙の爆弾」という雑誌がある。かつて「噂の真相」というスキャンダル雑誌があった。権力の悪を徹底的に告発・糾弾し続けた雑誌だ。それが廃刊になった後、今となっては唯一と言っていいほどのラジカル・スキャンダル雑誌である。
 その11月号に週刊金曜日の編集長北村肇のインタビュー記事があった。これが実に面白いのだ。
 北村は毎日新聞記者出身である。後に「サンデー毎日」の編集長も担当したが、そこで大手芸能プロダクション、バーニーズの内幕を追及した気骨あるジャーナリストである。それゆえに御用新聞記者から背を向けて、今では週刊金曜日の編集長となっている。
  その北村が、「雑誌の収入の半分以上は広告収入だから、広告主を全否定した商業誌は成り立たない、自分はそれでも圧力に屈することなく悪を追及したけれど、雑誌は倒産したら元も子もないわけだから、広告主に配慮して筆を曲げる事を一方的に批判する気にはなれない」と言っているのだ。いたずらにメディアの堕落を批判するのではない、この余裕がいい。
  テレビなどはもっと広告収入に依存しているのだろう。だから広告を取り仕切る電通などが幅を利かせるのだ。その現実を知らなければならない。メディアのジレンマに少しは同情しなくてはならないのかもしれない。
  メディアの商業主義の弊害はもう一つある。それは特ダネ合戦である。自社の特ダネは大きく報じるが、他社に特ダネされると後追い記事は小さくなる。沖縄返還のあらたな密約が発見された記事もその典型例である。
  10月7日の読売新聞は一面で、「核抜き本土並み」という沖縄返還の裏で、日米間に核持込の密約があった事をスクープした。この密約はこれまでにも様々な資料によって明らかにされてきた。しかし10月7日の読売新聞は、日大の信夫隆司という教授が米公文書の中からキッシンジャー元大統領補佐官のあらたなメモを見つけた事を報じた大スクープであった。だから翌日の各紙も一斉にこれを書かざるを得ない。しかしいずれも二番煎じだ。遠慮がちの小さな記事にとどまっている。
  しかしその中にも見落とせない記述がある。高村外務大臣が毎日新聞の問いに、「密約はなかった」と話しているのだ(10月8日)。
  この期に及んでもまだ外務官僚は嘘を言い続ける。その外務官僚の上に乗っかった政治家が、嘘を上塗りする。
  これはテロ特措法をめぐる虚偽答弁とまったく同じ構造だ。日米軍事同盟にかかわるおびただしい嘘の一部である。それは氷山の一角ではあるが、この国の外交の極めて深刻な病巣である。
  事実報道の特ダネ争いをするよりも、政府・官僚の嘘を追及する、その鋭さにおいてメディアには競い合って欲しいと思う。

  一般国民は政治論争に明け暮れる暇は無い(その2)

   10月6日のブログで私は書いた。「政治は政治家にまかせろ。それが政治家の最低限の仕事である。政治家は我々の税金で高額の給料を受け取っているのだ。我々がその政治家の行うべき仕事についてあれこれ議論に巻き込まれるのはおかしい。まともな仕事をしない政治家を監視し、批判するだけでよい」と。
   この私の考えを批判するかのような記事を10月8日の読売新聞の投稿欄で見つけた。
   法政大学教授・メディア文化論専攻の稲増龍夫氏が次のように書いていた。
   すなわち稲増教授は、小泉、安倍首相のパフォーマンス政治に疲れた自民党が福田非パフォーマンス政治に転じた事、そしてそれに皆が安心するという流れが出来つつある、この事に懸念しながら次のように言う。
    ・・・「落ち着いた政治」が、「政治に素人の有権者は、プロの政治家に任せておけばいい」という旧来型の密室政治への回帰を想定しているなら、それは絶対間違いである。
    パフォーマンスであろうがなかろうが、有権者の関心を積極的に喚起し、説明責任を果たしていくことはもはや不可逆的な流れである。「昔はのどかでよかった」と嘆く前に、役者=政治家、観客=有権者ともに、劇場の品格を上げることに力を注いでほしいものである。
  
   この意見はもっともだ。有権者が政治に関心を持つことはいい。政治家は常に国民によって監視されなければならない。それに私も異論は無い。しかし私が言いたい事は次の事である。すなわち現実はそう簡単に我々一般国民が政治論議に参加できない。ましてや政治に影響力を与える事はできない。それどころか有権者である観客は、メディアによって流される政治家と政治評論家、有識者の芝居を一方的に見させられるだけなのだ。彼らに影響を与えられる術をもぎ取られている。
   金を払って見に行く芝居は、つまらない出し物であればボイコットできる。お客様は神様なのだ。
ところが今の政治劇に対して一般国民はなす術が無い。政治議論の影響を与える事も出来なければ、議論に参加することさえ出来ない。一般国民が唯一政治に参加できるのは選挙の時だけであるが、その選挙さえも、国民の圧倒的な多数が解散・総選挙を望んでいるのに、政治家たちが自分たちの都合のいい時を選んで行う。
   国民が政治を監視できるシステムを作らない限り、メディアのおける政治番組の花盛りは、いたずらに政治家や政治評論家、御用有識者の売名行為や出演料稼ぎに加担するだけなのである。そんな事にかかわるよりは、もっと有益な事が我々の毎日にはあるということなのである。

 

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2007年10月07日

9・11以後の米国のあやうさ、日本のあやうさ

9・11以後の米国のあやうさ、日本のあやうさ

 10月7日の朝日新聞の書評欄に、米国カリフォルニア大学バークレー校教授であるジュディス・バトラー著のPRECARIOUS LIFE(邦訳 生のあやうさ 哀悼と暴力の政治学  以文社)が紹介されていた。
 私が注目したのはその序文に書かれてあるという彼女の次の言葉だ。

(2001年秋に私が感じたこと、それは)と、彼女は次のように書いているという。

・・・アメリカ合州国が自らをグローバルな共同体の一員として定義する機会を失いつつあること、その代りにアメリカではナショナリズムが強化され、憲法で保障された権利が停止状態になり、あからさまなものであれ暗黙のものであれ、検閲が蔓延することになってしまったということだった・・・

  その言葉は、6年たった今、よりあからさまな形で進行して行った。ブッシュ政権の6年間を見事に言い当てた言葉だ。バトラー教授の慧眼に脱帽する。そしてなにもかも、しばらく遅れて米国の後を追いかけていく日本。その日本の将来を危惧する。日本にはバトラー教授はいないのか。

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2007年10月07日

嘘を認めたマリオン・ジョーンズ選手の勇気

嘘を認めたマリオン・ジョーンズ選手の勇気

  シドニー五輪の陸上女子短距離の金メダリスト、マリオン・ジョーンズ選手が5日、米国ニューヨーク州ホワイトプレーンズの裁判所前で、ドーピング違反を否定してきた事は嘘だったと偽証を認めた。あわせて引退を表明した。シドニー五輪で獲得した金3個、銅2個のメダル剥奪と成績抹消は避けられないだろうと報道されている。
  薬物を使用したからと言って優勝できるとは限らない。本人の実力が無ければ金メダルはとれない。しかし規則に違反したのである。嘘をついてそれを否定したのである。それは許される事ではない。当時マリオンの快走に喝采を送った一人として残念に思う。
  しかし、それにもかかわらず、あの愛くるしい顔で涙ながらに謝罪したマリオンの姿をテレビで見て、その勇気を称賛したい。それにつけても腹立たしいのは嘘にまみれた今の日本だ。
  毎週日曜日の午前中に各局が競って順番に流す政治番組は、どうやら限界が来たようだ。政治の指導者がまっかな嘘を平然としてつく。それをメディアが本気で追及しない。権力者たちの嘘とそれに加担するメディア。その嘘は視聴者のモラルを低下させ、国全体を偽装国家にする手助けをしているかのごとくだ。
  その中でもテロ特措法問題をめぐる政府・官僚の嘘は象徴的だ。動かしがたい嘘がばれても、なお政治家や有識者と称する連中は嘘を認めない。それどころか詭弁を繰り返す。それをメディアが無批判に報道する。極めつけは10月4日の読売新聞の社説である。その末尾でこう言っているのだ。「・・・仮に対イラク作戦への転用が判明しても、日本政府が取るべき道は給油活動の中止ではない・・・」と。語るに落ちるとはこの事だ。嘘でもいいから対米きょうりょくを続けろと言っているのだ。
  それにつけても今の日本は異常である。政治資金の嘘はどうだ。政治家の不正のあまりの多さに、もはや嘘が嘘でなくなりつつある。年金問題はどうだ。嘘を通り越して公務員の詐欺が至るところで行われていたのだ。郵政民営化の嘘はどうだ。民営化したと思ったら、日通と業務提携だ。民営化したといいながら、その後も手紙・はがき配達業を独占し、その儲けで「ゆうパック」を値下げする。それでも赤字が続くので日通の助けを借りて血の滲む営業努力を重ねてきた民間企業のヤマトを圧迫する。何のための民営化なのか。
  なぜこんな嘘が通るのか。政府の不条理が許されるのか。それは自民党が永久政権政党として権力を握り続けてきたからだ。自民党政権とそれに仕えてきたこの国の官僚組織がすべてを握ってきたからだ。
  嘘のない政治を実現するには政権交代しかない。政権交代によって旧政権の嘘がすべて明らかになる。民主・社民・国民新党の連立政権に多くを期待できないと考える人は多いかもしれない。確かに民主・社民・国民新党の連立政権が自公政権より素晴らしいとも思えない。しかし、政権交代がすべてに優先される。政権交代が起これば嘘はなくなる。彼らが政権を取って嘘をついたらは、たちどころに国民から見放されるからだ。それを今の政治家は皆知るようになった。どのような政党が政権を取ろうとも、嘘をついたらたちどころに政権を手放さなければならない、そういう政治が行われる日が一日も早く来なければならない。
  今の日本は政治家や政党の都合の為にいたずらに日にちを無駄にする余裕はない。一日も早い解散・総選挙が望まれる。野党はテロ特措法をめぐる自公政権の嘘を許す事なく、一日も早い解散・総選挙に追い込まなければならない。これは民主・社民、国民新党の為に言っているのではない。有権者であり納税者である国民が、これ以上政治の無駄を許さない、許せない、から言っているのだ。これは我々国民が、与野党の政治家に突きつけた最後通牒なのである。

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2007年10月06日

 政治と文学

 政治と文学

  昨日は一日中テレビの国会中継を見ていた。今に始まった事ではないが、そのあまりの不毛さに深いため息が出た。代表質問などというものは八百長だ。質問するほうも答える方も、こんなやり取りで生産的なものは何も生まれない事を知っている。質問を事前に知らせ、その答えを官僚が書いて総理や大臣が読み上げる。そこからは何一つ新しいものは生まれてこない。こんな国会審議がこれからも続けられていくのだ。それにもかかわらず、連日のメディアでは政治ニュースが真顔で取り上げる。政治番組が花盛りである。やれ解散・総選挙だ、やれ年金問題だ、テロ特措法問題だ、などと、あたかもそれがすべてであるかのように報道される。
  これは私の勝手な意見であるが、政治が我々の生活にあまりにも身近になり過ぎたために、私たちの生活にロマンがなくなってしまったのではないかと思う。人々が小説を読まなくなったかわりに実用書やノウハウ物ばかり読むようになった。その事と誰もが政治の話をするようになった事とは、おそらく相関関係があると思う。
  ついこの間までは、政治は政治家たちが独占して行う非日常的なものであった。権力欲にまみれたおやじたちが、タバコをくゆらし、料亭政治や派閥政治を繰り返して、我々国民の手の届かないところでこの国のあり方を決めていく、そういう時代が確かにあった。
  そんな政治には勿論弊害はあっただろう。しかし政治家は偉い人たちであり、利権まみれの悪も行うが、同時に国家大計も考える。そういう政治家を信用し、政治を任せる、一般市民は与えられた人生を、政治とは無関係なところで一生懸命生きる、そういう時代があったと思う。
  そんな政治や我々の暮らしを小泉元総理が一変させた。一国会議員にとどまっているような政治家が総理になってしまった。そこから日本の政治が変わった。難しい政策については何も語らず、政治家がタレントよろしくパフォーマンスに明け暮れるようになった。国民はそれを喜び、政治が身近になったと勘違いした。政治を語ることが何か高尚な事のように錯覚するようになった。テレビはこぞって政治番組を増やし、タレントや若い女子アナが老練の政治家に平然と議論を挑むようになった。
  政治が身近になったのはいい。政治家が世論の動向を恐れ、国民が主役になったのはいい。しかし同時に我々は人生における重要なものを失いつつあるのではないか。
  9月30日の日経新聞文化欄に詩人の荒川洋治という人が、「すぐれた文学作品は想像と思考の力を授けてくれる。人の心をつくる。人間の現実に、働きかける・・・」と書いていた。そして、「今は文学をだいじにしなくなった。本らしい本を読む人も少ない。人があつまると、何人かは文学談義をしたものだが、今は見かけない・・・」と続けていた。私が考えていた事と気脈を通じる文章であると思って読んだ。
 文学と言えば、10月6日の朝日新聞土曜紙面(BE ON SATURDAY)に、泉鏡花と芸者桃太郎の「恩師に背いた恋の成り行き」の話が載っていた。鏡花の師である尾崎紅葉は、一番弟子の泉鏡花に名家から妻を迎えさせようと考えていたらしい。ところが鏡花は神楽坂の芸者であった桃太郎に入れあげ、紅葉を激怒させる。その事を、朝日新聞の穴吹史士記者はこう書いていた。
 「・・・女関係に奔放で、自らも神楽坂の芸者を愛人にしていた紅葉が、鏡花と桃太郎の仲を血相変えてまで裂こうとした真意は、よくわからない。遊びと実生活、恋愛と結婚の区別をつけられず、打算を捨てて芸者ふぜいに打ち込む弟子の姿に、危うさを見たのかもしれない・・・桃太郎は、お座敷でも隅の方にひっそり座って、目立たない芸者だったという。父が早く死ぬ。母は芸者に出て(やがて)商人の囲われ者になった。その商人が破産。桃太郎は芸者屋に売られ、母は行方不明に。5歳の時だった。
 自分に数倍する不幸な境遇に、鏡花は激しく同情し、けなげに生きる姿に共感した。師にどう責められようと、この女を見捨てるわけにはいかないと決めたらしい。結婚を世俗的な利益の道具にもしかねない尾崎紅葉の生き方への、最初で最後の反抗であった・・・その後二人は仲むつまじく暮らし、桃太郎は鏡花の死を見取って、戦後まで生き、享年68歳で没した」
 「高野聖」、「婦系図」の世界である。政治の話などどうでもいいように思えてくる。

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2007年10月05日

「大統領暗殺」という映画

 「大統領暗殺」という映画

 「大統領暗殺」(DEATH OF A PRESIDENT)という映画が、いよいよ明日6日から日本で公開される。この映画は、ブッシュ大統領がシカゴのホテル前で暗殺されるという擬似ドキュメンタリー映画だ。誰も見ないうちから悪趣味、不道徳、という不評をかった映画だ。多くの米映画館が上映を拒否したという。
 この映画を見ていない読者を前に、映画を見た私がいくら映画の話をしてもはじまらないが、どうか我慢をして読んでいただきたい。
 私は今から一月あまり前、この映画の配給会社から「試作を送るからコメントを欲しい」と依頼を受けた。即座に私は、「暗殺をテーマにするいかなる映画も評価できない。ましてやブッシュ大統領の暗殺は、いたずらに反テロ感情を煽るだけだ」と言ってコメントするのを断った。実際のところ私は、これはテロへの憎悪をいたずらに書きたてる米国の情報操作の映画ではないかと疑ったくらいであった。
  配給会社の担当者は、「それはよくわかる。しかし、とにかく映画を一度見て欲しい。コメントをいただけるかどうかは、その後で判断していただいて結構だから」と述べて試作のDVDを送ってきた。
  試作を観た私は唸ってしまった。実に不思議な映画なのだ。ブッシュ大統領のイラク戦争を擁護している映画ではまったくない。だからと言って、勿論ブッシュ暗殺を奨励しているものでもない。一体作者の意図はどこにあるのか。私はこの試作を何度も繰り返し見て、そして考えた。自信がないままに私のコメントを配給会社に伝えた。
  そのコメントはこのブログの末尾に書くとして、結局この映画の訴えたかったテーマについてわからないまま一月が経ち、私はもうこの映画の事も忘れていた。そんな時に、たまたま手にした発売中のニューズウィーク日本語版10月10日号において、この映画を作った英国の監督ガブリエル・レンジ氏のインタビュー記事を見つけた。
  彼は言う、
・・・物議をかもすとか、不快に感じる人がいることは予想していた。でもそれでいい。映画は時には挑発的であるべきだと思うからね・・・でも、単に挑発するためじゃない。ブッシュ政権が何をしてきたか検証するために暗殺という手法を選んだ。普通のドキュメンタリーだったら、大勢の人に見てはもらえないから・・・暗殺を大喜びする映画なら悪趣味で卑劣だし、暗殺を奨励するのも許されない。でもこの映画は違う・・・映画は確かにブッシュ政権を批判している。でも、「ブッシュ=テロリスト」とか、「ブッシュは死ななきゃ治らない」なんていうプラカードを掲げる人の事も批判している。そこまでいくと憎しみも逆効果になる・・・9・11テロ後の世界を描いている・・・暗殺は恐ろしいということも・・・(なぜ英国人のあなたが作ったのか。イギリスのブレア首相も同じぐらい尊敬されていないのに、なぜブッシュなのか)そもそもアメリカの映画会社なら資金をださないだろうね・・・9・11テロはアメリカで起きたし、テロとの戦いも、イラクでの戦争も、ブッシュ政権が始めたことだ・・・

  私はあらためてこの映画を見返してみた。そして次に述べる私の当時のコメントは、他のどのコメントより的確なコメントであると自画自賛している。ブッシュのイラク戦争に関心を持ってこの数年間を過ごしてきた人たちは、是非この映画を見る事をおすすめする。決して楽しい映画ではない。しかし強烈な何かを感じるに違いない。そのテーマは今こそ我々に強く語りかけてくる。
 そして次の私のコメントの出来、不出来についても、正しい評価を下してもらいたいと思う。

  「この映画は、米国大統領の暗殺という最も衝撃的なテーマをあえて使いながら、9.11事件以降の米国や世界の人々の苦悩を、鮮やかに描いている。見る人によって様々な解釈がで
きるところがこの映画のミソであるが、暴力はすべてを犠牲者にさせるという明確な
メッセージだけは観客は等しく共有するに違いない」

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2007年10月04日

北朝鮮問題の裏でうごめく政治家たちの巨悪

  北朝鮮問題の裏でうごめく政治家たちの巨悪

  多少なりとも政治家と接触するようになって、つくづく嫌になったのが彼らの悪である。悪とは何か。それは、自らの権力保持や生き残りの為に、国民を騙し、不正義な人物たちともたれあいの関係になって犯罪まがいの行動を繰り返していることだ。そして警察、検察に圧力をかけて正義を捻じ曲げていることだ。
 与野党を問わず、駆け出し政治家はもとより有名な大物政治家であっても、ほぼ例外なく、そうであると私は思っている。メディアに漏れるスキャンダルはその一例に過ぎない。
  きょう(10月4日)発売の週刊新潮は、先般詐欺未遂で逮捕された二瓶絵夢という素性の怪しい女性政治ジャーナリストと政治家たちの醜聞をすっぱ抜いている。北朝鮮外交の功名心に焦った政治家の実態を見事に見せつけてくれる記事である。しかしこれなんかはお粗末な方だ。もっと深い闇がある。
  10月4日の産経新聞一面の連載「やばいぞ日本」は、在日朝鮮人総連合会(朝鮮総連)と日本の政治家の長年の癒着関係を赤裸々に書いている。ここまでの癒着関係があったのかと驚かされる。拉致問題の解決を遅らせたのは日本の政治家だという事がわかる。
  さわりの部分を以下に抜粋して紹介する。読者はこれを読んでどういう思いを抱くことだろう。私はもちろん、これら政治家は唾棄すべき連中だと思う。彼らが平然と政治家にとどまっている事自体が悪だと思う。

   今年の夏に朝鮮総連本部の売買をめぐる不明な実態が問題になったことがあった。その責任者に一人に許宗萬責任副議長という人物がいる。1971年に日本の政界工作を担当する国際局を振り出しに地歩を固め、1986年に財政担当副議長に抜擢されて、以来朝鮮総連を北朝鮮への忠実な献金団体にさせていったという人物である。4日の産経新聞はこのことについて次のように書いている。

  ・・・日本の捜査関係者の一人がこう感想を漏らす。
 「・・・なぜ日本の警察・検察幹部は許宗萬を野放しにし続けているのか・・・総連本部にメスを入れる千載一遇のチャンスまで逃がしてしまった・・・」
 (その背景に)見え隠れしているのは、許責任副議長が日本の政界と強力な人脈を築いていることだ。元総連関係者はこう語る。
 「副議長に司直の手が伸びないのは、ひとえに30年以上にわたる政界工作だ」
 元総連中央財政局副局長の韓光熙氏の書いた「わが朝鮮総連の罪と罰」の中には、加藤紘一はじめ自民党の政治家や旧社会党の現・元幹部議員の名が並んでいるという。
 別の元総連幹部は、「2002年9月の小泉純一郎首相の訪朝以来、許責任副議長は(飯島)首相秘書官と親しくしていた。総裁派閥の森派幹部とも温泉地でこっそりゴルフをするなど、政権との関係強化に躍起だった・・・」
  (1兆4000億円の公的資金をつぎ込んだ)朝銀経営破綻については01年11月に警視庁が総連本部を強制捜査するまで不正は一切表面化しなかった。故金丸信元自民党副総裁が捜査を拡大しないよう警察庁に求めたこともある・・・閣僚経験もあるベテラン国会議員は、許責任副議長とのパイプに加え、朝鮮労働党で対南工作を仕切る金養建・統一戦線部長と20年来の親友であると披瀝して、こう豪語した。
 「私は北から最も信頼されている日本の政治家だ。拉致は後回しでいい。まず日朝の国交を正常化しないと何もはじまらないよ」

  なんとも腹立たしい現実である。何も知らずに北朝鮮に怒りを抱く一般国民はいい面の皮だ。それよりも拉致被害者の家族にとっては耐えがたき裏切りだ。
  このような政治の裏取引に待ったをかけたのが日本国民の怒りの声であった。もはや政治家が事実を隠して裏で取引を重ね、自らの利権をあさる事は許されなくなった。それが判明した時には、その政治家はたちどころにその政治生命を失う時代が来た。メディアよ、頑張ってくれ。ゆめゆめ彼らと癒着して真実を国民から隠すような裏切りはしないでくれ。巨悪がいつばれないかとビクビクしている政治家たちに恐れられる存在になって欲しい。

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2007年10月03日

無為の時間を過ごす至福

無為の時間を過ごす至福

  両親が亡くなり、姉が一人では寂しいと娘を頼って上京して以来、京都にある実家が空き家のままだ。暇を見つけては墓参りをかねて京都にもどり家の掃除をする。
  ただでさえ暑い京都の夏であるが、今年の夏はとりたてて暑かった。その暑さも10月の声を聞いてさすがに去りつつある。おくればせの秋が古都に駆け足でやってくる。
  雨戸を開けて家の中に空気を通す。掃除機をかけ、くまなく拭き掃除をする。さすがに汗がにじんでくる。不揃いに伸びた生垣の芽を刈り込み、落ち葉を掃き集めて袋にまとめる。
  裏庭には、二年ほど前に88歳で逝った母が大切にしていた鉢植えが、今もそのまま並んでいる。これを枯らすと悲しがるだろうなあと思いながら水を遣るのだが、それでも家を訪れることが間遠になったりして、いくつかを枯らしてしまった。かんにんしてな、と心でつぶやく。
  仏壇を拭き、水と花と供え物をあげて線香をつけ、手を合わせる。線香の香りが、住人のいない部屋を包み込む。
  実家のすぐ裏は寺になっていて、そこに両親の墓地がある。散歩代わりに北野天満宮まで脚をのばし、帰りに花を買い求め、墓参りをする。
  気がついたらもう日が傾きつつあった。彼岸が終わって確実に日は短くなりつつある。
  一日をこうして過ごした。仕事に明け暮れていた頃には考えられないほどの無為の一日だった。何一つ生産的な事はしなかった。意味のある事はしなかった。
  こうしている間にも世の中はめまぐるしく動いているに違いない。政治が、経済が、社会が動いている。しかし今の私には、もはやそんなことはどうでもいいことなのだ。
  その昔読んだ堀秀彦の「銀の座席」(朝日新聞社)をなぜか思い出した。老哲学者が晩年を一人で暮らし、老いを直視して日常を生き続ける随想記である。人間にとって一番大切なもの、それは人によって異なるだろう。しかし若さだけは一様に人に訪れる。誰も取り戻す事は出来ない宝物なのだ。
  人は皆、好調なときには、永遠に生き続けたいという思いを持つ一瞬があるに違いない。私は今でもそう思う時がある。あれもしたい、これもしたいという欲望がある。しかし同時にまた、残りの時間が確実に少なくなりつつある現実と折り合いをつけて生きることが、やっと出来るようになった気がする。
  無為な一日の中に至福を感じる余裕が持てるようになった。肌に当たる風に季節の変わり目を感じ、道行く見知らぬ人に挨拶の言葉をかけてみる。木々や花に息吹を感じ、行き交う子犬を可愛いと思う。すべてに優しくなれる気がする。何事にもとげとげしかった若い頃の自分は、まぶしく、懐かしくもあるけれど、二度とあの頃にもどってもう一度人生を繰り返してみたいとは思わない。十分に生きてきた。頑張って生きてきた。
  会社の社長まで極めた七十半ばの老人が、その歳になってなお政府系金融機関の社長に選ばれ、「人生に不可能はない」、などと片意地張った人生訓を垂れていた。エネルギーのある人だ。そういう人は偉いと思う。しかし今の私にとっては、人生観において対極にある人だ。人生の最後の瞬間まで権勢を保ち、他人の追従に囲まれて生きるのもいいだろう。しかし無為の時間に至福を感じとる、そういう心のゆとりを、人は死ぬ前に持つ必要があるのではないか。私は本気でそう思っている。

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2007年10月03日

人を批判すること

人を批判すること

  いつも言い訳がましく断っているのであるが、他人を批判する事は、自らを他人の批判にさらすことでもある。「偉そうに他人を批判する、そういうお前は何様だ」という批判を受ける事を覚悟して、私は他人を批判している。もっとも私の批判の対象は決して普通の一般人ではない。一般人がどのような悪をしようと、それは私の関心事ではない。私が批判するのは、社会的地位のある人、社会的影響力を持った強者、に限っている。
  ヤメ検事田中森一氏の最新著書、「反転―闇社会の守護神と呼ばれて」(幻冬舎)が売れているらしい。しかしそれを読んで不快感が残った。検察上層部の政治的配慮によってみずから手がけた事件が握り潰された、それに嫌気がさして退官した、という彼の言葉に嘘はないだろう。しかしそれをきっかけに裏社会の顧問弁護士に転じ、検事の手口をアウトローに教えて彼らの顧問弁護士になった、そんな田中森一の生き様を私は決して評価しない。どのように自己弁護しようとも、浅ましい生き方だ。
  10月3日の産経新聞に、今世間を騒がせている詐欺会社L&Gという電子マネー会社が設立したNPO法人の顧問に、元警視総監の井上幸彦氏が就任していたと報じられた。井上氏は警察官僚の天下り指定席の一つである「日本盲導犬協会」の理事長に納まっている。その上さらにまた、内閣府の認証NPO法人の顧問に納まっていたのだ。自制心というものがないのだろうか。
 10月1日の日経新聞「私の苦笑い」というコラムに、連合事務局長の古賀伸明という人が登場していた。もちろんまったく面識のない人だ。その人が最年少で連合のナンバー2にスピード出世した事について、勉強不足を恥じたと振り返っている。女房に「あんた、どうしたん?事務局長になってからが、今までで一番勉強してる」と笑われたことを披露している。しかしその物言いに、私は言いようのない自己宣伝と不遜さを感じた。「私は大阪を中心に民間労組の組合専従を23年間、務めた。5年前に産業別組合の電機連合の委員長に選ばれ、初めて東京に引っ越した。その三年後には連合の事務局長に就いた。自分でも予想しなかった、あれよ、あれよの展開だった」などと自慢げに述べているが、とくに彼が臆面もなく述べた次の言葉は聞き捨てならないと思った。「・・・連合が目指すのは『政権交代が可能な二大政党的体制』 で・・・推薦候補の応援で東奔西走したし、いま、その経験が生きていると思う・・・」。労働組合の本来の役割を忘れ政治に奔走する労働組合の権力者。そんな暇があったら非正規労働者の労働条件の改善に心を砕け、と言いたい思いでこれを読んだ。
 池内恵という中東専門家がいる。正確には国際日本文化センター准教授という肩書きだ。この中東専門家のパレスチナ情勢に関する記述が、いつもイスラエル寄りに偏っている。だから私は彼の中東情勢に関する言論が気になって、彼の書いたものは目に付く限り注意して読んできた。その池内准教授が、10月3日の読売新聞に、11月に予定される中東和平会議の見通しについて書いていた。いまや米国・イスラエルの傀儡となったアッバス・パレスチナ自治政府議長と、指導力を欠いたイスラエルのオルメルト首相の会談など、何の成果も得られない事は中東情勢に詳しいものなら常識である。それにも拘わらず池内准教授は臆面もなく書いている。「・・・見通しは暗い。しかし今回の会議を逃せば、パレスチナ情勢はさらに流動化しかねない。入植地や分離壁の建設、エルサレム問題、難民帰還問題といった和平交渉の争点について、一刻もはやくアッバス議長に成果を挙げさせる必要がある・・・」。冗談ではない。どれ一つを取ってみてもイスラエルが一歩も譲歩しない問題ばかりである。パレスチナの一方的譲歩なくしてどうして成果が得られると言うのか。おりしも10月3日の朝日新聞は、シリア発特派員の記事として、シリアのアサド大統領が、「会議では包括和平について話し合うべきで、そうでなければシリアは参加しない」と発言した事を報じていた。真の和平が達成されるには、イスラエルの態度はあまりにも一方的で、非妥協的なのである。

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2007年10月03日

共産党、社民党は、小沢一郎を孤立させるな

 共産党、社民党は、小沢一郎を孤立させるな

 テロ特措法延長問題は、私の予想を超えて、この国の大きな政治問題に発展しそうな動きを見せてきた。
 私の予想を超えた理由は二つある。一つは、何と言っても民間NGOピースデポが米軍艦の航海日誌から見抜いたイラク戦争への補給転用の事実である。転用どころではない。日本の燃料補給は、当初よりイラク戦争に従事する米軍艦船に供給されていたのだ。
 もう一つは小沢民主党代表の覚悟である。ここにきて小沢代表の発言が日米軍事同盟の本質に触れるようになってきた。当初小沢代表は国連決議に基づかない米国のイラク攻撃は認められないという言い方をしていた。しかし2日の記者会見では、給油活動を通じて米国のイラク戦争に協力することは、戦争そのものへの協力であり、憲法9条違反そのものである、という言い方をするようになった。日米同盟関係の本質につながる議論を挑み始めた。これを聞いた町村官房長官は、「(憲法違反などという小沢発言は)まったく理解できない」と気色ばんだ。この狼狽振りが小沢発言の重大性を物語っている。
 ここに来て見逃せないのが、自民党がこの難局を正面突破しようと強攻策に転じてきた事である。まず、給油先を特定する事は困難である、米国が転用していないと言えば転用していないと信じるしかない、と言わんばかりに開き直りを始めた。これはかつて日本への核持込に際する米側との事前協議に関し、「米国が持ち込んでいないと言っているのであるから、持ち込まれていない」という態度と同じだ。その裏で日本政府は核持込を認める密約を交わしていた。この不誠実が後に米側の極秘文書公開で明らかになった。説明のつかない日米同盟関係の不都合は、最後は国民に嘘をついて隠す、この不誠実が再び繰り返されようとしているのだ。
  自民党の新法案は、国会の事前承認はおろか、現行法が認めている事後承認さえ削除しようとしている。今回のように面倒な事が起きても議論しないというわけだ。
  更に言えば、石破防衛大臣に至っては、(新法案が参院で否決された場合は恒久法を通常国会に出すのか)と聞かれ、「その都度特別措置法をつくるやり方には強い違和感を持っている・・・野党にも恒久法の必要性を指摘する方は大勢いる・・・与野党の共通認識として深まることを期待する」(10月3日毎日新聞)などとうそぶいている。民主党の前原グループを念頭に置いて揺さぶりをかけているのだ。いちいち個別法を作って国会で追及されてはかなわない、米国の「テロとの戦い」に対する協力は、政府に白紙委任させろと言っているのだ。
  私はかつてのブログで、小沢民主党は、テロ特措法よりも、年金問題や政治と金という国民の怒りが集中している問題で自民党を追い込めと書いた。
  しかしイラク戦争への補給転用が暴露され、小沢民主党がそこを衝いて来た。それに対し、自民党が開き直って強行突破して来た。状況はにわかに深刻になって来た。
  自民党の新法案が提出され、ここまで明白かつ重大な憲法9条違反がなされようとしている時に、なぜ共産党や社民党の党首は声をあげないのか。国民の先頭に立って行動を起こさないのか。護憲政党や平和主義者たちは、憲法9条を守ることや平和の大切さを訴える事だけに熱心であればよいなどと考えるな。憲法9条を踏みにじっている在日米軍の撤退や、その根本になっている日米安保体制の違憲性についてこそ怒るべきだ。拳を上げるべきだ。  
  自民党の新法が国会を通過するような事があれば、一気に日米軍事同盟が加速、固定化される。憲法9条は終わってしまう。その一方で国民が新法成立に反対すれば、日本を米国の軍事支配下に置こうとする自民党の暴走に歯止めをかけることが出来るかもしれない。日本の夜明けにつながるかもしれない。
  共産党、社民党は小沢一郎を孤立させてはいけない。民主党と一緒になって、一気に解散・総選挙に自民党を追い込むべきだ。海上補給新法の成立の可否は、自民党の政権維持をかけた勝負どころであり、政治家小沢一郎の政治生命をかけた勝負どころである。それはまた、護憲政党の生き残りをかけた正念場でもあるのだ。

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